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2016年8月の31件の記事

2016年8月31日 (水)

やっと足のギプスが外れました

 先月末から一ヶ月もの間、ずっと足に着けていたギプスを、本日やっと整形外科で外していただけました。
 締めつけられていた足が、その窮屈さから開放されたので、これで一安心です。
 ただし、今日撮影した足のレントゲン写真を見ながら、まだ骨は付いておらず、完治まであと2~3ヶ月はかかることを覚悟しておくように、とのことでした。
 それでも、ギプスがないだけで、行動の縛りがなくなるので助かります。

 足を庇い、不自然な歩き方をしていたので、身体の節々が悲鳴を上げていました。
 突然これまでと違って足首に何もなくなると、足のバランスが崩れるからということで、足首に包帯だけは巻かれています。
 また、足首の腫れがまだ完全には引いていないので、足の甲にかけての腫れぼったさは残っています。

 今後は、ウォーキングも大丈夫だそうです。
 足首の軽いストレッチを教えていただきました。
 痛くない程度であれば、正座の姿勢もリハビリにいいとか。
 お茶のお稽古ができるかと思いきや、まだ無理はしないようにと釘を刺されました。

 ふくら脛を中心として、足の筋肉が相当落ちています。
 これでは、お茶席で立ち上がる時に、ヨイショと大きな掛け声が出ることでしょう。
 そして、立ち上がるやいなや、よろけることも容易に想像できます。
 無理のない程度に外出をして、まずは足腰を鍛えたいと思います。

 足が思うようにいかなかったので、パソコンを使っての仕事が停滞していました。
 これも、9月を迎える明日から、またこれまで通りに再開したいと思います。
 ご迷惑をおかけしている方々には、これから遅れを取り戻しますので、いま少しお待ちください。

 今回の骨折は、その時の状況からしても突然のことであり、どうしたら避けられたのか、いまだによくわかりません。
 あの日のことを書いたブログ、「突然の左足首の捻挫で1日が止まる」(2016年07月27日)を読み返しても、骨折を防ぐ方策はどうしても見当たらないのです。不慮の事故としか思えないのです。

 今日は、右手人差し指の痺れについても相談しました。
 この一ヶ月の間、足の治療に専念していたこともあり、先生は「そうでしたね」という感じで、先月撮影したレントゲン写真を確認しておられました。

 この痛みは、「変形性関節症」というものだそうです。
 骨と骨の間にある軟骨が磨り減っており、摩擦による痛みが出ているのです。
 変形した骨が固まってしまわないように、指を動かして揉み解すことを勧められました。

 やはり、コンピュータで仕事をしていたことに直結する症状でした。右手人差し指は、マウスでクリックする時に使う指です。痛みがひどくなった春先から、中指でクリックするように、マウスのボタンの機能を変更して調整しました。

 いわゆる職業病の一種なのでしょう。しかし、先生は、老化によるものでしょう、とおっしゃいます。私はあくまでも、マウスを頻繁に使うことによる職業病だ、と確信しています。

 いずれにしても、足首と共に手の指の違和感とも闘う日々となりそうです。
 身体の不調や違和感を、加齢によって説明されることに不満を抱いています。
 避けることのできない老いが大きな原因となっていたにしても、そう思いたくないのが正直な気持ちです。

 どのように思おうと、目に見え、感じる症状に変わりはないとはいえ、それらを加齢によるものとして片づけられてたまるか、との思いをますます強くしています。
 加齢に伴って頑固になっている、と言われると、また反発してしまいそうです。
 まだ、従順に言われるままではいたくない、との思いを大事に心に秘めています。
 
 
 

2016年8月30日 (火)

再録(26)郵便局のズサンな転送業務〈2002.4.27〉

 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報群の一部です。
 このサイトのデータが見られない状態が続いているので、オリジナルのデータから抜き出して再現しています。

 これまでに、宅配便のいいかげんな配送について、何度か書きました。
 そこで、郵便に関するトラブルも、再録記事として取り上げます。

 以下の記事は、自分の学位授与式に出席できなかったという、苦い思い出の一つともなっています。ただし、主査を務めてくださった伊井春樹先生から、後にあらためて個人的に、学位記を直接手で渡してくださいました。恐縮しました。ありがたいことです。
 郵便や宅配で品物や書類を受け取るタイミングを逸したことは、多くの方が経験されていることでしょう。こんなこともありました、ということで、記録として残しておきます。
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 

〔郵便局のズサンな転送業務〕


 〈2002.4.27〉
 
 インドから帰国したのは3月20日。これは、週明けにあるはずの、私にとって30年間の研究活動の一区切りとなる式典に出席することを考えてのものであった。しかし、信頼できるはずの日本の郵便局の不手際から、それが叶わないままに終わってしまった。

 帰国後、実家に届いた郵便物をいくら調べても、関係する書類が見あたらない。
 どうなっているのか思案していると、式典の前日に伊井春樹先生から電話があり、書類が届いているかとのこと。数日前にも、一足先にインドからお帰りになった伊井先生から、案内状が届いているかと心配してくださったのである。まだであると答えると、それでは2ヶ月後にも授与式があるので、そちらの方に廻されたのだろうかとのことであった。

 そうこうする内に、心覚えにしていた25日も過ぎ、しかたがないので上京の準備をしている時に、横浜での留守をお願いしていた同僚の奥さんから、私の部屋に様子を見に入ってみたら、速達がドアのポストに投函されていたとのこと。差出人は大阪大学とあるそうである。


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 すぐに開封してもらうと、届いていたのは私が待っていた「学位授与について(通知)」と「博士学位記授与式のご案内」であった。発信の日付は、3月18日。私がインドを発った日に横浜に届いたものであることが分かった。

 私は、インドへ出張で出かけている間の横浜への郵便物は、すべてを奈良の実家へ転送してもらう手続きをしていた。帰国後、実家で多くの転送された郵便物を確認しているので、転送業務は正しく行われているのである。
 しかし、この書類だけは、どうしたわけか横浜の部屋のドアのポストに投げ入れられてしまっていたのだ。いくら奈良で待っていても、この案内状は手にできないはずである。そして、書類を確認したのは、すでに式典が終わった2日後だったことになる。

 早速、大阪大学に電話をし、学位記をもらう手続きを問い合わせた。すると、文学部の大学院事務室で預かっているので、いつでも渡せるとのことである。
 すぐに伊井先生にメールでことの次第を報告し、そのまま大阪大学へ出かけた。無事に事務の方から受け取り、その足で伊井先生の部屋に立ち寄ると、ちょうど待っていてくださった所であった。そして、先生は私が手にしていた学位記を確認し、その場で改めて手渡しでくださったのである。

 私は、30年間ひたすら後を追い続け、45歳を過ぎてから学生の身分を得て、改めて先生の教え子になって指導を受けてきたのである。一週間前に先生とはインドのデリーでお別れし、そしてこの日は、先生の研究室でご褒美とありがたい励ましをいただくことになった。
 人生50年目に、一区切りの忘れがたい日となった。

 帰りに妻と待ち合わせをし、食事をして記念品を買った。翌日は、妻への感謝の気持ちから、かねてより欲しがっていた食器棚をプレゼントした。妻からインドへ届いたメールにあったものでもある。インドから買って帰るには大きすぎるので、日本で買うことにしたのだ。

 それにしても、問題の書類はどうして実家に届かなかったのであろうか。横浜の金沢郵便局に電話をして問い合わせた。すると、責任者であるタシロさんから、速達は通常の配達人ではなくて、アルバイトのおばさんが届けているという説明があった。「いつもと違う者がやっているので、間違って配ってしまったようだ。」とのこと。そして、速達なのでドアのポストに入れてしまった、という言い訳が返ってきた。

 私が不在なので転送をお願いしているにもかかわらず、何ともいいかげんな配達業務である。この種のクレームは、郵政事業庁のお客様サービス係(045-320-xxxx)に電話をするのだそうである。

 さらに、月末の横浜市長選挙の連絡も届いていないことを尋ねると、投票に関する郵便物は転送しないことになっているそうである。投票の通知書がなくても投票できるということなので、投票時間に間に合うように上京した。

 横浜の部屋に入ると間もなく、偶然にも郵便局の第一集配営業課課長の田代さんがお出でになり、不始末のお詫びを言って帰られた。アルバイトの人がついうっかりと、ということである。転送は一年間有効なので、転送解除はせずにそのままにしておくことにした。今年の年末までは、郵便物はすべて奈良の実家に転送となる。

 インドでは、郵便局における郵便物からの抜き取りは日常茶飯事のことだと聞いた。郵便局の窓口が信用できないので、あえてポストに入れる人もいる。少しでも郵便局員の手を経ないようにするために、ポストから地域の中央局へ行った方が幾分かは安全だという考え方によるものである。一緒に暮らしていた中島岳志君も、4通の内の2通は届かずに行方不明となっていた。奨学金に関する大切な書類が届かなかったのである。

 日本は、郵便物は一応は届くことを前提に生活できるので、その点では安心である。しかし、このように転送業務がいいかげんであることは、今後とも注意しておくべきであろう。過信は禁物である。郵政の民営化が実現すれば、もう少し緊張感をもって配達に当たることになるはずである。競争することによる業務の見直しは、ひいては我々の生活における不安をいくらかでも解消することにつながるはずだ。そうした意味からも、一日も早い郵政の民営化を望むところである。

 そうこうする内に、またもや横浜の官舎のドアのポストに、アドビ社からのフォトショップのバージョンアップの案内通知郵便物が投げ入れられた。
 階下にある集合ポストに、郵便物は入れられることになっている。しかし、私は帰国後もこのポストをガムテープで封鎖してあるのだ。通常はこの集合ポストに郵便物は入れられることになっている。ただし、私がそのポストの入口を蓋しているので、そしてそこに「ドアポストにおねがいします。」と書いているので、しかたなく、それもご丁寧に私のドアまでわざわざ運んでくださったのである。

 転送依頼を解除していないし、奈良の実家に転送が続いている最中にである。どうも、郵便局の転送サービスは、苦情を言っても是正されず、相変わらず至極いいかげんなようである。もう苦情を伝えるのはやめにした。横浜の部屋に投げ込まれる郵便物を、これからは一つの楽しみにしよう。
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

2016年8月29日 (月)

血糖値は下がり、ガン治療は「卒業」から「終診」へ

 早朝より京大病院へ行きました。
 8時15分から受付開始です。ただし、その自動再来受付機での受付が早い者順なので、さらに30分前には行っておかないと、8時半からの採血がどんどん遅れます。採血の結果は1時間後に出て、それを受けて診察となるのです。
 まさに、逆算での行動を強いられます。

 今日は朝7時に家を出たので、先月よりも早めのパターンで検査と診察が受けられるはずでした。しかし、そうは問屋が卸しません。いろいろなことがあって、やはり午後までかかりました。

 おまけに、今日はいつもの糖尿内分泌栄養内科に加えて、消化管外科も入っています。さらには、栄養指導もあるので盛りだくさんです。

 尿と血液検査が終わると、すぐに放射線検査です。これは、6年前に胃ガンで消化管を全摘出の手術をした後の、再発などの検査です。5年目の昨夏、無事にガン治療は晴れて「卒業」と宣言されました。

「私のガン治療は今日で卒業となりました」(2015年08月13日)

 しかし、腹腔鏡手術の開発者で主治医だった岡部先生が大津の病院に転任されたこともあり、引き継がれた久森先生は、その後も半年毎の検査をして経過を観察してくださることになりました。その道の権威から受け渡されたこの身体を、納得ができる状態で終了にしたいと思われたのでしょうか。私が希望したこともあり、術後5年が経った後も、診ていただいているのです。

 今日は、胸部と腹部全部をCTスキャンしました。書類をPDFにするように、身体を画像化して点検するのです。
 先月は、東京共済病院の脳ドックで頭部のCTスキャンを受けました。今回は、造影剤を腕から注入しながらのスキャンです。この造影剤が入ると、身体がほくほくと熱くなります。

 両手をバンザイして、半円筒の中を行き来します。その私の姿は、「ウルトラマン」の気分というよりも、私が育った時代でいうと「ナショナルキッド」や「海底人ハヤブサ」です。ひ弱な私のことなので、「大魔神」や「マグマ大使」のような迫力はありません。

 今日の検査で使った造影剤は、「ムニパーク300注シリンジ100ml」だそうです。その薬のことを明記した説明書をいただきました。読んでも意味不明です。しかしこの病院は、丁寧な説明がなされるので、安心して任せられます。

 検査後は水分を十分に補給するように、とのことだったのでドリンクを飲んでいたところ、すぐに糖尿内科の診察の呼び出しが、手渡されていたリモコン端末に表示されました。ドリンクを飲んでいた途中で慌てて診察室に入ると、まだ血液検査の結果が来ていないのでしばらく待ち合いで待っていてください、とのことでした。

 今日は私が大好きなこの病院で一日を過ごすので、何も急ぐことはありません。
 いつものマイ・スタディ・エリアで、時間待ちを兼ねた仕事に没頭しました。
 この病院に来ると、安心感もあってか、仕事がはかどります。

 糖尿病内科では、主治医の長嶋先生から、開口一番、栄養管理が良いと褒められました。
 今日のヘモグロビン A1cは「6.9」。前回の「7.4」からグンと良くなっていました。しかも、骨折をすると血糖値は上がるそうなので、さらに驚きです。もし骨折していなかったらもっといい結果だったはずだ、と楽しそうにおっしゃいます。

 体重がこの夏場に1キロ以上も増えて51.5キロ前後になっていることも、体調管理が理想的になされているからだそうです。体重を維持するためにも、バランスのとれた今の食事を続けるといいそうです。先生が口癖の、「バランスのとれた豊かな食生活を」、ということです。

