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2017年2月15日 (水)

自分なりの物差しを大切にすること

 4月からの新生活に向けて思っていることを、気ままに記します。

 他人の物差しで見られ、評価されることに、あまり神経質にならなくてもいいようです。
 人それぞれに自分なりの物差しを持っています。
 自分以外の物差しで、自分という人間をどれだけ計れるのか、大いに疑問です。
 常識という物差しに合わせることは、自分らしさを引き込めることにつながります。
 このように考えると、おのずと自分の行動に自信と信念が持てます。
 また、自分らしさや自分のよさが、しだいに見えてきます。
 独りよがりではなく、我が道を見つめ、探し求めることが重要です。
 自分が理解されないことを、むやみに嘆く必要もないのです。
 相手の物差しに合わそうとする必要もありません。
 自分なりの物差しを自覚することが大事です。
 こうした考え方は、自分自身では意識しないで来ました。
 自分なりの生き様の中で、自然に形成したものだと思われます。
 この歳になり、あらためての始発にあたり、こんなことを思っています。
 
 
 

2017年2月 3日 (金)

新幹線の車中で政局放談をするおじさん

 昨日の京都の早朝は、小雪が舞っていました。始発の新幹線は、米原を出て関ヶ原あたりにさしかかると白銀の世界でした。

 快晴で暖かい東京に着くと、九段坂病院で朝一番の診察を受け、立川に向かいました。新幹線の車窓から見た景色が嘘のようです。
 一仕事をしてから夕刻に日比谷へ向かう時も、コートがなくてもいいほどでした。

 日比谷図書文化館であった小一時間の打ち合わせは、スタッフのみなさまのきめ細やかなご配慮のおかげで、すべて順調にまとまりました。
 その後の古写本『源氏物語』を読む集まりで、心配していただいていた4月以降のことで、継続できることになったという報告をしました。受講生のみなさまには、この件では昨年より背中を強く押していただいていました。ありがたいことです。古文書塾「てらこや」の関係者の方々のご高配にも感謝しています。

 東京で一晩ぐっすりと寝て、また新幹線で帰洛の途につきました。富士山が「身体を大事にしなさいよ」と言ってくれているようです。


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 今新幹線では、おじさんと若者の2人連れが、途中駅で降りて行かれました。
 出口のドアに進んでから、おじさんは、
 「どうも みなさん すみません」
と、振り返りながら大声でおっしゃいました。車中のみなさんはホッと一息です。

 新横浜駅を過ぎたあたりからだったでしょうか。私の近くにおられたおじさんが、連れの若者にしきりと小難しい話を向けておられました。

 その若者の反応が気に入らなかったようで、次第におじさんの音量が高まります。話の内容が、車両全席に響き渡っていました。

 今の日本の政治について、熱っぽく語っておられるのです。安倍首相擁護の立場かと思われます。みんなわかっとらん、と。トランプ新大統領の批判も。
 議員さんなのかな、とも思いました。ここが今どこなのかがわからず、持論の政局についての評論が一人語りで繰り広げられています。隣にいる連れの青年が笑っていなすと、さらに激昂して政治解説が若者批判に向かったりします。

 私は本を読みながら、しばし楽しく時局漫談としておもしろく聞いていました。
 泥酔状態ではありません。持論を若者にぶつけておられるだけです。

 そうこうするうちに、おじさんの横並びの席に座っておられた年配の方が、どうやって止めようかと車中を見回しておられます。私と目があったので、一緒に首を傾げて、一緒に注意しましょうかと目配せをした時でした。何列か前におられた相当年配の方が、通りがかった女性の車掌さんに、あいつをこの車両から追い出してくれ、と、立ち上がって指差しながら強く訴えておられます。

 車掌さんは事態を確認しようとして、車内を見渡しておられます。後ろの方の席にいた私は、車掌さんと目が合った時に、くだんの時局放談でヒートアップしているおじさんを人差し指で教えてあげました。

 車掌さんはすぐに問題児(?)の横に立ち、「お静かにお願いします」と優しく語りかけられました。おじさんは「もうすぐ降りるから」と不機嫌そうに答えておられました。
 頭が熱していたおじさんは、急にクールダウンとなり、列車が停車するまでは無言でした。

 そして、降りる間際に、車内に向かって、前述のお詫びの言葉があったのです。

 電車などでの移動が多いと、いろいろな場面に出くわします。これも今の日本の一風景であり、記録するに値する出来事として、ここに報告しておきます。

 この記事を書き終わって本を読んでいた頃に、近江国の伊吹山が雪を被っている姿が見えて来ました。あたりには、まだ雪が残っています。昨日の上京時とは大違いです。
 気持ちに余裕があるせいか、車窓の風景を楽しんでいます。


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2017年1月29日 (日)

新幹線の変な車内放送の意図が不明です

 新幹線の車内放送が異様なのは、以前から気になっていました。
 ガラス越しに聞こえるようなひび割れた小さな声に、いつも不快な思いをさせられます。
 今回のアナウンスは、これまで以上に特にひどいものでした。
 こんな不自然な雑音は、もうやめた方がいいと思います。

 日本語は聞き取りにくいし、英語はヒヤリングの試験か、としか思えません。
 どうだ、聞き取れるか、と。
 これをセンター試験で流すとどうなるでしょうか。
 受験生からは、おもしろい反応があることでしょう。

 部分的に、生身の人間の声で案内が流れます。
 これはまともなので、やはり人間の声はいいな、と実感します。
 そうであるからこそ、あの安物の蓄音機ががなり立てているとしか思えない下品さが際立つのです。
 みごとなほどに、その違いは対照的です。

 海外からの方は、この変な英語をどう思っておられるのでしょう。
 もっとはっきりと言ってほしい、と思われていることでしょう。
 ごめんなさい、こんながさつな英語で、と謝りたくなります。
 日本の印象を貶めないためにも、早急に対応してほしいものです。

 関係者は、変な案内が流れていることは承知のはずです。
 余程の事情があってのことなのでしょう。
 それにしても、その事情は何なのか。
 他人事とはいえ、興味があります。
 
 
 

2017年1月10日 (火)

元日の落とし物が無事に見つかりました

 新年早々、ついうっかり落とし物をしました。
 あまり使わないカード類を入れていた小銭入れが無くなったのです。
 お金はまったく入っていなかったことと、すべてがお店のポイントカードや各種会員証だったので、被害は最小だったといえるでしょう。

 いや、1枚だけ…まさかの時のためのクレジットカードがありました。もっともこれは、すぐにネットで最近は使われていないことを確認してから、利用停止の手続きをしました。
 おっと、もう1枚。運転免許証もありました。

 ということで、家の中などに置き忘れていないことを確認した数日後、近所の交番に紛失届を出しました。

 どこで落としたのか、どこに置き忘れたのか、どこで盗られたのか、などなど、お正月とはいえ、ふとした瞬間に疑心暗鬼が頭をよぎります。

 ヨドバシカメラでお買い物をした時、ポケットからポイントカードを取り出そうとして、あっそうだ、と現実に引き戻されました。あのカードは、日本でポイントカードができた初期のものです。カード番号を見て、店員さんからよく珍しがられたものです。再発行してもらう時に、これまでの番号で作ってほしいと頼みました。しかし、それは出来ないとのことでした。レアなカードがなくなり、非常に残念です。

 自分の日々の行動を確認する時に、毎日書いているブログは重宝します。

 大晦日は、四条の錦市場。
 元日は、下鴨神社へ初詣。
 2日は、大阪で娘と宴会。
 3日は、再度の下鴨神社。

 うーん、とうなるばかりで、財布につながることは何も思い当たりません。大事な財布と違い、貴重なカードが入ったものでもないので、あまり気にしていなかったようです。

 クレジット会社から突然電話があり、警察からの連絡を教えてくださいました。
 1月6日から何度か、私の携帯に着信記録が残っていました。電話を使う生活から遠ざかっているので、着信記録すら見ることがないのです。今回は、たまたま電話があったことに気づき、念のためにネットでどこからの電話かを調べると、クレジットカード会社からであることがわかりました。カードの再発行のことだろうと思って、折り返し電話をしました。すると、何と、無くなったと思い込んでいた財布が、大阪の警察に保管されている、という連絡だったのです。

 クレジット会社の方は、丁寧な対応でした。
 元日の午後3時頃、出町柳駅を発車した京阪電車に落ちていたそうです。
 たしかに、妻とともに下鴨神社へ元日の初詣に行った後、そのまま京阪の出町柳駅へ出て、2つ目の三条駅まで京阪電車に乗りました。その時に落としたようです。
 財布が無くなっていることも知らず、木屋町、先斗町、河原町、京極、寺町の賑わいの中を散策していたのです。

 大急ぎで、クレジット会社から教えてもらった大阪の警察へ電話をし、受付番号を言って、財布の中身を確認しました。私が思い出すカードのすべてが、500キロ離れた受話器の向こうの婦警さんの手元にあるのです。不思議な感覚と安堵感が綯い交ぜになって襲って来ました。返す返すも、感謝感激です。

 今は東京にいるので、指定される日時までにそちらへ受け取りに行けないことを伝えました。するとあろうことか、着払いで郵送することも可能だとのことでした。これは助かります。
 送り先の確認に少し時間がかかるとしても、居ながらにして、東京の宿舎へ自分が京都で落とした財布が大阪から届くのです。今話題のドローンではなくて、明治以来の郵便制度を使って送られてくるというのがいいと思います。

 暗いニュースがあるにしても、この国の良さを再確認しています。あの元旦の日に、込み合う電車で落とした財布を、警察に届けてくださった方がいらっしゃったのです。
 また、その財布を取りに来られないなら送ってあげよう、と警察の方はおっしゃるのです。

 信じられないほどの信頼関係で築かれた、この平和な社会の一端が垣間見えます。
 これも、我々の先輩たちが引き継ぎながら築き上げた、よき文化だと言えるでしょう。善意を前提にして成り立つ社会に、こうして生活できていることの幸せを実感しています。これは、いつの世にも伝えたいことです。また、私自身も、そうした相手を思いやる姿勢を大切にして、困っている方のために自然に何かができる日々を、常に送りたいとの思いを強くしています。

 元日早速の失態が、ありがたいことに、明るく人を信頼して前向きになれる元気に置き換わりました。
 今年は元旦から、災い転じて福の1年が始まったのです。
 今回のことで関係してくださったみなさまに、ありがとうございます、という気持ちをこの場を通してお伝えします。カードが戻ってくる以上に、みなさまがたの気持ちが嬉しいのです。

 たかが財布一つのことで大げさかも知れません。しかし、このような文化を共に持ち伝えているこの国の多くのみなさまに、感謝しています。
 
 
 

2016年12月26日 (月)

バスの運転手さんの緊急事態に遭遇して

 突然、バスの車内放送で、
「トイレに行かせてください。」
「すみませんが一時停車します。」
という運転手さんのアナウンスが流れました。

 乗客の皆さん共々、その天井から降り注ぐ声が意味することを、最初はよくわかりませんでした。しかし、運転手さんがシートベルトを外し、料金箱に取り付けてあるステンレスの短いバーを押し下げて前のドアを開けて外に出られたことで、やっとその意味することがわかりました。

 私の横におられた乗客の女性たちも、初めての体験でもあり、
「そんなこともあるわよね」
と話しておられました。

 バスは、コンビニの真ん前に停められています。運転手さんは、そのコンビニに駆け込まれました。

 前のドアが開けっ放しだったので、
「ドアを閉めてから行ってもらわないと」
とつぶやいている方が、後ろの方におられました。

 こうした事態にたちいたった時には、バスのドアは開けたままにする、というようなバス会社の決まり事があるのでしょうか。それとも、ドアを閉めてしまっては都合の悪いことがあると、とっさに運転手さんが判断なさったのでしょうか。

 たまたま同乗したわれわれ乗客は、こんなこともあるでしょう、と好意的な雰囲気で、しばらく運転手さんの帰りをのんびりと待っていました。
 時間を気にしていた私も、こればかりはどうしようもないことなので、鞄から今日の打ち合わせの資料を取りだして内容を確認していました。

 私はコーヒーを、最近は一日に8杯ほど飲みます。以前は10杯でした。糖尿病だからというのではなくて、よくトイレに行く方です。その経験から言っても、この生理現象は如何ともしがたいものがあります。行きたくなった時の気持ちが、よく理解できるのです。

 しかも、へたに我慢をされて、事故に至ったら大変です。
 それにしても、あらためて考えるとありがちなこうした事態に、公共機関の運転手さんたちはどのようにしてクリアしておられるのか、気になりました。
 みなさん、それなりに工夫しておられるのでしょう。

 無事に用を足された運転手さんは、丁寧にお詫びのことばをマイクを通して流し、バスは何事もなかったかのようにスタートしました。

 これから年末年始は、ハードな勤務が続くことでしょう。渋滞も大変でしょう。
 快適な環境で、目的地まで私たちを運んでください。
 安全を最優先にした運転にまさるものはないのですから。
 
 
 

2016年12月11日 (日)

あり得ないことが我が身の周りでよく起こります

 全盲のお2人を新大阪駅に見送るために、早朝より茨木駅へ向かいました。

 新大阪駅では、今回食べられなかったタコ焼きやお土産に加えて、お昼のお弁当を探しました。

 無事に見送った後、所を変えて研究発表をする京都市西京区にある国際日本文化研究センターに向かいました。

 途中、乗り換え駅で、ホームから転落を防止するための昇降式ロープを見かけました。簡易型なので、これなら早く多くの駅に設置できることでしょう。


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 日文研へ行くバスは、小高い丘の上に向かってゆるゆると登ります。
 山は、冬の気配を見せています。

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 日文研に着いて、配布する追加資料などを準備している時でした。
 突然、姉から驚きのメールが届いたのです。

 まったくの偶然ながら、芦屋から上京した姉が、私が新大阪駅で見送った全盲のお2人を東京駅に出迎えに出ていた妻と、あろうことかバッタリと電車で出会ったというのです。

 姉からのメールの一部を引きます。


たった今、東京駅で会いました。広い東京でナガーイ総武線の車両のドアで。びっくりぽんでした。
本当にびっくりで、座席が向かい側なら見えてないし、一つ先のドアならわからないし、不思議なことでした。

すぐに、妻からも興奮気味にメールが届きました。


いやまあ、こんなことはそんなにあるものではありません。
世にも不思議な話でビックリです。

 まったく予期しない、妻と姉の遭遇があったのです。
 私の周りでは、こうした信じられないことがしばしば起こります。
 
 
 

2016年11月19日 (土)

帰路の機内で観た映画「縁」と「奇跡がくれた数式」

 インディラガンディ空港から成田に向かったのは、先週13日の日曜日でした。

 忘れてしまう前に書いておくことは、まだまだあります。今回は、いつも以上に得難い体験がたくさんあったのです。しかし、もうきりがないので、この辺にしておきます。

 日本の日常に浸ると、旅先での非日常的な出来事がしだいに記憶から薄れていきます。歳と共に、思い出せなくなってきています。今回のことも、いつか突然に思い出すこともあるでしょう。今は、忘れ去ることをもったいないと思いつつも、時の流れに任すことにします。

 帰りの飛行機の中で、2本の映画を観ました。往きの3本は、どうしたことかハズレばかりでした。観ようと思って観た映画だったので、期待外れとなったのかもしれません。

 帰りは、観てもいいかな程度の映画だったので、期待する気持ちがなかった分、良さが伝わってきたのかもしれません。

■「縁」
 私が生まれた出雲が舞台です。
 小学校の4年生までいました。
 子供の頃に慣れ親しんでいた出雲弁が、懐かしくもあり、少しくすぐったい感じでした。
 出雲の人々の優しさが、画面と言葉から伝わって来ます。
 気遣いの男と、揺れ動く女が、やがて結婚に至る物語です。真紀という主人公は、もの静かながらも存在感がある女性として描かれています。
 紫陽花の花言葉がキーワードのようです。「おかげさま」という言葉と共に、山陰の気候風土が見事に背景を支えている、大人の味の物語です。【5】
 
 
■「奇跡がくれた数式」
 インドのラマヌジャンは、天才数学者でした。ケンブリッジ大学で、数式の証明や権威主義と闘います。
 学問と家族、研究者と妻の絆が見事に描かれています。
 お互いが信じ合うことの素晴らしさが、観る者の心にじんわりと伝わって来ました。
 ゆったりとした時間の流れの中で、人間の情感が丁寧に映し出されています。【5】
 
 
 

2016年10月16日 (日)

最適な4輪式キャリーバッグとの出会いと点字ブロックの今後

 移動が多い私は、その時々に持ち歩くバッグをいくつか持っています。しかし、なかなかピッタリのものがありません。特に、中くらいの大きさと分量の時のバッグが、微妙に合っていないと思っていました。

 最近探し求めていたのは、A4より一回り大きいノートパソコンがちょうど入り、キャリーバッグのキャスターにロックがかかるものです。
 こうした用途のための、最適なキャリーバッグを一つ持っていました。しかし、それが10年前の物だったので、角々が痛んできています。

 今日は帰洛のために東京駅へ出たついでに、ふらりとカバン屋さんに立ち寄りました。幸運なことに、地下街に3軒続きのカバン屋さんがあり、その一つでちょうどいい物と出会えました。それでも、色が好みのものと微妙に違うのです。

 同じ系列の店が、隣の有楽町駅の前にもあることがわかりました。思い立った時にと意を決し、行ってみることにしました。

 専門店だけあって、思い通りの最適な物と出会えました。
 ちょうどいい大きさに加え、従来よりも深さがあります。しかも、取っ手がお洒落です。入荷したばかりの最新デザインだそうです。

