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2011年12月29日 (木)

歳末の法善寺横町界隈へ

 歳末の慌ただしい中を、大阪の法善寺横町で娘夫婦と食事をしました。
 
 
 
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 妻は、家の大掃除と引っ越しの準備のため、私1人が出かけました。

 法善寺横町の夫婦小路からお店に上がり、ちょうど水掛け不動さんを見下ろす席に案内されたこともあり、善男善女が列をなして参り集う様子を見ながら、湯豆腐とお刺身をいただきました。ここは、これまでにも宴会で何度か使ったお店です。
 話が弾み、長居をしてしまいました。
 帰りがけに、夫婦善哉をお土産にしました。糖質制限中の私には口にできないものですが、新しくスタートした2人にはぴったりです。

 食後、お不動さんにお水を掛けて、もろもろの報告とお願いをしました。
 苔をびっしりと身に纏ったお不動さんです。この圧倒的な存在感には、とても叶いません。
 
 
 
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 お不動さんは、私が大阪の高校で教員をしていた頃と、まったく変わらないお姿です。

 またまた老いの繰り言で、過去の回想となり気が引けますが、かれこれ30年前のことです。このすぐ近くの難波駅を起点にして、私は大正区の高校に通勤していました。ここを起点にしていたのは、帰りには必ず、日本橋の電気屋街に立ち寄って帰る日々だったからです。

 昭和60年前後は、まさにコンピュータが個人の手の届くものとなり、日本橋も熱狂的なブームに沸いていました。私は、この異様な熱気に包まれた日本橋の電気屋街で、小学生や中学生たちから、コンピュータを操る言語(マシン語)やマニアックな操作方法やプログラムを教えてもらいました。

 この頃に書いた拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(昭和61年、桜楓社)を、お不動さんを見ながら娘夫婦に渡しました。この本は、私が初めて出版したものです。さらに、表紙や挿絵のイラストは、すべて妻が描いています。ちょうど娘が3歳の可愛い盛りのときです(いや、今も)。親としての記念品でもあるので、年を越さない内に渡したかったのです。今日は、それが果たせました。しかも、夫婦善哉とお不動さんの前で。

 食後のコーヒーは、近くにある千日前の丸福珈琲店で、と思って行きました。
 
 
 

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 ここは、昭和9年創業の老舗です。店内の雰囲気もいいのです。
 しかし、禁煙コーナーがまったくないとのことで諦め、難波ウォークの地下街に移動し、英国屋で四方山話に花を咲かせました。これから奈良を再生させる話で盛り上がりました。

 日本橋駅まで2人に見送ってもらい、淡路駅で乗り換えました。
 ホームで乗り換えの電車を待っていたら、そこへ東京から仕事の電話がありました。
 これが、帰路をさ迷う前兆となります。

 電話で打ち合わせを終えると、運良く目の前に電車が来たので飛び乗りました。車中で、いくつもの連絡のメールに返信を書くことに没頭していたところ、「北千里駅終点」というアナウンスが耳に飛び込んできたのです。淡路まで乗って来た電車の後続列車に乗っていたのです。
 慌ててまた淡路まで引き返し、各駅停車と準急と快速特急を乗り継ぎ、6回も乗り換えを繰り返して家にたどり着きました。感が外れるときは、うまく電車もつながりません。

 この歳末に、不覚にも電車で迷走してしまいました。お陰で、電話とメールでいくつもの仕事が捗ったとはいえ、家に帰るのに予定の倍以上の時間がかかりました。

 今日は夕方から、錦市場で新年の買い出しをする予定でした。これは明日にします。
 今年もあと3日。慌ただしい歳末を迎えていることを、こうして肌身で実感しています。
 
 
 

2011年11月21日 (月)

車窓からチラつく雪を見ながら山形へ

 今夏7月に酒田市へ行って以来の東北行きです。

 昨日、名古屋の蓬左文庫で見た鎌倉時代の古写本『源氏物語』の余韻を温めながら、東京駅に急ぎました。

 ホームには、「こまち」と「はやぶさ」をつなげた、一風変わった姿の車両が止まっていました。
 接続の仕方がおもしろいので、ついシャッターをきりました。
 
 
 

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 松本清張の『点と線』に、東京駅で1日の内に限られた時間、それも4分間だけ向こう側のホームが見通せることを活用した場面がありました。
 この列車のつなぎ方だと、あのトリックはもう単純には使えません。向こう側がずっと丸見えです。

 それはともかく、こうして「こまち」と「はやぶさ」をつなげた車両を「はやて」として運行するのは、なんと一昨日からなのだそうです。たまたま、こんな接続例に出会えたのです。

 私が写真を撮っていると、少しずつ携帯のカメラを構える人が増えて来ました。そして、やがて私は、黄色い線の内側に押しやられるようになりました。
 おいおい、と言いたくなる気持ちを押さえて、その場を離れて山形行きの「つばさ」を待つことにしました。

 私が乗った「つばさ」は、仙台へ行く「MAXやまびこ」を後ろにつないだ列車でした。福島で二手に別れるそうです。
 いつもと違う旅は、いろいろと楽しいものが見えてきます。

 福島を過ぎて米沢の手前あたりから、車窓に白いものがちらつき出しました。よく見ると、あたり一面を雪が覆っているのです。

 ところが、米沢を過ぎると、この雪はなくなりました。月山の影響で、こうした変化が生まれるのだそうです。
 山形駅に降り立つと、空気の冷たさに身震いしました。もっと寒さ対策をしてくるのでした。
 幸い、傘がなくても何とかなる程度の雨です。
 明日は雪にならないことを祈るのみです。
 
 
 


2011年6月 2日 (木)

検診の合間に二松学舎大学の学食へ

 このところ、天気が不順です。
 今日も小雨の中を、検診を受けるために九段坂病院へ行きました。
 予約が入っていたので、待ち時間は短くて助かりました。

 朝の診察の眼科では、糖尿病による目の異常はない、とのことです。一安心です。

 午後は、内科です。しかし、午前と午後の診察の間が長くて、時間を潰すのに一苦労です。

 普段は本を読んで待ちます。しかし、今日は、午前中の眼科で、瞳孔を開く薬を目に入れたために、光が眩しくて本が読めません。

 病院に隣接する二松学舎大学の学生食堂で、学生さんたちに混じってお昼ご飯をいただきました。学食は、各大学で違います。最近は特に工夫がなされていて、楽しい学食が多くなりました。今日は、480円の日替わりランチにしました。

 この二松学舎大学には、苦い思い出があります。
 今から20年ほど前のことです。
 中古文学会の研究発表を申し込んだのですが、当時委員だった方から、私の書類は出ていなかった、とのことでした。事務局に問い合わせると、二松学舎大学の塚原鉄雄先生から、ご丁寧なお詫びの封書をいただきました。応募書類は大学の金庫に保管されていたが、休み明けの会議の時に、私の書類だけが金庫の中に取り残されたままで会議が終了したのだそうです。
 恐縮するほど丁寧なお手紙でした。そして、これに懲りずに来年もぜひ応募してほしい、ともありました。

 再応募をして翌年の春、二松学舎大学で開催された中古文学会で無事に研究発表をさせていただきました。学会誌にも、論文として掲載してくださいました。その翌年の冬に、塚原先生はお亡くなりになりました。未熟な者へのお心遣いに、今でも敬服しています。

 ところが、私のことですから、話はこれだけでは終わりません。予期せぬトラブルは、私に付き物なのです。

 発表の内容は、室伏信助先生が私に貸してくださった伝阿仏尼筆本の本文に関するものでした。私が午後の一番で、私の次が研究仲間である天理図書館の岡嶌さんでした。
 お昼の休憩時間に、室伏先生がマイクの調子をテストしておいたほうがいいよ、とおっしゃいました。そして、ありがたいことに、先生も一緒に壇上でマイクの調子を確認してくださいました。これまでの先生の体験からのアドバイスだったのです。
 その時は、岡嶌さんも、ボリュームの調整をなさいました。実は、『源氏物語』の本文に関する研究を活性化しなければ、という篤い思いから、岡嶌さんと示し合わせて発表に臨んだのです。当時、『源氏物語』の本文研究が2つも並んでなされるのは、非常に珍しいことでした。

 午後のトップバッターとして私が発表を始めてしばらくすると、マイクが入っていない、という仲間からの身振りによるサインが目に入りました。司会者からも、マイクの調子が悪いが、そのまま続けるように、とのことだったので、少しトーンを上げて発表を終えました。
 ギッシリ満員だった会場に私の声は届いたらしく、室伏先生からも、発表内容に関してお褒めの言葉をいただきました。

 次の岡嶌さんの時も、マイクは使えないままでした。我々の後は、スピーカーから音が出るようになりました。

 これは、今でも忘れられない研究発表です。
 想定外は、いつもあるものです。予期せぬ出来事ばかりの日々を生きる私は、世の中は何でもあり、という思いをいつも感じています。

 さて、午後の内科の診察です。午前中に採血した結果によると、ヘモグロビンa1cの値は、1ヶ月前の7.3から7.1に、少しだけ下がっていました。しかし、やはり高いことには変わりません。先生も、6.5を目標値とし、あと2、3ヶ月は様子を見て、それでも下がらなければ薬による治療に切り替えましょうか、とのことでした。

 一応下がる傾向にはあるので、さらなるカロリーコントロールと生活改善に励むことにします。
 
 
 

2011年3月11日 (金)

日南町の井上靖と池田亀鑑

 縁あって、鳥取県日野郡日南町に足を運ぶのは3度目となります。
 この地は、井上靖・池田亀鑑・松本清張と関わりの深い町です。

 井上靖が『通夜の客』において、「岡山で伯備線に乗換え、あのいかにも高原の駅らしい上石見の小さくて清潔なプラットホームに降り立った時はもう暮方でした。」と語る上石見駅は、今も同じところにあります。
 池田亀鑑も随筆集『花を折る』で、「岡山県を出た伯備線の列車が、高梁川に沿うて北上し、中国山脈をこえて鳥取県にはひつて最初の駅、そこでおりて、また小さな谷川を一里ばかりさかのぼると、三方山にかこまれた小さな部落がある。そこは、わたくしの生涯わすれることのできない、なつかしいふるさとである。」(「私のふるさと」二頁、BK放送、昭和二十五年十二月)と言っています。

 岡山県と鳥取県の県境にある上石見駅は、トンネルを抜けるとすぐの駅です。
 
 
 

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 その上石見駅に近いところに、今夜は宿を取っています。池田亀鑑が生まれた家も、この宿の近くにあります。亀鑑が通った小学校も。

 今日の午後は、井上靖について、昨年おせわになった伊田さんに、さらに詳細なお話を伺うことができました。
 また、井上靖が『通夜の客』で描いた山道を、実際に連れて行ってもらいました。今も、小説に語られた道が残っていることに驚きです。

 その後、池田亀鑑が生まれたお宅に伺い、当時の家がそのまま移築された槙原さんのお宅も拝見しました。

 今は、まだ旅の最中なので、新たに今日知り得たことの詳細は、帰ってからにしましょう。

 明日は、日南町生涯教育総合推進協議会が主催のイベントで、私は池田亀鑑についてお話をすることになっています。

 そのことも含めて、明日改めて報告したいと思います。
 
 
 

 

2011年2月12日 (土)

平山郁夫の「大唐西域壁画」

 薬師寺の玄奘三蔵殿で平山郁夫の「大唐西域壁画」が公開されたのは、2001年だったかと思います。
 長さ50メートルにも及ぶ大壁画を、当時は奈良の生駒山麓に住んでいたこともあり、公開早々に見に行きました。平群の自宅からは、矢田丘陵を越えてすぐのところに薬師寺があったので、この「大唐西域壁画」は地元の壁画という感覚があります。

 また、この壁画とは切っても切れない薬師寺の高田好胤管主は、当時薬師寺で「父母恩重経」の法話をなさっていました。それを聞いたこともあり、なおさらこの絵には親しみが湧いています。

 薬師寺に関する私のブログの記事は、そのほとんどがサーバーのクラッシュにより今では読むことが出来なくなっています。いつか、断片から復元したいと思っています。

 さて、薬師寺で見たあの「大唐西域壁画」が、今、上野の東京国立博物館で『仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護』という特別展(2011年1月18日〜3月6日)で見られるのです。早速行って来ました。
 
 
 

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 平山郁夫は、2009年12月に79歳で亡くなりました。あれから1年が過ぎました。平山郁夫を偲んで、その文化遺産保護活動をテーマにしての展覧会です。創作活動と保護活動という二つの面を、展示では十分に感得しながら見ることができました。

 インドから中国を経由して日本に伝わった仏教が、保護すべき仏像や壁画の資料等と共に、平山の絵画と巧みに融合していました。
 学芸員のレベルの高い企画力と展示力を味わうこともできました。
 図録の出来もすばらしいと思います。
 
 
 

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 今回の列品の中では、やはり最後の部屋にゆったりと繰り広げられる大作「大唐西域壁画」が、迫力のあるものでした。薬師寺ではガラス越しで見たこともあり、今回は何の障壁もなく、絵を直に見られたのが一番の収穫です。

 文化財保護の重要性を前面に押し出しての展示は、主催する側としては難しかったことでしょう。しかし、バーミヤンの石仏が破壊される前と後の絵で、その意義はすーっと入ってきました。

 私にとっては、あと1週間後にインドへと旅立つので、目に飛び込む仏像などが新鮮でした。
 また、今回の題材となった地である敦煌や楼蘭などは、井上靖の小説とダブルところが多いので、二重三重に楽しめました。

 平山郁夫と井上靖に案内されながら、仏教伝来の道の旅を満喫しました。
 
 
 

2010年11月23日 (火)

びわ湖百八霊場(2)27-正明寺の秘仏千手観音

 湖東の正明寺で、33年に一度の御本尊御開帳がありました。
 ちょうど今日が最終日です。次の御開帳のとき、私は90歳を越えています。そう思うと、生きているうちに、との思いから、早朝より出かけました。

 乗り換えのJR草津駅では、降りたホームに信楽高原鉄道の自動改札機がありました。
 
 
 
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 一見意味がなさそうですが、降りるときにその意味がわかります。
 西国札所めぐりをして、ローカル線に乗り降りすると、自動改札のありようがわかりました。切符に磁気の信号を入れておかないと、後で何かと面倒なことになります。無人駅対策でもあります。

 JR貴生川駅で近江鉄道に乗り換えます。
 人一人がやっと通れる改札です。駅員さんは、今でもパンチで切符に穴をあけていました。
 
 
 
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 ここで、「日野町法輪山正明寺御本尊御開帳記念1day パス」を買い、のんびりとした旅の始まりです。
 
 
 
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 日野駅は木造です。
 
 
 

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 改札で正明寺行きのバスを訊くと、前に止まっているのに乗りなさいと。眼の前に止まっていたバスに乗ると、すぐに出発しました。
 予定では5分で着くバス停が、なかなか表示されません。信号で止まったら運転手さんに確認しようと思っていました。10分を過ぎた頃、やっと小さなバス停に止まったので、運転手さんに正明寺はまだかと尋ねると、このバスは反対方向に走っているとのことです。正明寺行きは後ろだが、そちらに行くバスは先ほどすれ違ったので、1時間しないと来ないそうです。ここで降りて、歩いて10分のところにある近江鉄道の桜川駅から元の日野駅に戻り、乗り直すしかないのでは、とのことでした。

 知らない田園風景を見ながら当て処もない旅の様相を呈してきました。
 桜川駅は、線路際にポツンとある駅でした。50分の待ち時間があります。
 
 
 
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 近くに場違いなほど立派な本屋さんがあったので、そこで時間を潰し、琵琶湖周辺のガイドブックを買いました。よく整った品揃えで、街中の本屋さんに引けを取りません。日本の文化レベルの高さを教えられました。

 またまた日野駅に戻り、今度は運転手さんに確認して正明寺を目指しました。
 1時間半ほど道草を食ったことになります。

 バス停から歩いて15分ほどで、正明寺に着きました。きれいな境内です。
 
 
 
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 ここは、聖徳太子が創建で、黄檗宗のお寺です。聖徳太子の創建というお寺は、琵琶湖周辺には多いようです。
 戦国時代に灰燼に帰し、江戸時代に後水尾上皇の勅建寺として再興されました。
 
 
 

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 正面の本堂は、京都御所にあった清涼殿を移築したものでした。重要文化財に指定されています。

 本尊は秘仏の千手観音です。観音が33の姿で衆生の願いを聞いたということから、33年に一度の御開帳となっています。ちょうど、今年がその歳に当たりました。

 本堂で、千手観音を間近に見上げました。いい仏様です。
 下から見たせいか、正面からの写真よりもお顔立ちがきつく感じられました。

 このお寺も、びわ湖百八霊場であることが、受付の方に聞いてみてわかりました。と言っても、受付の方もわからず、何人かの方に訪ねてわかったのですが。
 
 
 
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 びわ湖百八霊場の巡拝も、こんな調子で回るので、何年かかるかわかりません。気長にいきましょう。
 
 
 

2010年11月 8日 (月)

西国三十三所(37)大本山永平寺で結願に

 我が家は、曹洞宗の家系ということになっています。大本山は福井県にある永平寺です。
 もっとも、日本の多くの家がそうであるように、宗教的な意識も信仰心も、いたって希薄です。
 そして、偶然なのですが、妻の実家も曹洞宗です。歴史好きの義母とは、禅宗の話で意気投合したものです。

 海外の方と宗教の話をするときには、仏教を信じている、ということにしています。突然のブッティストになるのが、一番無難な答えだからです。
 ただし、私自身に、仏教の信者だという自覚はありません。お寺を巡拝しているときには、それなりにそれらしい気持ちになります。しかし、それは一時的なものであって、日常的に信仰心があるわけではないのです。

 そうであればこそ、こうして西国札所巡りをしていると、日常の自分とは違う世界に身を置いている自分を感じることが、非常に新鮮に思われます。
 心の拠り所を求めて旅をしている、という気持ちは、否定できません。もっとも、そんなに難しいことを考えて歩いているわけではありません。とにかく、スタンプラリーをしているつもりで気持ちを軽くしています。1つでも空欄を埋めよう、という気持ちで歩いてきたのです。

 それに加えて、今回は病後の、手術後のリハビリも兼ねての巡拝です。現世利益を求めての旅そのものです。しかし、それでも、外から見れば、宗教に起因する旅と映ることでしょう。くすぐったい気持ちがするのは、私自身が宗教に馴染みがないせいだからでしょうか。

 と、そんなことを言いながらも、こうして西国札所巡拝の旅の記録を書き続けてきました。
 今日は、それもとじ目となる、結願の永平寺行きです。

 あわら湯のまち駅からえちぜん鉄道で永平寺を目指します。
 駅員さんが懇切丁寧に行き方を教えてくださいました。おまけに、お得な1日フリーキップも。
 このえちぜん鉄道は、非常に気持ちのいい電車です。乗り換えで待合室にいても、駅員さんが優しく声をかけてくださいます。駅舎も、手造りで温かみがありました。
 一輌の電車なのに、運転手さん以外に車掌さんが乗っておられます。しかも、丁寧な案内と、何か困った人を見つけると、さりげなく、そして親切にお世話をなさいます。
 
 
 
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 地域に根差した、思いやりの教育が徹底していることが、乗っているだけでわかります。これは、今後とも地元の人に支持されて運営がつづくことでしょう。いい電車に乗りました。

 永平寺は、いつ来ても身が引き締まる雰囲気があります。
 
 
 
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 今回の西国三十三所の巡拝では、お軸に御詠歌を書いてもらっていました。しかし、どうしたことかスペースがいっぱいになっていて、永平寺の印を書いてもらう場所がありません。受付でそのことを相談しました。
 お二人のお坊さんが対応してくださいました。お軸を広げて見てもらいました。
 結局、もう一つ番外の印を書く空欄がない軸なので、今回は大本山永平寺の印はなしで、このままにしておくことになりました。表装が終わったら、箱書きに永平寺での結願のことを記すつもりです。

 道元さんが、今もいらっしゃるとしてお勤めが続いている承陽殿を拝見しました。
 また、両親を分骨してお祀りしてもらっている祠堂殿にも行きました。
 
 
 
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 奈良県のコーナーに行き、我が家の位牌を探しました。しかし、たくさん重なるようにあってわかりませんでした。それでも、両親には私のことをはじめとして、家族の近況を無言のうちに伝えました。
 わかったよ、と言ってくれたように思います。

