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2014年11月 3日 (月)

第12回オンキヨー世界点字作文コンクールの表彰者

 昨日の「毎日新聞」に、第12回オンキヨー世界点字作文コンクールの入賞者の発表がありました。最優秀オーツキ賞は山本裕子さんの「点字でしゃべる」でした。今月13日に大阪で表彰式があります。

 毎日新聞は、1922(大正11)年から週刊点字新聞「点字毎日」を発行しています。もう87年にもなるのですから、今も発刊し続けている意義は大きいと言えます。

 この「点字毎日」は、毎日新聞大阪本社が拠点となって作成されています。新聞紙面を点字にしたものではない情報誌だそうです。A4判60ページの「点字毎日」は、1年2万円、半年1万円(非課税、送料無料)となっています。
 私は点字が読めないので、受け売りの情報を羅列するだけで申し訳ありません。過日、日本に点字が創案された時代のことを調べていて、この情報メディアのことを知りました。

 毎日新聞のウエブサイト「点字毎日」に、その歴史が詳細に記されています。

 また、「点字と点字毎日に関する主要年表」も便利です。

 「オンキヨー点字作文コンクール」は2003年から取り組まれているものです。「異文化コミュニケーション」の輪が年々拡がってるようです。

 さて、毎日新聞社「点字毎日」が共催する世界規模の点字作文コンクールの名称は、「オンキヨー世界点字作文コンクール」(厚生労働省、日本盲人福祉委員会、毎日新聞東京・大阪・西部社会事業団、オンキヨーエンターテイメントテクノロジー(株)後援)です。今回、この第12回で最優秀賞オーツキ賞を受賞されたのは、山本裕子さんの作文「点字でしゃべる」でした。非常にウイットに富む印象深いものです。国内170編から選ばれたのです。

 視覚障害者を支える側の作品として、今回新設された「サポートの部」の優秀賞は、関場理華さんの「点字百人一首への挑戦」でした。これは、日本の古典文学と遊技がかみあった、競技としての『百人一首』の今後の展開が楽しみになる内容でした。

 ウェブに山本さんの「点字でしゃべる」が掲載されているので、その全文を引用します。
 視覚障害に関する文章などの頒布は著作権が緩やかなので、問題がなければこのまま本ブログで流し続けます。もし問題があるのであれば、ご指摘いただければ早急に対処をいたします。


 手のひらと指先のぬくもり

 私が目の前の人とコミュニケーションをとる時に使う手段は複数あります。まずは「音声」。これは普通ですね。ただ私の場合には補聴器を使ったうえで静かな場所を選び、1対1ではっきりゆっくり発音してもらわなければ聞き取ることができません。実用的なのは手のひらに指で墨字を書く「手のひら書き」、ふせた両手の指の上を点字タイプのキーに見立てて点字を打つ「指点字」です。

 私は視覚に障害があり、そのうえ進行性の聴覚障害(感音性難聴)を持つ、いわゆる盲ろう者です。ここのところ主人がにわかに「指点字」に興味を示してくれました。マイブームとでもいうのでしょうか。握った車のハンドルに「アイウエオアイウエオ・・・」と、信号待ちのたび繰り返し打って覚えたそうです。太い無骨な指は「アイウエオ」、この5文字をおぼえるのに2日かかりました。その後は順調に進み、この1週間で50音のうちア行からマ行、それとラ行が終わりました。

 「わあ、お父さん、もうちょっとで50音、全部覚えられちゃうね」。私は主人をたいそう大げさに励ましました。濁音、撥音(はつおん)、拗音(ようおん)、特殊音、数字にアルファベットと先はまだまだ長いことには……もうしばらく触れないでおくつもりでした。なぜって、気持ちがなえてしまわないように。覚えてもらうためにはこちらも気を使うものです。

 先日、ショッピングセンターのフードコートでお昼を食べることにしました。「ねえねえ、何にしたの?」。私は両手の手の甲を主人の前に出しました。

 「……」なぜだかひと文字も打てない様子です。くんくんと私はにおいの手がかりを探しつつ、手をひっくり返して手のひらの側で尋ねました。よりにもよって「ビビンバ丼」を注文してしまったとのこと。濁音も撥音もまだ教えていませんでしたから、どうりでひと文字も打つことができなかったというわけです。

 難聴の進行のため、ここ数年は補聴器をしてどんなにゆっくり話してもらっても電車やバスの中、スーパーやレストランではほとんど聞き取ることができなくなりました。私が何度も何度も聞き返すと主人は何度も何度も同じことを繰り返し言わなければなりません。そのうえ自分の発した声が聞こえないと音量の調節が難しく、私は大きすぎる声で答えてしまうことがあります。主人はそれが恥ずかしくて人前で話しかけなくなってしまいました。妻の手を取らなければならない「手のひら書き」も、どうも周囲の目が気になるようで外ではしてくれませんでした。

 その点、子供たちには心理的な抵抗感はないようです。もっとも「手のひら書き」については、漢字の書き取りを目で見てやることができませんので、小学校入学以来ずっと私の手のひらに書かせてチェックしていたということもあると思います。

 また彼らは指点字に興味を持つと、あっという間に覚えてしまいました。新たなコミュニケーション手段を「音声で話すよりも容易に通じる便利なもの」とごく自然に受け止めてくれました。今では義父母や近所の人と話す時には通訳を買って出てくれます。子供のことですから、あくまでも気まぐれにですが。

 ここにきて主人が外でも「手のひら書き」をしてくれるようになりました。不思議に思っていた矢先、今度は「指点字」を覚えようというのです。これまでも私は目のつきそうなところにさりげなく、かつあからさまに点字の一覧表を置いておいたりしてきましたがそれを一切無視してきた主人がです。なぜ今突然に「指点字」なのでしょう。

 進行に順応できず戸惑い悩むのは、実は本人以上に周囲の家族だったりします。本人は寄せくる大きな波にのまれまいともう必死ですから、いざ前に進むことを決意したら躊躇(ちゅうちょ)したり考えたりしている余裕はありません。

 思えばずっと主人を苦しめてしまっていました。今ようやくその苦しみから抜け出し、さらにもう一歩踏み出そうとしてくれているのです。

 お父さん、今までいつも隣にいてくれてありがとう。子供たちは成長し、ふたりとも中学生になりました。母親に対して口を開くのが億劫(おっくう)になってきたようで少し寂しく感じていたところです。これからはお父さんの手に触れて言葉を聞き、お父さんの目に映る情景を感じながら日々をともに過ごしていけることを楽しみにしています。たくさんおしゃべりをしましょう。そしてたくさん笑いましょう、いつまでも。

 同じ趣旨で、「サポートの部」で優秀賞となった関場さんの「点字百人一首への挑戦」も引用します。これは抜粋が公開されています。これも、引用に問題があれば対処する用意があります。


 広がる笑顔の輪

 「春すぎて 夏来にけらし 白妙の〜」。上の句が読み上げられるのと同時に選手の手が一斉に点字が付いた百人一首の札の上を走る。「はい」。70代女性の声に一同どよめく。「また取られちゃった」と主婦が悔しそうに言えば「次こそ取るぞ!」と若者の声。

 ここは東京・高田馬場にある新宿区社会福祉協議会・視覚障害者交流センターだ。新年会で催されたのが「点字百人一首のデモンストレーション」。発案者は全盲の友人と私。友人も子育て真っ最中、私の子供も全盲だった。その友人が話し始めた。「子供たちが学校に行くと、お正月に百人一首のカルタ大会があるでしょう。一度親子で見学に行ってビックリしちゃった。読み手の声に耳をすます静寂感。一瞬で勝負がつく緊張感。あれを点字の札でできないかしら?」。私の子供も授業で百人一首に取り組む前だったので、よし! 取り組んでみようと決めた。

 調べるうちに「五色百人一首」という、小学校で活用されている用具を知った。枚数は1回戦につき20枚。レベルごとに分けられ、最初のレベルには有名な歌など、百人一首をよく知らなくても対戦でき札を取る喜びが味わえる。

 「これだ!」。近所の100円ショップで材料を買ってきて枠を作った。次は我が家の子供たちで実験だ。全盲対晴眼になるので「点字使用者は試合開始5分前に自分の作戦で札を並べて良い」というハンディを付ける。結果は互角。ビックリした! でも百人一首の特性はそこにあった。記憶力も問われており、上の句を読む間に早く下の句を思い出せれば札を取ることができるのだ。

 「これは面白い!」。体験した人は口々に褒めてくれた。ところが問題が。「点字百人一首」は売っていない。私が手作りできる数にも限界がある。冒頭の視覚障害者交流センターの職員の方に声を掛けられたのはそんな時だった。「絶対に喜ばれますよ。見えない人も見える人も楽しめる。社協に登録している方々の力を借りましょう」と呼び掛けてくださった。ボランティアの方と全盲の使用者の打ち合わせが始まり、2カ月後には試合用のセットが5組もできた。私1人の力ではここまで来られなかった。地域の力、専門家や当事者の助言、何より参加した方々の笑顔が大きく実った。仲間を広げ、この輪を大きくつなげてゆきたい。(抜粋)

 なお、作家の玉岡かおるさんの「選評」も、毎日新聞に掲載されています。
 これは応募作全般に関するものなので、冒頭部分のみを引用します。
 視覚障害者(触常者)と文字に関して、その意義を再認識する視点で語り始めておられる部分です。


 選評 指先から伝わる文字の力

 人類が生み出したツールで、もっとも功績が大きかったのは文字であろう。文字に書き記すことで、相手が知らない、気づかない世界を伝え合える。その意義の大きさを、今回ほど痛切に再認識させられたことはない。見える文字はなくとも、指先で触れる小さな点字により、これほども多様な体験や思いが表され、伝わってこようとは。
(下略)

 参考までに、「その他の入選者(敬称略)」についても記録として残しておきます。
 ここでは、年齢を外しています。

 【国内】
「優秀賞」千葉県、中村和子
「佳作」沖縄県、上地翔子
学生の部「優秀賞」栃木県立盲学校・大久保春佳
 同 「佳作」兵庫県立視覚特別支援学校・石井千月呼
 同 「特別賞」(小・中学生対象)大阪府立視覚支援学校・辻本麗美
サポートの部「佳作」東京都、中山敬
 同 「特別賞」静岡県、斯波千秋▽大阪府、加治川千賀子

 【海外】
「優秀賞」WBUAP=ドロシー・ハミルトン(オーストラリア)▽アダム・プラタマ・プトラ(インドネシア)。
 ABU=ニマル・ジャヤラトゥナ(スリランカ)▽サミーナ・ゼフワク(アフガニスタン)
 EBU=ジュセフ・ズブラネック(スロバキア)▽ブランドン・C・ハルクープ(イギリス)
 WBU−NAC=デボラ・ケンドリック(アメリカ)▽クリスティン・スティール(同)
 
 
 

2014年11月 1日 (土)

自動車運転免許証を自主返納せずに更新する

 職場のすぐ近くにある立川警察署で、運転免許の更新をしました。
 以前、車を手放した時から、免許証の返納について意識していました。

「車のない生活へ」(2008/2/13)

 それが、しだいに決心に変わりつつありました。

「心身(12)運転免許を返納するタイミング」(2008/3/18)

 それから1年半後の切り替えの時には、迷いながらも返納はせずに更新しました。
 そして5年が過ぎて、また思案の免許証更新の時期となりました。

 今回は、あまり迷うことなく更新しました。2年半後に東京の荷物を京都へ運ぶことになることと、我が家では私以外に誰も運転免許証を持っていないからです。
 京都に転居を終えた後の次の更新時には、心置きなく返納しているはずです。あるいは、京都に帰ってすぐの3年後には返納しているかもしれません。

 さて、警察署で更新手続きをしている時のことです。

 私の前で視力検査をしておられた女性は、メガネをかけながらも、ほとんど見えないようです。
 丸の一箇所が切れている図を、両目で見る検査です。上下左右の4つしか答えはないのに、いつまでたっても正解を言えないようです。検査官の方も頭を抱え、何度も「これはどこが切れていますか?」という質問を、根気強く延々と、しだいに自棄気味に繰り返しておられました。

 確率は4分の1なので、でたらめでもいつかは当たるはずなのに、それがうまく外れているようです。気の毒なほどの光景でした。それにしても、聞こえてきた内容では運転をしているとのことなので、何とも恐ろしいドライバーです。

 私の順番が回ってきても、隣でずっと検査官の方とやりとりをしておられました。
 私は、下、上、下と、3つ答えて終わりました。

 2冊の交通教本をいただき、別室で安全運転の講習を受けました。


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 その講習の中で、いくつかの新しいことを知りました。


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 免許証の自主返納に伴い、運転経歴証明書の交付申請期間が、これまでの1ヶ月以内から5年以内に延長されたそうです。大幅な規定の緩和です。

 また、聴覚障害者が運転できる車輌の種類が増え、さらに「聴覚障害者マーク」ができていました。身体の不自由な方に対して、一律に規制するのではなくて、その不自由さの状況に応じた対応をすることは歓迎すべき変更だと思います。

 加齢と身体の状況を睨みながら、その制度の運用には、慎重さと柔軟さをうまくブレンドしていくべきでしょう。運転する人には厳しく、しない人には優遇処置をと、さらに検討を進めてほしいと思いました。
 
 
 

2014年10月29日 (水)

立川市中央図書館で聞いた視覚障害者への対応

 先週日曜日に、立川市中央図書館で『源氏物語』のお話をしたご縁で、視覚障害者(以下、触常者)の担当部署にいらっしゃる職員の方に、本日、親しくお話を伺うことができました。


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 先週は、同じ部署の斎藤さんに、図書館の3階にある点字室と録音室を見せていただいていました。今日は、その時にお目にかかれなかった、福島さんと早坂さんに、長時間にわたりお話を伺えました。
 夕方から夜にかけて利用者が多いお忙しい時間帯に、私の頭が満杯になるほど、貴重なご教示をいただきました。ありがとうございました。

 以下、伺ったことを忘れないうちに書き留めておきます。
 知り得たことがあまりにも多いので、未整理で順不同です。今はまだ、障害のある方々について勉強中です。その過程での備忘録であることを、お断りしておきます。

 立川市中央図書館の入口には、2本の白杖があります。


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 この使い方を、まず教えていただきました。手元のスイッチを入れると、フロアに埋め込まれたセンサーと同期して、現在いる場所を天井から声で教えてくれるのです。


