カテゴリ「4.3-江戸漫歩」の155件の記事 Feed

2015年4月26日 (日)

江戸漫歩(102)亀戸天満宮の藤まつり

 亀戸天神社へ行ってきました。
 深川の宿舎の前にあるバス停から30分ほどです。
 藤まつりの期間ということで、露店が多く出ていました。


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 藤棚から下がる藤は、紫色といっても微妙に異なる多彩なグラデーションを見せています。


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 背景に聳えるスカイツリーは、天神様の避雷針のように見えます。


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 境内では、天神囃子の奉納が始まりました。
 鳴り物が響き渡ると、あたりに華やかさが加わります。


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 4年前の初夏に、この亀戸に来ています。
「江戸漫歩(40)蕎麦寿司と亀戸天神社」(2011/6/11)
 心字池には、今日も鷺がいました。この前と同じ鷺なのでしょうか。
 その時に写した鷺を、今日の写真の右下に合成してみました。
 比較しやすいように、4年前の鷺さんを左右反転させてあります。
 

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 よく見ると違うような、4年の月日が感じられるような……微妙です。
 
 
 

2015年4月24日 (金)

江戸漫歩(101)新宿歌舞伎町のゴジラはどこから見るか

 今、立川の並木道や小路では、花水木が見ごろです。
 桜や紅葉と共に、これもこの時期に目を楽しませてくれます。
 多摩地域の自然は、四季折々に豊かな彩りを見せています。


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 新宿の歌舞伎町に立ち寄った時、最近なにかと話題となっているゴジラを見ました。


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 このゴジラのベストポジションはどこなのでしょうか。
 少なくとも、真下ではないようです。
 次に来た時に、また角度を変えて、一番迫力のある姿を見たいと思っています。

 夕方の新宿というと、自然に思い出横丁の岐阜屋に足が向かいます。


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 いつもの焼酎のお湯割りは、大きなグラスにたっぷりと入って出てきます。
 おかずは、モツ煮、キクラゲと卵の炒め物、レバ炒め、餃子がお勧めです。
 新宿に来ると、学生時代から40年以上経った今も、折々にここに足を留めてしまいます。
 千葉から来ておられた、笠智衆そっくりのハイカラなおじさんは、最近見かけなくなりました。
 お元気でしょうか。
 常連の方からの情報をお待ちしています。
 
 
 

2015年4月23日 (木)

江戸漫歩(100)立川で100回を祝う半円形の虹を見る

 江戸漫歩も、今回で100回目となりました。
 私の生活は京都が中心です。そのせいもあって、京洛逍遥はすでに350回を超えています。
 そんな中でも、職場が東京にあるので、ウイークディの時間を見計らっては、江戸も気ままに歩いています。その記事が、やっと3桁になったのです。あと2年は東京にいるので、もう少し歩こうと思っています。京都に引っ込んでしまうと、なかなか東京を歩く機会もないことでしょうから。

 江戸漫歩の初回は、次の記事でした。

「江戸漫歩(1)夜の隅田川を眺めながらの帰宅」(2007/9/20)

 2007年8月に、金沢文庫の宿舎から深川の宿舎に転居しました。深川の宿舎には、かつて伊井春樹先生が住んでおられました。ちょうど私が今いる2階の部屋から見て西横並びの部屋だったようです。

 上記「江戸漫歩(1)」の記事は、深川に来てすぐのものです。銀座四丁目のコナミ・スポーツ・クラブに通っていた頃です。
 年月を繰ると、約8年間で100回の江戸に関する記事を書いたことになります。1ヶ月に1回は江戸のことを取り上げていたのです。意外に多いことに驚いています。

 もっとも、2007年以前の記事の多くを、プロバイダのサーバーがクラッシュしたために、ほとんど消失したままです。江戸のことはもっと書いてきました。しかし、その復元も叶わないままに今に至っているので、いつかはかつて書いて江戸の記事も再現したいものです。

 さて、昨日の夕刻のことです。立川で突然の夕立があった後、帰りがけに半円を描く虹に出会いました。


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 この写真は、職場の南出口にある、南極観測の極地研究所前から東を見上げた時です。
 左端に縦のスリットの建物が少し写っているのが、国文学研究資料館が入っている庁舎です。
 その右横のクリーム色の建物が東京高等裁判所立川支部、真ん中手前が極地研究所の南極北極科学館。そして右下が国立国語研究所です。この研究所の位置から虹が上っていたのです。
 右に移動すると、この虹の左下は、立川市役所にかかっていました。
 こんなにみごとな半円形の虹を見たのは初めてです。

 この虹を見た後は、今西館長科研のプロジェクト研究員を3年間、最終年度の先月末まで精力的にその役割を果たした阿部さんの慰労会を、立川駅の上で持ちました。

 いろいな意味で新しくスタートする新年度となりました。
 本年度も、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 

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2015年4月19日 (日)

江戸漫歩(99)三井記念美術館で「茶の湯の名品」を観て

 「お江戸日本橋」に行きました。


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 橋に架かる無粋な高速道路を、2020年の東京オリンピックまでに撤去するかどうかが議論されているそうです。
 「業平橋」という名前が「スカイツリー」という名前と入れ替えられて早々に消えたのは、江戸が平安文化とは無縁だったからです。しかし、「お江戸日本橋」は今の東京と無縁ではありません。さすがの文化人や地域の人々も、この「日本橋」ということばには、守るべき文化を感じ取っておられるようです。
 この頭越しの道路網がどうなるのか、結論を楽しみに待ちたいと思います。

 その交差点で、八重桜を見かけました。


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 三井記念美術館は、日本銀行と三越本店とコレド室町に囲まれた、三井本館の7階にあります。
 今、「三井文庫開設50周年・三井記念美術館開館10周年 記念特別展」が開催中です。「三井の文化と歴史」と銘打って、その前期は「茶の湯の名品」が紹介されています。三井各家に伝わる茶道具が見られるので、行ってきました。

 説明文によると、次のように記されています。


 三井総領家とされる北三井家では初代高利(1622-1694)が表千家と昵懇であり、代々千家流の茶の湯に親しんできたところから、利休居士をはじめ千家歴代ゆかりの茶道具が数多く伝えられています。

 「三井記念美術館のホームページ」には、今回の目玉である展示品の一部として、次の画像が掲載されています。


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 左上の「継色紙」(平安時代・10~11世紀、室町三井家旧蔵)は、伝小野道風筆とされています。
 ガラスケースの中の説明文には、次のように記されていました。


草仮名に平仮名を交えた散らし書きの自由な書式に魅了される。

 ここに書かれている平安時代の文字(字母)に興味を持ったので、「変体仮名混合版」の方式で翻字してみました。


    なく山
     本とゝ木
       す
 
 
倶累ゝ閑度
 み連盤阿遣
ぬる那つのよを
   あ可須と
      夜

 後ろから2行目の「あ可須と」の「須」について、実は会場でメモをとったときには「徒」と読みました。しかし、今ホームページで写真を確認したところ、これは「須」とすべきです。
 現場で急いで翻字をした時には、必ず後で確認することを忘れてはいけない、ということを痛感しています。

 写真左下の「志野茶碗・銘卯花墻」は、国宝に指定されている和物茶碗2点の内の一つです。少し形が歪んでいるところを、しっかりと見てきました。
 もう1点の国宝茶碗は、本阿弥光悦の「白楽茶碗・銘不二山」(サンリツ服部美術館蔵)です。これをどこで見たのか、思い出せません。その機会があれば、これもしっかりと見てきます。

 上掲写真右側真ん中の黒い茶碗は、重要文化財に指定されている、長次郎作「黒楽茶碗・銘俊寛」です。
 ガラスケースの説明文によると、利休が薩摩の門人に送った3碗のうち、これだけが送り返されなかったので、鬼界島に流された3人の内で俊寛1人だが島に残されたことに因んで、利休はこの銘を付けたのだそうです。
 命名の背景にある機知に感心しています。
 
 ガラス越しとはいえ、これら以外にも贅沢な道具や書画を拝見できました。
 
 「黒楽口寄香炉」は、長次郎作としては唯一の香炉だそうです。次の説明文が添えてありました。


桃山時代前期には後のように火中に香を焚く習慣はほとんどなかったようで、茶室内に香炉を持ち出して香を焚いている。

 
 「ホトゝギス」という銘が記された利休作の竹茶杓は、中ほどの節が高く盛り上がっているのに目が留まりました。
 
 平安時代の書とされる伝貫之筆「寸松庵色紙」には、初行に「きのとん能り」(紀友則)と書かれています。
 先日、「翻字における「ん」「も」「む」の対処」(2015年04月14日)という記事を書いたばかりだったので、いい確認となりました。

 いいものを拝見すると、それに惹かれて、いろいろと思い出したり、あらためて考えたりするものです。
 東京ではこうした機会が多いので、折々に名品と言われるものを見ることを実践したいと思います。

 帰りがけに、通りの反対側のコレド室町あたりに神社の鳥居をみかけました。


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 ここが工事中だった頃に、「江戸漫歩(78)生まれ変わった日本橋コレド室町」(2014年05月12日)を書いたので、併せてご笑覧ください。

 その完成した姿を見に行ったところ、福徳神社の向こう側ではまだ工事が続いていました。


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 この日本橋は、若者が集まるエリアにしようと、精力的に取り組んでおられるようです。
 若者を惹き付ける街作りはいいことだと思います。
 ただし、若者を集めたい一念で媚を売るのではなくて、ユニバーサルデザインを意識した街にしていただきたいと思います。
 ブラリと歩いて見たところ、あまりその配慮は感じられませんでした。これから、細部に手が入るのでしょう。くれぐれも、若者と女性と観光客だけの街にしないでください。

 帰りに、「主水 日本橋店」で「うなぎがいな丼」をいただきました。そしてそのまま、隣にある島根県のアンテナショップである「にほんばし島根館」で、松江の和菓子「若草」やワカメや野焼きやワインやイチジクのお菓子などを買いました。これらは、生まれ故郷につながる必需品です。

 続いて、その並びにある奈良県のアンテナショップ「奈良まほろば館」にも立ち寄りました。
 飛鳥の酥(チーズ)や鹿のフンなどをいただきました。
 ここも、20年ほど子育てをした所として忘れられない、奈良県を再確認できる場所なのです。

 この日本橋エリアは、私にとっては若者たちとは違う目的が叶う、楽しい街となっています。
 
 
 

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2015年4月18日 (土)

江戸漫歩(98)東京海洋大学と明治丸

 東京の宿舎の真ん前に、清澄通りを挟んで東京海洋大学の越中島キャンパスがあります。
 東京海洋大学と言っても馴染みがないかと思います。これは、東京商船大学と東京水産大学が2004年に統合した、国立大学法人の大学です。その前身は、明治8年設立の三菱商船学校なので、140年の歴史があります。

 正門を入ると、正面に一号館があります。
 昭和7年に完成した一号館は、国の登録文化財に指定されています。


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 正門を入った左には、第一観測台と第二観測台があります。これは明治36年に建設され、東洋一といわれた天体望遠鏡を収納した半円形のドームと八角形の建物が印象的です。これも、登録有形文化財に指定されています。


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 この観測台の後方に見える陸橋を渡ると、高層マンション群に囲まれるようにして、5階建ての東京医科歯科大学越中島宿舎が木立の中にひっそりと佇んでいます。


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 東京海洋大学の正門から右に歩いて月島方面を望む隅田川沿いには、日本最古の鉄船で重要文化財となっている明治丸のみごとな姿が目に飛び込んできます。


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 この英国グラスゴーで建造された船は、明治9年に明治天皇の東北・北海道巡幸に使われたということで、海の記念日(7月20日)の由来となっています。

 ゆったりとした後ろ姿は、今にも動き出しそうです。


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 風を切る船首は、眺めていて飽きません。
 この向こうに、私が住む宿舎が建っています。


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 船内の様子は、後日にします。
 
 
 

2015年4月11日 (土)

江戸漫歩(97)隅田川と大横川の残花

 先週末の賀茂川は枝垂れ桜が咲き誇っていました。


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 あれから一週間。
 江戸の桜は八重がみごとです。
 宿舎の入り口では、その移り変わりが楽しめます。


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 中央大橋のまわりも、しだいに色が赤味を帯びてきました。


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 隅田川を行き交う船も、春の波頭を残しています。


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 大横川では、まだ残花が見られます。


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 これから一気に春です。
 
 
 

2015年4月 9日 (木)

江戸漫歩(96)多摩地域はみぞれの後に葉桜に

 昨日の多摩地域では、小雪とみぞれに驚かされました。
 手袋を取り出して、寒さ対策が必要でした。
 突然、冬に逆戻りしたのです。

 今日は一転して好天気。
 立川駅北口一帯に拡がる昭和記念公園に沿った道は、桃色が解け出した桜がきれいです。


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 満開の桜はみごとです。
 しかし、桜色を若草色が塗り替える頃合いもいいものです。
 今が、ちょうどその時期です。
 ただただ見惚れる春景色の満開よりも、新緑を心待ちにする葉桜には、すべてがこれからという秘められた活力を感じます。

 春の訪れを告げる、咲き誇った盛りは艶やかです。
 しかし、萌え出づる芽吹きの若々しさが垣間見える木枝に、季節の移ろいへの楽しみと期待が感じられるこのごろも好きです。

 これで、新緑の季節に一気に突入するのか、はたまた荒れる日がまだ潜んでいるのか。
 異常気象といわれて久しい自然の変化に、気象予報士の方も弁解に近い説明に追われているようです。

 近年は季節感が徐々に崩れて、四季がぼやけてきたように思います。
 繊細に移り行く春夏秋冬の変わり目が、地球規模で均一化されるのが惜しまれます。

 自然が大胆に変移していくさまは、ことばによって描写する日本の文学作品においては、物語の背景を彩るものとして読む楽しみの一つでもあったのです。
 このままでは、それが読み取れなくなる時が来るかもしれません。

 季節感が、過去の文化として語られ、解説されるようなことがないように願っています。
 
 
 

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2015年1月26日 (月)

江戸漫歩(95)六本木のサントリー美術館へ

 快晴だったので、気分転換に都内を散策しました。
 地下鉄大江戸線で六本木駅を降りると、真上に東京ミッドタウンがあり、そのガレリア3階にサントリー美術館があります。東京ミッドタウンは、2007年に開業したそうです。まだ新しい街です。

 その1階入り口付近に、どんな目的で何のために使うのか不明な椅子がありました。


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 賀茂川の散策路には、背筋を伸ばすためのストレッチ用具としての椅子があります。
 しかし、これは仰向けに寝て背筋を伸ばす道具ではなさそうです。
 ちょっとしたスロープになっているのです。
 子供が歩いて上がるのか、車椅子を押し上げるのか、その用途が想像できません。

 次の写真になると、ますます設置目的がわからなくなります。


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 何だろう何だろうと思いながら、サントリー美術館に入りました。

 サントリー美術館のリーフレットによると、今回の展示の主役である仁阿弥道八は、江戸時代の文化・文政・天保年間の京都において、仁清や乾山の流れを汲む「和風京焼」の名手として知られていたそうです。

 この展覧会は、昨年末から本年3月1日まで、「天才陶工 仁阿弥道八 のびのびと、まじめに」として開催されているものです。

 そのホームページの冒頭に、次のような説明があります。


仁阿弥道八(にんなみどうはち)(1783〜1855)は、京都の陶工・高橋道八家の二代目にあたり、清水五条坂を拠点に活躍した京焼の名工です。茶道具から、食器、置物など彫塑的な作品にいたるまで多くの魅力的な作品を残しました。
仁阿弥道八は、関西では「仁阿弥」と呼ばれ、仁阿弥の茶道具は茶席において現在もなお人気があるといいます。しかし意外にも、仁阿弥道八の作品が展覧会でまとめて公開される機会は決して多くありませんでした。