 毎回指摘されていた鉄分の欠乏症も、十分に取れているのでこれなら大丈夫だと言われました。
 これまでは2ヶ月毎の検査と診察でした。しかし、この調子なら3ヶ月毎にしましょう、とのことでした。嬉しいことです。

 次は11時から古御門先生の栄養指導でした。しかし、先週病院宛に私から送った最近の食事記録が、どうしたことか、今日病院の担当課に届いたのだそうです。そのため、提出された記録を確認し、計算をしてからにしましょう、とのことで、次の消化管外科を先に受診することになりました。

 病院内を目まぐるしく移動する一日です。

 消化管外科では、午前中に実施したCTスキャンの結果を踏まえて、ガンに関してはまったく問題はないとのことでした。
 全摘出手術から6年たち、そしてこの結果なので、もう「終診」にします、おめでとうございます、とのことばをいただきました。上記の通り、昨年は「卒業」でした。さらに念のために検査をしてくださった上で、「終診」となったのです。
 ありがたいことです。何かあったらいつでもどうぞ、ということで、この消化管外科に来るのは余程の時ということになります。

 消化管を切除したことに関連して、半年ごとにメチコバールを筋肉注射してもらっていました。これは、錠剤では吸収されにくいからということで、注射による対処となったものです。今日注射をしていただいたので、次は、来春に糖尿病内科で注射をしてもらいます。これだけは、今後も続くようです。

 予定よりも大幅に遅れて、最後に栄養指導を受けました。
 今も、食事では悪戦苦闘中です。食事途中で、しばしば腹痛に見舞われるのです。しかし、それは私が消化管を持たないためのことであって、どうしようもないのです。この身体に付き合っていくしかありません。

 あらかじめ提出しておいた食事の記録をもとにして、丁寧な説明をうかがいました。栄養指導という観点からは、この調子でいいそうです。

 私の最近の食事を点検し、計算してくださった結果、たんぱく質30%、脂質40%、炭水化物30%という比率でした。普通は、炭水化物が50~60%なので、私は極端に少ないのです。これは、私が糖質制限をしていた頃のイメージが今も残っているために、つい糖質を避けていることと、妻の配慮によるものです。
 もっと炭水化物を摂ってもいいということと、それとのバランスでタンパク質を減らしてもいいかな、というアドバイス等をいただきました。

 一日の摂取カロリーは、今回の私の数値は2,200キロカロリーでした。これまでの私に対する指導は、1,800キロカロリーだったので、大幅にアップしています。これは、妻との相談で、今夏は体重を1キロ増やそうという目標があり、血糖値のことはそれから考えることにしたことに原因があります。しかし、これが良好な結果につながったのです。

 栄養士の先生は、私にはこれくらいの高目のカロリーが合っているのかもしれないので、炭水化物のことも含めて、このまま続けてください、とのことでした。

 一日がかりの検査と診察と相談に終始しました。その結果は、非常に得るものが多かったので、満足して病院を後にしました。

 雨が降り出したので、タクシーを使って京都市役所へ行って所用を果たし、颱風が関東東北に上陸しないうちにと、大急ぎで新幹線で上京しました。

 以上、冗長ながらも、我が身を気遣ってもらっている関係者への、一区切りの朗報といえる報告です。もっとも、すべては妻の采配による結果ですが。
 
 
 

2016年8月28日 (日)

読書雑記(178)山本兼一『ジパング島発見記』

 『ジパング島発見記』(山本兼一、集英社文庫、2012年7月)を読みました。


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 『日本史』を著したポルトガル人のルイス・フロイスが語り手となっています。フロイスが書ききれなかった逸話を記す、という体裁で語る7編の聞書を編んだものです。異色の戦国物語となっています。語りの視点が新鮮です。

 キリスト教の布教者という立場からの目で見た日本や日本人が、斬新な切り口で描かれています。知性と礼節を重んじる日本を描きます。
 また、地名、人名等の固有名詞が、外国人からの呼び方となっているところにも、作者なりの工夫が凝らされています。

 ポルトガルと日本の行き来に関しては、その中継地としてインドのゴアが出てきます。インド好きの私にとって、当時のインドの役割がわかって楽しめました。
 ただし、ポルトガルから来た宣教師たちと日本人の交流が表面的なのは、その距離感が表現したかったというよりも、一話の短さからの制約に基づく結果のようです。著者が今世にあれば、各話をおもしろおかしく展開させたことでしょう。2014年2月13日に亡くなられたのが惜しまれます。

■「鉄砲を持ってきた男」
 1543年。ポルトガル人のフランシスコ・ゼイモトの話です。火薬の話は、自らの体験と実地調査を通して語ることができたテーマの一つです。そこに、海外からの視点を持ち込んだところが斬新です。【3】

初出誌:『小説すばる』2007年1月号
 
■「ホラ吹きピント」
 ポルトガル人の貿易商人であるメンデス・ピント(1544年来日)の話です。この後の生きざまが知りたくなりました。【3】

初出誌:『小説すばる』2007年8月号
 
■「ザビエルの耳鳴り」
 1541年にリスボンを出帆し、キリスト教の布教をしたフランシス・ザビエル(1549年来日)の話です。人柄が目に浮かぶように描かれています。【3】

初出誌:『小説すばる』2008年2月号
 
■「アルメイダの悪魔祓い」
 正一位の狐さまとイエスの神との戦いが描かれます。ポルトガル人のアルメイダ(1552年来日)をめぐる物語は、いかにもという作り話で終わっています。山本兼一らしさが感じられない作品となりました。【2】

初出誌:『小説すばる』2008年7月号
 
■「フロイスのインク壺」
 盲目の琵琶法師であるロレンソの存在は中途半端でした。日本の習俗と文化を、丹念に布教史として羽ペンで記すフロイス(ポルトガル、1563年来日)は、今で言えばレポーターです。【4】

初出誌:『小説すばる』2008年10月号
 
■「カブラルの赤ワイン」
 ポルトガルと日本の文化の違いが面白く語られます。まさに、比較文化論の素材が満載です。そして、孤独なカブラル(ポルトガル、1570年来日)という男を描ききります。【4】

初出誌:『小説すばる』2009年1月号
 
■「ヴァリニャーノの思惑」
 信長はフロイスに、友好使節をヨーロッパに派遣したいと語ります。それは形を変えて、実際には伊東マンショや千々石ミゲルなど4人がバチカンに行きました。ヴァリニャーノ(1579年来日)だけはイタリア人です。【3】

初出誌:『小説すばる』2009年3月号

※本書は、集英社から2009年7月に単行本として刊行されたものを文庫本にしたものです。
 
 
 

2016年8月27日 (土)

京洛逍遥(374)秋の気配の賀茂川散策と「Heian GO Genji」私案

 ギプスでぎこちなくしか歩けない足を庇いながら、夕方の賀茂川を散策しました。
 南を望むと、出雲路橋の向こうに京都大学あたりが見えます。
 堆積した土と草が中洲となり、川幅を狭めています。


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 鷺たちも夏の終わりを感じているのでしょうか。
 思い思いに夕食を探しています。


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 夕風に吹かれながら、気持ちよさそうな鷺と鴨がいます。


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 トントンと呼んでいる飛び石があるところから北を見やると、北山大橋から北山あたりが靄っています。


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 「ポケモンGo」で遊んでいた子どもが、賀茂川右岸の賀茂街道へとトントンを渡っています。鷺が「またおいで」と言って見送ってるところです。


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 川風がもう秋かと思われるほどに、涼しく感じられます。
 気温は26度です。
 今年は、早々とトンボが飛び交っています。

 河原では「ポケモンGo」をする人がたくさんいます。
 この「ポケモンGo」の影響か、賀茂川も少し雰囲気が違うようになってきました。ウォーキングやジョギングではなくて、半木の道や散策路に佇んでスマートフォンを操作する人がいたるところで見受けられるのです。

 私は「ポケモンGo」を、まだ京都では使っていません。何となく違和感があり、自分が「ポケモン」を探しているところを人に見られたくない、という心理が働いているのです。東京のような都会ならともかく、自然の中では無粋だと思っているからでしょうか。

 誰か、京都限定の「Heian GO Genji」を作ってくださいませんか。
 洛中洛外で、光源氏たちから和歌を書いた文や懐紙をもらい歩くのです。上級者になると、和歌懐紙を集めるだけでなく、相手と和歌をやりとりしてもいいですね。巧い下手は関係なく、それらしい単語をちりばめるのです。歴史地理と文学体験が、洛中散策と共に楽しめます。

 実在の人物よりも、物語に登場する人物がいいのです。そして、和歌の意味がわかったらポイントが上がります。唱和を楽しむ方も出てきてもいいでしょう。
 あまり古文の受験勉強にならないようにして、平安のトリビアをふんだんに盛り込むのです。

 さしあたっては、この記事の末尾にあげた「源氏のゆかり一覧」(45ヶ所)を歩くアプリはどうでしょうか。
 また、昨年NPO法人〈源氏物語電子資料館〉で実施した文学散歩も、大いに参考になることでしょう。

「京洛逍遥(378)京都で源氏を読む会の源氏散策(第1回目)」(2015年10月10日)

 この「Heian GO Genji」が実現したら、京洛がさらにおもしろい仮想空間になるはずです。観光客のために、スペイン語や英語のバージョンも必要です。
 まさに、物語を持ち歩いて京洛逍遥ができるのです。京都は行くところには事欠かないのですから。平安編ができたら、中世編、幕末編とシリーズ化できます。

 2020年の東京オリンピックの折には、海外から来たお客さんを京洛に引き寄せられます。文化庁も京都に来るので、これはおもしろい文化観光のアイテムにもなります。
 どなたか、このアイデアを形にしてくださいませんか。
 
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参考情報:ブログ「鷺水亭より」で公開した「説明版」のリスト
 
「源氏のゆかり(45)説明板40-大原野神社」(2010/5/8)

「源氏のゆかり(44)五条の夕顔町」(2009/8/25)

「源氏のゆかり(43)河原院跡」(2009/8/16)

「源氏のゆかり(42)説明板39-鳥辺野」(2009/8/13)

「源氏のゆかり(41)比叡山へのハイキング」(2009/5/10)

「源氏のゆかり(40)説明板35-大堰の邸候補地」(2009/4/25)

「源氏のゆかり(39)説明板34-野宮神社」(2009/4/23)

「源氏のゆかり(38)説明板33-棲霞観跡」(2009/4/19)

「源氏のゆかり(37)説明板 32-遍照寺境内」(2009/4/18)

「源氏のゆかり(36)説明板29-大雲寺旧境内」(2009/4/12)

「源氏のゆかり(35)説明板25-朱雀院」(2009/2/22)

「源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂」(2009/1/11)

「源氏のゆかり(33)説明板27-羅城門跡」(2008/12/23)

「源氏のゆかり(32)説明板26-西鴻臚館跡」(2008/12/22)

「源氏のゆかり(31)説明板24-斎宮邸跡」(2008/12/18)

「源氏のゆかり(30)説明板23-大学寮跡」(2008/12/17)

「源氏のゆかり(29)説明板22-二条院候補地」(2008/12/16)

「源氏のゆかり(28)説明板36-法成寺跡」(2008/10/7)

「源氏のゆかり(28)説明板38-梨木神社」(2008/8/23)

「源氏のゆかり(27)説明板37-廬山寺」(2008/8/22)

「源氏のゆかり(26)説明板21-一条院跡」(2008/8/15)

「源氏のゆかり(25)説明板20-平安京一条大路跡」(2008/8/14)

「源氏のゆかり(24)説明板15-平安宮大蔵省跡・大宿直跡」(2008/7/28)

「源氏のゆかり(23)説明板19-朝堂院昌福堂跡」(2008/7/27)

「源氏のゆかり(22)説明板18-豊楽殿跡」(2008/7/23)

「源氏のゆかり(21)説明板17-藻壁門跡左馬寮跡」(2008/7/22)

「源氏のゆかり(20)説明板1-平安宮内裏跡」(2008/7/11)

「源氏のゆかり(19)説明板13-建礼門跡」(2008/6/14)

「源氏のゆかり(18)説明板14-宜陽殿跡」(2008/6/10)

「源氏のゆかり(17)説明板8-紫宸殿跡」(2008/6/9)

「源氏のゆかり(16)説明板 6-蔵人町屋跡」(2008/6/5)

「源氏のゆかり(15)説明板 7-内裏内郭回廊跡」(2008/5/31)

「源氏のゆかり(14)説明板2-凝華・飛香舎跡」(2008/5/30)

「源氏のゆかり(13)説明板3-弘徽殿跡」(2008/5/30)

「源氏のゆかり(12)説明板4-清涼殿跡」(2008/5/25)

「源氏のゆかり(11)説明板5-承香殿跡」(2008/5/24)

「源氏のゆかり(10)説明板10-昭陽舎跡」(2008/5/20)

「源氏のゆかり(9)説明板11-温明殿跡」(2008/5/19)

「源氏のゆかり(8)説明板12-建春門跡」(2008/5/15)

「源氏のゆかり(7)説明板9-淑景舎(桐壺)跡」(2008/5/10)

「源氏のゆかり(6)説明板31-雲林院」(2008/5/6)

「源氏のゆかり(5)説明板28-鞍馬寺(2011/04/03補訂)」(2008/5/3)

「源氏のゆかり(4)説明板16-大極殿跡」(2008/4/10)

「源氏のゆかり(3)浮舟の石碑」(2008/1/26)

「源氏のゆかり(2)若紫がいた北山」(2008/1/5)

「源氏のゆかり(1)上賀茂神社の片岡社」(2008/1/1)
 
 
 

2016年8月26日 (金)

朴光華訳の第2弾『源氏物語—韓国語訳注—(夕顔巻)』刊行

 朴光華先生が、『源氏物語』の韓国語訳と注釈に挑んでおられます。
 これまでの成果を書籍にしてまとめられた第1弾が、昨秋の『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』でした。

