« 2017年2月 | メイン

2017年3月の14件の記事

2017年3月14日 (火)

ブログを「鷺水亭」から「鷺水庵」に完全に移行しました

 昨秋、突然、本ブログの運営会社から、閉鎖の連絡を受けました。
 今月末で、「eoblog」はアクセスできなくなります。
 そのため、本ブログの更新はこの記事までとします。

 これまでにも、いくつかの運営会社の問題で、私の情報発信基地は移転を繰り返しながら彷徨っていました。
 今回は時間があったために、どうにかそのすべての記事を移転させることができました。
 この面倒な作業を支援してくださったKさんを始めとする関係者のみなさまに、この場を借りてお礼を申し上げます。
 今後は、「さくら」のサイトを情報発信の母体として、「鷺水庵より」をこれまで通りに継続していきます。

 今日が区切り目でもあり、これまでを振り返っておきます。

 私がインターネットにホームページ〈源氏物語電子資料館〉を開設したのは、1995年9月でした。
 ブログとして〈たたみこも平群の里から〉を開始したのは、2004年12月13日です。
 それも、奈良から京都への転宅に伴い、2007年6月24日からは〈賀茂街道から〉として、あらためての始発としました。
 そして、2011年11月に還暦を迎えたことを機に、そのブログの標題を〈鷺水亭より〉と変更し、ここまできました。

 2007年6月に京都から発信しだしたこの10年間の記事は、本日(2017年03月14日)までに3,617本となっています。
 「鷺水亭より」へのアクセス数は、921,702件でした。
 そのカウントの手法はわからないものの、多くの方に読んでいただいて来たことは、毎日300から400件以上の来訪があったことでわかります。
 ありがたいことです。

 情報発信のサイトは変わっても、今後も同じ調子で書き続けるつもりです。

 自己紹介の文章には、次のように記しています。


 『源氏物語』に関する情報の収集と整理、海外との文化交流のお手伝い、そしてアクセシビリティ等を考えています。
 この世に生存していたことの証明も兼ねて、日々の雑録を記します。

 今後ともこれまでと変わらず、移転先の「鷺水庵より」を折々に読んでいただけると幸いです。
 
 
 

2017年3月13日 (月)

読書雑記(196)高田郁『あきない世伝 金と銀 三 奔流篇』

 高田郁の最新作『あきない世伝 金と銀 三 奔流篇』(ハルキ文庫、2017年2月)を読みました。本書は時代小説文庫の書き下ろしです。

170313_akinai


 十三夜の月を観ながらの求婚は、月光の下でのシーンに期待をしていた私には、十分に満足でした。天満橋へ二人でそぞろ歩きもいいものです。力強く第3作の始まりです。
 高田の作品には、目と鼻と耳の感覚が研ぎ澄まされています。何気ないところに、香りがします。登場人物の動きはアニメっぽいにもかかわらず、こうした五感が言葉で伝わってくるところが、この作者の特質のように思います。
 中でも、浮世草子の余白に呉服店である五鈴屋の宣伝を載せる発想は秀逸です。出版文化の台頭を、うまく引き込んでいます。そして、物語の背後に、しっかりと女の文化史が読みとれます。なかなか奥の深い設定となっているのです。
 住吉大社での宝の市の話があります。難波の賑わいも、しっかりと描き込まれているのです。
 「せやさかい、呉服では長いこと西陣の独擅場(振仮名「どくせんじょう」)やった。」(141頁)とあります。「独壇場」とせずに、当時の実態を意識した用字で表記しています。
 人形浄瑠璃や歌舞伎など、伝統芸能にも目配りをして、江戸期の世相を通して文化を読者に伝えようとしています。これが、この物語に厚みをもたらしているのです。こうした視点が、小さくなったお店を繁盛させるためのアイデアを生み出す元となります。惣次と幸とが知恵を出し合い、さらに行動する活気が、小気味よく展開していきます。
 井原西鶴のことばがひょいと顔を出すのが、これも一つの味付けになっています。また、石田梅岩の『都鄙問答』が、この物語に一本の筋を通しています。これらのことが、骨太な物語にしています。その意を汲んで、近江の絹織物をめぐって惣次の立ち位置が危うくなります。話の続きは次巻へと。
 本作は、図太く生きる、というのが底流にあります。機知に富んだ幸と五鈴屋のこれからが、ますます楽しみです。【5】
 