 今回、180点もの茶道具や懐石の器を見て、その親しみやすい作風を実感しました。

 会場に入ってすぐに目が釘付けになったのは、「色絵狸炉蓋」(江戸時代、19世紀、東京国立博物館)でした。炉にこの剽軽な狸を嵌め込んで置くことで、お茶室が楽しい空間になります。ただし妻は、夜が怖いし、つまずくので要らない、と言っていました。

 これ以外で、今回私がガラスケース越しではなくて、実際に自分の手で触ってみたくなった作品を列記しておきます。

(1)2つの冨岳文黒茶碗(江戸時代、19世紀、高津古文化会館、ボストン美術館)
 2つの茶碗が向かい合うように展示されていました。どちらがいいのか、行ったり来たりして拝見しました。

(2)銹絵竹文水差(岡本豊彦画、江戸時代、19世紀、個人蔵)
 形の優しさがいいと思いました。

(3)色絵人麻呂坐像(桃山窯、江戸時代、19世紀、個人蔵)
 陶器とは思えない、いい姿の人麻呂像です。

(4)色絵天狗於多福盃(三代高橋道八、江戸〜明治時代、19世紀、豊橋市美術博物館(司コレクション))
 天狗とお多福という取り合わせがおもしろい盃です。

(5)色絵丸々透蓋置(九代高橋道八、平成26年(2014)、個人蔵)
 シンプルながら、じっと見ていても飽きない色と形です。

 昼食は、美術館のすぐそばにあった平田牧場匠で、平牧三元豚のロースかつをいただきました。炭水化物を控えめにしている私の食生活では、何年か振りのトンカツです。

 東京ミッドタウンの特設ステージでは、石田純一さんが防犯に関するトークイベントをなさっていました。間近で見ても、お洒落な方でした。

 戸外では、スケートを楽しむ多くの人たちで押し合いへし合いです。
 芋の子を洗う、とはまさにこのことです。


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 この空間は、かつてあった防衛庁本庁が市ヶ谷に移転した後、「都市機能のコラボレーション」という発想のもとに再開発されたそうです。オシャレな街です。近くには国立新美術館や森美術館があり、40を越える大使館があるそうです。文化と国際が交流するエリアです。

 この六本木、赤坂、青山周辺が、今後はどのようにして若者を集めていくのでしょうか。これからの課題として、この街が高齢者との接点を模索しながらどう連携していくのか、興味のあるところです。
 いつまでもこんな調子で、能天気な平和ボケの街でありつづけるはずはないと思われるからです。

 私は、学生時代の後半に、銀座・数寄屋橋にあった有名なステーキハウスでアルバイトをしていました。芸術家や芸能人がよく出入りしていたお店です。
 その店のマスターに、閉店後に何度か六本木・赤坂地区に連れて行っていただきました。その40年以上も前のこの地域が、今は若者が行き交っています。それだけに、できたばかりの今はともかく、この街の今後の変貌が楽しみです。
 
 
 

2015年1月11日 (日)

江戸漫歩(94)歯の激痛を堪えながら有楽町と明石町へ

 歯に痛めつけられています。歯が痛いのは、どうしようもありません。
 打つ手がないままに、来週京都に帰った時、現在かかっている烏丸御池の歯医者さんで診てもらおうと思っていました。

 年末年始は、歯の違和感程度でやり過ごしていました。しかし、5日ほど前から違和感が軽い痛みに変わり、一昨日からその痛みがさらに増してきました。

 宿舎にあった「バッファリン」を飲み、何とか鎮めたと思っていたら、昨夜から激痛に襲われることになりました。

 いつものようにブログをアップした直後に、顔の右半分と頭が痺れ出しました。生憎、「バッファリン」は昨日の分で最後だったようで、この痛みを鎮める薬がありません。

 深夜営業をしている薬局を、妻がネットで検索してくれました。しかし、この宿舎の周りの深川地区では、午後11時以降に開いているドラッグストアが皆無です。これは意外でした。
 日頃は至る所に見かけるドラッグストアです。近所にも、思い出すだけでも8店もあります。しかし、いずれも24時間営業ではないのです。

 東京のど真ん中とでも言える地域にいるのに、不思議なことに夜中に行ける薬屋さんがないのです。
 終夜営業の薬局としては、一番近いのが有楽町駅前のマツモトキヨシでした。

 真夜中に自転車で有楽町に行くのは不安なので、タクシーにしようと思いました。しかし、まだJRの京葉線が走っているので、フラフラする身体と頭を妻に守ってもらいながら、0時10分の東京行きの電車に飛び乗りました。京葉線の東京駅は、限りなく有楽町駅に近いのです。
 宿舎の部屋を出てから15分で、有楽町駅前のマツモトキヨシに辿り着きました。

 こんな時に一番いい「ロキソニン」は、薬剤師のいないこの時間帯には手に入りません。すぐに「バッファリン」をいただき、思いついた昔懐かしい「今治水」もいただきました。もっとも、この今治水は、何の役にもたちませんでしたが。

 目的の薬が手に入ったので、歯の激痛を我慢しながら、東京駅0時33分発の最終電車で帰りました。

 しかし、せっかく手に入れた薬もまったく効果がなく、眠れないままに夜が明けました。
 痛みは治まる気配がありません。妻が、「中央区休日応急歯科診療所」というところを見つけてくれました。午前中の少し痛みが和らいだタイミングを見計らって、ウォーキングがてら行きました。

 この診療所は、昨年の春にNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第2回総会を開催した、東京都中央区明石町区民館のすぐそばでした。聖路加病院がある一帯です。
 聖路加タワーは、宿舎から隅田川越しに見えます。すぐ目と鼻の先にある地区なのです。

【9.1-NPO】「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉第2回総会を終えて」(2014年04月19日)


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 近くに、こうした歯科の応急診療所があるのは大助かりです。
 東京での歯医者は、いろいろと酷い処置をされた経験があり、もう懲り懲りしているので、行きつけの歯科がないのです。

 京橋からお出での担当医の先生は親切で、手際よく痛みの原因が虫歯によるものではないことを、レントゲン写真を私にも示し、適切な判断で見極めてくださいました。そして、詳しく図示しながら、これは細菌による痛みであり、時間と共に沈静化させる薬を処方してくださいました。

 さらには、私の歯を食いしばる日々について、警鐘を鳴らしてもらいました。実は、先生も歯を噛み締めるタイプで、先日の講演会では、部屋に「歯をはなす」「リラックス」などと書いた張り紙をして、目にするたびに身体の力を抜くようにしているのだそうです。
 私も、寝る時などには、クッション役となるマウスピースを嵌めています。それでもやはり、仕事に熱中したりすると、歯をグッと噛み締めている自分を意識することがしばしばあります。

 先生の話を伺いながら思い出しました。先日の毎日新聞(1月8日夕刊)に、「熾烈接触癖(TCH)」についての特集記事があったのです。

 その記事を紹介します。


歯の接触を少なくするには
ステップ1
側頭筋と咬筋に指を当てて
上下の歯のかみ合わせ、
筋肉や顎の関節に負荷が
かかっていることを認識する

ステップ2
生活空間の10カ所
以上に張り紙をし、
目にするたびに
顔や前身の力を抜く

ステップ3
歯が離れた
状態が定着する。
接触すると違和感を
覚え、反射的に
離すようになる


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 今日は、先生から懇切丁寧な説明を受け、激痛の中での不安を解消していただきました。
 ありがとうございます。
 そして、力を抜いた生活を心がけるようにとのご教示を強く意識して、今年も研究を続けて行きたいと思います。

 お腹に何か入れて、すぐに薬を飲むためにも、築地方面に脚を向けました。

 途中で、慶応大学の記念碑を見かけました。


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 婿殿が大好きな福沢諭吉の言葉が、本型の石に刻まれています。


天ハ人の上尓
人を造ら春゛

人の下尓
人を造ら春゛


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 私は、この内容よりも、書かれていた変体仮名に反応して写真を撮りました。
 「ハ」「尓」「春゛」などは、変体仮名です。今はこうした文字が読めない文化を形成しています。しかし、私は1日も早く、こうした変体仮名も読めるようになり、かつての日本語を自由に読めるような環境を作る必要性を痛感しています。

 歩いてすぐの築地場外市場には、波除神社があります。


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 まだ江戸の神社仏閣に初詣をしていなかったので、私の身体にとって一番重要な食事に関することでもあるので、この波除神社で今年1年の無病息災などなど、お願いをしました。

 なお、この波除神社のことは、次の記事で詳しく書いているので、ここでは省略します。

「江戸漫歩(46)糖質制限と築地のすし塚」(2011/9/28)

 築地は、観光客でごったがえしていました。8割方は中国からのお客さんのように見受けられます。

 大通りに面した海鮮丼屋さんは、この前に失望したので、今日は少し中にある清潔なお店で海鮮丼をいただきました。目の前で、板前さんが丁寧にマグロの短冊を切りそろえておられました。

 食後に、いただいたばかりの薬を飲み、またもと来た道を歩いて帰りました。
 勝鬨橋からは東京タワーが、相生橋からは東京スカイツリーが見えました。
 見比べると、見慣れているせいか、東京タワーの方が格好いいように思いました。
 明日はもう1日祝日があります。
 ゆっくりと身体を休めて、ゆっくりとスタートをしたいと思います。
 
 
 

2014年12月 7日 (日)

江戸漫歩(93)六本木・東京タワー・芝公園へ紅葉狩り

 地下鉄六本木一丁目駅を出てすぐのところに「全特六本木ビル内郵便局」があります。


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 39年前の昭和50年の誕生日に、この場所にあった「全特会館」で結婚式をあげました。
 「全特」とは、「全国特定郵便局長」の略称です。
 新宿伊勢丹のブライダルコーナーで、私の誕生日に式が挙げられる所を相談したところ、ここを勧められました。
 私がまだ大学院に入ったばかりの、修士課程1年生の時です。
 お仲人は、学部生時代の指導教授であった小林茂美先生ご夫妻でした。

 主賓が、大学院での指導教授だった内野吾郎先生。
 内野先生は近世国学の研究者で、ドイツ帰りの先生からドイツ文献学のお話を聞いて、文献学に興味を持ちました。
 それまでが、折口信夫の民俗学的研究の末流にいて、唱導文芸の勉強をしていました。
 民俗学から文献学へと、結婚を境に一念発起の転身でした。
 以来、今に至るまでの40年間、文献を扱う仕事をしています。

 私があちこち歩き回るのは、民俗採訪の調査旅行をしていた頃の影響でしょうか。
 今日も、学生時代から一緒に調査旅行に出かけていた妻と、この会館に足を運びました。

 周りはすっかり変わっていました。この都心で40年も経つのですから当然です。
 会館の前から見えたはずの東京タワーは、今や高層ビル群に囲まれています。少し移動するとやっと見えました。


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 坂を下ると、すでに住む人のいなくなった家々が、肩を寄せ合うように建っていました。周囲とはまったく違う、昭和30年代から時間の流れが止まったかのような姿を見せる一角です。


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 後から聞くと、すでに区画整理の対処となっているところだそうです。
 その場所からも、東京タワーが望めました。


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 さらに進んで東京タワーの裏側に出ると、正面とはまた違うアングルで見上げることができました。


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 隣接する芝公園の紅葉も色付き出したところでした。


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 芝公園から東京タワーを見上げると、お馴染みのシルエットも季節感を纏った姿になります。


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 公園の中では、モデルさんを囲んでの撮影会が催されていました。
 女性を舐めるようにしてレンズを向けるカメラマンの姿態は、あまり見たくない人間の姿なので好きではありません。せっかくの紅葉見物が色褪せそうになったので、早々に公園を出ました。

 モダンな六本木という都心の一角で、想い出の地と共に、古いものが消え去る直前の光景を見たことになります。スライド写真から一部分が消え、そこに新しくビルやマンションが屹立する映像が、数年後には映し出されることになります。
 いい時に、この変わりゆく風景を目にしました。

 先日行った大森の山王一帯がそうであったように、かつて自分が体感した場所は、記憶を鮮やかに押し留めておくためにも、今の内に再訪すべきかもしれません。

 それを意識して、また時間を見つけて散策に出かけることにします。
 
 
 

2014年11月22日 (土)

江戸漫歩(92)大森の山王を散策し酉の市へ

 連休初日の東京は快晴でした。今日は「良い夫婦の日」だとか。
 二人で大森を散策しました。ここは45年前に、私が大阪から上京して暮らし始めた街です。
 妻と大学で出会う前に、ここに2年ほど住んでいました。
 毎朝毎夕、新聞を自転車の前と後ろの荷台に積んで、次の写真にある大森駅前の池上通り沿いのアーケード下を、えっちらおっちら登っていました。


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 私の配達区域は、写真左の山手側にある山王2丁目でした。坂道を登り詰めて左折した八景坂から、お屋敷の多い山王の住宅地に入り、450部を配って走り回り、集金などをして歩いていました。いわば勝手知ったる一帯です。
 当時から山王パレスや大森テニスクラブはありました。しかし、その他の家々はまったく姿がわからなくなっています。45年前のことなので、当然でしょうか。当時を思い出せる家が四五軒しかなかったのには落胆しました。

 18歳で上京し、すぐに病気をして胃の三分の一を切除してもらった牧田病院も健在でした。
 火事で一時非難をさせていただいた鷲神社は、酉の市で大賑わいでした。


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 駅前も様変わりしています。しかし、今も庶民的でいい街のようです。また来ると思います。

 帰る途中で、宿舎の前にある東京海洋大学の横を走る欅並木の紅葉を、清澄通りの陸橋から撮影しました。
 この道の下を、東京ディズニーランドへ行く京葉線が走っています。


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 写真の奥が、東京オリンピックで話題の豊洲・有明地域につながっています。
 今後の変貌が楽しみです。
 
 
 

2014年11月15日 (土)

江戸漫歩(91)晩秋の浜離宮恩賜庭園

 浜離宮庭園は、都営地下鉄大江戸線の汐留駅から歩いてすぐでした。


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 駅から一番近い、中の御門から入りました。

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 ここは、徳川将軍家の鷹狩場で、その後は屋敷が別邸となったところです。
 明治時代以降に皇室の離宮となり、今は庭園として公開されています。

 庭園の築地川沿いに、水上バスの発着所がありました。今住んでいる宿舎の横に水上バスの越中島発着場があるので、船でも乗り入れできることがわかりました。


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 上の写真左端に、現在月島地域に建築中のマンションが見えています。宿舎から意外と近いようです。

 東京湾越しには、レインボーブリッジも見えます。


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 潮入の池には、鷺や鴨がたくさんいました。
 いつも見る賀茂川の鳥たちと違い、置き物のように見える、おもしろい光景です。


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 紅葉はこれからなのでしょうか。


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 東京タワーも覗いています。


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 帰りは、大手門から出ました。


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 すぐ横にある築地に立ち寄ると、海外からの観光客で押し合いへし合いの大混雑です。人気スポットになっているのです。


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 休憩所の自動販売機は、江戸らしいデザインです。


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 宿舎近くの黒船橋から中央大橋を臨むと、冬を迎える深川の景色になっていました。


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2014年10月15日 (水)

江戸漫歩(90)立川開催の箱根駅伝の予選会

 今週末の10月18日(土)に、立川地域を舞台にして「第 91 回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会」(主催・関東学生陸上競技連盟)が開催されます。