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 こうした設備が、全国の図書館にどれだけ普及しているのか、今はわかりません。触常者は各自がご自分の白杖を持っておられるし、1人ではなく身内の方やヘルパーの方と一緒に来館されることが多いので、その利用効果は不明です。しかし、施設内を独りで行動する場合には、役立つはずです。

 この立川市中央図書館で、パンディキャップサービスの利用登録者は80名ほどだそうです。利用できるのは、原則として立川市に在住・在勤・在学している方だけです。登録しただけの方がいらっしゃるとしても、予想したよりも多いと思いました。

 実際の利用者は、高齢者が多くて若い人は少ないようです。デジタルのオーディオやビジュアル機器が家庭や個人に普及した今、障害のある方が図書館を利用する役割に思いを巡らせました。生活環境がデジタル化により激変しています。若者の図書館利用についても、今後とも考えていくことが多いように思えます。
 そんな実状もあり、利用される図書資料は、高齢者が好む池波正太郎や平岩弓枝等々、時代小説が中心となっているようです。

 収蔵されている録音資料としてのカセットテープやCD―ROMは、郵送による貸し出しもされていました。第4種郵便なので、往復共に無料です。職員による自宅への宅配もあるようです。


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 CD―ROMの音源はMP3であり、SDカードで保有する図書館もあるそうです。録音メディアは今の時代に対応しつつあるようです。音楽プレーヤーやスマートフォンの普及を見ると、当然のことなのでしょう。

 点字図書、録音図書などの貸し出し以外に、リクエストに応えられる希望図書がない場合には、新たに図書館として作成したり、全国の公共図書館から取り寄せておられました。この図書館で作成されたCD—ROMが多数あることには感動しました。地域のボランティア組織などが、リクエストに応じて録音や点訳を積極的にしておられるのです。この地道な努力は、もっと多くの方々に知ってほしいと思いました。

 そんな中で、棚に『源氏物語を読み解く100問』(伊井春樹著、NHK 出版)を朗読してCD—ROMに収録したものがありました。こんな形で伊井春樹先生のご著書に出会えるとは。


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 この本が刊行されたのは源氏物語千年紀の2008年です。録音されたのは2009年なので、ちょうど伊井先生が国文学研究資料館の館長をなさっていた時期にあたります。まだ著作権が改訂される前なので、録音の承諾については NHK 出版の担当部局に行かれたとの記録も見せていただきました。
 このことを伊井先生がご存知なのか、今度お目にかかった時にでも伺ってみます。

 さらに棚には、与謝野晶子の『源氏物語』や、林望さんの『謹訳源氏物語』もありました。


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 林望さんは、国文学研究資料館がイイノホール (東京都千代田区内幸町2-1-1)で開催する明後日の11月1日・古典の日のイベントで、「紫上をめぐって」と題して講演をなさいます。もしお話をする時間がありましたら、このことを話題にしてみたいと思います。

 まだ文学に関する視聴覚情報を収集し出したばかりです。古典文学に関する点字図書や録音図書が少ないのは仕方がないにしても、その現状だけでも整理して確認しておきたいものです。

 字書や辞書につていも、触常者はどのようにして言葉を調べておられるのか、まだ私にはよくわかりません。多くの若手の触常者は、ネットを使って言葉の意味を調べておられるのでしょうか。

 ハーバード大学本『源氏物語』を一緒に読もうとしている私は、変体仮名の字書と、簡単な古文の解説書が必要だと思っています。併せて、古語辞典をどうするのか等々、いろいろと自分への課題が浮上してきました。一つずつ解決していきたいと思います。

 なお、中央図書館には、対面朗読もあります。
 ただし、3日前までの予約で1回2時間、というのは、録音図書を自宅で利用することと比べてどうなのでしょうか。対面ということで、読み手との会話の意義はあっても、読書の原則は一人静かに読みふけるのが楽しい、と思う私には、録音図書を選んでしまいそうです。もっとも、目が見えない日々を思うと、対面朗読の利点をもっと理解すべきかとも思います。まだ、今の私には不勉強のためもあって、そのあたりの様子や違いが実感としてはよくわかりません。

 録音図書については、日本点字図書館がシステムを管理し、全国視覚障害者情報提供施設協会が運営する「サピエ」というサイトを教えていただきました。ここは、点字図書や録音図書の書誌データ(約89万件)の宝庫です。今年の6月3日からは、国立国会図書館の「視覚障害者等用データ送信サービス」の音声デイジーデータ及び点字データを「サピエ」からも利用できるようになっています。さらに、耳で観る映画「シネマ・デイジー」の情報もありました。

 試しに「サピエ図書館」で、『源氏物語』をデイジーデータ検索で探してみたところ、94件がヒットしました。
 また、同じく『源氏物語』を点字データ検索をしたところ、177件がヒットしました。
 「サピエ図書館」からは、検索結果によっては音源をダウンロードできるのです。いずれ、このことについても、さらに詳しく報告できると思います。

 本日(2014年10月29日(水))時点での情報ですが、参考までのそのすべてを以下に列記しておきます。
 このリストを見ながら、またしばし考えたいと思います。
 

◆デイジーデータ◆

1,愛と野望下巻源氏物語絵巻を描いた女たち,長谷川美智子著
2,あさきゆめみし2源氏物語(講談社青い鳥文庫),大和和紀原作・絵時海結以文
3,あさきゆめみし3源氏物語(講談社青い鳥文庫),大和和紀原作・絵時海結以文
4,あさきゆめみし4源氏物語(講談社青い鳥文庫),大和和紀原作・絵時海結以文
5,あさきゆめみし5源氏物語(講談社青い鳥文庫262?5),大和和紀原作・絵時海結以文
6,医者が診つめた「源氏物語」,鹿島友義著
7,翁秘帖・源氏物語,夢枕/獏著
8,恐ろしや源氏物語,早坂暁著
9,男読み源氏物語(朝日新書123),高木和子著
10,記憶の中の源氏物語,三田村雅子著
11,霧ふかき宇治の恋上巻新源氏物語(新潮文庫),田辺聖子著
12,霧ふかき宇治の恋下巻新源氏物語(新潮文庫),田辺聖子著
13,謹訳源氏物語1,[紫式部著]林望[訳]著
14,謹訳源氏物語2,[紫式部著]林望[訳]著
15,謹訳源氏物語3,[紫式部著]林望[訳]著
16,謹訳源氏物語4,[紫式部著]林望[訳]著
17,謹訳源氏物語5,[紫式部著]林望[訳]著
18,謹訳源氏物語6,[紫式部著]林望[訳]著
19,謹訳源氏物語7,[紫式部著]林望[訳]著
20,謹訳源氏物語8,[紫式部著]林望[訳]著
21,謹訳源氏物語9,[紫式部著]林望[訳]著
22,謹訳源氏物語10,[紫式部著]林望[訳]著
23,謹訳源氏物語私抄11味わいつくす十三の視点,[紫式部著]林望[訳]著
24,源氏物語時代が見える人物が解る戦後最高の入門書,風巻景次郎,清水好子著谷沢永一解説
25,源氏物語4版千年の謎(角川文庫),高山由紀子[著]
26,源氏物語上(日本古典文庫4),紫式部[著]与謝野晶子訳
27,源氏物語[分冊1],[紫式部][著]今泉忠義,森昇一,岡崎正繼編
28,源氏物語第1巻桐壷〜賢木(ちくま文庫お39?4),[紫式部著]大塚ひかり全訳
29,源氏物語上巻,村山リウ訳
30,源氏物語上(少年少女古典文学館第5巻),紫式部原作瀬戸内寂聴著
31,源氏物語中(日本古典文庫5),紫式部[著]与謝野晶子訳
32,源氏物語第2巻花散里〜少女(ちくま文庫お39?5),[紫式部著]大塚ひかり全訳
33,源氏物語[分冊2],[紫式部][著]今泉忠義,森昇一,岡崎正繼編
34,源氏物語下(少年少女古典文学館第6巻),紫式部原作瀬戸内寂聴著
35,源氏物語中巻,村山リウ著
36,源氏物語2千年の謎(角川文庫),高山由紀子[著]
37,源氏物語下(日本古典文庫6),紫式部[著]与謝野晶子訳
38,源氏物語第3巻玉鬘〜藤裏葉(ちくま文庫お39?6),[紫式部著]大塚ひかり全訳
39,源氏物語下巻,村山リウ著
40,源氏物語第4巻若菜上〜夕霧(ちくま文庫お39?7),[紫式部著]大塚ひかり全訳
41,源氏物語第5巻御法〜早蕨(ちくま文庫お39?8),[紫式部著]大塚ひかり全訳
42,源氏物語第6巻宿木〜夢浮橋(ちくま文庫お39?9),[紫式部著]大塚ひかり全訳
43,『源氏物語』への誘いその魅力の源泉を探る(21世紀ブックレット9),高柳美知子著
44,源氏物語を知っていますか,阿刀田高著
45,源氏物語を読むために,西郷信綱著
46,『源氏物語』が読みたくなる本,山本淳子編
47,源氏物語九つの変奏(新潮文庫え?10?52),江国香織,角田光代,金原ひとみ,桐野夏生,小池昌代,島田雅
48,『源氏物語』の男たちミスタ?・ゲンジの生活と意見,田辺聖子著
49,源氏物語の女君たち,瀬戸内寂聴著
50,源氏物語の結婚平安朝の婚姻制度と恋愛譚(中公新書2156),工藤重矩著
51,源氏物語の女性たち(小学館ライブラリー3),秋山虔著
52,源氏物語のすすめ(講談社現代新書),村山リウ著
53,源氏物語の論(AKIYAMAKENSelection),秋山虔著
54,源氏物語の脇役たち,瀬戸内寂聴著
55,源氏物語人殺し絵巻(文春文庫),長尾誠夫著
56,源氏物語百華五十四帖すべての謎を解く,左方郁子,佐藤英子著
57,古典基礎語の世界源氏物語のもののあはれ(角川ソフィア文庫),大野晋編著
58,殺人源氏物語(カッパ・ノベルス),斎藤栄著
59,散歩とカツ丼(ベスト・エッセイ集2010年版),日本エッセイスト・クラブ編
60,じっくり見たい『源氏物語絵巻』(アートセレクション),佐野みどり著
61,死ぬのによい日だ(ベスト・エッセイ集2009年版),日本エッセイスト・クラブ編
62,十二単衣を着た悪魔源氏物語異聞,内館牧子著
63,潤一郎訳源氏物語巻1改版(中公文庫),[紫式部著]谷崎潤一郎訳
64,潤一郎訳源氏物語巻2改版(中公文庫た30?20),[紫式部著]谷崎潤一郎訳
65,潤一郎訳源氏物語巻3改版(中公文庫),[紫式部著]谷崎潤一郎訳
66,潤一郎訳源氏物語巻4改版(中公文庫),[紫式部著]谷崎潤一郎訳
67,潤一郎訳源氏物語巻5改版(中公文庫),[紫式部著]谷崎潤一郎訳
68,小説一途ふたりの「源氏物語」(the寂聴),田辺聖子,瀬戸内寂聴著
69,掌編源氏物語,馬場あき子著
70,新源氏物語上巻(新潮文庫),田辺聖子著
71,新源氏物語中巻(新潮文庫),田辺聖子著
72,新源氏物語下巻(新潮文庫),田辺聖子著
73,すらすら読める源氏物語上,瀬戸内寂聴著
74,すらすら読める源氏物語中,瀬戸内寂聴著
75,すらすら読める源氏物語下,瀬戸内寂聴著
76,21世紀によむ日本の古典6源氏物語,[紫式部著]中井和子[訳]著石倉欣二絵
77,日本の心と源氏物語(シリーズ古典再生2),岡野弘彦編
78,日本の古典をよむ9源氏物語上,[紫式部著]阿部秋生,秋山虔校訂・訳
79,日本の古典をよむ10源氏物語下,[紫式部著]阿部秋生,秋山虔校訂・訳
80,女人源氏物語1,瀬戸内寂聴著
81,女人源氏物語2,瀬戸内寂聴著
82,女人源氏物語3,瀬戸内寂聴著
83,女人源氏物語4,瀬戸内寂聴著
84,女人源氏物語5,瀬戸内寂聴著
85,半日で読む源氏物語,吉野敬介著
86,光源氏になってはいけない源氏物語「悪目立ち」せず生きていく作法,助川幸逸郎著
87,平安の気象予報士紫式部:『源氏物語』に隠された天気の科学,石井和子[著]石井,和子,アナウンサー
88,紫式部の恋「源氏物語」誕生の謎を解く(河出文庫こ12?2),近藤富枝著
89,紫の結び1源氏物語,[紫式部著]荻原規子訳
90,紫の結び2源氏物語,[紫式部著]荻原規子訳
91,望月のあと覚書源氏物語『若菜』,森谷明子著
92,雪折れ,圓地文子著
93,私が源氏物語を書いたわけ紫式部ひとり語り,山本淳子著
94,私の源氏物語宿命の女性たち,上山伶子