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 早速、手にしていた荷物を詰め替えて、新しいキャリーバッグで西に向かいました。このキャスターをロックするシステムは、なかなか快適です。

 これまでに、旅行客の4輪のキャリーバッグがバスの中の狭い通路を勝手に滑走したり、急ブレーキで前に飛んでいく場面に出くわしました。ホームから、コロコロと転がって線路に落ちる所も目撃しました。
 とにかく、4輪で手押し式のキャリーバッグは、勝手にあちこちと動き回るので危険です。

 傾けて引っ張る形の2輪式は、後ろに長く引きずるので、人ごみの中では邪魔者扱いをされます。しかし、バスやホームでは、安定して立つので安心です。
 一長一短がある中で、今回見つけた、キャスターをロックできるバッグは、4輪の中では安全で便利なものです。

 キャリーバッグは、駅や商店街では、点字ブロックの凸凹がキャスターをガタガタさせるので、嫌われがちのようです。スピードを落とさせるために、鉄球が埋め込まれた交差点がありました。そこを自動車が通過する時には、スピードを落とすのには有効な仕掛けでした。しかし、車内への振動が不評だったこともあり、今では国内ではほとんどなくなったようです。

 しかし、街中や駅のホームなどでの点字ブロックは、視覚障害者には必須です。そうは言っても、キャリーバッグを引く旅行者が不快に思う点字ブロックの敷設は、その凹凸の形状を含めて再考されるのかもしれません。今後は、この共存がさらに検討されることでしょう。
 
 
 

2016年10月15日 (土)

箱根駅伝予選会の結果

 少し肌寒いながらも、秋晴れの1日でした。
 今日は、大学院大学の入試説明会があったため、土曜出勤となりました。

 立川の今日は、第93回箱根駅伝予選会のために、駅は大混雑です。
 先日、「箱根駅伝の予選会が今年も立川で」(2016年10月11日)という記事をアップしたので、その結末も書いておきます。

 今日の予選会の結果は、次の通りでした。
 と言っても、実際に国営昭和記念公園で見たのではなくて、ニュースからの引用ですが。


1位 大東文化大 5年連続48回目
2位 明治大 9年連続59回目
3位 創価大 2年ぶり2回目
4位 法政大 2年連続77回目
5位 神奈川大 7年連続48回目
6位 上武大 9年連続9回目
7位 拓殖大 4年連続38回目
8位 国学院大 2年ぶり10回目
9位 国士舘大 3年ぶり45回目
10位 日本大 5年連続87回目

 我が母校も箱根に出るようです。知っている人がいるわけではないのに、高校野球と一緒で、母校の出場は何となく嬉しいものです。かつてその学校で学んだというだけです。しかし、自分が駆け抜けた時間と場所には、何か忘れ物をしてきた思いが残っています。吹っ切れないままに、気がかりなことがあるからでしょうか。分野は違えども、後輩の活躍が不思議と元気を与えてくれます。つい、応援してしまいます。他校よりも良く見られたい、という気持ちもあるのかもしれません。母校というのは、説明しがたい存在です。

 今日の予選会で勝ち残った10校と、すでにシード権を獲得している次の10校が、2107年の正月2日と3日に箱根路を走るのです。


青山学院大、東洋大、駒澤大、早稲田大、東海大、順天堂大、日本体育大、山梨学院大、中央学院大、帝京大

 駅伝好きな私は、毎年これを楽しみにしています。
 さて、来年はどういう結末となるのでしょうか。

 そろそろ、来年のことが話題になる時期となりました。
 身辺が慌ただしくなる日々が、着実にやってきています。
 
 
 

2016年10月 7日 (金)

家具を組み立てていて説明書の不備に悩まされる

 息子の家で家具を組み立てました。
 夜遅くまでかかって、何とかできあがりました。


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 説明書を見ながら、手順を追ってやりました。しかし、図解による指示と部品の特定が難しくて、いろいろと試行錯誤の連続です。やってみて、うまくいかなかったら元に戻り、またやってみる、という作業手順を踏むことになります。
 それでも、背面の板の高さが合わないのです。ノコギリを買って来ようか、とか、カッターナイフを買いに行こうか、などなど、どうしてもうまくできない所がでてきました。

 夜分にもかかわらず、21時までサポートはやっているとのことなので、電話をして相談しました。
 購入した無印良品は、サポートがしっかりしています。担当の方は、説明を聞いて、すぐに部品を取り寄せるとのことでした。しかし、連休があるので、来週火曜日以降の発送になるのだそうです。

 それではこちらが大変なので、さらに受けたアドバイスを参考にして、部品の組み合わせを変えてやってみることにしました。再度組み方を変えると、今度はうまくいき、前に進むことができました。押してもダメなら引いてみろ、ではないのですが、別のやり方を試みると、意外な方向が見えてきたのです。おもしろいものです。

 遅い時間にもかかわらず、懇切丁寧な対応をしてくださったサポートの方にお礼を申し上げます。

 やはり、少し値段が高くても、信頼のおける店の商品を買うと、何かあったときに助かります。
 しかも、なかなかいい素材を使い、しっかりとした設計でできていることが、自分の手で組んでいるうちに、じわじわと伝わってきました。いいものは、それなりの値段がする、ということなのでしょう。

 うまくいったことを伝えるために、サポート窓口に再度電話をしました。しかし、先程の方は別の対応に出ておられるとのことだったので、お礼だけを言って切りました。

 製造業者の方と組み立て説明書を作成された方に、この場を借りてお伝えします。
 ほぼ同じ大きさの背面パネル5枚は、微妙に大きさが異なるので、その識別を間違うと、とんでもない時間を浪費することになります。私は根気強くやり直しました。しかし、途中で投げ出す方も多いことでしょう。

 どの部品を使うかは、もっと丁寧に指示をした方がいいと思います。パネルに番号を記すか、シールを貼っておくと、図面だけから微妙な違いを読み分けて部品を特定しなくてもいいようになります。今の説明書だけでは、どの部品がその説明に該当するのかを見極めるところで迷ってしまい、なかなか前に進めません。今の商品の部品構成と梱包は、あくまでも作る側の手間がかからないものであり、組み合わせでは別の商品にも転用できる部品で構成されています。利用者よりも販売者側の論理でセットが組まれています。少しでも安くするための方策なのでしょう。しかし、その合理化を利用者に押し付けるのは筋違いです。

 そんなこんなで、真夜中に酔人たちを掻き分けるようにして帰ることになりました。
 もっとも、ついに完成したという達成感があったので、身体に残る疲れは気持ちの良いものでした。
 
 
 

2016年9月20日 (火)

台風情報を聴きながら賀茂川の氾濫を心配する

 また台風がやってきました。16号です。
 近年は、台風による災害が酷くなっています。
 山崩れや川の氾濫等々、かつてなかったほどの規模という気象異変が伝えられ、その経験したことのない暴風雨が自然災害をいや増しに引き起こしています。

 全国の山林や河川の防備は、これまでのモノサシによる経験値からではない、激甚を想定して再確認と再点検が必要でしょう。
 賀茂川については、万全の補修をしたと聞いています。しかし、それもこのところの想像を絶する規模の雨量を考えると、もう一度見直すことになるかと思われます。

 このところ、なかなか自宅に帰れずに東京に留まっている日々が続いているので、賀茂の河原が大丈夫か心配になります。
 この記事を書いているちょうど先ほど、台風16号が近畿地方を通過しました。
 昭和10年の台風では近くの賀茂川が氾濫し、自宅のすぐ南の道路が水没した写真を見たことがあるので、なおさら河川の氾濫が気になるのです。

 最近の賀茂川の大水のことは、以下の記事に書いています。

「京洛逍遥(290)賀茂川が氾濫注意水位に達したこと」(2013年09月16日)

「京洛逍遥(291)台風一過の賀茂川散歩」(2013年09月23日)

 その後も毎年のように、賀茂川は大水に見舞われています。

 そういえば、今年の大文字の送り火が大雨で見られませんでした。

 「京洛逍遥(420)大雨洪水警報の中での送り火 -2016-」(2016年08月16日)

 去年も「京洛逍遥(373)雨間に6万人が見上げた大文字 -2015-」(2015年08月16日)と雨でした。

 一昨年も「京洛逍遥(335)大雨の後の如意ヶ岳を焦がす大文字」(2014年08月16日)と、あいにくの雨でした。
 3年続きの雨だったのです。

 また、平安時代の賀茂川氾濫のことは、次の2作品に語られています。

「読書雑記(138)西野喬著『防鴨河使異聞』」(2015年07月29日)

「読書雑記(148)西野喬『壺切りの剣─続 防鴨河使異聞─』」(2015年12月11日)

 全国の山と川で起こる災害を食い止めるような、より安全な防備と施策が必要な時代となりました。まさに地球規模での天候異変なので、人災とならないような対策が急がれます。

 今回の16号が関東を通過するのは明朝とのことです。
 大事に至ることなく日本列島を抜けてくれることを祈るのみです。
 
 
 

2016年9月 7日 (水)

アレッ! と思う時〈その3〉電車の中で

(1)都営地下鉄と東京メトロの改札口は間違いやすいのです。
 東京の地下鉄は乗り換えが複雑で、何線の改札かわからなくなります。しかも、この2つは料金体系が異なるので、両線での乗り換えは割高になります。間違えると痛手が大きいのです。

(2)混んでいる電車の中に立っている時、スマホをいじっている人が背中でごそごそしている時は困ります。振り向いて顔を突き合わせて注意するわけにもいかず、じっとくすぐったさを我慢するしかありません。どうやら、ゲームをしている人が多いようで、指の小刻みな動きに合わせて、スマホ本体も振動で揺れているのです。

(3)電車の中で、目の前に座っている女性が大股を広げて船を漕いでいる時はどうしたらいいのでしょうか。本を読んでいても視界に入るので困ってしまいます。混んでいる時ならまだしも、私は空いている時間帯に乗ることが多いので、対面の状態なのです。

(4)携帯電話の充電が切れる頃に乗った新幹線が旧車両だと、座席に電源コンセントがないのでがっかりです。同じ料金を払っているのに、とご丁寧にも検札に来た車掌さんに不満を言いたくなります。前と後ろのドアの壁面にはコンセントがあります。しかし、自由席の場合そこはいつも先に取られているのです。

(5)新幹線の自由席で、子供が大はしゃぎし出したので席を移動したところ、隣の人のイヤホンから大音量の音漏れがする時は困ります。見知らぬ人には、声をかけにくいものです。また、パソコンを取り出してキーボードをパチャパチャされるまはまだしも、映画を大音量で観はじめられたら、もう諦めるしかありません。ただし、そんな人は居眠りをすることが多いので、そっとまた別の席に移るようにしています。
 
 
 

2016年8月25日 (木)

座席を譲ってもらって思うこと

 電車で初めて席を譲られて困惑したことを書いたのは、今から8年前のことになります。あの時は、年よりも若作りをしていたつもりだったのに、年寄りと見られたことがショックでした。
 50代後半で、日々スポーツクラブに通っていたこともあり、体力年齢は18歳の頃でした。

「心身(15)初体験に困惑」(2008/6/25)

 今日の出来事も、私としてはショックでした。

 会議に出席するために、電車を乗り継いで2時間弱の立川に行きました。
 その途中、中野駅で乗り換えて中央特快に乗ってしばらくしてからでした。中野駅から三鷹駅までは止まらないこともあり、しばらく立ちっぱなしで行くか、と思っていたところ、目の前に座っていた若者が「どうぞ」と席を譲ってくれたのです。
 少し足先が鬱血しだした時でもあったので、ありがたく座らせていただきました。
 感じのいい若者でした。携帯電話ではなく、文庫本を読んでいました。

 立川駅前から、立川学術プラザという職場の前に止まるバスに乗りました。すると、発車して間もなく、私と同じか少し上かと思われるご婦人が、「どうぞ」と言って席を譲ろうとなさいます。「すぐに降りますから」、と言って辞退しました。
 その方は、「そうですか」と言って1度立ち上がった腰を、また座席に下ろされました。
 非常に感じのいい方でした。ごく自然体だったことが印象的でした。

 それにしても、通勤で2度も席を替わっていただくことは初めてです。よほど、私が疲れた表情をしていたのでしょうか。

 もともとが細身で、一見ひ弱そうな出で立ちなので、みなさんの同情を誘うのでしょうか。頼りなげな表情で吊り革を持っていたのでしょうか。人生に疲れた雰囲気を醸し出していることはないと思うので、私の姿は、哀れみや手を差し延べたくなる気分を漂わせていたのでしょうか。

 それにしても、これはよくないな、と思いました。
 かといって、今さら、どうしようもありません。

 父がよく言っていました。
 「人の世話にはなるものだ」と。
 人さまからの哀れみを受けながらの日々は、あまりありがたくはありません。
 しかし、これは自分でどうこうできるものではない、と諦めることにしました。
 人の好意はありがたく素直に受ける、ということを自分に言い聞かせようと思います。

 これも、齢を重ね、弱りつつある我が身を庇いつつ生きる立場になった者の、自らに言い聞かせる処世術の一つなのでしょう。
 寂しい気がします。しかし、これも一時でありたいと願いながら、とにかく臆せずに社会との関わりを持ちながら日々を過ごしたいと思います。

 たかが席を譲られたからと言って、あれことれと考えることではないようにも思え出しました。
 心優しい方の多い社会だな、との思いを強くしています。

 そんなことを思って帰路についていたら、帰りの電車が揺れた瞬間に前に立っていた方がよろけて、私の骨折した足のギプスの上に、思いっきり踵を落としてこられました。ギャーと叫びたいところをグッと我慢して、俯いて痛さを堪えました。

 いやはや、いろんなことがあるものです。
 そして、いろんな方がいらっしゃいます。
 
 
 

2016年8月15日 (月)

今年も庵主さんをお迎えしてのお盆でした -2016-

 今年も、同志社大学の近くにある養林庵の庵主さんが、お昼前に我が家に来てくださいました。
 ご自分の足で玄関までいらっしゃいます。
 今年で95歳です。
 しっかりとした足取りで、お話もいつものように多彩です。

 両親が満州から大切に持ち帰った木魚は、軽快な音で読経を盛り上げています。


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 今年のお盆は、長男と娘夫婦、そして姉と甥っ子3人が集いました。
 読経の後の庵主さんとのお話は、いつもみんなが楽しみにしています。
 今日は、娘が点てたお薄がきれいな泡立ちで、味もすばらしいと絶賛してくださいました。
 庵主さんは、お茶の先生もなさっていた方です。
 やがて、裏千家と表千家のことや、庵主さんが最近読んだ本のことなど、和やかな会話がつづきました。
 車までお見送りした時も、また来年も元気で、と言葉を掛け合いました。

 お昼は、息子が作った本格的なイタリア料理を、仏壇の前で、わいわいがやがやと食べました。
 子どもたちが多いと、大皿に山盛りのいくつもの料理も、あっというまになくなります。
 私が小食なので、我が家では年に一度あるかないかの大食事会です。

 今年は、骨折した私の足の状態が思わしくないので、河内高安への墓参は長男一人に託しました。
 やがて、突然の大雨も、すぐに止みました。
 明日は京都五山の送り火です。
 ご先祖さまに守られながら、家族親族みんなが元気でいることに感謝する一日でした。
 
 
 

2016年8月13日 (土)

アレッ! と思う時〈その2〉日本語あれこれ

(1)テレビのインタビュー等で、画面の下に表示される字幕が正しい日本語に直されているのは、親切心か余計なお世話か?(故事成語や「れる」「られる」等)
 
(2)テレビのCMで「糖尿病の予防薬、治療薬ではありません。」と表示されている、その読点(、)の紛らわしさ。(句点「。」や中黒点「・」との使い分け)
 
(3)スーパーなどで「小女子の佃煮」に「こうなご の つくだに」と振り仮名があった時の安堵感。(正しくは何と読むのか聞くに聞けなかった言葉との遭遇)
 
(4)京都市バスの車内放送では、日本語も英語もアクセントやイントネーションに全国の方が違和感を覚えるはず。
 
(5)バスや電車に乗った時、海外の方から「どうぞ」と日本語で声をかけられて席を譲っていただいた時の「ありがとう」と応える自分の言葉と心中に籠もる困惑。
 
 
 

2016年8月10日 (水)

アレッ! と思う時〈その1〉指を見つめる

(1)新聞がめくりにくい。
 紙面の下や端を親指で抉じ開けるようにすることが多くなりました。
 加齢に伴い、指の腹に潤いが少なくなったからでしょうか。

(2)持っていた物をうっかり落とす。
 冷蔵庫から何か取り出す時、別のことに注意が向いているとよく。
 握力は変わらないようなので、集中力の問題だと思っています。

(3)棒状に巻かれたアルミホイールを落とす。
 あれは、二度と元通りきれいに巻き戻せないのです。
 取り返しのつかないことの一つだと言えるでしょう。

(4)コーヒーフレッシュのミルクが飛び散る。
 小さな突起部分からシールを剥がす時、最後にピッと飛びます。
 親指の爪が汚れるし、小さなプラカップにはミルクが残ります。

(5)レトルトパックが真っすぐに開封できない
 上の切り取り位置を確認して引っぱっても、斜めに切れて指が汚れます。
 切り取れずに残った部分が、中身を器に移す時にじゃまをします。
 
 
 

2016年7月 2日 (土)

東西を迷走した佐川急便の荷物

 先週土曜日に1本の電話がありました。
 しかし、私は iPhone を電話として使うことがめったにないために、呼び出しに対応できませんでした。
 翌日の日曜日に同じ番号から電話があり、佐川急便の配達の方が荷物を届けに来たとのことです。京都の家の前からでした。
 あいにく先週は東京にいました。次に京都へ帰るのは翌週の金曜日なので、東京に転送していただくようにお願いしました。