 毎年、箱根駅伝は1月2日と3日に行われます。そこに出場する大学は、前回の上位10校と、予選会で勝ち上がった10校となっています。
 この予選会は、テレビでも放映されます。毎年、本番に劣らないほどの悲喜こもごものドラマが展開されるので、ご覧になった方も多いことでしょう。

 会場とコースは、「陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街地~国営昭和記念公園」の20キロです。
 選考は、各校上位 10 名の合計タイムにより 10 校が選ばれます。
 また、出場権を逃したチームから記録上位者を中心に、オープン参加の関東学生連合チームが編成されます。つまり、第90回大会でシード権を獲得した10校と、予選会から上位10校に加えて、予選会敗退大学の選手で編成する「関東学生連合チーム」の、合計21チームが第 91 回箱根駅伝を走るのです。

 今年1月の箱根駅伝での上位10校は、以下の通りでした。


1 東洋大学 10時間52分51秒
2 駒澤大学 10時間57分25秒
3 日本体育大学 11時間03分51秒
4 早稲田大学 11時間04分17秒
5 青山学院大学 11時間08分53秒
6 明治大学 11時間10分09秒
7 日本大学 11時間12分52秒
8 帝京大学 11時間13分03秒
9 拓殖大学 11時間13分06秒
10 大東文化大学 11時間14分43秒

 そして、今年の予選にエントリーしたのは、以下の48校です。


法政大学
駿河台大学
中央学院大学
立教大学
東海大学
東京情報大学
東京農業大学
慶應義塾大学
中央大学
東京学芸大学
順天堂大学
国際武道大学
國學院大學
芝浦工業大学
神奈川大学
明治学院大学
城西大学
東京大学
上武大学
横浜国立大学
専修大学
東京大学大学院
国士舘大学
千葉大学
山梨学院大学
高崎経済大学
亜細亜大学
学習院大学
流通経済大学
首都大学東京
平成国際大学
埼玉大学
東京国際大学
東京工業大学
関東学院大学
防衛大学校
創価大学
東京理科大学
麗澤大学
一橋大学
東京経済大学
桜美林大学
武蔵野学院大学
上智大学
松蔭大学
日本薬科大学
筑波大学
東京農工大学

 JR立川駅2階のコンコースに、出場48校の名前を記したのぼり旗が設置されていました。


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 なお、全区間の距離を、今回コースが変更になったことを受けて再計測した結果、7区間で、従来の計測数字と実際の距離との間に誤差があったようです。実際に走っていた総距離は、合計約800メートル短かった、とのことです。それにより、新たな総距離は、これまでの217・9キロから217・1キロとなるそうです。

 さて、今年の箱根駅伝に参加する大学は、すでに決まっている10校に加えてどの学校なのか、駅伝ファンの1人として多いに楽しみにしています。
 
 
 

2014年10月14日 (火)

江戸漫歩(89)畠山記念館で見た不昧公の逸品

 秋季展として、「開館50周年記念特別展 大名茶人 松平不昧の数寄―「雲州蔵帳」の名茶器―」が開催されています(平成26年10月4日(土)〜12月14日(日))。
 これまでにない大型台風が来る直前の間隙を突いて、不昧公のお茶道具を拝見しに畠山記念館へ行きました。


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 お茶の良さなどはまだまだわかりません。しかし、名茶器といわれるものは見られる時に見ておきたいと思っています。良いといわれるものは何でも見て、目を慣らしたいのは、古写本や古筆切を見る時の気持ちと同じです。

 不昧公(1751〜1818)は、出雲国松江七代藩主です。茶の湯を極めた、江戸時代を代表する大名茶人として知られています。
 その「不昧公」という名前は、私の出身が島根県出雲市ということもあり、幼い頃から両親に「松江」「山川」「若草」という言葉とセットで聞いていました。
 本家のお爺さんがお茶人で、わけもわからずにお茶室の茶碗などを玩具がわりに悪戯していたころから、不昧公は何となく耳にしていた名前です。

 父に連れられて松江に行き、お茶席で蓮華とお菓子をもらって帰ったことは、今でも記憶に鮮やかです。お茶をいただいたのかどうか、今となっては定かではありません。しかし、緋の毛氈と大きな傘と桜が、微かながらも残映として残っています。

 昨春(2013年4月6日(土)〜6月2日(日))、逸翁美術館で「小林一三生誕140周年記念Ⅰ 復活!不昧公大圓祭-逸翁が愛した大名茶人・松平不昧-」が開催されました。逸翁美術館館長の伊井春樹先生から連絡をいただいていました。
 4月28日には、「池田亀鑑賞の選考委員会が逸翁美術館で」あったので、会場までは足を運んでいました。しかし、当日は慌ただしかったため、また改めて、と思ったのがいけませんでした。その後も何かと多忙だったこともあり、とうとう拝見する機を逸してしまったのです。
 逸翁が収集した不昧公に縁のある名品を見られなかったので、今でも再会を待ち望んでいるところです。

 そんなことがあったので、どうしても畠山即翁が集めた名茶器を見たくて、並の勢力ではないと警戒されている台風の中を、それこそ見られる内にとの思いから出かけたのです。

 国宝の藤原佐理筆『離洛帖』(平安時代)は、展示期間が来月(11月8日~12月14日)なので今回は見られませんでした。
 それでも、重要文化財となっている『唐物肩衝茶入 銘 油屋』(南宋時代)と『井戸茶碗 銘 細川』(朝鮮時代)の2つは、しっかりと見てきました。

 次に興味を持ったのは、『観音蒔絵硯箱 銘 玉河』(室町時代)です。これは、平仮名が装飾絵の中に紛れ込むように隠されているものです。「葦手絵」と言われる、絵文字の一種です。平安時代に遡る散らし書きの中に、平仮名の連綿体が絵画の中に溶け込むようにして書いてあるのです。
 近年は、絵文字がメールなどで頻繁に使われています。この絵文字も、由緒正しき遊び心溢れる葦手の流れなのです。

 『源氏物語』では第32巻「梅枝」に、光源氏が「葦手、歌絵を、思ひ思ひに書け」と言っています(『新編日本古典文学全集』第3巻、417頁)。
 また、その後に「葦手の草子どもぞ、心々にはかなうをかしき。」(同、420頁)と、若い人が草子に葦手書きをしていることをおもしろがっています。

 今日拝見した硯箱の蓋裏には、千鳥が飛ぶ模様の中に、崩し字で「ゆふ」と「され」が隠れるようにして書いてありました。また、硯箱の身には「しを」と「かせ」が装飾絵の中にかすかに読めます。
 もっとも、読めますと言えるのは、ここに書いてありますよ、という指示があるのでわかる程度です。ここまで平仮名を崩されると、目を凝らさないと識別できません。おまけにガラスケース越しなので、なおさら判読が大変です。

 これは、平安歌人である能因法師の和歌
ゆふされしほかせこしてみちのくの のだの玉河千鳥なくなり」(新古今和歌集、巻6、冬)
の歌意を装飾的に意匠化したものでした。
 この硯箱の銘が「玉河」となっているのも、この能因の和歌から来るものです。

 葦手絵は、平仮名の特性をうまく引き出した遊び心満載のデザインです。文字で遊ぶなど、海外の装飾文字とはまた違う、一風変わった言葉遊びと絵画化が融合したおもしろい文化です。

 帰りには、小雨が降り出しました。
 今夜から明日にかけて、関東地方も大荒れになりそうです。
 
 
 

2014年10月 8日 (水)

江戸漫歩(88)皆既月食から鋭気をもらう

 日ごろは、夜空を仰ぐことはほとんどありません。
 今夜は皆既月食だということなので、背筋を伸ばして見上げました。

 仕事帰りの立川の満月は、煌々と照っていました。


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 それから1時間半後。
 深川に着いた頃には、真ん丸だった月は欠け始めていました。


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 宿舎にたどり着いた時は、夜空一面に雲が垂れ込めていて、月は隠れていました。残念です。
 それでも、かすかに光の点が雲間から窺えました。


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 月と地球を意識することで、新鮮な気持ちになりました。
 
 
 

2014年9月19日 (金)

江戸漫歩(87)霞ヶ関ビルで開催された総研大の教授会

 総合研究大学院大学(総研大)は、6つの研究科によって構成されています。
 ノーベル物理学賞を受賞なさった小林誠先生は、総研大の高エネルギー加速器科学研究科の前身である高エネルギー物理学研究所に所属しておられました。

 総研大は、立川の庁舎に同居している国立極地研究所(南極の昭和基地)、宇宙科学研究本部(JAXA のロケット)、国立天文台(ハワイのすばる望遠鏡)などなど、理科系が主体の大学院大学です。

 この「総合研究大学院大学」の中に、文化科学研究科という文科系の研究科があり、国文学研究資料館(東京)が基盤機関となっている「日本文学研究専攻」はここに所属しています。
 国立民族学博物館(大阪)、国際日本文化研究センター(京都)、国立歴史民俗博物館(千葉)、メディア教育開発センター(千葉)の4機関も、同じ研究科の仲間です。

 この文化科学研究科の教授会が、地下鉄銀座線の虎ノ門駅の横に聳え立つ霞ヶ関ビル35階でありました。


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 過日、逸翁美術館の伊井春樹館長が文部科学省の会議でお出でになったとき、隣接する文科省が入っているビルでゆっくりとお話をして以来、久し振りに虎ノ門へ行きました。

 この教授会は137名の先生方で構成されており、春は京都で、秋は東京で開催されます。
 本日、この霞が関の会場で、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんと会いました。そして、会議の前後に、目の不自由な方と一緒に古写本『源氏物語』を読むことについて、じっくりと話し合いました。ただし、長くなるので、そのことは明日の記事とします。

 さて、自分が所属する職場の説明に、いつも苦労します。そして、ついつい簡単に、国文学研究資料館にいると答えています。
 しかし、今日の会議の最後にも理事からお願いがあったように、「そうけんだい」という知名度をアップするためにも、執筆したり講演をするときには、総研大の教員であることを忘れずに明示してほしいとのことでした。

 現在、論文の引用数において、総研大は国内の大学の中では15位だそうです。各自がもっと所属を総研大として社会活動をすると、トップテンに入ることになるのでご理解を、とのことでした。
 理科系の発想が、こうした時に実感させられます。文学の世界では、自分の論文が何回引用されたかは、あまり評価の基準にならないからです。

 総研大では、学位としての博士号を取得する学生を対象とするので、一般的にはあまりこの存在を知られていません。対象者が限定されているのです。

 国文学研究資料館を基盤機関とする日本文学研究専攻でも、博士前期課程(従来の修士課程)を終えて博士後期課程(従来の博士課程)で博士論文を執筆し、博士(文学)の学位を3年間で取得するために入学する方を受け入れています。みなさまに馴染みがないのは致し方ないところです。
 そのためもあり、特に総研大を名乗る機会も少ないし、認知度も低いようです。

 日本文学研究専攻では、2014年10月25日(土)に、立川市にある国文学研究資料館で「平成27年度 入試説明会」を開催します。博士(文学)の学位取得を考えておられる方は、ぜひ参加してください。

 最近、私も所属を言うときには、意識して「国文学研究資料館」に加えて「総合研究大学院大学」の教員であることを明示するようにしています。名前の前に長々と漢字の文字列があるのは、こうしたことがあるためです。ご理解をお願いします。
 
 
 

2014年9月10日 (水)

江戸漫歩(86)背中を意識して国営昭和記念公園を歩く

 最近、背中が曲がっていると、よく指摘されるようになりました。
 自分では気をつけているつもりでも、妻や娘から頻繁に指摘されます。
 お茶のお稽古の時にも、毎回先生から背筋を伸ばして、と言われます。
 お爺さんがお茶を点てているように見えるとも。
 これは、お茶室を歩く姿勢にも現れているそうです。

 自分では、胸を張って背筋を伸ばして、お腹に力を入れて歩いたり座ったりしようと気をつけているつもりです。しかし、その効果が外には現れていないことは明らかです。
 街中でショーウィンドウに映る自分の姿を見ると、なるほどと納得します。

 今日も、立川駅から職場まで、背筋を伸ばすことを意識して歩きました。
 昭和天皇実録が公開されたからではなく、最近よく国営昭和記念公園を横切って職場まで歩いています。


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 しかし、昭和天皇記念館や日本庭園へ行こうと思いながらも、通勤時の抜け道として通っているせいか、ゆっくりと園内を歩いたことがありません。

 公園を抜けると、緑に覆われた並木道を一直線に歩きます。


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 特に夏場の暑い時は、この木陰の道を歩いています。
 この並木道の左側に、陸上自衛隊の立川駐屯地があります。

 立川駅から職場までは、普通に歩いて25分なので4000歩弱だろうと思います。いつか、正確な歩数を確認したいと思います。常時、腕にウォーキングを管理するリストバンドをしているのですから。

 私の腕には、ウェアラブルコンピュータである「Jawbone / UP24」を巻いています。これで、歩数や睡眠管理などをしています。今日発表されたアップルのアイ・ウォッチなどは、この「UP24」の機能も搭載するようです。ただし、発売は来春とのことなので、そのお楽しみはしばらくお預けです。

 さて、「UP24」を着けて体調管理をしていても、どの程度背中が丸くなっているのかを知ることは、今のところはできません。しかし、近い内にそれは可能となることでしょう。

 自分への言い訳は、ちゃんと用意しています。歳と共に知識と経験を積んできたので、稲穂よろしく頭を垂れるようになってきたのだ、と。しかし、これはやはり苦しい弁解にしかすぎません。

 ウェアラブルコンピュータも、首筋や腰の状態を検知して、いずれはアドバイスを小まめにしてくれるようになることでしょう。それまでは、自力で対処しなければなりません。

 何かと課題の多い日々です。
 
 
 

2014年9月 5日 (金)

江戸漫歩(85)『みおつくし料理帖』の爼橋と千代田図書館

 千代田図書館の書庫の中で、反町茂雄氏や中野三敏先生等から寄贈を受けた古書目録の調査をしています。山を移すかのような作業を、一人で黙々と相変わらず続けています。

 千代田図書館が入っている千代田区役所の横を流れる日本橋川には、宝田橋が架かっています。
 宝田橋越しに区役所から皇居方面を望むと、川には首都高速5号池袋線が覆い被さるように走っているため、圧迫感のある光景となっています。


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 しかし、伸び伸びと屹立する10階建ての区役所ビルは、皇居側からだと、この街の元気さを見せてくれます。

 日本橋川を吹き抜ける風も、めっきり秋らしくなりました。

 宝田橋のすぐ北の靖国通りには、俎橋が架かっています。東側(写真右)の神田神保町と、西側(写真左)の九段下を結ぶ橋です。


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 この爼橋は、先日、全10巻が完結した高田郁の『みをつくし料理帖』の舞台です。女料理人の澪が働いていた料理屋「つる家」は、写真の左奥になります。澪は、この橋に佇んで、楽しい時や辛い時に星や月を仰いでいました。もちろん、小説の世界の話ですが……

 さて、千代田図書館では、膨大な古書目録にどんな『源氏物語』の古写本が掲載されているのか、ということを調査しています。もちろん、『源氏物語』に限らず、その前後の作品や、私が勝手に興味を持ったものも抜き出しています。

 『源氏物語』が、いつどこでどのような形で売りに出されていたのかを追跡する事によって、古写本の伝流経路はもとより、五十四巻がいつどのようにしてバラバラになって今に伝えられているのか、ということがわかります。また、今確認できていない『源氏物語』の古写本も、出品されていたことから、その存在を確認する上での手掛かりともなります。

