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2017年2月26日 (日)

東京マラソンで思い出した個人的なマラソン史

 今日は、第11回目となる「東京マラソン」の日でした。このマラソン大会は、東京都知事だった石原慎太郎氏の肝入りで2007年に実現したものです。豊洲の市場移転の問題はともかく、このマラソン大会はいいイベントとして育っていると思います。
 ちょうど宿舎周辺を走者が通りかかる頃、マイクで交通整理を呼びかける車が往き来していました。応援に出ようかと思いました。しかし、荷物を京都に送った後のがらんとした部屋で、運ばずに残しておいた資料で報告書などを作成する仕事に忙しく、気にしながらも外に出るだけの心の余裕がありませんでした。
 夕方床屋さんへ行った時、おやじさんが髪を切りながら、興奮気味にマラソンの話をしてくれました。折り返し地点となった深川の富岡八幡宮の賑わいや、床屋さんの真下が給水ポイントだったことなど、詳しく聞くことができました。

 東京でのマラソン大会というと、一度だけ出場のチャンスがありました。しかし、結局は出ずに終わった45年前を思い出します。何度か書いた通りですみません。私が二十歳になった成人式の時、記念マラソン大会にエントリーしました。しかし、その2日前に、住み込みの新聞配達店が火事となったのです。すべてをなくして焼け出されたために、人前にでるだけの着るものがありません。両親が作ってくれた初めてのスーツも焼け、残念ながら成人式に行けず、マラソンも棄権したことが貴重な成人の日の想い出です。

 生まれつき身体が弱かった私は、小学校3年生あたりから走ってもいいようになり、中学や高校では長距離走が好きでした。一番の得意種目は1,500メートル。

 マラソンや駅伝は、今ではもっぱら観るほうです。

 京都では、駅伝やマラソンのシーズンになると、賀茂川の散策路で隊列を作って走る選手をよく見かけます。駅伝やマラソンでは、家の近くがコースになることが多いので、応援に行くこともしばしばです。

 生まれ育った地では「出雲駅伝」があります。小さい頃の年末年始は、出雲大社の前にあった「いなばや旅館」の「〈か〉の間」(小泉八雲執筆の間)で冬休みを過ごしていたので、出雲大社をスタートする場面が大好きです。
 今月開催された「出雲くにびきマラソン大会」は、大雪のために中止となりました。
 4月には、「奥出雲ウルトラおろち100キロ遠足」があります。

 大阪で高校の教員をしていた頃、学校のマラソン大会では生徒たちと一緒に走りました。あまり恥ずかしい思いはしなかったので、それなりの順位でゴールしていたと思います。

 奈良では、子供たちと一緒に平群町主催の「くまがしマラソン」に出ました。家の前で家族に手を振りながら、楽しく走ったものです。参加者に配られた、「くまがしマラソン」と記されたスポーツタオルを、今も記念品として持っています。
 
 
 

2017年2月17日 (金)

【補訂】我が身に照らしてステージ別ガン患者の生存率を見る

 私は、平成22年8月に、胃ガンで消化管の全摘出手術を受けました。主治医の先生から、最初は慎重に、次第に確信を持って、第1期だったと伝えられたのです。

 ことの発端は、九段坂病院で受診した人間ドックです。その結果から胃ガンの疑いが指摘されました。

「心身雑記(59)ガンの告知を受けた時の気持ち」(2010年07月17日)

 まだ自分自身にガンというものへの認識が薄く、翌日のブログはお揚げさんの話です。

「食べ物の節制はビールとお揚げさんから」(2010年07月18日)

 次の日は、能天気にも西国三十三所の巡礼をはじめています。それも、「石山寺」から。

「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)

 すぐに上京して、九段坂病院へ。

「心身雑記(60)東へ西へドタバタの一日」(2010年07月20日)

 とんぼ返りで京大病院へ。大先輩の神野藤昭夫先生からいただいた励ましのことばを再読し、気持ちを落ち着けました。

「心身雑記(61)任天堂が寄付した京大病院の新病棟へ」(2010年07月21日)

 数日後から、大和平群へお茶のお稽古に行くことにしました。

「お茶のお稽古を始める」(2010年07月25日)

 この数週間後には、スクーバ・ダイビングの練習をしているので、とにかく生きている内になんでもやってみようとしている自分がいます。

「スクーバ・ダイビングを楽しむ」(2010年08月14日)

 ガンのステージのことを、詳細に図解付きで説明しています。

「心身雑記(66)今後の我が身についての巻」(2010年07月30日)

 一と月後の入院初日の病院食は、私が大好きなお寿司でした。

「心身雑記(70)入院初日の第一報」(2010年08月27日)

 手術当日はもちろんのこと、この入院中も飽きもせずに毎日ブログを書いています。
 今となっては、貴重な記録です。

「心身雑記(73)6時間にわたる自分との闘いへ」(2010年08月31日)

 手術後にもブログが途切れないようにと、タイマーでブログが数日間は更新されるようにしていたようです。それが、西国三十三所の六波羅蜜寺などの巡礼記でした。

「西国三十三所(2)六波羅密寺」(2010年08月31日)

 消化管を全部摘出する手術は成功しました。
 その後、いろいろなことがあって、今日があります。
 ガンが早期に見つかったことと、腹腔鏡手術の第一人者である岡部先生に出会えたことが、今なお私が生き続けられる日々につながっていると言えます。

 今も、こまめな検診を心がけています。
 食後の腹痛が頻繁にあることだけが、今抱えている難儀な課題です。しかし、これもゆっくり2時間をかけて食べると、あまり激痛にはなりません。小分けした食事を心がけています。

 岡部先生も、私の身体の仕組みがよくわからない、と笑いながらおっしゃいます。理屈での説明はどうでもよくて、今もこうして生きているし、このブログを毎日書き続けられることが一番の幸せです。毎日毎日、まだ生きているんですよ、と何人かの親しい方に報告できる喜びは、何ものにも替え難いものがあります。

 「がん 10年生存率58%」という見出しの記事がありました(毎日新聞、2017.2.16)。
 これは、全国がん(成人病)センター協議会が発表した、2000〜03年にがんと診断されて治療を受けた人の、5年後と10年後の生存率を集計したものです。
 患者数約4万5000人のデータから算出したものだそうです。この数とその結果が示す意味は、私にはよくわかりません。10年前に実施された調査から見た情報として、参考のために引きます。


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 さらに、この全がん協のホームページを確認すると、「部位別5年相対生存率の最新データ(2006~2008)」がありました。


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 いずれも、第1期から4期の傾向は変わりません。医療技術の進歩のせいか、しだいに生存率は高くなっていることがわかります。

 その第1期の胃ガンの生存率は、94から98パーセントとなっています。予想外に高くて驚きました。私は、このグループに属します。

 これが、第2期になると56から66パーセントへ、第3期は38から47パーセントへと、生存率は着実に高くなっています。問題は第4期で、ここだけは非常に低い7パーセントに留まっているのです。

 この表が絶対ではないにしても、第1期のステージで胃ガンが見つかった私は、あらためて本当に幸運だったことを実感します。

 相変わらず、腹痛が怖いので、人様と一緒に食事に行くことは遠慮しています。食事中に激痛で顔をしかめる失礼がないように、との思いからです。

 また、食事の途中で喉を通らなくなることがしばしばなので、外食では半分も食べられないことがよくあります。そのためもあって、いつでも残した物を食べてもらえるように、家族と行くようにしています。
 妻は私が食べ切れないおかずを引き取りながら、また太る太ると言いながら、気長に完食までつき合ってくれます。ありがたいことです。
 
 
 

2017年2月 6日 (月)

お二人の主治医の自然体もこれまた仁術

 早朝より京大病院へ通院です。
 診察時間の予約をしていても、検査結果が出ていないと栄養指導などが受けられません。そのため、診察の2時間前に検体検査のために自動受付をします。これが8時15分からなので、そのために8時前には病院へ行って順番待ちで並びます。

 私が並んでいた、いつもの自動受付機の7号機が、もうすぐ自分だと思っていたちょうどその時に、あと少しという所で突然故障したのです。この列に並んでいた私を含む不運な患者たちは、職員の誘導で広いロビーの反対側にある対面カウンターでの手続きとなりました。
 1号機から6号機に並んでいた方々は、どんどん列が縮まっていきます。それを尻目に、ナンバーカードを手にしたままで、またあらためて順番待ちです。

 受付手続きが大幅に遅れたので、急いで2階の検体検査のために次の自動受付機に診察券をかざしたところ、ここでもエラー発生です。またまた対面カウンターに案内されて確認してもらったところ、何と検体検査の手配がうまくいっていないことがわかりました。
 ここでも待たされて、9時過ぎに優先的に血液検査などをしてもらうことなりました。

 これはあくまでもシステムの問題です。我が身によくある不運には、もはや動じなくなっています。それよりも、トラブルに対する職員の方々の迅速で適切な対応に、頼もしさを感じました。職員の方々も、機械やシステムは万全ではないことをよくご存じのようです。そうでないと、生身の人間は診られないのでしょう。

 声を荒げて病院側をなじるおじさんがいました、その醜態には、目に余るものがあります。齢を重ねても、人生の先輩面をして不満を他人に投げつけ、口汚く事務職員を罵るようになってはいけません。見たくもない老醜を見てしまいました。

 この方はこれまで、常に順調に生きてこられたか、苦節数十年でどうにか安定した立場に登りつめた方なのでしょう。一体何をしてるんだ、という上から目線の気持ちが満ち満ちた態度です。わけ知り顔でカウンターの方にも嫌みを言って立ち去られました。高齢化社会となったことで、不愉快なできごとに出くわすと、わけもなく喚き散らすこうした老人が増えないようにと、ただひたすら願うだけです。

 今日のヘモグロビンA1cは〈6.8〉でした。前回の昨年末が〈7.2〉だったので、普通は上がるはずの年末年始とこれまでの数値の経過を考慮すると、劇的な改善なのだそうです。特に他に問題はないので、この調子で、と励まされました。

 なお、主治医の長嶋先生は今年度限りで異動とのことで、4月から新しい先生になることが告げられました。お互いに、新しい環境で頑張りましょうと挨拶をしてお別れしました。4年の長きにわたり、私の身体の管理について、優しく対応してくださいました。2カ月毎の診察で、毎回いつも仕事疲れを気にかけてくださっていました。ありがたいことでした。

 私のガンをきれいにしてくださった腹腔鏡手術の先駆者であった岡部先生も、再発の兆候がないことが確認できた後、さらなる先進的医療の現場へと転身なさいました。「あなたの身体の中が実はよくわからないのです。」と、ニコニコしながらおっしゃっていました。そう言われた私も、なぜ生きていられるのか不思議に思う時があります。これでいいのでしょう。人間が生きているというのは、こんなものなのでしょう。深く問い詰めない方がいいようです。

 長嶋先生も同じように、多くの患者さんを励まして元気づけていかれることでしょう。糖質制限食のことを大上段に振りかざして通い出した頃に、「豊かな食生活を心がけてください」と、やんわりとした口調でいなされました。無理をせず、可能な範囲で豊かな食事をすると、気持ちもおだやかになります。
 今日の診察の折に先生に、昔の仲間と久しぶりに会った時、身体が小さくなったと言われたことを話しました。すると、一線で活躍していた40歳のころと比べて、20年も経てば小さくもなるでしょう、と一蹴されました。

 お二人の先生の優しさとおだやかさが生み出す仁術が、得難い治療だったように思います。いい出会いでした。ますますのご活躍をお祈りいたします。
 
 
 

2016年12月26日 (月)

バスの運転手さんの緊急事態に遭遇して

 突然、バスの車内放送で、
「トイレに行かせてください。」
「すみませんが一時停車します。」
という運転手さんのアナウンスが流れました。

 乗客の皆さん共々、その天井から降り注ぐ声が意味することを、最初はよくわかりませんでした。しかし、運転手さんがシートベルトを外し、料金箱に取り付けてあるステンレスの短いバーを押し下げて前のドアを開けて外に出られたことで、やっとその意味することがわかりました。

 私の横におられた乗客の女性たちも、初めての体験でもあり、
「そんなこともあるわよね」
と話しておられました。

 バスは、コンビニの真ん前に停められています。運転手さんは、そのコンビニに駆け込まれました。

 前のドアが開けっ放しだったので、
「ドアを閉めてから行ってもらわないと」
とつぶやいている方が、後ろの方におられました。

 こうした事態にたちいたった時には、バスのドアは開けたままにする、というようなバス会社の決まり事があるのでしょうか。それとも、ドアを閉めてしまっては都合の悪いことがあると、とっさに運転手さんが判断なさったのでしょうか。

 たまたま同乗したわれわれ乗客は、こんなこともあるでしょう、と好意的な雰囲気で、しばらく運転手さんの帰りをのんびりと待っていました。
 時間を気にしていた私も、こればかりはどうしようもないことなので、鞄から今日の打ち合わせの資料を取りだして内容を確認していました。

 私はコーヒーを、最近は一日に8杯ほど飲みます。以前は10杯でした。糖尿病だからというのではなくて、よくトイレに行く方です。その経験から言っても、この生理現象は如何ともしがたいものがあります。行きたくなった時の気持ちが、よく理解できるのです。

 しかも、へたに我慢をされて、事故に至ったら大変です。
 それにしても、あらためて考えるとありがちなこうした事態に、公共機関の運転手さんたちはどのようにしてクリアしておられるのか、気になりました。
 みなさん、それなりに工夫しておられるのでしょう。

 無事に用を足された運転手さんは、丁寧にお詫びのことばをマイクを通して流し、バスは何事もなかったかのようにスタートしました。

 これから年末年始は、ハードな勤務が続くことでしょう。渋滞も大変でしょう。
 快適な環境で、目的地まで私たちを運んでください。
 安全を最優先にした運転にまさるものはないのですから。
 
 
 

2016年12月 8日 (木)

お気に入りの珈琲豆あり⧄

 今年もクリスマスに向けて、お気に入りのコーヒー豆を手に入れました。
 今回は、「コクのブレンド」ではなくて、もうひとつの「香りのブレンド」です。

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 実際にはさまざまなデザインのパッケージがあります。

 詳しくは、「珈琲焙煎工房 Hug」のホームページをご覧ください。
 これは、一般社団法人 高次脳機能障害者 サポートネットの工房で、障害のある人やその家族を支援している法人です。
 そこが運営する、就労継続支援事業B型「珈琲焙煎工房 Hug」では、珈琲豆の選別から焙煎・包装・販売を行っています。

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 姉に教えてもらってから、ここのコーヒーを飲むようになりました。
 とにかく、香りがいいのです。
 私は豆から挽くので、部屋中がふくよかな香りに包まれます。
 淹れてからは、マイルドな風味で、ゆったりとした気分になります。

 最近までは、コーヒーを午前5杯、午後5杯を飲んでいました。
 しかし、逆流性食道炎で苦しむようになってからは、半分ほどに控えるようになりました。

 血糖値の急激な上昇を抑えるために、砂糖は入れません。
 ミルクはたっぷりと入れます。それも、よつ葉牛乳にこだわっています。
 よつ葉牛乳は、大和平群で子供たちを育てた牛乳です。
 今も、京都の自宅でも、東京の宿舎でも、一番近いスーパーに置いてあるので、これを切らすことがありません。


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 恒例の年末年始の忙しさに加え、東京最後の年ということで、これから春先まではこれまで以上に飛び回る日々となります。
 そのような中で、このコーヒーが気分転換の一杯、いや5杯(?)6杯となるのです。
 
 
 

2016年12月 7日 (水)

インフルエンザの予防接種で額に光線を当てられて

 日増しに寒くなってきました。
 すでにインフルエンザが流行しています。遅ればせながら、私も予防接種をしてきました。自分のことよりも、人に迷惑をかけないようにするための対処です。

 先月初旬、インドへ行く前に予定していました。しかし、何かとバタバタする中で、つい延ばし延ばしとなり、一度入れた予約も変更しながら、やっと予防注射をしてもらいました。

 職場から指定されたのは、立川駅前にある健康管理センターでした。初めて行く所です。

 あらかじめ記入した問診票を受付に出すと、まずはペンライトのようなもので額を照射されたのです。
 受付窓口越しに、おでこに光を当てられるのは、慣れないことでもあり、また場所と身体の位置関係が不自然でもあり、気持ちのいいものではありません。瞬間に終わることだとはいえ、罪人扱いをされた気分になります。ウルトラマンのスペシゥム光線を浴びせかけられる怪獣ではないのです。目に光が入らなければいいが、と祈りました。

 これは、体温を測る新方式のようです。ところが、エラーが表示され、結局は脇に体温計を挟むことになりました。

 次々と来られる方の、見たところ半分以上がエラーです。
 外気温で頭が冷たくなっているので、とのことでした。しかし、今日はそんなに寒くはありません。まだまだ電子機器が開発途上というところでしょうか。明らかに、導入したのはいいが二度手間となっています。

 また、額に不可解な光線を当てられるのは、あまり経験のないことでもあり、気味が悪いくらいです。この体温計測方法は、人としての礼を失した行為だと思いました。
 もし導入するのなら、受付の窓口ではなくて、人目のない所ですべきでしょう。まだ、この計測のスタイルはお互いが慣れないこともあり、みっともない姿に見えます。
 病院では、羞恥心など関係ない、と言われればそれまでです。しかし、まだこの測定されている姿はどう見ても変です。

 さらには、脇に挟んだ体温計も、予定の90秒が経ってもピッピッという音がしません。我が家でも使っている、テルモの電子体温計でした。
 しばらく待っても何の反応もないので、窓口に申し出たところ、もういいでしょうとのことで、脇から引き抜きました。35.9度でした。

 インフルエンザの予防接種の際は、高熱があるといけないそうです。その点では、低体温なのでいいのでしょう。しかし、これはあまりにも低すぎます。自分でも記憶がないほどに、これは低すぎます。外気温のせいだとばかりは言えないと思います。もちろん、再度計る気はありませんが。

 私が何かを言う局面ではないので、言われるがままに順番を待つソファーに腰を下ろしました。

 たくさんの人が接種を受けに来るのですから、一々丁寧な対応は出来ないのでしょう。病気で来たわけではないので、流れ作業で進みます。一見さんなのでしょうがないとはいえ、雑な扱いだな、と思いながら名前を呼ばれるのを待ちました。
 
 
 

2016年11月25日 (金)

こまめな通院をと警告されて

 九段坂病院へ行きました。右足の指先に出来ている疣を治療してもらうためです。

 先生からはいつも、1週間から10日後に来なさい、と言われます。
 しかし、なかなか時間が取れない日々に置かれているので、つい足が遠のいてしまいます。
 九段坂病院は、地下鉄東西線の九段下駅からすぐの所にあります。通勤途中なので、いつでも行けるという安易な気持ちが、つい通院を先き延ばしにしています。

 前回この病院に来たことは、「インドへ行く前に身体検査をしています」(2016年11月02日)で報告しました。
 そこで、「右足の指の疣は、大分よくなってきました。後1回の通院でいいようです。」と書きました。しかし、インドから帰って来てからも何かと忙しくて、やっと今日の時間を見つけて行きました。3週間以上も空いています。