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◆点字データ◆

1,愛する源氏物語,俵万智著
2,あさきゆめみし3源氏物語(講談社青い鳥文庫262?3),大和和紀原作・絵時海結以文
3,あさきゆめみし4源氏物語(講談社青い鳥文庫),大和和紀原作・絵時海結以文
4,あさきゆめみし5源氏物語(講談社青い鳥文庫),大和和紀原作・絵時海結以文
5,絵草紙源氏物語(角川文庫),田辺聖子文岡田嘉夫絵
6,翁?OKINA秘帖・源氏物語,夢枕獏著
7,翁?OKINA秘帖・源氏物語(角川文庫),夢枕獏著
8,恐ろしや源氏物語,早坂暁著
9,男読み源氏物語(朝日新書123),高木和子著
10,カラダで感じる源氏物語(ちくま文庫),大塚ひかり著
11,季語で読む源氏物語,西村和子著
12,季語で読む源氏物語,西村和子著
13,霧ふかき宇治の恋上新源氏物語,田辺聖子著
14,霧ふかき宇治の恋下新源氏物語,田辺聖子著
15,謹訳源氏物語1,[紫式部著]林望[訳]著
16,謹訳源氏物語2,[紫式部著]林望[訳]著
17,謹訳源氏物語3,[紫式部著]林望[訳]著
18,謹訳源氏物語4,[紫式部著]林望[訳]著
19,謹訳源氏物語5,[紫式部著]林望[訳]著
20,謹訳源氏物語6,[紫式部著]林望[訳]著
21,謹訳源氏物語7,[紫式部著]林望[訳]著
22,謹訳源氏物語8,[紫式部]著林望訳
23,首の信長,小林恭二著
24,GEN『源氏物語』秘録,井沢元彦著
25,GEN『源氏物語』秘録,井沢元彦著
26,源氏・拾花春秋源氏物語をいける(文春文庫),田辺聖子,桑原仙渓著
27,源氏の男はみんなサイテー親子小説としての源氏物語,大塚ひかり著
28,源氏物語(図説日本の古典7),秋山虔著
29,源氏物語物語空間を読む,三田村雅子著
30,源氏物語(講談社青い鳥文庫183?1),紫式部作高木卓訳
31,源氏物語時代が見える人物が解る,谷沢永一,風巻景次郎,清水好子著
32,源氏物語千年の謎(角川文庫た60?1),高山由紀子[著]
33,源氏物語千年の謎(角川文庫た60?1),高山由紀子[著]
34,源氏物語上,紫式部[著]与謝野晶子訳
35,源氏物語巻一,瀬戸内寂聴現代語訳
36,源氏物語巻1,瀬戸内寂聴訳
37,源氏物語巻1,紫式部著瀬戸内寂聴訳
38,源氏物語巻1,[紫式部著]瀬戸内寂聴訳
39,源氏物語一(京都昔話の本(社寺)),ささきようこ編集
40,源氏物語上の巻,橋田壽賀子著
41,源氏物語1,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
42,源氏物語巻1,紫式部著円地文子訳
43,源氏物語巻二,瀬戸内寂聴現代語訳
44,源氏物語巻2,瀬戸内寂聴訳
45,源氏物語巻2,[紫式部著]瀬戸内寂聴訳
46,源氏物語中,紫式部[著]与謝野晶子訳
47,源氏物語巻2,紫式部著瀬戸内寂聴訳
48,源氏物語二(京都昔話の本(社寺)),ささきようこ編集
49,源氏物語下の巻,橋田壽賀子著
50,源氏物語2,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
51,源氏物語巻2,紫式部著円地文子訳
52,源氏物語2千年の謎(角川文庫た60?2),高山由紀子[著]
53,源氏物語巻三,瀬戸内寂聴現代語訳
54,源氏物語巻3,瀬戸内寂聴訳
55,源氏物語下3,紫式部[著]与謝野晶子訳
56,源氏物語3,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
57,源氏物語巻3,紫式部著円地文子訳
58,源氏物語巻四,瀬戸内寂聴現代語訳
59,源氏物語巻4,瀬戸内寂聴訳
60,源氏物語4,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
61,源氏物語巻4,紫式部著円地文子訳
62,源氏物語巻五,瀬戸内寂聴現代語訳
63,源氏物語巻5,瀬戸内寂聴訳
64,源氏物語5,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
65,源氏物語巻5,紫式部著円地文子訳
66,源氏物語巻六,瀬戸内寂聴現代語訳
67,源氏物語巻6,瀬戸内寂聴訳
68,源氏物語6,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
69,源氏物語巻6,紫式部著円地文子訳
70,源氏物語巻七,瀬戸内寂聴現代語訳
71,源氏物語巻7,瀬戸内寂聴訳
72,源氏物語巻7,紫式部著円地文子訳
73,源氏物語7,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
74,源氏物語巻八,瀬戸内寂聴現代語訳
75,源氏物語巻8,瀬戸内寂聴訳
76,源氏物語巻8,紫式部著円地文子訳
77,源氏物語8,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
78,源氏物語巻九,瀬戸内寂聴現代語訳
79,源氏物語巻9,瀬戸内寂聴訳
80,源氏物語巻9,紫式部著円地文子訳
81,源氏物語9,紫式部[著]瀬戸内寂聴訳
82,源氏物語巻十,瀬戸内寂聴現代語訳
83,源氏物語巻10,瀬戸内寂聴訳
84,源氏物語巻10,紫式部著円地文子訳
85,源氏物語愛の渇き(ワニの選書),大塚ひかり著
86,源氏物語を読み解く100問(生活人新書254),伊井春樹著
87,源氏物語が面白いほどわかる本日本が誇るラブロマンがマンガより楽しく読める,出口汪著
88,「源氏物語」カルチャー講座,福嶋昭治著
89,源氏物語九つの変奏(新潮文庫え?10?52),江國香織,角田光代,金原ひとみ,桐野夏生,小池昌代,島田雅
90,源氏物語五十四帖を歩く(JTBキャンブックス.文学歴史11),朧谷寿監修日〓貞夫写真
91,源氏物語事典,秋山虔編
92,源氏物語と生涯学習平成から源氏をよむ,田中正明著
93,源氏物語とその作者たち(文春新書746),西村亨著
94,源氏物語・隣りの女(向田邦子TV作品集8),向田邦子著
95,「源氏物語」に学ぶ女性の気品(青春新書INTELLIGENCEPI?200),板野博行著
96,源氏物語の愛(シリーズ源氏大学),瀬戸内寂聴,秋山虔,大和和紀著
97,「源氏物語」の色辞典,吉岡幸雄著
98,源氏物語の近江を歩く,畑裕子著
99,源氏物語の男君たち,瀬戸内寂聴著
100,源氏物語の男君たち,瀬戸内寂聴著
101,源氏物語の女君たち,瀬戸内寂聴著
102,源氏物語の女君たち,瀬戸内寂聴著
103,源氏物語の女君たち,瀬戸内寂聴著
104,源氏物語の時代一条天皇と后たちのものがたり(朝日選書820),山本淳子著
105,源氏物語の時代一条天皇と后たちのものがたり(朝日選書820),山本淳子著
106,「源氏物語」の時代を生きた女性たち,服藤早苗著
107,「源氏物語」の時代を生きた女性たち(NHKライブラリー115),服藤早苗著
108,源氏物語の女性たち,秋山虔著
109,源氏物語の世界,日向一雅著
110,源氏物語の美(シリーズ源氏大学),杉本苑子,近藤富枝,尾崎左永子著
111,源氏物語の人々,続木道子著
112,源氏物語の脇役たち,瀬戸内寂聴著
113,源氏物語の脇役たち,瀬戸内寂聴著
114,源氏物語の脇役たち,瀬戸内寂聴著
115,源氏物語二つのゆかり継承の主題と変化,熊谷義隆著
116,源氏物語まねびなほし(現代語完訳)第4帖夕顔第5帖若紫(ほか2件),加藤宏文著
117,源氏物語ものがたり(新潮新書284),島内景二著
118,源氏物語夕顔Level4(1300‐word)(ラダーシリーズ),ステュウットAヴァーナム‐アットキン著
119,恋みち現代版・源氏物語,reY,陽未,アポロ,Chaco,ゆき,十和著
120,殺人源氏物語,斉藤栄著
121,殺人源氏物語,斎藤栄著
122,ThetaleofGenjiVolume1,MurasakiShikibu[著]EdwardG.Seidenstick
123,ThetaleofGenjiVolume2,MurasakiShikibu[著]EdwardG.Seidenstick
124,私本・源氏物語,田辺聖子著
125,寂聴と読む源氏物語,瀬戸内寂聴著
126,十二単衣を着た悪魔源氏物語異聞,内館牧子著
127,小学生の日本古典全集3源氏物語?美しい王子の一生?,[紫式部原作]松田武夫文黒崎義介画
128,小説一途ふたりの「源氏物語」(the寂聴),田辺聖子,瀬戸内寂聴著
129,掌編源氏物語,馬場あき子著
130,新源氏物語上(新潮文庫),田辺聖子著
131,新源氏物語中(新潮文庫),田辺聖子著
132,新源氏物語中(新潮文庫),田辺聖子著
133,新源氏物語下(新潮文庫),田辺聖子著
134,新源氏物語下(新潮文庫),田辺聖子著
135,新選源氏物語五十四帖,森一郎編
136,新装版源氏物語の女性たち,瀬戸内寂聴著
137,好かれる女・嫌われる女源氏物語の恋と現代,藤本勝義著
138,瀬戸内寂聴の源氏物語(シリーズ・古典1),[紫式部][原作]瀬戸内寂聴著
139,千年の恋心源氏物語を彩る女君たち,荻野文子著
140,千年の黙異本源氏物語,森谷明子著
141,誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ(小学館101新書),林真理子,山本淳子著
142,ちかみち源氏物語(学研M文庫),橋本千恵著
143,超訳日本の古典4源氏物語,加藤康子監修[紫式部著]菅家祐文阿留多イラスト
144,遠野物語と源氏物語物語の発生する場所とこころ(こころの未来選書),鎌田東二編
145,殴り合う貴族たち平安朝裏源氏物語,繁田信一著
146,21世紀によむ日本の古典6源氏物語,[紫式部]著中井和子[訳]著石倉欣二絵
147,女人源氏物語第一巻,瀬戸内寂聴著
148,ひかりそへたる源氏物語の恋の歌(シリーズ源氏大学),俵万智,芳賀明夫著
149,姫君たちの京都案内『源氏物語』と恋の舞台,蔵田敏明,薄雲鈴代著
150,平安の気象予報士紫式部『源氏物語』に隠された天気の科学(講談社+α新書),石井和子[著]
151,ミックスサンドイッチ,池田鉄洋著
152,紫式部伝源氏物語はいつ、いかにして書かれたか,斎藤正昭著
153,紫式部の恋「源氏物語」誕生の謎を解く(河出文庫),近藤富枝著
154,明解源氏物語五十四帖あらすじとその舞台,池田弥三郎,伊藤好英著
155,望月のあと覚書源氏物語『若菜』,森谷明子著
156,もっと知りたい源氏物語,大塚ひかり著
157,妖説源氏物語1初版(C・novels),富樫倫太郎著
158,妖説源氏物語2初版(C・novels),富樫倫太郎著
159,妖説源氏物語3(C・novels),富樫倫太郎著
160,窯変源氏物語 1,橋本治著
161,窯変源氏物語 2,橋本治著
162,窯変源氏物語 3,橋本治著
163,窯変源氏物語 4,橋本治著
164,窯変源氏物語 5,橋本治著
165,窯変源氏物語 6,橋本治著
166,窯変源氏物語 7,橋本治著
167,窯変源氏物語 8,橋本治著
168,窯変源氏物語 9,橋本治著
169,窯変源氏物語 10,橋本治著
170,窯変源氏物語 11,橋本治著
171,窯変源氏物語 12,橋本治著
172,窯変源氏物語 13,橋本治著
173,窯変源氏物語 14,橋本治著
174,読み違え源氏物語,清水義範著
175,読み解き源氏物語(河出文庫こ12?1),近藤富枝著
176,私が源氏物語を書いたわけ紫式部ひとり語り,山本淳子著
177,わたしの源氏物語,瀬戸内寂聴著

2014年10月20日 (月)

京大病院で診察予約日を変更して受診する方法

 今日は、京大病院で予定していた診察日を変更して受診しました。
 このところ、何かと体調不良が続くため、念のために予定を早めて診てもらうことにしました。

 結果的には、何かが急変したことはないようです。
 検査結果によると、炭水化物の摂取が少ないことと、ケトン体が今回から出だしたことを告げられました。
 これは、緩いながらも糖質制限食をしている私にとっては、歓迎すべきことです。しかし、それにしてもヘモグロビン A1cが前回の6.9から7.0へと微増なので、決して糖尿病がよくなっているとは言えません。ケトン体の功罪については、今後さらに検討します。

 このところ食事が喉を通らないことと、昨日も腹痛に苦しんだことについては、バリウムによる胃の透視ではなくて、胃カメラの検査を勧められました。考える時期かもしれません。

 とにかく、睡眠時間をしっかり確保して、何かと大変な日々ではあっても無理をしないように、とのアドバイスをいただきました。
 先生は私の仕事の内容をよくご存知なので、やや遠慮がちに「あまり根を詰めるないように」とのご託宣でした。ありがとうございます。これは性分なので、定年までの後2年半は突っ走らざるをえません。それを見越してのご指導のほどを、よろしくお願いします。

 以下、今後とも京大病院で迅速な診察を受けるための効率的な手順を、診察の待ち時間を利用して、備忘録として記してみました。

 例えば、予約よりも1週間早く受診する場合で、血液検査があるケースについて。

 まず、診察券を1階入口にある受付機に通して、血液検査の手続きをし、病院内で無線による指示を受ける受信機を受け取ります。

141020_jyusinki


 血液検査は、予約日の前後2週間は有効なので、あらためて検査を依頼する必要はありません。

 次に、1階正面の4番窓口で受け付け票を取り、そこで呼び出される時間を予測します。
 20分以上は待つようであれば、2階に上がり、すぐに血液検査の手続きをして、尿検査と血液検査をすませます。

 血液検査の結果が出るまでに、1時間ほどかかります。その結果によって診察を受けることになるので、この血液検査は早く済ませた方がいいのです。

 血液検査をすませたら1階正面の4番窓口に戻り、あらかじめ取っていた番号票の順番が来たら、再来診の手続きをします。
 その時、保険証の確認があります。

 次に、その隣の3番窓口前でしばらく待つと、2階の当該診察窓口に出す用紙がもらえます。それを持って2階の担当窓口へ行くと、担当医へ予約なしでの診察希望が伝えられ、先生の診察の隙間に入れてもらえることになります。

 診察終了後は、5番の会計窓口に計算書を出し、処方せんに認め印を捺してもらったら、支払機による精算の連絡が受信機に届くのを待ちます。

 精算に時間がかかりそうな時は、処方箋を持って一旦院外に出て、病院の前にある薬局で薬をもらいます。
 薬の受け取りに半時間以上はかかるので、院外に持ち出した受信機が警告音を発します。しかし、それは即座にボタンをタップして止めます。

 薬を受け取ったら院内に戻り、精算可能の時間になっているはずなので、自動支払機で精算をすませます。

 検査のために食事をしないままに来ていることも多いので、この薬を受け取る間に院内のレストランで食事をすることも可能です。

 このような手順を踏むと、約3時間半ですべて終了となります。
 この一連の手続きが狂うと、あっという間に午後の数時間も費やされるのです。

 時間の余裕がない場合は、処方せんは持ち帰り、後日東京で薬を受け取ることもできます。

 病院通いの知恵として、糖尿栄養科に関しては、以上の通りの行程が最適な手順です。
 何かの場合には、以上の手順で介助をお願いします。
 
 
 

2014年10月11日 (土)

日本盲教育史研究会に参加して(その1/3)

 今日は早朝より、筑波大学東京キャンパス文京校舎で開催された、日本盲教育史研究会に参加してきました。


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 この日本盲教育史研究会は創立から3年目を迎え、会員160名を有する研究会に成長しつつあります。今日の参加者は70人近くになっていました。
 事務局を担当され、実質的にこの研究会を運営しておられる岸博実先生のご努力には敬服しています。
 岸先生とのことについては、以下のブログを参照してください。