 帰り道、乗り換えの福井駅の構内に、回転寿司屋を見つけました。
 これは、素通りするわけにはいきません。
 
 
 
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 ちょうどマグロの解体をしていることろでした。
 
 
 
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 おいしいマグロの中落ちが、軍艦巻きの上に溢れんばかりに盛られて出てきました。
 
 
 
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 私はトロは食べないので、赤身のいいところもいただきました。
 今日から解禁となったカニも、いい出汁が出ていました。
 海に近い回転寿司屋は、こんなものを食べさせてくれるのです。
 気楽にお寿司が食べられるのは、私にとっては至福の刻です。贅沢さを排除した回転寿司は、食事に気を遣う今の私には最適な食べ物です。好きな時に好きなだけ食べて、そしていつやめてもいいのですから。たくさん食べられない私には、理想的な食事の場所となっています。

 旅先で回転寿司屋を見付ける楽しみも、これから続けていくつもりです。
 そして、これまでと同じように、また毎日のようにお寿司を食べる日々が少しずつ始まりました。その意味でも、福井でマグロと出会ったのは、幸先のいい食生活のスタートとなったとも言えるでしょう。
 
 
 

2010年11月 7日 (日)

西国三十三所(36)満願の華厳寺

 満願となる谷汲山華厳寺へは、早朝より始発で出発しました。岐阜県の山中にある西国三十三所の終着地です。途中、乗り換えが6回もあり、片道4時間の旅となりました。

 自宅を出てから、烏丸御池、山科、米原、大垣、本巣、谷汲口で乗り換えて、最後はバスでようやく谷汲山にたどり着く行程です。

 大垣から乗った樽見鉄道は、第三セクターを介して、さまざまなドラマがあった鉄道のようです。
 
 
 
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 これは、本巣で電車を乗り移るときのものです。電車も年代物で、バックミラーが付いているのが時代を教えてくれます。地元を始めとして、多くの方々の支援を得て、元気に運行しています。
 車中から、柿がたくさんなっているのが見えました。車内には、子供たちの絵が、たくさん掲示されています。心温まる鉄道です。

 谷汲山は、参道を始めとして、きれいで気持ちのいいお寺です。
 満願のお寺だけあって、お軸の表装を扱うお店がたくさんありました。
 
 
 
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 境内も、満願成就を果たした方々が多いせいか、明るくて満足感が漂っています。西国札所の中でも、ここは特別な雰囲気があります。
 私も、達成感があるせいか、心なしか気分が晴れやかになります。
 
 
 
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 巡拝団のみなさんの御詠歌や般若心経も、力強く聞こえて来ます。自信に溢れた歌声です。
 みなさん、それぞれ念ずることがあっての巡礼です。事情も願い事も、各人違うはずです。それでも、一つずつ札所を踏み、それを積み重ねることによって、こうして満願のお寺にたどり着かれたのです。
 無事に回り終えた充実感を噛みしめて、今それぞれの思いの中で、自分を確認しておられることでしょう。
 かく言う私も、達成した喜びが徐々に感じられて来ました。
 
 
 
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 今、幸せの絶頂にいる人は、この境内にはほとんどおられないでしょう。日常生活に何も問題のない方も、おそらく皆無に近いでしょう。生きていく上で、何か思うところがあるからこそ、こうして西国三十三所を巡礼して来られたのです。ここに集っている人々の思いは、ひたすら明日を見ていると言えます。すばらしい空間を共有していることに、ある種の感慨を抱きました。

 華厳寺の御詠歌は、次の通りです。


よをてらす
ほとけのしるし
ありければ
まだともしびも
きへぬなりけり

 
 
 
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 自分にとって祝うべき日なのですが、1つだけ気になることがありました。それは、朱印をいただくときの華厳寺の方の態度です。非常に傲慢なのです。

 まず、お軸を渡すと、後ろ向きで、私から視線を遮るようにして書かれるのです。
 写真を撮りたいので少し横に回り込むと、写真を撮ってはいけない、ときつくおっしゃいます。
 そして、その時に見たのですが、もの凄いスピードで文字を書いておられます。文字がどうかではなくて、あんなに乱暴に筆を飛ばして書かれては、書いていただく方としては不愉快な思いをします。もっと丁寧に書いてもらえませんか、と言いたくなります。

 なぜ、書く姿を隠すようにしておられるのでしょうか。見られたくないので……、としか思えません。また、写真を撮ってはいけないと言うときも、ものには言いようがあると思います。非常に嫌な思いにさせられる、慇懃無礼な言い方でした。

 このことは、数年前に来たときにも感じました。しかし、その時は、家族全員で来たこともあり、特に嫌な思いをした気持ちを家族に語る必要もないので、そのまま忘れていました。しかし、今回も、となると、これはこの寺の品性と資質の問題です。
 このお寺側の態度は不遜です。西国三十三所の中にずっといたいのであれば、参拝者を不愉快にするような態度は改めるべきです。それとも、もしそれがお寺としての主義からくるものであれば、そのことをどこかに明記しておくべきでしょう。もしくは、説明してください。他のお寺では、そのようなことは一切ないのですから。

 私に、もし今の西国三十三所の問題点を聞かれたら、その1つにこの華厳寺を札所から外すべきだ、ということを答えるはずです。ついでに、もう一ヶ寺をあげれば、三井寺と答えます。この寺も、不愉快なお寺です。

 こんなことは言っても屁の突っ張りにもならず、お寺の姿勢が変わるとは思えません。しかし、満願の寺ということに胡座をかいて、参拝者を蔑ろにしている姿勢は明らかです。
 悟りの道を求めて精進しておられるならば、1日も早く今の参拝客に対する姿勢について、このままでいいのか、今一度確認をなさるべきです。

 それはともかく、7月16日にガンの告知を受け、週明けの7月19日から石山寺を皮切りに始めた、私の西国三十三所札所巡りでした。丸々4ヶ月かかって、今日ようやく念願の満願となったのです。
 
 
 
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 来週は、私の誕生日であり、同時に結婚記念日を迎えます。その日に間に合ったことも、喜びをいやましにしています。

 本堂の裏には、満願堂がありました。
 
 
 
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 長かった道のりを振り返り、これまでのさまざまなことを想い出しました。そこは、自分自身と向き合う時間が持てる場所です。気持ちを整理し、新たな思いで出発する場所は必要です。
 今回をいい区切り目として、また身体を大事にしつつ体調管理に専念したいと思います。

 帰りの参道で、鮎の塩焼きをみつけました。途中の列車から見た、揖斐川か根尾川で穫れたものでしょうか。
 これもお祝いだということで、妻と一匹ずつをいただきました。焼きたてということもあり、爽やかな格別の味わいでした。
 
 
 
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 また、参道にはポン菓子屋さんがいました。
 
 
 
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 父がシベリアから引き揚げて帰ってきてから、一時はこの仕事をしていました。私が幼かった頃には、父に付いて行き、このポン菓子機のハンドルを回す手伝いのようなことをしたものです。
 ちょうど満願を果たした直後に見かけたというのは、ポン菓子で祝ってやろうという、父からのメッセージかもしれません。

 父のポン菓子のことは、次のブログに書きました。ご笑覧を。

「わが父の記(2)川で流された時」(2008年5月20日)


「わが父の記(3)父の仕事(その1)」(2010年4月 3日)

 バス停の近くに、満願の湯という温泉がありました。しかし、これから我が家の大本山である永平寺に、もろもろの報告を兼ねた参拝に行きます。
 今日中に福井県の永平寺に行くのがきついので、今日は東尋坊に近い芦原温泉に泊まります。そこで北陸の温泉につかり、気分を一新して、明日永平寺に向かう予定です。
 ということで、この谷汲山の温泉は見送ることにしました。

 永平寺には、父と母の分骨をしています。2回とも、家族みんなで分骨に来ました。
 私が病気をしたことを知る由もない両親に、改めて病気平癒の祈願と家族の近況報告をするつもりです。
 また、明後日には、娘がフランスへの留学に旅立ちます。
 諸々の安全祈願を込めて、報告の参拝です。

 もと来た道を、また乗り継ぎをしながら引き返します。
 谷汲山口、谷汲口、大垣、米原、そして、米原からは特急しらさぎに乗って琵琶湖の西沿いを北上して福井県へ。
 今日の最後は、えちぜん鉄道のあわら湯のまち駅で降りて温泉宿へと入りました。

 今日1日だけでも、何種類の電車に乗ったのか数え切れません。思い出しながら数え挙げると、10回も乗り継いでいました。

 温泉につかって疲れを癒やし、西国三十三所の満願成就を妻と共にささやかに祝いました。
 
 
 


2010年11月 5日 (金)

西国三十三所(35)松尾寺

 成相寺の次に松尾寺へ行くために、北近畿タンゴ鉄道の天橋立駅から西舞鶴駅へと向かいました。一輌の電車で7駅区間乗ります。

 西舞鶴駅で一旦外に出て切符を買い直し、JRに乗り換えて一駅先の東舞鶴駅へ。さらに。向かいのホームの斜め前方に止まっている電車に乗り換えます。乗り換え時間が2分という、まさに早業で松尾寺駅まで一駅だけ乗ります。

 何とも、気の抜けない乗り継ぎの連続です。ゲーム感覚の電車リレーです。身の代金の受け渡しのため、犯人から指示をされて警察の尾行をかわしているような、そんな錯覚に陥りそうです。

 電車は、舞鶴湾を左に見て走ります。
 
 
 
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 舞鶴というと、終戦と共に母が旧満州から、その3年後に父がシベリアの抑留強制労働から解放されて引き揚げてきた港でもあります。
 父がシベリアから帰還したとき、島根県出雲市にいた母が「岸壁の母」として舞鶴で待っていたかどうか、二親が共にいない今では確認のしようもありません。
 母の性格からして、おそらく舞鶴港には行かず、いつか帰ってくるだろうから、それまでは出雲の実家の屋根裏部屋で待っていよう、と思っていたことでしょう。そんな、ノンビリした母でした。

 「舞鶴引揚記念館」があるそうです。いつか機会を得て、両親の戦争体験を少しでも知るためにも、ここに行きたいと思いつつ、車窓を眺めていました。

 松尾寺駅は無人駅でした。
 
 
 
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 駅前には、立派な案内板がありました。
 
 
 
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 松尾寺駅からは、歩いて50分の山登りです。ただし、一部草深い山道なので、持参の熊除けの鈴を強く鳴らしながら、急ぎ足で登りました。
 後ろを振り返りながら、観音正寺よりも怖い思いをしながら、緊張しっぱなしで急ぎました。
 
 
 
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 そのせいもあったのでしょう。松尾寺駅から50分の予定が、35分で本堂に着きました。
 
 
 
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 ここは、珍しく馬頭観音がご本尊です。西国札所では、ここだけです。
 秘仏ですが、昨年は77年ぶりのご開帳だったとか。もう、私がご本尊を拝することはなさそうです。お前立ちの馬頭観音で満足しています。

 納経所へ行くと、団体の方の納経帳などがたくさんありました。また、私よりも先の方がいらっしゃったので、しばらく待ちました。
 帰りの電車が1時間に1本しかないので、気持ちは焦るところです。しかし、この西国札所巡りで鍛えられたせいか、ダメでも次の電車があるさ、と開き直れるようになりました。私も、少しは成長したのです。

御詠歌は、次の通りです。



そのかみは
いくよへぬらん
たよりをば
ちとせもここに
まつのをのてら

 
 
 
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 お軸を書いてくださった方の話では、ここの住職である松尾心空師は、西国札所をすべて歩いてまわられたそうです。私が、車を使わず、公共交通機関だけで回っていると答えたことに対してでした。私もいつか果たしたいと言うと、プリントを一枚くださいました。その中に、「アリの会」の活動がありました。
 姫路の書写山(27番)から天橋立の成相寺(28番)までを徒歩巡礼すると、120キロあり、四泊五日かかるとあります。また、長命寺(31番)、観音正寺(32番)、華厳寺(33番)の徒歩巡礼は95キロあり、三泊四日を要するとあります。
 今度の華厳寺行きは、今週末の予定だそうです。ちょうどこのときは、私が満願となる華厳寺へ行く予定の日なので、ひょっとしたらこのご住職さんたち一行と行き会うかもしれません。

 そんな雑談をしていたら、帰りも歩くなら熊に気をつけなさいよ、とおっしゃいます。ドキッとしました。最近、麓の民家に熊が出没しているとか。
 これを聞いて、暗くならないうちに、今すぐに帰ることにしました。
 熊が出ると聞くと、ノンビリ山を下っている場合ではありません。早足ではなく、スキップよりも早く、まさに山伏の気持ちで飛ぶように走って山を下りました。

 山道を抜け、舗装道路が見えたときには、熊に出会わなくてよかったと、本当に身体から力が抜けました。
 
 
 
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 ガイドブックによると、松尾寺から駅までは40分とあります。そこを、とにかく命が惜しいばかりに必死に走ったせいか、何と22分で松尾寺駅に着きました。予定の半分の時間でした。
 自分が病気療養中であり、リハビリを兼ねた西国札所巡りをしていることを、すっかり忘れています。まさに、箱根駅伝にでも出ようかという勢いでした。

 無事に松尾寺駅に着くと、ドッと汗が吹き出しました。冷たいお茶を飲みながら、身体を落ちつけて、また乗り継ぎを繰り返して帰ることになりました。

 さて、これで西国三十三所の巡礼も、岐阜県にある華厳寺一箇所となりました。
 今週末を予定しています。
 
 
 

2010年11月 4日 (木)

西国三十三所(34)成相寺

 天橋立にある西国札所第28番の成相寺までは、片道4時間かかります。そのため、朝早く出発しました。

 朝食を急いで食べたせいか、突然の腹痛が襲って来ました。
 天橋立行きは、実は今日が3回目の挑戦です。
 最初は突然の雨のために中止。2回目は出発早々に乗り換えを間違えたため、乗り継ぎが複雑になって断念。今日が3回目なのに、出掛けに腹痛です。ついていません。

 それでも、今日を逃すと今週中の満願が達成できないので、我慢して駅に向かいました。来週が結婚記念日で私の誕生日なので、それまでに満願とし、総本山の永平寺に報告にいく計画でいるのです。
 
 突然の顔が歪むほどの腹痛で、何度か引き返すことを考えました。しかし、何とかなるさと開き直り、とにかく電車に飛び乗りました。
 山陰線に乗ってから、腹痛に加えて気分も悪くなりました。どの駅で引き返すか、そのタイミングを計っているうちに、1時間ほど経った頃に、しだいに痛みが和らぎ、気分も快復してきました。

 とにかく、今日は無理をしないことを自分に言い聞かせて、一路天橋立へと電車の揺れるままに身を任せました。

 JR山陰線は福知山駅までです。そこから北近畿タンゴ鉄道に乗り換えて終点の宮津まで行きます。宮津からまた乗り換えて次の駅の天橋立駅へ、というのが、今日の往路です。

 福知山駅で北近畿タンゴ鉄道の乗り換え口に行くと、今電車が出るところなので急いで、とのことです。私がPiTaPaカードを出すと、それはここでは使えないので、すぐにこの下の精算所で処理してもらってくれ、とのことです。それまで、電車は止めておくから、とも。

 ご親切に、乗り換え時間がないので乗れないと思っていた電車に、駅員さんの配慮で乗れるのです。感謝しながら精算所へ行くと、先客がモタモタしておられます。焦る気持ちを抑えて、ジッと待ちます。ここで深呼吸して焦らないようにするコツを、最近覚えました。

 無事に精算を終えて走って北近畿タンゴ鉄道の改札口へ戻ると、今度は北近畿タンゴ鉄道の切符を別に買ってくれと。ただし、割り引きになる1日フリーキップがあるので、これを使ったらいいと、またもや親切にしていただきました。
 電車はまだ待たせてあるから、とのことで、言われるままにホームに駆け上がると、運転手さんがおいでおいでをしておられます。急いで乗ると、1輌だけのワンマン電車のドアが閉まって発車しました。
 
 
 
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 腹痛で始まった旅が、こんな形で行くことになりました。人が電車を動かしていることを実感させてくれた出来事でした。

 宮津でも、すぐに乗り換えの1輌だけのワンマン電車に接続していました。ここから1駅しか乗らないのがもったいない、ローカルな単線の旅となりました。
 京都に来るまでにいた、奈良の平群を走る生駒線を、さらにローカルにした線でした。

 天橋立駅の案内所で、今日のタイムスケジュールを相談しました。
観光船、ケーブルカー、バスを使うと、2時間半で十分に成相寺へ行って戻って来ることができるそうです。ちょうどお昼までに駅に戻れるので、それから西国第29番札所松尾寺へも行ける、とのありがたい助言もいただきました。

 私としては無理をせずに、今日は天橋立に泊まってもいいくらいに思っていたので、これはこれで僥倖です。午後から松尾寺へ行くことにして、まずは成相寺を目指します。

 日本三文殊の一つである天橋立智恩寺の文殊堂と、その横にある和泉式部の歌塚を見ました。私の護り本尊は文殊菩薩なので、天橋立に来ると必ずここに立ち寄ります。

 その参道のお土産物屋さんで、レンタル自転車があることに気づきました。天橋立の松並木を、自転車で走るのも一興です。これまでは車で来ていたので、思いもよらない行動パターンとなります。2時間で400円なので、これは借りて乗るしかありません。
 ということで、突然ですが、サイクリングを兼ねて成相寺へ、と相成りました。
 
 
 
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 右手に宮津湾を見ながら、快適に天橋立の松林の中をサイクリングです。
 天橋立の長さは3・6 キロあり、8000本の松並木です。手と頬を撫でる風が、少しひんやりとしていて、心地よく感じられます。
 
 
 
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 対岸の籠神社に自転車を置き、ケーブルカーで笠松公園へ。ケーブルカーは、外国の方々で満員でした。
 そしてバスで、標高570メールの成相寺の本堂真下に到着です。嶮しい山道を唸りながら登るバスが頼もしく思えました。

 本堂では、別ルートからの巡拝団がたくさんおられました。やはり、天橋立は人気のスポットです。
 
 
 
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御詠歌は、次の通りです。


なみのおと
まつのひびきも
なりあひの
かぜふきわたす
あまのはしだて

 
 
 
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 成相寺のご本尊は、聖観音さまです。ご開帳は、33年に一度となっています。しかし、一昨年に3年ぶりのご開帳があり、昨年もあったそうです。この調子なら、私が生きているうちに、尊顔を拝する機会がありそうです。

 ご本尊もいいでしょうが、私はその右横にお立ちの十一面観音さまが気に入りました。そば近くまで行って、ジックリと拝見しました。なかなかいいお顔でした。

 本堂横には、木漏れ日の中に石仏たちがズラリと勢揃いです。
 元気になれよ、という声が、今にも聞こえてきそうでした。
 
 
 
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 展望台からの景色は、絵はがきの通りです。
 
 
 
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 バス停のそばには、雪舟の絵「天橋立図」にある五重塔が平成12年に復元されてスックと建っていました。スッキリとした、いい形です。
 
 
 
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 天橋立駅に向かうサイクリングも、帰りは風も滑らかに感じられるくらいに、穏やかな天気となりました。
 ちょうど2時間借りました。これはお薦めです。
 さらに、成相観音温泉や、駅の横にある天橋立温泉智恵の湯に入ることができたら申し分ないのですが、そこまで贅沢は言えません。

 次は、天橋立駅から松尾寺を目指します。
 
 
 

西国三十三所(33)宝厳寺

 琵琶湖の湖北にある長浜から船で25分。静かな湖を滑るようにして、竹生島へと進みます。
 湖北一帯が靄って見えます。
 
 
 
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 船の前方左側に、周囲2キロの小さな竹生島が見え出しました。
 
 
 
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 竹生島にある宝厳寺は、西国三十三所の第30番札所です。724年に行基が開いたというのですから、その歴史の重みを感じます。
 船着き場のお土産物屋さんは、5軒のうち3軒が店じまいしていました。少し寂しい感じです。おでん定食を妻と分け合って食べました。
 
 
 
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 本堂は、弁天さんを祀っています。江の島、厳島と並んでこの竹生島が、日本三弁天と言われています。
 
 
 
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 本堂の横でお軸を書いてもらいました。
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。


つきもひも
なみまにうかぶ
ちくぶしま
ふねにたからを
つむここちして

 「びわ湖108霊場」の湖北27ヶ寺の一覧がないかを聞くと、納経所の3人ともご存知ありません。その横に立ててある旗は、最近配られたものだそうです。無住の寺があるから、と小馬鹿にしておられます。苦労して設立されたのに、現場がこのていたらくですから、「びわ湖108霊場」が認知されるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。まずは、こうしたお寺の関係者への啓蒙から始めないといけません。この人たちが、今は「びわ湖108霊場」の普及の足手まといとなっています。よく言われる、身内の教育から、ということです。