 今、我々が確認できる以前の『源氏物語』の姿を垣間見ることが、こうした目録類から知ることができるのです。
 『源氏物語』の古写本の伝流史や受容史が、古書を売買した目録から見えてくるのです。
 ただし、その情報を引き出すためには、とてつもない手間と時間が必要です。

 まだ、千代田図書館にある目録類の百分の一も見終えていません。到底、私が生きている内に終わるとは思っていません。
 これも、古写本の翻字と同じように、次の世代に託さざるをえません。NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の仲間に託そうと思っています。引き継ぐ人が見つかるまでは、私が一点でも多く抜き出しておくつもりです。

 今日は、たくさんの情報が集まりました。と言うことは、冊数はこなせなかった、という有り難いような有り難くないような、微妙な満足感を得た1日となりました。

 今日の成果のいくつかを抜き出して、以下に紹介します。
 ちょうど、私が生まれた昭和26年前後の即売会の目録です
 コメントは、さらに調査が進んでからとします。

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■『和洋古書大即売展出品目録』■
 (1949.12.1、会場:日本橋高島屋)

122 蜻蛉日記 宝暦六年刊 合四 800円
123 土左日記 寛永二十年風月宗智刊 書入本 一 600円
408 重要美術品 伊勢物語 鎌倉中期古写 桝形本 一 65,000円
  純白厚目の斐紙、為家風の文字美しく豊か。蓋し伊勢物語の古写本中最も優秀なるもの。
411 重要美術品 源氏物語柏木 伝源三位頼政筆/鎌倉時代古写本 一帖 40,000円
 本文は青表紙本河内本いづれの系統とも異り、文章の差異多し。
412 源氏物語口決 里村紹巴自筆/元亀元年古写本 一巻 6,800円
 紹巴が三条西称名院より口決伝授の秘義を記して、その高弟心前に授けしもの。長巻。
414 源氏物語聞書 本居宣長講 殿村安守自筆筆記、原本 五 1,500円
433 物語拾遺百番歌合 伝冷泉為相筆/鎌倉末期写 一帖 25,000円
 古物語研究の重要資料、此の古写本によつて流布本の缺脱を補ふべし。極めて雅装。
497 光悦本 伊勢物語 慶長十五年刊、古活字版/五色紙、原表紙 上本 二 18,000円
499 清少納言枕草子 寛永中刊、古活字版/十二行本 五 4,500円
500 狭衣物語 元和中刊、古活字版/十二行本、極上本 八 5,500円
 
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■『和洋古書大即売展出品目録』■
 (1950.1、会場:日本橋高島屋)

529 竹取物語 寛永寛文頃写松平忠房侯舊藏 一 5,000円
 所謂島原本の名によりて知られたるもの。竹取の諸傅本中最良の一。
530 重要美術品 伊勢物語 伝藤原為家筆、鎌倉中期写/流布本の最古本 一 65,000円
535 古本宇津保物語 寛文元禄頃古写本 廿一 15,000円
 半紙判大、鳥の子胡蝶装両面書き。流布本と異同多し。
539 落窪物語 永正天文頃古写本/九条家旧蔵本 三 30,000円
 古写本稀れなる落窪としては頭抜けて古く、疑ひもなく最古の傳本。字句に異同多し。大桝形、青色原装、全三冊。
540 落窪物語 上写、諸異本校合本 四 1,800円
541 重要美術品 源氏物語 帚木 伝藤原為家筆、鎌倉/中期写、松浦家旧蔵 一 38,000円
542 源氏物語 さかき 伝西園寺実勝筆/極彩色土佐絵表紙美本 一 3,500円
543 源氏物語 河海抄 文明十三年写、傳兼良筆 一〇 25,000円
 大形極上本。河海抄としては年代明かなる最古本なるべし
544 源氏小鏡 大永五年古写本 一 1,500円
545 紫式部日記 邦高親王本系統、元禄頃写 二 2,500円
546 紫式部日記 南葵文庫本、写真焼付 一 700円
550 異本狭衣物語 足利末期古写 四 18,000円
 平出家舊藏本。本文巻第一は深川本に近く、しかも異る所あり、他巻も流布本と差異甚だ多し。雲形に金泥模様、極めて古雅なる上本
555 とりかへばや物語 文政五年宣長校合本伝写 三 1,500円
556 更級日記 寛永寛文頃古写上本/松平忠房候旧蔵 一1,500円
801 和泉式部物語 絵入 寛文十年刊 一帙 三 1,500円
802 宇津保物語 絵入 延宝刊書入あり 二帙 三〇 2,000円
803 蜻蛉日記 契沖説等詳細書入/宝暦六年刊 八 1,000円
804 勢語臆断 享和刊 斎藤彦麻呂自筆書入 五 850円
 
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■『和洋古書大即売展出品目録』■
 (1951.12、会場:東京古書会館)

145 蜻蛉日記 諸異本校合写本/西荘文庫旧蔵 一 1,800円
586 絵入源氏物語 大本 上本 六〇 3,800円
587 絵入源氏物語 横本 万治三年林和泉掾/板行き 上本 三〇 3,500円
588 をさな源氏 野々口立甫 古雅絵入/寛文元年 五 1,300円
589 源義弁引抄 一華堂切臨 上本 二〇 4,500円
590 源氏物語俗解 絵入 享保十一年刊/題簽付 原装稀本 一七 5,000円
 
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■『古書大即売展出品略目録』■
 (1952.12、会場:東京古書会館)

1 源氏物語抄 古鈔本 一一、一六、一七、三冊缺/脇坂八雲軒旧蔵本 一七 5,000円
2 源氏物語 桝形古写本 箱入 五四 7,500円
3 古写本 伊勢物語 連歌師宗椿筆 箱入 一 2,800円
4 伊勢物語絵図 極彩色 十二枚 帖仕立 一 4,000円
405 天福本 伊勢物語 里村紹巴自筆/永禄五年古写本 一 2,800円
406 奈良絵本 伊勢物語 元和寛永頃古写/極大形本 四 28,000円
408 源氏花鳥餘情 文明四年奥書本/寛文頃写、極上本 一五 5,000円
409 源氏帚木別注 宗祇著、延徳元年古写本 一 2,000円
410 源氏六巻鈔 小島宗忍手写、慶長頃写/大形厚冊 六 7,500円
411 源氏物語湖月抄 中島広足自筆大書入本 六〇 10,000円
 朱藍墨の三筆にて行間に書入れ、更に至る所に附箋して自説を述べ、又先人の説の当否を批判す。流石に見識の窺はゝもの多く、新説の採るべきもの亦多し。
412 源氏ゆかりの要 老鼠堂永機旧蔵写本/梗概書 一 700円
413 狭衣物語 大永天文頃古写本/金襴表紙極上本 四 30,000円
425 明月記 藤原定家自筆原本/嘉禄二年八月 一巻 200,000円
526 狭衣物語 寛永中刊、古活字版/異本校合書入本 四 9,000円
1088 狭衣系図 寛文頃写 金泥模様表紙付 一 1,000円
1089 源氏和秘抄 寛文頃写 胡蝶装 一 1,500円
1090 光源氏物語系図 文亀甲子年奥書本寛文頃/書写セルモノ 五色料紙 一 2,000円
 
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■『新興古書展出品追加目録』■
 (1952.12、会場:東京古書会館)

235 源氏物語 足利末期古写本/帚木 明石 欠 五二 3,800円
236 源氏物語 寛永寛文頃古写本 五四 3,500円
237 源氏物語絵巻葵巻 伝正親町院勾当内侍筆/白描絵入 慶長頃 一巻 10,000円


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 今日の調査対象となったのは、反町氏が出品した古書展の目録でした。そのせいもあり、いい本がたくさんあります。『源氏物語』の周辺に限定しても、とにかく抜き出しに追われるほど、点数が多いのです。詳細な検討は、すべて後日です。
 
 今、疲れた身体を新幹線のシートに埋めて、京都の自宅に向かっているところです。
 後ろの席では、2人の子供が愚図ったり泣き騒いでいます。いつものように自由席に座っているので、これを書き終えたら別の車両に移動します。

 お母さんは口だけで子供を叱っています。子育ては大変だと思います。それは理解できます。それだけに、周りの乗客は不愉快な思いを強いられても、じっと耐えるしかありません。
 これが指定席だったら煉獄です。
 毎週のこととはいえ、この当たり外れは避けられない運としか言いようがありません。
 歳を取った証拠なのでしょうか。子供が泣き叫ぶ声が、疲れた身体と神経に響きます。
 
 
 

2014年9月 4日 (木)

江戸漫歩(84)秋を迎えに新宿の思い出横丁へ

 残暑の気配も感じられなくなったので、秋を元気に迎えるために、新宿の思い出横丁へ行きました。学生時代からなので、もう45年も足を運んでいる一角です。


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 新宿で飲むのはいつも岐阜屋です。しかし、今日は気分転換に違う店にしました。

 横丁の真ん中の通路をぶらぶらしていたら、入りやすい所がありました。

 この通りには、狭いカウンター形式の焼き鳥屋さんが多く、しかもお店の方と対話できる所が多いのが特徴です。しかし、1人で来るならまだしも、妻と一緒なのでそれも気詰まりです。
 お店の方が話しかけて来ない、テーブルがいくつか置かれた所があったので、その店に入りました。
 岐阜屋がこの一帯での判断の基準になっているので、その点から見ると小奇麗な店だと言えます。

 あしたばの天麩羅やモツ煮と、今年は高値と言われている秋刀魚の塩焼きをいただきました。
 あしたばはおいしいと思いました。しかし、秋刀魚が600円だったのはどうもいただけません。先日までは400円していた秋刀魚も、今はもう、スーパーでは150円を切っているのですから。
 モツ煮も、味が若い感じがしました。コンニャクも一緒に煮込んだらいいのにな、とも思いました。

 お店の方の対応は親しみやすくて、感じのいいお店でした。
 それでも、岐阜屋に比べると1品ずつが少し高めです。
 さて、後日、もう一度行ってみようと思うかどうかが、私の評価となります。
 再度行った時に、このお店の写真を掲載しましょう。
 
 
 

2014年7月11日 (金)

江戸漫歩(83)三鷹駅前で見た2橋の虹

 仕事帰りに三鷹駅で途中下車しました。
 これまでに学生時代以来、折々に関東で生活して来ました。そこで、想い出深い所を散策しようということで、妻とあちこち経巡る小さな旅をすることにしたのです。
 あと2年強で東京を離れることもあり、今のうちに行けるところには行っておこうということです。お互いの仕事帰りに待ち合わせをして、都内周辺を歩くことにします。

 三鷹駅周辺については、すでに4年前に書きました。
「江戸漫歩(23)懐かしの三鷹駅前」(2010/6/15)
 しかし、いろいろと想い出が詰まった街なので、何度も行きたくなります。
 中央線沿線は、我々の生活の原点でもあるのです。

 立川では曇っていたのに、三鷹駅に着くと大雨でした。台風一過。お天気は気ままです。
 駅前は、再開発中ということもあってか、店じまいが目に付きました。
 かつて妻が住んでいた駅前のアパート周辺も変貌していくようです。

 一緒によく行った、懐かしい三平ストアで晩ご飯の買い物をしました。


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 よく行ったディスカウントストアも健在のようです。


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 恩師の小林茂美先生が大手町の産経学園で社会人講座をなさっていた頃、そのすべてを毎回録音するため、この店で特価品のカセットテープを大量に買っていました。いまでも、京都の自宅に数百本が残っています。

 三鷹駅南口で、東の空に2本の虹がたっているのに遭遇しました。


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 ちょうど、虹を数える単位が「橋」であることを知ったばかりです。早速、「虹を2橋」見かけた、と書いておきます。

 駅前の中華屋さんで、軽く夕食にしました。かつてよく行ったお店は、もうなくなっていました。入ったお店は、常連の年配客が来る店のようです。お店の方との会話が弾んでいます。
 若い子たちは、駅前の通りやビルの中の、おしゃれなお店に出入りしているのでしょうか。再開発の狭間で、まだこうして営業しておられるのです。さて、今後はどうなさるのでしょうか。他人事ながらも気にしつつ、お店を後にしました。味が濃すぎたように思います。これも、東京の味です。
 
 
 

2014年7月 9日 (水)

江戸漫歩(82)台風襲来前に新宿の岐阜屋へ

 大きな台風の襲来が全国的に影響しているようです。
 台風情報が気になります。

 じめじめした気分を一新するため、仕事帰りに妻と新宿で待ち合わせて、行きつけの思い出横丁にある岐阜屋へ行きました。
 相変わらず中高年のサラリーマンで満席です。
 そして、この一角は雨にもかかわらず、大勢の人でごった返しています。

 学生時代から立ち寄っている店なので、かれこれ40年以上のお馴染みさんです。
 天井から太い蛇腹の筒が、強烈な冷気を身体に吹き付けて来ます。
 この爽快感が、疲れを吹き飛ばしてくれます。

 狭くて汚いと言う人もいるでしょう。
 しかし、これが元気で安くて美味しい岐阜屋なのです。
 そして、お客さんも店員のみなさんも、みんな明るいのがいいのです。

 使い古した俎板があることに気付きました。
 十年は使っていると思われる一枚の分厚い板です。
 周りは黒ずんでいました。
 トマトを注文したら、その俎板でスライスしておられたので、今でも現役です。

 今日も、千葉から来ておられた笠智衆にそっくりのおじさんは見かけませんでした。
 お元気でしょうか。
 またお目にかかり、お話ができることを楽しみにしています。
 
 
 

2014年6月14日 (土)

江戸漫歩(81)畠山記念館で鎌倉期の『今鏡』を見る

 畠山記念館は、明治学院大学に近い白金台にある美術館です。
 都営浅草線「高輪台」駅から徒歩5分です。
 敷地内には、いくつかのお茶室があります。
 実業家畠山一清(茶人即翁)が収集した茶道具を中心にした古美術品は、2階の展示室で見られます。

 これまで畠山記念館へ行ったことは、次の2つの記事で取り上げていました。

「江戸漫歩(66)畠山記念館で即翁の朝茶事展」(2013年09月07日)

「江戸漫歩(71)畠山記念館の利休展」(2014年01月25日)

 今回の平成26年春季展「開館50周年記念 茶道美術の玉手箱─畠山記念館名品展─」の会期は、明日15日(日)までとなっています。
 最終日の前日となり、ご紹介するのが遅れました。都心で目を楽しませてもらえ、贅沢な時間が過ごせるところとして報告します。


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 多くの名品と言われる茶道具を堪能しました。
 また、書画も貴重なものが見られました。

 その中でも、重要文化財に指定されている鎌倉時代書写の『今鏡(23帖)』は、今回の展示品の中でも私がもっとも時間をかけて拝見したものです。
 桝形本で、9行書きのゆったりとした書写でした。

 写本の画像は、以下のアドレスで確認できます。
http://franchise-ken.sakura.ne.jp/sblo_files/kurokawatakao-beauty/image/img520.jpg

 第1帖が室町時代初期の補写とのことです。全帖を確認していないので詳細はわかりません。機会があれば、ガラス越しではなくて、ぜひ直接拝見したいものです。

 最近は、鎌倉時代の古写本を積極的に見ることで、日本の古典文学の雰囲気を体感として味わうように心がけています。
 今から800年以上も前の本が確認できて、さらには読めるのですから、文化的に豊かで恵まれた国にいることを誇りに思っています。
 
 
 

2014年6月 1日 (日)

江戸漫歩(80)國學院大學から実践女子大学を望む

 今日から暦は6月です。
 國學院大學で、「王朝の会」の役員会がありました。
 新たな活動に関する相談会です。
 これまでに、この会については、以下の報告をしてきました。
 主宰者であった小林茂美先生がお元気であった時から。

