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2017年1月25日 (水)

読書雑記(190)船戸与一『南冥の雫 満州国演義八』

 『南冥の雫 満州国演義 八』(船戸与一、新潮文庫、平成28年7月)を読みました。


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 物語の舞台は、昭和17年の戦時下のアジアです。
 敷島4兄弟が、満州、中国、フィリピン、ビルマ、日本を舞台にして飛び回ります。太平洋戦争を現場に視点を置いて描く、壮大なドラマが展開していきます。

 私が小さい頃にテレビで観たハリマオが出てきました。この頃に亡くなったようです。


昭南島滞在中にマレー作戦に協力したハリマオと呼ばれた日本人・谷豊の死亡の報を聞いた。遺体はマレー人部下によって病院から運びだされ、回教の儀式に則って秘かに埋葬されたらしい。それがどこの墓地なのかは不明だ。(21頁)
 
「ハリマオを知ってるでしょう、谷豊を。今年の三月、昭南島の丹得仙病院で死んだマレーのトレンガヌ生まれの日本人。F機関によって創られたあの英雄の映画が大映で製作されます。公開は来年、主演もすでに決まってる、中田弘二がハリマオを演じます。脚本はまだ手もつけられてもないけどね」(51頁)
 
「わたしが大映から命じられてるのはマレーのハリマオにつづくフィリピンを舞台にした劇映画の材料集めです。もちろん、内容は大東亜共栄圏構想へ現地人たちが共鳴してるという法螺噺でなきゃならない。妹を滲殺されて匪賊となった谷豊のような日本人がフィリピンにいるとは思えないけど、いろんな材料を寄せ集めて、それに近い人物を創りあげたいと思ってます。そういう仕事を手伝っていただきたい」(54頁)

 また、伊口日生のことも出て来ます。これも、引用しておきます。


「伊口日生という日本山妙法寺の僧侶を知ってるはずだ」
「それがどうしたんだね?」
「わたしは昭南島で逢ったんだが、伊口日生に頼まれた、あんたに逢ったらぜひともビルマに来て欲しいと伝えてくれとね」
「ビルマのどこに来いと?」
「とりあえず占領したラングーンに置いた第十五軍司令所に来てくれれば、連絡がつくようにしておくとのことだよ。あんたが海南島に運んでくれたビルマ人連中がどれだけ成長したかを見て欲しいとも言ってた」(31頁)

 作者である船戸氏は、丹念に資料を漁り、細かな情報までもつなぎ合わせて、物語の背景を客観的な視線で描こうとしていることがよくわかります。

 ビルマでの話には、アウン・サンの活躍が出てきます。スーチー氏の父の話を、今回初めて知りました。
 ビルマにおけるインド国民軍の話も、その後のインド独立運動のことを思うと、興味深いものです。

 太郎の妻桂子が太郎の愛人を刺し殺すくだりは、緊張感のある場面となっています。それを隠すことに手を貸す弟三郎の冷静なこと。社会動向と違い、人間の愛憎劇と人間性が描かれているからです。

 孔秀麗が太郎のもとに紅茶を運ぶシーンが増えます。この秘書の存在が、この巻ではほとんど語られません。楽しみが取ってあります。
 そして無断欠勤。少しずつその姿が明かされます。そして衝撃の結末。ただし、何度も紅茶を運んだ姿に見合う説明はありませんでした。

 ソ連が不可侵条約を破って満州に進行する過程が、克明に描かれています。これには、南太平洋での戦局の悪化が背景にあります。満州にいた人たちの多くが、この日本の敗戦という流れを予見していたことが語られます。戦況の悪化と敗戦への歩みが、次第に話題の中心に位置付けられていくことが読みとれるようになっています。敗戦への予見は、ありきたりの後世のものいいではなく、当時の状況を客観的に分析して読者をしだいにその機運に引き込んでの語り口となっています。

 また、陸軍と海軍の対立が、具体的に生々しく語られます。戦局と政局の混乱が、同時進行で展開するのです。

 そのような中で、太郎の妻桂子が夫の不倫相手を刺し殺したのです。それを、太郎と弟の三郎が隠蔽したことに端を発して、桂子は神経を病むこととなり、日本に移されました。その妻を見舞った太郎に、桂子は突然、ことの顛末を暴露しました。この場面の緊迫感は、戦時下の動乱の中で際立った迫力を見せています。

 本作は全編にわたって、人間の感情を持った生き様と、戦争という狂気の有り様が、みごとに活写されています。

 三郎はインパール作戦に参加していました。そこでは、無謀な計画のもとでの行軍が、行われていたのです。蛆にたかられた死体の山でした。亡くなった兵士の股肉を切り取っては食べる兵士もいたのです。
 隻眼だった次郎の眼窩から、蛆が這いだしました。かつては馬賊の頭目だった次郎は、満州の風景を脳裏に浮かべながらビルマの密林で亡くなります。

 私は、関東軍特務機関員の間垣徳蔵の存在が気になったままです。

 圧倒的な臨場感と凄惨な戦場を描く本作も、あと一巻となりました。

 読後に思い出したことは、父の蔵書の中に、インパールに関する本があったことです。父は、満州のチチハルで捕虜となって、シベリアに抑留されました。同じ時間軸の中で展開していたインパールの凄惨な行軍を、どう見ていたのでしょうか。知人がいたのでしょうか。もっと聞いておくべきでした。【5】

※2013年12月に新潮社から刊行されたものの文庫版で読みました
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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