 京都市内から都区内なので、中1日を置いた火曜日には届くかと思いきや、4日たった木曜日になっても届きません。資料調査や展示物の確認のために、日比谷図書文化館での講座が終わり次第に、そのまま最終便で京都へ移動する日となりました。
 発送元の方に荷物の追跡をお願いしたところ、私が東京で受け取ることが不可能な状況になっていることがわかりました。そこで、荷物を再度東京から京都へ転送する手続きを、発送元の方にしていただきました。その対処が終わった旨のメールを受け取ったのは、京都へ向かう新幹線の中でした。

 ところが、金曜日になってもまだ荷物は東京にあることがわかりました。
 発送元の方から金曜日にいただいた連絡によると、佐川急便の対応があまりにも酷いので呆れておられました。一部を引きます。


いまになって佐川急便(昨日とは違う担当者)から連絡があり、品物が東京にあるので、これから京都に再転送するとのことでした。
あまりに昨日と話が違うため、「昨夕、7/1午前に配達する旨、受けておいて、いまさらこっちにありましたというのは、対応としてあまりに酷いのではないか」とクレームを付けました。
電話をしてきた佐川の担当者は昨日と今日で異なり、どうも他人事のような、あまりに当事者意識がない様子なので、「対応としてどうなのか」指摘しましたが、表面的に謝られるだけで、あきれました。

 結局、私が荷物を受け取ったのは今日土曜日のお昼です。
 こんなことになった原因は、私が京都と東京を往き来する生活にあるとはいえ、この1週間、私にとって大切な荷物は、東京と京都をのんびりと1往復半したことになります。
 その間、私は佐川急便のお2人から、ちょうど10回の電話をいただいたことが iPhone に記録されています。その内容も、お1人ずつは丁寧なものいいであり対応でした。しかし、お互いが連絡をとりあってのことではない上に、東京の営業所も独自にというか勝手気儘に動いているので、荷物を配送する方々のおっしゃることは結果的に総合的に判断すると支離滅裂です。
 荷物が今どこにあるのかすら、掌握できていないのですから、途方に暮れるのは、発送元の方と受け取り人である私です。

 佐川急便から私がいただいた電話は、配送センターの方と配達員の方のお2人でした。このお2人は、この荷物の件で情報を共有しておられません。また、東京の方でも、配送センターと配達の方の動きがバラバラです。それは、京都に戻すことになっていた荷物を、東京で配達することになった方が持ち出しておられたことに起因します。

 さらに疑問なのは、私が先週日曜日に東京へ転送してもらいたいことを依頼した時に電話口で教えた東京の住所が、発送元の方に伝えられていたことです。
 荷物の転送は佐川急便の内部の処置であり、転送先の住所をわざわざ発送元の方に報告する必要はないはずです。転送先の住所は、人によっては隠さざるを得ない方がいらっしゃるのも事実ですから。
 今回の私の場合はさておき、転送先を他人に知られると困る方もいらっしゃるはずです。これなどは、個人情報の管理に関する問題だと思います。専門的なことは知りません。しかし、不愉快に思われる方は、きっといらっしゃることでしょう。

 佐川急便については、私がすでに何度かその杜撰さを記録として残してきました。その後もなんら改善されずに、今も同じように荷物を不用意に持ち歩いておられます。特に、佐川急便の転送業務は、まったく機能していません。

 以下、これまでに本ブログに書いた佐川急便関連の記事です。
 
【2000年12月】
「再録(13)佐川急便の受け取りを拒否」(2012年11月13日)
 この記事の末尾にあるコメント欄もご笑覧を。その一部を、後で引きます。
 
【2007年6月】
「相変わらずでたらめな佐川急便」(2007/6/29)
 この記事の末尾にあるコメント欄もご笑覧を。
 
【2011年1月】
「今でもデタラメな佐川急便」(2011/1/18)
 
 もう一つ思い出しました。あまりに昔のことなので、すっかり忘れていました。
 
【1999年3月】
「再録(19-3)またまたMV社のこと(1999.03.09)」(2016年03月09日)
 
 こんな調子で、佐川急便と私との相性はよくないのです。

 配送担当の方も配達担当の方も一生懸命に仕事をなさっていると思われます。
 しかし、佐川急便には、配送システムの中でも、特に転送業務に重大な欠陥があるのでしょう。そのために、荷物の送り手と受け手が迷惑を強いられています。

 上記「再録(13)佐川急便の受け取りを拒否」の記事に寄せてくださったコメントに、以下の内容が記されています。


転送の件ですが なぜ配達先の変更が荷受人の方の思うがままに出来ると考えられるのか不思議です そのような 無料のずうずうしいサービスのようなものは もともと 郵便局ノサービスです 各々会社は独自に良心的に行っているだけで 当たり前と考えているひとがいる事がびっくりです 私の一般常識からもはずれていますこの作業はものすごくマンパワーが必要です 日々の業務の中で ドライバーが 配達送り状の転送処理 新たな送り状の手書き 業務課の情報入力(システム化されていません)そのような事が可能というだけです善意です 輸送費はだれが支払うのでしょか 送り状も無料ではありません 輸送費が無料と思っているかもしれませんが 社内的には店舗間での輸送費処理きちんとされています 発送店側は赤字です

 この転送に関する関係者だったという方が寄せられたコメントにある考え方は、一般的なものなのでしょうか。物流の世界では、これが常識なのでしょうか。この考え方では、宅配業務は破綻すると思います。
 今回、京都から東京への転送料金が発生することは、しっかりと明言なさいました。私も、負担しますと承諾して、京都から東京への転送をお願いしました。したがって、寄せられたコメントは相当古い時代の感覚でおっしゃっているのかもしれません。

 もっとも、今日受け取った荷物には、着払いのラベルの上にさらにラベルが貼られていて、受け取りの際には見えませんでした。下に隠れるように貼ってあったからです。
 それにもかかわらず、今日の受け取りの際には、着払い料金は請求されませんでした。京都→東京→京都の転送配送料金は、結局どうなったのでしょうか。何となく気持ちが悪いので、後日この件は確認してみます。原則的には、京都→東京→京都の配送料金は、私が支払うことになるのでしょうか。よくわかりません。

 荷物が1日も早く私の元に届くようにと、発送元の方は細やかな心配りで対応してくださいました。お手数をお掛けしました。ありがとうございました。
 しかし、それにもかかわらず荷物を手にするまでに、何かとゴタゴタしました。

 再度のお願いとなります。
 私への荷物の配送は、佐川急便を使わないでください。
 業務上どうしても佐川急便で、ということであれば、着払い扱いで結構ですので、他の宅配業者を使って送ってください。大和運輸はこうしたトラブルは皆無です。ゆうパックは、下記の理由で信頼できません。
 この宅配便に関しては、少なくとも、京都に引き上げてくる来春4月までは。

 京都と東京で、荷物の受け取り方法を区別しているのが現状です。
 どうしても仕方なく東京で受け取ることにした荷物は、週末に京都へ帰る時にキャリーバックに入れて新幹線で持ち帰っています。来春、東京を引き上げる時の荷物を、一つでも減らすためです。
 こんなおかしなことも、もうしばらくの辛抱だと思ってやっています。

 以下、おまけの記事も記しておきます。

「迷走する「ゆうパック」で届いたハンガリー語訳源氏」(2010/8/2)

 こうした宅配便に関するトラブルは、私だけが特別なのか、それともよくあることなのか、とにかく記録として残しておきます。
 
 
 

2016年5月10日 (火)

焼け焦げて飛んできたドライヤーの電気コード

 ドライヤーで髪を乾かしていた妻が、突然悲鳴を上げました。何と、突然ドライヤーの電気コードが顔を目がけて飛んできた、とのことです。

 洗面台の前面にあるコンセントには、ドライヤーの差し込みプラグだけが残っていました。電線が出ている所の付け根が焦げています。


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 飛んできたコードの先も、先端の被膜が融けており、電線は焦げています。


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 顔などにケガがなかったから良かったとはいうものの、突然のことなので怖さがしばらくは後を引きそうです。

 2005年の製造とあるので、11年前の製品です。一般的にお店で売られている、ごく普通のドライヤーです。

 我が家は、京都と東京にほぼ同じものが両方にある生活なので、この製品も一般家庭より利用する率は半分の回数だといえるでしょう。
 本体内部に、埃や綿屑が詰まっているわけでもありません。
 ドライヤーの寿命が何年なのか知りません。
 おおよその目安は10年でしょうか。

 それにしても、これが寿命ならば静かに天寿をまっとうしてほしいものです。
 まったく、人騒がせなしろものです。
 これまで大切に利用してきた者を怖がらせての、突然の成仏だったのです。

 この製品は、社名がパナソニックになる前のナショナル製で、「EH5212」というイオンチャージ付きのドライヤーです。
 タイで製造されたとの刻印があります。
 まったく異常が感じられなかったので、買い替えのタイミングが難しいものだと言えます。
 電化製品なので、賞味期限も消費期限も表示はないのです。

 同じ商品をお持ちの方は、くれぐれもお気をつけを。
 
 
 

2016年3月31日 (木)

支えられての日々に感謝して

 今日3月31日で、長いようで短かかった平成27年度が終わります。
 明日から、東京での生活が最後となる、平成28年度が始まります。

 心なしか、身の引き締まる思いがします。
 肩の力を抜いて、見つめすぎない日々にしたいと思っています。

 今日は、退職に伴う挨拶をいただきました。
 あらためて、自分が多くの方々に支えられていたことを思いかえすこととなりました。

 そうかと思えば、明日から新たな人生が始まる方もいます。
 拍手で幸先のよいスタートをお祝いします。

 今日でこれまでの仕事を終えられた方も、明日からは新たな旅立ちです。
 稔り豊かな日々の訪れを楽しみにして、お互いに前を向いてそれぞれの目標を目指しましょう。

 折々に、嬉しい、楽しい、心和む話を交わしましょう。
 さて、いよいよ平成28年度の始まりです。
 
 
 

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2016年1月22日 (金)

メール滞留のお詫びと再送信のお願い

 昨年末のメールに関するトラブル以来、歳を越しても、いまだ遅ればせながらの返信に追われています。

 もし、私宛にメールを送られた方で何も返信がない方は、遠慮なく再送信や催促をお願いします。

 現在、業務と私事にわたり、何かとメールのやりとりが頻繁になって来ています。

 返信の優先順位が大幅に混乱していますことを、ご理解いただけると幸いです。

 職場がある多摩地域の立川一帯は、まだ雪が多く残っています。
 今日の玄関先の様子を、研究室のベランダから撮影しました。
 来週まで、雪は消えそうにありません。


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 明日からまた天候が不安定になるようです。
 体調管理には、十分にお気をつけください。 
 
 

2015年9月13日 (日)

久し振りに大和平群でお茶のお稽古

 大和平群は自然の中にあります。
 四季折々に、奈良時代からの色や形が今に伝わっているところです。
 元山上口駅を降りてすぐの川が竜田川です。


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 紅葉の錦と歌われる龍田川は、もっと下流の三室山に近いところです。
 この平群を縦断する竜田川は、岩と木々と水の景勝地です。
 写真上部に林立する電柱の下を、単線でワンマンカーの近鉄生駒線が走っています。
 左奥が生駒方面、右が王寺方面となります。

 檪原川から、国宝『信貴山縁起絵巻』で知られる信貴山方面を望みました。
 8年前まで住んでいた若葉台は、写真の右手の山中にあります。


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 このあたりは、今も変わらない風景です。
 かつては、右手奥からこの山の中の幅50cm ほどの小道を縫うようにして小走りで下り、駅まで通っていました。

 お茶のお稽古には、なかなか来られません。
 最近は週末にいろいろとイベントが入ることが多くなり、足が遠のいています。
 毎年、2月前後と9月前後は、お稽古に来ることができません。
 最低は、月に1回は来たいのですが、なかなかそうはさせてもらえません。

 今日も、丸卓を使ってのお点前の稽古です。
 この間に3回ほど家でやっています。しかし、やはり我流となっていることが、こうしてお稽古に来るとわかります。

 お点前の流れはわかっているつもりです。
 しかし、実際にやると、あれっ、ということがしばしば起こります。
 今日は特に、柄杓を丸卓の上に飾る時の柄の持ち方で戸惑いました。
 建水に載せる時と勘違いするのです。

 香合の拝見のお稽古を初めてしました。
 覚えることは無限にありそうです。

 そんなこんなで、お稽古の回数を何とかして増やすことが先決問題であることが、こうして久し振りに教えていただくと痛感することです。
 とにかく、気長に続けるしかありません。
 
 
 

2015年8月19日 (水)

バス停で体験した整然と乗車するマナー

 昨夜は、立川駅付近の高架下で火災事故があり、自宅に帰れない人々で大混乱しました。
 それにもかかわらず、今日の立川駅はいつもと何も変わらず、何事もなかったかのように、人混みで溢れるターミナル駅の姿を見せていました。
 関係者の勤勉さと回復に対する熱意のすごさには、だだただ驚くばかりです。

 その立川駅前のバス停でのことです。
 到着したバスが、並んでいた人の列の一番前に、横付けするように止まりました。
 始発のバス停なので、乗客のみなさんが降りられるのを待つことになります。

 今、京都では、この降車待ちの時間が話題になっています。
 降りる時に乗客は、バスの出口で一旦立ち止まります。
 バスカード、ICカード。回数券、現金等々、1人ずつが料金を払うためです。
 しかし、降りる人は全員がこの運転席の横に設置されている料金箱に対して、何らかのアクションを起こすのですから、バスの降り口が混雑するのは必定です。
 特に世界一の観光地である京都では、国内外からの旅行者が降り口で支払いのために立ち止まるので、この停滞問題は無視できないものとなってきました。

 バスのスムースな運行のためには、先ず乗客にバスから降りてもらう、という名案があります。
 そして、バス停で待機していた職員が降りてきた乗客から料金を受け取る、というシステムが、その解決策の一つとして検討されているようです。

 これなら、降りる人の困惑の中で、発車ができずに長時間待たされたり、乗客が降りるのをしばらく待ってから乗り込むという、回りくどい現状は回避できます。
 降りるお客さまがまず車外に出てもらえたら、乗る人は暑い中をジッと降車が終わるのを待たなくてすみます。

 もちろん、新しい取り組みにはいろいろと問題が発生します。
 それを、これから考えていこう、ということです。
 ここに記したのは、あくまでも降車時に料金を支払う場合です。
 前から乗って、まず料金を払う方式の場合は、こうした問題は起きません。ただし、乗るために待ち行列ができる、という問題は発生しています。
 これらは、乗り降りの多い観光名所のバス停を中心にして、試行錯誤の実験を進めたらいいと思います。

 私の小さい頃には、バスには首から小さなカバンをぶら下げて、車内で切符を売る車掌さんが乗っていました。今でも、海外では見かけます。
 バスガールという言葉もありました。
 2人乗務が、ワンマンカーの普及と共に、運転手さんだけになり、こうした降車口での混乱という問題が発生しているのです。
 その点、電車のワンマン化は、駅の改札口で料金のやりとりが完結しているので、こうしたバスのような問題は発生していません。

 それはともかく、今朝のことです。
 前のドアから乗客が全員降りてから、バスが少し前に移動し、真ん中にある乗車口が列の前列につけられるのかと思いきや、バスは動かずに真ん中のドアが開いたのです。
 ちょうど列の前から5人目の位置にいた私の目の前で、乗車口のドアが開いたのです。

 一瞬、反射的に足を踏み出して、バスのステップにかかりそうになりました。
 周りの方が先頭の方に、どうぞどうぞ、と言っておられ、みんなは列に並んでいた順にバスに乗り込みました。

 目の前でドアが開いたので、乗ろうと反応した自分を反省するとともに、みなさんのマナー遵守の姿勢に感服しました。
 整然と列を乱さずに乗り込まれる方々を見ながら、これが関西だとどうだっただろうか、と思い比べてしまいました。

 今日の場合は、乗客のほとんどが年配の方でした。
 高齢化社会となり、ますますルールを守る人と守らない人が目に付くようになりそうです。
 ルールを守らないのは、自己中心的ではなくて、加齢による思考力の低下や忘却という要因が多々想定できます。
 これからは、自分の意思とは別にルールを守れない人との、なかなか微妙な共存社会となっていくことでしょう。

 その基本には、思いやりであり譲り合う心があると思います。
 かといって、人のことばかりに気遣っていては、自分をなくしてしまいます。
 その平衡感覚を保つようにすることと、その感覚をなくした人に対する接し方について、自分の反省を踏まえて、少し考えてしまいました。
 
 
 

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2015年7月22日 (水)

アイドリングストップと熱中症を避けること

 東京も京都に劣らず猛烈な熱暑です。
 通勤で降り立つ立川駅からは、少しでも炎天下を歩く距離を短くするために、モノレールを使わずに職場の真ん前の停留所「立川学術プラザ」に停まるバスに乗りました。

 始発となる立川駅前に到着したバスの中で出発を待っていると、エンジンが切られていることに気付きました。車中で7分ほどの発車待ちです。

 日頃は、環境保護として排気ガス削減のためにアイドリングストップを励行していたのは、よく知っています。しかし、これだけ暑いのですから、エンジンをかけてエアコンを作動してもいいと思いました。もしかして、エンジンをかけなくてもエアコンは作動するかもしれませんが。

 車中のみなさんは、扇子や手団扇で少しでも風を感じようと必死の努力をしておられます。
 運転手さんは、じっと発車の時間を待っておられます。

 車内で誰か熱中症にでもなられたら、と、はらはらドキドキです。

 こんな時には、運転手さんに一言だけでも「エアコンを」と言うべきなのでしょうか?

