5.0-身辺雑記

2010年3月 2日 (火曜日)

息つく暇もなかった一日

慌しい一日でした。
朝5時に起きて出勤。
午後の研究発表のため、
プレゼン用画像10枚を作成。
その画像をiPhoneに転送。
その間に事務書類を3本作成。
お昼ご飯もそこそこに、隣の国立国語研究所へ行って研究発表。
 
 
 
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終了後、5分で国文学研究資料館に引き返して、国文学論文目録データベースの専門員の先生方と会議。
3時間の会議が終わると、すぐに立川駅に移動して、先生方と懇親会。
最終電車で、今、宿舎に帰るところです。

専門員の先生方からは、貴重な情報をたくさんいただきました。
いろいろなアドバイスを受けました。
すべてが実り多いものだったので、疲れは感じません。
しかし、頭の中が20時間もずっとフル回転の一日だったので、やっと、ホッと一息、というところです。

息つく暇もない、というのは、このことなのでしょう。
 
 
 

2010年1月 4日 (月曜日)

初春の白梅(4)

 新年の三が日も明け、早いもので四日になりました。

 いつものように、朝一番の新幹線に乗って上京するために早起きです。
 居間の梅を見やると、なんと紅梅が咲き揃っています。
 白梅も、ほぼ満開です。
 白梅と紅梅に見送られ、気持ちのいい出勤となりました。
 
 
 
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2010年1月 3日 (日曜日)

初春の白梅(3)

 新年3日目です。
 白梅の6割方は芽を吹いています。
 紅梅は、3輪ほど花が開きました。

 明日が楽しみです。

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2010年1月 2日 (土曜日)

初春の白梅(2)

 新年2日目です。
 花開いた白梅は、その数を増しています。

 紅梅は、まだ蕾が固そうです。
 
 
 
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2010年1月 1日 (金曜日)

初春の白梅

 あけまして
 おめでとうございます

 新年を迎え、梅も蕾を開き出しました。
 白梅が早く、紅梅は明日になりそうです。
 
 
 
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2009年12月31日 (木曜日)

2009年の10大出来事

 今年も、いろいろなことがありました。
 そして、無事に年を越せることに感謝しています。

 以下、この1年間を時系列に思い出してみます。

1.印度ネルー大学でウルドゥー語訳源氏物語を発見
2.伊国ベネチア・フィレンツェ・ローマ大学で調査
3.国文学研究資料館館長が伊井先生から今西先生へ
4.大学時代の恩師で仲人だった小林茂美先生ご逝去
5.40年間未開封だった亡母からの手紙を開封する
6.2年ぶりのスクーバダイビングで南紀白浜へ行く
7.英国へ2度行きケンブリッジ大学で国際集会開催
8.谷崎潤一郎全集を揃え作品を発表順に読み始める
9.上下の奥歯の手術直後に担当医だった先生が急逝
10.本ブログ「賀茂街道から2」を毎日欠かさず更新

 さて、来年はどんな年になるのでしょうか。

 今年は、生き方を意識的にスローダウンしました。
 なかなか辛い局面もありました。しかし、何とか1年を過ごすことができました。
 そのために、いろいろな方に、いろいろな所でご迷惑をおかけしたことと思います。
 来年も、このままもう少しペースをダウンしたいと思います。
 何とか出来そうでも、敢えてしない、ということを今年から実践し出したのです。
 組み込まれた63年という寿命を、1日でも長く生きたいと思うようになったからです。

 みなさまにはご迷惑をおかけしますが、私なりの事情があってのことです。
 これまでと変わることなく、来年もよろしくお付き合いのほどを、お願いいたします。
 
 

2009年12月28日 (月曜日)

ヒートテックの下着は効果あり

 年末には、いつも家族で墓参をし、掃除をしています。
 お墓は、『伊勢物語』で知られる大阪・八尾市の高安の里にあります。
 私は、小学5年生から南高安小学校に転校し、そして南高安中学校を卒業しました。
 まさに、『伊勢物語』の世界にいました。
 お墓は信貴霊園といい、信貴山の手前の高安山にあります。小学生時代には、忍者部隊月光ごっこをして、この山を駆け上ってあそんだものです。

 京都に引っ越しをしてから、自家用車は手放しました。以来、少し遠出をするときには、レンタカーを使っています。自転車で行ける距離に、レンタカー屋さんが2軒もあるので、重宝しています。今日は、烏丸今出川にあるレンタカーを使いました。車は、ホンダのハイブリッド車で、インサイトというものでした。今夏はトヨタのプリウスでした。ホンダ車に乗るのは初めてです。後部座席が、少し跳ねるようでした。

 今日は、何と言っても、昨日購入したユニクロのヒートテックのインナー類の試用です。どれくらいの保温効果があるのか、実際にテストをすることにしました。

 自宅からお墓までは、名神高速と近畿自動車道と阪神高速を使って、1時間半くらいです。
 東京からかけつけた息子とは、近鉄信貴山口の駅で待ち合わせをしました。

 お墓は山を削った斜面にあり、眼下に近鉄高安駅のあたりの八尾市から大阪市、その向こうに神戸の六甲連山が見渡せます。
 今日は曇っていましたが、天気がいいと淡路島も臨めます。
 
 
 
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 お墓には、8月のお盆以来です。南天がきれいに実をつけていました。松も、元気です。
 
 
 
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 今日は、春らしく、チューリップを加えました。
 父が島根県の出雲から移したお墓は、こうして今も我々が守っています。子どもたちも、引き継いでくれることでしょう。
 墓石の前面下には、我が家の家紋である「丸に九枚笹」が、「総廟」というのは、父がこだわった呼び方です。
 お茶とお水とお菓子をお供えしました。
 過日行った出雲の銘菓「俵饅頭」も、2つ供えました。これは、小さい頃から両親が、薄茶と共に食べさせてくれたお菓子です。出雲大社の「いなばや旅館」の前にあった俵屋本家から買ってきたものです。

 鮮魚料理屋さんで、家族一緒にお昼をいただきました。私は、海鮮丼にしました。飛び魚、カンパチ、鯛、ヒラメ等々、新鮮な魚が盛りだくさんで、それで千円もしません。10人も座れないカウンターの小さな店でした。東京では考えられない贅沢な海鮮丼です。

 レンタカーは6時間借りて、ガソリン代込みで1万円です。
 走行距離は146キロで、消費したガソリンは7リットルなので、燃費は20キロでしょうか。
 ハイブリッド車は、軽自動車よりも燃費がいいようです。もっとも、高速道路を主に使っていたことも関係します。しかし、京都市内は渋滞の中を、ノロノロと走るというよりも、移動していたというのが正確でしょう。年の瀬なので、仕方のないところです。

 今年の夏、お盆で墓参したときには、トヨタのプリウスを借りました。
 この時には、189キロ走って、燃費は14キロでした。プリウスが、意外に燃費が悪いので驚きました。レンタカー屋さんは、走り方もあるし、ガソリンの満タンというのも正確ではないので、ということで、1000円分の割引券をくださいました。

 さて、肝心のヒートテックの下着です。
 車に乗っていた時間が長かったとはいえ、山の上にあるお墓でも、まったく寒さは感じませんでした。これは、優れもののようです。

 レンタカーを返してからは、自転車を押して歩いて帰りました。身体は、少し汗ばむほどにホカホカしていました。
 動くと、体温を保ってくれるようです。
 これは、なかなか重宝しそうです。
 
 
 

2009年12月27日 (日曜日)

モンゴル行きの装備

 新年早々にマイナス30度の世界へ行くため、少しずつ準備を始めました。
 まずは、足下の問題です。
 滑りやすいので、気をつけるように言われています。そのことに気をつけながら、くるぶしを覆うような温かい靴を探しました。
 いろいろと歩き回った結果、登山用品の専門店でもある好日山荘で、こんな靴を見つけました。
 
 
 
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 これは、マイナス40度まで対応しているものです。

 お店の人との話の中で、底がゴムなので滑り止めも必要ではないか、とのことで、写真の下にあるようなスノーアイスパッドという、簡易滑り止めも一緒に購入しました。
 ただし、これは不要だったようですが。

 今年から、立川の職場には、南極観測を主たる任務とする極地研究所が同じ建物に入ってきました。
 ペンギンや南極観測船や昭和基地の模型などは、日々目にしています。
 オープニングの時には、マイナス30度の冷凍庫に入るツアーがあり、貴重な体験ができたそうです。しかし、私はその時には参加できなかったのです。今にして思えば、無理をしてでも体験しておくのだったと、少し悔やんでいます。 

 下着とインナーは、ユニクロのヒートテックで揃えました。
 明日から、試しに着て、その性能を見ることにします。

 手袋、帽子、ジャンパーは、これからです。マフラーは長いものがいいそうです。これはあります。マスクも、インフルエンザ用に、たくさん買い置きがあります。

 選りに選ってこんな時期にそんな極寒の地に、と言われます。しかし、『源氏物語』をモンゴル語訳した方にお目にかかれるのであれば、こんなチャンスはまたとありません。
 観光シーズンは完全に外れているので、じっくりとお話をお聞きできるはずです。
 私としては、凍傷や病気などで迷惑をかけないように、気をつけたいと思っています。

 最初にインドへ行ったときも、新年早々の非常に寒い時期でした。暖房もない部屋で、震えながら2月の温かい日が来るのを待ったものです。
 最初に厳しい気候を体験していると、あとはいいことばかりが目につきます。
 いろんな体験をする中で、人間の生き様や文化の変容を、じっくりと見てくるつもりです。

 モンゴル語訳『源氏物語』は、現在2人の方に日本語に訳し戻してもらっています。
 1人は日本の方に、もう1人はモンゴル出身の方です。その2つを読み比べながら、日本の文学や文化が、どのようにモンゴルに伝えられているのかを調べてから、現地に出かけることにしています。
 そして、その違いについて、モンゴル語訳をなさった方に、直接お話を聞こうというのが、今回の私のテーマです。そして、翻訳された世界を理解するのに参考になる物事や事象を、自分の眼で見てくることで、翻訳されたことばの意味を確認したいと思います。

 さて、どんなことがわかりますか。
 そして、どんな旅になるのでしょう。
 追々、報告します。
 
 

2009年12月12日 (土曜日)

出雲の神はネットと無縁

出雲大社に来ました。
縁結びの神様は、インターネットとは無縁でした。
宿に荷物をおかせてもらい、すぐに屏風や手鑑の調査に没頭し、夜分に帰って来ました。そして、MacBook Air という愛用のノートパソコンを開いて、ネットにつなげようとしました。

無線LANのパスワードを聞いて来るので、宿の名前などを入れました。しかし、ことごとくはじかれます。

フロントへマックを持って行って聞くと、今度は電波を感知しません。この宿は、インターネットの設備がないので、使えないとのことです。
部屋で電波を感知していたのは、ノラ電波のようです。

あいだに入った方には、ネットのある所を頼んだのですが、もうどうしようもありません。

仕方がないので、今日はiPhoneで、これだけ書いて閉じます。

明日以降に、今日の報告や、井上靖と池田亀鑑のことを書きましょう。

2009年12月 9日 (水曜日)

米子への空路でツラツラと

 米子へ行くために、早朝、羽田に向かいました。
 成田から飛行機に乗ることが多いので、久しぶりのモノレールです。韓国に行った時以来です。それにしても、すごいスピードに驚きました。地下鉄なみの猛スピードです。
 コンクリートの柱に跨がって走る移動物体が、こんなに高速でいいのでしょうか。技術的には問題ないのでしょう。しかし、これは変です。モノレールはモノレールらしく、カタコトカタコト走るべきです。

 羽田の出発階で、颯爽とキャリングケースを引いてゲートへ向かう女性がいました。
 ところが、なにやら、カッコいいコートから、ハラリと落ちたものがありました。すれ違った男性が、何だろうと拾い上げ、すぐにサッサと行く女性を追いかけて行きます。女性のスラリとした脚が早いので、なかなか追いつきません。ドラマのワンシーンです。プライドだけで間抜けな女と、ただただ実直な男の出会いの場面です。落とし物は搭乗券のようでした。その後、どうなったのでしょうか。
 懸命に追いかけて行って、落とし物の搭乗券を差し出す男。そうっ、と言って受け取り、お礼もそこそこにゲートへ向かう女。その女を、何となく見送る男。女は振り向きもしない。
 私は、そんなシナリオを描きました。勝手な想像です。お二人には、申し訳ないのですが……。

 搭乗までの間に、搭乗機と座席のシート番号を印字した紙片を、なんと3回も受け取りました。手元には、予約時のプリントもあります。都合、4枚もあります。ご丁寧に、こんなにたくさんは要りません。確認のためなのでしょう。しかし、紙の無駄だし、度々の印字機器の導入からメンテナンスに至るまで、これは大変でしょう。事業見直して仕分けが叫ばれている今、一考の余地がありそうです。

 機内で、シートベルトのサインが消えてから、このメモをiPhoneに入力し出した時でした。サッとアテンダントの方が寄って来られ、「お客さま」と声をかけてiPhoneの画面をご覧になりました。そして、iPhoneの画面左上の飛行機マークを確認すると、「失礼しました」と……。素早い対応で、好感が持てました。

 つい、胸の名札を見ると、忘れられない名前でした。
 かつて、阪神タイガースに源五郎丸というピッチャーがいました。それに似た名前でした。名前とその爽やかで可愛い女性のイメージがあまりにも落差があるので、苗字を変えた方が、と要らぬ気遣いをしてしまいました。テキパキとした、気持ちのいいアテンダントの方でした。

 倒産寸前のJALのアテンダントの方は、少し年齢が高いように思います。そして、愛想がいいようですが、作られたイメージがあります。笑顔が営業用に感じられます。ただし、安心感はあります。
 今回もそうでしたが、ANAのアテンダントの方は、若いなりに気配りは懸命にしているという感じの中で、清涼感があるように思います。企業の姿勢ではないでしょうか。
 あくまでも、個人的な偏見ですが……。

2009年12月 5日 (土曜日)

絵や書を縁取る表装の妙技

 京都文化博物館では、さまざまな展覧会が開催されています。
 特別展などは、見応えのあるものが多いので、よく行きます。
 その上の階などで開催されている地味な展覧会も、いいものがたくさんあります。

 今日は、5階で開催されていた「第94回表展(表装展覧会)」(協同組合京都表装協会、12月6日まで)を見ました。
 これまで、表装というと、襖の張り替えの時や、西国33箇所札所巡りを終えから、集印軸を掛け軸に仕立ててもらうときにしか縁がありませんでした。それが、今回の展覧会を見て、その周りを包む表装の意匠のおもしろさを教えられ、興味を持ちました。

 書籍の装丁は、仕事柄いつも気をつけています。紙や布地など、さまざまなものを目にします。書物がどのようにして作られ、どんな修復技法がなされているのか、注意しています。その背景にある表具師の方々の世界が、こんなに興味深いものだとは…。

 絵や書などを見るとき、それを包み込む額縁や軸について、何も意識せずにいました。
 目の前にある絵や書だけを見ていたのです。しかし、その周りの装いが、作品と協力関係にあるとは驚きでした。
 額のデザインと色合いや、表装の裂の選択によって、作品の印象がまったく違ってくるのです。当たり前のことですが、これまで、そこに注意は向いていませんでした。

 今日は、京都の表具師である宇佐美修徳堂の宇佐美直治さんが、丁寧にわかりやすく説明してくださいました。

 作品を写真に撮ってもいいとのことだったので、紹介します。

 「鶴」は、今回の展覧会で宇佐美さんが受賞なさったものです。
 
 
 
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 銀と金のバランスに創意があるようです。
 作品を引き立たせるために、その背景にはこのような方の助力があるのです。

 会場で私が一番気になったのは、ペルシャ文字風の書の軸装でした。
 
 
 
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 ここに書かれた文字もそうですが、この表装が醸し出す雰囲気は、海の彼方遠い異国に誘います。
 書と表装のコラボレーションと言えばいいのでしょうか。
 明年2月にインドへ行くので、その時にこの作品を見てもらうつもりです。
 どんな反応があるのか、楽しみです。

 会場には、「人物画」「花鳥画」「山水画」「仏画」などなど、たくさんの作品がありました。絵や書を見るときに、その絵や書の縁取りを見て回るのも、これまた楽しいものです。

 気づかなかったおもしろさを、今日は新たに知ることができました。
 
 
 

2009年12月 4日 (金曜日)

資料に会うために遠出

 電車に揺られて、大阪南部にある羽曳野丘陵へ脚を向けました。
 近鉄藤井寺駅からバスで20分のところにある、四天王寺大学です。
 
 
 
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 かつて、奈良に住んでいた頃には、西国33箇所の第5番札所である葛井寺や、古市古墳群などに何度も行きました。
 久しぶりに来たことになります。車窓の景色が、このあたりを車で走っていた頃を思い出させます。

 四天王寺大学は、以前は四天王寺国際仏教大学と言っていました。
 今回は、恩頼堂文庫の中にある資料を調査し、写真撮影をさせていただきました。

 図書館の方の話では、最近この近くのお寺でサンスクリット語の珍しい文献が見つかったとのことでした。
 日本には、まだ、いろいろなところに、いろいろな本があるようです。その本の価値が認められないままに、たくさん眠っているようです。
 価値や意義のわかる人の目に触れることで、少しずつ姿を現すのです。
 
 本は、人に見られることを待っています。
 大いに、活用したいものです。

 

2009年11月12日 (木曜日)

映画「沈まぬ太陽」

 観て良かった、と思える映画です。
 渡辺謙はもちろんですが、三浦友和の憎まれ役がうまかったと思います。

 我慢して生きる男と、我慢して生きる妻が、気持ちを一つにする場面がありました。
 その男は、娘の婚約の席を蹴って飛び出します。それを追ってきた妻と、お互いが「我慢」して生きて来たことを認め合い、手をつないで家に戻るシーンです。この場面が、一番印象に残りました。自分と重ね合わせて観たせいでしょう。

 この映画を製作するにあたっては、その背後にうずまく政界や航空業界そして組合や遺族交渉などなど、さまざまな生々しい問題があったことでしょう。
 世相を無視しては完成させられないテーマです。しかし、今という厳しい世相が、この映画を後押しする形で完成したとも言えそうです。JALが揉めているドサクサだったからこそ、と言っては失礼でしょうか。

 現実と向き合う物語であり、現実の社会と交錯する映画です。
 このあたりを、映画を観ながら考えてしまいました。

 めずらしく、もう一度観たい映画を観ました。
 ただし、途中休憩の10分を挟んで、3時間半の長編であることから、もう観る機会はないかもしれませんが。

2009年11月 4日 (水曜日)

予期せぬ夜の祝祭

 突然連絡があり、話があると……。
 あまりいいことは考えられません。
 チョッと気の重い話なのでしょう。

 東京駅で6時に待ち合わせは?、との指定です。
 しかし、その時間までに立川からは行けません。
 新宿では、と言うと、アルタの前になりました。

 昨日、松本清張の『ゼロの焦点』を読み終えたばかりです。
 月に10日は東京、20日は金沢の生活をする男の話です。
 似たような私ですが金沢の断崖に立つことはなさそうです。

 てっきり一人かと思ったら、もう一人のツレ。
 あやしげな、それでいてよく知っている男女。
 何事かと、思いをめぐらしながらのネオン街。

 新宿駅からは外れにある、とあるビルの地下に連れて行かれました。
 私には不似合いな、モダンなイタリアン・バーの片隅に座りました。
 まったくこの状況が読めないままに、トマトのお酒を注文しました。

 雑談をしているうちに、こんな言葉を書いたものを渡されました。
 私が大好きな、井上靖の『星と祭』の1節が書かれているのです。
 『星と祭り』の「り」は不要だよ、などとは言えない雰囲気です。
 
 
 
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 実は、このフレーズは、私にとっては思い出深いものです。
 伊豆の海辺で星を見ながらプロポーズらしき時の言葉です。
 結婚を意識しての照れながら交わした会話の一部なのです。

 やがて、こんな綺麗なお皿が運ばれてきました。
 チョコで書かれたアルファベットが読めません。
 最初の大文字は何か、しばらく眺めていました。
 
 
 
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 家族以外から誕生日を祝ってもらう。
 これまでになかった出来事なのです。
 記憶にないことが今日起きたのです。
 
 
 

2009年10月16日 (金曜日)

北山の秋の草花-2009

 外を歩くと少し汗ばむ陽気です。しかし、朝晩は冷え込みます。
 我が家では、今週からガスストーブを出して、部屋を少し暖めるのに使い出しました。
 隙間だらけの我が家です。夏は中庭の煙突効果もあってか、世に言われるほど家の中は暑苦しくありません。
 しかし、冬は正直言って、寒さが堪えます。そろそろ、寒さ対策の準備です。

 今年の秋の玄関先は、こんな草花で賑わっています。
 
 
 
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 自家用車を処分してからは、駐車スペースがこんな花壇と化しました。
 色合いは、イングリッシュガーデン風でしょうか。
 ガーデニングは、何かと手間がかかるようです。肥料や土や砂が結構必要です。草花は種から育てているために、家の裏などにはたくさんの芽が出ています。毎晩、妻はナメクジをとったり、水をやったりと、手をかけているようです。私は何も手伝えないし、育て方もわかりません。

 道行く人に「きれいですね」と言われることが労いなのだそうです。
 奈良の平群にいた時とは比べものにならないほど、とにかく狭いスペースでのガーデニングです。
 それでも、こうして草花が明るく花を咲かせ、いろいろな姿を見せてくれるのを目にすると、源氏絵の片隅に描かれた植物と同じように、これらが雰囲気を作り出していることを実感できます。

2009年10月14日 (水曜日)

手製の和風の灯り3点

 元来、工作が大好きです。中学生の頃は、技術家庭科が大好きでした。
 小さい頃から、プラモデルや電子機器などに熱中しました。
 コンピュータもいろいろな組み合わせで仕事をしています。

 作るというよりも、組み合わせて楽しむ、というところでしょうか。

 我が家でも、折を見ては、いろいろなモノを作っています。

 自信作でもある、照明器具の細工を3点ほど。

 何と言うことはない、和紙などを使って、本来あった照明の雰囲気を変えただけです。
 しかし、町家風の我が家には、なかなか馴染んできました。と、自分では思っています。

 まずは、奥の廊下の照明です。狭い廊下の上にあった白熱電球を、おもしろい和紙で包みました。
 
 
 
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 どちらから見ても、同じようです。しかし、それでいて、微妙に雰囲気が違います。

 次は、玄関の上がり口にある、二畳の間の灯りです。
 
 
 
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 狭い空間に、大きな張りぼての球を吊しました。

 最後は、玄関の上がり框の上です。
 ボール球を麻の網で半円形に覆いました。
 この曲線を描くのに、さまざまな工夫をしました。今は、アクリルのスティック棒でカーブを作っています。
 
 
 
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 これを、二畳間の方から見ると、こんな感じです。
 
 
 
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 ガラスの手前に見えるのは、下鴨神社に檜皮を寄進したときにいただいたものです。外のガラスの向こうには、今年の祇園祭でもらった蘇民将来の粽が見えています。

 この3つの照明は、いずれも省エネのボール球を使っています。たしか、18ワットだったと思います。
 付けっぱなしにしていても、電気代は大したことはありません。

 次は、傾いた2階の和室に手を入れて遊ぼうと思っています。

2009年8月29日 (土曜日)

ひとヒト人の週末の東京

 今日は、今春より職場の同じ建物の西側に移転して来た、国立極地研究所の一般公開の日でした。
 10時開館でしたが、30分前にはすでに建物を取り囲むように、たくさんの人が並んでいました。
 先着100名がマイナス45の体験ができる、という触れ込みが、大きな効果を生んでいたこともあるのでしょう。
 
 
 
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 「探検ツアー」や「昭和基地とのライブトーク」などが催され、日頃は静かな職場も、今日は数千人の人でごった返ししていました。
 国立極地研究所が建物の西側に、国文学研究資料館は東側に入っています。しかし、今日ばかりは、大勢の人が、子供たちが、長い廊下や踊り場など至る所で歓声をあげていました。
 こうした賑わいを見ると、文学は何と質素な控えめな学問であることか、と痛感させられます。

 それにしても、ダイナミックな機関が同じ建物に来たものです。
 今年の後半には、統計数理研究所が入ってきますが、これはおとなしい組織だと思います。

 南極の氷やペンギンなど、人を惹き付けるものを持つ強みを感じました。
 文学は、やはり地味な存在です。しかし、それなりに意義を主張していきたいと思います。
 南極か北極の氷の中に、櫃に入ったままの『源氏物語』の古写本が閉じ込められていないでしょうか。
 極地研の方と仲良くなったら、南極の氷の下に日本の古典籍が漂着・封印されていないか、探ってみましょう。

 今日は京都に帰るゆとりもなく、立川で溜まりに溜まった仕事をこなし、暗くなって帰路につきました。

 立川駅では、民主党の長島昭久氏が、街頭演説をしていました。あと選挙運動も少しの時間しかないということもあり、ヒートアップしていました。
 駅頭は、もの凄い人だかりでした。

 中野駅で乗り換えの途中で改札の外に出たところ、ちょうど民主党の長妻昭氏が選挙活動を終えたばかりで、支援者と労いの握手をしておられるところでした。

 両駅とも、異常なほどに人が集まっていました。民主党の想像を絶する勢いを感じました。

 私は、高校時代に学生運動をしていた時から、ずっと日本共産党の存在意義を認めてきました。
 今も変わりませんが、今回の民主党の勢いは、常軌を逸した気迫迫力すら感じます。

 明日の投票日は、その結果が楽しみです。
 民主党は、比例区にもっと候補者を登録しても良かったのではないでしょうか。
 明日の民主党の幹部の悔しい顔が見られそうです。票を取りすぎたことに対する、読みの甘さからの悔しさを、私は想定しています。
 さて、どうなりますか。

昨日の「電車もトイレと同じく男女別にしよう」の不備

 昨日の「電車もトイレと同じく男女別にしよう」で、過去のブログの文書を2つ紹介しました。
 しかし、リンク先の私のブログがすべて消滅しているようです。
 そのブログ「平群の里から」は、一昨日までの記録では、452,299アクセス以上あったものですが、残念なことになりました。
 手元に過去の文書が残っていますので、いつか機会があれば再現したいと思います。

 いまは応急処置として、手元のバックアップ文書で、以下に(1)「女性専用車両大賛成の弁」を再現します。

 (2)「男性専用車輌を走らせてほしい」については、表示は遅いのですがサーバーが異なるものなので、今でも見られます。
    しばらくは、このままにしておきます。
 (3)は、これも「平群の里から」のものなので、リンク先が消滅しています。
    しかし、(2)と同文なので、これは昨日の記事には「なかった」ものとします。

 いろいろとリンク先を経巡ってくださった方々にお詫びいたします。
 ご迷惑をおかけしました。

 なお、ここに再現した文書の中でも、リンク先が消滅したものがあります。これは、インターネットの宿命としてご寛恕のほどを。
 とにかく、ブログは読み捨ての情報であると、割り切るしかありません。



(1)
2004年08月15日
女性専用車両大賛成の弁(「ミクシィ」掲載分より)

 昨日14日、大阪・難波で「女性専用車両に反対する会」の集会があったようです。詳細は下記ホームページでご確認を。
http://www.eonet.ne.jp/~senyou-mondai/
 ただし、昨日の報告は、今日現在は作業中となっていました。
 女性専用車両は、痴漢被害をなくすのが目的だとのことです。全国の公共交通機関がさまざまな対応をしており、問題の多い実施実態のようです。この件については、たくさんの人がホームページなどで発言をしておられるようです。検索をしてみて、その多さに驚き、ヘッドラインを眺めるだけで読むのをやめました。発言しやすいテーマなのでしょう。それだけに、解決は無理だとの実感を得ました。
 私の生活範囲で言えば、近鉄奈良線が時間限定で女性専用車両を増結しています。ただし、それがどのように機能し、利用されているのかは知りません。私がその車両を利用することがないせいでもあります。
 さて、以下、人の意見はまったく読まず、ここに私見を書く勝手を、お許しください。
 私は、女性専用車両には諸手を挙げて大賛成です。その理由は、次の3点からです。

(1)見ず知らずの女性から痴漢に仕立て上げられるのではないか、という恐怖から逃れるため。突然、自分の人生の一部を、いわれもなく失いたくないのです。それも、相手の勘違いや悪意による思いこんだ自己申告で。まだ私は被害にあったことはありませんが、いろいろとその実態の話は聞いています。

(2)携帯電話の電磁波被害から、自分の身を守るため。白血病・脳腫瘍・アルツハイマーになる確率を低くしたいのです。鉄板に囲われた電車内で、無神経に電磁波を飛ばして人体実験に荷担しているのは、男性より女性の方が多いと思います。『電磁波白書』(大朏博善、アスキー、1997.5)の電磁波被害擁護論は、再検証が必要だと思っています。下記の「携帯電話の危険性〈2000.5.4〉」をご参照願います。
http://www4.kcn.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R4.2_hitec_05_2000.html

(3)女性の化粧品などが発する悪臭で、長時間不愉快な思いをしたくないため。密室で放たれるこの異臭は、一日を気分的に台無しにします。オナラの可愛さなら許せますが。和服の微かなお香の薫りは大好きです。自分の部屋では、よくお香を焚きます。でも、化粧品の下品な匂いは、臭いと感じてしまうのです。

 ということで、電車に乗るときには、女性を避けるようにしています。特に20台と40台の女性には、自然と体が反応して遠ざかります。君子危うきに近寄らず、ではないのですが、私にとって車内で危害を及ぼす恐れのある女性は隔離してほしい、というのが私見なのです。これは、女性差別ではなく、ケースによる区別の範疇の問題です。そして、上記3点が我慢できる状況に改善された暁にはじめて、女性専用車両は廃止すべきではないでしょうか。
 毎週末に新幹線を利用しますが、私は禁煙車両を利用します。新幹線にも、女性専用車両も望みます。

 上記「反対する会」のホームページにおける集会参加の案内で「女性専用車両に反対の方ならどなたでも結構です。」とありました。これはおかしいと思います。排他的な意識で行なう活動は続きませんよ。

 なお、私が体験した痴漢問題については、下記の報告を参照してください。
http://www4.kcn.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R1.1_chikan.htm
 痴漢に対処してくれる警察官は、被害者とその家族にとっては頼もしい味方のはずです。しかし私の体験では、係官によって当たりはずれがあるということです。私の場合はハズレでした。現場の警察官は真摯に対応してくださったので感謝していますが、その上司である係長がアホでした。このアホという言葉は、関西で使う、親愛の情を含んだ貶し言葉です。関東のバカは、救いようのない人間に使うものだと、私は勝手に定義していますので。

2009年8月28日 (金曜日)

電車もトイレと同じく男女別にしよう

 最近、女性専用車輌に関する問題が、ネット上で再燃しているようです。

 痴漢と間違えられて人生を棒に振らないようにと、男性は様々な自己防衛を図って来ました。しかし、そのアホらしさと、気疲れから、神経を研ぎ澄まさなくても乗れる電車に乗りたくなったのです。

 女性の言い分は、ほとんどの男性は理解しています。
 そうだからこそ、一人になりたいのです。
 痴漢のことだけでなく、電車の中では、男性にとっては見たくない女性の姿態や行為もあるのです。

 持論ですが、男と女は人種が違う、と思っています。
 違うものなのに、平等の論理であたかも同じ生物であるかのように考えようとさせることに、無理があります。
 男にとって、思いもおよばない、信じられないことをする女に、よく出会います。これは、逆のこともたくさんあることでしょう。

 人種という言葉が不適切ならば、肉体的精神的な面での、構造が違うのです。
 違いは違いとして認めた上で、付き合って行くべきです。

 現代社会におけるトイレやお風呂は、非常に明解に男女を区別した空間です。
 電車も、この部類に属する空間だと思います。

 私見は、すでに以下のブログに書いた通りです。
 今も変わりません。

(1)2004年8月15日に、「女性専用車両大賛成の弁」を記しました。

(2)2006年7月26日に、「男性専用車輌を走らせてほしい」を記しました。
  (これは表示が非常に遅いので、次のものを参照してください)

(3)再掲載分「男性専用車輌を走らせてほしい」


 ことばでの表現が微妙な問題なので、誤解のないようにするためにも、ご照覧いただければ幸いです。

 男女の差別と、男女の区別を、勘違いしてはいけません。

 上記(2)or(3)で、

現状は、女性には二者択一の権利が与えられていますが、男性には選択権がありません。 私の提案は、女性にとって二択、男性にとっても二択です。 これで、差別的な平等主義は解消されます。

と記しました。

 しかし、これではその中間がありません。世の中、二者択一、右か左か、Yes か No か、はいけません。
 これは、以下の提案に変えたいと思います。

10両編成の場合、女性専用車輛を3輌、男性専用を3輌、家族や両性者など自由車輛を4輌、でどうでしょうか。

これで、快適な地点間の移動が可能となるはずです。


2009年8月19日 (水曜日)

スクーバダイビング2009(2)

 2日目は、ボートで沖合まで出て、深いところを潜りました。
 
 
 
090817fune
 
 
 
 向こうの陸地には、清少納言の『枕草子』に出てくる「しらら浜」が見えるとのことでした。
 そちらの方向にシャッターを切りました。どこがそこなのかは、また後に確認します。
 突然、池田さんは『枕草子』の一節を暗唱してくださいました。自分の世界の話になったにも関わらず、私はこれから海に飛び込むことに注意が集中していて、『枕草子』どころではありませんでした。
 まさに、本業を忘れてのダイビングです。
 
 
 
090818siraraしらら浜はどこ?
 
 
 
 天気は、昨日同様に晴れ。風も3メートルと弱く、絶好のダイビング日和です。
 魚も、大歓迎してくれました。
 
 
 
090817kangei魚たちに囲まれて
 
 
 
 まずは、18メートル底に横たわる沈没船です。2年前に、伊豆の菖蒲沢で24メートル海底の沈没船に行きました。
 今回は30メートルの大きな船です。たくさんの魚がいました。
 
 
 
090818cabin3沈船のキャビン
 
 
 
090818cabin2キャビンで
 
 
 
 水中で静止する中性浮力のバランスを崩し、2度も海中を上下しました。
 自分の身体をコントロールするのも、なかなか難しいものです。

 2回目のダイブもボートで沖へ行き、三角形の縦穴を下降したり上昇し、20メートルの横穴をまっすぐに進むなど、なかなか爽快な泳ぎとなりました。
 変化のある、楽しいダイビングです。
 
 
 
090818yoko1洞窟内通過中
 
 
 
090818yoko3
 
 
 
 かわいいクマノミが来ましたが、産卵後というので威嚇してきました。
 
 
 

090818kumanomiクマノミ
 
 
 
 今回は、重りを2キロまで減らして泳ぎやすくしてもらいました。
 しかし、また中性浮力を失い、上下動をしてしまいました。慌てるシーンがある内は、まだまだです。

 今回で、通算14回のダイブとなりました。
 トータルの潜水時間は、なんとか7時間を超えました。

 2日間、インストラクターの池田さんには大変お世話になりました。
 海ではもちろんのこと、マリンハウスのテーブルなどでも、たくさんの話を伺うことができました。これが、実は非常にありがたい収穫でした。
 スクーバ・ダイビングの楽しさや楽しみ方を、いろいろと教えていただきました。
 非常に説得力のある説明で、また海中でも目配りの利いた誘導には、敬服しています。

 池田さんは、すでに20数年で1万数千本のダイビングをなさっているとか。
 2万本を目指して、ますますのご活躍をお祈りしています。

 私の息子が、幼稚園くらいの時のことでした。
 この白浜の三段壁の崖を家族で見学していたとき、突然崖の方向へ走り出しました。
 よりによって、ここは自殺の名所です。
 私も妻も、「とまれーっ」と大声で叫び続けました。とにかくチョロチョロと走り回っている子でした。もうだめだ、と思ったときに、何とか踏み留まって事なきを得ました。
 その後、同じ所を訪れたところ、柵が設けられていました。しかし、今はまた、柵が取り外されているとのことです。
 この三段壁の下も、すばらしいダイビングポイントなのだそうです。ただし、上級者向けなので、30本は潜って、中性浮力を確保できるようにならないと、行くのは危険だとのアドバイスをもらいました。

 この思い出の三段壁の下を潜ることを、当面の目標にしたいと思います。
 その時には、池田さん、またインストラクターとしてのご指導を、よろしくお願いします。

2009年8月18日 (火曜日)

スクーバダイビング2009(1)

 南紀白浜へスクーバ・ダイビングに行きました。

 昨日書いたように、第1日目の夜に長文のブログを書いたのですが、送信時のエラーで2回ともアップに失敗しました。

 パソコンとの付き合いは20年以上になります。しかし、依然としてトラブルはつきものです。
 まだまだ、パソコンの操作環境は未成熟です。ノイマン型コンピュータの限界なのでしょうか。

 手元に昨夜書いたテキストは何も残っていないので、改めて再度思い出しながら書くことにします。

 自宅を朝一番に出、大阪・天王寺駅で「くろしお1号」に乗り換えて、一路白浜駅へ行くという、片道4時間の旅です。

 しかし、あろうことか、天王寺に着いた時は、阪和線の列車故障のために全線運休となったばかりのところでした。
 特急の指定席に座り、動かない車窓の風景を1時間ほどボーッと眺めていました。かつて、通勤に使っていた乗換駅です。雑踏を懐かしみながらのスタートとなりました。

 白浜駅についたのは、ちょうど1時間遅れでした。
 タクシーを飛ばしてアクアマリン・シラハマへ急ぎました。
 
 
 
090817houseアクアマリン・シラハマ
 
 
 
 しかし、お昼に近いということもあり、午前中のダイビングは午後に回すことになりました。そして、インストラクターの池田さんと楽しく歓談しながら、復習を兼ねた今回のスケジュールの確認をしました。

 午後の最初は、ビーチで魚とのコミュニケーションをとりながら、2年間の空白を埋める、ダイビングを思い出す時間でした。最初は、6キロの重りを身につけての潜水です。
 クロダイ、ソラスズメダイ、ボラ、ウツボなどがたくさんいました。(このウツボは、2日目の写真かも?)
 
 
 
090817utuboウツボ
 
 
 
 温度は31度、5.1メートル水底の温度は29度でした。

 午後の2本目のダイブは、水中写真撮影のスキルアップです。
 動画の撮影が、こんな時に楽しい映像を残してくれます。
 これまで、デジカメで動画を撮ることがなかったので、意外な活用法でした。
 今度は、身体とウエットスーツが慣れたせいもあり、重りは5キロにしています。
 初日の潜水時間のトータルは、50分でした。

 宿舎は、歩いて1分のところにある塔島館という民宿です。
 のんびりできる、いい宿でした。
 夜のインターネットへの接続のトラブル意外は……。
 もちろん、その責任は、宿にはありません。
 iPhoneを使っての接続なので、ソフトバンクとイオネットという接続業者の問題なのです。
 ソフトバンクはどうしようもない会社だと思っているので、打つ手はありません。
 1日も早く、auがiPhoneを取り扱ってくれることを熱望しています。

 なお、2年前のダイビング話をご覧になりたい方は、以下のアドレスの記事をご笑覧ください。

【2年前のダイビングの記録】

スクーバ・ダイビング(1)

スクーバ・ダイビング(2)

スクーバ・ダイビング(3)

スクーバ・ダイビング(4)

スクーバ・ダイビング(5)

スクーバ・ダイビング(6)

スクーバ・ダイビング(7)

スクーバ・ダイビング(8)

スクーバ・ダイビング(9)

スクーバ・ダイビング(10)

スクーバ・ダイビング(11)

2009年8月17日 (月曜日)

スクーバダイビング2009(0)

南紀白浜に来ています。

先ほど来、頑張って二度も長文をアップロードしました。しかし、いずれも失敗に終わりました。
冷酷で虚しいメッセージを、二度も見る羽目になりました。

波の音を聞きながら、この一時間を取り返すように、少しだけでも書いておきます。

今回は、更新を諦めます。

明日、再度試みます。

2009年8月15日 (土曜日)

いつものお盆です

 鞍馬口にあるの養林庵の庵主さんが、今年も来てくださいました。
 お盆には、いつもお願いしています。
 
 
 
090815anjyu読経
 
 
 
 庵主さんは、80歳を越しておられます。しかし、お元気です。
 気持ちのいいお経です。
 今日も、お盆だけの特別なお経をあげてくださいました。

 右の木魚は、我が家伝来のものです。昭和初期からのもので年季が入っているものです。
 乾いた木の響きが、部屋中の空気を新鮮にしてくれます。心地よいリズムを刻んでいました。

 仏壇のお膳は、夜行バスで今朝駆けつけるようにして帰ってきた、料理人の息子が作った精進料理です。
 小さいながらも、細かな細工を施した、本格的なお膳です。

 坪庭の苔が元気よく育っているのを見て、お寺のようにいい苔だと言ってくださいました。
 楽しい話をたくさん聴きました。
 今年は、我が家へ真っ直ぐ来られなかったことを、大変残念そうにしておられました。
 昨年はスーッと来られたのに、今年はわからなくなったと、年をとった、年をとったとおっしゃいます。
 80歳を過ぎておられるので、周りから見るとそれだけでもすごいのに、ご自分では道を間違えたことがショックのご様子でした。ご自分に自信があるからこそ、お元気だからこその悔しさだと思われます。

 我が家の、亡くなったおばあちゃんよりも3歳年下だそうです。
 おばあちゃんとそっくりだということもあり、家族みんなで来年の再会を楽しみにしています。


 庵主さんを借りていたレンタカーでお送りし、その後すぐに家族みんなで、大阪・八尾の高安にあるお墓参りに行きました。
 久しぶりの運転でした。しかし、その感覚は忘れないものです。
 名神自動車道も近畿道も、車は少なかったので意外でした。
 みなさん、遠出をしておられるのでしょうか。

 お墓参りから帰った後、子どもたち3人が、紫式部のお墓や堀川を見に自転車で行ったので、私は妻と一緒にいつもの賀茂川のウォーキングに出かけました。

 いつもは見かけない烏が2羽いました。
 その向こうと川下には、たくさんの鴨が川で遊んでいます。
 楽しそうな川面の風景です。
 
 
 
090815karasu鴨と烏
 
 
 
 今年の夏は、例年より涼しいように思います。
 川風もサラッとしています。
 夕方になると、肌寒さを感じるほどです。

 明日は、京都五山の送り火です。

2009年8月13日 (木曜日)

裁判員には裁判を監視する役目もあるはず

 裁判員制度が導入され、2件目の判決が出ました。
 マスコミは、こぞってこれを取り上げています。
 しかし、一つ視点が欠落しているように思えます。

 私は、裁判員制度の導入により、いいかげんな裁判をさせないための抑止力も裁判員が受け持つことになった、と考えています。
 ところが、マスコミ報道を見る限り、裁判員制度によって国民の裁判に対する意識を向上させる、ということだけが強調されているようです。
 果たして、それだけでしょうか。
 今のマスコミの書きぶりでは、裁判所を見上げる視線で、裁判員制度が取材・報道されているように思えてなりません。

 裁判官の中には、とんでもない人がいます。いました。
 いかげんな訴訟指揮をし、いいかげんな判決文を書いて一件落着とする裁判官がいます。いました。
 せめて、原告が提出した訴状や準備書面には眼を通して判決文を書きましょう。

 また、不誠実な弁護士もいます。いました。
 立場が違うとはいえ、法廷でヌケヌケと嘘はいけません。

 私は、東京地方裁判所で、とんでもない裁判長に当たりました。
 そして、その時の弁護士は、誠意の欠片もありませんでした。

 私が提出した訴状を読みもしないで審理を進め、でたらめな判決を出した東京地裁に落胆し、すぐに東京高裁に控訴しました。

 東京高裁での冒頭、私は裁判長に、まじめに裁判をしてほしいということと、提出した資料を読んで判決を出してほしい、と強く強く訴えました。
 高裁の裁判長は、これは大変とばかりに、哲学論争に持ち込もうとしましたが、そこは文学論争以外はどうも……とか何とか言って、どうにかかわしました。

 ただし、この高裁の裁判官は良識のある方で、私に分があることは明らかであることを早々に察知され、和解に持ち込んでの解決を勧められました。

 ところが、和解の話がまとまりかけた段階で、今度は弁護士がそれまで嘘をついていたことがわかりました。

 和解に立ち会われた裁判官は、あなたも大変だろうから、もうこのへんで収めたら、という趣旨の早期終結を急がれました。
 くだらんことで仕事を増やすな、というのが本音だったのでは、と思っています。

 事実が何で、何が正しいかは、私が体験した東京地方裁判所と東京高等裁判所では、もうどうでもいいことでした。
 事実確認が、非常に軽く扱われていました。

 以来、裁判とはこんないいかげんなものでいいのか、と疑問に思っていました。
 その原因が、弁護士を雇わない個人裁判だったので、それが本来の裁判のありかただとしても、その業界の人たちにとっては適当に処理する事案だったのでしょうか。

 私の結論は、裁判官は人手不足で、1日に何本もの判決を書かされる激務なので、全力投球で裁判などに取り組めないのだ、ということに理解を示すことでした。
 また、弁護士も、対費用効果によって活動する人たちで、軽微で面倒な事案には適当に対処するのが慣例であり、私の場合がそれだったのだろう、と思うことにしました。

 忙しさのあまり、どうしても全裁判に集中できずに適宜気を抜いていた裁判官の実態が、明らかにあるはずです。
 そこに裁判員制度が導入されたことにより、裁判に裁判員という、法律には素人とはいえ第三者の眼が入ることになります。それによって緊張感が生まれ、裁判の中で手抜きをしにくくなる、という効果が期待できる、という側面を、関係者はみんな消極的にせよ歓迎し期待していたと思います。また、裁判員制度がうまく機能すれば、眼の回るほど忙しい裁判官の労力も軽減することが期待できます。

 その点に、マスコミはほとんど切り込んでいないのです。

 この裁判員制度が進めば、いずれは裁判官の実態も明るみに出、また裁判員にもいいかげんな人が採択されるなど、裁判そのものの意義を問題にする時が、遠からず来るはずです。

 裁判員が裁判の監視役をも果たすことがある、ということは、その時に浮上することかもしれません。
 今は、とにかく裁判官の実態には触れないレベルでの、裁判員に課せられた職務の一端だけが注視され、報道の対象になっている段階かも知れません。
 今は、裁判員が法曹界の中を見てはいけないのです。目の前の事案に真摯に対処することだけが求められています。

 しかし、いずれは、裁判員も裁判官の、そして弁護士のありように不審な思いを抱くことでしょう。
 その時に、改めて、裁判とは何か、ということが問題になるのかも知れません。自分たちは、正規雇用者の負担軽減のために雇われた、非正規雇用者であったことに。
 民主主義の側面が覗き見できる時となります。

 私が個人裁判を通してまとめた次の報告書は、裁判所での理解不能な実態を詳細に記したものです。
 ただしこれは、A4版の用紙にして250枚ほどの分量がありますので、おついでの折にでもご笑覧いただければ幸いです。
 裁判官と弁護士の知られざる実態が炙り出されている、ということで好意的な評価をいただいているレポートです。


「海外留学と保険契約 -驚くべき損害保険会社の対応を裁判体験から報告する-」


 この冒頭で、論点を三つあげて要旨をまとめています。
 参考までに、引用しておきます。

1)若者が海外留学する時に契約する保険内容は誰に聞けばいいのか

(被告会社の弁護士の説明では、保険内容の説明はあくまでも
サービスであって、その内容を説明する法的義務はないと)

2)地方裁判所においては事実の指摘が何と軽く扱われていることか

(東京地裁の裁判進行と判決は事実確認を軽視したものであり
上告審の東京高裁でようやく事実に耳を貸してもらえた)

3)和解の最終局面で突然出現した留学生専用パンフレットの意味は

(保険契約時や訴訟進行時に、この資料はまったく提示されず
和解交渉に入るまでは、その存在すら隠し通されていた)

2009年8月 8日 (土曜日)

スキューバ・ダイビングの練習

 昨年の夏は、秋の源氏物語展の準備のために忙殺され、一度も海へ行けませんでした。
 今年の夏は、南紀・白浜へ行くことにしました。

 前回は、ライセンスを取得するために2度、伊豆の海を潜りました。2年前のことです。
 それ以来なので、機材の使い方から、水中での呼吸から身のこなしまで、すべてがリセットされています。
 そのために、海へ行く前に身体の記憶を呼び覚ますための練習も兼ねて、自宅近くのスポーツクラブへ行き、そこのプールで講習を受けました。
 ちょうど、満月の夜のダイビングとなりました。

 私は、川崎の4メートルの深さの、ダイビング用のプールで練習をしていました。今回の京都のプールは、ごく普通の1.2メートルの深さです。一般の方が泳いでいるコースの端を使うものでした。
 普通の水泳のコースとはいえ、まったく身体が忘れていることですから、ここでの練習で十分に感覚は取り戻せたように思います。

 まず、機材の点検です。ボンベの確認に始まり、ボンベにレギュレーターを取り付けたり、ゲージを見て充填されている空気のチェック、BCDジャケットの取り扱いなど、すべて忘れていたことを思い出させてもらいました。

 プールに入ってからは、呼吸と真っ直ぐに進むことの練習をしました。
 足びれのフィンをけっても、なかなか進みません。身体が左右に振れます。足だけが水面に出てしまいます。

 2年のブランクは、意外に影響していました。
 しかし、1時間ほどの講習を受けて、なんとなく感覚を思い出したように思います。
 実際に行く前に、もう一度練習をする予定です。

 今回着ていくダイビングスーツは、前回同様、こんなものです。
 同行の方のために、今日の練習が終わってから、一応写真に収めておきました。
 
 
 
090807dyving我がダイビングスーツ
 
 
 
 よろしくお願いします。


2009年7月23日 (木曜日)

新幹線の車中での泣き声

 京都から東京までの新幹線の車中で、ずっと子供が泣いていました。
 乗る前から、列に並んでいる時から泣いていました。
 泣き止まそうとするお母さんの努力には感心しました。しかし、その同情はともかく、乗客の一人としては、とにかくうるさいのは確かでした。

 大声で携帯電話で喋り散らすおじさんやおばさん。
 酒を飲んで喚いているおじさんたちなどなど。
 迷惑な人はいろいろいます。
 しかし、子供が泣き止まないのは、「うるさい」と思う内心の不快感を、どこにもぶつけようがないのです。
 強いて言えば、乗っているのが自由席だったので、もう一本列車を遅らせて、機嫌が直ってから乗車してもいいのでは、と言いたくなります。しかし、お母さんにもこの列車に乗りたい事情があることでしょう。1分でも早く、目的地に着きたいはずですから。

 公共の場所では、お互いの思いやりで保たれることが多いのも事実です。
 子供のこととなると、お互いさまです。

 我が家も、こうした迷惑をかけていたのかも知れません。
 自家用車が普及してからは、子供のことで車内で気を遣うのを避ける意味からも、電車での移動を敬遠する家族が増えたようです。
 そうした背景もあり、電車での子供の泣き声は相対的に目立つようになり、うるさく感じられるようになったのではないでしょうか。

 私はゆっくり本でも読みながら、と思って乗ったので、予定を変更して音楽を聴くことにしました。イヤホーンからの音漏れがないかを確認して、自分の世界に入ることにしました。

 周りから飛び込んでくる音は、雑音であり騒音と感じられることが多いようです。
 東京の中央線で、車内放送で不必要なまでに長い英語の案内が流れます。ここはどこの国だ、と言いたくなります。そんなに長文読解を強いなくても、と反発したくなります。東京人の劣等感からの施策なのではないでしょうか。英語コンプレックスの表れだと思っています。

 海外でも、最近は車内放送が増えました。
 イギリスでは、これまでは次の駅がどこなのか、地下鉄などの路線図をしっかりと見ながら乗っていました。最近は、車内放送が親切になり、それを聴きながら自分が降りる駅を見定められるようになりました。

 移動車中での騒音は、世界的に拡大しているのでしょうか。
 子供を連れてロンドンの地下鉄に乗っていたとき、息子が何度か乗客のおばさんに叱られていました。子供が騒いだり乗車のマナーを守らないと、親の責任としてこれ見よがしに子供を叱る大人がいることを知りました。

 社会的にも、子供の過保護は問題です。しかし、車中での対応は、なかなか難しいものがあります。
 どこにも、悪意はないのです。
 それだけに、感情的にスッキリしないものが残りました。

2009年7月22日 (水曜日)

映画『劔岳 点の記』

 大自然の威力と魅力を堪能できた映画でした。

 全体的に、人間が織りなすドラマ性は極力控え目にしてあります。
 山の自然がメインの映画です。
 それだけに、見終わって、何となく物足りなさを感じました。
 しかし、もう一度観たくなります。

 映像の合成やコンピュータグラフィックを一切排除したところが、この映画の一番の売りです。ただし、自分がそのライブ感覚について行っていないことを痛感しました。つい、眼が人工的な作為に向いているのです。それを無意識に求める自分がいることに気づかされました。
 人工的な映像に慣れてしまっているからでしょうか。

 自然と人間との闘いが中心なので、軍部や家族の扱いが難しかったと思います。
 今回観た限りでは、その配合がどこかぎこちなく感じました。
 生田信は、もっと反抗し、小島烏水も、もっと対立してもよかったのではないでしょうか。
 芝崎芳太郎の妻は、存在するだけで役割を果たしていました。宇治長次郎の妻も。
 女性がポツンと置かれていたので、家族に支えられたドラマ、という説明に説得力を欠きます。
 脇役が優等生的な扱いだったので、そんな印象を持ちました。ただし、主役が自然なので、これでいいのかもしれません。

 次回は、視点を改めて観たいと思います。
 この映画は、映像芸術の原点に立ち返って観ないと、その良さが伝わって来ないようです。

 週末だったこともあってか、映画館は満員でした。年齢層は高かったように思います。
 椅子に座り、じっくりと観ました。
 ドタバタや、アクションや、お涙頂戴のシーンはありません。これ見よがしの感動的なシーンが用意されているわけでもありません。
 画面を観ながら、自分で感じることが求められる映画でした。
 落ち着いて、自然体で観られる映画です。

 もし可能ならば、全編モノクロで観たいと思わせる映画でした。
 朝日、夕陽、紅葉は、セピアで十分です。
 DVDで出たら、そんな観方をしたいと思っています。
 自然を自然として観たので、少し自分のイマジネーションというフィルターを通して観る、という遊びをしたみたくなりました。

 いろいろな意味で、いい映画を観ました。

2009年7月20日 (月曜日)

図書館の資料の切り抜き被害

 井上靖の新聞小説『星と祭』が連載された時の紙面を、新聞から複写して集めています。
 今は、遊び半分でやっています。
 新聞発表時、続く単行本化、その後に全集などに収録される過程で、その文章にどのような手が作者によって入っていったのかを、根気強く調べるつもりです。

 『星と祭』は、『朝日新聞』の昭和46(1971)年5月11日〜昭和47(1972)年4月10日の間、333回にわたって連載されました。そして私は、その連載小説が掲載された新聞のほとんどを毎朝各家に配達していました。そのこともあって、この作品への思い入れが一入の小説なのです。

 当時の新聞の紙面は、今は縮刷版で確認できます。ただし、昭和46年頃の縮刷版を所蔵している図書館は、意外に少ないのです。
 私の職場にも、なかったのです。隣の国語研究所にはありました。しかし、このテーマは自宅で調べたいと思い、折を見て、平安神宮前の京都府立図書館へ通って複写しています。

 先日、第1回の記事から複写をしていて、どうしても見つからないものがありました。
 縮刷版をよく見ると、該当ページが切り取られていることに気づきました。
 昭和46年7月2日の17ページにあるはずの第53回の掲載分です。
 
 
 
090718sinbuncut1切り取られた頁
 
 
 
 よく見ないとわからない程に、奥深い部分から切り取られています。
 巧妙なので、ページを繰っているときには気づきませんでした。ページ数を追っていてわかりました。

 さらに先を見ていくと、7月25日の第76回の直前のページも切り取られていました。
 
 
 
090718sinbuncut2別の箇所でも
 
 
 
 こちらは、前よりも乱暴に千切られています。

 受付の方にお聞きすると、いろいろな本や資料にそうした被害があるとのことでした。
 該当箇所は別の施設の資料から複写して補修するということなので、切り取られた場所のメモを渡しました。ただし、すぐに対応できないので……、と言っておられました。

 私も、この第53回の掲載部分を、どこかで見つけて複写することになります。
 なにやら、面倒なことになりました。

 こうした被害が多いとは聞いていました。
 これまで、切り取られたページに出会ったことがなかったために、今回その実態の一端に触れ、その行為の陰湿さに改めて嫌悪の思いを強くしました。

 今回の新聞の縮刷版は、A4版の大きさなので、高さが30センチもあります。
 一般の小説などの単行本よりも、10センチも大きいのです。
 そして、糸でしっかりとかがってある分厚い本を、押し開きながらでないと、こんなにきれいには千切れません。
 その紙面を巧妙に切り取るのですから、身勝手さと悪意が滲み出ています。

 公共図書館は、高齢化社会のこれからは、ますますその果たす役割が高まります。
 ネット社会では埋められない部分を、形のある本は立派に役だっています。補うのではなくて、共存する性格のものです。
 グーグルが世界中の本をデジタル化したとしても、やはり紙に印刷された本は有益なのです。
 光の点が構成する文字を読むのと、光の反射で視覚化される文字を読むのとでは、その認識のされ方も、印刷された文字の働きも、役割も、目に対する負担も違います。

 図書館の資料を大切にするということが、マナーとしてますます重要になってくると思われます。
 複写機の発達により、手で抜き書きすることはずいぶんと減りました。
 手間を惜しんでの抜き取りは、他の利用者に不便を強いると共に、不愉快にします。
 どうすれば減らせるのか、現場の方々は、盗難と共にその対策に苦慮しておられることと推察しています。

 自分が被害に直面し、その問題点の根深さを知ることとなりました。


2009年7月19日 (日曜日)

新自転車の後輪が破裂−意外なその後

 1週間前に、「新自転車の後輪が破裂」と題する被害報告を書きました。
 この自転車に関して、さらなる被害報告を書き添えておきます。

 今週の月曜日に、ホームセンターの自転車担当の方から電話をいただき、修理に出したが10日ほど待ってほしい、ということでした。
 それが昨日、修理が完了したので受け取りに来てほしい、という電話が入りました。
 素早い対応をしてもらえたようです。

 今日、代車としてお借りしていたママチャリに乗って、自転車を受け取りに行きました。
 フレームはそのままで、後輪をそっくり交換したとのことでした。

 1週間ぶりのかわいい自転車に乗って、平安神宮の前にある京都府立図書館へ行きました。

 最近は、週末になるとこの図書館へ来て、いろいろと調べものをしています。
 自宅の周辺では、ここが一番資料をたくさんもっているからです。
 この図書館で、小さなハプニングがありましたが、それはまたこの次にしましょう。

 話は、修理が終わった自転車のことです。
 後輪のタイヤは、どうやら車輪をはみ出すこともなく、それなりに丸く納まっているようです。
 その替わりと言ってはなんですが、変速レバーを最速にすると、後輪の歯車とチェーンが擦れて引っかかる音がするようになりました。それも、大きな音が、漕ぐたびにするのです。
 そうこうするうちに、いくら漕いでも、前に進まなくなりました。交差点の真ん中でそうなったときには、必死に漕いでも前に行けないので、降りて押して交差点内を脱出しました。車に跳ねられそうになりました。

 よくよく調べてみると、漕いでいるペダルのところの歯車にかかっていたチェーンが、何と外れていたのです。
 指で元通りにチェーンをかけて、また走り出したのですが、しばらくしてまた足で漕ぐ感触がなくなります。
 こうして、4回もチェーンが外れて漕げなくなりました。
 これは危険だと思い、またまた、今朝のホームセンターの自転車売り場へ行き、症状を説明しました。
 担当の方は、しばらくドライバーなどで調整しておられましたが、20分以上もしてから、これは工場でないと直せない、とおっしゃるのです。修理に出すので、また預からせてほしいと。

 私は、それには同意しませんでした。別の同等品と交換してほしいと提案しました。すると、この車種はもう売り切れて、ここにはないとのことでした。
 10台仕入れ、すべて売れたが、クレームがついたのはこの1台だけだそうです。しかし、これが乗れない自転車であることは、担当者が一番よくわかっています。

 今店にあるものでは、その横にあった別会社のシルバー色の別デザインのものしかありません。
 購入するときに、アウトドア用品では知名度の高い会社の商品なので、信頼できるということで買ったのでした。
 サマーセールでもあったので、ホームセンターでは普通の価格帯の自転車です。数十万の高級自転車ではありません。
 色とデザインなどが気に入ったのです。しかし、今ここに並んでいる折りたたみ自転車は、色も形も不満があります。
 しかし、もうそれでもいいので、交換してほしいと言うと、同じ値段のものは変速機が付いていないと言うのです。

 京都は、北に上るほど緩やかな勾配があります。
 我が家は、京都駅前の京都タワーの真北に位置しますが、そのてっぺんくらいの高さにあります。
 そんな京洛を走るのに、やはり変速機は必要です。市内へ行くときは漕がなくてもいいくらいですが、帰りには少しずつきつくなります。
 それでは、変速機付きとは交換できないのかと聞くと、3000円追加になる、とのことでした。

 20年前だったでしょうか、マツダのファミリアに乗っていたとき、高速道路上で突然エンジンが止まってしまったことがありました。大雨の時でした。なんとか脱出し、救出してもらった後、もうこんな恐ろしい車には乗れないと言ったところ、マツダの担当者が2人来て、新車を手配するが70万円は支払ってほしいとのことでした。いろいろとやりとりをしたのですが、とにかく妥協してお金を払って乗り換えたことがあります。
 いまだに、あのマツダの対応は間違っていたと思っています。また、その車はその後欠陥が見つかり、リコール対象車になったのです。ところが、私のところへは何の連絡もありません。
 そのまま乗るのも危険だと思い、マツダに連絡したところ、「大丈夫でしょう」というのを「とにかく見てくれ」と頼んで来てもらったところ、やはり私の車も部品に欠陥がありました。走行中にドアのロックが開くという恐ろしい車でした。
 このいいかげんなマツダのことは、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(昭和61年11月、桜楓社)の「欠陥商品と付き合う法」という項目で詳しく書きました。よろしければ、ご笑覧を。
 そうそう、日産のセドリックは、走行中にエンジンが焼き付きました。
 トヨタのクラウンは、信号で停車したときに、排気筒がゴロンと外れました。
 いやはや、欠陥商品の話は、思い出すときりがありません。

 さて、そんなことを思い出しながらも、今回も3000円を支払うことで、別の自転車に乗り換えることに決断しました。
 今回についても、2回も車道で危険な思いをしているのに、その上またお金を取られることに不満があります。
 しかし、こんなことで揉めても、という思いがあるので、妥協して、じっと我慢して言われるままに手続きをしました。

 ところが、担当者の方も、そうとう私のことが気の毒に思われたのでしょう。電話で、上司の方に今回の経緯をいろいろと説明しておられました。そして、上司の了解を取り付けました、と言って、3000円の差額徴収なしでこの別の自転車と交換してもらえることになりました。

 不幸中の幸いと言うのでしょうか。
 家族に言うと、あたりまえだ、と言うのですが、量販店でのこうした臨機応変の対応は、なかなかできない仕組みのはずなのに、よくやってくれたと、被害者であるはずなのに感謝の気持ちがあります。
 手続き的にも、これまでの登録を抹消し、新たに登録し、返品処理と販売処理を手際よくしてくれました。
 私は、これを誠意として受け取りました。

 ということで、3回しか乗らなかった黒い折りたたみ自転車と、新たに手にすることになったシルバーの折りたたみ自転車を並べて、勝手に乗り継ぎ式を1人でしました。
 
 
 
 パチリ
 
 
 
090718jitensya2黒から銀へ
 
 
 新しい自転車で家に帰って新聞を見ていたら、京都新聞に「リコール中の自転車で重傷」という記事が目に入りました。
 前輪とハンドルを支える支柱が折れて転倒した男性が、重傷を負ったとのことです。不完全な溶接から亀裂が入ったために起きた事故だそうです。
 無償で部品を交換中だったそうです。

 いやーっ。いつ何が起こるかわかりません。
 今回も、運が悪ければ、走行中に後輪の破裂したことにより転倒したかもしれません。
 今日も、交差点の中で漕いでも漕いでも進めない状況で、そうとは知らずに進入してきた車に跳ねられても不思議ではありません。
 紙一重の運の中で生きていることを、また身をもって体験しました。

 そういえば、これまでに何回も、死んでいて当然の事態に出くわしても、こうして無事に生きているのです。
 まだ死ぬ時期ではないからでしょう。
 そう思うことにします。その方が、気楽ですから。
 人様からお気の毒に、と言われないように、ありのままにスーッと死ねたらいいな、と思っています。

2009年7月18日 (土曜日)

愛用のブックカバー(3)

 ブックカバーは、気に入ったものがあると手にしています。

 半年前に、愛用のブックカバー(2)を書きました。
 その後のものとして、最近のものを紹介します。

 次の写真は、先週の祇園祭の舞台となった新町通錦小路で、呉服屋さんなどが大売り出しをしていた時に買ったものです。
 
 
 
090713bookcover
 
 
 
 これらは、すべて、和雑貨小物を扱う「くろちく」さんのものです。

 左側が四六版の大きさ、その右が新書版、そして下の右から2つ目が文庫版、その右がシステム手帳です。

 これらは、綿に和柄がプリントされたものです。
 私が好きな青海波の模様を、やっと見つけました。上段の3点がそれです。
 いずれも1点500円だったので、祇園祭の時の掘り出し物は注目です。

 祇園祭の大バーゲンは、昨日で終わりました。
 また来年を、楽しみにしたいと思います。


2009年7月16日 (木曜日)

小林茂美先生を送る灯

 昨日、5月12日にお亡くなりになった恩師小林先生の奥さまにお電話を差し上げたところ、明日は送り火を焚いて見送る日なので、よかったら一緒に送ってもらえたらあの人も喜ぶでしょう、とのことでした。

