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2017年2月 1日 (水)

六甲から見た海や山と町の風景

 昨日から、摂津国・有馬に行っていました。その前日に行っていた和泉国からは、大阪湾を挟んで北西に位置します。1年365日24時間モードで何かをしている日々の中で、大好きな温泉で英気を養うことになったのです。

 有馬温泉は、『枕草子』にも出てきます。
 秀吉は利休を連れて来て、何度もお茶会をしたそうです。
 谷崎潤一郎の作品にも出てきます。

 姉の家が芦屋の山中にあるので、すぐ近くの有馬温泉には何度も行っています。今回は義兄から、長年お疲れさまということで行くことになりました。ありがたいことです。

 芦有道路の展望台から大阪湾越しに、一昨日行った泉州地域が望めました。
 この少し前までは小雪が舞っていたので、見晴らしはよくありません。


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 この有馬は、河内の信貴生駒連山や京洛の東山と比叡山などなど、これまで住んでいた地域も一望のもとに眺められる絶景の地です。


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 下界に降りて日常生活に戻ると、急に現実が押し寄せます。
 昨日、車中の網ポケットに帽子を忘れていたのです。姉に送ってもらった芦屋川駅からの帰りに、阪急梅田駅の案内所に届いていた帽子を、無事に受け取りました。今年になってから2回目となる、落とし物と忘れ物のトラブルです。いずれも戻って来たことは幸いでした。

 明日からはもっと気を引き締めて、身の回りに目配りをしながら、これまで数十年の長旅の整理に専念する日々にします。
 
 
 

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2017年1月31日 (火)

高い所から見た海や町の風景

 高所恐怖症なのに、高いところから遠景を望むのが好きです。

 河内国・高安から大阪湾を望んだ写真は、このブログでも何度も掲載しています。


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 昨日は、和泉国・泉州から大阪湾を望む機会を得ました。


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 ポケットに入る超小型のデジタルカメラを持ち歩いている関係で、遠くの景色がぼやけているのは、スナップ写真ということでお許しを。

 立ち寄ったところでは、立礼式のお茶道具が出迎えてくれました。


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 娘たちが結婚式の披露宴で、我々にお茶を点ててくれたのが立礼でした。


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 大和国・信貴山で月見のお茶会の時は、ちょうど眼下に龍田川が流れる王寺町が望めるアングルでした。


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 テーマ別に写真を並べて見ると楽しいでしょうね。
 またいつか、ということで。
 
 
 

2017年1月 2日 (月)

お墓参りの後は娘たちとの新年会

 年末には姉がお墓の掃除をしてくれたので、あらためて新年の墓参に出かけました。
 歩いて出町柳駅まで出て、京阪電車で大阪の京橋駅に行きます。そして、JRの環状線で鶴橋駅へ行き、近鉄電車に乗り換えて、さらに河内山本駅でまた乗り換え、終点の信貴山口駅で降りました。

 国宝『信貴山縁起絵巻』で知られる朝護孫子寺への初詣客は、高安山までのロープウェーに乗り換えです。


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 私の方は、駅前から信貴霊園の送迎バスで高安山の麓にある墓地に向かいます。

 曇っていたので、小豆島や四国は見えませんでした。
 
 その帰りに、婿殿のご両親と一緒に、大阪の河内で新年会をしました。春先に向けて、何かと話題の多い年となるので、話に花が咲きます。

 お茶菓子として、娘が作ったものがズラリと並びました。
 白い鶏には苺が入っています。トサカの苺が微妙なアクセントになっています。
 玉子色の雛は栗きんとんです。
 いずれも、その顔に苦心の跡が見られます。


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 楽しい一年が始まることを、みんなで確認する新年会となりました。
 
 帰り道、中天には三日月と明るい☆が一つ浮かんでいました。


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2016年11月 1日 (火)

室伏信助先生と荻窪でお話をしました

 以前から室伏信助先生に頼まれていたことを果たすために、荻窪のご自宅に伺いました。

 私を信頼してのことだったので、ご期待に添えなかったら申し訳ない、との思いで拝見しました。結果的には、とにかく無事に用件は終えることができました。一安心です。

 その後、駅ビルでお食事をしながら、いろいろなお話をしました。
 先生は日本酒の「八海山」を、私は麦焼酎「吉四六」をいただきました。

 先生とこんなにゆっくりとお話をするのは、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第1集』(平成23年5月)に収録した対談、「『源氏物語』本文研究のこれまでとこれから」の時以来です。あれが平成22年12月だったので、4年も前のことになります。4時間もの長時間の対談にお付き合いいただきました。
 今日も、それに近い長時間、楽しくお話ができました。

 先生のお歳を伺って驚きました。私との間に、ちょうど伊井春樹先生がおられることがわかりました。
 お顔の様子がいつもの通りで、肌の色艶も若々しいので、伊井先生の数年上くらいに思っていたのです。

 話題となっている人の名前を思い出せないことが、先生と私で共通することでした。私の方が二回りも下なのに、加齢ですからとか老化ですね、と私の方が言い訳をするのですから、お恥ずかしい限りです。

 過日刊行した『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(2016年10月)の編集後記に、次のように書きました。


 本書との出会いは、国文学研究資料館に収蔵されてすぐの平成一六年に、室伏信助先生(跡見学園女子大学名誉教授)とご一緒に閲覧した時である。この「若紫」は、一時期は室伏先生のお手元にあったため、数十年ぶりのご対面の場となったのである。先生は、この本が棚にあった時には『源氏物語』の本文に興味や関心がなかったので、と当時を振り返りながら感慨深げに話してくださったことが思い出される。こうして身近にあるのだから、君もじっくりと本文を調べて、あらためて報告してください、とおっしゃったことばが忘れられずにここまで来た。あれから十数年が経過した今、遅ればせながら室伏先生に影印本としてではあっても、直接本書をお手渡しできることを嬉しく思っている。

 橋本本「若紫」の影印本を室伏先生にお手渡しできたことは、12年越しの宿題を果たしたことになります。ご恩返しの一つとなったことに安堵しています。

 先生は大先輩なのに、いつも気さくにお話ができます。優しい先生に感謝しています。
 近日中にまたお目にかかることがありそうです。
 東京にいるうちに、たくさんのお話を伺いたいと思っています。
 
 
 

2016年10月17日 (月)

浪速の四天王寺を散策する

 所用で大阪に来ました。空き時間を有効にと、天王寺にある四天王寺に立ち寄りました。
 石鳥居は、西の海に沈む夕陽を拝むように建っています。極楽往生を念じる聖地です。


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 額には、極楽への入口だと書かれています。


釈迦如来
転法輪処
当極楽土
東門中心

 ここは、お彼岸のたびに両親と来たものです。父が亡くなってからは、母と子どもたちとで毎年来ました。
 私の出身高校がこの近くなので、勝手知ったる地域です。
 高校時代は、この近くの図書館に籠もって本を読んでいました。

 西大門(さいもん、極楽門)から見る五重塔はみごとです。
 この塔は、昭和34年に再建されました。新しいもので八代目です。
 家族と何度も上りました。ワイワイガヤガヤと、一緒に来た日が思い出されます。


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 いろいろと欲張った願いを込めて、極楽門に取り付けられている転法輪(チャクラ)を回しました。
 心が清浄になりますようにという意味の「自浄其意」と唱えて、転法輪を右に回すのです。


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 亀の池も健在です。ここの亀は、愛嬌があって時の経つのを忘れさせてくれます。
 後方に六時礼讃堂があります。
 その前、写真右手の石舞台では、四天王寺の雅楽が舞われる所です。宮中(京都)、南都(奈良)と並ぶ「天王寺楽所」は、最古の様式を伝えているといわれています。

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 そこから南を望むと、工事中の中に「聖徳太子千四百年御聖忌」という幕が見えます。今、仁王門は見られません。


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 経木を流す亀井堂も、かつてのままです。
 お彼岸には、参道や境内で経木を買い求め、願い事と名前を書いて柄杓で流しました。


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 こうして、出歩くたびに懐旧の情に浸っていては、さらに前に進む推進力が弱ります。
 息抜きのための適度な回顧に留め、過去・現在・未来のことを思って体内のメモリを使い尽くすのではなくて、現在から未来を考えることに専念したいものです。

 新幹線の中で、うつらうつらとしながらここまで書きました。
 そろそろ日付が変わる頃ということもあり、まわりのみなさまはほとんどがお休みです。
 慌ただしいだけの日々の中にいます。時間が止まったかのようなこの空間は、なかなか居心地のいいものです。
 
 
 

2016年9月22日 (木)

興福寺が監修した駅弁を新幹線車内でいただく

 急用で大阪へ行くことになり、東京駅で珍しい駅弁を手にしました。
 興福寺が監修した駅弁なのです。


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 ご丁寧に、お品書きもあり、食材の説明も記されています。懐石料理を意識したものとなっています。

 糖質を気にし、薄味がいい私には、量も少なめということもあり、これは絶好のお弁当です。
 なかでも、「蒲焼もどき」(折の右下から2段目の少し黒く写っているもの)が気に入りました。豆腐に海苔を貼り合わせて素揚げして、蒲焼風に仕上げたものです。
 「田楽味噌」は、興福寺秘伝のレシピを再現したものだそうです。
 ご飯には、五色幕をイメージした「精進ふりかけ」がかかっています。
 まさに、精進料理のお弁当です。
 10月10日までの期間限定の駅弁です。旅のお供にぜひどうぞ。

 用事を済ませてから、お彼岸でもあるので、八尾の高安へお墓参りに行きました。
 春と夏に行けなかったので、久しぶりです。

 近鉄高安駅から、信貴生駒連山を望みました。
 我が家のお墓は、この高安山の中腹にあります。
 あの、『伊勢物語』にある「筒井筒」の段で知られる高安の里です。


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 信貴霊園から望む淡路島の方は、雲が垂れ込めていました。


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 この近在の学校が統合された話を聞きました。
 今年の4月から、中高安小学校と北高安小学校を統合し、旧大阪府立清友高等学校と大阪府立八尾支援学校東校跡地へ移転したとのことです。八尾市で初めての施設一体型小・中学校となったのです。
 眼下左にある、私が通っていた南高安小・中学校は健在です。もっとも、私がいた小学校だけは、もっと手前にありましたが。

 生まれ故郷の島根県出雲市古志町にあった小学校は廃校となりました。
 来週、池田亀鑑賞の授賞式のために行く鳥取県の日南町も、学校の統廃合がなされた町でした。
 全国の学校が、こうして減少しているのです。
 時の流れと共に、学校が整理統合されていくことを聞くのは寂しいことです。
 学校の賑わいを取り戻すことはできないのでしょうか。
 そんなことを想いながら、四国から六甲山の方角をしばらく眺めやっていました。
 
 
 

2016年9月19日 (月)

時の流れを忘れていた涸沼からの帰り

 涸沼(ひぬま)温泉では、美人の湯とされる「いこいの村涸沼」に泊まりました。
 湖畔の心地よい、ゆったりとする宿でした。

 チェックアウトの時に、宿の方からお土産としてジャガイモを2袋いただきました。宿泊客のみなさま全員に配っておられるのです。思いがけないプレゼントです。嬉しくいただきました。

 涸沼駅までの送迎バスをお願いしたところ、予約が必要だったようです。それでも、すぐに手配をしてくださいました。
 運転手さんと話をしながら駅へ。
 涸沼駅に着いて大洗行きの電車はと見ると、あいにく出た後でした。次はちょうど1時間後とのことです。
 ぽつんと佇む駅で、どう時間を潰そうかと思っていた時でした。さきほどの運転手さんが様子を見に来られ、それではということで大洗駅まで送ってくださることになりました。ありがたいことです。

 また、車中でいろいろいなお話を伺いました。
 何かと問題となっている、東海村にある原子力発電所のことや、霞ヶ浦や大洗海岸での釣りの話など、楽しく話を伺いました。

 大洗駅からは、すぐに水戸行きの電車がありました。幸運続きです。
 昨日から聞いていた、この大洗の町おこしとなっているアニメ『ガールズ&パンツァー』のキャラクターに、親近感を持つようになりました。駅も電車も、このキャラクターに包まれているのです。


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 無事に水戸駅に着き、東京までの帰りは電車かバスか迷った末に、来た時と同じようにバスにしました。乗り換えが便利で、リクライニングシートで、しかも安いという高速バスのありがたさを知りました。

 今回の旅は、時刻表を見ていませんでした。日常の延長でした。日頃の移動では、電車を待つことはほとんどありません。次々と電車がくるのですから。しかし、それは都会での生活にどっぷりと漬かっているからであることに、あらためて気付かされました。

 ふらりと来た気儘な旅の中で、いつもの生活が時間の流れにうまく乗るように、待つことをしないように組まれていることに気付くこととなりました。
 
 
 

2016年9月18日 (日)

井上靖卒読(207)茨城県の大洗海岸で「大洗の月」に思いを馳せるも叶わず

 東京駅(八重洲口)は、バスターミナルが整備されています。


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 そこからバスに乗って高速道を北東に向かうと、2時間ほどで茨城県の水戸駅に着きました。
 意外と近いのに驚きました。
 目的地は、井上靖の短編小説「大洗の月」の舞台となった大洗海岸です。

 昨日の記事「井上靖卒読(206)小説全357作品で評価【4】としたもの」で、短編53作品の内の「井上靖卒読(36)「大洗の月」」の舞台となっている地なのです。
 いつか行ってみたいと思っていた大洗に、連休に入った今朝、颱風が関東に来る前にと、急遽行くことにしたのです。

 経由地の水戸で、偕楽園に立ち寄ることにしました。
 観光案内所で丁寧な説明を聞き、「水戸漫遊1日フリーきっぷ」を手にバスで移動しました。
 偕楽園は梅の景勝地です。しかし、小雨の園内もいいものです。

 義烈館で徳川光圀の『大日本史』などの資料を見ていると、展示されていた古文書の中に「徳河」と書かれている箇所に目が留まりました。自筆の文献で「徳河」と書かれているものを探していたので、実際に確認できて嬉しくなりました。

 徳川斉昭によって建てられた好文亭は、中に入るとなおさらその良さが実感できました。
 まさにお茶の世界です。


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 この3階から見下ろすと、千波湖が視界に入ってきます。
 今日予定されていた野点をはじめとするイベントは、雨のためにすべて中止されていることが、正面のブルーシートからわかります。


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 水戸駅から大洗へ行くために乗った鹿島臨海鉄道は、1両だけのかわいい電車でした。


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 大洗駅前にあった寿司屋さん「寿々翔」は、駅前にある唯一の食事処だったので、どうしようかと迷いながら入りました。ところが、千円という安さが信じられないくらいに、おいしいお寿司でした。おまけに、突き出しとしてモズクに蟹身が入ったものと、甘エビの味噌汁が付いてきたのです。おやじさんもおかみさんも、いい方でした。大洗に行かれたら、海岸にたくさんお店があっても、ここも選択の一つにされてはいかがでしょうか。


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 駅前から海岸まで出ているバスは、一時間に一本です。しかも、今日は大幅に遅れているのです。
 とにかく、大洗は多くの人を集めています。それは、『ガールズ&パンツァー』という、今や大人気のアニメの聖地となっていることが主な理由のようです。
 そんなことはまったく知らずに来たので、最初は何が何やらわからないままでした。そう言えば、寿司屋さんにも戦車の模型が並んでいました。

 バスで大洗磯崎神社前で降り、目的の大洗ホテルへ行きました。


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 ここは、井上靖の「大洗の月」に出てくるところであり、次のような語られています。


佐川は水戸までの乗車券を持っている。三時五十五分に上野を出たこの列車は、途中土浦だけに停車して、五時四十五分に水戸駅へ着く。佐川は水戸から自動車で大洗に行き、会社から連絡を取らせてある海岸の旅館へはいる予定である。別に用事はない。急に思い立って、大洗の海岸で、九月の満月を見ようというだけの話である。(『井上靖全集』第四巻、111頁)