 これだけ暑くてもアイドリングストップを遵守しておられるので、バス会社には、何かそれなりの規則があるのでしょうか?

 それでも、何事もなく目的のバス停に着きました。
 一安心です。
 何とかならないものかと、もやもやした気持ちの車中でした。


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2015年7月21日 (火)

予想外に短命だった日立のLDE電球

 昨夏、自宅の台所の流し台の照明を、これまでの直管型蛍光灯からLED電球に換えました。
 LED電球は消費電力が少ない上に長寿命とのことだったので、長い目で見ると経済的だという判断によるものです。

 しかし先週帰洛して早々に、このLED電球が切れていることに気付きました。
 点かないのではなくて、点いているのか点いていないのか判別し難いのです。
 昼間はわからず、夜になると微かな光が感じられるだけの丸い球になっていたのです。
 踊り終わって消える寸前の線香花火が残す、赤い火の玉よりも暗いのです。

 商品は、日立の「LDA9D−G」で、8.8w(60w相当)でした。

 たまたま、購入した当時の情報が「価格.com」にありました。


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 この電球は、北大路駅上の北大路ビブレの中にある電気店で買ったはずです。
 60wの白熱電球が、百円ショップでも売られているご時世に、LEDタイプで確か2,000円弱でした。
 定年後には終の住み処となる自宅の、その居住環境作りにおける照明を見直す中で、徐々にLEDに換えていた頃でした。

 「価格.com」の情報の下部に、「新製品ニュース」があります。
 これを読む限りでは、このLED電球は当時最新のものだったようです。


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 説明文には「定格寿命は40,000時間」とあります。
 365日×24時間=8,760時間です。
 毎日点けっぱなしでいても、計算上は4年半は持つことになります。

 もっとも我が家は、東京と京都の二重生活を送っているために、この1年間でこの電球を点けた時間は非常に限定されています。

 これまでにも、多くの欠陥商品を手にしていることを、本ブログに書いてきました。
 ほとんどが、自動車であったり、コンピュータに関する、高度・高精細な機器にまつわるものでした。
 それが、ごく一般的な家庭用の電球でも、こんなことがあったのです。

 まだその未来が見えないままに、利点だけが強調されて店頭に並んでいるLED電球です。
 今は、こんなことがありました、という報告に留めておきましょう。
 
 
 

2015年7月 9日 (木)

「アメリカに勝ってほしい!」という表現をどう説明するか

 今週の記事、「主語の省略と助詞の変化で反対の解釈が可能となる日本語」(2015年07月06日)に対して、貴重なコメントをいただきました。

 私が提示した文例は、次のものでした。


「アメリカに勝ってほしい!」

 そして、これには次の2つの解釈が可能であることを問題提起しました。


(1)米国の勝利を願う
(2)日本の勝利を願う

 私には、以下のご教示のすべてが、まだ未消化の段階です。しかし、私1人で理解にかかっていてはもったいない濃密な内容なので、ブログを通していただいたコメントということで、3名の方からのご教示を拝受した順番に引用紹介します。

 いずれも、その説明にあたっての切り口が異なるので、いい勉強になります。

 いただいた文言はそのままですので、ご了承の程を願います。
 引き続き、この件に関するコメントをいただけると幸いです。
 
 
【A】
本日(6月7日)のブログ、とても興味を持って拝読いたしました。実は、英語と日本語で生活している関係で、日本語の曖昧さに苦労しています。

事例を挙げ出すと枚挙に暇がないのですが、国会議員・ジャーナリストを含めて曖昧な日本語で「論議」しています。この曖昧さゆえに、メディアの誤報も多いです。それに疑問を持つことなく、国会議員が国際活動を行なった昨年の事例をご紹介いたします。

昨年、元首相や野党幹部を含む日本の国会議員60名が、「陳情書」をノルウェーのノーベル委員会へ提出しました。日本人がノーベル平和賞候補になったので、その候補に授与して欲しいという内容の陳情書です。

陳情書によると、「憲法9条がノーベル委員会によってノーベル平和賞候補に推薦された。その9条に授与して欲しい」です。

実際に行なわれた推薦の実態は、「憲法9条を保持する日本国民(1億2700万人全員だそうですが!)が、誰かによってノーベル平和賞に推薦された」のみです。

日本の新聞や国会議員が大騒ぎする出来事では決してありません。国会議員や大学教授などは、どこの誰でもノーベル平和賞候補に推薦できます。候補には資格は不要です。ナチス・ドイツのヒトラーも、ソビエトのスターリンも、イタリアのファシスト党のムッソリーニもノーベル平和賞候補になっています。

憲法9条は候補にはなれません。推薦は各国の大学教授や国会議員などが行なうのであって、ノーベル委員会ではありません。二重の意味で国会議員は曖昧に状況を把握しているのです。

またこの曖昧さをあたかも利用するかのごとく、「憲法9条にノーベル平和賞を」などのキャンペーンが行われています。同賞は個人または団体に授与されるもので、憲法・憲章・法律などは授与対象にはなりえません。絶対に実現しないスローガンを用いて、国民と世界に日本人グループは訴えているのです。

先生の抱かれました疑問の答えにはまったくなりませんが、日本語と英語の違いをちょっと書いてみました。ご笑覧いただければ幸いです。
 
 
「好きやねん」と「アイ・ラブ・ユー」

「好きやねん」と言われて、「誰が誰を好きやねん?」と問い返す日本人はいないであろう。日本語会話では、「好きやねん」で十分通じるのだ。
「好きやねん」と言う人とそれを聞く人の間柄や、会話の状況から、「好き」と言えば誰が誰を好きと言っているのかが両者の間で明らかなのだ。
日本語では、動詞の主語や目的語を省略しても状況から意味が正確に理解できることが多い。しかし、諸外国の言語では、主語や目的語を省くと意味をなさない動詞が多い。「好き」「愛している」などの動詞のみでは意思が通じない。主語と目的語をつけて、例えば、「アイ・ラブ・ユー」とする。二人だけの間の会話で、誤解の余地がない場合でも主語「アイ」と目的語「ユー」を省くことはない。
ノーベル平和賞騒動は、この日本語の特徴をよく反映した。
「誰が(主語)何を(目的語)どうしたのか(動詞)」が、正確に確認・表現されることなく報道された。その報道を目にした国会議員の中には、報道記事中の主語と目的語のいずれも正確に把握することなく、議員活動に走った。ここに「ファルス」(笑劇)が生まれた。
ノーベル平和賞騒動は、「笑劇」程度で、危険を即もたらすものではない。しかし、国家安全保障や国際平和を論じる際に、日本語の発想や文の構成で論じると無駄を生じたり、時には危険をもたらす。
政治・経済・文化の国際化の進展で、国際社会で相互に影響し合うアクター(行為主体)は、主権国家のみでなく、多種多様な私企業・公企業・国際機構・NGOや、組織形態や内容などの特定が困難な各種グループからテロリスト集団まで、膨大な数に上っている。これらのアクターが「風が吹くと桶屋が儲かる」とは比較にならない複雑さで影響しあっているのが今日の地球社会である。
国際社会における平和を考え論じる場合、これらのアクターの「どれが主語」で「どれが目的語」なのかを明確に見極め、「どうすべきなのか=動詞」を明確に定義しないと、実効性ある帰結をもたらさない。

日本語で主語や目的語を省くことが多くなった理由や歴史は知らない。しかし、万葉集にもそのような事例が多く見られる。和歌の世界ではその後も一貫して見られる。和歌と国際政治とは無関係ではない。言語形態が思惟形態に影響を与える。日本語の特質をしっかりと認識してかからないと危険である。

万葉集巻第二〇・四三二二番  若倭部身麻呂

我妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さえ見えて よに忘られず 

➀ 主語は、「私の妻は」と明確である。

➁ 「激しく恋しがっているらしい」の目的語は省かれているが、「私を」である。(若倭部身麻呂が妻を恋しがっているのも事実であるが。)

➂ 「飲む水に」は、「私が」が省略されている。「私が飲む水に」である。

➃ 「影さえ見えて」は、「私が飲む水の上に妻の影が見える(映っている)」である。

➄ 「どうにも忘れられない」のは、「私は」「妻を」どうしても忘れられないのである。

主語や目的語を完全に省いたり、明確に目的語を明らかにしなくても文意が読む者、聞く者に伝わる日本語とは対照的に、英語やドイツ語やその他の多くの外国語では明確であっても省略はしない。
ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネ(一七九七〜一八五六年)の詩に「宣言」がある。その一部に、話者がノルウェーの森の大きなモミの木を引き抜いてエトナ山の火口で火をつけ、暗い天空に火の筆で一文を描く広大な詩的風景がある。天空に描かれた一文は、次のようだ。

Agnes,ichliebeDich!(アグネス、我は汝を愛する! =私はあなたを愛している!)

「アグネス」と呼びかけているから、日本語的に考えると「アグネス、愛している!」)で、十分気持ちが伝わる。しかし、ドイツ語も英語の「アイ・ラブ・ユー」と同様にこのような文の構造になる。

日本語おける省略は、日常会話や詩歌の世界のみではない。
一例は、戦後に建立された「広島平和都市記念碑」(原爆死没者慰霊碑)だ。

安らかに眠って下さい  過ちは  繰返えしませぬから  (慰霊碑の表記通り)

「過ちは繰返しませぬから」の主語は省かれている。誰であろうか。この慰霊碑の英文解説では主語が「私たち」(we)となっている。

それでは、私たちとは具体的には誰を指すのか疑問が浮かぶ。
広島市の説明では、「全世界の人々」「すべての人々」である。
しかし、広島市・広島県・日本や、あるいは世界の誰かが、「繰り返しませぬから」と全世界の人々に代わって誓うことが果たして可能であろうか。
誓約とは、神聖なものであり厳格なものである。一国や誰かが全世界の人々に代わって行なえる性格のものであろうか。

広島市には、「和解の像」というブロンズ像も建っている。

「和解」は誰と誰の和解であろうか。今さら日米の和解の必要性をブロンズ像を建立してまで訴える必要はないであろう。この像は、英国のビジネスマンによって寄贈された。第二次世界大戦で戦った日英間の和解であろうか。まさか、人類と核兵器の和解ではなかろうが。
 
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【B】
はじめまして。中古文学の文法に興味がある関係で、よく拝読しております。
国文法を少しかじったことがあるのですが、問題の「アメリカに勝ってほしい」の多義は、一つの文に同じ格助詞ニが複数回出ること、それぞれの格助詞ニが意味が異なっていること、によるのではないでしょうか。
「勝つ」は「AガBニ勝つ」という格枠組みをとります。勝者はガ格項Aです。
これが、話者の願望を表すシテホシイと結びつくと「私ガAニBニ勝ってほしい」という格枠組みになります。Vシテホシイは、Vがとるガ格をニ格に変換します。「日本がアメリカを倒す」は「私が日本にアメリカを倒してほしい」になります。
また、Vシテホシイのガ格項は通常、一人称に限られ、頻繁に省略されます。「AニBニ勝ってほしい」がよく見られることになります。条件が揃えば「太郎は日本にアメリカに勝ってほしかったらしいよ」とも言えます。
問題の文では、まず、元のVがニ格項をとる動詞である上にVがとるガ格項がテホシイによってニ格項になり、ニ格項が2つ存在しています。最初のニ格項はVのガ格項で勝者であり願望の向かう先です。後ろのニ格項はVの元々のニ格項で敗者です。それぞれのニ格項の意味が全く異なります。「日本にアメリカに勝ってほしい」の時点で、語順が自由である日本語では、どちらの二格項がどちらの意味を担っているのかが識別できず曖昧になります。
このうち片方が省略され「Xに勝ってほしい」となったのが問題の文です。XがAなのかBなのか、最早分かりません。
一つの文に同じ格助詞が複数出てくることはよくあります。その場合、どちらの格助詞がどちらの意味であるかはよく曖昧になります。また、特にニ格項は多義の幅が広く、行為が向かう場所を表す場合(アメリカに行く)もあれば行為が出発する場所を表す場合(太郎に殴られる)もあり、他にも正反対のものを表すことがあります。
と、このような説明を考えたのですが、いかがでしょうか。
 
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【C】
僭越ながら・・・
(1)米国の勝利を願う
場合の「に」は、『大辞林』の分類によれば「動作・作用の起こるみなもとを表す」ものです。通常は受身・使役とともに使われます(「母に叱られた」→「叱るのは母」)が、「ほしい」が使われているので使用可能(「勝つのはアメリカ」)です。
(2)日本の勝利を願う
場合は、同様に「に」が「目標・対象などを指定する」意味で使われています。受身・使役でもなく「ほしい」や「もらう」もない場合はこちらの読みしかできません。
 なお、「は」「が」は、ここでは本質的な問題ではありません。
 おそらく以上で正しいかと存じます。
 
 
 

2015年7月 6日 (月)

主語の省略と助詞の変化で反対の解釈が可能となる日本語

 女子サッカーのワールドカップ決勝戦は、早々の大量失点で挽回できないままに終わったことは残念です。
 しかし、昨日の宮間キャプテンのインタビューで、女子サッカーがブームから文化へと移行することを願っているという、次世代を担う若者を意識した発言がありました。決勝戦を控えてのことばとして異例であり、その志の高さに敬服しました。
 今日の決勝は、その意味では、優勝に負けず劣らず貴重な、今後につながる成果となったと思います。

 さて、先日の準決勝の試合では、日本がイギリスに劇的なオウンゴールで勝ちました。
 予想外の結末に、運を引き寄せることについて、その依ってきたるものを思い描いています。
 努力だけでは片づけられない、強い思いの引力が、その原因の1つのように思えます。
 その強い思いをいかに鍛練し、形成し、持続するかが、その背景にあるようです。

 その準決勝でイングランドに勝ったことを伝えるニュースをテレビで見ていた時のことです。
 サッカーファンへの決勝戦に向けてのインタビューにおいて、街角の方のこんな発言が耳に残りました。


「アメリカに勝ってほしい!」

 あれっ、と思い、しばし自分の中で想定問答を繰り返しました。
 これには、相反する2つの解釈が可能だと思ったからです。

(1)米国の勝利を願う
(2)日本の勝利を願う

 日本人へのインタビューなので、当然のことながら(2)の意味での発言として放送されたはずです。

 しかし、(1)の意味でアメリカの勝利を期待することと解釈しても、間違いではないと思います。
 主語を「私は」とすると、「私は、アメリカに勝ってほしい!」となり、「米国の勝利を願う」という(1)の意味合いが強くなるからです。もっとも、「私は【日本が】、アメリカに勝ってほしい!」となると、また意味は逆転します。

 これに対して、「日本は」を主語にすると、「日本は、アメリカに勝ってほしい!」ということで、「日本の勝利を願う」(2)となります。上記の例と同様に、「日本が、アメリカに勝ってほしい!」とも言えます。

 素人判断ながらも、助詞の「に」「は」「が」の機能が起因する問題のようにも思われます。ただし、今の私には荷の重い問題で、そのことをうまく説明することはできません。
 主語の問題で片づくのかどうか。助詞についてはどのような説明を専門家はするのだろうか、等々。

 日本語表現では、省略された主語や助詞の使われ方で、こんな違いが生まれるのです。
 文法的には、こうした混乱が生じないような、それなりの説明ができるかもしれません。
 しかし、今私がわかる範囲で思うことは、日本語は曖昧な表現になることもある言語なので、気をつけないといけない、という自明のことに留まります。

 こうした表現について、どなたか、わかりやすい説明をご教示いただけると幸いです。
 
 
 

2015年5月 4日 (月)

楽しかったお茶漬けの1日

 終日、お茶の稽古漬けでした。

 自宅でお茶を点てながら、早朝よりお客さまと楽しい話で盛り上がりました。
 料理やお茶や国語や外国の方々の話だったので、妻と娘も一緒によく喋りました。
 私が点てるお茶が話のきっかけ作りとなり、様々な話題が展開したおもしろい一時でした。
 こんな時間が持てるのも、お茶の効用です。

 午後は、娘と一緒に大和平群へ、お茶のお稽古に出かけました。

 朝から予習をしていたとはいえ、やはりお稽古は緊張します。そして、毎度のことながら、思うようにはできません。

 いつものように、丸卓を使います。
 今日のお客様とのやりとりを先生に説明しながら、細かなお作法のことを教えていただきました。

 丸卓は、あまり茶道に馴染みのない知人やお客人を迎えた時に、お茶を差し上げながらも、相手に余計な気遣いをしていただかないでお話ができる設えだと思います。道具を持って出入りすることが少ないので、ゆったりと一緒にお話ができます。
 柄杓や蓋置や棗を丸卓の上に飾るので、見た目も変化があっていいのです。
 今の私の技量では、一番会得したいと思っているおもてなしの方法です。

 そんな事情があり、実際に自宅のお茶室でおこなう所作を踏まえたお稽古をしていただいています。
 非常に具体的な質問ができるし、また実態に即した柔軟な指導が受けられます。
 私にとって、このお稽古は得難い貴重な時間です。
 私が何でも遠慮なく聞くので、先生も大変だと思います。
 わがままを聞いていただけることは、ありがたいことだと感謝しています。

 今日は、また新しいことを教えていただきました。
 今後は、身体の不自由な方を自宅にお呼びすることが想定されます。その時にどうしたらいいのかをお聞きしたのです。

 すぐに、近くにあった小振りの折りたたみ椅子に座らされ、お茶を畳の縁外に置いてくださいました。
 高さが30センチほどの安定感のある椅子だったので、前屈みになって手を伸ばすと、ちょうどいい具合にお茶碗を手に取れるのです。
 これなら、介助の方が横からお茶わんを差し出してもいいのです。なるほど、納得です。