【8-情報化社会】「京都府立盲学校の資料室(その1)」(2014年08月04日)

【8-情報化社会】「京都府立盲学校の資料室(その2)」(2014年08月05日)

 新たに会員となり、10時30分からの第3回総会に出席しました。会の運営については、学ぶべきことがたくさんありました。


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 続いて、公募報告に移りました。

 トップバッターは、立命館大学産業社会学部3年の山岸蒼太さんの、「視覚障害者の当事者運動史─全点協運動を中心に」と題する研究報告でした。全点協運動など、初めて聞く内容に、興味深く聞き入りました。盲学校の外からの視点として、大切な研究です。

 2番手は、「筑波大学附属視覚特別支援学校資料室蔵『点字尋常小学読本』の書誌について」と題して国学院大学特別研究員の中野真樹さんの発表です。資料を基にした実証的な研究で好感を持ちました。
 レジメには「日本語学文字・表記研究分野において、日本語点字資料を研究対象とする必要があり」とあります。私の問題意識と共通することを知りました。日本語学からの切り込みに、これからますます期待したいと思います。
 この後で、私が現在検討している『源氏物語』の写本を触常者が読めるようになるための実験的な研究に、中野さんも参加していただくことになりました。いい方との出会いの場ともなりました。

 3人目の群馬県立盲学校教諭の香取俊光さんは、「歴史に消えた先駆的な盲学校─仏眼協会盲学校─」と題する報告でした。近代以降の女性による医療の歴史の一端にまで言及されたので、私の問題意識と通底するものを感じました。

 発表の後にまとめて質疑応答がありました。盲教育において、東京と京都のこれまでの動向を整理し、このように連携して進んでいく大切さを実感しました。

(明日に続く)
 
 
 

2014年9月20日 (土)

私にも障害を持つ方のお役にたてることがあったのです

 昨日書いた、霞が関ビルで開催された教授会の会議が始まる前と終わってから、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんとじっくりと話をしました。懸案の、目の不自由な方と一緒に古写本『源氏物語』を読むための方策を煮詰めるためです。

 この時、私はいろいろと広瀬さんに尋ねました。その中で、ひらがなとカタカナでは、どちらが認識しやすいかと聞いたところ、曲線よりも直線のカタカナの方が読めるとのことでした。これは、現在検討している『源氏物語』の古写本がひらがなで書かれているので、今後の大きな検討課題です。

 この日の話し合いで、このテーマで科研に申請することを前向きに検討することにしました。そのためにも、今は2人だけなので、さらに研究協力者を探すことになりました。

 折しも、10月11日(土)に筑波大学の東京キャンパス(茗荷谷)で日本盲教育史研究会が開催されるとのことです。
 ちょうどその日は、中古文学会が京都女子大学を会場として開催されます。東か西かという選択の中でいろいろと考えた結果、今回は日本盲教育史研究会に出ることにしました。
 その会には、視覚障害の関係者がたくさんお出でになるとのことなので、この機会に情報収集をしようと思います。そして、科研申請にあたっての研究協力者を、この研究会で呼びかけることにしました。

 もし、こうしたテーマに興味をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひとも連絡をください。
 一緒に考えていく方を、今は1人でも多く必要としています。

 また、9月27・28日は、大阪の難波で「日本ライトハウス展」が開かれます。あいにく、私はこの時には海外出張中なので参加できません。これも、興味をお持ちの方は行って見られてはいかがでしょうか。

 話し合いも十分にできたので帰ろうとした時に、広瀬さんが手を貸してほしいとのことでした。最初はその意味がよくわかりませんでした。すると、私の肘をさわらせてもらうと、それが誘導になるのでスムーズにエレベーターに乗れ、外に出られるのだということです。

 恥ずかしながら、これまでに全盲の方のサポートをしたことがありません。しかも、私は貧弱な体格で、腕に筋肉もない痩せ細った身体です。申し訳なさと緊張で、ぎこちないエスコートだったことでしょう。

 しかし、廊下を直進し、エレベータホールで左折しようとした時、広瀬さんも私に付いて自然に左に曲がられたのです。どうして左に曲がることがわかったのかと聞くと、私の肘の動きでどちらに移動するのかがわかるのだそうです。その感覚の鋭さに敬服しました。その時に、腕や肘を貸すことで、こちらはごく自然に動けばいいことを始めて知りました。

 ごく普通のことで、不自由な思いをしておられる方々の手助けができることを、この時に始めて知りました。身構えてアシストを、などと考えることはないのです。

 霞が関ビルを出た後は、タクシー乗り場まで案内しました。道々、見えない道を歩く上での心得をたくさん聞きました。わからないことがあると、私はすぐに何でも聞くのです。広瀬さんからは、丁寧に教えてもらえます。階段の上り下りなど、感心するばかりです。

 タクシーで帰るとのことだったので、霞ヶ関三丁目の交差点で車を拾い、乗り込まれるのを確認して別れました。

 生まれて始めての貴重な体験でした。そして、私も目が不自由な方のお手伝いができることを知り、嬉しくなりました。これまで、人のお役に立つことなど、何もしてきませんでした。あらためて、私にも出来ることがあることを知り、大きな自信と勇気をもらうことになりました。
 
 
 

2014年9月15日 (月)

視覚障害者と写本文化を共有する接点を求めて

 目が不自由な方と一緒に古写本を読む環境作りについて、あれこれと思いをめぐらす日々です。

【この課題に関して、情報を公開すると共に、併せて知的財産に関する対処も進めています。関係各位のご教示に感謝します。】

【「障害」は差別的な表現だとして、「障碍」や「障がい」と表記されたりしています。ここでは、問題点のすり替えとならないように注意して「障害」を使います。】

 さて、当面の課題実現のためには、できる限り具体的な事例で考えた方がいいと思い、無謀を承知で、ハーバード大学本『源氏物語』を俎上にあげて検討を進めています。
 そして、この課題に関して少し前が見え出したので、これまでの状況をこの時点で整理しておきます。
 
 昨日交わした、国立民族学博物館の広瀬浩二郎先生とのメールの遣り取りを通して、これまでの懸案である課題と、現在の状況、そして目の前に横たわる問題点を確認しておきます。
 
 2人の意見交換で明らかなことは、ただ1つに絞られます。
 
 私は、視覚障害者である触常者が「ひらがな」を、しかも縦書きを認識できるようになれば、触読の範囲が拡がり、ひいては古写本も読めるようになる、と考えるに至りました。
 あくまでも、見常者の立場からの私見です。

 これに対して触常者の広瀬さんは、私見の困難さを示しながらも、実現する可能性への予感と期待を寄せていただいています。
 先天性の視覚障害者が「ひらがな」を触読することは可能でも、それが実用的なレベルなのかどうかは、はなはだ疑問だと広瀬さんは言われます。線文字から点字へと発展してきた、盲教育の実情があるようです。文字を浮き出しにした初期の教材は、読み取るのに時間がかかりました。試行錯誤が繰り返された結果、点字が発明されたことを踏まえての教示です。
 浮き出し文字は読むのが大変で、触ってわかるためには、膨大なスペースが必要です。それを指先で読み取るには、これまた膨大な時間が必要だ、ということなのです。

 それでも、広瀬さんが次のように言ってくださるのは、この問題を何とかしたいと思っている私には、心強い言葉の力をいただいたことになります。


 視覚障害者の触読環境を考えてくれるのはありがたいことですし、何か新しい取り組みも生まれる予感があります。
 まずは写本の体験会など、できそうな所から始めてみるのがいいと思います。

 この理解は、私の「点字だけに頼っていては、お互いの文字体系が違うので、滑らかなコミュニケーションが取れません。また、古典文学関連の文化も共有できません。」という問いかけを真正面から受け止めておられることを示しています。

 大上段に設定した今回の私の課題は、挑戦してみる価値が十分にあるようです。
 
 
■9月14日 私から広瀬さんへのメール(部分)


 ひらがなを媒介として、見常者と触常者がコミュニケーションを図るべきだと思っています。点字だけに頼っていては、お互いの文字体系が違うので、滑らかなコミュニケーションが取れません。また、古典文学関連の文化も共有できません。

 そこで、すべての文章にひらがなでルビを振ればどうなるか、ということを、みなさんに問いかけました。
 視覚に障害のある触常者の方が、立体コピーや木を削って作成した凹凸の「ひらがな」文を、しかも縦書きも読めるようになれば、見常者と共通の文化を共有できるようになるはずです。
 点字による点訳ボランティアに頼って触常者の読書体験を支えることには、どうしても無理がある、と思っているからです。

 図書館も総ルビの本を揃え、そこに透明シートにひらがなを立体コピーしたものを貼れば、図書館の役割も変わってきます。目の不自由な方々も、図書館で本が読めるようになるのではないでしょうか。
 読み聞かせに留まっていた図書館の機能が、新たな使命を帯びることになります。

 もっとも、この考え方には、触常者の方の縦書きのひらがなが認識できる、という前提があります。
 このことには、私はなんとか可能になる方策があるのでは、と自分では思っています。いかがでしょうか。

 今回行った日南町には、豊富な森林資源があります。今回、日南町のみなさまにお願いしたことは、ハーバード大学本『源氏物語』の巻頭だけでもいいので、1ページ分を木に彫ってもらえないか、ということです。
 1枚の木の板に、800年前の変体仮名で書かれた物語の冒頭を彫って、それを教材にして、ひらがなだけでも手の感触で識別、認識できるようになれば、目の見える人と目の見えない人の距離は相当縮まります。

 その際、古写本の連綿体の文字はつながっているので、1文字ずつに切れ目を入れたものも試作できないか、ということもお願いしてきました。
 1頁に10行あり、1行に15文字ほどあります。1文字の大きさは10ミリ前後です。

 目の見えない方も写本が読める、ということと、図書館に行ってもひらがなさえ認識できれば本が読める、という環境を1日も早くつくるべきだ、と思うようになりました。

 そんなことを、日南町の方々に話したところ、町会議員さんや、林業関係の社長さんなどが早速協力したい、とのことでした。

 木材は潤沢にあるし、加工に特化した技能をお持ちの方がいらっしゃるとのことなのです。
 そこで、私からは、「須磨」巻の第1丁表を、15cm四方の板に、とにかく彫ってみることを提案しました。
 すぐに着手してみる、とのことです。
 先ずは、最初の試作版を手にしてから、次を考えたいと思います。

 とにかく、私なりに動き出しました。


 
 
■9月14日 広瀬さんから私へのメール(部分)

 さて、先生が書いてくださったご意見について。
 民博でもお話したように、視覚障害者が写本の文化に触れることは重要ですし、そこから見常者・触常者の新たなコミュニケーションが始まることにも大いに期待します。
 ある程度トレーニングすれば、先天性の視覚障害者も平仮名を触読することは可能でしょう。
 ただし、その「可能」が実用的なレベルなのかどうかは少々疑問です。
 視覚障害者の文字の歴史は(京都盲学校の岸先生からお聞きかもしれませんが)、線文字から点字へと発展してきました。
 初期の盲教育ではアルファベットや片仮名を浮き出し文字にした教材が使われていました。
 これらの教材は読み取るのに時間がかかるため、試行錯誤が繰り返され、最終的に点字が発明されました。
 浮き出し文字は読むのもたいへんだし、さわってわかるためには、それなりの大きさを確保しなければなりません。
 1冊の本を浮き出し文字で表現すると、膨大なスペースが必要です。
 そして、それを指先で読み取るには、これまた膨大な時間が必要です。
 なかなか難しいところです。

 とはいえ、先生のような研究者が視覚障害者の触読環境を考えてくれるのはありがたいことですし、何か新しい取り組みも生まれる予感があります。
 まずは写本の体験会など、できそうな所から始めてみるのがいいと思います。
 その辺のことは、高村先生(筑波大学附属視覚特別支援学校)を交えてご相談していきましょう。


 
 
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 これまでに本ブログで書いた内容の中から、目が不自由な場合の話を抜き出して見ました。
 今回の古写本を読む試みを補完する情報があるので、参考までに一覧にします。
 
 
「日南町散策と写本を木に彫る相談」(2014年09月14日)
 
「日南町でハーバード大学本「須磨」を読む」(2014年09月13日)
 
「視覚障害者が古写本『源氏物語』を書写できるか?」(2014年08月22日)
 
「京都府立盲学校の資料室(その2)」(2014年08月05日)
 
「京都府立盲学校の資料室(その1)」(2014年08月04日)
 
「京洛逍遥(332)京都芸術センターの中の前田珈琲」(2014年07月24日)
 
「読書雑記(104)中津文彦『塙保己一推理帖 観音参りの女』」(2014年07月16日)
 
「江戸漫歩(82)高田馬場の「日本点字図書館」へ」(2014年06月20日)
 
「京洛逍遥(322)京都ライトハウスにて」(2014年06月12日)
 
「目の不自由な方と写本を読むために(2)」(2014年06月05日)
 
「目の不自由な方と写本を読むために(1)」(2014年06月04日)
 
「早朝の地震の後、渋谷の温故学会へ」(2014年05月05日)
 
「西国三十三所(20)壺阪寺」(2010/10/20)
 
「【復元】縦書き & 横書き」(2010/4/21)
 
「【復元】点字本『源氏物語』(全3冊)」(2009/9/10)
 
「点字本『源氏物語』(その後)」(2009/9/9)
 
「インド人留学生の眼(2)「日本の常識の不思議」」(2008/12/3)
 
「心身(22)身体への不安」(2008/9/1)
 
 
 

2014年9月 1日 (月)

今夏の検診の総合評価は「良」です

 他人様から見ればささやかなことであっても、1つのイベントを企画、立案、準備、実施、整理、報告をするのには、膨大な時間と労力と根気と気働きが必要です。

 この夏は、8つのイベントや新規計画のとりまとめに奔走していました。
 まだそのすべての事前調査や段取りが終わったわけではありません。しかし、主要な4つの企画のメドが何とか立ちました。

 そうした中で、この夏に一日だけとはいえ、一息入れることができました。
 疲労回復と気分転換には、街中を離れた温泉療養が一番です。と言っても、遠くの温泉地に行くだけの余裕はないので、近場の亀岡にある湯の花温泉に行ったのです。
 京都の奥座敷といわれる温泉地だけあって、のんびりと静かなところでした。こうした環境に身を置くだけで、蓄積された疲れはほぐれます。