 
 

2017年3月12日 (日)

研究室の引っ越しを完了しました

 昨日は立川で、終電前まで引っ越しの荷造りをしていました。本に関しては、送るものと処分するものとの仕分けを終えてから帰りました。
 この1ヶ月間、少しずつ手を着けていたにもかかわらず、宿舎の方にばかり手が掛かり、研究室は捗っていませんでした。
 また、研究員や補佐員、そしてアルバイトの方々が仕事をする部屋にあった本や資料も、ほとんどをトラックで運び出すことができました。特に、私が世界中から集めた『源氏物語』の翻訳本は、貴重なコレクションです。これも、公私の別を仕分けして、無事に送り出すことができました。今後は、関西を中心とした展覧会で役立てることになります。

 あっという間に、本が研究室から消えました。集中力のなせるわざです。
 壁面に据え付けられた棚に、背文字を見せる本が一冊もないのは、気持ちのいいものです。プリント類も、実際に残しておくのは10分の1ほどでした。
 棚の空きスペースは、後日処分する本やプリントで、埋め尽くされました。

 館の職員として、そして研究者として、18年間ここにいた証が、送り出した本であり、残されて処分を待つ本やプリント類です。

 ガラス戸の中には、まだもう少し役割を持つ書類が、数枚のクリアーファイルに挟まれてポツンと置かれています。これらは、数日後に私の手を離れていきます。
 これからのほとんどの書類は、事務方とネットでやりとりすることで用を足すことになります。

 今、新幹線の中です。荷造りで格闘した長い日々を思い出しながら、少し引っ越し疲れを感じて、うとうととしています。

 明日からはまた、荷解きや書棚への配置や書類の整理や収納と、根を詰めた日々が待っています。
 これが私にとって、最後の引っ越しかと思われます。そう思うことで、もう一踏ん張りしようと思っているところです。
 
 
 

2017年3月11日 (土)

キャリーバッグのキャスターが壊れる

 長距離移動が多い私は、その時々の荷物の量に合ったバッグが必需品です。そのために、様々な大きさや形のバッグを用意しています。

 昨年の5月末に、東京駅にある大丸東京店の東急ハンズで、少し大きめのキャリーバッグを買いました。
 だいたいエースのバックを買うことが多いのです。
 過去の自分のブログを見たところ、この買い物については書いていませんでした。


170311_front


 その5ヶ月後に購入したバッグのことは、ロック式だったり、点字ブロックについての問題意識があったこともあり、次の記事にまとめていました。

「最適な4輪式キャリーバッグとの出会いと点字ブロックの今後」(2016年10月16日)

 さて、この昨年初夏に購入したキャリーバッグが壊れたのです。キャスターの一つが、何とも無残な姿になっていました。


170311_yugami


 車軸(シャフト)がズレたままで、回転する車輪を支えきれなかったようです。まっすぐに走行しないし、どうも重たいとは思っていました。しかし、わざわざ下を見ることもなく、こんな状態になっているとは思いもしませんでした。

170311_sitakara



 早速、東京駅を通りかかった時に、購入した東急ハンズに持ち込み、コンピュータで私の履歴を確認してもらってから、修理の依頼をしました。昔のように、領収書や保証書を提示することはありません。
 購入から1年が経っていないので、無償のはずだとのことです。ただし、1週間で見積もりが出て、修理完了までには1ヶ月はかかるのだそうです。その頃には私は東京にいないことを告げると、転居先に送ることになるでしょう、とのことでした。実費で数千円かかります、と言われたらどうしよう、などなど、一抹の不安を抱きながらも、とにかく壊れたキャリーバッグを預けました。

 昨日のシュレッダーといい、今日のキャリーバッグといい、小さなトラブルが立て続けに起こる日々です。
 春の椿事ということにしておきます。
 
 
 

2017年3月10日 (金)

またもや壊れたシュレッダーを交換する

 ちょうど一週間前に、「情報をなかったことにする小道具」(2017年03月01日)という記事を書きました。
 ところがその数日後に、新しく購入したシュレッダーも動かなくなったのです。いかにも、私によくありがちなトラブルです。もう慣れています。

 製品に記されていたサポートの部署に、フリーコールで電話をしました。症状を説明すると、いくつか確認がありました。
 一度に多くの紙を入れなかったか、とか、長時間連続して使わなかったか、ということです。それには十分気をつけたはずであることを伝えると、あっけない程す早く、不調の商品を引き取って、新品と交換するということです。