 来月の大きなお茶会のための、たくさんのお茶碗も拝見しました。
 物を見て、触って、お話を伺って、と、贅沢な時間があっという間に過ぎていきます。

 少しでも多く記憶に留めておこうと、こうして書き記しています。
 しかし、意に反して、何日かするとほとんど忘れます。

 続けることと繰り返すことで、何とか身体に覚えさせるしかないようです。
 
 
 

2015年4月20日 (月)

雨風の横断歩道で自転車と接触

 このところ、天気が不安定です。
 寒暖の差が烈しく、雨が割り込んできます。

 今日は二十四節気でいうところの穀雨。
 穀物の成長を助ける春の雨が降る頃です。

 その雨も、夕刻から少し小振りになりました。
 ただし、風だけは強く吹いていた、夕暮れの帰り道でのことです。

 横断歩道で、無理やり直進してきた自転車と接触しました。
 その時の状況は、不思議と再現できるほどに、よく覚えています。

 私は、大きめの透明のビニール傘で風を除けながら渡っていました。
 渡り切ろうとしていたところへ、向かいから猛スピードの自転車が来たのです。

 自転車は、黒っぽい傘を前に翳しながら、雨風を除けながら突き進んできます。
 小雨の中の信号は、ちょうど雨に乱反射しながら点滅しだしたところでした。

 自転車に乗っていた方は、傘に隠れていて顔が見えません。
 黒っぽい服を着た、年配の男性だったように思います。

 私は透明のビニール傘越しに、その自転車が視界に入っていました。
 とっさのことだったので、反射的に右側に身体をかわしたのです。

 よくあることですが、相手も私と同じ方にハンドルを切ろうとされます。
 私が声を上げたので、慌てて直進されました。

 その擦れ違い様に、私の傘と相手の傘が鋭くぶつかったのです。
 自転車の方は、片手ハンドルで左手に傘を持っておられました。

 傘は、お互いの半分ずつがぶつかりました。
 傘が大きく撓り、ぽんと弾かれる感触が、手首に伝わってきました。

 相手の方は、猛スピードで走り去って行かれました。
 急いで横断歩道を渡ろうとする人ごみの中で、すぐに見失いました。

 私の身体は自転車とぶつかることもなく、まわりの人との接触もありませんでした。
 ただし、私の傘の骨が1本、無残にも折れ曲がってしまいました。

 特に怪我もなく、幸いでした。
 被害は、傘の骨だけです。

 自転車に対する社会的なマナーが問われています。
 歩道を自在に走る自転車との接触事故は、後を絶たないようです。

 スマホ片手の自転車走行もよく見かけます。
 自転車が軽車両であることを周知する必要があります。

 車椅子は、道路交通法の規定では「歩行者」として取り扱われることを知りました。
 シルバーカーやシニアカーは歩行補助車であって、軽車両ではないそうです。

 今日は、相手の無茶な突進が見えていたので、何とかかわすことができました。
 しかし、こうしたことは今後とも起こりうることです。

 注意をしていても、避けられないトラブルはあるものです。
 目の見える私がこうだったので、目の見えない方々のことが気になり出しました。
 
 
 

2015年3月19日 (木)

京都から来たインコと第3世代のメダカたち

 我が家には、いつも小さなペットがいます。

 結婚してから、まずセキセイインコを飼い出しました。
 大阪の八尾にあった実家に帰る時には、小さな弁当箱に入れて新幹線で一緒に旅をしました。

 子育てをしていた奈良では、ウサギとセキセイインコと金魚が、子供たちの相手をしていました。
 金魚は、幼稚園の金魚すくいでもらってきたものでした。それが大きくなりすぎて、鯉のようになったのです。一番大きな水槽にして、出窓を全部使って世話をしました。しかし、それでも狭くて自由に泳げなくなったので、子供たちと一緒に龍田川へ放しに行きました。子供たちは、大きな声でさよならを言っていました。

 京都に移ってからは、セキセイインコとメダカがいました。
 縦に長い京町家なので、インコは自由に家の中を飛び回っていました。

 今、東京の宿舎には、セキセイインコとメダカがいます。
 このセキセイインコは、4年前に京都の家から新幹線で東京に連れてきたモグチャンです。


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 京都は木造の町家で寒暖の差が烈しいのに比べて、東京はマンション形式の四角いコンクリートの部屋です。インコにとっては、南向きで暖かい東京が気に入っているはずです。
 もっとも、東京にはエアコンがないので、扇風機の網に止まっています。夏は、京都の方が賀茂の川風が家の中を通り抜けるので、かえって過ごしやすいかもしれません。
 2年後に京都へみんなで帰るので、その時にインコの様子を観察したいと思っています。

 インドにいた時には、インコといっても大群が空を覆うようにして移動していたので、不気味な感じでした。しかし、1羽だけの小鳥は、かわいいものです。

 今いるメダカ3匹は、この東京では第3世代目です。


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 これまでのメダカ達のことは、以下の記事をご笑覧ください。

「新しく我が家の一員になったメダカたち」(2012年09月05日)

 いつも身近に、小さいながらも生き物たちがいる、というのはいいものです。
 
 
 

2015年2月 5日 (木)

肩すかしだった関東の大雪予報

 天気予報では、今日の関東甲信越地方は大雪とのことでした。
 雪に脆いとされる都会は、この大雪にはすぐに過剰な反応をします。
 自然に逆らって存在する都会が抱える、人間としての負い目が露呈するのです。

 早朝の電車に乗ると、乗客のみなさんはダウンのコート、雨靴、丈夫な傘で備えは万全でした。
 これまでの苦い経験があるので、首都圏の雪対策はすでに学習済みです。
 首都圏は、人間としてやってはいけないことだらけで構築されているので、自然の脅威には従順です。

 しかし、お昼を過ぎてもみぞれ混じりの湿っぽい雪は降るものの、積もりそうにはありません。

 その後も会議や書類作りに忙殺され、雪で帰れなくなる前に職場を出ようと思いつつも、いつしか夜になっていました。

 20時頃になって、やっと仕事から解放されるメドがたちました。ブラインド越しに外を見ると、何と雪どころか雨も降っていません。

 大雪の中を帰る覚悟だったので、拍子抜けの感を拭えません。雨が上がっている中を立川駅に向かいながら、どうなっているのか狐につままれた気持ちでした。

 これは、良かったことなのです。しかし、最悪の事態を想定していた一日だったので、突然タガを外された心が居場所をなくして戸惑っています。気持ちの準備が、予想外の現実になかなか追いつきません。とにかく、天気予報は大きく外れたのです。

 電車の中でも、長い傘を持った人たちが、何となく手持ち無沙汰の面持ちで傘の柄を握りしめておられました。

 東京でも西郊に位置する多摩地区は、都内よりも格段に寒いところです。しかし、今日は大雪にはなりませんでした。緊張感が一気に解れ、うつらうつらとした電車での帰路につきました。
 
 
 

2015年2月 2日 (月)

映画「マエストロ」を公開初日に豊洲で観て

 映画「マエストロ」が公開された初日(1月31日)に、初回上映で観ました。
 どの映画館で観ようかと思案した末、人混みの中の有楽町と日本橋の映画館はパスをして、宿舎から一番近い豊洲にある「ユナイテッド・シネマ豊洲」にしました。「ららぽーと豊洲」の3階にあります。ただし、この映画館に入るのは初めてです。

 映画館の休憩スペースからは、目の前には晴海大橋が、その左には東京オリンピックで選手村となる工事が始まっている有明地域が望めます。


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 ネットでチケットをあらかじめ確保しようとしました。しかし、手続きが煩雑でうまく取れないまま、映画館のカウンターに行って座席を確保しました。
 ネットでの手続きは、未登録者にとっては敷き居の高いものとなっていると感じました。ネットは便利なようで、うまくいかない時には面倒なものです。

 さて、予想通り初日の初回上映ということもあり、入場者は少なかったので楽に観られました。小さなスペースでも、座席と足元はゆったりとしています。最近の傾向です。

 私はクラッシック音楽には馴染んでいません。高校の教員時代に、音楽と歌舞伎の熱烈なオタク先生と仲が良かったので、いろいろな情報が自然と入っていました。
 私が『源氏物語』の異本や異文に興味をもっていたこともあり、彼からはブルックナーの交響曲の異版のことをたくさん教えてもらいました。そのこともあり、ブルックナーのLPのほとんどを購入しました。
 今も、ブルックナーだけは聞く機会があります。最近は、交響曲第0番が気に入っています。

 今回の映画では、ベートーヴェンの「運命」とシューベルトの「未完成」がたっぷりと流れていました。映画としては異例です。指揮者の佐渡裕氏が、しっかりとバックで支えておられたからでしょう。また、ピアニストの辻井伸行氏の音も、エンディングでゆったりと聞きました。

 興味深い人間のドラマを観ながら、いい音楽も聴くことができました。1粒で2度美味しい映画です。

 ヴァイオリニストでコンサートマスター役をつとめた松坂桃李さんは、昨年の「テレビドラマ『全盲の僕が弁護士になった理由』を観て」(2014年12月01日)から注目していました。そして今回も、その持ち前の本物指向から徹底的な観察力によって、役柄の研究をされたようです。鎖骨にアザができるほど、ヴァイオリンの練習をされたとか。勉強熱心でありながら、それでいて演技ではごく自然に振る舞えるのが、この松坂さんのいいところだと思っています。

 緩急の妙が発揮された映画でした。
 
 
 

2015年1月 7日 (水)

新年会と山田先生の最終講義

 東京都心を横断している中央線は、今日も遅れて走っていました。
 長距離を移動することの多い私の生活では、列車内で読書や書きものが捗るので、電車の遅れは時間を有意義に使える貴重な空間ともなります。

 今日は、午前中は職場の大会議室で新年会があり、今西祐一郎館長の年頭のご挨拶を伺いました。
 その後、教職員全員が南出口前で記念撮影をして散会となりました。

 午後は、今年度で定年を迎えられる山田哲好先生の最終講義がありました。
 題目は、「最後の文書整理と目録編成-佐渡国加茂郡原黒村(現・佐渡市)鵜飼家文書-」です。

 山田先生は国文学研究資料館では最古参の教員です。4年前には、インドで開催した〈インド国際日本文学研究集会〉で、東日本大震災に関する「3.11 被災記録資料のレスキュー活動 -岩手県釜石市での実践」と題する発表をなさいました。被害に遭った文書類を救出・修復することについて、詳細な報告をしてくださいました。
 デリーで一緒にお寺に泊まり、大学や施設を回ったことなどを思い出しました。

 今日のお話で、現在取り組んでおられる鵜飼家文書の整理に関して、その大仕事の詳細がよくわかりました。
 今回はアーカイブズ学の視野から、膨大な文書を整理されたことが中心となる内容でした。次の機会には、あらためて文学に関する古典籍についてのお話を伺えれば、と思いました。

 山田先生、今後とも変わらぬ温かいご教示を、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2014年12月15日 (月)

片手間ヒロイン映画『女子ーズ』を再度観て

 今秋、カナダからの帰りの飛行機で観た日本映画『女子ーズ』について、本ブログの「カナダからの帰りの機内は気忙しくて」(2014年09月30日)の末尾で、以下のコメントを記しました。


 「女子ーズ」は、脱力系ながらも楽しめる佳作です。地球の平和のために、5人の女の子のヒーローが怪獣たちと闘います。闘うまでの、怪獣たちとのやりとりは秀逸です。女の子の言い分を理解して、暇そうにダラダラと時間つぶしをする怪獣たちの様子がいいですね。登場人物や怪獣たちの掛け合いが、緩急自在に生き生きと描かれています。
 女の子たちの仕事や興味の話が、少しくどいかと思いました。しかし、傑作映画だと言えるでしょう。もう一度観たい、と思っています。【4】

 その後、レンタルDVDが出たので早速観ました。
 再度観て、やはりおもしろい映画であることを再確認!
 「映画「女子ーズ」公式サイトもあります。


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 平成時代における若い女性のものの見方や考え方に加えて、行動規範がコミカルに描かれています。

 私が一番印象に残ったのは、後半で陸橋の袂に座り込んで通過する人をカウントするイエローのアルバイトのシーンです。この場面では、時間の流れが異様にゆったりとしています。同じ頃、戦闘場では、地球を征服するために来た怪獣や怪人たちが、決戦の時を暇そうに待ってくれています。

 イエローの役柄が気に入りました。高畑充希が演ずるイエローのとぼけた台詞とコミカルな演技は、この作品の雰囲気をしっかりと支えています。次に観る機会があったら、このイエローだけを観てもいいかもしれません。

 地球の平和を守るために出動が要請されているとき、自分が生きていくためのアルバイトの仕事をどうするか、という女子ーズの苦悩の背景に、制作者の深い思いが伝わってきました。

 映画の各所に、「今それをしなくても」という突っ込みを入れたくなります。
 ひるがえって、それは自分の日々にも跳ね返ってきます。
 
 
 

2014年12月 9日 (火)

若い女性に小言を投げつけるおじさん

 立川駅で電車に飛び乗り、空いていた左端のドアに近い席に座り、今日のブログを書き出した時でした。隣のおじさんが、右端の若い女性に悪態をつきだしたのです。

 曰く、毛糸の編み棒が危ない、とかなんとか。
 ちらりと見ると、確かに女性は一生懸命に編み物をしておられます。


いつもそんなことをしているのか?
電車の中でする事じゃぁないだろ!
長い棒が人に当たったらどうする?

果ては、


どんな教えを受けて育ったんだぁ!

などなど。
 次第に口調が興奮していくのがわかります。

 あまりにもしつこいので、女性は次の駅でスッと立ち上がってホームをすたすたと。
 最後まで編み棒を仕舞うことなく、阿呆おじさんを無視して立ち去る姿は、おじさんの負けです。
 おじさんはすぐに、空いた右端に移動です。
 私は、このあたりで、今日のブログのネタをこの様子に切り替えました。

 やがて、別の女性が、私とおじさんの間に座られました。
 座るやいなや、その女性が、やおら携帯電話を出された途端に、くだんのおじさんが電源を切れと食ってかかるのです。

 女性は、今電源を切るためにカバンから出したのですよ、と丁寧な言葉遣いで答えておられます。確かに、横の女性の手元を見ると、電源が切られる瞬間でした。
 くどくどと、ここは携帯電話の電源を切る場所だ、とねちっこく絡んでくるおじさんを尻目に、女性は電源を切るとサッとカバンの中へ。

 私もかつては、電磁波について問題意識を抱き、電磁波測定器を持ち歩いていたものです。しかし、最近はその数値が異常ではなくなり、医療機器への影響も、実際にはどれくらいのものなのかがわからなくなりました。
 そんな中で、間に座られた女性は、実に指示に素直な方だったのです。

 二の句が継げなくなったおじさんは、そのいらだちを手元のプリントにボールペンで殴り書きすることで晴らしておられました。
 A4のプリントに、大げさな身振り手振りで、わざと音が出るようにペン先を叩きつけて線を引いておられます。かと思うと、紙が破れんばかりにグワッと大きな丸を書かれます。ボールペンを乱雑に扱うと、あんな音が出ることを初めて知りました。

 そんなおじさんを右端に感じながら、私は今この文章を iPhone に入力しています。
 おじさんは、最初から私が iPhone を使っているのに、私には何もおっしゃいません。

 スーツにコートを羽織った、サラリーマン風の年配の方です。
 職場や家庭で何があったのでしょうか。気の毒になるほどの、ぶざまな姿を見せつけられました。
 人生の終末を迎えるころになって、こうした醜悪な態度を公衆の面前で取ることになるとは、どんな人生だったのでしょうか。いろいろとあったとしても、これははた迷惑でしかありません。

 高齢化社会となり、今後とも年配者が若者に難癖をつけることが多くなることでしょう。しかも、標的は若い女性に……
 齢を重ねるにつれて、若者が疎ましく感じられることもあるでしょう。
 退職と共に、新たな生き方がわからないままに、そのはけ口を若者に向ける人もおられることでしょう。
 電車が、そうした高齢者の憂さ晴らしの場となってはいけません。

 若者たちも、こうした人にどう接していいのか、よくわからないままでいるはずです。ひたすら無視するしかないとしても、それが当たり前の社会になっては、あまりにも寂しいことです。

 今日のシーンを見て、すでに進行しているのか、これから蔓延していくのか、今の私にはこうした実情はわかりません。おばさん編も含め、さらには関西と関東の気風の違いもあることでしょう。
 しかし、いずれにしても、老若男女が心穏やかに居心地のいい生活を送れるような、そんな高齢化社会にしなくては、という思いを強くしました。
 
 
 

2014年10月13日 (月)

日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)

 11日に筑波大学東京キャンパス文京校舎で開催された、日本盲教育史研究会についての続き(その3)です。
 書きたいことはたくさんあります。しかし、その時間的な余裕がないので、これまでに留めます。

 午後の部の広瀬さんの記念講演に続いての後半は、3組の研究報告がありました。

 まず、「日本のヘレンケラー 小杉あさ」について、静岡県立浜松視覚特別支援学校教諭の足立洋一郎氏です。これは、近刊著書『愛盲』をもとにした一女性の紹介と盲教育史の問題点を語ってくださいました。
 今回、この本を入手しましたので、その内容については後日「読書雑記」として取り上げます。

 続いて、「盲ろう教育・福祉」と題して、元筑波技術大学教授の岡本明氏と山梨県立盲学校教諭の白倉明美氏の貴重な調査報告がありました。
 教育という観点から、どのようなプロセスで言葉や文字を教えると効果的であるか、ということがよくわかりました。また、膨大な資料が残されていることも驚異でした。

 最後は、「小西信八の伝記編纂について(中間報告)」と題する、国立特別支援教育総合研究所客員研究員の大内進氏と元筑波大学附属盲学校教諭の岩崎洋二氏の、私の興味をいや増しにする興味深い報告でした。