「銀座探訪(16)桜の咲き初め」(2009/3/29)

 そして、お亡くなりになってからの回想は、奥様の訃報を記した記事にまとめています。

「小林茂美先生の奥様の訃報」(2011/6/18)

 その後、「王朝文学研究会」とそのOBで作る「王朝の会」で記念の祝賀会を行いました。

「王朝文学研究会創立50周年記念祝賀会」(2013年01月05日)

 「王朝文学研究会」は、学生時代からずっと育てていただいて来た会です。会員は150人を超えているとのことでした。
 ほとんどが学校の教員になり、懐かしい思い出話をしたい年にもなっているので、3年ごとの大会ではなくて、今年の年末に集まろうではないか、という流れになっているのです。

 互いに久闊を叙する年齢になったことを、みんなが自覚するようになりました。
 今回は、会ってお酒を飲むだけではこの会らしくないということで、能楽の仕舞をみんなで観たり、能楽師からお話を聞いたり、扇子を扱った所作の体験などをしよう、ということに落ち着きました。
 学生時代からの雰囲気を崩さないのが、この会の持ち味でしょうか。なかなかアカデミックな催しとなりそうです。

 打ち合わせを終えて、國學院大學の若木タワー10階の踊り場から北を見ると、新装なった実践女子大学の高層ビルが望めました。その右後ろに、青山学院大学の校舎が見えます。
 手前の5階建てが、國學院大學の図書館です。


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 外は何と35度だとか。
 これから暑さと梅雨に悩まされます。
 体調に気づかいながら、気を引き締めて夏を乗り切る思いを、こうして高層ビル群を眺めやりながら強くしました。
 
 
 

2014年5月15日 (木)

江戸漫歩(79)娘夫婦と神楽坂で食事

 娘夫婦が、研修のために上京して来ました。飯田橋で妻とも合流し、神楽坂を散策することになりました。予想外に人出が多く、活気があります。若者が多いのに驚きました。

 坂道を歩いていて、少し露地を入ったところに雰囲気のいい店がありました。神楽坂「河庄」と書いてあります。メニューに料金が書いてありません。しかし、落ち着いたたたずまいの店なので、思い切って入りました。


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 女将さんから、神楽坂のことをいろいろと聞くことができました。
 このお店は、かつては本多家の屋敷があったところで、お店の前を本多横丁と言うそうです。すぐそばに芸者新道があるので、花柳界の名残がある一角です。

 女将さんは向島の生まれで、いかにも江戸の女性です。このお店も、建築関係の仕事だった檀那さんが建てたのだそうです。
 古い建物が好きなので、内装に目がいきました。
 次の写真の左上が漆喰天井、中央下に唐傘天井、そして右上が網代天井です。


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 漆喰天井は、竹を組んだものを上から吊し、それを漆喰で塗り固めたものだそうです。
 唐傘天井は、京都祇園の料理屋や茶店の前で見かけます。
 網代天井は私の大好きな天井で、京都の家でも大事にしています。

 壁には、鳶職の仲間から贈られたという、纏いを描いた飾り板がありました。


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 纏いは、江戸時代に町の火消しが各組の印としたもので、元は竿の先に付ける飾りだったものです。江戸の香りがする店で、江戸の話を聞くことができました。

 料理は京風の薄味で、おいしくいただきました。京都の松原通りで修行された息子さんが作っておられます。
 万願寺があったので驚きました。京都ではよく食べる万願寺も、東京ではほとんど見かけません。お魚も新鮮で、天麩羅もカラリと。京の料亭でいただく料理の気分を味わいました。
 私は麦焼酎、妻はビール、婿殿は梅酒、娘はウーロン茶と、みんな思い思いの飲み物です。それでも、話は弾みました。

 女将さんの話では、今日は水曜日で「ノー残業デー」なので、人が多いのだそうです。神楽坂も銀座と同じように、若者が往き来できる街になっています。時代の移り変わりを見せています。

 飛び込みで入ったお店でした。しかし、なかなかいい場所で楽しい女将さんと巡り会えたようです。83歳だとおっしゃる女将さんに見送られ、ますますの健康とご活躍を祈って帰路につきました。
 私の母は83歳で亡くなりました。家でテレビを見ながらスーッと意識を失ったとき、すぐそばにいた娘が介抱しました。おばあちゃんが大好きだった娘は、「おばあちゃんみたいやった!」と感激していました。
 
 
 

2014年5月12日 (月)

江戸漫歩(78)生まれ変わった日本橋コレド室町

 連休明けの週末は、颱風が去った後のように穏やかです。
 永代橋から北に、東京スカイツリーを望みました。


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 川下の中央大橋と佃島や豊洲エリアも、新緑の季節を迎えようとしています。


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 写真の左端に写る宿舎から、自転車で日本橋を目指して出かけました。
 何かと話題になっている、三越前のコレド宝町周辺を散策するためです。

 これまでに日本橋を散策したことは、以下の記事が一番詳しいように思います。

「江戸漫歩(42)お江戸日本橋へウォーキング」(2011/6/26)

 今日は、午後から鰻上りに気温があがり25度以上に。6月中旬並みだったそうです。熱中症になるのではと思われるほどの暑い日となりました。

 日本橋地域では東地区の再開発があり、今年の3月20日にコレド室町2と3がオープンしました。東京メトロ「三越前」駅直結の商業施設です。外装のデザインが暖簾や行燈をイメージさせるので、日本的な文化を意識したポリシーに拘っているようです。足元も石畳でした。ただし、歩くのも大変なほどの人出だったので、門前町をイメージした道を歩く気分ではありません。


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 コレド室町3には、8畳の茶室「囲庵」があるとか。機会があれば、ここでお茶をいただきたいと思います。


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 この3棟のコレド室町の一画に、福徳神社(芽吹神社)があります。


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 ひっそりとした佇まいの神社です。しかし、これが今年の10月には、この向かいの新居に鎮座なさることになっています。今は、赤い鉄骨だけの社殿が微かに塀越しに見えます。ここに、福徳神社と森が再建されるのです。


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 以下、朝日新聞(2014年5月9日TokyoEvening1面)の情報を参考にして記します。
 神社となる一画は、この地域一帯の再開発を進める三井不動産が、530平米の土地と15億円もの費用を提供するとか。何とも威勢のいい話です。林立するビル群の中に鎮守の森とは、なかなかお洒落な計らいです。

 この福徳神社は、何かと不遇の中を生き抜いてきたそうです。始まりは平安時代だということなので、『伊勢物語』などにみられる在原業平の東下りの話をする時に、関東の平安文学話の1つとして甦らせることにしましょう。

 その後、廃社・焼失・屋上移転等々、その果てにビル群の狭間で肩身の狭い思いをして来られた神様なのです。今、地域の再開発と新たな出会いの場所として生まれ変わるとは、何とも粋な話です。

 さらに、この神社には現代的な知恵も隠されていました。
 ビジネス街の一角ということもあり、地下2階には360平米の防災備蓄倉庫の機能も持たせてあるそうです。2万食分の食料や情報関連機器もあるとか。地下がシェルターになり、発電もし、食料があって情報も集まるのです。さらに、地下1階には自転車やバイクを100台も置けるので、周辺の駐輪対策も担うようです。

 おもしろい再開発だと思います。これで、真向かいの三越にも若者が出入りし、この一帯は今後の展開が楽しみとなりました。

 そう思って歩いていると、コレド室町3の裏に、こんなレトロな建物を見かけました。この新旧が共存し対照的なのが気に入りました。


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 昼食は、私の生まれ故郷である島根料理が食べられる「主水」で、「海鮮がいな丼」と「出雲割子そば」をいただきました。コレド室町3の並びにあります。
 お店の入口で、「ちっちゃい鯛焼」を試食しました。材料はみんな島根からだと、おじさんは元気にミニ鯛焼をせっせと作っておられます。島根とどう結びつくのかわかりません。しかし、かわいいお土産になりました。

 隣の島根県のアンテナショップである「にほんばし島根館」では、野焼き・炙りワカメ・松江銘菓の若草などを買いました。

 今後とも、この日本橋はおもしろい場所となりそうです。
 
 

2014年4月24日 (木)

江戸漫歩(77)立川の新名所?「IKEA(イケア)立川」

 最近、国文学研究資料館にお出でになった方は、すでにお気づきのことと思います。
 モノレール高松駅の立川寄りに、とてもつなく大きな四角い建物ができたのです。

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 朝日新聞によると、次のように書かれていました。


 スウェーデン発祥で家具販売世界最大手のIKEA(イケア)は10日、都内初出店となる「IKEA立川」(立川市緑町)を開業した。(中略)この日は3万人を超す買い物客が訪れた。
 「IKEA立川」は国内7店目で、売り場面積約4万平方メートル。家具や生活雑貨、子ども用品など約9500品目が並ぶ。また、スウェーデン料理を味わえる約750席のレストランや、レジ近くにある軽食スペースなど、日中はどこも順番待ちの長い列ができていた。(2014年4月11日)

 北欧の「IKEA」の家具は、我が家にもあります。
 奈良に住んでいた時、6人家族だったので、大きめのテーブルを部屋の真ん中に置いて、みんなで食事をしたり、おやつを食べたりしました。
 丈夫なテーブルだったので、私が単身赴任で上京した1999年から今に至るまで、勉強机として使っています。
 ということは、20年以上も使い続けているのです。

 その「IKEA」が、立川駅の北に大きな施設を作ったのです。ショールームの要素が強いと思っていたら、中には様々なお店が入っています。連日、たくさんの人で溢れています。

 この周辺は国有地でした。国文学研究資料館と統計数理研究所と極地研究所が入った合同庁舎は、「立川学術プラザ」と言われています。東隣に裁判所、向かいに市役所、西隣には陸上自衛隊立川駐屯地、裏に国立国語研究所や自治大学校、さらに南には、国立災害医療センターに警察署、立川駅の北には国営昭和記念公園があります。ただし、ショッピングセンターやレストランなどは皆無の国の施設が林立する地域だったので、みなさんには日常的には昭和記念公園以外は縁の薄い地域でした。

 それが、突然、周辺地域の方々が集まるようになったのです。これは、立川北側の再開発の一環でもあります。高松駅の北東には、ららぽーとも2015年秋の開業を目指して計画中です。

 立川北地域は、この店舗1つで様変わりしています。今後も、ここは大きく変貌することでしょう。ダイナミックに姿を変えていく立川は、魅力的な街へと衣替えする日も近いのです。
 
 
 

2014年4月 7日 (月)

江戸漫歩(76)お江戸深川の夜桜 -2014-

 江戸には夜桜が似合います。
 自然を背景にしにくい中で、周囲が無機質な環境ということもあり、桜をライトアップした夜桜が人の目を惹きます。
 京都の夜桜が、いかにもやらせっぽくて不自然なことと、好対照をなしています。

 深川の夜桜は、今年もいい雰囲気を醸し出しています。
 黒船橋から大横川沿いの桜並木は、雪洞に映えています。

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 川縁に枝を垂らす風情と散策路が、いつもと違う世界に引き込んでいく魅力を持っています。

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 深川のお不動さんの横には、みごとなヤエベニシダレザクラが咲き誇っています。

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 帰り道に、黒船橋の船着場から中央大橋を望みました。
 川面に映る灯りの揺らめきが幻想的です。

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2014年3月24日 (月)

江戸漫歩(75)まだ蕾の越中島の桜 -2014.3-

 今年の東京は、例年よりも寒かったように思います。
 昨年のこの時期に桜は満開でした。

「江戸漫歩(62)越中島の桜も満開です」(2013/3/23)

 あれから1年。
 朝の隅田川を散歩しても、一輪も咲いていません。
 越中島公園で昨年と同じ桜の幹を見上げました。
 まだしっかりと蕾が肩を竦めています。
 今週末には開花しそうなので、昨年よりも1週間遅れのようです。

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 紅枝垂れ桜も、昨年よりもずっと固い蕾です。

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 スカイツリーは、春を迎えるようなうっすらとした靄の中に立っています。

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 宿舎の隣のマンションの前だけは、太陽の反射によるものなのか、早咲きの桜が咲き誇っていました。

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 今年は、宿舎の管理組合が作る自治会の役員をしていました。緑化担当だったので、花好きの妻が積極的に樹木の伐採や草花の世話をし、個人花壇の割り振りや掃除などの手配もしていました。まさに、適材適所の典型です。

 宿舎の敷地に入ってすぐの小さな花壇には、いつも花が出迎えてくれるようになっていました。
 今月初旬から今日までにかけて、花がこんなに育っています。

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 春の日射しになってきたことが、花にも知らされているようです。
 この緑化委員も、あと1週間で次の方にバトンタッチとなります。
 
 
 

2014年2月23日 (日)

江戸漫歩(74)『みをつくし料理帖』の舞台を歩く

 先日書いた「読書雑記(95)高田郁『美雪晴れ―みをつくし料理帖』」(2014年2月20日)の舞台を歩いてみました。
 本の巻頭に掲載されている地図は、次のようになっています。

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 この中央部分を、今回は歩きました。

 図面の左下にある「つる家」と「俎橋」のあたりからスタートしました。
 今は、地下鉄九段下駅を上がってすぐのところです。
 緩やかな九段坂を左手に上った正面に、靖国神社の鳥居が見えます。その左が皇居です。

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 この写真中央に聳え立つビルのあたりに、『みをつくし料理帖』で主舞台となる「つる家」があったことになります。
 もちろん、架空の話です。しかし、ここに立つと、あたかもつい最近まで「つる家」があったかのような思いにさせられます。そして、澪が飛び出してくるような。

 女主人公の澪が「つる家」を出て東方向の神田神保町に向かうすぐのところに「俎橋」があります。そこを渡ったあたりから、この九段下を撮りました。

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 信号機のある高速道路の下に飯田川が流れています。そこに架かるのが「俎橋」です。
 折しも、「東京マラソン2014」が開催されているときでした。東京マラソンの警備のために交通が遮断されているので、幸いこうして道の真ん中から撮影できました。

 振り返って、神田神保町を向くと、たくさんのランナーが走っていく姿が見えます。

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 主催者の発表によると、3万6千人が走っているのだそうです。応募は30万人もあったとか。
 とにかく、蟻の大群が押し寄せるようにして、さまざまな衣装の人々が走り抜けていきます。とにかく、みなさん楽しそうです。外国人の方が多いのに驚きました。

 神田の方に道を渡れないので、飯田橋へと大回りして神田明神を目指しました。
 途中で、飯田橋から西神田へと向かう地点で、大勢のランナーと出くわしました。

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 後楽園から神田川沿いに歩いて行くと、河津桜が咲き初めたところでした。

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 湯島聖堂に立ち寄り、さらに西の昌平橋に至りました。

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 ここは、上の地図の中央右端にあたります。
 写真の上手前に黄色の総武線が走っています。その向こうに赤色の中央線が走っています。
 中央線の手前下に、昌平橋が架かっています。
 写真左端からこの道路のあたりに、源斉宅や澪の長屋があったかと思われます。
 元の「つる家」は、右手のニッポンレンタカーの手前あたりと考えたらいいのでしょうか。

 すみません。あくまでも小説の中での話です。現実の風景があまりにも違うので、イメージはすんなりとは結び付きません。しかし、こうして架空と現実を結びつけながら歩くと、それがほぼそのまま再現できる京都とはちがって、微妙にズレた別の楽しみが得られます。

 ちょうど、「神田明神下御薹所町」の町の様子が、安政3年(1856)と平成15年(2003)の地図を並べて対比できるようにした掲示板がありました。

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 こうした配慮は、楽しみながら歩く者には、ありがたいものとなります。