 自問自答していました。どうしてこんなことになったのか、どうしたら一番よかったのか等々、いろいろと思い悩みました。それが、呆気なく本体交換となり、拍子抜けです。

 すぐに同等品を送るので、使えなくなったシュレッダーは配達業者が回収する、とのことでした。この迅速な応対には好感を持ちました。

 思い出すだけで複雑な思いがします。これまでに使っていたものが壊れ、先週購入したばかりのシュレッダーが、またもや使えなくなったのです。モーターが空回りするだけで、紙が中に入って行きません。ウゥーンウゥーンという唸るような音だけがします。
 購入した日に、数枚試しに使いました。そして先日、初めて実際に書類を裁断したのです。そして、紙屑を溜めるボックスが一杯になったので一度捨て、その後、再度使おうとしたら、もう紙が吸い込まれなくなっていたのです。自動モードはもとより、正転や反転というモードでも同じモーター音がするだけです。
 意外な幕切れでした。
 
 アップルなどがそうであるように、何か問題があると、とにかく新品と交換する風潮があります。よく言えば、その製品の故障個所をじっくり確認し、検討を重ねて改良に役立てようという姿勢の表れだということになります。ユーザーに無用で気分の良くない状況に置かないのはいいことです。

 昨日から、無事に届いた交換品のシュレッダーの投入口に、また紙を吸い込ませて、裁断を続けています。今度は大丈夫のようです。書類を裁断して処分する作業が、また始まりました。本を処分する時とは異なり、紙類の裁断は精神的な疲れはなく、かえって気持ちはすっきりします。
 10日ほどの間に、3つものシュレッダーを使うことになりました。今回は何事もなく、不要になった紙の裁断という残務処理が、何事もなく終わることを祈っています。
 
 
 

2017年3月 9日 (木)

日比谷の講座受講生の方々と鎌倉期『源氏物語』を実見


当分は「鷺水より」をメインとし、このサイト「鷺水より」はサブとします。(2017年03月08日)

 
 
 日比谷図書文化館での講座では、国文学研究資料館が所蔵する橋本本「若紫」を、字母に注意して読み進めています。テキストは、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10)を使っています。

 その講座の受講生の方々に、テキストとして使用している橋本本を、実際に国文学研究資料館で見てもらいました。日頃は、白黒印刷の影印版で読んでいる写本です。その700年前に書かれた原本を、ご自分の目と手で読んでもらうのですから、毎回みなさま方は楽しみにして参加なさっています。
 今日も8名の方がお集まりでした。

 用意したのは、3種類の鎌倉期に書写された『源氏物語』です。


(1)榊原本、16冊(内一冊は室町時代)
(2)橋本本、3冊(1冊は展示中)
(3)「若菜上」、1冊

 一昨年来、何度かこのような実見の機会を設定した関係で、2度目の方も3度目の方もいらっしゃいます。やはり、原本を読む機会を得ると、数百年前に書かれた写本の世界に引きずり込まれます。古写本の魅力に取り憑かれるのは、本当に贅沢なことだと思います。

 今日も2時間半をかけて、説明をしながら見ていただきました。
 この催しは、今回で一応終了となります。
 毎回、拙い説明で恐縮しています。たくさんのご質問をいただき、私もいい勉強をさせていただきました。700年前に書写された『源氏物語』を目の前にして、みなさまと自由にお話ができるのは至福のときです。
 来年度からは、また新たな場所で、魅力的な写本を見ていただく用意をしています。
 本との出会いの旅を、ご一緒に楽しみましょう。
 
 
 

2017年3月 8日 (水)

京洛逍遥(385)紫式部と小野篁の墓所で見た蜜柑


当分は「鷺水より」をメインとし、このサイト「鷺水より」はサブとします。(2017年03月08日)

 
 

 昨日は、茶道資料館から歩いて堀川北大路まで行く途中で、久しぶりに紫式部と小野篁の墓所に足を留めました。島津製作所の隣です。この敷地は、いつも手入れが行き届いています。
 西向きの入口から、橙色の蜜柑らしい果物が樹上に見えました。柑橘系の果物としておきましょう。