 いろいろなことがあり、まだ先生とは直接にはお別れをしていなかったのです。

 関東地方のしきたりなのでしょうか、関西よりも一月も早い習慣のようです。とにかく、今日は、東京地方では、亡き人を送る日なのです。
 立川からの仕事がえりに、先生の田無のご自宅に寄る予定でいたところ、ちょうど娘が上京中だったので、待ち合わせて一緒にお参りすることにしました。

 20年ほど前に、幼なかった娘を連れて、妻と共に先生のお宅に伺ったことがありました。その帰りに、奥さまから娘に、大きな熊の縫いぐるみをいただきました。

 玄関に入るが早いか、先生の魂がここにあるうちに、さあさあ、ということで、ご仏前に手を合わせました。
 いい写真でした。
 横に小さな骨壺がありました。分骨するものだと。

 奥さま、お孫さん、私と娘の4人で、暗くならないうちにということで、急いで車庫で送り火のオガラを点火しました。
 
 
 
090716okuribi1点火
 
 
 
 少し風が強かったこともあったのか、オガラはよく燃えました。
 
 
 
090716okuribi2送り火
 
 
 
 その時、突然ですが、少しだけですが、雨が降りました。
 奥さまは、涙雨ですね、あの人もあんなに引っ張り回した伊藤さんにこうして送ってもらって、さぞかし喜んでいることでしょう、とつぶやいておられました。
 すぐに雨は上がりました。不思議な雨でした。なんだったのでしょうか。

 奥さまの旧姓は、私と同じです。そして、お父様は、私の父と同じく川柳をよくする方でした。
 私の父の遺稿句集を、喜んでくださいました。
 今日は、奥さまのご実家が曹洞宗で、おまけにウサギ年だということがわかりました。
 一緒です、一緒です、と大いに盛り上りました。

 先生の話を散々した後だったので、仏さまそっちのけで話が弾んでも、許してもらえたことでしょう。
 とにかく先生ご夫妻には、私も妻も大学1年生の時以来、親しく、かつ厳しく接していただきました。
 8月8日には、教え子たちみんなでお別れの会を開きます。
 その時に、また先生との思い出話に花が咲くことでしょう。

 今日は、煙と共にお見送りすることができました。
 お孫さんは、おじいちゃんは牛車で上っているから、きっとまだその辺にいるよ、と……。
 私の3番目の息子と同じ二十歳です。しっかりしているので、感心しました。

 長い時間、奥さんと思い出話をしました。
 きりがありません。
 先日、刊行されたばかりの『源氏物語別本集成 続 第六巻』を手に、小林先生と伊井先生と私の3人が編者として名前を連ねていることの説明をしてくれとのことだったので、またまた話が続きました。

 娘が夜行バスで帰る時間になったので、名残惜しいところでお暇することにしました。
 もっとしゃべりたいから、ということで、奥さまは駅までの道々しばらく見送ってくださいましたが、電話で呼び出されたのを潮に、お別れしました。

 奥さまの体調がよくないとのことでした。そのこともあって、お参りをする時期を考えていたのですが、今日の様子では体調は戻っておられるようでした。
 次は、8月8日に、妻と共に昔話ができることを楽しみにしています。

 小林先生のご冥福をお祈りしながら、楽しい話が奥さんとできるのは、これも家族ぐるみでいい関係だったからでしょう。
 先生との出会いからこれまでに感謝しています。

 さようなら。

2009年7月12日 (日曜日)

新自転車の後輪が破裂

 私が購入するものには、欠陥がつきものです。
 これもその1つです。

 先週末に、折りたたみ式の自転車を買いました。
 自宅の玄関先に自転車が3台もあると、何かと邪魔です。そこで、折りたたんで倉庫にしまえるようにと思い、小さくなる自転車を購入しました。

 早速、昨日よりおもしろく乗っていました。ところが、2日目の今日、走行中に後輪のタイヤが丸い枠からはみ出し始めました。大急ぎで、購入した出町柳にあるホームセンターへ持ち込みました。
 
 
 
090612bycecle1膨らんだ後輪のタイヤ
 
 
 

 お店の人が、まず空気を抜いて、タイヤを押し込んで収め、やおら空気を入れ始めたときのことでした。
 またまた、タイヤが枠の外に飛び出した、そのすぐ後に、突然大きな音がしたかと思うと、なんとタイヤが破裂したのです。
 タイヤの色が変わっています。
 
 
 
090712bycecle2破裂した後輪
 
 
 
 空気を入れすぎたのではないのに、大事になりました。
 私も傍で覗き込んで見ていたので、目の前でタイヤが大きな音と共に破裂したときには、心臓が一瞬縮こまりました。

 結局、メーカーに修理を依頼することになりました。
 いつものパターンです。
 そして、代車としてのママチャリを貸して貰いました。変速機もなく、前輪がギコギコと鳴る代物です。
 これも、いつものパターンです。

 欠陥商品を渡され、そのために煩わしい思いをすることには、もう慣れています。
 またか、と諦めが早くなりました。
 事故に巻き込まれず、怪我もないので、不幸中の幸いというべきでしょう。

 私とのお付き合いの長い方は、またか、という一言でしょうか。
 そうなのです。いまだに、欠陥商品を手渡されています。
 コンピュータ、自動車、電化製品などなど、これまでにもたくさん報告しました。
 また1つ、被害報告が増えました。

2009年7月 6日 (月曜日)

ウインブルドンのテニスに釘付け

 今年のウィンブルドンのテニスは、目が離せないゲームが続きました。
 特に、男子の決勝は、どのような結末が待っているのか、まったく見えませんでした。

 高校時代から私はテニスをしているので、こうした試合があるとつい見てしまいます。

 3人の子どもたちがそれぞれ小学6年生になった時、約束で一人づつを海外旅行に連れて行きました。
 みんなをイギリスには必ず連れて行き、ロンドン郊外のウインブルドンの地は3人共に踏んでいます。
 今は新しいセンターコートを使っていますが、子どもたちの中では、3人目の息子だけがこのコートを外からですが見ています。

 今回、仕事をしながら、ウインブルドンの試合を見ていました。なかなか自分の仕事に集中できません。
 集中と言えば、選手の集中力は、人間の限界を超えたもののようでした。

 私は、フェデラーよりもロディックの方を応援していました。
 共に、形勢が不利でも、いつものペースで自分の力の一番いい所を出すのです。
 プレッシャーというものを感じさせないプレーに、とにかく驚嘆しました。
 ここという時に、エースが出、ファインショットが出るのです。
 腕が縮みそうな局面でも、ノビノビとしたボールが打てるのです。
 開き直りなどと言うレベルではなくて、自分が思うとおりのプレーを心がけているのです。それが、いい結果を招いていたのです。

 才能のなせる技なのでしょう。しかし、それにしてもその背景にある努力も、並々ならぬものがあるはずです。
 自信が自分を支えていることもあるのでしょう。

 精神的な強さがいかに凄のかを、今回のウインブルドンから感じ取りました。
 そこには、「諦めない」という一語に尽きる姿が、一球一球を打つ姿から見えました。

 いつ終わるとも知れぬ試合。
 時々、画面には私が大好きなボルグが映し出され、過去のシーンを思い出したりしていました。

 結果はともかく、忘れられないゲームの連続を、眼を擦りながら見ました。
 試合終了は、午前2時28分。
 4時間16分にも及ぶ、シナリオのないドラマでした。
 そして、さまざまな新記録を残した試合でした。

2009年7月 2日 (木曜日)

一瞬の運について

仕事帰り、終着駅の東京でのことです。

電車を降りようとして腰を上げ、開いたドアに向かって歩き出した瞬間、あれっと思いました。
無意識の内に、ポケットに手を当てたらしく、いつものサイフの感触がなかったのです。

ドアの所から、ちょうどホームに片脚を下ろそうとした時です。
何気なく先程まで座っていた席を振り返ると、誰もいないシートにサイフが一つ残されていました。

反射的に身体を捻って引き返し、乗り込む人たちが押し寄せる前に、ポツンと置き去りになっていたサイフを素早く摑んでホームに降りました。
すぐに、ポケットにサイフをしまいました。

初めてのことだったので何がどうなったのかを思い返しました。
直ぐにわかりました。ズボンのポケットが浅かったので、座っている内にポロリと零れ落ちたようです。
ことの原因はわかりました。ありうることです。それにしても、よく気が付いたものです。
一瞬のできごとでした。

我々は、日々、さまざまな危うさの中で生きていると思います。
何かと複雑に組み立てられた現代社会に、1人の人間として身を置いています。反射的な反応と一瞬の判断を繰り返す中で、何事もない日常を送るようにしています。

しかし、突然予期せぬ出来事に遭遇し、それに無事に対処したり、できなかったり。

偶然と運の中で、時には幸運が、あるいは不運が身を襲ってきます。
今日の電車での出来事は、幸運に属するはずです。

無意識とはいえ、反射的に気づいたことで大事に至らず、ホッと胸を撫で下ろしています。

2009年6月27日 (土曜日)

夜行バスからの投稿(補訂)

  渋谷で研究集会がありました。

 源氏物語の本文についての研究会で、非常に充実した内容でした。
 私は、第26巻「常夏」を例にして、本文が2つに分別できることと、本行本文の横に書かれた傍記が、書写者によって本行に取り込まれることによって異文が発生する事例を報告しました。
 写本によって異なる文章が確認できる時に、傍記の混入を想定すると、意外とその背景が見えてくるのです。
 今後とも、こうした事例を報告していきたいと思います。

 その後の懇親会に、最後までお付き合いするため、急遽、新幹線をキャンセルしました。
 そして、夜行バスがないかを、渋谷駅の中のツーリストで、念のために聞いてみました。すると、なんと、渋谷発の夜行バスがあったのです。新宿か東京しか知りませんでした。
 それも、懇親会場の上の階から発車するということでした。

 ラッキーとは、このことです。こんなによくできたうまい話は、滅多にないことです。

 発車間際まで仲間と喫茶店で楽しく話をして、今バスに乗り込んだところです。

 こうしてブログを投稿できるのも、iPhoneがあるおかげです。
 いつもの時間に、いつものように書いてアップできるのですから、情報文具は便利なものです。


2009年6月19日 (金曜日)

30年かかって体得したバックアップ

 1980年のマイコンキットNEC〈TK-80〉でスタートした私のコンピュータの活用も、そろそろ30年になろうとしています。
 いろいろなことがありました。そのほとんどが、後悔ばかりでしたが、なんとラッキーなことがありました。

 これまで、たくさんのデータを突然のトラブルで失ってきました。『和泉式部日記』のデータは、出版間際にすべてが消えてしまい、再入力と再構成に1年以上の徒労の日々を送りました。あほらしさをじっと我慢するしかなかったことが、今でも痛恨の一時として思い出されます。

 バックアップの必要性は、毎回痛感しながら、つい怠っていました。パソコンやメディアが頻繁に壊れる中で、懲りもせずにデータを作成することばかりを考えていました。機器やデータが一瞬のうちに壊れることを、何度となく痛いほど体験してきました。しかし、いつも悲惨な現実に身を置くまで、大丈夫だろうと楽観的に思っていただけで、その果てに後悔することの連続でした。

 ところが、私にも学習能力が少しはあったようで、偶然ではありますが、今回はデータのバックアップをしていたために助かったのです。

 過日、クラッシュして全滅した、バックアップ用のハードディスクに入っていた写真データが、ひょんなことからUSBメモリの中から見つかりました。どうやら、念のために、ソニーのデジタルカメラ・サイバーショットで撮影していたデータは、16ギガバイトのメモリースティックにバックアップをとっていたようです。そのことを、すっかり忘れていたのです。

 これで、本年2月から3月までの2ヶ月間に撮影した、約800枚の写真が復活しました。
 バックアップをとる癖は少しは芽生えてきたようです。後は、それがどこに散在しているか、ということを自覚することです。

 全滅した8万枚の写真のうち、ほぼ8割方は回収できました。これでよしとします。またいつか、何枚かは見つかることでしょう。

 後は、クラッシュしたバックアップ用ディスクに入っていたテキストデータです。ただし、テキストは容量が知れているので、外付けのハードディスクにわざわざ退避させていないはずなので、損害は少ないはずです。

 コンピュータは、いつ壊れるかわからない。
 データは、いつ読めなくなるかわからない。

 30年前から肝に銘じていたことが、いまだに甘い認識のもとで、コンピュータを活用した日々を送っています。
 仕事に取り組んでいる内の、8割方は機器のご機嫌取りに浪費されている、という現実は、今も続いています。

 面倒がらずにバックアップをとる。
 肝に銘じて、実践したいものです。


2009年6月17日 (水曜日)

ネットワークの設定に苦戦

 職場のネットワークの設定に苦しんでいます。

 過日、私が仕事で使っているパソコンのバックアップシステムが崩壊しました。
 その復旧もままならないままに、新たなバックアップを構築しつつあります。

 これまでは、RAIDという方式でした。
 具体的に言うと、1テラバイトのハードディスクを2台用意し、それぞれのハードディスクにストライピングというモードでバックアップをとっていました。
 それが、その内の1台が突然原因不明で壊れてしまいました。
 ハードディスクが鉄の固まりと化した途端に、すべてが復元できなくなったのです。部分的にしか復元できません。
 機械はいつか壊れるものです。私が手にするものの場合は、それが頻繁です。
 製品の当たりが悪いとしか言いようがありません。

 今度は、250ギガバイトのハードディスク4台を1つの箱に組み込んだ、ネットワークディスクです。
 これでミラーストライピングというモードで組むと、4台のハードディスクの内の2台までは故障して壊れても、後の2台で復旧できます。

 ここまではよかったのです。
 しかし、今回購入した製品にも、いろいろと不都合がありました。
 いつものことです。これで、いつも膨大な時間を吸い取られています。

 メーカーに電話で何度もアドバイスをもらいました。しかし、まったく私のパソコンが認識しません。
 ついに、修理品としてメーカーに送ることになりました。これも、私にとってはよくあることです。
 また、いつものパターンか、と諦めて送り返しました。

 昨日、2週間の間をおいて、修理を終えた製品が返送されてきました。
 早速、昨日から接続に取り組んでいましたが、やはりだめです。

 またまた、メーカーに電話をして相談です。すると、意外なことがわかりました。
 今回の修理で、このネットワークディスクの本体のボードなどを、そっくり交換したとのことでした。
 つまり、この機器をネットワーク上で認識するための本体固有のマックアドレスというものが、このボード交換によって変更になっていたのです。
 職場のネットワークでは、機器固有の情報で接続などが管理されています。堅牢なシステムでいいのですが、利用者にとっては面倒なことが多いのも事実です。

 基板を変えたのなら、それならそれと、早く教えてほしかったと、何とかつながった今になって、それまでの時間の長さを思って、悔しい思いをしています。
 会議続きの合間をぬっては、この設定に汗をながしていたのですから。
 
 
 

090617netdisk私の机の下

 
 
 
 真ん中が、今回苦しめられた四角い箱です。
 私の机の下には、写真の右下にあるような細長く四角い箱が、もう1つあります。
 これは、上の階で仕事をしてもらっているアルバイトの方とのデータの共有をしている、1テラバイトのネットワークディスクです。
 これは、もう3年以上も無事故で24時間働き続けています。かわいいものです。
 やはり、と言うべきか、日本の製品はしっかりしていて信頼できます。
 先般壊れた海外の会社の1テラバイトの製品は、とにかく信用がおけません。サポートとなると、まずはクレジットカードを用意しろと、何ともお金万能の体制です。その点、製品に不具合はあっても、その後のサポートは日本のものは誠心誠意対応してもらえます。
 ラシーの製品は、高かろう悪かろうでした。
 今回のアイ・オー・データの製品は、そのサポートで救われました。
 日本は、アップルのような製品を開発する力はありません。しかし、その周辺機器については、まだまだ世界のトップとしてやっていけます。まだあきらめるな、がんばれ、ニッポン、です。

 とにかく、先ほど、やっと問題のディスクをネットワークの中に置くことができました。
 それは、職場のシステム管理者にこのネットワークディスク固有のマックアドレスの変更を申請し、その対処を早急にしてもらえたから実現したのです。
 苦境を理解してもらえて助かりました。時間外だったのですが、ありがたいことです。

 この1ヶ月以上は、つながらない箱を目の前にして、いろいろな手段を考えていました。
 終わってみると、それが徒労であったことが疲れを倍加させています。

 さて、まだ問題があります。
 それは、アルバイトの方に仕事をしてもらっている部屋に、今年度からネットワーク対応のプリンタを導入しました。
 それが、1ヶ月以上たった今も、うまくつながらないのです。
 5台のマッキントッシュで、1台のプリンタを共有するという、何でもない使い方です。
 それが、うまくいかないのです。

 少し光明は見え出しました。
 明日は、何とかしないと、いつもでも不便な思いをしながら仕事をしてもらうわけにはいきません。
 特に、ケンブリッジ大学のコーニツキ先生との共同研究として取り組んでいる「欧州所在日本古書総合目録」の仕事は、今秋、イギリスでの学会で研究発表をする予定のものなので、1日も早く作業環境を整える必要があります。

 機械を活用した仕事は、ものが機械だけに、不調のことが多くて困りものです。
 安い商品を選んで購入しているわけではありません。
 とにかく、高性能のコンピュータ機器を駆使した仕事ということもあり、その製品選びには神経を使っています。
 それに加えて、不良品を手にする率の高いことが、さらに追い打ちをかけます。

 さて、明日はどうなるのでしょうか。
 研究などとは無縁のことで、いろいろと苦戦を強いられる日々の中にいます。

 さて、そろそろ立川から東京に向かいます。
 途中で晩ご飯を食べると、宿舎に着くのは明日になっていることでしょう。
 明日は、物事が一歩でも前進することを期待して、キーボードとマウスを置くことにします。


2009年6月12日 (金曜日)

情報源としての京都新聞

 京都新聞は、文化系の中でも特に文学・歴史・文化に関しては、非常に充実した内容と情報を提供してくれるメディアだと思います。
 もちろん、愛読する全国紙の朝日新聞もすばらしいメディアです。しかし、こと文学に関しては、京都に関するネタということに限らず、貴重な記事にであうことが多いのです。
 これは、2年前に奈良から京都に移り住み、京都新聞も購読し始めてから気づいたことです。

 具体例として、訃報を較べてみましょう。

 まず、昨年2008年10月14日の、井上靖氏の妻だったふみ氏の記事をあげます。

090612inoue1井上ふみ・京都新聞

 
 
 


090612inoue2井上ふみ・朝日新聞

 文字の量が、京都新聞の方が多いのは一目瞭然です。
 その内容では、京都新聞には、死亡時刻、亡くなった場所、出身地、喪主の名前にふりがな、などが明示されています。
 また、井上靖記念文化財団が設立されたのは、井上靖の死の翌年1992年であったこと、ふみ氏の著書に歌集『天上の星』もあること、など、短いながらも簡にして要を得た訃報となっています。

 次は、『源氏物語』の京言葉訳で知られる、中井和子氏に関する2009年2月4日の訃報記事です。
 これは、中井氏が京都府立大学名誉教授ということもありますが、京都新聞は4倍もの情報量で報じています。


090612nakai1中井和子・京都新聞


 
 
 


090612nakai2中井和子・朝日新聞

 井上ふみ氏も中井和子氏も、共に京都に縁のある方です。

 そこで、東京の人の記事として、泡坂妻夫氏の訃報を見ましょう。
 これは、中井氏の翌日に掲載されたものです。

 これも、京都新聞の方が、3倍以上もの情報量で報じています。
 直木賞作家で、推理小説や職人世界を描くところから、幅広い人気を持つ人でした。
 私も、いくつかの作品を愛読しています。


090612awasaka1泡坂妻夫・京都新聞

 
 
 

090612awasaka2泡坂妻夫・朝日新聞


 京都に関係するものは、京都新聞が記事にしていることが多いのは確かです。
 しかし、それ以外でも、こうした訃報にも特徴があります。

 つまり、文化・文学に関する情報は、こまめにとりあげ、しかも詳しく報道していることが、訃報というほんの一つの例からですが、確認できると思います。

 京都新聞は、地方にいても購読できます。
 もっとも、さすがに、朝夕きちんと自宅に配達してはくれません。郵送してくれるのです。
 購読して2年が経ちます。
 文学に興味を持つ私は、毎日、目を通すのが楽しみな新聞です。
 今日はどんなことがとりあげられているのか、と、まずは文化欄と京都版の紙面を急いで確認しています。
 今日も、「羅城門」は「らせいもん」もしくは「らいせいもん」と読むのが適切な読み方だ、という記事を読みました。「来生」からの転訛のようです。
 また、東寺の西側にある羅城門跡の付近は、羅城門町といいますが、これは1918(大正7)年に歴史的知識によって後から付けた地名なのだそうです。
 そして、この羅城門碑と千本丸太町にある平安宮大極殿跡碑は、関係が深いものだとか。

 学校で教わった乏しい知識しかない私などは、京都新聞の地域に根ざした豊富な情報に接し、いつも『源氏物語』を読む時の栄養素になっています。

 もちろん、全国紙に負けないように、政治・経済・社会の記事も確りしています。
 自宅では、京都新聞だけでいいと思うときがあります。しかし、かつて朝日新聞の記者を目指し、朝日新聞を配っていた者としては、これも止めるわけにはいきません。
 そして、それなりに記事の傾向が違い、論調が異なるので、二誌を読むのも楽しみが倍増しています。

 さて、明日の朝刊には、どんなことが書かれているのでしょうか。
 朝、新聞を広げるのが楽しみです。

2009年6月 6日 (土曜日)

液晶モニタがこんなに安い!

 宿舎の掃除があるために、今週末は東京です。

 『Mac Fan』という雑誌を見ていたら、22インチのフルHD液晶ディスプレイの実売価格が18,000円くらいだとのことでした。それも、iMac24インチのディスプレイとの比較でも、拘らなければ結構実用的との評価でした。

 『Mac Fan』は、もう15年近く購読し続けているパソコンの雑誌です。マッキントッシュに関する最新情報満載です。最近は、iPhoneの記事が増えました。
 アップルユーザーにポイントが絞ってあるので、有益な情報が多いのです。毎月29日になると書店で買います。
 今月号は、二条城をまっすぐ上った大宮通の小さな書店で買いました。どこで買っても同じなので、地元の書店を大事にしています。

 さて、2万円を切る価格なら、宿舎のパソコン環境も少しよくしようと思い、銀座のスポーツクラブへ行くついでに、有楽町駅前のビックカメラへ立ち寄りました。


 過日も、本ブログに「液晶モニター入門講座に参加」を書いたように、ディスプレイについては常々関心を持っています。

 店頭には、20台ほど並んでいました。しかし、みんな2万円以上します。ビックカメラは安いし行きやすいところにあるので、よく利用します。立川駅前にもあります。
 しかし、今回のディスプレイに関しては、結構高めで販売されていました。
 こんなに高いのなら、パスせざるを得ません。


 銀座三丁目に向かうと、歩行者天国でした。たくさんの人が道に溢れるようにしてウインドウショッピングです。
 昨日から体調が優れないので、今日はプールで少しだけ泳ぎ、デッキでライトを浴びながら仮眠をし、スチームサウナで時間を潰して帰りました。

 ディスプレイのことが気になり、東京国際フォーラムを横切って東京駅へ向かい、秋葉原へ行くことにしました。

 秋葉原は、本当に久しぶりです。7年以上も行っていないと思います。
 かつては、秋葉原によく行っていました。
 『源氏物語別本集成』を刊行する時には、桜楓社(現在のおうふう)の坂倉さんと、版下作成に使うレーザープリンタを探しに来たりしました。
 コスプレの女の子が、道々たくさんいました。ビラやチラシを配っていました。
 俄カメラマンに囲まれている女の子もいました。
 私の知っている秋葉原とは、まったく違う雰囲気になっています。
 ソフマップの前には、パトカーが止まっていました。警察官もよく見かけました。
 昨年の6月8日に、ここの歩行者天国で無差別殺傷事件があり、7人の方が亡くなられました。
 以来、秋葉原の歩行者天国は、今も中止されたままです。
 銀座の歩行者天国を歩いてきたばかりなので、ぜひとも復活させてほしいと思います。車を気にせずに道を歩けるのは、非常に開放感を味わえます。
 事件の後、いろいろな問題があって再開できないのでしょう。
 私も、辺りの様子を伺いながら歩いていました。自然と、後ろの様子が気になりました。

 さて、ソフマップで、21.5インチのフルHD液晶ディスプレイが16,800円で店頭に並んでいました。acerという会社の製品です。acerは台湾でスタートした会社で、私としてはこれまでに縁はなかったものの、好感を持っていた会社です。

 すぐにこれに決め、持ち帰って早速こうして使い出しました。
 スピーカーの音もなかなかいいように思います。


090606monita右22インチ、左19インチ

 これで、宿舎のパソコン環境も、22インチと19インチの2台のディスプレイとなり、広い画面で仕事ができます。
 宿舎にいる時間が短い生活なので、これまではあまり環境に配慮はしていませんでした。
 これを機会に、もう少し仕事の出来る部屋にしようと思います。

 3年前のことですが、19インチの液晶モニタを2万8千円で買ったことを、当時のブログに書いています。


広いデスクトップで書類作成


 あの時も、その安さに驚いていました。それが、さらに大きく、高性能になって、それでいてもっと安いのです。
 パソコン関連の価格は、時代と共に移り変わります。パソコン本体はもちろんのこと、プリンタ、スキャナ、ハードディスク等々、信じられない値段で売られています。

 パソコン関連用品は、ほしいと思ったその時に買うべきです。
 後で安くなってから、と思うと損をします。
 必要な時に、必要なものを買う、というのが一番いいようです。


2009年6月 4日 (木曜日)

退屈だった映画『天使と悪魔』

 一生懸命観たつもりですが、とにかく退屈でした。
 物事は何事につけても、あまり貶してはいけない、と思っています。
 そのために、ジッと我慢して映画を観ていました。こんな思いで映画を観たのは初めてです。

 最後にヘリコプターが飛び立ち、自動操縦にしたあたりから、娯楽映画としてのおもしろさが実感できました。それにしても、それまでの2時間近い時間が、欠伸がでるほど退屈でした。

 映画にのめり込めなかったので、この3月にバチカンへ行ったときの事を思い出しながら、この角度から撮影しているのだな、と、退屈さを紛らせていました。私はローマは一人で歩けるので、画中で市内観光を追体験したのは、それなりに楽しめたと思うことにしました。

 お世辞にも、『ダビンチ・コード』は超えられなかったと思います。

 私にとっては予想外の駄作だったので、本ブログに書くのを控えていました。しかし、私と似たような評価をする人が見られるようになったので、もういいかな、という気持ちで正直に自分なりの感想を書きました。

 『ダビンチ・コード』の時は、本を読んでから観ました。
 『天使と悪魔』は、読む前に観ました。本はもっとましなようですが、おそらく読まないと思います。

 今回は、人によっては読みたくない内容でしょう。
 もう、これ以上は書かない方がいいと思いますので、このへんで。


2009年5月27日 (水曜日)

ハードディスクがクラッシュ

 特にコンピュータの取り扱いが乱暴ではないはずですが、またハードディスクが壊れました。
 今度は、バックアップ用のハードディスクでした。


(1)ラシーのRAIDの内の1台がクラッシュ
 外付けのバックアップ用として、1TB(テラバイト)のハードディスクを2台使って、RAIDというバックアップシステムを構築していました。パソコン本体のデータを、1TBの外付けハードディスク2台に、データを分散させて安全なバックアップをしているつもりでした。
 しかし、外付け2台の内の1台が、まったく認識しなくなりました。
 1台だけに切り離しても、認識せず、再度の初期化もできません。つまり、まったくハードディスクの役を果たさない、鉃の塊と化してしまったのです。
 電話でのサポートは、二千数百円の料金をクレジットカードから引き落とす、と最初に通告され、それ以上のコンタクトは諦めました。
 とんでもないサポート体制の会社だと思います。
 残った1台は、バックアップされたデータの確認ができました。しかし、どうしたわけか、昨年の11月までのものなのです。
 昨秋以降、最近半年のものは、バックアップされたデータとしてはみあたりません。
 つまり、本体のデータのすべてが復元できない状態となっているのです。

 このラシーのハードディスクについては、以前もトラブルがありました。
 今回のことに懲りたので、残された1台も機器としては信頼できません。
 すぐにバックアップだけは取り、この1台も廃棄しようと思います。

 とにかく、人間がいつか死を迎えるように、機器も必ずいつか使えなくなるのです。
 私は、機械運が悪いので、その頻度が高いようです。
 さらなる対策を、真剣に考えることにします。

(2)アイ・オー・データ機器のLANディスクが、セットアップできないのです。
 電話でのサポートは、本当に懇切丁寧なものでした。
 4台のハードディスクをセットするものですが、どうしても4台すべてを認識しません。
 1週間以上も、いろいろと試してもだめなので、サポート係へ電話をしました。
 なかなか繋がりません。スピーカーホンの状態にして、呼びだされる順番を待ちました。
 対応が始まると、実に丁寧に教えてもらえました。そして、問題点もわかりました。
 とにかく、言われることをすべてしても、LANにつながらないのです。

 結局は、本体と4台のハードディスクをセットにして、宅急便で金沢の本社に送り返すことになりました。
 1週間ほどで戻ってくるそうなので、これについては、また報告します。

(3)以前に不具合があったセンチュリーの1TBのハードディスクを、おっかなびっくりで一時的にバックアップ用に使っています。
 センチュリーの製品も、私の所に届けられるものは不良品が多いので、これも問題のある製品だと思っています。

 このハードディスクについては、以下の記事を参照願います。


《ケース1》
即日返品したハードディスクケース


《ケース2》
【復元】欠陥ハードディスクケース


 今回は、何らかの対処が済んだら、このセンチュリーの機器も休眠してもらいます。
 今は、その場凌ぎのための出番が来ただけのことです。

 現在出回るハードディスクは、安定した供給がなされていると思います。しかし、中にはまだまだ不良品が出回っているようです。
 もっとも、こうした粗悪な製品を手にするかどうかは、運の一言しかありませんが……。


2009年5月 5日 (火曜日)

賀茂川べりでテニス

 賀茂川は、北山の新緑をきれいに見せています。
 さまざまな緑が、目に飛び込んできます。
 春から夏への移り変わりが、色で感じられる季節です。


090502kitayama北山遠望

 この賀茂川べりに、自由に使えるテニスコートがあります。
 久しぶりに、息子とテニスを楽しみました。


090429tennesテニスコート

 手入れがよくないので、ラインは見えませんし、コートも荒れています。


090429tennes2手入れが必要です


 いろいろなテニスコートを知っていますが、使い終わったらみんなトンボを使ったり、ブラシをかける習慣があります。
 ここも、そのようなルールを設定してもいいように思います。
 ただで、自由に使えるのですから、そのようなことはみんなで守れることです。

 せっかくの施設なので、みんなの協力を得て、気持ちよく楽しめるテニスコートにしていくことを考えてもいいと思います。

 市民に自由に開放するのはいいことです。ただし、それだけでなく、使う者にそれなりのマナーを要求してもいいのではないでしょうか。


2009年5月 3日 (日曜日)

コメントの再掲載

 一昨日に記した本ブログ「古書大即売会とシベリア展」について、以下のコメントを自分で付けました。
 しかし、このブログのコメントは、非常に確認しにくいシステムとなっています。
 そこで、このコメントを以下に再掲載します。


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 自分のための備忘録として、このブログに対するコメントを寄せます。

 昨日、5月2日付けの朝日新聞の京都版に、「89歳 絵で語る「戦争」」という記事が掲載されました。

 新聞記者の立場から、報道として展覧会の紹介記事を書かれようです。
 しかし、私は、この記事に、大いに違和感をおぼえました。

 新聞の記事は、取材をしての報道なので、個人的な意見を述べる場ではありません。しかし、それを承知で、この展覧会についての個人としての感想なり意見を聞きたくなりました。

 新聞の記事では、取材により得られた作者の経験を重視しておられます。しかし、この記事は描かれた絵の内容については、ほとんど説明されていません。その絵に添えられた文章についても……。
 作者の体験をとりあげるか、作品としての絵をとりあげるかは、ある意味で重要な気がします。
 私なら、展覧会の現場を重視します。

 それよりも何よりも、この記事の冒頭が「従軍慰安婦」から始まっていることが気になりました。
 「従軍慰安婦」という用語は、いつ、誰によって造られた語彙か、検証が必要だと私は思っています。
 「従軍慰安婦」と「戦地売春婦」の違いを、明確にしてから使うべきだと思っています。

 朝日新聞は、この「従軍慰安婦」ということばを正式に用いる新聞社である、という記事を、何かの本で見かけたようにも思います。
 これは、近現代史を専門になさっている方に、いつかその当否について確認したいことでもあります。

 さて、件の記事でした。
 体験を忠実に描くことと、その元となる記憶の曖昧さについては、さらなる検証が必要な問題が内在しています。
 そして、真実の追究の厳しさについても、十分に承知して記事をまとめるべきでしょう。

 この新聞記事は、安易に迎合的な語りは慎重に、ということを私に教えてくれるものとなっています。
 情に流された新聞記事には、読者の一人として警戒心が働くようになりました。

 くれぐれも申し添えておきます。
 私は、このシベリアの絵を描いておられる方には、敬意をもっています。父が川柳でシベリアを語ったように、絵で表現されることの意義は十分に認識しているつもりです。
 ただ、それを真実とか芸術という視点からの私感を、こうして記したものです。

 妄言多謝

2009年5月 1日 (金曜日)

古書大即売会とシベリア展

 平安神宮の前の「みやこめっせ」で開催中の「第27回 春の古書大即売会」に行きました。
 主催は京都古書研究会です。単なる古本を集めただけのバザール、というイメージが感じられないのがいいですね。

090501furuhon古本まつり


 昨年も、ちょうど同じ時期の5月4日(日)に行き、「みやこめっせで春の古書市」 と題するブログを書きました。

 今回も、40を超す古書店が出店していました。50万冊以上の古書が、何列にも並んでいるのです。
 壮観です。
 特に、左奥の京都コーナーは、京都に関する書籍がたくさんあり、本探しが楽しい一角となっていました。

 3時間ほどかけて、すべての本屋をまわりました。
 50万冊以上の本の背表紙を目で追いながら、眼球の疲労と闘いながら、いろいろなことを考えました。
 ほしいと思っていた本、読みたい本、まったく関係ない本。とにかく、先人の英知の結晶としての書籍の集合です。
 買いたい本がたくさんありました。しかし、買っても、結局は読む暇もないままに書棚に放置されることに想いが及ぶと、それでサッと諦めがつきます。
 かつて、貪欲に本を探し、買い込み、読んでいた頃と、今の自分が大いに変わっていることを痛感します。

 画帖と版本の何冊かに、しばし目が留まりました。ほしかったのですが、個人で買える値段ではありません。
 何十万冊もの本を見ながら、こんな本も出ているのだ、とか、読もうと思っていた本はこんなものだったのか、と、今後に生きる情報収集の場にもなりました。

 どんな本が刊行されているのか、ということは、ものごとを調べて考える上では、重要な情報なのです。そうした情報の整理と確認ができるので、こうした大古書市は大切な場所です。
 買うためだけではなく、自分の頭の整理ができます。

 同じ階の近くの一室では、文房四宝展示即売会をやっていました。
 筆や硯や紙が中心でしたが、私はそれ以外の文具を目当てで脚を運びました。
 そして、桐の箱と、黄銅に1字を刻んだ遊印とを買いました。
 桐箱は、A2の紙が入る大きさで、ずっと探していたものでした。
 7割引とのことで、幸運な出会いでした。

 大きな荷物を、先ほど買った重たい本と一緒に、自転車の荷台に括り付けて岡崎公園を出ました。

 次に、近くの京都市国際交流会館で開催されている「旧満州−敗戦−シベリア抑留の真実を伝える展」に行きました。
 これは、シベリア抑留の体験を絵画で伝える展覧会です。

090501mansyuシベリア抑留展

 私の父は、終戦後は満州からシベリアに抑留されていました。母とは満州で別れての、捕虜の生活でした。
 母が満州から引き上げた後に、2年後に父が無事に帰国してから、私が生まれたのです。

 小さいときから、シベリアでの苦しかった話は、折々に聴いていました。
 両親の属する戦友会のみなさんからも、戦時中の満州のことや、シベリアのことは聴いていました。

 その過酷な日々を克明に描いた絵が、30点ほど展示されているとのことだったので、立ち寄りました。

 展覧されていたものは、戦争と抑留生活の記憶をもとに描いた絵です。社会的な活動に結びつけておられることに敬意を表して見に行きました。父が送った抑留生活を、少しでも理解したかったこともあります。
 ただし、作者の方には本当に申し訳ないのですが、父から聴いた話の感触が、その絵からはほとんど感じられませんでした。
 絵の横に添えられた文章も、私には絵と結びついたメッセージとしては伝わらないものでした。
 絵とは別の意図がある、何か異質な文章のようにも思えました。絵との乖離があるものです。それが何かは、今はまとめられませんが。

 絵は絵で、説明文は別のものとして、両者が異なる方角を向いているようです。説明文があっての絵のようでもあります。
 死者のシーンを描いた一枚の絵の説明には、「気の毒に思い、私が二人の手を合わすように描いた。」とありました。
 各絵に、そうした描き手の私情を交えた創意が加えられているとしたら、真実を絵で語らせるための虚構というか技術には、相当な筆力を要求されるものとなります。
 慰安婦をテーマにしたものも、嘘ではないのでしょうが、どこまで事実に基づくものか、少し疑問を感じました。
 あまりにも、その絵を見る者を意識した絵でした。
 聴いた話による絵が多かったのも、絵に入り込んでいけない要因になっていたように思えます。

 シベリア抑留の真実を伝える絵の展覧会だ、とのことでしたが、私には何か違和感がつきまといました。それが何に起因するのか、その原因はわかりません。とにかく、私には、その絵に描かれているとされる真実が、リアルには伝わってきませんでした。絵からも、文からも。

 作者の意図を正しく汲み取れなかったとしたら申し訳ないのですが、事実とは違うものを見せつけられたような印象を持ちました。
 一面識もない作者には、本当に申し訳ないことです。

 父から聴いた話と、あまりにも違うからでしょうか。
 父の話は、もっと悲惨でしたが、その話の中には、人間の温かさが感じられました。伝えたいメッセージがありました。
 この絵の説明文からは、錐で人の心を突く感触が残りました。
 絵からは、戦争を描いてはいましたが、非常に平板な印象を持ちました。
 そこに作者の意図がある、ということであれば、私がシベリアの絵に何かを求めて見にいったことと、大いなるズレがあったことになります。

 抑留された地域により、または人により、その生活と描写される世界は違うのでしょうか。私は、人間の感情は、大きく異なることはないと思っていました。画題が、あまりにも興味本位に感じられたからかも知れません
 父は、何度も話してくれたました。
 朝、隣にいた戦友が凍死していると、その亡骸を弔うために、来る日も来る日も凍土を掘っていたのだそうです。1日に数センチしか掘れなかったとか。
 ラーゲルでの生活も、たくさん聴きました。

 父の話に強く打たれた想いが強かったので、こうして絵を見ると、かえって現実感が薄れていくように感じました。
 ことばが持つ力と、絵が訴える力に、こんなに違いがあるのかと、今は不思議な思いです。

 あるいは、あらかじめ見る者に訴えようとする意図をもって描かれた絵と、自分のありのままの苦しかった日々を語るのと、この点に違いがあのかもしれません。

 一兵卒である自分たちは被害者であり、あくまでも日本の軍部が悪いかのように書かれた絵の説明文に、個人的な意見の押しつけも感じました。そのために、絵から感じるはずの素直な印象が、色あせて薄れていったのでしょうか。

 いずれにしても、この「絵」と「詞」の果たす役割については、改めて考えてもいいことだと思いました。

2009年4月22日 (水曜日)

液晶モニター入門講座に参加

「アップルストア銀座」で開催されたイベントに参加して来ました。

タイトルは、「写真の色に自信を持つための液晶モニター入門講座」というものです。


日ごろ、デジタルカメラで写真を撮り、このブログに掲載しています。

私は、フォトショップエレメントで写真を加工しています。いつも、この色でいいのか、迷いながらアップしています。

モニタは、アップルのシネマディスプレイを使っているので、色のズレは少ないはずです。

それでも、今日の話では、モニタを見る環境によって、色の判断が違ってくるようです。

話の内容はよかったのですが、講師の方のしゃべり方が間延びしていたので、一時間ほど聞いて中座しました。

ここは、シアター形式の小ホールなので、快適に参加できます。今日は、ペットボトルの水が付いていました。

イベントにもよりますが、パラパラの聴衆であることが多いのに、今日は、80人はいたのではないでしょうか。盛況です。

半数が、プロの写真家やデザイナーという雰囲気でした。講師も、それを意識した話ぶりでした。

写真も、見てもらい方を意識すると、いろいろと難しいテクニックが必要です。折を見て、少しでも技術を向上させていきたいと思っています。


2009年4月21日 (火曜日)

デパート店員の仕事

 今、私が使っているコイン入れ付きの財布がなかなか使いやすそうで良い、ということで、妻から同じものを頼まれました。
 年明けから探していたのですが、いつまで待っても店頭で見かけることがありません。

 私が今使っているものは、品川駅の中にあるデパートのステーショナリで購入しました。革小物を製造している、アシュフォードの製品です。
 文具店やステーショナリ売り場にありそうですが、探すとなるとなかなかないものです。

 そこで、伊勢丹へ立ち寄った折に、店頭になかったこともあり、思い切って注文することにしました。

 現物を見せると、店員さんはカタログでいろいろと調べてくださいました。
 しかし、同じものが見つかりません。
 色の種類や、ステッチの糸との色の組み合わせなども、念のために知りたかったのです。

 お店の方は、電話で製造元に問い合わせておられるのですが、なかなか情報が得られないようです。

 そこで私は手元のiPhoneを取り出して、製造販売元の「Ashford」で検索したところ、すぐに探している商品が見つかりました。
 ところが、現在はそれが品切れで、5月から入荷、となっていました。
 色は、ブラックとブラウンの2種類で、ともに在庫は「0」と表示されています。

 電話をしてくださっていた店員の方に、このiPhoneの画面を見せながら、その型番を教え、そのまま発注してもらいました。
 今月中には配送される、とのことだったので、それでは実家に直送してもらうことにしました。
 伊勢丹のお店に着いたことを電話で教えてもらい、それからそれを受け取って持ち帰るのは、何かと手間だからです。

 それにしても、デパートの売り場の店員さんの仕事が何なのか、考えてしまいました。
 店員さんも、「私が調べることをお客様にやってもらい恐縮です。お役にたてませんで…。」とおっしゃっていました。
 伊勢丹は、過般も時計のことで体験したのですが、社員教育はすばらしいのです。
 その件は、「誇るべき日本語「お役にたてなくて … 」」をご参照ください。
 ただし、そこにサービスの内容が伴わないと、上滑りの商売となります。
 接客の対応だけで終わっては、何のために店員がいるのか、わからなくなります。

 本来ならば、店側が客の注文品の正確な型番や在庫状況を調べ、対応すべきなのです。
 それを、そのすべてを、客である私が、手元のiPhoneを使ってネットから情報を得ているのです。それも、売り場のカウンターで、店員さんと同時進行で…。

 この事態は、売り場にネット環境がないことに起因するものです。
 いつのものか、よくわからない情報を掲載した、据え置きのカタログで商品の確認をすることに、大きな問題があるのです。
 わからなければ、直接電話で、というのもいいのですが、もっと正確で早い情報検索が可能な時代なのです。

 お客のはずの私が、いともたやすく商品の詳細な情報にネットでアクセスできるのですから、店側は1日も早くスピーディーに対応するように改善すべきです。
 そうでないと、どちらが客かわかりません。どこがサービスなのかがわかりません。

 iPhoneによって、売り手よりも買い手の方がいち早く注文に必要な情報を手にできるのですから、おもしろい時代になったものです。
 もちろん、iPhoneだけではなくて、一部の携帯電話でもネットで製造元のホームページにアクセスできれば、これは可能なことです。
 私の場合は、日々のパソコンと同じ感覚と環境でiPhoneが使えるところが、情報の確認に役立っていると言えましょう。

 商品を探して買う、という行為が、社会の仕組みの変革により、大きく変移してきました。
 今後は、ネットを自由に使える環境にあるかどうかが、ますます大事な要素となっているように思えます。


2009年4月20日 (月曜日)

映画『鴨川ホルモー』

 昨日封切られた映画を、三条・新京極の映画館で見てきました。
 
 先般の『禅』の時同様に、見ようと思った映画は、公開早々に見ることとなりました。

 とにかく、おもしろい映画でした。
 ストーリーの展開が読めません。
 こんな映画を、しかも自分で見に行ったのは初めてです。

 奇想天外ということばとは異なる、変梃なストーリーです。
 それでいて、疲れません。
 カラッとしています。
 学生だからこそできる世界が展開します。
 ただし、青春映画として見た場合の恋愛については、イマイチの出来でした。

 私が知っている京都がふんだんに出てきます。
 そこがどこなのか、ほとんどわかります。
 これはあそこだ、あれはどこだったかなー、と、見ながらロケ地当てで忙しい映画でした。
 日頃、ウォーキングやサイクリングをしている賀茂川が、これでもか、と出てきます。

 葵祭のシーンで、上賀茂神社の境内に『源氏物語』の車争いの図があったので、『源氏物語』の千年紀だった昨年5月の撮影が使われていました。
 今の京都が、とにかく盛りだくさんです。

 ストーリーの支離滅裂さ加減はどうでもいいほどに、京都を舞台に意味不明な物語が展開します。
 原作者と制作者の意図などお構いなしに、楽しめる映画でした。


2009年4月 6日 (月曜日)

玄関先の花壇にも春

 我が家の玄関の花も咲き出しました。


090401hana1


 奈良の住まいと違って、車を処分したスペースで花を育てているので、土の勢いはありません。
 しかし、花たちは元気に育っています。


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 坪庭の和様と、玄関先の洋風が楽しめる住まいとなっています。

2009年3月27日 (金曜日)

伊井春樹館長の送別会

 伊井春樹館長の国文学研究資料館における任期満了に伴う退任のため、本日夕刻より立川で送別会が開かれました。
 たくさんの方々の参集をうけ、先生のさまざまな功績が再確認されました。

 文部科学省直属の組織が法人化し、そしてその評価、さらに品川から立川への移転、息つく暇もなく源氏物語千年紀のイベントと源氏物語展、と、実に多くの問題に対処し解決なさいました。
 端で見ていても、超過密スケジュールの日々の中、健康面が大丈夫かと心配ばかりしていました。
 とにかく、無事に任を全うされたことを慶びたいと思います。

 今日の先生の最後のご挨拶では、国文学研究資料館の草創期のお話が伺えました。


090326soubetsu送別会

 一つの歴史を作られた先生です。
 このあたりで、少し体を休めていただきたいのですが、どうもそうはさせてもらえない、というお話もありました。

 思い起こせば、私が伊井先生に初めてお目にかかってお話をしたのは、昭和51年だったと思います。
 私が、國學院大學大学院の博士前期課程の学生だったときです。
 昭和48年から伊井先生は、スタートしたばかりの国文学研究資料館におられました。

 昭和51年の秋、中古文学会が九州の太宰府天満宮でありました。そのとき、私が『源氏物語』の古系図に関する拙い研究発表をしたのですが、わざわざ挙手をして質問をしてくださいました。
 その学会の会場校が九州大学であり、そこで副学長をなさっていた今西裕一郎先生が、今度は伊井先生の後任の館長となられます。

 不思議なご縁というものを感じます。
 ご縁といえば、その後も続きました。

 昭和53年に私が博士前期課程を了え、大阪の高校の教員となるために東京を離れるときに、国文学研究資料館へご挨拶に行きました。先生からは、勉強は続けるようにとの、励ましのおことばをいただきました。

 その5年後の昭和58年に、伊井先生は大阪大学に着任されたのです。
 そして、高校の教員のための研修会で講座を持たれ、そこで聴講生だった私は、先生と再会することとなりました。

 平成3年、私が40歳になる直前に、研究者として生きるようにということで、大学の教員にしていただきました。

 平成9年には、今度は私が大阪大学大学院の博士後期課程に、社会人として入学しました。
 入試のための英語の勉強は、今思ってもきついものでした。以来、英語嫌いです、ということにしています。
 とにかく、正式に、晴れて先生の教え子になれたのです。

 平成11年に、今度は私の方が国文学研究資料館に勤務することとなり、東京での単身赴任生活が始まりました。
 大阪大学は中退ということになりました。博士論文は、少し遅れましたが平成14年に提出し、認められました。

 ところが、今度は平成16年に先生は大阪大学を定年退官の後、人間文化研究機構の理事として上京なさいました。国文学研究資料館は、この大学共同利用機関法人人間文化研究機構の傘下にある研究施設です。
 さらには、平成17年に、伊井先生が国文学研究資料館の館長に就任なさいました。
 そして4年経った今春、先生は大阪にもどられます。

 その間、33年にもわたり、ずっときめ細かいご指導をうけて来ました。
 もっとも、いつも叱られるばかりでしたが……。

 ところが、昨年の国文学研究資料館で開催した〈源氏物語展〉については、一言も苦言も忠告もいただきませんでした。今日も、あの展示図録はよかった、とのお褒めのことばをいただきました。
 このことは、展示終了後から、何度か伺っていたことばです。
 先生在任最後のお仕事のお手伝いで、やっと少しだけですが認めてくださったことが、私にとっては最高の賜り物です。

 さきほど、深夜にもかかわらず、先生からメールをいただきました。
 恐縮しながらも、ますます多忙の生活が想像される先生のこれからの健康が、とにかく気がかりになっています。

 体力と気力が勝負だということで、大学の教員になってからは、先生と同じようにプールとジムで体を鍛えてきました。
 しかし、このところ、先生は運動から遠ざかっておられます。
 ウオーキングが精一杯、という状況のようです。

 とにかく一息入れて、そして運動をしながら、また仕事という生活をなさる日々を送られることを、ひたすら祈るのみです。


2009年3月24日 (火曜日)

総研大の学位授与式で湘南葉山へ

 総研大(国立大学法人 総合研究大学院大学)で博士の学位を取得した方々に、学位記が手渡される式典があり、出席して来ました。

 本部がある場所は、三浦半島の尖端にある葉山です。大平洋を臨む景勝の地にあります。しかし、非常に不便な所でもあります。

 次の写真は、大学が公開している航空写真です。
 ご覧のように、晴れた日には富士山が姿を見せます。
 手前の建物が、大学の施設です。


090324hayama3富士山

 また、太平洋の眺めも気持ちのいいものです。
 私は、この風景が好きなので、今日も丘に立ってみました。


090324hayama2太平洋


 そういえば、昨年は一度もスキューバ・ダイビングに行けませんでした。
 今年こそ、夏には行くことにします。

 総研大は、まだまだ知名度が低い大学です。大学院の博士後期課程だけの大学なので、修士課程を終えた人しか受験できません。
 あまり学生さんとの接点がないので、社会的にも認知度が低いのもムリからぬものがあると思われますが……。
 ただし、昨秋、小林誠先生(元教授・素粒子原子核専攻長)がノーベル物理学賞を受賞されたので、少しは話題になったことが朗報でしょうか。

 さて、本日の学位記授与式では、59名の方々が博士号を取得されました。
 その内、37名が理学で、文学は国文学研究資料館からの2名でした。
 この2人共に、いろいろと指導を通して関わった学生なので、私にとっても、いいハレの場でした。

090324gakui1学位授与式

 たくさんの方々が博士号を取得なさるように、との思いから、丁寧にお手伝いをしています。しかし、文学という分野は、成果が表れるまでには、膨大な時間がかかります。実験系とは異なる問題を抱えています。

 それでも、少ないながらもみんなよく勉強しています。

 今日、学位記を手にされた方々も、さらに研究を続けられることを願っています。


2009年3月23日 (月曜日)

般若心経の写経

 昨日、「みやこめっせ」の物産市で、蒔絵の万年毛筆を買いました。
 生来、書く文字が下手なので、潜在的に何とかしたい、という思いがあります。
 それが、時々、何とかしなくては、との思いから衝動的な買い物をします。

 これまでに、いろいろなお習字の手本を買いました。
 学生時代には、書道のお稽古にも行っていました。
 自分なりに、いろいろと努力と工夫はしているつもりですが、いかんせん続かないので、いまだに字を書くのが苦手です。
 その逃げ場として、ワード・プロセッサに飛びついたのも早かったのです。もう、30年近い前から、手書きがいやで、ワープロのお世話になっています。

 同じ事は、英語にも言えます。
 手元には、たくさんの英語教材があります。
 書籍は言うに及ばず、カセットテープ、ビデオテープ、CD—ROM、DVDなどなど、家族から呆れられるほど、さまざまな教材を持っています。
 それぞれに、それなりに使ってみたのですが、人間には向いていないものはあるものだ、という諦観から、その一つ一つとは距離を置くようになってしまいました。

 さて、万年毛筆が使いたくて、突然ですが写経をはじめました。

 家族は、もう何もいいません。勝手にどうぞ、という対応です。

 今日の書写作品は、こんな感じです。


090322singyou写経


 久しぶりの筆文字を書き、線がヨタヨタしています。
 こうして公言することにより、一回でも多く書写したいものです。

2009年3月17日 (火曜日)

プリンタはボックス型からノート型に

 修理に出したヒューレット・パッカード社のプリンタは、やはり新品との交換でした。
 ヒューレット・パッカード社は、原則として修理はせずに、新品を渡して対処したことにするようです。
 すると、動かなくなった商品はどうなるのかでしょうか。先日の電話では、各自で処分してくれ、とのことでした。
 今回も、引き受けたビッグカメラが、そのまま廃品回収にだすのでしょうか。

 いずれにしても、環境問題が云々されるこのご時世に、このヒューレット・パッカード社の方針には荷担できません。
 今回のプリンタの交換は、ビッグカメラのサポートのようで、どのメーカーのものでも、今回購入したプリンタの代金までならそのまま引き渡しとなるそうです。もし追い金が必要なものなら、差額を支払えば構わない、とのことでした。

 今回動かなくなったプリンタは、いわゆる複合機と呼ばれるものです。プリンタ機能以外に、スキャナやコピーができ、ネットワーク対応のものです。便利でしたが、ヒューレット・パッカード社に嫌気がさしたので、気分転換に携帯型のブックタイプのプリンタにしました。

 かつて、海外への長期出張などには、キャノンのインクジェットノートプリンター「BJ-10」というものを持って行きました。1990年の商品です。非常にコンパクトでした。数年前まで、娘が留学中に活用していました。いまも、現物はありますが、もう動きません。

 今回、これを思いだし、現在の商品を調べたところ、「PIXSUS iP100」というのがありました。携帯型といっても、多機能になっている分、かつてのものよりも一回り大きくなっていました。

 価格も、2万5千円です。7千円ほど追い金が必要ですが、これにしました。

 大きな箱形から、小さなブックタイプへと、プライベート用のプリンタが大きく変わりました。

 必要に応じて、適当に持ち歩こうと思います。

 別の会社のコンパクトプリンタもありましたが、さらに大きかったので魅力を感じませんでした。

 小型のプリンタは豊富な機能は不要なので、可能な限り小さいモノが商品化されることを望んでいます。

 京都の実家には、複合機とインクジェットプリンタの2台があります。
 職場のレーザープリンタを含めると、いろいろなプリンタが身近にあることになりました。
 適度に使いこなすことにします。

 とりあえずは、今夜から海外出張の報告書の作成に活用することとなります。

2009年3月 8日 (日曜日)

プリンタを修理に出す

 インド行きの直前に印刷できなくなったプリンタでは、大いに不便をしています。
 明日からのイタリア行きで必要な書類の印刷ができないのです。
 さらには、たくさんの校正が届いているので、印刷したいのです。これでは、飛行機の中で、画面で校正せざるをえません。目が疲れることでしょう。
 印刷はあきらめるとしても、今後のこともあるので、製造元のヒューレット・パッカード社のホームページで、トラブルシューティングの確認をしました。

 ウエブサイトには、懇切丁寧に対処法が書いてありました。
 電源を抜く、インクカートリッジを差し直す、接点を確認する、などなど。
 それでも、動きません。そこで、ついにサポートセンターに電話をしました。

 まず、ウエブで指示された対処はしたことと、エラーコードを伝えると、担当者の回答は簡単でした。
 製品を回収する、ということでした。
 ただし、購入後1年以内なら新品と無償で交換するのだそうです。
 もし、1年以上経っている場合は、19,950円(税込)で新品と交換ということでした。

 購入時の領収書や保証書を見ると、よくしたもので購入日が昨年の1月となっていました。
 ちょうど1年経っての故障という、よくあるパターンの話です。

 このプリンタは18,000円で購入した物なので、それより高い金額での交換をする気はありません。
 とにかく、今回のヒューレット側からの提案をパスするのならば、私の方で廃棄処分するしかない、とのことでした。それも、私が自費で処分することになるのだそうです。
 もったいない話です。自然や環境破壊に、自分の手で荷担させられるのです。
 宿舎に置いていた物なので、ほんの少ししか使っていません。それを、粗大ゴミの日に捨てることを、電話口で話しているのですから。このヒューレット・パッカード社の対応は、何か変です。
 これでは、粗大ゴミを撒き散らすことになります。せめて回収をしてもらえないか、というと、そのようなプログラムは用意していないとのことでした。どこか悪くなると、新品と交換するしかなく、部分的な修理は特殊な場合のようです。とにかく、変な話です。

 またまた、愚かなアメリカの会社の論理を聞かされる羽目になりました。

 壊れたテレビやビデオデッキなどを、小型トラックで無料回収している業者がいることを、ふっと思い出しました。
 今日まわってくるともかぎらないので、廃棄の準備をしていた時です。保証書の裏に、購入したビッグカメラの3年間保証のシートが見つかりました。
 普段は、販売店の保証の延長などはしないのですが、どうしたわけか、このプリンタには付けていたのです。よく見ると、カードのポイントを利用しての延長保証でした。

 すぐに、ビッグカメラの保証センターに電話をし、回収に来てもらうことになりました。ただし、私はこの宿舎に午前中にいるのが、次は3月の28日なのです。一応、ひとまずは28日の午前中に引き取りに来てもらうことにしました。これで、5月の連休明け頃に修理が終わるそうです。気の長い話です。

 そして、今度は大至急、購入した有楽町のビッグカメラに電話をし、持ち込み修理のことを聞きました。
 持ち込みによる修理の受付もOKとのことだったので、早速、ボックス型のプリンタを大きな袋に入れて、有楽町まででかけました。
 このプリンタは、複合機として製作されたもので、プリンタ以外に、スキャナやコピーができる、ネットワーク対応のものです。部屋に配線が不要で印字やスキャンができるので、非常に重宝します。

 いずれにしても、ラッキーでした。廃棄処分をしなくてもよくなったのですから。

 それにしても、昨日、インドから帰国し、今日は大きなプリンタを有楽町に持っていき、明日はイタリアです。
 やれやれ、という思いです。


2009年2月28日 (土曜日)

結婚式から慌ただしく上京

 8人会という集まりを持っています。
 高校時代の同級生を中心とした、テニス仲間の4家族が集まったものです。

 かつて、私がパリで 『探幽筆 36歌仙』 を見つけた時、みんなの力を得て輸入しました。

 最近では、一緒にテニスをすることはなくなりましたが、何かあると集まっています。

 今日は、その内の一人の息子の結婚式でした。
 我々8人会の子供たちは、みんな一緒に育っています。
 小さい時には、みんなでテニスによく行った仲間です。
 小さい時を知っているので、こうして30歳近くになって結婚する姿を見ると、時間が確実に経過していることを実感します。
 それにしても、我々の仲間の子どもたちは、本当にまったく変わりません。
 みんな、小さい時の雰囲気をプンプンさせています。

 今日の子は、料理の世界で生きています。この子の影響もあったのか、我が家の長男も料理人です。
 そのお姉ちゃんは、オーストラリアで結婚して、出産が近いために式には出られず、ビデオレターで参加していました。ブリスベンで日本語を教えています。
 我が家の長女がイギリスの大学を出たのは、これまたこの娘の影響かも知れません。

 8人会の子どもたちの世代になっても、いろいろとお互いが影響を受けながら育っているようです。

 今日は、我々男どもは、髪の毛が白くなったことを競っていました。
 肩が痛いの、病気がどうのと、年にからんだ話題が多くなりました。
 そして、年金をもらうようになったら、一緒に旅行に行ってのんびりしよう、ということでまとまりました。

 さて、結婚式は、大和西大寺に近い教会で行われました。

 花嫁がブーケを投げる儀式は、もう定着したようです。


090228hana空を飛ぶブーケ

 その後、庭園で風船を飛ばしました。
 ハート型の風船が、大空を舞うのは壮観です。


090228baloonハートのバルーン


 風船を見上げるときに、いつしか口がポカンと開いてしまいます。

 私は、明朝、成田からインドへ向かう関係で、式の後半で中座して上京しました。
 結婚式の帰りは、何となくこちらも気持ちが若返ります。
 新幹線の中で、今日の2人の幸せを祈ってあげました。

 そして今、あわてて荷物を作りながら、この報告を認めています。

2009年2月25日 (水曜日)

平和ボケした銀行の窓口

東京三菱UFJ銀行M支店でのことです。
韓国の国民銀行を通して、釜山にいる知人に送金しようとしたときでした。
窓口で、なんとも不可解な対応を受けました。

送金依頼用紙を渡されたので、それに記入しようとしました。しかし、ほとんどすべてが英語での記入を要求されています。
まず、相手先である国民銀行の英語名がわかりません。窓口で尋ねると、もう一人と相談した結果、こちらではわからないので、先方に問い合わせてくれ、とのこと。

送金相手の名前も、英語表記で書いてくれ、と。
漢字は一切だめだそうです。

相手先の住所も英語だそうです。
その場ではどうしようもなかったので、断念して帰りました。
サービスということを知らないイギリスの銀行のような対応でした。

帰り道、iPhoneで国民銀行を調べると、銀行名も、住所も、すぐに英語表記がわかりました。
私がすればいいことは、知人の名前の英語表記だけだったのです。
銀行の窓口で、インターネットを使って調べてくれたらいいのに、と思いました。その前に、世界の銀行名などはすぐに答えられないと、国から正式に認可を受けた金融機関とは言えないのではないでしょうか。
東京三菱UFJ銀行以外の銀行も、こんな程度で営業をしているのでしょうか。

ネット社会から完全に切り離された銀行の窓口での対応は、これはこれで 残すべき文化遺産ともいえます。

先日、為替レートのことを、通りがかりの銀行で聞いたときも、相当長い時間待たされたあげく、さらに待ってくれとのことだったので、断って店を出ました。そして、iPhoneで調べて、金額を知りました。

専門の所で聞き、さらにプラスして情報を得ようとしたのですが、そんなサービスをする姿勢は、今の窓口にはないのですね。
自分で調べた方が早いのですが、それは限られた情報であることが多いので、つい人との対応の中で付加価値を見いだそうとします。しかし、それはもう望めない情報収集法なのでしょうか。

私は銀行の口座は、ネットで利用しています。久しぶりの窓口対応を体験しました。それにしても、銀行の窓口が、こんなに人材と資源の無駄遣いをしていたとは。

以前にも書きましたが、東京三菱UFJ銀行は、相変わらず殿様商売をしているのですね。


2009年2月 3日 (火曜日)

公衆電話を探す

 緊急に連絡をする用事ができました。
 こんな時に限って、携帯電話を身につけないままで出かけていました。

 まさかの時用に、主要な連絡先を印字したプリントは、手帳の中に細かく折畳んで入れています。
 それはよかったのですが、肝心の公衆電話が見あたらないのです。

 駅の周辺を歩き回りました。北口は、大通りまでグルッとまわりました。
 コンビニなどで聞いたのですが、このあたりでは見かけない、とのこと。

 またまた駅に引き返して、構内でガードマンや駅員に聞いたのですが、以前はこの辺にあったのに、全部撤去されて…と、一様に冷たい中に同情を交えた対応を受けました。

 こんな時は、女性よりも男性の方が、どこだったかなー、と一緒に考えてくれる方が多かったように思います。
 それもそのはず、訳もわからないおじさんの相手をしてくれる女性など、今時いようはずもありません。
 気の毒にという反応は見られましたが、素っ気ないものでした。

 そんな中で、私と同年くらいの一人の男性が、この陸橋の真下にあったようだが、いや確かにあったはずだが、ひょっとして勘違いかも知れないけど、あったんじゃないかな、という、何やら期待できそうな反応が得られました。

 とにかく、行ってみなくては、ということで、お礼を言って下に降りました。
 なるほど、陸橋の真下に、電話ボックスが二つありました。
 バス停の近くなどにある、あの四角いガラス張りのボックスです。
 まさかの時用の、手帳に差し挟んでいたテレホンカードも役立ちました。

 とにかく、何とか電話で連絡がとれました。
 かれこれ、25分くらいは、繁華街をウロウロと彷徨いました。

 それにしても、町中で携帯電話がないと、電話機に辿り着くまでが大変です。
 それだけ、必要とされないので、設置数も激減しているのでしょう。
 どこに公衆電話があるのか、という情報も、駅の周辺には必要だと思うようになりました。
 または、お店で借りられるような、そんな地域対応のサービスがあってもいいように思います。
 ネットカフェも探せばよかった、と後になって思いました。

 井上靖の小説などに、電報を使って連絡をとるシーンがあります。
 今の若い人には理解できないでしょうが、昭和30年代から40年代にかけて、私も電報を使っていました。例えば、クラブ活動を休んでいる仲間には、電報でクラブに出てくるように呼び出しをかけたものです。昭和42、43年ころの大阪での話です。
 昭和47年の東京では、まだ地方には交換手を通して相手の電話を呼び出してもらっていました。
 相手と連絡をとるための道具とその環境は、昭和から平成にかけて、激変したように思えます。

 携帯電話の便利さは認めます。しかし、そのために失っていくもののフォローも、考えておくべきなのでしょう。
 いつでも、どこへでも連絡がとれるシステムが、日本中に確立されました。携帯電話やインターネットにより、きめ細かなコミュニケーションが図れます。しかし、公衆電話の役割は、まだまだあります。これを、うまく生かした街作りも大切だ、ということを痛感させられました。


2009年1月29日 (木曜日)

iPhoneで読書

 職場への通勤時間が2時間近くもあると、ずいぶんと本が読めます。
 毎週の京都からの上京でも、たっぷりと本が読めます。
 明日もそうです。
 明日は、職場から京都へ、なので、7時間も移動時間があります。
 とっかえひっかえ、本が読めます。

 と、これまではそうだったのですが、最近は目が不自由になったせいか、あの小刻みな振動が目の疲れを倍加し、直撃します。

 そこで今週からは、活字の本を読むのはやめて、「青空文庫」から iPhone にダウンロードした作品を読んでいます。

 iPhoneでの読書は、こんな画面でします。
 これは、マハトマ・ガンジーの「印度の婦人へ」という文です。


090129ebookガンジーの作品


 背景は茶系で、古紙の雰囲気があるものにしています。これは、いろいろなものに自由に変更できます。
 フォントサイズは「20」、行間は「10」、文字間は「3」にしています。
 なかなか読みやすいものです。
 その日によって、文字間と行間を変更したりしています。これは、目の疲れ具合に合わせてのことです。


 私が今週読んだ作品は、こんなものです。

・マハトマ・ガンジー「印度の婦人へ」
・小林多喜二『蟹工船』
・折口信夫「反省の文学源氏物語」
・夏目漱石「京に着ける夕」
・与謝野晶子「『新新訳源氏物語』あとがき」


 「青空文庫」は、その設立当初からアクセスしては様子を見ていました。しかし、これまで本気で読むモードでは利用していませんでした。ネット時代のネタとして、見ていただけです。

 今週からは、一ユーザーとして接しています。
 著作権の関係で、井上靖をはじめとする、読みたい作品が少ないのは致し方ないところです。
 それでも、50年前に遡っての、評価の高い作品が自由に読めるのは、贅沢なことです。

 これまでに、パームコンピューティングには、いち早く対応していました。
 記録を見たら、こんなことがありました。

 平成12年7月に、大阪樟蔭女子大学で開催された「西日本国語国文学データベース研究会(第16回)」で、「パームコンピューティングのすすめ」と題してお話をしていました。
 その時のレジメには、こう書いてあります。

手のひらに乗る、小さくて軽い電子版の携帯情報端末が普及しだした。メモをはじめとして、さまざまな日常の情報をいかに効率よく整理し、それをパソコンでどう活用するかを、具体的な例を提示して述べる。また、電子ブックの携帯版としての活用にも触れる。


 PDAと言われる手のひらサイズの電子手帳は、たくさん使ってきました。
 パームコンピューティング社のものに始まり、長くソニーのクリエを愛用してきました。
 しかし、ソニーが3年ほど前にクリエから撤退してからは、だんだんと遠ざかっていました。

 それが、昨夏よりiPhoneを使うようになり、またまたPDAの世界がおまけ的に付いてきたのです。

 電話と電子メールとホームページとブログ等々が、この一台で活用できるのです。
 クリエで電子ブックは、とても読み続けられませんでした。
 しかし、iPhoneでは可能なのです。

 その日の気分で、読みたい作品をダウンロードして楽しむというのも、リッチな時間の使い方です。
 それが、いとも簡単にできるのですから、今後とも大いに活用したいと思います。

2009年1月22日 (木曜日)

露天風呂の二人の想い

 寒い日は温泉に限ります。
 数年前には、しょっちゅう近場の温泉やスーパー銭湯へ、家族連れで車で行っていました。しかし、京都へ引っ越して車を手放してからは、とんと行く機会がなくなりました。
 最近では、鞍馬温泉くらいでしょうか。
 子どもたちが大きくなったこともあります。電車で行くのも、自転車で行くのも、どこか億劫になります。近くに有名な銭湯があり、何度かは行きました。しかし、やはり温泉とは違います。

 関東も関西も、温泉には恵まれた所に住んでいます。
 しかし、なかなか足を運ぶには至りません。

 こんな時には、薬用入浴剤があります。
 そして、入浴剤の袋の絵を見ている内に、なかなか味のあるイラストであることに気づきました。
 このアース製薬のシリーズは、もっとパターンがあると思われます。
 ひとまず、関東編ということで…。

090112onsen0入浴剤の箱


 まずは、秋田県の乳頭温泉です。
 この箱に入っている4種類のうち、これだけが男性と女性のコミュニケーションが少なからず成り立っているように感じられる絵柄です。もっとも、男性の気持ちは、まだ通じているとは言えないように見えますが…。
 男性の誘いに、女性はしばし思案中、というところでしょうか。


090112nyuuto秋田・乳頭


 次の長野県五色温泉は、男性が軽くいなされたような雰囲気を漂わせています。
 困ったな、という男性の心が感じられます。さてどうしようか、と灯りを見やる気持ちが表現されている絵だと見ました。


090112gosiki長野・五色


 群馬県桜山温泉です。
 背中を見せる女性に、どうしたものかと思案顔です。
 これは、まったく相手にもされていません。
 なかなかおもしろい場面となっています。
 

090112sakurayama群馬・桜山


 最後は、青森県猿倉温泉です。
 熱燗が用意してあります。しかし、まだ一緒に酌み交わすまでには、遠い道のりがありそうです。男性の眉の厳しさから、前途多難な関係が垣間見えます。

 
090112sarukura青森・猿倉


 何とも、思いつきの勝手な想像を記しました。
 女性が、すべて同じパターンで描かれているので、かえって男性の置かれている心理状態が、おもしろく自由に読み取れます。
 いろいろな状況が想像できて、濁り湯につかりながら、しばし楽しめます。


2009年1月19日 (月曜日)

崎陽軒の醤油差し

 新幹線で移動していると、自然と増えてくるものに、どうしたわけか醤油差しがあります。
 何故だか、おわかりでしょうか?