 私は、この小西信八の明治から大正時代における盲唖教育での功績の中でも、特にかな文字論者だった小西に興味を抱きました。点字がかな文字論の影響を大きく受けていると思われるからです。ルイ・ブライユが考案した6点式点字を日本語用に翻案し日本点字の父といわれている石川倉次と、小西は「いろはくわい」で出会っています。配布された「小西信八略年表」によると、次のようにあります。


1884(明治17年)30歳
 1月27日 「かなのくわい」(於虎ノ門 工部大学校)に出席、同席した石川倉次に「コニシ ノブハチ」の名刺を差し出す。

 以下、資料に記載された次の文言に目が留まりました。


1890(明治23年)36歳
 11月1日 第4回点字選定会に出席、諸案の内 石川倉次案を決定。

1891(明治24年)37歳
 11月7日 東京盲唖学校第3回卒業式で「訓盲文字」翻案と点字の普及の話。

1894(明治27年)40歳
 3月8日 天皇大婚満25年祝賀品を献上(前年アメリカより購入した点字印刷機で制作した点字本2冊、聾生の画集2巻など)

1899(明治32年)45歳
 10月26日 帝国教育会国字改良部を発足、部長前島密、幹事小西信八など。
 12月9日 帝国教育会国字改良部が開催、仮名部会委員に選出される。

1900(明治33年)46歳
 1月27日 タイプライターを持参し、女子師範学校に話にでかける。
 5月21日 第12回卒業証書授与式、全国師範学校長を来賓に迎え、点字学級や聾学級の設置を推奨する。

1901(明治34年)47歳
 4月 卒業式の日、創立25年・点字採用10年の記念式を行う。
 4月22日 官報学芸欄に小西信八報告「日本訓盲点字」が掲載される。
 10月1日 帝国教育会国字改良部例会に出席、「言文一致の文の書き方の標準」を決議する。

1911(明治44年)57歳
 7月1日 東京盲学校において国語点字仮名遣いに関する会議。

1912(明治45年)58歳
 1月30日 東京盲学校で開催の「点字発明記念会」(ブライユ生誕百年・石川倉次誕生会)に出席し、演説。

1915(大正4年)61歳
 7月23日 日本訓盲点字翻案満25年祝賀会に出席。

1937(昭和12年)83歳
 11月1日 東京盲学校点字翻案記念研究会に招かれ、玄関で石川倉次と記念写真。

 閉会後、大内さんに上記引用箇所の内で1900(明治33年)の「タイプライターを持参」とある点に関して質問しました。これは、私がかつてひらがなタイプライターを使っており、ここではその前身となるカタカナのタイプライターでもあったのかと思ったからです。いただいたお応えは、かなタイプライターはまだなかった時代なので、英文タイプライターであり、ローマ字で打ったものではなかろうか、とのことでした。

 大内さんとは懇親会でもお話しをする機会を得、今回科研に申請を予定しているプロジェクトにも参加していただくことになりました。いい出会いとなりました。

 会場後ろでは、資料や参考文献などが並んでいました。
 今回は次の3冊を買い求めました。
 いずれ、読んだ後に紹介するつもりです。


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 懇親会は茗荷谷駅前でありました。大勢の参加者で、一室が満員となりました。

 埼玉県特別支援学校塙保己一学園の根岸先生、視覚障害者支援総合センターの星野さんを始めとして、多くの方々に古写本『源氏物語』を目の不自由な方と読む取り組みについてお話ができました。興味をもって聞いていただけたことは幸いでした。
 さらには、日本盲教育史研究会の会長である引田秋生先生からは、『源氏物語』の変体仮名を読むことについて、過分の賛辞と期待に加え、壮大な夢の実現に協力するとのありがたい言葉をいただきました。

 もう後には引けなくなっていることを、肌身で感じる懇親会となりました。
 みなさん、ありがとうございます。ご理解とご教示に感謝します。

 多くの方との出会いがあった懇親会の後、帰りの電車の中では、日本社会事業大学の青木さんと筆談で会話をしました。聾唖者の方との会話は初めての経験でした。国文学研究資料館の同僚とも知り合いだとわかり、親しく地下鉄のシートに並んで座りながら、ノートとボールペンを代わる代わる交換して筆談を交わしました。つい私が口で話をすると、大丈夫、唇の動きで言っていることがわかるから、とのことでした。
 それにしても、日ごろは人前で文字を書くことがないので、こうして自分が書く字の下手さ加減には辟易します。ワープロに馴染んでいる日々に反省をする始末です。

 これまでまったく知らなかった方々との出会いに恵まれ、充実した研究会の参加となりました。
 
 
 

2014年10月12日 (日)

日本盲教育史研究会に参加して(その2/3)

 11日に筑波大学東京キャンパス文京校舎で開催された、日本盲教育史研究会についての続き(その2)です。

 昨日のブログに書いたように、午前の部は3名の方の15分ずつの報告がありました。

 文科系の研究発表では、1人25分というのが一般的です。しかし、この研究会では1人15分という短い時間なのです。私の感覚から言うと10分も短い持ち時間なのに、各人の内容が非常によくまとめられており、その発表に臨む真摯な姿勢に感心しました。
 文学に関する研究成果を人前で公表するにあたっては、いろいろと紹介や説明すべきことがあるせいかもしれません。しかし、それにしても、この手際の良さには見習うべきことが多いように思いました。

 また、午前の部をしめくくるにあたり、座長ともいうべき岸先生からお3方の発表について、簡にして要を得た総評がありました。初めて聞いた発表内容が、先生の寸言ですっきりと自分の中でまとまり、ストンと落ちました。若者に育ってほしいという、先生の気持ちも伝わってきました。
 誰にでもできることではないにしても、お手本にしたいと思います。

 今回の会場である筑波大学東京キャンパス文京校舎の中には、昨日の記事の冒頭写真にあるように、放送大学が入っていました。
 実は、この研究会があった昨日の15時から、放送大学の平成26年度第2学期の面接授業説明会が開催されるとの連絡をいただいていました。しかし、私は能天気にも、以下の返信を放送大学の教務係に送っていました。


連絡をありがとうございました。
10月11日(土)は終日「筑波大学東京キャンパス文京校舎」にいます。
近くにいるのですが、残念ながら行くことが叶いません。
またの機会にいたします。

 迂闊にも、日本盲教育史研究会が開催された1階134教室の上に、当の放送大学の事務室があることを知らなかったのです。別の敷地かと思い込んでいたのです。まさか、まさか。こんなことがあるのです。

 現地に行ってそのことに気付き、お昼休みに2階の事務室に駆け付け、教務係の奥山さんとお話をし、説明会の資料だけを拝受しました。

 来月の放送大学での私の講義は、以下のように告知されています。

「専門科目:人間と文化 ハーバード大学本源氏物語を読む」

 この講座の受講者の募集は、あと1ヶ月あります。
 もし、ハーバード大学本『源氏物語 須磨』を読んでみようとお思いの方は、お気軽にどうぞ受講手続きをなさってください。定員78名までには、昨日現在のところまだ少し余裕があるようです。
 800年前に書写された写本で『源氏物語』を読む楽しみを、共に体験しませんか。

 さて、日本盲教育史研究会の午後の部は、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんが記念講演をなさいました。
 演題は「触常者とは誰か—盲人史研究から「さわる文化」論へ—」です。
 「触常者宣言」の背景や問題点、そして未来について、ご自身の経験をもとにして楽しく語られました。

 以下、私がメモをしたことを、後で思い出せるように記録しておきます。

・「触常者宣言」の趣意
・平家物語にはなぜたくさんの色が出てくるのか?
・琵琶法師の語り︰那須与一の段をCD-ROMで会場に流す。
・今井検校の平曲の語り
・ラブレターを点字で書いたことの意義
・瞽女唄の定番である「葛の葉の子別れ」を会場に流す
・最後の瞽女である小林はるさんのこと
・刈羽瞽女の伊平タケさんと朝比奈さんの「まんざい」を聞く
・この研究分野における理念先行をどうするか
・「ユニバーサル・ミュージアム」の六原則については省略

 なお、広瀬さんの講演の最後の数分間を、ご指名を受けて、私がこれから取り組もうとしている古写本『源氏物語』を触常者と一緒に読むチャレンジの紹介に当ててくださいました。
 場違いな飛び入りです。しかし、この後に設定されている懇親会の参加者を呼び込むための、おもしろい話題の提供という意味もある特別出演ともいえます。


141011_my_speach


 私は、現在を見据えた点字に加えて、変体仮名が読めるようになることで明治以前の仮名書きの文書や資料が読めるようになる意義を簡単にお話ししました。塙保己一が『源氏物語』を語ったことにも触れながら。そして、視覚障害のある方でも、変体仮名が認識できるようになれば、国文学研究資料館が収集している30万点もの日本の古典籍のマイクロフイルムや画像データベースが活用できる道が開けることも、しっかりと言い添えました。
 このことが、後の懇親会でありがたい好評をいただくことになり、何人もの方から協力と期待を伝えてくださいました。
 貴重な講演時間の最後に、数分とはいえこうした機会を与えていただいた広瀬さんに感謝します。
 まだスタートしたばかりのプロジェクトです。一緒に推進していきましょう。
 
(以下、明日の3に続く)

付記︰昨日11日と本日12日は、京都女子大学で中古文学会が開催されていました。ただし、上記の研究会に参加したために、委員会共々欠席させていただきました。
 直接お目にかかってのご挨拶などができず、予定していた、またされていた方々には本当に申し訳ありません。

 また、昨日11日の東京新聞(夕刊7面)に、「視覚から開放される さわる文化を探求する」として、広瀬さんへのインタビュー記事が大きな写真と共に掲載されています。手にする機会がございましたら、これもご覧いただければと思います。

 この記事の続きの「その3」は、今夜日付が変わった頃にアップすることになると思います。
 
 
 

2014年10月 2日 (木)

日比谷図書文化館で『源氏物語』を読み始める

 今夜は、日比谷図書文化館で、ハーバード大学本「蜻蛉」巻を読む体験講座がありました。
 自己紹介に始まり、ハーバード大学本「蜻蛉」の来歴など、自由気ままにお話をしました

 今回は導入でもあり、平仮名が書かれた出土物のことから語り出しました。9世紀後半には平仮名があったのです。藤原良相の邸宅から見つかった平仮名が書かれた土器のことです。

 みなさん、熱心に聞いてくださいました。若い女性が多かったので、お話は少し若者に向けた内容を意識しました。それでもやはり、年配の方の反応がいいので、両にらみで語り続けることになります。

 最後に、『源氏物語』は紫式部という女性が独りで書いた作品だとは思わないことと、宇治十帖では男の手が入っていることを指摘しました。すると、みなさん目を輝かせて聞いてくださいました。
 このことは証明しづら問題です。しかし、そうとしか考えられない状況で、『源氏物語』は執筆を進めています。このことも、追い追いお話します。

 今日お配りした資料の中に、「ひらがなと点字の歴史」があります。この資料を作っていて、平仮名の成立と展開が、点字の成立と普及に連動しているのです。
 次の年表をご覧ください。明治33年と34年に、何かが動いていたように思います。それが、今具体的には見えません。どなたか教えてください。
 偶然なのか必然なのか、明治から大正期はおもしろいことがたくさん語られています。


・1670年(寛文10) イタリアのフランチェスコ・ラナ・デ・テルツィが点と線の組み合わせでアルファベットを表す記法を考案。
・1854年(安政元) ブライユ式点字がフランスで正式に採用される。
・1884年(明治17)文部省が編集した教科書『読方入門』では、字体が1つとされた字は8字にすぎない。
・1886年(明治19)刊『現今児童重宝記-開化実益』の「変体いろは四十七字」
・1890年(明治23) 石川倉次の考案した日本語の6点式点字が、東京盲唖学校で採用される。
・1900年(明治33) 平安時代から続く平仮名のうち、小学校令施行規則の第一号表に48種の字体だけが示され、以後これらが公教育において教えられ一般に普及するようになり、現在に至っている。規則制定の理由は一音一字の原則に従ったためである。なお「え」「お」の第一号表の字体は現在のものと多少異なっていた。また「ゐ」「ゑ」は、現在は歴史的仮名遣などにおいてのみ用いられている。そして採用されなかった字体は以後、変体仮名と呼ばれることとなった。
・1901年(明治34) 日本式点字が官報に公表される。
・1908年(明治41)に26の異体字が復活したものの、最終的にはすべて1922年(大正11年)に廃止された。
・1922年(大正11) 大阪毎日新聞社(現 : 毎日新聞社)が「点字大阪毎日」(現 : 点字毎日)を発刊する。商業新聞としては日本唯一の点字新聞として現在も発行中である。
・1926年(昭和元) 点字による衆議院選挙の投票が認められる。
   【「ウィキペディア」〈点字〉〈ひらがな〉〈変体仮名〉より抜粋】

 明治34年から41年は、平仮名の単独使用が整定されたことと、日本点字の広報が密接に動いているのです。
 この点は、今後ともさらに調査をしていきます。しばらく、私への宿題とさせてください。
 
 
 

2014年9月21日 (日)

日記から近代日本を見る研究会で得た新鮮な刺激

 昨日は、多彩なメンバーによる研究会が開催されました。


名称︰第1回「近代日本の日記文化と自己表象」
日時︰2014年9月20日(土)午後2時~5時半
会場︰国文学研究資料館・第1会議室(2階)

 初回にもかかわらず、熱気溢れる楽しい勉強会でした。とにかく、参加者各人が明確な問題意識のもとに、興味深いテーマに取り組んでいる若手研究者の集まりです。話題が豊富なので、聞いているだけで飽きません。

 14名のみなさんの自己紹介を聞くだけで、私はもう満腹状態となりました。
 思い出せる限り、自己紹介で知り得た研究テーマを列記してみましょう。
 この中で、私が知っているのは3名だけだったので、まさに初めてお目にかかる方々の集まりに飛び込んだことになります。


・近代日本における読み書きの実践
・関東大震災時の朝鮮人虐殺
・近現代の『源氏物語』の受容史
・日本のタイの交流史
・『朝日ジャーナル』の研究
・戦前の『主婦の友』の家庭料理記事
・明治期の子どもの生活と読書体験
・戦地での学徒兵の読書
・女性の日記から学ぶ
・旧制奈良女子高等師範学校の読書文化
・『家の光』と農民教育装置
・明治大正の少年少女の書記文化
・幕末明治期の函館史
・富永仲基の研究

 これまでに私が取り組んだテーマの中に、池田亀鑑や谷崎潤一郎を通して抱いた『源氏物語』の受容に関する問題意識がもやもやとしていました。特に、昭和一桁の時代背景を知りたいと思っています。この日集まった方々は、精力的に私が知りたいと思っていることを調査研究しておられるのです。これを機会に、教えていただかない手はありません。

 さて、時間をたっぷり取った自己紹介の後は、この会の取りまとめ役である田中祐介さん(国文学研究資料館・機関研究員)の研究報告です。

 この研究会は、田中さんが本年度より3年間の計画で獲得した、科研費研究のプロジェクトによって立ち上げられたものです。その採択課題名は、以下の通りです。


「未活字化の日記資料群からみる近代日本の青年知識層における自己形成の研究」(若手研究B、2014-2016年度)

 日記から近代日本を見よう、ということです。
 第1回の題目は、「手書き日記史料群は研究をいかに補い、掘り下げ、相対化するか ─国際基督教大学アジア文化研究所蔵『近代日本の日記帳コレクション』を中心に」となっていました。

 日記研究を一つの軸に据えつつ、広く近代日本における読み書きの実践について、みんなで掘り下げる機会にしたい、とのことです。

 この研究の背景には、福田秀一先生(国文学研究資料館名誉教授、国際基督教大学元教授)が蒐集された日記コレクションがあります。
 田中さんは福田先生の愛弟子であり、残された5000点以上もの日記関連資料を整理し、目録化を終えたところでした。昨日は、その中から興味深い日記を会場に持参され、丁寧にその概要と意義を語られました。

 私と田中さんとの接点は、福田秀一先生にあります。
 私は、福田先生から、海外における日本文学の翻訳本を託されました。
 そのことは、「【復元】福田秀一先生を偲んで」(2011/4/21)に記した通りです。
 その冒頭で報告した「翻訳事典」(『日本文学研究ジャーナル 全3冊』、2008~2010年)については、昨年度より私が取り組んでいる科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」の報告書『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』として一通りの整理をしたところです。

「『日本古典文学翻訳事典 1〈英語改訂編〉』を発行しました」(2014年04月01日)

「PDF版『日本古典文学翻訳事典1』がダウンロードできます」(2014年04月16日)

 田中さんは、福田先生から日記を託されたと理解すると、この研究会の位置づけもわかりやすいかと思われます。

 昨日の報告の中では、かねてより田中さんから聞いていた、近衛歩兵第四連隊に属した塚本昌芳さん(95歳)の日記に、以下のように記されていることが再確認できたことが、私にとっては一番の収穫でした。


1944年2月3日
「午前中は各種の典範例を復習し、又、源氏物語の空蝉の項を鑑賞する」

 戦時中に、兵営で『源氏物語』を読んだとのことです。

 これについては、過日の本ブログ「出版法制史研究会の例会に参加して」(2014年07月05日)の冒頭で、冨倉徳次郎のエッセー「陣中に源氏物語を講ずる話」(『北の兵隊』青梧堂、昭和17)を紹介し、日中戦争の際、北満国境警備部隊の兵士が兵舎で『源氏物語』の勉強会をしていたことを簡単に記しました。そのことに連接する話題でもあります。