170307_sikibu1.jpg

 お墓の手前のところで見上げると、立派な実をつけています。

170307_mikan.jpg

 紫式部のお墓の右隣に小野篁のお墓があります。共に、お墓というよりも墳墓という方がいいと思います。

170307_sikibu3.jpg

170307_sikibu4.jpg

 小野篁と紫式部が並んでいるのは、学生時代に教わったことによると、小野氏の唱導文芸者集団と関係するからだそうです。その教えの影響からでしょうか、私は今でも、『源氏物語』の作者を紫式部という一人の女性に特定しません。紫式部が『源氏物語』と関わったことは『紫式部日記』からも確かなことです。しかし、それが今でいうところの物語の作者とは違うと思っています。
 紫式部は、『源氏物語』という一大長編物語を編集した人であって、『源氏物語』は紫式部という一個人によって書かれた物語ではない、と考えます。編集は監修としてもいいと思います。その意味からも、こうして紫式部のお墓に立ち寄るのは、あくまでも遺跡としての意味を大事に伝えていきたいからです。

170307_sikibu5.jpg

 ひっそりとした一角にあるので、見過ごす方が多いようです。堀川通を北上し、北大路通りの少し南に下った西側にあります。
 このブログで、これまでにこの紫式部の墓所をどのように紹介していたのかを調べたところ、詳しくは取り上げていないことがわかりました。
 よく通る道にあることもあり、意外といつでも記事にできると思っていたようです。というよりも、紫式部にあまり興味と関心が向いていないことの現れなのかもしれません。避けていたわけではないのです。こんなこともあるのです。紫式部と向き合わない自分を、一人でおもしろがっているところです。
 
 
 

2017年3月 7日 (火)

茶道資料館で筒井先生に武居さんの学位取得を報告

 茶道資料館に、副館長で今日庵文庫長でもある筒井紘一先生をお訪ねしました。
 今日は筒井先生に、武居雅子さんが無事に学位[博士(文学)]を取得されたことをご報告しました。

 筒井先生と武居さんのことは、「茶道資料館で香道具を見たあと筒井先生にお目にかかる」(2013年05月02日)に記したとおりです。
 また、「京洛逍遥(316)京都における香道関係の調査に同行」(2014年04月25日)でも報告しました。

 武居さんの学位論文は「香道と文学 -江戸中期の香道伝書による文学受容の研究-」です。この快挙を、非常に喜んでくださいました。よく頑張ったな、と。
 国文学研究資料館の総合研究大学院大学関係者はもちろんのこと、それ以上に筒井先生は感慨深げでした。教え子の慶事なのです。

 武居さんが博士論文を刊行するなら出版社を紹介するので、遠慮なく言ってほしいとのことでした。ありがたいことです。

 私が今月で国文学研究資料館を定年退職することなど、いろいろとお話ができました。貴重なお時間を取っていただき、ありがとうございました。

 その後、茶道資料館の呈茶室で一服いただきました。
 お菓子は、二條若狭屋の「早わらび」でした。そして私がいただいた茶碗は、元首相の細川護煕氏が陶芸を始めた初期の作品だとのことです。これもありがたいことでした。

 陳列室では「描かれた茶の湯」(3月29日まで)を見ました。


170307_tyanoyu


 茶道資料館のホームページには、内容が次のようにまとめてあります。


 「日常茶飯事」と言われるように、茶は身近なものとして人々に親しまれてきました。
 室町時代には、寺社など人が集まる場で茶が振る舞われる一方、精神性を前面に押し出した「わび茶」が誕生し、茶室の中で亭主と客が一体となって、その空間・時間とともに茶を味わうようになります。天正15年(1587)、豊臣秀吉が貴賤や貧富を問わず参加を呼びかけた「北野大茶湯」では、800もの茶屋が設けられたと言い、茶の湯の流行をみることができます。男性主体に行われてきた茶道は、明治時代になると、身に付けるべき礼式の一つとして女性たちにも広まり、今日に至っています。
 本展では、主に江戸時代から明治時代にかけて様々な形式の茶の湯を描いた絵画を紹介します。

