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2016年7月 8日 (金)

読書雑記(173)幸田真音『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』

 『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債 上・下』(幸田真音、角川文庫、平成27年7月)を読みました。


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 高橋是清は、自らの身をもって国際交流を体現し、指し示した人だと思います。現在、グローバル化が云々される時勢に、学ぶべきことの多い先人だといえるでしょう。
 そこには、英語というものが道具として有効に機能しています。明治時代に英語の意義は、今とは格段に重いものがあったと思われます。是清と共に英語を学んだ末松謙澄もその中にいます。

 しかし、管見ながらも、英語至上の世は終わった、と思っています。こぞって英語を国際的な公用語としてありがたがる時代は終わった、と。国際交流のための《選択肢の1つとしての英語》という考え方がいいのではないでしょうか。スペイン語もあるし、フランス語もあるのですから。多言語社会になったと思います。

 それはさておき、

 本書は、昭和11年2月26日の雪の朝、高橋家に反乱兵がやって来るところから始まります。ただし、すぐに序章は終わり、時間が巻き戻され、第一章では是清が生まれてからの話となります。
 序章の2・26事件のことは、終章でそのまま引き取られて語り納められます。

 少年の頃、横浜からアメリカへと渡り、苦労を苦労とも思わずに、是清は波乱万丈の人生を歩みます。大変な時代にもかかわらず、幸運が幸運を呼び、常人には成し得ない大きな仕事をやり遂げたのです。

 明治、大正、昭和と、一人の男を中心に据え、国の財政問題とその背景を、さまざまの資料を駆使して語ります。人間が描けていることに加えて、社会的な背景が経済と連動して時間軸に乗って展開していきます。
 経済や政治は専門外の私です。しかし、是清の大胆な生き様に惹かれて、楽しく読むことができました。

 私が本書を手にしたのは、末松謙澄のことが是清との関係でどう描かれているのか知りたくて、それだけの理由で読みました。作者が意図したことではない視点で読んだのです。情報収集としての読書です。

 末松謙澄のことは2カ所に少しだけ顔を出します。取り立ててメモするものではありませんでした。一応、当該箇所を引いておきます。


(明治5年)
 末松謙澄と知り合いになったのは、ちょうどそんなころのことだった。
 屋敷の縁側に腰をかけ、人待ち顔で時間潰しをしている同年代らしい青年をたびたび見かけ、是清のほうから声をかけたのが最初である。自分の部屋に招き入れ、あれこれと話し込むうちに、二人はすっかり親しくなった。
 聞くと、佐々木高行の家で書生をしているという。フルベッキの長女のところに、英語を習うため佐々木家の令嬢、静衛が定期的に通ってきているのは知っていたが、末松は彼女のお供で送り迎えについてきているらしい。
 実際には是清より一歳年下で、豊前から上京し、東京師範学校が募集した官費生の試験に合格したばかりだとのこと。
(中略)
 これを機に、末松は佐々木家を出て下宿暮らしを始め、翻訳の仕事に没頭していく。新聞社のほうから持ち込まれる横浜の三大英字紙、ガゼットやヘラルドなど、扱う範囲も広げ、一人で辞書を使って訳せるようにもなっていった。
(上、201〜213頁)

 参考までに、併読していた『高橋是清自伝 (上下巻)』(中公文庫、1976年7・8月)の記述を引いておきます。

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幸田氏は、この是清の自伝をなぞるようにして小説を構成しておられるからです。少なくとも、末松謙澄に関しては。


 末松謙澄君と知合いになったのは、そのころのことだ。私は依然としてフルベッキ先生の所におったが、そこに佐々木高行侯の令嬢静衛さんが、フルベッキ先生のお嬢さんに英語を習いに来ておられた。そして、いつも静衛さんのお供をして来る一人の青年があった。ある日この青年がいつもの通り長屋の縁側に腰掛けているのを見て、私はその青年を呼び入れて話をした。それから二人は大変に懇意になったが、それが即ち末松謙澄君であったのだ。(自伝上・126頁〜)
(中略)
末松は、師範学校事件以来、何となく居辛くなって、間もなく佐々木邸を出て下宿してしまった。
 末松はそのころ最早や私の手を借らず、一人で辞書を引張って、翻訳が出来るようになった。日日新聞の方からは、西洋新聞ばかりでなく、横浜のガゼットやヘラルド等の英字新聞をも翻訳してもらいたいとてそれらの新聞を送って来た。多くは社説であったが、それも、末松が辞書を引張りながら、一人で翻訳した。私は、その時脚気にかかって佐々木邸で療養をしておった。(自伝上132頁)

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(明治37年4月)
 是清は、倫敦に着いてすぐ、一月からこちらに来ているという末松謙澄と会った。久し振りの再会だ。英字新聞を和訳して、一緒に新聞社に売り込みに回ったころが懐かしい。末松はあのあとケンブリッジ大学を卒業し、伊藤博文の次女と結婚した。
 今回は、義父であるその伊藤に進言し、いまこそ「英米両国の世論喚起」が必要だと訴えて、特使として欧州に派遣されて来たという。
 フルベッキの屋敷で出会い、その優秀さを見込んだ是清の提案で、互いに英語と漢文を教え合い研鎖を積んだ二人だった。
 翻訳作業の傍らに、夜を徹してよく酒を飲んだ。英字新聞の記事を前にして、西欧の社会を、そして日本の将来を語りあった。あのころの思い出は、話し始めると尽きることがない。
 そんな末松と是清が、いまは同じ倫敦に居て、日本のために力の限りを尽している。一人は資金調達に、もう一人は日本を正しく理解してもらうための広報活動にと、互いに必死になっている。是清はあらためて巡り合わせの不思議を、しみじみと思うのだった。(『天佑なり』下、141〜142頁)

 ここで、末松謙澄の英国行きが「日本を正しく理解してもらうための広報活動」だ、としています。これは、末松謙澄がかつて『源氏物語』を英訳したのが、日本への理解を英国人に深めてもらいたいという思いからのものだったことに通じる行動だといえるでしょう。もっとも、作者である幸田氏は、末松謙澄と『源氏物語』については、調査した資料に見当たらなかったから触れていない、と理解していいようです。
 末松謙澄が『源氏物語』を英訳したことは、資料がないので、著者もイメージが膨らまなかったのでしょう。これ以上は何も語りません。
 私は、語られる内容から、末松謙澄の実像を探ろうとしました。しかし、それは無理でした。

 これに懲りず、ほんの少しであっても描かれる人間の背景から、末松謙澄の実像を知る手掛かりを求めて、こうした読書も続けて行きたいと思っています。【3】
 
※本書は、2013年6月に、角川書店より単行本として刊行されました。
 
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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