 江戸時代に焼失した三重塔が、10年前に重機を使わずに人手だけで再建されたそうです。その10年祭として御開扉されていました。かねてより、日本的な美しさがその色褪せた渋さにあると教えられて育ったせいか、この眩いばかりの大日如来や極彩色の天部の神様たちには、やはり違和感を感じます。インドへ行ったときの電飾の中の神様仏様のようなけばけばしさには、正直なところ戸惑います。日本文化について、改めて考えてしまいます。出来たばかりの時には、新しさに輝いているのがあたりまえです。しかし、それが古びた方を日本的としてありがたがる美意識を、無意識の内に植え付けられてきたように思います。新しさや若さや新鮮さというものに対する意識を、自分の中で見つめ直す必要がありそうです。後ろ向きではない、前向きな視点で文化を見ることが、今まで以上にこれからは大切にすべきではないかと。

 国宝の観音堂は唐門造りです。
 
 
 
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 本尊の千手観音は、今年5月の1ヶ月間がご開帳でした。次は27年後の2037年だそうです。この次のご開帳に立ち会えるように、細々とでも長生きをしたいとの思いを強くしました。

 この観音堂から本殿である都久夫須麻神社(国宝)につながるのが、船廊下です。
 
 
 
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 ここでは、不思議な空間に身を置くことができます。
 そして、竜神拝所での「かわらけ投げ」は、素焼きの小皿に願い事を書いて琵琶湖に向かって投げます。目の前の鳥居をくぐると願い事が叶うとか。2枚一組の内、1枚が鳥居をくぐりました。ホッとしました。
 
 
 

2010年11月 3日 (水)

西国三十三所(32)長命寺

 長命寺は長生きの観音さんで有名です。
 JR琵琶湖線の近江八幡駅からバスで20分ほど乗ると、長命寺のバス停です。
 
 
 
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 そこから25分の登坂です。ただし、808段の階段で、しかも段差が高い上に、石が不規則に崩れかかっているので、非常に歩きにくい山道です。
 
 
 
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 登り坂の途中にある幾つかの小さなお寺やお堂は、崩れ果てて荒廃に任せてありました。長命寺の今後が不安になります。しかし、本堂のすぐ下の駐車場からの石段は整備されていました。
 
 
 
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 下から歩いて上る人はめったにいないので、駐車場から下の参道は荒れるがままになっているようです。歩いて登る人のための対処もお願いしたいものです。いつまでも人類が個人レベルの用途で自動車を使うとは限らないのですから。

 かつては人間が車というものを個人的に使い、自然環境を破壊し、たくさんの人を跳ねていた時代があった、と後世に記録されると思っています。たくさんの不要な車が排気ガスを撒き散らしていた、と。今、必要性のある自家用車というのは、実際にはどれくらいなのでしょうか。郊外や地方は別にして、都市と言われる地域では、総数で言えば日本の車の3割は不要な鉄くず、と言うと言い過ぎでしょうか。
 もっとも、私も奈良の平群の山に住んでいたときには、麓への買い物や灯油の買い出し、子供の用事などで車を活用していました。長女が生まれて以降、ここ京都に住まうまでの24年間は、自家用車が重宝しました。しかし、子供の手が離れ、便利なところに住むと、車は不要になります。
 少なくとも、私が住む京都の実家周辺の駐車場にある車は、まずは営業車以外は不要の極みです。8割以上が、京洛を破壊することに手を貸しています。

 日本人は賢いので、いづれ気づいて自発的に手離していくことでしょう。四条通りなども、車を制限した街作りがスタートしています。ただし、それに変わる自転車対策が追いついていません。もっとも、観光地はこの自動車規制がしやすいとも言えます。
 そうしたことを前提に、そろそろ一般市民が自家用車を持たない生き方に対応した対策を、意識してゆくべきでしょう。

 長命寺の参道も、駐車場から下は今は人が使わないので荒れ放題です。しかし、これは手を入れれば相当の価値のあるものです。山門近くまで車で上がる人が減れば、この石段の道は脚光を浴びるはずです。山門までは、身体の不自由な方だけの自動車道にして、歩くことを前提にした西国三十三所にしたらどうでしょう。施福寺も観音正寺も、車で上がれるところは制限されているのですから。

 おそらくお寺の方も、長命寺のある姨綺耶山の自然を守るためには、車を制限したいはずです。しかし、そうすることによる参拝者の激減が怖いのでしょう。大丈夫ですよ。賢い日本人は、自分だけが楽をするための車の使用は、自然と控えるようになりますから。

 長命寺の御詠歌は、次の通りです。


やちとせや
やなぎにながき
いのちでら
はこぶあゆみの
かざしなるらん

 
 
 
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 私がお軸を乾かしていると、先達に導かれた十数名ほどの巡拝団がいらっしゃいました。お一人の年配の女性が説明をなさっています。もう一人の若い女性が、朱印帳やお軸を一手に請負い、納経のとりまとめから肩に担いで運搬と、重労働をなさっていました。
 バスによる巡拝です。すぐ下の駐車場から歩いてお出でです。これはこれでいいと思います。個人の自家用車による巡拝について、先ほどは記しました。不便を強いるのではなくて、車のあり方からの私見ですので、歳とともに固陋の兆しが見えたと思わないでください。自然の中を歩き巡っていると、こんなことに反応するようになったのです。

 なお、この朱印所で「びわ湖108霊場」について尋ねると、御宝印の用紙を探し出して書いてくださいました。まだ、これを求めて来る方が少ないせいでしょうか。あそこに入っていたよな、と慣れておられません。
 また、近江八幡の周辺の「びわ湖108霊場」の場所を聞いたのですが、どこにあるのかわからないとのことでした。後で調べると、長命寺から近江八幡駅の間に2箇所あったのです。今は「びわ湖108霊場」について私もよく調べていないので、また次の機会にまわりましょう。これこそ、井上靖の『星と祭』よろしく、気長に琵琶湖を一周します。

 境内は、三重塔、本堂、三仏堂などがきれいに並んでいます。
 
 
 
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 境内からは、琵琶湖越しに比叡・比良連峰が望めます。
 
 
 

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 帰りも、808段の石段を下りました。
 野球部の生徒が、麓のバス停から本堂までの石段を、走って上り下りするトレーニングをしていました。跳ぶようにして急な石段を駈けて行く姿に、爽やかさを感じました。すれ違いざまに、いちいち挨拶をしてくれるので、躾のよさに感心しました。
 この近くには、何度も甲子園に出場している八幡商業高校などがあるので、野球のレベルは高いことでしょう。

 近江八幡市街は、メンソレータムの輸入や近江兄弟社などを創ったヴォーリス(日本名︰一柳米来留)が設計した建築物が、街中にたくさんあります。爽やかな街並みなので、もう一度来たくなるところです。
 
 
 

2010年11月 2日 (火)

西国三十三所(31)観音正寺

 安土駅の駅前には、やはり織田信長像が建っていました。
 
 
 
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 駅前の地図を見て、観音正寺への道を確認です。
 
 
 
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 JR琵琶湖線の下半分のピンクとオレンジで引かれた道を、反時計回りで歩くことにしました。3時間の予定で出発です。
 まずは、地図の下回りで平坦な道を40分歩いて、石寺楽市を目指します。

 途中で、京都・山科にある隨心院の小野小町の化粧井戸を思わせる階段式の井戸が、民家の前にありました。昔は、少し大きい家には、こうした井戸があったのでしょうか。突然、さりげなく道端にあったのにはビックリしました。
 
 
 
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 すると、横を新幹線が通過しました。
 
 
 
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 安土の小野小町も水鏡から面をあげ、牛車ならぬ列車が通り過ぎるのを、どう思うでしょうか。

 これから、この標高430メートルの繖山(きぬがさざん)に登ります。
 石寺楽市から、観音正寺への山登りが始まります。お寺まで、急な山道を40分かかるそうです。
 お土産処の前に、巡礼者のための杖がたくさんありました。熊と遭遇したときのために、長めで太くて丈夫そうな竹の杖を一本借りました。
 今日は山道を登るので、今話題の熊に山中で襲われた時のことを考え、百円ショップで鈴を買って来ています。糸で繋げてあるので、これを手に巻き、杖を片手に登りました。
 
 
 
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 最初は、舗装された緩やかな坂道です。
 
 
 
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 しかし、これが次第にその姿を変えていきます。
 西国札所の中でも、ここが一番の難所と言われる札所です。
 これまでに、一度だけですが、バスで途中まで上がったことがあります。何かの特別法要かイベントがあった時なのでしょう。もちろん、今日は歩くしかありません。

 「イノシシ出没につき注意」という掲示があります。ときどき後を振り返ったり、木々の間を見ては、熊やイノシシが飛び出してこないか警戒しながらの山登りです。鈴を握り、緊張の連続でした。
 
 
 

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 山中の道々、傍らに素朴な石仏がいくつもあり、熊の心配さえなければ心安らぐ山道です。

 境内に辿り着くと、ホッと一息つけました。怖さがあったので、30分以上も休むことなく登り続けました。脚を停めた瞬間に、熊が襲いかかって来るような雰囲気があったのです。
 
 
 
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 観音正寺は、平成5年に本堂や仏像が焼失しました。焼けた後、家族みんなで3度行きました。まだ本堂もご本尊もありませんでした。何もない境内が痛ましくて、再興のためにご寄付をしたことを覚えています。
 この新しい本堂は、平成16年に完成したものです。
 
 
 
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 かつてのご本尊は立ち姿の千手観音でした。新しいご本尊は、座像の千手千眼観音さまです。

 仏師は松本明慶氏。松本氏は、京都・大原野に工房を持ち、京都仏像彫刻家協会会長です。平成18年には、京都市上京区に松本明慶佛像彫刻美術館が開館しました。

 今日、ジックリとご本尊さまを拝顔してきました。白檀で作られているそうです。
 この造像の背景が本にもなっていました。前住職の岡村師は、インド産の白檀を手に入れようとされました。しかし、インドでは輸出禁止のものです。そこで、岡村師は20回もインドに渡り、その結果、23トンの白檀を調達することができたのだそうです。信念を感じました。

 壺阪寺もそうですが、日本の仏教とインドとの関係は、今もつながりがあります。インドには日本で言うところの宗教としての仏教はありません。しかし、日本の仏教に対する理解はあります。
 インドとは今後とも、こうした共通する接点を活かした外交をしてもらいたいと念じています。

 なお、この観音正寺には、開基である聖徳太子にまつまる人魚のミイラというものがありました。火事で本堂と共に焼失しました。夢が夢のままになってしまったことが惜しまれます。

 この本堂の横に、観音さまが岩肌に立っておられました。これは、旧本堂の前にあったものを、このようにしたとのことでした。さらに、この林立する岩を、花のようなデザインにする計画があるのだそうです。意欲的に境内を整備しようという取り組みに、好感を抱きました。
 
 
 
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 日本の仏教は、何かと旧態依然とした旧弊を守る姿が眼に付きます。しかし、今に対応したアイデアを盛り込んで、次の世代につなぐ気持ちも大事にしてもらいたいと思っています。
 我々の方も、古いままの、古びたものを有り難がるだけの観光客になってはいけないと思います。常に明日のよりよい姿を模索するところに、宗教があり、信仰があり、参拝があり、観光が後押しをすると思います。生意気なことを書いてしまいました。妄言多謝。

 ここに来ると、いつもチョロギを買っていたことを思い出します。その形が珍しくて、今でも見つけると、つい買ってしまいます。
 
 
 
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 観音正寺の御詠歌は、次の通りです。


あなたうと
みちびきたまへ
くわんおんじ
とほきくにより
はこぶあゆみを

 
 
 
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 御詠歌を書いてもらいながら、いろいろと世間話をしました。この繖山は湖東平野の独立丘陵なので、熊が山伝いに来ることはない、とのことでした。その代わり、イノシシがよく出るのだそうです。納経所の若い方は、自分よりも背丈の大きいイノシシに出会い、怖かったと話してくださいました。
 帰りは、イノシシだけに注意することにします。

 境内からは、蒲生野が眼下に広がっています。
 紅葉も、これからが本番となることでしょう。
 
  
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 帰りには、『桑実寺縁起絵巻で』知られる桑実寺に立ち寄ってから、繖山を下りました。
 
 
 
 

2010年11月 1日 (月)

西国三十三所(30)興福寺南円堂

 平城遷都1300年祭のため、奈良の駅前周辺はこれまで以上に賑わっています。
 久しぶりに近鉄奈良駅に行き、京都とは異なる都の雰囲気を感じました。
 賑やかさはあっても、華やかさが足りないように思います。これが、奈良らしさなのでしょう。

 南円堂の前は、中金堂の工事中でした。これができると、興福寺の伽藍も、これまでがだだっ広い感じだったので、引き締まって見えることでしょう。
 
 
 
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 ここの五重塔は、いつ見てもいい姿をしています。
 
 
 
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 夏にライトアップされた五重塔は、猿沢の池から見上げるとさらに魅力的でした。この興福寺の五重塔が、私の好きな塔の代表格です。中金堂ができると、さらにその魅力が増すように思います。堂塔あっての伽藍なのですから。

 南円堂の観音様は、毎月17日の開扉なので、今回も見られませんでした。これも、また次の機会としましょう。
 
 
 
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 この南円堂は、とても来やすいところです。フラリと立ち寄れるのがいいのです。
 ただし、お軸を筆ペンで書いてくださったのには、意表を突かれました。初めてです。やはり、硯の墨を筆につけて書いてほしいと思うのが人情でしょう。書かれる字に違いはないにしても……
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。


はるのひは
なんゑんだうに
かがやきて
みかさのやまに
はるるうすぐも

 北円堂と国宝館、そして正倉院展など、行きたいところはたくさんありました。平城京跡のメイン会場にも脚を延ばしたいところです。しかし、何かと用事を抱えての西国巡礼のため、今回も落ちついて見て回る時間がとれません。
 これも、口癖のようになった、またいつか機会を得て、ということになりました。

 東向商店街の入り口に、回転寿司屋がありました。いつできたのか、久しぶりなので知りませんでした。入りたかったのですが、食事をしたばかりなので、残念ながらパスせざるをえません。少量ずつを食べ繋いでいる毎日なので、こんな時に無理ができないのです。
 一応、確認の意味で写真だけはアップしておきます。
 
 
 
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2010年10月30日 (土)

西国三十三所(29)三井寺

 西国三十三所第14番の三井寺までは、大津駅から歩いて20分。
 途中、かつては京都の町家のような家が建ち並んでいたと思われる街並みを、ブラブラと歩きました。
 通りがかりに三橋節子美術館があり、梅原猛の『『湖の伝説』―画家・三橋節子の愛と死―』を思い出しました。また次の機会に立ち寄りましょう。
 
 
 
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 三井寺の広い境内には、たくさんのお堂があります。どことどこに行くか、迷います。
 まずは、薬師如来をまつる水観寺で病気平癒を。
 そして、西国三十三所の札所となっている観音堂にお参りしました。
 
 
 
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 三井寺の御詠歌は、次の通りです。


いでゐるや
なみまのつきを
みゐでらの
かねのひびきに
あくるみづうみ

 
 
 
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 観音堂の前に、新しく作られた幟が翻っているように、ここも、「びわ湖108霊場」の1つとなっています。
 西国三十三所の御詠歌を書いていただいてから、「びわ湖108霊場」の御宝印をいただきました。そして、この近くの「びわ湖108霊場」の場所を聞くと、納経所の方は多少小馬鹿にした言い方で、わからないとのことです。また、その一覧も、用意していないそうです。他人事のような対応です。3人の書き手以外に、年配のお坊さんが後で話の様子を聞いておられました。しかし、それでも知らんぷりで何もおっしゃいません。私が視線をその方に投げて、組織化に時間がかかりましたよね、と語りかけたのに無視されました。
 「びわ湖108霊場」は、どうも前途多難です。特に、この湖西地域は最後まで結束できず組織化に手こずった経緯があるので、今後は外からの圧力が必要なのかもしれません。とにかく、現場の方は、昨年9月にスタートした「びわ湖108霊場」に関しては、非協力的です。
 この前の岩間寺もそうでしたが、この三井寺はさらに無関心さが露骨でした。知名度のある有力寺院なればこその、力関係も含めての排他的な背景があるようです。私は、「びわ湖108霊場」は大いに宣伝をして盛んにすべきだと思っています。応援したいと思っているので、このことは、また別に記します。

 境内から見渡す琵琶湖は、湖岸の街並みが目に入るので、絶景とは言い難いものです。琵琶湖は、もう少し北へいった方が気持ちが落ち着きます。
 
 
 
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 京阪石山坂本線の三井寺駅に向かう帰り道は、琵琶湖から京都へと引かれる疎水の、琵琶湖側の起点沿いになります。琵琶湖疎水が、三井寺の下を通っていることは知りませんでした。
 
 
 
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 京都側では南禅寺にある蹴上の疎水を知っているので、自分の中で水脈がつながったことに感激しました。
 ドラマや映画の殺人事件でロケ地になることの多い、アーチ型のレンガ組みで有名な、あの南禅寺の疎水です。その始発地点も、こんなに絵になるところだったのです。
 
 三井寺駅から皇子山総合運動公園の方に向かって歩き、天然温泉の「大津やまとの湯」に行くことにしました。
 すると、途中に回転寿司の「かっぱ寿司」があったので、少しお腹に入れるために立ち寄りました。
 私は「かっぱ寿司」が嫌いです。姿形は回転寿司屋です。しかし、お寿司の味といい、形といい、店の雰囲気といい、どうも好きになれません。三条にも、「むさし」の横にあります。ただし、入ったことがありません。
 ここは大津です。ひょっとして川魚などの変わったものがあるのでは、と思って入りました。

 結果は、やはり好きになれない店でした。干からびたネタが回っていますし、店員さんがよくありません。
 しかし、一点だけ、おもしろいものがありました。それは、注文したお寿司を新幹線の形をしたお皿の「かっぱエクスプレス」が目の前まで走ってきて運ぶのです。これはアイデアです。子供はよろこびます。そして、大人も。
 今、このチェーン店は、みんなこんな小道具を導入しているのでしょうか。今度、どこかの店をのぞいてみましょう。
 
 
 
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 さて、小腹を満たして行った「大津やまとの湯」は、かつて「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」だったところです。小さい頃から、テレビなどの宣伝でよく聞いたものです。それが、今はスーパー銭湯に衣替えです。
 ただし、ここの露天風呂のお湯は、三重県亀山市から運んでいるそうです。奈良の「やまとの湯」もそうでした。
 お客さんの話によると、最初は琵琶湖が眼下に望めて、気分のいい温泉だったとのことでした。それが、近年、すぐ前にマンションが林立し、今では琵琶湖がみえなくなった、と話しておられました。残念なことです。

 身体がホカホカしたところで、少し小ぶりの京阪電車で帰途につきました。
 
 
 
 


2010年10月29日 (金)

西国三十三所(28)播州清水寺

 西国三十三所の札所は、3分の1が山頂、3分の1が谷間、そして残る3分の1が街中や里にあるということです。
 西国25番札所の播州清水寺は、標高550メートルの山の上にあります。京都の有名な観光寺院である清水寺と区別する意味から、「播州」を頭に付けています。

 相野駅からバスで山門まで35分。バスは1日に2便しかありません。山登りをしなくていい分、このバスの時間に合わせるのが大変です。

 ちょうど丹波立杭焼きの陶器祭のため、陶器の里には、たくさんの人が訪れていました。
 
 
 
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 清水寺は、大正2年に全山が消失しました。ほとんどの堂宇が大正・昭和の再建ということもあり、きれいな境内です。
 鮮やかな朱の仁王門は、昭和55年の再建です。
 
 
 
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 この寺は、1800年前の景行天皇のときに、インド渡来の法道上人に始まります。中国、朝鮮を経て遙々と来られたのです。
 
 
 
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 この前に行った一乗寺も、法道上人さんでした。
 すでに紹介した花山院も法道上人と縁があったので、この人についてはさらに調べることにします。

 播州清水寺の御詠歌は、次の通りです。



あはれみや
あまねきかどの
しなじなに
なにをかなみの
ここにきよみづ

 
 
 
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2010年10月27日 (水)