 それは、崎陽軒のシュウマイとビールを車内に持ち込むからです。
 そして、そのシュウマイに、陶器製の醤油差しが付いているのです。
 その絵が楽しいので、持ち帰って引き出しに入れておくことになります。

 いろいろと溜まったので、描かれた絵を並べてみました。


090112syuumai多彩な挿絵


 一覧して気づいたことは、飲んべえの親父は少なくて、女性が多いようです。
 子供も意外とたくさんありそうです。

 このシリーズは、いったいいくつあるのでしょうか。
 また溜まったら、紹介します。

2009年1月14日 (水曜日)

日本語の入力の歴史

 今日、日本語入力用のソフトとして、ジャストシステムの「ATOK 2008 for Macintosh」を買ってきました。

 最近は、かな漢字変換システムとしては「EGBridge」を主に使っていました。これは、マッキントッシュ用の日本語入力システムです。しかし、この開発は昨年で終了し、サポートが打ち切られています。また、使い心地も、徐々に落ちてきました。

 そこで、仲間が推奨していた「ATOK」にしました。これは、20年ほど前に使っていた「JXWORD太郎」に始まり、今では「一太郎」というウインドウズの世界で評価の高いものです。一時、これをMacintoshで使っていましたが、なんとなく煩わしい変換が気になり、使わなくなっていました。 

 コンピュータで、まだ2バイト文字では日本語の平仮名と漢字が使えない頃には、JISコードを入力して漢字をパソコンに表示したり印刷したりしていました。それが、日本語フロントエンドプロセッサといわれるものが開発されてからは、さまざまなFEP(Front End Processor)とか、IM(Input Method)と言われるものを使ってきました。 
 これまでに、NECの日本語入力変換を初めとして、「VJE」「SJ3」「WX」「OAK」「DFJ」「ATOK」「Katana」「松茸」「MS-IME」「ことえり」「EGBridge」などなど、この20数年間に、さまざまな日本語入力システムを使ってきました。いずれも、その時代には使えたのですが、徐々に淘汰されてゆきました。

 最近では、「EGBridge」でほとんどの日本語を使った仕事をしていました。しかし、その開発元であるエルゴソフトの事業撤退により、システムの移行を余儀なくされていたのです。

 私の最初の著作物である『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(昭和61年、桜楓社)では、「一太郎」を推奨しています。つまり「ATOK」をよしとしていたのです。あの時はそうでした。しかし、その後の急激な変化により、ウインドウズの煩わしい世界から遠ざかりました。

 マッキントッシュのシェアは、10パーセントにも満たないものです。そのために、ソフトウェアの開発もウインドウズのように活発ではありません。しかし、少数精鋭ということばが示すように、いいソフトウェアが各用途に適したものとしてあるのです。

 日本語入力に関しては、常時お世話になるものなので、大事な選択肢です。
 マッキントッシュにふさわしい日本語入力システムがなくなった今、 昔懐かしい「ATOK」で過ごしてみようと思います。

2009年1月12日 (月曜日)

成人式を欠席

 今日は成人式でした。
 我が家に、新成人が一人います。しかし、式には行かなかったとのことでした。
 理由は、昨年京都に来たばかりでここには友達がいないので、一人で行ってもおもしろくないからだそうです。
 奈良なら高校時代の同級生がいるので、あそこなら行ったのに、と言っていました。

 長女も、成人式には行っていません。ちょうど、英国留学中だったからです。

 長男だけは、地元平群であったので、成人式に出ています。

 子どもたちは、3人のうち2人は成人式を欠席したのです。

 かく言う私も、成人式には行っていません。というより、行けませんでした。
 ちょうど成人式の数日前に、勤めていた新聞配達店が火事になりました。成人式には、マラソンにエントリーしていました。しかし、焼け出された後で着るものがなくて、式もマラソンも断念しました。
 両親が、成人の記念に作ってくれた背広も、着ることもなく燃えてしまいました。
 式の当日には、役所から配給された毛布と、新聞社から支給された配達用のジャージのユニホームを身に付けて、近所の神社のフロアーで蹲っていたことを覚えています。

 いろいろな成人式があることでしょう。
 式典に出て、新たな誓いのもとに社会人を自覚することは大事です。
 気分を一新してのスタートは、気持ちのいいものです。

 ただし、その時のことを覚えていれば、それが何であれ、一番いい記念だと思います。


2009年1月10日 (土曜日)

映画『禅』に失望

 父から「只管打坐(しかんたざ)」ということばを教えてもらったのは、私がまだ小さいときだったように思います。
 とにかく、ただひたすら座っていれば悟りをひらくものだ、ということでした。
 道元という人の教えだということも、いつしか知りました。

 父が亡くなり、母が亡くなり、共に我が家の宗派である曹洞宗でお葬式をしました。
 妻の実家も曹洞宗だったのは、これは偶然です。
 宗教心はないのですが、曹洞宗には何となく親近感を覚えます。
 それは、小さいときから自然と伝わったものがあるからでしょうか。

 西国札所巡りをした最後には、必ず永平寺のご朱印をいただきます。
 父も母も、永平寺に分骨を収めています。
 父は暑いときに、母は雪の降る時に、家族みんなで永平寺に行きました。
 私の遺骨の一部も、この永平寺に収められることでしょう。
 永平寺での法要は、迫力のあるものでした。
 そして、お寺の中も、ピィーンと張りつめたものがありました。

 今日が封切りの『禅』を、小雨の中を観に行きました。
 三条京極下るの映画館です。
 ほぼ満席でした。ほとんどが、年配者です。
 映画を見ての感想は、ただ一言、肩透かしでした。
 もっと、緊張感と迫力のあるものを期待していたからです。
 この映画は、何となく、ピンボケです。

 盛り上がりに欠けていました。
 中村勘太郎は、優しすぎます。ピシッと締まるべきところを、にやけた表情に見えた場面がありました。興ざめでした。
 内田有紀は、私の好きな女優さんです。光源氏をしてもらいたいと思っています。しかし、今回の遊女役には、目がキリッとしすぎです。
 藤原竜也は、演技はうまいのですが、場違いな役どころです。華やかさと暗さが同居した役をみごとに演じただけに、浮いていました。
 相川翔は、こんなだらしない男の役にはもったいないと思いました。また、演技が上滑りしていました。残念です。

 コンピュータグラフィックも、予算不足だったのか、海外における数年前のレベルの出来でした。ちゃちな紙芝居もどきでした。
 また、セットも、これまた予算のせいか、気の毒なほどに貧弱でした。
 製作には苦労されたことでしょうが、映画の背景が雑でした。
 そして、中国でのロケが、残念ながら活かされていませんでした。

 批判は好きではないのですが、この出来では仕方がないと思います。
 まったく別の視点で評価しないと、この映画は救われないと思います。

 私が期待していたのは、論戦、女性、権力闘争などを、静と動で見せるものだったように思います。
 静以外は、すべて中途半端でした。

 道元の教えは、いわば単純なので伝えやすかったと思います。
 それゆえに、映像美で何を見せたかったのか、ということです。

 この映画は、もう一度観ると思います。
 一度失望したので、今度は良さがたくさん見えてくることでしょう。

2009年1月 9日 (金曜日)

喪中と年賀状の混乱

 今年いただいた賀状で多かった一筆は、前の奈良に送ってしまいまして……、ということばでした。
 5年前に喪中で欠礼し、4年前にはいつも通りの賀状を出し、3年前と2年前が喪中だったのです。
 賀状のやりとりをしている方々も、年賀状を出すタイミングが難しかったのだと思います。

 おまけに、2年前に住まいが奈良から京都に移ったのですから、なおさらです。
 さらによくなかったのは、喪中の連絡とともに、住所変更を同時に記したことです。
 受け取られたた方も、住所の変更のタイミングがうまくいかなかったようです。
 住所管理を小まめにしていないと、年に一度の儀式が混乱します。

 私の方も、喪中の連絡が続いていたので、先方の住所の確認が疎かになっていました。
 たくさんの賀状が、戻ってきました。
 一度やりとりをしなくなった方に送ったために、またまた返礼をいただくことになった方もあります。

 賀状のやりとりは、日ごろ失礼をしている方との、ささやかながらも報告の往復便だと思います。難しいことは必要ないのです。お互いが生きていることの、存在証明でもあります。
 続けていくのは、すばらしいことです。ただし、継続のための努力も、現代の社会では求められます。

 今年こそは、住所録を正確なものに整理したいと思います。
 ただし、これが意外と時間がかかりそうなのです。そうは言っても、来年の混乱を考えると、今しないと、またまたみなさんに迷惑をかけるのです。
 小正月までには、何とかしたいと意を決しています。

2009年1月 2日 (金曜日)

新年の墓参で高安へ

 毎年、三が日の内に墓参をします。
 我が家のお墓は、大阪府八尾市の高安山の麓にあります。
 あの、『伊勢物語』に出てくる高安の里です。
 小学校と中学校が高安にあったので、お墓があるこの山麓周辺は、格好の遊び場でした。
 忍者部隊月光や隠密剣士のまねをして、山の急斜面を駆け登っていたのです。

 高校は大阪市内の学校だったので、電車通学です。
 自宅からの最寄り駅は、近鉄の信貴山口駅です。


090102haka1元山上口駅


 この駅は、今もほとんど変わっていません。
 この駅からケーブルカーに乗ると、高安山の山上に着きます。そこから信貴山はすぐです。
 この駅からケーブルカーの線路沿いに山道を登り、高安山や生駒山や信貴山に行ったものです。
 家族と一緒に、何度もハイキングがてら、この山道を登りました。

 この駅からお墓までは、霊園の送迎バスで行きます。3分ほどです。
 途中から、小学校などの通学路としての山沿いの道があります。
 いつも、大阪平野から大阪湾を見下ろしながらランドセルを背負い、カバンを肩にかけて通っていました。

 墓地は、急斜面を切り開いたところにあります。
 両親が、四十数年前に、島根県の出雲からこの高安の地に、お墓を移しました。
 なかなか眺望のいいところにあるので、気に入っています。


090102haka2新春の墓地


 坂道の正面が大阪平野を通して臨む大阪湾です。
 右に六甲連山が、左には天気がいいと淡路島が見えます。

 風が強かったので、けっこう見渡せました。


090102haka3大阪湾方面の眺望


 四国が見えるときがあるということですが、私はまだ見たことがありません。
 このお墓のちょうど反対側の山陰に、大和平群の家がありました。
 在原業平が河内通いをした道は、まさにこの辺りなのです。

 地元主催の文学散歩で、この業平の河内通いの道を歩く、というイベントがあります。
 今年も春先にあるはずなので、機会が得られたら、歴史や文学好きな方々と歩いてみたいと思っています。


2008年12月31日 (水曜日)

2008年の10大出来事

 今年も、いろいろなことがありました。
 そして、無事に年を越せることに感謝をしています。


1.特別展『源氏物語 千年のかがやき』が大盛況

2.源氏展の図録を来場者の24%もの方々が購入

3.多忙の中、寝ないと生き続けられないことを痛感

4.米国ハーバード大学で源氏本文に関する研究発表

5.伊国ヴェネチア大学で源氏絵巻に関する研究発表

6.蘭国ライデン大学でコメンテーターを務める

7.鞍馬寺蔵与謝野晶子訳源氏自筆原稿をネット公開

8.携帯情報端末である iPhone を活用する生活開始

9.自家用車を処分し自転車で京洛を散策する生活に

10.書き続ける本ブログが1日1500アクセスを突破



 年とともに物忘れが酷くなり、手足に微妙な痺れを感じ、目が不自由になることを自覚し、なかなか思うように身体が言うことをきかなくなりました。
 しかし、まだ当分は仕事ができそうです。
 少なくとも、63歳までは問題がないはずなので、もうしばらく走り続けたいと思います。

 今年は、何と言っても「源氏物語展」に尽きます。
 このことだけのために2008年があったと言っても、過言ではありません。

 さて、来年はどんな年になるのでしょうか。
 職場の環境が大きく変わる時なので、また新たな気持ちで、自分なりの生活のスタイルを再度作り上げようと思います。


2008年12月26日 (金曜日)

お風呂の改修完了

水漏れした東京の宿舎のお風呂が、20日がかりの改修工事を経てようやく完了しました。
年内に終わり、ホッとしています。

4階に仮の部屋を借り、そこのお風呂を使っていました。
また、洗濯機を4階にあげ、そこで洗濯をしていました。

工事中は、1部屋が資材置き場となっていました。
また、玄関からダイニングへの出入り口近辺は、大きなビニールを張り巡らして埃対策がなされていました。
床も、ビニールシートで覆われ、いかにも工事現場の中での生活でした。

防水対策のために、いろいろな素材が使われたようです。連日、薬品の匂いがしていました。
工事期間中のしばらくは、引っ越しをなさる家が多いようです。しかし、私はいろいろと勉強などの本や資料があるので、部屋の物を移動することはせず、そのままの生活をしていました。
日中は部屋にいないので、音や人の出入りには困りませんでした。ただし、帰ってきてからの部屋の中に充満した匂いには閉口しました。

これで、ひとまず安心です。
部屋中が細かな埃で覆われたようで、掃除も大変です。
まだ、接着剤などの化学薬品の匂いが、幾分残っています。
年末年始は京都にいるので、年明けには快適に過ごせることでしょう。

2008年12月 9日 (火曜日)

中島岳志さんのガンディー語り

 今朝は、新大阪駅前のホテルで5時に起床しました。
 NHK教育テレビで、中島岳志さんがガンディーの話をするからです。

 「私のこだわり人物伝」の「マハトマ・ガンディー 現代への挑戦状」が、先週の火曜日夜10時25分から始まりました。
 しかし、その日は各方面への電話連絡等に夜中まで追われ、第1回目から見ることができませんでした。

 そして、今朝、再放送があるため、旅先のホテルで見ることとなりました。

 中島さんには、インドのお寺で2ヶ月間も同宿して、いろいろな調査に同行させてもらい、いろいろな所へ連れて行ってもらい、いろいろな話を聞き、数えきれない程の貴重な勉強をさせてもらいました。
 私とインドとの係わりは、中島さんがいたからこそのものです。
 3年前にハーバード大学へ行った時に、偶然、ライシャワー研究所に客員として中島さんがいました。
 またまた、ハーバードの街をを案内してもらいました。寿司屋とインド料理屋さんも。

 気安く話ができます。なんでも聞けます。とにかく、何でも知っているのです。そして、わかりやすく語るのです。

 あらかじめ、書店でテキストを買い、すでに4回分の放送の内容は了解済みです。
 そのこともあって、放送の内容がよくわかります。
 テキストと実際の放送の内容が微妙にズレているところなどは、けっこう楽しく見ることができました。

 今日は、テレビを見てすぐに、新大阪から直行で立川に出勤です。
 館内を走り回り、そして最後の会議が終わったのは、すでに20時過ぎでした。
 すぐに新宿でのT先生との打ち合わせに急行しました。
 時間がないので、コンコース内のスープショップで話し合いをしました。
 そして、大急ぎで宿舎に帰り、何とか第2回目の放送に間に合いました。

 いつもの、ゆったりとした、そして情熱の籠った語り口で、ガンディーのことを語っていました。
 話の内容が染み込んで来ます。
 後2回。ますます楽しみです。
 テレビの番組を楽しみにするのは、本当に久しぶりです。

2008年12月 5日 (金曜日)

突然のプチお引っ越し

 昨春は奈良から京都へ、そして昨夏は神奈川から東京へと、大きな引っ越しを2つもしました。
 そして今日、今の宿舎から洗濯機を1台だけ移動するという、小さな引っ越しをしました。

 東京の宿舎が、いろいろと面倒なことになっています。
 私の部屋のお風呂場から、下の階のお宅に水漏れがしていたのです。
 ちょうど米国ハーバードへ行っていた時に、今後の水漏れ対策のことで管理人さんから電話を受けました。その電話があったのが明け方の4時だったので、日本の夕方の5時との時差を実感したできごとでした。

 水漏れを調べてもらった結論は、私の部屋のお風呂場の改修ということでした。
 老朽化にともない、コンクリートの床面の割れ目や隙間などから、階下に漏れていたのです。
 工事の準備ということで、またまたいろいろと打ち合わせがありました。そして、結果として、私の部屋の2つ上の階にある空き部屋に荷物を移すことになりました。
 いわゆる引っ越しです。

 しかし、お風呂場の工事で困るのは、お風呂と洗濯だけなので、その部分だけの移動に留めました。つまり、お風呂用品と電気洗濯機を、階上の部屋に持って行くだけのことにしたのです。

 管理人さんにカギを借り、まずは空き部屋になっている所に洗濯機を搬入しました。
 誰も住んでいない部屋には、独特の匂いと雰囲気があります。
 淀んだ空気が部屋中に停滞しており、人待ち顔の空間がこちらを招き寄せているようです。
 外光も、鈍く部屋を照らしています。照明器具がないので、よけいに生活感のない雰囲気を醸し出しています。
 今回は、玄関の横にある設備を使うだけなので、中の部屋は関係ありません。短期間のはずなので、下手に荷物を置こうものなら撤収時が面倒です。

 洗濯機と蛇口をアタッチメントで接続しました。部品の予備を持っていたので、これまでのものを外す手間がいらなくて助かりました。
 そして、お風呂場のシャワーを確認しました。ところが、種火が点かないのです。
 入口のガスメーターボックスの中にあるレバーを開けたのですが、どうしてもダメです。一度だけですが、種火がつきました。しかし、以後はまったくダメです。
 管理人さんに事情を話すと、ガス屋さんに連絡してもらえました。すぐに来てくれましたが、ガス会社に手続きをしないままに使用したことに起因するものでした。風呂釜に異常がないことを確認しただけで帰って行かれました。
 どうやら、今回はこの部屋を用意してもらえただけで、開栓などの手続きはまだだったようです。

 電話で東京ガスに開栓の依頼をしました。ただし、立ち会いの日程が合いません。仕方がないので、結局は管理人さんにお願いすることになりました。
 次に、水道局に使用開始の電話をしました。続いて、関東電力に使用開始の連絡です。

 お風呂場の工事のために、一時的に別の部屋を借りるだけだと思っていました。しかし、実際には、いろいろと面倒な手続きが待ち受けていました。
 これから、工事の具体的な話が進みます。2週間くらいだと聞いていますが、別のところからは1ヶ月くらいかかる、という話も聞こえてきました。年末年始は、いろいろと慌ただしさが重ね塗りされそうです。

 おまけに、今月は我が家が宿舎の自治会の親当番ということで、住んでいる棟の約50軒の住居費や大掃除などの世話をする役になっています。つまり、50ヶ月に一度の役割が当たっているのです。
 職場での仕事と自分の勉強に加えて、宿舎の自治会活動などが一気に被さってきました。
 おまけに、一時的ではありますが、ささやかではあっても今日の引っ越しです。

 何かと大変な年末となりました。


2008年11月27日 (木曜日)

iPhoneをリセット

 iPhoneを使っているうちに、いろいろと不都合に出くわすようになりました。
 一番困ったのは、電話を終えた時に、通話を終了するボタンが表示されないことです。

 iPhoneは、タッチパネルを操作して電話をかけると、本体を耳に当てている時は画面が消えます。
 そして、耳から離すと、画面が表示されます。省エネ設計です。
 それが、耳から離しても、画面が消えたままなのです。
 電話を切られないし、切れたかどうかの確認も出来ないのです。
 しかたがないので、電源を切っていました。
 それが、先週ハーバードへ言っていた時に、何件か日本に電話をした時にも出くわしました。
 海外では、発信も着信も電話料金がかかるはずなので、電話が切れたかどうかは大事な問題です。

 アップルストア銀座で、この不具合を見てもらいました。
 動作確認ということで、カウンターから電話をかけてもらいました。すると、これまでに見たことのない動きをしたのです。パッと点いて、すぐに画面が消えるのです。

 メーカーの方の目の前では、なかなか不具合の再現ができないことが多いのに、なんと立派に新たに変な動きをしてくれたのです。

 担当者からいただいたアドバイスは、パソコンを使って、バックアップから復元することでした。
 いくつかのデータはバックアップできないので、それを保存して、新たにインストールをしなおすのです。

 早速行なったところ、いくつか設定をし直すことになりましたが、電話はもとのように使えます。
 詳しいことはわかりませんが、とにかく不審な動きは治まったようです。

 機械のことですから、いろいろあるのは承知です。
 iPhoneは、楽しく快適に使える文具として、なかなかおもしろい道具です。
 iPhoneが単なる電話ではないことを、いろいろな場面で実感しています。

2008年11月26日 (水曜日)

日本の五重搭と三重塔

 朝日新聞の夕刊で、日本一の搭についてアンケートしたところ、第1位は法隆寺でした。

 これは、平山郁夫さんが案内人として朝日の会員制ネットの「アスパラクラブ」で実施したものだそうです。

 法隆寺が6190人の支持を得たのに対して、第2位は薬師寺でしたが、なんとその得票数は半数の3020人でした。第3位は興福寺の2381人でした。法隆寺の一人勝ちです。

 試しに、私もこれまで訪れた各地を思い出しながら、自分なりに塔のリストを作ってみました。

【五重塔】
 法隆寺
 室生寺
 東寺
 海住山寺
 興福寺
 瑠璃光寺
 長谷寺

【三重塔】
 浄瑠璃寺
 法起寺
 薬師寺
 長命寺
 清水寺
 三室戸寺
 岩船寺


 好きな順ではなくて、映像として思い出しただけのものです。
 期せずして七つずつとなりました。
 この内、奈良と京都以外は、山口の瑠璃光寺と滋賀県の長命寺です。
 瑠璃光寺は、高校1年生の時にヒッチハイクで行ったので鮮明に思い出しました。
 長命寺は、西国札所巡りをした時の印象です。

 それぞれに、行った季節や状況が異なるので、一概に好き嫌いを云々できません。
 それでも、秋の海住山寺と室生寺、そして夏にライトアップされた興福寺と薬師寺は、目に焼き付いています。

 法隆寺と法起寺は、奈良に住んでいた頃に、子どもたちを連れてよく行った所なので、もう家の庭の塔のように思っています。
 東寺は、京都に住むようになってから、自転車で何度も通りかかったので、これまたご近所の塔です。

 塔を見上げる時の気分は、何とも言えない解放感がありますね。

2008年11月12日 (水曜日)

青木周平さんの突然の訃報

『古事記』の研究者として、第一線で活躍中だった國學院大學の青木周平さんが、昨夜お亡くなりになりました。
学生時代を共にした、同い年の先輩です。
青木さんは私には親しみを込めて「君」付けでしたが、私は研究者としては先輩なので敬意を表して「さん」付けで接していました。

信じがたいことです。しかし、いくつか連絡が入ってくるにしたがって、その事実を認めざるを得ないことを知りました。

学生時代から、そして卒業後や再度上京してからと、専門分野は上代と中古ということで異なりましたが、折に触れて話をしていました。職場を共にしていなかったので、気楽に話ができました。

私が大学院の修士課程で研究生活を辞め、高校の教員として大阪に帰ることを決心した時、たまたま船上で夜空を見上げながら、しばし研究というものについて、いろいろと語り合う機会がありました。「それもいいじゃないか」と言ってもらいました。

そして、私が研究者として上京して4年後の2003年に、奇しくも『国文学研究資料館データベース古典コレクション 兼永本古事記・出雲国風土記抄 CD−ROM』のお仕事を手伝うことになりました。青木さんは非常に忙しい時期でもあり、ことあるごとに「ごめん ごめん よろしく」という言葉が口をついて出ていました。
この仕事が、青木さんとの、最初で最後の仕事でした。

その後、青木さんの教え子の論文を、関係していた論文集や雑誌に紹介してあげたりと、ささやかではありますが言わず語らずの交流が続いていました。

青木さんの研究室の隣に、私が時々出入りしていたので、目が合うと簡単な挨拶をしていました。
「周平ちゃんとは、小さい時に一緒にピアノを習いに行っていたのよ」という私の研究仲間との話になると、眼をキラキラさせて明るい笑顔で遠くを見るようにして思い出を話されるのが、非常に印象的でした。

先週の土曜日に、青木さんの研究室の隣に用事があったので、その前を何度か通りました。電気が消えたままだったので、今日はもう帰られたのだな、と思っていました。しかし、あれは入院しておられたからだということを、今日知りました。

突然の知らせは、悲しいものです。

ご冥福をお祈りします。

2008年11月 9日 (日曜日)

自分だけのための1日

 今日は、24時間ずっと、自分だけのために使える日です。
 何でもできる日を、半日以上も横たわっていました。
 気ままに小説を読んだり音楽を聴いたりと、忘れ去っていたことをしました。

 こんなにも贅沢な時間が、自分の身の回りを流れていくことに、あらためて至福を感じました。

 昨日は、私の誕生日であり、また結婚記念日でもありました。

 しかし、始発の新幹線で京都を発ち、早朝からの渋谷での研究会に出席したのです。
 午後には、私も源氏絵に関する報告をし、夜には交流会に参加し、その後に打ち合わせ会がありました。
 交流会では、パリからお越しの先生と、久しぶりに歓談の時を持ちました。
 昨日の12時間以上を、渋谷で過ごしたことになります。

 渋谷は、私が7年間も大学生活を送った街です。

 妻とは大学の同級生でした。
 40年近くも前に、学生として共に歩き回った渋谷での1日。
 昨日は、妻は横にいませんでしたが、これまたよき結婚記念日と言えるでしょう。
 イギリス式に言うならば、昨日は珊瑚婚式に当たるのだそうです。

 学生時代に、妻と2人で新宿伊勢丹のブライダルコーナーに飛び込み、日にち指定で結婚式場を探しました。
 そして、35年前の昨日、東京タワーの下にある小さな会館で式をあげました。
 参会者は20人。親兄弟と友人3人を呼んでの、ささやかなものでした。
 ウエディングケーキなどはありません。2列の対面でのお食事会といった方がいいでしょうか。
 仲人は、私と妻の恩師です。
 私は『源氏物語と唱導文芸』について、妻は『小野小町』に関する卒業論文を一緒に出してすぐのことでした。
 まだ学生生活を続けていた私は、妻に養ってもらっていた頃のことです。世に言う「ひも」です … 。
 お酒の大好きだった恩師とは、妻が酒豪だったこともあり、渋谷、新宿、中央線沿線を飲み歩きました。
 私のアパートは、渋谷、東中野、阿佐谷、高円寺、荻窪と、転々としていました。
 妻は、中野の後に三鷹のアパートにいました。
 今、中央線の立川に通勤しているのも、何か不思議な縁だと思えます。
 そして、当時と変わらずに三鷹のすこし先にお住まいの先生は、今もお元気です。

 昨日は研究報告の発表資料を作成するために、ほとんど寝ないままに新幹線に飛び乗ったので、2時間以上もイスに蹲っての仮眠でした。
 こんな日々が、この3ヶ月ほど続いていたのです。
 それがなんと、昨夜はすべてを忘れ、本当に心おきなく床につきました。
 これが、自分への誕生日と結婚記念のプレゼントとなりました。

 妻や子どもたちとは、来週末に京都の自宅でお祝いの食事をすることになっています。
 お祝い事は先延ばしができるのでいいですね。


2008年10月28日 (火曜日)

不愉快になる添え書き

 通勤時の自転車は、駅の傍にある市営の無料駐輪場に置いています。

 職場は、立川駅からモノレールに乗って一駅の「高松」駅から徒歩8分です。
 自転車だと、立川駅から15分です。
 駅間の乗り継ぎと、電車の待ち時間を考えると、自転車が早くて便利なのです。
 雨の日以外は、国営の昭和記念公園の横を、サイクリング気分で通勤しています。

 その駐輪場は、こんな所です。


081028jitensya駐輪場


 狭い入口ですが、そこに赤のコーンポールがあり、プレートにはこう書いてあります。


081028mansyaよめますか


 私は、この「よめますか」という文字が下品で、なるべくなら見たくないものだと思っています。

 これを書いた人の気持ちは分かります。
 とにかく、満車にもかかわらず、無理やり自転車を押し込んで行く人が多いのでしょう。
 その整理たるや、大変なことでしょう。
 こう書きたくなる気も、分からなくもありません。
 しかし、こう書いてしまったらおしまいです。

 入口から上にあがって振り返ると、入口はこんな感じです。

081028slopeスローブから


 この立川地区の駐輪場は、どの場所でも市の職員の方が、きちんと整理してくださっています。

 私が利用してるここは、いつもこんな感じで整然と整理整頓されています。

081028space整然とした駐輪場


 自転車置き場は、どこでもゴチャゴチャしています。しかし、立川市は手間をかけて整理してくださっているのです。
 整理員の方には、いつも頭が下がります。いつも、ご苦労様です、と言っています。

 そうであるからこそ、この入口に書かれている「よめますか」という文字の下劣さが気になるのです。
 いつも整理している方々は、身勝手な利用者に対して苦々しく思っておられることは、想像に難くありません。
 しかし、だからといって、このように書いてしまっては、嫌みを通り越して、嫌悪を感じてしまいます。

 このプレートはやめてほしいな、と思いながら、この駐輪場を利用させていただいています。


2008年10月27日 (月曜日)

欠陥品の電源アダプタを交換

アップルのiPhoneに付属していた「Apple 超コンパクト USB 電源アダプタ」に欠陥があるとのことで、その交換の通知が来ていました。

ネットでも、交換の手続きができるとのことでした。しかし、ネットという通信をほとんど信用しない私は、アップルストアでの対面による交換を希望していました。

ただし、アップルストアの前は通るのですが、時間がなくてなかなか交換してもらっていませんでした。

今日、やっと交換してもらいました。

欠陥というのは、電源アダプタのプラグ部分 (金属製の差し込み部分) が外れて電源コンセント内に残り、それが感電の原因となる可能性があることだそうです。

とにかく、欠陥商品が氾濫する世の中なので、こうして自発的に交換してもらえるのは歓迎すべきことです。

アップルストア銀座店へ行くと、すぐに交換してくれました。しかし、申し訳ありませんとか、わざわざお越しいただき、ということばはまったくありませんでした。

プライドの塊と化したジーニアス・バーの店員が、淡々と処理をしてくれました。
お詫びも、持参への恐縮さもまったくないことに、アップルの先行きが心配になりました。
こんなに横柄でいいのでしょうか。
相談には、何とか丁寧に対応してくれます。しかし、自分たちの不始末に関する態度は、マナーが欠如した最低な対応だと感じました。

アメリカ企業だからしかたがない、ということで納得するのではなくて、日本人スタッフまでが愚かなアメリカ人のまねをする必要はないのです。
ここは日本なので、日本流の誠意の示し方をすべきでしょう。
傍若無人で地球のお荷物と化しているアメリカ人のスタイルに学ぶものは何もないはずです。

いつまでもアップルには存続してほしいので、こんな低レベルのサポートは大至急改善してほしいと思います。銀座店の店員さんに、日本的な接客作法を、もう一度思い出してほしいと思っています。

なお、交換してもらった電源プラグは、こんなものでした。

081027charg交換したプラグ

底部に緑色の丸印が付いています。これは、この交換プログラムによって対処したものであることの印だそうです。。

2008年10月14日 (火曜日)

立川の謎の寿司屋のレーンが回転

 先週の土曜日のことです。
 国際日本文学研究集会が終わってから、いつもいろいろとお教えいただいている先生を、この立川の謎の回転寿司屋にお連れしようと思いました。お忙しい先生を無理やり引っ張って行った格好でしたが、行ってみると、あれあれ、お休みなのです。
 この前は、日曜日がお休みだったので、土曜日は大丈夫だろうと思ったのですが … 。
 この店のポリシーを読みきれませんでした。

 その日は、別の回転寿司屋へ行きました。
 とにかく、私は一日に一食はお寿司なのです。それも、日本文化の詰まった回転寿司なのです。

 今日は、室伏信助先生の『源氏物語』の連続講演がありました。担当の私は、今日も進行役です。
 今日は2回目です。100人以上の方が、会場を埋めておられます。

 室伏先生は、来聴者に語りかけるようにして進めて行かれるので、みなさん親しみを感じておられるのでしょう。講演の途中で先生が、ここまでで質問はないですか、と問い掛けられると、サッと手が上がって、会場は活気づきます。

 今日のお話が『源氏物語』の写本のことだったので、質問も、紫式部の書いた写本のことでした。
 なかなかいい質問だったので、先生も丁寧に、わかりやすく説明してくださいました。

 私は、この時はマイクを持って、会場を走り回ります。なかなか体力仕事です。
 先週から連日、マイクを持っての進行役で、それなりに神経を使うので、帰りにはドッと疲れがでます。

 それはさておき、室伏先生のご講演が終わってから、展示室へご案内して、大島本の「胡蝶」で「みるこ」となっている箇所のご説明をしました。
 先生は岩波書店の『新大系 源氏物語』の校訂本文を作られたので、朱書きの傍記を採用したことに関して、とにかく訂正されたものを採り上げる方針でしたから、と、先生の立場を語ってくださいました。

 その後、小雨の中を、今日は開いているだろうと、あの寿司屋へ向かいました。

 今日は、お店に電気が点いていました。
 しかし、お客は誰もいません。

 めったに客が来ないのですから、おやじさんもおばさんも、私の顔を覚えていてくれたようです。
 早速、この前の美味しかったシャコを頼みました。
 いいシャコでした。

 3品目あたりで、突然レーンが動き出し、なんとお寿司が回ってくるではないですか。
 てっきり、この回転レーンは錆びついているだろうと思い込んでいたので、これには感動しました。

 レーンを動かしても、おやじさんは無表情です。どうだ、動くんだぞ、なんていう顔は見せません。
 やはり、このおやじさんは、銀座で名を上げた人に違いありません。

 帰りがけに、先週来たことを伝え、土日は休みですか、と聞きました。
 すると、思いがけない返事が返ってきました。
 土曜日は7時までで、日曜日は5時までやっていると。

 おーぃ やる気はあるの?

 それにしても、本当におもしろい寿司屋さんです。
 結局、今日も客は誰も来ませんでした。
 それなのに、ネタはいいものを入れているのです。
 おやじさんの意地なのでしょうか。

2008年10月11日 (土曜日)

携帯メールの文字化け

 iPhoneは、実に良くできた携帯パソコンです。
 そうした点が理解されないままに、iPhoneを携帯電話だと勘違いして購入・加入した人は、勝手が違っていて使い物にならない、と判断されるようです。
 物の性格が違うのですから、これは致し方のないところでしょう。
 アップルの商品は、一割前後の方が使っておられる、ということでいいのではないでしょうか。
 つまり、今のiPhoneは、不必要に売れすぎているのです。

 iPhoneに、不満はたくさんあります。しかし、こんなに便利なものを個人で所有して活用できることには、大いに満足しています。
 パソコンを初めて操作した二十数年前のトキメキに似た思いを、今度は、さらにパワーアップしたものとして体感しています。この気持ちは、機器の操作を通して身体で感じるものなので、ことばで表現することが難しいのです。

 日々、最先端の恩恵を蒙りながら、生活の隙間を滑らかにしています。

 そんな中、妻と息子からのメールだけが文字化けをして表示されます。
 原因不明のため、ソフトバンクの窓口へ行って来ました。

 店員の方は販売を任されたソフトバンクの方なので、アップルの商品に関する知識は皆無に等しいのです。そのためもあって、分からないとのことです。お決まりの文句である、アップルストアへ行くように、と言われました。
 ただし、帰り際に一人の店員の方が、携帯電話で絵文字を使ったらiPhoneでは文字化けする確率が高いはずだ、とつぶやかれました。
 なるほど。
 思い当たることがあります。

 妻と息子からのメールは、パソコンで確認すると、確かに絵文字が使われています。
 妻はハートマークを飛ばし、息子のはペコリと頭を下げています。
 そしてその絵文字を含むメールが、iPhoneでは文字化けしています。
 先程、息子に絵文字のあるものとないメールを送ってもらいました。
 そして、この事実を確認しました。

 私にメールを下さる方は、絵文字は使わないでください。

2008年10月 9日 (木曜日)

NHKさん、卑怯ですよ

 以下、意識して、いささか挑発的に書きます。

 朝日新聞の平成20年10月7日の東京版(夕刊)に掲載されたNHKに関する記事を見て、朝日新聞はついにNHKのいいなりに強迫行為の片棒を担ぐことになったとしか思われないことに失望しています。
 この記事を書いた記者は、NHKの実態を知らないままに、提灯記事を書いてしまった、と私は思っています。
 無知ゆえの執筆と思われるので、お気の毒としか言いようのないことですが … 。

 さて、当該記事の見出しは、次のようになっています。

NHK、支払い督促拡大  11年度から年1万件程度

 この記事の内容は、3割の受信料未払い者に対して、NHKは簡易裁判所に申し立てることで未払い率を改善しようとしている、というものです。
 未払いについての不公平感の一掃だとも。

 未払い者への強制執行も可能な法的処置でもあると、脅迫的な文章がつづられています。
 この文章を書いている記者に対して、私は「オイオイ」と言いたい気持ちを抑えきれません。
 「不公平感の一掃」ということばは、まやかしです。

 新聞記事には、つぎのようなNHK側のコメントが記されています。

NHKは「あくまでも何度も訪問して支払いをお願いした上での措置。それでも応じてくれない人を対象にする」という。

 詭弁です。
 朝日新聞は、NHK側のお雇い新聞に脱してしまったのですか。
 若い時に、朝日新聞の記者になりたかった者としては、情けないことだと思っています。

 翻って、NHKの方にお伝えします。
 私は、受信料をかれこれ30年も払っていません。
 どうか、私のところに、支払いの督促をしてください。
 受けて立ちます。
 もっとも、「あくまでも何度も訪問して支払いをお願いした上での措置。それでも応じてくれない人を対象にする」という例に、私はあてはまらないので督促の対象外だ、と、また逃げる気なのでしょうか。もう、逃げ続けるのはやめませんか。

 この30年来、NHKが私に行った極悪非道の数々を引っさげて、正々堂々と渡り合う用意はあります。
 ただし、このことを、私から仕掛けるつもりはありません。
 今は、とにかく忙しくて、自分から動くことができないからでもあります。
 また、マスコミを通して問題提起する気もありません。
 第三者の介在なしに、NHKさんと、直接話し合いたいのです。

 これまでにも、支払いの督促にいらっしゃった時を契機に、埼玉県浦和市の支局と、大阪府八尾市の支局と、奈良県奈良市の支局と、神奈川県横浜市の支局と、東京都内の支局の責任ある方との話し合いを申し込んで来ました。浦和と奈良の支局には、わざわざ足を運びました。しかし、すべて、責任者は逃げ通しています。不在を理由に、会ってもくださいません。私に連絡をくれると言いながら、誰一人として連絡もありません。

 私のところへ来られる受信料支払いの案内に来られる方は、皆さんが一様に、帰って上司に必ず伝えて話し合いの場を持ちます、と言って帰られます。しかし、一度としてNHK側から連絡があったためしがありません。

 この場をかりて、疚しい気持ちがないのであれば、正々堂々と私と話し合いをすべきだ、と強く不満の意を表明します。

 NHK側には私と話をする意思がないようなので、新聞報道にあるように、まずは私に支払いの督促をしてください。そして、公衆の面前で、簡易裁判所であれば、そこで話し合いをすべきです。いつまでも、NHKの責任者がコソコソと逃げ回っていてはいけません。卑怯です。今ここでは、「卑怯」という言葉でNHKさんを挑発しておきます。

 私は、NHKが私に対して行った極悪非道の数々の、その真意が知りたいのです。
 それも、マスコミなどの第三者の力を借りることなく、私自身の力で、納得したいのです。
 なぜNHKは、あんなに酷いことを私にしながら、それでいて現場の人からの報告を無視し続けることができるのかを、本当に知りたいと思っています。

 NHKさん、事実から目を逸らし、逃げ回ってはいけません。
 そして、事情のよくわからない人たちに強迫観念を押し付けて、集金業務の矛盾を解消しようとしてはいけません。
 真っ正面から、自分たちのしたことを、知ろうとするべきです。
 素直に受信料を払っている国民を、いいカモにしてはいけません。

 下請け業者の責任にして、下から上がる報告を切り捨ててはいけません。
 それは、トカゲの尻尾切りにしか過ぎません。

 先日も東京で私の対応をされた方は、NHKから委託されてこうして来ているだけなので、私たちにはわかりません、と言っておられました。逃げ口上はうまい方でした。さらには、確かに上司に私からの意向を伝えます、と言って帰られたのですが、その後、責任ある立場の方からは何も連絡はありません。私が渡した名刺は、いったいどうなっているのでしょうか。即刻ゴミ箱行きだったのでしょうか。

 これまでにも、私がお話しをしたNHKの証明書を持った集金業務の方々には、すべての方に名刺を渡しています。しかし、NHK側からは、まったく連絡がありません。上に報告があがっていないのか、こうしたケースは無視しろという通達が行き渡っているのでしょうか。

 私が体験した事例の詳細な報告は、NHKの方との話し合いの中で公開するつもりです。
 とにかく、NHKは酷いことをする会社です。
 30年間、変わることなく、今でも私からの話し合いの提案は無視され続けています。「され」は迷惑の受け身の表現です。

 今、私は職場の展覧会などの仕事で、この件に係わるだけの余裕がありません。
 年を越せば、少しは余裕が生ずるでしょうから、その時にNHKからの督促が来るといいですね。
 年明け早々の私への督促を、お待ちしています。

 ここでは、新聞記事を見て、これは酷いと痛感したので、あえてNHKに対して挑発的に記しました。このように書けば、NHKも私の申し出に応じてくれるのでは、と微かな期待を込めて認めました。
 とは言うものの、おそらく何も反応はないでしょう。

 こうまで書けば、何がしかの反応があるのでは、と微かな期待を込めてはいますが … 。

 くれぐれも、マスコミ関係の方にこの詳細な話をする気がないことは、ここに表明しておきます。
 これまで通り、終始一貫としてNHKと直接話をしたいので、取材などはお断りしますので、悪しからずご了承ください。


2008年10月 8日 (水曜日)

立川の謎の回転寿司屋を再訪

 今春、職場が立川に移転してすぐに、不思議な回転寿司屋の話を書きました。

立川の謎の回転寿司屋

 どうしたわけかこの記事が意外と人気で、たくさんの方に読んでいただきました。
 アクセスカウンターが、この記事に異常な反応をしていたのです。

 先週の日曜日に、久しぶりに行ってみようとしたところ、運悪くお休みでした。
 誰も入りそうにない寿司屋だったので、失礼ながら廃業したのかなと思いつつ、今日フラリと立ち寄ると、何と明かりが点いているではないですか。

 嬉しさと懐かしさで、思わず入ってしまいました。

 相変わらず、お客は誰もいません。
 おやじさんとおばさんの2人が、暇そうに座っているだけです。
 やはり、レーンは回っていません。
 ダミーの寿司がポツンポツンと、レーンの上に乗せてあるのは、この前と変わりません。

 ビールを飲みながら、世間話風に、この間イタリアに行った時に食べたシャコが美味しかった話をすると、ウチにもいいのが入っているよ、とのことです。早速、にぎってもらいました。

081008syakoシャコ


 おやじさんの話では、これは東京湾のシャコで、横須賀か三浦沖のものだそうです。
 東京湾のシャコは美味しいので有名なのだとか。
 知りませんでした。
 確かに、噛みしめるといい香りがします。
 口から鼻に抜ける香ばしさが、何とも言えず、さわやかなのです。

 イタリアでは、ベネチアのマドンナへ行きました。
 息子の先生でもある、アルポルトの片岡護シェフが推薦してくださった店です。
 このことは過日、書きました。

 あのシャコは真っ白で、オリーブオイルがたっぷりとかかっていました。
 淡泊な味で美味しかったのですが、このような香りはしませんでした。

 おやじさんにシャコの色を聞くと、みんなこんな赤黒い色をしているのだとか。
 おれはイタリアに行ったことがないので知らないが、日本のシャコはみんなこんな色だな、とのことです。
 特に、茹でたからこんな色になったのではないそうです。

 日本のシャコの美味しさを、改めて見直しました。
 確かにイタリアのシャコも美味しかったのですが、香りの点で、私には日本のものがいいように思います。
 もちろん、イタリアンレストランと寿司屋という違いがあるので、同列に比較はできませんが。

 そうこうするうちに、なんとなんと、若い女性が2人も入ってきました。
 最初は、何かの間違いで来た客なのかと思いました。しかし、少し奥まったところに座って、注文をしだしました。
 どうやら、初めての客ではないようです。
 まさに、「掃き溜めに鶴」です。

 相変わらず、回転寿司屋のシンボルであるレーンは、止まったままです。
 店内には、演歌が流れています。
 どう見ても不似合いな2人の女性が、楽しそうにお寿司を注文して食べています。
 またまた、この寿司屋の摩訶不思議なところを見てしまいました。

 2人が帰ると、またお店はガランとします。
 もう、今日はお客さんが来そうにはありません。
 おばさんは暇そうに座っているし、おやじさんは週刊誌を読みふけっています。

 それにしても、この寿司屋には不似合いな若い女性が、それも2人連れで、さらには間違って入ったとは思われない自然さでお寿司を食べていたことは、驚愕の事実です。

 この店は、ただものではありません。
 以前にも書きましたが、ここのおやじは、やはり銀座でならした人ではないでしょうか。

 ネタのよさと、おやじさんの自信ありげな握り方からして、そうとしか思えません。

 ますます、謎の回転寿司屋となりました。


2008年9月28日 (日曜日)

瀑布に打たれ続ける日々

 滝壺の中の生活が、一月半も続いているでしょうか。
 瀑布に打たれる日々の中で、必死に酸素を探し、生き続けようとしているように思います。

 今日ようやく、深呼吸ができるだけのユトリが、ほんの少しできました。
 もっとも、明日からは、また呼吸を意識せざるを得ない日々が待っています。
 『源氏物語展』が始まる10月4日まで、いわばラストスパートです。
 残っている限りの力を振り絞って、開会に向けて突き進むしかありません。
 あとは、押し流されるままに身を任せればいいので、必死に無理をすることはないことだけが、救いと言えば救いでしょうか。それにしても、気の抜けない日々となることは必定です。

 一昨日、重要文化財三点と重要美術品一点、および貴重な資料の数々を、9時間以上をかけて無事に立川に運び終えました。


080926nijl国文研到着

 美術品運搬専用車に、学芸員として初めて同乗しました。何かあったら、文化財とともに死ね、と言われていた旅です … 。
 朝7時半に京都にある日通・関西美術品支店を出発して、16時過ぎに立川に到着しました。

 3日間、この美専車と言われるトラックの補助席に乗りましたが、あまり乗り心地はよくありませんでした。

080924tenri天理図書館からスタート


 サスペンションがいいと聞きましたが、美術品を収納した後部空間はいいのでしょうか?
 お尻のクッションが固いのと、タイヤの上なので、振動がきついように感じます。2.7トンのトラックの後部座席だったので、足が窮屈だったのと、背中がリクライニングしないのが苦痛でした。
 燃費を考えてか、タイヤも少し多めに空気が入っていたのではないでしょうか。それが、乗り心地に影響したのでは、と思っています。

 2週間前にヨーロッパから帰って来たばかりです。飛行機の方が、エコノミークラスとはいえ、足は伸ばせるし、背中はリクライニングするし、テレビもありました。同じ10時間近く乗るのでも、こんなに違うのです。なかなかの苦行でした。

 それにしても、運転をしてくれた日通の若者は、よく働いてくれました。
 鞍馬寺から与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の自筆原稿を運ぶ時は、トラックが上がれないために、4人掛かりで大切に山門まで降ろしました。


080925kurama鞍馬寺下山


 京都からの助っ人の方々も、誠意をもって貴重な古典籍を扱ってくださいました。

 京都南インターから高速に入ったトラックは、制限速度の85キロを守り、2時間走っては20分休憩するというルールを守り、急発進急ブレーキもなく、安心して乗っていられました。機器で監視されているとはいえ、なかなかの好青年でした。
 美術品の取り扱いもしっかりしていたので、今後ともさまざまなところで活躍することでしょう。
 頼もしい若者に出会うと、こちらもいい刺激をもらったような気がします。
 乗り心地の悪さは、彼の若々しさで相殺ということにしておきましょう。

 無事に文化財を運び終えても,荷解きをする間もなくさまざまな問題が降って湧いたように襲いかかり、その対処にさらに数時間を費やしました。なかなか気を休める暇もなく、またまたドッと倒れ込むようにして寝るのが精一杯でした。

 昨日の土曜日は、久しぶりに寝たという実感をもって寝ました。寝ることが申し訳ないような気持ちで、時間をかけて寝ました。目覚めると、気分を整理するために、部屋の掃除をしました。
 そして、気分転換にと思い、息子と銀座へ足を向け、イタリア料理を食べました。
 たわいもないことを喋りながら、たまたまソニービルの少し南側の通りにあった、イタリアの店に飛び込んだのです。
 本場のイタリアで食べたばかりでしたが、ここもなかなかおいしい店でした。ドリンクが飲み放題、というのも気がきいていました。

 息子と別れ、銀座の伊東屋で来年度用のリフィルなどの文具を買い、アップルストアを覗いてから、その裏にあるコナミスポーツクラブでひと泳ぎしました。カウンターで調べてもらったところ、1ヶ月以上も来ていなかったとのこと。
 滝に打たれていたとはいえ、本当に、余裕のない日々だったことが思い起こされます。

 今日は、日曜日でしたが、明日からのラストスパートに向けての準備のために、早朝より立川に出勤です。
 誰もいない館内で、無心に資料の整理をしました。
 いつもお手伝いをしてくれる人も来てくれたので、作業は捗りました。献身的な助力に感謝しつつも、今日も宿題を持って帰ってもらうことになりました。いつもながら、申し訳ないことです。

 明日は、早朝より宮内庁書陵部へ、お借りする貴重な古典籍を受け取りに行きます。
 いよいよ最終コーナーです。


2008年9月 4日 (木曜日)

移転して半年経った国文研

 国文学研究資料館が品川から立川に移転して、ほぼ半年が経ちました。
 今年の2月の、移転したばかりの様子は、本ブログで次のように紹介しました。

立川での新生活がスタート


 その中で揚げた、建物の全景はこんな様子でした。


080227nijl半年前の国文研


 それが、半年経った今は、こんな景色となっています。

080903tisai東京地裁

 半年前にあった、黄色いクレーンの位置を中心にして見ると、その真後ろにマンションがあります。
 中央後方の、四角くて細長いハードディスクのような箱が、国文学研究資料館です。
 そして、その左横に国立国語研究所が見えます。

 手前の空き地に、今は草が生い茂っていることも印象的ですが、やはり、国文学研究資料館の手前で建設が進む、四角い建物が注目です。
 これは、東京地方裁判所の立川支部です。

 そういえば、私が体験したことですが、東京地裁の裁判官の手抜き審理には、本当に呆れました。
 その酷さは、次のホームページで個人裁判体験記として詳細に公表しました。


個人裁判記録


 あんないいかげんな裁判官たちが、この支部にも来るのかと思うと幻滅です。
 裁判員制度といって、自分たちの忙しさを責任転嫁するものとしか思えないことを実現した、法律関係者のずる賢さには頭がさがります。もちろん、頭は下げても、私は口からは舌を出すのですが。

 東京地方裁判所の裁判官は、忙しさを理由に、提出された訴状すらまともに読まずに公判を進め、そしていいかげんな判決文を臆面もなく書き上げて読んでおしまいにする、という、でたらめな裁判をしていました。少なくとも、私の事例では。
 ありまにもいいかげんな訴訟指揮と判決だったので、敗訴後に即座に上告しました。すると、高等裁判所の裁判長は、私の地裁判事批判に対して、精神的被害とは何か、という哲学論争で挑んできました。やれば、まともに議論のできる裁判官はいるのです。これまた、東京高裁には、と限定しますが。

 さて、立川支部に出入りする裁判官は、どのレベルの人たちでしょうか。
 相変わらず、忙しさを理由にして、チャランポランな判決で逃げるような場所にならないことを祈りたいと思います。
 国民は、裁判官はチャンと仕事をしている、と思っている人が大多数なのですから。
 その意味では、裁判員制度というのは、本当にまじめに訴訟に取り組んでいる裁判官と、すこぶる手抜きでやり過ごしている裁判官とを目にすることのできる、またとないチャンスです。

 国民の目が感じられたらの、そのような状況ではインチキ裁判はしないでしょうから。
 裁判官に緊張感を持たせ、まじめに取り組むように意識改革をさせるためには、裁判員制度は評価できます。ただし、その制度の内実は、これまたいいかげんなように思えますが、ここからはコメントを差し控えておきます。

 大多数が、まじめに裁判に取り組んでいる裁判官だと思います。しかし、私が体験した唯一の裁判長があんな人だったので、すべてがいいかげんな裁判官に思えてしまいます。

 関係者の方々には、これも致し方なしとあきらめて、そのような裁判官が少なくなるように精進されることを望みます。


2008年9月 2日 (火曜日)

耳で食べるイタリア料理

 フランスやイタリアからワインを輸入したり、試飲会などで通訳の仕事をしている娘と、イタリア料理のシェフを目指して修行している息子と一緒に、東京駅北口にあるテレビでお馴染みのシェフの系列店で食事をしました。某アルポルトです。

 飲んだり食べたりすることに関する仕事をしている子どもたちだけに、食べながらよく喋ります。
 私は、ただひたすら聞き役です。
 子どもは、ほったらかしにしておいても育つものです。

 息子は、まずはマニアックなチーズに関する蘊蓄を披露します。
 注文したチーズのうち、青カビのチーズがおいしいと思いました。しかし、息子いわく、おいしくない、と。

 数年前に、息子とイタリアに行き、たくさんのチーズを食べました。日本に帰ると、あまりおいしいと思うものに出会えません。やはり、本場物はそれだけのことはあります。
 息子とは、小学六年生の時に、イタリアに連れて行きました。その時には、息子はプクプクに太って帰国しました。おいしいものを食べ過ぎたせいでしょうか。それ以来、イタリアに惚れ込んでようです。それが、今の仕事に結びついているようです。おもしろいものです。

 また、シャンパンを飲む息子は、私が知るクリスマスのお子様用シャンメリーとの違いを説明してくれました。
 そして、ドンペリにもピンからキリまであるとか。飲んだことがないので、よくわかりませんが。
 ヘー、とか、ソー、と相づちを打つしかありません。

 そんな話に弾んでいた時、向こうの席でガラスの音がしました。
 ウエイトレスが、ワイングラスを倒したようです。
 外人のお客さんのカッターシャツとズボンに、赤ワインが飛び散ったようです。
 お店のフロアーの人が、飛び込んできました。そして、「服は大丈夫でしたか?」と聞いていました。
 息子いわく、「お怪我はありませんでしたでしょうか?」が最初だろう、と。

 そう言えば、確かに接客態度は、あまりいいものではありませんでした。チーズは、忘れかけた頃に出て来ました。つまみのスティクは、2人分しか貰えませんでした。
 有名シェフは、この店にあまり顔をだしていないので、こんな店の状況になっているのだそうです。
 接客業も大変です。味はもとより、お客様へのサービスが一番重要だそうです。
 その意味では、この店は、名前にあぐらをかいているのかもしれません。

 娘は、ワインに関する苦労話をします。
 ワインの製造業者との話を通訳するのも、なかなか大変なことがあるようです。
 娘も、小学六年生の時に、行きたいというフランスへ連れて行きました。そして、イギリスの大学を卒業しただけに、英語はそれなりにできるようです。私は、困った時には、いつも娘に翻訳してもらっています。私がイタリアへ出張で行った時にも、イギリスから飛んで来ました。
 これからどうするのか知りません。しかし、それなりに、何とかして生きていくことでしょう。
 今日はとんぼ返りで、明日の早朝から仕事だと言って、新幹線に飛び乗って大阪へ向かいました。
 子どもは、元気が一番です。

 息子も、これから店に行き、閉店までの手伝いをするのだとか。
 家の中ではダラダラとしていた子どもたちも、外ではそれなりに真面目に生きているようです。

 忙しいのは、自分だけではないのです。
 子どもたちを見ていて、みんなそれなりに多忙であることを、改めて知りました。


2008年8月31日 (日曜日)

辞めることの煩わさし

 携帯電話をauからiPhoneに替えて、意外なことがわかりました。
 それは、これまで「駅探」という乗り換え案内のようなサービスに加入していた、ということです。
 かれこれ、4年もの長きにわたり、月額105円の利用料を支払っていたのだそうです。「そうです」というのは、私がそのことを知らなかったからです。

 まったく覚えがいなのです。しかし、私の携帯電話からしか契約できないそうなので、何かの拍子に登録したのでしょう。auの電話料金と一緒に請求されていたので、気づかなかったのです。

 パソコンであれば、このような検索サービスに、一々お金を払うことはありません。携帯電話特有の現象です。
 「駅探」は使わないのでもう解約したいとauに言ったところ、移転先のソフトバンクに言ってくれとのこと。ソフトバンクに行くと、こちらには何も引き継がれないので、auで対処してもらってくれ、とのことです。
 体のいいタライ回しに嵌ってしまいました。

 結局は、元に戻って相談したauでもどうしようもない、とのことで、次の請求を見て対処することになりました。
 何といいかげんな。105円だからでしょう。責任が伴わない仕組みになっているようです。

 こういうのは、利用者の不注意ではありますが、それを助けるシステムは、どうやら想定外のこととして放置されているようです。過日のauからiPhoneに移行する時のトラブルのように、会社の都合で契約させられていることを、またしても実感しました。
 auにもソフトバンクにも、言い分はあるのでしょう。利用者が我慢を強いられるのは世の常なので、あまり問題にならない処理がなされているようです。

 何かを「辞める時」や「辞めた後」には、かならずといっていいほど不愉快なことが伴います。

 生まれて最初に体験するのは,お稽古ごとを辞める時ではないでしょうか。クラブ活動を辞める時、学校を辞める時、交際を辞める時、契約を辞める時、計画を取り止める時、そして離婚する時と、さまざまな局面で辞めることに伴う煩わしさが発生します。
 その意味では、失恋はおもしろい現象ですね。交際を辞めようとする立場と、辞めさせられる立場は、まさにドラマに仕立てやすい設定を生みます。

 辞めてきれいサッパリとする場合はいいのですが、いろいろと揉めることもしばしばです。

 それが煩わしければ、損を承知で引っ被ることです。

 始めることは簡単です。しかし、辞める時は難しいことが付きまといます。
 辞める時がいつかは来ることが多いのですから、始める時には辞める時のことを考えておくべきなのでしょう。

 夢のない話になってしまいますが、夢もいつかは醒めるのですから……。
 もっとも、その醒めるまでを大いに楽しむのだ、というささやきも聞こえます。

 私は、ものごとにはいつかは終わりがある、ということは考えもせず、とにかく走り出すタイプです。回遊魚の仲間なので、常に動いていないと気が済まないのです。ということは、常にややこしいことに直面しながら生きている、ということにもなります。

 NOと言いにくいことがほとんどの日々の中では、何かを思い切って捨てる勇気が大切だということになるのでしょうか。
 にわかに実行できないことですが、意識しておくことにします。

2008年8月30日 (土曜日)

祇園で聴いた女言葉

 京都・祇園で同窓会をしました。
 20年来のコンピュータ仲間たちとです。

 『源氏物語別本集成』の母体となった組織の面々は、それこそ当時は、世界の最先端の魅力的なプロジェクトを推進していました。今もその仕事は継続していますが、あの頃の情熱とパワーは、いかんせん衰えてきたことは認めざるをえません。

 今は、みんなそれなりに当時を土台にして生きています。そうだからこそ、久しぶりに合うと、とりとめもない話であっても、楽しく語らえます。
 大したことを話しているのではないのに、心華やぐ思いを味わいます。
 先頭を一緒に走っていた仲間は、お互いが持つ自信の裏打ちを共有するからこそ、何でも楽しく語れるように思います。

 無理をしなくてもいい仲間は、本当にいいものです。
 相手を、褒めたり貶したりと、好き勝手なことを言い合っていました。

 場所は華やかな所にあります。
 四条から八坂神社へ向かって歩き、途中で建仁寺の方へ右折したところで集まったのです。


080830gion祇園


 写真の右手前の、こじんまりした居酒屋風の店です。
 我々は,大和西大寺駅前の焼肉屋でスタートしたメンバーです。こうした店が一番似合っています。

 飲みながら、食べながら、喋りながら、盛り上がっていた時に、突然違和感のある言葉が耳に届きました。
 お店の人が、

 「〜おくれやす

 と言ったのが聴こえたのです。
 それも、カウンターの中の男の人が、です。
 どう考えても、祇園で男が使うことばづかいではありません。

 壁の張り紙に、

 「お手洗いは こちらどすぅ

 と書いてありました。
 これも、変な京ことばです。

 それ以上は詮索しませんでしたが、男言葉と女言葉は、日本の文化の中ではうまく共存して来たと思います。
 そのありようが、揺れ出したのでしょうか。

 場所が場所だけに、よき伝統としての京言葉の使われ方に、興味を持ちました。
 もちろん、何をどう調べようというのではありません。
 ただ、何となく、京言葉の使われ方が知りたくなっただけ〈どすぅ〉。