 この「現在地」とある地点から少し北に上がって左に曲がると、神田明神があります。
 ちょうど、結婚式が始まるところでした。
 私は、国内外を問わず、よく結婚式に出会います。2週間前のベトナムのハノイでもそうでした。

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 ここから湯島天神の手前にある「化け物稲荷」を探そうとしました。しかし、予定の時間になったこともあり、今日はここで打ち切りです。

 お江戸の家並みは、たくさんの絵図に書き残されています。
 次回はもっと下調べをしてから歩くことにします。
 
 
 

2014年2月 7日 (金)

江戸漫歩(73)大雪前夜の隅田川を行き交う屋形船

 明日の関東地方は、終日90パーセントの確立で「暴風雪」との予報が流れています。
 ちょうど明日の夕刻18時5分に、成田を出発する日本航空機でベトナム・ハノイへ行くことになっています。

 さて、無事に飛び立てるのか、運を天に任せるしかありません。
 航空各社は、早々とキャンセルの受付態勢を整えたようです。
 現地の宿泊ホテルについては、昨日キャンセルができる予約に切り替えたので、被害は最小限に留められそうです。

 それにしても、今回の旅は変更続きになりそうです。
 すでに、先月のうちに、ベトナムからタイを回って帰る日程を変更し、航空券のキャンセルをして、再度ベトナムだけの往復に切り替えました。
 明日、飛行機が飛ばないと、またキャンセルをして変更となります。
 何とも、ハラハラドキドキの慌ただしい旅となる予感がします。

 ベトナムのお正月(旧正月)を「テト」と言います。去年は2月10日〜13日、今年は1月30日〜2月3日でした。
 中国の春節は、去年は2月10日、今年は1月31日でした。
 この期間は、旅行には要注意とされています。
 まさに、この旧習が我が身に降りかかってきたようです。

 今日の夕方、隅田川を散歩しました。

 荒天前夜で空気が澄んでいるせいか、川面に映えるマンション群の灯りと、川を往き来する屋形船の灯りが、光で水玉を見せてくれていました。

 相生橋から中央区の築地の方を望むと、さすがに空が明るくなっています。

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 同じく相生橋からオリンピックの会場地を控える豊洲の方を望むと、空は薄暗く拡がっています。オリンピックが近づくと、この空もしだいに夜も明るくなることでしょう。

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 明日の雪が大事に至らないことを祈るのみです。
 
 
 

2014年1月26日 (日)

江戸漫歩(72)古石場川親水公園の鷺

 古石場川親水公園では、富岡八幡宮と深川不動尊の南を流れる大横川から水を取って、散策のできる水路を作っています。

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 地図の左上がそこです。

 ここには牡丹園があり、50種・359株のボタンが4月から5月にかけて咲き誇ります。

 ここを牡丹と言うのは、江戸末期から明治にかけて、このあたりで栽培していたことに関係するようです。
 また、古石場と言うこのあたりは、江戸時代には越中島の一部でした。その後は石置き場になったことからの命名だそうです。
 なお、この水路の先、右下にある小津橋は、映画監督の小津安二郎に由来する橋です。

 さて、大横川からの取水口にあるポンプ室の下に、一羽の鷺がいました。

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 小さいので子供なのでしょう。ただし、狭い水路で、おまけに水が汚いので、つい、賀茂川の自然の中の鷺たちと比べてしまいます。
 牡丹園と古石場橋の方を見ながら、じっとしています。

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 賀茂川の鷺たちとは顔立ちが違います。
 お江戸の鷺は小綺麗で、都会的な雰囲気を漂わせています。
 ここの鷺は、哲学的な思索に耽っています。

 京洛の鷺は、何も考えずに日がな一日立ち尽くしているか、何か食べ物を探しています。

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 この違いは、誰の目にも明らかです。
 そんな目で、東西の鷺を見比べたらおもしろそうです。
 
 

2014年1月25日 (土)

江戸漫歩(71)畠山記念館の利休展

 東京・白金台にある畠山記念館では、現在「冬季展 千少庵没後400年記念 利休とその系譜」(平成26年1月18日〜3月16日)が開催されています。

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 今年が利休の子息少庵(1546〜1614)の没後400年にあたることから、それを記念しての展覧会です。

 千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に縁のある道具類が展示されていました。
 ゆったりとした展示室なので、時間をかけて見ることができました。
 まだ、その良さはよくはわかりません。しかし、桃山から江戸時代にかけての銘品と言われる品々なので、とにかく今はお茶道具を見ることだと思い、脚を運びました。

 つい、利休の消息などは読んでしまいます。いつもと違う書写形式と字体なので、ガラスに貼り付いて文字を追うことになります。私は漢字が苦手なので、これもいい勉強になります。

 興味をお持ちの方は、ウェブで「展覧会チラシ」「出品目録」が見られますので、参考になさってください。

 なお、京都にある茶道資料館副館長の筒井紘一先生が、「利休を語る」(2月9日)と題して講演会をなさいます。この日は、ちょうど私はベトナムにいる時なので、お話をお聞きできないのが残念です。
 
 

2013年10月17日 (木)

江戸漫歩(70)宿舎の花と隅田川の鳥と舟

 大変な被害を全国各地にもたらして去って行った颱風の後は、東京の宿舎も落ち着きました。
 今年は、宿舎の自治会の緑化委員という役員をしています。
 園芸の大好きな妻は、宿舎の入口の花壇を毎日手入れしています。

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 好きだからこそできることなのだ、と毎日、花の咲き具合を見ながら通勤しています。
 それにしても、これは好きだけではできない、ということもわかってきました。
 何かと手のかかる用件や作業が、とにかくたくさんあるようです。

 近くを流れる隅田川を散歩することで、早朝の気分一新をしています。
 これは、越中島と月島を結ぶ、相生橋から豊洲を望んだところです。

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 京都の賀茂川は、歴史を遡るイメージを現前させて、遙かな想いを膨らませてくれます。
 それに対してこの隅田川は、これからの歴史というか未来の日本の発展を感じさせます。

 ユリカモメも、のんびりと朝を迎えています
 背景の橋は、佃島から銀座方面へと向かう中央大橋です。

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 運搬船も曳航されながら、今日の仕事に向かって行くようです。

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 2つの都市を往き来しながら、想いを馳せる方向の違いと、時間の流れの速度の違いを、日々実感しているところです。
 
 

2013年9月29日 (日)

江戸漫歩(69)特別展「国宝『卯花墻』と桃山の名陶」

 東京日本橋にある三井記念美術館で、「特別展 国宝『卯花墻』と桃山の名陶 ―志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部―」を見て来ました。
 場所は三越本店のまん前です。
 

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 解説には、次のように記されています。


 桃山時代後期、岐阜県・美濃地方で新しい陶器が誕生しました。志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部です。斬新な作行きが活気あふれる当時の風潮と呼応して大流行しました。この特別展では桃山茶陶の代表作とされる志野茶碗「卯花墻」(国宝)と、美濃陶の名品を一堂に展示します。
 桃山時代ならではの気風を感じていただきたいと思います。(「開催中の展覧会」より)

 桃山時代といっても、実際には慶長年間(1596年〜)から元和年間(〜1623年)という、ごく限られた間に作られた焼き物です。

 現在、支倉常長と慶長遣欧使節団派遣400周年の記念事業の一環で、来月下旬に行くスペインのことを調べていてます。
 支倉常長と慶長遣欧使節が、仙台藩主であった伊達正宗の命を受けて、慶長18年(1613)に月浦(雄勝とも)を出発しました。メキシコのアカプルコ、スペインのマドリード、そしてイタリアのバチカンを訪れ、日本に帰ってきたのが元和6年(1620)でした。
 期せずして、今回の特別展で展示されている茶器が作陶された期間にあたります。
 その意味でも、同じ時代のものとして興味をもって見ました。

 名の知られた茶碗・香合・向付などがズラリと並んでいました。
 しかし、まだ私には、その良さや価値はまったくわかりません。
 「志野茶碗 銘 卯花墻」(桃山時代・16-17世紀、三井記念美術館蔵)は、国宝に指定された和物茶碗2碗の内の一つだそうです。とはいえ、これはどこから飲むのだろう、とか、手にするとどんな感じなのだろう、とか、点てるのも大変だろうな、ということしか思い浮かびません。

 とにかく、いいものを1つでも多く見ることで、少しずつでも茶器に親しみたいと思っています。

 なお、三井と国文学研究資料館とは、三井文庫つながりで縁があります。
 三井記念美術館は、三井文庫別館が移転して平成17年に開設された美術館です。
 国文学研究資料館が立川に移転するまであった戸越公園の地は、かつて三井家の別邸でした。そこにあった、戸越公園や三井文庫が分譲され、三井文庫の書庫や建物をそのまま引き継いで国文学研究資料館(当初は文部省史料館)が建てられたのです。
 正門を入ってすぐ右にあった書庫を懐かしむ方も多いことでしょう。
 今もその面影が「文庫の森」という名前とともに残っていていることは、「続・戸越の国文学研究資料館はこうなった」(2013年08月30日)に報告されている通りです。

 その三井文庫にあった多くの写本類が、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に移されました。その和古書については、「カリフォルニア大学バークレー校旧三井文庫写本目録稿」(国文学研究資料館文献資料部『調査研究報告』5、1984年)や、『三井文庫旧蔵江戸版本書目:カリフォルニア大学バークレー校所蔵』(岡雅彦他編、ゆまに書房、1990年)によって、海を渡った写本の事などが確認できます。
 カリフォルニア大学バークレー校へは、私も2回にわたり日本の古典籍の調査で行きました。

 話があらぬ方向に飛びました。
 とにかく、三井のお宝を拝見して来ました、という報告でした。
 
 

2013年9月20日 (金)

江戸漫歩(68)選択肢が多い東京の地下鉄ルート

 南青山にあるフロラシオン青山で、総合研究大学院大学の東京開催となる教授会がありました。会場が表参道駅の近くなので、終わるとそのまま新幹線に乗って京都へ帰れるように、キャリーバッグを引き摺って出かけました。

 行きは、東西線から半蔵門線へと乗り換えました。これは、國學院大學へ行く時によく利用する経路です。

 改札を出て地上に出ると、少し汗ばむほど太陽が照り輝くいい天気でした。ただし、肌に触れる空気は秋の気配からでしょうか、さらりとしています。
 ビル同士で照り返す日の光が眩しいので、視覚的に暑く感じるのでしょう。

 会議が終わってから、地下鉄で東京駅に出ました。
 JR渋谷駅からは行きません。永田町駅と大手町駅も使いません。乗り換えなしで銀座線だけで京橋駅へ出て、そこから東京駅まで歩くことも避けました。

 今日は、国会議事堂前駅か赤坂見附駅で乗り換えるコースを選びました。しかし、いずれの経路でも、電車は東京駅の丸の内側に着きます。新幹線の八重洲口へは、延々と歩かざるをえません。これは、今の東京ではどうしようもないことです。歩かされる街なのですから。

 7年後の東京オリンピックまでに、新しい線が完成することはなさそうです。新橋から有明を通って豊洲の間を結ぶ交通システム(自動運行のバス)の「ゆりかもめ」は、競技会場への足の便を考えて、もう少し延長されるかもしれませんが。

 とにかく、東京の交通機関は歩くことを覚悟していないと、スムーズに移動できません。
 今日はキャリーバッグを引いています。できる限り地上に出ずに、軽快にコロコロとバッグを引っ張って行けるルートを思案しました。

 その結果、銀座線と丸ノ内線を使うことにしました。他には、千代田線や半蔵門線も使えます。しかし、乗り換えが楽な線を思い浮かべると、この、昔からよく利用した線に落ち着いたのです。
 迷ったら、勝手知ったる学生時代の電車に頼る、というこになっただけですが。

 京都に着いた頃は、満月が煌々と照っていました。
 
 

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 昨夜の隅田川から見た月よりも、今夜、比叡山の右上に出た月の方が、輪郭がはっきりとしているように思えます。海辺と山際の違いなのか、空気の違いなのか、いずれにしても東西の名月を見ることができました。
 
 
 

2013年9月19日 (木)

江戸漫歩(67)隅田川から観る仲秋の名月

 台風一過、今年の仲秋の名月は、みごとな満月として中天に輝いていました。
 ベランダで観るだけではもったいないので、すぐそばを流れる隅田川まで行ってみました。

 宿舎を出て裏庭の方を見ると、建物の壁に光を反射させて照り輝いています。
 

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 隅田川の川縁に出ると、月は高く上がっていました。宿舎の向かいの東京海洋大学南側に係留されている、重要文化財で明治7年に造られた3本マストの船「明治丸」の右上に、まん丸い月が上がっています。
 今年の名月は、先頃決まった7年後の東京オリンピックで選手村となる、豊洲・有明地区を天空から照らしています。
 豊洲のマンション群に住む人々も、今頃はこの真上に置かれた満月を、ただ無心に見上げておられることでしょう。
 

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 天変地異の烈しかったこの夏も、もう秋の気配となっています。
 今年の紅葉のことが気になり出しました。きれいに色付いてほしいものです。

 四季が崩れ、日本的な季節感が失われつつある今、今夜の満月は日本古来の月明かりを思い出させてくれました。
 大都会のマンション群を背景にしてであっても、この四季の移ろいには、目と肌で敏感に受け止めたいと思います。
 
 
 

2013年9月 7日 (土)

江戸漫歩(66)畠山記念館で即翁の朝茶事展

 京都では今日、千少庵(千家二代目、1546〜1614年)の400年忌法要が、大徳寺の聚光院で執り行われたようです。茶道の三千家が合同で営む法要だとのことです。
 少庵は、利休のわび茶を継承し、息子の宗旦に伝えたとされています。

 それに合わせたのではないのですが、東京の白金台にある畠山記念館で開催中の「涼をもとめて —畠山即翁の朝茶事—」に行ってきました。
 
 
 
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 2年前の秋に、「初めてのお茶事に行って」(2011/10/29)という記事で、茶事というものの初体験を記しました。京都の岩倉で、秋の夕方からの茶事でした。

 何でも体験しようという気持ちから、身の程知らずにも飛び込んだのです。やはり、話に聞くだけではわからないことが、実際にその場に身を置くと感ずるものがたくさんありました。貴重な体験でした。些末なことで言えば、袴の扱いに困惑したことなどに始まり、今でもその時の様子を思い出すことがあります。

 今回の展示は、夏の朝の茶事です。しかも、畠山即翁(1881〜1971)が昭和13年7月21日に、上野にある不忍池弁天堂で実際に開催した朝茶事の再現とのことなので、楽しみにして行ったのです。

 茶会記による茶事の再現は、伊井春樹先生が館長をなさっている逸翁美術館で拝見したことがあります。今回も、その時に使われたと思われる道具が展示されていました。
 食事は写真でした。しかし、器がその時のもので、振る舞われた食事をイメージするのに支障はありませんでした。

 即翁自筆の茶会記を目で追っていっても、まったく飽きませんでした。
 この日に呼ばれた方々は、どのようにして参加されたのだろうか、と想像して楽しむこともできました。お茶に関する興味が持続しているせいか、少しは成長したのかもしれません。
 ただし、私は漢字を読むのが苦手なので、特徴的な崩し字に立ち止まることが何度もありました。

 また機会があれば、こうしたものを見て目慣らしをしたいと思っています。
 
 
 

2013年7月 7日 (日)

江戸漫歩(65)アークヒルズで昼食後に桜坂散策

 急に暑くなりました。
 東京の宿舎にはエアコンがないので、暑気払いがてら六本木へ出かけました。
 宿舎から30分ほどで溜池山王駅に行けます。駅からすぐのアーク森ビルに入っている、ANAインターコンチネンタルホテルが目的地です。