 今回の展示で、私は次の4点に注目して拝見しました。これは、男性中心だった茶の湯が、明治時代中期になると女性が嗜むようになったことがわかる図様だからです。


(1)女礼式之図(安達吟光(1870-1900)画、明治20年(1887)、今日庵文庫蔵)
(2)女礼式之図(安達吟光(1870-1900)画、明治20年(1887)、今日庵文庫蔵)
(3)女礼式茶之湯ノ図(歌川国貞(三代)(1848-1920)画、明治22年(1889)、今日庵文庫蔵)
(4)女礼式茶の湯(楊州周延(1838-1912)画、明治34年(1901)、今日庵文庫蔵)

 明治時代は、文化や文学が大きく回転した、非常に興味深い時代です。
 今後とも、折を見てはこうした資料を丹念に見て歩きたいと思っています。
 
 
 

2017年3月 6日 (月)

突然ベトナムのホテルから予約完了の通知が来ました

 今日、突然のことながら、ベトナムのダナン市にあるホテルから、宿泊予約が完了した旨のメールが来ました。
 3月下旬に、大人2人、子供1人で、私が一泊の旅をするのだそうです。
 自分のことながら、寝耳に水です。

 メールを調べると、その1分前に、私の Googleのメールアドレスを騙って、ブッキングコムのアカウント登録が行なわれていました。
 そして、私がそのメールアドレスの認証をすると、この登録メールアドレスが有効化する、とあります。
 もちろん、そんな認証など、自分の手でするはずがありません。


170306_bookingcom


 しかも奇妙なことに、有効化の手続きをしてもいないのに、その【1分後】にブッキングコムから「予約確認」のメールが、件の私が登録したというメールアドレスに来たのです。
 予約番号も暗証番号も明示され、デラックス・キングルームが確保されているようです。
 おまけに、「クレジットカードによって予約が確定・保証されました。」とあるので、どうなっているのかますます不可解です。

 私は3年前にベトナムのハノイとホーチミンへ行きました。
 しかし、ダナン市は知りませんし、今のところ用事もありません。
 折も折、東京を引き払う直前のこの多忙な時期に、家族と豪遊旅行をすることになっています。

 送られてきたメールの情報は信用できないので、ネットでブッキングドットコムの連絡先を調べ、電話で直接確認をしました。
 思い当たることがないことを伝えると、予約番号と暗証番号を確認してから、私の情報をチェックしてくださいました。
 そして、連絡用電話番号が、私には身に覚えのないものであることがわかりました。
 私の住所録で調べても、ブッキングコムの方がおっしゃる電話番号を持つ人は、私の身の回りにはいません。

 とにかく、身に覚えのない、当該ホテルへの宿泊予約であることを伝えると、一応は了解してもらえたようで、調べてくださいました。
 そしてその後の連絡で、宿泊ホテルに確認中なので、わかり次第にメールで報告をしてもらえることになりました。

 とにかく、キャンセル料が発生するようなので、大至急対処してもらうことにしました。
 送られてきたメールには、次のようにキャンセル料のことが明記されているのです。


現在のキャンセル料: US$55.90
この予約のキャンセルには、キャンセル料が発生いたします。

 明日の宿泊予約ではなくて、まだ2週間以上もある予約なので、慎重に対処する時間はあります。

 私の個人情報が漏れているのでしょうか。
 早速、思い当たるIDのパスワードを片っ端から変更しました。
 これだけでも、大変な作業であり、手間がかかります。

 ということで、私への連絡がある方は、現在調査中となっている Gmail 経由は避けていただいた方がいいかと思います。
 このブログのコメント欄を利用していただくのが、今のところは一番いいかと思います。

 誰に、どのようなメリットがあるのか、私にはまったくわかりません。
 とにかく、迷惑なことに時間と手間をとられることとなり、本当に困っています。
 
 
 

2017年3月 5日 (日)

京洛逍遥(384)重要文化財「旧三井家下鴨別邸」でのお茶会

 何度も行こうとして果たせなかった、重要文化財に指定されている旧三井家下鴨別邸へ行きました。
 昨日と今日の2日間、京都伝統産業青年会の展覧会「伝青会」が、旧三井家下鴨別邸で開催されます。東京での仕事に一区切りをつけた後、大急ぎで帰洛して駆けつけました。お茶室に入ったのは、3時までのところを危うく1分前でした。キャリーバッグを引きずって走りました。


170305_niwa1


 お茶室は、上の写真の右側です。

170305_niwa2


 お茶室については、いただいた資料によると次のように書いてあります。このお茶室は、江戸時代のものだそうです。


茶室は,庭園に面して3畳次の間が付いた4畳半の開放的な広間を配置します。裏側には茶室として極小空間である1畳台目の小間を置き、煎茶と茶の湯(抹茶)のいずれにも対応できたと考えられます。
※非公開