2008年8月13日 (水曜日)

ネットと電話とFAXで展示図録を作製中

 今年の夏は、源氏物語展の図録作製で明け暮れています。

 今回の図録は、京都の思文閣出版から刊行されます。
 また製作は、京都文化博物館の隣にある鷺草デザイン事務所です。

 展示する重要文化財と重要美術品のほとんどが奈良と京都にあるために、土日を含めて半分は身を京都に置いて作業を進めています。
 写真撮影の立ち会いは、無事にすべてを終えることができました。
 図録作製をしながら、展示品の借り受けのための交渉から事務手続きまでを、とにかく数十本ものラインを通して並行処理しています。
 関東にある文化庁や宮内庁書陵部とのやりとりと、中部にある徳川美術館、そして関西の久保惣記念美術館や京都府総合資料館や古代学協会との連絡や打ち合わせが、同時進行しているときは、自分が今どこにいて交渉事をしているのか、混乱します。
 部屋を見渡して、自分が今いる場所を確認するようにしないと、いつどこへ出向けばいいのか、とんでもない約束をしてしまいかねないのです。

 年々、同時に複数の仕事をすると、いつも何かが抜けることを痛感していました。今回も、いろいろと抜けているとが多いことに気づいています。しかし、事務方のスタッフがうまくサポートしてくれています。救われることが多いのです。

 私は、ひたすら前を見て突っ走っています。
 いろいろと段取りが悪くて難渋することもあります。
 しかし、気心の知れたメンバーとの仕事は、失敗も後手後手の対処も、何とかうまくカバーしてもらいながら進めています。

 このようなことが可能なのは、やはりインターネットのおかげです。
 メールでの連絡はもとより、データの転送などにも、ネットは大活躍です。
 昨日から今日にかけては、「データ便」というファイル転送サービスを活用しました。
 「宅ファイル便」でデータがうまく届けられないことがあったので、別のサービスを利用してみました。これは、問題なく64メガの容量のファイルまでを、確実に送り届けることができました。無料のサービスだったので、ありがたいことです。

 さらには、iPhoneのおかげで、移動中にも連絡がこまめにとれます。電話のみならず、インターネットも同時に使えるiPhoneは、重宝する電子文具です。これは、もう携帯電話ではありません。そのことを、今回の仕事を通して実感しています。

 仕事のしすぎであることはわかっています。しかし、こうしないとこなせないだけの、膨大な作業やチェックが必要なのです。
 展示に関わっている方々は、このようなハードなことをしておられたのだと、改めて展覧会の舞台裏を知ることとなりました。

 まだ、道半ば、というところです。しかし、少しずつでも毎日前に向かって進んでいるのです。
 開催までに間に合うのか?、と不安に駆られることがよくあります。何かしていないと、少しでも前に進めていないと、何か落ち着かないのです。
 私は回遊魚で、常に動いていないといけない質だと言われます。
 今、日々、やはりそうだったのだ、と思います。

 今年の酷暑の中を、とにかく気分転換をすることを守りながら、後悔しない展覧会の開催に漕ぎ着けたいと願っています。


2008年8月12日 (火曜日)

下鴨神社の「納涼古本まつり」

 下鴨神社の糺の森で開催されている「下鴨納涼古本まつり」に行ってきました。
 京都古書研究会が主催するもので、37店が店を並べていました。


080812oldbook1糺ノ森


 広い境内の木立の中を、たくさんのテントが並んでいます。


080812oldbook2古本祭


 最初の10店を見たあたりで、もう目がだるくなりました。
 膨大な本の背表紙を見るだけで、疲れがたまってきます。
 また、ゆっくりと移動するので、足腰もだるくなります。
 後は、ほとんどの店の本を流し見ることになりました。

 そんな心理を知ってか、屏風を立てて目立たせる店もあります。


080812oldbook3木立の中


 今日の収穫は『諸説一覧 源氏物語』(昭和45年、阿部秋生編)の一冊だけです。
 この本は、私が高校を卒業した年に刊行されました。
 『源氏物語』の研究史の上でも、一つの区切り目をまとめたものです。

 定価は800円です。これが、古書店では高価なものになっていたので、つい購入することなく、図書館などで利用していました。
 今日、2500円の値段がついていました。昭和45年までの諸説をわかりやすくまとめているので、重宝する本です。手元に置いておいてもいいので、買いました。
 改めて頁を繰ると、『源氏物語』の本文に関することは、3頁半しか記述されていません。
 解説は、池田亀鑑と山岸徳平の2代碩学の対立に留まるものです。
 昭和50年から2年間、私は山岸先生の授業を聞き、本文研究に取り組むようになりました。
 『源氏物語』の本文についての問題は、まだまだ表面には現れていない時代だったのです。
 そんな、当時の研究状況がわかるものとして、本書『諸説一覧 源氏物語』はよくできた本です。

 それにしても、これだけたくさんの本が目の前にあると、生きている内にいったい何パーセントの本を読んで人生を閉じるのか、と、あらためて気が遠くなります。縁あって手にした本を、丁寧に大切に読んで行きたい、との思いを強くしました。

2008年8月11日 (月曜日)

プリウスで墓参

 家族と姉夫妻みんなで、鞍馬口にある養林庵の住職さんにお越し願ってお盆をお迎えしました。

 読経の後のお話を楽しみにしています。
 今日も、仏事のことなど、いろいろなお話を伺うことができました。

 あらかじめ今出川のレンタカー屋さんから、エコカーとして注目されているプリウスを借りて来ていました。

 今年は、環境のことに加えて、ガソリンの高値の影響からか、レンタカー業界ではハイブリッド車がよく出ているそうです。そんな流行はしりませんでしたが、車を処分してからは乗る機会がなくなったので、めったに乗ることのないハイブリッド車のプリウスをリクエストしました。

 エンジンのかけ方などは、新しい車らしく独特のものでした。しかし、すぐに慣れました。

 電動のモーターとガソリンエンジンの組み合わせで走るのですが、そんなことはまったく意識しないで運転できました。

 車を返して、走行データを確認しました。

 今日一日で189キロ走りました。ガソリンは13リットル使ったので、燃費は14キロ/Lというところでしょうか。
 これなら、カローラクラスです。

 そのことをレンタカー屋さんに言うと、何人で乗ったのかときかれました。5人だと答えると、それに加えて今日の暑さでエアコンをつけっ放しだったからでしょう、とのことでした。
 また、名神高速、近畿道、西名阪を使いました。高速道路の利点があったかのようです。しかし、実際には一般道で渋滞が多く、ロスは高速道路以外のところで生じたようです。

 それにしても、運転しやすい車でした。

 折を見て、レンタカーを活用したいと思っています。

2008年8月 9日 (土曜日)

文庫本の自動販売機

 JR中野駅のホームで、文庫本の自動販売機をみかけました。


080725book1


 初めて見たので、街角によくある雑誌の自動販売機かと思いました。
 収納されている本は、確かに文庫本です。
 ただし、私が読んだことのない、しかも見たこともない文庫本です。
 おそらく、売れ筋の本なのでしょう。
 私が、この種の本を読まないだけであって、こうした本との出会いが増えるのは、楽しみが一つ増えたことになります。
 これまで読む機会のなかった本との邂逅が可能となったのです。

 どんなことであれ、本との出会いの機会が増えることは、すばらしいことです。


080725book2


 文庫本が自動販売機で売られるのは、いろいろな意味でもいいことです。その本の選定が、人それぞれの好みと合致しないことも多いでしょう。しかし、そのような販売がなされることは、いつでもどこでも本が手に入ることになるので、歓迎すべき試みです。

 おそらく、そんなに売れないと思われます。しかし、これは続けてほしいて企画です。


2008年8月 4日 (月曜日)

auの巧妙な携帯電話欠陥隠し

 修理に出していたauの携帯電話を、東京・深川のお店に受け取りに行きました。
 この受け取りをしていないで、いつまでも代替機を使っていると、iPhoneに移れないのです。

 一昨日の、慇懃無礼なauの対応を1日も早く忘れるためにも、修理機は受け取らないと前に進めません。

 お店に行って、修理が終わったとされる電話機を受け取りました。
 その時に、不思議なものを見ました。
 「修理報告書」というものです。
 auにはまったく落ち度がないような書き振りです。

修理内容 基板修理(予備処置交換)

詳細内容 ご利用頂きありがとうございます。ご不便をお掛けし申し訳ございません。再現試験を行いましたが、症状を確認できませんでした。予防処置として検査済の基板と交換・内部点検・清掃を致しました。万一再発する場合は、より詳細な状況をお知らせ下さい。バッテリーには問題ありませんでした。修理後に新品同等の検査(テスターによる無線性能/発着信/各種機能動作)を実施し、正常性を確認いたしました。今後ともご愛顧の程よろしくお願い致します。

交換部品 基板(キー側)

 この報告書には、たくさんの嘘があります。巧妙に欠陥を隠蔽しようとする意図が読み取れます。
 詳細は、必要な場合にします。以下は簡略に。

 おそらく、おざなりの点検はしたのでしょうが、面倒な故障なので、手っ取り早く基板を交換して証拠となるものを処分し、点検とか清掃などという、顧客のことを思ってのやらずもがなの対処をいかにもしたかのように説明する雛形文を送り付けられたのだと思います。

 この1ヶ月半というもの、ほぼ毎日、携帯電話のパワースイッチを押して1日がはじまりました。それも、携帯が起動しても、ICが読み取れないというエラーメッセージが、これも毎日のように表示されたのです。再度電源の入れ直しを強いられる日々だったので、この報告書のようなことはありえません。au側の嘘に満ちています。

 修理ドックに入ったら途端にいい子になったということは、ありうるかも知れませんが、私の手元にあった期間は、正常な起動はしませんでした。

 また、代替機からデータを自分の携帯に移してもらった時に、不思議なことを確認しました。
 それは、転送したメールの発信者名が、すべて「非通知設定」となっているのです。メール本文は転送できているのですが、発信人の名前がないのです。ということは、誰からのメールかが皆目解らないのです。

 その他いろいろ、ここには書きませんが、auというのは不思議な会社です。でたらめな対処と処置を、いくつかの事例を通して目の当たりにしてしまいました。

 今は、見てはいけないものを見てしまった、という気持ちです。

 もちろん、こうしたことは、携帯を使う上で、不具合やトラブルを体験しないと思い知ることがないことです。

 いやはや、とんでもない内幕を見てしまいました。

 1日も早いiPhoneへの移行を目指します。

 そう思って、3軒のソフトバンクへ行きましたが、やはりiPhoneは売り切れでした。

 運が味方してくれません。

2008年8月 1日 (金曜日)

auという電話会社の限界を痛感

auの携帯電話の変更に関して、悩ましいことに遭遇しました。
結論は、希望するiPhoneを購入してソフトバンクへ移行することができない、というものでした。
今回の2日間にわたるやりとりは複雑なので、その詳細を綴る暇がありません。
とにかく、今後のためにも、その経緯を簡略に箇条書きとしておきます。

・京都でiPhoneをみつける。
・購入手続きを進める。
・これまでのauからの移行で問題発生。
・私のauの機械が代替機だった。
・本来の私の電話機は電源不良のため東京で修理中。
・この件はすでに本ブログで修理前までを報告した。

携帯電話の欠陥報告


・すぐに電源が切れるのはあまりにも不便なので堪り兼ねて修理に出した。
・これが本件のトラブルのそもそもの原因となる。
・auのお客様相談窓口に電話をして問題解決の話し合いを開始。
・修理完了後の返還手続きが終わっていない段階での移行はできないと。
・すると修理に出した東京のauショップから完了の電話あり。
・これは嘘みたいな本当の偶然の出来事。
・ただし本人に本体が渡されていない段階ではやはり電話番号の移行ができないと。
・つまりソフトバンクに電話番号を持ち越しての移行手続きができない。
・いますぐ東京で受け取らないことには明日までに移行はできない。
・受け取る受け取らないはあくまでも私の問題だと。
・しかし私には今日はまだ京都での仕事があって東京へ戻れない。
・また明日も京都で仕事があるので、時間的にも往復は不可能である。
・au側はご迷惑をおかけしてすみませんの一点張りで埒があかない。
・謝り倒して諦めるのを待つ、という戦法のようだ。
・私にどんな落ち度があったのかという一点で粘る。
・諦めずに納得できないことを確認しつづけた。
・いろいろと不愉快なことを言われた。
・企業内論理を押し通しての対応に疑問を呈する。
・最終的には3ランク上まで担当者があがっていった。
・ワンランクあがるごとに、相手方との話の内容も質が向上する。
・初期段階の窓口の対応は先方にとっては消火活動だと思わざるを得ない。
・各社ともクレーム対応の研究はしておられることだろう。
・最初の段階の窓口は冷やかしやクレーマー撃退のマニアルによる対応。
・窓口からさらに一歩や二歩食い込んでも結論に向けてのまとめには入らない。
・最後は夜の9時近くまで対応をしてもらった。
・その意味では誠意ある対応をしたとau側は言うことだろう。
・しかし、その内容はあくまでも企業内論理での物言い。
・auの逃げ道としての結論は移行できないと言う以外にない。
・唯一のauからの提案は、新たな電話番号でiPhoneを手にしたら、というもの。
・そんなことなら、一々相談等はしない。
・望みの機種を手にすることの価値論を持ち出して、au側の不誠実さを隠蔽しようとされる。
・個人における価値の重さをここで持ち出すことの矛盾を指摘する。
・これには先方の保身からとはいえ、対応のレベルの低さを痛感させられた。
・さまざまな場合を想定しての結論だったが、それにしても幼稚な対応だった。
・さすがに、最後の方は相当地位が上の方のようだった。
・決定権がある方のようで、話は通じる方だった。
・しかし、それでもやはり企業内で作成したルールからははずれない判断を示された。
・曰く、私の知恵の中ではこれ以上考えられない、と。
・おいおい、いい年をしたおじさんよ、と突っ込みたくなる。
・結果として、明朝10時に入手できるはずのiPhoneが誰か別の人の手に。
・最後に対応された方は紳士だったがauという会社が持つ決定的な限界を痛感した。
・あのような自己都合で固めたルールの中で仕事をする方々に憐憫の情を抱いてしまった。
・auという会社に対して、大いなる不信感を増大させた。
・今日までは家族5人全員がauだったが、これを機会に順次他会社に移ることにする。
・6年以上も全員がauだった。
・電話回線もNTTを解約してKDDIの回線を使用していた。
・auという会社の内実を見たので、固定電話もそろそろ別会社を検討しよう。
・10年以上前から何度もネットで報告したようにNTTは無能で技術力の皆無な会社である。
・そんなNTTの電話回線を使うという愚かな選択肢は断じてない。
・つまるところは、固定回線を持たないことになるのだが……。
・そしてiPhoneはまた私の手からすり抜けて行ってしまった。
・次の出会いが楽しみとなる。


2008年7月31日 (木曜日)

生みの苦しみ

 7月も終わりです。
 楽しみですが気の重い、8月と9月が迫って来ました。

 とにかく、10月に開催される『源氏物語展』が無事に実施できるように、日々準備を進めています。

 展示をするために、大切なものをお借りして来ます。その手配に払う神経は、想像を絶するものがあります。
 また、展示のための図録作りにも、さまざまな方々の力を借りる訳ですから、これまた気の休まる時がありません。
 そして、この二つが、順調に進めばいいのですが、なかなかそうはいきません。

 そして、ともに、出来・不出来の評価がくだされます。

 今日も、京都の思文閣出版と鷺草デザイン事務所で、図録の資料の受け渡しや、打ち合わせをしました。

 目の回るような時間が、自分の周りを行き交っているのを実感します。夢遊病者のように、揃えたデータを持って、走り回るのです。慣れないことに加えて、細かな作業が多いので、余計な神経を使っていることは承知です。とにかく、ものを持ち回って、体を動かすことによって、一歩ずつではありますが、作業を進めています。

 そして、その間に、携帯電話を駆使して、展示品についての交渉や打ち合わせも平行して進めます。

 場数を踏んだ学芸員の方々から見れば、およそ計画的とは縁遠い手法でしょう。しかし、前に進むしかない状況においては、一つずつを確実に進める以外にないのです。そして、己の段取りの悪さに呆れながらも、平身低頭のお詫びとお願いを繰り返します。

 毎日毎日、人に直接合い、そして電話で、メールでは数知れず、お願いの隙間でお詫びをするだけの日々が、もう何ヶ月続いていることでしょう。10月には、こんな生活から解放されることは確実なので、ひたすら忍従・忍耐の日を送っています。

 おかげで、フッと気づくと、睡魔が襲っています。
 お酒なしには一日を終えられないので、血糖値のコントロールもままなりません。

 今日は、頭の痛かったことの一つに、少し光がさしました。
 これから、膨大な書類を作成して、実現のために努力したいと思います。
 可能性が出て来たのですから、なんとしてでもしがみつきたい、という気持ちです。

 できあがってみると、何でもない図録のように見えることでしょう。しかし、その背景には、さまざまな問題が生起しており、それを一つずつ解決したからこそ到達できたものが、目の前に置かれることになるのです。

 物の背後には、本当にたくさんの見えない出来事が、無数に仕舞い込まれているのですね。
 膨大な時間とエネルギーを投入して解決したことや、その甲斐もなくできなかったことも、この図録が完成すれば忘れてしまうことでしょう。
 しかし、物事の背景には想像を絶するものがあることを、こうした機会に体験できていることは、自分にとってはいい勉強になります。
 人さまの仕事を評価する時に、きっとこの苦しみから見えた視点が、いい意味で生きることでしょう。

 もうしばらく、ジッとこうした作業に専念します。自分が『源氏物語』の研究をしていたことがある、ということが、あろうことか人ごとのように感じられます。あと数年で、これまでの仕事とは縁を切ることになります。その時に、今回の体験が今後に生かせるように、我がこととして取り組んでいるところです。

 それにしても、論文を書いたり本を書いたりする方が、すべてが自分だけの責任で遂行できることなので、気が楽なように思えます。そう単純なものではないので、比較すること自体が無意味ですが、自分以外の物事に払う注意の度合いは、そうとう違うように思えます。

 没頭できる、ということは、そこに知的な満足感があり、少なくとも楽しさがあるようです。
 スポーツ選手のコメントではないですが、楽しんでやり遂げたいという気持ちが強くなっています。

2008年7月25日 (金曜日)

グッタリと入洛

 今年の夏は、今秋開催する特別展「源氏物語 千年のかがやき」のことにかかりきりです。
 今日も電話・FAX・メールを休む間もなく受発信して、何とか連絡・交渉・質問・依頼・回答・相談・問い合わせ・指示・報告をし、階下の事務担当者のもとに何度も足を運び、様々な資料を複写し、膨大な書類を作成・提出・送付しました。
 その間に、会議や来客や別件の仕事の打ち合わせなどにも対処するのですから、まさに全身フル回転で秒を刻んでいました。

 これがインドだったら、まさに50人がかりで取り組むのではないでしょうか。
 インドでは、1人が何役もこなすと仕事がみんなに行き渡らないので、一つ一つの仕事が分業化されていることが多いからです。

 日本人は働き過ぎだと言われています。そうだと思います。
 しかし、それを前提で社会が出来上がっているのですから、部外者から無責任なことを言われても、それは文化の違いだ、と自分に言い聞かせています。

 明日中に、展示図録のネガと組版の試作版を、京都のデザイン事務所に渡すことになりました。
 宅配便や郵送で済ませられるという、そんな計画的で悠長な仕事をしていないので、自分が動くことになります。そのほうが、かえって楽なのです。
 常に、余裕のない状況での仕事に追われている毎日なので、目の前の案件をひとつずつこなして行きます。
 そのためにも、自分が動くことが、確実に仕事を進めることに直結するのです。
 その結果、営業マンよろしく、自分の体を動かすことになります。
 体調を崩したり、病気になると、多大な迷惑を職場にかけることは、重々承知の対処です。

 色々な資料を鞄にギッシリ詰め込んで、立川駅まで自転車を飛ばし、快速電車に飛び乗りました。
 1時間半で東京駅に着きます。
 金曜日の夜ということもあり、新幹線は長蛇の列です。
 次の列車にしようかと思いました。しかし、30分も立ったままで次を待つだけの気力がなかったので、とにかく目の前の列車に乗り込めばなんとかなる、と思って、いつものひかりに乗り込んだのです。
 ところが、悪いことに満席です。
 やがて通路からデッキまで人で埋まりました。
 後の列車にしても遅くなるだけなので、そのまま立ちっぱなしで京都に向かうことにしました。
 名古屋まで立てば何とかなるさ、と思っていたら、1時間ほどしたら静岡で席が空きました。
 やっと晩ご飯が食べられます。というより、実際は夜食です。
 いつもの崎陽軒のシュウマイに、今日はビールではなくて日本茶の濃い味です。

 これは、まさにサービス残業に類するものではないでしょうか。
 自費で自宅に帰り、帰ったついでに業務をする、というパターンです。
 よくないのですが、何かと面倒なことを避けるためにも、自分の中で割り切ってやっています。
 実際には、毎週自宅に帰った時に、関西でのさまざまな仕事をこなしています。
 それではあまりに不自然なので、時たま書類を提出して、出張扱いにしてもらっています。何かあったときには、公務災害に該当するように配慮はしています。

 1日も早く正規の仕事に戻したいのですが、なかなかそうもいきません。
 当分は、こんな不規則な生活を送ることになります。

2008年7月20日 (日曜日)

電車のドアの開閉ミス

 テレビの夕方のニュースで、昨春までいた奈良の自宅の麓にあった元山上口駅が、突然映し出されました。
 駅のホームと反対側の電車のドアが開いたとのことです。

 毎日乗り降りしていた駅なので、家族がドっとどよめきました。
 息子は、携帯電話を取り出して、画面を撮影する始末です。
 昨年の5月までの23年間もいた思い出の地で、しかもみんなが利用した小さな駅です。

 この路線は、近鉄生駒線と言います。
 近鉄奈良線の生駒駅と、JR大和路線の王寺駅を南北につなぐ、地元民にとっては唯一の足となる電車です。生駒山沿いの奈良県側を走っています。
 一部複線化されていますが、私たちがいた駅のあたりは単線でした。一つ北の萩の台駅か、一つ南の平群駅で、上りと下りが行き違いをします。

 なかなか風情のある路線でした。毎日が、休日にハイキングに行ったときの沿線の風景として、四季折々に堪能できました。
 初めて我が家に来る人は、その景色の素朴さに、1960年代にタイムスリップした気持ちになる、と言っていました。

 生駒山の峰々と、なだらかな矢田丘陵に挟まれた山峡を北から南へと、ヤマトタケルなどが活躍した古代人の足跡が残る一帯を、4両連結の電車が単線を一直線に走るのです。
 通勤通学時間を除くと、乗っているお客さんは数人です。買い物袋を足下に置いている人以外は、この地を訪れた人々です。ガラガラの車両が、15分に一本の割合で運行されていました。

 数年前から、ワンマン電車となり、運転手さんがドアの開け閉めまでします。
 車掌さんがいた頃には、切符をお持ちでない人は……、と言いながら、車掌さんが車内を歩いて往復していました。時々、ドアを開けるために、後部車両に走って行く姿も見かけました。
 お客さんの対応をした時などは、後部まで帰れないので、先頭車両の運転手さんがいるボックスに入り込んで、ドアの開閉コックを操作していました。
 縦長の丸いステンレスの開閉棒を、押し下げたり、押し上げたりしていました。その時には、必ず、カギを使って解錠と施錠をしていたことが、ガラス越しに見えました。一々カギを使うのは、面倒なように思います。しかし、間違ってドアが開いたら大変なので、これは大事な習慣だったと思われます。
 それも、電車のドアにもたれかかって立っていたら、大変なことになります。

 ワンマン電車になってからは、駅に到着してからドアが開くまで、微妙な時間差がありました。これはこれで、少し楽しいタイムラグです。
 電車の左側にある運転席の操縦桿を握っていた運転手さんが、駅によっては反対側の壁面にあるドアの開閉棒を操作するのです。1人でこなすには、なかなか大変な仕事です。

 その電車が、元山上口でホームと反対側のドアが開いたというニュースなのです。
 上りだったのか、下りだったのか。
 少し推理をして遊んでみましょう。

 次の写真は、昨春、引っ越しをすべて終えて、平群の地を後にした時のものです。記念に、元山上口のホームに電車が入る所を撮影しました。これは、南の王寺方面から来た電車で、北の生駒へ向かって行く、上りの電車です。


080720motosanホームに入る近鉄電車

 この写真でもわかる通り、電車の先頭車両の向かって右側、進行方向で言うと左側に運転席があります。
 そして、この写真で言うと、電車が元山上口駅に着くと、運転手さんは運転台の席を立って右側に移動し、ホーム側のドアの横にある開閉棒を操作します。
 そして、乗客の乗り降りを確認してからドアを閉め、またもとの運転席に戻って操縦桿を握って発車します。
 上りの電車の場合は、運転席の位置でホーム側のドアの操作はできないのです。

 ニュースによると、運転手はボーッとしていて、ドアの開閉を間違えたとのことでした。
 もし、写真のように上り電車だったら、運転席のすぐ横は田んぼです。しかし、ボーッとしていてドアの開閉をしたのなら、座った位置のそばにある開閉棒を操作した可能性が高いと思います。
 下りだったら、運転席はホーム側にあり、わざわざ反対側の田んぼの方まで席を立って移動して、そして田んぼの見える側の開閉棒を操作するのは、念が入りすぎたウッカリミスだと思われます。

 どうでもいいことですが、こんなニュースでも、こうして想像を巡らすと楽しいものです。

 それにしても、牧歌的な平群の里のニュースでした。


2008年7月18日 (金曜日)

注文と違う商品が届く

 洗濯機の糸クズフィルターのネットが破れました。
 取り扱い説明書に書かれていた消耗品の商品番号と、念のために洗濯機の名前を正確に書いたメモを、電気店のカウンターに持って行きました。
 3、4日で入荷するとのことでした。

 電話で、品物が入ったとの連絡があったので、早速受け取りに行きました。
 ところが、どう見ても、お願いした糸クズネットとは形状が異なるのです。

 これは違うと思う、と言うと、そんなはずはないのですが、と言いながらカタログを調べておられます。
 しばらくしてから、大変失礼しました、とのこと。
 再度、注文をし直すとのことです。

 こちらとしては、こんなことがあってはと思い、丁寧に、洗濯機の名前と番号だけでなく、必要なネットの商品番号まで調べて注文したのに、届いたのは別の番号のものだったのです。

 皆さん、暑いせいなのか、仕事に集中できないようです。

 本気で取り組んでいない店員や社員が多い、ということなのかもしれません。
 こんなやりとりは、疲れが倍増します。

 ビシッと、1回でやりとりを決めてほしいものです。


杜撰なクレジット購入時の署名

 携帯電話で思い出しました。

 この携帯電話を購入した時、息子と一緒に機種交換をしました。
 手続きを終えて、最後に支払いをする時、息子の方の電話機に料金の追加がありました。
 息子が、クレジットカードを忘れてきたので、私のカードを貸してくれというのです。
 しょうがないな、と思いながらカードを渡したところ、サッサと自分の名前を署名欄に記入して、その書類を店員に渡したのです。
 2人の店員の目の前に、我々親子が対面する形で座っています。息子がサインをするところも、我々4人の目の前でした。しかし、店員は何も言わず、そのまま書類を受け取って一件落着となったのです
 私は、しばらくどうなるのか見ていましたが、何も咎め立てされないのです。

 カードは私のものです。
 書類には、息子が自分の名前を自署しました。
 カードに対応した名前も違えば、筆跡も違います。
 それでも、カードは適正に処理されたことになったのです。

 後日の引き落としを楽しみにしていたところ、案の定というべきか、きっちりと引き落とされていました。
 あの息子の署名が有効だったことになります。
 何といいかげんな。こんなことでいいのでしょうか。
 クレジットカードの署名などは「やりたい放題」というべきでしょう。

 「au」も「VISA」も、キッチリ、シッカリと、いい仕事をしています。
 日本は平和な国ですね。

2008年7月17日 (木曜日)

欠陥品だった携帯電話

 またもや、欠陥品を手にしていたことがわかりました。
 頻繁にあることなので、慣れてしまいましたが……。
 私は、驚異的な確率で、欠陥品や不良品を渡されていることになります。

 携帯電話を取り出して、二つ折りになっているのを広げると、画面が真っ暗なことが頻発するようになりました。
 最初は、バッテリーの残量に関係するのかな、くらいに思っていました。
 電源ボタンを長押しして起動させるのですが、その儀式が取り出すたびとなると、さすがに不信感を抱くようになりました。またまた、これは欠陥品なのかと……。つまり、携帯電話を使おうとするたびに、電源を入れ直すことになるのです。

 そのうち、再起動している最中に、ICカードがない、と言ってくるのです。
 ICカードの読み込みに失敗した、というエラーメッセージを出すこともあります。
 もう、手の施しようもありません。

 この携帯電話は、ちょうど5ヶ月前に機種交換したものです。
 半年も使用していないのですから、まだ新しい、と言えるものです。
 それに、私は携帯電話をあまり使いません。というよりも、あまり持ち歩かないのです。だから、使いすぎということも考えられません。
 また、女房も同じ機種を使用していますが、それは、特に異常はないようです。

 製造会社は、ソニーエリクソンです。
 私はソニー製品を愛用しているので、携帯電話もそうなのです。
 扇風機も冷蔵庫も洗濯機も自転車も、ソニーが出せば買います。
 確かに、ソニー製品は故障が多いように思います。しかし、それは高度な技術力で挑戦しているために、避けられないことだと許しています。
 でも、携帯電話は、他社との違いはあまりないように思います。ジョグダイアルは大好きです。しかし、電源がすぐに落ちるのは明らかな欠陥でしょう。

 au携帯ショップへ行ったところ、預かって修理となるそうです。一二週間預かるとか……。

 この携帯電話を買う時に、今年中にiPhoneが出るはずなので、料金体系はすぐに解約できるものにしていました。
 先週、iPhoneが発売されたので、もう私が携帯電話を買い替えることは時間の問題です。
 予約ができないそうなので、なかなか店頭で手に入れられない、という状況なのです。
 そんな時に、修理に一二週間だすのもバカらしいので、このままiPhoneを買うまでは我慢することにしました。

 すぐに死んだフリをするソニーの携帯電話ですが、製造ラインから間違って街に出てきた気の毒な製品を、せいぜいかわいがって最後を見届けてやろうと思っています。

2008年7月16日 (水曜日)

iPod touch を使って研究発表

 今日は、『源氏物語画帖』に関する研究発表をしました。
 『源氏物語』の絵を扱った調査結果を内容とするものです。

 私は、パソコンでパワーポイントというマイクロソフトのプレゼンテーション用ソフトを使っての発表はしません。これは、意識してしないのです。あくまでも、配布するレジメと称するプリントをもとにして、話します。

 野口悠紀雄が言ったことだそうですが、パワーポイントによる研究発表が始まったら、もうその話は聞く時間が無駄なので、会場から出て行くのだと。誰かは、パワーポイントによる研究発表は、マスターベーションを見せられているのに近いとか。

 この意見は、私も賛成です。予めスクリーンに映す画面を印刷したものを配り、紙芝居よろしく決められた通りの台本を淡々と進める人が多いのです。うまくパワーポイントを使っているな、と思わせる人もいますが、ほんの一握りです。

 今日は、源氏絵に関するものなので、やはりたくさんの絵を見てもらう必要があります。
 そこで、iPod touch を使って、スクリーンに源氏絵を映して説明をしました。もっとも、それは最後の5分に集中させました。とにかく、プリントをもとにして進めました。

 iPod touch を使ってのプレゼンで気付いたのですが、表示する画像の縦横比の調整が必要でした。たまたま、それが出来るプロジェクターだったのでよかったのですが、簡易型の時には困ったことになったと思います。

 また、画像を拡大するために、iPod touch の画面を指で押し広げたのですが、スクリーンに映った絵は、拡大しませんでした。これは、今後もう少し研究します。

 私の前の人が、パソコンの操作中にうまくいかず、何度か中断しながら発表していました。
 幸い、私は何のトラブルもなく、また、ほとんどの人がiPod touch を使ってのプレゼンだとは気付かれませんでした。
 何気なく、さりげなく、電子文具を活用した研究発表が、とにかく無事にできたのです。

 意図した発表ができ、ホッとしています。

2008年7月15日 (火曜日)

なぜかブログの発進地が変わりました

 私がブログを書き始めたのは、「ミクシィ」というソーシャル・ネットワーキング・サイトに気ままな日記を公開した時からでした。

「回転寿司のこと」2004年03月07日

が最初のようです。

 しかし、ミクシィは会員制のサイトのために、会員以外には読んでもらえません。
 そこで、〈NPO法人 源氏物語の会〉のサイトでブログが使えるようになった時を機に、「たたみこも平群の里から -折々のよもやま話-」というタイトルのもとに、好き勝手に書き続けることになりました。

「年の瀬にブログが走り出す」と題して、2004年12月13日から書き出しました。

 その後、2006年7月29日から、アップルのサイトを使って「新・たたみこも平群の里から」というブログを新たに立ち上げました。
 その最初の記事は、「男性専用車輌を走らせてほしい —女性専用車は逆差別列車—」でした。

 しかし、表示が遅いのと更新が複雑なので、1ヶ月後には、もとの〈NPO法人 源氏物語の会〉のサイトに戻り、再度の発信を続けることにしました。

 再出発した「たたみこも平群の里から -折々のよもやま話-」は、順調に展開していましたが、2007年3月に、突然サーバーがクラッシュしたために、すべての記事がなくなりました。

 ただし、〈NPO法人 源氏物語の会〉仲間の努力で、そのほとんどを復活してもらいました。

 そのサイトには懲り懲りしたので、2007年6月24日から「京洛からのことあげ 」と題して、「関西どっとコム」のブログを立ち上げました。これは、住まいを奈良から京都へ移したことによる、新たなスタートを意味するものでした。

 その関西どっとコムのブログが、これまた突然に、2008年9月30日をもってサービスを終了することになりました。

 こんなあいさつが掲載されたのです。



いつも関西どっとコムをご利用いただきありがとうございます。
さて、この度株式会社関西どっとコムは、本年7月1日をもって株式会社ケイ・オプティコムと合併することとなり、これに伴い、関西どっとコムblogは次のとおりサービスを終了することとなりました。
長らくご愛顧いただき重ねてお礼申し上げます。

なお、eoポータルサイトでは、7月10日から新しいeoblogサービスが開始されます。関西どっとコムblogで投稿いただいた記事は、簡単な操作で新しいeoblogサービスに移行することができますので、是非、新しいeoblogサービスをご利用くださるようご案内申し上げます。


 ということで、数日前の7月10日より、 eoblog への突然の引っ越しの連絡を表示して、またまた新たなスタートとなりました。
 移行手続きをしたら、勝手にこれまでのものが更新できなくなり、あらたな通知文のもとに新たなアドレスでスタートしてしまったのです。
 勝手がわからないままに、数日記事を書き出した、というのが実情です。
 私自身にも、この展開に戸惑っています。

 本当に、私のブログは、意図しない理由で、サイトを渡り歩くことになっています。
 1人の人間が書き続けていることなので、どこかでつながってはいるはずです。
 心機一転ということで、今後とも、よろしくお願いします。

2008年7月14日 (月曜日)

突然の一等賞

 日本語・日本文学の出版社である笠間書院のブログは、有益な情報で溢れ返っています。
 理屈抜きで、文科系人間にお薦めの情報ボックスです。


笠間書院のブログ


 日本文化に興味のある方は、必読の、そして常にチェックしておくべきサイトです。
 これでもか、とばかりに、文学・語学をはじめとする、人・物・事に関する情報が氾濫しています。それも、早いだけではなくて、詳しい上に正確なのです。

 ものは試しです。一度のぞいてみてください。
 よくぞここまで情報を収集しているものだ、と感心しきりのサイトです。
 担当者の熱意が、ヒシヒシと伝わってきます。ここまで徹底されると脱帽です。

 さて、今日は、早朝5時起きで、京都から始発の新幹線で上京しました。
 そして、いつものようにメールのチェックです。
 毎度のことながら、スパムメールを800件ほど削除する儀式からです。

 そして、たくさんのメールに返事を書きます。
 大事で急ぐメールには、すでに昨日までに京都から返事を出していますが、緊急性の低いものは上京後の仕事です。

 メールの対処をしながら、時々知人のブログを読みます。
 登録してある知人のブログは、メールを読み書きする画面の横に表示されるようにしてあります。これも、返事のいらないメールの一種です。

 その中で、いつも必ずチェックする笠間書院の情報の中に、「 OSK 日本歌劇団レビュー in KYOTO 2・桜花昇ぼる、 ペアチケット」をプレゼントする、というものを見つけました。
 社員の方がチケットを入手なさったのですが、週末に京都へ行ける人がいないので、読者にプレゼントする、ということです。それも、早い者勝ちのようです。

 午前中に掲示された情報です。もう午後になっていました。
 だめでもともと、という気持ちで、こんな手紙を認めて応募しました。



OSKのペアチケットがあるとか。
もし間に合うようでしたら、私も争奪戦に参加させてください。
先着順ということなので、すでに終わったのでしょうか。
取り急ぎ、手を挙げますので、よろしくお願いします。


 すると、すぐに笠間書院から返事が来ました。私が一番乗りで当選したとのことです。

 私はこれまで、一番というものに無縁でした。それが、この年になって、何とラッキーなことでしょうか。
 早起きと、こまめなブログのチェックが呼び寄せた幸運といえるでしょう。

 そうだ、こんな日には宝くじを買ってみよう、と思ったのですが、帰りの電車に乗った時にはもう夜の9時でした。宝くじ売り場は閉まっています。

 もう一つ、運の波に乗りきれない人生です …

 それにしても、応募はしてみるものですね。

 OSKの観劇記は、来週早々にでもブログで報告しましょう。


 

2008年7月12日 (土曜日)

ブログ移転のお知らせ

こちらのブログは、下記のURLに移転いたしました。

http://genjiito.blog.eonet.jp/

2008年6月26日 (木曜日)

パソコンのバッテリー無償交換

 過日、ノートパソコンのバッテリーが熱によって変形したことを報告しました。

http://blog.kansai.com/genjiito/318

 忙しくてなかなか行けなかったアップルストア銀座に、ようやく問題のバッテリーを持ち込みました。
 おかしいと気付いてから2週間が経過していました。

 最初は、こんな具合でした。パックの口が開いている、という程度でした。


Kjkulecd_s2週間前



 これが、2週間の間に、こんなに口を大きく開けたのです。


J5ueiilx_s膨張1




Wcdpl4y8_s膨張2



 中のパックが、急激に膨張したためと思われます。
 よくぞ、発火しなかったことだと思います。

 アップルストアでは、見て直ぐに無償交換という判断をしてくれました。
 それはそうでしょう。私には、何の落ち度もないのですから。
 あるとしたら、毎度毎度、こうした欠陥商品を手にしてしまう、という運命を背負っている、というだけです。

 在庫もあったので、もらって帰りました。
 このバッテリーを装着するパソコンは、3月末にロジックボードを交換したものです。臓器のほとんどを移植したことになるので、それが、このバッテリーのせいなのか、その点を対応してくださったジニアスバーの方に聞きました。

(1)バッテリーが原因で前回はロジックボードが破壊されたのか。
(2)取り換えた新しいロジックボードがバッテリーを破壊したのか。

 このうち、どちらが原因なのかを聞いたのですが、とにかく新しいバッテリーを使ってみてください、という説明だけでした。
 おそらく、バッテリーの欠陥ではないかと思っていますが、教えてはくれませんでした。何かあるのでしょうが、穿鑿は煩わしさが伴いますので、早々に引き下がりました。

 とにかく、道具なのでいろいろと不具合はあるものです。
 今回のバッテリーには問題がないことを祈って使うことにします。

 それにしても、火傷に留まらず、火災にならなくて良かったと思うことにします。世の中、何が起きてもおかしくないのですから。




2008年6月23日 (月曜日)

ちょうど1年経過したブログ

 このブログを始めたのは、昨年の6月24日(日) 午前 00:時58分でした。
 「京洛からのことあげ」と題して、こんなことを書きました。



 多くの方々に読んでいただけた「たたみこも平群の里から」の終了を承けて、このサイトを通して、装いも新たに京都からの「折々のよもやま話」をお届けします。

 平成19年5月に、23年間過ごした大和から京洛の地に住まいを移しました。我が人生の最終章を、平安の都で閉じたいとの思いからの決断でした。

 賀茂川畔を拠点として、さまざまな情報を思いつくままに記すことにより、私なりの存在証明の記録にしたいと思います。

 気分を一新してのスタートです。



 2回目の記事は、引っ越しの話です。
 いつ終わるとも知れぬ、連日の引っ越しでした。

 あれから1年。
 本年2月からは、毎日書くことを心掛けています。
 単なるメモではなくて、できるかぎりお話になるようにしています。
 お陰さまで、毎日400人以上の方々が読んでくださっているようです。
 予想外の多さに恐縮しています。しかし、妻や子供や知人に語りかけるつもりで、気楽に書き流すようにしています。
 私は、書いて投稿した後で、結構、文章に手をいれています。折を見て、過去のものもご覧ください。相当、内容が変わっているものがあるはずです。
 思いついたら手を入れているので、一々補訂したことを断っていませんので、悪しからず。

 私がインターネット上に初めて情報を流したのは、1995年8月11日の


「第5回紫式部文学賞は、吉本ばなな氏の「アムリタ」に決まる(朝日新聞1995.8)」


という記事でした。
 ホームページというものを開設してすぐのことです。今から13年前は、いろいろと苦労の中でも楽しかった思い出ばかりです。
 参考までに、アドレスを引いておきます。興味のある方は、タイムカプセルのような世界へどうぞ。

http://www.nijl.ac.jp/~t.ito/HTML/R3.1_Kabe/R3.1_Kabe_01_1995.html

 ついでに、私のコンピュータとの係わりもまとめておきます。

 私の初めてのコンピュータ体験は、1980年のマイコンキットNEC〈TK-80〉でした。
 1981年にPC-8001で半角カタカナによる『源氏物語』の本文データベースに着手。『源氏物語別本集成』(おうふう、全15巻)の原点です。
 1984年に、PC-9801F2と音響カプラによるコンピュータ通信を開始するが続かず。
 オリベッティ・NEC・富士通・EPSON・日本ゲートウェイを経て、アップルとソニーのコンピュータを使うようになりました。
 ウインドウズV1に失望して、アップルに移り、時たまソニーのバイオノートを触ります。

 初期のパソコン事情は、『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、昭和61年11月)にまとめました。そろそろ、インターネットが生まれてからの四半世紀を、私なりにまとめてもいい時期かも知れません。

 今、私の関心は、iPhone です。
 今後は、ワイヤレス・ネットワークとの係わりが、情報文具の展開に必須のものとなります。
 いつまでも、飽きさせない世界が広がっています。
 最前線のレポートはできなくなりましたが、今後とも、活用を通しての報告を続けていきたいと思います。

 恐らく、死ぬまで何らかの形で情報発信を続けるはずです。
 末長いお付き合いを、よろしくお願いします。




地縁への不思議な気持ち

 先週は、仕事の関係で東京にいました。
 久しぶりの東京での週末なのに、天気が悪かったことと仕事が忙しかったので、ほとんど建物や部屋の中にいました。
 それに、オランダ帰りの時差ボケが加わり、気だるさの中での緊張感のない日々でした。

 近所の深川のスーパーで、娘がかつて下宿していた京都のマンションの近くで作られた京菓子を見つけました。何気なく見た製造者が、「大将軍」という住所だったのです。
 娘と一緒に、マンション探しに行ったことを思い出しました。さらには、引っ越しのことを、妻と学生生活の様子を見に行ったことを、そして、私がその近くの大学で講師をしていた日々を、一気に頭の中を映像が駆け巡ったのです。
 こんな時には、理由もなく買ってしまいます。不思議な心理です。
 この気持ちは、いったい何なのでしょうか。
 かつての地縁に引かれる心理が、よくわかりません。とにかく、懐かしさなのか、これも縁だと思うのか、その品物が手放せなくなるのです。

 奈良の平群には、生姜で有名な製造所があります。お寿司が好きな私は、パックに入っている生姜が平群のものだと、もう嬉しくてもう一つ買いたくなります。
 海外で見つけたお寿司のパックに、この平群の生姜が入っていた時には、嬉しさのあまり、どんな人が買うのか、しばし近くで見張っていました。嬉しくて、しょうがなかったのです。

 どうしたわけか、自分がかつていた所が商品の生産地や製造地として記載されていると、要らないものでも、どうしても買わずにはいられません。
 自分との距離を縮めようとする心理の一種なのでしょうか。
 懐かしさと今の状況を、それで埋めようとするのでしょうか。

 よくわかりませんが、不思議な気持ちに包まれる一時です。




2008年6月 8日 (日曜日)

ノートパソコンのバッテリが変形

 外で研究発表やデモンストレーションをしたり、旅先で情報を整理・入力する時に使うノートパソコンである、MacBook Proのバッテリーが、変形しているのに気づきました。

 どうもキーボードがグラグラして安定しないので、裏返してみて驚きました。


Ylapc92p_s裏側



 バッテリーが盛り上がっているのです。
 自分の目を疑うほど、バッテリーの渕が反り返っているのです。

 バッテリーパックを取り外してみると、こんな状態でした。


Cddfr_kx_s正面



Apjraots_s側面



 これは、普通ではありません。
 アップルのホームページを見たのですが、バッテリーの交換対象になっているのかどうか、よくわかりません。

 また、アップルストアへ行ってみます。
 このパソコンは、今年の3月に、ロジックボードの交換をしてもらったものです。
 同じマシンで、今度はまたまたトラブルです。

 今後の展開については、また報告します。
 とにかく、第1報ということにしておきます。




2008年6月 6日 (金曜日)

iPod の文字入力の問題点

 職場への通勤時間が片道1時間50分となり、電車の中での読書とテキスト入力の時間が増えました。
 
 本はよく読むようになりました。しかし、30分もすると、目が疲れてきます。電車の振動による影響だと思われます。

 目が疲れたら、しばらく休んだ後に、iPod touch にメモを入力します。これが、非常に役に立つのです。通信機能でパソコンにメモをおくり、それをパソコンで編集しながら仕上げます。また、データベースの基礎データは、無線でパソコンに転送した後に、すぐにデータベースなどに取り込めます。

 最近気づいたのですが、文字の入力ミスが目立つようになりました。特に、「A」と「S」の間違いが頻繁です。これは、左端にあって、よく使う文字だからだと思われます。


Nueow57z_sキーボード



 私は、多数の方々がなさっているローマ字入力ではなくて、カナ入力をしています。パソコンの草創期の仲間は、カナ入力派が多いのです。
 かつてはコンピュータのプログラムもやっていたので、アルファベット入力はできますが、考えながら入力する時には、やはりカナ入力です。特に、資料を見たり捲ったりしながら文章を入力する際には、片手で入力できるかな入力は非常に便利です。

 ところが、iPodは、ローマ字入力しかありません。
 私は、右手の人差し指でタッチパネルの文字を押していますが、しょせんはガラス面をタッチするので、押している感覚はありません。また、固い板のツルツルの表面を押しているので、文字を入力しているという感覚は伴いません。そのせいか、左端の文字が、よくズレルのです。

 この原因は、タッチ部分が小さいことに尽きます。もう少し幅があると、指からターゲットとなる文字を外すことはなくなるでしょう。

 今年の年末までには、iPhoneが日本でも使えるようになるようです。私も、その日を1日も早くならないかと待っている1人です。

 そのiPhoneの入力も、iPodと同じだそうです。
 今後とも、文字入力画面の検討を期待したいと思います。
 ことばを入力するのは、情報化社会では避けては通れません。そうであるならば、世界でも特殊な日本語の入力について、さらなる研究開発を進めていただきたいものです。




2008年6月 2日 (月曜日)

またもや欠陥品だったMac Book Air

 相変わらず、家電製品の初期不良に出くわしています。
 もうおなじみの、購入したら欠陥商品だった、という話です。

 今回は、超薄型のノートパソコンであるMac Book Airです。

 私のもとには、まともな商品が届くとは思っていません。特にパソコンは、もう20数年にわたって、入手する製品が次から次へと不具合のあるものが渡されるのです。
 嘘みたいな、本当の話です。
 最初からまともな商品を使える人が、正直言ってうらやましく思っています。
 またかという思いに、もう麻痺していますが、一応、またでしたよ、という報告です。

 購入して一週間あたりから、キーボードの上部あたりで異音がするのに気付きました。
 間歇的にチリチリと音がするのです。夜などは、相当気になります。

 ちょうど、キーボードの最上部にあるファンクションキーと呼ばれている所の,[F8]と[F9]あたりから、耳障りな異音が聞こえるのです。


Kt8oie7l_s初期不良だったMac Book Air



 またか、という感覚なので、すぐにいつも行く銀座のスポーツクラブの前にあるアップルストア銀座に、ネットで予約をして持っていきました。

 対応にあたってくださったジニアスバーの担当者は、起動後にすぐに発する異音を確認されました。そして、電話でその場所が冷却ファンがある所だということを、専門部署で確認しておられました。そして、結論は、購入した業者に返品交換してもらうか、ここで修理に出すか、ということでした。

 アップルストア銀座に修理に出すと、この製品を直すとのこと。ただし、業者に新品と交換してもらった方が……、というアドバイスをもらいました。

 そういえば、一ヶ月ほど前に、Mac Book Pro のロジックボード交換という、人間で言えば心臓移植手術に匹敵する修理をしてもらいました。もちろん無料で。

 現在リンナイのガスストーブが、異音を発生させるために、またまた修理に出ています。
 またまた、というのは、このストーブは,異音がするので一度見に来てもらい、その後また異音が出るので修理に出したのです。ところが、症状が確認できないとのことで、そっくりそのまま返送されて来ました。それも、あきれるほどいい加減な梱包で……。
 そして、我が家でテストとして電源を入れると,またまた大きな異音が発生します。いったい一ヶ月間も何をチェックしたのでしょうか。リンナイのいいかげんさには、ほとほと愛想がつきます。
 新品ですが、異音を発するガスストーブを捨てるわけにもいかず、またまた修理に出しました。あれからさらに一ヶ月が経過しています。リンナイからは、ウンともスンとも言って来ません。あちらで勝手に処分されていたら……、と思うくらいです。

 そしてアップルです。大好きな会社なので、というより、ウインドウズを使う気の全くない私にとっては、こうしていつも不良品を渡してくれるアップルには、早くまともな商品を渡してほしいと熱望しています。
 大多数の方々には、まともに動く商品が渡されているのでしょうが、こうして私にはいつも問題のある不良品が届きます。

 機械ものですから、粗製濫造とは言いませんが、何パーセントかは商品としては落第のものも混じることは理解できます。しかし、それが毎回私に届くことに、大いに不満を覚えていることは確かです。これまでに、初期不良ではなかった製品は、皆無に近いのです。

 いつも、新製品が発売されると、すぐに注文してしまうので、未完成品を手にすることの確率が高いのでしょう。そのこともあり、最近は、半年ぐらいしてから買うことにしています。それでも、私の所に届く製品は、いつも必ず不具合のあるものです。本当に不思議です。
 宝くじには当たらないのに、こうして欠陥商品にはほぼ確実に当たります。
 今回も、まともに動く商品であることを、必死に願っていたのですが、期待を裏切らずに、いつも通りの出来損ないでした。

 溜め息をつきながら、この薄いノートパソコンを、業者に返品しようと思い、これから連絡をします。

 私は、人との出会いには恵まれています。しかし、商品との出会いは、ハズレものばかり掴まされます。
 そんな運命のもとに生きているのでしょう。

 こんど、不具合のないまともな商品を手にしたら,それこそ一大事だと報告しましょう。



2008年6月 1日 (日曜日)

「ヒラギノ」フォントは京都の地名から

 月末になると、かならずパソコンの雑誌を買います。私は『Mac Fan』を、もう10年以上も読み続けています。バックナンバーは、ほとんど揃えています。

 今月号に、パソコンの文字の話が載っていました。
 ウインドウズは明朝体を基本とし、マッキントッシュはゴシック体が基本だそうです。これは、ウィンドウズが印刷の美しさを、マッキントッシュが画面に表示された時の美しさを考えての違いだそうです。

 また、ウィンドウズ・ビスタの新しいフォント「メイリオMeiryo」は、日本語の「明瞭」という音の響きのよさからの命名だとか。
 これに対して、マッキントッシュで一般的に使う「ヒラギノ」フォントは、京都市北区の柊野という地名からきているそうです。我が家の近くにある所ではないですか。
 「ヒラギノ」フォントは、平安時代のひらがなを意識したものだとも。
 マッキントッシュでは、「OSAKA」というフォントをはじめとして、関西が好きなようですね。

 ついでに色についても。
 画像ファイルをモニタに表示した時、ウインドウズとマッキントッシュでは同じものでも色が微妙に違います。これは、ガンマという、モニタのコントラストの設定の問題です。
 ウインドウズのガンマ値は「2.2」、マッキントッシュは「1.8」となっているそうです。これは、パソコンやモニタを購入した時に、マッキントッシュではかならず色調整をするので、よく知っていることです。
 色調整をしていない状態でのモニタの表示は、数値の大きなウインドウズではマッキントッシュに比べて、コントラストが強く,色が濃く、そして暗めに表示されるようです。色調整をする時に、この違いをいつも見ているので、改めてやはりそうだったのだ、と思いました。

 こうした違いを知ると,ますますウインドウズとマッキントッシュの背景に横たわっている文化の違いが見えて来ます。

2008年5月23日 (金曜日)

国文研の立川移転記念式典

 国文学研究資料館の立川移転記念式典が、本日盛大に執り行なわれました。


Oiutqbcf_s開会前



 祝賀会の合間には、國學院大學のみなさんによる雅楽が演奏されました。
 上は開式前の写真ですが、右側がそうです。

 文部科学大臣や冷泉貴美子さんをはじめとして、たくさんの祝辞をいただきました。
 私など裏方は、会場周辺を走り回っての雑務が多くて、会場内は見られませんでした。

 その後、展示室のオープニングセレモニーに移ります。
 先月の、京都文化博物館の源氏展でもそうだったように、今日もテープカットからはじまりました。


Eknxfgrd_sテープカット



 スタートとなる展示は、館蔵の貴重書による「移転記念特別展 よみがえる時−春日懐紙を中心に−」です。

 国文学研究資料館には、和歌、歌謡、物語、軍記など、古典の名作の数々約120点の貴重書が所蔵されています。その研究成果を盛り込み、日本人の「こころ」と「ことば」の世界を、親しみやすく紹介するものです。

 ■5月26日(月)〜6月20日(金)
 ■午前10時〜午後4時半(入場は4時まで)
 ■土日・6月9日(月) 休館
 ■入場料無料
 ■国文学研究資料館 新庁舎 1階展示室
  主催:国文学研究資料館 日本経済新聞社
  後援:立川市

 ■展示予定書目
  春日懐紙(懐紙25枚)
  大黒舞(絵巻)
  扇の草子(絵巻)
  十六夜日記(絵入写本)
  徒然草(古活字版)
  太平記(古活字版)
  宗安小歌集(写本)
  金春禅竹自筆伝書(写本)
  隅田川両岸一覧(版本)
  宇治製茶始末絵図帖(絵入写本)


 招待してお越しいただいた方々200名を、まずは館蔵名品展にご案内し、続いて書庫を見てもらいました。

 改めての祝賀会の会場内は、立錐の余地もないほどの盛会です。
 秋山先生も、祝辞のマイクを持たれました。


Lhhrg9xa_s秋山先生



 陽明文庫の名和先生も、いつものように元気なスピーチをなさっていました。


Larsoxri_s名和先生



 来週から、この名品展が一般公開されます。
 貴重な古典籍が展示されています。
 たくさんの方々に見てもらいたいと思っています。

 私の今日の大事な任務の一つは、来賓である秋山虔先生のお世話をすることでした。着かず離れずの距離を保って、無事にお見送りできました。
 先生からは、いろいろなお話を伺いました。いい勉強をさせていただきました。
 優しい言葉をかけてくださるので、いつも励まされます。


 展示室のこれからの予定は、私が担当する源氏展が10月4日から始まります。今後は、その準備に専念し、いい展覧会に仕上げていきたいと思います。
 今春、学芸員の資格をとったばかりなので、初めての実践となります。とにかく展示は、経験だけが力となるものだそうです。いろいろと不首尾は覚悟のことです。たくさんの勉強をさせてもらうつもりです。

 またまた、走り回るだけの日々が続きます。




2008年5月21日 (水曜日)

さざれ石のこと

 昨日、所用があって虎ノ門にある文部科学省と文化庁、そして日本郵政株式会社に行きました。
 そして、新庁舎である文部科学省の1階に、国家『君が代』で知られた「さざれ石」の展示物があるのを見かけました。


Atn3_0lx_sさざれ石の場所



 この『君が代』について、私なりの1つの持論を持っていますが、その詳細は後日にします。
 何分にも、今は職場の移転記念式典の直前であり、また、『源氏物語』の特別展の準備に奔走する中なので、じっくりと考える暇がないのです。
 最近は、とにかくすぐに忘れてしまうので、今日はメモとしての報告に留めます。

 近寄ると、こんな形をしていました。


0etf7iqj_sさざれ石



 その脇には、こんな説明板が建っていました。



2sycyark_s説明板




 この問題については、山田孝雄の『君が代の歴史』の確認から入るのがスタートだと認識しています。また、民間での「生石伝説」の意味を考える必要があると思います。
 私は、文献資料の確認から、この問題を考えて行きます。政治的な解釈とは異なるので、非常に文献実証的で論理的であると思っています。ただし、今はそれを考えてまとめる余裕がないので、とにかく、「さざれ石」を見かけました、ということの報告にします。



2008年5月18日 (日曜日)

角田先生のお通夜

 角田文衞先生が、先週水曜日の14日午後11時59分に、急性呼吸不全のためにお亡くなりになりました。この時間帯は、私がいつもプログをアップする時刻です。
 ちょうど、この日のこの時間には、「読書雑記(8)澤野久雄『失踪』」(http://blog.kansai.com/genjiito/285)をアップした時にあたります。
 また、父が5月15日に亡くなっているので、その日付の変わる時間が印象的でした。

 今日の夕刻、西九条のブライトホールでしめやかに行なわれたお通夜に行ってきました。
 記帳をした時に、すぐ上に京都府知事の名前があったので、参列者の幅の広さが伺えました。
 お焼香をすませると、そのまま流れるように散会するような方式だったので、会場にあまり長時間いたのではありません。

 広い部屋の一番後ろの隅に、角田先生のために尽力してこられた藤本孝一先生が、うな垂れたままジッとしておられました。一言だけですが声をおかけしましたが、黙考なさっていたのでお邪魔しないようにして、参会者の席に着きました。
 私の少し前には、角川学芸出版のKさんの姿が見えました。

 角田先生のご自宅がある下鴨中川原町へ伺ったのは、ちょうど一年前の春の盛りでした。
 古代学協会のNさんの運転で、藤本先生に連れられて、桜がみごとだという半木の道を見せてもらいながら向かいました。
 あの時は、まだ私はこの北山の地に住むとは思いもしない時期でした。漠然と、賀茂川の近くを探していました。それが何と、角田先生のお宅まで歩いて十分もかからないという所にいるのですから、不思議なことです。
 先生のご自宅には、大島本を国文学研究資料館の展示にお借りしたいということで、お願いとご説明に伺ったのです。耳が遠くていらっしゃいましたが、元気にはっきりとお話をしてくださいました。

 その折のことは、以下のブログに書きましたので省筆します。

「源氏千年(29)朝日「人脈記」3」
http://blog.kansai.com/genjiito/256

 
 お通夜に行く前に、京都市考古資料館に立ち寄りました。
 ここでは、「特別展示 紫式部の生きた京都」という催しをしていました。
 京都を掘り起こすことに功績のあった角田先生に関する展示でもあるので、いつもの自転車で行きました。


Fbu3mck__s考古資料館



Pfetztbl_s正面



 この展示は、天徳4年(960)に内裏が焼亡してから、万寿4年(1027)に道長が死ぬまでの摂関期を中心にした、紫式部が生きた時代の考古遺物としての出土品が見られました。いわば、『源氏物語』が描かれた背景とも言える出土品の約300点が展示されているのです。

 角田先生にお別れを言いに行く前に、少し勉強をしたことになります。
 これも、人との別れのありようの一つだと思っています。



2008年5月13日 (火曜日)

平城京から平安京へ遷都して1年

 昨年のゴールデンウィーク以降は、奈良の生駒から京都の北山への引っ越しに明け暮れていました。平城京から平安京へ北上するという、我が家だけの遷都をしたのです。

 5月12日に入居の契約をし、それから怒濤の荷物運びが始まりました。それも、引っ越し業者を使わずに、家族総出の大移動です。
 慣れないレンタカーの2トントラックの運転を、私が結局5回もしました。その間とその後にも、小さな自動車で小物をピストン輸送しました。片道2時間の距離を、20往復以上しました。

 家族みんなで1つのことをするのは、次は私の葬式でしょうか……。
 とにかく、みんなで大騒ぎをして取り組んだ引っ越しは、さらに1ヶ月以上も続きました。想像を絶する荷物の多さ。実は、いまだに運び込んだ荷物は、未整理のものがあります。私の本等は、大多数が書棚に突っ込んだままの状態です。必要になったものだけを取り出す、というのが実情なのです。

 あれからちょうど1年が経ちました。
 今は毎週末に、京洛を自転車で散策する日々です。
 頭の中の平板な平安京が、日ごとに千年の時空を超えて鮮明な映像に姿を変えていきます。自分の中で、ぬり絵や模型作りを気ままに楽しんでいる、と言ったほうがピッタリします。

 思い切って敢行した家移りでした。
 大変でしたが、その苦労は、今では楽しいものとして思い出されます。
 ほんの1年前のことなのに、昨年の今が懐かしく思い出されるのです。

 昨年は、桜を見る余裕はありませんでした。
 今年は、賀茂の桜を愛でる暇がありました。

 京都の季節や行事の移り変わりを、少し体が覚えてき出しました。
 特に、自動車を処分して自転車で街中を回るようになってから、たくさんの物が目に飛び込んでくるようになりました。同じ道でも、通るたびに発見があります。
 自転車でひと通り回ったら、次はさらにゆっくりと自分の足で歩いてみたいと思います。

 また1つ、老後の楽しみができました。

2008年4月26日 (土曜日)

モバイルノート

 新幹線の中でのことです。
 隣の人がノートパソコンのキーボードを叩き出しました。
 ちょうど私が iPod touch を取り出して、ブログのためのメモを入力しようとしていたところだったのです。期せずしてモバイル世代の新旧が並んだことになりました。
 隣の人はせわしなく両手でキーボードを叩いておられます。こちらは掌に載せたPod touch に、人差し指一本で文字を入力しています。
 モバイル環境が、確実に移行しています。時代が移りつつあることを実感しています。
 大きなノートパソコンを人前で広げる光景は、今後はますます減ることでしょう。
 私が最初に使ったノートパソコンは、エプソンのものでした。ボストンバッグのようで、重たいものでした。
 今のノートパソコンは、MacBookエアを筆頭に、薄くて軽いものになりました。先日、発注しましたので、届き次第に使い心地を報告しましょう。

 とにかく、PDAタイプの iPod touch は、究極のテキスト入力マシンではないでしょうか。
 かつては、カシオの腕時計で、文字が入力できるものがありました。私は、2種類の時計型文字入力リストウオッチを手に巻いていました。現在の携帯電話も、文字入力マシンと呼べますが、入力方式が前時代なので、私はほとんど使いません。携帯でメールはしませんので。
 今は、 iPhoneの日本上陸を、ひたすら待ち望んでいます。
 この分野へのソニーの再チャレンジを熱望しています。



2008年4月17日 (木曜日)

「ねんきん特別便」の結末

 何度か足を運んだ年金センターで、ようやく相談にのってもらえました。とにかく、いつも一時間以上の待ちだったので、この次にしようと諦めて帰っていたのです。

 さて、窓口で最初は身構えていたのですが、どうも話が違うのです。
 私は、大阪府立の高校教員時代の記録が消えていることに憤慨していたのですが、どうやらそのことではないようなのです。

 まず、消えていた14年分の共済年金については、それが平成9年以前のものなので、社会保険庁に引き継がれていないとのこと。これは、すでに聞いていたことです。そしてそれは、近い将来に私が年金の手続きをする時に、しっかりと加算されるのだそうです。
 社会保険庁の職員の方のことばなので、ほとんど信用できません。しかし、今はそう言われるのですから、これ以上詰め寄ることもできません。また9年後に、私が停年になってから、大きな問題となることでしょう。そのためにも、こうしてブログという媒体で記録を残しているのです。

 さて、今回私の年金で問題となっているのは、高校を卒業してすぐに新聞配達をしており、その期間が途切れていたために、確認すべき1人となったようだ、ということが、少しずつわかりかけてきました。

 高校を卒業してすぐに、私は東京に出て朝日新聞の奨学生となり、新聞配達をしていました。もっとも、仕事をしてすぐに十二指腸が破れたのです。十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎、というのが病名でした。
 朝刊の配達を終え、食事をしてから自分の3畳の部屋に戻った時でした。すぐに突然腹痛が起こり、間もなく意識がなくなりました。幸い、お店の人の迅速な対応により、緊急大手術となり、胃腸を切除して一命を取り留めました。
 3月1日から始めた仕事でしたが、5月に病院を退院するとともに大阪の自宅に戻り、10月まで自宅療養をしていました。体力と傷が回復した10月に再度上京して配達の仕事を続けました。ところが不運は続くもので、1年半後のお正月に、住み込みで働いていたその新聞販売店が火事になったのです。大阪から持ち込んでいたすべてを無くして、焼け出されました。ちょうど、私の成人式の数日前でした。しばらくして、新聞配達の仕事を辞めることとなりました。

