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2017年3月 8日 (水)

京洛逍遥(385)紫式部と小野篁の墓所で見た蜜柑


当分は「鷺水より」をメインとし、このサイト「鷺水より」はサブとします。(2017年03月08日)

 
 

 昨日は、茶道資料館から歩いて堀川北大路まで行く途中で、久しぶりに紫式部と小野篁の墓所に足を留めました。島津製作所の隣です。この敷地は、いつも手入れが行き届いています。
 西向きの入口から、橙色の蜜柑らしい果物が樹上に見えました。柑橘系の果物としておきましょう。

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 お墓の手前のところで見上げると、立派な実をつけています。

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 紫式部のお墓の右隣に小野篁のお墓があります。共に、お墓というよりも墳墓という方がいいと思います。

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 小野篁と紫式部が並んでいるのは、学生時代に教わったことによると、小野氏の唱導文芸者集団と関係するからだそうです。その教えの影響からでしょうか、私は今でも、『源氏物語』の作者を紫式部という一人の女性に特定しません。紫式部が『源氏物語』と関わったことは『紫式部日記』からも確かなことです。しかし、それが今でいうところの物語の作者とは違うと思っています。
 紫式部は、『源氏物語』という一大長編物語を編集した人であって、『源氏物語』は紫式部という一個人によって書かれた物語ではない、と考えます。編集は監修としてもいいと思います。その意味からも、こうして紫式部のお墓に立ち寄るのは、あくまでも遺跡としての意味を大事に伝えていきたいからです。

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 ひっそりとした一角にあるので、見過ごす方が多いようです。堀川通を北上し、北大路通りの少し南に下った西側にあります。
 このブログで、これまでにこの紫式部の墓所をどのように紹介していたのかを調べたところ、詳しくは取り上げていないことがわかりました。
 よく通る道にあることもあり、意外といつでも記事にできると思っていたようです。というよりも、紫式部にあまり興味と関心が向いていないことの現れなのかもしれません。避けていたわけではないのです。こんなこともあるのです。紫式部と向き合わない自分を、一人でおもしろがっているところです。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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