「朴光華著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』」(2015年09月06日)

 その第2弾となる『源氏物語—韓国語訳注—(夕顔巻)』が、今夏刊行されました。


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 この「夕顔」は、『文華 第五号』(2006年1月)という雑誌に掲載されたものに、大幅な手を入れて一書にまとめられたものです。

 韓国語に翻訳する上でのご苦心の一端が「後記」に記されています。


既刊の桐壺巻では、尊敬語尊敬補助動詞、謙譲語謙譲補助動詞、丁寧語・丁寧補助動詞などで苦労したが、この夕顔巻においては、助動詞「む・べし」、接続助詞「に・を」などで苦労した。

 また、このことに続いて、次のようなコメントも残しておられます。


桐壺、夕顔両巻の作業中において、一つのたのしみがある。それは、本書の訳と注釈に使った六書(『全書』『大系』『評釈』『全集』『集成』『新大系』)に、なにかあやまりはないのか、印刷ミスはないのか、と、それらを見つけることである。ここで、一々例を申しあげるには失敬なことと思ってさし控えるが、本書の中にはすべてを記して置いた。『評釈』には印刷ミスかどうか分からないものが目立つ。『全集』には初版に比べると、漢字やおくりがななどが、なにげなくすらりと変わったものが十数個所にわたって見える。『大系』にはあんまり見当たらないが。後世になって、韓国で、本書のあやまりなどを指摘する人があらわれたら幸いなことであるが、たぶん、おそらく、そのような人はあらわれないでしょう。本書にもあやまりがないわけでもないが。

 これは、活字による校訂本文とその注釈に頼って『源氏物語』を読み、研究する上での、貴重なご教示となっています。確かに、市販の校訂本文は版を重ねると、微妙に手が入っていきます。些細なことだからということもあって、その補訂の手を吟味することはありません。しかし、活字本に頼っている方には、この朴先生のことばは、そうした改訂の手が入ることがあたりまえである、ということをあらかじめ承知して活字本を利用する必要があることにつながります。

 この朴先生の大仕事は、これから14年という長い歳月をかけて刊行されます。
 翻訳にあたっての方針等は、上記ブログの記事に譲ります。
 次は「若紫巻」であり、以降、「須磨」「明石」「総角」「浮舟」と続くようです。

 朴先生からいただいた情報により、本書の書誌を整理してまとめておきます。


1)著者;朴光華(Park KwangHwa)
2)初版発行日;2016年7月1日
3)出版社;図書出版 香紙
 〒08801 韓国 SEOUL市 冠岳区 奉天洞 1688-12 金剛Building 4層
 Emai1;mind3253@daum.net
4)総頁;522頁
5)定価;W65、000
6)ISBN;978-89-94801-08-7
7)本書の構成;
 写真4枚(宮内庁書陵部蔵 青表紙本 夕顔、尾州家河内本 夕顔、廬山寺 等)
 序、凡例、夕顔巻の概要、登場人物系図、参考文献など;1-23頁
 夕顔巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注);24-501頁
 夕顔の宿(糸井通浩);502-514頁
 後記(日本語);515-516頁
 図録1-6;517-522頁

 韓国語に訳された『源氏物語』は、これまで信頼に足るものがありませんでした。それだけに、この朴訳が韓国における今後の『源氏物語』の研究に果たす役割は、ますます大きなものとなることでしょう。

 なお、私の科研(A)のホームページから公開している『海外平安文学研究ジャーナル Vol.3』(2015/09/30)で、この第1弾である『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』に関する詳細な紹介を掲載しています。

 「新刊紹介:朴光華著『源氏物語―韓国語訳注―』(桐壺巻) 厳 教欽(東京大学大学院 博士課程)」(109~115頁)

 このジャーナルは自由にダウンロードしていただけますので、併せてお読みいただけると、朴光華先生の翻訳にあたっての姿勢と、『源氏物語─韓国語訳注─』の意義が明確になると思います。
 
 
 

2016年8月25日 (木)

座席を譲ってもらって思うこと

 電車で初めて席を譲られて困惑したことを書いたのは、今から8年前のことになります。あの時は、年よりも若作りをしていたつもりだったのに、年寄りと見られたことがショックでした。
 50代後半で、日々スポーツクラブに通っていたこともあり、体力年齢は18歳の頃でした。

「心身(15)初体験に困惑」(2008/6/25)

 今日の出来事も、私としてはショックでした。

 会議に出席するために、電車を乗り継いで2時間弱の立川に行きました。
 その途中、中野駅で乗り換えて中央特快に乗ってしばらくしてからでした。中野駅から三鷹駅までは止まらないこともあり、しばらく立ちっぱなしで行くか、と思っていたところ、目の前に座っていた若者が「どうぞ」と席を譲ってくれたのです。
 少し足先が鬱血しだした時でもあったので、ありがたく座らせていただきました。
 感じのいい若者でした。携帯電話ではなく、文庫本を読んでいました。

 立川駅前から、立川学術プラザという職場の前に止まるバスに乗りました。すると、発車して間もなく、私と同じか少し上かと思われるご婦人が、「どうぞ」と言って席を譲ろうとなさいます。「すぐに降りますから」、と言って辞退しました。
 その方は、「そうですか」と言って1度立ち上がった腰を、また座席に下ろされました。
 非常に感じのいい方でした。ごく自然体だったことが印象的でした。

 それにしても、通勤で2度も席を替わっていただくことは初めてです。よほど、私が疲れた表情をしていたのでしょうか。

 もともとが細身で、一見ひ弱そうな出で立ちなので、みなさんの同情を誘うのでしょうか。頼りなげな表情で吊り革を持っていたのでしょうか。人生に疲れた雰囲気を醸し出していることはないと思うので、私の姿は、哀れみや手を差し延べたくなる気分を漂わせていたのでしょうか。

 それにしても、これはよくないな、と思いました。
 かといって、今さら、どうしようもありません。

 父がよく言っていました。
 「人の世話にはなるものだ」と。
 人さまからの哀れみを受けながらの日々は、あまりありがたくはありません。
 しかし、これは自分でどうこうできるものではない、と諦めることにしました。
 人の好意はありがたく素直に受ける、ということを自分に言い聞かせようと思います。

 これも、齢を重ね、弱りつつある我が身を庇いつつ生きる立場になった者の、自らに言い聞かせる処世術の一つなのでしょう。
 寂しい気がします。しかし、これも一時でありたいと願いながら、とにかく臆せずに社会との関わりを持ちながら日々を過ごしたいと思います。

 たかが席を譲られたからと言って、あれことれと考えることではないようにも思え出しました。
 心優しい方の多い社会だな、との思いを強くしています。

 そんなことを思って帰路についていたら、帰りの電車が揺れた瞬間に前に立っていた方がよろけて、私の骨折した足のギプスの上に、思いっきり踵を落としてこられました。ギャーと叫びたいところをグッと我慢して、俯いて痛さを堪えました。

 いやはや、いろんなことがあるものです。
 そして、いろんな方がいらっしゃいます。
 
 
 

2016年8月24日 (水)

古都散策(60)移転7・古都散策(18)夏の奈良公園と浮御堂

 今夏は古都奈良を散策する予定でした。
 しかし、思わぬ骨折というトラブルに見舞われ、それが叶わなくなりました。
 過去の記事でクラッシュしたために読めなくなっているものから奈良の話を復元し、行った気分になることにしました。

 ここで取り上げている東大寺や浮御堂は、山田洋次監督の映画『男はつらいよ 第一作』(昭和44年8月封切)に出ていました。


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 そのことを、昨日たまたま観たホームビデオの映画で再確認したのです。そんなこんなで、今日はこの奈良公園周辺を取り上げます。

 映画では、旅に出た寅さんが、御前様(笠智衆)とその娘冬子(光本幸子)に奈良で出会います。浮御堂の前で記念写真を撮ってから奈良ホテルに入るシーンは、覚えておられる方も多いことでしょう。御前様が浮御堂を背景にして「チーズ」ではなくて「バター」と言うのも、懐かしい場面でした。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年9月10日公開分
 
副題「光の庭と池の静けさの中を彷徨う(8月8日)」
 
 東大寺の南大門から南の飛火野に向かって歩きながら、参道のすぐ左手にある若草山に目を転じると、小さな灯籠の絨毯に驚かされます。正面には、シルクロード国際交流館が聳え、その裏手の若草山には光の文字が刻まれています。この現世において、突如として幻想的な空間の中に身を置くことができます。

 ここには、自分の灯籠を置くこともできるので、無限の世界に自分も参加できるのです。自然の中の夜の闇に溶け込める体験は、おそらく貴重なものとなることでしょう。歴史と文化が横溢する、古都ならではの、ぜいたくな仕掛けです。


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 光の庭から飛火野に歩いていくと、奈良公園の浅茅が原に至ります。ここでも、これまた灯籠が無数に置いてあります。
 その脇道の通路には、竹筒の中でロウソクが燃えています。足下から視線の先が、柔らかで暖かい光の点でエスコートしてもらえます。

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 さらに南へ下ると、ライトアップされた円窓亭の真下に、浮御堂が見えてきます。薄暗い中で、不思議な雰囲気の休憩所となっています。その周りの池には、提灯を捧げた貸ボートに乗る2人連れが幾組か、静かな水面にユラユラと漕ぎ出しています。
 池の汀にも光の点が集まっていて、悠久の小宇宙を見せてくれます。

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 時間がいくらでも吸い取られるかのようなこの地を後にするのは、幾分ためらわれます。しかし、帰り道は満ち足りた思いで、ブラブラと夜の奈良公園を彷徨うことになりました。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2016年8月23日 (火)

《仮名文字検定》の公式サイト(仮)公開

 先月下旬に、「《仮名文字検定》2018年夏より実施のお知らせ」(2016年07月22日)を、本ブログに掲載しました。

 その《仮名文字検定》の公式サイトを、まだ完成型ではないものの、新たに公開しました。
 アドレスは、本ブログの「お知らせ」に記したものと、今後とも変更はありません。
 以下の通りですので、ブックマークやリーダーなどに登録していただけると幸いです。

  《http://www.kanakentei.com/》

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 多くの方々に「設立趣旨」や「検定概要」などを確認していただけるようにとの思いから、仮バージョンではあるものの公式サイトの立ち上げを急ぎました。

 今後は、「受付ページ」や「申込みページ」等の作り込みと共に、スマートフォン対応のページも用意します。

 お知り合いの方々に、《仮名文字検定》が動き出しているということを、ニュースとしてお知らせいただけると幸いです。

 公式テキストは、2017年12月末にできます。

 まずは、鎌倉時代に書写された仮名写本(『源氏物語』等)を使って、変体仮名を読むことから受験の準備をなさってはいかがでしょうか。
 その時には、仮名文字の字母に注意していただくと、着実に変体仮名を読む力がつくはずです。さらに注意していただきたいのは、変体仮名の「阿」を「あ(安)」に、「可」を「か(加)」にというように、変体仮名を現行の平仮名に置き換えて翻字しないで、字母のままに翻字する練習をしてください。それが、本検定試験の受験対策につながる近道となることでしょう。

 みなさまが《仮名文字検定》を受験するための準備として自習なさる際には、私が科研(A)の成果として公開しているホームページ「海外源氏情報」の中にある、「『源氏物語』原本データベース」が、有益な情報源の一つになるかと思います。


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 そこでは、『源氏物語』の写本の画像が閲覧できるサイトを、50件以上も紹介しています。
 また、刊行されている『源氏物語』の影印本についても、30件以上を紹介しています。
 これは『源氏物語』に限定してのものです(現在では入手困難な書籍も含んでいます)。
 こうした情報も、《仮名文字検定》を受験するための学習資料の一部として活用していただければ幸いです。

 なお、《仮名文字検定》の特徴の一つとして、視覚障害者が触読で受験することも可能としています。
 もし興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、本ブログのコメント欄を活用してお問い合わせください。
 立体コピーによる写本の触読に関して、現在お手伝いできることをお知らせします。

 変体仮名を触読することに関する情報源としては、私が科研の「挑戦的萌芽研究」で取り組んでいるホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」も、お役に立つかと思います。


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 古写本の触読については、その中の「触読通信」の記事が、具体的で実践的な参考情報となっています。ここもご覧いただいて、《仮名文字検定》を触読で受験する対策の一つとしてお役立てください。
 
 
 

2016年8月22日 (月)

読書雑記(177)中村久司歌集『流刑のソナタ 異端調』

 『流刑のソナタ 異端調』(中村久司、MyISBN - デザインエッグ社、オンデマンド (ペーパーバック)、2016/7/25、¥1,434)を読みました。


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 オンデマンド出版ということなので、アマゾンで本書の情報を確認しました。紹介を兼ねて、一部を引きます。


■内容紹介■
英国に30年間滞在し、世界20カ国の詩人と英語短歌を詠む活動を続けていた著者の、日本語による第一歌集。
新古今和歌集の抒情と西欧の「ポエム」のシンボリズムの融合を試みた異色の100首。

潮騒も 時の流れも 閉じ込めて 琥珀は眠る バルトの海に

北の海 カモメを鎮め 天を裂き くさび打ち込む 冬の稲妻

吾亦紅 枯れた後にも 立ち続け 死の薄化粧 初霜の朝

聖堂と ネオン街とを 分かつ川 行き交う男女 生ぬるい雨

ツル四羽 折った手の横 核コード 石に染み入る 八月の影

異色・異端の100首は、1973年にソ連船「バイカル号」で冬の横浜港からエルシノアへ旅立ち、その後、日本とヨーロッパの間を彷徨った一人の「異端者」のソウルの投影である。