 担当医の先生は、液体窒素を使った丁寧な治療をしながら、この前の治療から時間が空いたので、また状態が元に戻っていますよ、とおっしゃいました。
 せっかくここまで来たのだから、間隔を詰めてこまめに通院しないと、いつまでもこの繰り返しになります、と、やんわりと警告を受けました。

 明日から岡山の就実大学へ行き、来週は京大病院、そして上京後は会議の日々となります。
 しかし、そんな日々に流されていては、治るものも治りません。
 思い切って、来週の12月2日(金)に予約を入れました。

 命に別状がない、という思いが、つい通院を軽く見ています。
 治るものは治せる時に治す、ということを、あらためて自分に言い聞かせています。
 
 
 
 

2016年11月 2日 (水)

インドへ行く前に身体検査をしています

 来週8日(火)から1週間ほど、インドのデリーに行ってきます。

 インドを歩くと、首都のデリーであっても日本のように舗装された歩道は少ないのです。車道は舗装されていても、歩道は日本の昭和30年代です。舗装が崩れていたり、大きな石が剥き出しだったり、砂利道だったりします。そうした障害物を跨ぎながら、歩道を歩きます。

 今年の7月に左足首を骨折して以来、まだ足首が多少ギクシャクしています。確かに完治までに3~4ヶ月といわれたことがわかります。歩いていて気を抜くと、ぐらっとします。

 障害物競走に出場するようなインドの道を歩くので、少しでも足の状態を良くしてから行こうと思い、九段坂病院で治療を受けてきました。

 まず、右足の指の疣は、大分よくなってきました。後1回の通院でいいようです。
 今日も、カッターで疣を削り、患部に液体窒素を塗っていただきました。
 いつも丁寧な治療をしていただき、感謝しています。

 新たに出た症状に、骨折した左足の右くるぶしがカサカサになって来たことがあります。気になったので、これも診てもらいました。
 先生の説明では、ギブスを嵌めていたことにより、それを取った後に生じた症状だとのことでした。
 痒くても掻かずに、クリームを塗って様子を見ることになりました。
 靴も考える必要に迫られました。
 明日は祝日なので、インドを歩く靴を探しに豊洲に行くつもりです。
 
 
 

2016年10月28日 (金)

初めての「ストレスチェック」受けて

 機会があったので、ウェブ版のストレスチェック(HEALTH WAVE)をしました。

 いろいろな方にお世話になる中で、猛烈なスピードを体感しながらの日々を送っています。そのような環境にいるだけに、現在の私の心身の状況を報告し、これまでと変わらぬお付き合いをお願いしたいと思います。

 今夏以降も、相変わらずさまざまなことに取り組んできました。
 落ち着く暇もなく、いろいろと動き回って人に会い、多種多様な文書を書いてきたので、ストレスが溜まりに溜まった日々だと思われます。そのこともあり、現在の自分のことを知る意味からも、思いきってストレスチェックをしたのです。

 約60問に答えての診断結果は、次のように表示されました。


あなたのストレスは高い状態ではありません(高ストレス者に該当しません)。

 てっきり、手厳しい結果が出ると予想していました。しかし、思いがけない無難な結果に、とにかくホット一息です。

 次のチャート図が表示されました。
 赤丸印が、現在の私のストレスのありようだとのことです。
 ありがたいことに、ピンク色のエリアからは外れています。


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 さらに、「セルフケアのためのアドバイス」が付いています。
 なかなか的確なアドバイスだと思われます。ギリギリでバランスを保っている、ということのようです。無理は禁物だと言われているのです。


現在あなたは仕事上の負担感が強い傾向にあります。
こうした状態が長く続くと、心身の調子を崩しかねません。
ひとりで抱え込まず、周りの仲間に相談しながら、問題点を整理して解決の糸口を探っていきましょう。

 さらに、質問項目毎に分析した「レーダーチャート」も表示されています。
 これには、次のような図の見方の説明が付されています。


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 まず、「ストレスの因子」です。


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 これには、次のコメントが記されています。


仕事量が多すぎたり、限られた時間内に多くの仕事をしなければならない状態です。
今一度自身の仕事量を見直して効率化を図りましょう。
仕事の分担について上司へ相談したり、一人で抱え込まずに人に依頼するなどの対処が必要かもしれません。

 「仕事の量的負担」の項目が危険領域に接しています。まさに、そのような状況にあることは自覚しています。納得です。自分が気になっていたところを、ずばりと突かれました。

 次は、「ストレスによる心身反応」です。


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 これには、次のコメントが付いています。


ストレスによっておこる心身の反応は、現在のところそれほど多くないと推定されます。
心身が発する注意信号に気を付けながら、良い状態を維持するよう心がけましょう。

 これを読んで安心しました。どうやら、何とか現状を打開すべく、自分自身で適当にストレスを発散させているようです。これが、無意識でなのか意識的なのかはわかりません。この私のストレス発散で、どなたかにご迷惑をおかけしているようでしたら申し訳ないことです。

 最後に、「ストレス反応への影響因子」があります。


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 このコメントは、次のように書かれています。


周囲の方々とのコミュニケーションがうまくとれているといえます。
上司・同僚・家族・友人のサポートは仕事のストレスをやわらげる効果がありますので、今後さらに良い関係を広げていきましょう。
仕事や普段の生活の中で充分に満足感を感じておられる状態です。
日常生活の中で感じられる喜びや楽しみは人生を豊かにし、ストレスが高くても前向きに対応して克服していくことが可能になります。

 上司に関しては、今の職場ではその影響は少ない環境なので、このようなグラフになったようです。
 これについても、現状に寄り添った、納得できる分析の結果だと思っています。

 最後に、「医師の面接指導の必要はありません。」とのコメントがあります。
 さらに、「セルフケアのためのアドバイス」があり、そこには次のような図が掲示されていました。


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 このストレスチェックは、5分ほどで結果がでます。
 何となく気がかりな日々の中で、自分を見つめ直すのにいい機会となりました。
 
 
 

2016年10月11日 (火)

箱根駅伝の予選会が今年も立川で

 昨日10月11日は、第28回出雲全日本大学選抜駅伝がありました。
 田園風景の残るコースを走る駅伝なので、レースよりもコース外の景色を見ては、我がふるさとの今を懐かしんで見ていました。
 今年も、駅伝やマラソンの話題が流れる、スポーツの季節となりました。

 新年1月2日と3日に開催される、第 93 回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)の予選会が、立川の地で開催されます。
 平成 28 年 10 月 15 日(土) 9:35にスタートです。
 競技場所は、職場のすぐ横にある、陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街地~国営昭和記念公園。
 20キロのコースを走ります。
 毎年、立川駅のコンコースには、参加大学の旗が林立します。
 今年は、50校がエントリーしています。


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 出場資格は、「各校エントリー者全員が5000m 16 分 30 秒以内もしくは 10000m 34 分以内のトラックでの公認記録を有していること。」とありました。
 この結果によって、上位10校に箱根駅伝2017への出場権が与えられるのです。

 昨年の箱根駅伝で今年のシード権を獲得しているのは、次の10校です(順不同)。

青山学院大学 東洋大学 駒澤大学 早稲田大学 東海大学 順天堂大学 日本体育大学 山梨学院大学 中央学院大学 帝京大学

 子供ころから、私は走るのが大好きでした。
 小学2年生までは、身体が弱かったので、体育はいつも見学組でした。
 しかし、足は速かったので、リレーなどには引っ張り出されていました。
 運動会には、小学2年生の後半から出られるようになったと思います。
 ひ弱な身体ではあっても、いつも一番で、いろいろな景品をもらいました。

 中学では、耐寒マラソンで、高安山や信貴山を駆け登っていました。後に高安山の中腹にお墓を建て、信貴山のある町に住んで子育てをするとは、夢にも思いませんでした。

高校の頃は、長距離が好きで、1500メートルとマラソンが得意でした。長居陸上競技場に、母がこっそり見に来ていたことを覚えています。私がマラソンにエントリーしているプログラムを見て、体力のない私が本当に走れるのか、よほど心配だったでしょう。まさに、こっそりと来ている母の姿を競技場の片隅に見つけ、母のためにもとの思いで完走したことは、今も覚えています。そのことは、その後も一言もお互いの話しには出なかったし出しませんでした。

 高校の教員になってからも、生徒たちと一緒に運動会でマラソンに参加していたことが、今では信じられないくらいに遠い過去の出来事となりました。

 成人式の記念マラソンにエントリーしていたほどなので、走るのは大好きなのです。もっとも、成人式のマラソンは、直前の火事で焼け出されたために、着るものもなくて参加できませんでした。
 あの頃は、400部近い新聞を毎朝走って配達していたので、体力もあったのでしょう。エントリーして、新成人になったことを確認したかったのだと思います。大田区の大会でしたが、箱根駅伝のコースの一部を走るものでした。

 実際に見たマラソンでは、増田明美が途中棄権した大阪でのマラソンが思い出されます。
 百済駅の近くで応援したように思います。

 それにしても、歳とともに気力も体力も、そして足腰も弱っていることを実感します。

 テレビでマラソンを観るのも、今は自分にできないことに挑んでいる若者を、自分になり代わっていると思いながら楽しみ、懐かしんでいるのかもしれません。
 本来なら自分が走りたいのに、それもならずに複雑な気持ちでテレビを観ている自分に気付くと、何となく複雑な思いになります。
 
 

2016年9月28日 (水)

整形外科で更年期障害と言われても……

 左足首を骨折してから通いだした整形外科へ、今日は左足の小指が赤く腫れて痛いので、診てもらいに行きました。
 左足で立とうとする時、小指に力がかかるとピピッと痛みが走るのです。しかたがないので、左足の親指側を踏ん張って立ち上がるようになりました。10日ほど前からでしょうか。

 過日の骨折に関連してのことかと思っていました。しかし、どうもそうではなさそうな気がしだしたので、思いきって診てもらうことにしたのです。

 今日の診察では、左足の小指の外側が赤く腫れ上がっていることもあり、レントゲンを撮ってその画像をモニタで見ながら説明してくださいました。左足の指の骨に異常はないようです。関節にも問題はなく、その周りが腫れているのです。また、先般の左足首の骨折とも関連はないそうです。

 先生いわく、こうした症状は女性に多くて、いわば更年期障害だ、とのことでした。
 私は男性で、もうすぐ65歳になります。

 このところ、何かあると医者から言われる「加齢」という言葉に、今度は「更年期障害」が加わりそうです。
 この言葉には、いかんともしがたい呪力があります。「ははーっ」と言って引き下がり、納得したふりをするしかありません。病院を出てから、何か他に治す方法はないのだろうか、と思いを巡らすことになります。

 最初に診察を受けた7月下旬には、左足と共に右手の人差し指が痛いことも伝えました。ペットボトルの蓋を捻ることができないことや、つまみを回せない状況にあることを説明しました。しかし、それは加齢によるものであり、関節が経年変化でギクシャクしているのだそうです。指の変形具合を、しばらく様子見することになったのです。

 今日もこの右指のことを聞くと、一月前に撮った右手人差し指のレントゲン画像を表示して、左足の小指が同じような状況であることを見せてくださいました。つまり、今は特に打つ手はないようです。骨にも関節にも異常はないのですから。

 右手人差し指のために、過日はインドメタシンの入った鎮痛の塗り薬をいただいていました。その薬を、左足の小指にも塗るように、という対処方法でした。次は、一ヶ月後に様子を見せに来るように、ということで終わりました。

 左足の骨折の影響か、足が腫れぼったくてむくむことと、時々熱を持つこともお話しました。これも、骨折は時間がかかるものなので、とにかくしばらく様子を見ることとなりました。

 命に別状のあることではなさそうなので、これでいいのかもしれません。しかし、常に不快感がある症状は、一日も早く何とかしたいものです。
 この文章をキーボードで打っている今も、左足は浮かしぎみにして、マウスは右手の中指でクリックしています。

 後日のためにも、忘れない内に現在の症状を記し残しておきます。
 
 
 

2016年9月26日 (月)

MRIによる頚動脈の精密検査を受けて

 中目黒の東京共済病院で、検査と診察を受けてきました。


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 今日は、首のMRIによる、頚動脈の精密検査が中心です。
 今夏7月末の人間ドックの結果を受けての再検査なのです。
 頭が重くて痛い時があるので、詳しく診てもらうことになりました。

 放射線科での頚部MRIは、8月末に京大病院で受けた腹部MRIとほぼ同じものです。
 クラッシック音楽が流れるヘッドホンをして、円筒の中に頭を突っ込みます。
 しかし、機器が作動すると工事現場のような、ドンドン・ガンガン・ドッドッドドという騒音もヘッドホンに混じり込み、せっかくの音楽が掻き消されます。この仕掛けは、一考の余地があります。

 検査が終わると、脳神経外科で診察です。
 先生は画面に映し出された私の頭部の3次元画像をマウスで回転させながら、血管の詰まり具合を説明してくださいます。詳しく聞けば聞くほど、よくわからなくなります。
 違う解釈もできるのでは、と思っても、画像解析の素人にはとても質問などできません。

 とにかく、今のところは問題なしということで終了です。
 結論を簡単に言えば、今回のMRIの画像を見る限りでは、脳血栓の狭窄は50%で、70%を越えたら考えましょう、ということでした。次は、2年後でいいそうです。ただし、毎年人間ドックで検査はするようにと。

 ひとまず、安心していいようです。
 また仕事に復帰します。
 
 
 

2016年9月 6日 (火)

仕事帰りの電車で3回も熟睡する

 立川から帰りの中央線の電車で、座るやいなや睡魔に襲われました。
 読んでいた本を持つ手首が安定しません。
 同じ所を何度も、必死に読もうとしている自分に気づきました。
 しかし、目が先の文字を追っていません。

 眠くて意識のないままにしばらくして、突然、見覚えのある駅のホームが飛び込んで来ました。
 乗り換える中野駅かと思い、立ち上がろうかと思った時でした。
 社内放送が三鷹駅であることを告げています。
 相当時間が経っていると思ったのに、まだ中野までの半分も来ていません。

 安堵して、手から落ちそうになっていた本に目を落としました。
 それでも目に力が入らず、またすぐに深い眠りに落ちました。

 高円寺駅は覚えています。
 中野駅はもうすぐだな、と思っていたら新宿というアナウンスが聞こえました。

 中野に引き返すのも面倒なので、そのまま東京駅まで乗ることにしました。
 また、すぐに熟睡となり、東京駅の喧騒で目が覚めました。

 慌てて降りると、また骨折をしかねなません。
 みんなが降りてから乗るというルールが、終点の駅にはあります。
 それを守る方々には申し訳ないと思いながらも、慎重に電車から離れました。

 3回も熟睡したせいでしょうか、頭はすっきりしました。
 テーピングをした左足を庇い、人混みを掻き分けながら京葉線に向かいました。
 長い3本もの動く歩道と、5本のエスカレータを渡り歩きます。
 すると、やっとのことで京葉線のホームに着きます。

 その間、ディズニーランド帰りの、魂を抜かれた若者たちと擦れ違います。
 夢遊病者かと見紛うような、浮かれ者の群を尻目に、ひたすら歩きます。
 そして、自分は夢から抜け出ていることを確信しました。

 電車の中でだったとはいえ、いい骨休めになりました。
 片道2時間弱の通勤で、足の鬱血を気にしながら、そしてまだ残暑ということもあり、気の抜けない時の流れの中に身を置いています。
 そんな中で3回も車中で仮眠をとったのは、身体が求めていたからでしょう。

 無防備な我が身を人前に晒していたことは、日本が平和だという証明でもあります。
 外国では、車中でもあたりに細心の注意を払うので、けっしてこのようなことはありません。
 とはいうものの、どんな姿で寝ていたかを想像すると、とたんに気恥ずかしくなります。
 たまに、大きく左右に船を漕いでいる人を見かけます。
 たいがい女性の場合が多いようなので、目のやり場に困ることがあります。
 それでも、あの状態になる気持ちが、今日は痛いほどわかりました。

 まあ、車中での仮寝はほどほどに、ということにしておきましょう。
 
 
 

2016年8月31日 (水)

やっと足のギプスが外れました

 先月末から一ヶ月もの間、ずっと足に着けていたギプスを、本日やっと整形外科で外していただけました。
 締めつけられていた足が、その窮屈さから開放されたので、これで一安心です。
 ただし、今日撮影した足のレントゲン写真を見ながら、まだ骨は付いておらず、完治まであと2~3ヶ月はかかることを覚悟しておくように、とのことでした。
 それでも、ギプスがないだけで、行動の縛りがなくなるので助かります。

 足を庇い、不自然な歩き方をしていたので、身体の節々が悲鳴を上げていました。
 突然これまでと違って足首に何もなくなると、足のバランスが崩れるからということで、足首に包帯だけは巻かれています。
 また、足首の腫れがまだ完全には引いていないので、足の甲にかけての腫れぼったさは残っています。

 今後は、ウォーキングも大丈夫だそうです。
 足首の軽いストレッチを教えていただきました。
 痛くない程度であれば、正座の姿勢もリハビリにいいとか。
 お茶のお稽古ができるかと思いきや、まだ無理はしないようにと釘を刺されました。

 ふくら脛を中心として、足の筋肉が相当落ちています。
 これでは、お茶席で立ち上がる時に、ヨイショと大きな掛け声が出ることでしょう。
 そして、立ち上がるやいなや、よろけることも容易に想像できます。
 無理のない程度に外出をして、まずは足腰を鍛えたいと思います。

 足が思うようにいかなかったので、パソコンを使っての仕事が停滞していました。
 これも、9月を迎える明日から、またこれまで通りに再開したいと思います。
 ご迷惑をおかけしている方々には、これから遅れを取り戻しますので、いま少しお待ちください。

 今回の骨折は、その時の状況からしても突然のことであり、どうしたら避けられたのか、いまだによくわかりません。
 あの日のことを書いたブログ、「突然の左足首の捻挫で1日が止まる」(2016年07月27日)を読み返しても、骨折を防ぐ方策はどうしても見当たらないのです。不慮の事故としか思えないのです。

 今日は、右手人差し指の痺れについても相談しました。
 この一ヶ月の間、足の治療に専念していたこともあり、先生は「そうでしたね」という感じで、先月撮影したレントゲン写真を確認しておられました。

 この痛みは、「変形性関節症」というものだそうです。
 骨と骨の間にある軟骨が磨り減っており、摩擦による痛みが出ているのです。
 変形した骨が固まってしまわないように、指を動かして揉み解すことを勧められました。

 やはり、コンピュータで仕事をしていたことに直結する症状でした。右手人差し指は、マウスでクリックする時に使う指です。痛みがひどくなった春先から、中指でクリックするように、マウスのボタンの機能を変更して調整しました。

 いわゆる職業病の一種なのでしょう。しかし、先生は、老化によるものでしょう、とおっしゃいます。私はあくまでも、マウスを頻繁に使うことによる職業病だ、と確信しています。

 いずれにしても、足首と共に手の指の違和感とも闘う日々となりそうです。
 身体の不調や違和感を、加齢によって説明されることに不満を抱いています。
 避けることのできない老いが大きな原因となっていたにしても、そう思いたくないのが正直な気持ちです。

 どのように思おうと、目に見え、感じる症状に変わりはないとはいえ、それらを加齢によるものとして片づけられてたまるか、との思いをますます強くしています。
 加齢に伴って頑固になっている、と言われると、また反発してしまいそうです。
 まだ、従順に言われるままではいたくない、との思いを大事に心に秘めています。
 