 戦地で『源氏物語』が読まれていたことは、戦中戦後の日記の調査研究が進めば、さらに有益な資料が見つかることでしょう。

 懇親会や二次会で、秋田・仙台・京都・奈良という地元ネタが通じる方がいらっしゃったので、ローカルな話でも楽しく盛り上がりました。特に京都にお住まいのKさんは、私の自宅にも近い圏内で活躍中なので、今後とも有益な情報交換ができそうです。

 日ごろは若い方々とお話をする機会が少ないので、昨日は怒濤のごとく押し寄せるような刺激をいただきました。
 このような場に身を置くことができ、田中さんとの出会いにも感謝しています。
 
 
 

2014年9月16日 (火)

震度5の地震にも動じない電車と乗客

 通勤途中に、中央線の駅で大きな地震にあいました。
 ちょうど駅に止まり、ドアが開いた時でした。
 座っていた座席がユサユサと揺れ、やがてガタガタと車輌がきしみ出しました。

 重たい荷物を大量に積み込んだのかと思われるほどに、尋常の揺れではありません。
 すぐに、地震であることに気付きました。
 何が起きたのかわからないままに、このまま車内に留まるべきか、ホームに出るべきか、周りを見渡しました。

 満員ではなかったので、大勢が大混乱に、ということはありません。
 皆さん冷静で、ホームに出たのは私を含めて数人です。
 みなさんは、車内で本を読んだり居眠りをしておられます。
 私は、高架に止まっている車輌が地上に落下するのではないかと思い、その怖さからホームに出たのです。

 ホームでは、屋根や照明器具や看板が大揺れです。
 数分でその揺れは止まりました。
 しかし、揺れに身を任せている時間を長く感じました。

 車内放送では、揺れが止まり次第に発車しますので車内でお待ちください、とのアナウンスを流していました。
 架線が大きく左右上下に揺れているのに、それを見ながら車内に戻るのは勇気が要りました。

 そして、すぐに何事もなかったかのように出発しました。
 この地震についての車内放送を待ちました。
 しかし、何もアナウンスはありません。
 線路の異常を確認しなくてもいいのだろうか、と走る電車に乗りながらも不安になりました。
 急ブレーキをかけて横転、ということのないように祈りました。

 この中央線は、人身事故がよくあります。
 よく止まります。
 それなのに、今日に限っては、揺れがなくなったらすぐに発車です。

 三鷹駅に着いたとき、後から来た特別快速電車に乗り換えました。
 少しでも早く、目的地である立川駅へ行くためです。

 乗り換えた快速電車は、中野駅の直前を走行中に地震にあったはずです。
 そんな電車に乗っているのに、三鷹駅から立川駅に着くまでに、地震に関するアナウンスは何もありませんでした。
 この電車も、何事もなかったかのようにつっ走ります。
 立川駅に降り立っても、駅では何のアナウンスもありません。

 先程の地震は勘違いだったのか?
 夢を見ていたのだろうか? 
 他の乗客が平然としているのはなぜなのか?

 いつも通りに駅を出て、いつも通りに職場に向かいました。
 人ごみを掻き分けて歩いていても、地震があった気配は微塵も感じられません。
 不思議なできごとでした。
 それでいて、後でニュースを確認したところ、「関東の震度5弱」「震源は茨城県南部」とのことです。

 さらに、帰りには立川駅を発着する青梅線が、線路に人が立ち入ったとのことで、運転を長時間見合わせているところでした。

 片道2時間弱の通勤には、いろいろなことがあります。
 
 
 

2014年9月11日 (木)

朝日新聞の講読を解約する決断

 朝日新聞に目を通し出したのは、私が中学生になってからのように思います。

 高校を卒業するにあたり、大学生活は東京で送ることに決めました。
 しかし、家庭の事情で学費や生活費は自力で工面するのが条件でした。
 そこで、迷うことなく朝日新聞の奨学生になり、東京で新聞配達や集金業務をすることで目的を果たすことにしました。

 高校3年生の冬、大阪の中之島にある朝日新聞社へ行き、朝日奨学生の手続きなどをした時に出されたオレンジジュースは、今でも忘れられません。
 それまで家では、粉末を水で溶かしたジュースしか飲んでいなかったのですから。
 それが、実際に果物のオレンジを搾ったジュースが、分厚いガラスのコップで出てきたのです。
 使い慣れないストローから喉に届くザラザラとドロドロは、私にとっては懐かしい感触です。

 上京して配達を始めてすぐに、十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎で内臓が破裂しました。
 一命を取り留めて、退院後は自宅のある大阪の高安の里でしばらく静養しました。
 ちょうど、千里丘陵で万国博覧会が開催されていた頃です。

 その年の秋に再度上京し、元気に学生生活に戻りました。
 ところが、またまた災難が襲ってきました。

 配達に出る直前の朝3時に、新聞販売店が出火のために全焼したのです。
 煙に咽せながら2階の窓から飛び出したところ、目の前にあった電柱に幸運にもしがみつくこととなり、ズルズルと下まで降りて逃げました。
 その日は、手や足を血だらけにし、小雨の中を裸足で新聞を配ったように記憶しています。

 数日後の成人式では、マラソンにエントリーしていました。
 しかし、満足に着るものもなく、成人式にも出られず、神社の社務所で被災者用の毛布にくるまってじっとしていました。
 両親が作ってくれた背広や、大阪から持ち込んでいた所持品のすべてが焼失しました。
 そのため、20歳までの写真などを始めとして、自分の想い出をたぐり寄せる物は、今に至っても何一つありません。

 そんな中でも、朝日新聞社からは、学生が焼失した書籍は申告通りに買うように、という配慮をしてもらえました。
 そのため、身の回りの物はないのに、本だけはあるという、不思議な生活を送りました。

 そのせいもあってか、こうしてブログでかつてを振り返り、想い出すことは、私の楽しみの一つです。
 20歳までを想い出すことのできる、形あるよすがとなる物がないのですから、自分の想念の中を自由に飛び回れるのです。
 感触という手応えはありません。
 しかし、こうして結構楽しんでいます。

 そんなこんなで、朝日新聞は私にとっては生活と密着した新聞でした。
 自分の過去を振り返ると、どこかに朝日新聞が関係しているように思われるのです。

 三島由紀夫が割腹自殺した時も、私の投書が声の欄で紹介されました。
 初めてマスコミに自分の名前が掲載された、記念すべき出来事でした。

 朝日新聞を配っていた時の連載小説が井上靖の『星と祭』だったことから、以来、井上靖の作品に愛着を抱いています。
 十一面観音めぐりを始めたのも、その頃からでした。

 ところが、私に大きな影響を与えてくれたその朝日新聞も、最近はどうもおかしいところが目に付きます。
 思い入れがある新聞だけに、最近は我慢して読んでいたところもあります。
 しかし、もういいか、と、突き放して見るようになりました。
 自分の青春との決別でもあります。

 これまでに、朝日新聞を褒めたり貶したりしながらブログを書いていました。
 新聞記事に触発されて書いた記事も多々あります。
 朝日新聞との講読契約を解除するのを機会に、これまで朝日新聞に関連して書いてきた記事を抜き出してみました。

 真剣に朝日新聞に抗議をしていたり、問題提起をしていたり、単なる話の切っ掛けにした記事などなど、さまざまです。
 この中から私が今も気に入っている記事は、次の3つでしょうか。
 いずれも長文なので、おついでの折にでもご笑覧いただければ幸いです。
 
「何故かくも愚行を誇らしげに」(2010/9/26)
 
「源氏千年(67)源氏写本発見というエセ新聞報道に異議あり」(2008/10/30)
 
「源氏千年(40)朝日「人脈記」9」(2008/5/2)
 
 
 妄言多謝
 
 
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「江戸漫歩(78)生まれ変わった日本橋コレド室町」(2014年05月12日)
 
「転居(3)「源氏物語余情」1996年1月分・3月分」(2014年05月10日)
 
「漱石の新聞連載小説『心』を本文異同の視点から読む」(2014年04月20日)
 
「読書雑記(94)高田郁『美雪晴れ―みをつくし料理帖』」(2014年02月20日)
 
「尾州家河内本『源氏物語』の新聞記事に掲載されたコメント」(2013年12月24日)
 
「「天声人語」で紹介された島根県のこと」(2013年12月22日)
 
「授業(2013-4)海外における『群書類従』と学際的研究」(2013年05月10日)
 
「父が遺していた焼けた帛紗の由緒書」(2012年12月24日)
 
「従兄弟の喪中を知って思うこと」(2012年12月05日)
 
「キーン先生と伊井先生の対談に陪席して」(2012年06月20日)
 
「ブームとなりつつある糖質制限食」(2012年06月14日)
 
「鴨長明のシンポジウムに参加して」(2012年05月19日)
 
「昭和8年の高松宮妃殿下のお写真」(2011/10/25)
 
「京洛逍遥(196)京都五山の送り火を考える-2011」(2011/8/16)
 
「何を今更「電磁波」と「発がん性」の認定」(2011/6/1)
 
「何故かくも愚行を誇らしげに」(2010/9/26)
 
「本屋で本が見つけられない」(2010/5/26)
 
「心身雑記(51)口臭の原因判明」(2010/3/29)
 
「新聞が廃止になった帰路のANA」(2010/1/31)
 
「『源氏物語』では「標準本」と言うより「基準本」がいい」(2009/10/31)
 
「京洛逍遙(100)府立植物園で『源氏物語』」(2009/8/23)
 
「学問とは無縁な茶番が再び新聞に」(2009/8/11)
 
「新写本『源氏物語』を平等院に奉納する愚行」(2009/7/8)
 
「情報源としての京都新聞」(2009/6/12)
 
「コメントの再掲載」(2009/5/3)
 
「『源氏物語』の翻訳状況(2009.3.25版)」(2009/3/26)
 
「浅田次郎の講演会」(2009/3/21)
 
「井上靖卒読(55)『詩集 北国』」(2009/1/5)
 
「日本の五重搭と三重塔」(2008/11/26)
 
「ハーバード(2)朝日新聞を見る」(2008/11/20)
 
「源氏千年(67)源氏写本発見というエセ新聞報道に異議あり」(2008/10/30)
 
「源氏千年(66)朝日のニッポン人脈記が文庫本になる」(2008/10/29)
 
「NHKさん、卑怯ですよ」(2008/10/9)
 
「『源氏物語』の別本とは何?」(2008/8/2)
 
「大沢本『源氏物語』の切り抜き帖・追補」(2008/7/21)
 
「源氏千年(51)東西の温度差」(2008/6/30)
 
「源氏千年(50)朝日新聞の文化欄に」(2008/6/24)
 
「源氏絵巻のメガネ拭き」(2008/5/21)
 
「源氏千年(47)音楽で『源氏物語』」(2008/5/18)
 
「源氏千年(42)新聞誤報で「車争図」見られず」(2008/5/7)
 
「源氏千年(40)朝日「人脈記」9」(2008/5/2)
 
「源氏千年(35)朝日の「みだし」への疑問解消!」(2008/4/27)
 
「源氏千年(34)低次元の朝日新聞の記事に溜め息」(2008/4/27)
 
「源氏千年(33)朝日「人脈記」の表題が東西で違う」(2008/4/27)
 
「辻村寿三郎さんの古典人形」(2008/4/26)
 
「源氏千年(27)朝日新聞「人脈記」1」(2008/4/22)
 
「京都大不満の会」(2008/2/10)
 
「源氏千年(4)ドラマ化はいつ」(2008/1/6)
 
「京洛逍遥(22)元旦の新聞に!!」(2008/1/2)
 
「源氏千年(3)【復元】本年元旦の朝日に掲載」(2007/11/15)
 
「今日は22日です。」(2007/10/22)
 
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2014年8月30日 (土)

雲水さんの托鉢とお茶のお稽古

 京洛の朝は、東京よりもぐっと冷え込むようになりました。

 9時過ぎだったでしょうか。「ほおおーぅーっ、ほおおーぅーっ、ほおおーぅーっ」という大きな掛け声が、家のあたりにこだまします。町内の辻々の空気が引き締まります。
 四、五人の雲水さんが托鉢修行で回って来られたのです。

 後で調べたところ、曹洞宗の方は鈴を持っていて、臨済宗の方は大声張り上げているのだそうです。今朝の方が臨済宗だとすると、この近くでは、大徳寺・妙心寺・相国寺が思い当たります。我が家は曹洞宗なので、よくわかりません。

 何か差し上げようにも、まだこの地域では新参者なので、何をどうしていいのかわかりません。
 そうこうするうちに、我が家の前を通り過ぎて行かれます。塀越しに、雲水さんの竹で編んだ被り物と衣が見えました。
 ご近所の方が何か差し出してお辞儀をしておられたので、どのように接したらいいのか、また聞いておきます。

 お昼前に、大和平群に向かいました。お茶のお稽古です。

 今日は、運びの薄茶のお稽古です。
 まずは大失態をしでかしたことから。

 毎回、釜の蓋を取るとき、熱くて難儀をしていました。あろう事か、今日は袱紗で摘まんだ蓋を、湯気の熱さで思わず落としてしまったのです。右手前の灰の中にズボリと半分が埋まりました。

 今日は鉄の火鉢だったので、被害は最小でした。これが陶器だったら、割れてもっと大変なことになっていたでしょう。

 私は、どうも持ち方が悪いようで、湯気が指や掌に襲ってきます。アッチッチ、という場面がよくあるのです。

 あとで、この対策を教えていただきました。摘みをしっかり握ったら、真っ直ぐに持ち上げてから引くのがコツのようです。どうも私は、向こうへ倒し気味にして斜めに引こうとするので、湯気をまともに手に受けるようです。

 背筋を伸ばすことは、相変わらず注意を受けます。特に、茶筅を使う時に、茶碗の中を覗き込むように前屈みになる癖があるようです。それを直すためには、首筋を起こし、手を伸ばして、もっと遠くでお茶を点てることを意識するようにしたらいいと。腰を曲げないでお腹に力を入れ、突き出すようにすることも忘れないで、と。
 しかし、いざやろうとしてもなかなかできません。

 お手前の流れは、しだいにわかってきました。これからは、所作の細かい所にも気を配るようにします。

 今日も、道具から手をパッと離していることや、お辞儀で頭を上げるのが早すぎること等々。基本的な動作でも気をつけることを教えてもらいました。
 これらは無意識にしていることなので、余程意識しないと直りません。

 いろいろな課題を抱えながらも、一つ一つに気をつけていくことで、ゆるゆるとでも進んで行くつもりです。
 
 
 

2014年7月27日 (日)

大和桜井で伊井春樹先生の講演を聴く

 奈良県桜井市は、古代史ファンにとっては聖地でしょう。箸墓古墳や邪馬台国などなど、語り尽くせないほどのネタが点在しています。

 奈良に住んでいた頃、お正月になると我が家の初詣はこの桜井市にある安倍文殊院でした。子供たちの成長を願うというよりも、振る舞われるお雑煮ほしさに行っていたようにも思います。

 今日は、「第48回 茶道文化講演会」が、茶道裏千家淡交会奈良支部主催のもと、桜井市民会館でありました。この大和王朝の地に降り立つのは久し振りです。

 駅前には、仏教伝来、相撲発祥、芸能創生、万葉集発燿という、4つのスローガンを掲げたモニュメントが建っています。


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 みたらし団子屋さんの前には、こんな記念写真撮影用のパネルもありました。


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 お昼ご飯には、ご当地の名産である三輪素麺をいただき、歩いて10分ほどの桜井市民会館へ向かいました。


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 伊井春樹先生のお話は、「茶人としての小林一三 阪急文化創始者としての意義」でした。いつもの優しく語りかける口調で、時々笑いを誘いながら進みます。
 最近、島根県松江からの情報でわかった、一三(逸翁)自筆の俳句や、「一枝」と銘を付けた茶杓の話で始まりました。新鮮なネタで聴衆の心を摑まれます。

 一三最後の茶会である「第183回 芦葉会」の自筆会記が紹介されました。しかし、この茶会は、その前日に一三が亡くなったために中止となったのです。この時の道具が逸翁美術館に残っているので、それを写真で紹介しながら、一三の腹案を読み解いていかれました。
 特に、黒織部菫文の茶碗に描かれたスミレの絵を示された時、会場のみなさんはすぐに気付かれたのです。「スミレの花咲く頃~」という、あの宝塚歌劇の歌のことです。
 それまでに、一三の功績を紹介され、阪急電車、東宝映画などなど幅広い活動の中で、宝塚歌劇団のことも詳しく述べておられたので、この茶碗のスミレは効果的でした。一三の思いが凝縮された一椀だったのです。

 来場者は600名くらいはいらっしゃったようです。みなさん、伊井先生のお話の内容が密度の濃いものだったので大満足のようでした。しかも、普段はなかなか聴けない、関西の大茶人逸翁の素顔が、わかりやすくていねいに語られたのです。茶道を心がける者にとっては、またとない機会となったことでしょう。

 伊井先生の講演の前には、檀れいさんによる逸翁美術館所蔵品などの映像紹介がありました。これは、『逸翁 雅俗の精華 小林一三コレクション』(ナビゲーター:檀れい、2,057円 税込)として、逸翁美術館で入手できます。


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 このビデオ放映も効果的だったので、明日以降、逸翁美術館に足を向けられる方も多いことでしょう。今回の講演共々、館長直々の広報活動ともなっていました。