西国三十三所(27)粉河寺

 堺市の与謝野晶子文芸館における自筆原稿の写真撮影も、みなさまのお陰で無事に終わりました。

 一点ずつ貴重な原稿用紙を確認しながらの撮影なので、一枚の写真にも大変な手間がかかっています。公開された画像を見る限りにおいては、貴重な手書き原稿のカラー写真です。しかし、その一枚の写真のシャッターを切るまでには、さまざまな背景があり、ドラマがあります。
 堺市文化部、与謝野晶子文芸館、そして撮影担当の光楽堂と、前回同様の鮮やかなチームプレーに拍手を送りたいと思います。
 さらなる貴重な資料公開に、今後ともご理解とご協力をお願いします。

 以上、業務報告も兼ねて、認めました。

 さて、予定より早く終わったので、私は南の和歌山まで脚を延ばすことにしました。

 JR和歌山線は、いくつもの駅で電車のドアが全部は開きませんでした。先頭車両の一番前だけが開くので、乗る場所に注意が必要です。その中でも、粉河駅は大きな駅になるので、車両のすべてのドアが開きました。
 
 
 
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 紀ノ川沿いの粉河寺は、西国第三番札所です。粉河駅から歩いて10分のところにあります。
 この大門の朱には、落ちついた味わいがあります。
 
 
 
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 国宝『粉河寺縁起絵巻』は、今は京都国立博物館に寄託されています。現物は、国宝展などで、ガラス越しに何度か見ました。下半分が焼けて痛々しい絵巻物だったことを、強烈な印象として残っています。
 粉河寺までの整備された参道に、石造りの立派な案内板が道沿いに並んでいて、そこに『粉河寺縁起絵巻』の場面場面が掲示されていました。参拝の行き帰りに、読みながら記憶の整理をしました。

 『枕草子』にも出てくる粉河寺は、その後さまざまな歴史に巻き込まれます。しかし、紀州徳川家の保護もあり、今は威厳の中にも親しみが感じられる境内のたたずまいです。気分がスッキリとする、そんな雰囲気の中にあるお寺といえます。

 境内に入ると、中門がドッシリと待ち構えています。大門の鮮やかさとこの中門の渋さが、自ずと好対照となっています。
 
 
 
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 本堂前の枯山水の庭が、参拝者の気持ちを少しかき乱してくれます。
 穏やかな境内を、この庭が気持ちに変化を与えてくれるのです。なかなか心憎い演出だと思いました。
 
 
 
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 粉河駅から南に下った竜門橋を渡ると、龍門山温泉があるようです。2001年正月にオープンしたとか。しかし、もう遅い時間で、ここから京都の自宅まで3時間以上かかるので、また次にすることとします。
 何やら、このところ「また次……」ということが多い巡拝となっています。

御詠歌は、次の通りです。


ちちははの
めぐみもふかき
こかわでら
ほとけのちかひ
たのもしのみや

 
 
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西国三十三所(26)法起院

 
 
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 法起院は、長谷寺へ行く参道の途中にある、見過ごしてしまいそうな小さなお寺です。
 狭い境内なので、ここがどのようなお寺なのか、なかなか理解しづらいところがあります。
 ここは、西国札所の番外3つの内の1つなのです。それも、西国三十三所巡礼を再興させた花山法皇ゆかりの2寺ではなくて、開基である徳道上人の威徳を讃える大切なお寺です。
 
 
 
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 法起院の御詠歌は、次の通りです。


ごくらくは
よそにはあらじ
わがこころ
おなじはちすの
へだてやはある

 お軸によって、番外の寺院は朱印をもらう位置が違います。
 今回のお軸では、最下段に3つある空欄を使うようになっています。
 
 
 
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 今月10月からJRがスタートさせたスタンプラリーでは、この番外のお寺は対象外となっています。そのためもあって、この番外3寺院を訪れる人は極端に少なくなっています。お気の毒としか言いようのないことです。これは、何とかしてほしいものです。

 確かに、この法起院以外は、わざわざ行かなければならないので、企画する方としては、とりあえずは外しておきたいのでしょう。しかし、この3寺院をサービスポイントのお寺としてスタンプラリーに組み込んでいたら、今後の西国札所巡りの人々を誘い込むラッキーポイントになったのでは、と私は思います。
 今回のスタンプラリーは平成26年まで実施期間があります。どこかで参入してもらったらどうでしょうか?

 帰り道で、新聞配達店の看板に目が止まりました。
 
 
 
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1つの配達店で、こんなにたくさんの新聞を扱っているのです。戸数が少ない地域では、各紙を一手に引き受けざるをえないのでしょう。効率的ではあります。しかし、配る方は地獄のはずです。つい、昔の自分だったらいやだな、と思い、しばし佇んでしまいました。

 長谷寺温泉に入りました。参道にある湯元井谷屋は、温泉だけ入ることもできます。
 
 
 
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 私の最初の著作である『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、1986年)が刷り上がったとき、ちょうどS氏(現社長)が奈良へ出張になったこともあり、本を自宅まで持ってきてくださいました。そのとき、この長谷寺温泉に誘いました。家族とも、何度も来ました。
 ここの温泉は肌に馴染む水質です。
 長谷寺にお越しの節には、ぜひこの温泉にも脚を留めてみてください。旅が一層思い出深くなること請け合いです。
 
 
 

2010年10月26日 (火)

西国三十三所(25)長谷寺

 長谷寺は、西国三十三所の第8番札所です。
 
 
 
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 仁王門から続く登廊の石段は、全部で399段あります。初廊は段差を無視して歩けます。
 登りつめると、どっしりとした本堂が迎えてくれます。
 
 
 

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 この広場から初瀬川を臨むところに、『源氏物語』に関する説明板がありました。
 最近出来たもののようです。
 
 
 
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 これまで長谷寺は、あまり『源氏物語』との結びつきを強調していなかったように思います。それ以外に、長谷寺は日本の文学作品にはたくさん登場するので、『源氏物語』という名前に頼る必要がなかったのでしょう。その意味では、この説明板は1つの変化ではないか、と思っています。
 境内でここ以外には、特に『源氏物語』を想起させるものはありません。これが、歴史の重みというものなのでしょうか。

 石の上に立つ十一面観音は、後背を含めると高さが12メートルもあります。私は、このお顔の髭が、いつも気になっています。なんとなくユーモラスな感じがするのです。親しみを感じます。

 長谷寺に来て本堂の舞台に立ち、登廊から参道や長谷川にかけての長谷の町並みを眺め、そして五重塔を見ると、いつも気持ちがスッキリします。
 
 
 

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 『源氏物語』で玉鬘たちがこの長谷寺に籠もった話が、あまり実感として湧かないのはどうしてなのでしょうか。当時の長谷寺の構造が、今と大きく違うのではないかと、勝手に想像しています。

 長谷寺は帰り道もいいですね。私が好きな石段です。緩やかな曲線が気に入っています。
 
 
 
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 長谷寺の御詠歌は、次の通りです。


いくたびも
まゐるこころは
はつせでら
やまもちかひも
ふかきたにがわ

 
 
 
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 長谷寺でも、お軸は丁寧に扱ってもらえませんでした。きれいに仕上げたいと思っているので、きちんと文鎮を使って書いてほしいものです。


 帰りの参道で、『源氏物語』に関するものを2つ見つけました。

 まずは、「長谷 紫 源氏」という日本酒です。
 
 
 
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 紫の上も光源氏も、この長谷寺には詣でていません。パンフレットによると、紫式部が2度の長谷詣でをしているとか。そうでしたっけ? 思い出せません。
 それはともかく、飲んでみることにしました。製造は初瀬とありますが、三輪の酒造所のものだそうです。

 もう一つは、輿喜天満神社の玉鬘にあやかった縁結びのおみくじです。
 玉鬘は、たくさんの男君たちに言い寄られます。また、子宝にも恵まれました。九州から上ってきて、この長谷寺で幸運の人生を引き寄せたのですから、このおみくじの着想はおもしろいと思います。
 これは、もっとおもしろくできそうです。今後に期待しましょう。
 
 
 
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2010年10月25日 (月)

西国三十三所(24)善峯寺

 西国20番札所の善峯寺は、大原野の奥の山の中にあります。バスは1日3本しかありません。
 自家用車なら本堂のそばまで上がれます。しかし、バスで行くと、急な曲がりくねった山道を手すり伝いに歩いて10分ほど登ることになります。
 
 
 
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 この寺は、阪神淡路大震災以来、落ちないということで、御守りが有名になりました。
 崩れ落ちた高速道で、バスが半分ほど身を乗り出すようにして踏み留まっていて写真が、何度も報道されました。あのバスの運転手さんが、この善峯寺の御守りを持っていたことから、その御利益が話題になったのです。
 おかげで、この寺も運転手さんも、別な意味で注目されだしたのです。受験と結び付き、忙しくなったそうです。

 また、どのようなものか楽しみにしていた薬湯風呂は、2年前になくなったそうです。残念です。

 樹齢600年の遊龍の松という五葉松は、全長50メートルもあり日本一だそうです。
 
 
 
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 この松は、見る角度を工夫するとおもしろいと思いました。
 狭い角度から見る今のあり様は、イメージが膨らみません。これは、博物館でいう、展示の方法になります。検討の余地があります。

 本坊の回遊式庭園が特別公開中でした。小さいながらも、いかにも日本庭園という趣です。紅葉が似合いそうです。
 
 
 
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 この庭は、京都の庭師で有名な小川治兵衛(植治さん)の7代目が、大正時代に造った庭だとありました。7代目は、山県有朋の無隣庵や平安神宮、円山公園などを手がけた方です。

 ここも、ただ開放したというだけの感じです。本坊の縁側に上がって見ることができると、その印象はグッと違ってきます。特別に公開されているので、あまり個人的な意見は控えるべきでしょう。
 善峯寺は、棚田のような狭いスペースにあるお寺です。二次元に留まらず、三次元の視覚を配慮してもらうと、参拝者はもっとお寺を楽しめます。ぜひとも検討してください。

 お地蔵さんが、舞台造りのところにおられました。
 地震があったら後ろに落ちないか、こちらがハラハラします。
 
 
 
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 と、まあ、いろいろな事を考えさせてもらえたお寺でした。

 善峯寺の御詠歌は、次の通りです。


のをもすぎ
やまぢにむかふ
あめのそら
よしみねよりも
はるるゆふだち
 
 
 
 

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西国三十三所(23)岡寺

 橿原神宮前からバスに乗りました。岡寺駅からでは、バスの本数が少ないので注意が必要です。万葉博物館や明日香の石舞台を通って行ったので、飛鳥の観光気分に浸ることができました。

 この飛鳥の地は、大阪の高校で教員をしていた頃に、生徒を何度か遠足で連れてきたり、家族や親戚と飛鳥巡りをしたので、勝手知ったる地域です。
 遺跡が発掘されたときにも、現地説明会を聞きによく来ました。
 また、松本清張の小説『火の回路』(後の『火の路』)でゾロアスター教の施設ではないかということで注目を浴びた、酒船石などの石像遺物も、ワクワクします。
 この小説は、朝日新聞の夕刊に連載されました。その当時、朝刊には井上靖の『星と祭』が、夕刊がこの清張作品でした。ともに、掲載されていた新聞を新聞配達店で住み込みながら配っていたので、なおさら思い出深い小説です。

 岡寺は、バスで来るとこんな鳥居を潜って、細い道を登っていきます。
 
 
 

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 まだ、こうした古い民家に出会えます。車で来たときには駐車場からすぐ上がったので、この道は通りませんでした。いろいろな経路で来ると、楽しいものが眼に付きます。
 
 
 
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 前方に岡寺の三重塔が見えます。
 また、峠の茶店風の雰囲気が、いにしえを感じさせてくれます。
 
 
 
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 岡寺の観音様は、大きな塑像です。間近に見られるので、感激も一塩です。
 
 
 
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 岡寺の御詠歌は、次の通りです。



けさみれば
つゆをかでらの
にはのこけ
さながらるりの
ひかりなりけり


 帰りに、トイレに祀ってあった像が気になりました。「烏瑟沙摩明王」とあります。
 
 
 
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 受付の方に聞いてみました。すると、不浄の神様だとか。
 すぐに持っていた iPhone で調べると、ウィキペディアにこう書かれていました。


 烏枢沙摩明王は古代インド神話において元の名をウッチュシュマ、或いはアグニと呼ばれた炎の神であり、「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳を持ち、仏教に包括された後も「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとする、幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏である。

 まさに、トイレの神様なのです。こんなお寺の配慮に好感を持ちました。
 
 
 

2010年10月21日 (木)

西国三十三所(22)花山院(番外)

 東光山花山院菩提寺は、花山法皇の隠棲崩御の地です。

 三田駅前からバスで行こうとしました。しかし、1時間半も待つことがわかり、急遽タクシーを使うことにしました。
 今回の巡拝では初めてのことです。

 花山院の近くに、有馬富士温泉花山乃湯がありました。今日は我慢です。また次の機会を楽しみにしましょう。

 花山院へ行く途中にある、十二后の墓に立ち寄りました。
 
 
 
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 花山院を慕って、弘徽殿女御と女官たちは麓まで来ました。しかし花山院は、当時の戒律で女人禁制だったお寺に隠棲したのです。女性は登山を許されなかったことから、この麓に草庵を結び、尼僧となって住み着いたそうです。
 ここの地名を尼寺と書きますが、これを「にんじ」と読むそうです。
 垣根の中の中央にある五輪塔が、弘徽殿女御のものだとのことでした。

 花山院へは、この参道からの道が厳しい山道になります。
 
 
 
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 この山道の中腹には、女官たちが山中で修行する花山院に聞かせたいとの想いから、登り口で琴を弾いた琴弾坂があります。
 
 
 

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 本堂は、標高420メートルの山の上にあります。
 
 
 
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 境内は、少し寂しい雰囲気がしました。番外ということから、そして交通の便がよくないことから、訪れる人は少ないようです。
 
 
 
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 花山院の御詠歌は、次の通りです。


ありまふじ
ふもとのきりは
うみににて
なみかときけば
おののまつかぜ

 
 
 
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 この花山院からは、すぐ目の前に有馬富士、そして播州平野から小豆島までが見渡せます。
 気持ちのいい景色が眼下に展開します。
 
 
 
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 歩いて山を下り、帰りのバスに乗ろうとしたときです。今回の巡拝で重宝している PiTaPaカードが見つかりません。このカードは、バスでも使えるので便利です。
 何度も出し入れするので、カードだけを裸でポケットに入れて持ち歩いていたのです。落とすぞ、落とすぞ、と思っていたら、やはり落としてしまいました。カードを落とすのは、生まれて初めてです。

 落とすぞ、と思いながら落としたので、これからこうしたことが頻発しそうです。
 忘れ物が多くなっていたので、今後は落とし物にも何か対策が必要です。

 今回は、すぐにカード会社に紛失の連絡をし、再発行の手続きをしました。これまでのものは、即座に無効となり、新しい番号のカードが2週間で届くそうです。
 そして、花山院にも電話をし、もしカードが落ちていても、すでに利用停止の手続きを終えたので、そちらで処分していただきたい旨を伝えました。ご好意で連絡してくださると申し訳ないので、処分のお願いをしたのです。

 花山院でいただいた印刷物に、「巡礼者への法話 その一」というものがありました。その中に、私にとっては非常に耳の痛いことが書いてあります。
 それは、納経所でお軸を渡して御詠歌を書いてもらっていることです。
 お軸を書いていただくと、そのお礼として500円をお渡しします。それが、本来とは趣旨がズレたものであることを、ハッキリと指摘されているのです。


 納経は文字が示すとおりに写経を奉納する事です。この写経は一般的には般若心経を写経して奉納します。そして納経を受けたお寺はその写経を供養しますので、その供養のお布施として納経料をお受けします。故に納経料もその文字の如く納経された写経供養のお布施であって印代や揮毫料ではありません。また納経帳、納経軸も本当の意味はその文字が示すとおり納経した証しの印を頂くもので参拝記念の為という意味ではありません。

 おっしゃる通り、写経をした紙を持って札所を回るべきです。しかし、そのためには相当の努力が必要なので、今はとにかく巡拝するだけでよしとさせてもらっています。
 いずれ、この本来の趣旨にそった、写経を持っての巡礼を果たしたいものです。
 
 
 

2010年10月20日 (水)

西国三十三所(21)中山寺

 阪急の中山駅からすぐそばに、西国三十三所第24番札所の中山寺はあります。
 
 
 
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 『中山寺来由記』などによると、奈良時代初期に、徳道上人が観音霊場三十三ヶ所の宝印を中山寺の石櫃に納めたという伝承がありました。それを花山院がこの中山寺で探し出し、三十三の観音霊場を巡礼したということです。西国札所の機縁ともなったのが、この中山寺なのです。

 ご本尊の十一面観音は、インドの王妃シュリーマーラー(勝鬘夫人)をモデルにしたとのことです。左右の脇侍も十一面観音なので、本尊と脇侍をあわせて三十三面ものお顔があることになります。まさに、法華経が説く、衆生を救うための観音の三十三変化を体現するものです。

 このお寺は、階段の横にエスカレータがあります。いかにも、関西の発想です。便利なものは何でも取り入れるし、それを受け入れます。
 安産祈願のお寺としても有名で、赤ちゃんを抱いた家族連れが多いことも、その理由の一つでしょうが…
 
 
 
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 昨日の、壺阪寺の階段にあったリフトとは、その発送が大きく異なります。

 羅漢堂には約800体の羅漢像が並んでいます。親兄弟の顔が見たかったら、この五百羅漢のお堂に来い、といわれるのも頷けます。

 帰りに、些細なパニックが…
 iPhone で電車の経路と乗り換えを調べていました。中山寺駅をスタート地点にしているのに、どうしてもJRの駅しか出て来ないのです。料金が高くて乗り換えも面倒です。関西は、私鉄をいかにうまく使うかが、いい旅をする秘訣です。
 どうしようもないので、山門横の案内所で聞きました。すると即座に、そこの阪急は中山駅、向こうのJRは中山寺駅ですわ、と一言で解決。
 よくある混乱のパターンでした。

 中山寺の御詠歌は、次の通りです。



のをもすぎ
さとをもゆきて
なかやまの
てらへまいるは
のちのよのため

 
 
 
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 これで、お軸の観音様の周りはほぼ埋まりました。
 1千キロ踏破が見えてきだしました。
 さらに、ひたすら歩き続けます。
 
 
 

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西国三十三所(20)壺阪寺

 西国6番札所の壺阪寺は、私の大好きなインドの香りが、境内のそこかしこに感じられるお寺です。

 境内に入ると、左に養護盲老人ホーム「慈母園」があります。
 
 
 
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 この寺は早くから、日本の高齢化社会とインドの貧困層との関わりに積極的に取り組んでいます。境内を歩くと、それが実感できます。

 こうした問題に興味のないであろう方や若者には、おもしろくない寺かもしれません。古いものを求めて来た方は、物足りないことでしょう。しかし、これは現代が直面する問題に今を生きる者の視点で取り組んでいるからです。宗教というよりも、問題解決の思想が生きています。

 まず、石段を上がると、美しい石像が目に飛び込んできます。
 
 
 
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 これは、インドとの国際交流の一環として、石彫刻支援事業による大石仏群として製作されたものです。インドの職人が製作して日本に招来したものなのです。
 右に文殊菩薩、左に普賢菩薩、中央に十一面観音菩薩が。そして顔を上げると、大きな釈迦如来がいらっしゃいます。
 平成19年に開眼と、インドから招来してまだ新しいので、白く輝いています。

 階段のところに、電動のリフトがありました。駅にあるものの簡易版のようです。雨ざらしで大丈夫なのか、心配になります。しかし、このような配慮があるところが、壺阪寺らしいと思いました。
 
 
 
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 インドから持ち帰ったという仏頭も展示してありました。これは、まだ海外に持ち出せた頃のものを寄進されたのだそうです。今でもインドへ行くと、古道具屋さんらしきところに仏頭がころがっています。あれは、本物なのかお土産用にそれらしく作ったものなのか、ときどき迷います。
 かつては、本物が自由に売買されていたことが、この展示を見てわかりました。
 
 
 
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 礼堂のご本尊も拝むことができました。『壺阪霊験記』のお里・沢市で知られるこの寺らしく、本尊である十一面千手千眼観音の眼が、何と言っても特徴的です。

 目の不自由な方のための点字の本は、ガラス戸のケースに入っていました。
 ただし、源氏物語は見つけられませんでした。
 前回、丁寧に説明していただいたので、今回は戸棚の前を素通りです。