 
 

2016年8月29日 (月)

血糖値は下がり、ガン治療は「卒業」から「終診」へ

 早朝より京大病院へ行きました。
 8時15分から受付開始です。ただし、その自動再来受付機での受付が早い者順なので、さらに30分前には行っておかないと、8時半からの採血がどんどん遅れます。採血の結果は1時間後に出て、それを受けて診察となるのです。
 まさに、逆算での行動を強いられます。

 今日は朝7時に家を出たので、先月よりも早めのパターンで検査と診察が受けられるはずでした。しかし、そうは問屋が卸しません。いろいろなことがあって、やはり午後までかかりました。

 おまけに、今日はいつもの糖尿内分泌栄養内科に加えて、消化管外科も入っています。さらには、栄養指導もあるので盛りだくさんです。

 尿と血液検査が終わると、すぐに放射線検査です。これは、6年前に胃ガンで消化管を全摘出の手術をした後の、再発などの検査です。5年目の昨夏、無事にガン治療は晴れて「卒業」と宣言されました。

「私のガン治療は今日で卒業となりました」(2015年08月13日)

 しかし、腹腔鏡手術の開発者で主治医だった岡部先生が大津の病院に転任されたこともあり、引き継がれた久森先生は、その後も半年毎の検査をして経過を観察してくださることになりました。その道の権威から受け渡されたこの身体を、納得ができる状態で終了にしたいと思われたのでしょうか。私が希望したこともあり、術後5年が経った後も、診ていただいているのです。

 今日は、胸部と腹部全部をCTスキャンしました。書類をPDFにするように、身体を画像化して点検するのです。
 先月は、東京共済病院の脳ドックで頭部のCTスキャンを受けました。今回は、造影剤を腕から注入しながらのスキャンです。この造影剤が入ると、身体がほくほくと熱くなります。

 両手をバンザイして、半円筒の中を行き来します。その私の姿は、「ウルトラマン」の気分というよりも、私が育った時代でいうと「ナショナルキッド」や「海底人ハヤブサ」です。ひ弱な私のことなので、「大魔神」や「マグマ大使」のような迫力はありません。

 今日の検査で使った造影剤は、「ムニパーク300注シリンジ100ml」だそうです。その薬のことを明記した説明書をいただきました。読んでも意味不明です。しかしこの病院は、丁寧な説明がなされるので、安心して任せられます。

 検査後は水分を十分に補給するように、とのことだったのでドリンクを飲んでいたところ、すぐに糖尿内科の診察の呼び出しが、手渡されていたリモコン端末に表示されました。ドリンクを飲んでいた途中で慌てて診察室に入ると、まだ血液検査の結果が来ていないのでしばらく待ち合いで待っていてください、とのことでした。

 今日は私が大好きなこの病院で一日を過ごすので、何も急ぐことはありません。
 いつものマイ・スタディ・エリアで、時間待ちを兼ねた仕事に没頭しました。
 この病院に来ると、安心感もあってか、仕事がはかどります。

 糖尿病内科では、主治医の長嶋先生から、開口一番、栄養管理が良いと褒められました。
 今日のヘモグロビン A1cは「6.9」。前回の「7.4」からグンと良くなっていました。しかも、骨折をすると血糖値は上がるそうなので、さらに驚きです。もし骨折していなかったらもっといい結果だったはずだ、と楽しそうにおっしゃいます。

 体重がこの夏場に1キロ以上も増えて51.5キロ前後になっていることも、体調管理が理想的になされているからだそうです。体重を維持するためにも、バランスのとれた今の食事を続けるといいそうです。先生が口癖の、「バランスのとれた豊かな食生活を」、ということです。

 毎回指摘されていた鉄分の欠乏症も、十分に取れているのでこれなら大丈夫だと言われました。
 これまでは2ヶ月毎の検査と診察でした。しかし、この調子なら3ヶ月毎にしましょう、とのことでした。嬉しいことです。

 次は11時から古御門先生の栄養指導でした。しかし、先週病院宛に私から送った最近の食事記録が、どうしたことか、今日病院の担当課に届いたのだそうです。そのため、提出された記録を確認し、計算をしてからにしましょう、とのことで、次の消化管外科を先に受診することになりました。

 病院内を目まぐるしく移動する一日です。

 消化管外科では、午前中に実施したCTスキャンの結果を踏まえて、ガンに関してはまったく問題はないとのことでした。
 全摘出手術から6年たち、そしてこの結果なので、もう「終診」にします、おめでとうございます、とのことばをいただきました。上記の通り、昨年は「卒業」でした。さらに念のために検査をしてくださった上で、「終診」となったのです。
 ありがたいことです。何かあったらいつでもどうぞ、ということで、この消化管外科に来るのは余程の時ということになります。

 消化管を切除したことに関連して、半年ごとにメチコバールを筋肉注射してもらっていました。これは、錠剤では吸収されにくいからということで、注射による対処となったものです。今日注射をしていただいたので、次は、来春に糖尿病内科で注射をしてもらいます。これだけは、今後も続くようです。

 予定よりも大幅に遅れて、最後に栄養指導を受けました。
 今も、食事では悪戦苦闘中です。食事途中で、しばしば腹痛に見舞われるのです。しかし、それは私が消化管を持たないためのことであって、どうしようもないのです。この身体に付き合っていくしかありません。

 あらかじめ提出しておいた食事の記録をもとにして、丁寧な説明をうかがいました。栄養指導という観点からは、この調子でいいそうです。

 私の最近の食事を点検し、計算してくださった結果、たんぱく質30%、脂質40%、炭水化物30%という比率でした。普通は、炭水化物が50~60%なので、私は極端に少ないのです。これは、私が糖質制限をしていた頃のイメージが今も残っているために、つい糖質を避けていることと、妻の配慮によるものです。
 もっと炭水化物を摂ってもいいということと、それとのバランスでタンパク質を減らしてもいいかな、というアドバイス等をいただきました。

 一日の摂取カロリーは、今回の私の数値は2,200キロカロリーでした。これまでの私に対する指導は、1,800キロカロリーだったので、大幅にアップしています。これは、妻との相談で、今夏は体重を1キロ増やそうという目標があり、血糖値のことはそれから考えることにしたことに原因があります。しかし、これが良好な結果につながったのです。

 栄養士の先生は、私にはこれくらいの高目のカロリーが合っているのかもしれないので、炭水化物のことも含めて、このまま続けてください、とのことでした。

 一日がかりの検査と診察と相談に終始しました。その結果は、非常に得るものが多かったので、満足して病院を後にしました。

 雨が降り出したので、タクシーを使って京都市役所へ行って所用を果たし、颱風が関東東北に上陸しないうちにと、大急ぎで新幹線で上京しました。

 以上、冗長ながらも、我が身を気遣ってもらっている関係者への、一区切りの朗報といえる報告です。もっとも、すべては妻の采配による結果ですが。
 
 
 

2016年8月21日 (日)

脳ドックで検査結果の説明を受ける

 先月25日に、中目黒の東京共済病院で、人間ドックと脳ドックに入りました。
 人間ドックでの健康診断結果は、郵送で送られて来ていました。

 今回初めて、血液検査で尿酸値が高いという結果が出ました。
 血液検査は、京大病院の糖尿病内科で一ヶ月おきにやっています。
 先月の検査では何もなかったので、これは今月末の検査の時に再確認します。

 ヘモグロビン A1cは7.0でした。これは、先月の京大病院での検査と同じです。
 この夏は特に食事に気をつけており、カロリーを意識して高めで摂っています。その成果とでも言えるのか、体重が50キロを上下していたところを、今は待ち望んでいた51キロ台になっています。
 そのことを思うと、意外にヘモグロビン A1cが上がっていないので、一安心です。

 6月下旬に、どうも目が霞むことが気になるので、宿舎の近くの評判のいい眼科に行きました。そして、いろいろな検査をしてもらった結果、白内障の症状が認められるとのことでした。9月に精密検査に行くことになっています。

 今回の人間ドックでも、左目に白内障の疑いがあるとの指摘がありました。
 来月は、忘れずに近所の眼科で精密検査をしてもらうことにします。

 さて、一昨日の脳ドックの検査結果です。
 認知機能検査は、年齢相応で問題なしでした。
 ボケ老人には、いましばらくはならないようです。
 また、脳梗塞の疑いもまったくありません。

 ただし、MRIの断層写真を見ながら、「白質病変(中等度)」と「頚動脈壁の肥厚」が認められる、ということでした。わずかな異常であり、支障はないものの、念のために来月、首の頚動脈のMRIの検査をすることになりました。

 帰りに、1枚のCDをいただきました。今回の検査画像が収録されているものです。
 以前、京大病院でももらった記憶があります。
 見てもわからないながら、これも何かの記念にと、画像を2枚抜き出しておきます。
 次の脳の断面図は、確か画像の中央右下に写っている浮き雲のようなものが「白質病変」だという説明を受けたように思います。


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 これが大きくならないようにするといいそうです。そのためには、運動をすることと、週末にはパソコンを使わない生活を心がけなさい、とのご託宣を受けました。運動はともかく、パソコンは難題です。

 また、脳の中の血管の画像も、おもしろい線を描いているので抜き出しました。
 何が何なのか、さっぱりわかりません。しかし、このような形で血管が自分の頭の中をクネクネと張り廻らされているのかと思うと、自分は一体何なのかと不思議に思い楽しくなります。


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 面談が終わってから、病院の10階にあるレストランで、この前と同じく鰻丼をいただきました。きれいなレストランです。
 眼下には、東京タワーが見えます。


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2016年8月 9日 (火)

うれしい発見〈その1〉骨折して気付いたこと

(1)ノンステップバス
 ノンステップバスは、停車すると車高がスーッと低くなってドアが開きます。
 バス乗り場からバスの車内に入る時、車体のステップが舗道と平らになっていると、膝を高く上げなくていいので助かります。
 バスから降りる時も、ドスンと足を落とさなくてもいいので、足への負担が軽減されます。
 ただし、車体と縁石との隙間に、細心の注意が必要です。
 
(2)買い物用のカート
 スーパーマーケットにある手押しのショッピングカートは、便利な杖代わりとなります。
 両手でカートのグリップを握るので、姿勢もスッと伸びて安定します。
 左右の足への体重の掛け方も均等になるので、無理な姿勢で歩くことによる腰への負担が軽減されます。
 そして、一時的でも歩行訓練器になるのです。
 
(3)エレベータの中に椅子があった時。
 足が痛い時、エレベータの奥の隅に小さな椅子が置いてあると、気分的に楽になります。
 足にかかる体重を均等にしながらエレベータの中で立っていると、けっこう腰が疲れます。
 バスや電車のように、エレベータには吊り革がないのです。
 横揺れはないのでいいとはいうものの、吊り革がほしいときがあります。
 すべてのエレベータに手すりはあります。
 しかし、手すりに触れるのは、壁際のほんの一部の人だけです。
  
(4)階段の両サイドの手すり
 駅やビルなどで、階段の両側に手すりがあると、特に降りる時には大助かりです。
 階段が左か右に曲がる時には、そこに踊り場があります。
 左右のどちらに曲がる階段かで、手すりも左右のどちらを使うかが異なってくるのです。
 手すりは左右にないと、何かと不便です。
 
(5)降りのスロープと階段
 スロープは階段と同じように、登りよりも降りの方が足への負担は大きいようです。
 その降りのスロープで、平行して横に階段があると、状況に応じてどちらかを選べるので助かります。
 足首にギプスを嵌めている時は、少しの角度であっても敏感に傾斜角を感じます。
 ギプスで固定された足は、後ろに反り返れないからです。
 しかも、降りは膝だけで歩くので、前のめりになって危険です。
 そんな時には、階段の方を使うようにしています。
 
 
 

2016年7月30日 (土)

左足首捻挫は骨折だとわかりギプス生活に

 今、左足をギブスで覆い、ゴロゴロしながらiPhone でブログを書いています。

 3日前に中野駅で痛めた左足首の痛みは、レントゲン検査の結果、なんと骨折であることが昨日わかったのです。あの日、中野駅前のブロードウェーを散策したのは、無謀なことだったのです。
「突然の左足首の捻挫で1日が止まる」(2016年07月27日)

 昨日、妻と一緒に九段坂病院の最上階で食事をしました。右足の疣の治療で病院へ行くにあたり、捻挫した左足首が尋常ではなかったので、妻に付いて来てもらっていました。
 一人で移動することが不安だった、と言うほどに、捻挫と思い込んでいた左足は大きな問題を抱えていたのです。

 すでに、右手の人差し指と左手の中指に痛みと痺れを感じていたので、いつか整形外科で診てもらおうと思っていました。今月初めに九段坂病院に来た折にも、このことを相談しました。しかし、この病院の先生のご専門は指ではないとのことで、別の病院を紹介してくださいました。

 その後、紹介していただいた病院へは忙しさにかまけて行かないまま、飛び回る日々を過ごしていました。今日はもう限界とばかりに、九段坂病院の治療が終わってからすぐに、宿舎に近い個人病院へ行きました。ネットの評判を参考にして決めた病院です。

 手と足のレントゲン画像を見ながら、すぐに「左足関節外果骨折」と診断されました。


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病名 左足関節外果骨折

図の様に腓骨の下端
の剥離骨折です。
足関節が内反強制
され靭帯が強靭で
切れずにその反動で
骨が剥離した骨折です。
ギプス シーネ固定 2—3W(週)
骨癒合まで 2—4M(月)
かかります。
又 骨片が遊離して
骨癒合しない時があります。

 歩きにくいギプス装着のまま、商店街で大きめのマジックテープで止めるサンダルを買い、その他いろいろな小物を調達しました。
 昨日は一日中、妻が介護をしてくれたため、大事に至らずにすみました。そして、適切な処置を受けることができました。
 明日から秋田の実家に帰省する予定だった妻も、この要介護状態の私を残して行くことが心配だと、旅立ちを先延ばしにしてくれました。
 私も、今日はこれから千代田図書館で開催される「古書販売目録の学術的な意味」という講演会にだけは参加して、明日から予定していた帰洛は諦めます。
 東京最後の夏は、東京の宿舎で過ごすことになりました。

 抱え込んだ多くの仕事が、またまた遅くなります。
 関係者のみなさま、申し訳ありません。
 少しずつ進めますので、いましばらく猶予の程をよろしくお願いします。
 
 
 

2016年7月27日 (水)

突然の左足首の捻挫で1日が止まる

 捻挫で安静中です。
 本日は開店休業です。
 約束をしていたみなさま、ご迷惑をおかけしています。
 明日は大丈夫のはずです。

 昨日の午後6時過ぎ、職場での会議が終わった後に、霧雨の中をモノレール高松駅に向かいました。立川駅で中央線に乗り継ぎ、空いていたシートに座って本を読み、中野駅で降りる時でした。
 午後7時過ぎだったので、電車は満員ではありません。

 ちょうど中野駅に着く直前に、船戸与一の『満州国演義 第4巻 炎の回廊』の650頁を読み終えたのです。ほっと一息ついて本を閉じ、iPhone にメモを記してから、さっと立ち上がりました。

 右足から立ち、左足を一歩踏み出した瞬間でした。踵が床に着いた感触がないままに、つま先が床に引っかかったショックがあり、そのすぐ後に身体が右に傾きました。電車内の吊り革と中吊り広告が見えました。

 幸い、近くにおられた男性が手を差し出してくださったおかげで、転倒する直前に身体が起き上がりました。親切に「大丈夫ですか?」と声を掛けてくださいました。「大丈夫です。」と応え、左足が痺れているままに我慢しながら、なんとかホームに降り立ちました。しかし、白線の内側の点字ブロックの上で両手を太ももに置き、前屈みの状態でじっとするしかありません。足が一歩も前に動かないのです。動くと、よろけてホームから線路に落ちそうだったので、じっとしていました。ホームが混雑していなかったことも幸いしました。

 しばらく蹲るようにして呼吸を調え、近くにあったベンチに腰掛けて左足の足首を軽く回したり伸ばしたりしてから、フィットネスクラブで覚えたストレッチをしました。

 少し左足が軽くなったので、ウォーミングアップと気分転換を兼ねて、中野駅前から北に延びる商店街とブロードウェーを散策しました。

 やや違和感があるものの、大事には至っていないことを実感したので、中野駅から東西線で門前仲町駅まで帰り、宿舎に着きました。8時半過ぎだったでしょうか。
 靴下を脱ぐと、左足の踝が、テニスボールの大きさに腫れ上がっていました。

 ブログをアップしてから、筋肉痛を緩和する薬を塗り、先日来身体が火照るので使っているアイスノンを頭と足に置いて、早々に休みました。

 夜中の2時頃だったでしょうか。足元が痛くて目覚めたので、水を飲もうと思いました。しかし、思うように立ち上がれません。強張った身体をほぐすためにも、妻の手を借りて冷蔵庫へ行き、アイスノンを取り換えてもらい、左足のつま先が立つようにリクライニングする座イスで工夫をして、また寝ました。

 今朝、少しは痛みが取れたとはいえ、妻の指示にしたがって安静の1日を送ることにしました。

 明日は、早朝より立川で会議があり、午後も打ち合わせの後、夜は日比谷公園で変体仮名を読む会に行きます。
 昨日から今日の出来事は、梅雨明けを控えた季節の変わり目でもあり、少し休めというサインなのでしょう。

 ということで、今日は久し振りに何もしない、何もできない1日でした。
 定年までのカウントダウンは、後8ヶ月となりました。
 突然のアクシデントもあることを心に、明日はまた活動を開始します。
 今日、ご迷惑をおかけした方々には、後日なんとかしますのでご寛恕のほどを。
 
 
 

2016年7月25日 (月)

江戸漫歩(133)人間ドックで身体検査の後は目黒川散策

 中目黒にある東京共済病院で、人間ドックと脳ドックに入りました。
 恒例となっている、夏の身体検査です。

 6年前の7月には、皇居お堀端の九段坂病院の人間ドックで、幸運にも胃ガンを見つけていただきました。
 祇園祭の日に、電話で健診結果としてガンの宣告を受け、早期だったこともありすぐに胃の全摘出手術を受けました。あれは、絶妙のタイミングで見つかったのです。早すぎても、遅すぎても、今の生活はありませんでした。

 今年は、頭が重いことが多いので、九段坂病院ではなくて脳ドックのある東京共済病院にしました。初めて行く病院です。


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 血圧の自動測定で、上が88、下が64でした。上の数値は、私にはありえないものです。2週間前に京大病院で測ってもらった時には、上が140で高すぎると言われたばかりでした。いつもは120前後で普通のはずです。

 看護士さんが聴診器を使った手動の測定器で、再度計ってくださいました。しかし、今度も上が90で低いのです。朝ご飯を食べていないので身体がまだ眠っているのでしょう、とのことです。こんなに低いのは初めてです。しかし、特に問題はないので次々と検査を受けました。

 胃のバリウム検査は中止となりました。
 6年前に胃ガンで消化管を全部摘出してから、バリウムを飲む時に口にする発泡剤に、強く反応するようになったのです。ゲップが酷いので、何度か胃の透視検査を中止していただきました。消化器がないのですから、当然といえば当然です。