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 亀岡には京都学園大学があります。というよりも、私にとっては、西国三十三所の第21番札所である穴太寺がある地として、何度も訪れたところです。
 
 さて、今年も7月から8月にかけては、私が一番頼りにしている京都大学病院で、さまざまな検査をしていただきました。胃ガンで消化管を全部摘出してから、早いもので4年が経ちました。その4年前の今日は、手術をした翌日にもかかわらず、体中につけられた何本ものパイプを取り外し、歩行訓練をさせられたのです。「心身雑記(75)術後20時間で病棟内を歩き回る」(2010年9月 1日)
 その意味でも、今年は特に念を入れて、身体の隅々までを診ていただいたのです。

 今日は、糖尿病に関する結果が出ました。
 これまでのヘモグロビン A1cの値は、次のような変動をしていました。


1月20日 7.1
4月14日 7.3
7月07日 7.2
9月01日 6.9

 この数値は、国際標準値です。4.6~6.2が安全圏とされています。私の値は、いつも少し高いものです。消化管がないので、仕方がない、ということもあります。
 それでも、合併症の兆候がまったくなく緩やかな変化なので、主治医の先生もこのまま様子を見ましょう、というスタンスで観察しておられます。

 今私は、体重を増やすことを主眼にした食事をしています。50キロ以上を保つことを目標にしています。
 今日の体重は50.7キロでした。増やしたいのに、なかなか増えない体重です。この夏は50キロを常にキープできました。今日のヘモグロビン A1cの値は「7」を下回っているので、これで今はよしと言えます。

 先週の課題として残されていた、血液検査による腫瘍の兆候についても、特に問題はないとのことでした。

 その代わり、今日は7本分の血液を採取されました。
 ここしばらくは、増血の食事と、いつも不足していると言われる鉄分の補給に気をつけたいと思います。
 
 
 

2014年8月28日 (木)

今夏の身体検査の中間報告は「良」です

 先週のCT検査を含めて、今年の夏に京大病院でチェックしていただいたガンに関連した項目は、すべて問題なしとのことでした。もっとも、血液による腫瘍の検査だけは、来週になりました。ただし、糖尿病で頻繁に血液検査をしているので、問題はないだろうということで、楽観的に思っていていいようです。

 早期胃ガンで消化管をすべて摘出したのは、ちょうど4年前になります。
 その4年前の今日は、手術のために入院して2日目というのに、何と外泊許可をもらって大和平群へお茶のお稽古に行っています。

「心身雑記(71)入院2日目にしてお茶のお稽古へ」(2010/8/28)

 そして、手術2日前には、心残りのないように回転寿司屋へも行っています。

「外泊で外食の締めは回転寿司」(2010/8/29)

 何とも、緊張感のない入院患者だったのです。

 あれから4年。ごく初期に見つかったガンだけに、大きな問題もなく、こうしてバタバタと生活を続けています。有り難いことです。

 主治医である消化管外科の岡部先生は、いつものように穏やかに説明をしてくださいました。そして、来年で経過観察もいらなくなるでしょう、とのことでした。

 だだ一つ、心配事があったので相談をしました。それは、逆流姓食道炎です。

 週に1回程度のことですが、朝方に限って、食道が焼けるように苦しくなって目覚めます。苦い液体が喉元を不快にするので、咽せるようにして起きることとなります。
 これは、なかなか辛い思いの朝を迎えることになるのです。

 この対処については、糖尿病内分泌栄養内科で担当してくださっている長嶋先生から、毎食後に飲む粉薬をいただいています。食道の粘膜を保護するためのものだそうです。それにしても、何か対処方法はないのかを、最近の体調の報告をする中で相談しました。

 岡部先生の説明は、いつもわかりやすいので安心します。
 まず、私のような例は、消化器を摘出した人によく認められることだそうです。
 喉に突き上げるようにして逆流しているのは、アルカリ性の腸液でした。胃から出る胃液が酸性であるのに対して、アルカリ性であることを、今回初めて知りました。そして、私は胃がないのですから、当然酸性ではなくてアルカリ性の腸液に苦しめられているのです。

 重力の関係で、腸液が喉元に流れてくるのであって、それは身体を横たえているために起こることです。そのため、直立している昼や夕方にはなくて、朝の寝起きに発生するのです。
 頭を上げて寝る人、身体を右に向けるか左に向けるかで違うという人、等々、その対処について、みなさんいろいろと苦心しておられるようです。

 私はベットが苦手なので、病院にあるベッドのように角度を調整することはできません。布団の肩回りの高さを調節することで、これから最適な環境を作ろうと思います。

 最大の課題だったガンの再発や転移の心配はないので、当面は安心していいようです。
 次は、来週の糖尿病の検診です。
 7月には、目覚ましい改善はないものの、特に心配なこともない状態でした。

 以来、体重を50キロ以上に保つために、いろいろと食事に苦労しています。
 この夏も、食事には気を遣い、何とか体重を50キロすれすれに保っています。
 そのために、糖質制限食はやや緩めのメニューにしています。
 食前食後の血糖値は、図ったように教科書にある数値です。ただし、これがヘモグロビン A1cの値となると、さまざまな要因から危険領域に入るのです。

 さて、来週はどのような結果が出るのでしょうか。
 この夏に気をつけて食事をした総決算として、その成果を今から楽しみにしています。
 
 
 

2014年8月22日 (金)

視覚障害者が古写本『源氏物語』を書写できるか?

 私が勝手に懸案と言っている、目の見えない方が、鎌倉中期に書写されたハーバード大学本『源氏物語』を読めないか? という課題に関して、少し明るい光が差し込んで来ました。
 一筋の可能性とでもいうべき糸を、今後ともさらに手繰っていこうと思います。

 今日、全盲の歴史学者で日本宗教史の専門家として知られる広瀬浩二郎さんを訪ねて、大阪万博公園の中にある国立民族学博物館へ行ってきました。


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 13歳で視力を失った広瀬さんは、興味のある歴史学の勉強を続けたくて京都大学に点字の入学試験を受けて入学し、さらに大学院で研究を深めて博士の学位を取得されました。
 現在は、国立民族学博物館(通称みんぱく)の准教授です。


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 今日は、上記の課題についてアドバイスや解決策を教えていただくために、民博の広瀬さんの研究室を訪問しました。
 お互いにバタバタと走り回る生活の中で、やっと私が抱えるテーマの説明を直接できたのです。
 広瀬さんは私の話をじっと聞き、ポンポンと発する質問に的確に答えていただき、さらには、有り難い話やヒントを示していただきました。

 まず私が聞いたことは、日本語で送った数通のメールに対して、すぐに日本語で返信が来たことです。全盲なのになぜ? と。
 その理由を聞いて納得しました。文字列を音読するパソコンのソフトを使っておられたのです。

 「とうくん」というソフトは、音読するスピードのコントロールが自在です。Windows用としては、こうした音読ソフトは3種類あるそうです。その中で「とうくん」を使うのは、英語に強いからだとのことでした。
 Macintosh 用にもソフトがあるかと聞くと、仲間に1人もMacintoshユーザーがいないのでわからないそうです。アップルはユニバーサルデザインに早くから取り組んでいるので、きっと読み上げソフトがあることでしょう。ただし、日本語対応があるか、ということになると、今のところは不明です。

 また、私にとっては初見の、驚くべき読書法を見せてもらいました。
 広瀬さんの著書である『さわっておどろく! ―点字・点図がひらく世界』(嶺重 慎氏との共著、岩波ジュニア新書、2012年5月)をスキャンすると、すぐにパソコンの画面に読み取った文字列がテキストとして表示され、しかもそれを読み上げてくれるのです。
 特にその本の中でも、スキャンしてOCR化が難しい小さな文字の年表形式の部分を、次の写真のようにスキャナで読み取ると、パソコンの画面には日本語のテキストとして文字列が表示されます。これをソフトが読み上げるのを目にすると、まさにボランティアによる対面朗読の場にいる気持ちになります。

 こうして、印刷された論文などもスキャンしてパソコンに読み上げさせることで、容易に論文の内容を理解し、読み取ることができるのです。


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 広瀬さんは、学生時代には古文書を立体コピーなどで読もうとしたそうです。しかし、漢字が多い古文書の理解には、手間と時間の無駄が多く、文献の読解は音読してもらうことで解決するようになったようです。そして研究手法も、古文書などの文献を読み解くのではなく、しだいにフィールドワークに移行したそうです。音声による現地調査です。

 そんな話をしているうちに、「触図筆ペン(みつろうペン)」で文字を書くと、浮き上がった文字が確認できることの話題となりました。目の前でテキストを音読する様子を見た後だったので、私の中でこの音読とペンがオーバーラップしてひらめきが生まれました。古写本を筆写する、書写体験が容易にできるようになるのではないか、と。

 例えば、ハーバード大学本『源氏物語』の「須磨」巻の場合、その巻頭部分は昨秋刊行した本では次のような組み版になっています。
 上段に『源氏物語』の写本の影印が、下段に小見出しと翻字が印刷されています。


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 そこで、これを立体コピーした写本の影印を左手でなぞり、それに合わせて下段の文字列をパソコンが読み上げる状況を作ります。そして、右手に「みつろうペン」を持ち、写本の臨書の感じで副本を作るようにして別の紙に書写するのです。
 左手でなぞった文字と、右手で書いた文字が、共に盛り上がっているので、同じように写せたかどうかの確認は容易です。
 文章の理解には遠く及ばない書写行為に留まるものです。しかし、この書写・筆写経験の延長上に、古写本の読解という到達点がいつか見えてくるはずです。

 これについては、広瀬さんの共感も得られました。
 点字でも「点写」といって、点字で書かれた資料や文献を写し取ることがあるそうです。
 左手で左から右へと点字を読み、右手で右から左へと点字を打って、同じものを作っていくのです。左右の手が違う動きをします。しかし、それは慣れの問題なので苦ではないし難しいことでもないようです。
 左右の手で別のことをするゲームがあります。ここでの例は、左右の手が同じものを引き写ししようとするので、確かに目が見えなくても戸惑いも困難さも少ないかもしれません。

 とにかく、目が見えない方が700年前の古写本が読めるようになることで、日本の伝統的な文字による文化の継承や、意思伝達の道具について理解を深めることは可能なのです。新たな文化体験を、広瀬さんが言うところの「見常者」と「触常者」が、一緒になって共有できるのです。

 その第一歩を、こうした写本の書写という能動的な行為を試みることで、ささやかながらも実践的に踏み出したいと思います。
 独力で古写本が読めるところまでには、まだ高いハードルがいくつも屹立しています。しかし、まずは書写という実験を経ることによって、また新たに見えてくる課題にチャレンジしたいと思います。

 とにかく、この件では、広瀬さんのご理解とご協力を得られることになりました。そこで、来月中旬までに、東京の筑波大学附属視覚特別支援学校の先生と生徒さんたちの協力が得られたら、立体コピーと「みつろうペン」を使った実験をやってみよう、ということになりました。


 この件について、新たなチャレンジをしたら、またここに報告いたします。
 ささいなことでも結構です。アドバイスをいただけると幸いです。
 
 
 

2014年8月19日 (火)

立川市中央図書館から中野駅前のパブへ

 一仕事を終えてから、立川駅のすぐ北にある立川市中央図書館へ行きました。
 駅前の伊勢丹や高島屋の2階に併設されている通路を通って行くと、そのまま図書館の入り口に至ります。アクセスに非常に便利な図書館です。

 この図書館から過日、平安文学に関する話を今秋の読書週間にしてもらえないか、という依頼が職場の広報窓口にありました。国文学研究資料館の担当者が検討した結果、私が引き受けることになりました。

 図書館の教育部の方とメールをやりとりをする中で、私からは次の2つのテーマを提案しました。

(1)世界各国32言語で読まれている『源氏物語』

(2)『源氏物語』の写本に書かれている文字のおもしろさ

 これに関して、図書館の担当者は(2)の写本を読むことに興味を示されました。

 それを受けて、具体的に話を詰めるため、本日の仕事帰りに図書館に立ち寄り、詳細な打ち合わせをしたのです。

 話は無事にうまくまとまり、早速チラシ作成まで進みました。
 開催日時は、今秋10月26日(日)の午後、会場は立川市中央図書館です。
 詳細な実施内容については、そのチラシができたらここに報告します。

 その後、中野駅北口で出版社「おうふう」の坂倉社長と待ち合わせをし、ブロードウェーの近くで飲むことになりました。ロードウェーは、鉄人28号の盗難者の顔写真を公開するかどうかで物議を醸した「まんだらけ」があるショッピングセンターです。

 坂倉さんがよく来たというパブに入りました。


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 外観はイギリスによくあるパブを彷彿とさせます。こうしたお店は、知らないとなかなか入る機会がありません。落ち着いた店内の雰囲気にすっかりと慣れたこともあり、3時間以上も喋ってしまいました。
 病気のことや、京都のことなど。久し振りだったこともあり、話が止まりません。
 『源氏物語別本集成 続』のことや、3冊目の研究書もまとめないか等々、有り難い誘いも受けました。
 
 サントリーの系列店だったので、私はウィスキー「山崎」の水割りを2杯いただきました。気心の知れた仲間と気儘に飲むのはいいことです。

 明日の会議が終わると、すぐに京都へ移動します。明後日は、京大病院で手術後の経過を確認するためのCT検査があるのです。そして来週から再来週にかけては、断続的に検査の日々が続きます。
 私は自由気儘に、多忙と称する日々を送っています。しかし、主治医の先生は冷静に術後の経過を見守ってくださっているのです。これも、有り難いことです。

 来月から、またいろいろな仕事が襲ってきます。それを無事に遂行するためにも、しばらく身体の点検と調整をさせていただきます。そうしたこともあり、迅速な対応が出来ないかもしれません。ご寛恕のほどを、お願いいたします。
 
 
 

2014年7月29日 (火)

突然に診察打ち切りとの通告を受けて

 今日の北山は、連日の暑さが一休みとなったこともあり、きれいな山並みを見せていました。


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 京大病院での検査や治療が続いています。今日は、首から上を診ていただきました。

 特に眼科では、新しい研究テーマへの協力を依頼され、病院とは同意書を交換しています。そのような経緯があるので、自分の眼を実験台として提供していることで「何かお役にたつのならば」という気持ちから、病院との連帯意識を持っています。

 しかし、今日の診察が終わってから担当された女医さんは、特に問題もないし、これまでの観察から何も異常がないようなので、今後は町の眼科で何かあれば診てもらえばいいでしょう、とのことでした。そして、次回の予約も必要ないとのことでした。