 この点字本については、すでに

「【復元】点字本『源氏物語』(全3冊)」

「点字本『源氏物語』(その後)」

で書きましたので、ご参照いただければと思います。


 自分用に、メガネチェーンを買いました。
 
 
 
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 使い心地は非常に悪いものです。しかし、これは気持ちの問題です。もうしばらく、使ってみます。

 お決まりの、お里・沢市のスポットです。
 
 
 


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 その縁でメガネもあります。
 
 
 
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 いつものことながら、ここの大観音は迫力があります。
 
 
 
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 大観音石像は、20メートルの高さがあります。7万人のインドの石工による手作りだそうです。昭和58年に開眼法要が営まれました。手前は、大涅槃石像です。

 石殿は、インドに来たかのような錯覚に陥ります。
 
 
 
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 ぜひこの中に入り、しばしインドの雰囲気を体験してもらいたいものです。

 お土産物屋で、目によいというお茶や煎餅などがありました。地元の目薬も、今では全国的に知られるようになっています。欲しかったのですが、家にいろいろとあるので、今日のところはパスです。またこの次にしましょう。
 
 
 
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 壺阪寺のご詠歌は、次の通りです。


いはをたて
みづをたたへて
つぼさかの
にはのいさごも
じやうどなるらん

 
 
 

2010年10月19日 (火)

西国三十三所(19)元慶寺(番外)

 私が持ち歩いている西国札所のガイドブック『西国&新西国巡礼』(ナンバー出版、1984年)は、昭和59年に刊行されたものです。ちょうど西国札所を一巡し、つぎに新西国霊場巡りを始めた頃に買った本です。26年も前の本なので、古いなーと思いつつも、長く使って来たことから無意識にカバンに入れて出かけています。

 今回、この本もお役目を十分に果たしていることを痛感しました。それは、お寺までの順路の説明やバスの記載が、当時と状況が相当違ってきていることに直面したからです。

 元慶寺は、西国三十三所の番外3ヶ寺の1つです。
 この番外の札所とは、開基である徳道上人や、これを再興させた花山法皇ゆかりの寺院のことを指します。そのためもあって、この元慶寺のご本尊は、観音さまではではなくて薬師如来です。

 元慶寺への行き方について、手持ちの本には、「京津線日ノ岡駅下車、南へ徒歩15分」とあります。しかし、地下鉄東西線の開通により、平成9年に京阪京津線の地上区間が廃止されました。それに伴い、九条山駅と日ノ岡駅が廃止されたのです。日ノ岡駅は御陵駅に統合され、今に至っています。つまり、日ノ岡駅は今はないのです。

 この元慶寺行きを機に、『西国三十三所ウォーキング』(JTBパブリッシング、2007年)を手にして出かけることにしました。この本によると、元慶寺は「地下鉄東西線御陵駅下車」とあります。
 それでも、駅からお寺までの道順は歩きながら不安になります。とにかく、狭い住宅地を通り抜けるようにして歩きます。
 御陵駅の改札窓口で、元慶寺までの道順を書いたメモをもらうことが肝要です。

 スーパー「フレスコ」が見つかれば、もうすぐそばです。
 写真の進入路が見つかれば、もう元慶寺は目の前の突き当たりです。
 
 
 
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 山門は竜宮造りで、珍しい唐風の門です。
 
 
 

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 狭い境内で、本堂も息苦しそうです。
 
 
 
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 その本堂の前に、花山院の落飾の場所であることを示す石柱が建っています。
 
 
 
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 花山天皇が、藤原兼家と道兼父子の策謀によりこの寺で出家させられたことは、『大鏡』や『栄花物語』でよく知られているところです。19歳の時でした。この花山天皇の親王時代には、紫式部の父藤原為時が学問を教えています。

 出家後の花山院は、徳道上人の宝印を持って観音霊場三十三所を巡礼します。花山院が各霊場で詠んだ和歌が、今の御詠歌となっています。
 今回、朱印軸に書いてもらっている御詠歌は、花山院御製のものだといわれる和歌です。
 
 
 
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 この御詠歌は、次の通りです。


まてといはば
いともかしこし
はなやまに
しばしとなかん
とりのねもがな


 元慶寺は僧正遍昭を開基とする、西国三十三所霊場の番外札所です。
 遍照は、紫野の雲林院の別当を兼ねています。雲林院は今の大徳寺の南側にあり、『大鏡』の冒頭で有名な所です。こうしてたどると、遍照が身近に感じられます。

 元慶寺の境内には、「遍照僧正御墓」と刻まれた石柱がありました。しかし、その御墓がどれなのか、聞きそびれてしまいました。
 
 
 

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 この境内ではなく、寺から南に200メートルほど行ったところにある、との情報もあります。写真も公開されているので、それも確かなのでしょう。とすると、この元慶寺の石柱は何なのでしょうか。いつか確認しておきます。

 境内には、さらに遍照親子の歌碑もあります。
 
 
 
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小倉百人一首 第十二番 僧正遍照 歌碑
財団法人 古代学協会 建

天津かぜ
くものかよひち
  ふきとちよ
 乙女のすがた
  しはし
   とゝめん


小倉百人一首 第二十一番 素性法師 歌碑
財団法人 古代学協会 建

 今こむといひしはかりに
長月の 有明のつきを待ち
  いてつるかな


 平安時代の物語や和歌の空間として、元慶寺はもっと人に知られてもいいお寺だと思います。
 
 
 

西国三十三所(18)施福寺

 今日の巡拝は、これまで以上にiPhone をフルに活用しての札所巡りです。移動しながら、効率的に目的地を絞って行く方法で参拝しました。

 西国札所のスタンプラリーに限らず、このiPhone を使った探索も、ゲーム感覚で楽しめます。
 とにかく今は、歩くことと自然探査を通して、効果的なリハビリの成果を挙げることが目的なので、飽きないでゴールにたどり着くことを考えて、さまざまな試みをしています。

 時間と方角と距離を考えながら、天王寺駅に着いたところで、行き先を施福寺と決めました。いつもは、行き先を決めてから自宅を出ていました。しかし、今日はiPhone 頼みです。
 天王寺駅で決まった今日の予定は、和泉府中駅からバスを乗り継いで1時間。そして歩いて30分の山登りとなります。

 かつて、この施福寺のある槙尾の近くの学校に勤務していました。車で通勤したときなど、この山の下を通りました。
 勤務先はおしゃれな学校で、若い学生たちと一緒に、楽しく古典文学のことを語っていました。当時を想い出させる、懐かしい道です。

 家族とも、何度も来ました。みんな、急な山登りをしながら、疲れた、もういい、帰る、と文句を言いながら登ったものです。
 次の写真は、今から6年前、母が亡くなった後の施福寺への巡拝のときです。
 
 
 
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 西国札所の中でも、この施福寺は難所の一つです。山道も、自然石を置いただけの急勾配が続きます。ところどころで、石仏も見守ってくれています。
 
 
 

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 登り始めたころに、幼稚園の子どもたちと出くわしました。みんなワイワイとはしゃぎながら降りてきました。
 
 
 
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 すれ違うときには、「ようおまいり」「こんにちは」と声を掛け合います。これが、元気の源となります。

 本堂は、重たそうな屋根を被って、ヒッソリと佇んでいます。
 
 
 
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 標高600メートルの山頂からの景色は、金剛山や葛城山などが見渡せて、山巓の大自然に身を置くことができました。
 
 
 
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 登りでは、片道30分と言われるところを、呼吸を整えながら急ぎ足で20分。帰りは少し早足で、それでいて上下動を抑えた歩き方で15分でした。
 これは、もうリハビリではありません。完全に、体力、持久力、そして根気を養う鍛錬です。
 自分の身体をシッカリと作りたい、という明確な目的意識があるので、こうして少しずつ負荷を上げていけるのです。西国札所巡りを続ける中で、しだいに修行の趣を呈してきています。

 今、問題なのはただ一つ。
 食事を取るタイミングと、一回の分量です。これには考えることで頭を使うので、どうも苦手です。身体を動かすことの方が、リハビリとしては楽です。しかし、毎日こまめに取り組まなければならないことなので、自分で自分の身体に覚えさせる以外に、誰も助けてはくれません。

 さて、施福寺というと、すぐに思い出すのはキクラゲです。
 登り口にあるお店で、白と黒とのキクラゲが、今日もありました。ただし、消化がよくなさそうなので、今回は手にしただけで買うことは控えました。
 
 
 
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 帰りのシャトルバスが出るまでに、あと2時間近くあります。シャトルバスから乗り継ぐ麓のバス停まで4キロだとのことだったので、自力で歩いて下ることにしました。

 曲がりくねった川沿いの道をひたすら下ります。
 
 
 
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 1時間かかるところを、意識して姿勢を正したウォーキングスタイルで、しかも早足で歩いたこともあり、40分で麓のバス停に出ました。1キロを10分のペースなので、今の身体の状態からいえば、よく歩いた方でしょう。

 しかし、もうすぐバス停というところで、細い道の先を走り行くバスが横切って行くのを見かけました。
 もう数分早く歩けばよかった、と思う自分と、これが今の自分の身体では一番いい状態で歩いたのだから、これでよしと言うべきだ、という自分がいました。頑張れと言う自分と、よくやったと言う自分が半々になったことを、今は喜んでいます。スローライフの意識が、少しではありますが芽生えていることを実感しています。

 バスは行ってしまいましたが、幸いなことに、来たときの和泉府中駅ではなくて、大分手前ですが、和泉中央駅行きのバスがしばらくすると来ました。バスに乗り、iPhone を片手に、帰りのコースを組みました。

 今日の施福寺の御詠歌は、次の通りです。


みやまぢや
ひばらまつばら
わけゆけば
まきのをてらに
こまぞいさめる

 
 
 
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2010年10月18日 (月)

西国三十三所(17)藤井寺

 藤井寺駅前の元気な商店街を通って、西国札所第五番の藤井寺に行きました。
 
 
 

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 商店街に入ってすぐのところに、遣唐留学生だった井真成の石人形がありました。
 
 
 

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 真成は19歳の時、阿倍仲麻呂らと共に渡唐し、36歳の若さで急逝しています。あの玄宗皇帝も、日本人の真成に高位を贈り追悼するほどの有能な官人だったのです。

 その彼の墓誌が、平成16年に中国の西安市で見つかり、テレビなどでも話題になりました。これまで、歴史に確認されていなかった無名の人物が、突然出現したからです。

 真成は、ここ藤井寺の出身です。
 彼は、唐王朝の中央官僚となった人です。墓誌の最後には、

身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている。

と記されています。
 さぞかし無念だったことでしょう。

 さて、今日は18日。毎月この日は、藤井寺のご本尊で秘仏の、十一面千手千眼観音のご開帳の日です。
 
 
 

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 幸運にも、ご本尊を拝むことができました。
 たくさんの人がお参りです。すでに縁日の出店は片づけられるところでした。それにしても、この寺は商店街に負けず劣らず、大阪的な活気があります。
 
 
 
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 ご開帳ということもあってか、本堂の内陣には、巡礼姿の善男善女が御詠歌をあげておられました。その分だけ、私のお軸を書いていただくのも待たされました。
 
 
 
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 藤井寺の御詠歌は、次の通りです。



まゐるより
たのみをかくる
ふぢゐでら
はなのうてなに
むらさきのくも


 今から27年前、父が亡くなってすぐに始めた西国三十三所札所巡りは、この藤井寺でお軸をいただき、そこに最初の印をもらってスタートしました。

 初めてのことでもあり、どのお軸にしたらいいか迷いました。結局、観音さまを西陣織りで縫い込んだお軸にしました。
 今回の自分のための札所巡りのお軸は、同じ西陣織ですが、石山寺のものです。
 自分らしくていいのでは、と気に入っています。
 
 
 

びわ湖百八霊場(1)2-岩間寺

 今日は滋賀県と京都府の境にある西国12番札所の岩間寺に行きました。そして、西国札所巡りとともに、これを機会に「びわ湖百八霊場」(事務局・西教寺、大津市)も巡拝することにしました。ただし、何年かがかりのことになるはずですが……

 我が愛読書は、井上靖の『星と祭』です。
 そこに出てくる、琵琶湖岸の観音さまのすべてを拝んで回ることを、いつかやりたいと思っていました。今回の病気を機に、その夢を実現すべく実行を思い立ちました。
 いつかいつか、と思いながらいたことです。それが、この岩間寺に着いて、本堂の柱に「びわ湖百八霊場」のことが書いてあったので、眠っていた思いが呼び起こされ、急遽決めたものです。これも、何かのご縁なのでしょう。

 「びわ湖百八霊場」の宝印を書いていただいている写真の、向かって左側には、琵琶湖の地図が写っています。
 
 
 
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 この赤い部分が、近江湖西二十七名刹霊場の範囲を示すものです。

 この「びわ湖百八霊場」については、今から約20年も前に、その構想が進められていました。
 平成4年に、県下4ブロックの内、まず湖北二十七名刹霊場会が創設されたました。
 その後、平成8年に湖東二十七名刹霊場会が、平成16年に湖南二十七名刹霊場会が組織されました。
 そして遅ればせながら、平成21年にこの湖西二十七名刹霊場がこれらのネットワークに入り、これで滋賀県下4ブロック全域を網羅する近江の108の霊場が、琵琶湖を囲む形でスタートすることになったのです。

 湖西ブロックの発足が遅れた原因は、湖西には大寺院が多く、足並みがなかなか揃わなかったからだと言われています。しかし、延暦寺・三井寺・石山寺・西教寺などが加盟することにより、ようやく108の霊場が完成したのです。

 平成21年9月8日をもって、「びわ湖百八霊場」は正式に創設されました。同霊場会の朱印授与は9月18日から始まりました。この百八の寺院の巡拝順路は、石山寺から始まり琵琶湖を時計回りに巡って、延暦寺横川中堂で満願です。

 これから長く受け継がれる霊場となることを願いたいと思います。
 参加したお寺の数は、仏教でいう人間の煩悩の数108をなぞらえているようです。

 舞台裏では、さまざまな困難があったことと思われます。とにかく、円満に解決して発足できたことを悦びましょう。
 ただし、まだスタートしたばかりでもあり、全108霊場の一覧は容易に手に入れることができません。ネットではすでに公開されています。しかし、各霊場にその一覧が置かれていないのです。それよりも何よりも、駅やインフォメーションセンターの方々も知らないのですから、これからのPRに期待しましょう。

 公式キャラクターができています。「かけるくん」と「めぐるくん」という、かわいらしい双子の男の子です。
 
 
 
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 この旗が琵琶湖の湖岸を数珠つなぎに囲んでいることを思うと、本当に楽しくなります。

 また、今はまだ「御宝印帳」というバインダー式の納経帳しかありません。
 
 
 
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 いずれお軸などが頒布されることでしょう。西国・板東・秩父の百観音があるので、そのパターンでのグッズが販売されることでしょう。これもまた、今後が大いに楽しみです。

 そして、私の興味は、各霊場のご本尊は琵琶湖を向いて立っておられるかどうかにあります。
 『星と祭』では、湖岸の十一面観音さまは湖を見ているとあったように思います。ただしラストシーンで、満月の夜に湖面で亡くなった子どもたちの葬儀をします。そのとき、湖岸の十一面観音さまが、みんなすっくと立ち現れます。ただし、充満寺の十一面観音さまは背を見せており、医王寺の十一面観音さまは横顔を見せているとありました。この確認もしたいと思っています。

 108の霊場の内、十一面観音さまがおられる26ヶ寺に、まずは回ってみるつもりです。
 確か、『星と祭』では、琵琶湖のまわりに十一面観音さまは四十数体あると書いてあったように思います。
 この「びわ湖百八霊場」を回ると、その半数を拝むことになります。
 これはまた、楽しい予感がし出しました。
 
 
 

2010年10月17日 (日)

西国三十三所(16)岩間寺

 西国12番札所の岩間寺(正しくは岩間山正法寺)は、山麓のバス停から50分の険しい山登りとなります。しかし、毎月17日だけは、JR石山駅からお寺まで直通バスが出るのです。
 特に5月と10月の17日は「ぼけ封じ祈願会」があり、たくさんの参詣があります。私も、今日はその一人になりました。

 ただし、お寺へ行く前に、少しトラブルが……。

 JR石山駅の改札口で、スタンプラリーの紙(「西国三十三所めぐり スタンプカード」)を窓口に出しました。これは、JRが今月10月からスタートさせたスタンプラリーの捺印用紙です。これまで、行く先々で、JRを使ったときに駅で捺してもらっています。

 対応してくださった駅員さんは、参拝の時にもらった「イラスト散華」を見せろ、と威圧的に言われます。朝早い上に、バスを待つ人の多い中で立ち寄っているので、参拝帰りのはずがありません。バスの出発まで45分もあるので、その時間にスタンプをもらっておこうと思っていたのです。帰りが混むし、また、もらい忘れをしないために、あらかじめスタンプをもらうのであることを駅員さんに伝えました。
 しかし、パンフレットに書いてあるように、と駅員さんは原則論を開陳なさいます。私としては、これまでそのような理由で押印を拒否された駅はないことを伝え、手間と時間をかけて説明し、とにかく何とかスタンプを捺してもらいました。
 私の巡礼の最初だった石山寺も、ここで捺してもらうはずだったものをもらい忘れていたので、この際捺してもらいました。

 その駅員さんは乗客の私が言うことに従わざるをえなかった状況が癪に障るのか、岩間寺と石山寺の位置に、わざと歪めてスタンプを捺されたのです。そこまでしなくても。そんなにきつく言ったつもりはありませんが……
 
 
 
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 どの駅でも、丁寧にスタンプを捺してくださったので、どうでもいいことながら少し不愉快な思いをさせられたことが残念です。

 その時は、若い駅員さんにもプライドもあるでしょうから言わないでおいたことがあります。
 それは、パンフレットには次の順番で説明が書いてあるのです。


(1)各札所で、スタンプカードか押印された朱印帖を提示すると、イラスト散華をもらえる。
(2)スタンプ設置駅で、各札所で押印してもらった朱印帖を提示すると、駅係員がスタンプカードに駅のスタンプを捺す。

 つまり(1)から、朱印集めをしない方でも、各札所でイラスト散華がもらえるように考慮されていることがわかります。
 そして(2)では、札所での押印済み朱印帖を駅員に見せることにより、スタンプカードに駅のスタンプが捺されるのです。これは、朱印集めをしていない方には、駅のスタンプが捺してもらえないように選別していることになります。札所の朱印は、1つもらうのに300円か500円かかります。
 今回のJRのテーマが「仏像に出会う旅」なので、もう少し別のやり方があったのでは、と思われます。

 いずれにしても、石山寺の駅員さんが私に要求なさったように、イラスト散華を駅で提示することは求められていません。イラスト散華を見せろとおっしゃった若い駅員さんの言い分は、上記のようにパンフレットの文言を確認してもよくわかりません。

 それよりも、この企画にはそうとう無理があります。

 上記(2)は、駅員を困らせます。今回の石山駅の駅員さんは、朱印帖とイラスト散華のことを混乱しておられたのでしょう。ただし、これまでの駅では、窓口に紙を出すと、どこでも無条件にスタンプを捺してくださいました。

 もう一点、このスタンプラリーがJR職員に周知徹底されていないせいか、どこの駅でも机の周りをゴソゴソして、スタンプの場所を探されます。半分近くの駅で、なかなかスタンプが出てこないので待たされました。スタンプラリーの意味がわからないので、わかる人を探す駅もあります。
 そして、改札口の横で待たされる私は、乗降客の方から邪魔な奴として白い目で見られるのです。

 このスタンプラリーの期間は、平成22年10月1日から平成26年3月31日までなので、あと3年半も実施されます。そのうちには、JRの職員にも趣旨と対処方法が伝わることでしょう。まだ、今月から始まったばかりのイベントなのですから。

 それはさておき、岩間寺行きのバスは、ラッシュアワー並のギュウギュウ詰めで石山駅を出発しました。
 これまでは自分の車で来ていたので、今回このバスのありがたさが初めてわかりました。
 そして、境内は人でごった返していました。

 まずは「ぼけ封じ観音」に手を合わせます。これは、最近とみに私にとっては深刻な問題となっています。

 本堂前では、護摩木を燃やした上を裸足で歩く「火渡り式」に並ぶ長蛇の列が目に飛び込んできます。
 熱気に包まれた境内です。
 
 
 
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 しかし、私にとっては、本堂の納経所でお軸に御詠歌を書いてもらうことが先決です。ここも、長蛇の列が出来ています。30人くらいでしょうか。