 今回はどうした経緯でか、検査項目に入れてしまっていました。検査技師の方との相談の結果、私の場合は胃の透視をすることに意味がないとのことで、バリウムを飲んでの検査はやめました。
 来月末に、京大病院でMRIを含めた術後の精密検査をするので、今回はパスとしました。

 お昼ご飯は、本館の10階で鰻丼をいただきました。昨夜8時から絶食だったので、腹ぺこです。
 そういえば、いつもは50キロすれすれの体重が、今日は49キロでした。1日だけなのに、絶食がすぐに影響しています。こんなひ弱な身体ではあっても、粘り強さはあるようなので、最後の東京での夏を気力だけであっても、何とかやり過ごすしかありません。

 午後の脳ドックは、MRIの検査です。円筒形の中に頭を突っ込み、頭のまわりをドラムが回転します。
 耳にはヘッドホーンをしました。しかし、腑抜けの音楽だったので、ドラムのカンカン、ゴーゴーという音にかき消されていました。こんな時には、手持ちのiPhone で自分が好きな音楽を好きな音量で聴くことができたらいいですね。密閉状態に置かれていることも忘れ、気分も紛れていいのにと思いました。

 帰りの道々、スマートフォンを出したところ、ポケモンがあたりにウヨウヨといることがわかりました。
 目黒川入船場(ふれあい広場)のエリアから地下鉄日比谷線の中目黒駅までで、3匹をゲットしました。
 次の写真の左奥に、今回お世話になった10階建ての東京共済病院があります。右側のレンガ色の時計台は、平成24年3月まで開館していた川の資料館です。


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 目黒川は、川沿いを整備して、居心地のよい地域にしようという意気込みが感じられます。
 私は川が好きです。しかし、匂いとゴミでがっかりすることが多い中で、この目黒川はイベントも多いようなので、これからもっといい川になっていくことでしょう。川に人が集まると、自ずとそのそばの川もきれいになっていくと思います。
 若い人たちには、さまざまな企画とイベントを、川沿いで起こしてほしいものです。
 
 
 

2016年5月26日 (木)

【復元】フィットネスクラブに通う日々

 最近は忙しさにかまけて、スポーツクラブに行っていません。
 先日、伊井春樹先生は今もスイミングにいらっしゃっていることを聞き、私もさぼっていてはいけないと、あらためて思い直しました。
 かつて、元気に踊り泳いでいた時期の記事を復元しました。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年6月14日公開分
 
副題「アクアビクスで気力と体力の充実を」
 
 フィットネスクラブに通い続けて十数年になります。教員を辞めてから、気力と体力が勝負と一念発起し、毎週2、3回は通っています。
 奈良にいたときには、それこそ空いた時間に、好きなときに行っていました。エアロビクスとスカッシュを、特に熱心にやっていました。もちろん、ジムでマシーンを使ったり、プールで泳いだり、果てはパラグライダーなどのイベントにまで参加していました。

 下の写真は、小学生だった娘がお菓子の空き箱を利用して、私にプレゼントとして作ってくれたものです。パラグライダーを楽しむ私を想像して作った置物です。
 私は高所恐怖症なのですが、兵庫県の丹波山中の空中飛行は爽快でした。

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 単身赴任として上京してからは、横浜の宿舎近くのスポーツクラブに通っています。ただし、仕事の関係で遅く帰ることが多いので、ミッドナイト会員といって、午後8時から午前0時までの利用時間限定の会員となっています。

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 毎週、上京時の日課は、仕事後の21時頃に食事をし、22時から0時まで体を動かし、そしてサウナとジャグジーとお風呂に入って帰宅します。規則正しい健康的な生活です。宿舎ではお風呂を使わなくていいために、水やガスやシャンプーや石鹸が節約できます。私の横浜での生活は、電気・ガス・水道をほとんど使わない、基本料金の日々です。

 エアロビクスを楽しみにしてやっていました。しかし、徐々に振り付けを覚えるのが大変になり、昨年あたりから、ついに断念しました。右や左、前や後ろへの動きが、順番通りに覚えられないのです。
 そこで今は、水の中で躍るアクアビクスというものに参加しています。これは、水中なので負荷を自由に変えられ、何よりも動作を間違えても、水の中なのでインストラクターの先生以外の方には見えないので、非常に気が楽なのです。間違えたらどうしよう、という不安感がないのがいいですね。

 昨日、初めて男性のインストラクターに出会いました。これまでは、すべて女性でした。女性のインストラクターは、声は通るし動きがわかりやすいのでいいと思っていました。しかし、昨日は別の意味でよかったのです。
 まず、テノールのいい声をした男性でした。おしゃべりもなかなか気が利いていました。さらには、振り付けがこれまでの女性のインストラクターとまったく違い、私にはピッタリの構成でした。これまでの女性のインストラクターでは、少し動きに物足りないものがあり、時々退屈でした。それが、昨日はあっという間に時間が経っていました。構成がよく練られたものだったからかもしれません。

 まず、一つ一つの動きが丁寧です。じっくりと筋肉を伸び縮みさせ、ギュッとひねる、という動作を基本にした、ゆったりとした組み合わせでした。手にはカスタネット。これは、のりやすい小道具です。いままでこれを使った人がいなかったのが不思議です。
 また、曲がいつものビート音楽ではなくて、キンキキッズなどの親しみのあるものでした。「ガラスの少年時代を〜」といった曲で踊るのです。かつて奈良では、スタジオの演歌ビクスというものに参加していました。それに近い感じでした。ユーロビートなどでは他所ものと感じてしまう年代の者にとって、日本の曲は動きやすいように思いました。気持ちの問題でしょうが。

 それにしても、こんなに違うのですね。
 そして今日は、女性のインストラクターのコースでした。飛んだり跳ねたりが多く、せわしなく体を動かしていたように思います。体の動かし方にも、いろいろなやり方があるものですね。
 年齢差と男女差などを考慮して、たくさんのパターンで体を鍛えたいものです。

********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2016年3月18日 (金)

意を決して受けた「セカンドオピニオン」の衝撃

 現在受けている歯科治療に関して、どうしても疑問が払拭しきれないので、生まれて始めて「セカンドオピニオン」を受けて来ました。

 どの歯医者さんへ行って、この現在進行形の治療の適不適を判断する情報をもらうべきか、いろいろと思案しました。
 結局は、同じ宿舎にいる同僚に聞き、今家族で行っているという歯医者さんへ足を運びました。

 現在私は、京都で治療を受けているお医者さんへの不信感を強く抱いています。そうは言っても、病院を変えることには強い抵抗感があるものです。なかなか、治療中のお医者さんは代えられないものです。
 しかし、自分には無縁だと思っていたセカンドオピニオンが、急遽浮上するほどに、現在の治療に強い疑念が生まれたのです。

 思いきって、別のお医者さんに参考となる診断をしてもらいました。しかも、それが正解だったようです。疑問はすっかり晴れました。そして、180度異なる診断に説得力を感じたので、セカンドオピニオンにしたがっての治療に変更することにしました。
 というよりも、今回の発端となった歯は、実際には折れていなかったのです。今は何もせずに外れる直前のものを付け直し、このまましばらく様子を見る、ということに落ち着きました。

 そして得心しました。
 お医者さんとは「相性」がある、ということを。


 先週末に、上前面の差し歯がグラグラするので、2年半前から診てもらっている京都の烏丸御池の歯医者さんへ行きました。
 昨秋作り直していただいた歯が、年末には揺れ出したので、様子見をしていたところでした。次第に動きと揺れが大きくなり、喋るたびにくすぐったさが増幅してきたので、もう限界だとの思いから診てもらったのです。

 その治療をしてくださった歯医者さんが、レントゲンを見ての診断結果は、1本の支柱が歯肉の中で折れている、ということでした。抜け落ちるのは時間の問題なので、次の治療に迅速に移れるように、歯形を取って仮歯の準備をしてくださることになりました。
 そして、前の差し歯が抜け落ちたら、どこか近場の歯科医院に飛び込んで付けてもらうこと、という指示を受けました。
 再来週に、あらかじめ作っておいた仮歯を入れ、その間に次の治療に移るという説明を受けました。
 そこで提示された今後の治療は二つの方法でした。共に保険は効かないので全額負担となる、という説明も受けました。

 それにしても、この前歯は昨秋作り直してもらったものであり、それが2ヶ月足らずで揺れ出したのです。おまけに、支柱が折れているとも。
 そして先生が強調されたのは、「ご自身がご自身の歯を壊しておられるので、どうしてあげることもできない。」ということでした。言葉を変えると「自業自得」ということをおっしゃいます。これは、毎度耳がタコができるほど聞かされる、患者から言えば先生の逃げの一手です。

 その先生の口から出る表現はともかく、今後の治療方法と方針に対して、今回ばかりはどうも納得できません。というよりも、不審の念が消え去らないのです。

 今週上京してすぐに、宿舎の近くにある歯科医院にセカンドオピニオンをお願いしに行き、今日を予約しました。
 受け付けでは、京都の病院から治療経過に関する報告とレントゲン画像がもらえたら、非常に参考になる、と言われました。それは可能であると答えました。ただし、そのためにはいろいろと費用と手間がかかるので、こちらでレントゲンを撮って診察した方が現実的だと思います、とのことにしたがいました。

 まず問診表を書きました。詳しく、上記のようなことを記入しました。
 そして、今回意見をうかがいたいことは、次の2点であることを伝えました。

(1)前歯が歯茎の中で折れている原因は、私が強く歯を食いしばるためとしても、治療して作り直したものが2ヶ月足らずで折れるのは、また別の理由があるからではないか。
(2)提案された2つの治療方法は妥当なものか。

 早速撮影した、口の周り半周分のレントゲンを見て、セカンドオピニオンをお願いすることになった先生は、何も折れていないとの診断を下されました。そして、ぐらぐらする歯を引き抜き、確かに中で折れていないことを確認されたのです。結果としては、上記(1)に関しては、再度付け直すことで解決しました。
 なぜ2ヶ月ほどで揺れ出したのかについては、次に記すように、杭打ちの手抜きをしたマンションの事例が参考になるようです。

 これにより、(2)の治療は発生せず、昨秋の治療をした時点にもどったことになります。
 ただし、前歯の歯肉の中は過去に処置した支柱を利用した治療であり、もし手を入れるならばこの柱から作り直した方がいい、とおっしゃいます。なぜ古いものをそのまま利用した治療がなされたのか、自分としては理解できないとのことでした。

 また、昨秋の付け直しの修理は、半分の深さまでしか対処されていないことも指摘されました。昨年問題になったマンションの支柱問題と同じで、この倍の長さのものを埋め込む処置が必要だとおっしゃいます。杭打ちが浅いので、こうしてすぐに不安定になって揺れ出すのだ、とも。これが、2ヶ月で歯が揺れ出した原因だと思われます。

 なるほど、と納得しました。

 これまで治療してもらってきている医者に対して、同業者ということもあってか、慎重な口ぶりで説明してくださいました。
 私が多忙であることもあって、しっかりした治療では手間と時間がかかるので、おそらく対処療法的な処置がなされたのではないか、というふうに聞こえる遠回しの説明をしておられました。
 それよりも何よりも、「相性がありますから」ということばは、よく理解できることでした。

 そんなこんなで、グラグラする歯は接着剤で解決するものだったのです。
 当分は、これで一安心です。

 さらに衝撃が。
 これまで、寝る時と自宅にいる時にマウスピースを嵌めていました。これは、強く噛む癖を緩和させる習慣づけのための小道具でした。
 しかし、今日の先生の話では、私にはこれは不要なので使わなくても大丈夫ですよ、とのことでした。
 海外に行く時にも、ずっと持ち歩いて嵌めていたマウスピースは、一体何だったのか、狐につままれた思いです。

 お医者さんとの出会いは、本当に微妙なものがあります。
 私は、胃潰瘍、糖尿病、胃ガンと、いいお医者さんに恵まれて命を何度も助けていただきました。
 しかし、歯医者さんに関しては、やっと出会えた先生は早死になさいました。今も放浪の旅にあります。奈良、京都、東京と、いつも歯を強く食いしばりすぎだ、という一点で責め続けられてきました。その対処方法は、どなたからも提案してもらえません。私は特別強く噛む癖がある、とおっしゃいます。しかし、それならば、どうすればいいのか、最適なアドバイスがいまだにもらえていません。奈良の先生が、朝方の太陽を見る生活をしたらいい、とおっしゃったことが、唯一のアドバイスでした。
 歯を食いしばり過ぎる生き方をしているのは、本当に私だけだとは思えません。
 みなさんは、どうしておられるのでしょうか。

 今回が、私との相性のいい歯医者さんとの出会いであることを願っています。
 
 
 

2016年3月14日 (月)

京大病院で「Web 電子カルテシステム」と「マイナンバー」について素人なりに考える

 京大病院で糖尿病の定期検診を受けてきました。
 過日、2月末日の消化管外科での検査と診察結果を受けて、飲み薬の調整をしていただきました。

 ヘモグロビンA1c は、前回1月の7.1から7.0へと、わずかながら良くなりました。

 過去3年間のヘモグロビン A1c値の変動をグラフにすると、こんな折れ線となります。


160314_hemo


 6.8から7.5の間を上下しています。平均は7.1です。
 一般的な推奨値は4.6から6.2の間なので、私の場合は高い値です。
 しかし、高いながらも比較的安定した推移なので、うまく管理されている方です、とのことでした。
 私は消化管を持っていないので、血糖値が高留まりするのは仕方がない、との判断からのようです。

 いつも気になる鉄分については、検査結果が診察までに出なかったので、このまま様子を見ましょう、ということになりました。

 病院は多くの患者さんで大混雑しています。検査結果が出るのに時間がかかるのは仕方のないことです。
 いつも、診察の1時間前に採血をするようにしています。診察前の患者の血液検査は、至急で処理してもらえることになっています。それでも間に合わないほどに検査が渋滞しているということのようです。
 いずこも同じ状況でしょうか。

 京都大学附属病院では「iDolphin MML Web 電子カルテシステム」(まいこネット)を導入しているので、私は検査や診察に関する情報が自宅で確認できます。


160314_maiko


 前回2月29日の消化管外科での診察も、当日は間に合わなかった検査項目の結果について、「経過記録情報」や「検歴情報」等が3月3日に作成されたカルテを見ることで、居ながらにして確認できました。

 今日の血液検査で間に合わなかった項目も、数日後に自分のパソコンや iPhone から、この「Web 電子カルテシステム」を通して確認できます。
 これは、出てきた数値の意味がよくわからなくても、心理的な安心感があります。
 健康に関する本を読んでいて、自分の数値の変移を知りたくなった時などに、このシステムで確認しています。

 マイナンバー制度の有効活用の中に、病院カルテの情報とのリンクがあるようです。私は、自分の病歴や検査結果や投薬情報が、お役所主導で他人に操作されることに、何となく不愉快さを感じます。

 この京大病院が導入している「まいこネット」なら、自分のIDとパスワードで、いつでも自分の意思で確認できるので、同じ他人に管理されるにしても、病院関係者の元でデータベースが運営されていることからの安心感があります。
 マイナンバーと連携すれば、「まいこネット」も同じことなのかもしれません。あるいは、「まいこネット」は、このマイナンバー制度との接続実験なのかもしれません。
 しかし、信頼して通院する病院が管理運営に関わっている現在のデータベースの方が、ジャジャ洩れ状態ではないはずだ、と思う素人なりの安心感があるのです。
 当然、病院内では、私の情報はどのパソコンからでも確認できます。京大病院に入院中に、看護師の方がパスワードを入れて、毎日私の情報を確認し、追記しておられたのを知っています。医師と看護師のみなさんで、情報の共有がなされていたのです。これは、私の病気をチームとして対応するためのものだと思われます。

 今後の病歴管理を公的機関が掌握することの是非は、今私にはよくわかりません。しかし、こうした京大病院から受け取る「Web 電子カルテシステム」の個人情報は、自分の体調やどのような薬を飲んでいるのかを確認する時に、非常に重宝しています。

 マイナンバー制度下での病歴情報は、どのような形態で管理され、本人が確認できるのでしょうか。

 それよりも、全国的にはどのような対処がなされているのでしょうか。
 「まいこネット」は、京都だけの試験的なシステムかもしれません。
 私は、このシステムから、安心という恩恵を受けていると思います。
 このシステムと、マイナンバー制度へのリンクについて、私にはまったくわかりません。
 マイナンバー制度の活用事例としての病歴管理については、その展開を見定めたいと思っています。
 
 
 

2016年2月29日 (月)

京大病院での検診後に薬の調剤が変化する

 賀茂川で、仲睦まじい鴨を見かけました。
 その表情がいいのです。


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 「カモ類の識別」というサイトに、雌雄の見分け方が掲載されています。


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 これによると、雄が雌に声をかけている場面、ということになります。
 この後どうなったのか気になるところです。

 「カモ類の識別」に例示されている鴨たちがいる馬見丘陵公園は、大和平群にいた頃、子どもとお弁当を持ってよく遊びに行った、北葛城郡河合町にある公園です。
 そこの花菖蒲園には、「紫式部」「紫の上」「夕霧」「清少納言」などなど、雅な名前の菖蒲が咲き誇っていたことを思い出します。

 この馬見丘陵公園のすぐ南には、『竹取物語』の舞台とされる竹取公園と讃岐神社があります。スペインにいらっしゃる高木香世子先生を、この『竹取物語』の地に娘と一緒にご案内したことがあります。しかし、その時の記事はサーバーがクラッシュしたために、今では読めない話となっています。写真はあるので、またいつか復元します。

 さて、今回の京都大学病院での検査は、いつもの糖尿病栄養内科ではなくて、消化管外科の定期検診でした。ガンに関しては、一応卒業との宣言を昨夏受けました。しかし、念のために春と夏の年2回は様子見の検査を受けて、不測の事態を回避するようにしてくださっています。

 1日がかりで、検査と診察と投薬を受けました。
 血液検査は、受検者があまりにも多すぎたため、結果は午後までかかるとのことです。先に診察でいろいろなアドバイスをいただきました。
 結果的には、特に問題はありませんでした。

 今、特に体調で困っていることはありません。主治医の先生も、インド帰りにしては顔色がいいですね、とおっしゃっていました。
 そうなのです。インドへ行くと、毎日薬膳料理をいただくせいか、体調がよくなります。

 気になることを強いてあげれば、鉄分の欠乏を食事でどう補うか、ということでしょうか。
 具体的に何か症状があるわけではないのです。しかし、常に検査結果の説明で鉄分が欠乏気味だと言われるので、何か方策はないものかをお聞きしました。

 試しに、鉄分補給のサプリメントを飲んでみることになりました。これは、糖尿病栄養内科の先生からも提案があったことです。しかし、薬を増やすことは、もう少し先に、ということに留めていました。自分の名前に負けていることを認めたくない、という思いもありました。

 何事もやってみようと思う質なので、今回から「フェロ・グラデュメット(硫酸鉄)錠105mg」を、朝食直後に飲む提案を受け入れました。

 また、これまで毎食後に飲んでいたビタミンB12対策の「メチコバール」という薬は飲まなくてもよくなりました。
 私は消化管がないので、経口錠では吸収の効率が悪いのだそうです。腸だけではほんの少ししか取り込めないとのことです。
 そこで、半年ごとにビタミンB12の注射をすることで、吸収効率を良くすることになりました。腕への筋肉注射です。注射によるビタミンB12は肝臓に蓄えられ、少しずつ消費されていくとのことでした。