 あれっ、と思いました。同じ言葉をかつて聞いたからです。
 その事は、「心身雑記(92)招かれざる患者となる」(2010/10/22)で書いた通りです。

 またまた、「招かれざる患者」扱いをされてしまいました。

 先生のおっしゃることは理解できます。特に問題がないのだから、これくらいなら町医者で、ということなのです。
 折しも、国からは、紹介状を持たずに来院する患者の初診の負担は増額する、という方向性が打ち出されています。大病院が混雑している現状を改善するために、町医者で十分な患者は遠ざけよう、という、無用な患者の追っ払いという方針なのです。
 大きな病気や難病及び緊急治療の成果をあげるために、緊急性を要しない患者は町医者へ、ということです。「掛かり付けの医者を推進する」という、きれいごとでごまかそうとしているのです。

 確かに、高度医療技術を持つ大病院は、町医者でも対応できる患者はあまり来てほしくないようです。しかし、安心して高度医療が受けられる権利は、誰しも持っているはずです。特に、医療が専門ではない一般の我々は、ややこしくならない内に、早期の対処をしたいのです。もし万が一大変なことになっても、大病院ならば何とか一命を取り留めてもらえる、という期待もあります。町医者の検査不足や誤診やたらい回しが一番いやなのです。

 そのこととは別に、今回の私の眼科の受診に関しては、「京大病院の未承認医療機器の実験に参加する」(2013年07月30日)で詳しく書いたように、私の身体のことだけではなくて、これからの医療に協力するということが病院側との約束の中に含まれています。

 また、この実験に協力するにあたっては、以下のような経緯がありました。


 今回の臨床研究は、新しい医療機器の有用性を調べるためのものでした。
 あらかじめ、京都大学医学部付属病院の倫理審査委員会において、参加する患者の人権の保護と安全性と科学性に問題がないかを審査し承認されたものだ、とのことです。

 臨床研究への参加を打診され、それを承諾したのです。
 しかし、今日は突然の診察打ち切り、とでもいうべきものが提示されました。

 今回は、いつもの先生ではなくて女医さんでした。私は女医さんとは相性がよくありません。東京での糖尿病の治療方針でも、女医さんは糖質制限食に関してはまったく聴く耳を持たないという姿勢だったので、胃ガンの手術を契機に病院を変えました。

 今日の眼科の先生のおっしゃることは、国の方針である、特に問題のない患者の排除という指導に従ったものなのでしょう。そうすると、昨年私が「未承認医療機器の実験に参加」という同意書を交わしたことは何だったのでしょうか。あの実験はもうなかったことにする、ということを、何の説明もなしに通告されたのです。

 よくわかりません。私は好意から、何かのお役に立つのであれば、という気持ちで、病院側からの提案に同意し協力しました。しかし、今日突然にもう来なくてもいいので何かあれば町医者に、というのは、どう考えても不可解です。

 かといって、病院に何かを言うつもりはありません。しかし、このような自分勝手なご都合主義で患者をあしらうことを続けていると、患者からの協力は次第に得られなくなることは必定です。

 患者から言うのも変ですが、もっと患者を大切にした病院経営をしてほしいと思いました。
 そんな私の気持ちがわかってか、帰りに見えた北山は、少しどんよりしていました。


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2014年7月 8日 (火)

歯医者さんから受けた再三の警告

 歯を噛みしめる生活が続いています。依然として改善されません。
 これまでに何度か書いたように、私は歯を食いしばって生きているそうです。その影響が、心身の至る所に出て来ます。

 自分ではあまり実感がありません。しかし、歯医者さんへ行くたびにそう言われます。そして、このままだと大変なことになりますよ、と脅されています。

 今日もそうでした。歯が痛くなるのは、ぐっときつく噛みしめるため、歯が骨に食い込んでいくからだそうです。こんな生活を続けていると、歯が下顎に食い込み砕けるとも。そのうち大手術になると、再三きつい警告を受けています。

 そう言われても、自分ではどうしようもありません。
 できるだけ、症状を緩和させるために、特注のマウスピースを嵌めて生活をしています。それでも、まったく改善されません。

 今回の先生からの提案は、食事の仕方を変えたら、というものでした。
 もの凄い力で咬み、すり潰しているので、その軽減を図っては、ということです。

 歯で噛んだりすり潰す回数を減らすために、(1)野菜を摂りすぎないこと、(2)肉は小間切れにしたものを口にすること、等々。
 食材を上手く工夫して口にするようにしたらどうか、ということです。すり潰した物や、適度に小さく切った物を口にすることを勧められました。

 ただし、この提案は、糖質制限のために取り組んでいる今の食生活と真逆の、相反する食事方法です。

 ここ数年は、血糖値を急激に上げないために、野菜を積極的に食べ、炭水化物を必要最小限に抑えています。自ずと、肉類中心になります。なおかつ、時間をかけてゆっくりと食べ、しかもよく咬んで、等々、食事を楽しみながら日々実行しているところです。

 それに引き換え、咬まなくてもいい食事は消化吸収がいいので、血糖値が上がりやすくなりがちです。

 昨日の京大病院では、食生活はこれまで通りでいいので、とにかくしっかりと寝るように言われました。それが、ストレスから来る逆流性食道炎を回避する方法だと。それは大丈夫です。
 睡眠時間をたっぷりとることは、今日から早速実行します。

 それにしても、食事は難題です。
 さて、困りました。
 頃合いを見計らって、適度に両立させることを考えます。
 世の中、なかなか上手くいきません。


 

2014年5月29日 (木)

2重に見えるメガネのレンズを作り替える

 国文学研究資料館では、日本全国の大学等に所属する研究者約200名の調査員と緊密に連携し、日本文学及び関連する原典資料(写本・版本等)の所蔵箇所に直接足を運び、書誌的事項を中心とした原本の調査研究を行っています。調査収集事業といわれているものです。

 開館以来40年で、約40万点の調査を終えています。日本全国に散在する日本文学等の資料はおよそ100万点はある、と言われています。まだ道半ばというところです。

 今日は、北は北海道・東北地区から南は九州・沖縄地区までの広範な地域から、国文学文献資料調査員の先生方90人が立川に集まりました。年に一度の調査員大会が、毎年この時期に開催されるのです。
 今日の戸外は28度でした。会場となった大会議室も、それに負けず劣らず熱気が感じられる大会となりました。

 遠方の先生方には、日ごろはなかなかお目にかかれません。また、若い方々とは研究分野が近くても、これまた話す機会が少ないので、こんな時には積極的に声をかけるようにしています。

 しかし、今日は何かと私が抱えている仕事が多くて、話をしようと思っていた方の半分もご挨拶やお話ができませんでした。Yさん、Aさん、をはじめとして、本当に申し訳ありません。来週の中古文学会の時に、お目にかかりましょう。

 夕刻以降、懇親会は欠席し、立川のメガネ屋さんに急ぎました。
 最近どうも目の焦点が合い難くなりました。特に、遠くの方が2重に見えるのです。そのため、ダブった映像を一生懸命1つに合わさるように努力する日々となり、そのせいもあって一日が終わるとドッと疲れがでるようになりました。

 以前、「斜位を見逃されメガネを作り直す」(2012年12月28日)という記事に、今使っているメガネの経緯を書きました。今回は、そのメガネが合わなくなった後日譚でもあります。

 そこで、今のメガネを作ってもらったお店で相談をし、いろいろとチェックをしてもらい、結局また作り直すことになったのです。
 先週発注されたレンズが、今日届くことになっていたのです。

 今度は、プリズムを前回よりも2段階アップしたものを入れることで対処してもらうことになりました。確かに、2重に見えていたものが、サッと1つに焦点が合って見えます。これなら、楽にものが見えます。

 特に、自転車に乗っている時、横を見て前を見直した時など、前の景色になかなか焦点が合わない、ということはなくなるはずです。

 レンズを入れ直すと、あれだけ難儀をしていた見え具合が、すっきりとします。チョットしたことなのです。さっさとすればいいのに、ずるずると引き伸ばしていました。もう少し様子を見てから、という考え方はよくないようです。

 問題を感じたら、さっさと対処する、ということの大切さを、あらためて思うようになりました。
 
 
 

2014年5月11日 (日)

山梨の石和温泉でひと休み

 山梨県笛吹市にある石和温泉で気分転換をしてきました。
 ここは昭和36年に果樹園から温泉が湧き、東京から行ける近場の温泉地として知られるようになりました。特急「あずさ」で都心から1時間半で行けます。

 笛吹川沿いにある宿にしました。
 露天風呂・内湯・客室と、どこでもアルカリ性天然温泉が掛け流しになっている、贅沢な温泉です。特に、南アルプスに沈む夕陽がきれいでした。


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 上の写真左側の笛吹川では、「桃源郷春まつり 川中島合戦戦国絵巻」というイベントが4月20日に開催されたそうです。橋の袂が会場です。

 甲州に馴染みのない私は、すぐにあの武田信玄と上杉謙信の闘いの場を思いました。犀川と千曲川が交わる中州の「川中島」です。井上靖も、この武田と上杉の話は作品に取り上げています。まさに『風林火山』の舞台です。

 しかし、この石和の笛吹川が両雄の川中島闘いで有名なところではありませんでした。「川中島合戦戦国絵巻」の説明を見ると、5回ほどあったとされる川中島の戦いで、第4回目の合戦を史実に忠実にこの地で再現したものだそうです。
 それでも、今回が35回目のイベントです。地元の熱意が継続の原動力となっています。昨年より、武田軍参加者には「風林火山」、上杉軍参加者には「毘沙門天」の1文字が入ったストラップ(非売品)がプレゼントされていました。私も集めてみたくなります。いろいろと工夫のある行事となっているようです。

 こぢんまりとした宿でした。しかし、非常に感じのいい、落ち着いたところだったので、ゆったりと何度もお湯に入りました。連休明けだったので、お客さんは数人です。

 食事も丁寧なもてなしで、ほろほろ鳥や地元のワインをおいしくいただきました。給仕の男性の方も、連休中は超満員でとにかく忙しくてお話はとてもとても、と言いながら、一品ずつ説明をしてくださいました。ゴールデンウィークで大賑わいした直後だったことが、なにかと幸いしました。

 帰路は高速バスで甲府から新宿まで、2時間もかかりませんでした。

 2年前、娘夫婦から結婚記念に旅行ギフトをもらい、井上靖の故里である伊豆湯ヶ島へ行きました。本ブログの「映画「わが母の記」のロケ地・伊豆湯ヶ島へ」(2012/6/10)に書いた通りです。

 昨年の母の日と父の日のプレゼントも、旅行に行ってくださいと言われながら、私の仕事の区切りがつかなかったこともあり、行けないままでした。いつかいつかと思っているうちに、また母の日と父の日が来ました。
 昨年の旅行ギフトが帳消しになりそうなので、慌てて時間を作ったという事情もあります。しかし、こんなことでもないと、なかなかのんびりと温泉には行けない日々であることは確かです。
 折しも婿殿の誕生日と重なり、その意味からもお裾分けのいい休息日となりました。
 
 
 

2014年5月 4日 (日)

電車の中で見た電磁波過敏症のステッカー

 昨日、芦屋から帰る途中の阪急電車でのことでした。

 私は、阪急芦屋川駅から梅田駅に出、そこであらためて始発の梅田駅から乗車したので、ゆったりとシートに座って昨日のブログの文章を入力することに集中していました。

 やがて、社内は混み合って来ました。しばらくすると、年配の女性が首からぶら下げたステッカーを、私の肩越しに差し出して、電磁波過敏症なのでスマートフォンを使わないでほしい、と私の耳元でおっしゃいます。

 突然のことだったので、すぐにはその意味が飲み込めませんでした。目の前に示されたステッカーに、「電磁波過敏症」と赤い文字で書いてあるのがはっきりと読めました。

 はっとして辺りを見回すと、私が乗っていたのはモバイル機器の電源を切る車両だったのです。
 

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 すぐにiPhone に文章を入力していた指を止め、そこまでを保存してから電源を切りました。

 車内が混んでいたので、よくはわからないながらも、確かに隣近所の方々はモバイルを触っておられません。隣の妻は、姉の家での庭仕事のお手伝いと喋り疲れてか、うつらうつらとしています。午後9時半頃でした。

 注意をしてくださった方は、私が電源を切ると、すーっと後ろに去って行かれました。
 ご迷惑をお掛けしたようで、本当に申し訳ないことをしました。乗り慣れない阪急電車という訳ではなく、公共交通機関でのモバイル機器の使用に、感覚が麻痺していました。

 この電磁波対策に関することは、私自身が早い段階からウェブを通して警告を発していたものです。

 過去のブログを見ても、割としつこく警鐘を鳴らしていました。
 
「【復元】女性専用車両大賛成の弁(2004年08月15日公開分)」(2010/4/28)

「【復元】磁気や電磁波の恐ろしさ(2005年10月13日公開分)」(2011/4/19)

「【復元】携帯電話の電磁波を調査すべし(2006年3月4日公開分)(長文注意)」(2011/4/20)

「何を今更「電磁波」と「発がん性」の認定」(2011/6/1)
 
 それなのに、年配の方から私の不用意さに注意を受けるとは、何とも面目ないことです。
 電磁波は目に見えないし、匂いもしません。タバコとは違うのです。それだけ、身体に影響が及ぼすと思われる方への配慮が必要です。

 自分の不徳をお詫びすることはもちろんのこと、すぐに今後のことに思いを巡らしました。
 現在、街中で、携帯電話やスマートフォンが使われています。電車やバスの中では、電源を切るようになっています。しかし、私も含めて、その便利さにひきづられて、場所を弁えずに使いたい放題、という現実があるのも事実です。

 インターネットにつなげたままで、経路を調べながら電車やバスで移動するときは、これほど便利さがしみじみと感じられるときはありません。外出時には、あまりの便利さ故に、肌身離さず持ち歩きます。
 それだけに、公衆の中での使い方を、もつと確認してもいいと思います。

 私は、エレベーターなどの金属で囲われた場所でのモバイル操作には、非常に危険を感じています。それは、電車などの箱の中でも同じです。そのはずなのです。しかし、ついスマートフォンに手が伸びて、車中で座ったり吊革を持ちながらでも、文章やメモを入力している自分がいます。