 お茶室の南側の瓢箪型の池には、泉川から水を取り入れた滝流れを見ることができます。


170305_ensou


 私が入ったお茶席では、陶芸家で伝統工芸士の伊藤南山氏と同席でした。世界的に活躍されている方で、今回新たに京都伝統産業青年会の会長になられるそうです。
 ご自分の作品である茶碗・建水・香合・茶杓が、私の目の前で実際に使われています。なかなか緊張する空間に身を置くこととなりました。ただし、私は両足共に調子が良くないので、失礼ながら胡坐をかかせていただきました。

170305_otemae


 先月から、引っ越しのドタバタ騒ぎの中にいました。昨日までとは打って変わって、まったく異質な時間の中にいることを肌身に感じ、不思議な気持ちになりました。

 お菓子は、西陣にある和菓子屋聚洸の「なたね」でした。予約をしても、なかなか手に入らないお菓子だそうです。


170305_wagashi


 その後、銀行・生命保険会社・女子大学を日本で初めて作った女性起業家広岡浅子の手紙(複製)を見たり、庭を散策しました。

 「忙中自ずから閑あり」とは、まさにこの今の自分のことを言うのでしょう。
 
 
 

2017年3月 4日 (土)

読書雑記(195)安部龍太郎『等伯 下』

 この作品『等伯』は、下巻を読まないと作者の思いが伝わってきません。話が進むにつれて、等伯の姿が鮮やかに立ち上がるからです。


170301_touhaku2


 長谷川信春は、天正13年(1585)に二度目の上洛を果たし、幸運にも絵屋を営むことになりました。
 その後、狩野永徳に認められ、息子の久蔵が永徳の元に弟子入りしました。長谷川派を起こそうとしていた信春にとって、狩野派に息子を取られたことで微妙な気持ちが渦巻きます。その後の、信春と永徳の心理劇が見物です。
 大徳寺の三門造営から利休が出てきます。信春から見た利休が興味深く描かれていて、新しい利休像が生まれています。
 春信は、狩野永徳に負けない絵師を目指しています。その永徳が卑小な男として描かれていました。小気味良いくらいに、永徳の惨めな様が印象的です。
 静子の後添えとして清子のことを思案しながら、仏間で亡き静子と語るくだりはいい場面です。井上靖が得意だったように、死者との対話は難しいものです。安部のこれからが楽しみです。
 仙洞御所の西に造営される対の屋の衾絵を担当することで、等伯は大金を工面して何とか着手までこぎ着けました。しかし、永徳の悪巧みで中止となり、お金も仕事も取り上げられました。この経緯が詳細に語られており、本巻の読みどころでもあります。等伯の腹立たしさがよく伝わってきます。
 利休とのことも詳細に語られます。石田三成を悪役にして。
 利休切腹の段は、等伯の視点から描かれているので、一味違った利休像が味わえました。一条戻り橋に晒された利休の首を見やる等伯が、生々しい状況での描写となっています。三門に飾られていた利休の木造に踏まれる生首のことを思い、等伯は利休の肖像画に打ち込みます。その苦悩も、見事に描かれています。
 その後、等伯と久蔵親子の絵をめぐるやりとりが展開します。
 人間が真の姿を見る目について、次のように言います。
「お前が描いているのは、狩野派の様式を通して見た松だ。裸の目で見た真の姿を写し取ってくれ」
「人の目とは不思議なもので、自分が学んだ知識や技法の通りに世界を観てしまう。それは真にあるがままの姿ではなく、知識や技法に頼った解釈にすぎない。」(255頁)
 等伯は息子とともに、故郷の七尾に旅をします。22年ぶりの帰郷です。長かった物語を振り返る設定です。そして、亡き妻静子の慰霊の旅でもあります。
 語られる等伯の姿が、次第に重みを持ちます。巻末に向けて、作品に重厚感が伝わってくるようになります。この等伯の物語を書き継ぐ中で、作者が成長していることを実感しました。
 読者にとっては、生き続ける勇気がもらえる一書になると思います。【5】
 
 

2017年3月 3日 (金)

