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2016年12月 4日 (日)

徳江元正先生(國學院大學名誉教授)のお通夜に行って

 徳江先生がお亡くなりになったとの報に接し、取るものも取り敢えずお通夜に行ってきました。
 JR総武線の本八幡駅からすぐの葬祭場です。

 徳江先生には直接の指導を受けたわけではないのに、いろいろと思い出すことがあります。

 先生には、大学の授業で教わっただけです。お能に関する講義でした。それ以外では、学内の学会でお目にかかっただけなのに、なぜか近しい気持ちを持っています。

 私が大阪の高校で教員をしていた頃のことです。
 國學院大學の国語国文学会で『源氏物語』の本文に関する研究発表をした後、会場近くの食堂で一人で食事をしていた時のことでした。同じ食堂で先に食事を済まされた徳江先生が、君のも一緒に払っておくからね、と言って出て行かれたのです。
 それまで、特にお話をしたことがあったわけではありません。一言だけ言い置いてお帰りになった、という感じでした。

 遠い所からご苦労さまだね、というお気持ちからだったのでしょうか。
 中世の能や芸能を中心とした研究をなさっていた先生とは、研究対象とする時代もテーマも異にしていて、特に親しく指導していただいたことはありません。それだけに、本当に恐縮しました。あの時の振り向きざまの優しい目が、今でも思い出されます。

 その後、私が高崎正秀博士記念賞を受賞した時(平成2年5月)、授賞式の会場だった百周年記念館の廊下ですれ違った折に、心温まる過分の労いのことばをいただきました。いい研究なので続けなさい、ということでした。
 直接の接点がない先生だっただけに、ありがたくお言葉をいただきました。
 個人的におことばをかけてくださったことが嬉しくて、今でも私の心に刻み込まれています。

 また、ある懇親会では、私を見つけて「ボクこっちへ」と呼ばれました。ごく普通に声をかけてくださったので、お声掛けのままにお側へ行くと、なんと歌人の馬場あき子先生に向かい合う席に座らされました。
 緊張しっぱなしの私に構うことなく、お二人の先生は私の横と前で楽しく歓談なさっていました。そして、徳江先生はカメラでパチパチと写真を撮っておられました。

 その後も、何度か上京した折に、「ボク、ボク」と気さくに声をかけてくださったのです。
 徳江先生に親近感を覚えているのは、学問的なことではなくて、こうした何気ない優しいお声がけをいただいたことが、その後もずっと忘れられないからでしょう。

 その当時、私の勤務校は新設高校で、380人の入学者のうち、100人以上が毎年退学していく学校でした。毎晩夜食が出るほどに、遅くまで職員会議で居残っていました。問題を起こした生徒の家庭訪問に明け暮れる日々のそんな中で、刺激を求めて上京すると、そっと声をかけてくださる徳江先生は、もっと勉強しようとの思いを強くした、ありがたい大先輩でした。

 自分の勉強時間の確保もままならない毎日でした。その学校には、9年間勤務しました。力まずに、自然体で勉強ができたのも、徳江先生のように黙って背中を押してくださる存在があったからだと、あらためて感謝しています。

 大学を出て20年ほど経ってから、遅ればせながら私が研究者としての道を歩み始めてからは、中古と中世の文学研究という守備範囲の違いからか、徳江先生とお目にかかる機会がなくなりました。よちよち歩きの私が、それなりの研究成果を出せるようになったのをご覧になったら、何とおっしゃったでしょうか。「ボク、もっといろいろなことをしなさい。」と優しいことばをかけてくださったのではないでしょうか。

 そんなことを思い、感謝の気持ちを込めて、遺影を見つめながらお焼香をしてきました。
 ご冥福をお祈りします。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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