 今日は、歴史・文化・芸道・文学・政治・経済と、幅広い分野を見渡して、小林一三という一人の男を浮き上がらせるお話でした。もっと伺いたいという思いが残りました。
 中でも、大正8年の佐竹本三十六歌仙の切断事件については、斎宮女御の話がおもしろかっただけに、みなさんもっと伺いたいとの思いだったかと思われます。時間があっての話なので、これはまたの機会に、ということです。
 私は、逸翁美術館所蔵の「佐竹本三十六歌仙切 藤原高光 伝藤原信実絵 伝後京極良経詞書」について、絵巻切断の結果、児島嘉助(古美術商)の手に入ったことに興味を持っています。それがどのような経緯で、逸翁美術館に収蔵されるようになったのか、ということです。これについては、後日調べます。

 また、今日のお話には、小林一三の政治家としての活動についてはまったく触れられませんでした。小林一三は、第2次近衛内閣の商工大臣、貴族院勅選議員、幣原内閣の国務大臣、初代戦災復興院総裁の経歴があります。こうしたことは、本日は茶人小林一三のお話なので、そのすべてを割愛なさったと思われます。このことについての伊井先生の評価を、いつか伺いたいと思いました。

 今日も、伊井先生は手元の原稿は見ずに、会場のみなさんを見て語りかけておられました。これは、いつも我々におっしゃっている、人前で話をするときの心構えであり、今も実践なさっていることです。
 そして、いつものように持ち時間ちょうどでお話が終わりました。これは、ストップウォッチで計っていてのことかと思われる、伊井先生の特技のひとつです。この、常人にはなかなか真似のできない神技は、今日も発揮されたのです。つい、私は腕時計を見ながら、心の中でカウントダウンをしていました。ちょうど90分、ドンピシャリでお辞儀をなさいました。
 
 
 

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2014年6月17日 (火)

ダブルパンチの電車事故に遭遇

 今朝、地下鉄東西線に乗ろうとしたところ、改札口の前は黒山の人集りです。
 ざわめきの中から聞こえてきたのは、トンネル内に煙が充満している、という駅員さんの甲高い早口の説明です。

 何人もの赤装束の消防士の方が、酸素ボンベを背負った防毒マスク姿で、自動改札機を押し開くようにして入って行かれました。

 駅員さんの説明がよくわからないので、この東西線を諦め、もう一つの地下鉄大江戸線へと移動しました。しかし、そこは振り替え輸送で大混雑のようなので、これも諦めました。(追記:このトラブルで電車は4時間も止まったそうです。)

 幸い、東京の宿舎からの通勤では、4つの駅が利用できます。地下鉄3本とJR。さらにはバスを使うと、東京駅へは10分以内で行けます。
 宿舎の方へと元来た道を10分ほど戻り、JRの駅から京葉線で東京駅経由で立川を目指すことにしました。

 この駅とは相性が悪いために、普段は利用していません。相性というのは、ホームに降り立つ直前に、いつも電車がホームを離れるタイミングになるという、不思議な駅なのです。
 宿舎から5分という近さのため、時刻表を見ずに部屋を出るのが災いしていると思っています。

 また、この京葉線は有楽町駅に近い地下の奥底深くに着きます。そこから延々と歩いては登り歩いては登りして、息切れする頃に中央線にたどり着きます。その途中では、見たくもない、思考停止化装置だと私は確信しているディズニーランドを目指す、浮かれた若者たちと行き交います。愚かな若者たちの姿を見たくないので、それが嫌で普段はこの京葉線は使いません。

 無事に東京駅に着き、中央線の特別快速に乗れたと思いきや、線路内に人が立ち入ったためということで新宿駅で発車待ちとなりました。各電車が最寄り駅に止まって、安全確認をしているためです。
 その人を保護したとのことで、ようやく発車しました。
 誤って線路内に立ち入ったのか、この線でよくある飛び込み自殺なのか、認知症などが原因の徘徊人に関係するのか。中央線は、飛び込みが多くて停車が多いので、もう慣れっこです。複雑な世の中なので、今後ともさまざまなトラブルがあることでしょう。東京での電車の利用は、ひたすら我慢するしかありません。

 立川から職場までは、いつもならモノレールを使います。天気が悪い時はバスを。
 しかし、二度あることは三度ある、とか。こんな時は乗り物を使ってもいいことはないので、歩いて職場まで行くことにしました。25分のお散歩です。
 直線コースで木陰が多いので、今日の日差しなら徒歩も大丈夫です。
 これからは歩いて通勤しようと決心し、先日、ウォーキング用の革靴を買いました。まだ新しいせいか、つま先が窮屈です。しかし、ウォーキング専用の革靴なので、慣れれば履き心地はいいはずです。

 通勤時の暑さと梅雨対策を、乗り物のコースも含めて、本格的に検討する時期となりました。
 
 
 

2014年3月29日 (土)

お釣りを受け取る時に聞こえた舌打ち

 昨夜は、立川での送別会の後、八王子に出て横浜線に乗り換え、新横浜を経由して京都に帰りました。

 いつもは、立川から東京駅へ出て、自由席でゆったりと帰ります。しかし、時間的に新幹線の最終に近かったので、東京に出る余裕がありません。また、中央線は人身事故が多いので、何かあると最終の新幹線に間に合いません。
 立川から京都まで直行の夜行バスも、何度か利用しました。しかし、最近は夜行バスの事故の不安が付きまとうようになったために、しばらく控えています。職場を出てすぐにバスに乗り込み、寝ている間に自宅周辺に着くのは、非常に便利な移動手段なのですが……

 新横浜駅の構内でお弁当を買った時のことです。ちょうどご飯の少ない、おかず中心の弁当がありました。それをいただいて大きなお金を渡したところ、お釣りのお札を丁寧に数えて手渡された後は、いつまで待っても小銭をくださいません。
 目と目が合っても、お店の方にその気配がなく、しゃがんで弁当を並べ直す仕草をされたので、「あのーお釣りを……」と言うと、しばらくしてから、「あっ、まだでしたね。」と言って、やおらレジに手を伸ばして百円玉を2枚渡してくださいました。明らかにこの方は、私に小銭を渡す、という意思がなかったのです。「まだ」であったことをすぐに口にされたので、確信犯だと感じました。

 お店でお釣りをいただく際、先にお札を数えて渡されることが多くなりました。その後に、小銭をレシートで包むようにして渡してくださいます。この新横浜の売店では、お札とレシートが一緒でした。それを受け取って、私の身体はホームに上がるエスカレータに向きかかっていました。

 私が小銭を催促したところ、その方は慌てた振りを装っておられました。しかし、新幹線に乗る直前でもあり、みんな急いでいるのをいいことにして、こうしてお釣りを渡さない癖を、アルバイトの日々の中で身に付けてしまわれたように思えました。その態度と目付きが、小銭を失念していた、というものではないことは明らかだったのです。「しまった」という目と舌打ちを聞いてしまったのです。
 あれは、お釣りを渡し忘れた自分の失態に対してではなくて、指摘した私に対する舌打ちのように思えました。

 海外ではよく経験することです。しかし、ダメで元々ということで、やってみる、言ってみる、というやり方は、日本ではやらない方がいいと思います。


2014年3月28日 (金)

気分一新、3年後を見据えたスタート

 今年も、国文学研究資料館の送別会が行われました。

 私を国文学研究資料館に温かく導いてくださった先生、40年も古典籍を整理して来られた専門員、専任教員として巣立っていく若手研究者、科研のことで無理難題を持ちかけて困らせた事務の担当者、などなど。お世話になった方々が去って行かれます。

 しかし今年は、再任用になる方がお2人もおいでなので、あまり寂しくはありません。また、館内で教えてもらう機会があるからです。

 あと数日で迎える来年度になると、新しい方がいらっしゃいます。人の離合集散が周りに活気を産み与え、いい方向に展開することでしょう。

 私も3年後の今頃は定年を迎え、皆様に見送られることになります。
 そして、科研も同じく3年後に終了となります。
 その日が無事に来るように、このまま突っ走って行くしかありません。

 桜が咲く頃になると、毎年新たにスタートする気持ちになります。
 この春のスタートは、私にとっては3年後のゴールを見据えたものとなります。
 その意味では、大事な日々の始まりとなるのです。

 あらためて、新年を迎える気持ちになってきました。
 気分一新、気持ちを引き締めて始動します。
 
 

2014年2月 4日 (火)

束の間の雪景色の中の職場

 今日の東京は、久しぶりの雪でした。
 本ブログでも、職場のある立川における、去年と一昨年の初春の雪景色のことを書いています。

「夜行バスが大幅に遅れて」(2013/1/16)

「重たいキャリーバッグを引きずって雪中行軍」(2012/2/29)

 立川では今日、お昼頃から霙交じりで降り出しました。そして、帰宅する6時半には、建物は雪景色の中にありました。ライトアップされたような風景もいいものです。

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 立川駅まで乗ることにした多摩モノレールは、雪のために30分近く止まっていて来ませんでした。空中を綱渡りのようにして走るモノレールは、非日常的なことに遭遇すると弱いものです。そう言えば、走る姿もヨタヨタしています。カーブでは、極端に減速します。

 中央線も遅れ気味です。ただし、これはいつもの人身事故ということもあるので、雪のせいだけとは限りません。

 それから2時間後、深川はすでに雪解け後の夜景を見せています。

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 都内は、すぐに雪は止んだようです。
 東京を横断していると、天気がこんなに違うことをしばしば実感します。
 
 

2013年12月 8日 (日)

甥の葬儀のこと

 霙もようの寒い朝です。
 昨夜は語り明かしました。
 秋田の冬は、家中を大きなストーブで各部屋を暖めます。
 それでも、一歩部屋を出ると、廊下は冷え切っています。

 戒名は「清照院玉峰成真居士」。
 「成真」は「じょうしん」と読みます。
 きれいな名前です。
 
 宗派は、我が家と同じ曹洞宗です。
 しかし、葬儀の段取りは関西とは大きく異なります。
 出棺、火葬などはすでに終わっていました。
 
 若すぎる死に、たくさんの方々が弔問にいらっしゃいました。
 弔辞は、一番仲のよかった親友です。
 従兄弟のお別れのことばも、語りかけるように情の籠もったものでした。

 お斎きという会食は、正面に御師さんと伴僧の方2人が座られます
 その右側に、甥の新紀元の位牌と写真、そして骨壺と花が置かれています。
 大勢で賑やかに、おいしい精進料理をいただきました。

 東京への帰りも、秋田経由の新幹線こまちです。
 
 今回の秋田行きで、いいお酒との出会いがありました。
 いつも、秋田に行くと、「由利正宗」というお酒をいただきます。
 その「由利正宗」に、「糖類無添加」というお酒があったのです。

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 いつも家では、「月桂冠」の「糖質ゼロ」を飲んでいます。
 これからは、このお酒も加えたいと思います。
 家族からは勝手な解釈を、と言って笑われていますが、主治医の先生からは、お酒は大いに飲みなさい、とおっしゃってくださっています。
 普段は焼酎を中心とした蒸留酒です。それに加えて、糖質ゼロのお酒を飲んでいます。
 もちろん、そんなに量は飲めません。食前は身体が受け付けないので、食後にいただいています。
 これで、私が飲めるお酒のレパートリーが拡がりました。
 
 

2013年8月26日 (月)

葉蓋を使ったお点前のおさらい

 過日、1ヶ月前に亡くなった仲間を偲んでの追悼のお茶会を催しました。その時は、ガラスの水差しが手に入ったこともあり、「蓮の葉蓋」(2013年8月15日)でお茶を点てました。

 素人ながら、なかなかおもしろい趣向になったと思っています。あくまでも、夏の仏事という設定です。しかし、折角ああでもないこうでもないと試行錯誤をしながらやったことでもあり、これを来年まで忘れないように、復習の意味で葉蓋のお稽古をしていただきました。

 梶の葉が一番よさそうです。来年のことも考えて、庭に植えようと思います。
 今日は、里芋の葉を用意していただけました。

 葉の上に水を落とし、水玉がコロコロする状態で、水差しをソロリソロリと運びます。
 この前は、この水玉に手を焼きました。蓮の葉が大きすぎたこともあるようで、動き回る水玉を鎮めるのが大変でした。

 あとは、いつものように運びの薄茶の要領です。
 違うのは、水差しの蓋を取るときでした。
 まず、両手で葉を持ち上げて水玉を建水に捨てます。
 次に葉を二つ折りにし、茎を勝手付きに向けた状態で葉を右、左と折り畳み、そこに茎を差し込んで留めました。
 指先で葉の真ん中に切り込みを入れると、楽に茎が通せました。
 この前は、エイヤッ、ブスリと刺したように思います。見た目にも変だったことでしょう。

 この葉蓋は、建水の中に落とします。ソッと建水に、ではなくて、ポンと投げ入れるように落とした方がスマートでいいようです。

 お点前を終え、建水を持って水屋に下がる時も、これまでと違いました。
 この時点で、すでに水差しには蓋がないのです。そこで、釜の蓋を切ってしめたら、柄杓を蓋置きに引かずに横一文字に持ちます。そして、すぐに蓋置きを取ったら、一膝勝手付きに向いて、そのまま建水を持って帰ることになります。

 イメージとしては一通りのおさらいができたので、来年の夏にまたチャレンジしたいと思います。洗い茶巾とうまく組めば、さらにおもしろいかと思います。ただし、あまりくどくなってもいけないので、また来年の夏の暑さを見ながら考えます。

 今朝は、明け方に寒くて目が覚めました。
 平群の里も、すっかり秋の気配でヒンヤリしていました。
 このまま秋に向かうのでしょうか。最近の天気は予測ができないほど変則なので、これからの寒暖の差が思いやられます。

 今日の午後からは『源氏物語』の注釈書に関する研究会がありました。途中からでも参加するつもりだったのですが、帰りに身体が急に気怠くて重くなったのです。こんな時には無理はせず、明日の部に参加することにして、早めに身体を休めることにしました。
 
 
 

2013年7月18日 (木)

15年目となった職場のウサギの会

 立川の職場では、ウサギ年生まれの仲間で親睦会を持っています。「ウサギの会」と言います。この会がスタートして、もう15年になります。

 私が着任した1999年に、一緒に飲みに行った仲間が、何と3人ともウサギ年だったことから意気投合し、集まりを持つようになりました。しかも、メンバーを募ると、同じ職場に10人以上もいたのです。意外に多かったのです。

 教員と事務方が一緒に酒を酌み交わす機会がなかったので、話が盛り上がるのです。また、同じ干支の一回りである12年の年の差は、不思議と話題が噛み合うのです。

 今日も、立川駅前の無国籍居酒屋で、3時間も話し込みました。職場を共にしているだけなのに、いろいろな話がつながるので、ますますおもしろくなります。
 そして、意外と同郷だったり、同じ学校の先輩後輩だったりします。

 職場で仕事として接している限りは、何も接点がなさそうです。しかし、干支が同じだというだけで、垣根が一気に取り払われます。まさに、事務的な関わりだった事情が一変するのです。

 不思議な縁で職場を共にしただけの、偶然の見知らぬ仲間です。しかし、話をするといろいろな関わりが見つかるものです。会って、話してみないと、気心はわからないものです。

 この、つながりとでもいう接点が見つかると、あとは自然に話が広がります。

 今日も、参加者8人で、予定をオーバーして話し込んでしまいました。
 次は年末に、と言って別れました。
 明日からの職場での人間関係が、また楽しくなってきました。
 
 
 

2013年7月16日 (火)

相変わらず杜撰で性善説に凭りかかった期日前投票

 以前、「【復元】こんな不在者投票でいいのでしょうか?」(2010/6/23)という一文を書きました。不在者投票では、「なりすまし投票」が可能だ、ということです。

 そして、昨年末にも、期日前投票をしました。その時も、事情はまったく変わっていませんでした。
 「初雪の朝に期日前投票をして上京」(2012/12/11)
 どうやら現在の選挙制度は、政治家にとっては変えてもらっては困る裏事情がありそうです。そうでなければ、こんなにいいかげんな投票システムをいつまでも続けるはずがありません。
 恐らく、国会議員の定数を減らさないのと同じ背景のもとに、政治家の都合によって選挙制度も変えない合意か何かがあるのでしょう。当落の全体に影響が少ないとの判断で、放置されているのでしょうか。
 不純な投票による誤差は無視しても構わない、という統計学上の理論があるのかもしれません。完璧を期すことは不可能なのですから。
 その前に、投票率をあげるという至上命令のため、本人であれ他人であれ、1人でも多くの人が投票することが最優先されている、というのが、実務を担当する各選挙管理委員会の本音なのかも知れません。

 さて、今回の参議院選挙も、今週末の投票日には行けないので、期日前に不在者投票をしました。
 届いていたはがきの裏にある「期日前投票宣誓書」に記入し、それを持って区役所へ行きました。
 
 
 
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 右側中程に、印鑑は不要だとあります。
 左側の3行目に「本人確認(誕生月日をお聞きします)」とあります。

 さて、実際に行った区役所の受付では、この本人確認があるとされている誕生月日の確認はありません。もちろん、私が投票ハガキを持参した本人であることの証明も求められません。
 係の方と一言も言葉を交わすことはなく、無言のままに、目を合わせることもなく、2枚の紙に日本語(固有名詞)を書いて箱に入れて帰って来ました。投票所に入って3分もすれば、もう外に出ていました。

 係の方は、私が差し出した1枚のハガキの「番号」と「宣誓書」を見るだけで、投票用紙をくださいました。
 私が誰であるかは、今回もまったく確認されることもなく、投票行動は終了しました。
 ハガキさえ差し出せばいいので、「なりすまし」や「代理投票」を見破る関門はありません。
 もし、私が女装して行っていたら、何か訊かれたのでしょうか。そんなことがあれば、それは性差別ということになるのかもしれません。

 とにかく、相変わらず「なりすまし」や「代理投票」には目を瞑る性善説にたった、理想的な選挙でした。
 日本は平和だな、と実感しました。
 しかし、今回も、何か変だな、と思わざるをえませんでした。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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