 そんな中で、朝日新聞社は年金の手続きをして、私の給料から払っていてくれたようです。その記録が、今回姿を現した年金記録の中にあったようです。私の名前と生年月日によって、関連資料として本当に偶然、発掘されることになったのです。
 あんなにいいかげんな社会保険庁なのに、勤めていた会社がしっかりしていたこともあり、学生時代の一時期の年金記録がどこかから出て来たのです。そして、それが私と結びつく可能性がある、ということで、今回の「年金特別便」として連絡があった、ということなのです。

 つまり、私も知らなかった年金記録が、偶然にも今回の騒動の中で転がり出て来た、ということなのです。

 これによって、私の年金記録に21ヶ月分が追加されることになりました。社会保険庁のでたらめな仕事のおかげで、こんな記録が出て来て、それが私のものとして認められたのです。嘘のような話です。
 まだ宙に浮いたままの方々も、一日も早く問題が解決することを祈ります。とにかく、相談センターに足を運ぶことに尽きるようです。そして、対応してくれた方が、物わかりのいい人であることを祈るだけです。

 私の場合は、これで無事に終わったかのように見えます。しかし、これは今、記録が結びついただけであって、実際に年金の支給を受ける時になると、またでたらめなことがたくさん見つかることでしょう。立ちふさがるであろう大きな問題の前に、ささやかな地ならしとしての突貫工事がなされた、という理解をしています。

 日本の福祉行政は、本当にお粗末であることを知りました。
 情けない思いの中で、先行きの不安を確信に近いものにするような今回の一連の出来事だった、と思うようになりました。



2008年4月11日 (金曜日)

JR中央線ストップ

 JRの国分寺駅で変電所の火災があり、中央線が全線ストップとなりました。
 私も、このトラブルの被害にあいました。

 今日は、午前中は六本木の国際交流基金へ行く用事があったために、いつものようにJRを使った出勤ではなくて、地下鉄で溜池山王まで行きました。
 厳重な身分チェックを受けて20階へ上がったところ、行き先の図書室が何と閉室なのです。昨日来、ホームページで確認したはずなのに、これには気づきませんでした。
 今日は、インドで『源氏物語』の翻訳をした本を、直接調査する予定でした。

 せっかく来たので、一つ上の階の「日本研究・知的交流部」の方に今後の協力をお願いする意味もあって、面会を求めました。以前、その方の前任者がシリアへ出向なさり、後任の挨拶を受けていたので、それ以来のコンタクトです。
 お願いに快く応じてくださり、またインドの本の調査にも協力してもらえることになりました。人とのお付き合いは大切にしておくことを、今回も痛感し、感謝しています。

 国際交流基金が今月末に、赤坂から新宿に移転するのだということを聞きました。すでに発表になったばかりとのことで、基金が慌ただしい事情が了解されました。
 私の職場も、今月から立川でオープンしたばかりなので、引っ越しの苦労が思いやられます。そんな中を、突然のお願いにもかかわらず、わがままなことを快諾していただいたのです。ものごとには、いろろいな事情がありますので、今後のその結果はともかく、話を聞いてくださっただけで有り難く感謝しています。
 移転に伴い、本の搬出が大変な折に、本当に恐縮します。もう少し早く足を運んでいれば、と思いましたが、それでもこうして話を聞いてくださる仲間がいるだけで、救われる思いがします。

 地下鉄の六本木一丁目から四ツ谷に出て、JRに乗り換えようとしたところ、今朝からの火災のトラブルがまだ続いていたのです。
 今日は立川の職場で、総合研究大学院大学の新入生のオリエンテーションがあります。職場である国文学研究資料館は、博士後期課程だけの大学院大学を持っています。文学博士を育てることも、仕事の一つになっているのです。私に関わることもあったので、どうしても出席しなければなりません。
 事務の方に電話で確認すると、午後1時半からの予定を3時からに変更した、とのことです。ちょうど12時だったので、駅員に立川へ行く方法を聞いて、とにかく向うことにしました。

 JRの総武線で四ツ谷から新宿へ行き、新宿から京王線で高幡不動へ出ます。初めての経路です。そこからモノレールに乗り、高松駅まで行くことになりました。何やかやで2時間以上かかりました。
 何とかオリエンテーションに間に合い、学生との打ち合わせをして、雨の中を帰路につきました。
 ところが、6時ころでもまだ電車は混乱していました。
 JR中央線は4割の運転だというので、とにかく走っているならば時間はともかく、1本で行こうと思ったのが間違いのもとでした。各駅で長時間の発車待ちです。前に電車がつかえているからです。
 痺れを切らして、阿佐谷で総武線に乗り換えました。それでも大変なので、お茶の水でまた中央線に乗り換えたのですが、これが大失敗でした。
 とにかく何とか東京駅についたのですが、実に3時間の長旅でした。
 非日常の事態に下す判断は、年とともにガックリすることが多くなったように思います。今日も、その最悪のパターンでした。臨機応変に的確な判断で行動することは、現代社会では生きる知恵に値します。その運用能力を、これからの人は身に付ける必要が大いにあります。

 金、土、日と関西で仕事があるために、東京駅からすぐに新幹線に乗りました。そしてそれから3時間を、またまた車中で過ごすこととなりました。

 いやー、疲れました。無事に用件はこなせたので、これでよしとします。
 疲れだけは、時間が解決してくれるのですから。


2008年4月 3日 (木曜日)

消された年金記録の報告(続)

 送られてきた「ねんきん特別便」に記されていた電話は、いつかけても通じません。
 しかたがないので、立川にある年金相談センターへ行きました。
 待ち時間が1時間以上とのことなので、結局は受付の男性と立ち話をして帰りました。

 平身低頭の対応でした。
 気の弱そうな方だったので、国民の感情を逆撫でしない、同情を誘うような職員を配置したのでは、と思わざるをえません。
 ただし、年金に関する知識は十分にある方でした。
 いつぞや奈良の拙宅においでになった、わけもわからずに外回りをさせられた、にわか仕立てで急ごしらえの社会保険庁の職員とは違っていました。きちんと説明できる職員がいるのですね。
 もっとも、市民への対応をしているうちに、耳学問で少しずつ知識が蓄積されたから、ということも考えられますが……。

 私の14年分の年金が消えていることについて、平成9年以前については共済年金との統合がうまくいっていなかったことを認めた上で、ある程度は丁寧な説明を聞くことができました。この説明がどの程度正確かは、後日わかることでしょう。

 なぜそのようなことになったのかは、理解できませんでした。一言で言えば、社会保険庁の仕事がでたらめだったのですが、なぜそんな不真面目な仕事が何十年もの間、平然と行われていたのかです。というより、書類を放置しておくだけで、なぜ仕事をしなくてもよかったのでしょうか。

 厚生年金や国民年金は社会保険庁の管轄だったそうです。しかし、私の場合のように共済年金加入者は、平成9年以降に社会保険庁のデータに一本化されたのですが、その時に記録が継続されなかったために、宙に浮いてしまったそうです。
 これも、どこまで本当の説明なのか、後日わかることでしょう。

 それでは、今、私は何を、と聞くと、とにかく窓口で相談を、ということだったので、昨日はそのまま帰りました。また、後日行くことにします。

 今度行ったら、残念だがもう受付期限を過ぎたので、おたくが支払った14年半分の年金は無効として処理された、と言われそうですね。
 できるだけ近い内に、冷酷に切り捨てられない内に行きます。
 とにかく、何をするかわからない組織が相手ですから。

 日本って、こんな国だったんだ、と改めて知りました。
 海外の方々は、日本という国の仕組みや組織を絶賛されますし、私もそれは誇りの一つでした。しかし、今回の我が身に降り掛かった件で、大いに失望しました。
 これからの若い人たちのためにも何かをしなくては、とは思うのですが、今は何ができるのかが見えて来ません。

 これも、平和大国日本の一面であることを、実感させられています。



2008年3月30日 (日曜日)

隣からの騒音への対処

 我が家の隣は、新築のオープンハウスとなっています。その家のエアコンが我が家との狭い隙間にあるため、その室外機のコンプレッサーの音が響いて困っている、ということを伝えに行きました。2月上旬のことでした。
 対応に出られた不動産屋の方と10分ほど話しました。
 こちらから話したことは、以下の通りです。



・家との狭い境目にあるエアコンの室外機が響いてうるさく思っていること。
・エアコンのスイッチが入るたびに、いわゆる町の工場のような音に包まれる。
 特に室外機がある周辺の、台所・洗面所・お風呂場・トイレ・2階の各部屋で。
・夏場からそうだったが、一冬越して様子を見てと思って今日まで来た。
・しかし、やはり我慢の限界だと思って、こうして実情を伝えにきた。
・家が売れて新しい居住者が入って来られると、夜もうるさくなる。
・今のうちに対策がないものかと、こうして理解を求めに来た。
・室外機を家の前か後ろに変更してもらうと、我が家への騒音は減るのではないか。
・快適な居住空間を求めて奈良から転居してきたので、よりよい環境で生活をしたい。
・我慢の日々を強いられたくはない。



 などなど、相手方に理解を求めて実情を伝えました。
 問題が微妙なことなので、言葉と表現には気を使いました。
 住宅地での騒音についてのトラブルは、難しい要素を抱えていることを知っていましたので。

 相手の不動産屋の男性は、次のような対応をなさいました。



・うるさくしようとして、音を出しているのではない。
・近所を見ればわかるように、京都の家は隣とが密集している。
・みんなそれなりにエアコンの音はする。
・特にお宅との境目は狭く、そこに室外機があるために、余計に響くのだろう。
・2階が特にうるさいのは、そのためかもしれない。
・メーカーが定めた基準値でエアコンが作られている。
・しっかりとした工事で設置しているので、動かすことはできない。
・動かすにしても、工事を伴い、費用がかかる。
・家の横に2台(後で1台と変更)の室外機が、そして裏に2台ある。
・お互い様なので、お宅が我慢するしかないのではないか。
・市なり町なりに相談に行けばいい。
・うちとしては、どうしようもない。
・普段ここにいるが、エアコンを使うのは極力控えている。
・寒いのでエアコンを使っているが、夕方には切って帰っている。
・決まりで、ガスがまだ使えないので、今はエアコンしか暖房がない。
・家が売れて新しい人が入ったら、ガスによる床暖房などを使うはずだ。
・そうすると、一日中うるさくなることはないはずだ。
・今日あなたの話は聞いたが、私には何もできない。
・とにかく、うるさくても、我慢してもらうしかない。



 これに対して、私からは、「エアコンの使用を控えるということと、その音がうるさくて迷惑を被っている」、というレベルの問題とは、それぞれを切り分けて考えるべきだと言いました。
 そして、



・我慢するしかない、とのことだが、我慢の限界はおのずとあるので、これ以上ややこしくなることを避けるためにも、今日こうして現状を伝えに来たものである。
・おそらく、我が家がお宅のエアコンの騒音で迷惑を被っている、ということをあなた方はご存知ないと思われるので 、まずはそのことを伝えたかった。
・何か対策を講じたいとの思いから、こうしてお知らせに来た。



ということを確認して、その日は帰りました。

 結局は、とにかく、先方としてはどうしようもないので、我慢してくれ、と言うしかない、とのことでした。
 私としては、何か対策を考えませんか、と、一応問題の対処を投げかける形で帰ってきました。


 それからひと月ほどした3月の中旬のことです。
 車を処分した後の駐車スペースを花壇にするために手入れをしていたところへ、隣の不動産屋さんがフラリと立ち話に来られました。そして、お宅との家の間に置いていた室外機を移動することになるはずだ、と言われました。
 確かに、午後に電気屋さんの車が止まっており、それ以来、隣からの騒音はなくなったように思われます。
 燐家からの指摘は無視できないと、会社側は思われたのでしょう。売れてしまってからのトラブルも避けたかったこともあるでしょう。とにかく、一件落着です。

 困っていたら、そのことをまずは相手に伝えることが大事だと思います。
 今回は、何とか対処してもらえました。しかし、いつもこうは行かないと思われます。
 一方的に迷惑を被る場合には、なおさら相手方は動いてくれないことが多いでしょう。今回の場合も、最初はそうだったのですから。
 相手方に痛みがない場合には、豊かな想像力がないと、自分が与えている苦痛の意味はわからないのです。

 自分が被害に遭っていることを相手に伝えるのは勇気がいります。
 しかし、我慢しつづけるのも、よくないのです。
 ハースバイケースですが、微妙な問題には、とにかく実情を理解してもらう努力は必要だと思います。
 ささやかですが、一例の報告です。




2008年3月27日 (木曜日)

通勤電車内でライターを点火する女性

 今日の通勤途上での出来事です。
 東京駅から乗った、中央線の高雄行きの電車内でのことです。

 座って、立川までの50分の読書タイムを始めた時でした。向いの席に陣取った一人の女性が、やおらお化粧を始めました。その身振りなどが派手だったので、読んでいた本越しに、いやでも気になって見えるのです。

 見るからにブランド物のバッグの中を、ジャラジャラと掻き回していました。ガチャポンの中のプラスチックボールを混ぜ合わせるという表現がピッタリです。
 お化粧をするためには、いろいろな小道具があるのですね。取っ替え引っ替え、小物を取り出しては仕舞い、摘み出しては投げ込んでいるのです。

 かれこれ20分くらいしてからでしょうか、付けマツゲを取り出したかと思うと、やおら左手に100円ガスライターを持ち、何をするのかと思いきや、走行中の車中であるにもかかわらず点火したのです。
 ボッと、彼女の座席で小さいながらも火柱が上がりました。そして、その炎を見つめながら、周りの気配に頓着することもなく、付けマツゲを近づけて、それを焼き始めたのです。そして、焼いたマツゲを、自分のマブタに貼り付けているのです。
 化粧に詳しくないので、何をどうして焼いたのかはわかりません。
 私のマツゲは、長くて上に反り気味にカールしていて、マッチ棒が3本以上乗ります。目の前の女性のマツゲは、短いのでしょうか。黒々としたものが、目の縁に付けられました。
 何やら気持ちが悪くなったので、視線を意識して本に落としました。

 それにしても、通勤電車の中でライターを点火する神経が、もう私にはわかりません。
 こんなわからないことの多い社会で、何とか適応しようと思って生きていますが、これには正直言って、朝っぱらからドッと疲れました。

 世界中経巡っての個人的な感想は、とにかく日本は地球始まって以来の平和な国になっている、ということに尽きます。こんなに平和な国が、この地球上にあっていいのか、と思うほど、海外の国々の人々は疲れています。
 もっとも、日本に原爆を落として無差別大量殺人をしながらも、自分たちは正しいことをしたと言い張る脳天気なアメリカは、ある意味で地球最大の不幸と差別と貧困が渦巻く国と脱していますが……。

 それはさておき、日本が平和を謳歌している現状は、これでいいのでしょうか。平和平和とお題目のように唱えて、それを実現したことは偉大です。しかし、その結果として日常的に目にする若者の生態は、平和を目指した結果とすると、はなはだ疑問に思われる節もあるのではないでしょうか。

 最近私は思うのです。何も考えずに平和平和と唱えることが、果たして本当にいいことなのでしょうか。平和を唱えてさえいれば安心感を得られると言う心理には、何かごまかしがあるようにも思えます。平和の行き着く先に到達した感のある日本にいるからこその、贅沢な感想かも知れません。
 もちろん、苦しいことの多い国では、平和が望まれます。しかし、その平和も、行き過ぎると、何がいいのかがわからなくなる、というのが日本の現状が見せつけているように思います。

 何事も、度が過ぎるとよくないのです。
 ほどほどの平和な社会を改めて考えてもいいのでは、と思うようになりました。




2008年3月25日 (火曜日)

「ねんきん特別便」を受け取って

 私には来ないだろうと思っていた「ねんきん特別便」が届きました。
 それも、今年の1月18日に作成したものが、2ヶ月以上もかけて届けられたのです。郵政公社(今はどういう資格で郵便業務をしているのでしたっけ?)も、のんびりしたものです。
 封筒の中には、こんな紙が入っていました。
 一見して仰天しました。何といいかげんなことか … 。



Uh3q9blm_s年金記録




 社会保険庁にあるこの私の記録では、2ヶ所で年金を支払っていたことになっています。
 この記録に関する限りは、間違いではありません。
 しかし、ここに記載されている2ヶ所の前に、もう1ヶ所で仕事をしていました。それが欠落しています。それも、14年半も勤めたところが、そっくり抜けているのです。
 これでは、私が年金として支払った14年半分の保険金は、社会保険庁の職員の方々の遊興娯楽費のために寄付しただけのことになります。彼らは、私のお金で遊んだことになります。正確には、私が支払ったお金を気分転換のために使ってしまった、ということなのでしょうが … 。

 私は、昭和53年4月から昭和62年3月まで、大阪府立の高等学校で正規(?)の教員をしていました。困難校と言われるところで、いろいろと苦労をしました。毎年、100人以上の生徒が退学していきました。毎日、家庭訪問に明け暮れていました。毎夜遅くまで、テニス部の指導をしていました。その勤務実績が無視されています。
 新設時の高校に9年間勤務し、引き続き、 昭和62年4月から平成 3年8月まで、もう一つの府立高校へ転勤して教壇に立っていました。その時の教え子の一人が、今は源氏絵を描いています。
 この14年半の仕事が、この年金記録ではスッポリと抜けているのです。事実を証明することは、私の場合には簡単だと思います。しかし、なぜこんなことが抜け落ちているのでしょうか。年金を支払っていたという事実確認よりも、それが問題です。
 社会保険庁は何をしていたのか、何をしているのか、ということです。

 公立高校の教員として在職していた期間に給料から天引きされて支払った年金は、今となっては無効だ、とでも言いたいのでしょうか。
 私が大阪府の教員に採用された時に、事務の方が私の年金の登録をし忘れていたのでしょうか。それとも、私が私立大学の教員として転出した平成 3年9月に、大阪府の担当職員が継続の手続きをしなかったのでしょうか。今でこそ大阪府は破産寸前ですが、大阪府立の高校はまだ倒産していません。私が2つ目に勤務した高校は、今は他校と合併しましたが、記録は残っているはずです。私の勤務実績は、調べればすぐにわかることでしょう。
 比較的確認しやすいと思われる公務員でも、こんな状況です。社会保険庁の資料では、こうしたことが消失していて確認できなかったとは、なんとも杜撰な記録に基づく加入確認作業だと言わざるをえません。

 会社などは、すでに倒産・廃業している所も多いと聞きます。そのようなところに身を置いていた方々は、もっと悲惨な確認書類を受け取っておられるのでしょうか。

 早速、社会保険庁に連絡をとりますが、勤務実態を証明するのは、私のすべきことなのでしょうか。
 私は物持ちがいいので、認定されていないあの頃の給与明細書や辞令は、すぐにいつのものでも提出できます。
 しかし、当面は社会保険庁に調べさせようと思います。
 自分たちがやった出鱈目な事務処理が発端なのですから。
 学校を卒業してすぐの年から平成 3年9月まで、私がどこでどんな仕事をし、保険金をどう支払っていたのかは、平成 3年9月に勤務を開始した職場に問い合わせれば、台帳がどうなっているのか判明すると思います。
 おそらく、私が転職したために、社会保険庁の書類が追跡不可能になったのではないでしょうか。
 社会保険庁のシステムが、「地方公務員共済→私学共済→国家公務員共済」と移動していることに対応できなかったようです。倒産・廃業の可能性の低い職種でこうなので、社会の変動に左右されやすい中小の企業に勤めておられた方々は、どのような記録になっているのか、暗澹たる思いがします。

 自分が年金記録の消失した5,000万件の内の一人だったことに、驚きとともに不信感を倍増させました。ニュースが、他人事ではなくなったからです。

 社会保険庁の職員は、廃止までの秒読み期間も、定年退職金の満額計算に終始せずに、少しは仕事をすべきだと思います。

 昨春、まだ奈良の平群にいた時、娘の年金のことで奈良の社会保険庁の方が、ノコノコと拙宅にお出でになりました。旧国営企業を定年退職してすぐに、何もわからないままに社会保険庁の奈良に雇用され、何も事情を調べずにトンチンカンな年金確認に来られた、あの方を思い出します。
 妻と共に対応した私たちは、娘の英国留学にともなう社会保険庁の対応の出鱈目さを、こちらが説明し、その時の訪問がそのことをまったく知らずになされたことを、厳しく非難しました。臆面もなく、ということばがピッタリの出来事でした。何も知らずに来て惨めな思いをされたあの方は、今は何をなさっているのでしょうか。
 きりがないので、このことは後日にしましょう。




2008年3月21日 (金曜日)

東京駅でダイビング

 ディズニーランドへ東京駅から行った方はご存知のことだと思います。
 京葉線の東京駅というのは名ばかりで、実際には有楽町とか銀座の近くにあります。
 長い長い東京駅の乗り換えにうんざりした方は多いことでしょう。

 その京葉線を、先月から通勤で使っています。

 宿舎を出て徒歩5分で京葉線の電車に乗ります。そして、乗車5分で東京駅に着くのですが、そこからがエクササイズの開始となります。

 エスカレーターを5機、そして、ムービング・ウオークを3本乗り継いで、やっと中央線のホームに辿り着きます。
 最後のエスカレーターは、下から見上げると、脚が竦みます。高所恐怖症の私には、本当に不気味な移動手段としてのノリモノです。
 ロシアのモスクワの地下鉄は、地底まで降りるのかと思うほど深く潜っていました。それも、薄暗いのでなおさらです。
 東京の場合には、そこまでではありません。明るく照明もしてあるので、暗さは感じません。しかし、見上げても、到着地点が見えないので不気味なのです。

 京葉線から中央線への乗り継ぎに10分はかかりません。しかし、自然と脚は競歩の様相を呈してきます。早く一歩でも前に進んでおきたい、という気持ちが働くのです。みんな、黙々と歩いています。その様子を写真に撮りたいのですが、みなさん真剣なので憚られます。

 地底からビルの屋上へと、それこそ一気に駆け上がることになります。スキューバダイビングでいえば、体内の空気圧の調整をしながら、ゆっくりと上昇と下降をするところです。東京駅が水中ではなくて、空気の層なのでよかったと思います。耳の空気抜きをしなくてもいいのですから。

 ようやく中央線のホームに出ると、次は立川行きの電車に乗り込みます。始発なので必ず座れます。ここからが、私のプライベートタイムです。本を読んだりメモをしたり。最近は、iPod-touchに文章を入力しています。
 この東京から立川までの一時間ほどの充実した時は、京都と東京を往復する時と共に、私にとっての仕事の空間であり、くつろぎのひとときでもあります。
 立川からモノレールで1駅。そして歩いて10分弱で職場に到着です。
 これが私にとって平日の、2時間ほどの小旅行となっています。
 週末の新幹線の旅とともに、日々が電車の移動を軸にして進んでいるのです。

 中央線は、学生時代の思い出の駅駅があります。
 これからは途中下車をして、35年前との変化を楽しみたいと思います。




2008年3月19日 (水曜日)

誇るべき日本語「お役にたてなくて … 」

愛用の時計を修理に出しました。突然、止まったからです。
この時計は、7年半前にスイスで買ったものです。
昨年の夏(2007年7月12日)に止まった時には、ロフトで見てもらいました。その時の様子は、以下のブログで報告しました。

http://blog.kansai.com/genjiito/19

 息子とスイスへ行った時の、自分への土産として買った思いでの品です。CANDINOという無名の会社のものですが、とにかく不思議なほどに正確な時計でした。

 使い続けたいので修理をしてもらおうと思い、立川の伊勢丹へ持ち込みました。確りした時計店で、丁寧に見てもらいたかったからです。
 持参すると、いかにも経験豊富という年配の方が対応してくださり、すぐに方位磁石にかざし、磁石の針が大きく振れることを確認されました。こんなに針が触れる時計は見たことがない、とのことでした。まさに、時計が磁石と化していたのです。
 ということは、私の身体が磁気を発しているのでしょうか。それが溜まりに溜まって、こんなに磁気を帯びてしまったのでしょうか。

 そういえば、最近はドアに触れるたびに静電気が起きるので、除電する小物を身に付けて、金属を触る前に電気を逃がしています。私が触ると機器が狂う、と思われているのは、この辺りに原因があるのでは、と本当に思ってしまいます。ただし、私は電磁波測定器を持っていますが、それでは何も変化がありませんので、よくわかりません。

 時計売り場の担当の方には、とにかく修理の見積もりをしてもらうことにしました。最低でも1万5千円前後になるとのことでしたが、理由も知りたかったのでお願いしました。
 これまで、毎日正確に時を刻んでくれた時計に対する、感謝の気持ちからでもあります。

 2週間後に連絡があり、修理費用は1万7千円とのことでした。そして、中の部品が相当サビを生じていて、修理をしても防水機能は望み薄であることと、動かせても数年持つかどうか、ということでした。
 それを聞いて、私はすぐに新しい時計を京都の時計店で購入しました。

 今回の時計はシチズンの普通のものなので、特にどうということはないものです。しかし、とにかく軽いのと、ソーラーパネルで充電するタイプで、日付と曜日もわかるものなので、これにしました。文字盤が夜でも見られる蛍光板だったことも気に入りました。
 写真の左側がこれまでの時計で、右が今回新たに購入したものです。



Jzgfqjgc_s2つの時計




 今日、修理することを断念した時計を受け取りに行きました。そして担当の方は、いろいろと詳しく説明してくださいました。希望が持てない状況を伺った後、時計の管理についても教えてくださいました。
 車に車検という定期点検があるように、時計も3、4年毎に点検すべきだそうです。毎日頼りにするものなので、なるほどと思いながら、丁寧なアドバイスを伺いました。
 そして、見積もりにかかる費用は不要だとのことでした。
 ロフトといい、伊勢丹といい、利用者にとってはありがたい対応です。お店としての信頼を勝ち取る意味でも、いい方針だと思います。

 そしてお世話になったお礼を言って帰ろうとした時に、対応してくださった方は、

「お役にたてなくて申し訳ございませんでした。」

とおっしゃったのです。
 私は、この言葉の美しさに感激しました。なんと相手の気持ちを思いやった、すばらしい日本語ではないでしょうか。日本人として、このような人間関係を円滑にする言葉を、それも自然なコミュニケーションの流れの中で口にできる方がいらっしゃることを、誇りにしたいと思います。
 「お役にたてなくて … 」という言葉は、相手の失望や落胆を和らげる、暖みと思いやりと心配りのある表現です。このような日本語を、マニュアルにあるからではなくて、臨機応変にさりげなく上品に使っていきたいものです。



2008年3月13日 (木曜日)

皆で使える無線LANの公開

 「FONコミュニティ」というものがあります。私は、これに最近参加しました。
 iPod-touchを使い出してから、街中で無線のアクセスポイントを探し回るようになりました。そして、無料で利用できるポイントが、なかなか見つからないのです。そんな時に、WiFiルーターのLa Foneraというものを知りました。

 FONというのは、世界最大級のWiFiコミュニティと言えるでしょう。FON はWiFiを世界中に無料で広げようとするコミュニティです。そのFONコミュニティのメンバーのことを、Fonero(フォネロ)と呼びます。このフォネロが世界各地で無線サーバーを立ち上げ、無線のアクセスポイントを至るところに設置できれば、無線はさらに便利になります。WiFi接続を世界中で可能にすることは、意義のあることです。

 現在はまだその登録ユーザーが少ないために、WiFi使用が可能な範囲は、まだまだです。しかし、地道に登録ユーザーが増えれば、無線の環境は飛躍的によくなります。

 このFONは、無線のLAN接続ポイントを、ユーザー同士で共有して利用すると所が画期的です。

 このユーザーになるためには、専用の無線LANルーター「ラ・フォネラ」というものを購入して設置することから始まります。


 http://maps.fon.com/index.php?lang=jpCa2o4rid_sフォネラ



 私は、この道具を、大阪駅北口にあるヨドバシカメラのさらに北にある、「ツクモ電気」で買いました。ここでは、定価1980円の「ラ・フォネラ」が、千円で買えるのです。

 早速、京都の自宅に設置しましたので、賀茂川を散策なさる折にでも、拙宅の無線LANをご自由にお使いください。私も、いろいろなユーザーが公開されているアクセスポイントを利用させていただきます。

 興味のある方は、以下のホームページをご覧ください。

http://www.fon.com/jp/info/whatsFon

 また、自分が住む街では、どこでアクセスポイントが公開されているかを、次のホームページで知ることができます。

http://maps.fon.com/?lang=jp

 実は、私の家にもこのアクセスポイントが設置されていることが、上記ホームページで確認できます。これはもう、みんなの助け合いなのです。

 一緒に、無線LANを利用しあう仲間になりませんか。
 自分の無線アクセスポイントを公開する代わりに、他人のアクセスポイントを貸してもらえるのです。皆で利用しあうネット接続のポイントだと思えばいいのです。

 プライベートな家庭内と、他のFONユーザーとの共有用のアクセスポイントが使い分けられるので、本当に便利です。

 みんなで便利な通信環境を確立するためには、営利企業に任せきりのままではいけないと思います。皆で、「FONコミュニティ」を、というところに、大きな魅力があるのです。



2008年3月11日 (火曜日)

春の美術展「白いろ黒展」

 源氏絵でがんばっている植村佳菜子さんが、仲間と作品展を開催します。
 題して「白いろ黒展」。

Shwuadqq_s案内状


 場所は、京都市役所の北にある「ギャラリー a」。
 期間は、今月の25日(火)から4月6日(日)までです。

 こんな作品のようです。

Qy5oz9_c_s作品



 抽象画ということで、私には何度見ても (?) ですが、よろしかったら立ち寄ってみてください。


2008年3月10日 (月曜日)

仮死状態のノートパソコン

 ウンともスンとも言わなくなったノートパソコン(MacBook Pro 17inch)を、アップルストアで見てもらいました。

Tobimtsc_sMacBook Pro


 しかし、対面窓口であるジーニアスバーのカウンターでは生き返らず、奥の部屋でメモリを外すなどをして蘇生を図ってもらうことになりました。しかし、それでもだめでした。

 理由は、ロジックボード(一般的にはマザーボード)が壊れているとのこと。
 これは、電子回路の基盤で、コンピュータの基幹部分です。これが壊れているために、電源からして入らないそうです。私が一体何をしたと言うのだ、と訴えたかったのですが、それも無意味なことです。何でも、壊れる時には壊れ、死ぬ時には死ぬのですから。
 打つ手は、と聞いても、ボードの交換しかないだろう、と。
 ハードディスクは壊れていないと思われるので、データは助けることができそうです。しかし、それでも10日ほどはかかるそうです。
 私がよくやる、分解して部品を取り出すことも考えたのですが、一度個人で分解すると、補償の対象から外れるそうです。ハードディスクだけでも取り出して、データを大至急吸い出したいのですが、とにかくボード交換という大手術以外に手はないので、後々のことを考えると、ここはジッと我慢のしどころのようです。技術的には、私の手で何とかできても、それでは後が面倒になるだけなのです。

 修理代金が5万円以上とのことなので、考え込んでしまいます。
 このノートパソコンは1年半前に購入したもので、メモリを2ギガバイト積んでおり、その他いろいろとオプションを着けているので、40万円ほどのハイスペックなマシンとなっています。その修理費が1割ほどなので、そんなものかとは思いますが、一度壊れたものはその癖をズッと引きずることが多いので、直すかどうかは思案のしどころです。

 人間もそうですが、パソコンもいつかは壊れるものなので、ハードウェアにあまり未練はありません。しかし、壊れる直前までに作成していた文書は、1日も早く取り出したいものです。

 めったにないと言われることが、またまた私の身に起こってしまったのです。
 本当に、機械運がわるいな、と納得の日でした。



2008年3月 9日 (日曜日)

またパソコンが休眠

 パソコンとの付き合いも20年を超すと、突然のトラブルにも動じなくなります。

 京都の自宅で使っていたノートパソコンが、どうしたわけか死んだフリをしています。
 溜まりに溜まった仕事で、いろいろな文書を書いていた時のことでした。コーヒーを飲むために台所へ行き、そして戻ってきた時に、愛用のパソコンがスリープ状態になっていました。今日はやけに早く休んでいるな、と思い、スリープを解除しようとしたのですが、ウンともスンとも言いません。いろんなことをした揚げ句の果てに、どうしようもなくて諦め、パワーボタンを長押しして強制終了しました。
 そして、やおら再度電源を入れたのですが、ハードディスクにアクセスをしません。つまり、パソコンのシステムが起動しないのです。

 それ以降、何度も電源を入れるのですが、まったく動かないのです。

 半日かけていろいろなことをしましたが、永の眠りについていると判断する以外にありません。修理に出すことで、それ以上の対処は放棄しました。

 今日は幸運なことに、席を立つ前に、それまで作成していた文書を保存していたのです。
 これまでに幾度となく、作成途中の文書をパソコンの不調で復活できなかったことを、いやというほど体験しています。先週も、先々週も、大事な文書を、2度も失い、思い出しながら何とか作り直しました。
 あほらしい、という思いで書く文章なので、ないよりもまし、という程度のできであることは、自分が一番よくわかっています。

 その点だけでも、今日は被害がハードウェアだけだったのでよしとしましょう。

 急遽、もう使わなくなったパソコンを取り出して、こうしてブログを書いています。

 まだまだ完成していない情報文具を相手に、今後ともこうした臨機応変の対処を求められるのでしょう。
 パソコンのない生活は、というより社会は考えられないので、依存し過ぎないように心がけながら、適当に付き合っていくしかないようです。

 私は、数年前から意識的にパソコン離れをしているので、こうして被害と落胆をまともに食わないようになりました。
 パソコンは便利な情報文具なので、適度な距離をもって、有効に生活の中で使いこなしていきたいものです。



2008年3月 1日 (土曜日)

立川の謎の回転寿司屋

 今週から立川へ通うようになりました。
 予想外に大きな街でした。
 駅前には、伊勢丹、高島屋、ビックカメラ、ダイエー、ルミネが林立し、おまけに駅の中にはデパートがあります。どこからこんなに、と思うほどに人が行き交っています。

 見知らぬ街に行った時に、私が最初にすることは、回転寿司屋を探すことです。これは、日本国内に限らず、世界各国でやっていることです。
 今週は月曜日から連日、駅の周辺を歩きました。あらかじめ地図を見たり、ネットで調べたりしないところがおもしろいのです。
 街をブラブラ歩くと、さまざまな発見があります。
 初めの4日間で、回転寿司屋を4軒見つけました。駅の北側に2つ、南側に2つです。そのうちの2軒に入りました。
 まだあるかもしれないと思い、ネットで調べました。すると、立川市に回転寿司屋は7軒あるようです。
 そのリストをもとに一つずつを地図で確認したところ、立川駅から少し離れたところが4つで、駅の周辺は3つです。

 あれっ?と思いました。
 一昨日の午後7時頃に私が入った回転寿司屋が、どうしてもネットの情報で見当たらないのです。

 駅の南側の路地の一角に、小さな回転寿司屋がありました。かつては普通の寿司屋だったことを思わせる店構えです。
 握ってくれるおやじさんは、いかにも寿司職人という風体です。
 客はだれもいません。レーンも止まっています。蝋細工のウニやイクラなどが乗った寿司皿が、止まったままのレーンの上にポツン・ポツンと置かれています。レーンは大括弧( ] )の型で、椅子は10個もない、狭い店内です。

 ほしいものを注文してくれ、とのことだったので、いくつか頼みました。そして、赤だしを注文すると、それはサービスで付くと、おばさんが耳元で大声で言ってくれました。あまりにも狭いので、距離感覚がマヒします。そんなに近くでしゃべらなくても … 。

 寿司はしっかりしたもので、ネタも回転寿司とは思えないほどの良品でした。下町の寿司屋です。何か事情があって、回転寿司屋に改装したのでしょう。
 値段は少し高めでしたが、いいお寿司を食べさせてもらいました。握ってくれるおじさんの姿が気に入りました。奥の仕込み場に、若い兄ちゃんがいました。この3人でやっているのでしょうか。明るくて元気な人たちのようです。

 結局、客は誰も来ませんでした。もっと遅くなると来るのでしょうか。心配になります。
 折を見て、また行こうと思います。
 これだけ客がいないのに、こんなに狭い店なのに、お店の人はまったく客に気を配っている様子がないにもかかわらず、客であるこちらは気楽に、あまり余計な気を遣わずに寿司が食べられるのです。
 不思議な雰囲気の店でした。

 ひょっとして、あのおやじさんは、かつては銀座の名の知れた店の腕の立つ人だったのかも知れません。『将太の寿司』の漫画のネタにできそうです。





2008年2月27日 (水曜日)

立川での新生活がスタート

 今週から、東京の郊外にある立川へ通勤しています。
 江戸情緒のある戸越から、武蔵野の面影が感じられる立川へと、日本の風景を楽しんでいます。
 一昨日は、京都からの出勤で、4時間半かかりました。奈良から旧職場の品川までは5時間だったので、まあまあでしょう。東京の宿舎からは1時間50分です。東京駅から立川駅まで、中央線で45分なので、読書の時間が確保されたと思うことにしています。

 新しい部屋に表札を付けようと思い、先週、雪が舞う京都の平安神宮へ行った折に、北山杉に名前を彫ってもらいました。
 北山から来たおじさんが電気ドリルを使い、チョークで書いた名前をなぞりながら彫ってくれました。


Hovi5lvl_s表札作り



 そして、その表面を、丁寧に磨いてくれます。


2tunbmu__s磨く



 さて、立川から一駅だけモノレールに乗って高松駅に降り立つと、こんな風景が目の前に展開します。


Nmjfimix_s遠景



 正面左が、国立国語研究所です。ここは、先般の閣議決定で廃止となりました。松本清張の『砂の器』で、捜査員が全国の方言を調べる時に訪れたのが、ここに来る前の国立国語研究所でした。私にとっては思い出深いところですが、残念です。今後はどのようになるのか、他人事ではありません。

 正面右が、新しく建設されたばかりの、というよりも、まだ工事が進む国文学研究資料館です。写真でもわかる通り、手前側の半分しかできていません。


Bbdpea2x_s近景



 駅から一直線に歩いて7分程で、こんな姿が見えます。同じ建物が2列に並び、H字型をしています。
 中は、同じ作りなので、本当に迷路です。


06pn16wo_s正面



 工事が進んでいる正面玄関です。
 左側が国文学研究資料館、右側が国立極地研究所です。
 ホールには、南極観測船の宗谷や白瀬が展示されるそうです。
 南極の氷の下から、平安時代の『源氏物語』の写本が出てこないでしょうか。
 そして、最上階に統計数理研究所が入ります。
 まだ、国文学研究資料館だけしか移転して来ていませんので、寂しいものです。


Zvzrsecn_s通り



 中はこんな感じです。
 まだ、床や壁には、引っ越しのための養生がしてあります。
 そして、手前に、先日作った表札を付けた新居があります。
 また、たくさんの方々に来てもらうことになるので、ドアの真ん中には、目印としてアップルマークを貼りました。


窓側の荷物



 初めて入った時には、段ボールが積まれていました。


3xpo7qqe_s窓側の今



 ようやく、ここまで整理しました。


76v0fn61_s入口の荷物



 入口も、最初はこんな状態でした。


Wyqnrvvg_s入口の今



 今は、こうなっています。


K7oopllo_s入口の絵



 部屋に入った時には、こんな感じになります。


Kuozibhv_s正面玄関



 真下の、正面玄関は、まだまだ工事中です。


Oahwg_ia_s富士山



 私は北側にいますが、南側の建物に回ると、富士山がきれいに見えました。
 さすがに、米軍立川基地跡だけあって、だだっ広さは半端ではありません。
 この地に、さまざまな国の機関が移転してきます。しかし、ちょうどこの足下には、活断層が走ってるとか。その時はその時ですが。
 至るところで工事が進められているので、トラックが行き交います。
 お越しの切には、大型車に注意してください。




2008年2月21日 (木曜日)

いつもは不調な機械なのに

 昨年末にガスストーブを購入しました。
 お決まりのように、何かと不具合がありました。
 購入してすぐに、ブーン ブーン という甲高い音がし出しました。
 金属が振動する時の異音です。
 古くなった蛍光灯などで、このような音がする時があります。安定器が発する音です。トランスの異常なのでしょう。

 使う内に音も小さくなるだろうと、様子を見ていたのですが、一向に収まる気配がありません。もう2ヶ月になろうとします。そろそろ決着をつけなくてはいけません。
 そこで、お客様センターに電話をして、点検に来てもらいました。
 ところがです。
 修理をしてもらう技術の方が来られると、途端にストーブはいい子になるのです。直前まで異音を発していたのに、何ともイヤミで気まぐれな機械です。


9qxy0iqx_sストーブさま



 コンピュータや、その周辺装置を購入して、たくさんの不具合に遭遇してきました。そして、これはまたまた欠陥商品だ、と思ってお店へ持って行くと、店員の前では、思うように悪いところを再現できないものです。が不具合が確認してもらえないので、スゴスゴと帰ったことが何回あったことか。
 今回も、恐れていたそれが起きているのです。

 しばらく技術者とガスストーブをジッと見つめながら、沈黙の時間が流れます。気まずさから、また症状が出たら連絡をしてください、と、さも気の毒そうにおっしゃいます。
 確かに、先ほどまでの異音がしないのです。手にしたドライバーでカバーを開けるわけにもいかない、とおっしゃるのももっともです。

 肝心な時に、異常が確認できない悔しさを胸に、修理センターの車を見送ることになりました。

 いやな顔を一つせずに、優しく対応して下ったリンナイの福永さま。
 ご苦労さまでした。遠いところから、わざわざ、ありがとうございました。
 今は静かに熱風を吐き出しています。
 昨日まで、あんなに騒いでたのは何だったのだ、とつぶやいてしまいます。
 明日から、またブーンと言い出したら、と思うと、気持ちが落ち着きません。

 機械も、人を見て動いているようです。
 機械といえども侮るなかれ。
 なかなかのヤツらです。



2008年2月20日 (水曜日)

au携帯を見切る時期到来か

 我が家は、みんなau携帯を使っています。
 しかし、どうも電話料金が高いように思います。
 大分前から、NTTの電話回線を解約し、KDDIの回線にしています。そして、携帯電話もauにして料金の支払いを一括にしているのに、どうも腑に落ちないことが多いのです。

 今使っている携帯の本体の調子が悪いこともあり、近くのauショップへ行きました。そして、相談をしている内に、家族割が全員に適用されていないことがわかりました。
 つまり、家族の中で前の住所の奈良になっている者がいることがわかりました。また、その登録電話番号も、奈良で使っていた番号のままだというのです。
 引っ越しをしたことを連絡し、電話回線も京都のKDDIに引き続いて移行して変更し、携帯電話も同じように変更手続きをしたのに、全員が移行していなかったのです。

 家族全員が転居しているのに、全員の移動手続きがなされていなかったことになるのです。いかにも、私の方に落ち度があるかのように言われました。しかし、そんなことは契約を受けている会社がチェックすれば明らかなので、怠慢としか言いようがありません。まさに、社会保険庁並のいいかげんな理屈を聞きました。
 家族の住所も変わり、奈良の電話も廃止しているのに、家族の一部が前のままなのですから、お役所仕事もいいとこです。

 こんな調子で、このKKDIとかauは、今後ともやっていけるのでしょうか。

 iPhone が上陸してきたら、ひとたまりもなく壊滅することでしょう。

 携帯の調子が悪いと言うと、ちょうどキャンペーン中だとのことで、私が使用している機種は無料で移行できるそうです。
 最初の携帯は、大好きなSONY製を使っていたのですが、どうも調子が悪いのです。欠陥商品を手にするのは慣れっこです。交換してもらうことになったところ、東芝しかなかったので、仕方なくそれを使っていました。私は、電磁波被害を最小限に留めるためにも、極力携帯電話は使わないようにしています。だから、機種や機能は拘りませんでした。
 今回の機種変更では、SONY製品が選べたので、すぐにそれにしました。
 そうです、あのDVD戦争の敵同士です。東芝が撤退したように、偶然ではありますが、私の携帯電話は、東芝からSONYに転向することになりました。

 これまで使っていた携帯のデータを移してもらったところ、これまた奇妙なことが起きました。電話帳はうまく転送できていたのですが、メールが変なのです。それも、Cメールというものがでたらめでした。
 まず、受信メールの相手先名がすべて「非通知設定」となっているのです。つまり、だれから来たメールなのかが、まったくわからなくなっているのです。
 おまけに、受信時間も、すべてがデータを転送した、店頭での作業時間となっています。これでは、過去のメールが、誰から何時届いたものなのか、確認できません。
 何とかならないのか、と聞くと、どうしようもない、とのことでした。この前までは、メールの転送すらできなかったので、これでも改善された方だそうです。
 一般のメールは、今も転送できないようになっているのだとか。

 個人情報の移動なので、とか何とか仰っていましたが、何となく騙された感じです。これで通ると思って営業をしているのですから、言われるままに認めましたが、機会があればauはすぐに解約すると思います。面倒なので、契約を続けているだけなのですから。

 iPhone が今年の年末にでも日本で使えるようになるという情報が飛び交っています。私の大嫌いなNTTドコモが窓口になるようです。大嫌いなNTTですが、iPhone が使えるのならば、しばらくは妥協します。NTTには技術力がまったくないので、すぐに別の会社でiPhone が使えるようになることは、目に見えていますから。

 こんなことをauの方と雑談していたら、お店の人もあいまいに笑ってごまかしていました。彼らも、今はauを売っていますが、iPhone に飛びつくのに違いないのです。感触でわかりました。






2008年2月19日 (火曜日)

仕事場との別れ

 職場が、品川から立川へ移ります。
 9年前に着任した時から、移転の話は聞いていました。閣議決定なので変更はない、といわれながら、どこまで本当なのかと半信半疑の9年間でした。


Awi_igau_s国文研の最後の桜



 3年前から、少しずつ本当に移転があるのだな、と思う反面、またいつもの調子で先延ばしになるのでは、と、さほど実感を持たずにきました。それが、やっと現実の話となり、私もとうとう自分の部屋を去る日が来ました。

 3vhfpdsw_s部屋の入口



 今は、部屋の前は段ボールの山です。部屋の前に置いておくと、業者の方が持っていってくれます。これは、最後の段ボールたちです。
 大量の本や資料はすでに搬出し、最後はコンピュータ関係の機械類が多いので、取り扱い注意の赤いシールをベタベタと貼りました。
 入口から見える印刷の出来るホワイトボードは、6年前から使用している私の秘密兵器でした。もっとも、十分に活かしきれなかったように思います。新天地はこれまでよりも広い部屋とのことなので、そこで活躍してもらいましょう。
 隣奥の倉庫はいつもは閉まっていますが、今日は収蔵品の搬出のために人の出入りがあります。


 洗い場へ行く通路も、各先生方の荷物で雑然としています。


Wuwmnfmj_s通路



 一昨年に取材を受けた時の写真が見つかったので、これも記念として残しておきます。


Kup0ui1d_s研究室で




 その私の机の周りの最後の日は、こんな状態です。

Y3jqtpqd_sバックアップ



 パソコンのデータをバックアップすることが、最後の仕事となりました。
 荷物がなくなり寂しくなった部屋にいるのは私だけです。まずは部屋に感謝して、ビールで乾杯しました。
 そして、1テラバイトのハードディスクを3台ほど積み重ねて、これまでに作り溜めてきたデータを保存します。これは、パソコンが移送中に壊れた場合を想定してのバックアップです。
 何日もかけてやっています。そして、今日が最後の作業です。約3時間かかりました。
 その間、部屋の片づけをします。
 時間は、夜の10時を過ぎた頃です。
 そういえば、何度もこの部屋に泊まり込んで、徹夜の仕事をしたものです。
 唯一の小さな窓から見える街燈も、今夜で見収めです。


S1fujchf_s最後の整理



 この部屋は、もともとは倉庫だったとかで、奥が狭くなる遠近法を実感できる場所でした。
 たくさんの方々が、私の仕事を手伝うために出入りしてもらった部屋でもあります。
 こんな狭い所に、四、五人の学生さんたちがいたこともあります。
 荷物がごった返す部屋で狭い思いをさせ、今思い返しても、本当に恐縮します。
 最初に手伝いに来てくれた内の2人は、海外の『源氏物語』情報の整理や、ケンブリッジ大学との共同研究の仕事で、今も強力な助っ人として全幅の信頼を置けるサポーターとなってくれています。
 学会情報が順調に更新されていて重宝がられるのも、仕事の合間に駆けつけてくれる助っ人がいるからです。
 縁もゆかりもない私を、長い期間にわたって手助けしてもらっているのは、もうボランティアとしか言いようのないものです。何といっても、交通費が出ないのですから。食事をまともにすると、赤字の手弁当という人もいます。国の文化行政の貧困さを痛感する9年間でした。
 何も報いてあげられないことに申し訳なく思いながら、あらためてこの部屋で皆に感謝をしました。

 たんさんの仕事をした研究室です。これまでに関わりを持ってくださった方々に、感謝の意味も込めて、壁の書架などがなくなった、ガランとした部屋を見てもらいたいと思い、こうして写真を掲載しています。
 実は、私もこんなに寂しくなった部屋を見るのは初めてです。


Oy21k_jm_sマッキントッシュ




 最近使っていたパソコンは、マッキントッシュの20インチのiMacでした。
 この6台とノートパソコンを駆使して、実にたくさんの仕事を並走させていました。
 30インチのモニタは、今年になって使い出したものです。これまでは、23インチと20インチの2台を連動させて、広い画面を確保していたのです。


Cpzrttth_s※出入り口



 奥から、入口を写してみました。こんなアングルで見るのも、何もなくなった最後だからです。


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 ポツンと一つ取り残されたこの机は、ここで処分してもらいます。

 感謝の気持ちを込めて、記念写真とします。





2008年2月17日 (日曜日)

負け組を指向する

 昨夜のニュースと今日の朝刊で、東芝がHD-DVDの事業から撤退することが大きく報じられていました。

 私は、今回の2つの規格が対立するDVDには関係がありませんでした。いつもなら早々に手を出していたはずです。しかし、どうしたわけか、購入するまでには至っていなかったのです。
 ビデオを見る、ということが生活の中にないからでしょう。映画は、映画館へ行きます。ゲームは、かのインベーダーにも興味が持てなかったので、まったくしませんでした。
 したがってこのDVDは、私にとっては、データのバックアップのためのものであり、今はハードディスクが重宝しているので、必要に駆られないのです。
 ただし、どちらかと言うとソニー好きの立場から、ブルーレイ(BD)の普及を待ってはいました。

 ブルーレイ陣営との間で規格競争をしていた東芝の判断は、企業としてはこれでいいのでしょう。後は、これまでにHD-DVDを購入した人々のアフターケアが重要です。
 この点では、ビデオデッキの方式で、VHSとベータ(β)方式の争いをして撤退したソニーの企業姿勢を模範とすべきでしょう。
 ベータを支持していた私は、この時のソニーの誠意を、高く評価しています。

 製品の規格の分裂は、利用者にとっては迷惑です。
 よく引き合いに出される、ビデオのVHSとベータの2つでは、私はソニーのベータ方式をよしとして使ってきました。子供の成長の記録は、すべてベータのテープに収録されています。
 このビデオの規格競争がなされたのは、つくば博があった1985年あたりだそうです。
 我が家の長女が生まれたのがちょうどその頃で、NECのPC−8001という8ビットのコンピュータが人気を博した時でした。
 その後、我が家に長男が生まれた頃には、このVHSとベータという2つの規格争いが展開していたのです。

 この時のベータ陣営には、ソニーを筆頭に、東芝、日本電気、三洋、ゼネラルなどが属していました。
 ここに東芝が入っていました。それが、今回はソニーと対立する先鋒となっていたのですから、企業の意地とはおもしろいものです。

 ソニーは、いつもマネシタ電気と言われた松下電器の数歩先を行っていました。そして、ソニーが開発したものを、松下が低価格高機能で製品化していたと、いくぶん僻みっぽく揶揄されて来ました。
 それが、今度は珍しく、ブルーレイで共闘していたのです。

 我が家のビデオテープは、昨春の奈良から京都への屋移りの際、段ボールの箱にして数十箱分もありました。ほとんどが、ベータで録画したものです。
 子どもたちの成長の記録という大切な映像は、これからのためを考えて、一応VHSのテープに写しておくことにしました。二十年ぶりに取り出したベータマックスのソニーのビデオテープレコーダーは、立派に映像を再生してくれました。感激の一瞬でした。
 フロントローディングのものなので、その前の口から、子どもたちがクレヨンなどを突っ込んで、ガラガラと回して遊んでいたものです。それを見つけると、すぐにソニーのお兄さんに家に来てもらい、機械の中をお掃除してもらいました。そんな手荒な扱いを受けてきたベータマックスが、元気に映像を再生してくれたのです。撫でてやりたくなります。

 昨年の複製作業の時には、その前に、大阪日本橋のソニーショップで、少しアドバイスをもらいました。
 ソニーの方は、ベータマックスの話になると、うれしそうに話し相手になってくださいました。
 撮り溜めたビデオの映像は、いつかまた、実際にはいつなのかはわかりませんが、デジタル化して子どもたちに渡したいと考えています。

 ニュースなどでは、東芝はベータに続いて2敗目だと言っています。しかし、東芝の撤退はまだあるのです。

 オーディオカセットが出始めた頃、1976年に東芝は雑音低減方式(ノイズリダクションシステム)として、アドレス(adres、Automatic Dynamic Range Expantion System)という方式を提案しました。
 当時の主流は、ドルビーB方式でした。しかし、それよりもアドレスの方が音がきれいに聞こえるというので、私は、このアドレス方式のテープデッキを購入し、それで音楽を録音し、聴いていました。そして、カセットケースには、「adres」というシールを1枚1枚貼って、楽しんでいました。

 ところが、ドルビーBの後継規格であるドルビーC方式が公開されると、たちまち主流はドルビー方式となりました。そして、東芝のアドレス方式はなくなっていったのです。

 その頃私は、ブルックナーの音楽に夢中でした。たくさんのレコードを買い、カセットテープに録音して聞いていました。
 ブルックナーの音楽には、異版といわれる、同じ曲でも演奏が異なるものが多いのです。それを聞き分けるのが楽しくて、その違いを考えるのがおもしろくて、いろいろな形で聞いていたのです。
 今、『源氏物語』の異本や異文のことを調べています。
 相も変わらず、飽きもせずに、その違いを知ろうとして、よく似たことをやっているものです。

 これまで私は、いつも少数民族に属していました。今、パソコンはマッキントッシュを使っているのも、その流れからのものなのでしょう。
 今回のDVDの規格に関しては、様子見をしながらソニーを応援していました。そして、ソニーが勝ち組となりました。
 私にとって、これは驚きです。勝ち組とは無縁だった私にとって、これは気をつけなければなりません。

 先日、iPod-touch を買いました。iPod は、初代から持っています。この携帯音楽プレーヤーは、ずっと勝ち組になっています。
 勝ち組とは一線を画していたはずなのに、いつの間にか、思いがけず大勢派にいるようです。

 これは、自分の生き様としては望むところではないのですが、好むと好まざるとにかかわらず、そうなってしまっていることに戸惑いを感じます。
 複雑な思いを抱きながら、慌ただしい日々に追われるだけの毎日です。自分が気に入ったものに触れる生活をする中で、何となく流されているように思えます。




2008年2月13日 (水曜日)

車のない生活へ

 今週末で、我が家から車がなくなります。
 一昨日、トヨタのイストの最後の姿を撮影してから上京しました。
 まだ、奈良ナンバーのままでした。 


Bg7629n2_sイストとの別れ



 拙宅が駅から近いことと、京都は交通の便がよいために、車が不要となったのです。

 私が車を初めて持ったのは、大和の平群という山の上に住むようになった時からでした。そして、それは第一子の誕生を控えた時でした。
 車は、スズキのセルボ。軽自動車でしたが、5ナンバーで卵のように丸っこいスタイルのハッチバック車でした。

 妻と2人の生活に1人増えるということで、大阪府八尾市の高安から転居したその日からのマイカーでした。

 そして、数日後の最初の遠出が、陣痛を訴える妻を横に乗せて、第2名阪から阪神高速に入り、天王寺にある大阪警察病院へ車を飛ばしたのです。

 私は、この病院の隣にある、谷崎潤一郎の『細雪』に出てくる高校の出身です。テニス部で、夜遅くまで練習をしていました。テニスコートは、この病院のすぐ横です。毎日、病室の窓を見ながら、練習に明け暮れていました。
 その病院で、待望の第一子が生まれたのです。

 しばらくして、2代目の車はマツダのファミリアにしました。
 子供を連れての旅で、行動範囲が広がったのと、父が亡くなり、西国三十三ヶ所巡りを始めたからです。
 このファミリアは、欠陥車でした。新車なのに、走行中にエンジンが止まるのです。高速道路上で突然エンジンが止まった時には、もう死ぬかと思いました。
 マツダの対応は、とにかくいい加減でした。五十万円もお金を取られ、新型車に乗り換えました。今から思っても、本当に詐欺です。ところが、その車も欠陥車で新聞に載りました。こちらから修理を催促しても、なかなかやってくれませんでした。
 このマツダという会社が今でも営業しているのが不思議です。

 次は、ニッサンのセドリックでした。ベンチシートのコラムシフトの車でした。まさに、タクシーです。この車の前のシートに、チャイルドシートをダブルで着けていたのを、懐かしく思い出されます。2人の子供を、前の席に座らせることができたのです。
 しかし、これも欠陥車でした。
 エンジンオイルを継ぎ足しながら走りました。
 駐車場で、ボンネットから白煙が上がりました。
 阪奈道路の上り口で、突然ラジエーターが破損し、水が漏れてエンジンが焼き付きました。またまた、死ぬ思いをしました。
 高い金を払って、エンジンを交換しました。人間で言えば、心臓手術です。その後も、エンジンの調子が悪いので、とうとう諦めました。
 そして、信じられないことに、このニッサンもまだ営業をしています。

 5代目は、トヨタのクラウンです。これは、なかなかいい車でした。これまた、コラムシフトのベンチシート車でした。そして、またまた、前の席にチャイルドシートを2つ並べて走っていました。
 ところが、これもエンジンの調子が悪くなりました。
 私は、乱暴な運転はしません。とにかく、当たりが悪いのです。
 コンピュータはもとより、私が手にする機器は、欠陥商品のオンパレードです。

 6代目が、今回処分することになった、トヨタのイストです。
 25年間に、6台の車に乗ったことになります。
 これは、本当にいい車でした。小回りが利き、重宝しました。
 奈良から京都への引っ越しの時は、フル回転で荷物を運んでくれました。

 それにしても、よく家族と車で出歩きました。
 たくさんの温泉に行ったことと、西国札所を4周したのが、いい思い出です。おばあちゃんを、子どもたちを、とにかく休みになると連れ歩いていました。
 私も運転が好きなので、どんな所へでも行きました。
 北は青森、西は島根が行動範囲でした。妻の実家が秋田県で、私の生まれが島根県なので、結局は2人の生地を行ったり来たりしていたのです。
 北海道と九州には、車では行かなかったのが心残りです。

 私は、ダ・ビンチ・コードに出ていた、スマートという小さな2人乗りの車が好きです。トヨタが、ヨーロッパで2人乗りのコンパクトな車を販売しています。今夏にも、日本で販売を開始するようです。
 その時に、また考えましょう。

 さてさて、車のない生活も、気楽なものとなりそうです。
 今後は、レンタカーの世話になりそうです。
 幸いに、京都の自宅の近くには、3つもレンタカー屋さんがあるのです。
 春の花見は、レンタカーで遠出を考えています。




2008年2月10日 (日曜日)

京都大不満の会

 朝日新聞の正月25日版に、〈京文化「偽物」お断り〉という記事が掲載されました。

 記事を少し引用します。

 「本物」の京都を取り戻そう――。京の食や景観、観光、暮らしぶりについて率直に語り合おうと、随筆家や経営者、大学教授らが「京都大不満の会」を結成することになった。偽装ばやりの世の中、京からニセモノを追放するのが目的だ。
 提唱しているのは昨年末、新書本「京都大不満」(実業之日本社刊)を出したエッセイスト嵯峨徳子さん(45)=北区=だ。京都生まれで、企業の商品企画や出版編集顧問業などに携わってきたが、最近京都に関して「偽物」や誤った情報が氾濫(はんらん)しているのに不満を抱くようになった。
 「誰も知らない京都……」「秘密の……」などいわゆる京都本が大流行している。「でもほとんど審美眼も味もわからない人が書いています」と嵯峨さん。「私の知る限り、地道に研鑽(けんさん)している研究家や老練な書き手は職を失い、通ぶる好事家が書きまくっている感じです」
 一流出版社のガイド本にも「銀閣寺の銀沙灘(ぎんしゃだん)や向月台は東山文化の遺構として優れたもの」とあった。「でも銀沙灘と向月台は江戸時代の作品なのです」。さらに「京都・観光文化検定試験(京都検定)」の公式テキストブックにも74カ所の誤りがあった。
 京漬物もまずくなった。「調味液に漬けてつくられる昨今のものは甘みがゾッとするほど人工的」で、観光客や修学旅行生は名物と信じて、京都人が食べない粗悪品を買って帰ることになるという。
 都市景観については条例で規制するほど神経を使いながら、「市バスのデザインは何とかならないものでしょうか」とも指摘。京都に似合う色や車体をもっと論議するべきではという。
 「みんな自分で判断をせずに、他人任せなのです。京都を批評し、京都文化の偽装をなくすことが、結局は日本文化を見直すことになる」
 当面は知人の会社経営者や大学教授、会社員、主婦らに呼びかけ、定期的に集合。2月に行われる京都市長選など行政問題への不満も含めて、「言いたいことを言い合う会」を継続させたい意向だ。



 これを読んで、すぐに興味を持ったことを書いて、記事に掲載されていたアドレスにメールを送りました。

 律義な方のようで、すぐに、問い合わせが多いので、数日後に連絡をする、というものでした。たくさんの問い合わせがあったというのに、わざわざ私宛のアドレスに返信をくださったのです。私も、このような対応を心がけよう、と思いました。

 そして数日後、以下のメールをいただきました。これも、その一部を引用します。


 先週から風邪を引き寝込んでおりました。
問い合わせが殺到しているのに対応が追いつかず、お返事が遅れたことをお詫び申し上げます。

私たちは、企業家の経営の相談を受ける仕事を生業としております。
そのかたわら、日本の国の現状と未来について存分に語り合う場として「大不満の会」を主催しております。
その成立の事情と趣旨は以下のとおりでございます。
(中略)
社会の矛盾や問題点を指摘し、日本の文化の盲点を切り拓く。
大雑把にいえば、そういうことになりましょうか。それが「大不満の会」です。

そこでの話題は、日本の行政や経済のこと、世界の文化との比較など多岐に亘りますが、 この数年、巷にあふれる京都本に対する疑問が多く呈されるようになりました。
一冊に五千、一万という誤謬のある書籍に校閲資料と改善要求を付して、出版社に送るということを二十年ばかり続けてきております。その結果、昨今のものは多少、見られるようになってきました。
京都の地図も、東京主導で作られているため、見開き二ページで何百箇所もの間違いを抱えたものがございます。そうした改善策を出版社に要求することもしてきました。
このほか私共の仕事は多岐にわたり、以上はほんの一例に過ぎません。
様々な企業や団体に社会的な要望を伝えるのが使命と考えております。
そのための事務所を作る、お手伝いの人を雇うなど、多額の出費が必要ですが、それを会員の出資金の形で賄ってまいりました。ほとんど社会奉仕に近いものです。

近年、京都ブームとともに奇妙なスタイルの京都本が多く出版されています。
その制作事情の杜撰で無責任なことは比類ないもので、ほとんど一般に知られていません。
とりわけ京都に対するイメージが、特定の書き手によってだけ伝えられてゆくうちに、
奇妙な歪みが生じていくことに、会員一同は不信感と危機感を募らせておりました。
その問題は、京都本の著者が知識も経験もないままに書き連ねるところにあります。
その指摘と、学ぶべき方向性と達成レベルの要求書として、業界人に知らしめ、社会にその危険を報告する意味合いで出版したのが『京都大不満』でございます。
私共は数社の編集顧問を兼ね、数百人のライターを指導してきた実績と、その経験から、多くの心ある業界の方々の支持と後援を得た、満を持しての出版です。

会の設立は古くなりますが、この名称にしたのは昨年のこと。それもごく内輪のものです。
話し合ううち有意義な意見が多数集まり、かなりまとまった資料となりました。
つまり本の形で発表できる段階に入ったと判断いたしました。
『京都大不満』が第一号ですが、好評であれば第二号、第三号と続けてゆきたい所存です。

この活動の社会的な関わりは、出版や講演などによって情報を開示することにあります。
このたび中日新聞や朝日新聞、京都新聞などに掲載されたことで問い合わせが殺到し、内輪の会にとっては急な展開で、正直なところ戸惑っています。
形を整えるのに今しばらくの時間が必要です。
当面は内輪の会を不定期に催しますが、いずれ公のものにしたいので、
その折にはご協力をよろしくお願いいたします。

会の趣旨や方向性、考え方は『京都大不満』の本の中に書いてございますので、
お読みいただきたいと存じます。
今後ともよろしくご支援賜りますよう、お願い申し上げます。




 本当に丁寧な対応をしていただき、恐縮するばかりです。

 可能ならば、私も少しでもこの活動に協力したいとおもっています。

 久しぶりに、インパクトのある社会奉仕活動を知ることになりました。




2008年2月 9日 (土曜日)

満員の新幹線でのこと

 来週の月曜日は、建国記念の日で祝日です。そのせいでしょうか、今日の夕方の東京発新幹線は、溢れんばかりの人でした。

 私は、京都と東京間の通勤には、ひかり号を利用しています。30分おきに発車しています。1号車から5号車までが自由席です。
 仕事が終わってから東京駅に向かい、着いた時にホームに止まっている列車に飛び乗ります。ひかり号の自由席だからこそできることです。そして、乗ってから空いている席を探します。
 いつもは、発車のベルを聞きながら飛び乗っても、ひかり号の自由席は大丈夫です。普段ならそうですが、連休の場合は違います。今日がそうでした。