 この佐川が泊まったのが、ここ大洗ホテルだということです。

 「大洗町・アーカイブ」
の中に、「大洗町を訪れた文人とその作品」があり、そこには、次のような説明文があります。


②宿泊したホテル・旅館はどこか?
 ⇒「大洗町史」に「戦後アメリカ軍が占領軍第一騎兵師団を水戸・日立・土浦・古河に昭和20年9月1日に分駐した。磯浜には情報収集のためC・I・Cが設置された。昭和20年11月1日のことである。大洗ホテルがアメリカ軍に接収され、第45CIC地区分遣隊が置かれた。通称”大洗情報部”と呼ばれ、これに類する分遣隊は都道府県の行政単位に見合う全国37地区に設置されたという。ここには常にアメリカ兵2,3人が常駐し、日系2世も通訳として情報活動をしていた。」(p735)とあります。
 これに続いて、「なぜCICが大洗に設置されたのかについては定かでない。情報活動は、戦争犯罪人、超国家主義者、共産主義者など、あらゆる情報の収集にあたった。…このような情報活動は昭和25年4月7日、大洗ホテルの接収解除が行われるまで続けられたと推測できる。」(p736)ともあります。
 ⇒以上から、主人公が投宿したのは「大洗ホテル」と分かります。大洗ゴルフ場には近いですし、すぐ下が海で大小の岩礁が沖合まで散らばっていますし、100m程の所に小さな灯台(左の写真)が立っていますので、これらの点も矛盾がありません。
 なお、当時の3階建ての建物は、昭和○年に取り壊され、現在の○階建てのホテルは○年に竣工したものです。
 ⇒ちなみに、占領軍のインテリジェンス(諜報)や検閲を扱う総本部はG?2と呼ばれ、ほぼ全時期を通じて総指揮官はC・A・ウィロビーでした。G?2の下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と刑事を扱うCIC(対敵諜報部・Counter Intelligence Corps)が置かれていました。
③時代背景
 ⇒宿泊したホテルがこの間まで進駐軍に接収されていたこと、最近近くにゴルフ場が出来たこと、と書かれていますが、大洗ホテルの接収解除は昭和25年、ゴルフ場は昭和27年10月1日工事着工、昭和28年9月20日竣工式、10月25日オープンですので、(「この間まで」と「最近」をどの程度の期間幅で捉えるかが関係するのかもしれませんが、)ちょっと時間が合いません。
 「ゴルフ場ができた」に着目して、9月の満月をみようと書かれていること等から昭和28年9月13日のことと推測してよいかと思います。

 この大洗ホテルの喫茶スペースで、おいしいコーヒーをいただき、海岸に出てみました。


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 井上靖の「大洗の月」のことをフロントで聞いたところ、今は何も記録も資料も残っていないとのことでした。
 アニメで盛り上がっているこの町に、井上靖ではあるまいと思われたことでしょう。
 このホテルはみなさん親切で、大洗駅まで送迎バスで送ってくださいました。泊まり客でもないのに、恐縮しました。ご親切な対応に、感激しました。見どころも多いようです。折をみて、ゆっくりと来たいと思わせる大洗海岸でした。

 大洗駅から電車で一駅の涸沼(ひぬま)駅に向かいます。
 先頭の乗務員室の横から見る景色は、味わいのある懐かしいものでした。


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 今日の宿がある涸沼駅も、のどかさを味わう旅を実感させてくれるところでした。


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 ゆったりと温泉に浸かり、まだ腫れの引かない足を労っています。
 
 
 

2016年8月 9日 (火)

うれしい発見〈その1〉骨折して気付いたこと

(1)ノンステップバス
 ノンステップバスは、停車すると車高がスーッと低くなってドアが開きます。
 バス乗り場からバスの車内に入る時、車体のステップが舗道と平らになっていると、膝を高く上げなくていいので助かります。
 バスから降りる時も、ドスンと足を落とさなくてもいいので、足への負担が軽減されます。
 ただし、車体と縁石との隙間に、細心の注意が必要です。
 
(2)買い物用のカート
 スーパーマーケットにある手押しのショッピングカートは、便利な杖代わりとなります。
 両手でカートのグリップを握るので、姿勢もスッと伸びて安定します。
 左右の足への体重の掛け方も均等になるので、無理な姿勢で歩くことによる腰への負担が軽減されます。
 そして、一時的でも歩行訓練器になるのです。
 
(3)エレベータの中に椅子があった時。
 足が痛い時、エレベータの奥の隅に小さな椅子が置いてあると、気分的に楽になります。
 足にかかる体重を均等にしながらエレベータの中で立っていると、けっこう腰が疲れます。
 バスや電車のように、エレベータには吊り革がないのです。
 横揺れはないのでいいとはいうものの、吊り革がほしいときがあります。
 すべてのエレベータに手すりはあります。
 しかし、手すりに触れるのは、壁際のほんの一部の人だけです。
  
(4)階段の両サイドの手すり
 駅やビルなどで、階段の両側に手すりがあると、特に降りる時には大助かりです。
 階段が左か右に曲がる時には、そこに踊り場があります。
 左右のどちらに曲がる階段かで、手すりも左右のどちらを使うかが異なってくるのです。
 手すりは左右にないと、何かと不便です。
 
(5)降りのスロープと階段
 スロープは階段と同じように、登りよりも降りの方が足への負担は大きいようです。
 その降りのスロープで、平行して横に階段があると、状況に応じてどちらかを選べるので助かります。
 足首にギプスを嵌めている時は、少しの角度であっても敏感に傾斜角を感じます。
 ギプスで固定された足は、後ろに反り返れないからです。
 しかも、降りは膝だけで歩くので、前のめりになって危険です。
 そんな時には、階段の方を使うようにしています。
 
 
 

2016年6月 6日 (月)

味わい深い古書店と紛らわしい案内図のこと

 泊まっているホテルの真向かいに、何とも珍妙な「珍竹林」という古本屋さんがありました。


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 店内は、所狭しと本や冊子が山積みです。版本やら謄写刷りの冊子等々。
 おまけに、懐かしい玩具や写真に古道具と、見ていて飽きません。
 優しいお母さん、という感じのご主人が、店内を物色している私に「コーヒーを淹れたので飲みませんか」と声をかけてくださいました。
 今年の秋に閉店するそうです。そのため、すべて8割引になっています。

 専門書が多く、昔ながらの古書店ということもあり、来る人は限られていることでしょう。うずたかく雑然と本が積まれていたり、通路狭しと本棚やその前にぎっしり並んでいるので、お目当ての本との出会いはまったくの偶然に頼るだけです。いちおう分野別に分けられています。しかし、今はもう収拾がつかない状態となっています。とにかく、店内は意外と広いのです。

 私は、初めてみる大型本を一冊いただきました。1万円の定価の本が千円にしてくださいました。
 この秋までに北九州市にお出での予定がある方は、この黒崎駅前の古本屋さんに一度立ち寄っても損はありません。古き良き時代の古本屋さんがなくなる前に。

 もう一つ、こぼれ話を。

 昨日、松本清張記念館から小倉城を散策した後、森鷗外の碑を探した時のことです。
 紫川に架かる鷗外橋の袂に、「森鷗外・生誕百五十周年記念植樹/樹種 ”舞姫”」という標柱がありました。

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 その真後ろに、森鷗外の作品などを各面に彫った六角柱がありました。

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 あらためて、その周りを見回して鷗外の碑を探しました。しかし、それらしきものが見当たりません。

 近くにあった付近の案内図でその場所を確認すると、ますますわからなくなりました。
 問題です。次の4つの地図で、鷗外の碑はどこにあるでしょうか。

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 鷗外橋を遠ざかると、鷗外の碑の表示がなくなります。


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 時間ばかりが過ぎゆくので、鷗外橋の近くにあったレンタサイクル屋さんの案内所で聞いたところ、何とすぐ横の六角柱がそれだったのです。そして、地図を見せてくださいました。鷗外橋の手前右横(写真では下)に位置します。この地図で矢印が向いているところではなく、「文学碑」の「学」の辺りなのです。

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 鷗外の碑は、四角の棒柱だとばかり思っていました。そう思い込んでいたので、不確かな案内図の指示に惑わされ、しばし迷走しました。
 それにしても、この周辺の案内図では、この六角柱の場所がそうであることはわかりません。
 また、この六角柱に、これが鷗外の碑だという説明も表示もなかったように思います。
 そうしたことがわかってから、問題の周辺図があったところや、帰りがけに、碑の周りの様子を撮影しました。

 この場所の指示がバラバラだということは、こうした案内図を作成されたのは、それぞれ違う業者なのでしょう。
 また、この図面のチェックをした人も、それぞれ違う人で、みなさん現地をよく知らない方たちなのではないか、と思われます。

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 このことで予想外に時間を取られたので、トピックとして記し留めておきます。
 
 
 

2016年4月25日 (月)

法務局に書類を出して上京しゴジラを見る

 京都地方法務局で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款変更の登記手続きをしました。
 後は、5月10日に無事に登記が完了することを待つこととなります。
 こうした手続きは、わからないことだらけで、とにかく時間と手間がかかります。

 定款の変更箇所について、CD―Rにテキストで収録したものを提出することになっていたのです。もはや時代遅れのメディアであるCD―Rを取り出してきて、収録しようとしました。しかし、このような古いメディアの出番があろうとは思ってもみなかったので、CD―Rの作成に手間取ってしまいました。
 私のパソコンではすぐにできないことがわかり、何種類ものパターンで印刷物を作成してから、法務局へ行きました。しかし、行ってみると、CD―Rはなくてもよいとのことです。プリントアウトした紙で十分でした。
 このCD―Rの作成にかけた膨大な時間を返してほしい、と訴えたい気持ちを押し留めて、とにかく提出した書類を無事に受け取っていただきました。
 問題がなければ、2週間後に、登記が完了するのです。

 受理してもらうとすぐに、新幹線で上京しました。

 久しぶりに富士山を見ました。
 いつ見ても、いい姿をしています。


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 上京後、一仕事してから新宿へ出ました。
 月曜日だというのに、若者たちの熱気に圧倒されます。
 歌舞伎町を通り掛かった時、ゴジラを見かけました。
 このゴジラは、街行く人々に元気を与えているように思えます。


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2016年3月 8日 (火)

僧侶のネット派遣と人生最後の儀式の簡素化

 仏教に関する記事が、先週の毎日新聞(2016年3月5日)に2本も掲載されていました。朝日新聞は翌日だったので、2本同時だったかは確認していません。

 一つは、「お坊さんのネット派遣やめて」というもの。

 これは、全日本仏教会が2月4日に、法事への僧侶派遣サービスをしているアマゾンに対して、その中止を求める文書を発送したというものです。
 「お坊さん便」という定額手配サービスは、ユニークな角度から仏教を商品化したものです。宗教が持つ特異性が、商品としての価値を伴って売り買いされるのです。
 ただし、その定額制とお布施が持つ意味が、しだいにわからなくなってきました。

 もう一つは、「昔の葬儀にはもう戻らない?」という記事です。

 日本葬送文化学会の2月例会において、松岡泰正氏は講演で「業界」の実態を明らかにされたのです。
 現在の葬儀は、次の4種類だそうです。

 (1)一般葬
 (2)家族葬
 (3)直葬
 (4)ゼロ葬

 1990年代後半から取り組んだ「(2)家族葬」は、今は急速に増えているということです。しかも、(3)や(4)が「加速度的に進んでいる」ということなのです。

 我が家で言えば、1983(昭和58)年に亡くなった父は「(1)一般葬」でした。2004(平成16)年に亡くなった母の場合は「(2)家族葬」でした。
 私の場合は、「(3)直葬」もありか、と思っています。

 記事には、次のように記されています。


日本人の葬儀はいま、都市部でも地方でも、ワタシ(個人)の手の中にある。あとは自分が「あの世」を信じるかどうか。信じなければお坊さんも必要ないか……。

 家や自分の宗教と葬祭が切り離されている現在、ますますそのありようは変化していくことでしょう。

 2008年に公開された映画『おくりびと』(Departures)は、第81回アカデミー賞外国語映画賞と第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞しています。いい映画でした。
 この映画の世界は、近い将来には、懐かしい日本文化となってしまうようです。

 最近は、遺書や終活のことが話題になっています。
 この人生最後の儀式については、さらに変移していくことでしょう。
 私も他人事と思っていました。しかし、私も近々行くかもしれないあの世について、いろいろと考えさせてくれる記事でした。【4】
 
 
 

2016年1月 3日 (日)

大阪上本町でテニス仲間と母校訪問後に飲む

 高校時代のテニス仲間から呼び出しがかかりました。
 仲間の一人が大阪日赤病院に入院したので、お見舞いがてら行って、それから飲もうや、と。

 明日私は上京するので、お正月三ヶ日の最後は気分転換を兼ねて、高校時代を過ごした大阪へ出かけました。
 この仲間とは、機会を見つけては会っています。と言っても、二、三年に一度ですが。

 大阪赤十字病院には、大阪で高校の教員をしていた30代に、手術で1ヵ月ほど入院したことがあります。『データベース・平安朝日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』(同朋舎、1988年)は、この入院中に仕上げた仕事です。娘もここでお世話になりました。満州からシベリヤへと労苦を背負って生き抜き、山一証券で燃え尽きた父は、ここで息を引き取りました。

 その我が家にとっては馴染みの病院が、何と目を疑うほどに様変わりしていました。
 当時あった正門が、こんな風景になっていたのです。


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 近鉄上本町駅からまっすぐに来たはずが、あまりの変貌ぶりに目標を見失い、新しい病院を、ぐるりと一周してしまいました。鶴橋駅からのほうが近かったのです。


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 ICUに年末の11日間も入っていたという仲間は、予想外に元気でした。
 10階の病室から、一緒に通った高校が眼下に見えます。
 看護士さんにお願いして、談話室に歩いて移動する許可がもらえました。
 久しぶりに自分の足で病室からでられたことで、気分が相当楽になったようです。
 自転車に乗っていて、予兆もなく突然気を失ったとのこと。
 よくぞ生きて会えたことです。幸運に感謝するしかありません。

 この上本町の周辺が懐かしいので、かつての母校に立ち寄ることとなりました。
 敷地は同じ所にあります。しかし、校舎は新しくなっていました。
 半円の会館のイメージは残っていました。


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 我が母校は、谷崎潤一郎の『細雪』の冒頭に出てくる学校です。私が谷崎の作品のすべてを読み直しているのは、この『細雪』が原点となっているからです。
 校門の前の道は、50年前と同じです。ただし、道幅は2倍に拡幅されています。奥の狭い道は、当時のままです。


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 中に入ると、卒業生ならということで、おじさんが少し説明をしてくださいました。我々は新制の22期です。今年は、110周年を迎えるそうです。校庭の横に建っている「沿革碑」の歴史を見て、昭和45年に卒業した私が育った時の流れを再確認することになりました。


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 朝から晩までテニスに明け暮れた日々を思い出す校庭は、当時とはその場所も広さも違います。
 運動会は、この街中の校庭ではできないということになり、3年生の時には長居公園の中にある長居陸上競技場で行いました。


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 高校の隣にあった病院も、高校と敷地を交換しただけで、ほぼ同じ場所に建っています。
 私がテニス浸けだった日々、テニスコートの真上にあった病室から、入院中の若い女の子がじっと練習を見ていてくれたことを、今でも鮮明に思い出せます。


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 偶然とはいえいえ、娘はこの病院で生まれました。
 高校といい、病院といい、私にとってここは、思い出の空間なのです。


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 50年ほど前に通った道を当時のテニス仲間と歩きながら、上本町にある行きつけの飲み屋さんに入りました。
 話題は、御多分に洩れず病気の自慢話で盛り上がります。
 私は、父親の川柳句集の題名と同じ「ひとつぶのむぎ」をいただきました。
 おいしいお酒でした。

 今夜の梅は、白梅がきれいに咲いていました。
 お正月三ヶ日に間に合い、紅梅と白梅がこれから競うことになります。
 ただし、私は明朝、息子の手術があるので上京します。
 この梅の競演が見られないのが残念です。


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2015年12月15日 (火)

車中でスマホ列に挟まれて文庫本を読む

 通勤で私が電車に乗っている時間は、だいたい1時間半ほどです。
 その間は、カバンから取り出しやすい文庫本を読むことにしています。

 ほとんど座れる経路なので、私はシートで本を読みます。
 立ったままの時は、吊革を持ちながら読みます。

 最近は、本を取り出す前に周りを見渡すようにしています。
 スマートフォンや携帯電話を操作する方が多いので、そのスマホ列の間に挟まって本を手にするのが、場違いな雰囲気の時があるからです。
 自分だけが孤立したくないのと、スマホ集団と化した若者たちの中で、目立ちたくないという思いもあります。
 この、車中で本を読むことが目立つようになった、ということ自体が、社会の変化に違いありません。

 今日も、目の前の横長のシートには、スマホを弄る人々が居並んでおられました。中に一人だけ、ノートパソコンを操作しておられる方も。
 たまたま、シートの真ん中に座っていました。偶然なのでしょうか、私の両側はみごとにスマホ列となっていました。