 私がその列の後ろに並んですぐでした。私の左前横の方が右前横の方に、割り込み行為を咎めておられるのです。左前横の方は、まっすぐに一列に並びましょう、とおっしゃいます。右前横の方は、書き手は2人なので、自分は右の方に書いてもらうのだ、ということを主張されています。
 私は、左前横の方の後に付きました。私の後の方たちも、私の真後ろに並ばれました。
 右前横の方は、そのお連れの方と共に、カタカナのトの字の出っ張りの位置になっても、意地になって横にはみ出しながら並んでおられます。

 その内、納経所の裏でも書いてもらえるという情報が流れ、私の前の左右の方は共にそちらに移動されました。
 私は、この本堂の窓口で「びわ湖百八霊場」の朱印帖をもらいたかったので、そのまま詰めて並んでいました。
 すると、まもなく、先ほど右前横におられた2人が戻ってこられ、私の前の方の右前に、またまた割り込まれました。大変な人だと思ったので、私は無視して並んでいました。前の方も無視なさっています。

 次が自分の順番だというときに、割り込まれた方は右側の窓口へ、私の前の方は左側の窓口へ進まれました。しかし、結果的には右側の方は遅れに遅れ、左側の私の前にいた方が終わり、私の順番になっても、右側の割り込まれた方はまだ順番が来ていませんでした。
 割り込んで来て好き放題になさったのですが、結果的には私よりも遅くまでかかっておられました。寸劇ともいえる一時を、十分に楽しませていただきました。
 
 
 

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 岩間寺の御詠歌は、次の通りです。



みなかみは
いづくなるらん
いはまでら
きしうつなみは
まつかぜのおと


 帰りのバスも満杯です。ずっとバスの後部ドアに押しつけられるようにして立ち通しでした。それでも、山を歩いて下らなくてもいいので大助かりです。いくらリハビリとはいえ、この距離と勾配は、今の私の身体には無理ですから。
 
 
 

2010年10月16日 (土)

西国三十三所(15)上醍醐寺

 醍醐寺の西国札所である上醍醐の准胝堂は、山の上にあります。下醍醐は、後にできたものです。

 娘が一歳になったばかりの冬、娘をねんねこで背負い、母と雪の山道を登ったことを思い出します。
 あの頃は、醍醐の裏側にあった炭山の陶芸村からの山登りでした。

 今回、准胝堂が工事中のため、観音のお参りは下醍醐の金堂で、との表示が目につきました。今月の6日とあるので、先週からです。朱印も金堂でもらうように、とのことです。
 
 
 
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 准胝堂は、平成20年8月に落雷で消失しました。そこで、江戸時代の准胝観音を金堂に安置しているのです。今日は、あのハードな60分もの山登りはしなくてもいいようです。

 山門で入山料の600円を払って境内に入ると、すぐ左に金堂がありました。
 
 
 
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 御詠歌を書いてくださった方は、とてもお急ぎのようでした。直前まで、ツーリストの方と一緒に、この机の上にお札と硬貨を拡げて計算をしておられました。
 駆け足のように少し乱雑な筆でしたが、とにかく朱印をもらいました。呆気なさすぎです。
 写真でもわかるように、お軸をきちんと拡げるわけでもなく、左手の指で押し開いて、シャカシャカと速筆でした。
 
 
 


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 観光地と化している寺なので、金銭的なことはしかたないと思います。ただし、業者とのお金のやりとりは、別の場所でやってほしいものです。お金の確認を目の前でしておられる間、こちらはお軸は持って待っているのです。いささか、興ざめでした。
 そして、お軸はキチンと拡げて書いてほしいものです。非常にいいかげんに扱われた気分になりました。こんな書き方は、今までで初めての体験です。
 いろいろな方が書いてくださいます。これも、楽しみの1つにしましょう。
 
 御詠歌は、以下の通りです。
 
 


ぎやくゑんも
もらさですくふ
ぐわんなれば
じゅんていどうは
たのもしきかな

 
 
 それにしても、山上往復2時間のリハビリ登山をイメージしていたので、完全に肩透かしです。
 山登りを覚悟して来たこともあり、ありがたみが半減です。

 せっかく来て、あっと言う間もなくこのまま帰るのももったいない気がします。
 そこで、国宝の五重塔をジックリと見上げ、しばし時を潰しました。
 
 
 
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 これまでに見た五重塔を思い浮かべながら、この塔には語りかけてくるものがないように思えてきました。
 ただ、古いものが建っているだけで……
 興福寺や室生寺や東寺の塔のような、気品と迫力が感じられません。好き好きでしょうが……勝手な印象です。
 
 
 
 

西国三十三所(14)今熊野観音寺

 今熊野観音寺は、泉涌寺道の商店街から入ったところにあります。
 
 
 
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 月輪山麓の澄み切った木立の中に、観音様はおられます。
 朱の鳥居橋を渡ると、観音寺の境内です。
 私はこの観音寺を取り囲む雰囲気が好きです。
 ここのモミジは、紅葉していないときの緑が、とても爽やかです。
 
 
 
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 本堂下の弘法大師と子どもたちの像は、私の母が健在だったころ、孫を連れて来るたびに、この周りを走り回らせていました。この像が、私の今熊野を象徴するものとなっています。
 
 
 
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 ここは、ボケ封じでも有名です。母と私の枕カバーを買ったのも、ここでした。
 本堂を見上げると、後ろの山に多宝塔がありました。これまで気付きませんでした。
 
 
 
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 巡拝すると、今日はご本尊が直接見られるだろうか、とか、お軸のご朱印はどこでもらうのだろうか、ということばかりに注意がいっていたので、周りの建物には目がいっていませんでした。それだけに、今回は少し周りが見えだしたということでしょうか。
 
 
 

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 今熊野観音寺の御詠歌は、次の通りです。
 
 


むかしより
たつともしらぬ
いまぐまの
ほとけのちかひ
あらたなりけり

 
 
 東福寺駅から来る途中で買った、小さなおにぎり2つと野菜ジュースを、境内の休憩所で食べました。緑のモミジに囲まれて、ささやかながらも贅沢な時間に身を置くことができました。
 
 
 

2010年10月15日 (金)

西国三十三所(13)三室戸寺

 宇治に来ると、まずは回転寿司の函館市場でお腹を満たします。
 
 
 
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 今回は、手術後のために、あまり食べられません。そこで、ご飯を4分の1にして握ってほしいと伝えました。しかし、渡されたのは、みんなご飯が半分以上のものでした。お願いしても、せいぜい半分までにしか小さくしてもらえません。
 握る方にとっては、あまり小さくしても、という気持ちが働くのでしょうか。

 この宇治橋から北東に、西国札所10番の三室戸寺があります。
 
 
 
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 この寺のことは、かつて「源氏のゆかり(3)浮舟の石碑」(2008年1月26日 )で書きました。
 
 
 

 その最初に掲載した写真は、実は少し細工をしたものでした。元の写真には、門のところで娘が立っていました。それを、フォトショップを使って一時的に姿を隠してもらいました。どこに立っていたのか、わからないと思います。
 今回の写真には、手は入っていません。

 また、「源氏のゆかり(3)浮舟の石碑」では、『源氏物語』にまつわる「浮舟」の石碑の移転のことに触れました。あれから3年近く経とうとしています。幸か不幸か、いまでも、この碑は三室戸寺の鐘楼脇の同じ場所に建っています。
 
 
 
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 この「浮舟之古蹟」と刻まれた古碑は、江戸時代中期の寛保年間(1741〜1744)に、「浮舟古跡社」を石碑に改めたものです。その時に、古跡社のご本尊であった「浮舟観音」が三室戸寺に移され、浮舟念持仏として現在は宝物館に伝えられています。
 と書きながら、実は私はまだ一度も見たことがありません。神社仏閣にはよく行きます。しかし、どうも見落としが多いのです。いつも、次は、と思って巡拝しています。

 本堂の前は、蓮で埋め尽くされています。
 
 
 
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 そして、中央に狛兎と狛牛がいます。狛兎は御影石で作られています。
 
 
 
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 この兎が抱いている大きな玉の中に、さらに卵型の石が入っています。それが立てば願いが通じると云われているので、試してみました。運良く立ってくれました。
 
 
 
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 帰ってから写真をよく見ると、底に十円玉が置いてあります。知りませんでした。これに助けられたと言えなくもありません。しかし、それでもとにかく立ったのですから、人に助けられながらも万事うまく行く、ということなのでしょう。私らしいかもしれません。

 この地域を菟道(うじ)といいます。また、菟道稚郎子は、応神天皇と宇治の豪族である和邇(わに)氏の娘との間に生まれた皇子です。さらには、菟道稚郎子が宇治に来た際、兎が道案内したとの伝承もあります。ということで、この三室戸寺は兎と縁があるのです。
 さらに、私は卯年生まれです。来年は卯年なので、年男で還暦となります。ウサギつながりで、いい歳になることを念じました。

 三室戸寺の御詠歌は、次の通りです。

よもすがら
つきをみむろと
わけゆけば
うぢのかはせに
たつはしらなみ


 
 
 
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 お軸も、少しずつ、着々と埋まっていきます。
 
 
 

2010年10月14日 (木)

西国三十三所(12)勝尾寺

 大阪の北部にあたる箕面には、西国第23番の勝尾寺があります。

 車で巡拝していた頃は、箕面温泉に入るのを兼ねて行ったものです。
 箕面の温泉は肌触りのいいお湯なので、お薦めです。大きなプールを思わせるお風呂が爽快でした。子どもたちが大はしゃぎをしていました。その後、子どもたちも大きくなり、しばらく入っていません。

 今回は、電車とモノレールとバスを乗り継いでの巡拝なので、遠回りになる温泉はパスです。

 阪急電車と大阪モノレールを使い、千里中央駅まで出ました。そこからバスで山登りです。しかし、勝尾寺へ行くバスは、1日に3本しかありません。時間調整が大変です。

 9時10分/11時15分/14時15分

 千里中央で時間があったので、少しお腹に入れることにしました。

 すぐそばにロッテリアがありました。こまめにタンパク質を、といわれているので、久しぶりにハンバーガーを食べることにしました。
 一番ボリュームの少ないものをと言うと、なんと支払いは百円でした。レジの表示装置である7セグメントディスプレイをジッと見つめました。話には聞いていたものが、本当にそうだったので驚きです。

 これまでカロリーコントロールをしていたので、こうした外食産業のファーストフードは意識的に避けていました。
 また、アメリカなどでは、成人病を促進した食品ということで訴訟が相次いでいるため、あの大食漢のアメリカ人も、最近はマグドナルドをはじめとする、この得体の知れない油の塊を敬遠するようになったとか。

 そんな流れに逆らうかのように、今私はこの避けてきた危険な食品を、食事療法に部分的に利用しようというのです。おもしろいものです。ほんの少しですが、毒物の有効活用です。

 とはいえ、百円という値段で一喜一憂する凡俗の身の上。節操もなくハンバーガーをいただきました。ついでに、野菜ジュースも。しめて二百円です。

 バスは曲がりくねった山道を上ります。自分が運転していた頃を思い出しました。

 勝尾寺は、きれいに整備されたお寺です。
 
 
 
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 私には、手を入れすぎた霊園のように見えて、申し訳ないのですがあまり好感を持って訪れたことがありません。非常に人工的なお寺です。今回も、同じ感想を持ちました。参拝者に冷たい印象を与えます。納経所も、いまだにバラックです。

 ここが西国霊場の一つではなかったら、おそらく2度と来ないお寺です。

 山門には、勝尾寺とあります。しかし、その山門の背面に「勝王寺」とあることに気付きました。
 
 
 
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 入り口でいただいた紙片を見ると、最初は弥勒寺だったが、「王に勝つ寺」という寺名を賜ったのだそうです。しかし、「寺側は王を尾の字に控え」、以来「勝尾寺」と号するようになった、とあります。手元のガイドブックには別の経緯がしるされているので、この寺名の変更には、おもしろい背景がありそうです。また、調べてみましょう。
 
 
 

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 納経所には、先に団体の朱印帖がたくさん置かれていました。
 
 
 


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 ツアーの霊場巡りの場合は、先達役の方がみんなの朱印帖や笈摺などを集めて、先に書いて貰うのです。先達に朱印帖やお軸を預けて、自身はお参りをしない人もいるくらいです。
 ちょうど、その団体にぶつかりました。ただし、今回はまだ少ない方でした。
 幸いにも、お寺の方は、私のお軸を団体の方の合間に書いてくださいました。
 
 
 
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 この勝尾寺の御詠歌は、次の通りです。

おもくとも
つみにはのりの
かちをでら
ほとけをたのむ
みこそやすけれ

 お軸には、ご詠歌の「罪には」ということばを変体がなで「都美二八」と、いい文字で書いてくださいました。お心遣いに感謝します。

 この寺は、何事にも「勝つ」ということが売り言葉のため、ダルマがたくさんあります。とにかく、この「勝つ」ことに対する拘りを強調しておられます。

 今、「急ぐ」とか「勝つ」とか「早い」というモットーから距離を置きだした私には、この「勝つ」ことへの拘りがこれまでの自分の姿のように思えて来ました。その意味では、この勝尾寺は、私にとってはこれまでの自分を見せてくれるお寺として、いい鏡となるお寺なのかも知れません。
 そう思うと、この無機的な境内も、敬して遠ざけるのではなくて、我が身を振り返るのに格好の場所として見えてきます。このお寺に強い拒否反応を示す限りは、私のリハビリは順調に進んでいるとも言えるのです。

 大阪平野を見やる展望場所にも、たくさんのダルマの御神籤が置かれていました。
 
 
 
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 このお寺に対する見方が変わると、来たときに見た景色も、帰りには親近感が湧いて来ました。
 
 
 
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 お土産売り場のイスに座り、一時間以上のバス待ちをしました。
 とにかく、交通の便が悪いので、ここへ来る方で自家用車ではない方は、何らかの対策が必要です。
 私は、この巡拝記を書く時間をもらったと思い、こうしてゆっくりメモを記すことができました。
 
 
 

2010年10月12日 (火)

西国三十三所(11)総持寺

 自宅から西国札所第22番の総持寺まで、地下鉄と阪急電車を使ってちょうど1時間。お寺が総持寺駅に近いこともあり、散歩がてらという感じで行きました。

 住宅街の一角にある、手入れの行き届いたお寺です。
 
 
 
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 お軸に御詠歌を書いていただくとき、3人おられた内の、奥におられた一番若い方だけが、暇そうに仏典を手にして眺めておられました。いつものご朱印ではなくて、今回は御詠歌をいただいて回っているので、できることなら流麗に書いてもらった方が有り難みが増します。

 しばらく、お土産物などを見ていました。しかし、年配のお2人はまだ手が空かないようなので、この若者に託すことにしました。
 先般書いたように、六角堂でお軸を台無しにされたことがあるので、書いてもらえばいい、というだけではありません。満願となり、表装したときの仕上がりも気になるのです。しかも、表装代に10万円近くかかるので、あだおろそかにできない代物です。お彼岸やお盆には、お軸のすべてを飾ります。あまり変なお軸にしたくはありません。

 若い方は、一字ずつ丁寧に書いてくださいました。出来具合はいかがでしょうか。
 筆を持つ手が硬かったので、見ている私の気持ちが乱れました。
 しかし、下手に連綿や変体仮名が使われていないので、かえって若々しさが感じられます。
 
 
 
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 この総持寺の御詠歌は、次の通りです。


おしなべて
おいもわかきも
そうぢじの
ほとけのちかひ
たのまぬはなし

 この歌の第2句を「たかきいやしき」とするガイドブックがあります。この部分は、どうやらかつては「たかきいやしき」だったものが、その言葉の意味に疑義が出て、今は「おいもわかきも」となったのではないかと、勝手に想像しています。
 また、何かわかれば報告しましょう。

 このお寺は、包丁の祖といわれる山蔭中納言が開祖です。
 料理の道を進む息子のこれからのさらなる精進も、観音様にお祈りしておきました。

 境内には、平安時代の基壇だったものが置いてありました。千年の重みを感じました。
 
 
 
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 帰り道、お蕎麦屋さんの貞寿庵が目に入りました。
 
 
 
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 これまでにも、何度かここで食べようと思いながら、しかし、この総持寺がいつも通り掛かりに立ち寄る寺なので、ツイまたの機会に、とやり過ごしていました。
 残念ながら、今日もそうです。私の食事時間と生憎合わないのです。

 このお蕎麦とは、いつか縁があることでしょう。
 西国巡礼の最初が私の父のため、次に娘のため、そして妻の実家である秋田の母のため、4巡目が私の母のためでした。今、私自身のためなので、次に6巡目の巡拝をするのは、妻のために回ることになるかと思われます。それがいつのことになるのか。今から楽しみにしておきます。
 
 
 

2010年10月10日 (日)

西国三十三所(10)穴太寺

 京都の西のはずれの亀岡市にある穴太寺は、西国21番の札所です。
 その札所巡りの前に、まずは穴太寺の少し先にある亀岡温泉で、私のお腹の傷を癒すことにしました。

 京の奥座敷で知られる湯の花温泉郷の「里山の休日 京都・烟河(けぶりかわ)」は、日帰り温泉にピッタリです。
 自宅から JR 二条駅経由で亀岡駅まで行き、駅前の送迎バスに乗って1時間以内で行けました。

 烟河は旧亀岡ハイツといわれたところです。
 戦国時代には傷ついた武将たちが、刀傷を癒したという謂われのある古い温泉郷です。
 今の私にとっては、今夏の手術でお腹に6カ所ものメスを入れられたので、その傷を癒すのにこの温泉は最適です。現在の烟河は、とてもきれいな施設でした。

 丹波の山並みを目の前にして、ノンビリと露天風呂に入った後、野菜バイキングをいただきました。バイキングといっても、好きなものを少しだけ取っていたので、いろんな種類の和食を楽しむことができました。

 この亀岡は、かつて明智光秀が築いた丹波亀山の城下町でした。その後、この地は伊勢の亀山と紛らわしいということで、明治2年に亀岡と改称したというのです。今も亀山城跡があります。しかし、亀山という名を捨てたことには、もっと複雑な背景があるのでしょう。今は詮索しませんが、また調べてみます。

 食後は、ホカホカした身体でホテルの送迎バスに揺られ、穴太寺のそばで降ろしてもらいました。穴太寺は村の中にあり、花が咲き匂う境内でした。
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。


かかるよに
うまれあふみの
あなうやと
おもはでたのめ
とこゑひとこゑ

 『穴太寺縁起絵巻』(狩野永納筆)というものがあるそうです。それによると、穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられています。そのことから、平安時代末期には観音霊場として知られていたことがわかる、といわれています(【京都通百科事典】より)。

 ただし、私はまだこの絵巻を確認していません。
 いろいろと調べたのですが、その実体がよくわからないのです。また後日、詳細を調べることにしましょう。

 穴太寺からバスで馬堀駅へ出て、トロッコ列車で嵯峨野へ向かいました。
 馬堀駅からトロッコ亀岡まで歩いて10分弱です。
 
 
 
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 この微妙な距離を歩いて、なぜこんなに離れているのだろう、と思いました。しかも、亀岡駅からはJRで一駅乗って馬堀駅まで来るのです。
 何か理由があるのでしょうが、ブラリと来た身なので、妻とこの疑問を大いに楽しんでいました。

 トロッコ亀岡駅は、人でごった返していました。亀岡駅や馬堀駅から不便なところにあるにもかかわらず、これまた驚きです。
 
 
 
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 最初は立席券だったのが、キャンセルが出たということで幸運にも座れました。今日も、観音様の御利益に感謝です。

 トンネルがいくつもあり、暗くなると昔風の電灯が点きます。
 
 
 
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 保津川の流れも堪能しました。
 
 
 
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 保津川下りも、そして今日乗ったトロッコ列車も、私は初めてです。いつかいつかと思いながら、つい機会を失していたのです。

 トロッコ嵐山駅を少し過ぎた地点で、野宮神社が少し見えました。黒木の鳥居が、その存在感を示しています。
 終点のトロッコ嵯峨駅には、蒸気機関車をはじめとする鉄道文化の展示施設がありました。
 その駅の構内には、御所車も展示されていました。
 
 
 
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 これは、野宮神社からの斎宮行列のイベントに使用されるものだそうです。