■著者について■
1950年、岐阜県飛騨市生まれ。高校電気科卒業後、名古屋税関に入関。在職中にデンマークの国際カレッジへ無許可で短期留学。1975年に税関を辞めて渡英し、日英を往来の後、1988年からイギリスのヨーク市に永住。1994年、英国ブラッドフォード大学平和学部大学院で日本人初の平和学博士号を取得。在職中、英国の二つの大学で国際教育・交流プロジェクトを担当。英文学科・美術学科学生に、新古今和歌集を中心に古典短歌を教える。
2004年、世界20カ国の詩人と英語で短歌を詠む「日英短歌ソサエティー」を創立。2008年、日本国外務大臣表彰を受賞。
著作に、『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人:英国の軍産学複合体に挑む』(高文研)、『観光コースでないロンドン』(高文研)、英語歌集『The Floating Bridge: Tanka Poems in English』(Sessions of York) など。

 これまでに刊行された著書について、私の勝手な読書雑記は次の通り3点があります。

(1)「英語の短歌を読む」(2008/11/13)

(2)「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)

(3)「読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論」(2014年07月12日)

 イギリスでは、ヨークとケンブリッジでお目にかかりました。妻と娘共々、お世話になりました。そんな関係からか、短歌の背景が私なりに想像できたので、透き通ったお人柄を思い起こしながら読みました。素人が勝手にキーワードを付けるならば、「ありし日」「月影」「ひとり」でしょうか。

 遠く隔たった自然や風景の時空を通して、影や音や色や香が、ことばの後ろから微かに伝わってきます。
 ことばを紡ぎながらも滲み出る作者の孤独が、モノクロの中で淡い色や鋭い光線として詠まれている歌集だと思いました。
 私と妻で、お互いが気に入った歌を何首か選びました。
 二人が選んだ同じ歌は今は措き、私が選んだ次の五首を紹介します。


手の中に 捕らえたホタル 息づけば 三つ児でさえも 指解き放つ

笹の葉の ひとひらの雪 押し落とす 群竹に射す 蒼い月影

 (風花を台所にいた母にも見せたいと思った遠い日を思い出し。)
見せたいと 連れ出した母 見上げれど 風花は消え 母は微笑む

一条の 香立ち上る 垂直に 雨音静か 暁の寺

直立し 北の裸木 そびえ立つ 靴紐結ぶ 冬の旅立ち


 
 
 

2016年8月21日 (日)

脳ドックで検査結果の説明を受ける

 先月25日に、中目黒の東京共済病院で、人間ドックと脳ドックに入りました。
 人間ドックでの健康診断結果は、郵送で送られて来ていました。

 今回初めて、血液検査で尿酸値が高いという結果が出ました。
 血液検査は、京大病院の糖尿病内科で一ヶ月おきにやっています。
 先月の検査では何もなかったので、これは今月末の検査の時に再確認します。

 ヘモグロビン A1cは7.0でした。これは、先月の京大病院での検査と同じです。
 この夏は特に食事に気をつけており、カロリーを意識して高めで摂っています。その成果とでも言えるのか、体重が50キロを上下していたところを、今は待ち望んでいた51キロ台になっています。
 そのことを思うと、意外にヘモグロビン A1cが上がっていないので、一安心です。

 6月下旬に、どうも目が霞むことが気になるので、宿舎の近くの評判のいい眼科に行きました。そして、いろいろな検査をしてもらった結果、白内障の症状が認められるとのことでした。9月に精密検査に行くことになっています。

 今回の人間ドックでも、左目に白内障の疑いがあるとの指摘がありました。
 来月は、忘れずに近所の眼科で精密検査をしてもらうことにします。

 さて、一昨日の脳ドックの検査結果です。
 認知機能検査は、年齢相応で問題なしでした。
 ボケ老人には、いましばらくはならないようです。
 また、脳梗塞の疑いもまったくありません。

 ただし、MRIの断層写真を見ながら、「白質病変(中等度)」と「頚動脈壁の肥厚」が認められる、ということでした。わずかな異常であり、支障はないものの、念のために来月、首の頚動脈のMRIの検査をすることになりました。

 帰りに、1枚のCDをいただきました。今回の検査画像が収録されているものです。
 以前、京大病院でももらった記憶があります。
 見てもわからないながら、これも何かの記念にと、画像を2枚抜き出しておきます。
 次の脳の断面図は、確か画像の中央右下に写っている浮き雲のようなものが「白質病変」だという説明を受けたように思います。


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 これが大きくならないようにするといいそうです。そのためには、運動をすることと、週末にはパソコンを使わない生活を心がけなさい、とのご託宣を受けました。運動はともかく、パソコンは難題です。

 また、脳の中の血管の画像も、おもしろい線を描いているので抜き出しました。
 何が何なのか、さっぱりわかりません。しかし、このような形で血管が自分の頭の中をクネクネと張り廻らされているのかと思うと、自分は一体何なのかと不思議に思い楽しくなります。


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 面談が終わってから、病院の10階にあるレストランで、この前と同じく鰻丼をいただきました。きれいなレストランです。
 眼下には、東京タワーが見えます。


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2016年8月20日 (土)

駅のホームドア設置と「ホーム縁端警告ブロック」

 一昨日は、日比谷図書文化館から尾崎さんと一緒に、地下鉄三田線で途中まで帰りました。
 先日の、地下鉄ホームから転落した方の悲劇を思い出し、そのことを話題にしました。白杖を持った尾崎さんと一緒に駅の構内を歩いていると、こちらも五官が研ぎ澄まされ、あたりにアンテナを張り廻らす自分を意識しました。

 尾崎さんも中学生の時、電車から降りたところを前から来た人に押されて、ホームから線路に転落したことがあるそうです。何人かの方に引き上げてもらったとか。

 これまでに私が出会った多くの全盲の方々は、そのすべての方がと言ってもいいほどに、ホームからの転落を経験しておられました。それが、民博の広瀬浩二郎さんの言葉を借りれば「通過儀礼」であるかのように、みなさんがその怖さを語ってくださいます。
 新聞やテレビなどでは、ホームからの転落は「37パーセント」としています。しかし、現実にはもっと多いと思われます。

 一昨日の三田線大手町駅のホームには、電車との接触や転落を防止するために、両開きのホームドアがありました。


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 宿舎に帰ってから見た毎日新聞(平成28年8月18日(木)朝刊14版)には、1面、3面、28面の都合4箇所で、この問題を大きく取り上げていました。電子版で見たところ、関西版も大きく扱っていました。


 既存の地下鉄駅で、全国で初めて可動式のホーム柵(ホームドア)が設置され運用が始まったのは2000年。東京都営地下鉄三田線の高島平駅(東京都板橋区)だった。毎日新聞が視覚障害者向けに発行する点字毎日の紙面は、当時「落ちない駅が実現」と紹介した。それから16年。ホームドアは着実に増えているとはいえ、まだ不十分だ。(3面、「クローズアップ2016 視覚障害者ホーム転落 周囲の声掛け命綱」)

 設置や補強費用のことと共に、列車のドアの数や位置が現状ではまちまちなので、その対処策と問題点は単純ではないようです。しかし、バーが上下する「昇降式ホーム柵」などの改良を進め、一駅でも多くのホームにドアや柵を設置してほしいと思います。

 また、点字ブロックについて、同紙には私がまったく知らなかった説明があったので以下に引いておきます。それは、次の図版の右側にある「ホーム縁端警告ブロック」に関するものです(3面より)。


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 点字ブロックについては、「警告ブロック」(図版左側)と「誘導ブロック」(図版中央)があることは知っていました。「社会福祉法人日本盲人会連合」のホームページでも、「点字ブロックについて」という項目にはこの2種類だけが取り上げられています。

 「ホーム縁端警告ブロック」というのは駅のホームにだけ使われているためか、その他のホームページでも「点字ブロック」の説明には見当たりません。「ウィキペディア」でもそうなので、このあたりの説明には、手を入れる必要があるのではないか、と思われます。
 この「ホーム縁端警告ブロック」については、次の2つの報告書が参考になります。ユニバーサルデザインの分野の問題でもあります。

「視覚障害者誘導用ブロックを効果的に配置する」(大野央人、鉄道総合技術研究所、RRR Vol.71 No.7 2014.7 16~19頁)

「鉄道技術来し方行く末 発展の系譜と今後の展望 第38回 視覚障害者誘導用ブロック」(大野央人、鉄道総合技術研究所、RRR Vol.72 No.6 2015.6 28〜31頁)

 点字ブロックは日本が開発したものであり、平成24年に国際規格として定められ、今や世界130カ国以上で採用されているそうです。

 インドでも、「警告ブロック」と「誘導ブロック」が使われていました。もっとも、その使われ方には疑問を抱きましたが。

「インド・デリーの点字ブロックなどには要注意」(2016年02月25日)

 日本でも、駅のホームにある柱との位置関係をどうするかには、課題があります。上記ブログで写真を掲載したように、インドで樹木やマンホールの蓋を避けて点字ブロックをカクカクと回り込ませているのは、どう見ても無理があります。

 「ホーム縁端警告ブロック」について、上記毎日新聞の説明では続けて次のように記されています。


 国土交通省によると、青山一丁目駅のホームで品田さんが転落した場所にあったのは、歩く方向を示す「誘導ブロック」ではなく、ホームの端が近くて危険だと示す「ホーム縁端警告ブロック」だった。
(中略)
 品田さんは両ブロックの接続する地点から離れた場所で転落した。同省担当者は「縁端警告ブロックの上を歩くことを想定していない」と指摘する。だが、混雑時には一般利用客が点字ブロックをふさぎ、機能しているとは言い難い状況も生まれる。実際、警告ブロックを頼りに移動する視覚障害者は少なくない。青山一丁目駅では、縁端警告ブロックの列を柱が遮るように建っている。
 国交省の指針ではホームに縁端警告ブロックを敷設する場合、途中に構造物があっても連続させるよう求めている。遠回りするよう敷くとかえって方向や位置が分からなくなるという視覚障害者の意見を反映させており、青山一丁目駅はこの指針に沿っている。

 点字ブロックに関して、検討すべき課題はいろいろとあるのです。
 これまでは、ブロックの上に立つ人や置かれた荷物に、注意喚起がなされていました。今は、スマートフォンのながら歩きが、目が見える見えないに関わらず問題になっています。

 尾崎さんに、歩きスマホの人とぶつかったことがあるかを聞きました。彼女の答えは、人にぶつかることは多いので、その相手が歩きスマホかかどうかは見えないのでわからない、とのことでした。
 目が見えない方々の実情を私がまだよく理解していないため、それが愚問であったことを教えられました。

 また、回りの方からの「大丈夫ですか?」という声掛けについても聞きました。
 彼女の返答は、通学などでよく通う道は熟知しているので、声を掛けていただくのはありがたいけれども、あまり続くといちいち対応するのに苛々することがある、とのことでした。ただし、通学路以外では、助かることが多いしありがたいと思うそうです。
 この件も、声掛けする方としては親切心からなので、相手のことを慮っての対応が微妙なこともあるようです。それはそれとして、やはり基本的には、押し付けにならない程度に声を掛けるのが自然なことだと思います。
 危険と隣り合わせの方には、原則として声をかける、という心構えを持ち続けたいと思います。
 
 
 

2016年8月19日 (金)

尾崎さんからすぐに届いた『源氏物語 鈴虫』を触読した感想文

 昨日、日比谷図書文化館で歴博本「鈴虫」を読んだ記事をアップした後、すぐに参加していた共立女子大学の尾崎さんから感想文が届きました。
 メールには、こんな言葉が添えてあります。


1年前に比べたら自分でも驚くほど読める文字が増えていて、だてに毎日変体仮名を読んでいないなとうれしくなりました。

 一人の若者が、ひたすら前を見て歩んでいることを実感させてくれる文章なので、ここに紹介します。
 目が見えない方でも、鎌倉時代に写された『源氏物語』などの古写本をこれから読んでみようと思われた方や、そうした方が身近にいらっしゃる方は、遠慮なくこのブログのコメント欄を使って連絡をください。
 
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「講座を終えて ~触読できる文字が増えた今 思うこと~」

 私は今回、伊藤先生にメールで送っていただいたデータを大学の助手さんに立体化していただき、それを持参して講座に参加させていただきました。
 助手さんの配慮で、私が触読しやすいようにと、変体仮名を拡大してから立体コピーしてくださったので、A3サイズの大きな紙で触読しました。

 卒業論文執筆のため、ここ最近は頻繁に変体仮名を触読していたせいか、講座には問題なくついていくことができました。分からない文字があった時は、お隣の席の受講者の方や、同行してくださった助手さんに、指を持って一緒に文字をなぞっていただき、形を把握しました。
 その後、書写できる文字は持参していたノートにサインペンで書き取り、形を記録しました。

 やはり、漢字は読めないものが多くありました。「侍」や「六条院」の「条院」などは字が細かいのか、完全に形を把握することができませんでした。

 触読のスタイルは、右手で紙を抑え、左手で先生の読みに合わせて文字を触読しました。私は主に左手で点字を読むので、そのせいか、変体仮名も左手が中心に触読しているようです。ただ、右手で触読することもあるので、左手でなければ読めないということではありません。
 左右で触読のスピードに差があるのか、今後検討していきたいと思います。

 昨年度の夏に、初めてハーバード本「須磨」と「蜻蛉」を触読した時は、これまで読んできた江戸時代の変体仮名と形が異なる文字が多いため、ほとんど触読することができませんでした。
 しかし、いま振り返ってみると、書かれた時代によって、字形が異なるとは言え、あの時は単に勉強不足で、変体仮名の字形の一部しか把握していなかったため、読めなかったのだと思います。

 見える見えないに関係なく、字形を知らなければ文字が読めないのは当たり前だと思います。触読以前に、いかに字形を記憶しているかが大きな焦点となるはずです。
 文字の記憶方法も、伊藤先生がおっしゃっていましたが、通常目から入ってくる形が、触読の場合指から入って来るだけで、形を記憶する大本のメカニズムのようなものは、目で読むのも触読するのも変わらないと思います。どちらも勉強すれば読めると言うことなのでしょう。