 モバイル機器は、まだ人類が手にして時間が浅いものです。
 その発する電磁波も、人体にどれだけ影響するのか、実のところはデータ不足のようです。
 私は電磁波測定器を持っています。携帯電話の時も、 iPhone を買い換える度にも、気休めであっても、この測定器で計測して納得していました。つまり、携帯電話の電磁波の数値がいくらだと人体や精神生活に問題になるのか、それを知る手掛かりとなる物差しが見当たらないのです。

 疑わしいから今は遠ざけておく、と言っても、その便利さを知ってしまった者としては、残りわずかなこの人生で、あえて禁欲的な生き方を自分に強いるのも抵抗があります。

 また、昨日の方が車内でステッカーを見せて注意を喚起してくださったことは、いろいろと考えさせられます。そのステッカーがどのような経緯で作成され、その方がどのような意図でお持ちだったのかも含めて、このモバイルという情報処理文具としての機器は、もっとその影響力を調査し研究すべきだと思います。
 特に、頭のすぐ横の耳に当てて使う事に関しては、自分の脳や身体を痛めつけることですから自分で納得すればいいことです。しかし、モバイルの操作や使用中の着信などで、利用者の回りにいる方に影響を与えるのであれば、これは重大な問題を抱えた機器ということになります。

 かつて、アメリカのクリントン大統領が選挙直前になって突然携帯電話の電磁波は人体に影響がないというコメントを流しました。支持母体に対する配慮からの発言でした。しかし、それは選挙後には取り消された、という情報をこの後に見ました。

 つまり、相当前から、そして今に至るまで、この電磁波と人体の影響については、まだわからないことが多いようです。

 リニア新幹線は電磁波の中に人体を置いて高速走行する乗り物なので、この問題には目を瞑らないで真剣に取り組む必要があります。
 また、上掲の車内に掲示されていたシールにある「PHS」はどうなのでしょうか。病院などでは治療機器に影響がないということでお医者さんや看護師の方々は「PHS」を使っておられます。
 さらには、普及の目覚ましい電磁調理器は、本当に安全なのでしょうか。

 突然に差し出されたステッカーから、忘れかけていた電磁波の問題を意識し出しました。
 この問題は、なかなか奥の深さを抱え込んでいそうです。
 この次にあのステッカーを首からぶら下げた方を見かけたら、いろいろとお話を伺い、勉強をしたいと思っています。
 
 
 

2014年5月 3日 (土)

退院した義兄のお見舞いに芦屋へ行く

 先月手術をした義兄が、幸いにも10日間の入院だけで無事に退院です。
 手術の日は、オペ室に入るときも、出てきたときも、いたって元気だったので心配はしていませんでした。

「義兄の入院手術で大阪中之島に急行」(14年4月4日金)

 その後の経過が良好で、今は自宅療養です。

 姉たちは、芦屋駅から急な山を登った、有馬温泉の手前の一角に住んでいます。駅まで迎えに来てもらえたので、芦有ドライブウェイの中にある家に行きました。
 ちょうど、去年の今頃、粽を持って行きました。

「30年ぶりに芦屋の姉の家へ」(13年5月5日)

 さすがに、山の上だけあって、肌寒さを感じます。

 兄はすっかり元気で、傷口が癒えるのを根気強く待つ生活のようです。
 最近はとみに庭の植物の世話に精を出しているとのことで、花や木や野菜がいっぱいでした。


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 姉よりも庭仕事に熱心で、これまた負けず劣らず庭作りが大好きな妻に、草花の名前や手入れの方法を伝授してもらう一時が、淡路島を見下ろす山中でゆったりと過ぎていきました。

 ゆっくりと話をして、たくさんの料理を一緒にいただいて帰りました。
 
 

2014年4月15日 (火)

食生活に見合った活動のバランスを考える

 昨日は京大病院で、糖尿病内分泌栄養内科の検査と診察を受けました。
 いつものように血液検査を受け、その結果をもとにして約1時間後に診察があります。

 診察室に入ると、最近の体調をたずねられました。体重が50キロを切ったことを伝えると、いつもより少し痩せたように見えたので、とのことでした。

 ヘモグロビン A1cの値は、前回の7.1(国際標準)から7.3に上がっていました。これは、体重が減るので、カロリーを摂ることを優先した食生活を心がけていたことが関係しています。

 先生は、年度末で忙しかったこともあるでしょう、とおっしゃっていました。私の生活パターンを理解してくださっているのです。
 摂取カロリー以上に動き回り、いつもより神経を使っているので、栄養のバランスが崩れているようです。動き過ぎで、根を詰めて仕事をし過ぎではないか、と。

 現在は1日5回以上食べています。1回にたくさん食べられないので、小分けしています。それでもエネルギーが足りないのであれば、もっと小分けしてでも、たくさん食べるように心掛けた方がいい、とのことでした。となると、しょっちゅう口の中に何かを入れていることになります。

 血糖値のことよりも、身体を作ることを優先すべきだとも。
 エネルギー消費に見合った食生活と、食生活に見合った活動のバランスを考える時期のようです。
 簡単に言えば、一度にあまり食べられないので、当面は日々の活動も控えめに、ということも意識すべきなのかもしれません。
 実際には、なかなか難しいことですが……

 これまでにも、いろいろなことをするのを自制したことがあります。しかし、これは性分なのでしょう。ついつい手を広げては、いけないと思いながらも、新しいことに取り組んでしまいます。

 どうしようもない性とは思いながら、どうにかしなければ、と立ち止まる自分を見つめる時があります。

 ともかく、今は体重を増やし、50キロに戻すことを最優先にするしかありません。

 今後とも、矛盾したことを言い、辻褄の合わない行動をするかもしれません。そこは、こんな状況にあるということで、平にご容赦をお願いいたします。
 
 

2014年4月 4日 (金)

義兄の入院手術で大阪中之島に急行

 ちょうど1週間ほど前に姉から、義兄が手術のために入院する、との連絡を受けました。
 そして、昨日入院し、今日無事に手術が終わりました。

 義兄は大病もなく、定年後の充実した日々を送っておられました。
 そこへ、降って沸いたような病気という現実と向き合うことになり、ここ数日は不安な日々だったことでしょう。
 素人判断での対処が思わしくなかった、そんな折に、病院勤務の娘(私の姪)の助言により、半信半疑で行った病院で事態の深刻さを知らされ、急遽入院して手術となったのです。
 気付いてからの対応が迅速だったので、事なきを得たと言えるでしょう。

 予定では、今日の午後2時からの手術でした。しかし、私の経験から、病院での手術は非常に時間的な誤差があるので、予定の2時間前には病室に行っているのが一番いい、と判断して、大分早めに出かけました。

 入院先である住友病院は、大阪中之島にあるリーガロイヤルホテルと大阪国際会議場の裏手にあります。お昼過ぎに着くと、案の定、予定よりも40分早く実施される、という連絡が看護師さんから告げられたところでした。早めに来たこともあり、これで義兄を手術室に見送れます。

 少し時間があるので、階下のレストランで軽く昼食をとることにしました。行ってみると、ヘルシーメニューで話題となった「丸の内タニタ食堂」のメニューが、ここのレストラン「いずみ」で食べられたのです。限定30食という「さんまのイタリア風南蛮定食」をたのみました。

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 タニタ食堂のランチに出会えたのも、手術の無事を願って足を運んだからこそです。
 ありがたく、ゆっくりといただきました。

 病室に帰ると、すでに義兄は術前に打つ精神安定の注射でウツラウツラの状態でした。
 すぐに看護師さんが迎えに来られ、エレベーターで病棟7階から手術室のある3階へ。この頃には義兄も目覚め、少し話ができました。
 手術室の前で見送り、また病室に戻った頃に、姪が息子を連れてやって来たところでした。今朝まで夜勤だったために遅くなって、と言っていました。末期医療の患者の面倒を看ているそうです。

 1時間半ほどで、ベッドと共に義兄が病室に帰って来られました。早かったのは、手術がうまくいった証拠です。切除と移植共々に、問題なく予定通りに終わったのです。

 病室で、賑やかに話をしてから帰りました。
 あの様子では、もう大丈夫です。
 安堵の気持ちで帰路につきました。
 1日も早い回復を願っています。
 
 
 

2014年3月20日 (木)

メガネ屋さんの専門職の方の存在

 先週、京大病院の眼科で検査を受けた際、メガネの度が合っていないとの指摘を受けました。
 視力が出ていないので、メガネを作り替えることを検討してみては、というアドバイスをいただきました。

 さて、どこでメガネを作ろうか、と思ったとき、思い付いたのは、やはりこれまでに何度もお世話になっている、立川駅南口にあるメガネのミキです。

 これまでの対応がよかったのです。ここ数年分の私の眼の情報が、ここには保管されているはずです。
 同じような動機で、同じようにしてメガネを作った経緯が、2年前にこのメガネ屋さんへ行った時の話として書いていました。

「斜位を見逃されメガネを作り直す」(2012/12/28)

 今回は眼科で指摘されたので行きました。このミキにしたのは、最近のデータがあるからです。それにしても、我が思考回路の単純なこと。ワンパターンで生きていることに、我ながら驚きます。

 対応してくださったのは、この前と同じ方でした。眼が合った瞬間、お互いが覚えていました。

 30分ほど、いろいろな角度からのチェックを受け、その結論は、前回とほとんど変化がないとのことでした。
 乱視の度合いをワンランク上げると、もっとよく見えるそうです。しかし、今あえてメガネを作り替えるほどではないと思います、とのことです。
 レンズもフレームも、いいものが使われていますし、とも。

 よほど体調が悪い時に病院の検査を受けられたのでしょう、と、お医者さんの弁護もなさっていました。

 先週、病院の眼科では、今にでもメガネ屋さんへ、という口振りでした。処方箋は半年後になる、と言われたのは不可解だとしても、慌てて来た私は拍子抜けです。あのお医者さんのことばは、いったい何だったのかと。

 今後、何か眼の不調を自覚するようになったら、また見てもらうことになりました。
 何かと物入りな時期でもあり、私としては助かりました。
 丁寧に調べてくださったメガネのミキのお兄さん。丁寧なアドバイスと、的確な対処をしていただき、ありがとうございました。

 お医者さんではない、メガネの技術者という専門職の方の存在を、あらためて再認識させられました。
 
 
 

2014年3月13日 (木)

京大病院は私のリフレッシュルームです

 昨日は、職場で思いがけない成り行きに対処することとなり、非常に疲れました。

 現在、科研の本年度の報告書である『日本古典文学翻訳事典』の作成を終えたところです。
 ホームページのデザインをしていただいたデザイナーさんに、報告書の表紙や扉もおしゃれなデザインにしてもらいました。
 また、2人の科研スタッフも、情報を整理し、版下作成ソフトであるインデザインを駆使して、いい本の原版を作ってくれました。私も、ワシントンに旅立つ日までに初校の校正を終えました。

 ところが、インデザインで作成したデータを印刷業者に入稿したところ、使われているフォントを持っていないのでPDFで印刷したい、とのことです。
 私の方は、何も特殊なフォントなど使ってはいません。インデザインさえあれば、フォントがどうのこうのなど論外です。無料で使えるヒラギノや小塚というフォントです。それがないので、入稿データの印刷ができないのだそうです。わけがわかりません。

 昨年も、ある業者にインデザインで作成したデータを渡しても、ワードか一太郎で入稿してもらえないかと言われました。
 また、納品にあたり、印刷物と印刷に使用したインデザインの最終データをもらうはずが、インデザインのデータはないとのことでした。そこで、ワードのデータをインデザインに流し込んだと思われるファイルをもらいました。ところが、そのインデザインのデータには文字化けがいくつかありました。本末転倒です。印刷屋さんが、プリントゴッコ屋さんになっています。

 昨日もそうでした。せっかくいい印刷をしようと取り組んで来たのに、PDFで印刷するのだというのですから。素人の印刷屋さんには、今年もがっかりです。安かろう、悪かろう、の典型的な話です。せっかくすばらしいデザインをしてくださったデザイナーさんにも、本当に申し訳ないことです。

 今回の印刷業者は、一昨年のこの時期に製本ミスをして慌てふためいた時と同じ業者でした。
「科研の報告書に製本ミスが見つかる」(2012/4/7)
 いやな予感がしていました。
 さて、今回の結末はどうなるのでしょうか。
 今から、気持ちは晴れません。

 とにかく、今回の報告書の印刷に関して、これからどんなことが出来するかわかりません。今後の対策を2人のスタッフと慎重に打ち合わせをしてから、急いで新幹線に飛び乗りました。翌朝、京大病院で検診があるためです。

 ぐったりとしてお弁当を食べ出したときです。急に食道が詰まり、まったく食べられなくなりました。
 私はお弁当を買っても、炭水化物を避ける生活をしているので、半分以上は口にしません。もったいないのですが、糖質漬けの社会では、はっきりとした意思をもって食べないようにしないと、血糖値が上がりっぱなしの生活になります。

 胸の支えがますます酷くなる中、しばらく座席でじっとしていました。しかし、状況はしだいに悪くなり、席を外して吐き出しました。とにかく、苦しい1時間半を、車内で過ごしました。

 これと同じことが、昨秋、スペインから帰りの飛行機の中でありました。
「スペイン拾遺—帰路の機内での腹痛—」(2013/11/18)
 あれの再現のような苦しさでした。

 京都駅についてから、市バスで河原町通り沿いに帰ろうとしていたら、ちょうど駅北口前で、軽快な音楽と共に虹色の噴水ショーが始まりました。

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 ロウソクのような京都タワーとこの光のショーを見て、少し胸の息苦しさが軽くなりました。これまでにも何度も見た光景です。しかし、ちょうど苦しい思いをしている時だっただけに、一息つくことができました。音と光には、気持ちを静める効果があることを実感しました。

 ゆったりとした気持ちになってからバスに乗って自宅に帰り、日付が変わらないうちに昨日のブログを書きました。

 今朝は、早朝から京大病院へ行きました。生憎、昨夜来の雨で、いつものように自転車で行けません。
 今日は、私のガンをきれいに切除していただいた岡部先生の定期検診です。いつも穏やかな対応をしてくださるので、岡部先生の診察の後は気持ちが安らぎます。

 今日は、昨夜の新幹線でのことをお話しし、何か対策を聞くことにしました。しかし、私の場合は消化管がないので、食道と腸のつなぎ目でさまざまなことが起こるのはどうしようもないのだそうです。昨夏も、そう言われたように思います。私は、病気ではなくて臓器が欠損しているだけなのです。

 消化管を切除した人によっては、食事時に胸が支えて苦しくなるというので、山芋を最初に食べる方もいらっしゃるそうです。ただし、この苦しさがいつ起きるかわからないので、予測ができないだけに、これもなかなか大変なことです。