 かつて、伊勢斎宮が伊勢に赴く前に潔斎をする野宮社が、ここにあったとされています。『源氏物語』の第10巻「賢木」に語られ、境内の黒木の鳥居と小紫垣がよく知られています。
 この斎宮行列は、毎年10月第3日曜日に実施されるので、今年は来週の10月17日です。
 斎王が任命を受け、都から伊勢の斎宮へと向う「斎王群行」を再現したお祭です。お金を払うと、この群行の女官などとして参加できます。
 斎王、監送使、官人・女官など総勢数百人が、勢多頓宮、甲賀頓宮、垂水頓宮、鈴鹿頓宮、壱志頓宮を経て斎宮に到着するまでには、当時は5泊6日もかかったといわれています。
 ただし、今は、野宮神社を正午に出発し、渡月橋を往復するだけです(【京都通百科事典】参照)。

 それはともかく、私にはこのトロッコ嵯峨駅の構内にある唐破風の牛車は、この地と文化には立派すぎると思いました。斎宮にはもっと簡素な牛車に乗ってもらいたいと思っていたからです。

 JR嵯峨嵐山駅の改札前には、こんなおしゃれな和風の丸窓がありました。
 
 
 
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 その右に見える黒木の立派な格子戸といい、駅らしからぬ雅と和の雰囲気を演出していました。この駅を設計した方のセンスに好感を持ちました。

 夕食は、四条錦市場の牡蠣のお店で、焼きたての牡蠣をいただきました。
 
 
 
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 これから、ますます牡蠣が美味しくなります。退院するときの栄養士さんの話でも、牡蠣は少量で高カロリーなので、胃を全摘した私にはとてもいい、とおっしゃっていました。
 フラリと立ち寄って牡蠣を1つだけ食べて帰れる店なので、気軽に来ることができます。
 この後、四条から御幸町を上がった「おめん」で和食を食べました。

 このところ、順調に、少ないながらも、効果的に食事ができています。ただし、体重は思うように増えません。まだまだ、体力作りを中心としたリハビリの生活が続きます。
 
 
 

2010年10月 9日 (土)

西国三十三所(9)円教寺

 姫路駅からバスで書写山ロープウェイ駅まで行くと、眼前に書写山が聳えています。
 ここは、西の比叡山と称されています。

 歩いても登れます。しかし、これまで一度も歩いたことがありません。
 一度は歩いて山登りを、とは思いつつ、今回もロープウェイを使いました。
 
 
 
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 山上駅まで3分半で着きました。

 山上駅から本堂である摩尼殿までは歩いて15分。
 西国巡礼の道から見下ろすと、麓に広がる田圃アートがみごとでした。
 高校生がデザインした白鷺城です。夢前町ののべ千人が、古代米や絹娘など6品種の苗30万株で作ったものなのです。
 
 
 
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 この夢前町を北上し、塩田温泉に家族と行ったことなどを想い出しながら眺めました。

 子供たちや母と来たときには、山上駅から本殿である摩尼殿まで、馬車に乗ったりマイクロバスを使ったりしました。しかし、今はリハビリを兼ねての巡礼なので、ここは細くて小暗い山道を歩きます。

 摩尼殿は、京都の清水寺のような舞台作りです。
 
 
 
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 ここ円教寺の御詠歌は次の通りです。


はるばると
のぼればしょしゃの
やまおろし
まつのひびきも
みのりなるらん


 摩尼殿で朱印を受けた後、和泉式部の歌塚の場所を訊ねました。すると、今は奥之院の修理をしているので、覆いが掛けてあって見られない、とのことでした。後2年はかかるので、平成25年頃になるでしょうか、とおっしゃいます。
 いつか写真に撮ったはずなので、今日は諦めて帰路につきました。

 なお、和泉式部と書写山というと、増田繁夫先生の『冥き途 評伝和泉式部』(世界思想社、1987年)に尽きます。丹念に資料を読み解いての高著です。今回、手元になかったので、再読せずに出かけてしまいました。この書写山にお出でになるときには、ぜひともこの増田先生のご本を通読なさることをお薦めします。

 境内は、まだ紅葉には早くて、ほんの少しだけ赤く色づいていました。
 
 
 
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 折からの小雨の山道を、小走りでロープウェイの山上駅へと急ぎます。
 小雨に煙る姫路市街から瀬戸内海の夜景が、来るときとは違った趣できれいでした。
 
 
 
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 姫路駅からの帰りに、あろうことか須磨駅付近で人身事故があったそうで、乗っていた電車が明石駅で運転打ち切りとなりました。
「オー、マイ、ゴッド!」です。
 この明石の地は、光源氏がさすらった処でもあります。これが昼ならば、改札を出て散策したいところですが……

 観音様も、とんだ悪戯をなさいます。
 ノンビリ帰りなさい、とおっしゃっているのでしょう。
 明石駅の売店で、ジュース、チーズ、クラッカーを買って、少しお腹を満たしました。

 大雨になった三宮で阪急に乗り換えです。
 軽く夕食をと思い、駅周辺を散策しました。
 手頃な海鮮丼があったので、ごはんを半分以上残し、上にのっていたお刺身だけはすべていただきました。料金が500円もしなかったので、私のように食事の分量に制約のある者には、気兼ねなく残せます。小刻みに食事をする身には、こうしたお手頃の食事は大歓迎です。

 来るときに、三宮駅から発車する奈良行きの電車を見かけました。
 
 
 
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 以前、大阪の鶴橋駅や、奈良の生駒駅で見かけたときも、感激しました。今、三宮で見かけると、奈良と神戸がつながったのだ、ということを実感しました。

 今日は、これから京都へ帰ります。古都が、こうして1本の線で往き来できることは、文化体験の上でもいい刺激になります。関西は、贅沢なまでに、歴史と文化を肌身で感じられるエリアとなっています。
 電車に乗っているだけで、駅名を見聞きするだけで、1300年の時間と空間を遊泳できるのです。歴史と文化のある地域に足を向けることができる者が持つ特権です。

 旧都や古都は、行けるときに行っておこう、という想いを強くしました。
 
 
 

2010年10月 8日 (金)

西国三十三所(8)一乗寺

 姫路駅からバスで40分。
 山の中にある一乗寺は、西国26番の札所です。
 
 
 

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 ここの開基は、インド霊鷲山の法道仙人です。紫雲に乗り、中国・朝鮮を経て来日した帰化僧。千手飛鉢の法をよくしたそうです。

 大化元年には、瀬戸内海を航海していた船が米の供養を断りました。すると法道仙人が空鉢を飛ばすと、米俵は空鉢の後を追って連なって飛行したといいます。
 まさに、『信貴山縁起絵巻』の命蓮上人が、山崎長者の米俵を空鉢で飛ばす話と同じです。
 法道仙人は、孝徳天皇の病を治しているので、西暦600年代の話です。

 法道仙人は、この播州地域でよく知られています。
 この次の西国札所25番の清水寺や、三田にある番外の花山院などが、この法道仙人ゆかりの寺です。
 行基や空海も、この一乗寺を訪ねています。
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。

はるははな
なつはたちばな
あきはきく
いつもたへなる
のりのはなやま


 開山堂である奥之院に法道仙人が祀られていることを知らず、金堂の大悲閣でお軸に朱印をもらうと、ブラブラと石段を降りました。
 西国6巡目には、忘れずに立ち寄りましょう。

 国宝の三重塔は、地味でしたがその木組みの美事さに魅入ってしまいました。
 平安時代に遡る藤原様式のものだそうです。
 
 
 
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 この一乗寺には、これまで車を運転して来たので、今回初めてバスで来てみて、その不便さを知りました。姫路駅を13時に出て、帰りのバスは15時半です。参拝後、1時間以上も待ち時間があります。

 お寺の下の休憩所でお茶をいただき、少しお腹がすいたのでキツネウドンをもらいました。
 ダシは関西特有の、薄い色で少し甘めの味でした。キツネは厚揚げのようにふっくらとしていて、おいしくいただきました。

 あまりに空腹だったからでしょうか、一杯全部を食べていました。一人前をすっかりいただいたのは、手術後初めてです。
 これも、観音様のお導きでしょうか。
 
 
 

2010年10月 7日 (木)

西国三十三所(7)頂法寺(六角堂)

 頂法寺(通称、六角堂)は、四条通りの北側にある錦市場から、烏丸通り寄りを西北へ少し上ったところにあります。
 
 
 
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 この寺は、華道の家元・池坊の発祥の地として有名です。

 最近は、烏丸通り側にあるスターバックスでゆったりと珈琲を飲みながら、このお寺の雰囲気が大きなガラス越しに眺められます。コーヒー店が、なかなか癒しの空間となっています。
 このお店の裏口から、六角堂の境内にそのまま出られます。異次元体験ができるのも、楽しいところです。

 このお寺の歴史は古く、平安時代からのようです。藤原道長の『御堂関白記』や、藤原実資の『小右記』に記載が残っています。

 非常に個人的なことですが、今から25年ほど前になるでしょうか。亡父のために初めて西国巡りをスタートさせたときのことです。あろうことか、この六角堂で掛け軸に書いていただいた朱印が、大きく左にズレていたのです。中心に西陣織で象られた観音様に食い込むように、いびつな書き方をされました。

 「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年7月19日)の記事の最初に、この最初のお軸の全体写真を掲載しました。
 
 
 
 この六角堂の朱印の部分だけを拡大すると、その歪み工合がわかります。
 
 
 

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 お軸が台無しになったので、この寺にはあまり好感を持っていません。実は、当時はこの池坊さんが内紛の中にあったことも、いい加減にお軸に朱印を書かれた背景にあったのではないでしょうか。

 不思議なもので、今でもこのことを覚えていて、今回お軸にご詠歌を書いてもらうときにも、きちんと各場所の位置を間違っておられないかを、ジッと見つめていました。
 今回は、大丈夫でした。
 
 
 御詠歌は、次の通りです。


わが思う 
心のうちは 
六の角 
ただ円かれと 
祈るなりけり


 
 
 
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2010年10月 5日 (火)

西国三十三所(6)行願寺(革堂)

 寺町通りのお茶屋「一保堂」さんの近くにある行願寺(通称、革堂)です。
 
 
 
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 この寺は、京都御所の東南角の丸太町通りから寺町通りを少し南に下ったところにあります。あるいは、京都市役所の左側の寺町通りを北に上っても近いところです。

 寺町通りは、興味深いお店がたくさん並んでいるので、南北に歩くと楽しいところです。
 いわば、文化ストリートと名付けてもいいほどです。
 この行願寺の近くにある文具類は、日本文化の奥深さを教えてくれます。
 定家の屋敷跡などは、すでに何度か書いたので今は略します。

 さらに南に下ると、京極と新京極の商店街があり、観光客や若者でごった返しています。

 寺町通りの四条から南には電気屋さん街がありました。しかし、近年は京都駅周辺に大型店が進出したこともあり、電気店の数も少なくなりました。寂しい雰囲気になっています。残念なことです。

 さて、六波羅密寺の空也上人は「市の聖」と呼ばれました。
 この行願寺の開山である行円上人は「皮聖」と呼ばれていました。
 ともに、平安時代の後期に市中を布教で回った姿がイメージしやすい聖です。
 それだけ、親しみのあるお寺といえるでしょう。
 
 御詠歌は、次の通りです。



花を見て
いまは望みも
革堂の
庭の千草も
盛りなるらん


 
 
 
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2010年9月28日 (火)

西国三十三所(5)紀三井寺

 太地の朝は、爽やかでした。
 ホテルの真下の生け簀で、イルカの訓練が始まっていました。
 毎朝なさっているのでしょうか。早朝トレーニングとはいえ、本番さながらの美技を見ることができました。
 
 
 
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 朝食を終えて下を臨むと、くじらの博物館のイルカショープールでは、先ほどのイルカたちでしょうか、お客さんの拍手を浴びて演技をしているところでした。
 
 
 
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 偶然でしたが、舞台裏と晴れ舞台の両方を見ることができました。
 一見派手なショーも、弛まぬ日常の努力がその背景にあることを知り、考えさせられるものがありました。

 紀伊勝浦駅の前では、魚市場にマグロが並んでいました。セリが終わったばかりだったのです。
 ビンチョウマグロだそうです。
 
 
 
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 いつもおいしくいただいているマグロたちに感謝です。
 私はこれまで、みんなから回遊魚だと言われてきました。常に泳いでいないといけないのです。止まれない生き方でした。
 今回の病気を境に、時々は休息する生き方を意識しなければいけません。
 そうそう生き方を変えることはできません。案の定、すでにいろいろな人と、いろいろな所に連絡をとり、これまでのように仕事を進めだしています。これは性分なので、どうにも仕方がありません。
 しかし、時々休むことを、これまで以上に意識して、そして実行する勇気を、この療養期間に身につけたいと思います。

 今日は、西国札所の第2番である紀三井寺へ向かいます。
 お昼過ぎに、紀三井寺駅に着きました。
 この寺に電車で来るのは初めてです。下から見上げると、本当に駅のそばにあることがわかります。
 
 
 
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 今日は、電車で来たために、いつもと違う裏門から上ることになりました。
 
 
 
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 お軸の頭にあたるお寺では、菊のご紋の印を捺してもらえます。
 御詠歌は、書いてくださる方によって、さまざまな雰囲気があります。
 
 
 

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ふるさとを
はるばるここに
紀三井寺
花の都も
近くなるらん


 
 
 
 2年前の平成20年に、大千手十一面観音ができたということなので、安置されている新仏殿で拝観しました。
 高さが12メートルもあり、寄木立像としては日本最大だそうです。制作は、京都西山の仏師西山明慶師とのことです。
 
 
 
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 仏殿は3階まで上れ、そこから和歌浦の眺望が絶景でした。
 
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 眼下に、『万葉集』の山部赤人の歌で知られる、和歌浦が臨めます。

若の浦に潮満ち来れば潟を無み
  葦辺をさして鶴鳴き渡る


 
 
 
 玉津島神社にも行きたかったのですが、今はその余裕がありません。
 折しも、この和歌浦一帯は、景観保全を含めた活性化に取り組んでいるところだそうです。
 次にこの地を訪れる頃には、どんな和歌浦になっているのか、楽しみにしたいと思います。
 
 
 

2010年9月27日 (月)

西国三十三所(4)青岸渡寺

 週末に、本州の南端、和歌山県の那智・勝浦・太地に転地療養にでかけました。
 異常続きだった暑さもすっかりと和らぎ、秋の気配の紀州路でした。

 まずは、紀伊勝浦駅に降り立ちました。
 駅前のロータリーには、佐藤春夫の「さんま、さんま、さんま苦いか塩つぱいか。」で知られる「秋刀魚の歌」の碑がありました。
 
 
 
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 この地は、佐藤家の屋敷があったので、その縁でこうして碑が残されているのです。
 春夫のこの詩の背景には、友人だった谷崎潤一郎の妻千代との「細君譲渡事件」(昭和5年)があります。ただし、今は那智山へ行くのが目的なので、この話はまたの機会にしましょう。

 お参りの途中で、熊野古道のほんの一部を歩きました。
 
 
 
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 鬱蒼とした森を1本の道が続いています。
 厳粛な気持ちになっていたとき、忽然と市女笠にむしの垂衣の壺装束姿をした、艶やかな女性がやってきました。
 
 
 
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 何かの撮影かと思いきや、聞いてみると貸衣装で古道を歩いているのだそうです。『源氏物語』の玉鬘も、長谷寺へお参りするときには、こんな姿だったのでしょうか。今の若い人に対して、これはなかなかいいアイデアだと思いました。京都の街中で舞妓姿で散策をしている、あれの鄙バージョンということです。背景がいいので、きっとその気になって千年前の世界を味わっておられたことでしょう。
 後ろ姿も決まっていました。
 
 
 
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 紅の懸帯がアクセントになっていて、いい雰囲気でした。もっとも、横で介助をしている男性の首に巻かれたタオルが、何とも写真向きではありませんでしたが……

 青岸渡寺の本堂は、いつ来ても熱気があります。
 西国札所第一番という重みも感じられます。
 
 
 
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 この前ここに来たのは、突然に母が意識を失ったため、その回復を願って来たのでした。ちょうど6年前の9月です。
 あのときは、私が中国の旧満州から帰国したばかりでした。
 母が旧満州から日本に引き揚げて来るときにいたと思われる、長春の街中を案内してもらっていたちょうどその時間に、母は意識を失ったのです。

 娘と話をしているうちに、母がよくなるように西国巡りを思い立ち、まずは第一番の那智へ行こうということになりました。
 朝早くに車でスタートし、高野山を抜けて一路南下し、この青岸渡寺に来ました。本堂でこれから巡るためのお軸を買い、こうして4回目の西国巡拝をスタートしたのでした。
 その日の内に車を北に走らせ、夜中じゅう運転をして深夜に、どうにか当時いた奈良の平群の自宅に帰り着きました。
 私も、50そこそこで若かったからこそできたことです。

 今回のお軸には、御詠歌を書いてもらっています。
 
 
 
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 この那智山には5回目ですが、いつ来ても気持ちが落ちつきます。
 それでいて、瀧は雄大な気持ちにしてくれます。不思議な霊地です。
 
 
 
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 今日の泊まりは、隣町のクジラで有名な太地です。
 船で上陸しようと予定していました。しかし、昨日の台風の影響か、波が高いということで、今日は太地のクジラ浜には行かないとのことです。それでも折角なので、船で紀の松島めぐりで、勝浦に戻るコースに乗りました。
 
 
 
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 確かに、船は大揺れでした。それだけ、景色も荒々しくて雄大でした。

 宿から迎えに来てもらい、太地に移動しました。
 夕陽がちょうど沈むころで、きれいな夕焼けを見ることができました。
 
 
 
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 体調がよかったこともあり、炭酸が胃に負担をかけるので当分は控えたら、といわれていたビールを飲んでみました。旅先だからこその、ささやかな冒険です。身体に異変があったら、との思いはほとんどなく、おいしく地ビール「熊野古道麦酒」を飲みました。
 
 
 
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 古代米を使ったビールとのことで、いい香りに口当たりとのどごしが爽快でした。もっとも、お腹を守るために、のどごしが云々と言えるような飲み方はできません。チビリチビリとビールを飲みました。
 
 
 

2010年9月25日 (土)

西国三十三所(3)清水寺

 西国札所巡りも、5巡目は自分のために回ることとなりました。
 リハビリを兼ねて、のんびりと巡拝していきます。

 さて、3つ目に訪れたのは、京都・東山の清水寺です。清水の舞台で有名なので、今でも毎日たくさんの人が訪れます。
 この寺には、洛陽三十三所の集印場所が5カ所もあるので、非常にお得感のあるところです。

 お土産物屋さんで賑わう清水坂を上ると、朱の鮮やかな仁王門が迎えてくれます。
 
 
 
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 有名な清水の舞台から京都駅前の京都タワーを臨みました。
 
 
 
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 お軸の集印は、釈迦堂の近くでもらいます。
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。

松風や 
音羽の滝の 
清水を 
むすぶ心は 
涼しかるらん

 本堂と舞台は、洛陽三十三所の泰産寺から眺めるのが一番です。
 
 
 
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 この清水寺に関して、私はモミジが黄葉する秋が大好きです。
 母と一緒に家族全員で行ったときの美事な黄葉は、今でも瞼に浮かびます。
 日の光が、葉を金色に染めて透過して来る光景は、仏様の天蓋を思わせました。

 昨日から秋らしくなり、しかも突然に肌寒くなるという気候です。
 今年の清水寺のモミジはどうでしょうか。今から楽しみにしています。
 
 
 
 
 

2010年9月23日 (木)

お彼岸の墓参と信貴山温泉

 今年も、お彼岸は八尾市の高安山麓にあるお墓へお参りしました。

 いつもならレンタカーで家族が一緒に行きます。しかし、お盆の時にみんなで墓参したこともあり、何かと多忙な子どもたちはパス。そこで、妻と2人で電車を乗り継いで行くことにしました。
 私にとって、外出は格好のリハビリとなります。それも一人ではないので、食事や突然の体調不良の場合を考えても、何かと安心です。カバンの中には、お茶とチーズなど、ちょっと口にするものが入っています。
 消化器をなくした身でも、いろいろな場合のことを考えて積極的に身体を動かす行動をするように心掛けているので、この調子だと快復も早まることでしょう。

 地下鉄で四条駅に出て阪急に乗り換え、淡路駅経由で日本橋駅まで行き、次は地下鉄で鶴橋駅へ、そして近鉄で河内山本駅で乗り換えて、ようやく目的地である信貴山口駅に到着です。100分ほどかかりました。車で行くのと、ほぼ同じ時間がかかります。