 また今回、書き癖を把握することで、スムーズに読めると言うことも実感しました。
 同じ文字でも、書き手によって若干異なります。始めのうちは戸惑っていた文字も、
「これがこの人の【な】なんだ」
「これがこの人の【ふ】なんだ」
というように、読みながら覚えていくことで、書き癖を把握できるだけでなく、読むスピードは上がるのだということを、あらためて実感しました。

 点字には版があり、フリーハンドで書くことはできません。そのため、書き手の癖のようなものが反映されることもありません。読みやすい文字を書くことはできますが、どうしても形は一定になってしまいます。

 それが変体仮名だと、書き癖をもろに感じることができるだけでなく、字母が何種類かあるので、その中からどの字母の文字なのかということも知ることができます。これは変体仮名の魅力だと思います。
 変体仮名を触読することで、書き手はもちろん、書かれた時代の文化にも触れることができます。

 今回の講座で変体仮名を触読したことによって、『源氏物語』の本体に触れられたようで、大変うれしく思います。伊藤先生やご参加のすべてのみなさまに、心より感謝もうしあげます。

 触読によって変体仮名を読むことで、目が見えなくても日本の文化や物語に直接触れることができるということを、多くの人々に広めるべく、伊藤先生と共に触読の方法をより確かなものにしていきたいと思っています。
 
 
 

2016年8月18日 (木)

日比谷図書文化館で歴博本「鈴虫」を読む

 朝からの大雨が、夕方には止んでいました。
 日比谷図書文化館の前では、今日も多くの方が「ポケモン・ゴー」に熱中しておられます。


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 今日読んだ歴博本「鈴虫」で、読みにくかった箇所の確認をしておきます。

 「御さ可りの」(13丁オ5行目)では、「さ可り」から「の」へと、流れるように筆が走っています。


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 この部分だけを見ていては、「さ可り」の「可」にあたる箇所が何という文字なのかがよくわかりません。ここは、文意を意識して見ていかないと、「さ八りの」とか「さとりの」あるいは「さ尓の」などと読んでしまいかねません。

 次は、行末の例です。
 古写本では、行末や丁末においては、書写者の意識が次の行や次の頁に向いているので、ケアレスミスが多発します。


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 これは、「やを」ではなくて、「やう/\」と読むところです。しかし、「う」は読みにくい字形をしている上に、その位置も左にずれています。前後の文意を考えないと判読に苦しみます。親本通りに書写しようとして、行末が詰まってしまった例です。

 こうした行や丁の末尾における判読が困難な文字は、書写者の集中力が途切れる場所であることを意識しておくと、さまざまな読みの可能性に思いを巡らしながら、候補となる文字が絞り込みやすくなるものです。

 今日は、大学生で全盲の尾崎さんにも参加してもらい、実際に講座に参加されている方々と一緒に、歴博本「鈴虫」を読んでもらいました。立体コピーを活用して、自由に触読の訓練をしてもらったのです。そして、尾崎さんが読み取りにくい文字は、みなさんが翻字をなさる時にも有効なポイントとなります。

 変体仮名を読むのが大好きだという尾崎さんは、今日も多くの文字を追いかけ、読み取っていました。漢字や線の多い変体仮名などには手を焼いていたようです。しかし、それでも持ち前の勘を働かせて、少しずつ仮名文字のパターンを習得していました。

 日頃は一人で翻字などをしているそうなので、もっと仲間と一緒に写本を触読する環境を整えてあげると、迷うことも少なくなり、早く読み取れるようになることでしょう。
 今後がますます楽しみになってきました。人間の可能性の豊かさを実感しています。
 今日の感想を文章にして送ってくれるとのことなので、明日には紹介できると思います。
 
 
 

2016年8月17日 (水)

読書雑記(176)大谷哲夫『永平の風 道元の生涯』

 お盆にお寺さんがいらっしゃることを気に留めながら、『永平の風 道元の生涯』(大谷哲夫、文芸社、2001.10初版、2002.4第4刷)を読み了えました。
 私は宗教心が薄いと思っています。しかし、両親がよく言っていた「只管打坐」という言葉が『正法眼蔵随聞記』に出てくることばであることは、ずっと後の大学生の頃に知りました。

 私の家と妻の家は、偶然にも共に禅宗の曹洞宗であり、本山も福井県にある永平寺です。お互いの両親は、永平寺へ何度か行っています。
 母を追善しての西国三十三所札所巡りの満願は、子供たちとみんなで行きました。


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 最近の仏事で床に飾っているのは、この時の朱印軸を表装したものではなく、その後に私がガンの手術を経て無事に生還した折に西国三十三所を巡った時のものです。

 曹洞宗は、私が選択したものではないにしても、両親が代々受け継いできた我が家の宗派ということで、それが何であるのかもわからないままに引き継いでいるのが、偽らざる実情です。
 
 今回読んだのは、箱に「駒澤大学学長就任記念特装版」と印刷されている、ずっしりと重い本でした。


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 参考までに、巻末にある著者のプロフィールを引きます。

 


著者 プロフィール
大谷哲夫(おおたに てつを)
昭和14(1939)年、東京に生まれる。
早稲田大学第一文学部(東洋哲学専修)、同大学院文研(東洋哲学専攻修士課程)修了。
駒澤大学大学院文研(仏教学専攻博士課程)満期退学。
曹洞宗宗学研究所所員・幹事・講師を経て、昭和52(1977)年、駒澤大学に奉職。
平成6(1994)年より学生部長、教務部長、副学長を歴任。現在、駒澤大学学長、仏教学部教授。著書に、『訓注 永平広録』(上下2巻・大蔵出版)、『和訳 従容録』(柏書房)、『祖山本 永平広録 考注集成』(上下2巻・一穂社)、『卍山本 永平広録 祖山本対校』(全1巻・一穂社)、『道元禅師 おりおりの法話』(曹洞宗宗務庁)など、論文多数。

 
 さて、本書のことをメモとして残しておきます。

 建久10年(1199)に、源頼朝は53歳で亡くなりました。
 その翌年、正治2年の正月2日に京の松殿別邸で生まれたのが、この物語の主人公である道元です。宇治の木幡にある元摂政藤原基房の別邸で生まれたのです。
 母伊子は基房の三女。父は、具平親王の流れの久我通親です。伊子は、その前は木曽義仲の妻でした。

 道元が生まれた年に、幕府は念仏宗を禁止しました。公暁が誕生した年でもあります。

 道元は、父通親の子、異母兄通具(新古今集和歌集の撰者の一人)が育父となって、久我荘で育ちます。
 時は、頼朝から妻政子の北条氏が実験を握るようになっていました。また、末法思想が広がっている時代であり、法然の浄土信仰が説かれていました。

 そのような中で、道元は母が亡くなる時の「政治の世界に生きるな」という言葉が頭を離れません。


 死期の迫っていた母が話していた言葉の意味をどうしても知りたいと思った。
 ― 人は何のために生まれてきたのか、生きるとはどういうことなのか、人は死んだらどうなるのか、浄土というものが本当にあるのだろうか……。(44頁)

 この母の言葉が道元の生き様を決めるのでした。

 ある夜、夢に現れた母の言葉のままに意を決し、比叡山延暦寺の良観法印(叔父)のもとに行きます。13歳の春でした。この道元が得度式をあげるのは、第69代の天台座主慈円の次の公円の時です。この時から、出家沙門「仏法房道元」が誕生したのです。

 この物語は、簡潔な文章でわかりやすく、きびきびとした語り口で進んでいきます。

 道元は、やがて政治の権力闘争に明け暮れる仏教界に嫌悪を抱きます。
 そして、栄西を偲んで中国の天台山へ行き、正師を求めて諸山巡錫の旅に出ます。仏教の本質、仏教の悟りを求めるための旅です。

 平成19年(2007)に、私は中国浙江省にある天台山に登り、国清寺や万年禅寺へ行きました。山内のことが、今も鮮明に思い出されます。この時は、伊井春樹先生とご一緒でした。


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 この万年禅寺でいただいた境内の石片は、今も仏壇の位牌の横に置いています。

 道元が正師と出会うことと、師とする明全が死にゆく場面、そして大悟した道元を正師である如浄禅師が認証する「第二章 ほととぎす」は圧巻です。

 道元が宋で修行していた1223年から1227年までの5年間は、北条氏の執権政治が行われていました。その間に、日本も変わっていたのです。

 道元の生涯が、歴史語りと共に活写されます。
 仏教の専門用語もわかりやすいことばで記されているので、難しい宗教的な背景もよくわかりました。
 本書は、道元の死までを静かに語ります。道元の生き様が印象的に描かれているので、禅というものを考える時に思い出すことになるでしょう。

 本書には、口絵として「道元画像 自賛」「如浄画像 自賛」「道元嗣書」の3点のカラー図版があり、本文中には、田中伸介氏が描いた28葉の挿し絵(モノクロ)が、見開き左側の頁にあります。
 517頁の書物なので、16頁に一葉の絵が置かれていることになり、物語絵巻の雰囲気があります。
 また、巻末には、詳細な「道元総年表」や「主要参考著書一覧」等もあり、道元を理解するための手引きとなっています。【4】

 私がチェックしたのは、以下の文章です。
 5箇所ほどを抜き出しておきます。
 


 道元は、ひたすらなる坐禅こそが、釈尊から達磨へ、そして如浄から自分へ正しく伝わった仏法を学ぶ唯一の正門であると宣言した。
 それは、道元が出家し、比叡山の修行時代から抱き続けていた疑問、
「人は生まれながらにして仏であるとしながら、なぜ修行しなければならないのか」
 という命題への明確なる解答の序章とも言えるものであった。(303頁)

 

仁治三年(一二四二)正月に、四条天皇がわずか十二歳で崩御したため、兄弟の宮もいない天皇の皇嗣として土御門上皇(一一九五~一二三一)の皇子邦仁王が天皇の位についた。すなわち後嵯峨天皇(一二二〇~一二七二)である。天皇は、道元の父通親の第一子である久我通宗の娘通子を母とするので、道元にとっては甥にあたる。これによって久我家は天皇の外戚としての権力を獲得することになったのである。特に、久我通宗のあとを継いだ通親の第四子定通は道元の異母兄にあたるが、その累進はめざましく、朝廷の実権を握り叙位除目をほしいままにする勢いであった。
 道元が、その正伝の仏法の教線を京にまで拡張しえたのは、道元自身の好むと好まざるとにかかわらず、そのような政治情勢の激変を”追い風"にすることができたことにもよる。(348~349頁)

 

 翌仁治四年(一二四三)一月十六日に「都機」を撰述し、三月十日に「空華」を示衆した。「都機」は、万葉仮名で「月」のことで、「月」を主題として説示しているが、この巻に示された「月」は単に虚空に浮かぶ美しい月をいうのではない。道元が「月」によって説き示したのは、仏祖たちがしばしば月に仮託して語った「諸法無我」、あるいは「諸行無常」といった言葉に集約される正伝の仏法の真実義なのである。つまり、道元は、「月」を説示しながら、背後には常に”都機”(仏法のすべてのはたらき)を詩的ひらめきを駆使して説いたのである。(369頁)

 

 道元は、まず五家を中心とした中国宋朝禅を、「密語」「無情説法」「仏教」「見仏」などの巻において徹底的に批判し、次に儒教・仏教・道教の三教一致説を「仏経」「諸法実相」などの巻において舌鋒鋭く否定して、自らが如浄より受け嗣いだ仏法の正統性を論理的に説き明かしたうえで、その全一性と純粋性を強調した。
 「仏道」の巻において、諸仏諸師の中に「禅宗」という宗派を唱えたものはないとして、禅宗という呼称を、また、「曹洞宗」という呼称についても、歴史的事実に照らして誤りであることを指摘し、徹底的に否定した。
 臨済、曹洞をはじめ、五家の宗名を立てることを徹底して道元が嫌った裏には、旧日本達磨宗の弟子たちが、臨済宗大慧派を中心とする禅風の弊害に陥る危険性を憂える気持ちが多分にあったからにほかならない。五家分派以前の古風禅を参究し、五家の宗派を超えた、これこそ道元が生涯をかけて主導した仏法であった。(408~409頁)

 

 それでは、山に帰ってきた感慨を言葉で、どのように表現したらよいであろうか。次のように言おう。
 私が山を離れての半年ばかり、鎌倉という俗世間にいた心境は、
 まるで孤独な月が虚空にかかるようであった。
 しかし、今日、山に帰ると、諸君ばかりでなく、
 山川草木すべて雲までが喜んでいて、
 私の山を愛する気持ちは、昨年、山を出たときよりもさらに深いものがある」
 道元はこの上堂で、自分の仏法は「明得・説得・信得・行得」、つまり、道元自身が、確実に明らかにさとり、充分に説明することができ、明らかに疑いもなく信じることを身につけ、さらにそれをきちんと行じてきた、それが"わが仏法"だと明言した。(463頁)

 
 
 

2016年8月16日 (火)

京洛逍遥(420)大雨洪水警報の中での送り火 -2016-

 昨年の大文字は、ちょうど雨が止んだ8時からの点灯でした。

「京洛逍遥(373)雨間に6万人が見上げた大文字 -2015-」(2015年08月16日)

 一昨年は大雨の中での送り火でした。

「京洛逍遥(335)大雨の後の如意ヶ岳を焦がす大文字」(2014年08月16日)

 今年は、京都市周辺に大雨洪水警報から出る中、午後8時点火の30分前に突然窓を叩く大粒の雨が襲来しました。
 昨日の夕刻にも大雨が降り、すぐに上がったことから、8時前には止むだろうと思って近くの出雲路橋に出かけることにしました。
 しかし、橋に行くまで一向に止む気配がないどころか、ますます酷い豪雨となってきました。骨折で不自由になっている足を運ぶ足元は、大水が道路を川のように流れて行きます。
 近所の方も、五山の送り火に出かけようとする人はほとんどいらっしゃいません。
 途中で数人の方に出会っただけです。