 ホームに溢れる人だらけの空間で、ボーッと次の列車を待つのも疲れるだけです。ひかり号は、名古屋駅までの間にいくつか止まります。静岡駅までには、座席が空くことが多いのです。そこで、しばらく立つことを覚悟で乗り込みました。車内は、通路までギュウギュウです。

 東京駅の次の品川駅で、さらに人が増えました。
 三島駅で何人か降りましたが、また乗り込む人がたくさんいました。

 狭い通路では、体を支えることができません。座席の背もたれの端に、腕か肘を当てて体重を預けます。座っている人は迷惑なことです。自分が座っている時に、横に立っている人の小刻みな動きが、気になることがあります。
 今日のような混み具合の時には、前後に人がいるので、同じ姿勢が続くと、体の重心を移動するのにも気を使います。

 冬場なので、スーツの上にコートを着ています。コートを脱いで、網棚の上に上げたいのですが、いつどこの席が空くのかわからないのです。かといって、手に持つよりも、いっそ着たままの方が楽です。しかし、重さが肩にのしかかります。特に私は昨年来、五十肩に悩まされているので、首筋から肩にかけて凝りが溜まります。

 トイレなどへ行く人が通るたびに、重たいカバンを足で動かすことになります。行儀が悪いのは承知です。体を曲げて下に手を伸ばせないのですから。そして、体を捩じって通り過ぎる人を交わします。さすがに、車内販売のカートは入ってきません。とにかく、立ちっぱなしも、なかなか体が休まる暇がありませんでした。

 すると、静岡駅に着く直前に、私が立っていた横の人が、降りるために立ち上がりました。周りの人が、スーと体をそのシートの方に向けましたが、真横にいた私に優先権がある、との気持ちがあるので、当然のごとくその人と体を交わして、滑り込むようにして席に着きました。
 それにしても、この優先権とは何なのかは説明できません。何となくの、暗黙の了解とやらでしょうか。

 ちょうど1時間少々、立っていたことになります。

 静岡駅でたくさんの人が降りたために、空席が目立つようになりました。しかし、すぐにドッと乗客が乗り込んで来たために、また車内にはたくさんの人が立つようになりました。

 名古屋駅からは、グッと乗客が減りました。
 今日の列車は、岐阜羽島駅を通過しました。しかし、いつも思います。この駅は何だろうかと。ある政治家が新幹線が止まるように作らせた、ということは有名です。それにしても、私から見れば、無駄な駅です。滋賀県にもう一つ新幹線の駅を造るということでもめていました。作らないことに決着して、本当によかったと思います。

 新幹線から見える京都は、非常に貧相です。昼でも夜でも、味気ない雰囲気があります。京都に着いた、という実感がないのです。車窓からの景色ばかりではなく、駅前に立ったときの印象も、雑然としています。京都の駅舎も、私は好きになれません。こんな思いは、多くの人がしているのではないでしょうか。とくに、あの駅ビルのデザインは、いただけません。機能性はあるのでしょうが、見た目がいけません。

 京都をなんとかしなくては、との思いが、少しずつ湧いています。そうしたこともあって、「京都大不満の会」の方と連絡をとるようになりました。
 このことは、また別の機会にしましょう。




2008年2月 4日 (月曜日)

京洛北山での初雪

 節分の明け方、拙宅の周りに雪が降りました。
 ぼたん雪がしきりと降りました。
 目の前に白い綿が舞い降ります。
 しかし、しだいにその早さが増してくるのです。
 雪が重くなってきたのでしょう。
 しばらくすると、氷雨になり、小雨となりました。
 あわてて、小さいながらもかわいい坪庭を、写真に撮りました。


Sznslja6_s冠雪



 廬山寺の節分会に出かけることにした頃には、もうすっかり雪は消えていました。


 

2008年1月21日 (月曜日)

相変わらず杜撰な保険屋さん

 突然、保険の継続契約に関するハガキが来ました。
 何だろうと思ってよく見ると、娘の留学保険についてでした。

 はてな、娘は一昨年、イギリスの大学を卒業して帰国しています。なぜ今ごろ留学保険の継続の連絡だろうと、不思議に思いました。
 そして、昨年の契約がどうなっているのか、銀行口座の記録を確認しました。すると、どうしたことか、娘が帰国して半年以上たった昨春にも、自動引き落としで保険金が取られていたのです。
 昨春は、奈良から京都への引っ越し騒ぎで、こんなでたらめな引き落としがなされていたことに、迂闊にも気付きませんでした。

 一昨年の7月に、娘が帰国した時に、留学保険の解約を連絡したのに。呆れて声も出ません。

 保険会社がいいかげんなことは、個人訴訟をして東京高裁で訴えを認めてもらった実績を持っています。あれも、娘の留学保険に関するものでした。顧問弁護士も、私をなめきった、でたらめな訴訟をしていました。MS海上火災保険会社がいかにペテン師集団かを、身をもって体験したことは、以下のホームページで詳細に報告した通りです。
 ついでに、東京地裁にはいいかげんな裁判長がいることも、この報告で知ってもらえたら幸いです。

http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R1.3.0_hoken_top.html


 今回は、NK損害保険会社と契約した保険ですが、実質的にはMS海上火災保険会社の時と同じで、代理店の担当者の杜撰な処理が直接の原因です。

 早速担当者に電話連絡をすると、あっさりとミスを認め、返金に応じるとのことでした。しかし、一昨年にさかのぼっての中途解約の残金の返済は勘弁してほしいとのこと。虫のいい話だとは思いましたが、そもそも私は保険会社を信用していないので、それ以上は追求せずに、昨年の返金だけで了解しました。年間3万円の契約だったので、2万円弱の損害です。
 また、返金の振り込みは、担当者の名前でするとのことでした。個人的な弁償のようです。

 とにかく、保険会社は弛みきっていると思います。まずは、信用しない方が無難です。
 想像を絶するでたらめを繰り返している社会保険庁のみならず、保険関係のことは「ないよりまし」「もらえたらラッキー」という感覚で契約しておけばいいと思われます。
 まともな保険会社は、日本にはないのでしょうか。保険業発祥の地であるイギリスを、日本の保険会社は見習うべきです。



2008年1月18日 (金曜日)

贈られた言葉

 今日は、学芸員の資格取得のために受講していた授業で、長崎県美術館館長の米田耕司先生の最終授業でした。最終というのは、先生にとって、國學院大學での授業の最終ということでもありました。
 館長職が激務のために、今年限りで講師をお辞めになるとのことでした。
 私が、『源氏物語展』などに関わり、スペインの情報を持っていたことなどから、いろいろとお声をかけていただいた1年だったので、本当に残念です。

 最後の授業ということで、学生に贈る言葉を用意しておられました。
 それは「楽則能久」です。
 「らくそくのきゅう」と読み、意味は「楽しくなければ永続きしない」ということだそうです。知りませんでした。
 少し調べたところ、出典は春秋左氏伝で、原文を書き下すと「楽しまばすなわちよく久し」と読むようです。

 確かに、永続きの秘訣は、楽しみがあることです。続ける、ということの大切さは誰も理解していることなので、そこに楽しみを常に持たせることが肝要なのでしょう。

 スポーツ選手が、「楽しんでくる」とか「楽しみます」、と言っていることをよく耳にします。あれは、ここから来ているのでしょうね。
 この言葉を発することによって、自分の中に沸々と湧き上がる緊張感を緩和する効果もあるのでは、と私は思っていました。あまり好きな表現ではなかったのですが、改めて永続きさせるための呪文としての「楽しさ」の強調ならば、それはそれで納得できます。

 このブログも、「楽則能久」の言霊をいただいて、さらに弛まず続けていきたいと思います。



2008年1月16日 (水曜日)

マックでタイムマシンを体感

 さきほど、マッキントッシュの新しいOS「レパード」の目玉の一つである「タイムマシン」というバックアップ機能のすごさを実感しました。

 今日、職場で、アップルのドットマックというサービスを利用して、職場で使っているデータのいくつかを、ネット上の保管庫のデータと同期させました。
 ところが誤って、今週の月曜日の深夜に京都からネット上のデータ保管ディスクに送ったデータを取り込まずに、先週末まで使っていた職場のマシンのデータをネット上に送ってしまったのです。送信と受信を間違ったのです。
 今日、職場でそんなに古いデータの入ったパソコンを使っていたのは、職場のパソコンのOSも「レパード」にする作業をしていたためです。

 ネット上の保管庫に古いデータを送ったことをすっかり忘れて、東京の宿舎に帰ってから、ネット上の保管庫のデータと同期する時に、今日間違って送った古いデータを取り込んだのです。そのために、宿舎のデータが、職場の一番古かったデータに置き換わってしまいました。
 私は、品川・深川・京都と、東西の3箇所で仕事をしています。そのために、扱うデータが絶えず変動しています。ドットマックを利用することによって、移動するたびにネット上の保管庫の最新データを置き換えています。そのデータと同期を取っているので、どこでも同じ環境で仕事ができます。

 今日、一番古い職場のデータを保管庫に置き、それを宿舎でダウンロードしたために、最新のデータは京都のもの、ということになったのです。
 これでは不便です。
 アーアと思っていたそんな時、昨日までの最も新しいものが宿舎のバックアップにあることに気付きました。マッキントッシュの最新OSの「タイムマシン」によって、昨夜の宿舎でのデータ環境に戻ればいいのです。

 初めて「タイムマシン」を使ってみました。
 そして、いとも簡単に、昨日の作業環境に戻りました。
 具体的には、インターネットのブラウザのブックマークと、メール用のアドレスブックのデータなどです。

 マッキントッシュの基本データのいくつかが先週に逆戻りしたすぐ後に、またまたもとの環境と機能に戻ったのです。

 その名の通り、「タイムマシン」に乗った気持ちです。
 この機能は、今後とも重宝しそうです。
 年とともに、パソコンの操作が覚束なくなりました。ミスが多くなったのです。
 そんな老いを、この「タイムマシン」は援助してくれます。
 ユニバーサルアクセスのありがたさを体験しました。





2008年1月13日 (日曜日)

映画『茶々 天涯の貴妃』

 井上靖の『淀どの日記』を読んでいますが、何かと多忙の折でもあり、なかなか読み終わりません。
 小説を読んでから映画を見よう、と思っていました。しかし、そうこうするうちに映画も終わってしまいそうです。しかたがないので、読書の途中ではありますが、京都三条・新京極にある映画館へ行きました。

 開始早々、主人公の茶々の容貌はもとより、その太い声に違和感を持ちました。茶々をとりまく登場人物たちも、それなりの実績のある方々なのでしょうが、どうも馴染めません。たくさんのコマの一つ一つが、スムーズにつながっていないのです。

 極め付けは、最後に流れる場違いな歌です。
 若い人たちへの媚からの選定なのでしょう。しかし、一応満員だった館内の観客の、その8割がたは40歳以上と見ました。みなさん、これ何、という感じで席を立っておられました。
 製作者側に、大きな勘違いがあるとしか思えません。それとも、何か深い意図があるのでしょうか? 
 私にとっては、突然若者が集まる店に入った雰囲気にさせられるだけでした。それでなくても、映画の出来に失望したところに、追い撃ちをかけるようなエンディングなので、もう作品が台無しです。
 ハッキリ言って、この映画は、失敗作品としか言いようがありません。

 他の人は、この作品をどう評価するのでしょうか。
 私にとっては、見なくてもよかった映画です。
 井上靖が見たら、どんな感想を洩らしたでしょうか。
 テレビドラマの『風林火山』が、私にとっては早々に見ることを打ち切ることになったように、井上靖の小説の映像化は、昨年の2作ともに駄作だったといえましょう。

 帰りに、駅の構内で珍しい場面に出くわしました。
 地下鉄の自動改札の出口で、ICカード PiTaPa を読み取ってくれないのです。前の人の切符が、改札機の投入口に詰まっていたためです。この出口には、これ1台しかIC対応の改札機はありません。この機能の付いた改札機で出場しないと、記録が未処理扱いとなり、 PiTaPa が次回に使えないのです。
 無人の改札口だったので、インターホンで駅員に事情を説明しました。すると、すぐに行きます、と言って、長い地下通路をアッという間に自転車で駆けつけてくれたのです。インターホンを切ってすぐでした。
 まさか自転車で駆けつけてくれるとは思わなかったので、気分はしばらく待つ覚悟でした。直線距離なので、これはアイデアです。

 駅員さんは、詰まった切符を手際よく取り除き、カードが使えるようになったのを確認してから、またスイスイと地下通路を走り去っていかれました。
 思わず、シャッターを切りました。

 映画よりもこの映像の方が、今日の私にとっては感動的で印象深い場面となりました。


Nceyb5r0_s地下を走る自転車




2008年1月 8日 (火曜日)

東西の都でガスストーブを買う

 今年の冬は、いつもより暖かくないですか ?
 これなら、インドのこの時期の冬の方が寒かったように思います。ニューデリーでの1月の初旬は、持参した電気湯沸かし器の蒸気で部屋を暖めていたのですから。


 初めての京都の冬は、もっと寒さが厳しいものかと思っていました。しかし、それほどではないのです。拙宅は隙間だらけの家ですが、廊下を裸足で歩く時のヒンヤリ感が、少し気になる程度です。
 そういえば、夏も、賀茂川からの川風が通るせいか、思ったほど蒸し暑さは感じませんでした。クーラーはほとんど使わずにすんだのです。

 そうは言っても、寒さに弱い私は、やはり暖かな生活を好みます。これまでの主な暖房は、居間のガスストーブ1台で過ごしてきました。私の書斎は小さな電気ストーブだけでした。ただし、これまた大好きな蒸気を出す機種だったので、それでどうにかやってきました。

 冬が本格的になるにしたがい、やはり部屋が早く暖まることを考えました。そして思い切って、小さなガスストーブを買いました。
 原油が高騰している折でもあり、奈良で使っていた2台の石油ストーブは、倉庫にしまったままで使わないことにしています。

 ガスストーブは、燃料を補給する手間もなく、すぐに部屋が暖まるので、便利な道具です。小まめに付けたり消したりすれば、光熱費も節約できるでしょう。

 東京の冬も、昨夏までいた横浜に比べると、思ったよりも暖かいのです。家庭から出る、エアコンの熱も関係しているのでしょうか。
 そうは言っても、小さな電気ストーブでは、暖まる時間や電気代が大変です。そこで、思い切って、東京の生活でもガスストーブを買いました。

 温度の設定を18度にすれば、京の家と違って密閉性の高いマンション形式の部屋なので、これで十分に暖かさを維持できます。

 限りある資源を消費する生活の中で、この暖房に対する対策は重要な問題でしょう。
 ガスは便利です。しかし、その供給先の事情を考えると、これでいいのか疑問です。
 かといって、電気も、その供給状況はお寒い限りです。
 やはり、太陽エネルギーを取り入れることでしょうか。
 風車を回すのもいいですが、あの音には閉口します。

 中国とインドが、膨大な資源を消費しています。そして、垂れ流しや放出をしています。これからの国なので、かつて日本がそうであったように、止めることは難しいのでしょう。しかし、なんとかしなくてはいけない問題であることに、かわりはありません。

 快適な生活環境を保つためには、まだまだ課題が多いようです。異常なほどに恵まれすぎた日本ならではの、贅沢な悩みのように思えます。しかし、これが世界各国の先鞭となる課題の対処となります。

 いい知恵を出し合って、効果的な、効率のよい住環境を組み上げていきたいものです。



2007年12月28日 (金曜日)

未読メールの多さに仰天

 マッキントッシュのシステムを「レパード」に一新し、すべてを手作業で一つ一つインストールし直しています。
 面倒な作業ですが、過去のトラブルを引き継がないためにも、仕方のないことです。コンピュータは、便利さは認めますが、本当に面倒な機械です。

 パソコンのメールを整理しました。
 京都の自宅で使用するメールソフトに関係するもので、2001年の4月以降にやり取りしたメールの大掃除です。

 職場やプロバイダ(契約している3つ会社のもの)のサーバーを経由して、私が送ったり、相手から届いたりしたメールを、新しい環境の中で整理したのです。私のメインマシンでは4万通以上の記録があるので、今回整理した2万通のメールは、あくまでも2001年の春以降のものです。そして、3ヶ所の仕事部屋からメールをやりとりしている関係で、サーバーからの取りこぼしや読み込み後の削除などにより、多くのメールが消えているようです。しかし、3ヶ所のどこかで読んでいるはずなので、大過なくコミュニケーションを保ってきたはずです。

 そんな大掃除の中で、過去のメールの読み込みや転送をしている過程で、たくさんの未読のメールが見つかったのです。他の2ヶ所の仕事場で読んでいるはずですが、どう見ても初めて読むメールがいくつもあるのです。

 特に大きな失敗や信用の失墜はなかったと思っているので、(多分に能天気なお気楽スタイルの思い込みですが)、メールの読み忘れは許してもらう以外に、どうしようもありません。

 今や社会や職場は、メールによるコミュニケーションが主流となっています。海外の方々への連絡は、メールに頼らざるをえません。高齢の方も、最近はほとんどの方が、メールを利用しておられます。特に海外の場合は。

 今回のメールの大掃除で、改めてメールへの過信を戒める機会を持ちました。読まれないままに日時を経過するメールが、意外に多かったからです。

 手紙は、日本の場合に不着ということはほとんど考えられません。
 FAXも、確実に相手先に届きます。
 ただし、これらは、住所や番号が正確で、相手がそれを実際に手にした時に、コミュニケーションが成立します。メールに似ています。
 返信などのアクションを経てはじめて、自分の意思が伝わったことが確認できます。メールに、相手が読んだかどうかがわかるチェッカーを付けて、それを一々確認している人は少ないのです。私も一時はしていましたが、面倒で今はしていません。メールの混雑緩和のためにも、推奨されていません。

 これに対して、電話は、相手が直接電話口で声を出して会話をするので、相手とコミュニケーションを交わしていることが実感として確認できます。
 ただし、電話は時と場所を考えて使うことになります。留守番電話も、聞いてもらったかどうかは、返事がないとわかりません。

 人と人とのコミュニケーションは、時代とともに変わってきました。
 これからは、重要な連絡を、相手が確実に見たり聞いたりしたことが確認できる、郵便でいう配達証明のようなシステムが必要となるでしょう。
 テレビ電話も、スカイプのお陰で、世界中の仲間とカメラとマイクを通してコミュニケーションがとれます。しかも無料で。
 ただし、これも時と場合が関係します。

 なかなか難しいものです。つまるところ、これらの内の複数の手段を、うまく使い分けるしかなさそうです。結局は、今のところは電話とメールでしょうか。

 そろそろ、新しいコミュニケーションの手段を提示してほしいと思っています。
 時と場所に関係なく、そして確実に相手とコミュニケーションを交わしていることが確認できる手段を。

 そんなことを実現してくれるのは、アップルしかないでしょう。
  iPod や、その進化系の iTouch などに期待しています。



 

2007年12月26日 (水曜日)

2007年10大ニュース

1)23年間住み慣れた奈良・平群から京都・北山へ転居

2)単身赴任先を横浜・金沢文庫から東京・深川へ転宅

3)スクーバ・ダイビングのライセンス取得

4)海外の『源氏物語』に関して朝日新聞・読売新聞に掲載される

5)イギリス・インド・中国を1ヶ月かけて一気に飛び回る

6)ブログのサーバーがクラッシュし迷走の果てに京都から発信

7)学芸員の資格取得のために國學院大學の科目等履修生となる

8)重要文化財である『源氏物語』大島本の精細な調査を開始

9)スポーツクラブを銀座に移籍し銀座で泳ぐ日々が始まる

10)探し求めていた『井上靖全集』(全29巻)が書架に並ぶ

2007年12月25日 (火曜日)

お店で味付けの変更をしてもらう

 息子と行くいつもの回転寿司屋が、どうしたことか休業でした。
 そこで、それでは餃子を食べよう、ということで意見が一致し、通り掛かりの中華料理屋へ入りました。
 初めて入った店では、まずメニューをパラパラとめくることから始まります。料理の種類と値段を、目で追いながらチェックします。
 お目当てのギョウザが3種類あったので、その違いを聞きました。ジューシーさとカリカリ感の違いと、大きさが異なるようです。ジューシーで大きめのものにしました。
 私はレバニラ炒めを、息子は鶏をカラッと揚げて甘辛の味付けをした上に香草とカリッとしたニンニクをまぶしたもの(「油淋鶏」とメニューに書いてあったもの)を注文しました。

 大分待たされてから、やっと餃子が5つ来ました。10ヶ頼んだと言うと、それは失礼と中の人に伝えてくれました。中国の人たちがほとんどの店だったので、うまく伝わらなかったのでしょう。

 まもなく、私が注文したレバニラ炒めが来ました。
 一口食べて、口の中がヒリヒリしました。私は、胃が無くて内蔵が敏感なので、この手の辛さは苦手です。料理人の息子に味見をしてもらうと、これは味が濃くて辛すぎる、というのです。とても食べられそうにないので、お店の人にその旨を言って、味を薄くしてくれるように頼みました。すぐに皿を下げて行きました。
 またしばらくたってから、作り直したレバニラ炒めが来ました。こんどは、味が少しまろやかになっていました。それだけではなくて、さっきは細切りにされたレバが炒められていたのに、今度は普通の大きさのレバが使われていました。まったく新しく作り直してくれたのです。
 てっきり、スープか何かを使って、味を薄くして炒め直すものとばかり思っていたので、これには驚きました。
 ラッキー、と思っていたら、息子曰く、さっきのものの味を薄めただけのものだったら、俺は文句を言おうと思っていた、とのこと。料理人として、お客の味に合わなかったら、新しく作り直すのが当たり前だ、とのことなのです。そんなものか、と思いながら、それもそうだと納得。

 レストランや食堂で、一度出された注文の品に、味が思っていたものと違うので作り直してくれ、とは、なかなか言えません。今日は、息子がいたこともあり、少し強気でお店の人に好みと違う旨の気持ちを伝え、それが相手の感情も害さずにすんだのですが、なかなか勇気のいることです。

 外食の時には、つい、食べさせてもらっている、という気持ちになってしまいます。お金を払うのはこちらなので、味付けが好みと違う時には、正直に言うべきなのです。しかし、これがなかなか言えません。

 今日は、いい体験をしました。


2007年12月17日 (月曜日)

新しいシステムに移行

 どうにか無事に、日頃使用しているマッキントッシュの OS を、Leopard(レパード)にしました。
 もっとも、3カ所ある仕事場の内の1つ(Mac mini)だけですが。

 システムディスクは、5台にインストールできるものなので、この調子を見ながら、順次入れ替えていこうと思います。

 ソフトなどは、すべて最初からインストールします。別のMacintoshからデータの移行が可能なのですが、これまでのトラブルを引き継がないためにも、面倒ですが一々入れ直すことにしました。
 コンピュータを信じてはいけないのです。

 内蔵ハードディスクは、これまでは最小の60ギガでした。大きさも小さな2.5インチサイズのものなので、購入したままのもので来ました。しかし、これでは十分な活用ができません。外付けの1テラのハードディスクと連携させていました。それでも、何かと困っていました。ボックスを分解して入れ替える作業が面倒だったこともありました。

 今回、200ギガのハードディスクを、量販店で購入しました。価格は、何と1万2千円でした。驚きです。しかも、メーカーは東芝です。東芝の小型ハードディスクの定評は高いのです。

 今から20年以上も前の話ですが、私が最初に購入したハードディスクはNECのもので、10メガ型が45万円しました。5メガにするか10メガにするか、寝ずに考えての決断が10メガだったことを思うと、1つ上の単位の200ギガが今は1万円とは、まさに浦島状態です。おまけに、私の机の横では、1テラのハードディスクが2台あり、それぞれに自動的にバックアップさせています。

 テラはギガの上の単位なので、人間のやることは予測不可能です。自分がそんな中にいること自体が、すでに混沌の館です。
 これでは、世界観の変革が必要です。このようなコンピュータの秒進分歩に、自分が対応しながらついてきたのですから、我ながら感心してしまいます。よくも気が狂わなかったことだと。

 おまけに、今日は内蔵のメモリも、1ギガのものを2枚買いました。これも2枚で1万3千円なので、量販店恐るべし、を実感しています。
 ここでまた、20年以上前に、128キロのメモリを5万8千円で買ったことを告白すると、これまた夢語りになってしまいますね。キロはメガの下の単位で、ギガの下の下の大きさを示すものなのですから。

 そんなこんなの、猛烈な時の流れを感じながら、何事もなかったかのようにこうしてコンピュータを操作して文章を綴っているのです。不思議なものです。


2007年12月10日 (月曜日)

コンピュータ離れ宣言

 マッキントッシュのOSがバージョンアップされました。
 いつも、先陣を切って新しいものに対応して来ました。そのために膨大な時間を費やしてきました。
 最初のモノにはトラブルがつきものです。その不完全なものに対処するために、必ず、たくさんの労力と時間が吸い上げられます。

 仕事の8割は、コンピュータのご機嫌取りをしている、と常々言っているだけの痛い目にあって来たからこそ、自信を持って8割が無駄と言えます。無駄と言うことばが不適切なら、活用のための準備作業ということになります。

 見方を変えれば、トラブルを無事に回避できた時の快感が忘れられなくて、コンピュータにどう対処するか、という方に意義を見つけていたところも、無きにしもあらずです。
 まさに、本末転倒です。道具の使いこなしに懸命になっていたのですから。
 それだけ、コンピュータが未熟な文房具

 今回のマックOSのバージョンアップには、柄にもなく慎重にまわりの様子を見ていました。そして、1ヶ月以上経ったので、もういいだろうと、新しいOSに移行するためのインストール作業を始めました。

 ところが、問屋はそうは卸してはくれません。またまた、とんでもないことに直面しました。

 先ほどまで、インストールをしようとしたパソコンは、今は完全に無反応となり、使い物になりません。ただの箱と化しています。
 仕方がないので、使わなくなっていたパソコンを取り出して、ようやく何とかネットにつなげることができたところです。

 簡単に説明します。
 これまでは、タイガー(Mac OS X 10.4)を快調に使っていました。今秋、新たにバージョンアップしたレパード(Mac OS X 10.5)と言うシステムが公開されたのです。
 新システムに移行するために、ジッと機会を狙っていました。
 そして、たくさんのネットの書き込みを見て、もういいだろうと判断し、ようやくタイガーからレパードへ移るためにインストール作業を始めたのです。ところが、途中でエラーが出て、インストールに失敗したとのメッセージがでました。そこで、指示通りに再起動をしたところ、何とパソコンがウンともスンとも言わなくなりました。

 仕方がないので、アップルに電話をして、アドバイスをもらうことにしました。すると、こちらの説明を聞いた後に担当者は、内蔵のハードディスクを初期化する以外に方法はない、とのことでした。
 つまり、これまでのプログラムやデータはすべて消えてなくなることになります。それでも、いろいろとクリアーすることがいくつかあるようです。写真の取り扱いなどで。
 私は、3ヶ所で仕事をしているので、後の2個所のデータを持ってくれば、ほぼ旧態に復することはできます。しかし、各種ソフトウェアの再インストールや、データの調整などなど、たくさんの時間が余分にかかることは事実です。

 どうやら、最初から初期化を前提にしてのインストールなら、このようなことは起らないそうです。これまでのシステムの上に新しいシステムを上書きしようとする場合に、このような致命的な死刑宣告を受けるようです。
 公式には発表されていませんが、どうやらこのような症状で苦渋を舐めた人が相当数いるような口ぶりでした。
 この被害は、今後とも増えることでしょう。

 とにかく、この仮死状態のパソコンをどうするのか。しばらくはこのまま眠っていてもらうことにします。

 私は、人にパソコンの違いを聞かれた時に、ウインドウズはビジネスマシンで、マッキントッシュはクリエイティブマシンだ、と答えています。

 それだけに、私が手にするパソコンは、という限定付きにしますが、トラブルは頻繁です。高い性能や機能を気に入っているだけに、その分トラブルに巻き込まれる可能性も高いし、そのような使い方をしているとも言えましょう。自分の思考の肩代わりをしている部分がある、とそう思う事で、自分を納得させています。
 かと言って、ウインドウズのビジネスユーザーに降りる気は、さらさらありません。

 システムの更新は、すんなりと出来たためしがありません。これまでにも、何度もアップルの電話サポートを受けています。
 パソコンとの付き合いの8割は、仕事のためのメンテナンスに費やされている、という持論を、今回も証明してしまいました。

 もう、5年ほど前からでしょうか、だんだんと、コンピュータ離れを意識してしつつありました。そんな時期だけに、これで私のコンピュータとの付き合いは、より一層距離をおくことになるかと思います。
 自分の文学関連の研究に、コンピュータとかパソコンとかデータベースということばは、確実に使わなくなっています。

 コンピュータのトラブルに巻き込まれることには馴れているので、今回の事態に動ずることはありません。このことで感情的になってはいないのですが、これまでのコンピュータから引きぎみだった姿勢が、ますますそうなるのは確実です。
 利用できるときには利用する、というユーザーになっていくように思います。

 スパムメールを毎日600通以上削除している日々の中で、いかにコンピュータを使わない生活に戻るかは、さらに真剣に離れ方を考える事態となりました。
 最近はメールを適当に読み流しています。適当に、エイヤッと膨大な量のメールを削除しています。
 メールを出しても返事がない、と不審がっていらっしゃる多くの方へ、ここでお詫びします。実は、適当な機会に、見もしないで削除しています。

 メールを送った方は、無視されたのではと思われるかもしれません。失礼なことであることは自覚しています。それでも、致命的なことには立ち至ってはいないので、結局はメールはそれだけの簡便な事務連絡レベルのものだと、得心しています。
 というよりも、私の仕事の上では、それが可能だ、ということです。
 社会の大勢となっているメールによるコミュニケーションを、自らの意思で無意味なものにしようとしているのです。こんな対処法も、場合によっては認められてもいいのではないでしょうか。

 利用できる範囲で、利用できることだけに活用する、というコンピュータの使い方です。

 今後とも、メールでの連絡を取っておられる方は、私がそのような考え方に変りつつあることを、どうかご理解ください。

 コンピュータに30年近く親しんできた結果が、コンピュータ離れのすすめ、ということに落ち着きました。
 皮肉なものです。
 と言うよりも、コンピュータに頼りすぎてきたことへの、自分としての反省からの帰着点です。

 歳をとったせいで、コンピュータがうまく使えなくて、ということを口実に、当分は不義理を重ねることになります。
 しかし、これも止むを得ないことと、私の中では納得しています。
 後は、私のこの方針と、社会がコンピュータやインターネットを過信している状態が続いていることと、どう折り合いをつけるか、という問題になります。
 難しいことは考えず、コンピュータやインターネットとの付き合いは、適当にかわしながら生きていくことにします。

 毎度のことながら、コンピュータに手痛い目にあわされた時には、落ち込むことが多かったように思います。しかし、今回は、一つの自分なりの対処法が確認できたのです。
 意義深いトラブルになった、と思う事にします。



2007年12月 7日 (金曜日)

崎陽軒のシュウマイ

 横浜・崎陽軒のシュウマイが、原材料名の記載順を偽っていたということで、販売休止となっていました。

 先週の金曜日は、東京駅の売店では撤去されたままでした。それが、今日の金曜日には、ズラリと並んでいました。
 京都に帰るときに、夕刻でもあるので、少しお腹を満たすために買って新幹線に乗ることがよくあります。
 そこで、今日も早速、一包み購入しました。
 15個入りで550円です。

 売り子さんに聞くと、先週の土曜日から販売を再開したのだそうです。

 写真を見れば、あれか、と懐かしく思い出される方も多いことでしょう。いまだにこのパッケージで健在なのです。


Izh9j4az_sシュウマイ



 裏をみると、原材料名の並び方が、ニュースで話題になっていた通りに、「豚肉、たまねぎ、澱粉、小麦粉、干帆立貝柱、……」と、修正されたシールになっていました。


Hobs3cef_s原材料名表示



これが以前は、「豚肉、干帆立貝柱、……」だったことが問題にされたのです。「干帆立貝柱」が、いかにもたくさん入っているような誤解をまねくので、正確ではなく、法律違反だということでした。

 正確ではないということでは、やはり正しいほうがいいのでしょう。しかし、食品偽装のとばっちりと言えなくもありません。

 いずれにしても、復活を祝いたいと思います。

 それにしても、シュウマイや豚まんは、そのニオイが気になりますね。電車の中などでは、開いて食べるのに気が引けます。その包みを持っているだけで、回りへの配慮をしてしまいます。

 おいしいものだけに、この匂い対策にも、企業努力をお願いしたいものです。

2007年12月 6日 (木曜日)

私の好きな父の川柳

 12月3日の「京洛逍遥(18)八坂神社の西楼門」で、父の川柳を紹介しました。
 改めて読み直しましたので、その中で気に入っている句を紹介します。


Fyqfqkt6_s父の句集



 なお、この『句集 ひとつぶのむぎ』は、昭和58年(1983)4月に私家版として刊行したものです。限定出版だったので、関係者しか知らない本です。この本は、父の川柳を、癌で死ぬことがわかってから急遽3ヶ月間で句集としてまとめて刊行したものです。ただし、まだパソコンが普及していない時代におけるディスクトップ・パブリッシングだったこともあり、技術的にいろいろな問題に直面する中で、個人出版レベルで刊行に漕ぎ着けたものです。

 それはさておき、こんな句があります。

  横に這う蟹に教わる事なきや
  タテに這えと子供をしかる蟹の親
  貧しくも明日への光子の寝顔
  我が家にも壁画残して子の育ち
  またあの子が自己主張した爪はじき
  食えるまでにするのが大変男の子
  へそくりを又はき出して子の育ち
  スキヤキへ済まぬと苦学の子に詫びる
  子の帰省妻食わせたいものばかり
  孫帰り元の二人へ月の影
  内孫が期待通りの女の子
  トイレにも本棚作り文科系
  気の長い話で母を喜ばせ
  初恋は歩いただけのコンチキチン
  コンピュータに合点のゆかぬ大安日
  大安に火入れ式する原子の炉
  祝辞延々あくび同志は下を向き
  言い勝って空しい風が吹くコタツ
  民族衣装ひとりで着られぬ国もあり
  あの球は打つべきでしたネット裏
  勝つべきでないぞこここそ負け所
  悩み相談受ける側にも悩みあり
  親切の切り上げ時を知らぬ人
  帰り道かすかな悔を月になげ
  辞書にない知識父母から受けたもの
  出ばやしは遂になかった亡父の運
  老残を思うカラカラのセロテープ
  世話人に名を連ねてる出世組
  潰瘍を教えてソッと拭く涙
  五百羅漢の中の一人に父を見た

 この句集ができ、自分の手で発送をすべて終えた数日後、残された父の遺品の中に、こんな句がありました。

   5ヶ月の内孫に
  病窓にいとし笑顔見る今宵
  週毎の成長の度を支えとし
  ランドセル背負う姿を見るまでは
  幼くも私一人は平群人
  みな持って行くぞこの子の苦と病い

   外孫に
  強くあれ祖父の命は召さるとも
  見舞状お元気ですかおじいちゃん


 この句集を残しての旅立ちでした。
 そして、父は自分の病名を知っていたのです。
 我々家族は隠し通したつもりだったのですが……。
 最後まで快くだまされてくれた父に感謝しています。

2007年11月28日 (水曜日)

ささやかな紅葉を楽しむ

 今年の紅葉は1月遅れ、といわれています。
 確かに、遅いようです。

 東京にいる時にも、出歩くエリアが限られているせいか、きれいな紅葉には、まだ出くわしていません。

 宿舎のベランダから外を見ると、目の前の木が紅葉していることに気づきました。

Sqz1j19x_s紅葉


 敷地の庭の大通り側に、ポツンと紅葉した木があったのです。よく見ると、2本の木が重なっているために、枝の厚みが増して、さまざまな色のグラデーションが楽しめます。

 若葉色から紅色まで、優しい温かさが感じられます。回りの木が常緑のため、この木だけが目立っています。少し不自然なたたずまいですが、ささやかな存在で、目を楽しませてくれます。

 散り敷く落ち葉の絨毯も、他に何もない平らな庭なので、これもきれいです。
 印象派の絵は、光を色の点で表現しています。その効果が、こうして目の前で確認できるのです。1枚1枚の葉が、筆の先で押された色の点なのです。
 私の部屋の窓から見られる光景は、まさに、切り取られた絵の教材だとも言えましょう。

 どのような経緯でこの木だけが紅葉しているのかはわかりませんが、新しく見つけた楽しみの1つになっています。

2007年11月26日 (月曜日)

命にかかわる緊急事態のための講習

 先ほどまで、3時間にわたって、エマージェンシー・ファースト・レスポンスの講習を受け、今帰ってきました。

97ooek2e_s心肺蘇生法


 何をしてるんだ、暇だな、やることを一杯積み残しているだろう、早く原稿を書いて送ってくれ、書類がまだ提出されていないけど……、メールの返事をまだ出していないって?、報告書は……、企画書は……、会議資料は……、原稿依頼の結果は……、ゲラを早く見て返送してください……、とまぁ、日々催促に追われる中にもかかわらず、マネキン人形を相手に、人命救助の認定講習に行ってきました。

 この世に生まれ、多くの人に助けられながら生きてきたからには、死ぬまでに1人の命は助けてあげる義務がある、と思ってきました。

 地球上での一匹のお邪魔虫にすぎなかった、ということにならないためにも、救命救急のお手伝いなら、死ぬまでに一度はお役にたてるのでは、と、かねてより思っていました。

 それも、私は人様のお役に立つような仕事をしているわけではないので、なおさら何かを、という思いを強く持っています。突然の非常事態に遭遇した時に、「市民の救助者」の1人にはなれるのです。

 そんなこんなの思いから、やっとエマージェンシー・レスポンダーになることができるようになりました。

 エマージェンシー・レスポンダーというのは、まだまだ認知されていないと思います。
 これは、医療処置が必要な非常事態の現場で、プロの救急隊が到着して専門的な医療行為が開始されるまでの間に、一市民の立場で緊急援助の手を差し伸べる人のことを指します。
 心得だけに留まらず、実践の技能を身につけることを目標とするものです。
 一生の内に一度でもいいので、人命にかかわる何かの時に、人様のお役に立てれば、という思いから、この講習を受けたのです。

 そもそものきっかけは、スキューバー・ダイビングをやり出したからです。その延長線上の、スキルの1つとしてのものでもあります。

 私はまだ、生命にかかわる緊急事態に直面したことがありません。私自身は、これまでに何度か死に直面しました。しかし、第3者として、そのような場面に遭遇したことはないのです。

 突然意識を失った人がいた時などに、専門的な訓練を受けていなかったこともあり、一命は取り留めたものの、意識を回復させるまでには至らなかった、という話はよく聞きます。これは、致し方ないことです。人命救助の心得の必要性を痛感する時だそうです。
 生命にかかわる緊急事態に直面した時に、その状態に対応できる手順と技術は、持っていて損はありません。邪魔にならないものならば、持っていればいいのです。

 今日の講習で、最初に感心したのは、心肺停止状態の人には、手を貸さないと事態は悪くなるばかりだけれど、何かしてあげれば事態は良くなる可能性がある、ということでした。
 何もしないよりも、何かをした方がいい、というのは、確かに正論です。特に、命に関する場合には。
 そのためには、勇気が必要です。問題は、この勇気だけだといえるでしょう。そのためにも、手助けの心得と技術の習得は、やって無駄ではないことです。

 さらに驚いたのは、救急処置が必要な人を発見した時に、優しく「大丈夫ですか」という声をかけることと、自分が手助けをしていいのかを、一応相手に確認する、という手続きに関することでした。
 実際には、
「どうしました? 私は、エマージェンシー・ファースト・レスポンダーの○○です。お手伝いすることはありますか? 」
 と、患者に救助してもいいかどうかの許可を得ることから始まるのです。意識がある人に対しては、許可が必要なのです。自分がトレーニングの受講者であることを伝え、相手の不安を取り除くことが肝心のようです。
 もちろん、相手が意識を失っている場合には、ほとんどの法令では、暗黙の内に許可されたものとして緊急ケアに移れるのだそうです。緊急ケアを、その人に強要してはいけないとのことです。

 救急車が来るまでの、心臓を蘇生させるための実習では、
こんな人形を使いました。

6jivxutv_sマネキンの内部


 心肺停止を確認するまでの手順を経て、心肺蘇生法としての胸部圧迫となります。心臓から動脈へ、強制的に血液を送り出すための支援をすることになります。

 これまでは、胸部を押さえることを15回行なってから2回息を吹き込む、とされていました。しかし、昨年からは、30回の胸部圧迫の後に2回の息の吹き込みと変更されたのだそうです。蘇生の効果からの変更のようです。

 もっとも、手による胸部圧迫では、通常の血流の3分の1しか送り出せないそうです。救急隊が到着するまでの、回復のチャンスを増やすためでもあり、回復の確率を高めるための時間稼ぎでもあるのです。

 今日は、その他に、包帯の仕方や、三角巾の使い方などの後、今話題のAED(自動体外式除細動器)の使い方も学びました。
 AEDは、呼吸をしていない人に対して、自動的に電気ショックを与えるための道具です。最近は、駅や公共施設で、または街角で見かけることが多くなりました。

 とっさの場合に、勇気と自信をもって対処できるような心構えと技能を持っていることは、これからの共存社会では必要なものだと言えるでしょう。

 今日の講習を通して、ないに越したことはありませんが、身につけていて邪魔にはならないものとして、このエマージェンシー・ファースト・レスポンスの習得は価値あるものだ、と実感しました。

2007年11月24日 (土曜日)

【復元】デタラメで強引な警察の捜査

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月24日

免罪事件の背景にあるもの


 富山県警が誤認逮捕し、その結果7年も服役した男性に謝罪したというニュースを見て、懲りない面々についての私の体験を記します。
 警察の捜査のデタラメさについて、私が知っている範囲で報告しましょう。

 今から三十数年前のことです。

 私が大学1年生の冬でした。当時は新聞配達店に住み込みで生活をしていました。ちょうど私の成人式のある数日前の出来事です。

 早朝、住み込みの新聞配達店から出火し、全焼しました。

 夜明け方のことでした。自分の3畳の部屋に白い煙が充満しているので目覚めました。今ごろ誰がゴキブリ駆除のバルサンを焚いているのだろう、と思って戸を開けたところ、突然真っ赤な炎と熱風が部屋に押し寄せてきました。

 2階にいたので、慌てて反対側の窓から飛び降りました。苦しさのあまり、何も考えずに窓から飛んだのですが、たまたま目の前に電信柱があったために、それにしがみつく格好で下に降りることができました。
 ただし、その下にガラスなどのワレモノがあったために、手や足は血だらけになりました。
 あいにくの雨の中を、足から血を滴らせながら安全なところに退避して、燃え盛る新聞配達店を見つめるしかありませんでした。

 すぐに朝刊を配達する時間となり、血だらけの足と手で、寒さに震えながら400部以上の新聞を配り終えました。
 血のついた新聞を配ったことについては、今でも申し訳ないことをしたと思っています。何を着て新聞を配ったのか、まったく記憶がありません。ただ、むしょうに涙が止まらず、泣きながら配ったことは鮮明に覚えています。

 今にして思えば、その新聞には、井上靖の『星と祭』が連載されていたのです。そうであるからこそ、井上靖は私にとっては無縁な人ではないのです。

 それはさておき、出火の直後は近くの神社に仮の退避場所を確保してもらい、区から支給された毛布にくるまって休んでいた時です。消防署と警察署から事情聴取に呼ばれました。

 私は、自分の成人式のイベントとしてのマラソン大会に、脚力と持久力に自信があったこともあり、エントリーしていたのです。しかし、この数日にわたる消防署と警察署の執拗な呼び出しのために、成人式祝賀のマラソンの出走は断念しました。

 それ以後、消防署と警察署には、何度も呼び出されました。そして、いつも同じことを聞かれました。
 出火の前の晩に、新聞配達員の仲間と飲みに行っていたことを根拠に、帰りに駅で火をつけたタバコを、店の前でポイ捨てしただろう、ということが、事情聴取の眼目のようでした。その線で、出火の原因をでっちあげたい意向のようでした。

 私はタバコを吸いませんし、たとえ駅で火をつけても、販売店につくまでに火は消える距離だということを言いました。しかし、聴取は執拗でした。

 あまりにも非常識なことばかりを言われるので、私が駅から販売店まで、実際にタバコに火を付けて持って歩いて、その途中で火が消えることを実証しました。それでも、彼らは、火災の原因をタバコのポイ捨てにしたいようでした。
 私はあまりにも消防署と警察署の人の知的レベルの低さに呆れて、適当に対応している内に、私への容疑はなくなったようで、1週間後には呼び出されなくなりました。

 反対に、仲間の一人に攻撃が集中するようになりました。どうしても犯人を仕立て上げたいようです。標的にされた彼は、ヘビースモーカーでした。とにかく毎日、ため息と愚痴が止まらないほどに、これでもかこれでもかと呼び出されました。
 そして、その人は私に、あまりに執拗な尋問に耐えかねて、もう自分がやりました、と言った方がずっと楽になる、と言い出したのです。私は、出火の前まで彼と一緒に行動していたので、絶対に彼が犯人ではないことを消防署と警察署に言いに行ったのですが、その後も執念深く仲間である彼を、失火の張本人にしたてあげようとしたのです。

 疑われた仲間には、とにかく無実であることを主張しつづけるしかないことを。また、追求の苦しさから逃れるために自分がした、ということを言わないように念押しをして、とにかく何とか擦りつけられる汚名を被らないようにしなければ、ということを言いつづけました。

 結果としては、失火原因は不明となったと思いますが、実際の書類処理はどうなったのか、あの時の捜査官の様子では、どうなったのか、わかったもではありません。あの時の権力者側の対応は、本当にひどいものでした。

 今回の富山県のニュースを見て、なぜあの人は服役したのか、疑問に思われる人が多いと思います。
 しかし、私は自分の体験から、少しでも厳しい追求から逃れて気持ちの上でも楽になりたくなる、疑われた人の気持ちがよくわかります。

 正しいことを主張しても、それがいつも通るのではない社会であることは、今も変わらないようです。

 警察も消防も、多くの方は、真剣にみんなのために仕事をしておられると思うのです。しかしながら、そうではない人もおられることは事実のようです。
 犯人の検挙率を優先した捜査は、無実の人を犯人に仕立てる場合もあることを、よくよく知っておくべきではないでしょうか。

 疑われたら、とにかく妥協せずに、事実を誠意を持って訴え続けるしか、自分を助ける道はないようです。

 残念なことですが。

2007年11月23日 (金曜日)

【復元】欠陥ハードディスクケース

(※本記事は、本年3月に消失した分を復元したものです)

☆2007年1月13日

またまた動かない商品でした

 昨年末の12月15日に「即日返品したハードディスクケース ー開封後すぐにわかった不良品ー」という拙文を書きました(http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=2006&month=12&id=1166194000)。欠陥品である「ニコイチ SATA」(センチュリー製)に関するものでした。


Rh4j8fz1_sケースの箱



 年末年始の忙しさから、送り返されてきた新品は、開封せずにいました。ようやく少し落ちついたので、使うことにしました。
 まずは、ケースに入れる2台のハードディスクを念のために初期化しました。そして、慎重に取り付けました。
 ところが期待に反して、やはりこのケースもダメでした。


Evmxcbmd_sケースの中身



 2台のハードディスクの内、1台分しか認識しないのです。いろいろとやってもダメなので、またサポート係へ電話をしました。
 電話口でイロイロと言われるままに操作をしてもダメです。この「ニコイチ SATA」に取り付けたハードディスクは、その初期化すらできません。
 担当者は、それを再度送り返してくれと言うのです。それも、私が組み込んだハードディスクも、2台とも送ってくれと。私が使おうとしているハードディスクは、バッファローのキチンとした単品販売の商品です。バルク品ではないのです。別のボックスに取り付けると、正常に使えるものです。私はセンチュリーのテスターではないことを伝え、このハードディスクを手放すことは拒否しました。またやりとりに日数がかかり、梱包などの手間のかかることでもあるので、私は返送を断りました。そちらがきちんと動くものを送るべきだと言いました。
 そのような例がない、などと言っていましたが、とにかく1日も早くバックアップ作業をしたいことを伝え、新品が翌日に私の元へ届くように手配してもらいました。

 翌日届いた「ニコイチ SATA」は、これで3台目になります。今度も、またまた初期化し直したハードディスク2台を取り付けたのですが、やはり2台目のハードディスクを認識しません。
 また、サポート係に電話です。今度も言われるままに作業をさせられました。やはりダメです。ただし、イロイロとやっている内に、今度は「ニコイチ SATA」で初期化はできるようです。1台ずつ初期化をし、そして2台をつかえるように切り換えると、ようやく使えるものになりました。

 サポート担当者の話では、「ニコイチ SATA」で初期化しないといけない原因があるようだ、とのことでした。詳しいことはわかりません。初期化をする機械が限定されるなど、そんなに特殊な商品なのでしょうか。

 何はともあれ、これでバックアップ用として使えるようになりました。来週にでも、部屋の片隅に置かれた不具合のある「ニコイチ SATA」を、センチュリーに返送します。面倒な作業ですが。

 私は、辛抱強くサポート担当者とやりとりをしました。諦めないことですね。

 欠陥商品が氾濫しています。
 コンピュータを使って仕事をする際に、少しでも使いこなし出すと、8割はコンピュータの機嫌伺いに費やされ、実際の仕事は2割の時間で片づけている、というのが持論です。
 これは巡り合わせの問題でもあると思われます。私の場合は、ということにしておきましょう。

2007年11月20日 (火曜日)

トルコ製カーペットの怪

 東京の住まいでも、冬の訪れとともに寒さを感じるようになりました。

 京都の我が家は古い町屋を改造したものだけに、隙間だらけです。これからますます厳しくなる冬の寒さが、今から思いやられます。

 その点、東京の宿舎はマンション形式なので、アルミサッシで密閉性が高く、天気のいい日はホカホカと暖かいので助かります。
 もっとも、エアコンのない生活なので、初めての今年の夏の日中は、扇風機だけでは我慢の限界があり、おのずと部屋が少しでも熱気の冷めたころに、遅い時間帯に帰る日々でした。

 コンクリートの箱の中は保温性があるとは言っても、フローリングの床は、少しヒンヤリと感じます。暖房器具はささやかなストーブが1つという生活なので、冬の寒さに備えて、床だけでも温もりがあるようにしようと思い、カーペットを買ってきました。

 近所のホームセンターへ行くと、トルコのカーペットが大処分となっていました。予想外に安くなっており、さらに千円引きとのことなので、すぐに買いました。

 数年前にトルコへ行った時に、大きめのマットを買って帰りました。デザインが気に入ったので、少しかさばりましたが、トルコを思い出させるもので、いい買い物でした。

 さて、帰ってからカーペットを敷いてみると、思ったよりも小さかったので、すぐにもう1本を買いに行きました。
 ところが、さきほど10本近くは立て掛けてあったカーペットの丸太が、1つもないのです。売り場から撤去されており、ベルギー製のものはまだありました。
 店員に聞くと、ハッキリしない返事です。

 先ほどの領収書を見せて、同じものがほしいと言うと、倉庫に残っていたという1本を渡してくれました。
 先ほどは、私が買ったものと同じ柄のものがまだもう1本あったのに、もうないとのことです。そんなに短時間に、このカーペットが売り切れるはずはないので、とにかく変な話ではありますが、先ほどはパスした柄のものを、とにかく買って帰りました。
 もっとも、先ほどと同じように千円引きにしてもらうのに、少し手間取りましたが……。

 2枚のカーペットを部屋に並べて敷くと、なかなかいい雰囲気になりました。

K9xrn3e9_s2枚のカーペット



 それにしても、変な話だな、と思いながら、カーペットの裏を見ると、こんな品質表示と取り扱いの注意を書いたものが貼り付けてありました。


7c6ijyg0_s製品表示



 左側の赤地の方に、今回のホームセンターの名前があります。輸入の関係なのでしょうか、このシールに販売店の名前がある意味がよくわかりません。
 それはともかく、右側のシールをよく見ると、文字が裏表逆になっています。
 はてな、と思って端を少しめくってみると、裏は真っ白で、そこに糊をつけて貼ってあるのです。
 なぜ、取り扱い説明文の文字が、わざわざ反対に印字されているのでしょうか。日本の文字がわからない外国で印刷されたものなので、こんな変なものになったのでしょうか。
 しかし、よく見ると、これは日本で印刷されたもののようです。

 何がどうなって今回こうして私のところに来たのかは、今は判然としません。しかし、私はこのカーペットが気に入っているので、詮索はやめておきましょう。

 あのお店の倉庫のどこかに、突然引き上げられたトルコのカーペットが、何本も積まれているはずです。何か、お店の事情があるのでしょう……。

 何となくミステリーです。

2007年11月18日 (日曜日)

つもり違い十カ条

 長崎県美術館(http://www.nagasaki-museum.jp)の米田耕司館長から、3種類のカードをいただきました。
 おもしろいので、紹介します。

 まずは、高尾山薬王院の「つもり違い十カ条」というものです。



高いもつりで低いのは 教養
低いつもりで高いのは 気位
深いつもりで浅いのは 知識
浅いつもりで深いのは 欲
厚いつもりで薄いのは 人情
薄いつもりで厚いのは 面の皮
強いつもりで弱いのは 根性
弱いつもりで強いのは 我
多いつもりで少ないのは 分別
少ないつもりで多いのは 無駄




 併せて、こんな詞も教えてもらいました。


「福不可量」(ふくふかりょう)



 これは、「幸せは計算できない」、という意味で、江戸時代の算盤に墨書きされている詞だということです。



 さらに、回文も教えてもらいました。



悲しい世にも 友は良し 夜半も共に 酔いし仲
(かなしいよにもともはよしよはもともによいしなか)



 フッと目に留めたその時には、うまく言ったものだと感心しても、すぐに忘れてしまいます。
 これは、私にとっての備忘録です。

2007年11月17日 (土曜日)

お寿司をポン酢で

 毎日食べているお寿司ですが、最近は醤油ではなくて、ポン酢で食べています。
 醤油の味が強く感じるようになったからです。

 ポン酢にしたら、酢飯の味がやや甘くなるように思います。
 寿司ネタにポン酢をつけないようにして、ご飯に少しつけます。ご飯が崩れやすくなりますが、そこは箸でつまんでサッと口に入れます。

 マグロもハマチも、今は何でもポン酢で遊んでいます。飽きたネタから、順番に醤油にもどすつもりです。

 さて、どんな順番でポン酢から離れて行くのか、今後の展開が楽しみです。

2007年11月14日 (水曜日)

3月にクラッシュした題目

 3月にクラッシュした私のブログは、復活できるものは以下のアドレスで公開しています。

http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php

 ただし、画像はまだ表示されませんが……。
 いずれ、何らかの形で復元します。

 手元に資料があるので、上記のブログで再現できていないものの題目だけでも、以下にあげます。
 すべて、今年の正月以降のものです。

 この中から、復元できるものは、今後とも適宜このブログの中で紹介しましょう。

**************************************************

西冷印社の印鑑 ( 3-文房四宝 ) / 07-03-10 21:58
  ―街中と空港の価格差は4倍?
最澄・成尋が登った天台山へ ( 9-身辺雑記 ) / 07-03-09 11:03
  ―出発前に他界した義父を偲ぶ?
中国・杭州の回転寿司 ( 7-お寿司 ) / 07-03-08 23:43
  ―日本と同じ感覚で食す?
中国で聞いたお琴の調べ ( 9-身辺雑記 ) / 07-03-07 00:55
  ―茶屋での実演を聞きました?
『源氏物語』の外国語訳 ( 1-古典文学 ) / 07-03-06 02:29
  ―中国での本との出会い?
出国前に食べたお寿司に感謝 ( 6-不可解 ) / 07-03-06 02:23
  ―こんな機内食もあるのです?
盛会だった国際集会 ( 2-国際交流 ) / 07-03-06 01:29
  ―実りある1日でした?
早春のデリーに響く琴の音 ( 2-国際交流 ) / 07-03-03 12:49
  ―第3回インド日本文学会を開催して?
微熱のデリー ( 2-国際交流 ) / 07-02-27 15:56
  ―来てから少し体調が良くなりました?
お寿司のない食生活 ( 7-お寿司 ) / 07-02-23 03:18
  ―高熱とノドとの戦い?
井上靖卒読(11)風林火山 ( 5-読書雑記 ) / 07-02-19 23:55
  ―NHK大河ドラマに失望しました?
ロンドンの回転寿司 ( 7-お寿司 ) / 07-02-18 23:50
  ―やはり贅沢な食事??
機内で観た3本の映画 ( 9-身辺雑記 ) / 07-02-15 22:56
  ―小雨のロンドンから晴れのケンブリッジへ?
3月に国際学会を開催します ( 1-古典文学 ) / 07-02-12 01:14
  ―『源氏物語』を中心とした国際会議?
続・やぶ医者の薬 ( 4-健康生活 ) / 07-02-11 23:49
  ―30日分は間違いだったとか?
やぶ医者の薬 ( 4-健康生活 ) / 07-02-10 23:52
  ―何を血迷ったか30日分の投薬?
回転寿司に関する最新情報 ( 7-お寿司 ) / 07-02-09 01:43
  ―まさに日本を代表する文化です?
井上靖卒読(10)愛 ( 5-読書雑記 ) / 07-02-06 23:47
  ―男と女の間に生ずる情について?
米子の井上靖記念館 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-29 23:49
  ―井上靖の応接室と書斎を見る?
鳥取でも鰰が捕れる ( 7-お寿司 ) / 07-01-29 00:14
  ―秋田だけではなかったのです?
古都散策(27)かぐや姫ゆかりの地 ( 1-古典文学 ) / 07-01-28 07:46
  ―突然古代にスリップする?
息子が作ったお弁当 ( 4-健康生活 ) / 07-01-26 23:22
  ―血糖値をコントロールする日々の中で?
デタラメで強引な警察の捜査 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-24 23:34
  ―免罪事件の背景にあるもの?
井上靖卒読(9)戦国無頼 ( 5-読書雑記 ) / 07-01-14 23:42
  ―ヒロインの誕生?
欠陥ハードディスクケース ( 3-文房四宝 ) / 07-01-13 23:31
  ―またまた動かない商品でした?
井上靖卒読(8)紅荘の悪魔たち ( 5-読書雑記 ) / 07-01-07 12:28
  ―舞台で演じるとおもしろい劇になる?
井上靖卒読(7)雷雨 ( 5-読書雑記 ) / 07-01-06 11:18
  ―結末のみごとさ?
本年元旦の朝日新聞に掲載される ( 1-古典文学 ) / 07-01-05 23:40
  ―海外の『源氏物語』の翻訳本のこと?
井上靖卒読(6)波紋 ( 5-読書雑記 ) / 07-01-05 22:34
  ―純粋な人間の魅力?
古都散策(26)広瀬神社へ初詣 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-04 23:41
  ―奈良じゅうの川が集まる所?
古都散策(25)信貴山朝護孫子寺へ初詣 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-03 00:06
  ―山伏さんに頭と肩へ祈祷をしてもらう?
古都散策(24)龍田大社へ初詣 ( 9-身辺雑記 ) / 07-01-01 18:52
  ―人出の多い元日の龍田越え?


2007年11月12日 (月曜日)

やる気のないアルバイト店員

 地下鉄戸越駅のそばに、和食ファーストフードチェーン店の「なか卯」があります。
 時間がない時などに、手軽に食べられるので利用します。

 その店で、とんでもないアルバイト店員にであいました。

 まず、大きな荷物を持っていた私は、4人掛けのテーブルに着席しました。
 2つの椅子に荷物を置いた時です。店員の女性が、1人か? と聞くのです。そうです、と答えると、カウンター席に移動してくれ、とのことでした。
 重たい荷物を下ろして、やっと座ったと思ったところでしたが、その言い方が尋常ではなかったので、逆らうこともないかと思い、やおら重たい荷物を狭いカウンター席の隙間に置いて、カウンターの丸イスに座りました。
 混んでもいない店内だったので、変な人だな、と思いました。

 しばらくすると、カウンターの向かいに座っていた人が、大声で、注文を取ってくれangry、と叫び出しました。
 私よりも前に座っていた人なので、ずっと待っていたのでしょう。

 アルバイトの女性は、私よりも後に来たことが明らかな人に注文の品を渡してから、その大声をあげた人の注文を取って行きました。

 そうこうする内に、私の隣の人が苦情を言い出しました。さっきくれたこのお茶は、前のお客のだろうangry、と怒っているのです。どうやら、前の客が飲み残した湯飲み茶碗を、下げるやいなや、そのままそれを客に出したようです。もっとも、それでもなかなか持ってこないので、その人は自分で奥に直接お茶をくれ、と言いに行っていました。

 ようやく私の注文品が来ました。

 すると、後ろの4人のお客さんが、イライラした口調で、注文はいつ取りに来てくれるのだangry、と叫んでいます。

 調理場には作る人が1人、そして店にはやる気のない若いアルバイトの娘が1人です。しかたなく、奥にいた調理係らしい男性も、店のお客の対応をはじめました。ということは、注文品を作る人がいなくなったのです。

 私もそうですが、この時に店内にいた人は、もう2度とこの店には脚を運ばないでしょう。

 1人のいいかげんなアルバイトを雇ったばかりに、この「なか卯 戸越店」は何人かのお客を失ったことになります。

 噂は広がるものなので、ここは、近々閉店ではないか、と思っています。それだけ、ひどいアルバイト店員でした。

2007年11月10日 (土曜日)

映画『続・三丁目の夕日』

 前作の『三丁目の夕日』は、公開されてすぐに見ました。今年の2月に、それもインドへ行く飛行機の中で見たのです。
 その時に書いた感想は、インドからネット経由でブログに掲載しました。しかし、それも3月にサーバーがクラッシュしたために、一連の文章は吹っ飛んでしまいました。今年の前半のものが復活できないままに今に至り、映画の内容もスッカリ忘れてしまいました。

 先日、テレビで『三丁目の夕日』を放映していたので、もう一度見ました。
 また、新たな感動を覚えました。いい映画でした。

 ただし、話の前半については、淳之介という子供に対する、芥川賞を目指す作家の茶川さんの、その態度や演技が不自然で気になりました。これは、はじめて見た時にも感じたことです。
 しかし、鈴木オートを中心とした後半は話がうまく盛り上がり、感動的な作品に仕上がっていました。六ちゃんがよかったと思います。

 ノスタルジーに寄りかかり過ぎない、抑制した物語展開がいいですね。高度成長期に、日本人が忘れ去った感のある、人と人とのつながりを、改めて再評価しようとする姿勢が感じられました。

 このテレビ放映を見て、その翌日から封切られた続編を見たくなり、早速足を運びました。

 続編は、茶川さんを中心にした擬似親子を取り巻く話で、町内の人たちを生き生きと描いたものでした。
 物語は、実によくできていました。台本が、よく練られていたからでしょう。ただし、茶川さん役の俳優さんの演技が、今回も気になりました。もっと癖のない人がいいように思うのですが……。

 子役たちの演技は、今回も秀逸でした。

 この映画は、原作のマンガを離れて、独自の世界を作っていけばいいと思います。

 六ちゃんは、マンガでは男ですが、映画では女です。
 その六ちゃんの恋を、次はおもしろく展開してほしいものです。この第2作で彼氏が登場したのですから、準備は整っています。

 『三丁目の夕日』は次の3作目で終わりにし、第4作などは考えずに、同じ西岸良平の『たんぽぽさんの詩』を映画化してほしいと思っています。
 西岸良平のマンガの中でも、さわやかなものが私は好きなので……。
 西岸良平のマンガを、私は昭和50年ごろから読みだし、今も読み続けています。私の世代にとっては、忘れかけた世界を思い出させてくれます。

 いずれにしても、「回想法」という、昔のものに接して脳を活性化させるという性質の、映画や音楽や小説は、今後ともますます作られることでしょう。
 今は、昭和30年代から40年代が、このようにして取り上げられています。ちょうど、私が小学生から中学生の時代に相当します。

 こうした時代の流れは、大歓迎です。
 そして、次にどのようなものが見られるのか、大いに楽しみにしています。

2007年10月23日 (火曜日)

トイレ表示 なぜ男は青、女は赤?