 逆流性食堂炎の対処として朝食後に飲んでいた「ランブラソゾール」も、先月から飲んでいません。
 薬の機能が上がったのか、それとも病状への対処が良くなったのか、とにかく薬が減ることは大歓迎です。

 インドで生ジュースを飲んだ話をしました。私は、危ないと言われている生ジュースにも、なぜかお腹を壊さないのです。医学的には消化管の有無は関係ないので、原因は不明だそうです。これも、いつか解明したいと思っています。

 そんな雑談も交えながらの診察を受けています。ガンについては転移も再発も心配なく、消化管を切除したことによる食生活のことだけに気をつけていけばいいようです。
 あとは、血糖値の管理です。これも、2週間後にまた検診があります。ヘモグロビン A1cの値は決してよくはないものの、大きな変化はないので、様子見をしているところです。
 
 最終トラックの周回は、病気に関しては無理をしない生活を心がければ問題はない、ということのようです。
 
 
 

2016年1月19日 (火)

インフルエンザの予防接種をして

 遅ればせながら、インフルエンザワクチンの予防接種をしました。
 インフルエンザワクチンの効果については、賛否両論があるようです。
 私はインフルエンザに罹ったことがないので、具体的な症状がイメージできません。
 自他共に認める病院大好き人間の私なのに、これには縁がないのです。

 それはそれとして、私は一昨年からこのワクチンを打つようになりました。
 自分はもとより、人に迷惑をかけないように、ということで接種することにしたのです。

 一昨年は、京都の自宅近くの内科で、昨年と今回は東京の宿舎の近くにある耳鼻咽喉科で、飛び込みのようにして接種していただきました。

 65歳以上の高齢者には、市区町村から費用の補助があるそうです。
 しかし、その一歩手前の私は、残念ながら補助対象外です。
 この何となく微妙な扱いに、線引きの上に立つ身としては、「残念ながら」と言わざるをえません。

 今年は流行が少し遅れているそうです。
 そんなことから様子見をしていた私も、もはやここまでと思いきって医院に行きました。

 昨年度より「3価ワクチン」から「4価ワクチン」へ変更となりました、と言われても、何がどうなったのかはわかりません。
 とにかく「お願いします」と言って、差し出された問診表の質問にボールペンを走らせました。

 接種して気づいたことに、風邪やインフルエンザに注意が向くようになったことがあります。
 医院から帰ると、早速手洗いとうがいをしました。
 よく忘れていた手洗いとうがいを、意識するようになったのです。
 このことだけでも、注射を打ってもらった意義はありそうです。

 年度末の忙しい日々が、しだいに押し寄せて来ています。
 病気に負けず、気力を維持しつつ、目の前の懸案事項にぶつかっていこうと思います。
 
 
 

2016年1月18日 (月)

京大病院での検査は鉄分不足だけ

 今朝の東京は雪で大混乱です、というニュースを見ながら、京大病院へバスで出かけました。
 京洛は生ぬるい小雨がぱらつく程度で、傘もささずに雨を肌に感じながらの通院です。

 吉田山の如意ヶ岳には、輪郭がぼやけた「大」の文字が置かれています。
 あの夏の華やかさは、冬の大文字からは微塵も感じられません。


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 いつものように、糖尿病内分泌栄養内科を受診してきました。
 予約がしてあっても、丁寧に診てくださるので、午後までかかります。

 今回は、ヘモグロビン A1cは「7.1」でした。高めです。去年のお正月も同じ値でした。
 年末年始はいろいろなものを食べるので、比較的高くなる時期です。そんな中で、これはよい意味で、1年のサイクルが一定してきていることを示しています。
 私の身体の状況とこれまでの経過を踏まえ、特に変化なしということもあって、このままの食生活でいいそうです。

 一度に一食分が食べられないのであれば、時間をかけてゆっくり食べること。
 糖質制限にあまり神経質にならず、しっかりと身体を造ること。
 先生はいつも、豊かな食生活を心がけたらいい、とおっしゃいます。
 的確なアドバイスを、いろいろといただいてきました。

 血液検査などを通してみる限り、その他についても、栄養状態、癌の兆候、内臓疾患、末梢神経などなど、まったく問題がないそうです。

 昨秋あたりから、右足の中指辺りに違和感があり、それはまだ続いています。しかし、脳神経でも、糖尿病に起因するものではないので、あまり気にすることはないようです。
 当座の対処として、血行をよくする薬をいただきました。これで、しばらく様子をみます。

 毎度のことながら、私の身体で問題なのは一点だけ。
 やはり、鉄分が不足しています。
 レバーやほうれん草を始めとして、あまり好きではない納豆なども、いろいろと気を配って食事をしているのに、なかなか数値があがりません。
 よほど鉄分を消費する生活を、日常的にしているのでしょう。
 本気で、鉄棒をかじることを考えています。

 いつも書くことながら、完全に名前負けしているのです。
 自分の名前を書いた紙を食べたほうが、一番いい処方となりそうです。

 烏丸御池の歯医者にも寄りました。

 新幹線が雪のための遅れを回復した頃合いを見計らって、検査疲れを押しての上京です。
 車内放送の英語は、やはり耳障りな発音で、音量を絞ったものでした。

 宿舎に着くと、車のフロントガラスにまだ今朝降ったと思われる雪が残っていました。


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 花壇の残雪も、一旦融けてから凍結しているようです。


160118_snowkadan


 明日もまた冷え込むそうです。
 冬なので当然のことながら、暖冬に身体が慣れてしまうと、寒さが生活に影響します。
 環境の変化に順応する身体造りも、これまで以上に心がける必要がありそうです。
 
 
 

2016年1月 6日 (水)

3泊4日の入院手術から退院した息子

 新年3日に入院し、4日に手術をした息子が、突然今日退院しました。
 もうしばらくは入院して療養するのかと思っていたところ、今日中に退院するという連絡で驚きました。
 とにかく、身体を動かすことを最優先しての病院側の対処のようです。

 そもそもが腰痛と急激な肥満から来たものなので、最初から命に別状はありませんでした。
 退院時の注意事項でも、腰への負担と身体を捻ることをしないように、ということと、バランスの良い食生活を、ということでした。
 リュックは禁物で、引き摺るキャリーではなくて、手で押すタイプのキャリーにした方がいいそうです。また、声をかけられた時に、急に後ろを振り向くのもよくない、とのことです。
 これは、私も参考になるアドバイスでした。

 今回入院していたのは、2年前に開業したばかりの
「参宮橋脊椎外科病院」でした。
 清潔感に溢れ、痛みのある患者さんを癒すことを優先した院内の環境は、好感がもてました。スタッフの方々の対応も、さりげない心地よさを心がけておられるようです。
 病院好きの私としては、ここは人にお勧めできるところの一つと言えます。

 息子が起業してもうすぐ3年。「LAUGH TECH(ラフテック)」という会社が順調に業績をあげている時だけに、無理な生活の中に身を置いていたのでしょう。
 病院のベッドの枕元には、本が堆く積み上げてありました。日々の経営に加えて、新たな事業展開を考えていたようです。

 退院と共に、本を10冊ほど抱えて、そのまま病院のすぐ裏にある会社に帰って行きました。
 ビルの大きなガラス越しには、事務所で残業している社員の姿が遠目に見えました。
 こんなに病院に近いのなら、いつでも駆け込めるので安心です。
 自立した息子の仕事場を盗み見るようにして、そのまま素通りして代々木駅へ急ぎました。

 帰りに妻と一緒に退院祝いと称して、深川の居酒屋で少し飲みました。
 
 
 

 

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2015年11月 4日 (水)

銀座探訪(32)久しぶりに銀座のど真ん中で泳ぐ

 銀座にあるコナミ・スポーツクラブの会員を辞めたのは4年前です。

 「スポーツクラブを退会」(2011/9/30)

 その後は、賀茂川と隅田川を散策する程度で、特に運動はしていませんでした。
 大手術の経過も血糖値の推移も、共に安定してきたこともあり、再度コナミに入会しました。
 今回は、各地のいろいろな施設が自由に利用できるプランです。

 今日の再開初泳ぎは、やはり通い慣れた銀座3丁目にしました。
 アップルストア銀座の北隣のビルの地下に、4年前とまったく同じシステムで、施設も何も変わらずに営業していたのには驚きです。
 周りは目まぐるしく変転する地にもかかわらず、以前とまったく一緒だったので、この空間の時間がすっかり止まっていたかのようです。あえて違いを探すと、レッスン等のメニューだけでした。


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 勝手知ったる、銀座のど真ん中の地下で、久しぶりに汗を流して来ました。
 私の利用は夜になるので、また夜の銀座で泳ぐことになります。
 「銀座を泳ぐ」のではなくて「銀座で泳ぐ」のです。
 もちろん、スタジオでエアロビクスもやり、ジムでマシンを使ったりする予定です。
 無理をしないで、少しずつ身体を慣らしてから、筋力アップに取り組むつもりです。
 
 
 

2015年11月 2日 (月)

京大病院での診察結果とお薬アプリ

 定期的に京大病院の糖尿病内分泌栄養内科で診察を受けています。
 見かけは痩せています。しかし、立派な糖尿病患者です。
 消化管がないので、食後の血糖値が急上昇するのです。

 今日も、早朝より血液検査の後に診察がありました。
 今日のヘモグロビンA1cは6.8で、前回よりもさらに良好。
 このままの調子でいいそうです。
 豊かな食生活を、というのが主治医の先生の方針です。


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 血糖値は初夏に上昇した後、それからは順調に下降しているので良好です。
 特に、食後に血糖値が急上昇する傾向があった私の身体にとって、最適の薬を処方していただいてからは、順調にコントロールできているようです。
 この物理的な障害に対して、1つの解決策が見いだされたと言えるでしょう。

 ただし、鉄分の値がまだ低いので工夫を、とのことでした。
 東京では入手が難しい牛レバーが、関西では容易に手に入ります。
 豚レバーも含めて、気をつけて鉄分補給に気をつけて食べています。
 それでも、鉄分欠乏が改善されないので、さらに意識した食生活にします。

 そんな中で、「京都 e- お薬手帳」というアプリを見つけました。
 電子版のお薬手帳です。


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 たとえば、今日の薬は、こんな形で電子情報化されます。
 これは、薬局で受け取った「保険調剤明細書」に印刷されている「お薬手帳QRシンボル」というQRコードにスマートフォンをかざすと、処方された薬のデータが自動的に電子手帳の中に読み込まれるのです。


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 これまでは、いただいた糊付きのシートを「お薬手帳」に手で貼り付けていました。しかも、その手帳を持ち歩かないことには、薬局などで薬を受け取る時に意味をなしません。
 それが、この「京都 e- お薬手帳」によって、いつでも確認でき、薬剤師さんに見せることができるのです。

 緊急時や災害時にも、現在どのような薬を飲んでいるのかがわかるので、これが役立つと助かることでしょう。

 また、「EPARK(イーパーク)」というアプリもありました。
 これは、薬局などで処方箋を出しても、実際に薬が受け取れるまでに大分時間がかかります。
 今日の場合ですと、京大病院前の処方箋を扱う薬局では、45分待ちでした。
 そんなに待てないので、北大路の駅前の薬局で薬を受け取りました。

 待ち時間を短縮するために、あらかじめ処方箋を撮影して送信しておくと、薬の準備ができたらメールで知らせてもらえる、というサービスです。


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 今回、薬局で知ったので、まだ利用したことがありません。
 しかし、確かに時間の有効利用のためには、役に立つアプリだと思います。
 実際に使用したら、また報告します。
 
 
 

2015年10月13日 (火)

今日のトラブル2題/「腹痛」と「iPhone」

(1)定期健康診断のバリウム検査で激痛に襲われる

 職場で集団検診がありました。
 いつものように申告をして、いつものように受診しました。
 館外に停めてあったレントゲン車でのことです。

 あの白いバリウムを飲んで、体内の様子を診る検査の時です。
 事前に、指示通りに発泡剤を飲んだところ、すぐに腸が捻れて千切れるかと思う程の激痛が襲ってきました。
 消化器管のない私にとっては、ビールをはじめとして発泡物は苦しくなるので、日頃から避けています。
 しかし、身体の検査ということと、レントゲン車の中の環境に身を置き、つい油断をしました。

 しばらくレントゲン室の一角でうずくまった状態で苦痛に耐えていると、数分後には吐き気とげっぷが治まり、身体が軽くなりました。
 看護士の方が検査を中止しましょうか、と声を掛けてくださいました。
 しかし、体調が戻ったので、回転稼働式の検査台に身体を預けました。
 技師の方も親切で、消化管がないなら食道周辺だけでも視ましょうと、少しずつバリウムを飲むことで検査をしてくださいました。
 台に寝てくるくると転がる動きは避けてくださいました。
 とにかく、意識が遠ざかる直前だったので、一時はどうなることかと恐怖感の中に置かれたのです。
 今は、無事に終わってほっとしています。

 昨日も書いたように、このところ体調が思わしくなかったので、それが引き金になっているかと思われます。
 これに懲りたので、バリウム検査は今後は敬遠して、内視鏡検査のみにします。

 私の次に検査をお待ちだったK先生。
 目の前での突然のハプニングで、ご心配をおかけしました。
 お気遣い、ありがとうございました。

 今朝から絶食だったこともあり、急激に空腹を感じました。
 身体が正常に戻ったようです。
 いつものように、妻の手作り弁当をゆっくりと口にしながら、生き返った気持ちを実感しました。
 
(2)iPhone6プラスが頻繁にフリーズすること

 先月あたりから、昨秋更新して使い出したiPhone 6プラスが、しょっちゅう反応しなくなり出しました。
 画面をタップしても、文字を入力することも、まったく受け付けないのです。
 だいたい、2時間ももたない内に、電源を入れ直してリセットすることとなります。
 文字を入力中に突然画面が凍りつくと、また入力し直しとなるので、がっかりします。
 スマホのアプリは、保存ボタンなどはないものが多いので、パソコンのように頻繁に保存することはできないのです。
 自動保存なり、終了時に保存されているようです。
 これが、突然のフリーズでリセットすることになると、それまでの入力が水の泡となるのです。

 今使っている iPhone は、購入して半年の間に2回の本体交換をした、何と3台目のものです。
 今回のトラブルで本体交換をすると4台目になるのかと諦めつつも、念のために立川のクイックガレージで何か対処方法がないか相談をしました。
 すると、先月から発売されているiPhone 6s のための新システムの初期バグのせいか、iOS の システムを更新したユーザーからのフリーズに関する相談が急増しているそうです。

 いろいろなやり取りの末に、さらにバグを取ったシステムの更新が発表されるのを待つしかない、ということになりました。
 iOSのシステムを入れ替える方策もあるそうです。
 しかし、そんな暇が今はないので、だましだまし、いましばらくはシステムのバージョンアップを待つことにします。

 iPhone 6プラスをお使いで、まだシステムを更新しておられない方は、今しばらくはそのまま様子をみた方がいいようです。

 私は、常に最新のバージョンに魅力を感じるので、すぐにシステムをアップしてしまいます。
 最新の情報文具に関しては、「待つ」ということを心がけるように、これからは心していきたいと思います。
 
 
 

2015年9月 2日 (水)

京大病院で2つの科の診察を受ける

 病院が大好きな私にとって、今回も快適に院内での時間を楽しんで来ました。

 消化管外科では、ガンに関してはひとまず安心で、前回の卒業宣言を受けてこれで診療は終了となりました。
 今後をどうするかという相談をした結果、あと2年間は、これまで通りに半年ごとのチェックを受けることにしました。

 新しい主治医の先生の話では、私のケースはガンが完治する典型的な好例だそうです。
 それでも、体質的に油断は禁物なので、しばらくは観察してもらうことになったのです。

 消化管外科の次は、糖尿病・内分泌・栄養内科で隔月の検査と診察を受けました。
 血糖値の推移を見る目安となっているヘモグロビン A1cの値については、次のようになっています。


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 ヘモグロビン A1cが前回から「0.5」も下がって「7.0」になっています。このように大きく下がることは、あまりないそうです。6月22日以降、飲み薬を「ボグリボース(ベイスン)」から「トラゼンタ(リナグリプチン)」に変えたことが、功を奏したようです。
 標準値が「4.6~6.2」なので、血糖値は高いといえます。しかし、私の場合はいろいろと事情もあり、この調子で様子を見守り続けていくことになりました。

 晩ご飯も、特に糖質を制限することなく、通常通りに食べた方がいいそうです。
 前回から飲むようになった新薬は、血糖値の高値を抑える働きがあるので、低い所に気をつければいいとのことでした。

 上記グラフの黄色い折れ線HGBは、ヘモグロビン濃度が少し改善されたことを示しています。
 これは、鉄分の欠乏を示すもので、標準値が私の年齢では「11.3~16.3」なので、低い値で安定していることに変わりはありません。

 一応薬は処方されています。これまで通り鉄分を意識した食事を心がけることにします。

 ということで、今回の診察では、いずれも心配するほどの変化ではなく、これまでの調子で生活をすることでいいようです。
 一安心です。
 
 
 

2015年8月27日 (木)

都移りは部屋の模様替えから

 月末に向けて、終えなければならない仕事がまだ残っています。
 終わった資料や書類と、次の資料や書類と、溜まったままの資料や書類が、東西に分散する自分の部屋で混在し出しています。

 こんな時には、部屋の模様替えが一番です。

 私の仕事空間は3ヶ所にあります。
 立川の職場、深川の宿舎、京都の自宅です。

 それぞれに、仕事に応じた書類や資料を置いています。
 宿舎と自宅は、自分の研究用のものが中心です。
 そのために、仕事が入り乱れるとその棲み分けがしだいに怪しくなりました。

 この夏で、いくつかの仕事のメドが立ったことを機に、思いきって部屋の模様替えです。
 特に東京の宿舎は、あと1年半で定年と同時に引き払うことになります。
 そのために、ここを資料と書類の仮りの置き場所とし、少しずつ東京から京都へという流れを作り出すことにしました。

 これにより、京都が最終の資料や書類の溜まり場所となるので、そのことを意識して物を移動することにします。
 その中で一番悩ましいのは、3ヶ所それぞれに置いている同じ書籍です。
 大事な本は、同じものが3冊あるので、これから宿舎に溜める2冊を来年度中に処分することになります。
 その際、処分することになる2冊の本に書き込んだメモをどう統合するか等々、何かと悩ましいことです。

 最終収容先となる自宅の勉強部屋の配置は、おのずとその目的に合ったものに変えることとなります。
 とにかく、3ヶ所に散らばる机と書棚と資料置き場を1ヶ所に集中させるためには、大胆な発想の転換が必要です。

 京都の家は、古い町家に手を入れた木造です。
 東京の鉄筋コンクリートの部屋にあるものを、木造の京間の、しかも2階に移すのです。
 分量も重量も、相当制限されます。
 これは難題です。

 生まれてこのかた、出雲→難波→河内→大和→京都(+東京)→東京(+京都)と、住まう都を転々と移してきました。
 今日から、東京を中継地点とする、最後となるはずの都移りの開始です。
 
 
 

2015年8月23日 (日)