 痛めた足には、ギプスの上からビニール袋で防水をしています。しかし、あまりの水嵩のためにしだいに染み込んで来ます。河原も、泥水となっています。

 午後8時になっても、如意ヶ岳に火の手は上がりません。


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 出雲路橋では大勢の方が傘をさして、如意ヶ岳の大文字点火を待っておられます。
 雨足はもうあたりを水浸しにし、見物人もしだいに減っていきます。


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 20分ほど待って、帰ろうとした時でした。
 出雲路橋の上から上流の北大路橋を望むと、上賀茂のあたりに「船形」が見えました。昨年も、このあたりから見た船形です。


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 昨年は、ここから北東方向に、松ヶ崎の「妙」と「法」も見えました。
 しかし、今年はまったく見えません。点火できなかったのでしょうか。

 帰ろうとしていた時に、突然太いマイクが突き出され、「NHKの者ですが……」とインタビューの女性の顔が透明のビニール傘越しに現われました。横には、ビニールで覆ったビデオカメラが私に向けられようとしています。
 すぐに手を左右に振って、結構ですと言ってそそくさと立ち去りました。
 カメラが構える右側の袖は、もう雨でずぶ濡れです。びしょびしょに濡らしたギプスを映されたのでは、それこそ堪りません。

 船形一つだけでも見られたので、ご先祖様も無事にお帰りになったことにして家に入りました。するとすぐに娘から電話があり、テレビでは京都五山のすべてに点火したと言っている、とのことです。

 それなら如意ヶ岳の大文字は、今からなら北大路橋へ行けばまだ残り火が見られるかもしれないと期待して、すぐに傘をさして出かけました。

 北大路橋に着いても、如意ヶ岳に火は見えません。
 西詰めの広場で、お二人の年配の夫婦の方に出会いました。
 どちらからともなく、テレビで点火したとのことなので大急ぎで出直してきたことを話しながら、いつもはあのあたりに出るのにと言葉を交わしました。
 そのお二人も、この近くの方のようです。

 交通規制と警備を終えようとなさっている警察官の方に聞くと、先ほど如意ヶ岳も遅れて点火したようだが、すぐに消えてしまったようです、とのことでした。

 ということで、今年は一番の見ものの如意ヶ岳の大文字は見られませんでした。
 しかし、船形が見えたので、これで今年も無事に後半を過ごせることでしょう。

 浴衣姿の観光客の方が多かったように思います。
 これに懲りずに、また来年もお越しください、と声をかけたくなりました。

 さあ、今年の後半戦がスタートします。
 これまでと変わらず、常に前を向いて、さまざまなことにチャレンジしたいと思います。
 
 
 

2016年8月15日 (月)

今年も庵主さんをお迎えしてのお盆でした -2016-

 今年も、同志社大学の近くにある養林庵の庵主さんが、お昼前に我が家に来てくださいました。
 ご自分の足で玄関までいらっしゃいます。
 今年で95歳です。
 しっかりとした足取りで、お話もいつものように多彩です。

 両親が満州から大切に持ち帰った木魚は、軽快な音で読経を盛り上げています。


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 今年のお盆は、長男と娘夫婦、そして姉と甥っ子3人が集いました。
 読経の後の庵主さんとのお話は、いつもみんなが楽しみにしています。
 今日は、娘が点てたお薄がきれいな泡立ちで、味もすばらしいと絶賛してくださいました。
 庵主さんは、お茶の先生もなさっていた方です。
 やがて、裏千家と表千家のことや、庵主さんが最近読んだ本のことなど、和やかな会話がつづきました。
 車までお見送りした時も、また来年も元気で、と言葉を掛け合いました。

 お昼は、息子が作った本格的なイタリア料理を、仏壇の前で、わいわいがやがやと食べました。
 子どもたちが多いと、大皿に山盛りのいくつもの料理も、あっというまになくなります。
 私が小食なので、我が家では年に一度あるかないかの大食事会です。

 今年は、骨折した私の足の状態が思わしくないので、河内高安への墓参は長男一人に託しました。
 やがて、突然の大雨も、すぐに止みました。
 明日は京都五山の送り火です。
 ご先祖さまに守られながら、家族親族みんなが元気でいることに感謝する一日でした。
 
 
 

2016年8月14日 (日)

「海外源氏情報」では着実に情報を更新中です

 現在取り組んでいる科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」は、4年目の本年が最終年度となります。

 私は本年度で定年なので、来年度の科研の申請ができません。この科研(A)と「挑戦的萌芽研究」は、さらなる成果が期待でき、膨大な情報が着実に収集整理できているので、研究環境と成果を拡大するためにも、この科研のテーマをどうしたら継続できるのかを検討しています。

 現状では継続が難しいので、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉に維持管理を移管して、少しずつでも内容を充実させて公開を続けていこうと思っています。

 来年4月以降は大きな展開が望めないので、最終年度の今の内に可能な限りの情報の増補と再構築をハイペースで進めているところです。

 最近の更新情報の一端を確認しておきます。
 更新した最新のものは、トップページの赤矢印①の「科研サイト更新&進捗情報」(2016/08/09現在)でおりおりに告知しています。


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 そして、赤矢印②③④が「翻訳史&論文データベース」の中でも特に貴重な情報の集積場となっています。

 現在のところ、赤矢印②「『源氏物語』翻訳史」には275件の情報があります。
 赤矢印③「平安文学翻訳史」には569件、赤矢印④「海外 - 源氏物語・平安文学論文検索」からは715件の情報を公開しています。

 さまざまな形で検索できるような仕掛けも設定していますので、ご自由に気になる情報を引き出してください。

 その他、メニューバーのプルダウンメニューから、適宜知りたい情報をご覧いただけます。

 このホームページに掲載していないことで、ご存知のことがありましたら、上部左の「情報提供」からお知らせいただけると幸いです。
 
 
 

2016年8月13日 (土)

アレッ! と思う時〈その2〉日本語あれこれ

(1)テレビのインタビュー等で、画面の下に表示される字幕が正しい日本語に直されているのは、親切心か余計なお世話か?(故事成語や「れる」「られる」等)
 
(2)テレビのCMで「糖尿病の予防薬、治療薬ではありません。」と表示されている、その読点(、)の紛らわしさ。(句点「。」や中黒点「・」との使い分け)
 
(3)スーパーなどで「小女子の佃煮」に「こうなご の つくだに」と振り仮名があった時の安堵感。(正しくは何と読むのか聞くに聞けなかった言葉との遭遇)
 
(4)京都市バスの車内放送では、日本語も英語もアクセントやイントネーションに全国の方が違和感を覚えるはず。
 
(5)バスや電車に乗った時、海外の方から「どうぞ」と日本語で声をかけられて席を譲っていただいた時の「ありがとう」と応える自分の言葉と心中に籠もる困惑。
 
 
 

2016年8月12日 (金)

京洛逍遥(419)河原を飛ぶ鳥たちとインドのカンナダ語のこと

 早朝の散歩では、涼風の心地よさに身を任せるトンボと鷺を見かけました。
 昨日の活動編とでも言うべき瞬間を、写真として切り取りました。


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 鴨は相変わらず、のんびりと朝食のようです。


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 午後から、京都大学の人文科学研究所研究員としてインドから来日中のRさんに、インドの情報をいろいろと伺いました。
 京町家で会ったので、いい雰囲気の中で自由に意見交換ができました。

 初めてお目にかかった方なのに、よく喋りました。特に、インドで使われているカンナダ語については、まったく知らなかった言語なので新たな発見がたくさんありました。

 日本の古典文学を通して、日本とインドとの交流はまだまだ拡がりそうです。それも若い方々とは、積極的に研究集会などで情報交換をしていく必要があることを、あらためて痛感しました。

 今日も、日本とインドはお互いが文化的に近いものを持っているので、対話と交流を継続すれば、その中から次世代の研究者が育ってくるはずであることを、しっかりと確認できました。若者たちに期待するだけではなくて、育っていくのを支援することも大事です。とにかく、直接相手の顔を見ながら語り合う、ということが学術交流の最初の一歩だといえるでしょう。

 その意味からも、今秋11月にニューデリーで開催する「第8回 インド国際日本文学研究集会」は、さまざまな役割を担った国際集会として位置づけることになりそうです。
 
 
 

2016年8月11日 (木)

京洛逍遥(418)賀茂川で見かけたトンボと鷺と鴨たち

 賀茂川でトンボを見かけました。
 ネットで画像検索をすると、ハグロトンボと一致します。
 長いお腹が、緑色に光っているのが特徴のようです。
 昆虫嫌いの私なので、よくわからないながらも掲載しておきます。


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 日中は35度を超える京都も、夕方の賀茂川を渡る川風は穏やかです。
 さらりとした風を、好きな向きに気ままに受けて寛ぐ鷺たちがいます。


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 餌を見つけて巧みに捕る鷺もいました。


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 毛繕い中の二羽の鴨が、浅瀬でのんびりしています。


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 お盆を迎える中で、秋の気配が感じられる賀茂川散策となりました。
 
 
 

2016年8月10日 (水)

アレッ! と思う時〈その1〉指を見つめる

(1)新聞がめくりにくい。
 紙面の下や端を親指で抉じ開けるようにすることが多くなりました。
 加齢に伴い、指の腹に潤いが少なくなったからでしょうか。

(2)持っていた物をうっかり落とす。
 冷蔵庫から何か取り出す時、別のことに注意が向いているとよく。
 握力は変わらないようなので、集中力の問題だと思っています。

(3)棒状に巻かれたアルミホイールを落とす。
 あれは、二度と元通りきれいに巻き戻せないのです。
 取り返しのつかないことの一つだと言えるでしょう。

(4)コーヒーフレッシュのミルクが飛び散る。
 小さな突起部分からシールを剥がす時、最後にピッと飛びます。
 親指の爪が汚れるし、小さなプラカップにはミルクが残ります。

(5)レトルトパックが真っすぐに開封できない
 上の切り取り位置を確認して引っぱっても、斜めに切れて指が汚れます。
 切り取れずに残った部分が、中身を器に移す時にじゃまをします。
 
 
 

2016年8月 9日 (火)

うれしい発見〈その1〉骨折して気付いたこと

(1)ノンステップバス
 ノンステップバスは、停車すると車高がスーッと低くなってドアが開きます。
 バス乗り場からバスの車内に入る時、車体のステップが舗道と平らになっていると、膝を高く上げなくていいので助かります。
 バスから降りる時も、ドスンと足を落とさなくてもいいので、足への負担が軽減されます。
 ただし、車体と縁石との隙間に、細心の注意が必要です。
 
(2)買い物用のカート
 スーパーマーケットにある手押しのショッピングカートは、便利な杖代わりとなります。
 両手でカートのグリップを握るので、姿勢もスッと伸びて安定します。
 左右の足への体重の掛け方も均等になるので、無理な姿勢で歩くことによる腰への負担が軽減されます。
 そして、一時的でも歩行訓練器になるのです。
 
(3)エレベータの中に椅子があった時。
 足が痛い時、エレベータの奥の隅に小さな椅子が置いてあると、気分的に楽になります。
 足にかかる体重を均等にしながらエレベータの中で立っていると、けっこう腰が疲れます。
 バスや電車のように、エレベータには吊り革がないのです。
 横揺れはないのでいいとはいうものの、吊り革がほしいときがあります。
 すべてのエレベータに手すりはあります。
 しかし、手すりに触れるのは、壁際のほんの一部の人だけです。
  
(4)階段の両サイドの手すり
 駅やビルなどで、階段の両側に手すりがあると、特に降りる時には大助かりです。
 階段が左か右に曲がる時には、そこに踊り場があります。
 左右のどちらに曲がる階段かで、手すりも左右のどちらを使うかが異なってくるのです。
 手すりは左右にないと、何かと不便です。
 
(5)降りのスロープと階段
 スロープは階段と同じように、登りよりも降りの方が足への負担は大きいようです。
 その降りのスロープで、平行して横に階段があると、状況に応じてどちらかを選べるので助かります。
 足首にギプスを嵌めている時は、少しの角度であっても敏感に傾斜角を感じます。
 ギプスで固定された足は、後ろに反り返れないからです。
 しかも、降りは膝だけで歩くので、前のめりになって危険です。
 そんな時には、階段の方を使うようにしています。
 
 
 

2016年8月 8日 (月)

インドの「オリヤー語」を「オディア語」と言い替えること

 現在、今秋11月にインド・ニューデリーで開催する「第8回 インド国際日本文学研究集会」に関して、現地の若手研究者の方々と情報交換をしています。その研究集会の詳細は、もう少しお待ちください。

 その準備中において、これまで「オリヤー語」と言っていた言語が、これからは「オディア語」と言うことになるらしい、という情報が入ってきました。

 デリー大学のナビン・パンダさんからのメールに「オディア語」とあったことから、この件について問い合わせることで最新情報が得られたのです。

 パンダさんからのご教示をまとめると、次のような状況にあることがわかりました。

 最近、インドの「Orissa 州」は「Odisha 州」になり、それに伴って「Oriya 語」は「Odia 語」として使われるようになってきている、ということです。そのために、パンダさんは私へのメールで、「オディア語」という単語を使って連絡をくださったのです。

 ただし、日本の国際交流基金などでは、現在がそうであるように、「オリヤー語」という通称の単語がしばらくは使われることでしょう。

 かつて「ボンベイ」と言われた地名が今は「ムンバイ」に、「カルカッタ」は「コルカタ」に、「マドラス」は「チェンナイ」に、「バンガロール」が「ベンガルール」と呼ばれるようになっています。