 そんな中で、印刷物としての本を取り出すのは、なんとなく気遅れします。
 しかし、読みかけの本を帰りまでに読み終えたいので、勇気を出してカバンから取り出しました。
 自然に本を取り出して読み出せないのは、周りの方々と違う行動をするからなのでしょう。悪いことをするわけでもないのに、変な心理が働きます。

 電車の中で印刷された本を読むことが珍風景となったのは、東京では3年前あたりからではないでしょうか。

 みなさんが電子本を読んでおられるのではありません。
 ほとんどの方がゲームのようです。
 インターネットで調べ物や、メールの遣り取りをしている方も多そうです。

 公園や喫茶店を通りかかった時、本を読んでいる人を見かけることがよくあります。
 街中の読書スペースが、近年は移り変わったのでしょうか。

 車中でしばらく読んでいて、本のページをめくる時に顔をあげました。すると、いつからか私の前に立っておられた5人の方が、選りによって、みなさんスマホの操作をしておられました。
 思わず、どきっとしました。私に呪いでも掛けようとしておられるのでは、と思ったからです。

 こうした光景は、心臓によくありません。

 もくもくと操作をしておられる方々を眺めるのは遠慮して、自分も本を読むことに集中することにしました。
 隣がガチャガチャと音楽を聴く人でないかぎり、車中でスマホに熱中している方の隙間で本を読むのは、意外と集中できることを実感しました。
 
 
 

2015年9月21日 (月)

河内高安へお彼岸の墓参に行く

 春と秋のお彼岸の墓参は、忙しいときには家族に任せるようになっていました。
 今年は、お盆に引き続き、お彼岸にもお参りして来ました。

 行きには、乗り換え駅である鶴橋で、いつものように回転寿司屋へ入りました。
 最近は、身体に力をつけるために、少しご飯を食べるようにしています。
 そうなると、やはり回転寿司しかありません。

 信貴霊園に新しくできた山門は、今夏は何となく不似合いな雰囲気でした。しかし、今日は目が馴染んだせいか、いかにも墓参に来たという感じを抱かせてくれます。


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 その手前にあった六地蔵の横には、手水場の龍と鶴が置かれています。これには、まだ違和感があります。


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 眼下には、北西に六甲山や阪神地域が望めます。


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 南西には、澄み切った日には淡路島越しに四国方面が見えます。
 今日は見えません。


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 高安山を経由して信貴山へ行くためのケーブルカーに、今年は阪神タイガースが元気なのでその姿に勢いが感じられます。


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 もし阪神が優勝でもしようものなら、寅参りのファンでこの信貴山口の駅はごったがえすことでしょう。

 今日は信貴山温泉に立ち寄るつもりでした。しかし、何となく身体が怠いので、またの機会にすることにしました。
 
 
 

2015年6月28日 (日)

標識が設置された井上靖ゆかりの曽根の家

 今朝は、受賞者の滝川さんと一緒に、生山駅に行く途中で、井上靖記念館に立ち寄りました。
 野分の館に上る手前の詩碑で、きれいな紫陽花を見かけました。


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 『通夜の客』の舞台ともなっている、福栄にある井上靖の家族が疎開していた地には、新しく標識が設置されていました。
 この入口は狭いので、標識はありがたい配慮です。


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 文豪 井上靖 ゆかりの地
 「曽 根 の 家 跡 」入口
    (平成26年設置)
  福栄まちづくり協議会

 また、井上靖の家族が疎開で住んだ家である「曽根の家」の跡地には、間取り図が掲示されていました。これも、昨年平成26年に設置されたものです。


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 この曽根の家の間取り図は、どなたの手に成るものか記されていません。
 私が、2010年3月17日と2011年3月12日の2度にわたって、「野分の会」の代表である伊田美和子さんから聞き取った図と、少し異なるようです。

 曽根の家の間取りについては、下記2つのブログに手書きの図を掲載しています。見比べられるように、再掲載します。


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「井上家の疎開先としての日南町(3)」(2010/3/17)
 
 

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「日南町の井上靖(1)」(2011/3/12)

 囲炉裏があった場所や、物置き、馬屋等々、これらは再確認が必要です。

 聴いた話によると、今後はこの地区の家々に、もっと屋号の標識を掲示するそうです。来るたびに、少しずつ訪問者に優しい配慮がなされていくのは、ありがたいことです。

 昨日、役場のそばを車で通った時に、コメリという大きなお店を見かけました。最近できたのだそうです。これまでは、パセオというスーパーマーケットが一軒あっただけでした。

 今日伺うと、コメリの隣に24時間営業のローソンも最近できたとか。
 日南町は、少しずつ便利な町になって行くようです。
 
 
 

2015年4月28日 (火)

光輝く東都から水彩の西都へ

 東京駅で、いつものように新幹線の先頭車輌である1号車に飛び乗ろうとした時です。

 丸の内から皇居方面に目をやると、ビルの中の1部屋ずつを照らす明かりが、光の絵のように見えました。
 発光するタイルを規則的に貼ったモザイク画のようです。
 発車まで、しばらく眺めていました。


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 そういえば、新幹線の鼻をじっくりと見たのも初めてです。
 いつも、慌ただしく列車に駆け込んでいるので、あらためてホームのおもしろさを知りました。


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 見ていると、大勢の人が車輌に吸い込まれて行きます。
 待つ人、乗る人、自動販売機に走る人。
 人の動きは単純です。
 しかし、見ていて飽きません。
 それぞれが、思い思いの目的をもって、これから夜の東海道を移動するのです。

 2時間ほどの車内では、しっかりと仕事ができました。

 京都駅前では、いつもの水芸が始まっていました。


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 蝋燭型の京都タワーと七色の水しぶきは、意外と和の雰囲気を醸し出し調和しています。
 音楽が軽快なクラッシックであることも、旅人の気持ちを明るくします。
 仲のよさそうな2人が立ち止まり、魅入り聞き入っているのを見るのも、これまたいいものです。

 しばらく光と音のショーを見てから、京都タワーの向こうにあるヨドバシカメラの地下へと急ぎました。
 夜10時まで開いているグローバルキッチンで、少し贅沢な食材を手に入れるためです。
 螢の光りが店内に流れる中、私が大好きなクジラの尾羽活けとホタルイカ、そして四つ葉の牛乳にクリームチーズ。
 みんな定番となっている、私のお酒のおつまみです。
 
 
 

2015年4月13日 (月)

気分転換の外泊と気ままなスイミング

 このところ根を詰めて取り組んでいる仕事が、いつまでやっても終わりそうにありません。
 出口がまったく見えないので、惰性のようにキーボードを叩き、画像を見つめる日々です。
 そうこうしている内にいつかは終わるはずだ、と自分に言い聞かせる、まさに修業中です。

 そんな中で、今夜は近県のホテルに足を留めています。

 久し振りにプールでひと泳ぎしました。20メートルほどのレーンが3つあるプールには、一組の外国の方がいらっしゃるだけでした。それも早々に上がられたので、後は一人でのんびりと水に浸かっていました。

 青く透き通った水の中で手足や首のストレッチをしながら、何年ぶりなのだろう、とあれこれ思いをめぐらします。何往復しても、この前に泳いだ記憶が蘇らないので、違うことを考えることにしました。
 私は泳ぎながら、いろいろと思い出したり考えたりするのが好きなのです。

 部屋に帰ってから、「無料高速インターネット接続手順」と表記されているシートを片手に、持参のパソコンにつなげようとしました。しかし、シートは日英併記なのに画面表示が英語主体です。おまけに手順がよくわからなくなり、フロントに電話をして教えてもらいました。海外ではこんなことはないのに、国内で表示された画面の理解に戸惑うとは……
 ここは日本なのにと、何やら不可思議な気分になりました。

 ここは、海外にもある、よく知られたホテルです。
 これまでに、エジプト・カイロとロシア・モスクワで泊まったことがあります。

 カイロでは、楽しい体験がありました。2005年の10月のことでした。
 このホテルチェーンらしく、博物館に近い立派なところでした。ただし、売り物の無線LANが部屋からは使えず、ロビーにパソコンを持って行ってつなげました。しかも、おそろしく遅い 無線 LAN だったので、画像などを送ることは断念しました。
 今残っている当時の記録は、あまり詳しく再現できないのです。サーバーがクラッシュしたために、いまだに復元できない記事が多いのです。

「【復元】人との出会いの背景にあるもの」(2011/2/3)

 モスクワでも、得難い体験をしました。
 この時は、有線の LAN でした。この時の記事も、断片しか復元できないままです。

「【復元】モスクワの旅(3)」(2011/4/5)

 そんなことが思い起こされ、ここが日本であることにあらためて気付きました。
 そんな中で、 Wi-Fi の無線 LAN に接続できても、あまりにも遅いので辟易しました。横に LAN のコネクタとEther ケーブルがあります。しかし、MacBook Pro をEther に接続するコネクタを日本で持ち歩くことはないので、それを使うことができません。

 ものは試しと、手持ちの iPhone によるテザリングでネットに接続すると、これは快適なのです。
 他のお客さんは、この遅い Wi-Fi の無線 LAN を使っておられるのでしょうか。
 800以上も部屋がある大型ホテルなので、無線が混信しているのでしょうか。

 さて、いつからスイミングと遠ざかっているのか、ということでした。

 こんな時には、日々記しているブログは便利です。日記なので、自分のこれまでの足跡が、いつでも確認できるのです。自分の過去は、知りたくもない、思い出したくもない、という方がいらっしゃるかもしれません。しかし、私は後ろを振り返り、自分を確認しながら前に向かうことがよくあります。

 2011年秋に、それまで長く続けていたスポーツクラブを辞めてからであることが、すぐにわかりました。京大病院で胃ガンの手術を受けて1年後なのです。いろいろと考えた末の、新しい生き方を模索している中でのことだったのです。

「スポーツクラブを退会」(2011/9/30)

 今は、ウォーキングをしています。しかし、こうして泳いでみると、張りつめた日々の中での息抜きと体調管理をしていた頃を思い出しました。しかも、銀座で夜中に泳いでいたので、今とはまた違う、何かと刺激的な日々だったのです。

 ゆったりと泳ぎながら、緊張感まっただ中のあの頃を思い出しながら、あらためて今はまた違う質の高い日々に身を置いていることを実感しました。

 気分転換となった、いい一夜です。
 
 
 

2015年3月28日 (土)

東と西の心浮き立つ桜が開花

 都内は、もうお花見ができます。
 相変わらず、連日長距離の移動をしているので、いろいろな桜が観られるのです。

 深川の宿舎の入り口の桜は、もう見頃に近い開花です。


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 黒船橋から中央大橋を臨む大横川では、桜祭りの川船が用意されていました。


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 多摩地区の立川では、まだもうしばらく待たされそうです。
 自治大学の前の通りは、まだ蕾でした。


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 国文学研究資料館の横の通りも、固い蕾です。


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 渋谷を通りかかったら、ハチ公の上から桜が覆うように咲いていました。


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 日比谷図書文化館を背景にして、日比谷公園の夜桜を撮りました。


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 その帰りに、深川の宿舎の夜桜もきれいでした。


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 開けて今日は、歌舞伎座の横にある銀座区民館で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の会合がありました。2年間の活動を通して、定款の見直しをすることになり、主だった者が集まって意見を交わしたのです。
 4月末の総会で、新しい定款が認められると思います。その詳細は、また報告します。

 午前中の会合を終えてから、帰洛の途につきました。

 京の桜はまだ咲き初めたところのようです。
 自宅近くの白河疏水通りの夜桜は、これからみごとな花を咲かせます。


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 心浮き立つ、大好きな桜の季節到来です。
 
 
 

2015年1月12日 (月)

観音崎灯台で『球形の荒野』を想う

 連休はほとんどの予定が、突然の歯痛のためにふっ飛んでしまいました。
 唯一出かけたのは、三浦半島にある観音崎。
 浦賀駅からバスで行きました。


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 バスで鴨居港を通過する際、車窓から「どんど焼き」という小正月の無病息災を祈る、火祭りの行事をみかけました。


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 私が生まれた出雲地方では「とんどさん」と言っていました。平安時代には宮中で「左義長(三毬杖)」という行事を、正月15日にやっていたとか。調べるとおもしろいことがわかりそうです。

 雲一つない空の下、観音崎の対岸には千葉の浦々が望めて、気持ちのいいところでした。
 東京湾を隔てて房総半島まで、たった7キロしかないそうです。


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 ちょうど、水仙が見ごろでした。


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 レストランも本格的です。観光地と思って入ったのに、うれしい誤算のおいしい料理をいただくことになりました。お店の方も感じのいい方たちだったので、房総半島と太平洋を見ながら気持ちよく食事をしました。


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 その後庭から岸壁を見下ろしながら、松本清張の『球形の荒野』(監督・貞永方久、1975年、松竹)が撮影された場所を想像しました。
 芦田伸介(野上顕一郎)が島田陽子(野上久美子)と一緒に、この観音崎の岩場で「七つの子」を歌うラストシーンが印象的な映画です。
 しかし、この日は上空をトンビの大群が飛び回っていて、不気味さ混じりで身を竦めながら、レストランの庭を歩くことになりました。


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 私が好きなこの映画『球形の荒野』について書いた過去のブログには、次のものがあります。

「テレビドラマ『球形の荒野』は「後編」に期待」(2010/11/27)

「テレビドラマ『球形の荒野』(後編)を観て」(2010/11/28)

「【復元】初夏の散策(9)萬葉の白毫寺」(2011/9/20)

 少し山登りをして、観音崎灯台に行きました。その道中では、自然の雄大さを感じられる石に圧倒されます。


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 観音崎灯台では、受付の方が親切にな説明をしてくださいました。


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 高所恐怖症の私は、灯台の上へは恐る恐る登り、狭い展望デッキの壁にへばり付いて半周だけして、すぐに降りました。

 目の前の浦賀水道を眺めていると、今日は対岸に東京スカイツリーが見えると、先ほどの受け付けの方が教えてくださいました。しかし、私にはよく確認できませんでした。
 今、写真を拡大して見ると、煙突から煙が上がっている右横に、確かに見えます。


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 ペリーの黒船来航のことや、坂本龍馬がここを通ったとかいう話を思い出しながら、しばし日常を忘れる静かな時間を持つことができました。
 
 
 

2014年12月30日 (火)

歳末に河内高安の里へ墓参

 今日は風が少し温く感じられる歳末となりました。
 鷺と鴨も、ゆったりと賀茂川で年の瀬を迎えています。


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 今年の夏も如意ヶ岳の送り火で賑わった大文字は、人に気付かれまいとするかのように、静かに新年を迎えようとしています。


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 京阪の出町柳駅から大阪京橋駅と鶴橋駅、そして河内山本駅と乗り継いで、我が家のお墓がある終点の信貴山口駅に着きました。2時間の小旅行です。


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 お墓をきれいにし、お花とお菓子をお供えしました。
 少し曇っていたこともあり、眼下には淡路島や四国を望むことはできませんでした。
 手前に、私が通った南高安小学校と南高安中学校の跡地が見えます。


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 帰りの鶴橋駅前で、いつものように回転寿司をいただきました。ここは、ボリューム満点の海鮮サラダがあるので気に入っています。


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 ほとんどのお寿司屋さんでは、サラダを置いていません。しかし、お寿司の健全な発展の観点からも、ぜひサラダを置いてほしいものです。お店でサラダのことを聞くと、小馬鹿にした対応をされる寿司屋さんが大半です。しかし、いずれその勘違いに気付かれると思います。
 お寿司屋さん、一日も早く気付いてください。もし意地でも置かないというのであれば、野菜を取り入れたお寿司を何か一つは考えて用意しておくべきです。

 日本のお寿司は、日本固有の文化を体現するものということに拘った頑固さと、食通を自認する人が回転寿司を極端に軽蔑した結果、世界的に寿司文化から取り残されてしまいました。日本でのお寿司は、ガラパゴス化し、世界的には孤立しています。微かに、プライドだけで和食という看板にしがみついています。痩せ我慢はもういいと、私は思っています。

 サラダについては、日本でお寿司が生き残りるためにも、ぜひとも意識して置くようにしてほしいものです。いつもの持論ですみません。

 帰りの京橋駅の広告で、「あびこ観音」への初詣の看板をみかけました。
 ここに「あびこ」という平仮名が書かれています。この「び」の字母は何でしょうか。


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 私は、変体仮名の翻字の説明をする時に、「ひ」の字母について、1つの点で始まったら「比」、2つの点で始まったら「飛」が字母である可能性が高い、と言います。
 そう思って見ると、この「あびこ」の「ひ」は、2点ではじまると見られるので、この「ひ」の字母は「飛」かと思われます。しかし、中盤からこの字母は「比」となっています。