読書雑記(194)安部龍太郎『等伯 上』

 安部龍太郎の『等伯』(日本経済新聞社、2012.9)を読みました。
 まずは上巻から。


170301_touhaku1


 等伯の本名は長谷川又四郎信春。
 染物屋の長谷川家に11歳の時に養子に入った信春。絵仏師をしていた彼が33歳の時、兄の事件に巻き込まれて、義理の両親に悲劇が起きます。そして、追われるままに、親子三人で能登から京へ。
 事件と人物が丹念に描かれています。信長の比叡山焼き討ちの中での人々も、迫力あるくだりとなっています。この丁寧な語り口が、安部龍太郎の作品を支えています。
 人間が持つ八識という感覚の世界に興味を持ちました。


 人間には眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの識があり、それぞれ視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、知情意をつかさどっている。その先の第七段階にあるのが末那識で、自己という意識を生み出す心の働きのことである。
 この末那識が他の六識を統合して自分らしい生き方を生み出すわけだが、その一方で自己にこだわる心が執着となって悟りにいたるのを妨げる。
 それゆえ修行者はここを乗りこえて第八段階の阿頼耶識まで進み、執着から離れて真如に至らなければならない。
 真如とは在るがままの姿、存在の本質としての真理のことだった。(143頁)

 時代背景を描き、社会情勢を語ることに筆を費やしています。この点が、私に退屈さを感じさせることになりました。しかし、そうであっても、資料や史実に正確な物語ではなく、人間を描くことを主題にした作品となっています。
 信春と妻静子の仲睦まじい姿は、人の温かさを感じさせてくれます。相手を思いやる二人がよく描けています。
 ただし、私は安部氏の文章に身を委ねて読み進むことができませんでした。どこか、他人事のように話が展開していると思えるのです。これはどこに起因するものなのか、何だろう、どうしてだろうと思いながら頁を繰っていました。そして、気づきました。作者は読者である私に向かって語ってはいないのだ、ということです。自分を納得させるために書いているのです。
 上巻の終盤で、感動的で胸が詰まる場面があります。
 27年間連れ添った妻の静子が、次第に弱っていきます。信春は、静子のために故郷である七尾の景色を、三方の山水画に描こうとします。注文があったことにして、二人の合作にしようとするのです。夫婦の心の交感がしみじみと語られます。作者安部が得意とする描写が出色です。苦楽を共にした者が互いに最後の想いをぶつけ合う場面は、情を掻き立てるものがあり、読み応えがあります。明日をも知れぬ二人が過去を回想するのは、読者の心に響くものです。
 その後、信春は余命幾ばくもない静子と息子の3人で、故郷の七尾を目指します。琵琶湖を越え、敦賀まで来たところで静子は信春の腕の中で力尽きるのでした。【4】
 下巻は明日にします。
 
 
 


2017年3月 2日 (木)

橋本本「若紫」で同じ文字列を同じ字母で傍記している例

 いつものように日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」巻の字母に注目しながら読んでいます。
 今日は、講座の受講生の方から、貴重な意見をいただきました。次のように書かれている箇所をどう読むか、ということです。
 14丁表で終わりの2行は、次のようになっています。


170302_yositada


 この最終行の手前の行間に、なぜ「よし堂ゝ」とあるのか、というのが問題なのです。
 その直前の行末にある「よし堂ゝ」と同じ字母で書かれています。それも、ほとんどが右横に傍記されるのに、ここでは左側に傍記されているので、なおさら不可解です。

 ここの諸本を見ると、次のような本文の異同があります。まず17種類の諸本の略号をあげてから、本文の異同を示します。


橋本本・・・・050000
 大島本(1)[ 大 ]
 中山本(1)[ 中 ]
 麦生本(1)[ 麦 ]
 阿里莫(1)[ 阿 ]
 陽明本[ 陽 ]
 池田本[ 池 ]
 御物本[ 御 ]
 国冬本[ 国 ]
 肖柏本[ 肖 ]
 日大三条西本[ 日 ]
 穂久邇本[ 穂 ]
 保坂本[ 保 ]
 伏見本[ 伏 ]
 高松宮本[ 高 ]
 天理河内本鉛筆なし[ 天 ]
 尾州河内本(1)[ 尾 ]
 