 直近の例でいえば、ニューデリーの近郊都市である「グルガオン」が、今年の4月に「グルグラム」に変わりました。
 私は2002年にインドで3ヶ月間、客員として滞在しました。その時、同じ宿で得難い濃密な日々を共にした中島岳志君に、買い物や古本屋巡りで「グルガオン」へ何度も連れて行ってもらいました。その後も、何度か行きました。
 また、日本の若者たちが滞在できる場所として、「グルガオン」にマンションを共同購入しようか、などと言い合って、モデルルームを見ながら不動産物件を探したこともありました。その「グルガオン」が「グルグラム」になったと急に言われても、それがあの「グルガオン」だとは、すぐには思い至りません。

 これらは、インドがイギリスの植民地だった時代の英語読みを、最近になって現地の発音に戻そうという運動によるものだと聞いています。

 そもそも、インドには2000もの言語があります。そしてさらにややこしいことに、公用語はヒンディー語、補助公用語は英語、憲法で公認された公用語がさらに17言語もあるのです。インドのお札を見ると、たくさんの言語で数字が書いてあることは有名です。

 地名に関して言えば、最初は新旧両方が混在していました。しかし、次第に「ムンバイ」や「コルカタ」や「チェンナイ」に固定しています。まもなく「グルグラム」も定着するのでしょう。

 そうした例を見ると、「オリヤー語」についても同じことが展開しそうです。そうであるならば、現時点での呼称は「オディア語(オリヤー語)」と表記することで、これから作成する資料等を末長く使っていただけるように対処した方がいいと思うようになりました。
 「オディア語」ということばが普及したら、カッコ付きの「オリヤー語」の部分を取り外せばいいのです。

 独断ですみません。
 従来の「オリヤー語」について、今後は「オディア語(オリヤー語)」と表記することにします。
 これによって、現在確認している『源氏物語』の多言語翻訳の言語数は、「エスペラント訳『源氏物語』は33種類目の言語による翻訳」(2016年06月12日)で報告した33言語の内、「オディア語(オリヤー語)」だけを補訂した33言語となります。


【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
    (2016年08月08日 現在)
アッサム語(印度)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(印度)・英語・エスペラント・オランダ語・オディア語(オリヤー語・印度)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(印度)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(印度)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャビ語(印度)・ヒンディー語(印度)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤラム語(印度)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

 このことに関してのご意見を、ご自由に本記事のコメント欄を使ってお寄せいただけると幸いです。
 
 
 

2016年8月 7日 (日)

江戸漫歩(140)広島原爆の日・リオ五輪・盆踊り・屋形船

 今日は広島原爆の日とリオ五輪で、ニュースは盛りだくさんでした。
 五輪の開会式で、日系移民をイメージさせるパフォーマンスを、ちょうど広島の原爆追悼式での黙祷の時間に合わせたという企画は、運営の中でもよく練られたものだったと思います。

 東京での夜、久し振りに盆踊りに巡り合いました。
 隅田川に架かる相生橋の袂で、納涼盆踊り大会が始まっていたのです。
 月島五神太鼓の勇ましい響きに合わせて、みなさんが踊っておられました。
 太鼓を叩いているのは、町内会の子どものようです。


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 佃島側から宿舎の方を望みました。
 越中島の船着き場の前を、屋形船がせわしなく往き来しています。


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 モダンな船が永代橋の方からやってきました。豊洲の方に向かっています。
 相生橋から見下ろすと、船内では宴会が真っ盛りでした。


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 宿舎の横の船着き場では、これから水上での宴会に乗り込む人々で賑わっています。


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 宿舎の夜の様子も記録に残しておきます。


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 今日の最高気温は、都内で35度だったようです。
 この深川は風が通る街なので、31度くらいでした。
 京都は37度だったようです。
 
 
 

2016年8月 6日 (土)

読書雑記(175)ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』

 以前から気になっていた、記号論学者ウンベルト・エーコの『薔薇の名前 上・下』(東京創元社、1990.1)を、行きつ戻りつしながら読み終えました。本年2月19日にウンベルト・エーコ氏が亡くなり、手元に置きながらいつかはと思いつつそのままになっていたこの本のことを思い出したのです。


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 まず、「初めに言葉があった。」と始まります。

 プロローグで、「若き日に立ち会った驚くべき数奇な事件の証言をこの羊皮紙の上に書きとめよう」(上、22頁)と言っているように、僧院での異常な体験を語っています。それは、西暦1327年に、ある僧院で起こった一連の事件が書き残されるのです。

 最後は、次のように結ばれます。

「写字室のなかは冷えきっていて、親指が痛む。この手記を残そうとはしているが、誰のためになるのかわからないし、何をめぐって書いているのかも、私にはもうわからない。〈過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ〉。」(下、383頁)

 常に読者がいることを意識した語り口です。

 この小説を読むのは2度目です。世界各国で大ベストセラーとなりました。
 映画も観ました。ショーン・コネリーが主演した映画としても有名です。
 しかし、まったくその内容を覚えていません。修道院で聖書を書写する姿しか、思い出せません。
 どうも気になり、再読に挑戦したのです。読み終わって、今回は盲目の老僧の姿と、最後の火事場の迫力が強く記憶に刻まれました。

 それにしても、再読しながらもあまり心に響くものがないのです。僧院での宗教話が、私に伝わって来ないからだと思われます。

 それでも、私が興味を持ったのは、写字室での様子です。聖書がどのような環境で、どのようにして書写されているかがわかるからです。


最も明るい仕事机は、古文書学僧・熟練の装飾画家・写本装飾家・写字生などに充てられていた。どの机にも細密画や筆写のために必要な道具類が備えつけてあった。角製のインク壺、薄い刃で削りながら使う細い羽根ペン、羊皮紙を滑らかにするために使う軽石、文字を揃えて書くために引く基線用の定規などである。写字生が腰をおろして向かう机の面は傾斜していて、そのはずれに書見台があり、筆写すべき原本が立てかけられて、開いたページには筆写中の行だけを示す仮面枠が乗せてあった。写字生たちのなかには金色のインクやその他さまざまな色彩のインクを使う者がいた。また、古文書を黙読しているだけの者や、自分たちのノートや小板にメモを記している者がいた。(上、121頁)


当時の私は、まだ人生のわずかな部分しか写字室で過ごしたことがなかったけれども、その後になって多くの時を過ごして写字室の事情に通じるようになったいまでは、かじかんだ指先にペンを握りしめながら冬の長い時間を机に向かって過ごすことが、どれほどの苦痛を写字生や写本装飾家や学僧たちに強いるものであるかを、充分に承知している(通常の気温のときでさえ、六時間も書きつづければ、手に恐ろしい書痙が生じて、まるで踏みつけられたみたいに親指が痛みだすのだ)。だからこそ、写本の余白などに、写字生が忍耐(および焦燥)の証に記した落書をしばしば見出すことがある。たとえば〈ありがたや、もうすぐ暗くなる〉とか、〈おお、せめて一杯の葡萄酒があったならば!〉とか、さらには〈今日は底冷えがする、明りが乏しい、この羊皮紙は毛が多くて、どうもうまく書けない〉とか。昔から諺に言うように、ペンを握っているのは三本の指だが、全身で働いているのだ。そして全身で苦しんでいるのだ。(上、204頁)


この翻訳の写本を二部作って、一部を依頼主に納め、一部をわたしたちの文書館に収蔵する予定でした(上、206頁)

 ここには、聖書の写本を作成するのに、分業制で、書写のための枠などの道具を使い、落書きをしたり、副本を作っている様子がわかります。これは、日本で写本を書写する時の様子と対比するとおもしろいと思いました。

 物語を読み進むうちに、年老いた盲人の老修道僧の存在が気になりました。


大いなる老人は、喘ぎながら、言葉を途切らせた。盲目になってから、もう何年も経つはずなのに、いま話しているように彫像の卑猥さをはっきりと覚えているのだから、その記憶力には驚嘆させられた。あれほど情熱をこめていまだに語るくらいだから、視力のあったころにはよほど彫像の魅惑に取り憑かれていたのではないか、と私は思わず疑ってしまった。(上、134頁)

 第二日の話に入ってから、ようやく話がおもしろくなりました。2人の死をめぐってウィリアムとこの物語の書き手であるアドソは、審問官として調査をはじめます。僧院の写字室の実態が明らかになっていくのです。

 盲人に関する描写に関して、あまりにも差別的な視点なので、原文はどうなのか知りたくなりました(上、197頁等)。

 殺人事件については、総院長への疑念がますます大きくなっていきます。

 読み進んでいて、日本語訳の一文が長いので文意を理解するのが大変でした。翻訳物によくあることです。原文がそうなのでしょうか。日本語としては、この訳はよくないと思いました。あまりにも原文に忠実なのでしょう。もっとわかりやすい日本語の文章にする工夫があってもいいのではないでしょうか。
 原作者の文章の尊重と、言語を移し換える上でのわかりやすさの匙加減かもしれませんが。

 さらに、多用されている挿入句は、丸カッコ付きで入れ込まれています。それでなくても長い文章が、さらに鰻の寝床状態となって、訳が分からなくなります。

 中盤になり、聖職者とは、異端者とは、そして修道会や修道士とは何かということが、だんだんわからなくなりました。私がキリスト教に疎いからなのでしょう。それにしても、前が見えにくい物語展開です。

 上巻末尾で、ミケーレ修道士が火炙りの刑に処せられます。この場面の筆は活きています。キリスト教における罪というものや咎とは何かを考えさせられます。

 一巻の秘密の書物をめぐる犯罪は、しだいに謎を深めていきます。しかし、物語の成り行きが時々見通せなくなるので、目次にもどり、詳細な小見出しの列記を確認して、また読み進みました。

 キリストの清貧についての論争がなされるくだりがあります。これなどは、日頃からこうした宗教論議に立ち会うことのない私には、各人の発言の意図や背景がよく見えません。物語を理解するための基礎的な知識の不足を痛感しました。それが要求されるのは、異文化圏での宗教論議が内容の大半を占めていることと関係するかもしれません。
 これは、読者が作品に近づこうと努力する必要があるのか、作者が配慮すべきことなのか、考えてしまいました。特に、本作品は読者を強く意識した語り口なので、余計に思ったことです。

 下巻の中盤以降で、盲目の修道僧であるホルヘ・ダ・ブルゴスが説教を任されます。
 私は、この人物に注目していたので、このくだり以降は特に興味深く読みました。歳は80を越え、目が見えなくなって40年以上。記憶力に優れ、博識なのです。

 物語は凄惨な場面の後、神聖な写本の存在意義を考えさせます。これまでに起こった、いくつもの殺人事件はいったい何だったのか、もっと語ってほしいと思います。寂しさが残る読後感を持ちました。

 それにしても、本書は物語の中に物語が仕組まれているようです。その重層性の一端でも読み解けたら、また別の読書の楽しみが待っていそうです。そんなゆとりのないままに、急ぎ足で読むしかない自分の読書環境を残念に思います。いつかまた、3度目に挑戦するかもしれません。【2】

 本書には、巻末に翻訳者の解説がついています。その中に記された、翻訳にあたっての興味深いコメントを引きます。


 今回の訳出にさいしては、ボンピアーニ社、一九八〇年十月刊の第二版を底本とし、その後に加えられた訂正や変更を一九八六年三月刊のペーパーバック第十一版と照合し、念のため一九八九年一月の同第二十五版も座右に備えて異同を検討した。訳出の事業を引き受けてまもないころ、出版社を介して、ウンベルト・エーコから原文の訂正箇所の分厚いコピーを受け取り、それらは直ちに底本との照合を済ませたが、同時に受け取ったタイプライター印刷コピーによる「『薔薇の名前』翻訳のためのメモ」と題した、数葉の文書のほうは、もちろん、読まないことに決めた。翻訳という営為は訳者が原文と対峙して、それ以外のどこにも助けを求められないと観念したときに出発点に立つのであって、もしも他に支援を求めたり抜け道を探したりするようになれば、訳者の立場は基盤から崩れてしまい、収拾のつかないものになるであろう。(下、389頁)

 この文章を読み、あらためて翻訳とは何かを考えるきっかけを得ました。何をどう訳すか。今、私は本書の翻訳姿勢とその完成度に、大いに疑念を抱きました。このことが、日本語として読みにくい訳になっている原因ではないかと思われます。
 ドイツ語訳、フランス語訳、スペイン語訳、イギリス語訳など、多くの外国語訳ではどのように読まれているのでしょうか。また、引かれているラテン語は、どのように理解されているのでしょうか。
 再度、訳者河島氏の解説文から引きます。


 英語版は、それに比べて、非常な熱意をこめて翻訳にあたったことが窺われた。たぶん、そういう熱意の一つの現われであろう。誤訳はお互いさまとして、あまりにも多い省略箇所が目立った。編集部にざっと計算していただいただけでも、日本語版に換算すれば全篇の長さが二十ページ分は少なくなっているという。もっと少なくなるのではないか、と私は感じていた。プロローグだけでも、原文で五行、六行と脱けていたから。長いところでは、連続して二十五行、三十行という省略箇所もある。スペイン語版の出来映えは、どの程度のものか判断しかねたが、例の黄道十二宮の謎の記号(上巻、二六三ページ)が逆さに印刷されていることを編集部に教えられた。(408頁)

 翻訳における省略という、私が抱える問題が、ここからも浮上してくるのです。
 翻訳は文化の移し替えだと思っています。その意味からも、本書はさまざまな問題を投げかけています。
 そして、この『薔薇の名前』というものが、記号論のための小説だと言われている意味を、記号論をもっと勉強してから考えるとおもしろくなりそうな予感がし出しました。

