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2017年3月 4日 (土)

読書雑記(195)安部龍太郎『等伯 下』

 この作品『等伯』は、下巻を読まないと作者の思いが伝わってきません。話が進むにつれて、等伯の姿が鮮やかに立ち上がるからです。


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 長谷川信春は、天正13年(1585)に二度目の上洛を果たし、幸運にも絵屋を営むことになりました。
 その後、狩野永徳に認められ、息子の久蔵が永徳の元に弟子入りしました。長谷川派を起こそうとしていた信春にとって、狩野派に息子を取られたことで微妙な気持ちが渦巻きます。その後の、信春と永徳の心理劇が見物です。
 大徳寺の三門造営から利休が出てきます。信春から見た利休が興味深く描かれていて、新しい利休像が生まれています。
 春信は、狩野永徳に負けない絵師を目指しています。その永徳が卑小な男として描かれていました。小気味良いくらいに、永徳の惨めな様が印象的です。
 静子の後添えとして清子のことを思案しながら、仏間で亡き静子と語るくだりはいい場面です。井上靖が得意だったように、死者との対話は難しいものです。安部のこれからが楽しみです。
 仙洞御所の西に造営される対の屋の衾絵を担当することで、等伯は大金を工面して何とか着手までこぎ着けました。しかし、永徳の悪巧みで中止となり、お金も仕事も取り上げられました。この経緯が詳細に語られており、本巻の読みどころでもあります。等伯の腹立たしさがよく伝わってきます。
 利休とのことも詳細に語られます。石田三成を悪役にして。
 利休切腹の段は、等伯の視点から描かれているので、一味違った利休像が味わえました。一条戻り橋に晒された利休の首を見やる等伯が、生々しい状況での描写となっています。三門に飾られていた利休の木造に踏まれる生首のことを思い、等伯は利休の肖像画に打ち込みます。その苦悩も、見事に描かれています。
 その後、等伯と久蔵親子の絵をめぐるやりとりが展開します。
 人間が真の姿を見る目について、次のように言います。
「お前が描いているのは、狩野派の様式を通して見た松だ。裸の目で見た真の姿を写し取ってくれ」
「人の目とは不思議なもので、自分が学んだ知識や技法の通りに世界を観てしまう。それは真にあるがままの姿ではなく、知識や技法に頼った解釈にすぎない。」(255頁)
 等伯は息子とともに、故郷の七尾に旅をします。22年ぶりの帰郷です。長かった物語を振り返る設定です。そして、亡き妻静子の慰霊の旅でもあります。
 語られる等伯の姿が、次第に重みを持ちます。巻末に向けて、作品に重厚感が伝わってくるようになります。この等伯の物語を書き継ぐ中で、作者が成長していることを実感しました。
 読者にとっては、生き続ける勇気がもらえる一書になると思います。【5】
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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