 もちろん、平仮名の字母を特定できない字体は多いので、これも芸術的に字母の混在を意識したものだとか、無意識にこうなったとも言えるのかもしれません。しかし、この「あびこ」の「ひ」を、私は悩ましく見てしまいました。それだけ、平仮名の字母など関係ない、「ひ」という音さえ伝わればいいということなのでしょう。

 明治33年に、平仮名は1文字に限定して国民に強制し統制されてきました。その日本語の歴史の中を生きる現代人にとって、今の1字1音で不便は感じていないと思われます。しかし、まだこの平仮名は、たかだか100年ほどの歴史しかないものです。
 将来、子孫に矛盾の多い平仮名を使って何とも思わなかったことを笑われないように、それなりの理論武装をしておく必要を痛感するようになりました。
 これは、明治33年に平仮名から外された変体仮名のありように関する問題です。この1字に統制された背景については、今後とも調べていきたいと思っています。

 帰りに、賀茂川と高野川の合流地点である出町柳で、北山を遠望しました。正面の三角州の向こうには糺ノ森が広がり、その奥に下鴨神社があります。
 今年も、元日の初詣は下鴨神社にお参りする予定です。


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 お節料理の買い物は、鯖街道の終点である出町の桝形商店街でしました。
 花屋さんの軒先に、今日行った高安から信貴山を越えた大和平群の菊が積まれていました。
 北の若狭ではなくて、南の大和から運ばれてきた菊なのです。
 高安も平群も、私が長く住んだところなので、これも縁だと思い写真に収めました。


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 今年もあと1日となりました。
 息子がお節料理を作る手伝いに来てくれました。
 慌ただしく今年も暮れていきます。
 
 
 

2014年12月28日 (日)

姉の家へ年末の挨拶に行く

 阪急芦屋川駅の周辺は、谷崎潤一郎の『細雪』の舞台としてよく知られています。


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 その芦屋川駅からバスに乗り、有馬温泉に向かって20分ほど山道をくねくねと登った、芦有ドライブウェーの中に姉の家があります。標高500メートルはあります。何度か山登りを兼ねて、歩いて行ったものです。

 今年の5月に六甲山中にある家に行ったことは、「退院した義兄のお見舞いに芦屋へ行く」(2014年05月03日)に記した通りです。

 義兄が持病の手術で過日入院し、今週退院されたばかりとのこともあって、今年も押し詰まった今日、妻と共に訪問しました。


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 雪こそまだ積もらないものの、寒さは厳しい地域です。
 先月は、義兄のお父さんが98歳でお亡くなりになりました。
 年が明けた来月には99歳になられるので、白寿のお祝いをする予定だったそうです。
 病気ではなくて老衰とのことなので、天寿をまっとうされたことになります。

 庭で採れた柚尽くしの料理をいただきました。
 お昼から夕方まで、尽きない話に花が咲きました。

 みんな元気で歳を重ねていることを、話をする中であらためて確認しました。
 幸運に感謝しながら、来年こそは歩いてこの山を登って訪ねたいとの思いを強くしました。
 
 

2014年12月14日 (日)

千代田図書館の展示「古書目録のここが好き!」

 一昨日、本ブログで「新春刊行予定の『日本古書目録大年表』のこと」(2014年12月12日)と題する記事をアップしました。

 この古書目録に関する展示が、再来週から千代田図書館で開催されます。
 古書目録の魅力を多くの方に知っていただきたいので、ここにそのイベントのパンフレットを紹介します。

 古書目録は、一時の古書売買のための冊子です。
 しかし、そこには人それぞれに思いがけない出会いと恩恵を受ける情報が盛られていることがあります。
 目録の楽しさや面白さを知る機会になるかと思います。

 千代田区立千代田図書館にある「古書販売目録コレクション」へのお誘いを兼ねて、ここに紹介するものです。
 さらに興味をお持ちになった方は、ぜひとも私の調査にも参加してみませんか。
 本ブログのコメント欄を活用して連絡をいただければ、返信で今後の調査の予定をお知らせします。


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2014年11月24日 (月)

文学フリマに行き若者たちを頼もしく思う

 「第19回 文学フリマ」に行ってきました。
 入口で、こんな冊子をもらいました。

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 今回のイベントの概要は、「文学フリマWebカタログ+エントリー」をご覧ください。

 「参加サークルの詳細な情報」も確認できます。

 とにくか、純文学と言われる小説での参加サークルの多さに圧倒されます。

 日本の大学から文学部がどんどん消えていき、文科系に国の予算も付かなくなり、しかも文学書が売れない、と言われて久しい昨今。
 ところが、想像を絶するほどの盛況を見せる文学のイベントが開催されていたのです。

 会場は、東京モノレールで「流通センター駅」徒歩1分の、東京流通センター第二展示場。


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 参加サークルは700以上。


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 1階も2階も、作品を並べる出店が所狭しとひしめき合っています。
 本や冊子の表紙はアニメ調が大半です。しかし、中は文字で綴られた文章で構成されています。ライトノベルとも違うようです。
 つまり、大半が純文学を指向する傾向が顕著です。

 若者たちには、文字で表現するパワーが漲っています。これだけの力を、結集しない手はありません。これからの文学のありようを考える上で、無視のできない流れを感じました。一口にポップカルチャーの流れという一語で済ませられないのです。

 出店されている作品は、だいたい一部300円ほどです。
 見本誌もずらりと並んでいます。


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 ただし、私が買って読もうと思った作品はありませんでした。

 男色や熟女の出店が3つほどありました。周りが、純文学を目指す若者の熱気と爽やかさに満ちていたので、その影は薄かったという印象です。

 純文学と言っても、その表紙のほとんどがアニメ風です。しかし、その中に書かれている文章は、表紙とは異なる真摯な若者の思索の痕が見られる言葉が印刷されています。

 文字を読むだけではなくて、耳で聞く文学はないかと見回したところ、2店ほど目に入りました。

 また、評論の部には、福永武彦研究会や日本ジュール・ヴェルヌ研究会などなど、硬派もありました。

 今後の予定は次のようになっています。
 来年も楽しみにして、さらに多くの雑誌や冊子を手にしたいと思います。

【4/19 第一回文学フリマ金沢】
【5/4 第二十回文学フリマ東京】
【9/20 第三回文学フリマ大阪】
 
 
 

2014年11月23日 (日)

金沢文庫から八景島を散策

 久し振りに京急電車に乗りました。窓が大きいので、戸外の景色がよく見えます。連休2日目の今日も快晴です。

 1999年4月に奈良から上京して、金沢文庫の宿舎に入りました。2007年8月までの8年間、単身赴任生活を送った地です。
 毎晩、駅前のスポーツクラブで、泳いだりマシンを使ったり踊ったりと、汗を流していました。
 職場の同僚が6人もいたので、楽しい生活をしたところです。私の部屋が、よく宴会場になりました。「クラブI」と言う人もいました。

 近くには、称名寺で知られる金沢文庫があります。
 海にも近く、潮風が感じられました。

 今日は、駅前の商店街で、「祝60周年 ふれあいシティ金沢文庫」というイベントをしていました。
 いつも通勤で通っていたすずらん通り商店街の入口そばの高架下では、ちょうど和太鼓を響かせているところでした。


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 かつての宿舎は、そのままありました。
 ただし、仲間の一人が入っていた、写真左側の棟は閉鎖されていました。

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 懐かしさのあまり、すぐ前にあるユニオンというマーケットでお弁当を買い、海辺へ出て松林の中で食べました。漁港に恵まれた地なので、魚がおいしいのです。


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 目の前の八景島シーパラダイスは、上京した子供たちが大好きなところで、来ると必ず連れて行ったものです。左の青いポールは、てっぺんから垂直に落下するものです。右のジェットコースターは、海の中を走るのでスリル満点です。いずれも、私は苦手なので一度も乗っていません。

 当時の写真を一枚だけ見つけました。


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 手前の入り江では、多くの人がウインドサーフィンを楽しんでいます。

 今住んでいる深川の宿舎は、職場が品川から立川に移転したことに伴って移って来たところです。そのため、今ある家財の多くは、この金沢文庫の京急ハウツと京急ストアで購入したものです。
 単身赴任ということで、生活用品の多くを買い揃えたショッピングモールなので、ここも懐かしくて足を向けました。相変わらず活きの良い鮮魚が並んでいます。
 今夜は、この神奈川沖の魚がおかずです。
 
 
 

2014年9月28日 (日)

バンクーバーで豆腐牛丼を食す

 移動中の駅で、駅員さんと盲導犬に挟まれるようにサポートされ、エレベータに向かう方を見かけました。
 足元の黄色い線は、日本でみかける凸型の突起がありません。フラットです。どのような仕組みになっているのか、写真を見ながら、今そのことに気付き興味を持っています。

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 ウォーター・フロント駅前の地域は繁華街ということもあり、お寿司をはじめとして日本食や寿司屋さんが目に付きました。


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 その中でも、おいしそうな丼物屋さんがあったので入りました。


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 中の雰囲気からして、日本人を意識したお店だったので、糖質制限食を作ってもらえないかと聞いてみました。すると、私のリクエストをすべて叶えたものが作ってもらえたのです。これで、15カナダドルです。


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 このお店にとっても、前代未聞の特製豆腐牛丼です。ようするに、もめんの冷ややっこと牛皿とシーフードサラダなのです。エクストラ料金はとられませんでした。
 帰りに少しチップを多めに渡し、というか空き缶に投入し、作ってくれたお兄さんにお礼を言ってから店を出ました。

 私は、チップは極力渡しません。チップが生活費の足しになっている、と言う方がいます。この国は、15パーセントのチップが一般的なようです。しかし、私はそれは甘えを助長することであり、依存体質に手を貸す悪しき観光客に成り下がっていると思います。インドがまさにその典型です。外から来た者がお金をばらまく行為は、その国をやがて疲弊させます。

 生活費に関することなら、経営者との労使交渉で解決すべきです。それを、店側が観光客にたかるのは筋違いです。
 実は、チップが足りないと言って、こちらが出したお金を拒否した中華料理店がありました。アホか、と思いましたが、言ってわかる人たちではないので、あげたくもないチップを軽蔑の気持ちを込めて出しました。

 そのビール会社の名前を冠したお店は、ガイドブックに紹介されている程の人気の中華料理店でした。しかし、強引にむしり取る行為は、観光客の見せかけの善意に擦り寄った、喜捨の強要にしかすぎません。これは、民族性の問題に加えて、甘えの体質にマヒした現象だと思われます。自助努力の履き違えです。

 今回入った「きたの丼」というお店は、レジの横にチップを入れるための空き缶がありました。
 私は帰りがけに、自らの意思で、感謝の気持ちを込めて、目安とされている15パーセントよりも多めのチップを投入しました。
 
 
 

2014年9月 7日 (日)

平安絵巻の岡崎から信貴山縁起絵巻の平群へ

 岡崎公園の中にある京都府立図書館で借りていた本は、過日東京からネットで延長手続きをしていました。しかし、今月から来月にかけての週末は、すべて予定が詰まっています。直接返却に行けません。自宅近くにある京都府立総合資料館に返却することも出来ないようなので、自転車を飛ばして岡崎へ行きました。

 図書館がある平安神宮周辺は、秋の観光客で大混雑しています。のんびりと旅をしたいなーっと思いながら、しばらくは館内で調べものに没頭しました。

 午後は奈良でお茶のお稽古があるので、京阪三条駅の駐輪場に自転車を置きました。12時間で200円です。

 京阪三条駅から丹波橋駅まで出て、そこから近鉄に乗り換えます。さらに、大和西大寺駅と生駒駅で乗り換ると、目的地である元山上口駅へ行けるのです。

 今日は、茶箱を使った卯の花と、前回同様に運びの薄茶のお稽古をしました。
 卯の花は、かつて一度だけやりました。袱紗を腰に着けないことや、柄杓を使わないことなど、細かなところが違います。その微妙な違いが、中途半端に知っていることと混乱するので、かえって悩ましいことになるのです。
 薄茶は4人分点てました。回数を重ねると、自然と身体に染み込むものがあります。

 お稽古が終わってから、『利休百首』(井口海仙著・綾村坦園書、淡交社、平成23年1月30版)を読みます。今日は、


棗には蓋半月に手をかけて
  茶杓を円く置くとこそしれ (44頁)

でした。

 みんなで唱和します。テキストの変体仮名を目で追いながら読み上げていたところ、最後の「れ」の仮名に目が留まりました。この「れ」の字母は何だったのだろうかと。
 その時はわかりませんでした。しかし、帰ってから調べる前に、一緒にお稽古をしている仲間からすぐに「麗」であることを教えていただけました。感謝です。

 帰ってから、早速『五體字類』(高田竹山、東西書房、昭和51年6月47版)を見ると、次のようにありました。
 写真の右が『利休百首』の「置くとこそしれ(置久止己所志麗)」の部分です。
 左は『五體字類』の「れ」の項目で、「連 俊  麗 行  麗 俊」とあります。「俊」は藤原俊頼、「行」は藤原行成の手であることを示しています。


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 鎌倉から室町にかけての変体仮名は読む機会が多いのに、平安時代の仮名にはあまり親しんでいなかったことに気付かされました。いい刺激です。またまた感謝。

 お稽古帰りには、娘夫婦と生駒駅そばの居酒屋で軽く呑みながら話に華を咲かせました。

 生駒駅の南側からケーブルカーが生駒山・宝山寺まで延びています。その線路脇に、息子2人が生まれた産婦人科があります。20年以上も前の記憶と懐かしさを頼りにして、生駒駅南のぴっくり通りを歩いてみました。しかし、日曜日ということもあってか、ほとんどがシャッターが降りていました。閉店したお店も多いようです。

 この一帯に活気がないので、駅に隣接する「グリーンヒルいこま」へ行きました。
 3階の一番奥にあった「味楽座」でも、通路を隔てた南側の別館に入りました。ここは、なかなかおいしい魚料理を出してくれました。「ウナギの白焼き」と「とんぺい」が気に入りました。

 実は帰ってから、何気なく「味楽座」を調べていてビックリ仰天しました。今日入った「味楽座」の別館は、かつて「寿がきやラーメン」があったところだったのです。あの「寿がきやラーメン」には、子供たち3人を連れてよく来ました。今は「グリーンヒルいこま」を撤退して、西大寺の「奈良ファミリ―」に入っているそうです。これは、いつか家族みんなで行く価値がありそうです。

 私は1人で食事をすると、よくお腹が痛くなるため、誰かに付き合ってもらうことが多くなりました。娘夫婦は、その犠牲者だといえます。しかし、イギリスのことや外国語の話に始まり、目の不自由な方々と写本を読む方策についてまで、いつもながら多彩な話で止まりません。
 自転車を取りに三条駅に戻り、駅前のブックオフに立ち寄ったのは23時少し前でした。11時間も自転車を預けていたことになります。フルに駐輪したことになりました。
 
 
 

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2014年9月 1日 (月)

今夏の検診の総合評価は「良」です

 他人様から見ればささやかなことであっても、1つのイベントを企画、立案、準備、実施、整理、報告をするのには、膨大な時間と労力と根気と気働きが必要です。

 この夏は、8つのイベントや新規計画のとりまとめに奔走していました。
 まだそのすべての事前調査や段取りが終わったわけではありません。しかし、主要な4つの企画のメドが何とか立ちました。

 そうした中で、この夏に一日だけとはいえ、一息入れることができました。
 疲労回復と気分転換には、街中を離れた温泉療養が一番です。と言っても、遠くの温泉地に行くだけの余裕はないので、近場の亀岡にある湯の花温泉に行ったのです。
 京都の奥座敷といわれる温泉地だけあって、のんびりと静かなところでした。こうした環境に身を置くだけで、蓄積された疲れはほぐれます。


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 亀岡には京都学園大学があります。というよりも、私にとっては、西国三十三所の第21番札所である穴太寺がある地として、何度も訪れたところです。
 
 さて、今年も7月から8月にかけては、私が一番頼りにしている京都大学病院で、さまざまな検査をしていただきました。胃ガンで消化管を全部摘出してから、早いもので4年が経ちました。その4年前の今日は、手術をした翌日にもかかわらず、体中につけられた何本ものパイプを取り外し、歩行訓練をさせられたのです。「心身雑記(75)術後20時間で病棟内を歩き回る」(2010年9月 1日)
 その意味でも、今年は特に念を入れて、身体の隅々までを診ていただいたのです。