 解説によると、さらに興味深いことが記されています。


 この小説は第六日を削減され、第七日はさらに削減された。
(中略)
 この小説には読み解かれたくない物語、つまり削除された物語も存在する。この作品が孕む不均衡は、何よりもそのことを窺わせる。
(中略)
 これは文学の本筋からは逸れることになるが、推理小説好きの読者のために、途絶えた糸を復活させ、試みに記しておこう。訳者の想定によれば、削除された物語の中心テーマは、僧院の覇権をめぐる争い。そのために生ずる死者は、修道僧たちのあいだからのみ出て、その数は少なくとも三名である。(415〜417頁)

 おそらく、本書に関しては多くの研究が公開されていることでしょう。このような物語の成立に関わる問題は、今後とも気をつけて見ていきたいと思います。
 
 
 

2016年8月 5日 (金)

読書雑記(174)船戸与一『炎の回廊 満州国演義4』

 船戸与一の『炎の回廊 満州国演義4』(新潮文庫、2016年1月)を読み終えました。


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 本との出会いには、さまざまな縁があります。
 昨夏から読み進めている船戸与一の「満州国演義シリーズ 全9巻」は、戦時中に両親がいた地での話であり、両親から聞きそびれた世界が語られています。

 本書第4巻は、文庫版として刊行された今年早々に、東京・大森の書店で購入しました。この書店は、私にとって思い出の本屋さんです。
 昭和47年1月に、住み込みの新聞配達店が全焼し、着の身着のままで焼け出されました。それは成人式の直前でした。大阪から持ち込んで来ていた本がすべて消失し、悄然としていた日々でした。しかし、お店の好意で勉強に必要な本は何でもいくらでも買っていいということで、この本屋さんに数百冊の本を注文しました。毎日のように届く本を、楽しみにして受け取りに行きました。
 たまたま、その思い出の書店に立ち寄ることがありました。この『炎の回廊 満州国演義4』がすぐに書棚に見つかったので、このお店では47年ぶりに、しかも今回は自分のお金で購入したのです。

 また、先月末に、本書を中央線の車中で読み終えてすぐ、電車から降りようとして立ち上がったところ、不覚にも足を捻りました。捻挫だと思っていたところ後日骨折とわかり、今も不自由な日々を送っています。

 そんなこんなで、本との縁や出会いを綴るときりがありません。
 このへんにしておきます。

 さて、昭和9年、溥儀を皇帝とする満州帝国ができます。
 本巻でも、敷島4兄弟が大陸で大活躍する様が活写されます。
 日本での情報が満州にも届く中で、敷島4兄弟は日本のためにめざましい働きを続けているのです。

 さまざまな出来事が、世界史の渦の中で動いていきます。物語のスケールが、ますます大きくなっています。
 日本では、天皇機関説が問題になっている頃が、本巻の中心です。

 毛沢東、蒋介石、金日成、スターリン、東条英機等々。
 断片的にしか知らなかった人物が、この物語の背後で歴史を紡いでいます。
 インド、蒙古、ユダヤ、ロシア等の国が満州の地に絡んできます。
 その現場に立ち会っているかのような構成と語り口に、ぐいぐいと引き込まれていくのです。

 本巻は2.26事件で終わります。ただし、満州の地から見た事件の描写です。その距離の取り方がうまいと思いました。テーマに即した視点が、しっかりと定まっています。【5】

※本書は、2008年6月に単行本として新潮社より刊行されました。

※本シリーズで何度も出てきた「横浜正金銀行券」に関して、神奈川県立歴史博物館で「まぼろしの紙幣 横浜正金銀行券 横浜正金銀行貨幣紙幣コレクションの全貌」という企画展がありました(2016.4.23~5.29)。忙しく日々を送ることがやっとで、この展覧会に行こう思いながらもその時期を逸してしまいました。手元に案内のチラシだけが残っているので、参考のためにその画像を掲載します。
 ここには、高橋是清の肖像写真もあるので、前回の記事「読書雑記(173)幸田真音『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』」(2016年07月08日)とも関連して、貴重な資料となっています。

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2016年8月 4日 (木)

江戸漫歩(139)有明豊洲地域を見て五輪とマンションを想う

 ギプスをはめているために歩けなくても、身体は動かすようにしています。
 近在のオリンピック施設の工事現場を、車窓から眺めました。

 有明コロシアムの周辺は、まだ手付かずです。
 正面を上下に分かつように通るのが、首都高速湾岸線です。


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 湾岸線と交差するように、東京臨海新交通臨海線が走っています。
 ちょうど上りと下りが擦れ違うところでした。
 その高架越しに、有明コロシアムの屋根が見えます。


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 ダンプカーが出入りする先には、東雲運河越しに晴海のマンション群が見えます。


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 もうすぐ、築地市場がこの豊洲地区に移転して来ます。
 今秋11月7日が、豊洲市場の開場日となっています。
 写真の右側が、着々と開場の準備が進む豊洲市場です。


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 この地域の土壌汚染の問題は未解決で、移転反対の動きも解決していません。
 さて、新都知事の小池さんは、この問題にどう対処されるのでしょうか。

 近在のマンションは、近隣の海外の人たちに投機目的で買い占められているとか。
 これから建設されるマンションも、その標的となっているのでしょう。もっとも、バブルも弾けたので、すでに売りに出されているのかもしれません。

 今このあたりでマンションを購入している人の多くは、ここに住む気はないのですから、東京五輪が終わると放出され、スラム化するというのです。

 昨夏、『2020年マンション大崩壊』(牧野知弘、文春新書、2015.8)という本を読みました。


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 そのすぐ後に、横浜のマンションで杭打ち施工に問題があり建物が傾いたことが表面化しました。
 私の知人の多くがマンション住まいなので、この『2020年マンション大崩壊』という本を、私のブログの「読書雑記」で取り上げるのは見送ることにしました。私はマンション住まいの経験がないので、余計に本書の内容を話題にしないように気を遣っています。

 参考までに、ネットによる本書の紹介文を引いて、個人的なコメントは控えます。


内容 東京五輪を前にマンション価格は上昇中。
 だがその裏で管理費や修繕積立金の滞納、相続権の拡散など多くの問題が生まれつつある。
 空室急増でスラム化する大規模マンション、高齢化で多発する孤独死、中国人に牛耳られる理事会…
 全国600万戸時代を迎えたマンションに未来はあるのか。
(「BOOK」データベースより)

 さて数年後に、東京五輪の会場となるこの有明・豊洲地域は、今後ともますます注目されることでしょう。そしてさらに数年後には、この宴の後のことも、マスコミが取り上げると思われます。

 予想できることには、今から手を打つべきなのでしょう。しかし、それ以外のことで問題が山積みなので、先のことまで考えてはいられない、というのが実情のようです。
 東京五輪の後のことを想像しながら、明日5日から始まるリオの五輪をいろいろな角度から観たいと思っています。


(注記)私は、五輪を「オリンピック」と「パラリンピック」に区分けするのは問題だと思っています。
 五輪では開催時期もずらされており、パラリンピックは9月7日から19日までの12日間です。
 わざわざ区別せずに、同じ競技場を同じ時期に使い、可能な限りプログラムの工夫をして、障害の有無にかかわらず一人でも多くの観客に応援してもらう中で競技をすればいいと思っています。
 障害の有無で選手と観客を切り離すのは、よくないことです。性差があっても、男女は同じ空間を共有し、男女が一緒に競技をしています。それなのに、なぜ障害の差は区別し、切り離されるのでしょうか。
 このことは、いつかまとめて書くつもりなので、今は措きます。

 
 
 

2016年8月 3日 (水)

国冬本「鈴虫」の長文異同(その5-仮名文字表記)

 日録として本ブログに書くことがいろいろとあったために、古写本に書写された文字を見つめての私見が途絶えてしまいました。

 これまでの「その1」から「その4」までは、国冬本「鈴虫」に見られる長文異同の内、漢字の表記に注目して、その出現する様相を見てきました。
 私が注目しているのは、長文異同があった箇所で、物語があらためて書き継がれた痕跡が見いだせないか、ということです。

「『源氏物語』国冬本「鈴虫」の長文異同(その1-問題点)」(2016年07月19日)

「国冬本「鈴虫」の長文異同(その2-【御】と【心】)」(2016年07月20日)

「国冬本「鈴虫」の長文異同(その3-【給】と【侍】)」(2016年07月21日)

「国冬本「鈴虫」の長文異同(その4-【人】と【見】)」(2016年07月26日)

 最後にここでは、仮名で表記された例について、気になっているものを見ます。


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 長文異同となっている箇所に、「あはれ」という語が集中しています。
 「をかし」は、その後に見られます。
 「たてまつる」ということばが、長文異同がある箇所の前後で、その用いられる頻度が異なっています。
 「のたまふ」という語が、長文異同の後に見られます。

 以上、5回にわけて、長文異同がある国冬本を例にして、それが現在の物語にはまったく痕跡すら残っていない箇所の前後における、文字や語句の使われ方に何か変化がないかを見てきました。

 今回は、国冬本における特定の範囲に限定しての私見を記しました。
 限られた場面ではあっても、本文異同の様子から、539文字もの長文の異文が破棄された背景には、物語の生成発展という舞台裏が想定できそうだ、ということをあれこれと記しました。

 そう断定するためには、さらに厳密な調査と分析が必要であることは承知しています。

 もし、この不可思議な『源氏物語』の本文異同に興味を持たれたら、頭の体操をしてみてください。考える資料は『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』(臨川書店、240頁、2001年)にすべて掲載しています。私の仮説はともかく、これまでの研究成果に囚われない、若手の方からの意見を聞きたいと思っています。
 
 
 

2016年8月 2日 (火)

江戸漫歩(138)足を引きずって隅田川を納涼散歩

 今日も駅前の整形外科に行き、ギプスを外しての触診を受けました。
 完治まで、まだまだ時間がかかりそうです。
 ギプス生活を余儀なくされる日々が続くことについては、もう自覚的に容認せざるをえません。
 剥離した部分を触られると、悲鳴を上げるほど痛いのです。

 薬局で購入した伸び縮みする包帯は、ギプスをしっかりと固定できません。
 通気性もよく、伸縮自在な方がいいのかと思いきや、しっかりした包帯の方がいいことがわかりました。
 病院で使っておられる大小2種類の包帯をいただきました。

 あまり外出などせず、自宅で静養しなさい、とのことです。
 金・土・日曜日と、私は動き回りすぎだと、しっかりと釘を刺されました。
 また、鬱血するので、足はできるだけ高くしておくようにと。
 椅子に座り、机にむかってパソコンを操作する姿勢をどうするか、今は真剣に考えています。

 パソコンがないと仕事にならないので、これは死活問題です。
 座卓にパソコンを置いたのでは、折れている足の置き場に困ります。
 寝転がったままでパソコンを使うわけにもいきません。
 いずれにしろ、長時間の使用に耐えられないので、効率の悪いパソコンの使い方になりそうです。

 たくさん抱え込んだ仕事を1日も早くこなすためにも、何かよい方法を見つけ出さないと、さらに多くの方々に迷惑をかけます。
 真剣に対処方法を考える必要に迫られました。

 夕方、気分転換も兼ねて、隅田川沿いを散歩しました。
 これくらいはいいでしょう。
 涼しい川風が肌に心地よいので、ぶらぶらと歩くには最適です。
 屋形船に乗り込み、食事をしながら隅田川を遊覧する船が多くなりました。
 船体の回りに電飾をつけて航行しているので、見た目にも川面に船影が映えます。


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 八朔ということもあるのか、花火の音も聞こえます。
 東京生活で18年目にして初めて、納涼散策をすることになりました。
 
 
 

2016年8月 1日 (月)

江戸漫歩(137)豊洲有明地域で移転と開発現場を見て

 来る東京オリンピックで会場となる、豊洲・有明地域にある大規模ショッピングセンターであるイオン東雲店に出かけました。
 宿舎の出入り口前に、無料送迎バスが停まるのです。足にギプスを付けたままパソコンを使った仕事をしていると、どうしても身体が硬直します。運動と気分転換がてら出かけました。

 私が消化管の全摘出手術を受けた時、その翌日から歩行訓練をしました。息子が腰椎の手術をした時も、すぐに歩け歩けの指導がなされました。外科の治療は、安静よりも適度な運動のようです。

 今、足腰共に良好なので、積極的に出歩くことにしています。
 昨日も、臆せずに講演会に行きました。

 イオン東雲店の2階には、ソファーが並んだ休憩スペースがあったので、ここで足を休めながら暫く本も読みました。

 東京湾からの海風の影響もあってか、東京の宿舎は風通しがいいのです。そのため、都内よりも1、2度ほど涼しいので、10年以上もエアコンのない、扇風機での暮らしをしています。
 今夏は暑さが厳しくなるという予報もあるので、そんな時には図書館やこうした大型ショッピングモールに来て、熱暑を避けながら読書三昧もいいかもしれません。

 帰りのバスの車窓から、築地市場が移転する豊洲市場や、オリンピックのために日々変貌している有明・豊洲地域を記録に収めました。


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 もし2020年に東京オリンピックを観に来ることがあれば、この一連の写真と比べたらおもしろいことでしょう。

 オリンピックが終わったら、この関連施設をどのように維持管理するのでしょうか。深刻な問題になることは必定です。関係者は十分に認識しておられるはずです。
 決まったばかりの新都知事の小池百合子さんは、この垂れ流しとなっている膨大な無駄遣いをどうされるのでしょうか。
 都知事選挙戦では、この問題から逃げておられました。しかし、もう具体的な方策を示さないと、この有明・豊洲地区の工事の見直し・変更・中止もできなくなります。いまから止めることは不可能としても、このまま進めた後に見えてくることへの覚悟は、共通に認識しておくべきかと思います。もっとも、京都市民の私が言うべきことではないことはわかっているのですが……

 東京は日々変わりつつあります。身近なところで、その一部をこうして見ることができます。これも得難いこととして、記録しておきます。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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