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2017年1月19日 (木)

日比谷図書文化館で橋本本「若紫」の異文を確認

 夜の日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を変体仮名を確認しながら読み進んでいます。

 今日は、ちょうど大島本が特異な本文を伝えていることで知られる場面からでした。
 以下では、諸本の文異同を見るために、従来の翻字方法で作成した資料をあげます。これは、まだ「変体仮名翻字版」の翻字本文が揃っていないための、暫定的なものです。


日も[橋=中麦阿陽池肖日保高]・・・・050653
 ひも[尾御天]
 日[穂]
 人[大国伏]
いと[橋=尾中麦阿陽池御肖日穂保高天]・・・・050654
 ナシ[大国伏]
なかきに[橋=麦阿陽池御肖日保]・・・・050655
 なかく[尾高天]
 なかう[中穂]
 なくて[大国伏]

 現在一般的に読むことのできる活字の校訂本文は、すべて大島本によるものです。その大島本は、国冬本と伏見天皇本とともに、「人なくて」となっています。それ以外は、「日もいとなかきに」という本文です。
 そうであるのに、大島本に依って作成された『新編全集』(小学館)の本文は、「日もいと長きに」です。同じ大島本を底本とする『新大系』(岩波書店)は、底本通りに「人なくて」です。
 ともに大島本による校訂本文でありながら、その本文が違うのはどういうことなのでしょうか。
 日比谷図書文化館で読んでいる『国文研蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』は、「日もいとなかきに」です。

 この違いを考えるために、室伏信助先生がお書きになった「人なくてつれづれなれば —『源氏物語』の本文と享受—」(『王朝日記物語論叢』笠間書院、2014.10)という文章を配布して、その背景を確認しました。

 『源氏物語』を読むということは、何本を読むということよりも、誰が校訂した本文を読むか、ということに尽きるようです。今自分がどのような校訂本文を読んでいるのか、何も考えずに『新編日本古典文学全集』だけで『源氏物語』を読むことがいかに無謀な読書であるかを、常日ごろから強調しています。
 このことは、この日比谷図書文化館では毎回のように言っていることなので、みなさんすでに承知のことです。しかし、こうして具体的な例で説明すると、実感としてわかっていただけます。

 次に、橋本本の独自異文にも触れました。


おもては/おもて$かほ[橋]・・・・050748
 かほは[大尾麦阿陽御国肖穂保伏高天尾]
 かほを[中]
 かをは[池日]
いと[橋=全]・・・・050749
あかく[橋=大尾麦阿陽池御国肖日穂保伏高天尾]・・・・050750
 あかう[中]
すりあかめて/あかめて$なして[橋]・・・・050751
 すりなして[大尾麦阿陽池御国肖穂保伏高天尾]
 なして[中]
 すりなして/り〈改頁〉[日]

 諸本が「顔はいと赤くすりなして」とあるところを、今読んでいる橋本本だけは「おもてはいと赤くすり赤めて」となっているのです。こうしたところに、橋本本の独自性が見てとれます。

 鎌倉時代には、いろいろな本文が流布していたのです。今と違う本文もいろいろとあったのです。そうした、大島本とは異なる本文を伝える『源氏物語』を読む楽しさを、こうして毎回、「変体仮名翻字版」で読みながら語り伝えています。
 
 
 


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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