 今日は、糖尿病に関する結果が出ました。
 これまでのヘモグロビン A1cの値は、次のような変動をしていました。


1月20日 7.1
4月14日 7.3
7月07日 7.2
9月01日 6.9

 この数値は、国際標準値です。4.6~6.2が安全圏とされています。私の値は、いつも少し高いものです。消化管がないので、仕方がない、ということもあります。
 それでも、合併症の兆候がまったくなく緩やかな変化なので、主治医の先生もこのまま様子を見ましょう、というスタンスで観察しておられます。

 今私は、体重を増やすことを主眼にした食事をしています。50キロ以上を保つことを目標にしています。
 今日の体重は50.7キロでした。増やしたいのに、なかなか増えない体重です。この夏は50キロを常にキープできました。今日のヘモグロビン A1cの値は「7」を下回っているので、これで今はよしと言えます。

 先週の課題として残されていた、血液検査による腫瘍の兆候についても、特に問題はないとのことでした。

 その代わり、今日は7本分の血液を採取されました。
 ここしばらくは、増血の食事と、いつも不足していると言われる鉄分の補給に気をつけたいと思います。
 
 
 

2014年8月17日 (日)

婿殿の家族と一緒に納涼茶会

 京都五山の送り火の人出は、昨年の半分の4万人だったそうです。連日の大雨の影響です。
 また、昨日が最終日だった下鴨納涼古本まつりの会場である糺ノ森では、お昼には膝下まで水につかるという事態になっていたのです。近くに住みながら、そんな局所的な豪雨になっていたとは、朝刊を見るまで知りませんでした。近年稀に見る風雨被害が市内各所で続出していたことが、大々的に報じられています。今日も、北部では夕方にも大雨警報が出ていました。

 そんな異常気象の中、昨日の如意ヶ岳の大文字は、奇跡的に幻想的な送り火が見られたことになります。ご先祖さまへの思いが伝わったのです。

 一転、今日は暑い一日でした。そんな中を、いろいろと身支度をして東大阪へ急ぎました。
 東大阪市民美術センターの中に日本庭園があります。その中にお茶室の「舞風亭」があるのです。そのお茶室で、婿殿のご家族と一緒にお昼をいただきながらの納涼茶会を、娘たちが計画してくれたのです。日ごろは、両家ともに何かと多忙で、なかなかゆっくりとお話をすることもできません。これはいい機会となりました。
 子供たちの粋な計らいです。

 花園ラグビー場は、知る人ぞ知るラグビーのメッカです。この近くの高校に、私は5年間勤務していました。家庭訪問でこの地域は飛び回っていました。しかし、このラグビー場に来るのは初めてです。


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 前方が京都方面、右手は信貴生駒連山です。右の生駒山の山向こうに、20年近くいたのです。

 お茶室へは、この入口から入ります。

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 床には「室閑茶味香」と書かれた軸が掛かっていました。
 一輪挿しと木槿の花は、京都の家から持って来たものです。


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 食事は、婿殿の幼馴染みがやっている日本料理屋さんで、過日も行った「錦」から届けていただきました。真ん中手前にある鱧の湯引きは、私からのリクエストです。


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 お茶は葉蓋のお点前です。
 梶の葉も、京都から持ってきました。
 この時には、建水の中に入っています。


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 途中で娘と代わり、私も何服か点てました。
 喋りながら、聞きながらのお点前なので、楽しい納涼茶会となりました。
 
 
 

2014年8月15日 (金)

お盆で庵主さんと語らい河内高安へ墓参に

 今年も養林庵の庵主さんが我が家にお参りに来てくださいました。
 90歳近いお年なのに、いつも元気です。


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 我が家で一番古い道具である木魚が、今年も心地よい音を響かせていました。

 読経の後は、いつものように庵主さんと世間話をします。
 妻の友人の家族で、学生時代に養林庵の離れに下宿していたという人のことを、庵主さんは覚えていらっしゃいました。
 世間は狭いものですね、と話は尽きません。

 今年も、息子がプロ技を発揮してお膳を作りました。
 毎年、これは息子の仕事です。


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 ままごとのような料理ではあっても、味をしっかりとつけた手の込んだお膳です。

 庵主さんを白川疏水通りまで送り、我々はお墓参りに出かけました。『伊勢物語』で有名な、八尾市にある高安の里です。
 お墓の山越しに、子育てをした生駒郡平群町があります。南高安中学校に通っていた頃には、耐寒訓練として信貴山までマラソンをしました。在原業平が通ったという竜田越えの山道があるのです。

 お墓で、私が高安に住んでいた頃にお世話になったご家族に声をかけられました。大きくなったね、と。
 小学6年生の時に大阪市内から高安に引っ越しをして来たので、50年ぶりでしょうか。
 お話をしているうちに、当時を思い出しました。そのお宅の裏にあった離れは、6畳と台所だけという狭い間取りの小屋でした。そこに、親子4人が数年間生活をしたのです。私と姉は6畳に、両親は狭い台所で寝ていました。冷蔵庫は木製で、氷を上段に置くタイプでした。お風呂は、家主さんの家へ毎晩訪ねて行き、お湯を借りていました。

 今も変わらずに建物はあるそうです。お互いの連絡先を交換しました。
 またまた、世間は狭いものだと実感しました。
 こんな出会いがあるのも楽しいものです。そのためにも、元気で長生きをしなければいけません。

 懐かしさから、昨年のお盆の記事を読んでみました。
「お盆の法要の後に河内高安へ墓参」(2013年08月13日)
 同じことの繰り返しのお盆のようでも、その日の時間の濃さが違うことがわかります。

 そうそう、今日も乗り換え駅だった鶴橋駅の高架下にある回転寿司屋さんに行きました。
 今年も海鮮サラダをおいしくいただきました。

 少しの刺激で、いろいろなことを思い出すものです。
 歳を取ったからではなくて、これからは折々に〈思い出す楽しみ〉も、気分転換の一つに加えたいと思います。
 
 
 

2014年6月30日 (月)

ふるさと日南邑から米子の稲賀先生の墓参へ

 池田亀鑑賞の授賞式の翌朝は、爽やかな朝靄に包まれて目覚めました。
 今朝も肌寒い日南町です。


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 日本海新聞の朝刊日曜版に、池田亀鑑賞のことが掲載されていました。


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 朝日新聞も、全国版で取り上げて行く意向だそうです。
 こうしたメディアを通して、さらに広く広報していきたいと思っています。

 今秋、「鎌倉時代の古写本『源氏物語』を読む(第2回)」を開催するにあたり、勉強会場と宿泊場所については、今回も泊まった「ふるさと日南邑」にすることとなりました。早々と予約も入れました。
 すると、ここにはロッジもある、とのことなので、早速案内していただきました。


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 3棟あるロッジは、すべて同じ内装と間取りです。ただし、1棟だけ応接セットと畳の部屋がありました。


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 1棟に6人は寝泊まりできるので、学生さんを含めて少し数が増えても大丈夫でしょう。

 また、会議場にもなる立派な大広間もあります。
 ここで、みんなが古写本を読むのもいいでしょう。


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 自然の中にある、なかなか快適な空間となっています。
 ここを会場にして、9月13日の計画を進めていくことにします。

 今年も、妹尾先生の車に同乗させていただき、米子にある稲賀敬二先生の墓参に行きました。
 私は、これで3年連続でお墓参りに行ったことになります。

 これまでの墓参のことは、一昨年の「米子にある稲賀敬二先生のお墓へ」(2012年03月12日)と、昨年の「日南町から米子へ─稲賀先生の墓参─」(2013年06月23日)の後半に詳しく報告しています。

 今年は、日南町の隣町から広島大学に入学したばかりの学生さんも同道です。なかなか頼もしい若手の出現です。今後の成長が楽しみです。

 お昼は、これまた昨年同様に境港で新鮮な魚をいただきました。
 ちょうど市場の外では、和太鼓のイベントをやっていました。


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 日差しが強くなりだしたので、少しだけ拝見しました。
 池田亀鑑賞の今後を寿ぐ撥の音だと思いながら、その勢いの頼もしさを楽しみました。

 米子駅前で妹尾先生とお別れし、入手したばかりの須藤君の受賞記事が掲載された日本海新聞3部を郵便局から発送しました。

 そして、一路「やくも」で岡山へと出ました。この特急は揺れが大きいので、本などは読めません。身体を休める時間に当てました。

 岡山駅からは往路と同様に、グリーン車を利用するためだけのポイントが、今月末で失効する直前にとにかく消費するため、グリーン券を手にして乗り込みました。

 しかし、私はこのグリーン車とはよほど縁がないのか、何と電源コンセントが自分の席の周りにないのです。車輌の前と後ろの2ヶ所にしかないのです。何のためのグリーン席なのか、さっぱり理解できません。
 しかたがないので、インターネットを活用したパソコンでの仕事は断念し、ここでも身体を休めることに専念しました。

 ところが、あろうことか通路を挟んだ横の席の人が、携帯電話で大声で喋り出したのです。旅の途中でもあり、気持ちが大きくなっておられたのでしょうか。あまりにもマナーの悪い方だったので、よほど止めてもらえないかと言おうと思いました。しかし、下手に声を掛けて、かえって逆上されて手荒なことをされても大変なので、結局は黙って我慢していました。

 いろいろな方がいらっしゃるので世の中は楽しい、とは言うものの、最低限のマナーは守り合いたいものです。帰路も往路同様に、大失敗のグリーン席となりました。

 東京の宿舎に着いたのは、夜の10時でした。
 この充実した金、土、日の3日間を、さらに有意義な方向で今後につなげていくつもりです。
 業務と科研とNPOと自分の研究等々、みなさまのご理解とご協力を、せつにお願いするのみです。
 
 

2014年6月27日 (金)

鳥取・日南町へ行く新幹線の車中で

 東京駅の新幹線乗り換え口の横にあるJR東海の窓口で、昨日の立川の駅員の方から聞いた通り、「のぞみ」から「やくも」に乗り換えるための割引特急券の発券をお願いしました。これだけを保留にしていたからです。もっとも、この窓口が長蛇の列でしばらく待たされたので、発車時間を気にしながらの順番待ちです。これは誤算でした。

 やっと順番が来たので手続きをすると、何のことはない、割引はないとのことでした。立川駅の職員がよく知らなかったのでしょう、とのことです。軽くうっちゃられた感じです。

 昨日のうちに「やくも」の指定席も取っておけば、こうして乗車前に長い列に並ぶこともなかったのです。昨日、電話で最善のプランとして教えていただいた手続きが、まさに正解だったのです。

 「のぞみ」には、いつもの自由席ではなくて、今月末に失効するポイントを消化するために、柄にもなくグリーン車に乗りました。
 しかし、車内に入ると薬品臭くて閉口しました。これが普通なのか、たまたま消毒の匂いが強く残っているのかはわかりません。

 おまけに、前の席のご夫人2人が、ずっとお喋りをしておられます。岡山で降りるときまでずっとでした。
 後ろでは、子供がはしゃいでいます。これまた、岡山で降りるまで……

 ゆっくりと身体を休めたかったのに、落ち着かない時間が経過しました。かと言って、勝手知ったる自由席に移るのももったいないので、居心地の悪いままにグリーン車のシートに身を沈めて我慢をして時を過ごしました。

 私には、周りの様子を見定めて気に入った席に座れる、いつもの自由席が向いているようです。途中で賑やかな方が来たら、別の座席なり隣の車輌に移ればいいのです。まさに自由な席なのです。指定席は、不自由なことが多いようです。
 そして、自分に無縁なグリーンポイントは、所詮は捨てるようにできていたのです。

 いつもの、もったいないという気持ちが裏目に出ました。
 大失敗のグリーン車の旅でスタートとなりました。
 
 
 

2014年6月26日 (木)

長距離移動時の切符を上手く入手する方法

 池田亀鑑賞の授賞式が明後日に迫りました。そのための打ち合わせや資料の準備を進める中で、移動する電車の手配もしなければなりません。

 東京から鳥取県の日南町へ行くのに、いつも悩みます。年に一度のことなので、昨年は何をどうしたのかを、にわかに思い出せないのです。

 また、こんな時に限って、パソコンを使った新幹線のエキスプレス予約が不調です。毎週、パソコンやiPhone を操作して新幹線のチケットを予約しているのに、急いでいる時に限って思うように動いてくれません。画面の下に、いつものように[次へ]というボタンが表示されないのです。つまり、いくら乗りたい列車を絞り込んでも、次のステップへと進めないので、何度も繰り返す操作が意味をなしません。

 こんな時には、電話で相談窓口で問い合わせるしかありません。

 今回もいろいろとあった結果、次のような方法が最善であるとのアドバイスを、電話口で対応してくださった方からいただきました。

 ただし、この方法には、貯まっているグリーン特典を使い、グリーン車を利用する、という条件があります。

 JRのエキスプレス予約は、利用するたびにグリーンプログラムのポイントが加算されます。しかし、このポイントが曲者で、私は今までに一度も使わないままに、何度も大量のポイントが消滅しています。とにかく、このポイントはグリーン車にしか使えないのです。用途が極端に制限された、使い道のないポイントが貯まっては消えていくだけの飾り物でした。まさに、殿様商売にありがちな、有り難がらせるだけ、というサービスの一つです。

 しかも、今月末でまた2000ポイントが消滅します。あまりにももったいないので、今回初めてですが使ってみることにしました。私は特別待遇されることを忌み嫌うタイプなので、これまでグリーン車輌は見たくもないしろものでした。しかし、捨てるしかないポイントなら、一度使ってみてもいいか、と思って選択肢に入れたのです。

 それはともかく、結果的には以下の方法で切符を取得するのが、今回の場合は一番いいようです。


(1)パソコンか iPhone を使った新幹線EX予約で、「e特急券」の「のぞみ」を「東京〜岡山」で座席指定だけをします。グリーン車に1,000ポイントを使用。

(2)駅の窓口で、「東京都区内〜生山」の「往復割引乗車券」を買う。

(3)同時に、駅の窓口で岡山から生山までの、「やくも」の座席指定券だけを買う。

※いつものように、ICカードのタッチでは入場出来ないので、予め発券機で紙の券を入手のこと。

(4)帰りは、来る時の逆で、生山駅で岡山駅までの座席指定券を買う。

(5)パソコンか iPhone を使った新幹線EX予約で、「e特急券」の「のぞみ」を「岡山〜東京」の座席指定だけを取る。グリーン車に1,000ポイント使用。

 これが、ポイントを使ったグリーン車を利用しながら、一番経済的な切符の入手方法のようです。グリーン車のポイントは2000ポイント使うので、月末までに捨てることになったはずのものが、役立てられたことになります。

 この手順通りに、まず(1)のパソコンでの予約を終えました。パソコンがうまくいかなかったので、iPhone で行いましたが。

 次に、通勤途中に立川駅のみどりの窓口に立ち寄り、「東京都区内〜生山」の「往復割引乗車券」を買いました。
 ただし、そのみどりの窓口で、引き続き「やくも」の座席指定券を買おうとしたら、発券担当の駅員さんが、新幹線からの乗り継ぎなので、さらに乗り継ぎの割引となるはずだ、とのことでした。これは、電話では教えてもらわなかったことです。
 どうやら、明日、東京駅で新幹線に乗る直前に、窓口で「やくも」の指定席券を買うと、割引をしてもらえるそうです。
 話半分としても、だめで元々なので、今日は「やくも」の指定席券は購入しませんでした。
 さて、この「やくも」の件がどうなるのか、今から楽しみです。

 それにしても、ややこしいことです。さまざまな割引があるようなので、それを最大限に活かして利用するのは賢明な対処です。しかし、とても毎回できそうにないので、このあたりは何とか平等に割引のサービスが受けられるように、わかりやすいシステムにしてほしいと思います。
 
 

2014年5月11日 (日)

山梨の石和温泉でひと休み

 山梨県笛吹市にある石和温泉で気分転換をしてきました。
 ここは昭和36年に果樹園から温泉が湧き、東京から行ける近場の温泉地として知られるようになりました。特急「あずさ」で都心から1時間半で行けます。

 笛吹川沿いにある宿にしました。
 露天風呂・内湯・客室と、どこでもアルカリ性天然温泉が掛け流しになっている、贅沢な温泉です。特に、南アルプスに沈む夕陽がきれいでした。


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 上の写真左側の笛吹川では、「桃源郷春まつり 川中島合戦戦国絵巻」というイベントが4月20日に開催されたそうです。橋の袂が会場です。

 甲州に馴染みのない私は、すぐにあの武田信玄と上杉謙信の闘いの場を思いました。犀川と千曲川が交わる中州の「川中島」です。井上靖も、この武田と上杉の話は作品に取り上げています。まさに『風林火山』の舞台です。