 六本木通りに面した坂道に「桜坂」の標識がありました。都内には、坂が多いので、坂巡りも楽しめます。この「桜坂」は福山雅治の歌の坂だったかな、などと妻としゃべりながら、日射しを避けて小走りにホテルに入りました。
 
 
 
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 中に入ると、開放感に溢れた、いかにも涼しそうな空間が目に飛び込んで来ます。
 写真右端のガラスに貼り付いて流る落ちる水が、見た目にも清涼感を盛り上げています。
 
 
 
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 最初は、フランス料理やイタリア料理を考えていました。糖質制限の食事が簡単に食べられるからです。しかし、結局はさっぱりと日本料理となりました。
 入った「雲海」は、七夕とおしゃれな手水が出迎えてくれます。戸外の日本庭園は、四季を考えた植栽となっています。
 
 
 

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 私は月定食を、妻は松花堂弁当をお願いしました。
 私の食事は、口取り、季節の造り4種、煮物、黒毛和牛冷しゃぶサラダ、穴子茶碗蒸し、ご飯、香の物、赤出汁、水菓子(アイスクリーム)、コーヒーでした。
 
 
 
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 ご飯とアイスクリーム以外は、すべて糖質制限食と言ってもいいものです。
 赤出しが濃くて重かったので、申し訳ないのですが残しました。穴子の茶碗蒸しは、お腹が一杯になったこともあり、そのまま妻に渡しました。鱧が入っていたら、無理をしてでもいただいたのですが。甘く漬けて揚げた梅と、デザートのアイスクリームは、糖質が高そうなのでパスして、これも妻に。

 関東では、なかなか鱧がたべられません。祇園祭を控えた関西では、至るところで鱧が手に入ります。しかし関東では、あっても高い上に、身が固くて味が雑です。高級料亭はいざしらず、庶民の夏の食材としての鱧は、この東京では諦めざるを得ません。

 いつものように1時間以上をかけてゆっくりと食べました。。特に外食はお腹が痛くなるので要注意です。初めはいつもよりもスロースタートだったことがよかったのか、最後までほとんどを食べました。

 この贅沢さで5千円以下なので大満足です。もっとも、京都では、ランチは千円を目安に食べ歩いています。東京の中心地で避暑を兼ねての食事なので、今日は特別の贅沢な日なのです。というよりも実は、先月あまりにも忙しかったのでできなかった、妻の誕生日と母の日と父の日をすべて兼ねての、お互いの慰労の食事なのです。さらには、先月、娘夫婦がお祝いにANAのチケットをくれたことも、こんな贅沢ができる背景にあります。子どもたちに感謝をしての食事となりました。

 食後は、アークヒルズ(桜坂〜スペイン坂)周辺を散策しました。
 
 
 
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 福山雅治の「桜坂」はここだったかな、などと話しながらの日陰を選っての散歩でした。しかし、帰ってから確認したところ、歌の「桜坂」は大田区田園調布本町にある坂だとのこと。勝手に思い込んでの桜坂散策も、結構楽しく喋りながら歩けたので、いい日曜日の午後となりました。

 宿舎に帰ってからしばらくすると、突然に雷が鳴り響き、やがて路面を叩くほどの大雨となりました。15分もするとカラリと上がり、ベランダから庭越しに海洋大学の方を見やると、2本の虹がくっきりと浮かび上がっていました。
 
 
 
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 一気に気温が下がり、風も心地よくなってきたので、近所のホームセンターへ壁掛けタイプの扇風機を買いに行きました。昨年まで使っていたものが年数も経っていたので、モーターが火を噴き上げないうちに買い換えることにしたのです。

 今年も、3台の扇風機でこの夏を過ごすことになります。この今の宿舎は、思いの外に隅田川からの風が通ります。恩師である伊井春樹先生も、私の部屋がある隣の階段の同じ並びに、10年間いらっしゃったのです。エアコンをお持ちだったかどうかは、今度また聞いておきます。
 この深川に来て6年。それまでの8年間は、横浜市の金沢文庫にある宿舎でした。そこでも、八景島シーパラダイスの方からの海風が心地よくて、夏には風が通ることもあってエアコンのいらない日々でした。

 そんなこんなの東京暮らしなので、14年目の今も扇風機だけを頼りにした生活をしています。
 最近は、年配者がエアコンを節約するあまりに室内で熱中症になるニュースを見掛けます。これには注意をしながらも、無理のない自然体の夏を、今年も迎えているところです。
 
 
 

2013年5月22日 (水)

江戸漫歩(64)新宿の岐阜屋で鋭気を養う

 これまでに何度か書いた、新宿の思い出横丁にある岐阜屋に行きました。

「江戸漫歩(57)新宿西口ガード脇の岐阜屋で」(2012年10月17日)
 
 
 
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 この私にとって馴染みのお店で、向暑に備えて妻と鋭気を養ってきました。

 ここは、学生時代からよく来る飲み屋さんです。かれこれ40年になります。店の佇まいも雰囲気もまったく変わりません。変わったことと言えば、あの頃おられた白い帽子を被った小さなおぢちゃんの姿が、今はもうないことです。

 今日は、行くと必ずと言っていいほど一人でおられる、笠智衆さんにそっくりのダンディーな方の姿が、入口近くに見えなかったのが残念でした。この次を楽しみにしましょう。ゆったりと、そして穏やかな顔で飲んでおられる姿は、気品すら感じます。千葉からお出でになっていたので、今日はもう少し遅くにいらっしゃるのでしょうか。

 私は、モツ煮、レバいため、餃子、トマトと焼酎のお湯割りをいただきました。いつもよりもサッパリしていたので、私にはピッタリの味付けです。

 お客さんは、会社帰りで一人の方が多いようです。女性は、あまり見かけません。時々、海外の方が大挙してカウンターを占拠しておられます。
 お腹いっぱいになって、それで千円少々です。ここで飲んだ帰りは、少しほろ酔いの千鳥足となり、満ち足りた気分になるのです。

 これも懐古趣味だと言われそうですが、とにかく私にとっては居心地のいいお店なのです。
 
 
 

2013年4月20日 (土)

江戸漫歩(63)西麻布の江戸風居酒屋「権八」

 西麻布の交差点角にあった、おもしろい建物で食事をしました。たまたま通り掛かって入ったお店です。
 
 
 
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 入口は蔵に入る、という趣です。
 
 
 

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 いかにもお江戸、という雰囲気の居酒屋のその蔵の中は、1階と2階が吹き抜けの巨大な空間となっていました。
 
 
 
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 お店の方は、インターナショナルです。しかし、日本語はごく自然に話しておられます。
 BGMは、三味線と尺八が流れています。ボリュームが少し高すぎます。京風の雰囲気に慣れているので、耳障りに感じました。

 海外からのお客さんが多いようです。和風を強調しているので、日本の方はくどく感じるかもしれません。私も、最初は海外の日本料理屋さんに入った気分でした。それでも、次第に慣れてくると、誰かを連れてきたくなるので不思議です。

 ここのお店の名前は、歌舞伎に登場する「白井(平井)権八」に由来するそうです。幡随院長兵衛に「お若えの……」と問われ、権八が「待てとお止めなされしは……」と応える台詞は有名です。ただし、鈴ケ森の刑場を連想してしまうので、辻斬りの権八に私はあまりいい印象はもっていません。

 それはさておき、「石焼うなぎめし」を注文しました。熱くてホクホクしていました。ただし、ベタベタしてしつこかったので、私の好みではありません。半分は妻に渡しました。
 それでもお薦めするのは、サラダや飲み物がバイキング形式で自由にいただけたからです。血糖値を気にする私には、このサラダバーがあると安心です。これがサービスで無料なので、なかなか良心的です。お寿司屋さんも、野菜サラダを用意しておいてほしいものです。
 さらには、果物とヨーグルトとコーヒーを2杯もいただきました。
 ランチだったので、お代は千円でした。これは非常にお得感がある食事となりました。

 場所と建物の雰囲気からすると、夜は高そうです。しかし、メニューを見た限りでは意外とそうでもないのです。
 機会があれば夜にまた来たいと思います。
 
 
 

2013年3月23日 (土)

江戸漫歩(62)越中島の桜も満開です

 宿舎のすぐ傍を流れる隅田川沿いに、越中島公園があります。
 そこの桜もみごとです。
 
 
 
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 特に、大島桜は緑の葉が桃色に映えて、柔らかな色を見せてくれます。
 この桜は伊豆大島に由来するものなのでしょうか。賀茂川ではあまり見かけません。
 川向こうに、中央大橋が見えています。
 
 
 
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 紅枝垂れ桜は、まだ蕾です。これから開花するのが楽しみです。
 
 
 
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 黒船橋を流れる大横川の川面に、低くもたれかかるように枝を広げる桜も、いい雰囲気です。
 
 
 
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 東京の桜は、今週末が見ごろとなります。
 そして、今度京都に帰ると、引き続き京の桜を楽しめます。
 今年は例年よりも開花が早いこともあり、4月までに見納めとなりそうです。

 入学式の頃には桜が満開、という日本の風物詩も、今年は変則的な花見となることでしょう。
 
 
 

2013年3月22日 (金)

江戸漫歩(61)江戸川船堀の桜並木と銭湯

 地下鉄都営新宿線の船堀駅を降りてすぐの団地の中に、みごとな桜並木がありました。
 横のマンションの陰になっていて、通りかかっても気づきにくいところです。
 団地とマンションに挟まれた所で、風情はまったくありません。しかし、きれいな桜通りとなっています。
 東京の街中には、こうした無造作な形で桜が咲いているところが多いようです。まわりの景色とは無関係に、とにかく桜が咲いているのです。
 京都のように、風情とか景観などとは関係なく、とにかく桜がきれいに咲いている所、というありようです。
 
 
 
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 そこから少し南に下ると、「鶴の湯」という銭湯があります。
 荒川の傍の住宅街の中です。唐破風の屋根が目印です。
 
 
 
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 露天風呂の黒いお湯が印象的です。敷地内の地下152メートルから湧出する、源泉(18.5度)の薄い茶褐色の鉱泉を加熱しています。それを100%掛け流しにした露天風呂が、特に気に入りました。空が見えてのんびりします。
 中には、黒湯を加熱した浴槽があります。これは、私には少し熱すぎました。

 その奥にあった電気風呂に、少し身体を沈めました。これは、あまり痺れ感が強くなかったのです。

 小さい頃、私が小学6年生の時のことです。大阪八尾の高安にいた頃、よく父に連れられて行ったお風呂屋さんには、電気風呂がありました。ビリビリ感が心地よく、行くのが楽しみでした。
 しかし、18歳の時に胃を3分の2切除した際、体内に金属のホッチキスを数十個埋め込まれてからというもの、身体がこの電気風呂を受け付けなくなりました。

 それ以来のチャレンジだったので、43年振りの電気風呂体験です。微弱な電流だったので、ほとんどビリビリ感はありません。少し手を広げて電極に近づけると、ビリッと来る程度でした。これなら、私のように体内に金属が入っている身体でも大丈夫です。

 この銭湯は江戸時代の創業で、現在のご主人は10代目だそうです。
 来ている方も、地元のおじさんたちばかりで、いかにも江戸のお風呂屋さんという感じがしました。

 帰りには身体が火照ってきて、しだいに怠くなりました。黒湯が効いてきたようです。
 450円で、こんなにホカホカ気分が味わえるのです。

 
 
 

2013年3月21日 (木)

江戸漫歩(60)隅田川や立川の桜はもう八分咲き

 昨夜のバスで京都を発ち、今朝は隅田川をそぞろに歩きながら、その光景の違いに驚きました。
 昨日のブログでは、賀茂川の桜は開花までにはまだ刻が必要だ、と書きました。ところが、一夜明けて東京に来てみると、なんと八分咲きなのです。明日にでも満開となり、来週は散るのでは、という勢いです。そんなに急がなくても、とハラハラします。

 まずは、隅田川から東京スカイツリーを望んだ様子です。
 
 
 
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 右手にヒョッコリと突き出ているのが東京スカイツリーで、その左側の隅田川に永代橋が架かってます。
 前景の佃島に近い石川島のプロムナードでは、桜が咲き誇っているのです。

 次の写真の右手に、隅田川に架かる相生橋の川向こう左に、少し低い5階建ての集合住宅が見えます。これが、私が入っている宿舎です。10階建てのマンション群に挟まれて、申し訳なさそうに建っています。
 私が入っている部屋の隣の階段の同じ階には、恩師である伊井春樹先生がかつて入っておられました。40年近くも前のことですが。
 先生も、このあたりの桜をご覧になっていたそうです。
 
 
 
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 この川向こうの川沿いも、桜がみごとな公園となっています。
 この場所を確認するために、川縁にあった地図を添えておきます。
 
 
 
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 さらに北東に足を伸ばし、門前仲町駅の手前の黒船橋のたもとの桜も、みごとな姿を見せてくれていました。
 左奥に飛び出しているのが、中央大橋のワイヤーを支えるモダンなポストです。
 
 
 
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 都心から1時間半の所にある、立川の国営昭和記念公園の北側でも、通りに覆い被さるように桜が咲いていました。
 
 
 
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 職場の横の通りにも、桜が元気よく咲いていました。
 
 
 
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 写真右側の白い建物2棟に、国立極地研究所と統計数理研究所、そして国文学研究資料館の3つの機関が入っています。まったく異質な組織が一緒の庁舎に入っているので、足を運んで来られる利用者の方々の興味と関心はさまざまです。ついでに隣の機関をのぞいて、というわけには行かないのが難点でしょうか。

 極地研のペンギンさんを見に来た子どもたちに、ぜひ日本の古典籍にも接してもらおうと、エントランスホールには江戸時代の版本を直接触ってもらえるように何冊も無造作を装って置いてあります。一人でも多くの方が、和本を自分の手で触り、ページを繰ることで、和古書への興味につながっていけばいいと思っての仕掛けです。

 今朝、東京に来て、まず最初に涙が止まらなくなりました。私は軽い花粉症になることがあります。今年は何ともなく過ごせると安心していたら、突然目を襲われました。黄砂やPM2.5も、気流の関係で、関西よりも関東の方に先にくるそうです。この涙は、それなのでしょう。
 明日からは、桜見物を楽しむためにも、しっかりと対策をして出かけることにします。
 
 
 

2013年3月14日 (木)

江戸漫歩(59)電車が止まる強風下の東京で

 どうなっているのか、とにかく最近の天候は極端です。
 先日来、寒暖の差の激しいことに戸惑っています。
 コートの要らない日だったかと思えば、翌日はしっかりと着込んで通勤電車に乗りました。

 花粉の飛散に加えて、黄砂やPM2.5に留まらず、北関東からは砂嵐まで襲ってきました。
 いつもは宿舎から外に出ると、隅田川の散策路から永代橋越しにスカイツリーが見えます。しかし、一昨日は突如発生した砂嵐のせいで、淀んだ空気の中でかすかな姿が認められる程度でした。

 今日は、折からの強風のために、出勤途中だった国立駅あたりで、中央線の電車が止まりました。今日の通勤は、2時間半もかかりました。いつもよりも30分以上余計にかかりました。東京から京都へ、新幹線で帰れる時間です。

 帰りは、会議が連続だったので疲れたこともあり、いつものように歩くのではなくてモノレールで立川駅に出るつもりでした。しかし、外に出てその風の強さが半端ではなかったので、モノレールに乗るのは避けました。一本の柱を跨ぐようにして走るモノレールが、この強風で無事に走れるとは思えなかったのです。

