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2016年12月16日 (金)

48年前の両親の写真を復元

 いろいろと身辺の整理をしていたら、ハードディスクから両親の写真が出てきました。
 母が亡くなった後、残された写真の多くを、娘にスキャナでデジタル化してもらった内の1枚のようです。


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 記録から、48年前の昭和43年3月に、大阪府八尾市の高安の里に住んでいた頃の写真であることがわかりました。私が高校1年生の時です。

 4畳半と6畳の二間に4人で暮らしていました。
 奥の台所は2畳ほどだったでしょうか。
 父の後ろに、私が使っていた勉強机があります。
 その左端に姉のギターがあるので、この机は姉との共用だったかもしれません。
 今では信じられないことながら、中学まではミカン箱か卓袱台で勉強をしていました。
 『巨人の星』の卓袱台返しのあれです。
 まだ電話もない時代だったので、急ぎの連絡は電報でした。

 明後日、満州から引き揚げて来た方々の展示やお話を聴きに行く予定です。
 ちょうど良いタイミングで、写真が見つかりました。

 満州で終戦となった父はシベリヤへ抑留され、母は命からがら日本に引き揚げて来ました。
 言い知れぬ苦労をしたはずの両親です。しかし、その話はほとんどしてくれませんでした。
 私の方から、もっと聞くべきだったかも知れません。

 母が中国残留孤児の番組をじっと見ていた姿を思い出します。
 2人とも、満州で生活を共にした戦友会には、いつも楽しみにして一緒に参加していました。

 この写真の頃、父は山一証券に勤めていました。
 何とか安定した日々になっていたことが、その表情からうかがえます。
 父52歳、母48歳です。

 以前、両親のことを書きました。

「わが父の記(3)父の仕事(その1)」(2010/4/3)

「わが父の記(4)父の仕事(その2)」(2010/4/6)

 あと2年で、私は父が亡くなった時の年齢に達します。
 こうして思い出すことで、両親への感謝の気持ちに代えたいと思っています。
 
 
 


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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