 しかし、この石和の笛吹川が両雄の川中島闘いで有名なところではありませんでした。「川中島合戦戦国絵巻」の説明を見ると、5回ほどあったとされる川中島の戦いで、第4回目の合戦を史実に忠実にこの地で再現したものだそうです。
 それでも、今回が35回目のイベントです。地元の熱意が継続の原動力となっています。昨年より、武田軍参加者には「風林火山」、上杉軍参加者には「毘沙門天」の1文字が入ったストラップ(非売品)がプレゼントされていました。私も集めてみたくなります。いろいろと工夫のある行事となっているようです。

 こぢんまりとした宿でした。しかし、非常に感じのいい、落ち着いたところだったので、ゆったりと何度もお湯に入りました。連休明けだったので、お客さんは数人です。

 食事も丁寧なもてなしで、ほろほろ鳥や地元のワインをおいしくいただきました。給仕の男性の方も、連休中は超満員でとにかく忙しくてお話はとてもとても、と言いながら、一品ずつ説明をしてくださいました。ゴールデンウィークで大賑わいした直後だったことが、なにかと幸いしました。

 帰路は高速バスで甲府から新宿まで、2時間もかかりませんでした。

 2年前、娘夫婦から結婚記念に旅行ギフトをもらい、井上靖の故里である伊豆湯ヶ島へ行きました。本ブログの「映画「わが母の記」のロケ地・伊豆湯ヶ島へ」(2012/6/10)に書いた通りです。

 昨年の母の日と父の日のプレゼントも、旅行に行ってくださいと言われながら、私の仕事の区切りがつかなかったこともあり、行けないままでした。いつかいつかと思っているうちに、また母の日と父の日が来ました。
 昨年の旅行ギフトが帳消しになりそうなので、慌てて時間を作ったという事情もあります。しかし、こんなことでもないと、なかなかのんびりと温泉には行けない日々であることは確かです。
 折しも婿殿の誕生日と重なり、その意味からもお裾分けのいい休息日となりました。
 
 
 

2014年5月 3日 (土)

退院した義兄のお見舞いに芦屋へ行く

 先月手術をした義兄が、幸いにも10日間の入院だけで無事に退院です。
 手術の日は、オペ室に入るときも、出てきたときも、いたって元気だったので心配はしていませんでした。

「義兄の入院手術で大阪中之島に急行」(14年4月4日金)

 その後の経過が良好で、今は自宅療養です。

 姉たちは、芦屋駅から急な山を登った、有馬温泉の手前の一角に住んでいます。駅まで迎えに来てもらえたので、芦有ドライブウェイの中にある家に行きました。
 ちょうど、去年の今頃、粽を持って行きました。

「30年ぶりに芦屋の姉の家へ」(13年5月5日)

 さすがに、山の上だけあって、肌寒さを感じます。

 兄はすっかり元気で、傷口が癒えるのを根気強く待つ生活のようです。
 最近はとみに庭の植物の世話に精を出しているとのことで、花や木や野菜がいっぱいでした。


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 姉よりも庭仕事に熱心で、これまた負けず劣らず庭作りが大好きな妻に、草花の名前や手入れの方法を伝授してもらう一時が、淡路島を見下ろす山中でゆったりと過ぎていきました。

 ゆっくりと話をして、たくさんの料理を一緒にいただいて帰りました。
 
 

2014年4月27日 (日)

難波八坂神社の綱引き神事

 大阪なんばの西にある、難波八坂神社へ行きました。

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 境内には大きな獅子頭の舞台が存在感を示しています。

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 今日は、香道の大枝流芳が「郷里」の「綱引き」と言っているところから、その出自を求めて綱引き神事に関連する神社の探訪です。1730年頃の調査の一環です。
 この難波八坂神社は、綱引き神事でよく知られています。

 お忙しい中を大石勝利禰宜は、資料をもとにして丁寧な説明をしてくださいました。
 この地域は空襲などですべての資料は焼けてしまい、今は何も残っていないそうです。
 しかし、他の社寺に残る資料から、この難波八坂神社のことが少なからずわかっています。興味深いお話を、いろいろと伺うことができました。

 また、大阪天満宮の岸本政夫禰宜にわざわざ電話をしてくださり、ご教示いただけるように仲介の労をとってくださいました。ありがたいことです。

 帰りに、綱引き神事で使う今年のオロチを見せていただきました。年末にこの綱を燃やして灰にし、また新たに来年の神事に使うオロチを作るそうです。

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 今日の調査でわかったことなども、後日、武居さんが考察を加え、論文の形で発表されるので、詳細はそれに譲ります。

 この神社は、今から30年ほど前、私が大阪の高校で教員をしていた頃、通勤時に自転車で通っていた一帯にあります。

 当時は今回のような問題意識がなかったこともあり、何気なく通り過ぎていたのです。
 こうした機会に訪問し、詳しい説明を伺うことができたことは幸いでした。

 また、綱引き神事のオロチは、ご祭神の素戔嗚尊と共に、私が生まれ育った島根県出雲市に縁の深い伝承にまつわるものです。毎年1月第3日曜日に行われている難波八坂神社の綱引神事は、御祭神である素盞鳴尊が八岐大蛇を退治した故事にまつわるものです。これは、『摂津名所図絵』などでも確認できる、古いお祭りなのです。
 個人的なこととのつながりとはいいながら、自分と関係のある話は身を乗り出すようにして聴いてしまいます。

 今日も、収穫の多い調査となりました。
 武居さんの今後の報告が、ますます楽しみになりました。
 
 
 

2014年1月 4日 (土)

映画「かぐや姫の物語」を観ました

 我が家の梅の開花は、例年よりも遅いようです。
 昨日は白梅が少し花開きました。

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 今日は、紅梅が一斉に咲き出しました。

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 この紅梅白梅の様子は、毎年お正月の楽しみとなっています。
 
 箱根駅伝で、我が母校である國學院大學が、あと数秒というところでタスキが途切れました。
 タスキを渡すのにあと数十歩という、目と鼻の先に次のランナーがいました。しかし、そのタスキを渡そうとしているのに、号砲と共に自動的にスタートとなり、引き離されるように視界から仲間が消えていくのです。ルールとはいえ、非情な世界を目の当たりにし、身の引き締まる思いで見入ってしまいました。

 2011年にも、シード権争いのデットヒート中に、國學院大学はゴール寸前にコ­ースを間違えたのです。幸いにもすぐに気付き、何とか10位に入って事なきを得ました。
 それにしても、箱根駅伝での応援は、ハラハラドキドキのタスキ渡しのレースです。
 
 夕刻から、京都駅南にある映画館で「かぐや姫の物語」を観ました。
 年末に「利休にたずねよ」を観たT・ジョイ京都です。
 ここは、バスで京都駅北口中央で降りてから、JR駅を渡り都ホテルの先という、相当離れたところにあります。しかし、開演時間の関係で、よく行く三条の映画館はパスして、ここにせざるを得なかったのです。

 「かぐや姫の物語」は出色のできばえでした。
 背景がない映像に引き込まれます。
 改めて、背景とは何だったのか、と考えさせられました。
 物語展開の緩急も絶妙です。帝からの求婚場面の後しばらくは、とにかく目が釘付けです。

 疑問もありました。
 5人の貴公子の話です。
 製作スタッフの皆様には申し訳ないのですが、あまりにも詰まらなくて、つい瞼がくっつき、睡魔から逃れるのに大変でした。少し微睡んだようです。

 ここは、どのような趣向があるのだろう、と期待していました。しかし、それがあまりにもありきたりで、本当に失望しました。
 3人の話でも充分だったと思います。なぜ5人の話にして、わざわざ退屈にしたのか。
 教育関係者に配慮せざるを得ない裏事情でもあったのでは、と邪推したくもなります。
 今はその真意を理解できないままにいます。

 また、捨丸の存在は中途半端でした。なぜ捨丸に結婚をさせ、子供までいる設定にして、かぐや姫と邂逅させたのでしょうか。私には、その俗悪趣味がよく理解できません。
 そのような人物設定にしておいて、最後にかぐや姫と一緒にどこまでも逃げようとします。
 結婚をせず、子供もいない男としなかったのはなぜなのでしょうか。
 これも、教育関係者と妥協した引き替えに強引に残した、という穿った見方をしたくなります。

 このあたりは、ご覧になった多くの方が、気持ちの中にシコリとして残ったはずです。

 制作者側には、それなりの意味をもたせてのことなのでしょう。
 なぜこんな成り行きにしたのかという点については、また後日の楽しみとしておきます。

 そうは言っても、現代の文明社会への厳しい目と、自然への眼差しの優しさが伝わってきたのが、この映画の一番のよさでしょう。特に、若い方々へ、日本的な心情と文化と風物のすばらしさを伝えようとしていると思います。

 また、最後に、かぐや姫を迎えに来る阿弥陀さまの一群が、紫雲と共に降りてくるシーンも圧巻でした。何と言っても、そのバックグラウンドミュージックが軽快でおしゃれなのです。心浮き立つメロディーの中で、阿弥陀さまの無表情さが気に入りました。

 細かな点では、なぜ? が多い映画でした。
 しかし、全体としてはよくできた作品だと思います。
 
 

2013年12月28日 (土)

映画『利休にたずねよ』をみました

 年末の慌ただしい中を、久しぶりに映画館へ行きました。
 師走に入ってからは、これまでに増して忙しい日々となり、なかなか観に行けなかった山本兼一原作の映画『利休にたずねよ』を、やっと観ることができたのです。

 原作については、【3.0-読書雑記】「読書雑記(58)山本兼一『利休にたずねよ』」(2013/1/7)に記した通りです。

 そこで述べたように、小説としては懲りすぎていたように思いました。
 それが、映画化によって時間軸が明確になり、高麗の女と木槿の花がクローズアップされ、スッキリとまとまったように思います。
 文字と映像による違いがあります。当然のことながら、比較できないことです。しかし、敢えて較べるならば、私は映画の方が作者の意図は観る者に伝わってきたと思います。

 もっとも、これは小説と映像化されたものを較べた場合のことです。
 それを映画単独のものとして見た場合には、その完成度は高くなかったように思います。
 海老蔵の演技に凭りかかりすぎていた、と思えるからです。さらには、中谷美紀は私が抱いていた利休の妻宗恩のイメージとは異なっていました。

 後半になると、高麗の女との話に焦点があてられています。しかし、私は妻の宗恩を中心とした展開にしてほしかった、と勝手に思っています。原作と作者からもっと離れてもよかったのでは、と。

 どなたか、また別の視点からこの『利休にたずねよ』を映像化してもらえないでしょうか。

 山本氏は、井上靖の小説『本覚坊遺文』における利休の捉え方に同意できない、と言われます。
 「井上靖卒読(161)白神喜美子『花過ぎ—井上靖覚え書』」(2013/3/24)参照。

 井上靖は、「利休の死」など、お茶に関する作品をいくつか書いています。大阪の茨木の自宅には、書道全集を揃えていました。

 茶道の静と動、その歴史と人間等々、そこには日本を知るテーマとして、興味深い要素がふんだんにあります。
 それぞれに対象や視点が異なるにしても、茶道を扱った作品には、今後とも目を配っていきたいとの思いを強くしました。
 
 

2013年8月23日 (金)

猛暑の中を茶道資料館で一服

 会期末が迫っている茶道資料館の特別展について、紹介がてら記録を残しておきます。

 「裏千家歴代展―14代 無限斎・15代 鵬雲斎・16代 坐忘斎―」(平成25年6月15日(土)〜8月25日(日))が、あと2日で終わります。
 いろいろな体験をし、さまざまな鑑賞を通して、すこしでも茶道の楽しさを体得しようと思っています。その意味からも、茶道資料館の催し物は楽しみにしている1つです。
 
 
 
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 このチラシの裏面にある趣旨説明の文章を引いておきます。


本年は裏千家第14代無限斎居士の五十回忌、第15代鵬雲斎大宗匠の卒寿、第16代坐忘斎家元の継承十年という記念すべき年にあたります。
 無限斎居士の五十回忌を大宗匠、家元が揃ってつつがなく営めることは裏千家にとって大変喜ばしいことであります。
茶道資料館では、これを記念して歴代展を開催する運びとなりました。
三代各家元の手造、好み物を中心に、所縁の茶道具をご紹介いたします。

 展示室には、ズラリと掛物や諸道具が並んでいます。
 初心者の私は、それぞれの良さはまだわかりません。
 掛物の中では、鵬雲斎筆「一華開五葉」(平成25年卒寿記念)の書が印象的でした。
 茶碗の中では、無限斎作「手捏ね茶碗 銘福女」(1931年朝鮮京城にて)の形がおもしろいと思いました。
 後はただ、ガラス越しに茶器などを見るだけです。申し訳ないことに、何もそのよさがわかりません。
 こうした機会を重ねるうちに、少しずつ見えてくるものが自分の中で変化すると、掛物や道具を見ることがおもしろくなるのでしょう。
 そんな日が来ることを楽しみにして、折々にものを見て回りたいと思います。

 呈茶席で、茶道資料館の副館長をなさっている筒井紘一先生のお姿をお見かけしました。しかし、お客様とお話し中だったので、お声がけをせずに退席しました。
 機会を得て、また楽しいお話しを伺えたら、と思っています。
 
 
 

2013年5月13日 (月)

お茶のお稽古で大和平群へ

 母の日の今日は、一人で自宅の掃除をしました。
 その後、久しぶりに大和平群へお茶のお稽古に行きました。
 カレンダーを見ると、4月は1度も行っていませんでした。

 先週は娘たちが自宅へ来ました。その時、5月より炉から風炉に変わることもあり、半年ぶりに風炉の薄茶の練習を、娘夫婦を相手にしてやりました。
 とにかく、すっかり忘れていました。思い出すのが大変です。
 今朝も、独りで一通り練習をしてから出掛けました。

 自宅から電車を乗り継いでちょうど2時間です。初夏の小旅行です。
 駅前のバス停で、長屋くんと左近くんのキャラクターを見つけました。
 
 
 
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 平群谷には、悲劇の宰相と言われる天武天皇の孫で左大臣だった長屋王と、その妻である吉備内親王のお墓があります。共に長屋王の変に関連して自害しています。
 我が家の3番目の息子は、保育所がこの近くにあったために、この御陵苑で遊びながら育ちました。朝夕の送り迎えは私の仕事でした。
 嶋左近は、石田三成の家臣で、関ヶ原の戦いの折に討ち死にしたとされています。
 平群は、日本武尊が「命のまたけむ人はたたみこも平群の山の熊白檮が葉を髻華にさせその子」(『古事記』歌謡)と歌った地でもあります。もっとも、歴史上の人物はみんなかわいそうな人物ですが。
 なお、「たたみこも」は「平群」の枕詞なので、ご存知の方も多いかと思います。

 元山上駅の前を王寺方面に流れる竜田川も、ここ上流では緑も深くなり、水も澄んでいます。
 
 
 
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 今日は昨日とはうって変わって、汗ばむほどの好天でした。
 京都の自宅では、昨夜と今朝はストーブをつけていました。それが、今日のお昼には、汗をかきながら平群の山道を登ることになったのです。
 
 
 
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 この左手の小山には、私が毎日上り下りした細道が通っています。

 今日のお稽古は、運びの薄茶と卯の花点前です。
 薄茶では、事前に練習をして行ったのに、やはりぎこちないことでした。摺り足での歩き方も、まだまだです。水差しの蓋を取るタイミングは、すっとできました。細かな所作を、もっと丁寧にできるようにしたいと思います。
 練習をして行っても、実際にやると、なかなかスムーズにはいきません。手が空中を泳ぎます。

 卯の花点前は2回目です。
 これは、箱から道具を出して広げ、また仕舞う変化の楽しさがあります。古帛紗の出番があり、おもしろいと思います。ただし、柄杓を使わないので、見た目の派手さはありません。

 先日、姉からもらった風炉釜についても、その手入れの方法を教えていただきました。どうやら、使えるようです。早速、金気を抜くことから始めます。

 お稽古の後は、いつものようにたくさんのことを伺いました。奥の深い世界なので遅々として進みませんが、こうして少しずつですが前に歩んでいます。
 
 
 

2013年5月 5日 (日)

30年ぶりに芦屋の姉の家へ

 久しぶりに姉の自宅を訪問しました。
 姉の家は六甲山系の山腹にあり、芦有ドライブウェイの料金所を入った中にあります。近くに有馬温泉がある、標高500メートルの高地です。