 身の安全を考えて、歩いて立川駅に向かいました。しかし、身体にまともにぶつかってくる風の強さに、恐怖心すら抱きました。風の音が凄かったのに加えて、街路樹や工事中のフェンスの揺れが、いやでも目に飛び込んできます。

 突風でフェンスが倒れたり、看板などが飛んでこないか、あたりを見回しながらの行軍というありさまです。
 ソロリソロリと駅に向かって歩きました。いつもは20分ほどの徒歩のところを、風に逆らいながら倍の40分をかけて立川駅に辿り着きました。

 中央線の東京行きに乗りました。やはり、徐行などがあり、大幅に遅れています。そして、東京行きのはずの電車が、立川駅を出るやいなや、新宿止まりに変更するとの車内放送がありました。

 中野駅で乗り換えて、地下鉄東西線に乗りました。最初の表示は津田沼行きだったのに、走り出してから西船橋行きに変更する、とのことでした。総武線が止まっているためだとか。いくつかの駅で、時間調整という理由でしばらく止まっていました。

 何とか宿舎には、無事に着きました。帰りは3時間の小旅行でした。
 災害や被害にあわなかったのは幸いでした。時間がかかっただけでよかった、と思っています。
 ニュースによると、都内では風速27メートル以上だったとか。納得できる風の威力を感じました。

 それにしても、なにやら日常生活に自然界の変な出来事が割り込んで来ている日々です。
 小さな地震も、このところ続いています。
 京都にいる時には感じない、言うに言えない不安な気配が、今の東京の生活には混在しています。

 縁起でもないことは考えないことにしています。
 それでも、何かあったらという心構えは、常にするようにしています。そして、準備もしています。
 具体的には、妻と息子の携帯端末iPhoneで、「友達を探す」というアプリを活用して、お互いが今どこにいるのかを表示できるようにしているのです。何かあったときに、家族が今どこにいるのかがわかると、合流を含めて最善の連絡を取り合えるからです。

 そこまでして、とも思います。しかし、それが現実味を増して実感させられる状況を痛感する日々なので、これも自衛処置だと思っています。
 桜の開花も早まっているそうです。隅田川の桜と、賀茂川の桜は、今年はどうでしょうか。
 それを今から、ささやかな楽しみにしているところです。
 
 
 

2013年1月21日 (月)

江戸漫歩(59)日比谷公園の松本楼と花と鷺

 日比谷公園には、これまで行ったことがないように思います。帝国ホテルの中にある人間ドックに一泊二日で入った時にも、すぐ目と鼻の先の日比谷公園に行きませんでした。いつでも行ける、というか、ありまにも有名すぎて、あらためてわざわざ行くことがなかった、というところでしょうか。

 今日はポカポカと暖かい休日でした。散歩がてら日比谷公園へ、妻と自転車で出かけました。

 宿舎を出て直進して勝鬨橋の手前で1度曲がると、後は真っ直ぐ行くと日比谷公園にぶつかります。20分ほどでしょうか。
 銀座4丁目の和光(旧服部時計店)を通過する時に、ちょうど正午になりました。これを合図に、この一帯は日曜日には歩行者天国となります。人が車道に拡がりだしたところに出くわしました。
 
 
 
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 帝国ホテルの前から日比谷公園に入りました。そして一周。1度来たことがあるようなないような。記憶には刻み込まれていない所であることは確かです。

 有名な森のレストラン「松本楼」があることは知っていました。せっかくなので、グリルでランチをいただくことにしました。2階の仏蘭西料理の「ボア・ド・ブローニュ」は、我々には贅沢すぎるのでパスです。
 私はスペシャルランチをいただきました。最初にニンジンを一口食べて、その上品な味付けに満足しました。ゆったりと食事ができました。

 外に出ると、松本楼の入口に、サントリーが最近力を入れているという、サントリーフラワーズの「セネッティ」がみごとに咲いていました。
 
 
 
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 鮮やかな色のセネッティは、冬と春に2度も咲くのだそうです。冬にこうした花が咲いていると、まわりも明るい雰囲気になります。

 帰りに、心字池に一羽の鷺が休んでいました。岩の間には、まだ先日の雪が残っています。
 
 
 
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 賀茂川の鷺たちよりも、孤高の佇まいを感じさせてくれます。都会的とでも言うのでしょうか。紳士と言った方がいいのかもしれません。
 仲間は、すぐ横の皇居のお堀にいるのでしょうか。
 もちろん、隅田川の鷺とも、醸し出す雰囲気が違います。鷺が突っ立っているだけなのに、場所場所によって異なる印象を持つのは、どうしてでしょうか。おもしろいものです。
 
 
 

2012年10月20日 (土)

江戸漫歩(58)武蔵小山温泉「清水湯」

 東急目黒線の武蔵小山駅からすぐの所に、天然温泉がありました。目黒からすぐなので、山手線の外側とはいえ都心です。

 ここは、初めて来た駅です。賑やかな商店街を抜けると、5分もかかりません。それにしても、便利な場所です。しかも、入泉料が450円なので驚きです。まさに、銭湯感覚で温泉に入れるのです。
 
 
 
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 温泉は、黄金の湯と黒湯の2つがありました。有馬温泉の金泉銀泉を思い出しました。湯船は小さいながらも、2つとも露天風呂があります。

「武蔵小山温泉「清水湯」」

 行ったのが仕事帰りのため、夜7時過ぎだったこともあり満員でした。
 子どもが何人もいました。狭い湯船の中で、大人との隙間にチョコンと挟まれるように浸かっている姿は、何とも可愛いものです。小さい頃からこうして大人と一緒に入っていると、成長にプラスになるはずです。自宅の内風呂で、孤独に殿様気分を満喫するのとは違います。こうして、赤の他人と一緒に湯に入っていると、いい社会勉強になることでしょう。
 
 ホクホクした身体で駅前に出ると、至る所に立ち飲み屋が林立していました。ほとんどが若者たちで、女性もたくさん混じっています。その内の一軒に入りました。
 商店街を行き交う人も若い人が多いようです。活気のある街でした。
 
 
 

2012年10月17日 (水)

江戸漫歩(57)新宿西口ガード脇の岐阜屋で

 私が東京で一番好きな飲み屋さんは、何と言っても、新宿西口ガード脇にある岐阜屋さんです。思い出横町にあると言えば、あーっ あそこ!!、と思い至る方も多いと思います。

 この店は、「新宿の飲み屋さん街で知り合う人たち」(2012年6月27日)に書いた通りです。

 学生時代から行っている店なので、かれこれ40年になります。
 今日は久し振りに妻と待ち合わせて行きました。この前は、自治大学に内地留学をしていた婿殿と来ました。その前は妻と、さらにその前は息子と来ました。いつ来ても、楽しくて美味しいお酒をいただけます。

 今日も、千葉から通っておられる笠知衆にそっくりの方がいらっしゃいました。私を、学生時代の英語の先生とそっくりだ、とおっしゃっていた方です。きょうも、おしゃれなシャツを着ておられました。
 この方の穏やかで温和な笑顔を見ると、疲れが吹き飛びます。
 私もこんな年の取り方をしたいものです。

 ここは、いつもの常連さんがたくさんおられます。お店の雰囲気は、40年経っても何も変わっていません。

 こんな場所が新宿にあるということが、まさに奇跡です。
 また、折々にこの店に来たいと思います。
 
 
 

2012年5月23日 (水)

江戸漫歩(56)佃テラスから見るスカイツリーと業平橋駅

 昨日5月22日に東京スカイツリーがオープンしました。
 全国的にニュースで広く取り上げられたので、多くの人の知るところとなりました。
 東京タワーに次いで、次世代の東京のランドマークとしてスタートしたことになります。

 私がいる宿舎の近くからも、これが見られます。
 隅田川沿いに歩いて佃島あたりに行くと、川越しに見えます。

 今春3月20日に、石川島公園の中にあるパリ広場に、佃テラスというものができました。
 
 
 
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 これは川俣正氏の作品で、「東京インプログレス─隅田川からの眺め」というプロジェクトの一環として、変遷する都市東京の過去と未来について考え、また定点観測のために建設されたものです。
 第1作は、荒川区の「汐入タワー」で、この「佃テラス」は第2作目だそうです。

 このテラスに立って、スカイツリーを撮影しました。
 
 
 
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 目を川下に転ずると、中央大橋から東京タワーの方角(写真の左外)が遠望できます。
 
 
 
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 このスカイツリーの近くにあった東武鉄道伊勢崎線の「業平橋駅」は、今回を機に「とうきょうスカイツリー駅」(東武スカイツリーライン)と名称が変わりました。ただし、これまでのこともあり、「旧業平橋」と併記されています。

 また、バス停の名前も変更になっています。

・駅前にあった「業平橋駅前」は「とうきょうスカイツリー駅前」に変更
・浅草通り側にあった「業平橋」は「とうきょうスカイツリー駅入口(業平橋)」に変更
・駅から西側に「東京スカイツリー前」

 つまり、鉄道もバスも「業平橋」という名前は併記か廃止となりました。

 『伊勢物語』の「東下り」の段でよく知られる地名が、今回このような扱いを受けたことは、仕方のないところでしょうか。業平は都人なので、東京には特に縁があるわけではないのですから。
 地名等は変遷するものです。しかし、古典に親しんでいる者の一人としては、もったいない気がします。私なら「なりひらスカイツリー駅」にしたいところです。

 駅名の変遷を確認してみました。


・明治35年=吾妻橋駅
・明治43年=浅草駅
・明治43年=東京鉄道業平線
・昭和6年=業平橋駅
・平成24年=とうきょうスカイツリー駅(旧業平橋)

 また、駅南側の交差点の名前も、「業平駅」→「業平橋駅」→「とうきょうスカイツリー駅」と移り変わりました。

 思い立って、先ほど散策がてら隅田川沿いの石川島公園からライトアップされたスカイツリーを望みました。
 
 
 
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 色がやや不自然かと思われますが、それでも折々に目を楽しませてくれそうです。
 このタワーの下も活気が出ることでしょう。それも、今後が楽しみです。
 
 
 

2012年4月22日 (日)

江戸漫歩(55)板橋区立美術館の狩野家展

 板橋区立美術館で開催されている「奥絵師・木挽町狩野家 〜お殿さまに仕えた絵師たちの250年〜」を見に行きました。
 地下鉄有楽町線の西高島平駅を降りて15分も歩くと、「不便でゴメンね」という幟が目に飛び込んできます。
 
 
 

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 歩いて15分もかからないので、そんなに遠いとは思いません。しかし、住宅街を横目に歩くので、単調な道でした。この美術館には、地域をはじめとする来館者を思いやる気持ちが、館内の至る所で感じられました。特に、展示物の説明文を読んでいると伝わってきます。ただし、少し煩わしくて余計なお節介と感じる方もいらっしゃることでしょう。私がそうだったので。地域の小学生や中学生を強く意識した対応だと思いました。

 まず受付の前に、写真を撮っていいというパネルが目に付きます。
 早速、そのパネルを撮影させていただきました。
 
 
 

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 海外の公共施設を意識しているのでしょうか。これはいいことだと思います。後で思い出したり、人に話をするときに、展示会場での写真があると便利です。特に、この美術館は自分のところで所蔵する作品を展示しているのです。公費で購入したり寄贈や寄託を受けている作品なので、その点では自由に使えます。
 また、展示されているものをその場で撮影しても、商業利用に使えるほどいい写真は撮れません。その意味でも、来館者のためのこの割り切りには好感を持ちました。

 さて、江戸幕府に仕えた御用絵師である狩野家は、中橋・鍛冶橋・木挽町・浜町の四家に分かれます。将軍にお目見えできる奥絵師といわれる最高の家柄です。その中でも、木挽町狩野家の作品を中心とした作品群が「〜お殿さまに仕えた絵師たちの250年〜」というテーマで展示されていたのです。
 そんな内容が、壁面に掲示されていた説明板にうまくまとめてあったのでアップします。

 私のブログでは、掲載する画像はいつも120キロバイト以内に縮小してアップしています。そのため、文字を読むには難しい解像度です。少し拡大していただくと、どうにか読める程度となっています。あしからず。
 
 
 

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 また、狩野派の絵の修行の様子も説明されていたので、これも説明板をアップします。
 橋本雅邦の「木挽町画所」(『國華』第3号、明治22年)をもとにした略説で、粉本とか模本といわれるものの意義や役割がよくわかる説明です。「学ぶ」の語源である「真似ぶ」ということの大切さを、再認識させられます。
 
 
 

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 木挽町狩野家は、狩野探幽の弟の尚信に始まります。この流れについても、説明板をあげます。
 
 
 

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 また、東京駅に隣接する中央区にちらばっている狩野家の所在場所を示す地図も、今の場所と対比すると参考になります。
 
 
 

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 展示室の一角に「お座敷コーナー」があり、本物の屏風を座布団に座ってじっくりと見ることができます。これは、なかなかのアイデアです。私も初めてこのような見方をしました。目の高さといい距離といい、実際に部屋に置かれている屏風を見る雰囲気で拝見することができました。

 今回この美術館に初めて来て、各絵に添えてある説明文の馴れ馴れしさが気になりました。子供に語りかけるような語尾には、大人の方は馴染めないかもしれません。少なくとも私は、違和感を感じました。初学者にわかってもらおうという親しみからの意図であることはよく理解できます。しかし、これはやりすぎかな、とも思いました。せめて、普段の会話口調での語尾は、もう少し工夫がなされてもいいのではないでしょうか。親しみはいいのですが、もっときれいな日本語にしてほしいな、と思いました。
 また、絵に添えられた作品名が新しい感覚で命名されていることも、私は気になりました。
 狩野探幽の「富士山図屏風」には「いい眺めだなあ」というタイトルが付いていました。狩野安信の「人物花鳥画帖」には「こんな絵も描けますヨ!」、狩野養信の「勿来関図」には「桜よ、散らないでおくれ」、狩野寿信の「徒然草図屏風」には「人生イロイロ」という調子です。
 これは、好みの問題であり、ご覧になった方々の反応が知りたいところです。

 それはともかく、橋区立美術館が所蔵する木挽町狩野家のコレクションは、見応えのあるものでした。図録が品切れだったので、何かの機会にこの美術館の絵を通覧したいと思います。
 入場料が無料というのも含めて、今お薦めする展覧会の一つです。
 
 
 

2012年4月15日 (日)

江戸漫歩(54)隅田川の桜祭りと夕焼け

 隅田川の支流である大横川のソメイヨシノも、もう今日が見納めの葉桜となっています。
 その川面を手漕ぎの花見船が行き交います。
 黒船橋から石島橋を望むと、「お江戸深川さくらまつり」が催され、出店で賑わっていました。
 この橋の左手の永代通りを渡ると、深川不動堂があります。
 
 
 
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 昨日の雨と寒さが一転して、気持ちのいい一日となりました。
 越中島公園から隅田川の河口を眺めると、満開の枝垂れ桜越しに中央大橋が望めます。
 川を往き来する屋形船は、満員の盛況です。
 
 
 
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 この公園の桜並木の八重桜は、これから蕾を開かせようとしています。

 夕方の散策では、聳え立つマンション群に挟まれた中央大橋の背後に目がいきました。微妙な色が織りなす画布に、夕焼けが描かれているかのような、不思議な光の絵が出現しました。
 
 
 
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 京都の賀茂川とはまったく違う、これも日本の風景となっています。
 少し遅れてやってきた桜の季節も、これから新緑の候へと移っていきます。
 異常気象と言われながらも忘れずにやって来た四季折々の風が、こうした光景を守り伝えているのです。
 この景色を見ながら、新年度がスタートしたのだという気持ちを新たにしました。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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