 鶴橋駅のホームには、昨日と今日の2日間開催されているAPECのために、ゴミ箱が封印されていました。
 
 
 
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 このAPECで通訳や翻訳などの仕事をしている娘は、このところ連日奈良のホテルに缶詰状態で大変です。先日、本ブログで書いた通りです。成功を祈るばかりです。先ほどの電話では、とにかく無事に終わったとか。帰ってきたら、お寿司で労ってやりましょう。

 今日は、朝方は雨でした。しかし、お昼には雲の多い秋空となり、お墓から見る大阪北部は雨に洗われたせいもあってか、空気が澄み切った眺めでした。
 
 
 
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 この写真の手前のお墓一帯は、私が小学6年生から中学生にかけての遊び場だったところです。この景色を見ると、忍者部隊月光ごっこをした懐かしい想い出が蘇ります。

 高校時代に通学で毎日利用した単線の終着駅である信貴山口の駅からは、山上の高安山までケーブルカーが上っています。ここから、信貴山の温泉に入り、奈良側に降りて京都に帰ることにしました。

 今年は寅年ということもあり、寅と縁の深い信貴山はあの手この手の宣伝をしています。ケーブルカーも、こんな感じです。
 
 
 
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 阪神タイガースがもう少し踏ん張ってくれたらいいのですが、今年も息切れのようで残念です。

 ケーブルは、中間地点ですれ違います。このときの光景が、私は大好きです。
 
 
 

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 この信貴山のケーブルはとにかく急斜面を上ります。
 先日行った鞍馬山にも、ケーブルカーがありました。
 それは、参拝者用としてのもので、とてもかわいいものでした。
 
 
 

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 信貴山のケーブルの傾斜角度は、とにかく一度体験すると感激するほどのスリルを伴うものです。おいおい大丈夫かい、と後押ししたくなります。絶壁を上る、というイメージがピッタリです。

 頂上の高安山から信貴山までは、バスが運んでくれます。
 今日は近鉄創業100周年記念ということで、いつもなら240円のところを100円でした。ささやかながら、ラッキーな気分にしてくれます。
 
 
 
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 信貴山は、京都に越すまでにいた奈良県生駒郡平群町にあります。ご町内の温泉ということで、折々に行っていたところです。久しぶりに来ました。
 信貴山観光ホテルの温泉は、宿泊しなくても入れるのです。きれいな温泉です。
 
 
 
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 小雨がぱらつきだしました。
 露天風呂も、木々を眺めながら気持ちを和らげてくれます。
 
 
 

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 少しぬるめなので、のんびりと入っていられます。
 今日は、誰もいなかったので、こうして記念写真を撮りました。

 露天風呂からも見える朱塗りの橋からこの温泉を眺めると、こんな景色になります。
 写真のちょうど中央の木の間隠れに、この露天風呂が見えます。

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 昨日までの暑さとは打って変わって、今日は肌寒い一日でした。
 温泉で身体がホカホカと温まったので、大和の茶粥を少し食べました。

 奈良側に山を下りて帰る場合、かつてはケーブルカーがありました。しかし、今はバスが1時間おきに王寺方面に走っています。生憎ちょうど出た後で、さてどうしようかと思っていたら、たまたま通り掛かったおじさんが、家の車で下の駅まで送ってやろうか、とのことでした。バスを待つのも大変なので、ご好意に甘えて乗せてもらいました。雨が降り出したときでもあり、大助かりでした。

 またまた単線の近鉄電車で生駒駅へ出て、そこから西大寺駅を経由して自宅までの帰路となりました。
 かつて、毎週のように東京への通勤に使った経路です。過去が微妙に交錯する車窓を眺めながら、お腹への栄養補給を小刻みにしながら、電車に揺られてウトウトとしていました。
 
 
 

2010年8月31日 (火)

西国三十三所(2)六波羅密寺

 手術は無事に終了しました。
6時間の闘いは、成功裡に終わりました。
予定よりも少し早かったので、すべてが順調に進んだことが、目覚めてすぐにわかりました。

まだ、身体には何本ものチューブが刺さっています。しかし、身体を動かすように言われているので、手足の運動をしています。

このブログも、手と指の運動になりそうです。

まだ当日なので、すでに行った六波羅密寺の巡拝記をアップします。

 以下の記事は、あらかじめセットして自動更新となるようにしたものです。
 決して、病院での手術を抜け出して西国札所巡りをしているものではありませんので、一言添えておきます。
 
 
 
 「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年7月19日)を受けて、これから西国札所の観音巡拝道中記を書いていきます。


 2つ目に訪れたのは、京都・東山の清水寺の下にある六波羅密寺です。
 
 
 
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 「波羅蜜」という言葉は、彼岸である悟りの世界に到達することを意味します。「般若心経」のことを正しくは「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」と言います。寺の名前からして、ありがたいお寺です。

 西国札所巡りも5巡目ともなると、勝手知ったるお寺巡りです。
 八坂神社の南、清水寺の麓にあり、六道珍皇寺のそばにあるせいか、何やら不思議な空間にあります。
 一度足を運び、周囲を歩くと実感することができます。

 ただし、今回はこれまでとは異なり、自分のための観音巡礼です。何となく照れ臭い思いを胸に、ユルユルとスタートです。

 六波羅密寺は、バス停「清水道」を少し下った、東大路通と大和大路通の間にあります。六原小学校の南隣です。京阪電車の五条駅からも近いところにあります。

 六波羅密寺のホームページによると、この寺の歴史が簡潔に記されています。

 六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。
 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)
(中略)
 上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。


 このお寺の十一面観音立像は平安時代の作で、国宝に指定されています。しかし、重要文化財に指定されている、口から阿弥陀仏を吐き出す空也上人立像の方が有名でしょう。

 お軸に書いてもらった御詠歌は、

重くとも 五つの罪は よもあらじ 
六波羅堂へ 参る身なれば

というものでした。
 
 
 
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2010年7月19日 (月)

西国三十三所(1)5周目は石山寺から

 梅雨も明け、快晴の休日となりました。
 いつものことながら思いつきで、西国三十三カ所札所巡りを始めることにしました。
 父が亡くなった26年前に、はじめて一周しました。
 そして、毎年お盆には、表装したお軸を飾っています。
 
 
 
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 妻の実家の母が秋田から来られたときに、2周目を回って持ち帰ってもらいました。
 娘のために3周目。
 
 
 
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 そして、母が亡くなったときに4周目を回りました。
 
 
 
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 いずれも、自家用車を使っての、家族みんなで行楽を兼ねた札所巡りでした。

 これ以外にも、家族のために新西国三十三カ所札所巡りも満願を果たしています。
 中央の「南無釈迦牟尼佛」の文字は、私が見よう見まねで書いたものです。
 
 
 
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 まだ周り終えていないものに、四国八十八カ所、近畿三十六不動の赤不動と青不動、そして、昨年から始めた洛陽三十三所があります。
 とにかく、私はスタンプラリーが大好きなのです。
 行楽がてら、遠出も厭わず、近畿を走り回っています。

 これまでは、亡くなった父や母のために回っていました。しかし、今度は自分のために回ることにしました。それも、自動車のない生活をしているので、今度は公共交通機関と自転車と徒歩です。これまた、楽しいことが始まりました。

 最初はどこにしようかと、しばし思案しました。
 自転車で行けて一番近い寺町通りの革堂、それとも五条坂の清水寺と、いろいろと考えた挙げ句、電車で行きやすい瀬田川沿いの石山寺にしました。『源氏物語』にゆかりの深い寺だということもあります。

 いつも車だったせいもあり、石山駅に降り立つのは初めてです。
 
 
 
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 山門を潜り石段を登ると、境内にそそり立つ奇岩の前では、蓮がちょうど咲くところでした。
 
 
 
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 本堂の入り口にある「源氏の間」では、源氏千年紀の折に作られたロボットが、『源氏物語』の巻頭を読みながら解説をしていました。
 
 
 
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 実物は置いてあるだけで、その動きとお話はモニタに映し出されていました。
 千年前と現代が、微妙にクロスします。実物が動いたら、もっと良かったのですが……。

 本堂の裏手に回ると、源氏苑に紫式部の像があります。
 
 
 
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 この像は、かつて『源氏物語の鑑賞と基礎知識 蜻蛉』(拙編、至文堂、2003)という本を編集したとき、巻頭に書いた「源氏ゆかりの地を訪ねて 石山寺散策」で、取材をした折の写真をたくさん掲載しました。その記事の扉にあげた紫式部の像の写真には、中央下にブルーのポリタンクがかすかに写っています。すみません。うっかりしていました。今、白状しておきます。

 本堂では、朱印軸に御詠歌を書いてもらいました。
 
 
 
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後のよを
 ねがふこゝろは
  かろくとも
佛の誓ひ
 おもき
  いし山

 まずはスタートを切ったばかりのお軸を、床の間にかけてみました。
 
 
 
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 中央に西陣織で刺繍されているのが、石山寺のご本尊である勅封二臂 如意輪観音菩薩像です。
 この観音さまの周りを、三十三カ所のお寺の御詠歌で埋めていきたいと思います。
 さて、何年かかるでしょうか。
 
 
 

2010年7月 2日 (金)

JR石山駅の紫式部スタンプ

 JRの各駅にスタンプが置いてあります。
 それを集めるスタンプラリーの本も刊行されています。
 
 
 
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 紫式部が父の赴任に伴って行った越前の武生駅のページは、こんな感じです。
 この下に、スタンプを捺すのです。
 
 
 
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 JR宇治駅のページはこうなっています。
 
 
 
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 JR石山駅はこんなデザインです。
 
 
 
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 JR西日本のキャラクターである、かものはしのイコちゃんが、『源氏物語』とタイアップしています。

 JR石山駅へ行くと、こんな台紙にスタンプを捺してもらえます。
 
 
 
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 なかなか楽しい企画だと思います。
 各駅停車の旅が楽しくなります。
 
 
 

2010年5月 6日 (木)

琵琶湖の赤い月

 琵琶湖の西側にある雄琴温泉に行ってきました。
 かつての歓楽街の雰囲気はありません。それだけに、少し祭りの後の雰囲気が残っていました。
 これから、さらにイメージチェンジを図ろうとしているようにみうけられます。

 湖岸からは、比叡山や比良連邦が望めます。
 
 
 
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 その夜、空を見上げると、月が赤く染まっていました。
 
 
 
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 しばらくすると、白く輝いています。
 
 
 
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 翌朝、湖東の方を見やると、何事もなかったかのような景色です。
 
 
 
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 なかなか興味深い月に出会えたように思います。

 今から10年以上前のことです。大学の新入生を連れて、琵琶湖の南側のホテルでフレッシュマンキャンプという宿泊研修を何度もしました。頻繁に行っていた琵琶湖ですが、本当に久しぶりです。

 穏やかな湖面を見ていると、柔らかな風が心地よく感じられます。湖ならではの漣が目に優しく、滑らかな風の肌触りです。
 大津から雄琴のあたりは、瓢箪を逆さまにした琵琶湖の南側、窄んだ括れから先にあたります。大きくゆったりとした琵琶湖は、これより北に拡がっています。

 西国三十三箇所の札所めぐりで、湖東の方へは何度も行きました。
 今度は、湖西から逆回りで琵琶湖を経巡ってみたいと思います。そして、琵琶湖に点在する十一面観音も、『星と祭』よろしく、見て回りたいと思います。
 
 
 

2010年3月20日 (土)

お彼岸は河内高安の里へ

 墓参のために、かつて住んでいた大阪府八尾市の高安に行きました。
 高安は、『伊勢物語』の「筒井筒」の段でよく知られています。
 我が家のお墓がある高安の地については、これまでにも何度か書きました。
 詳しいことは以下の記事に譲りましょう。おついでの折にでもご笑覧を。

「【復元】古都散策(24)龍田大社へ初詣」2007年1月1日

「演劇「なりひらの恋」」2007年11月13日

「残念だった演劇「なりひらの恋」」2008年2月25日

 京都の地に引っ越ししてからは、高安への墓参に2時間ほどかかります。
 家族みんなで行くときにはレンタカーを使います。
 しかし、今日は子どもたちが来ないので、電車で行きました。
 京都市営烏丸線、阪急京都本線、JR大阪環状線、近鉄大阪線、近鉄信貴線と乗り継ぎます。
 奈良の西大寺駅を通って行くことも可能です。しかし、京都市営烏丸線、近鉄京都線、近鉄奈良線、近鉄大阪線、近鉄信貴線という経路では、かえって時間がかかるのです。ましてや、京阪電車も使えますが、これまた乗り換えが多くなります。

 JR大阪環状線の鶴橋駅で、近鉄大阪線に乗り換えたときです。向かいの難波方面に行くホームに、昨春から神戸・三宮に乗り入れている近鉄電車が来ました。
 
 
 
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 この鶴橋駅は、私が高校時代に毎日通った駅です。近鉄大阪線は難波まででした。それが、今では三宮まで行けるのです。便利になりました。奈良・大阪・神戸が1本でつながったのです。

 今日の私は、この鶴橋駅から準急で八尾の河内山本駅まで行きます。河内山本駅で信貴山口行きに乗り換えるときに、次の駅である高安行きの各駅停車が来ました。これまた、懐かしい電車です。
 
 
 
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 山本駅から単線で二つ目の駅が、信貴山口駅です。
 
 
 
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 この駅からケーブルカーに乗り換えると、高安山や信貴山へ行けます。
 駅前は、40年前とほとんど変わっていません。
 これが、私が高校のころに通学で使った駅です。当時の切符売り場は、改札口の右側にありました。いずれにしても、こんなにきれいではありませんでしたが。
 
 
 
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 お墓には、この駅前から出ている霊園行きのマイクロバスに乗ります。バスは、私が小学校と中学校に行くときに使った、山沿いの道を走ります。同級生の家が、今でも何軒かあります。

 墓地から大阪平野を見下ろすと、靄がかかっていました。天気がいいと、六甲連山や淡路島が見えます。
 
 
 
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 手前左の薄茶色のグランドが見える所が、私の通った南高安中学校です。その手前に、南高安小学校があります。この小学校には、5年生の時に転校してきました。
 今は、この2つは幼稚園と小学校になり、中学校は写真右手前の、薄茶色のグランドが少し見えるところに移転しているそうです。

 お墓には、京都の我が家の玄関先に咲いていた花をお供えしました。
 母が好きだった花です。
 
 
 
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 お参りを終えて帰ろうとすると、山際に「自然廟」と「樹木葬」という表示が目に入りました。
 
 
 
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 今は、お墓に葬るのではなくて、そのまま野山に葬るのが好まれるようになってきているようです。
 死後については、さまざまな取り組みがなされているようです。許可された場所での「風葬」という報道を見たことがあります。火葬や土葬に留まらない、新たな流れが今後ともなされるようです。

 私も、ここのお墓に葬ってもらうのもいいですが、こうして小さい頃に遊んだ山に埋めてもらうのもいいな、と思うようになりました。
 愛着のある地で、土の温もりに抱かれて、ゆっくりと休むのもいいかもしれません。
 
 
 

2010年3月12日 (金)

池田亀鑑の若き日を歩く

 大山町立図書館長のFさんの車で、昨年師走と同じように池田亀鑑の実家があった岸本へ行きました。
 かつての岸本町は、今は伯耆町と言います。そこの公民館で、森安館長からいろいろとお話を伺いました。
 
 
 
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 森安館長は、池田亀鑑のことは何もわかりませんから、とおっしゃっていました。しかし、池田亀鑑が住んでいたところや学校のあった地域、そして父の実家のことなどになると、その家は今は……、その場所は今は……、それはうちの裏を通る道で……、と、とにかく地元の話ということもあり詳しく話してくださいました。
 池田亀鑑がこの岸本にいた時の関係地を地図に示してくださったので、その場所を尋ねることにしました。

 岸本の公民館を後にして、父宏文の実家があった福原へ。
 今この近くには、植田正治写真美術館があります。
 
 
 
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 明治41年6月に、父の日野郡日吉村日吉尋常小学校校長着任(〜大正4年3月まで)にともない、日南町の石見東小学校から日吉尋常小学校(久古村、池田家累代の居住地である岸本町の一地区)に転校します。
 日吉尋常小学校の跡地へ行きました。少し高台になっていて、貝田原の神社の前に、日吉尋常小学校はあったようです。今は何も面影はありません。
 
 
 
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 この久古の貝田原にあった校舎の中で、池田亀鑑一家の岸本での生活が始まったのです。

 明治42年に日吉尋常小学校を卒業すると、この貝田原から東の大原にあった吉寿尋常高等小学校の高等科に入学(2年通学)します。ここも、その痕跡はみあたりませんでした。
 
 
 
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 なお、今はなき日吉尋常小学校と吉寿尋常高等小学校の卒業証書台帳は、この2校を統合した八郷小学校に保存されているそうです。
 
 
 
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 その写真が『初念貫徹 池田亀鑑博士検証費建立記念誌』(2頁、岸本町発行、昭和61年12月)に掲載されているので、いつか確認に行きたいと思っています。冒頭に、池田亀鑑の名前が書かれているのがわかります。
 
 
 
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 この久古の地は、池田亀鑑が随想で何度も触れる霊峰大山が見霽かせる、「ふるさと」と言い続けたところです。
 
 
 
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 池田亀鑑は大正5年に鳥取県師範学校を終え、鳥取県日野郡溝口尋常高等小学校の訓導として帰って来ます。亀鑑20歳の時です。写真は、岸本公民館に保存されている、溝口校での若き亀鑑です。
 
 
 
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 訓導として実家に帰ってから、溝口の学校までの通勤経路について、久古の家から「うぐい坂」を通っていました。その「うぐい坂」は、森安館長のご自宅のすぐ裏で、今は舗道の整備によって地図からはなくなっていました。
 
 
 
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 池田亀鑑は、久古の自宅からこの「うぐい坂」を通って吉定に出、そこから学校があった溝口まで歩いて南下したようです。ただし、今の伯備線沿いの道は新しいもので、当時はもっと山側の三軒茶屋や上細見の道を通っていたと考えられます。だいたい、片道1時間ほどの道のりだそうです。その道を、若き日の訓導・池田亀鑑は、毎日歩いていたのです。
 
 
 
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 池田亀鑑の生誕の地である日南町に行くために、岸本駅から生山駅までは電車を使いました。
 2時間に1本しか電車がないので、駅の中にある商工会議所に荷物を預け、1時間ほど駅周辺を散策しました。学校があった地域を駅から臨むと、大山が顔を出しました。
 
 
 
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 電車に乗ろうとしたところ、2両連結の列車の一番前しかドアが開きません。後ろの方にいた私は、あわてて先頭に走り、どうにか乗り込みました。

 生山では、久代さんが迎えてくださいました。
 早速、池田亀鑑が生まれた神戸上下代の「池田亀鑑誕生地」の碑がある所に連れて行ってもらいました。
 ここは、昨年師走に訪問した折には来なかったところです。
 
 
 
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 ここから石見東小学校までは、歩いて10分でしょうか。
 この家の前を少し下って左に折れると、広い道に出ます。その道を右にとって突き当たりに、小学校があります。
 
 
 
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両親ともにこの小学校に勤務していたので、近くて便利な所に居を構えたことになります。

 石見東小学校の敷地の入口には、雪を被った記念碑が2つ立っています。雪を被っているので、昨年「池田亀鑑ゆかりの日南町」と題して紹介した時よりも雰囲気が違います。
 
 
 
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 これで、鳥取の池田亀鑑に関連する所は踏破しました。
 あとは、落ち穂拾いのような資料収集と、関係者からの聞き取りを続けて行きたいと思います。
 これまでにも、たくさんの方に貴重なお話を伺いました。今後とも、人と人とのつながりの中で、より正確な情報をいただきながら、池田亀鑑の人となりを追いかけて行きたいと思います。
 これまでに変わらぬご理解とご協力を、改めてお願いいたします。
 
 
 

2010年3月 7日 (日)

調査で中国地方に

今日は、調査の移動日です。
冷え込む中を、広島までやって来ました。
広島大学におられた稲賀敬二先生に、お話を伺いに来て以来です。
さらにその前は、高校一年生の時、ヒッチハイクで山陽旅行をした時だと思います。

広島駅から北上し、中国山地の中にいます。
今日一日だけでも、たくさんの話を聞き、たくさんしゃべりました。
明日は、貴重な資料を見せてもらいます。
縁あって、こうした機会が与えられたのです。この出会いに感謝します。
今回の話は、明日以降に、少しずつ報告します。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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