 私が大阪の高校生だった頃、クラスやクラブの遠足で、何度かこの奥池園地に来ました。懐かしい場所です。
 眼下には、瀬戸内海から四国が見渡せます。
 
 
 
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 阪神淡路大震災の時に姉たちは、山の下にある芦屋駅前のマンションに住んでいました。地震でそこが住めなくなり、数ヶ月ほど奈良の我が家に仮住まいをしていました。

 その後、京都住まいを経て、義兄の定年後は、この山の上の家に帰ったのです。

 私が奈良に住んでいた時も、京都に住んでからも、いつも姉夫婦の方が、我が家に来てくれていました。

 最近は義兄と2人だけの生活になったこともあり、30年ぶりに我々が芦屋へ行くことにしたのです。

 この前ここに来たのは、私が結婚後に東京から大阪に戻り、高校の教員をしていた時でした。

 ここは瀬戸内海国立公園の中でも六甲地区にあり、ハイキングに最適な場所です。そこで、高校のテニス部の顧問をしていたこともあり、阪急芦屋川駅まで部員を連れて来て、そこからトレーニングと称して山登りをしたのです。そして、義兄たちのテニスコートで練習をしました。
 夏は涼しいところなので、日帰りの合宿になりました。

 今日は4人で食事をしながら、夜まで話し込みました。庭の山菜を、美味しくいただきました。

 帰りに、もう使わないというお茶の鉄釜をもらいました。
 羽の付いた風呂釜と風炉のセットです。
 長く使っていないとのことで、手入れも何もされていません。しかし、姉が結婚するときに持って来た茶道具一式の1つだということなので、ありがたくスーツケースを借りてそれに入れ、ゴロゴロと引いて京都まで持ち帰りました。
 
 
 
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 風炉の中には、風炉灰が5袋入っていました。
 
 
 

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 ただし、私は炭型電熱器を使うようにしているので、この灰は不要です。これはいったいいつの物なのか、また聞いてから始末のことを考えましょう。

 姉夫婦には、京都の自宅で何度かお茶を出しています。この次に来た時には、この風炉釜でお茶を点てましょう。それまでに、この古びた鉄の釜を手入れして、使えようにしたいと思います。
 
 
 

2012年12月29日 (土)

河内高安へ年末のお墓参り

 早朝より、市バス・阪急・地下鉄・近鉄を乗り継いで、河内高安にあるお墓にお参りして来ました。
 今日は晴天で暖かかったこともあり、気持ちのいい墓参となりました。

 最寄り駅である信貴山口駅は、初詣の準備も整っていました。国宝「信貴山縁起絵巻」で有名な朝護孫子寺は、虎で知られており、阪神タイガースの守護神なのです。高安山に昇るケーブルカーにも、かわいい虎さんが描かれています。
 
 
 

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 お墓から大阪平野を見下ろすと、快晴であれば小豆島から四国までが見えます。今日は曇っていたので、堺の方までしか見渡せません。
 
 
 

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 手前左手に、私が通っていた南高安小学校と南高安中学校があります。この高安山の麓は、私が小学生時代に「忍者部隊月光」ごっこをした遊び場です。この山を駆け上ったりして遊んでいました。高安の里が『伊勢物語』の舞台であることは、中学時代に知りました。

 帰りに、鶴橋駅前の回転寿司屋さんで昼食です。この店には、山盛りの海鮮サラダがあるのです。これで500円ほどです。
 
 
 

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 全国の寿司屋さんは、糖尿病患者をこれ以上増やさないためにも、メニューに野菜サラダを積極的に置くようにしてほしいものです。あまりにも、野菜サラダを置く寿司屋さんが少なすぎます。
 私は、回転寿司屋さんでは必ず野菜サラダを注文します。9割9分は置いてないと言われます。しかし、言い続けている内に、その意味に気付いてもらえることを期待して、あえて注文しています。
 炭水化物に対する意識向上のために、日々ささやかな運動をしているところです。
 
 
 

2012年10月28日 (日)

長崎県美術館の米田耕司館長と

 今回長崎に来る前に、長崎県美術館の米田耕司館長に連絡をしてご予定を伺ったところ、ちょうど私が長崎にいるときは東京へ出張している期間だとのことでした。博物館や美術館関連の学会や協会の要職にあり、東日本大震災に関連しての打合せも多いようです。

 しかし、私が長崎から東京に帰る土曜日に、幸運にも米田館長は東京から長崎に戻って来られるのです。午前中に羽田を発ち、午後2時には美術館にいるので会おう、とのことでした。私は、夕方19時頃の羽田行きの飛行機を予約していたので、久しぶりにお目にかかれることになりました。

 米田館長との出会いは、2007年に私が学芸員の資格を取るため、國學院大學の科目履修生になった時でした。
 2008年に、国文学研究資料館で源氏物語千年紀の特別展を開催するにあたり、私がそれを担当することになりました。そこで、学生時代に取り残していた単位を取ることで、正式に学芸員の資格を取得し、展示に関する基礎知識を活かして重要文化財などの運搬移動や展示のお手伝いに対処しようとしたのです。受講することになった科目が、当時長崎県美術館館長かつ國學院大學で教えておられた米田先生の科目だったのです。博物館学の経営論と情報論を拝聴しました。

 私の受講目的が明確で、かつ即実践に役立てようという気持ちが米田先生に伝わったようです。授業後に、いろいろとご教示をいただきました。東京を離れられたその後も、先生は電話などで私の体調のことを気遣ってくださるのです。京都大学の癌病棟に入っていた2010年の夏には、自分も手術をしたので気になって、という電話をくださいました。大学の後輩ということもあってのお心遣いは、本当にありがたいことです。

 米田先生から教えていただいたことのいくつかを、本ブログの「つもり違い十カ条」(2007年11月18日)で紹介しています。
 また、先生の最後の授業のことも、「贈られた言葉」(2008年1月18日)に書いています。併せてご覧いただければ、と思います。

 さて、軍艦島クルーズを終えてから、波止場で魚料理の昼食をいただきました。
 船着場へ行く午前中に、タクシーの窓から回転寿司屋の看板を見かけました。しかし、その場所がよくわからなかったので、長崎漁港にある定食屋さんにしました。後でわかったことですが、このお店のご主人と米田館長は親しい仲だそうです。人のつながりは、おもしろいものです。

 食後、すぐ前にある長崎県美術館へ行きました。
 
 
 
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 米田館長は、東京から飛行機で帰ってこられたばかりなのに、2時間にもわたって館内を、それも丁寧に説明しながら案内してくださいました。授業の時と変わらず、エネルギッシュなお話をたくさんお聞きできました。

 この美術館の性格をよく表しているものとして、私はトイレの標識をあげたいと思います。一番奥には、授乳室があります。
 
 
 
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 展示のための作業部屋や修復のことに加え、屋上では長崎の名所案内もしてくださいました。
 この屋上には自由に上がれます。
 
 
 
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 眼下の長崎港には、坂本龍馬が操船術を学んだという長崎海軍伝習所練習艦を復元した帆船「観光丸」が見えます。
 
 
 
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 長崎県美術館は、先生のモットーそのままに、開かれた美術館として市民の憩いの場となっていました。来館者数の多さがそれを証明しています。また、先生は館員の方々のみならず、清掃の方にも気安く声を掛けておられました。もちろん、来館者の方からも挨拶をしたり頭を下げたりと、町民のみなさんにも溶け込んでおられました。

 帰りがけに、来館者から好評のミュージアムショップに足を留めました。開放的なエントランスホールにあり、ここにしかない、というものがたくさんありました。
 私は、米田館長ご推薦の、柳宗理の作品である「ステンレスカトラリー」を2本いただきました。柳宗理は、戦後の工業デザインの基礎を築いた一人だとのことです。最近、クリームチーズをよく食べるので、その時に使いやすいと思ったからです。
 
 
 
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2012年10月27日 (土)

廃墟の軍艦島に足を踏み入れて

 軍艦島クルーズに参加しました。
 ホテルから乗ったタクシーの運転手さんは、地元の方でした。しかし、それにもかかわらず、軍艦島クルーズの船着場の名前を言ってもご存じなくて、海辺に出てから何カ所かで聞きながらも10分ほどさ迷いました。何のことはない、ホテルから10分もかからない所だったのですが……

 今日の長崎は雨です!!
 島の見学コースが狭いとのことで、雨合羽を買わされました。

 観光船「マーキュリー」は満員でした。150人は乗っていたでしょうか。
 
 
 

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 出発間際に、5人の方が乗船場所を間違えてこちらに向かっているとのことで、出発が20分も遅れました。結局は見切り発車となりました。
 理由はともかく、これは今後とも多くの観光客のために、解決してもらいたい問題です。まず、タクシーの運転手さんが、このクルーズのことをまったく知らないのですから。観光客は、自力で船着場には行けないのです。市内からのその足を、確実に確保してほしいものです。

 クルーズのガイドさんは74歳の方でした。石炭の島だった軍艦島で働いていたという、ガイドさんの中では唯一貴重な体験が語れる方でした。安全誘導員の方も、2人が添乗なさっていました。船の安全管理は万全です。
 
 
 

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 島は18キロの沖合にあり、35分かかりました。
 三菱は84年間に1570万トンの石炭を採掘したそうです。日本の近代化を陰で支えた、貴重な資源の供給源だったのです。

 1974年に閉山。そして、その後4ヵ月で完全に無人の島となったのです。
 1960年代には、何とこの軍艦島に5,000人もの人々が住んでいたのだそうです。

 見学のための上陸時間は50分。
 聞いた情報と目に入る光景との落差がありすぎて、想像力が追いつきません。
 
 
 
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 島の周囲を回ってから接岸しました。桟橋は浮島ではないので、相当揺れます。

 島の中を歩くと、まさに廃虚群です。
 パチンコ屋からお寺まで、社会生活を営むためのものは、何でもあったのです。この軍艦島になかったものは、火葬場と墓場の2つだけでした。これは、近くの別の島に作られました。
 
 
 
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 今、軍艦島にはトイレがありません。これも、今後は対処してもらいたいものです。上陸後に、ある女性が立腹なさっていました。事前の注意を聞きそびれたにしても、生理現象は致し方ないのですから。

 乗船前に買ったばかりの雨合羽の封を開けて着ようとしたら、すでに数カ所が破れていました。ビニールの接着不良なのです。小雨だったので、しみ込むことはありませんでした。これからいらっしゃる方は、雨が予想される日には注意が必要です。

 丁寧な説明をしてくださったガイドさんは、1961年にこの島に来て、1974年までの10年以上をここで生活なさった方です。情感たっぷりのその話は、非常に具体的で興味深く聞きました。ただし、歩きながらの説明では、マイクとスピーカの関係もあり、声がみんなに届いていませんでした。せいぜい30名にしか対応できない案内です。そこを、今日は150名近くいるのです。これも、今後は工夫が必要でしょう。
 
 
 
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 島を出るころになると、もう雨は上がっていました。

 この島で見たものは何だったのか、帰りの船の中で考えてしまいました。
 
 
 
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 夢まぼろしのような、その当時の最先端の生活が、ある一時期にはこの限られた空間とはいえ、約束されていたのです。炭坑の仕事はきつかったことでしょう。しかし、その家族が喜ぶ顔を見ながらの生活は、地下900メートルで生死をかけた仕事をする男たちにとって、充実したものだったようです。
 日本最初の高層アパートに住み、三種の神器と言われたテレビ・冷蔵庫・洗濯機などの電気製品を使う、そんな、時代を先取りした生活が営まれていたのです。ここの鉄筋アパートは、東京の同潤会アパートよりも早く建てられたものなので、その先進性が窺われます。

 それが、閉山、退居という号令一下、ここでの活き活きとした日々が突然消え去るのです。その廃墟に佇んでみて、何度もそれが何だったのかを反芻してみました。
 ここで暮らしていた社員や家族の新しい仕事や生活を、親会社である三菱側が誠意をもって用意したとはいえ、それまでの生活を切り替えるのは大変だったことでしょう。その後のみなさんは、どのような生活を送られたのでしょうか。満足する生活を送られたとは思えません。

 軍艦島での生活にも、さまざまな問題があったようです。しかし、一転して本土での生活となると、それにも増して困難が付きまとうものだったことでしょう。このことに関する語り伝えを、今後は記録や本などで確認したいと思っています。

 なお、この軍艦島のクルーズは、そのガイドと説明内容について、さらなる研究が必要だと思いました。正確な情報を参加者にいかにして与えるか。生き証人の語りは大切です。しかし、ここではその生々しい話は、上陸したポイントだけで語っていただいてはいかがでしょうか。行き帰りの船の中では、歴史的、社会的な背景と意味を、若い方がわかりやすく語る方がいいと思います。終始一貫して生き証人である方の話を聴くのは、あまりにも重すぎて負担を感じます。

 このクルーズの催行を検討するにあたり、博物館や美術館などでの展示の手法は、大いに得るものがあり、学ぶべきことも多いと感じました。単なる興味本位のイベントに終わらせることなく、語り伝える中で参加者も考えながら学ぶクルーズにしていくことは可能です。ぜひとも、関係者の方々の創意工夫で、いい観光地となり、いいクルーズになるように育ててもらいたいと思いました。

 このようなことを書いたのも、このクルーズ船を下りてから、長崎県美術館に行ったことが関係しています。
 そのことは、明日また。
 
 
 

2012年10月26日 (金)

繁華街で呼び込みの声がかからない

 いろいろな本との出会いを楽しんでいます。
 今回は、お茶に関係する本が気になりました。これまでなら気にも留めずに、こうした書籍は事務的にその書誌をとっていたはずです。しかし、その書かれている内容に興味を持つと、自然と中身が気になります。実に多種多様なお茶の本があるようなので、こうして書き、伝え、残してくれた先人の学習意欲と探究心や研究心には、ただただ敬服するばかりです。

 特に、茶会記に記された掛物の内容に目が留まりました。お茶席に掛けられた軸や色紙の内容です。「定家」という文字があると、自ずと手が止まるのです。
 パラパラと見ていても、反射神経で目と手が停止します。興味と関心があるかないかの違いは、行動に変化を生じさせるのです。おもしろいものです。

 今日も、一日中缶詰状態での文献資料調査でした。長崎大学の図書館の司書の方をはじめとして、みなさんに遅くまでお世話になりました。ありがとうございました。

 今回は、紙に記録するのではなくて、パソコンのフォーマットに入力しているので、すぐにデータベース化できるようになっています。近い将来、多くの方々に利用されるデータの一つになることを、楽しみにしています。

 坂道を下って、路面電車の停車場まで行き、電車で街の中心部まで出ました。
 
 
 
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 今日が金曜日のせいもあってか、人出は昨日よりも多いようです。
 食後に、昨日来た思案橋と丸山町を通って帰りました。
 客引きの方がたくさん道々に立ち、声をかけておられます。人となりを見てのことでしょうか。私には一度も呼び込みの声がかかりませんでした。重そうなキャリーバックを引き摺りながら、疲れた足取りと風体を瞬時に察知してか、対象外の人間にされているようです。そのことを肌身に感じながら、坂道を上りました。長崎は坂の多い街です。
 
 
 

2012年10月25日 (木)

夜の思案橋から丸山公園を散策

 今回の文献調査地である長崎大学附属図書館の経済学部分館には、武藤文庫があります。これは、武藤長蔵博士の旧蔵資料を集めたもので、約1万冊の書籍と地図・書画・陶器200点があります。長崎関係の貴重な資料も多数含まれています。

 図書館の前には、武藤博士の顕彰レリーフが嵌め込まれていました。
 
 
 
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 経済学者であった武藤博士は、作家や歌人との親交もあり、芥川龍之介や菊池寛が長崎を訪問したときには案内をしています。斎藤茂吉とは特に親密で、長崎に教授として赴任した茂吉とは、3年半も親しく往き来しています。

 その武藤文庫の中にある日本の古典籍の調査をしました。版本が中心です。武藤博士の専門は鉄道交通、経済学史、日本と海外との交通史で、『日英交通史之研究』で慶應義塾大学から経済学博士の学位を受けています。経済学が専門であっても、歴史学や人文学にも興味と関心は及び、文献史的研究や書誌学的研究が根幹となっているため、さまざまな本が集められているのです。これだけの本を集めるのは、大変だったことでしょう。独身を通されたとのこと。家族がいては、これだけの本はなかなか買えません。