 
よきり[橋=大尾中麦阿陽池肖日保高天]・・・・051074
 より[御穂]
 ナシ[国]
 よきおり[伏]
おはしましたる[橋=高]・・・・051075
 をはしましける[大御保]
 おはしたる/し+〈朱〉まし[尾]
 をはしましたる[中陽天]
 おはしましける[麦阿池国肖日穂伏]
よし/し=よしたゝ〈左〉[橋]・・・・051076
 よし[大尾中麦阿陽池御国肖日穂保伏高天]
たゝいまなん[橋=尾陽御国保伏高天]・・・・051077
 たゝいまなむ[大中池肖日穂]
 たゝ今なん[麦阿]
うけたまはりつる[橋]・・・・051078
 人[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 うけ給はり[尾中高天]
 うけ給[陽]
ナシ[橋]・・・・051079
 申すに[大池御肖保]
 はへりつる[尾高]
 さふらひつる[中]
 申に[麦阿国穂伏]
 侍つる[陽天]
 申すに/〈改頁〉[日]
おとろきなから/き〈改頁〉[橋]・・・・051080
 おとろきなから[大尾中麦阿陽御国肖日保伏高天]
 おとろきなから/前1ら〈改頁〉[池]
 をとろきなから/〈改頁〉[穂]

 受講生の方の意見は、この「よし堂ゝ」は最終行の丁末にある「おとろ」に対する傍記ではないか、というものでした。つまり、「う遣多ま八里つる」と「おとろ~」の間に「よし堂ゝ」を補入したいのではないか、と見る意見です。ただし、ここに補入記号の○などはありません。

 その時に、私の手元に諸本の正確な翻字資料がなかったので、指摘があったことの可能性を保留にして、私の宿題にさせていただきました。そして今、諸本を調べると、上記のようになっていることが確認できました。

 結果的に、この丁末の「おとろ〜」の前後に「よし堂ゝ」が入るような異文は見つかりませんでした。特に、私が乙類としている大島本などの本文の類が橋本本の校訂に参照されていることを考えても、そうした痕跡は大島本などの乙類にはまったくありません。

 これで、問題は白紙にもどりました。一体、なぜ、この行間に「よし堂ゝ」という文字列が書かれているのでしょうか。間違って書いたとは思われません。間違いだったとしても、ミセケチや削除もしていません。字母が同じ文字列というのも不可解です。
 親本に書かれていたままに書写している可能性もあります。しかし、それでは親本はなぜそのような本文を伝えていたのでしょうか。そうしたことの説明が、今の私にはできません。

 この件に関してご教示のほどを、よろしくお願いします。
 
 
 

2017年3月 1日 (水)

情報をなかったことにする小道具

 家庭用のシュレッダーを、重宝して使っています。A4の紙が一度に5枚ほど裁断できるものです。
 もう古くなり使わなくなったシュレッダーは、うどんのように細長い紙が出てきました。これは、裁断する方向によっては、書かれている文字が読めるのです。
 最近のものは、紙吹雪のように切り刻まれて出てきます。
 今回の引っ越しでも、このシュレッダーは大活躍しました。個人情報が記された書類や、古くなった名簿、そして住所録に取り込んだ後の名刺などは、こんな時にしか処分することがありません。いつかいつかと思いながら、知らず知らずに溜まっていたのです。
 一気に処分しようとしたせいか、愛用のシュレッダーがモーター音だけを唸らせるようになりました。どうやら、硬質プラスチックの歯車が割れているようです。長時間にわたって、連続して使ったことが壊れた原因のようです。
 すぐに別のものを買いに行きました。家庭用なので、安く購入できます。選択肢は30種類以上もあり、店員さんに相談して迷いながらも、コンパクトなものを選びました。まだまだ、裁断して処分したいものがあるので、少しでも長く連続使用に耐えられるものにしました。
 数十年前までは、個人がシュレッダーを持つなどということは、とても考えられないことでした。せいぜい職場にあるものでした。それだけ生活環境が変化し、プライベートな印刷物が増えたのです。
 そんな中で、郵便物の宛先が読めないようにするために、100円ショップで買ってきた千鳥格子柄のスタンプも重宝しています。
 この他に今気に入っているものは、消せるボールペンです。ペンの軸に取り付けられた柔らかい樹脂の塊でこすると、いつでも文字や絵が消せるのです。目まぐるしく変わる手帳のメモ書きにはもってこいです。
 いろいろと便利な小道具を手元に置いて、せっせと個人情報を隠すことに時間を割いています。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008