 昨日22日の朝日新聞の「疑問解決 モンジロー」というコーナーで、「トイレ表示 なぜ男は青、女は赤?」というテーマが取り上げられていました。
 日常的に、こうした色による性差はみかけます。また、私も自然にこれを受入れています。そこを、なぜ、と問い掛けられると、戸惑ってしまいます。

 この記事では、こんなことが書かれています。

中世に欧州で描かれた聖母マリアの姿は赤のドレス、キリストは青の衣服を身につけているものが多い。信者たちがそれに影響を受けて、後に男女の違いに分かれていった。欧州などでは新生児の誕生時に男の子に青、女の子はピンクを着せる習慣が今も残っていて、それもここから来ているんじゃないかという。


 我が家でも、赤ちゃんの服をお祝いにプレゼントする時などに、確かにこうした色分けをして選んでいます。もらい物もそうでした。

 こうした傾向は世界的だそうで、男性は青系、女性は赤系を好みの色としているということです。

 さて、日本のトイレの色分けは、1964年の東京オリンピックあたりからで、1970年の大阪万博で知れ渡ったそうです。
 ただし、海外でトイレの表示を青と赤に色分けしている例は少ないらしいのです。
 私は、これまでにいろいろな国へ行きましたが、この色分けがなされていたかどうか、どうしたわけか記憶にありません。じっくりと表示を確認していくことが少なくて、瞬間的に絵を見て男女別を判断してトイレに行くからでしょうか。
 今度、海外に行くことがあったら、よく確認します。

 これは、ジェンダー(文化としての性差)という問題でもあります。
 そこで、この固定観念を排して色分けをやめ、水戸市などではトイレの男女の表示を同系色にしました。すると、男も女も間違って入ることが多く、思わぬトラブルが続出したのだそうです。
 市民千人にアンケートをしたところ、7割が青と赤の色分けを支持したために、結局は元に戻したのだとか……。

 このようなことが起こるのは、日本は文化的なレベルが高いので、さまざまな情報を瞬間的に判断できる人が多いからではないでしょうか。漢字をグラフィックとして判断するよう訓練されているので、絵の違いはたやすいことです。その上、色分けがあれば、なおさら判断は瞬時です。

 今から6年前に、初めてイギリスへ行きました。ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ先生のもとへ、データベース作成の打ち合わせで訪問したのです。これは、今も続いています。次のアドレスで公開していますので、興味のある方はご覧ください。

http://base1.nijl.ac.jp/~oushu/

 さて、、地図を片手に、キャスター付きのバッグを引きずって、ヒースロー空港から地下鉄と列車を乗り継いでケンブリッジに直行しました。ロンドンもケンブリッジも単色の街だというのが、第1印象でした。

 その日は、ピーター先生のご自宅にお世話になることとなり、先生とご一緒に夕食の買い物に出かけました。先生お手製のカレーを作ってくださるとのこと。初対面なのに買い物に一緒に連れて行ってくださり、カレーの材料やワインなどを物色するという、楽しい一時でした。
 買い物をしながら、いろいろな話をした中に、服装のことがありました。
 その日の先生は、赤いパンツを穿いておられたのです。ワインを選びながら、先生は私に、伊藤さんは赤い服は着ないの?、と訊かれたのです。
 私は、ネクタイでさえ赤は滅多にしないんですよ、と答えたら、赤い色は元気が出ますよ、という趣旨のことをおっしゃいました。赤が流行だとも。

 その夜、奥様を交えて先生の通訳を介して、インドの話で盛り上がりました。奥さんは、インドの文学・文化・美術の専門家で、ケンブリッジ大学の先生です。
 その奥様も、真っ赤なセーターでした。対する私は、焦げ茶のタートルネックのセーターに黒いズボンという、いかにも日本風の地味な格好でした。
 浮世絵やインド美術の実物や写真を見ながら、カラフルな話題になりました。色彩に関する感覚の違いに、日本文化を考えるきっかけをもらいました。

 以来、赤いモノを身につけるように心がけることが多いのですが、私にとっては、それでもささやかな冒険ではあります。

 実は、昨日22日の本ブログで、藤田宜永と小池真理子の会話部分を、青と赤で色分けしていました。

http://blog.kansai.com/genjiito/83

 ここから、文章を色分けするのは、性差を考える時には意味がないことがわかりました。
 しかし、トイレの色分けは、重要なメッセージを持っています。

 この問題は、ジェンダーに関連して、いろいろと調査がなされていることでしょう。調べてみると、たくさんの意見が確認できそうです。
 色による区別と、それを我が身に着けることは、まったくの別問題です。私が赤いブレザーやセーターやズボンを着ることは、100%ないことです。私が、そのような文化を持ち合わせていないと思われるからです。しかし、色が持つ役割を理解はできます。

 どうやら、このあたりに切り込む糸口がありそうです。

 ピーター先生は赤いパンツを穿かれます。私にはできません。
 しかし、トイレなどの男女の識別で、私は、赤は自分が属するものではないということには、瞬時に反応します。ピーター先生はどうでしょうか。おそらく、色には関係なく、図や表示で判断なさるのではないかと思われます。今度お目にかかった時に訊いてみましょう。

 いずれにしても再考する価値のあるテーマなので、また取り上げることがあると思います。

2007年10月22日 (月曜日)

今日は22日です。

 新聞を見ていて、今日22日は「夫婦の日」であることを知りました。この記念日は、毎月あるようです。
 さて、「ふうふの歩み」(朝日新聞東京版)という記事で、藤田宜永と小池真理子の作家夫婦が質問に答える形で、出会いから今後について語っていました。
 その最後に、こんなやりとりがあります。


藤田 年を取って良かったのは、物忘れをすること。映画の題名とかすぐ思い出せないから、あれ、あれっ、て共同作業ができる。そうすると夫婦仲がすごくよくなる。
小池 負の状況を共有している時こそ、長く一緒にいるんだなあと、肯定的に思うことができますよね。



 なるほど……。

 最近とみに惚け出した私も、妻と代名詞で語ることが多くなり、何となくわかったつもりの会話になっている時など、少し情けない思いをしていました。しかし、これを、お互いの記憶を確かめ合う共同作業をしているのだ、と思うと、これはこれで楽しくなります。

 また、その少し前で、記者からの「今後はどうなっていくと?」、という質問に、2人はこう答えています。


藤田 「生涯現役」なんて標語を大声で言わなくても、生きていれば、なるようになると思う。我々は一緒になった時から全く計画的でなかった。(下略)
小池 画一的な蓄積型の人生が奨励されているけど、どうしてそんなに頑張んなきゃいけないの、と思いますね。



 これまた、我ら夫婦にも当てはまる意見で、すんなりと納得……。
 これまで通りでいいか、というのが、今日22日の自分なりの結論です。

2007年10月19日 (金曜日)

一仕事を終えてホッと一息

 先週から書類の作成に追われていました。
 それが、締め切りの今日、何とか間に合って提出しました。
 風邪で体調不良の中を、根を詰めて連日コンピュータに向かって文章を書いていたのです。やれやれです。

 しかし、それで気を抜くわけには行きません。
 書類を提出するやいなや、博物館の学芸員の資格を取るための授業に出席するために、つまり学生として授業を受けるために、渋谷の大学へ急行しました。
 今日の授業は、私が現在職場で抱えている来年度の記念展示に関して、大いに参考になる内容でした。特に、国宝や重要文化財を展示するにあたっての法令などの説明は、直面することでもあり真剣に聞きました。
 これは、来年度の展示に関係するだけではないのです。過日の陽明文庫で調査した『源氏物語』の古写本は、重要文化財でした。また、来週行く、京都文化博物館での調査も、重要文化財の『源氏物語』の古写本です。再来週には、奈良の天理大学附属図書館で、これまた貴重な資料を見せてもらいます。
 国の宝物に接する機会が多いので、資格を取るためだけではなくて、日々の調査や研究に直結する勉強を通して、学生として学ぶ楽しさを実感することの多い日々です。

 授業を終え、いつものように、渋谷の回転寿司屋で夕食です。
 今日は、50歳以上の客に小鉢をプレゼントする、というスタンプカードをもらいました。スタンプを50個集めると、小鉢がもらえるそうです。数ヶ月通うと、どんな小鉢がもらえるのか、楽しみです。

 帰りがけに、渋谷の薬局でこの前もらった割引券があることを思い出したので、血糖値を測定するチップと採決用の針を、2カ月分まとめ買いしました。相変わらず、まめに血糖値を測って、自分の健康チェックをしています。

 渋谷から銀座に出て、いつものようにスポーツクラブで泳ぎました。今日は、水泳の後に蒸気のサウナで、タップリと霧を吸ってきました。風邪気味なので、鼻の洗浄です。泡風呂も、先週来の夜更かしの連続だった日々の疲れを、爽快に吹き飛ばしてくれました。
 今日気づいたのですが、このクラブには外国の人が多いように思います。もともとが場所柄か、たくさんの会員がいるとも思えません。こじんまりとした施設です。それだからこそ、外人さんが目立つように思います。
 もっとも、日本語以外は操れない私は、話しかける勇気が出ないのが悔やまれます。日本語が堪能な人たちでしょうが、しばらくは様子を見ることにします。

 小雨の中を、築地市場まで散策してから帰りました。
 雨の銀座も絵になります。時間がゆっくりと動き、人々もうつむき加減に傘をさし、ネオンが路地に反射しています。アベックは、中年が多いようです。雨の日の銀座は、若者が少ない、と感じました。

2007年10月15日 (月曜日)

ちぐはぐなエスカレーター

 毎日、1万歩以上を歩く生活をしています。
 それでも、東京での住まいを都心に移してからは、通勤でエスカレーターを使うことが増えました。地下の駅から駅への移動に、とても階段では不可能なほどの距離を歩かされることになるからです。
 東京の交通は、地下網が発達しています。しかし、深いところに駅があることが多いため、乗換えのたびに地底に潜行したり、海底から浮上する気分になります。
 もっとも、スクーバ・ダイビングではないので、潜行と浮上の際に体内の残留窒素を計算しながら、頭を使って電車を乗り換えることはありません。

 しかし、今日のエスカレーターは、非常に危険な思いをしました。

 ステップと手すりの速度が違っていたのです。それも、手すりの速度が速かったので、長い下りのエスカレーターで、体が前のめりになりました。
 遥か彼方の地下へ向かって、延々と下る時だったので、左手(そうなのです、東京ではエスカレーターの左側に立つので、手すりも左手で持ちます。)が、ゴムのベルトに引きずり下ろされる格好になりました。足を踏ん張っているステップが取り残されているので、前方というより下方に倒れる姿勢になります。危険を感じて、左手を放して難を避けました。
 反射神経で、我が身を守ったわけです。そんなに手すりを握りしめるな、というツッコミはナシで……。

 今日は、京都から上京したこともあり、荷物が多かったのです。体の前に置いていたキャスター付きのバッグも、落下しそうになりました。
 以前にも、ステップと手すりの速度が微妙にズレるエスカレーターに乗ったことがあります。確かに、よく思い出すと、そのスピードが一致しているものは、少ないようにも思えます。ただし、その差が歴然とする以前にエスカレーターから離れることになるので、今日のような怖さは感じませんでした。
 エスカレーターの距離が長い時には、気をつけましょう。
 というよりも、みなさんは適当に手すりから手を滑らせて利用されているのでしょうか。

 これまでに一番長くて深いところに潜ったエスカレーターは、モスクワで乗ったモノだったように思います。ロンドンも、日本と比べると長いようですが、モスクワのエスカレーターは高所恐怖症気味の私には驚異でした。ただし、あの時、ステップと手すりの速度差については、そんなに意識しませんでした。

 エスカレーターは、日常的に使われる移動の道具なので、危険のないように調整し、管理してほしいものです。

2007年10月 7日 (日曜日)

ガンジス河でバタフライ ―なぜ今ここに―

 一昨日の金曜日の夜、テレビドラマで「ガンジス河でバタフライ(前編)」を見ました。
 数年前に私がインドにいた時、娘がやって来てしばらく滞在しました。休日を利用して、ガンジス河のほとりのバナラシへ旅をしたその詳細は、下記のホームページの2月7日の拙文に譲りましょう。

http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/india_folder/R2.1_delhi05.html

 ガンジス河での火葬は、こんな様子でした。

Wtwaqrp5_sガンジス河の火葬場


 河にボートで繰り出した時、もろもろのことに対して、献灯で自分の気持ちを伝えました。

P9wyrqqi_sガンジスへの献灯


Cqwgki4m_sろうそく流し


 河をながれ行くロウソクは、とてもきれいでした。今も自分の眼に映し出すことができます。

 ドラマを見ながら、この5年前のことを思い出しました。

 私も、このドラマの主人公と一緒で、インドへ行くきっかけは、ガンジス河で泳ぎたい、と言ったことからのものでした。実際には出来ませんでした。しかし、自分の体験とよく似たシーンがこのドラマにちりばめられており、物語展開は陳腐ではありましたが、映像に魅かれて見てしまいました。

 インドは、自分が忘れかけていたことを思い出させてくれます。日本での日常の意味を、さまざまな場面で問いかけてきます。
 なぜ自分はインドに生まれなかったのだろう、インドに生まれたかったなー、と思うことが何回かありました。私が子供だったころのシーンが、何かの拍子に蘇った国です。ニューデリーにいてそうだったのですから、インドの中でも地方に行けば、もっとそのことを実感したことでしょう。

 インドは、自分が何なのかを、日常のふとした瞬間に考えさせてくれます。

 昨日来、1泊2日で山形市に行っていました。
 中古文学会という、平安時代の文学の研究者が集まって研究成果を発表し合う会場が、今秋は山形大学だったからです。

 昨日の夜、前日に引き続き放映された「ガンジス河でバタフライ」の後編を、ホテルの部屋のテレビで見ました。続編もまた、盛り上がりに欠ける仕上がりのドラマでした。しかし、インドでの体験を思い出させてくれた点では、その出来具合はともかく、私にとってはいい番組でした。

 今日、2日目の学会では、お昼の休憩時間を利用して、学会の委員による会議がありました。委員に選任された先生方が、40人ほど集まって、学会の運営に関して検討をしました。
 どうしたわけか、私もそのメンバーの一人として参加しています。回りを見渡すと、日ごろから尊敬する先生方ばかりです。第一線で活躍なさっている先生方ばかりです。なぜ自分が今ここにいるのか、不思議に思いました。
 卑下でも自虐でもありません。無理をして、背伸びをせざるを得ない状況に自分の身を置くことは、何とも言えず心苦しいものがあります。
 無理のある生活はいけません。自分でもどうしようもないことは、しばらくは耐える中で、納得のいく道を模索しなければなりません。

 いやはや、とんだ所に身を晒すこととなっていることに、「恐縮」以外の表現が見当たりません。1日も早く、分相応の生活に身を置かなければ、自分の人生が空中分解しかねません。どうでもいいことですが、分不相応とはこのことでしょう。私は、単なる『源氏物語』という資料の整理屋にすぎないのですから。

 もっとも諸先生方にとっては、そんな人間が混じっていようがいまいが、それこそどうでもいいことでしょう。こうしたことは、ひょんなことからなったことなので、過度に思い過ぎないことだ、と自分に言い聞かせています。
 謙遜でも何でもなくて、よくわからないことは色々とあるものです。流れの中に身を置いて、それらしく振舞ってはいますが、場違いな所でジッとしているのは、あまり気持ちのいいものではありません。

 小さいころの夢は、バスの運転手でした。それが、それとは似ても似つかぬ場所にいるのですから、私の小さいころを知っている人は、目をパチクリとさせることでしょう。こんな間違いというものが、世の中にはあるのです。

 今、自分が本来の生きざまで日々を送っているのではないことは、当の本人が一番よく知っています。これも1つの幸せ、と思うことにしていますが、これは私が受け取るものではありません。

 生活の根拠地を奈良から京都に移し、自分の意思で生活を送りたいと思っています。しかし、現実はそうやすやすと、思いどうりにはさせてくれません。

 もうしばらくは、こうした不本意な生活が続くのでしょう。
 1日も早く、無理のない、自分が思い描いている生き方の中で、自分が納得のできることをして現世をまっとうしたいと願いながら、こうしてフッと溜息をついたりしています。 

2007年9月24日 (月曜日)

タバコが気になる映画『HERO』

 今日は予定が変更となったので、空いた時間に映画を観ました。
 木村拓哉主演の『HERO』です。
 たまたま貰った映画鑑賞券があったこともあります。
 しかし、電車の中で、その鑑賞券を玄関に置いたまま出かけたことに気付きました。取りに帰って出直すのも面倒です。違うところに行くのも、すぐに思い至りません。幸いなことに私は学生の身分も兼ねているので、学割で映画館に入ることにしました。

 さらに自己嫌悪に陥ることが重なりました。
 遠くを見るためのメガネも、出しておいたのに、持ってくるのを忘れたのです。
 最近は、こうしたうっかりミスが多くて、本当にいやになります。自分はもう若いころの自分ではなくて、何事も忘れっぽくなっているので気をつけよう、と自分に言い聞かせることが多いのは事実です。忘れることに臆病になってはいけないと、ショックを和らげる訓練は日々しているのに、ダブルで物忘れに直面すると、ドッと疲れます。

 上映30分前に入ったのですが、何と25分も蒸し暑い通路に並ばされました。今日はことのほか暑く、また雨も予想される天候だったので、みなさん手元の紙で扇いだり、上着などを脱ぐ人が目立ちました。
 環境に配慮して、館内のエアコンを自粛しているとも思えません。空調の効かない通路を入場の待機場所にしていることに、気付かないはずはありません。整列を呼びかける従業員の人も、汗を拭いているのですから。このような所に並ぶように指示をする意図が、どうもわかりません。観客にこんな思いをさせて平気な映画館側の無神経さに、多くの人が不愉快に思っていたに違いありません。
 私は、もしタダ券を忘れずに持ってきて入っていてたら、15分も待たされた時点で、何の躊躇いもなく帰ったと思います。しかし、とにかく1500円も払ったことでもあり、もったいないのでジッと辛抱しました。
 この映画館は、大きな街中にあります。しかし、ここの経営はそう長くはもたないでしょう。こんなところには2度と来るものか、と思わせてくれます。映画人口が上向きになっている時期に、こんな粗っぽい観客のあしらいでは、みんな自宅で快適にリラックスした雰囲気でDVDやネット配信の映画を観ることでしょう。
 まさに、足を運ぶ映画人口を減らさんがための施設となっています。従業員の教育もなっていなかったので、もうどうしようもない最悪の映画館でした。

 それはさておき、6割ほどの入りだったでしょうか。意外に多くの人が来ていたのに驚きました。それだけ、この映画は人気があるのでしょう。

 『HERO』は、話の展開がよくできた台本だと思いました。また、木村拓哉と松たか子も、少し軽めではありましたが、無理のない、いい演技をしていました。
 ただし、気になったことが1つだけ。それは、開始早々にタバコを吸うシーンがあり、その後も何人もの出演者がタバコを吸います。紫煙が立ちのぼり、灰皿にタバコが山盛りの場面もあります。検事は、それだけストレスのかかる仕事だというのでしょうか。
 最近は、テレビでもタバコを吸うシーンには配慮しているご時世に、タバコプカプカのシーンの多さには、その意図を疑いました。舞台が韓国に移っても同じです。もっとも、なぜ韓国なのかは不明でしたが。
 日本たばこ産業株式会社(JT)から、よほど多額の援助をもらって製作した映画なのでしょう。この映画は、日本国民へのタバコ推奨の広告的役割を、立派に果たしています。
 この物語には、山口県での事件で、被害者がタバコの吸い殻を、妻が眠る海に捨てたことが大きな要因で殺人を犯した、ということが伏流しています。そのことと、このタバコの奨めが矛盾するように思いました。

 それはともかく、後半の出来がいいと思いました。最終場面の音声認識翻訳機という小道具の活用は、韓国語とスペイン語の訳文がうまく2人の気持ちを、お互いはもとより観客にも、間接的に効果的に伝えていて、憎い手法だと感心しました。
 それだけに、タバコという小道具が下品すぎました。
 あのタバコのシーンを撮り直すと、若い人たちにも鑑賞を奨められますが……。

2007年9月22日 (土曜日)

「水道をお使いになられているご様子」

 大きな赤い文字で「お客さまへ 至急お読みください」と書かれた東京都水道局からの封筒が、ドアポストに投函されていました。
 その文面は、以下のように記されています。


「水道使用開始申込みのお願い」
 本日、水道メータの検針におうかがいしましたところ、水道をお使いになられているご様子ですが、お申込みの手続きはお済みでしょうか。
 まだ、お申込みをされていない場合は、お手数ですが、9月26日までに、下記の連絡先へ「お名前、使用開始日」等をお知らせください。
※すでに、お申し込みの手続きがお済みの場合は、行き違いですので、ご容赦ください。
           19年9月20日
            東京都水道局



 横浜から東京へ引っ越しするに当たり、住民票・印鑑証明・電気・ガス・水道・電話・インターネット・郵便などなど、必要な移転の手続きはすべて済ませたはずです。
 それが、越してきて一カ月経った頃になって、突然の水道使用の督促です。
 文面の中の「水道をお使いになられているご様子ですが」という文言は、思い当たる節のない者にとっては、いかにも無断で水道を使っていることを遠回しに揶揄されているようで、気持ちのいい言葉ではありません。当事者だからこそ感じる語感かもしれませんが。

 連絡先として指示されている水道局お客様センターへ電話をしました。そして、横浜を転居する直前に水道局と相談した時、先方の江東区には連絡をしておきます、とのことだったことを伝え、私としては転居後に水道局に何も手続きや連絡はしていない、ということを説明しました。
 区役所へ転入届を出し、印鑑証明などの手続きをした時も、特に指示がなかったので、水道の手続きが済んでいないことには気付きませんでした。
 京都の時にも、水道の手続きが必要だったのでしょう。しかし、まだ生駒平群の自宅の水道は停止していないので、移行に伴う手続きを平群の水道局がどうのこうの、ということはなかったのです。

 窓口の方は、お客さま番号を元に、私の部屋の水道の状況を確認した後に、やはり誰からも使用開始の手続きがなされていない、とおっしゃいます。また、他府県からの転入で、それまでの市区町村の水道局が引っ越し先の市区町村の水道局に移動の連絡をして手続きをすることはない、と断言されました。
 ただし最近、東京の市から区への転入で、水道局レベルで手続きを完了するところができたが、他府県からはやはりそのようなことをすることはないのだそうです。

 とにかく、私からの今回の電話連絡で、水道使用開始の手続きがなされたこととなりました。
 電話口での対応が丁寧だったので、気持ちよくやりとりができました。しかし、横浜の方が連絡をしておくと仰ったのは、どういうことだったのでしょうか。
 特に問題があったわけではないので、この件はどうということはありませんが、何となく気分のいいことではありませんでした。

2007年9月21日 (金曜日)

ウエブで申し込む時の不安

 秋は学会シーズンです。
 私は、10月中旬に山形である中古文学会に参加するつもりです。

 送られて来た案内状に入っていた説明では、宿泊の予約をウエブで出来るように書いてありました。しかし、申し込むためのインターネットのアドレスが見当たりません。
 担当大学の予約窓口である生協に電話をしたところ、案内状には書いていないが、大学生協のホームページから申し込めるようになっているとのことでした。

 他の皆さんはどうなさっているのでしょうか。みんなが大学生協のホームページをグーグルなどで探し、その場所を見つけて申し込むとは考えられません。まず、生協のホームページにそのような予約受付窓口が開設されていることに思い至るか、という関門があります。
 電話やファックスや郵便で予約されるのでしょうか。それとも、他の旅行会社を通して宿を確保されるのでしょうか。

 とにかく、生協の担当者の方の説明を聞いて、ウエブから申し込む手続きに入りました。
 ところが、最後の申し込み内容の確認の所に来ると、エラーが出るのです。JR(新幹線)の切符が必要かどうかをチェックしろ、とのことです。私は、ホテルの予約だけで、JRは自分で手配するつもりでした。当然、すべての項目を記入し、JRは不要のチェックをし、他のチェックをするものも確認したにも関わらず、何度やってもこの最後の確認で同じエラーが出ます。つまり、予約申し込みが終了しないのです。

 パソコンの前で、30分は悪戦苦闘したでしょうか。
 時間がもったいなくなり、直接さきほどの生協に電話をしました。
 担当者の方は、おかしいですねという言葉を繰り返しながら、こちらでは最後まで行って終了しますが、とのことでした。
 しかたがないので、ウエブからの申し込みは諦めて、日を改めて予約をすることにして、その日は断念しました。
 わざわざコンビニへ行って、ファックスで申し込むという方法は考えませんでした。

 翌日、また最終確認のところでエラーが出ます。そこで、今度は試しにJRの切符も同時に申し込むところのチェックをすると、何と最終確認を経て予約申し込みが完了するではないですか。
 往復の新幹線の時間を決めなければならないので、実際の行程を想定して確定しました。
 こんなことはよくあることなので、まあいいか、と思うことにして、一応生協へはJRの切符を頼むことにしたら予約が完了した旨の報告をメールで送りました。

 すると、その後、生協から、JRの切符を含まないホテルのクーポン券だけを送った、との連絡が、私の携帯電話に入りました。
 いろいろと検討して、指定された時間の新幹線で行くことにした後だったので、また切符の手配でゴタゴタするのを避けるためにも、先日申し込んだ通りの新幹線を含んだクーポンを送ってもらえないか、と依頼しました。
 担当者の方は、それでも問題はないとのことだったので、再度送ってもらうことになりました。近日中に届くはずの、ホテルだけのクーポンは破棄することで一件落着となりました。

 担当者の方は、希望とは違うクーポンでは申し訳ないと思って、あくまでも好意から、新幹線を外したものを送ってくださったようです。
 しかし、私としては、学会の会場までの距離や時間を勘案し、往復の発車時間を検討して申し込んだ後ったので、そのまま新幹線の指定切符も入手して、この件は終わりにしたかったのです。
 担当者の方への感想としては、好意からではあっても、一応申し込み内容とは違う、JRを外したクーポンを送りましょうか、という一言でもあれば、このような行き違いはなかったと思います。そのためにも、私の連絡先を、携帯電話も含めて伝えてあったのですから。
 JRを外した、宿泊のみのクーポン券を発送してからの電話連絡だったので、何のために緊急連絡用の電話番号を教えてあったのか、もったいないことです。私からのメールを受け取ってすぐに、JRを外したクーポンを発券する時に電話をくださっていたら……。
 その連絡のタイミングのズレが残念です。
 交わした情報が活かされていません。
 お互いが無駄にした時間と労力、そして先方は2重の発券作業と宅急便代が費やされています。

 もったいないことです。

2007年9月19日 (水曜日)

宅急便の破損品の対応

Mjumslkz_sフィンの部品


 今夏、東伊豆の河津でスクーバ・ダイビングをした後、ダイビング用品をバッグに収納して現地から自宅まで宅急便で送りました。
 翌日、届いたバッグの中身を取り出し、塩分を抜いて乾燥させるために、湯船に浸けて洗っていた時のことです。フィンという足ヒレの部品が強い力で押し潰されていることがわかりました。
 写真の右から2つ目の、グレーのプラスチックの部品がそれです。
 ものすごい斜め横からの力で破損したことがわかります。
 その右側が、後日注文して入手した部品です。

 フィンはゴム製品なので、そこに取り付けられているプラスチックの部品がこんなに変形破損するのは、想像を絶する力が加わったためとしか考えられません。バックに同梱のスクーバスーツやブーツやマスクなどのダイビング用品も、柔らかな素材のものばかりです。一体、私のバッグは、どんな扱いを受けたのでしょうか。

 すぐに、いつもお世話になっているスポーツクラブで相談をし、とにかく部品を発注しました。
 海から発送する時点では問題がなかったのは確かなので、すぐに取り扱いの店舗に電話をしました。すると、間髪を入れず、交換部品の実費を弁償するので、領収書がほしいとのこと……。
 私は、破損した部品を発注して、それが該当品であることが確認できてから、再度連絡をすると応えて、その場は終わりました。

 届いた写真の右側の部品で大丈夫であることを確認してから、聞いていた宅急便の担当者に連絡をしました。すると、東京の担当者に現金を持参させるので、領収書を用意しておいてほしい、とのことでした。それも、私の手書きの領収書でいい、というのです。私はてっきり、私の手元にある領収書を送ると、先方から送金されるのだろうと思っていました。

 とにかく、言われるままの領収書を作成し、約束の昨日、部品代金を受け取りました。
 たいした額の話ではないのですが、疑問に思うことがあります。

 まず、先週、現地担当者から電話があり、何時、どこへ伺えばいいのか、先日の打ち合わせのメモが見当たらないので教えてほしい、とのことでした。何とも、対応がお粗末です。
 そして、部品代金を持参された方は、私の手書きの領収書を受け取ると、そのまま帰られました。実際に私が支払ったことを示す領収書は見もせずに、私を信用してなのでしょうが、自筆の領収書を受け取るとすぐに帰られたのです。
 今回は金額が知れているのでそうなのでしょうか。これが数万円以上の場合は、また違った対応なのでしょうか。私には、どうもよくわかりません。
 返金してもらったので、もう終わったことではあります。しかし、このような曖昧な対応で処理をしていいのでしょうか。
 私の手書きの領収書は、あくまでも弁償金を受け取ったことに対するものです。本当にその金額が破損品に対して支払ったものである、という領収書は、確認しないで処理がされています。
 ヤマト運輸の対処方法に疑問を感じざるを得ません。

2007年8月27日 (月曜日)

エレベータはなぜ仲良く昇降するのか

 今日は、エレベータの前でジッと待つ日でした。
 違う場所で4回も同じ状況に置かれたので、日ごろの疑問が確信になりました。
 どうして、複数台あるエレベータが、一緒に動くことが多いのでしょうか。
 2台や3台、もしくは4台もあるエレベータが、どれも同じ階にあることに直面することが多いのです。もっとランダムに昇降できないのでしょうか。

 エレベータを管理するコンピュータのプログラムがどうなっているのかは知りません。しかし、どう考えても効率の悪い動きをしているとしか思えません。

 一緒に上がってくるエレベータが複数台あっても、1台が到着すると、他のものは手前で折り返していることはわかります。それくらいはプログラミングで対処できることです。一つの呼び出しに、複数台が駆けつける必要はないのです。
 問題は、エレベータの前で待つ時間の長さです。複数台あれば、うまくコントロールすれば、待ち時間を短縮できるはずです。
 少なくとも、並んで昇降するエレベータを、ジッと眺める状況が生ずるのは、エレベータを管理する会社とそれを動かすプログラムのレベルが低すぎるからとしか思えません。怠慢です。危険なエレベータに対する技術的な改良と対処は必要です。しかし、利用者のことはプログラミングされていないようです。

 今のエレベータのプログラムの多くは、あまりにも出来が悪いと思われます。もっと、利用者の心理を研究して、効率の良い昇降をする道具にしてもらいたいと思います。

 海外はともかく、日本人はこうした点では優秀なはずなので、エレベータ会社はチャレンジしてほしいと思います。利用者の気持ちを熟知した動きをするエレベータの設置を、心待ちにしています。

スクーバ・ダイビング(11)

Baqf3o9s_s沈没船


 2日目は、ボートに乗って沖に出て潜りました。
 小型船の船端から、シッティング・バック・エントリーといって、ボンベを背負ったままで後ろ向きにひっくり返って水中に飛び込みます。テレビなどでよく見る入り方です。これは、ここに来る直前に、スポーツクラブで練習をしてきたので、問題なくできました。なかなかダイナミックな入り方です。

 今回のダイビング・ポイントは、沈没船のまわりでした。海底では、圧力変化の実験と、浮上時に水中5メートルの位置で3分間の安全停止をする訓練をしました。
 とにかく、海に潜るのは水圧の人体への影響ばかりではなくて、それ以上に体内の残留窒素との闘いです。これは、想像を絶するものがあります。実は、私は海から上がって10時間以上が経っています。しかし、私はまだ飛行機には乗れないのです。乗ってはいけないのです。人間の体は不思議です。その精巧に出来た身体を熟知し上で、こうしたダイビングの安全思想があるのです。

 さて、海底に降りると、ちょうどそこはタンカーの沈没したのが横たわっていました。上の写真がそうです。
 すこし濁っていたので写りは悪いのですが、迫力ある光景は伝わるかと思います。
 この沈潜は漁礁になっていて、デッキやキャビンも覗いてみました。

Rlwbe6_b_s漁礁


 中性浮力のコントロールも自由にできるようになり、思い通りの遊泳ができるようになりました。
 インストラクターの後を追いながら、海底散策を楽しんでいるところです。

K7oxcma7_s海底散策中


 少し余裕の出たところで、私のカメラをペアの人に渡して撮影してもらいました。

Kanzg4x8_sVサイン


 今回、ボートダイビングをマスターできたことにより、スクーバ・ダイビングの幅が広がりました。
 雪山のスキーに例えると、山の下から歩いて上がっては滑り降りていたのが、リフトを使って高い所から滑降することになったのと同じです。

 今月だけで、海に4時間半も潜ったことになりました。

 せっかく覚えたスキルですし、せっかく手にしたライセンスなので、折を見て生活に活かして行きたいと思います。
 また、さらに高度な技術やコースがあるようです。機会を掴まえて、さらに一つずつライセンスを取得していきたいものです。

 目標をクリアしたばかりではありますが、思いきって挑戦してよかったと満足しています。

 老化がこれ以上に進行しないように、また新たな目標を目指したいと思います。

2007年8月26日 (日曜日)

スクーバ・ダイビング(10)

 早朝、東京駅からこだまで伊豆の河津へ行きました。半分、寝ぼけ眼です。
 今回は、アドベンチャーダイブとしてのアドバンスドコースのトレーニングを受けるため、1泊2日のライセンス取得の旅です。
 本来ならば、熱海に近い宇佐美というところだったのですが、先般サメが出没したということで、南端の下田に近い河津になったのです。1時間以上も電車で南下したところでした。

 駅に着くと、すぐに海岸へ行き、説明を受けて早速海洋実習となりました。

Xlu3o_vs_sビーチ


 まずは、中性浮力の練習からです。水中において立ち姿勢での水中静止と、垂直姿勢での水中静止です。
 今回は6人1グループでの講習でした。みんな、なかなかうまくいきません。この水中での自分の体のコントロールが、スクーバ・ダイビングの一番のカギであることは間違いありません。

 初日の2回目のダイビングは、カメラを持っての海底撮影の練習です。カメラを片手に潜り、魚や岩場などを撮影しました。
 次の写真が、私の最初の作品です。

Ec7ngxtq_s初写真・潜降


 これは、今回のメンバーの一人が、ウキから垂れ下がっているロープ伝いに海底に降りる所です。私はその直下にいたので、海底に降りるやいなやシャッターを切りました。

 持って行ったのは、いつも使っているソニーのサイバーショットです。それを、水深40メートルまで大丈夫な樹脂製のケースに入れて潜っています。

 最初の難関が、この潜降です。なかなか体が沈んでくれないのです。大きく息を吸い、そしてそのすべてを吐くと、徐々に体が沈むのですが、それがそう簡単ではないのです。私も苦労しました。

 今回は、どうしたわけか魚が少なくて、シャッターを切るモノを探すのに時間がかかりました。
 私が最初に写した魚は、こんなものでした。

6bpvopwh_s


 図鑑を調べればいいのでしょうが、まだこの魚の名前はわかりません。

 ちょうどこの時でした。6人のメンバーの内の一人が、急に中性浮力を失い、突然上昇しはじめたのです。

5sedgk8s_s一大事


 たまたま私はそのそばにいたので、こんな写真が撮れました。水中で自分のポジションを確保して移動するのは、思ったほど簡単ではありません。

 この日の3回目のダイビングは、水中でコンパスを使って目的の地点に移動する練習です。これは、2人づつ組んだメンバーの意思の疎通を欠いたためもあり、ロスタイムの多い講習でした。エアがギリギリになったので、途中で打ち切って浮上することとなりました。
 海底での待ち時間が長かったのでブラブラしていたら、頭上を魚の大群が通りかかったのでパチリ。

Pfyxjir5_s魚の大群


 初日は、水深10メートルの所を、1時間40分ほど潜りました。

2007年8月24日 (金曜日)

スクーバ・ダイビング(9)

 アドバンスドコースの3時間の科目講習を受けてきました。
 その帰り、駅を降りると、バケツをひっくり返すとはこのことか、というほどの大雨でした。久しぶりの雨です。ベランダに積み上げてある段ボールのことが、一瞬気になりました。

 今日は、これまでよりも更に深く海に潜る上での、知識や理屈のお勉強です。明日が海洋実習なので、真剣に話を聞きました。もっとも、今日の受講者は私一人です。インストラクターの先生と世間話をしながらの、和やかな講習でした。テキストに書いてないことを、たくさん教えてもらいました。

 一つ一つの知識が、我が身を守り、大きな楽しみを与えてくれるものとなるので、勉強もやりがいがあります。それも、明日直面するかもしれないことなので、自然と身が入ります。

 昨日練習した、ボートからのダイビングは、明日は漁船からのダイビングになるそうです。突然、日本的な要素が加わりました。
 真っ白なクルーザーから、とたんに木造のギーギーと音のする手漕ぎ船へと、イメージが一変しました。それは極端としても、それもいいだろう、と納得して、明日の準備をしています。

 デジタルカメラでの撮影講習も、明日のメニューに入っています。海の中を、自分の目で見たものを撮影するのも楽しみです。

 準備万端整いました。水深40メートルの世界を堪能してきます。

2007年8月23日 (木曜日)

スクーバ・ダイビング(8)

 明後日の伊豆での海洋実習の前に、少しダイビングの練習をしました。
 2週間以上潜っていなかったので、感覚を取り戻すのに時間がかかりました。しかし、すぐに感触がつかめ、気楽にウォーミングアップができました。

 あれだけ不安定だった、水中でポジションを保つ中性浮力が、今日は問題なくできました。ダイビングプールの水深3メートルから4メートルの深さで、安定した泳ぎができました。やはり、ゆっくりした呼吸が大事です。そして、余計なことを考えずに挑むことを学びました。

 今日のメインは、海上でボートから海に入るテクニックです。
 この、ボートからのダイビングには、座ったままで後ろ向きに倒れて海に入る方法と、立ったままで水の中に踏み出すジャイアント・ストライド・エントリーがあります。

 初めてこの方法をやってみました。
 最初は怖かったのですが、やってみると何でもないのです。これで、どこのダイビング・スポットへも行けるようになります。

 体で覚えたことは、繰り返しの中で再現できるようです。そして、少しだけですが、これまでよりも恰好良よくなったようです。

 チャレンジするたびに新しいスキルが身に付くのは、本当に楽しいものです。マスターしたことが自分の体で確認できるので、一つ一つに達成感があります。

 明日は、夜に3時間の学科講習を受け、明後日に伊豆での実習に向かいます。次はどんな技術が身に付くのか、非常に楽しみです.

2007年8月21日 (火曜日)

お風呂とトイレの工事だとか

Omhkcnbv_s隅田川の対岸から


 先週から生活を始めた新しい宿舎は、隅田川沿いにあります。
 隅田川越しに撮った写真の、右端中央に低層の四角い建物が見えます。大きな建物に囲まれて、質素に建っています。

 木々に囲まれて、いい環境です。ただし、相当古いために、住んでみるといろいろと問題が噴出です。

 まず、トイレの排水パイプが腐食しているために、階下に漏れていることが本日確認されました。近日中に、トイレの床を壊して、階下の天井とともに大工事をすることになりました。階下の方には、私が入ってこなければ問題が表面化しなかったのですから、申し訳ないという気持ちがあります。しかし、私としては、どうしようもないことなので、管理人さんたちにまかせています。

 次に、お風呂の火力調節をするツマミが腐食して動かなくなっていることも、本日、ガス屋さんが正式に確認しました。これは、風呂釜意外のボイラー一式を交換することになりそうです。ただし、この宿舎を所有しているところの承認が必要だとのことで、これも了承が得られ次第に工事をするそうです。

 ベランダの漏水は、まだ解決していません。

 8月下旬は、そんなこんなで慌ただしいことになります。

 隅田川の川風を頬に受けながら、そんなこともあるさ、と明日の人間ドック入りの準備をしています。

2007年8月20日 (月曜日)

有料のゴミ袋

 今度住むことになった地域は、月曜日が生ゴミ回収の日です。
 早速、先週から溜まっているゴミを出しに、集積所に行きました。
 大きなゴミ袋を5つ抱えて。

 ところが、置かれているゴミが、すべて東京都指定のゴミ袋に入れられていることに気付きました。
 そういえば、京都もゴミの出し方に厳しい街です。近所のスーパーなどで有料のゴミ袋を買い、それに入れて出すのです。

 これまで住んでいた奈良も、そして横浜も、共にスーパーの袋などで出していました。ついその習慣から、いつものようにゴミを出そうとしたのです。
 これはいけないと思い、すぐに近所のスーパーに、といっても少し距離がありますが、走って行きました。そして、店員の方に都指定のゴミ袋はないかと聞いたところ、案の定、京都と同じようなゴミ袋を置いていました。それを購入して帰り、詰め直して集積所に出しました。

 ゴミの出し方も、何かと面倒になってきました。環境問題の一環からでしょうが、わざわざ購入したゴミ袋で出すのは、多分に環境問題への教育的な配慮をしてのことと思われます。ゴミを減らすための方策として異議はありませんが、まだすんなりと納得できない方式のように思います。

 そして今日、仕事を終えて帰った時、郵便受けを見てガッカリしました。いつものように、わけの分からないチラシが大量に投げ込まれていたのです。
 どうして投げ込まれた紙くずを、住人が有料の袋に入れてゴミとして出さなければならないのでしょうか。
 生活に困った人が、アルバイト費を稼ぐために各家庭にゴミをばらまく行為を、かねてより疑問に思っていました。これは、あきらかに犯罪ではないでしょうか。共産党が自衛隊の官舎に反戦のビラを投函したということで、裁判になっていました。しかし私は、この見知らぬ人によるポストへのゴミの投げ捨て行為こそ、厳罰に処すべきだと思います。

 これまでの疑問が、ゴミ袋の有料化に伴い、現実のこととして問題意識を高めることとなりました。
 私にはゴミとしか思えないチラシを投げ込む人に、注意をしたいのですが、殺されるのも放火されるのもいやなので、見て見ぬふりをせざるを得ません。これは、どこの誰が、どうやって解決するものなのでしょうか。
 自分に出来ることは何なのでしょうか。

 地球上に人類が1日でも長く存在するためにも、こうした環境問題について、今はさまざまなアイデアを持ち寄る段階だと思われます。優れた知能を持つ高等な生物として生息する人間は、激変する環境は変えられないにしても、ここで生き抜くための知恵は持ち合わせているはずです。

 これからの時代は、欧米流の自然を征服する発想ではなくて、東洋的な自然と親和する意識が再評価されることは、言われている通りでしょう。
 身近なところから、一つずつ確認していきたいと思います。

2007年8月19日 (日曜日)

洗濯用ホースの欠陥

 引っ越し荷物の片づけは順調です。
 段ボール箱はすべて開梱しました。
 引っ越しのキーワードは段ボール箱です。これをすべて片づけたら、もう整理は最終段階です。

 洗濯機の給水ホースの長さが足りないことがわかりました。
 長いホースを買うよりも、延長ホースで解決しようとしたのですが、購入したホースが欠陥品で、中継ぎ部分から水漏れがするのです。ブリジストンの製品だったので大丈夫だろうと思ったので購入しました。しかし、世の中はそんなに甘くはありません。
 欠陥商品が巷に満ち溢れているのを忘れていました。今回も、お決まりの欠陥品をつかまされました。

 洗濯機の後ろに水が溜まっているのを見た時は、背筋に冷たいものが走りました。私は2階に入居したので、下の階に水が漏れたのでは、とドキドキしました。幸い発見が早かったので、事無きを得ました。恐ろしい商品が市販されているものです。

 早速、購入したイトーヨーカドーへ行き、事情を説明して、継ぎ足す延長ホースではなくて、1.5メートルの一本でつなぐものと交換してもらいました。店員の方は、そんなはずはない、と交換を渋っておられました。どこの店でも示される反応です。私が間違った使い方をしたせいだろう、と暗に責める口調です。そこで、丁寧に説明をして、納得をしてもらって、少し追い金を支払って、一本のホースを持ち帰りました。今度のモノは大丈夫でした。

 そうこうするうちに、階下の方がお出でになり、うちのトイレの天井から水が漏れるのですが、お宅の水洗はどうですか、とのことでした。何も異常はないということを伝え、管理人さんに連絡をしてもらいました。しばらくしてお出でになった管理人さんは、私の部屋と階下との間の鉄管が腐食しているのでしょう、古い宿舎ですから、とのことでした。そんなに簡単に結論を出していいのかと、こちらが面食らうほどでした。

 ちょうどよい機会だったので、私の部屋での不具合を報告しました。
 まず、お風呂の温度調節をするコックが錆びついて回らなくなっていることです。湯沸かし器を取り付けに来たガス屋さんの見立てでは、これは心棒がダメになっているので、無理に回さないほうがいい、と言われたことを伝えました。また、蛇口とシャワーの切り替えツマミが、本来の部品ではないことも伝えました。共に、検討するとのことでした。
 さらに、ベランダの庇から水がポタポタと落ちてくることも。一日中水が滴り落ちているのです。真上の部屋のベランダからのものでしょうが、何かの水漏れなのか、クーラーの水が落ちてくるのか、とにかく困った状態であることを分かってもらいました。

 そうそう、今日、トイレの便器のフタがないことに気付きました。昨日、管理人さんと部屋の点検をした時には、まったく気付きませんでした。引っ越しのドサクサには、ものがよく見えていないことを実感しました。

 とにかく、新しい生活を始めるにあたっては、いろんなことがあるものです。何が見えて、何に妥協するか、ということとのせめぎ合いの局面の連続です。これも、残された生活を送るに当たっての楽しみの一コマ一コマなのでしょう。

 何事も有り難いことです。現実との直面を素直に受け入れて、これらも楽しみの糧にしたいと思っています。

2007年8月18日 (土曜日)

熱風が一転して涼風となる

 金沢文庫最後の夜は、これまでにない暑さでした。
 引っ越しの荷物に囲まれて、明け方まで寝苦しい一夜でした。私の所にはクーラーがないこともあり、8年半いた宿舎の最後が、思いがけない記念すべき日となりました。汗が布団に染み込んでいくのがわかりました。

 今回は、引っ越しの専門業者に頼みました。ただし、荷造りは私の方でやり、運んでもらうのを依頼しました。酷暑の中なので、自分が荷物をトラックに積み込んだり、そのトラックを運転する必要がないだけで、気分は相当違いました。今春の奈良から京都への家族総動員の引っ越しは、楽しさと充実感は得られましたが、やはり疲れました。

 今回は、単身赴任先の引っ越しということで、荷物も私一人の分量です。家具は、食器棚だけです。冷蔵庫や洗濯機はありますが、とにかく単身用の小さなものなので、総量はたいしたことはありません。
 4トン車が来ましたが、荷台の半分を埋めた程度でした。ほとんどが本の入った段ボール箱なので、3人の業者の方は手際よく運んでくださいました。よく教育された方々で、気持ちのいい対応で安心しました。予定よりも大分早く出発となります。

Fqjljjoe_s金沢文庫出発


 行き先の宿舎は、東京の江東区の中でも深川・木場地域です。下町らしさが残っていそうな所です。
 荷物の搬入もスムーズにいき、夕刻になる前に、早々と引っ越し終了となりました。

Si1kp2zk_s越中島荷卸


 後は、恐怖の段ボールの開梱です。しかし、引っ越しも手慣れてきたせいか、次々と空になった段ボールを畳んでベランダに出すことに、不思議な快感と満足感が得られるようになりました。

 1年以上も空き部屋となっていたということで、一見きれいでも布巾は真っ黒になります。これから、掃除にエネルギーを吸い取られそうです。

 新しく入居した宿舎での最初の夜、明け方に何と寒さで眼が覚めました。暑かったので、ガラス戸はすべて網戸にして寝ました。気持ちのいい隅田川の風が通っていたのです。それが、明け方に一転して肌寒いほどの涼風になっていました。足下に置いていたタオルケットを首までスッポリとかけて、再度寝直しました。

 引っ越し疲れのピークにもかかわらず、眼が覚めるほどの涼しい風だったのです。前夜の、体から水分がにじみ出ていく感触とはまったく正反対の夜明けがたに、とにかく驚きました。

 なかなか楽しみの多い新生活が始まりました。

2007年8月13日 (月曜日)

養林庵の庵主さん

Kofu16po_s庵主さん


 一昨年、母親が亡くなった時に、仏事をお願いするお寺を変えました。それまでは、奈良には曹洞宗のお寺が少ないこともあって、臨済宗のお寺さんのお世話になっていました。しかし、母のかねてよりの希望により、我が家の宗旨に合った曹洞宗のお寺から来てもらうことになりました。大阪の柏原市にある薬師寺の庵主さんは、気さくに何でも楽しく話のできる方でした。
 それも、今回の引っ越しにより、わざわざ京都までお出でいただくわけにもいきません。ご挨拶に伺った折に、京都でのお寺さんを紹介してもらいました。それが、養林庵でした。我が家から地下鉄で一駅の近さです。お盆の供養をしていただく前日に、妻と共にご挨拶に伺いました。
 この庵主さんも、気さくに話のできる方でした。当日は、車で迎えに行きました。わざわざ門前で待っていてくださいました。

 庭に面した和室に仏壇を据え、少し足が痛いとおっしゃる庵主さんには、椅子にかけてもらいました。我が家にいつからか伝来する木魚は、畳の上に置いていたので、前かがみの窮屈な姿勢で叩いてもらうことになりました。この次には、木魚を置く台を作っておきましょう。

 30分ほどでしたでしょうか、丁寧なお経をあげてもらい、しばし歓談となりました。
 京都では、ロウソク立ては一つでいいのだそうです。

 仏壇にあげたお膳は、息子が朝から丁寧に作ったものでした。

Va1wycy7_sお膳


 これまでにも、何度か法事などでお膳を作ってくれました。今はイタリア料理を勉強している息子ですが、最初は和食からスタートしたことが、こうして役立っています。

 庵主さんは、お膳の出来栄えの見事さに感心しておられました。プロを目指す者の手になるだけあって、細かい芸が忍ばせてあるようです。

 ただし、庵主さんから食器の位置について助言をいただきました。写真の配置がお薦めのできあがりとなります。
 最初、息子は左下の高皿に盛った漬物は中央に置いていました。中央にある、煮物や胡麻和えを盛ったツボ腕は、最初は左下にありました。この2つは、入れ替えた方がいいそうです。
 息子の説明によると、食器が納めてあった入れ物に説明書が添えてあり、その通りの位置に並べたとのこと。
 庵主さんの話では、業者の方はよくそう言われるが、我々はそうはしていないんです、とのことでした。
 食器の並べ方についても、いろいろとおもしろいことがあるようです。
 そうそう、箸の向きも直してくださいました。仏様が右手に箸を持って食べられるようにするのです。
 細かなことですが、主役が誰かを考えると、納得のできるお作法だと言えましょう。

 慌ただしい日々の中ではありますが、新しいお寺さんを迎えての、気持ちを一新してのお盆を迎えることができました。

 そうこうする内に、私は息子と大阪・八尾の高安山の中腹にある我が家の墓地に、妻は亡父の初盆のために秋田へ飛び立ちました。そして、今週末の横浜の宿舎の引っ越しのために私は上京し、妻は秋田から横浜に手伝いに来るという、またまた目まぐるしい日々がまっています。
 とにかく、私は横浜の宿舎の荷物を、段ボール箱に詰めなければいけないのです。単身赴任なので、家具は少ないとはいうものの、本などはそれなりにあるので、面倒な作業が待っています。
 元気に引っ越しが終われば、すぐにスクーバ・ダイビングのアドバンスド・コースの講習と海洋実習が待っています。次は、伊豆・下田湾の近くを潜ります。
 仕事の合間とはいえ、休む隙のない毎日です。回遊魚と言われるままの生活を続けているのは、まさに天命なのでしょう。

2007年8月 5日 (日曜日)

楽しい似顔絵

 単身赴任先である横浜の生活も、あと10日で引っ越しとなりました。何かと準備も忙しくなり、この週末は横浜で過ごしました。
 今から8年半前に、初めてこの地に来た時、真っ先に近くにある金沢文庫と称名寺へお参りに行きました。引っ越しの手伝いに来ていた、妻と娘と一緒に花見がてらの参拝でした。
 ここに来た時に挨拶をしたので、今度はお別れの挨拶をしなくては、と思って、暑い中ではありましたが称名寺に詣でました。といっても、歩いて5分ほどのところですが。

64rleivd_s真夏の称名寺


 鎌倉時代からの歴史的な名所なのに、これまでにあまり訪れなかったのは怠慢でした。河内本と呼ばれる『源氏物語』の古写本と関係の深い所なのに、あまりにも近すぎるがゆえに調べないままでした。この地を離れてから、改めて親近感を持って勉強することになると思います。

 もう8年半前のことになりますが、ここの宿舎に入った最初のゴールデンウィークに、二人の息子が遊びに来ました。そして、三人で近くにある八景島シーパラダイスという所へ遊びに行きました。関東では著名で大きな遊園地で、歩いて15分ほどで行けます。そこで家族との似顔絵を描いてもらって以来、何度も似顔絵を描いてもらいました。
 もうすぐこの地ともお別れなので、上の息子と一緒に、転居記念に似顔絵を描いてもらいに行きました。
 息子は、「21歳にもなって、このくそ暑い真昼に親父と2人で遊園地か……」とつぶやいていましたが、クーラーのない私の部屋にいても体が溶けるだけなので、これも気分転換だと諦めて付いて来ました。

 今日の作品は、こんな感じのものです。女性が描いてくれましたが、いかがでしょうか。私からのコメントは差し控えましょう。


Ubched6o_s今日の似顔絵



 ちょうど8年半前に、私はこんなふうに描いてもらいました。確か、似顔絵コンテストの第1回優勝者だった杉山さんだったと思います。


Zwfuqvk5 99年5月



 同じ年の夏にはこんなふうに。この時は、若い男性の画家でした。


Z0559ons 99年8月



 そして、さらにその秋にはこんな感じでした。これは、女性の画家でした。


R52cqxsd 99年9月



 今から6年半前には、こんな感じになりました。

Hg0oog3k 01年3月



 この絵を描いてくださったのは、最初の春に描いてもらった時と同じ杉山さんでした。イメージチェンジをした画風で描いてくださったのです。

 それにしても、人によってさまざまな描き方をされます。どれをとっても、写真で見る自分とは相当ちがうようです。しかし、人間の眼には、意外とこんなふうに見えているのかも知れません。
 これらの絵は、色紙用の額に入れて、私の部屋に飾ってあります。
 その時々の自分の雰囲気が絵になっている、と思いながら、いつもチラッと見ています。
 そこへ、久しぶりに新たな1枚が加わりました。

 光の反射物を記録するだけの写真と違って、絵は人間の眼を通したものが描かれるので、本当におもしろいものです。

2007年8月 4日 (土曜日)

スクーバ・ダイビング(7)

O6wvofvi_sこれからダイビングに出発です


 2日目は、スキンダイビングの方とファンダイビングの方と一緒の、3名の実習です。もっとも、オープン・ウォーターというコースは私だけなので、今日もマンツーマンの指導が受けられます。
 明日は、100人以上来るとか。夏のダイビングは大盛況です。

 1本目は、コンパスを使っての水中移動の訓練からでした。水中でマスクに水を入れてから抜くのは、もう大丈夫です。ジャケットのBCDを水面で脱いでからまた着ることや、水中でウエイトを外して、また着けるのもOK。快調です。8.4mまで潜り、19分のダイビングでした。
 透明度は3〜7mでした。昨日よりも、水中はよく見えました。

 スキルはすべて出来るのですが、中性浮力ががまだ安定しません。これは基本的なことなので、完璧にしなくてはなりません。回数で慣れるとのことでしたが、それでも早く身体に覚えさせたいものです。腰に着けるウエイトを、午後の2本目からは2キロ減らして、4キロにすることになりました。

 食事は、昨日と同じ、ほっけの定食。食べながら、少しずつ自分が上達しているのが実感としてわかることに感激しました。

 午後の2本目で、このオープン・ウォーターというコースは終了です。最初のマスク脱着は一番いやなスキルですが、マスクをはずしてもレギュレーターだけで呼吸ができました。鼻から水が入ったらどうしよう、という怖さは払拭できました。大きな自信です。ホバリングや水中コンパスなどのスキルも一発でクリア。これで、すべてが終了です。

 ただし、ウエイトが4キロになったせいか、中性浮力が不安定になると、なかなかもとに戻れません。水中を上下してしまうのです。安定して前に進めません。もっと息を思いっきり吐いて下降しろ、と言われるのですが、息を吐きすぎて苦しくなるのではと思うと、怖くて吐き切れないのです。空気が身体からなくなったら、自然と口のレギュレーターから吸うはずであることはわかるのですが、どうも空気が身体から抜けることへの怖さがあります。また、そのせいもあってか、呼吸が早くなっているとか。過呼吸になりがちなので、もっとゆっくりと、そしてもっと吐き出せ、とのアドバイスをもらいました。

 実は、私は過呼吸になり、特急列車の中で意識を失ったことがあります。身体が硬直し、何もできない状態になったのです。このことは、以下のホームページに「突然意識を失ったこと〈1997.12.24〉」と題して書きましたので、お暇な時にでもどうぞお読みいただければ幸いです。

http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/hitec_folder/R4.2_hitec_03_1997.html


 この経験が、意識の底で何か囁いているのかもしれません。何とかして克服しましょう。

 さて、この最終ダイビングでは、21分間、最大潜水深度は7.8mでした。
 とにかく、無事にオープン・ウォーターというコースを卒業です。
 最後は、楽に水中移動して陸地にあがることができました。
 ただし、安心したこともあり、喜びとともにドッと疲れも出ました。緊張の連続だったせいでもあります。

Sbbiu5ns_sダイビングを終え、少し疲れの色が


 少し休んでから、今回参加した3人で、オプションであるファン・ダイビングをすることになりました。私は今日で3回目のダイビングです。少し無謀だったかもしれません。しかし、まだまだ体力が残っていて気力も十分あったので、出来る時に出来ることをとの思いから、躊躇うことなく参加しました。これは、本当に自由に海底を散策するコースです。スキルの試験もなく、ただインストラクターに付いていって、海の中のいろいろなものを見たりするのです。

 40分間、海の底でお魚さんたちを見てきました。
 ハナアナゴ、イシダイ、ウツボ、ホタテ海ヘビ(アナゴに似たもの)などなど、たくさんのお魚さんに会いました。タコもいました。
 クマノミは、ディズニー映画の「ファインディング・ニモ」に出てくるキレイで可愛い魚と一緒のものでした。アニメのような色の体で泳いでいました。カメラの実習に来ていた方は、一生懸命にシャッターを切っておられました。
 ウツボが、突然我々に向かって威嚇するように、口を大きく開けてパクパクしながらやってきました。インストラクターの方が、足のフィンで追われたのですが、私はそのすぐ横を泳いでいたので、必死に足を動かして下に降りないように一生懸命に泳ぎました。

 この散策の後半で、私はまたもや中性浮力のバランスを崩しました。上下にふらつくのです。またもや、シッカリと息を吐けとのアドバイス。わかってはいるのですが、そうそううまくはいかないのが現実。四苦八苦しながらも、3人に付いていきました。途中で、インストラクターの方が手を引っ張ってくださいました。また、ジャケツトの空気を抜いてもらったりと、いろいろと水中でもお世話になってしまいました。感謝、感謝。

 とにかく、いろんな魚を見て、楽しく長時間の海底散策を終えました。
 このダイビングでの最大深度は、何と14.5m。大満足です。

 今日一日で3回も潜りました。また、今日だけで1時間16分も海中にいたのです。
 この2日間では、1時間54分のダイビングをしたことになります。
 よくぞと、自分の気力に感心します。18歳の体力があるとの体力測定の結果は、意外と当たっているのかも知れません。

 そうそう、最後の最後に、ドジなことをしました。
 最後のファン・ダイビングを楽しく終えての帰り、海底から上昇中に、無意識の内に、耳の空気抜きをしてしまったのです。鼻をつまんで、耳に空気圧を送るのですが、これをしたことにより、鼻血を出したのです。体内の空気が、水中から上昇するのにともなって膨張している時に、鼻に空気圧をかけたために、鼻の血管が瞬間的に切れたようです。大したことはなく、すぐに出血は止まったので事無きを得ましたが……。
 水中では、いろいろな体験をするものです。

 上がってから、みんなで今回のログを記録します。これは、今後のための大切な作業です。

 帰るにあたり、道具を洗うのも大変です。少し乾かしてから、バッグにいれて、宅急便で自宅に送ります。
 帰路は、道々、3人でワイワイガヤガヤとダイビングの話で盛り上がりました。今日初めて会ったはずの人と、もう仲間になり、いろんなことを語り合うのです。この楽しい出会いも、ダイビングの大きな収穫です。潜水技術を少しでも上げたいという思いが、さらなる楽しみを呼び寄せてくれることでしょう。

 スクーバ・ダイビングに思い切って挑んでよかった、というのが、今回の実感です。
 次は、ワンランク上の、アドバンスドオープン・ウォーターダイバーを目指したいと思っています。

2007年8月 3日 (金曜日)

スクーバ・ダイビング(6)

Ktsj1wnw_sダイビング直前の準備。初日のインストラクターは宮本さんでしたが、写真を撮るだけの余裕がなかったのです。これは、2日目の高橋さん。2人とも優しい爽やかな青年でした。


 台風間近のために、横浜は朝から大雨。しかし、伊豆長岡に着くと晴天。日ごろの行いのせいでしょうか。

 送迎バスで大瀬崎へ。
 参加者が少なめだったために、私はインストラクターとマンツーマンの指導を受けることができました。土日は100人もの大混雑なので、本当にラッキーでした。

 レッスン前は、シュノーケルを使って浅瀬で水に慣れることにしました。腰までの深さなのに、魚がいっぱいいました。小さなフグもいました。

 初日の1本目のダイビングは、水中ツアーからでした。魚の名前や泳ぎ方のコツを教えてもらいました。6.8mまで潜りました。
 中性浮力がなかなか安定しなくて、同じ深さをスムーズに移動出来なくて大変な思いをしました。インストラクターはうまいと言ってくれましたが、ぎこちないものでした。水底から上がれないと思ったら、今度は沈めないのです。ジャケットのBCDというものに空気を入れ過ぎて、インストラクターが抜いてくれました。とにかく、肺の中の空気を使って、足に履いているフィンを底に着けてのピポットという静止姿勢の練習をすると、よくなるそうです。プールでは出来ていたのに、実際の海となると、海の広さや水の深さに気持ちが圧倒されて、勝手がちがうのです。

 でも、とにかく楽しい初めてのダイビングとなりました。
 1本目は、17分間のダイビング。透明度は5m。海の中は、見通しが悪かったせいか、あまりきれいではありませんでした。

 お昼は、ほっけの焼き魚定食にしました。あっさりした味で、ダイビングらしい食事をしました。

 昼休み時間には、また一人で水に浮かんで海中を見学です。

 2本目のダイビングでは、いろいろなスキルの実習でした。マスククリアに始まり、空気を吸う道具のレギュレーターリカバリーなどなど、盛りだくさんでした。すべて1回でクリアできたので、ホッと一安心です。
 水の中の動きも安定してきて、快適なダイビングでした。
 マンツーマンということもあり、インストラクターも色んなことをして見せてくれました。すべてクリアできたので、大分自信がついてきました。

 ガンガゼという、尾鰭に毒のある魚が感動的でした。たくさんの魚の群れが頭上を通過するのも、実に爽快な眺めでした。自分が水族館の中にいる気分になります。しかし、泳ぎ出すと、現実の海の中だと気付き、とたんに慌てて自分の置かれている環境に思いをいたします。

 水中散歩も楽しかったのですが、この日の透明度が5mだったので、あまり海の見事さは感じられませんでした。しかし、2本目では7.2mまで潜ったのです。普通は5mまででいいのだそうです。インストラクターのサービスだったようです。21分間の水中遊泳。
 今日は、お魚との出会いの日でした。

 腕のダイビングコンピュータは、実に正確な数値を記録しています。自分が、着々とダイバーになっていくのを実感できました。

 今日一日で、38分間のダイビングをしたことになります。楽しかったせいか、疲れはあまり感じませんでした。

2007年8月 1日 (水曜日)

家を空ける時の身辺整理

 旅に出る時には、かならず身の回りを整理する癖があります。
 机の上や引き出しの中などを、何がどこにあるのかがわかるように整理するのです。
 もうここに戻ってこられないかもしれない、という思いが頭を掠めるので、つい片づけてしまうのです。残された家族のためを思うと、つい手が動きます。

 これは、苦労続きの人生を送った父の教えを受け継いでいるのかも知れません。人生、いつ何があるかわからないとは、父の口癖でした。いつ何があってもいいようにしておけ、とは、父がよく説いていたことばです。

 二十歳の時に、住み込んで働いていた新聞配達店が、早朝に出火しました。その時も、枕元に財布を始めとする身の回り品を置いて寝ていたので、それを身に着けて猛煙の中を窓から飛び降りました。

 何度か死に目に遭っているので、明日が来る確証がないという思いが、日常の切れ目に蘇るのでしょう。

 海外出張の前には、それこそ念入りに身辺整理をします。国内出張でも、チョッとした旅でもそうです。やりかけや、中途半端な状態を見られたくない、という思いも強いのかも知れません。

 スクーバ・ダイビングの海洋実習を控え、ゴソゴソと整理をはじめました。海底から上がってこられないことが想定できるからです。
 きりのないことですが、それでも何となく落ち着かないので、片づけるのです。そのせいもあり、旅の当日は寝不足です。

 今回もそうなりそうです。

2007年7月31日 (火曜日)

またまた小さなお引っ越し

 単身赴任の生活も8年になります。こんなに長くなるとは、あの時には思いもしませんでした。

 東京の品川区にある職場が、来年2月から立川市に移転します。
 現在の私の赴任先の住まいは、横浜の金沢文庫という所です。ここから立川までは2時間では行けそうにありません。そこで、毎週の京都からの通勤が可能で、平日に立川に通勤できるという条件を満たす所として、東京の江東区にある宿舎に移り住むことにしました。東京駅に近い所にあるので、京都からも、立川へも何とか通えます。相変わらずの電車移動の日々となりますが。

 奈良から京都への引っ越しが終わったばかりなのですが、また引っ越しです。これが終わると、秋口から職場の引っ越しの荷造りが始まります。今年は、引っ越しに明け暮れることとなります。

 今回の引っ越しは、自分でやるのではなくて、業者に頼むつもりです。現在調査中ですが、単身赴任用として5万円位でできるようです。家具が一切なくて、本の量も知れたものなので、2トン車で十分でしょう。一人で運転してやれるのですが、この暑い時期なので止めておきます。明日から、真剣に業者を探すことにします。

 引っ越しにあたって先ず最初にしたことは、インターネットのプロバイダー探しでした。
 現在は、マンションタイプの部屋に、ヤフーBBの電話線なしのものを引いて使っています。とにかく、つながればいいのですから、何でもいいのです。つながれば、後はドットマックのお世話になるだけです。
 近所の大型量販店のブロードバンドコーナーで相談しました。その結果、「OCN光withフレッツ(NTT東日本エリア用)」というものになりました。「なりました。」というところがミソです。