米田先生からいただく残暑見舞いのお電話

 昨夜、長崎県美術館の米田館長からお電話をいただきました。
 しかし、あいにく私は科研の研究会の後で、ちょうど立川駅前の懇親会場へ移動する時でした。
 先生からの電話に気付いたのは、宿舎への帰り道でした。

 今日、先生にお電話を差し上げて、何か急なご用でもあったのでしょうか、とお尋ねしました。
 すると、「元気にしているかと思ってな。体調はどうだい?」と明るい声でおっしゃいます。
 ご丁寧に気遣っていただいていることに感謝しつつ、最近は逆流性食道炎に困っていることをお話しました。

 「それは、どうしようもないな」との一言。
 同病者というよりも、私よりももっと厳しい病気を潜り抜けて来られた、病気の大先輩の慰めのことばに、私としてはそれだけで救われます。

 私からは、報告を一つだけしました。
 それは、目の見えない方々と一緒に、『源氏物語』の写本を読んでいることです。
 先生は、千葉県立美術館の館長をしておられた時に、美術館のユニバーサルデザインに取り組んだとのことでした。本にも書いているし、筑波大学の先生のお世話になったので、何かあったら連絡をしなさい、とのことでした。

 これまで、視覚障害者のことと米田先生のことが、なぜか結びついていませんでした。
 先生がなさってきた活動を、もう少し調べてみます。
 身近に、こうしたその道のエキスパートがいらっしゃる幸せを噛みしめています。

 「暑いから気をつけて、頑張っていい仕事をしろよ。」との励ましの言葉と共に、電話はさっと切れました。

 米田先生とは、次のブログに書いたように、ほんの一年間だけ授業を受けただけです。

「長崎県美術館の米田館長と」(2012年10月28日)

 しかし、先生のお人柄なのでしょう。こんなに永く、折々に気遣っていただけるのですから、ありがたいことです。

 私などが知り合いに突然「元気?」と電話でもしようものなら、また仕事の依頼かと警戒されるだけです。
 温かい、思いやりの心をもって人には接して行くべきであることを、米田先生から毎年夏の終わりにお電話をいただくたびに、しみじみと思います。

 私の品物との出会いには、いつも欠陥品を摑まされるため、買い物運が悪いと自認しています。しかし、そんな私でも、人との出会いには恵まれています。多くの方々との幸運な出会いに支えられて、今もたくさんの仕事ができています。

 米田先生との電話を置いてから、あらためて人と人とのつながりに感謝の思いを強くしました。
 先生こそご無理をなさらずに、マイペースで仕事をなさり、教え子に声をかけ続けてください。
 
 
 

2015年8月13日 (木)

私のガン治療は今日で卒業となりました

 5年前の祇園祭の日に、電話で突然、胃ガンの告知を受けました。
 すぐに京都大学付属病院に入院し、消化管をすべて摘出されました。
 あれからもう5年が経ったのです。

 今月はその京大病院で、術後の経過観察の最終年度となる、5年目の検査を受けていました。
 CTスキャンや胃カメラ等々。

 その結果をもとにして、今日は検査結果の説明をしていただきました。
 結果はすべて良好とのことです。
 ガンの治療は今日で卒業となります、と先生が言ってくださいました。
 転移はまったく認められないそうです。

 ひ弱なこの身体を、何かと気遣ってくれた家族や周りの方々に、あらためて感謝しています。
 5年間ありがとうございました。

 儲けものとでも言えるこの5年間に、いろいろなことをしました。
 4つの科研を運用、NPO法人の設立、池田亀鑑賞の設立、妻の早期退職と上京、娘の結婚、視覚障害者との共同研究等々。
 手応えのあるものが目白押しの5年でした。

 業務はもちろんのこと、個人的な研究もそれなりに進展しました。
 すべてが、生きていればこそできた出来事です。
 そして、それらは今も引き続き取り組んでいるものです。
 健康が一番だということを、あらためて実感しているところです。

 今後は、糖尿病と鉄分欠乏症と逆流性食道炎を抱えての生活となります。

 いつまで走り続けられるのか、私には皆目わかりません。
 しかし、抱えている調査研究課題を少しでも前に進めることだけを、これからも考えて行くつもりです。

 今、多くの方々に手助けしていただいて着手していることを、最後まで見届けることは無理です。
 襷を渡し、バトンタッチをしながら、設定した目的に向かって歩んで行きます。
 変わらぬご支援を、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年6月23日 (火)

あわてて眼科で白内障の検査を受ける

 昨日の京大病院での診察の折、私が目の不調について相談すると、白内障の兆候が目に現われているようだ、とのことでした。
 そこで早速、上京後すぐに都内の眼科へ行って診てもらいました。
 結果は、初期の白内障であるものの、今なにかをするほどではない、という診断でした。
 2時間をかけて丁寧に診てくださいました。
 メガネも、少し緩いなりに適切な度が出ているようです。
 目薬などの投薬もなく、肩透かしでした。しかし、これはこれで幸いだったと言えます。

 目に瞳孔を広げる薬を点滴されたせいでしょうか、光が目に飛び込んできて、一日じゅう何もできない日となりました。

 これまでにも、こうしたことがありました。
 そして、いずれも診察の結果は軽いので放置してかまわない、というものでした。

「京大病院の未承認医療機器の実験に参加する」(2013年07月30日)

「人騒がせな集団健診の結果」(2012年11月08日)

「心身(20)緑内障の疑い」(2008/7/26)

 今も、シルクのスクリーンが目の周りにかかっている感じがします。
 あまりすっきりとはしていません。
 緑内障と違って、白内障は加齢と共に、ほとんどの人に見られるものだそうです。
 もうしばらく、様子をみてみようと思います。
 
 
 

2015年6月22日 (月)

京大病院での検診に少し変化があったこと

 2ヶ月置きの診察を受けるために、京大病院へ自転車を飛ばしました。
 昨日の大雨が嘘のように、賀茂川は水嵩を増してはいても少し濁った色を見せるだけで、静かに流れています。

 今週は過密スケジュールが組まれているので、確実に1つ1つをクリアしていくことになります。
 まずは、身体のチェックから。

 南側の正面玄関から診療棟に入ると、ロビーにあったドトールコーヒー店が左から右に移っていました。これまで、テーブルとソファや椅子が置かれていた寛ぎのスペースに、おしゃれなコーヒーショップが姿を現わしていたのです。


150622_coffee


 これまでドトールがあったエリアは、工事区域となっています。ロビーとなるそうなので、またゆったりとした空間を考えておられるのでしょう。座り心地のよかったソファと椅子を、よろしくお願いします。


150622_roby


 この病院が大好きな者としては、こうして快適な空間作りへと手が入って行くことは大歓迎です。

 私が入院中にお見舞いに来てくださった方々にもわかりやすいように、入口横に掲示されていたフロアの案内図をあげておきます。


150622_zumen


 積貞棟は、すばらしい病棟でした。ここに入院治療しておられる患者さんには、今でも声をかけたくなります。自分に負けないでください、病気に負けないでください、と。

 さて、自分のことでした。
 今日のヘモグロビンA1cは7.5と、これまでの最高値でした。前回が7.2。体重を50キロ以上を維持するためと、鉄分を摂取することを最優先にした食事をしていたのが原因です。
 この血糖値以外には何も問題はない、とのことです。これだけなのです。単純明快です。
 体重が50キロを切ってもいいので、食事量を少し減らすようにします。毎日6回くらいに分割していたので、4食くらいにしましょう。
 食前の内服薬も、「ベイスン 0.2mg」から「トラゼンタ 5mg」へと変更になりました。これは、1日1錠を朝だけ飲むものです。新たな人体実験をスタートさせます。

 依然として、鉄分が不足しているようです。少し上がっただけなので、もっと摂るようにとの指導を受けました。鉄分を意識して食事をしていたのですが……。
 次回の結果を見て、鉄のサプリを処方するかどうか考えるそうです。
 相変わらず、名前負けしています。

 新たに、対処が必要な病状が見つかりました。これは、早速明日から治療を開始します。
 京大病院の中の他科で診てもらっても、すぐに開業医を紹介されるだけなので、東京で診てもらったほうがいいでしょう、とのことでした。その際、評判でお医者さんを選ぶといいそうです。

 また新たに克服すべき対象が見つかりました。病との戦いは苦になりません。というよりも、ある種の張り合いが出てきます。自分の身体のことなので、何事も気長に付き合うことを心がけます。
 
 
 

2015年6月18日 (木)

ブログにアップしていなかった数年前の記事2本

 2010年7月の祇園祭の朝、胃癌の告知を受けました。

 「心身雑記(59)ガンの告知を受けた時の気持ち」(2010/7/17)

 その2日後に、妻と一緒に西国三十三所札所巡りを始めました。

 「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010/7/19)

 8月末日に、消化管の全摘出手術を受けました。

 「心身雑記(73)6時間にわたる自分との闘いへ」(2010/8/31)

 そして退院。

 「心身雑記(86)ワイン片手に2週間ぶりの我が家で」(2010/9/13)

 その後、西国巡りを再開しました。

「西国三十三所(3)清水寺」(2010/9/25)

 そんな中で書いたメモが、偶然に見つかりました。
 本ブログにアップしようと思いながら書いた記事だと思われます。
 しかし、どうしたことか掲載しなかったのです。
 何かと多忙な日々の中で、思いつくままに書いた事を、いつしかすっかり忘れていたのかも知れません。

 記録を見ると、このメモを記した2010年10月12日は、次の記事をアップしていました。

 「西国三十三所(11)総持寺」(2010/10/12)

 総持寺へ行ったその道々に、このメモを記していたのでしょう。

 このまま放置するのももったいないので、また忘れてしまわないうちに、今アップしておきます。

 また、もう1本の記事は、昨秋のもののようです。
 心の重しが取れた安堵感から、気ままに記したものだと思われます。


「スローライフの西国札所巡り」(2010.10.12)

西国札所巡りは、これまでの4巡はすべて自分が車を運転して回りました。

かねてより、自家用車は自然破壊と無意識に人を殺す道具であることへの疑念があったので、京都へ居を移したことを潮に、車を自分では運転しない生活に入りました。

西国札所も、この5巡目は公共交通機関を使っています。
ただし、巡拝の時間は車の二、三倍はかかっています。

スローライフもいいものです。
急ぐことで失うものがあります。
それに気づかせてくれた今回の突然の癌。

まだまだ、スローは私の身には付いていません。
しかし、スローを意識して、それを受け入れながら生活しようとしている自分に、フッと気付くことがあります。
少しずつでも、新しい生活に入っていることを実感しては、よしよしと自分を誉めています。

スローライフに切り替えて気づいたことの一番は、電車に乗り遅れることがよくあることです。
これまでは、改札口から急ぎ足で電車に乗っていたようです。
ホームに降り立つ直前に、電車が無情にも出て行くのですから、おもしろいはずがありません。
しかし、これも慣れると、あまり気にならなくなります。
まだ悔しさを感ずる時がままあるので、観音様を思い描いては、我が身に修行を自覚させています。


☆体内埋め込みタイマーのリセット
これで新たなタイマーが作動することになります。
時限爆弾は爆発直前に除去されたのです。
手術後45年目の63歳という私の終着駅が、さらに先に伸びたと考えたいと思います。
その先はどれくらいなのかは、今は不明です。
しかし、伸びただけでも、幸いなことだと言えます。
どこまで伸びたのかわからないという不気味さはあります。
しかし、私の気持ちは楽になりました。
ただし、重しは取れた代わりに、前が見えないと言う、新たな不安を抱えるわけです。
もっともこれは、人間誰もが抱える宿命です。
人並の煩悩とでも言いましょうか。
これも、ありがたいことです。


 
 
 

2015年4月22日 (水)

新規科研のホームページができました

 本年4月よりスタートしたばかりの科研「挑戦的萌芽研究」のホームページ「源氏写本の触読研究」が、試験版ながらも産声をあげました。
 まだ生まれたばかりです。
 大切に育てていきたいと思います。


150422_newkakenhp


 今回採択された研究課題名は「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」です。

 冒頭の挨拶文以外は、昨年秋に日本学術振興会へ提出した、審査用の「平成27年度(2015年度)挑戦的萌芽研究 研究計画調書」に記した内容です。

 これからの2年間で、今後の活動内容や研究成果を盛り込み、このサイトを通してさまざまな方々と情報交換をして行く場所にしたいと思います。

 今後とも、ご教示のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年3月18日 (水)

糖質ゼロのお酒が増えています

 これまでに、糖質ゼロのお酒やドリンクのことを何度か取り上げました。
 あくまでも、私の生活圏で入手したお酒に限っての情報です。
 私はネットショッピングを極端なまでに排斥しているので、以下の情報は自分で手に取って選んだものであることを、まずはお断りしておきます。

「糖質ゼロのお酒3種」(2012年05月08日)

「慰労と予祝のファミリーパーティ」(2012年06月17日)

「糖質ゼロのビール類のすすめ」(2012年06月18日)

「甥の葬儀のこと」(2013年12月08日)

 このゼロ指向は、年々加速しているようです。
 先日も、今年になって発売されたという日本酒「松竹梅」の糖質ゼロ版を飲んでみました。
 あまり特徴のない味だったように思います。


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 違いがよくわからないなりにも、今のところは「白鶴」が気に入っています。


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 長い間、この分野での先発隊であった「月桂冠」を飲んで来たので、ようやく各社の違いを比べられるようになったことは大歓迎です。


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 「大関」は、「月桂冠」しかなかった時に、ようやく出てきたものだったので、しばらくは飲んでいました。しかし、「白鶴」が出てからは、飲まなくなりました。


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 地方へ行くと、糖類無添加としていろいろとあるようです。
 「由利正宗」は、妻の実家である秋田で、地酒として家にあったものです。
 これはおいしくいただきました。ただし、東京や京都では手に入りません。


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 日本酒以外にも、梅酒やワインもあります。


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 もちろん、糖質のない蒸留酒のなかでは、焼酎が私の一番安心して、どこでも飲めるお酒です。あとは、今人気のウィスキーやブランデーも、蒸留酒なので糖質はありません。

 もっとも、私はそんなにお酒飲みではない上に、手術後は身体がお酒を受け付けないことがままあるので、気分転換という意味で、少量をできるだけ毎日飲むようにしています。
 主治医の岡部先生からも、私はストレスを溜め込むタイプなので、発散の意味からもお酒を奨めていただいています。

 こうした健康指向と言われるお酒がいろいろと手に入るようになることを、今後とも楽しみにしています。

2015年3月 6日 (金)

食べ物が食道で詰まることの打開策を求めて

 上京の隙間を縫うようにして、京大病院で診察を受けました。
 最近、食べたものが食道に詰まって、食事を一時中断して治まるのを休んで待つことがあります。どうしようもないことだと言われています。しかし、今後の検査のこともあるので、寸暇を惜しんで病院に行くことにしました。

 主治医だった岡部先生が、今春より滋賀県大津市民病院に異動なさいました。過日、そのことを知り、あらためて凄い腕をお持ちの先生だったことを再認識しました。
 胃・食道外科のエクスパートであり、腹腔鏡手術の分野では開拓者だったのです。
 今話題となっている、どこかの大学病院における手術の失敗ニュースとは次元の違う先生でした。

 次の記事は、岡部先生が開発された腹腔鏡下手術の現場報告となっています。
 私も、このようにして胃ガンによる消化管の全摘出手術をしていただいたようです。

「"CHEMICAL REACTION between Suturing and Stapling .」

 これまでに、岡部先生からはいろいろと励ましていただきました。おっしゃった言葉としてではなくて、その穏やかなお人柄と対応の仕方からです。
 糖尿病で京大病院に1ヶ月間入院していたときには、わざわざ糖尿病・内分泌・栄養内科の病室まで来てくださいました。医は仁術を、まさに体現しておられたように思います。

 身体のことを相談しても、自然体で話を聞き、わかりやすく答えてくださいます。患者としては、頼りがいのある先生でした。何かあったら、いつでも相談に行ける安心感がありました。

 新しく私の主治医となられた平井先生は若い方でした。初めてお目にかかり、私の現在の状況を説明すると、じっと話を聞いてくださいました。

 物理的に、私には消化管がないのですから、食事のトラブルはつきものです。横になると、腸液が食道に流れ込み、苦しむことになります。その対策と、食事が詰まることの対処方法を尋ねると、今は具体的にこうしたらいいということはない、ということを率直に説明してくださいました。
 ただし、この状態が続くと、食道ガンのリスクを背負うことになるので、何か対策を打つ必要があります。今夏、その確認のための内視鏡検査等を予約しました。

 食道が下に食べたものを押し下げようとする運動と、腸がそれを受けてさらに押し下げようとする連係プレーがうまくいかないと、その接合部分に不具合が起こることはありうる、ということを、わかりやすく説明していただきました。
 どのような物を食べた時になりやすいか、とか、どのような状況でそうなるのか等々、私の話をよく聞いてくださり、一緒に考えてくださる方でした。

 朝、脂っこいものを食べた時には、よく痛くなります。生牡蠣はいいのに、バターで焼いたものは食道に詰まります。そんな自己流の調査報告をすると、食道の内側に張り付くものはよくないのかな、などと感想をおっしゃいました。そうであれば、水などを飲みながら食べるといいのではないか、という提案もありました。
 お酒でも構わない、ということは、岡部先生もおっしゃっていました。私は体調がよくないとストレスに敏感に反応するので、お酒を飲むことはいいことだ、と。しかし、私はあまり飲めなくなっているのです。そこで、目の前にお酒を置いて食事をすることが多くなりました。
 牛乳もいいようです。とにかく、流れることを意識して食事を摂ることにします。

 どうしようもないことながらも、私がいろいろなことを試みていることを評価してくださり、一緒に手だてを考えてみましょう、と言ってくださったのです。そんな体を張った実験をしている人は見かけないので、とも。

 消化管のない身体との付き合いは、これからも生涯続きます。折々に相談をし、何かいい対処方法を、平井先生と一緒に見つけたいと思っています。

 こうした我が身を賭しての人体実験の日々は、まだまだ続きます。
 
 
 

2015年3月 1日 (日)

「京都視覚障害者文化祭典」で弱視の方のお点前をいただく

 あいにくの大降りの雨の中、バス停「千本北大路」を下るとすぐの京都ライトハウスで、「京都視覚障害者文化祭典」が開催されました。
 京都府視覚障害者協会の文化部が主催し、今回が25回目です。


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 障害を持つ児童や生徒のための近代的な視聴覚障害教育の機関として、1878年に「京都盲唖院」が日本で最初に設立されました。これが、現在は京都府立盲学校となっています。
 京都はいろいろな分野で、日本初とか発祥の地なのです。

 その学校のそばの千本通り沿いに、京都ライトハウスがあります。
 ここを以前に訪問した時のことは、「京洛逍遥(322)京都ライトハウスにて」(2014年06月12日)に詳しく書きました。

 今回のプログラムは、次のようになっており、私は午後の部に参加しました。

日時:3月1日(日)
会場:ライトハウス 4階 あけぼのホール

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 この演目の中で、「フィオリの会 群読、朗読」に興味を持ちました。
 東京弁の群読「最初の質問」ではシーンとしていた会場が、朗読劇「夫婦喧嘩の仕方」になると、来場の皆さんの笑いが絶えません。田辺聖子の作品なので、内容が軽妙であることに加えて、大阪弁への親しみが皆さんの共感を呼んだのでしょう。