 この武藤文庫の調査は、佐賀地区の調査員の先生方と国文学研究資料館の教員によって、もう10年以上も続けられています。まだまだ、その調査は続くものです。

 書籍をこよなく愛した方の蔵書群は、その収蔵庫に足を踏み入れると不思議な感触や雰囲気が伝わってきます。今回も、一人の人間が生きた証を、実際に本を見て、手にして、ページを繰ることで実感しています。

 一日中狭い部屋に閉じ籠もっていたこともあり、夕食は街中に出掛けました。
 
 
 

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 思案橋横丁の近くで魚料理を食べ、歌謡曲で有名になった思案橋を見に行きました。
 ガッカリしないようにと釘を刺されて行きました。確かに、その通りです。名前だけが残っていたのです。
 
 
 
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 そこからすぐ近くの丸山公園まで、足を伸ばしました。
 公園の下の交番は、ついシャッターを切ってしまいます。
 
 
 
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 丸山公園は、京都の円山公園とイメージをダブらせていたので、町の小さな公園という規模に驚きました。坂本龍馬の像の後に、丸山町の交番が見えます。
 
 
 
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 長崎は、そんなに広くはないようです。明るいときに回りたいのですが、日中は図書館に軟禁状態なのでこの次にしましょう。
 
 
 

2012年8月16日 (木)

お墓参りと大文字の送り火-2012

 久しぶりに、自宅で目を醒ましました。少し煤けた焦げ茶色の天井を見ながら、一瞬、今どこにいるのか思いを巡らせました。
 7時に、病院で習慣となっている、体重を計りました。しかし、突然環境が変わったせいか、食前の血糖値を7時半に計るのをすっかり忘れていました。8時になると、妻が用意してくれた病院食に近い朝食を食べ始めました。このご飯は麦20%入りです。病院では麦入りや五穀米は給仕できないとのことなので、こうした機会に試すことにしました。
 また、このご飯は半分を、玉子も半分を食べました。少し分量が多過ぎたからです。
 
 
 

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 食べ始めてからしばらくして、今日からテストをすることになっていた、消化を遅らせるベイスンという薬を食前に飲むことを、これまたすっかり忘れていることに気付きました。しかし、もう遅いので、これは次の昼食からにします。

 病院での、管理された生活が意義深いことを、あらためて思い知らされました。

 ベイスンという薬のテストはできなかったものの、食後1時間は197、2時間後は142と、非常に良好な結果でした。私にとっての課題だった1時間後が200を切っているので、まったく問題のない朝食だったことになります。いろいろと気遣って配慮してくれている妻に感謝です。

 10時に補食としての牛乳とビスケットをお腹に入れ、大阪の八尾市にあるお墓に家族みんなでお参りに行きました。
 今日のお昼は回転寿司しかない、と決めていました。ちょうど乗り換えの鶴橋駅が食事時間になったので、駅前の回転寿司屋「海幸」に入りました。
 このあたりは、私の出身高校が近くにあることもあり、親しみのあるところです。テニスに明け暮れる日々、北は大阪城公園から南は天王寺公園まで、ランニングで走り回った地域です。
 
 
 
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 久しぶりのお寿司に、妻が一番感激していたようです。ドキドキする、と言っていました。私は、ご飯を半分にして、8貫をいただきました。そして、山盛りの海鮮サラダも。もちろん、この昼食から、消化を遅らせるらしいベイスンという薬を直前に飲んで臨んだのです。実験の最終ステージが始まりました。

 お寿司をいただいた前後の血糖値は、次のように推移しました。

食前101→食後1時間210→食後2時間91

 この食後2時間の血糖値が91というのが、これまでになかった低さです。昼食に限って言えば、食後2時間で100を割ったのは、後にも先にもこれが初めてです。薬の影響だと思われます。これがどういう意味をもつのかは、明日先生の説明を伺うしかありません。

 八尾市の東端、奈良県との境にある信貴霊園という我が家のお墓からは、今日は小豆島の左に四国の徳島県の一部がかすかに望めました。すばらしい景色でした。これまでに何度も書いた、『伊勢物語』の「筒井筒」の段で有名な高安の里が眼下に見えます。すぐ下にある、南高安小学校と中学校が、私の育った学校です。この霊園は、小さい頃に忍者部隊月光あそびをしながら登った山にあります。
 
 
 
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 一旦わが家に帰り、少し休んでから病院へ戻ることにしました。病院の玄関からは、数時間後に迫った大文字の送り火の火床が、如意ヶ岳の山肌にはっきりと確認できます。来る途中の賀茂川縁には、すでにたくさんの人たちが河原に見物場所を確保しておられました。
 
 
 
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 夕食をいただいた後、お風呂に入り、送り火をどこで見るか思案しました。
 
 
 
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 まずは、2年前に入院していた癌病棟である積貞棟の6階に行きました。あの時は、入院が延び延びになり、実際に入ったのは8月下旬でした。今回は、運良くちょうど送り火の日に、すぐそばで見られることになったのです。
 しかし、楽しみにしていた6階からは、大の字の右半分しか見えません。そこで、玄関に出ると、なんと黒山の人だかりとはこのことで、駐車場が人でいっぱいでした。
 夕方の17時半に見た如意ヶ岳を、今度は20時に撮影しました。
 
 
 
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 ふと玄関から積貞棟を見上げると、6階の2つ上の8階に人だかりがします。
 
 
 

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 急いでエレベータで上がると、ガラス越しではあるものの、目の前に消えゆく大の字がくっきりと見えました。
 
 
 

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 最後は、また玄関に引き返し、自分の眼で送り火が消えていくのを確認しました。

 今年も、壮大な送り火の劇場に身を置くことができました。妻は、自宅近くの北大路橋と出雲路橋のあたりから見たようです。去年は、自転車で「妙・法」と「舟形」を見てまわりました。「京洛逍遥(196)京都五山の送り火を考える-2011」(2011年8月16日)

 さて、来年はどこで見ることになるのでしょうか。
 
 
 

2012年6月27日 (水)

新宿の飲み屋さん街で知り合う人たち

 仕事帰りに新宿に立ち寄りました。
 新宿というと、学生時代から馴染みのガード横の飲み屋さん街に自然と足が向きます。妻とよく来た飲み屋さん街です。そこは、新宿西口思い出横丁にある店「岐阜屋」で、40年来まったく変わらない所です。

 今日はイタリアのアベックがいたので、秋にフィレンツェに行きますよ、と挨拶をしました。ローマから来たとのこと。ベタベタとやたら2人でキスをする、陽気なイタリアンでした。

 そうこうするうちに、隣の人と話をするようになりました。ここは、お客さん同士ですぐに仲良くなれるのです。
 息子を連れて来たときも、見ず知らずのおじさんと仲良くなりました。

 さらには、反対側の人ともしだいに話が盛り上がりました。この人は何と80歳で、千葉からこの店に通っているという、ご贔屓の方でした。いろいろな人生訓を聞くことができて、有意義な時を過ごすことができました。

 私が、その方の学生時代の英語の先生に生き写しなのだそうです。あまりに似ているのでビックリしたとのことです。英語がまったくできない私にとって、光栄なことです。

 東京には、こうした昔ながらの地域が残っています。
 疲れた時のエネルギー補給には、こうした場所があることは有り難いものです。
 折々に脚を運んで、大事な所の一つにしたいと思っています。
 
 
 

2012年6月10日 (日)

映画「わが母の記」のロケ地・伊豆湯ヶ島へ

 娘たちが今春3月の結婚式で、プレゼントとして私と妻に旅行ギフトをくれました。
 ゆっくりと旅行を楽しんでください、と。先方のご両親にはiPadでした。
 
 
 
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 それを使って、日頃の疲れを癒やすために温泉旅行に行きました。行き先は、新幹線と在来線とバスを乗り継いで、三島・修善寺経由で伊豆・湯ヶ島です。映画『わが母の記』の舞台となったところです。

 電車とバスの接続がギリギリです。電車の到着時刻とバスの発車時刻が一緒なのです。そこで、あらかじめバス会社に電話で確認をすると、三島駅から伊豆箱根鉄道の電車に乗る前に電話をしてくれたら、バスの発車を少し待たせておくから、とのことです。今時、そんなことをしてくれるのか、と何となく不安を抱えての道中でした。

 伊豆箱根鉄道の電車に乗ってから、運転手さんに、終点の修善寺でバスが我々が乗り込むまで発車を待っていてくれるということを伝え、前と後とどちらが改札に近いかを聞くと、前がいいとのことです。そして、座席に着いた我々のところにわざわざ来て、バスに待ってもらえてよかったよかった、と満面の笑みで少し話をして喜んでくださいました。

 最近はみなさん自家用車で伊豆を旅されるからでしょうか。こうした接続には駅員の方も慣れておられないようです。宿の方も、こうした電車とバスの接続についてはよく実態をご存知ないようでした。

 バスに乗り換えるだけの待ち時間がないところを、電話をしたことで待ってもらえるとは、今の日本では考えられないことです。実際に、電車で到着した我々をバスの運転手さんは待ってくださっていました。5分ほど遅れて発車です。

 乗る人も降りる人も地元の方ばかりなので、運転手さんと普通に挨拶をしておられます。運転手さんに、この日の宿である落合楼村上へ行くために降りるバス停を確認すると、ここでも親切に説明してくださいました。電車ばかりではなく、バスでも親切な運転手さんと出会えたのです。
 人の心が相手に寄り添う、優しさと思いやりが溢れる伊豆の旅がスタートしたのです。

 新宿というバス停で降りると、すぐ目の前が落合楼村上です。
 ここは、映画やテレビドラマなどでよくロケ地とされるところです。
 
 
 

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 宿は大正ロマンを感じさせる、木肌の温もりと職人さんの心意気を感じさせるところでした。建物の一部は、国指定登録有形文化財となっていました。

 先ずはお茶をいただいてから庭を散策です。
 落合楼村上の庭から川越しに架かる吊り橋は、現在上映中の映画『わが母の記』で、最初に伊上(役所広司)と八重(樹木希林)が話をするシーンとして出てきた場所です。
 
 
 

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 部屋も、いい雰囲気でした。ここでは、すべての部屋が違った造りだそうです。それぞれ別の大工さんが競って作ったとのことです。欄間や障子の細工が凝ったものでした。
 
 
 

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 夕食は、何と言っても地元のワサビです。
 サメ皮を貼ったおろし器で摺り下ろします。息子は小さいときから料理にうるさく、このおろし器を見ると、大阪難波の千日前道具屋筋商店街まで一緒に買いに行ったことを思い出します。
 
 
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 横に醤油があります。しかし、ワサビだけをお刺身にのせていただきました。思ったよりも丸みを帯びた味で、家庭用でよくある不自然な刺激はありませんでした。
 映画『わが母の記』でも、ワサビが印象的に点綴されていました。

 井上靖の小説によく出て来る狩野川と本谷川の合流地点にあるところから、明治14年に逗留中だった山岡鉄舟がここを「落合楼」と命名したとか。川の水音がやさしく聞こえてきます。
 いくつもの小部屋があり、一軒の家に泊まっている感じになりました。

 電話もインターネットも、手持ちのものがソフトバンクの回線なので圏外となってつながりません。ポケットWi-Fiも反応しません。現実に直面し、通信会社をソフトバンクにしていて後悔する場面です。Appleさん、こんな会社と契約するなよ、と口惜しい思いをすることしきりです。京都も立川も深川でも圏外なので、ここ湯ヶ島がつながらないのは覚悟の上で携帯を持って来ています。

 ブログをどうしようかと思案していると、入口に近い物書きのできるコーナーに電気スタンドがあり、その左後ろに、白くて四角いAppleの無線ルーターがあるのを見つけました。AirMacエクスプレスというものです。なぜこんなところに?
 部屋の雰囲気とはあまりに違う最先端機器を目敏く見つけた私は、逸る心を抑えて早速様子見です。
 
 
 

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 ランプはオレンジ色が点滅していたので、このままではつながりません。そこで、勝手知ったるアップルユーザーの本領発揮です。まずはリセットして再起動し、いろいろと試していると、なんとパスワードが書いてある場所を見つけました。フロントに確認する前に、難なくインターネットにつながったのです。ランプも緑色になっています。
 
 
 

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 持参のノートパソコンは、快適に情報を表示してくれています。
 これで、湯ヶ島での通信環境は完璧です。

 ゆったりと川のせせらぎを聞きながら、何度も露天風呂を往き来しました。
 家族用の露天風呂の横には、井上靖の『しろばんば』で洪作が登った木があります。この宿は、井上靖の作品にも出て来るのです。明日が楽しみです。

 伊豆の湯ヶ島での一夜で、心身共にリラックスして休むことにします。
 
 
 


2012年6月 7日 (木)

新婚生活の地を訪れての驚愕

 新婚時代に住んでいた所に行きました。
 当時の住所は覚えています。しかし、今はその地名も番地も変わっています。
 グーグルアースで見ても、さっぱり当時の場所の見当がつきません。
 記憶力のいい妻がそうなので、私にはなおさらお手上げです。

 とにかく最寄り駅の駅前の書店で、周辺の地図を見ました。やはり思い出せません。
 隣の不動産屋で旧番地を言っても、36年という時間の流れの中であまりの変貌ぶりに、かえって話が混乱します。

 交番に入りました。
 若いお巡りさんは、親切にもゼンリンの詳細な地図を持ち出してくれました。
 うろ覚えの店の名前や学校があった場所を手掛かりに、3人で人差し指を地図に這わせました。
 いかんせん、36年前の話なので、お巡りさんも生まれていないのです。あやふやな訳の分からないことを言う我々を、お巡りさんは認知症の親の相手をするかのように、優しく丁寧に対応してくださいました。とんでもない闖入者でごめんなさい。そして、長時間お付き合いをさせて、すみませんでした。

 結局、住んでいた家の前の小学校の名前がわかり、問題は解決しました。

 いつも乗り降りしていたバス停の名前もわかりました。
 20台前半の若かった頃のことなのに……
 それも、新婚時代のことなのに……
 悔しいかな思い出せなかったのです。

 目指すバス停で降りても、やはり当時が思い出せません。狭い路肩にバスは止まったはずです。それが、あまりにも違うので別世界に来た思いに駆られます。
 
 
 
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 ただ、ぼんやりと、記憶が陽炎のように見え隠れするだけです。
 狐につままれた、とはこうしたことを言うのでしょうか。

 信号、横断歩道、小さなお寺、狭い道、と歩いていくうちに、次第にこれが当時は狭いあぜ道のような所だったことがわかり出しました。
 
 
 
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 しかし、すぐ目と鼻の先の角を右に曲がって、と思っても、あまりにも雰囲気が変わっているので半信半疑です。目を疑うほどの立派な風景が、我々の眼前に展開しています。当時の面影はまったくと言っていいほど、微塵も感じられません。
 
 
 
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 この道もかつては細い道で、ガードレールの所を草に覆われた小川が流れていました。
 右側には、確かに小学校学校がありましたが……

 それでも、微かな記憶を信じて進むと、目的のかつての住まいがあった場所が目に飛び込んで来ました。
 
 
 
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 写真中央の赤い車の手前に、2階建ての家があります。これが、当時は平屋でした。周りは田んぼだったように思います。
 この家を、結婚したての我々は、3年ほど借りました。ちょうど私が大学院の修士課程の頃です。
 当時の私は学生だったので、妻に養ってもらっていたのです。いわゆるヒモです。

 写真の赤い車の向こうが大家さんの家でした。時々、大家さんがキュウリなどの野菜をもってきてくれました。そして、野菜を肴にして、縁側で一緒にお酒を飲んだりしていました。しかも、真っ昼間から。
 夕方になると、私は自転車で駅まで妻を迎えに行きます。そして、2人でブラブラと帰って来ました。
 今から思えば、牧歌的な生活です。

 家の南側には、妻が小さな庭と畑を作っていました。そこにはたくさんの花が咲いていました。目の前は小学校のグランドでした。学校帰りのこどもたちが、いつも花に話しかけていました。私は、ボケと桔梗の花が好きで、縁側に座って花を見て気分転換をしては、また机に拡げた資料とにらめっこをする日々でした。

 思い出す場面の一つ一つを、目の前の光景が支えてくれません。本当にここにいたのだろうか、との思いが、ここを立ち去った後も消えませんでした。

 立派になった道を進むと、当時はなかった新しい駅が2つも向かい合うように並んでいました。この地域の発展ぶりが、この一事をもってしてわかります。

 新しい駅前に、しゃれたビルがありました。その中にあったレストランで、おしゃれでわさやかな食事をしました。私はワインを、妻はビールを飲みながら、今しがた見たものと36年前の記憶とを付き合わせることで、老化防止のトレーニングに励みました。その落差は、想像を絶するものでした。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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