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2016年5月20日 (金)

古都散策(55)【復元】古都散策(13)竹取物語の舞台/竹取その2

 昨日の続きです。
 『群書類従』所収の「竹と里能翁物語」では、巻頭部分の文章に「名をはさぬきの宮津ことなむ/ぬ=るイ」とあります。このことから、「名をば讃岐の造となむ」と理解されています。異文として「さるき」が傍記されているということも注目すべきです。

 ここに関して、諸本を見ると、これは『群書類従』の独自異文のようなのです。
 参考までに、『竹取物語本文集成』(王朝物語史研究会編、勉誠出版、2008年)に掲載されている15本を見ると、次のようになっています。略号で示した諸本名は、今は省略します。


さぬき(「ぬ」に「るイ」と傍記)—群

さるき—活・新・山・乙・尊・内・正・紹

さかき—武・國・甲・高・蓬

さかき(「か」をミセケチにして「る」と傍記)—霊

 流布本の注などを見比べると、いろいろな説があることがわかります。
 『群書類従』の巻末に記された底本に関する記事は今は省略するとして、塙保己一がよしとした本の本文が独自な異文となっていることから、この本の素性をさらに知りたくなります。
 ただし、すべては後日、としておきます。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月16日公開分
 
副題「讃岐神社と三十六歌仙絵」
 
 子供たちのためのお話「かぐや姫」では、その主人公はかぐや姫です。しかし、『竹取物語』というネーミングを見ると、「かぐや姫の物語」ではなくて、「竹取の翁の物語」というところに主眼があることがわかります。

 また、『竹取物語』の舞台が古都奈良だということは、かぐや姫に求婚する5人の貴公子たちが、持統天皇の末期から文武天皇の初期にかけての実在の人物が想定されていることからも言えます。飛鳥にある大内陵は、文武天皇と持統天皇を合葬しています。竹取の翁が竹を取っていたのは、京都ではなくて奈良の竹薮なのです。

 さて、その竹取の翁、もう少し正確にいうと讃岐造麻呂(さぬきのみやつこまろ)が、竹を取りながら生活していたのは、奈良のどこでしょうか。それは、現在の北葛城郡広陵町ということになります。そして、その広陵町に、讃岐神社があります。


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 上の写真は、神社の真横から参拝するところにある標識で、ここはバス停から数歩のところです。
 正面の参道にある案内板は、すでに傷みだしています。


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 早く手を打たないと、寂しさを感じさせる場所になってしまいます。ここは、行政のがんばりどころです。竹取の翁に熱中していた、一町長の思いつきの観光スポットに終わらせてはいけません。
 この讃岐神社は、平安時代初期にできた『延喜式』の「神名帳」にも見える、由緒ある神社です。ひっそりと鎮座しているので、知らないと見過ごします。


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『竹取物語』というキーワードで、この地域の点を線につなげると、訪れる人の脚を引きつけるはずです。着眼点はよかったのです。しかし、その関連付けがイマイチだと思います。

 この讃岐神社の拝殿には、三十六歌仙の額が掲げられていました。


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 参道にあった説明板には、「三十六歌仙扁額六面(別保管)は、元禄十六年九月(1688)海北友賢筆の貼絵を付した貴重な歌仙絵である。」と書かれています。いつか、それを見たいと思います。

 ついでに、現在私が彩色復元中の「架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』」もご笑覧を。

 さて、讃岐神社の裏は、もちろん竹林です。
 そして、道を隔てたすぐ横には、「カーウォッシュ竹取」という車を洗う所があります。『竹取物語』とは何の関係もありませんが……。
 いやいや、かぐや姫が月の世界へ帰る時に、その乗り物を洗った所、ということにしておきましょう。


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 それでは、次回は「かぐや姫ホール」と「竹取公園」をご案内することにします。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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