 私の横におられた4人の男性で全盲の年輩者も、俯きながらも口元や目元は緩みっぱなしでした。含み笑いが、やがては声を出しての笑いに変わります。照れ屋なのでしょう。しかし、次第に顔が上がってきました。居心地のいい時間の中に身をおいておられることが、隣にいた私にも伝わってきました。
 司会の方も、「身につまされる話で」と、余韻をさらに盛り上げておられました。
 みなさん、思い当たることもあったせいでしょうか、大爆笑でした。

 また、バリトン独唱で「上を向いて歩こう」になると、自然と場内から手拍子が起こり、一緒に歌う方がたくさんいらっしゃいました。
 オカリナの演奏で「ドレミの歌」の時もそうでした。

 今日は、視覚障害者の方々やそれを支援なさっている方々が、日頃の文化活動としての成果をみなさんに披露なさる日です。
 出演者と来場者のみなさんが心温まる交流をなさる、いい文化祭典でした。
 私も、これまでに味わったことのない空気と時間の中で、ジンと来る所がありました。

 京都府視覚障害者協会の女性部の方が、「お茶席」(お茶券400円、季節の和菓子付き)を和室で設けておられました。早速、私もお茶をいただくことにしました。

 お手前は、弱視の方でした。先生が後ろに控えておられ、折々に言葉で指示を出しておられます。
 客は私だけだったので、いろいろと話をすることができました。


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 お手前は表千家で、2ヶ月に1回のペースでお稽古があるそうです。現在は、4人の方が習っておられ、全盲の方も多いようです。
 今日のお手前をなさった方は、3年ほどやっているとのことでした。少し陰にあるお茶道具を扱う時は、距離感がない上に見えにくいので大変です、とおっしゃっていました。
 確かに、棚に置かれていた棗や水差しの蓋を取るときは、身体ごと前に出して手をいっぱいに伸ばしておられました。

 一番大変だったのは、茶碗に抹茶を入れた後、茶杓を棗の上に置く時でした。なかなか棗の上の真ん中で茶杓が安定しないので、これが最難関のようでした。
 あやふやな所は後ろの先生に確認しながら、一生懸命に点ててくださったお茶を美味しくいただきました。結構なお点前でした。

 別の部屋では、編み物や手芸品の展示もありました。
 私が生まれてから大人になっても、母は毛糸でセーターやチョッキを編んでくれていました。
 亡くなった時に、あまりにも多くて、姉や妻と一緒にほとんどを処分しました。しかし、それでも今もいくつか残っており、冬には着ることがあります。

 手編みのセーターに没頭していた母を覚えているので、今回展示されていた編み物を見て、その編み目の細やかさや凝りように目を見張りました。
 楽しみながら仕上げられた作品のオンパレードでした。
 いいものを見せていただきました。
 
 
 

2015年2月10日 (火)

視覚障害者と写本文化を共有するための47本の記事一覧

 目の不自由な方々と一緒に『源氏物語』の古写本を読むことができないか、ということについて検討を進めています。
 すでに、このテーマでの記事が増えてきたので、どこに何を書いているのか、自分でもわからなくなってきました。

 4ヶ月前に、「視覚障害者と写本文化を共有する接点を求めて」(2014年09月15日)で、20本の記事を一覧にしてまとめました。その後もこのテーマの記事が続いているので、あらためてその後の27本を追加したリストを作成しました。

 さまざまな情報を収集する中で試行錯誤を繰り返している過程を、有り体に記したものです。
 ご笑覧いただき、いろいろな分野からご教示をたまわれれば幸いです。
 
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「谷崎全集読過(21)『盲目物語』」(2015年02月03日)

「祝「日本盲教育史研究会」の公式ウェブサイト公開」(2015年02月01日)

「読書雑記(117)嶺重慎・広瀬浩二郎編『知のバリアフリー』」(2015年01月31日)

「お茶のお稽古の後に視覚障害者のことを想う」(2014年12月23日)

「学術交流フォーラムの音楽ワークショップで受けた刺激」(2014年12月21日)

「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」(2014年12月20日)

「読書雑記(115)大胡田誠著『全盲の僕が弁護士になった理由』」(2014年12月02日)

「テレビドラマ『全盲の僕が弁護士になった理由』を観て」(2014年12月01日)

「バリアフリーやユニバーサルデザインから学ぶこと」(2014年11月28日)

「読書雑記(114)三宮麻由子『目を閉じて心開いて』と『源氏物語』」(2014年11月25日)

「『月刊 視覚障害 11月号』に紹介された広瀬さんと私」(2014年11月05日)

「読書雑記(112)『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』」(2014年11月04日)

「第12回オンキヨー世界点字作文コンクールの表彰者」(2014年11月03日)

「自動車運転免許証を自主返納せずに更新する」(2014年11月01日)

「立川市中央図書館で聞いた視覚障害者への対応」(2014年10月29日)

「〈筆順・縦書き〉問題とパソコン業界の日本語放棄の潮流」(2014年10月24日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)」(2014年10月13日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その2/3)」(2014年10月12日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その1/3)」(2014年10月11日)

「筑波大学附属視覚特別支援学校訪問記」(2014年10月10日)

「日比谷図書文化館で『源氏物語』を読み始める」(2014年10月02日)

「知的財産権について考える」(2014年09月24日)

「私にも障害を持つ方のお役にたてることがあったのです」(2014年09月20日)

「江戸漫歩(87)霞ヶ関ビルで開催された総研大の教授会」(2014年09月19日)

「読書雑記(109)広瀬浩二郎のことば切り抜き帳(1)」(2014年09月18日)

「読書雑記(108)佐藤隆久著『日米の架け橋』への不信感」(2014年09月17日)

「視覚障害者と写本文化を共有する接点を求めて」(2014年09月15日)

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「日南町散策と写本を木に彫る相談」(2014年09月14日)

「日南町でハーバード大学本「須磨」を読む」(2014年09月13日)

「読書雑記(107)中津文彦『つるべ心中の怪 塙保己一推理帖』」(2014年09月03日)

「読書雑記(106)中津文彦『塙保己一推理帖 枕絵の陥し穴』」(2014年08月29日)

「視覚障害者が古写本『源氏物語』を書写できるか?」(2014年08月22日)

「京都府立盲学校の資料室(その2)」(2014年08月05日)

「京都府立盲学校の資料室(その1)」(2014年08月04日)

「京洛逍遥(332)京都芸術センターの中の前田珈琲」(2014年07月24日)

「読書雑記(104)中津文彦『塙保己一推理帖 観音参りの女』」(2014年07月16日)

「江戸漫歩(82)高田馬場の「日本点字図書館」へ」(2014年06月20日)

「京洛逍遥(322)京都ライトハウスにて」(2014年06月12日)

「目の不自由な方と写本を読むために(2)」(2014年06月05日)

「目の不自由な方と写本を読むために(1)」(2014年06月04日)

「早朝の地震の後、渋谷の温故学会へ」(2014年05月05日)

「西国三十三所(20)壺阪寺」(2010/10/20)

「【復元】縦書き & 横書き」(2010/4/21)

「【復元】点字本『源氏物語』(全3冊)」(2009/9/10)

「点字本『源氏物語』(その後)」(2009/9/9)

「インド人留学生の眼(2)「日本の常識の不思議」」(2008/12/3)

「心身(22)身体への不安」(2008/9/1)
 
 
 

2015年2月 8日 (日)

ウェアラブルコンピュータ「UP24」を身につけて

 現在私は、「UP24」という自分の睡眠、歩数、距離、消費カロリー、活動時間、非活動時間などの生活リズムを記録する腕輪を身に付けています。まさに、ウェアラブルコンピュータを装着した日々です。

 この使い心地と機能については、「京洛逍遥(326)三条河原町からバスで帰宅」(2014年07月06日)で紹介した通りです。

 今では、毎日送られてくる私の生活リズムに関するコメントを楽しみにしています。私の日々のデータを開発元である Jawbone 社が世界各国から届く日々のデータを分析し(?)、現在の私の記録や身体の状況を踏まえた(?)さまざまな意見や提案はもとより、到達目標もアドバイスしてくれるのです。
 例えば、昨日は次の3つのコメントが届きました。


(1)有用な趣味
 鉛筆を削りましょう。写真を撮りましょう。ギターをつま弾きましょう。創造的な趣味を持つ従業員は課外活動に手を付けるだけの人に比べてオフィスでの業績ランクが 30% 高いとサンフランシスコ州立大学が報告しています。

(2)朝の健康
 1日中元気でいられるように、卵やオートミールなどを食べてタンパク質と全粒粉を取りましょう。甘い菓子パンやシリアルは控えること。朝食に気を配るのは体に気を配ることと同じです。

(3)土曜日を有効に過ごそう
 週末がやってきました。1 週間前の 8290 歩を更新できるように、土曜日は挑戦あるのみです。時間を有効活用してください!

 (3)は、私が先週の土曜日に歩いた歩数が「8,290歩」であることを踏まえての、励ましのコメントとなっています。こうして送られてくるコメントやアドバイスは、相手を褒めることでやる気を起こさせる、ということに徹しているようです。

 それぞれのコメントのリンク先をたどると、Jawbone社のさらなる詳細なアドバイスを見ることができます。ただし、そこは英語のページなので、これが日本語になっているとおもしろいと思っています。
 こうしたサポートが、この商品のいいところだと思います。

 もっとも、アメリカでの生活者を対象としたコメントなので、日本にいる私にはピンボケのアドバイスが多いのはご愛嬌です。私の生活習慣はアメリカ化されていません。というよりも、「アメリカ抜きで考えよう」という考え方に同調した生活なので、異文化体験を日々していることになり、このコメントを楽しんでいます。

 この「UP24」は、アップルストアでも販売されているものです。
 しかし、「Apple Watch」が今年の4月に発売されると、こうした機能はすべて重複し、さらにアップルならではの多彩な活用が可能になるはずです。当然、この「UP24」は見劣りがすることになるのです。

 さて、「UP24」はあと2ヶ月で起死回生の変身ができるのか、非常に興味深いところです。
 
 
 

2015年2月 1日 (日)

祝「日本盲教育史研究会」の公式ウェブサイト公開

 インターネット上に、「日本盲教育史研究会の公式ウェブサイト」が本日より公開されました。


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 事務局長である岸博実先生から会員宛の連絡では、以下のように閲覧できないブラウザがあるとのことです。


現時点では、インターネットを閲覧するためのブラウザのうち、問題なく動作すると確認できているのはInternet Explorer、Mozilla Firefox、NetReader、スマホ、Safari(iPadのブラウザ)です。

私がチェックした範囲では、Google Chrome や Operaにおいては「HOME以外のコンテンツに移動できない」という問題が生じます。機能やコンテンツなどはすべて国際標準に基づいて作成していただいていまして、この現象が起きる理由はブラウザ側にあるのか、私のパソコンの設定にかかわるものと思われます。もし、同様のことが起きましたら、Internet ExplorerやMozilla Firefoxなどの利用をご検討ください。

 現在私が使っているマッキントッシュの環境では、「safari」と「Firefox」では問題なく閲覧できます。しかし、「Google chrome」と「Opera」では、確かに「HOME」以外のセクションに、今日の時点では移動できませんでした。
 最近、「safari」では不具合が多くて「Google chrome」で閲覧することが増えました。ただし、「Firefox」はめったに使いません。
 こうしたブラウザの問題は、ほとんどのマッキントッシュ・ユーザーは「safari」を利用していると思われるので、あまり問題ではありません。「Google chrome」と「Opera」については、もう少し様子を見ることにしましょう。

 とにかく、こうして「日本盲教育史研究会」の公式ウェブサイトが開設されたことは、みなさまの活動内容がわかり、関連する情報を収集することにおいても、非常にありがたい環境が提供されたことになります。
 このサイトのますますの充実を楽しみにしたいと思います。
 
 
 

2015年1月31日 (土)

読書雑記(117)嶺重慎・広瀬浩二郎編『知のバリアフリー』

 『知のバリアフリー 「障害」で学びを拡げる』(嶺重慎・広瀬浩二郎編/京都大学障害学生支援ルーム協力、京都大学学術出版会、2014.12)を読みました。私が現在抱え込んでいる問題意識に、多方面から知的刺激をもらえる本でした。


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 その問題意識とは、目の不自由な方々と一緒にハーバード大学本『源氏物語』が読めないか、というものです。
 普通の墨字が読めない方が、それも変体仮名など読めるはずがない、というのが一般的な反応です。しかし、私は可能だとの確信を抱いています。精神論ではなくて、具体的な感触としてそう思っています。そのための試行錯誤も始めています。

 今後は、その具体的な成果を少しずつ提示して確認しながら、牛歩のさまであっても、一歩ずつ前に向かって進んで行くつもりです。その意味からも、本書からは多くのヒントをいただきました。

 本書の目次の詳細は、「京都大学学術出版会のホームページ」で確認できます。

 巻頭には、触ってわかる触地図が2種類付されています。琵琶湖周辺の地図が、点図(凹凸の点線や点のパターン)とサーモフォーム(プラスチックシートの真空熱処理成形)によって、触る口絵となっています。次の写真は、サーモフォームの地図から、比叡山・京都駅・平等院の部分を抽出したものです。京都駅と平等院の位置を示す○の下に、点字で「きょーとえき」「びょーどーいん」と書かれています。中央を左右に走る太い波線は東海道新幹線です。


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 平面の高低や凸部のエッジが指に感触として伝わるので、筆で書かれた仮名文字の認識を課題としている私にとって、これを触るとイメージが拡がります。

 本書は、さまざまな方々が「障害」を切り口にして、大学などにおける実情をもとにした「障害学習」について語るものです。その内容は20人の方々の「物の見方や考え方」が、多岐にわたって展開します。聴覚障害に関する部分からは、古写本を触読する際に「音」が果たす役割を考えるヒントをいただきました。

 以下では、私がチェックした箇所を引用することで、これからあれこれ考えるための手控えにしたいと思います。
 多くのヒントが鏤められた本なので、課題にぶつかる度に本書を繙くことになると思います。
 


■「現在の学問体系は、ほとんど障害者の存在を前提にしないところで成り立っています。「障害学習」という新しい視座で学問の再構築を行い、その成果を社会に発信することが、21世紀における大学の役割ではないでしょうか」(嶺重、 ix 頁)

■「視覚障害者にとって日本史はハードルの高い学問分野です。点字使用者が自力で古文書を解読するのは不可能ですし、ボランティアも専門知識がなければ、史料を正確に点訳・音訳できません。古文書については、大学院の先輩に「チューター」という形で音読・パソコン入力していただき、どうにかこうにか論文を読み書きしました。」(広瀬、11頁)

■「皮肉なことに、本来、学生の理解を助ける手段である視聴覚教材を使用することが、障害学生に対する情報伝達をより複雑なものにしています。たとえば、ビデオを使用する場合、聴覚障害学生には、字幕の付与や内容の解説文が必要になります。」(佐野、25頁)

■「私は、「自分の出している音」がわからないことに最も悩みました。生活音の問題です。私の母は健聴者で、聞こえる人の立場から、聞こえない人がどう振る舞う必要があるのかを教えてくれます。そのアドバイスの中に、生活音に気をつけたほうが良い、というものもありました。聞こえない人は自分の出す音に無頓着になりがちだから、知らず知らずのうちに周囲の人に不快な思いをさせている場合もあるかもしれない、と。でも私は自分の出している音がどうしてもわかりません。一人暮らしを始めてしばらくの間は、どんな音が迷惑なのかよくわからず、家事ひとつにもひどく気を遣いました。」(岡森、53頁)

■「iOSやAndroidなどのモバイルOSではVoiceOverやTalkbackといったスクリーンリーダーが標準搭載されるようになりました。とてもすばらしいことです。アプリケーションの開発者がアクセシビリティに配慮して開発を行えば、障害のある人もない人も使えるアプリケーションを開発することができます。また点字携帯端末をスマートフォンに接続することもできます。これにより、点字携帯端末でスマートフォンを操作したり、メールやチャットなどを点字で読んだり書いたりできるようになります。」(石川、91頁)

■「昨日できないことを今日はできるようにしたい。今日わからないことを明日はわかるようになりたい。そういう気持ちをエンパワーするのがアクセシビリティなのです。」(石川、97頁)

■「「みんなと同じにできるように頑張ろう・努力しよう・鍛えよう」と考える前に、「自分なりに楽にできる方法はないか?」と一緒に考えます。「迷惑をかけないように」と考える前に「困ったときは周囲に頼んでみよう」と実際にやってみます。「できるだけ間違わないように」ではなく、合い言葉は「失敗は学ぶチャンス」、周囲も「転ばぬ先の杖を出さないように」だったりします。」(近藤、100頁)

■「ヘレンケラー・ホーンとは、画面をなぞる指の動きを察知して文字情報を得る電話なのでした。上下、左右の指の動きの組み合わせで点字を入力でき、スマホが点字のパターンに合わせて振動することによって、使用者は自分の入力を確認することができます。あっと驚く発想の転換です。」(嶺重、139頁)

■「アナログ的な情報の取り扱い、たとえば、古文書などもその例です。草書などで書かれた手紙などはまず読めません。その内容を知るだけなら、他人に読んで貰ったり、点訳して貰ったりすることで解決できるかも知れませんが、その文字をどう読むかが問われる場合には対応は不可能です。」(尾関、208頁)

■「私は、すべての視覚障害者に、とは言いませんが、希望する者には、漢字・漢文の教育が十分に与えられるよう希望します(高等部の選択科目で十分でしょう)。そのためには、点字で漢字を表現する方法を工夫する必要があります。現在、8点や6点の漢点字と呼ばれるものがありますが、この目的のためには不充分に思われます。」(尾関、211頁)

■「明朝体は、漢字の横線などに細い線が使われており、弱視の方には見えにくいのです。すべての線が同じ太さで、線と線がくっついているところ、離れているところがはっきりわかることが、読みやすいフォントの条件です。」(嶺重、219頁)

■「見常者(見ることに依拠して生活する人)中心の社会で視覚障害者が「健康で文化的」な日々を過ごすためには、苦労と工夫が必要です。苦労を克服(軽減)するのが「障害者史」、工夫を積み重ねるのが「盲人史」という発想になります。
(中略)
「同じ」を追求する進化が障害者史、「違う」にこだわる深化が盲人史につながっています。」(広瀬、234頁)

■「共活のポイントは、複数の基準を持つことです。「盲=目が見えない」は現代日本では否定的にとらえられており、少なからぬ盲学校が「視覚特別支援学校」に名称変更しました。公文書等では「盲人」に代わって「視覚障害者」が使用されています。それでは、「盲=視覚に依拠しないライフスタイル」と定義してみてはどうでしょうか。すると、「盲」のプラスの要素が浮かび上がってきます。」(広瀬、255頁)


 
 
 

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2015年1月23日 (金)

ご高齢の歯医者さんの信条

 いまだ歯と鼻が不調の中で、今度は電子メールが思わしくないのです。
 いずれも持病のようなものなので、それなりの対処をしながら収束するのを待つしかありません。

 そんな中で、あろうことか義歯が欠けました。舌が、欠けて空いた穴のエッジに当たって痛いので、歯医者へ行くことにしました。先週末、京都の烏丸御池の歯科に行ったばかりなのに……今は東京なのです。

 一昨年秋、スペインへ行く直前まで行っていた深川の歯科には、強い不信感を抱いています。治療と処置の仕方に我慢しきれず、紹介書をもらうが早いか、そこから逃げるようにして京大病院で相談し、さらに御池の歯科を紹介してもらいました。

 その深川の歯科に行くまでは、宿舎に近い黒船橋の袂にある医院に行っていました。腕がよくて人気のあった先生でした。しかし、若くして亡くなられたのです。7年前のことです。

 その後、先生のお父さんがすぐに引き継がれました。息子にすべてを譲られたはずが、再度孤軍奮闘の日々に身を置かれることになったのです。

 若先生が亡くなられた後、2年ほどは通っていました。しかし、ご高齢ということもあり、自然に足が遠のき、妻が行っていた深川の方へ行きだしたのです。その次の歯医者さんが私の歯の治療には向かないことは、すぐにわかりました。

 とはいうものの、お医者さんを変えることは、なかなか難しいものです。その決断のタイミングを誤り、ずるずると通うことになり、それがかえって被害を大きくすることになりました。
 そのせいもあってか、喋ったり食べたりする際には何かと不便な思いを、今も日々しています。

 さて、橋の袂の歯医者さんです。
 かつて私が息子さんのお世話になっていた時のことを、このお父さん先生は覚えていてくださいました。5年ぶりに診察を受けたことになります。内容は、欠けた歯の修繕ですが……

 治療をしながら、そして治療後にも、長々とお話をしてくださいました。昭和6年生まれだとのこと。私よりも20歳上で、今は84歳だそうです。とにかく肌艶がよくて、生き生きと話をなさいます。

 得難い貴重な内容の話だったので、30分が長くはありませんでした。
 14年前に奥様を、7年前に一人息子を亡くし、以来一人暮らしが寂しい、とポツリ。
 しかし、次の3つの生活信条を自分に言い聞かせるようになってから、今は日々が楽しいそうです。


(1)ひたすら前を見て生きる。
(2)愚痴を決して言わない。
(3)生かされていることに感謝。

 私も、これを見習います。

 帰りがけに先生は、また時間があったら話をしにおいでなさい、と声をかけてくださいました。
 お医者さまから、こんなお誘いを受けたのは初めてです。
 しかし、気さくで話しやすいし、おもしろい話題をたくさんお持ちのようなので、それではまた、と言ってドアを押しました。
 
 
 

2015年1月20日 (火)

抱え込んでいた疲れが弱い所に出た?