 私は、NTTは廃業させるべきだと公言しています。
 これまでにNTTがやってきた悪行の数々に対して、日本人はあまりにも寛容すぎると思います。
 国策として電話線を全国に引き回した功績は評価します。しかし、その上に胡座をかき、民間の参入を拒み、呆れるほどの酷い低技術力で私を始めとする多くの市民を苦しめてきました。この会社がふんぞり返っていたお陰で、とんだ迷惑を被った人が多いと思います。もっとも、被害を受けたと自覚しないままに今がある人が大多数でしょうが……。
 膨大な失策の中でも、ISDNという愚かな商品を売ったことは記憶に新しいことでしょう。日本のインターネットの普及を阻んだのも、そのレベルが伸びなかったのも、みんなNTTの自己保身の戦略の犠牲でした。

 これまでに、私のホームページ〈へぐり通信〉で、以下のような記事を書きました。10年も前のものですが、興味のある奇特な方はお立ちよりください。参考までに、その記事のタイトルとアドレスを記しておきます。

(1)ISDN移行へのドタバタ騒ぎ(1996.7.19)
(2)「INSテレホーダイ」の不気味さ(1996.7.24)
http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/hitec_folder/R4.2_hitec_01_1995.html

(3)NTT電話の怪〈1998.7.28/31補訂〉
http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/hitec_folder/R4.2_hitec_03_1997.html

 それやこれやの苦い体験を経て、電話会社を選べるようになった数年前からは、NTTの回線は局内だけで、電話関係のすべてはKDDIと契約しています。
 NTTは、自分たちが社会の技術的な進歩の邪魔をしているのだ、という自覚を一日も早く持つべきです。そのことを、我々は教えてあげるべきだと思っています。もっとも、NTT自身は、そんなことは重々承知しているので、教えてもらうには及ばない、と言うのでしょうが。

 いつまでも日本にこのような会社を残しておいてはいけないと思います。

 それなのに、今回なぜ私がNTTの光ネットを契約したのか、ということです。
 まず第1に、今回移転する建物には、すでにNTTの光回線が各部屋に配線されていたのです。せっかくあるのなら、当分はあるものを使って様子を見ようと思いました。
 第2に、私としては、ヤフーBBを使うつもりだったのですが、1年後の利用料金を計算すると、NTTが格段に安いのです。これは、いろいろな条件が複合してのものです。
 こんな事態があるので、こうしたことに対するヤフー側の対処も、1日も早くなされるべきです。安かろう悪かろうというのは、そんなに長くは続きません。時間の問題なのですから。

 とにかく、京都の新居では徹底的にNTTを排除したのですが、今度は仮住まいということもあり、節操もなく現実と妥協です。
 実は、2ヶ月ほど使った後に、NTTに解約手数料の5,000円をとられたとしても得をする秘策を教えてもらっています。こんなことを教える店員も店員ですが、それを実行しようとする私も私です。私のNTT批判に賛同してのアドバイスがもらえたのです。
 こんなことがあるのを、各社ともに知りながらの顧客争いなのでしょう。いずれにしても、利用者が快適に使える環境を提供することを第一に、通信各社のみなさんが、一致協力して事業を進められることを願うのみです。

 引っ越しに伴い、現在通っているスポーツクラブも変わらざるを得ません。
 今は、全国に支店をもつクラブに入っているので、非常に重宝しています。今は、神奈川県の川崎にあるクラブの会員です。ところが、京都の自宅の近くにある支店に行っても、300円を払えば普通に利用できるのです。女房も2週間前に会員になったので、一緒にエアロビクスなどのクラスに入って汗をかいています。なかなか便利に使えるので、今回の移転でスポーツクラブを変えたくはありません。このクラブは、職場の移転先にもあるのですから。

 再来週から住む所と、勤務先を結ぶ線上にある支店の一覧を眺めて、銀座店に眼をつけました。そして、実際に店に足を運び、話を聞いてきました。
 所属を移すことにともなう問題は何もありません。しかし、川崎店に比べて銀座店は施設が相当劣ります。
 立地条件から当然とはいえ、スペースが狭いことが一番の問題でしょう。プールは18メートルが2本しかないのです。普通は25メートルが8本はあります。また、お風呂がなくて、シャワーだけなのです。湯船に浸かれないのは痛手です。
 言えばきりのないほど貧弱な施設ですが、銀座という場所が魅力です。何がいいといって、すぐ隣にアップルストアの銀座店があるのですから。毎日アップルストアに立ち寄れるのです。パソコンやiPodの調子が悪い時には、すぐに相談に行けます。新製品もすぐに確認できます。

 半月後からは、刺激的な日々が送れそうです。
 これは楽しくなってきました。

2007年7月29日 (日曜日)

スクーバ・ダイビング(5)

 今日は、スクーバ・ダイビングの筆記テストでした。
 昨日は所属する研究会での司会や発表などがあり、帰ったのも遅くて試験対策が出来ませんでした。今朝はやっつけで練習問題の答えを暗記しながらの泥縄方式です。3時間ほど勉強して、ダイビングスクールへ行きました。

 少し早く行って、計算問題の解き方でわからないところを教えてもらいました。
 どんなことかと言うと、人間はダイビング中に空気に79パーセント含まれる窒素を吸収します。その窒素ガスが身体の細胞に溶け込む量が多いと、人体に悪影響を及ぼすことになります。というか、生命を脅かすものとなります。
 身体に吸収される窒素の量は、潜る深さと時間とに密接に関係します。うまく身体から窒素を排出しないと、減圧症といわれる重大な被害を人体に及ぼします。そこで、窒素の量を限界内に留めるために、ダイブテーブルやダイブコンピュータを使って、潜る深さや時間や休憩時間などをあらかじめ計算して計画し、安全なダイビングをすることになります。
 簡単に例え話で言うと、炭酸飲料のフタを開けた時に、泡が噴き出します。あの、不要な泡が体内に留まっていると、疲労感や酷い場合には意識不明になるのだそうです。

 そんなことにならないように、あらかじめ潜水計画を立てる際に、潜る深さと時間と休息時間を計算をして、減圧症にならないようにするのです。もしくは、ダイビング中に何かの事情で潜水深度が深くなり過ぎたり、潜水時間が延びたりした場合に備えて、実際には、ダイブコンピュータという腕時計式のものを使います。私も、8万円以上もするダイブコンピュータという腕時計を買いました。不測の事態に命を守るための投資と観念しての買い物です。しかし、コンピュータは壊れることがある、というすばらしい考えの元に、小さなボードに記された表を使って計算する練習をするのです。なんと人間的な発想でしょうか。
 そのプレートボードは、こんなものです。まずは表面。

Rf1i0oa6_s計算表1


そして、裏面です。

T01iltd6_s計算表2


 コンピュータに全幅の信頼を置かない思想に共感します。しかし、こんな表をもとにしての勉強は、できることなら逃げたいものです。今回限りと言い聞かせないと、ノイローゼになります。

 そんなことばかりを言っているわけにはいきません。テストでは、この計算問題が1割以上とのこと。つまり、6・7問はこの問題が出るので、この対策が合否を分けるとも言えましょう。ただし、合格のラインは示されていません。これが、社会人のライセンスらしいところです。
 この試験自体がそんなに厳密なものではなくて、緩やかな監視の元に実施されるようです。また、採点も厳しくはないとのこと。しかし、それを鵜呑みにするのも不安が伴うので、可能な限りの努力をするしかないのです。試験前の学生の心境が、こんな時によくわかります。気休めに聞こえる慰めは、こんな時には不要なのです。

 さて、インストラクターの方には、テキストにあった練習問題について、3問を質問しました。いずれも、上記の表を使って答えを出すものです。
 例えば、こんな質問があるのです。

「最初のダイビング:18m/50分、2回目のダイビング:14m/60分。この反復ダイビングを実行するために必要な最小水面休息時間はどのくらいですか?
 a. 0:42
 b. 1:34
 c. 1:18
 d. 1:00 」

 表が印刷されたプレートをひっくり返しながら悪戦苦闘しても、こんな練習問題はわかりません。このプレートに説明書が付いていたのを知らなかったので、自習段階で皆目わからないのは当然です。授業で聞いた説明を思い出しながらやってみましたが、時間ばかりが経つのです。

 質問をしたインストラクターの方は、どうもこの問題がよく分からない方だったようで、しばらく自信なさそうに沈黙の後、相当時間が経ってからようやく説明をして教えてくださいました。こんな時は、誰か分かる人はいませんか、と相手を外す発言はためらわれます。日本的な発想による、事態の雰囲気を悪くしたくない、という心優しい思いやりの文化を共有しているせいでしょうか。
 しかし、次の問題で手も足もでないことになって躓いたその方は、もう一人のインストラクターにバトンタッチとなりました。そして、今度の方の説明によると、先ほど教えてもらった遣り方は、まったく違う説明だったことがわかりました。もちろん、そんなことはこの方に告げ口はしません。とにかく、試験を受ける直前なのですから。主催者側の気分を悪くしかねないことはしないのが、日本の対人関係を円滑に保つ対処方法です。
 それにしても、さきほどの方は、なんといい加減な……。わからないなら、はっきりとわからないと言うべきでしょう。むだな時間を過ごしたことになります。
 新しいインストラクターの方の説明で、ようやくプレートを使って計算して答えを出す方法がわかりました。
 また、水中生物によるケガの原因について、テキストの説明では「水中生物の自己防衛」が正解で「水中生物の母性防御」が間違いになっていました。これは同じことではないかと尋ねると、その通りだが、テキストにはいろいろと間違いがあるので、とかなんとか弁明しておられました。
 確かに、今回使用したテキストは、誤字・脱字・日本語として変な表現などが散見します。英語版を日本語訳して作ったものなので、そこは仕方のないことでしょう。正しい日本語の知識は海底に捨て置いて、とにかくこのテキストを使うしかありません。

 さて、試験がスタートです。
 四択の問題が48問と、五つの項目を並べ替えるものが2問、計50問でした。

 自信のないものもありましたが、すべてを記入して提出しました。試験時間は無制限だとのことでしたが、30分ほどで終えることができました。
 表を使っての計算問題は6問か7問ありました。それも、レベルの高いもので、脳みそは加熱状態でした。
 すべてを答え終わった後は、もう見直す気力もなく、すぐにそのまま提出しました。どうにでもなれ、というか、もう一度、問題を見たり考えたりするのが億劫になったのです。早く開放されたかったからでしょうか。

 優しく的確に説明してくれたインストラクターの方は、すぐに目の前で採点してくれました。どうやら、採点する中で出来なかったところを先生と生徒が一緒に確認して、確実に知識を身に付けるという学習方法の意義を、性善説のもとに実施するテストのようです。信頼の上に立った仲間意識は、試験を受けた身にとっては、本当にいい考え方だと思われます。

 私の結果は、50問中まちがいは2問とのことでした。その間違い箇所の説明を聞いて、一つは私が問題文を誤解して答えたものでしたが、もう一つはどうも納得できません。
 問題は、水深10mでコップに空気を入れて、それを引き上げて水面までもって来ると、中の空気はどうなるか、というものでした。
 私は、空気が溢れて零れ出るとしたのですが、間違っていると言われるのです。2気圧の水中でコップいっぱいに入れた空気は、1気圧の水面に出ると、コップの中の空気は膨張して外に出るはずです。そうであるからこそ、水中から浮上する時には、肺の過膨張に細心の注意を払うのです。緊急浮上する時も、肺が膨張するので、口からは息を少しずつ吐きながら上昇するのだと教わりました。
 そんなことを説明すると、私の方が正しいとのこと。それ以上の話は不要だと思い、私としてはそこで打ち切りました。
 思うに、どうやら元が英語のテスト問題だったせいか、その日本語訳に関わる不備がこんなところに潜んでいるようです。上記の問題も、模範解答から推測するに、水深10mでコップに空気を入れるという表現が、どうやらおかしいのでは、と思われます。つまり、水深10mの所に空気を入れたコップを下ろして引き上げた、という場合を想定しての問題なのではないでしょうか。
 いずれにしても、練習問題の5回分と、今回のテスト問題も解答用紙も引き上げられているので、確認のしようがありません。
 何割できたら合格だとか、そうした基準も示されていません。
 また、私の採点も、おそらくたくさんの間違いがあるのではないでしょうか。合格ということなので、内心ではホッとしてはいます。そんなに厳密な学力試験ではないので、たいした問題にはならないのでしょうが、今後のためには、もう少し厳密にとは言わないまでも、あまり疑問が残らないような実施運用をしてはどうだろうか、と思いました。

 何はともあれ、これで、やっと肩の荷が下りました。
 あとは、来週末の伊豆での2日間の海洋実習です。
 体育会系の合宿ではないとのことなので、楽しんで来たいと思います。
 実際には、思うように自然の中で動けなくて、悔しい思いをするのでしょう。しかし、とにかくこれはスタートなので、焦らずにリラックスして、たくさんのスキルを習得してくるつもりです。

 そして、エジプトにあって地中海の花嫁とも呼ばれる港町アレクサンドリアの海に潜り、クレオパトラが着けていたペンダント(何故これなのかは自分でも不明)を、小野小町で有名な秋田県生まれの妻にプレゼントするという願いを叶えたいものです。多分に、苦労をさせ続けている贖罪の気持ちからのことですが……。
 今回のライセンスは18mまでしか潜れません。さらなる精進を重ね、もっと深くまで潜れるライセンスの取得を目指すつもりです。
 (楊貴妃のペンダント?については、私が愚かなる中国嫌いなので、長安郊外の温泉保養地・華清池を潜って探す気はありません。どうせ、まがいものしか出ないでしょうから。)

2007年7月28日 (土曜日)

弁護士は美味しい仕事?

 ちょうど1年前に、私の車の後部がぶつけられました。

Nyph9ln7_s接触事故現場


 写真の中央で赤いテールランプの車が私のものです。その手前右が、ぶつかって来た相手側車輌です。
 場所は、奈良の自宅近くの天然温泉施設の入り口。
 ブログに新名所としての記事を書こうと思っての、いわゆる取材を兼ねて行ったのです。それが、こんな形での報告と化しました。

 とにかく、この温泉はいつも満員です。この日も、入口で駐車待ちをしていた時に、帰りを急ぐ車にぶつけられたのです。小さな事故ですが、いろいろと興味深いことが付随していたので、忘れないうちに書いておきましょう。京都に住まう身となり、それまでの奈良を懐かしむ中での想い出話の一つとして。

 写真を見てわかる通り、私は右奥の駐車場へ行きたいのですが、右前に対向車がいるために動けません。その後ろには、出て来る車がつながっています。
 ぶつかってきた加害者の車のタイヤの向きを確認してください。実は、この駐車場から出るためには、写真の右側に曲がらないといけません。もしくは、直進です。このように写真の左へ行くと、そこには壁があります。
 また、前の通りを挟んで、さらに大きな駐車場があるので、そこへ行く人の通路を確保するためにも、私は自分の車の左側を人が通れるほどの隙間を空けて停まっていました。

 接触部分は、こんな状況でした。

0k2cqw0p_s接触部分



 私の車の右後輪の位置と、加害者側の車の右後輪の食い込むV字の角度を見てください。私は、前にも後ろにも行けない状態で、ぶつかる瞬間をバックミラー越しに見ているしかありませんでした。衝撃を感じるとともに、車外に出て状況を確認しました。
 私がここに来た目的が地元の温泉取材ということもあり、ポケットには愛用のカメラを入れていました。この事故の直後の様子をたくさん撮りました。撮影中、相手方の車に乗っていた方は、他の車が出られないからすぐに車を移動しろ、とか、いつまで写真をとっているのだ、と叫んでおられましたが、私は無視して写真を撮り続けました。運転されていたのは奥さんのようでした。カメラの前に立たれるので、なかなか思うようなアングルで撮影できません。私は、しつこくシャッターを切っていました。とにかく、何事も事実を記録することが大事ですから。
 少し興奮気味の相手を刺激しないように、フラッシュは控えました。SONYのサイバーショットは、夜でもフラッシュなしで撮影できます。後でパソコンで再現できるのは、デジタルカメラの一番の利点です。

 まずおもしろかったのは、この事故をどこに報告するかです。
 私は、温泉のフロントの方に尋ねて、まずは生駒警察署に電話をしました。自分が住んでいる地域を管轄するのは、西和警察署だと思っていました。しかし、言われるままに生駒警察に電話をしました。
 ところが、事故の場所を聞いた生駒警察は、西和警察署に届けろと言うのです。この生駒警察のいい加減さは、かつてホームページで「痴漢は性差の文化的問題か ―被害対策の事例報告をかねて―(2001.2.27)」(http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/tankyuu_folder/R1.1_chikan.htm)と題して報告した、あの不真面目な警察署です。
 結局は生駒警察が来たのですが、この事故現場は両警察署の管轄範囲の境界上にあったために、このように警察署がたらい回しにしたのです。
 2人の警官が来て、事情聴取と事故車輌の被害の確認がなされました。そして、お互いが保険会社に連絡することなどを確認して、その場を離れました。この日の取材は取り止めにしました。

 翌日すぐに、加入していた自動車保険の会社に連絡をして、手続きを進めてもらいました。撮影した事故現場での写真も、ネットで送りました。そして、すべてを保険会社にまかせました。車の修理をするタイミングも相談しました。
 どのような経緯からだったのかは失念しましたが、私の保険には弁護士特約がついていたので、それで対処してもらうことになりました。おそらく、相手側が私の方にも過失があると言って来たためだと思います。
 私には過失は皆無だと信じていたので、その旨を保険会社に伝えたところ、交渉などは弁護士にまかせることになりました。弁護士に入ってもらっても、私の費用負担はなくて、また保険の評価も下がらないとのことでした。

 とにかく昨年の8月から9月にかけては、ロシアに行ったり、国内出張などが立て込んでいる時期でした。大阪北浜にある弁護士事務所へ行って経過説明をしたのは、3ヶ月後でした。
 土曜日の午後、弁護士事務所で事故の経緯を説明しました。
 弁護士は、事故現場の図面を、鉛筆と定規を使って、丁寧に作図されました。こんな小さな事故なのに何と丁寧なことか、と感心しました。1時間半ほどだったでしょうか。何度も書いては消して、詳細な図面ができあがりました。その弁護士さんは忙しい忙しいと言いながら、土曜日にわざわざ出勤して手作業で図面を作られる意味が、その時の私にはわかりませんでした。わざわざ私のためにこんなにしてくれて、本当に親切な方だと思いました。

 相手方が非を全面的に認めないので、弁護士から以下の「請求書」という書面が送られました。



        請  求  書

           平成18年11月28日
大阪府・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・ 殿
           大阪市・・・・・・・・ビル5階
                   ・・法律事務所
                   ・・・・氏代理人
                   弁護士 ・・・・
           (電話 06ー・・・・ー・・・・)
           (FAX 06ー・・・・ー・・・・)

前略  当職は,・・・・氏(以下,「通知人」といいます。)の代理人として本書を呈します。
 さて,貴殿は,平成18年8月・・日午後8時40分ころ,奈良県生駒市・・・・所在の「・・・・温泉」南側出入口付近において,普通乗用自動車(大阪・・・・)を運転して・・・・温泉駐車場(北)から左方道路(東)へ大回りで左折進行するにあたり,同温泉駐車場に進入するために同駐車場の出入口付近にて先頭を北東に向けて停車して待機していた通知人運転車両(奈良・・・・)に接触しないように十分に安全確認し,車間距離を保持して進行すべき注意義務があったにもかかわらず,これを怠り,十分に通知人車両との車間距離を確認しないまま,大回りに左折進行しようとしたことから,貴殿車両の右後角を通知人車両の右側後部に接触させるという事故を起こされました。
 そして,この事故により,・・・・氏所有車両は損傷を受け,修理費として金4万0601円の損害が発生しています。
 本件事故は,上記のとおり,貴殿に安全確認義務違反・車間距離保持義務違反の一方的な過失責任のある事故です。
 ついては,貴殿おいて,・・・・氏の披った物的損害金4万0601円を全額賠償いただく必要がありますので,貴殿に対し,本書をもちまして,上記金4万0601円を請求いたします。
 本書到着後,1週間以内に,上記金員全額を当職まで持参または送金して全額お支払ください。
 万一,貴殿が上記期限までに上記金員の支払をされず,かつ,当職に対し何らの連絡もされない場合には,貴殿に対し,弁護士費用を加算した上で,速やかに裁判手続をとらざるを得ないと思料しておりますので,ご承知置きください。
 いずれにしても,本件に関しては,今後,当職が,・・・・氏の一切の窓口を相務めますので,よろしくお願いします。
 上記要用のみにて失礼します。
                    草 々




 あからさまに、支払わないと裁判をするぞ、という脅しに近いものとなっています。これで、まったく不利な立場の相手方は、支払わざるをえなくなるのです。結果的には、この強気が功を奏しました。加害者側はすぐに全額を支払うことで決着しました。
 とにかく、写真という証拠は、大きな威力を発揮しました。
 その後、弁護士から「事故解決に関する承諾書(免責証書)」が送られてきました。相手方の保険会社から、自動車の修理費用も振り込まれてきました。

 私には過失がなかったことで終わり、ホッとしました。
 そんな時に、保険会社から弁護士に支払われた内容を明記した書類が届きました。それを見て驚いたことはもちろん、過般、弁護士事務所での弁護士の対応のバカ丁寧だったことの舞台裏が見えました。

 その送られて来た書面には、「弁護士費用等担保特約保険金」として、「198,020円」と「20,000円」の2回の振込みが弁護士事務所になされていたのです。
 当該弁護士は、私への対応に関わる報酬として、約21万円を手にされたのです。
 いくら特殊な職業とはいえ、これは結構な商売です。
 金額の妥当性を云々する根拠はないのですが、休みの日に出勤して、いい年をした男がパリッとしたスーツを着込んで、バカ丁寧に鉛筆と消しゴムを使って図面を作成するだけの価値は、この報酬を考えると理解できます。

 私がホームページ〈へぐり通信〉に「海外留学と保険契約 −驚くべき損害保険会社の対応を裁判体験から報告する−」と題する報告をしたのは、2004年5月でした(http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R1.3.0_hoken_top.html)。
 そこでは、本当にいい加減な東京地方裁判所の裁判官のことや、平気で嘘をつき通す保険会社の弁護士に対する憤りを記しました。

 特権に守られて仕事をする方々の、私には理解できないところを、今回また一つ見た思いです。

2007年7月27日 (金曜日)

スクーバ・ダイビング(4)

 水深4メートルのプールでのダイビング実習は、今日で最後です。
 まずは、200メートルを泳ぐテストでした。これは、とにかく足をつかずに泳ぎきればいいので、日ごろから鍛えている水泳の調子でできました。
 続いて、水の上に10分間ジッと浮いたままでいる、という課題「サバイバルフロート」をこなしました。ウエットスーツを着ての水面浮游なので、楽に浮いていられました。それにしても、10分も水の上でプカリプカリは初めての体験です。リラックスする訓練だと思って、ボーッと天井を見ていました。やってみると、10分は意外に短いものだと感じました。3分間チキンラーメンを待つ方が、長く感じるのではないでしょうか。

 さて、今日はこれまで学んだスキルの復習でした。初めてやったのは、パワー・インフレーター・ホースといって、ボンベから空気を送るホースを外して、また付けるというものでした。また、足がつった時の直し方や、疲労したダイバーを曳行する訓練もしました。

 総復習が終わってから、自由に4メートルの水底を泳ぐ時になって、急に体が軽くなり、水面の方にだんだんと上がってしまいました。そして、なかなか沈めなくて苦労しました。後で聞くと、ボンベの空気が減っていたために、そのボンベが浮きの働きをして浮力が大きくなったことが原因のようでした。水の中では、いろんなことがあるものです。

 まだ初心者の域を出られませんが、一先ずはやるべきことは一通りやり終えました。実感は乏しいのですが、思い出すといろいろと出来そうなので怖くなります。

 残るは、ダイビングに関するペーパーテストです。3日後に試験を受ける予約をして帰りました。さて、これから試験対策のラストスバートです。暗記が多いので、この年では限界を感じます。覚えていられないのです。
 体内窒素の残留に関する計算問題は、もう頭がパニックです。

 来週は、伊豆長岡温泉にある大瀬崎という所で、最後の海洋実習です。本当に海に潜るのです。不安が潜行する中での期待は、非常に複雑な思いを体感させてくれています。
 さて、どうなりますか。
 その前に、とにかく試験勉強です。

2007年7月24日 (火曜日)

不可解なモニタの修理代金

R1lrbr_6_sモニタ背面



 私が使っているパソコンは、アップルのマッキントッシュです。メインのマシンはiMac(20インチ、写真の後ろに見えている)ですが、その外部モニタに30インチを並べています。これは、A4用紙を2枚並べても余白に余裕がある広さです。本体の20インチとともに、いろいろな資料を画面の中に並べられるので、非常に重宝しています。
 その30インチのモニタを後ろで支える部品が、根元からバキッと折れてしまいました。


Veyyqhzi_s3本のビス




 早速業者に連絡したところ、この支えに当たる部品だけを取り寄せることはできないとのことでした。モニタ本体を送り返して修理をしてもらうのだそうです。修理代金は5万6000円と聞こえました。確かそのはずです。2000円位で部品を送ってもらえれば、こちらで簡単に直せると思っていたのでびっくり仰天です。

 写真を見てもらえばわかるように、3本のビスで止めてあるだけです。そのビスのところからプラスチックが割れたのです。
 割れた部品を嵌め込むと、こうなります。


Opnbnziw_s支え


 部品さえあれば、子供にでも直せます。

 法外な値段に呆れ果てています。アップルも、サポートのすべてを一元化したために、このような笑い話のようなことが発生するのでしょう。サポート契約を結べばいいとの考えもあるのでしょうが、これはすでに3年以上も前の商品です。
 また、写真を見ればわかるように、上からビスでプラスチックを止めていることに疑問を持ちました。つっかい棒のようにして大きくて重たいモニタを後ろから支えるのですから、下側からビスで止めれば、もっと強く支えられるはずです。これでは、股裂き状態に耐えられない構造です。アップルの知恵のある技術者が考えた結果なのでしょう。しかし、素人には、このビス止めの方法はカミワザ過ぎて理解できません。

 こんなことに6万円近くも払えません。壁に立て掛けて使うつもりです。アロンアルファで固定してもいいですし。

 アップルのサポート(?)に疑問を持ちました。
 iPodやiPhoneで世界を制覇しつつあるのは大方の認めるところです。今後は、パソコンがその形を変えていくのはわかります。しかし、それとサポート体勢は違います。パソコン関連の事業に、アップルが見切りをつけないことを願っています。

 これまでの20数年間に、目先の現金に走ったシャープは論外として、技術力を喪失したNEC、役割が分からずに迷走する富士通などなど、多くのパソコンメーカーに裏切られてきました。

 アップルがそのようなことをしないことを信じています。

2007年7月18日 (水曜日)

スクーバ・ダイビング(3)

 ダイビングのプールでの実習は3回目となります。
 前回は鼻から水を飲んだり、口に水が入ったりで、水中で悪戦苦闘しました。その記憶が残っていたので、今日は行くのが何となく気詰まりな気がしていました。しかし、それでは何も出来ないので、とにかく足を向けました。学校に行きたくない時の気持ちがこれなのでしょう。

 まずはスポーツクラブのラウンジで、これまでダイビングの講習用のテキストで勉強したことの半分ではありますが、テキストの練習問題(2回分)を解いた紙をもとにして自己採点をしました。
 9割くらいのできでだったでしょうか。間違った1割は、記述式の問題です。述べている内容がピンボケでした。ダイビングのテキストを理解するのも大変です。あと3回分の練習問題が残っています。
 実際に海で実習をうける2週間後までに、都合5回分の練習問題を見てもらい、出来なかったところの復習をしてから、本テストを受けることになっています。受験生の気分で取り組んでいます。電車の中では、教本のテキストにかじりついています。

Bgrl5b17_sテキスト


258頁の本なので、結構なボリュームです。

 午後8時半から実習です。
 今日からは、自分のスーツ、マスク、フィン(足ヒレ)でのダイビング練習です。とにかく、水に入るまでの準備が大変です。水中をさ迷うということは、生と死が隣り合わせのことをするので、道具に神経を配るのは当然のことです。事故が一番怖いのですから。
 私は、腰に巻くウエイトとしての重りを、左右2キロづつつけて水の中に入りました。しかし、それでは体が沈まないのです。さらに1キロづつ足して、ようやく水中で静止できました。痩せ型で脂肪がない体なので、浮力が足りないのです。

 早速、スクーバ・ダイビングで必要なスキルの練習です。早くも、水中でマスクを外し、口で呼吸をしながら付け直す脱着訓練です。前回は、ここで水が鼻から入ってきて閉口しました。緊張の一瞬でしたが、今日は、おっかなびっくりながらも、難なくクリアしました。マスクで鼻を覆わない状態で、レギュレーターだけで呼吸ができたのです。口だけで呼吸をしても、鼻から水が入ってこないことが、体で覚えることができました。今日の一大収穫です。
 本日の難関と思って神経質になっていたのですが、関門を突破してホッと一息です。出来てしまえば何でもないのですね。考えすぎるからだ、とインストラクターの方から言われ続けていたことの一つが、これでとりあえず解決しました。

 水中4メートルまで潜行しました。1メートル潜る毎に、頻繁に耳の空気抜きをするように指示を受けていたのですが、私は難なく潜ることができました。今日はもう一人の方と一緒の講習でしたが、後で聞くと、その方は空気抜きがうまくいかず、耳が痛かったのと、鼻に水が入って苦しいし痛いし大変だったとか。一緒に水中にいたのですが、そんな状態だとはつゆ知らず、慣れた人だなと思っていたのは的外れだったことがわかりました。人の体と心の中の状態は、こちらも必死なせいか分からないものです。

 水底で呼吸だけで浮き沈みするのは、もう得意なスキルとなっています。しかし、おもしろく上下しているうちに、突然浮上しだしたのです。あれよあれよという間に、水面に出てしまいました。水中でのバランスを崩して浮き出した時に、足をバタバタさせたために上へ上へと移動したようです。
 後でインストラクターからは、フィンで蹴るからますます上にあがるんですよ、と笑いながらのアドバイスをもらいました。じっとしていたらよかったのです。何とかしなくては、との思いから、足をバタバタさせたのです。中々むつかしいものです。

 水深3メートルの位置を確保しながら、ゆっくりと泳ぐ練習も、体がいうことを利かず、思い通りにならない我が体にアイソがつきそうになりました。方向転換も、水中ではぎこちなくて情けないことです。
 とにかく、何事もあせらずに繰り返し練習をして、水中生活に体を慣らすことに尽きるようです。

 今日の圧巻は、タンクの空気がなくなったという想定での、緊急事態の訓練でした。自分の空気がなくなり、バディといわれる同行の人の予備の空気源を借りる、というものです。オクトパスと呼ばれるこのバックアップ空気源は、本当によく考えられた装備です。

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 まず、自分の空気がなくなったことを相手に伝え、そして相手のオクトパスを借りるのです。練習とはいえ、自分のレギュレーターという空気取り入れ具を外すのに勇気がいります。そして、相手のものを受け取って付け替えるまでは、やはり心臓がドキドキです。何とかうまくいって一安心。相手との水中でのコミュニケーションの大切さを痛感する場面です。
 スクーバ・ダイビングは、奥の深いスポーツのようです。
 このコースで勉強することは、これでほとんど終わりです。ライセンス用手帳には、終了内容のチェックがされています。

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 何とか資格を取得できそうなところまできました。一通り終わりましたが、海での実習の前に、もう一度プールでの練習をすることにしています。

2007年7月17日 (火曜日)

電車を待つ心理

Ixmw_au9_s整列乗車の線を跨ぐ


 電車を待つ時に、整列乗車をするのがマナーとされています。
 関東はきちんと並んでいるのに、関西は列を作らないといわれています。関西から関東に通勤する身としては、近ごろはそんなに極端な差はないように思います。最近は、関西も並ぶ人が多いようです。私鉄などでは、沿線の雰囲気も大いに関係すると思われます。

 さて、今朝の京都駅でのことです。上京するために新幹線を待っていた時です。自由席に座るために並ぼうとしたところ、すでに一人の男性が列の先頭に立っていました。私は、その立つ位置に興味をおぼえました。ホームに引かれた線は2列に並ぶようになっているのですが、私の前の方は、その線のちょうど真ん中を跨ぐようにして立っておられるのです。私は、その内側の後ろに立ちました。次の人は、私の後ろに、そして次々と前の人に倣うので、列は1列で長くなります。

 もし、先頭の人が2列の内の左右どちらかに立てば、私はその横に、そして後ろの人は多少の乱れはあっても、2列で並ぶことになる可能性が高くなります。

 なぜ、先頭の人は真ん中に、左右に人が来ないようにして一人で立つのでしょうか。これは、よくあるパターンなので、考えてみました。
 そこには、自由席なので何とか座りたい、という心理が大きなウエイトを占めます。指定席なら、このような並び方にはならないでしょう。
 先頭の人の心理として、自分が最初に車内に入り、空いている一番いい席を確保したいのです。隣に並ぶ人に先を越されたくないし、また先を競うことを避けたいためにも、自分が並んだ列の横に人が来にくいように、2列分の線の真ん中に立つのではないでしょうか。
 座席に座った時に、隣に人が来にくいように自分の荷物を隣の席にソッと置いておく心理と同じなのです。そのお陰で、新幹線の自由席の3列シートの真ん中は、ほとんど空き席です。新幹線は、飛び込んでも自由席の3列シートには必ずと言っていいほど座れます。

 案の定、列車到着と同時に、ドアが開くやいなや先頭の方は飛び込んで行かれました。お目当ては、2列シートの窓側だったようです。

 ホームの混雑緩和のためにも、一列に並ばないような工夫が必要です。どうすれば、引いてある線の通りに2列に並んでもらえるのか。3列乗車の場合などは、せいぜい2列に並んでいればいいところです。
 他人と肩を触れ合って電車を待つことに、抵抗感もあります。それならば、体を密着させないですむ間隔で並ぶように、ゆとりをもった列を指示すればいいのかもしれません。

 駅では、ホームに線や矢印やマイク放送などで注意を喚起しておられるようですが、決め手を欠くようです。
 よく眼にする光景なので、何か対処法はないかと思い、少し考えてみました。

2007年7月13日 (金曜日)

今春まで書いていたブログの継続を断念

 今春まで、「たたみこも平群の里から」と題するブログで、快調に更新を重ねていました。200回を超す記事をアップしていました。
 ところが今春(3月25日)、突然にサーバーがダウンしたのです。これまでのブログが、その日を限りにすべてが消失したのです。

 以下のアドレスで昨年までの記事は確認できます。

http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php

 サーバーを運営していた会社は、当然のごとく責任は取ってくれません。契約上そうなのだそうですが、まったくもって知らぬ存ぜぬで無責任なものです。しっかりとバックアップを取っていなかったそうです。こちらもそうだったのでお互い様ですが、それにしてもいいかげんな会社です。

 以来、私のブログはまったく読めなくなりました。業者の報告によると、ハードウエアの事故のため、データの復旧は不可能ということです。欠陥商品をよく手にする私ですが、パソコンやネットワークでのトラブルも頻繁です。今回も、いつものことと言えばそれまでですが、それにもめげず何事もなかったかのように生きています……。

 そこで、グーグルという巨大なシステムを活用することにしました。「続・たたみこも平群の里から」と題して、壊れたサーバーを受けて発信拠点を変更して再出発しました。私にとっては第3弾のブログです。グーグルからの発信ならば、問題があっても、なにがしかのデータ救出は可能性が大きいと思われたからです。
 しかし、それも何かと使い勝手がよくなかった所へ、突然の引っ越しもあり、京都でのプロバイダーが運営するネットワークでのブログに統一することにしました。つまり、私にとって、これは第4弾のブログです。

 そうこうする内に、壊れたサーバーから公開していたデータを、仲間がどうにか再構築してくれました。ただし、昨年末までのもの179件と、新年から3月までの中からは1件のみですが……。
 200件中の180件がどうにか回復できました。たくさんの記事が復活して、少し安堵しました。
 これからは、今年に入ってから3月までに書いた20件のものを、なんとかして思い出しながら書き足したいものです。実際には不可能ですが、書けそうなものもあるので、いずれ、ということにしておきます。

 ブログは、ネットに繋げた状態で書くことが多いので、文章は送信したらそれまでなのです。ただし、写真は、そのすべてが手元にあります。これは、一度編集したものをアップするからです。

 ここに、1月下旬以降3月中旬までに公開した項目のリストを揚げます。
 この後にもいくつか掲載したのですが、そのリストは後日ここに追加します。

Vbcwl2bm_s消失したブログの項目一覧


 これらの記事に関する画像はあるのですが、その中身にあたる文章がないのです。
 こんな私のブログの内容を、テキストかプリントアウトかでお持ちの方がいらっしゃいませんでしょうか。もしお持ちでしたら、連絡をください。

 いつも思うことです。こまめにバックアップを取っておくんでした。
 コンピュータに関わって20年、バックアップを取っていなかったことで泣かされ続けています。

2007年7月12日 (木曜日)

いい仕事をするロフト

 一月前、突然、腕時計が止まっていました。
 そして最近、腕時計が遅れることがあります。
 私の腕時計は、7年前にスイスの山の麓で買ったものです。高級品ではありません。しかし、まったくと言っていいほど狂わない時計です。それが、どうしたことか変なのです。

 時計屋さんに持って行って、とにかく電池を交換してもらうつもりでした。しかし、つい通勤の行き帰りの慌ただしさに、行きそびれていました。

 今日は、時計を何とかしようと思った、ちょうどその時、私の目の前にロフトがあり、時計の修理コーナーが見えました。これ幸いと、さっそく電池交換をお願いしました。15分かかるとのことだったので、しばらく店内をブラブラして受け取りに行って驚きました。電池の交換は不要だとのことなのです。

 店員さんは親切に説明してくれました。そして、手渡された記録カードから引いておきましょう。
 ・電池の残量は1.56ボルトなので、十分使える状態である。
 ・時計の日差は+0.3で問題はない。
 ・裏ぶたのパッキンが少し劣化している。
 ・ケースのフタに錆がある。
 ・時計の内部が、磁気の影響を強く受けている。
 ・機械内部に錆がある。
 以上の結論として、今回は磁気を少し放出しただけで、電池交換は不要、料金は無料、とのことでした。

 この時計は、下の息子が小学六年生の時に、卒業旅行としてイギリス・ドイツ・リヒテンシュタイン・スイスへ連れて行った時に、自分への土産として買ったものです。CANDINOという、有名な会社のものではありませんが、まったく狂わないお気に入りの時計です。

 店員さんいわく、もう大分使っておられるので、そろそろ分解修理をする時期です、とのことでした。そうなのです。一度もオーバーホールをしていませんでした。次に遅れるようなことがあったら、すぐに分解掃除をしてもらいましょう。五年に一度は点検を、とのアドバイスをもらいました。

 それにしても、無料で時計の検査をしてもらったことになります。説明も丁寧でした。
 JR川崎駅に隣接するラゾーナ川崎の2階にあるロフトの内海さんは、ほんとうにいい仕事をしています。縁もゆかりもない者ですが、ますますの活躍を祈念しています。

2007年7月 9日 (月曜日)

スクーバ・ダイビング(2)

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 ダイビングの講習の2日目は実習からでした。
 この写真は実習をするプールで、小さいながらも深さは4メートルあります。
 まず、自分で器具をセットして、それを背負って水中へ。
 何をするのか、うまくいくのか、水中での呼吸が苦しならないか、などなど、初心者なればこその不安な思いが交錯します。
 水中でゴーグルを外す練習で、外してから着ける間に、どうしても鼻から水を吸ってしまいます。昨日はできたのに……。マウスピースで口から空気を取り入れるのですが、口呼吸だけでなく鼻も使ってしまうのです。ランニングの時に、鼻で吸って口から吐く癖が出てしまうようです。インストラクターからは、意識しすぎだとのアドバイスをもらいましたが、今日はもう断念です。マウスピースを外して空気を移動したり、ゴーグルに水を入れて鼻息で出したりできるのに、意識し出すと思うようにできなくなったのです。
 そのせいもあって、背負っている酸素ボンベの付いたジャケットの脱着訓練も、最後のところで口が「い」の字になって、水を飲んでしまいました。おしい、と言われてこれまた失敗。
 水中に寝そべり、肺呼吸だけで浮き沈みするのは、気持ちよくできました。呼吸だけで、1メートルも上下に移動するのです。不思議なものです。
 インストラクターからは、何度もリラックスして、という注意を受ける講習でした。
 午後の学科は、潮流や干満の勉強と、海中での窒素酔いと減圧症、そしてダイビング計画立案上の計算などなど、もう頭はパニックです。
 今日は、海底ケーブルの仕事をしているという男性と2人の受講でした。
 実習も講義も、水中でこうしたことが本当にできるのか、大いに不安になりましたが、なんとかなるさの気持ちしか頼るものがありません。
 宿題も出され、海での実習までに筆記試験もあります。なかなかハードなライセンス取得となりました。

2007年7月 8日 (日曜日)

スクーバ・ダイビング(1)

 スクーバ・ダイビングの講習初日の報告です。
 何となく地中海を潜って見たくなり、スクーバ・ダイビングの国際ライセンスを取ることにしました。試しに体験実習を受けたところ、思ったより呼吸が楽で、身に付ける機材も重くなかったので、それではと本格的に資格取得にまっしぐらです。
 いつも利用しているスポーツクラブで受講して取得できるとのこと。ただし、ここ数ヶ月は引っ越しのために週末は体が空いていなかったので、ようやく講習を受けることになりました。予約を4回も延期しました。

 朝の10時半から夕方5時までの講習を2日受けます。
 初日の午前は、ダイビングのテキストを使ってのお勉強です。国際共通テキストの日本語版のようです。丁寧に構成された親切なテキストです。
 発行は「PADIジャパン」(URL www.padi.com)

 まずは、気圧と水圧のお勉強を通して、水中で無重力状態で静止できることの理由を理解します。ペットボトルを使った写真や図版で、次の写真のように説明されています。

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 水中でのコミュニケーションに使う、ハンド・シグナルも教わりました。手話のような感じですが、これは何となくわかります。

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 講師役のインストラクターの先生が、仲間に話しかけるようにして説明してくださるので、楽しく理解できました。
 今回、日本の航空会社の新人アテンダントだという二人の女性と一緒に、この講習を受けました。自分の娘と同い年のようなので、私も一緒に、気軽に先生に質問をしました。

 午後は深さが4メートルのプールでの実習です。
 身に付けるスーツや機材は、こんなものです。(説明省略)
 右がウエットスーツ(夏用)、左がドライスーツ(夏以外用)です。

2vscth5v_sスーツ


 そして、こんな道具を身に付けます。組み合わせるのですが、大変な装備です。

B4oxzgxm_s各種小道具類


 こうしたものを付けて、次の写真のようにして実習を受けます。

Mp9cyxtr_sテキストより


 一度体験したとはいえ、それは普通のプールで器具を装着し、呼吸と潜水をしただけなので、今日が実質的には初めてのダイビングです。水深4メートルでも、結構深く感じました。
 それにしても、思うようには動けません。
 水中でマウスピースを外してそれを探す方法や、ゴーグルの中に入った水を抜く方法など、まさかの場合の訓練もしました。おっかなびっくりではありましたが。
 最後は、自由に回游するのです。ところが、なかなか水中の一定のポジションに浮いたままで移動することができません。水中を上がったり下がったりするので、空気を抜いたり入れたりと、左手で空気圧を調整するボタン操作も大変です。ぶざまなことをしているうちに、スーと安定して動けるようになりました。気持ちよく浮いていられるようになりました。水槽の中を回遊できたのです。
 これは早速、水族館へいかなければなりません。今までとはまったく違った水族館になるはずです。泳いでいるお魚君(さん?)の気持ちで見ることでしょうから。

 この感触をマスターすれば、海の中を何とか散策できそうです。
 これで、水中世界を彷徨う楽しみができました。
 すでに、パラグライダーで空中散歩はできるようになっています。
 もちろん、地上を歩くことは日常のことなので得意です。
 陸海空を自分の力で動き回れることが実現するのです。
 せっかくこの世に生を受けたのですから、いろんなことにチャレンジをしているところです。

 今回のライセンスは、水深18メートルまでのものだとか。それでは行動範囲が狭いので、30メートルまで潜れるアドバンスドコースを、早々と予約しました。ワンランク上のライセンスも、取れる時に取っておきます。

 最終関門の海での実習も、体が感触をつかんだ早い時期がいいようなので、8月初旬に伊豆の海で2日間の研修を受けることにしました。
 つまり、来月の上旬には、インターナショナル・ライセンスが手に入ることになるのです。

 回遊魚と言われている私なので、それなら本物の回遊魚たちと話をしてみようと思っています。見たこともない水中世界へ行けるようになるので、ますますこれからの練習が楽しみです。

2007年7月 7日 (土曜日)

画像で判定するテニス

 イギリスのウインブルドンでは、今、テニスで盛り上がっています。
 高校生の頃からテニスをしている私は、ウインブルドンはあこがれの地です。家族とイギリスへ行った時には、みんな別々の機会でしたが、必ず最初にウインブルドンへ連れて行きました。いつかは、家族みんな一緒に、ウインブルドンでテニスをするつもりです。センターコートは無理ですが、その回りのコートなら借りられるのですから。

 時差の関係で、ウインブルドンの試合の中継は日本の真夜中です。それでも、つい見てしまいます。そして、新しい楽しみを見つけました。それは、審判の判定にプレーヤーが異を唱え、その結果、主審の判定が覆ることが多いのに気付いたのです。写真判定にコンピュータグラフィックを活用したものが導入されているのです。

 選手は、1セット中に3回の「チャレンジ」と称する異議を申し立てられます。すると、その場でボールの落下点とテニスコートのラインの位置関係を、画像で場内の観客にも見せるのです。再確認を申し出て、審判の判定が異なるものであった場合には、3回使える権利はそのままです。審判の判定通りであった場合は、異議を申し立てたプレーヤーの権利は1回減ることになります。

 ここ数日、審判の判定につけられた「チャレンジ」の9割は、申し立ての通りに判定が覆るものでした。ほんの数ミリのズレでも視覚的に表示されるのですから、審判にはお気の毒なことです。それだけ、プレーヤーの判断が的確であると言えましょう。

 今大会から、このルールが導入されたそうです。これまでにもテレビではこの映像を見せてくれていました。しかし、あれはあくまでも放送局側のサービスだったようです。

 相撲でも同体などで「物言い」がつくと、テレビでは写真判定をしていますが、あれは正式に採用されているのでしょうか。競馬のゴールで写真判定で「鼻の差」などといっているのは、お金が直接関係するのでしかたのないことでしょう。

 テニスの写真判定は、私には少し幻滅です。野球の審判がミスを冒すように、テニスでも審判には確たる権限を与え、その場の流れの中での判定ミスは許容してもいいように思います。
 機器を導入して完璧な判定をすることよりも、その場の人間の眼の範囲で判断をする方式を支持します。プレーヤーにとっては、とんでもない審判に当たると悲惨な思いをするでしょうが、それは言いっこなしです。

 テニスもパワーとスピードのスポーツです。確かに、ラインにボールが乗ったかどうかは、大変な問題です。プレーの一瞬一瞬を止めて、確認をしながら進めて行くのはいいことです。しかし、ものごとには「流れ」というものがあります。そこから、異議は1セット中に3回まで、と決まったのでしょう。しかし、人間の眼ではなくて、最終的には機械がとらえた映像に寄り掛かる姿勢には、この世に人間が存在する意義を軽く見ているように思えます。

 と書いてきましたが、やはり本当はどうなのか、ということを追求する観点からは、機器を導入して客観的な真実を追究するのも悪くないな、という思いもします。機器導入反対と断言できないところに、この問題の奥深さを感じます。

 日本の文化は、白黒をハッキリさせないところがありました。グラデーションの世界です。それに引き換え、欧米の判断は2値で結論を得る世界でしょう。文化の違いに帰するのはよくないのですが、スポーツも2種類の楽しみがあるとすれば、このウインブルドンの新ルールは、新たな楽しみ方を教えてくれていると言えるでしょう。

 どうも歯切れがよくないのですが、何か引っ掛かりをもちながらも、プレーヤーのクレームが認められることの多いテニスを観て、人間の素晴らしさと、スポーツの面白さを改めて知ることとなりました。

2007年7月 1日 (日曜日)

偶然に知った車検切れ

 2ヶ月にも及ぶ奈良から京都への気の遠くなるような引っ越しの間には、いろいろなことがありました。そんな中でのエピソードを。

 私はトヨタの小型車に乗っています。今回の引っ越しでは、毎週のように奈良と京都を行き来しました。小粒ながらも、大活躍でした。

 翌日は細かな荷物を運ぼうと思っていた週末の夕方、突然ではありましたがトヨタの営業の人が顔を出されました。近所を回っていたので、新しく来た我が家に挨拶に立ち寄られたのです。

 これまでも、奈良のネッツトヨタのお世話になっていました。来られたのがちょうど近くにある京都のネッツの方だったので、奈良から京都への引き継ぎを頼みました。車検証が必要だとのことで、車の中から取り出して渡したところ、なんと車検がその週で切れていたことがわかりました。先週、奈良と京都を往復したのは、車検切れスレスレの状態での運転だったのです。

 たまたま、転入して来た家のトヨタ車を見かけて立ち寄られた営業の方に、ウッカリした手続きミスを指摘されて助かりました。明日、車検切れの車を運転するところでした。

 大至急車検の依頼をし、明日のための代車を確認したところ、幸運にも1台同じ車を手配してもらえたのです。ラッキーが続きました。

 危なかった車検切れも、大過なくクリアできたのです。
 あの日あの時、あの人が通り掛からなかったら、と思うと、偶然な幸運に感謝の念が湧きます。もちろん、幸運もあれば、不運もあります。そうであればこそ、偶然がなせるおもしろさを実感しながら生きていけるのです。

2007年6月30日 (土曜日)

街で財布を拾うと

 拙宅の周りには、大学が4つあります。若者が多い街でもあります。
 買い物帰りに、道の真ん中に財布が落ちていました。男物で、学生証らしきものが見えました。困るだろうと思って、すぐ近くの交番へ持っていきました。
 お巡りさんは、財布の中身を丁寧に確認し、どこかへ2本ほど電話をして問い合わせた後に、ようやく書類作成に入りました。
 拾った時間や場所はもちろんのこと、私の住所などを記入した後に、謝礼を受けとる権利があるがどうしますか、と尋ねられました。いらない、と言うと、権利を放棄する旨を記入するのです。更に、落とし主からの連絡をどうするか、と問われたので、これもいらない、と答えると、その旨を記入し、最後にサインをして手続きは終わりです。
 だいたい10分ほどの時間を要したでしょうか。
 キャッシュカードやクレジットカード、さらには運転免許証や各種会員カードが入っていたので、この学生さんは財布をなくしたことに気付いたら大慌てでしょう。
 本人を特定できるものがたくさん入っていたので、おそらくすぐに本人の手元に戻るはずです。まさかになれば、大学の学生課を通して返せばいいのです。法的な問題はおいての話ですが。

 それにしても、拾得物を届けると、謝礼の権利や連絡の諾否を書類上で確認されるのですね。これこそ、法的な問題をクリアするための項目なのでしょうが、好意でチョッと届けたはずが、何やら難しい法の網の目の中を潜らされることに直面したのです。社会の仕組みが複雑になっていることを実感。ささやかなことから、その先にややこしいものが横たわっていることを垣間見ることとなりました。

 それはともかく、その学生さんの元に財布が戻ればいいのです。
 余計なことですが、何種類ものカードがあったので、恵まれた学生生活を送っている方なのでしょう。たくさん勉強をしてください。

2007年6月29日 (金曜日)

相変わらずでたらめな佐川急便

 奈良から京都へと、引っ越しをしている最中のことでした。
 奈良の家のポストに、佐川急便からの「ご不在連絡票」というのが入っていました。毎週末に荷物を運ぶために平群へ行っていたので、おそらく行けなかったこの1週間の内に、荷物を配達しに来て入れて行かれたのでしょう。
 すぐに電話をして、京都に転送してほしいと伝えたところ、すでに日時がたっているので依頼者に返送したとのことでした。品物がよく知っている出版社からの献本のようでしたので、また送り直してくれるだろうと思い、そのままにしました。そして、奈良から荷物を京都に運んで帰ったその日の夜の8時に、何と佐川急便から以下のFAXが送られてきました。

 佐川急便(株)大和高田店

 いつもお世話になっております。
 再配達のご連絡をいただきましたが、「長期不在」の為お荷物はこちらでお預かりして居ります。
再配達は、20日以降のお伺いになりますのでご都合の良い日時を再度お知らせ下さい。
 よろしくお願い致します。



 わざわざ電話で再配達を依頼したら、勝手に東京の依頼者に返送したと言っておきながら、数時間後には奈良の大和高田店で荷物を預かっているから再配達の日時を知らせろ、ということなのです。支離滅裂です。
 その日に電話で対応した人の言葉を信じて、返送されたのであればそのうちにまた配達されるだろうと思って連絡しないでいました。ところが、翌週末に奈良の家へ行ってまたびっくり。またまた「ご不在連絡票」が入っていたのです。
 サインを見ると、配達に来た人は前回と同じ人でした。勝手に荷物と遊んでいろ、と思って放置していたところ、その後、突然でしたが京都の家に問題の本が配達されました。もう、わけがわかりません。佐川急便は荷物と戯れているとしか考えられません。

 以前にも、荷物を職場に転送してほしいと依頼したところ、いつまで待っても届きません。そこで電話で確認したところ、最初に配達することになっていた倉庫に1ヶ月近くも放置されていたことがわかりました。以来、佐川急便から届く荷物は受け取り拒否にしました。

 佐川急便は、相変わらず、いいかげんな荷物の扱いをしているようですね。

2007年6月27日 (水曜日)

確信犯(?)京都市交通局

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 電車に乗る時にプリペイドカードやICカードを持っていると便利です。乗る時にカードを使い、降りる時にそのカードを使えばいいのです。差し込むものもあれば、タッチするものもあります。
 あらかじめ行き先までの料金を調べる必要もないし、小銭を用意する必要もありません。乗客にわざわざ、見えにくい料金表を眺めさせ、駅名を探させられる方式は、年齢とともに大変な負担になりました。あれは、乗客に苦痛を強いるものです。地理と算数のお勉強の時間です。

 窓口対応を放棄した運輸業界は、カードの開発によって便利さを利用客に与えてくれました。感謝です。人件費の大幅削減にもなったことでしょう。その浮いた経費が何に使われているのかはさておき。
 もっとも、そのカードで買い物などの支払いができるのは、サービス過剰で余計なおせっかいです。カードは失ったり盗まれたりする可能性が大きいので、私はあまり1枚のカードを多機能にしないようにしています。

 さて、東京との行き来に京都の地下鉄を使うようになり、「トラフィカ京カード」というものを購入しました。
 これは、地下鉄のサービスコーナーのおばちゃんと話をしている中で、1割お得なプリペイドカードだということを教えてもらったからです。親切な関西のおばちゃんでした。
 普通、プリペイドカードは購入金額分しか使えません。生意気にもカード利用手数料として500円を取られるものもたくさんありますが……。

 上の写真を見ると、上段の「1割おとく」の下に「乗継割引適用」とあります。私は、これにまんまと引っかかりました。

 京都の市営地下鉄は、南部の竹田駅で近鉄に乗り継いでいて、そのまま近鉄西大寺駅を経由して近鉄奈良駅まで行けます。京都に引っ越ししたとはいえ、奈良の平群の家にまだ行くことが多いこともあり、これは便利だと、地下鉄の近鉄乗り入れ電車を利用しました。
 実際に、京都市内の地下鉄には、近鉄電車も乗り入れて走っています。ときどき近鉄の車両に乗り合わせると、これまでが近鉄電車を利用していた者としては、いま自分が京都にいることを忘れてしまいます。
 さて、私が乗った電車は、地下鉄竹田駅から近鉄に乗り入れ、西大寺駅まで行きます。そこで乗換え、さらに生駒駅で乗り換えて平群駅まで行きました。
 改札で乗り越し精算機にこの「トラフィカ京カード」を入れたところ、カードが違うというメッセージが出るのです。駅員に聞いたところ、このカードでは近鉄には入れないので、地下鉄の最終駅の竹田駅からの精算になる、とのことでした。

 そこで差額を払ったのはいいのですが、手元に返された「京カード」は、京都市交通局で磁気情報を書き換えてもらわないと使えない状態のままだ、とのことでした。そして、駅員がその旨の証明書を、ご丁寧にも手書きで発行してくれたのです。これを持って交通局へ行きなさい、と。
 どうやら、「乗継割引適用」というのは、地下鉄と市バスのことのようです。ややこしいカードです。

 地下鉄の線路は近鉄に繋がっているのに、そのまま乗ってしまうと手持ちのカードが使用不可能になってしまうとは……。
 何とお粗末な仕組みのカードでしょうか。
 後でカードの裏面を見たら、近鉄や京阪に乗り越したら「別途お支払いください」とは書いてありますが、「カードが使用不可能になる」とは書いてありません。また、表面隅下には本当に小さな文字で「他社線には利用できません」と書いてあります。
 鉄路は地下鉄と近鉄を繋いでいて、電車も行き来しているので、どこからが乗り越しなのかは、利用者にはわかりにくいことです。

 こんな紛らわしいカードは、即刻廃止してほしいものです。何でもカードの時代なので、京都市交通局の人が思いついたのでしょう。しかし、実情に合ったものを発行すべきです。そして、この人たちは認識不足です。ほとんどの利用者にはわからないだろう、ということで見切り発車による実施の裏には、迷惑を被る利用者が出ることは承知の上で、その被害者のパーセンテージが低いと見積もって、とにかく商品化を急いだものだと思われます。まさに、公的機関の確信犯です。そうでなければ、素人の鉄道マンです。
 京都の市バスへの悪評は世界的です。地下鉄もか、という思いを抱きました。

2007年6月26日 (火曜日)

レンタカーでの引っ越し

 奈良から京都への引っ越しは、業者に頼まず家族5人でやり遂げました。家族みんなで何とかやり終えた、という達成感はありますが、やはり疲れました。毎週末を使って、正味1ヶ月もかかったのですから。

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 当初はそんな予定ではなく、引っ越し屋さんに頼むはずでした。しかし、見積りに来た人が、荷物の総量は8トンくらいで、2日間はかかるとのことだったのです。我が家は作り付けの家具が多かったので、そんなにあるわけがないと思い、自分でレンタカーを使うことにしました。実質、書籍だけなので、素人ながら、2トン車で2往復と読みました。しかし、これが大きな誤算でした。実際は5往復でした。プロの見積りは、ほぼ正確だったのです。脱帽。

 まずは、2トンのアルミバン車を借りてきました。バンにはオートマチック車がないとのことで、マニュアル車を数十年ぶりに運転することになりました。
 もうかれこれ30年も前のことですが、学生時代に新聞配達をしていた頃のことです。早朝午前3時に1.5トントラックのエルフを運転して印刷工場へ行き、刷り上がったばかりの新聞の梱包をトラックに山積みし、それを新聞販売店に置いて回っていました。その新聞の配送が終わってから自分が住み込んでいた店に帰り、それから自分が担当する区域に自転車で配っていたのです。私の受け持ち配達部数は450部でした。

 そんな経験があるので、久しぶりにクラッチを繋ぎながら走ることには抵抗がありません。もっとも、日ごろはオートマ車を両足で操作することに慣れているので、2本の足で3本のペダルを操作するマニュアル車の運転に戸惑いながらのスタートでした。すぐに慣れはしましたが、ギアのレバーもクラッチも重いために、本当に体力仕事でした。

 家具類を積んだ後、あらかじめ用意しておいた段ボール詰めをしたものを間に置きます。アルミバンの大きな箱の中に、荷物をジグソウパズルの感覚で詰めるのです。息子が、考え考え空間に置いていきました。ビッシリ詰め終わると、荷崩れを防止するために布団などで押さえ、後部のフタをして出発です。息子は、我が家の小さい車にワレモノを乗せて付いてきます。

 奈良から京都までは、高速を使っても2時間半の運転です。1日2往復することも可能では、との考えは、荷物を積むのに時間がかかることがすぐに分かって断念。そして、2日で2往復をしても、家の中から出てくる荷物が、あるはあるは。物を捨てきれない性分なので、運ぶものがだんだん多くなるのです。自分の思いきりの悪さに辟易する始末です。それでも捨て切れません。

 翌週も、アルミバン車をもう1回借りました。それでもまだ荷物があるのです。
 次の週は、屋根のない普通の1.5トンのトラックを借りたのですが、これまた1回で終わるはずが、さらにもう1回借りることになりました。

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 ということで、5回もトラックを運転するはめになったのです。
 私は結構おもしろがって楽しめたのですが、家族はもう懲り懲りだったようです。

 引っ越しを終え、電車で元の家の掃除に帰った時に、駅前の田んぼでは田植えをしていました。

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この光景に接し、奈良の田舎から京都へ行ったことを実感しました。

2007年6月25日 (月曜日)

愛機たちとの別れ

 私は、パソコンの博物館ができるほど、さまざまなコンピュータ機器を保有していました。
 しかし、今回の転居を機に、それらも思い切って処分することにしました。何でもとっておく質なので、いつも妻から苦情を言われています。今回は、行き先が狭いことと、そろそろ人生の整理をする時期でもあると観念し、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、半ばやけっぱちで捨てることにしました。

 コンピュータに関わって27年ともなると、いろいろなキーボードを持っています。その内でも、想い出の詰まった2つは断腸の思いがあります。

_ddnwy2y_s※キーボード


 写真の下段のものは、どうにかパソコンが使い物になる時代に、ひたすら叩き続けたキーボードです。MS−DOSの初期の頃です。
 上段はエプソンのPC互換機のキーボードです。キートップを色分けしているのは、データ入力と執筆に明け暮れていた痕跡です。独力で文学と情報処理に悪戦苦闘していた時期でした。孤軍奮闘の時代の遺物といえましょう。今のような時代が来ることを夢見ながら、熱く情報化の時代を語っていたように思います。あっけなく理想とする時代を迎えてしまいました。
 今は草分けと言われるようになってしまいましたが、自分なりに達成感を実感させる、若かりし頃を思い起こさせるキーボードです。

Epu0ov_q_s※マッキントッシュ


 ウインドウズと言われるものが出だしたころに、そのレベルの低さに呆れ返って、マッキントッシュの世界に移りました。ビジネスマシンからクリエイティブマシンへと移行したのです。
 マッキントッシュは、いろいろなものを次から次へと購入しました。そんなマックの一部です。処分する前に、通電して動くことを確認しました。健気にも、みんな元気にハローと挨拶をしてくれたことが嬉しくて、つい記念撮影をしました。
 手前のキーボードは、トラックパッドを手作業で組み込んだオリジナルです。ひたすら快適なものを求めていた頃の作品の一つです。これは、手をマウスに持ち変えることなく、スムーズなキー操作を実現するものでした。

Nd9fye1g_s※フロッピー


 フロッピーディスクも、いろいろとありました。私が最初に購入したのは、NEC製の5インチ判で、1枚が900円でした。
 写真には、8インチ、5インチ、3.5インチの、3種類のフロッピーが写っています。トータルで2000枚を超えるものを、今回処分しました。未開封のものが4割もありました。いろいろな思いでストックしていたのです。

Wag1ifah_s※プリンター


 レーザープリンターも、モノクロやカラーなどがありました。カラーレーザーは、重さが50キロもあります。2階から下ろすのに苦労しました。2階に上げる時の大騒ぎが、昨日のことのように思い出されます。家族みんなで押し上げたものです。
 モニタも、ブラウン管のものがたくさん残っていました。画像処理を手がけていたので、SONYのトリニトロン管のものばかりです。画質と色にこだわっていたことがわかります。

Jrajse_7_s※愛機群


 今回処分したものの一部を、車庫に並べてみました。各種ケーブル類も、500本を超えていたので、その重さは想像を絶するものがあります。よくもこれだけのものが我が家にあったものだと、しばし呆然です。
 これらは、回収業者に無料で引き取ってもらいました。もっとも、引き取れないものもあるとのことで、処分料を少し払うことになりました。
 業者のトラックにアップルのシールが貼ってありました。お主はマックユーザーか、と私は思わずニヤリ。垂涎の名機群を前にして、「こうした専門的な機器は売れなくて……」と言いながらも、お兄さんは内心ホクホクだったと思います。

本たちとの別れ

 引っ越しで本を処分するのはつらいことです。
 半分の量にしようと決意していたのですが、なかなか捨てられません。心残りな本は、表紙を剥がして中身がわからないようにして、あえて乱雑な形で縛りました。


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 回収業者に持っていってもらったのですが、たくさんの想い出のある本たちと別れるにあたり、ソッとシャッターを切りました。
 垣根越しのお別れです。

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 それにしても、荷物の整理がはかどりません。
 引っ越しに旧懐の情は禁物なのですが、どうもいけません。先が思いやられます。

引っ越しはピアノから

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 引っ越しは、娘が使っていたピアノを処分することから始まりました。今後は、電子ピアノで我慢するそうです。
 娘のピアノの演奏は、この部屋で、そして音楽会場で聞きました。一番印象に残っているのは、英国ヨークの知り合いの先生のお宅で、請われるままに弾いた「トルコ行進曲」と「月光」でしょうか。異国の地で聞く娘のピアノはいいものでした。



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 想い出の品物が去っていくのを見送るのは感無量です。
 誰かいい人に使ってもらえることを祈りながらシャッターを切りました。




 いままでピアノがあった所には、ピアノの足跡がシッカリと刻まれていました。ここからは、もう音色が聞こえてこないのかと思うと、過ぎ去った日々と今から直面する荷物の片づけを急ぐ気持ちが、複雑に交錯します。

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2007年6月24日 (日曜日)

京洛からのことあげ

 多くの方々に読んでいただけた「たたみこも平群の里から」の終了を承けて、このサイトを通して、装いも新たに京都からの「折々のよもやま話」をお届けします。

 平成19年5月に、23年間過ごした大和から京洛の地に住まいを移しました。我が人生の最終章を、平安の都で閉じたいとの思いからの決断でした。

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 賀茂川畔を拠点として、さまざまな情報を思いつくままに記すことにより、私なりの存在証明の記録にしたいと思います。

 気分を一新してのスタートです。

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