 今、7種類もの薬を飲んでいます。
 消化管と血糖値と副鼻腔に関係する薬です。
 私が一番弱点とするところを、これで治癒しようという対処策です。

 食事に気をつけているので、というよりも妻の配慮があるために、体調としては良好です。しかし、体調を気づかっているようでいて、その実、自覚に欠けるせいもあり、元気ではあっても何かと無理をしていることは明らかな日々に違いありません。

 食事中に突然食べ物が喉を通らなくなったり、寝起きの逆流性食道炎はよくあることです。
 主治医によると、これは消化管を全部摘出したのだから、どうしようもないことなのだそうです。
 それに慣れるしかないようです。

 そんな私の周辺では、インフルエンザに罹った、罹っている、という方が何人かおられます。
 いろいろな病気を患う私であっても、このインフルエンザだけは経験がありません。幸運と言うべきなのでしょう。

 2週間前に、遅ればせながら、念のためにインフルエンザの予防接種を受けました。自分のためというよりも、他人に迷惑をかけないためです。

 その際、鼻がグスグスしていたので、吸引と吸入をし、抗生物質をもらいました。
 ところが、その後に意外な展開が待っていたことは、「江戸漫歩(94)歯の激痛を堪えながら有楽町と明石町へ」(2015年01月11日)に記した通りです。

 先週末に京都に帰ると、すぐに烏丸御池の歯医者さんの所へ行き、東京での顛末を伝えました。

 いろいろと調べてもらった結果、やはり歯はどこも悪いところはないそうです。レントゲンを見ながら、副鼻腔に溜まった液体が今回の原因と思われるとのことでした。すぐに耳鼻咽喉科へ行くことを勧められました。

 近くの医院を紹介できるとのことでした。しかし、京都だとこまめに通院できません。
 先日、インフルエンザの予防接種を受けたのが宿舎に近い佃島にある耳鼻咽喉科だったので、翌日すぐに上京して診てもらいました。

 案の定、副鼻腔炎でした。
 もう27年前のことになります。大阪赤十字病院で副鼻腔の大手術をしました。『データベース・平安朝日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』(同朋舎)は、この入院中に仕上げた仕事です。ベッドの上で、表紙や本のカバーのデザインを考えました。
 私の最初の研究書である『源氏物語受容論序説 —別本・古注釈・折口信夫—』(桜楓社)の索引も、この病院のベッドで作成しました。
 そして、入院中に伊井春樹先生から『源氏物語別本集成(全15巻)』の刊行直前ということもあり、何度か打ち合わせの電話がありました。まだ携帯電話などない時代です。先生からかかってきた電話を、看護婦さんたちの部屋(今で言うナースセンター)で受け、薄暗い廊下で受話器のコードを目一杯に引っぱってお話をした記憶が懐かしく蘇ります。
 あの大手術は、私にとっては充実した日々の中での出来事だったのです。

 毎年、春先になると、風邪に似た症状に見舞われます。内科に行くと、花粉症の季節ということもあり、鼻の対処療法を受けてきました。しかし、どうやらその根源には副鼻腔のトラブルが伏流していたのです。
 何となく、予感はありました。しかし、いつかまた、ということで、本格的な対処は考えないようにしていたところがあります。

 体質的に、身体の不調は大事に大事に抱え込んでいるようです。
 そんなことを繰り返して何十年も来たので、副鼻腔もそろそろ悲鳴を上げはじめたようです。

 今回も大事に至る前に、自分の身体をごまかさない対処をして、しっかりと治したいと思っています。
 これまでも、早め早めの対処で生き延びてきたのですから。
 家族からは、病院大好き人間、と言われています。
 何か身体に変調があると、すぐに病院へ行くからです。
 「病院は私にとってのオアシスです」と言うと、また家族から「いってらっしゃい」と言われそうです。
 
 
 

2014年12月22日 (月)

ツキのなさは幸運の前兆だと思うことに

 先週のことです。
 学術交流フォーラムの初日が終わり、民博からの帰りはバスを使って、ホテルがある茨木駅に出ることにしました。
 ところが、時刻表の土曜日の欄にあったバスは、予定の時間に来ないままに、その次のバスまで雨の中を待たされました。

 宿泊予定のホテルの住所は、茨木市駅前●丁目でした。そこで、乗ったバスがまず止まったJR茨木駅ではなくて、終点の阪急茨木市駅で降りました。
 ところが、駅から1分のはずのホテルがなかなか見当たりません。やがて、ホテルは阪急茨木市駅ではなくて、先ほど通過したJR茨木駅にあることがわかりました。「茨木市駅前」という住所に振り回されたのです。
 ホテルの住所は、「茨木市駅/前」ではなくて「茨木市/駅前」と切るようです。

 阪急茨木市駅からJR茨木駅へ戻るのに、バスは渋滞でかえって時間がかかるとのことです。運動にもなるので、15分ほど歩いてJR茨木駅まで戻りました。
 途中に、電飾で飾られた小川がありました。これも、LED電球の恩恵なのでしょう。


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 どうにかJR茨木駅前のバス停がある広場に行くと、ホテルは賑やかなほうではなくて、線路を渡った反対側だったのです。JRの高架下を潜り、陸橋を渡って迂回し、どうにかホテルにたどり着きました。後で地図を見ると、無駄な道草をしていたことがわかりました。

 民博を出てからホテルまで、3時間弱が経過していたのです。東京から京都まで移動できる時間です。

 ホテルの場所を、事前にインターネットで調べておけばよかったのです。しかし最近は、何でもネットに頼り過ぎる風潮を自ら断ち切るために、自分の感覚を磨く意味からも、自力で物事を探すことを心がけています。それが、裏目に出たようです。しかし、この遠回りも、今は楽しく思い返しています。自分のカンを磨く良い訓練になりました。

 ホテルでは、部屋からインターネットがつながりません。無線 LAN の設備がなかったのです。事前の情報では「インターネット完備」となっていました。しかし、このホテルはLANケーブルでしかネットに接続することができません。

 私のパソコンは、そうしたレガシーデバイス用の端子がないのです。USB接続のLANコネクタを持ち歩いていたのは、もう7年前までのことです。今どき、無線LANがないとは。
 海外から来た人が、日本は街中を含めて無線LANが未発達だとおっしゃいます。たしかに、日本が大きく立ち後れて後進国となっているのは、国内の無線LANの環境が未整備状態ということのようです。

 結局、手持ちのiPhone でネットにつなげました。ただし回線速度が遅くて、なかなか読み書きができず、精神衛生上はあまりよくありません。
 Wi-Fi の電波を探すと、2階のクローゼット内に「AirMac」がある、と画面に表示されます。しかし、宿泊客には開放されていないようです。

 もっとも、最近は悪意のサーバーが至る所にあるそうです。個人が仕掛けた、パスワードや情報を盗み取るための引っ掛けサーバーとは知らずに、つい自動でつなげてしまって後で後悔することが頻発しているそうです。
 そのことを思うと、自分のiPhone でテザリングによってネットにつなげるのは、意外と安全な方法だったとも言えます。

 食事も、駅の周辺なのに飲み屋さんしかなくて困りました。駅の反対側に渡れば、私が食べられる何かがあるかもしれません。しかし、疲れて来たので、コンビニでおかずを買って部屋に戻りました。

 2日目は音楽に関するワークショップに参加しました。
 レクチャーと演奏の合間に、ミュージアムショップで一冊の本を買いました。ところが、販売員の方がクレジットカードの処理に慣れておられなかったのか、なかなか終わりません。そうこうする内に次の演奏が始まったので、後で来ますと言って自分の席に戻りました。

 次の休憩時間に行くと、処理が終わっていて、領収書にサインをしました。ところが、消費税が入っていなかったとのことで、再度手続きをされます。しばらく待たされてから、先ほどの取り消しのためのサインと、新しい領収書のサインをさせられました。最初の金額が取り消されているかどうか、来月の明細書で確認してほしいとのことでした。

 何やら、来月は2冊分の請求が来そうな予感がします。後日また揉めそうです。証明になるからと、取り消しした分のマイナスの金額が記された領収書を渡されました。これが証明になるのか疑問です。とにかく、ツイてないときは、こんな些細な煩わしさが身に振りかかります。

 民博からの帰りも、不運に出くわしました。

 バスに乗って駅まで行こうとしたら、信号待ちしていた目の前をバスが通過して行きました。寒い中を15分待つことになります。バスに見捨てられた直後だけに、じっと待つのも釈然としません。
 それではと、すぐ目の前にあるモノレールに、少し引き返して乗ることにしました。
 改札口では、ちょうど今来ます、とのことでした。しかし、ホームに上がると放送があり、列車の点検のために遅れます……と。

 旅につきものの思わぬ出来事に、この2日間で立て続けに襲われました。たまたまなのでしょう。しかし、それが旅行先でのことなので、ツキのなさへの思いが増幅されます。

 そうであっても、結局は事故にも遭遇せず、身体は何ともないので、運が良かったと思うことにした方がいいようです。
 何事も、前向きに思うように心がけることにします。
 
 
 

2014年11月 5日 (水)

『月刊 視覚障害 11月号』に紹介された広瀬さんと私

 視覚障害者支援総合センターの星野敏康氏が、『月刊 視覚障害 —その研究と情報—』(2014年11月、No.318)に執筆された記事を紹介します。

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 星野氏とは、10月11日に開催された日本盲教育史研究会の懇親会で初めてお目にかかりました。
 今回「特集…盲教育史の拡充と深化へ 内容豊富の研究会」と題して執筆された記事は、当日の研究会の様子を非常によく再現したものとなっています。

 当日のことは、私なりの視点で以下の報告をしました。しかし、所詮はこのテーマに取り掛かったばかりの新参者がまとめたものです。
 その意味でも、ご専門の星野氏がまとめられたものには遠く及びません。

「日本盲教育史研究会に参加して(その1/3)」(2014年10月11日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その2/3)」(2014年10月12日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)」(2014年10月13日)

 あらためて、星野氏の記事のご一読をお薦めします。
 こうした記事は、当日参加できなかった方に留まらず、参加した私にもその日の内容を再確認する意味で、有益な情報であり記録となります。

 その記事の中で、中盤に広瀬浩二郎さんの講演の詳細な紹介が、「触常者と見常者」という小見出しでまとめてあります。
 さらにはその末尾で、広瀬さんの講演の最後に飛び入りで私が喋ったことも、的確に紹介してくださっています。

 これから私が取り組もうとしていることを、専門家の目で客観的にまとめていただいているので、以下に引用させていただきます。
 


 自身の講演の後には、国文学研究資料館教授の伊藤鉄也氏を紹介。伊藤氏は国文学、特に『源氏物語』が専門で、視覚障害者にも変体仮名を読んでほしいとのアイディアを披露した。変体仮名は、ほとんどの日本人が読めなくなってしまっているが、それなら視覚障害者も晴眼者も条件は同じではないかというのが伊藤氏の発想だ。国文研は現在30万点にも及ぶ古典籍のマイクロフィルムや画像データベースを収集・保存しているが、視覚障害者には全く活用されていない。膨大な資料を点字化するのは現実的ではないし、また変体仮名の特徴である異体字などは、現在の点字の体系では表現できないからだ。まだスタートしたばかりのプロジェクトで、変体仮名の触読までには乗り越えるべき障壁も少なくないが、来場者の注目も高く、広瀬氏も「次の記念講演のテーマが決まりましたね」と後押しをした。

 
 このプロジェクトについては、これから機会を得て実際に活動を始める予定です。
 本ブログでも、視覚障害者に関する話を記事にすることが多くなると思います。
 それは、新たにこうしたテーマに取り組み出したからです。
 さまざまな分野の方からのご教示をいただきながら、自分なりのテーマの設定を実現すべく、手探り状態ながらも前に進んで行きたいと思っています。
 
 
 

2014年11月 4日 (火)

読書雑記(112)『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』

 足立洋一郎著『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』(静新新書 046、静岡新聞社、2014年7月)を読みました。


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 本書は、過日参加した日本盲教育史研究会の会場で入手したものです。
 著者の足立氏は静岡県立浜松視覚特別支援学校の先生で、当日の研究会では「日本のヘレンケラー 小杉あさ」と題して本書を補足する研究報告をなさいました。

「日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)」(2014年10月13日)

 私の勉強が追いついていないので、その時の小杉あさのお話は、興味を掻き立てるだけに留まっていました。今回『愛盲』を読み終えて、あらためて人の一生の重みを知りました。
 以下、思いつくままに本書について、読書記録を残しておきます。

 表紙下部の赤色の部分には、次のように本書の紹介文が記されています。


静岡県の盲教育と、視覚障害者福祉に人生を捧げた
「日本のヘレン・ケラー」小杉あさ。中途失明に苦しみ、時代に翻弄され
ながらも視覚障害者の教育に尽力し続けたあさの一生を辿りながら、
静岡県の盲教育とその黎明期に生きた熱い想いの人々を描く。

 小杉あさは、明治33(1900)年6月に東海訓盲院に入学します。19歳の誕生日だった4月29日に完全に失明したあさは、その2ヶ月後に入学したのです。

 私のメモによると、ちょうどその明治33年に、平安時代から続く平仮名のうち、小学校令施行規則の第一号表に48種の字体だけが示されています。以後この平仮名が公教育において教えられるようになり、一般に普及して現在に至っています。

 小杉あさは、この現行の平仮名が普及する時に合わせたかのように、正式な教育を受け始めたことになります。中途失明であっても、あさがどんな方法で文字の読み書きをしたのか、興味深いところです。

 学校での授業の様子が、『静岡盲学校八十年誌』に掲載されたあさの語りとして、本書に引用されています(34頁)。
 それによると、教師が『国定教科書』を読みあげるのを聞いて、それを生徒は点字で書写して自分用の教科書を作っていたようです。

 また、石川きくの回想談を引いて、著者は次のように言います。「古今集や新古今集の点訳」などのことばが目を引きます。太字は私に施したものです。


あさの先輩石川きくは「校舎も無く寄宿舎で畳の上に坐して、読み書きを致すと云ふ貧弱な窮屈なことには成りましたが内容は全く此れとは違つた華やかな時代で生徒は漸次其数を増加し、豊かな情操教育を授けられまして、古今集や新古今集の点訳を始め名家の美文を写しては出来ぬながらに、それを手本として第一、第三の日曜日は文学会を開き、作文や試作(ママ)をして先生方の批判を頂きました」と当時を振り返っている(『盲唖の黎明』、以下『黎明』)。
 古典の点訳や素読は尋常科の国語の授業で指導されたのだろうか。それをもとに第一、第一日曜日には文学会が開かれ、詩作などが盛んに行われた。教室もなく狭い寄宿舎といえど、生徒たちは深奥な古典の世界に浸り、果てしもなく大きな思索の世界に踊った。貧しい環境とは裏腹に、そこには豊かな教育があった。(38、39頁)

 盲学校と聾唖学校を分離させるため、苦悩の歴史を歩む小杉あさの姿も、印象的に語られています。この違いは、大事なことであることを教えられました。また、中途失明者の悲哀と苦悩に想いを寄せる姿も感動的です(86頁)。

 あさは、多くの人々に支えられて生きたのです。そして、支えられたということは、それだけ人を支えたと言うことでもあります。信念というものの大切さが、行間から伝わってきました。

 点字は、1825年にフランスのルイ・ブライユが考案しました。当時パリでは、浮き出し文字で授業をしていたようです。しかし、その困難さから、軍隊用の夜間文字だった12点の暗号をもとにしながら、ブライユは6点の点字に進化させたのだそうです。ただし、それがフランスで公認されたのは、1854年でした。

 このブライユの6点点字が、日本では小西信八を経て石川倉次へ研究が依頼されました。最初は8点による点字を考えました。しかし、また6点にもどり、今の日本点字の翻案となります。明治23(1890)年のことでした。

 なお、点字のことを英語で「ブライユ(Braille)」と言うのは、人名ブライユに由来するものです。また、6点すべてを使った点字を「め」としたのは、石川の熱い思いからだそうです。
 こうした裏話にも、人々の生きざまが反映していて興味を抱きました。

 当時の仮名文字研究会が点字の考案に役立っていたことは、私自身でさらに詳しく勉強したいと思います。

 本書には書かれていない、さらに多くの困難があさにはあったはずです。それを前面には出さずに構成し再現されたあさの自画像が、この一書に結実しています。
 私は静岡県の人脈が持つ人の温かさも感じました。東海訓盲院の存在は、本書が描き上げた施設の意義を越えて、それ以上の価値を教えてくれました。

 なお、補論の「ヘレン・ケラーの来静」に「来日したヘレン・ケラーは準国貧級の大歓迎を受けた。」(156頁)とあります。再版の際には「国賓」にしてください。駄弁とは知りつつ、最後になって誤植に出会い、本書の意義と著者の篤い思いを理解できただけに、この1文字で印象が変わることがもったいないと思いましたので。妄言多謝。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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