 いろいろと参考になるお話を聞き、今後の予定や検査の予約などの手続きをして帰りました。
 その後、烏丸御池の歯医者で面倒な治療をしてもらいました。
 身体の至る所に問題を抱えて生きています。しかし、それも小まめに通院しているので、大事には至らない所で持ちこたえているようです。

 明日も朝早くから京大病院です。
 私はこの病院が好きです。気持ちが落ち着きます。命を救ってもらったことと、この病院内の環境が心地よい気持ちにしてくれるのです。こう言うと、家族はいつも笑います。しかし、こうして何も違和感なしに行ける病院があることは、無事に日々の生活を支える大切な一つになっていると思っています。この安心感があるからこそ、スペインにも、ベトナムにも、アメリカにも行けます。

 先生にそんなことを伝えると、いつものように (^_^) と笑っておられました。
 
 

2014年1月20日 (月)

予約を入れていない日の病院の診察

 上京前のお昼過ぎまでは、京大病院の診療棟の中で長い時間が過ぎていきました。
 朝一番に受付へ行きました。当初入っていた診察日に行けなくなったため、当日の診察に変更してもらうのです。
 電話でも予約の変更はできます。しかし、電話などの正規の手続きでは、次の診察は1ヶ月後になることがわかっていました。そこで、当日の受付で診察をしてもらうことにしたのです。
 ただし、予約が入っていない診察なので、患者さんの隙間に入れてもらうことになり、待ち時間が長くなるのです。

 しかたがありません。私の予定が立て込んでいるため、京大の診察日に当てている月曜日と金曜日が、主治医の先生とうまくシンクロしないのです。

 今日は、夜に荻窪で『十帖源氏』を読む会があります。京大病院がある聖護院から荻窪までは、4時間あれば行けます。そんな時間計算のもとに、思い切って病院に飛び込んだのです。

 ただし、2つの診療科を掛け持ちするので、余計に時間がかかります。
 そんなこんなで、朝8時から午後2時までの6時間を、診療棟で過ごすことになりました。
 私はこの病棟の雰囲気が気に入っているので、長時間でも気になりません。また、勝手知ったる病院でもあります。くつろげるスペースは熟知しています。

 待ち時間は、次から次へと入ってくる仕事のメールへの対処で潰れました。
 途切れることなく国内外からメールでの連絡が入って来るので、24時間いつも仕事の待ち受け状態の日々です。かつてのドリンクの宣伝そのままに、24時間働いているのです。
 今日は、院内にいた6時間で20通ほどの返信メールを出しました。ノートパソコンとiPhoneを駆使しての孤軍奮闘です。

 無事に診察が終わり、おなかが空いたので院内のレストランで健康食のハンバーグをいただきました。ここのレストランの方々は、実によく気の利くメンバーです。何か用事があって席を中座された方の料理には、さっと調理場へ持ち帰り、ラップをかけて元のテーブルに置かれるのです。見ていて、気持ちがいいほどです。
 京都府立医科大学病院の中にあるシェフのレストランといい、今や大学病院のレストランは様変わりしています。

 食事も終わり、さあ上京するために京都駅へとバスに乗って座った時、上着のポケットに入れていた病院内呼び出し機(ポケットベル)が圏外にあることを知らせていることに気付きました。
 しまった!
 機器を返却するのを忘れていたばかりか、まだ清算をしていなかったのです。

 慌てて次のバス停の東大路二条で降り、東大路通りを北に向かってまっしぐらに走って病院まで引き返しました。

 新幹線では、職場からのメールに8通の返信をし、文庫本を1冊読み終え、東京駅の連絡改札を出ようとしたときです。突然メールが飛び込んできました。この会をとりまとめてくれている畠山君からです。本日の『十帖源氏』を読む会の参加者は、風邪のために欠席が多いとのことです。

 しばらくして、さらに欠席者が増えたとのことで、急遽本日の勉強会は休会にすることとなりました。
 今日は、荻窪駅前の「あんさんぶる荻窪」で6時半から始まるはずでした。時間は開始1時間前の5時半です。私はそのまま、地下鉄かJRで荻窪駅に向かうところでした。

 今日から参加するインドの留学生と、中国の留学生に大至急電話とメールをしました。
 間一髪、なんとか連絡がつきました。

 今日も、慌ただしい1日でした。
 東京は風邪が流行っているようです。
 今夜は早めに温かくして休むことにします。


2013年12月22日 (日)

「天声人語」で紹介された島根県のこと

 先週の「朝日新聞」(2013年12月16日、朝刊)の「天声人語」で、島根県のことが話題に取り上げられていました。
 島根県生まれの1人としては、心穏やかではいられない内容に驚きました。


7年前のネット調査の結果がある。日本地図の上でどの位置にあるかわからない都道府県の1位になったのだ。

 これによると〈日本で47番目に有名な県〉なのだそうです。
 内心、複雑です。
 記事にもある通り、「出雲大社」や「宍道湖」があるのに。
 そうなのだろうか? とも。
 いや、この調査なるものが、どのような意図で、どのような方法で、誰が誰を対象に、何時、どれ位の期間、そして何人中何人の回答が得られたのか?

 それが「7年前」の「ネット調査」とあるだけに、記事に引用されるにあたって、その根拠の信憑性に疑念を抱きました。
 しかも、この不確かな情報を引いて、「天声人語」が私にとって不愉快な記事を書いているのです。

 私は、結婚するまで東北地方の地図が曖昧でした。
 妻の生地が、東北を身近な地域にしてくれました。
 人の意識は、地域により、時期により、さまざまに変化します。
 多様な人々の意識調査を、個人的な都合で引用するのも問題です。
 手元の資料をもとにして、それをひとしなみに日本人の意識としていいのか、などなど。

 島根県が「自虐カレンダー」によって認知度を高めようとしていることにも、複雑な思いを持ちました。
 知られていないことから、「認知度が最低。これはわかりやすい。逆手に取って売りにしよう」ということなのだそうです。
 しかし、それにしても、「自虐」とはあまりにも惨めな紹介のされ方です。
 日本人特有の「自虐史観」に結びつける意識が、この天声人語子にはあるようです。

 この「天声人語」の結びは、次のようになっています。


自虐戦略は功を奏しつつある。よそでも「おしい! 広島県」が話題になったりした。自分で自分を笑う。心に余裕のある大人でないとできることではない。自慢よりずっと上等である。

 私は、この意見に与することはできません。
 島根県人を侮蔑しているとしか思えません。
 天声人語子の本意はともかく、結びの言葉を急いだがための失態と言えるでしょう。
 ひいては、朝日新聞の失態です。
 
 以下に、私が本ブログで紹介した、出雲に関する記事を抜き出してみました。
 島根県を理解していただく一助にでもなれば幸いです。
 
【4.3-江戸漫歩】「江戸漫歩(42)お江戸日本橋へウォーキング」(2011/6/26)
 
【2-源氏物語】「手銭記念館の源氏絵屏風で教示を乞う」(2009/12/18)
 
【5.1-回想追憶】「50年前の自分に会う」(2009/12/19)
 
【1-古典文学】「アンビカさんへ—出雲の阿国レポート」(2009/12/20)
 
【5.1-回想追憶】「千家のおじさんの訃報を聞いて」(2013/8/30)
 
 
 なお、かつて朝日新聞を配達していた新聞少年の一人としては、これまでにいろいろな形で朝日新聞をとりあげています。
 その一端も、以下に抜き出しておきます。
 
「源氏千年(34)低次元の朝日新聞の記事に溜め息」(2008/4/27)
 
「源氏千年(35)朝日の「みだし」への疑問解消!」(2008/4/27)
 
「源氏千年(50)朝日新聞の文化欄に」(2008/6/24)
 
「学問とは無縁な茶番が再び新聞に」(2009/8/11)
 
 先日、朝日新聞の取材を受けたばかりなので、こうしたことが気になり、過去の記事を読み直してみました。
 
 

2013年12月19日 (木)

親友の手術入院の報を受けて

 大学の同窓生で、『源氏物語』を共に勉強し、研究してきた仲間から、突然手術をしたとのメールが来ました。
 ガンが再発したために急遽手術をし、今は入院しているとのことです。

 手術は無事に終わったようなので、安堵しています。
 しかし、私と同じ頃に、同じようにガンで手術をし、また今度もガンだと……
 再発したようです。
 人間の身体は厄介です。
 
 昨日、名古屋から新幹線で上京する途次、晩ご飯は名古屋駅のホームで買った「みそカツ弁当」にしました。
 ご飯だけは残し、あとは味噌カツとおかずを食べました。
 ところが、ゆっくりと食べていたのに、しだいに食道を通らなくなり、やがてお腹が痛くなりました。
 これは、私にとってはよくあることなのです。
 しばらくは、箸を休めてジッとしていました。
 しかし、それでも治まる気配がありません。
 次の停車駅である新横浜の手前まで、この腹痛に耐えていました。

 私のガンの執刀医であったO先生から、私は臓器が欠脱しているだけで、それは病気ではない、と言われています。
 そのため、食後にお腹が痛くなるのは仕方のないこと、と諦めています。
 こんな自分の身体と、末永く付き合っていくしかありません。

 研究と病気で意気投合している仲間が再発したことに、あまり動揺はありません。
 先週は、彼が刊行した『源氏物語』の古注釈書を活用して、論文を1本書いて入稿したばかりです。
 お互いに啓発し合いながら40年以上の歳月を経て来たので、いろいろなことがあるさ、との思いでいます。
 この次に会うときには、「大丈夫か」と声を掛けるだけで、いつものようにお互いの仕事の話をすることでしょう。

 そういえば、彼が構築している『源氏物語』の本文に関するデータベースを、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉で預かって次の世代に伝える約束を、今春したばかりでした。
 このデータベースは、彼の家に泊まり込んでスタートさせたものでもあります。
 これを機会に、この件についての話を詰めなければなりません。

 お互いに、自分がやってきた仕事を、次の世代に引き継いでもらう用意をする時期にさしかかってきていることを、彼の入院を機に強く意識するようになりました。

 いずれにしても、1日も早い退院を願いながら、これからのお互いのことを相談しなければなりません。
 家に帰った、という知らせを待つことにしましょう。
 
 

2013年10月 4日 (金)

京大病院でチューニング中です

 相変わらず、仕事の合間を縫うようにして、身体の微調整やら応急修理をしています。
 病院は待ち時間が長いので大変です。しかし、そこは勝手知ったる京大病院。時間潰しをする場所には事欠きません。

 今日は、歯科口腔外科にピットインです。
 歯の調子が悪くて、上手く喋ることができません。東京の歯医者さんの治療も、今の私の状況が解決できないので、望みを京大病院に託しました。
 今月下旬には、日頃使わない英語で話をしなければなりません。そんな時に、呂律が回らないのですから一大事です。

 ここにくれば、何とかしてもらえます。今回もそうです。ただし、今後の治療のことは開業医を紹介する、とのことです。遠回しに、これは私たちの仕事ではないと。

 そういえば、かつてもこれに近い経験をしました。
 今からちょうど3年前に、眼科へ行ったときのことです。「心身雑記(92)招かれざる患者となる」(2010/10/22)の中で、以下のように書いています。


 診察をしてくださったお医者さんは、これくらいのことでいちいち大学病院へ来てもらっても……と言われました。
 意外なことばだったので、面と向かってストレートにこう言われると、どう反応していいのか困ります。
 お医者さん曰く、こういう症状は、町の眼科へ行って診てもらって十分だとも。
 要するに、もっとややこしい症状のときに来るのが大学病院だ、と言うのが、この診察をしてくださったお医者さんの言い分であることが、いやというほど伝わってくる対応でした。また、そのような表現をなさっていました。
 露骨に、こんなことで大学病院に来てほしくない、という言われ方でした。

 この眼科とは、その後は「京大病院の未承認医療機器の実験に参加する」(2013/7/30)で報告したように、お互いに良好な関係にあります。

 今回も、あの時ほどストレートではないにしても、結果的には今後は町医者に、ということでした。
 今回、丁寧に診てもらえたのは、東京から持参した診断書があり、緊急を要することもあったからです。そのための手当をし、後は開業医を紹介しますのでそちらで、ということなのです。

 説明はよく理解できました。
 そして、診療の結果として喋ることが楽になり、私は助かりました。
 もっとも、保険が適用できない治療だとのことで、10割負担でしたが。
 今後とも、こうした大病院へ行く時には、少し考えてからにすべきでしょう。
 今回は、東京の歯医者さんの紹介状があったので受け付けてもらえた、ということです。

 それにしても、病院にはたくさんの患者さんがおられます。日本の医療について、こうした状況に置かれた時に、その有り様について考えます。
 自分を助けて欲しい、という気持ちは万人にあります。何とかしてもらえるならば、縋るような気持ちで、少しでも大きい病院で診てもらおうと思います。何とか問題を解決してほしいからです。しかも、可能な限り完全な完治をめざして。

 そのあたりのことを考えると、現在進行中の高齢化社会も見据えて、一人でも多くのお医者さんが必要です。はたして、この辺りは現在はどうなっているのでしょうか。
 具体的には、私は情報を持っていないし、実態に疎いのでこれ以上は考えられません。ただ言えることは、一人でも多くのお医者さんを育て、確保する方策がどうなっているのか、という問題には注視しています。

 自分がその立場にならないと、現実の問題として考えられないので、こんな時に思いを廻らせたしだいです。現場で、あるいは現実を知る方々にとっては、幼い考え方だと思われるでしょう。今はこの程度です、ということでご寛恕のほどを。
 
 そんなことを思いながら賀茂川を散歩していました。
 西賀茂あたりの夕焼けが、いつもと違う色合いできれいでした。
 

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 そういえば、昨日の新幹線から撮った夕陽がありました。
 これは、愛知県を通過中の光景だったと思います。
 夕焼け空も、所によって違いがあり、さまざまな色で楽しませくれるようです。
 

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2013年9月 9日 (月)

歯医者さんで手術を受けて来て

 これまでにも何度か記したように、ここ数年は歯の調子が悪くて難儀をしています。
 食事の不便さ、喋りにくさ、歯磨きの面倒くささ等々、四六時中のことなので問題は深刻です。

 今日も、根っ子の治療のはずが、急遽手術となり、歯を1本失うことになりました。
 自分では「痛い」とか「滲みる」と言うしかありません。口の中で生じている事態に対して、具体的に自分でどうこうする術も、判断もできないことでもあり、歯医者さんの言いなりです。

 毎度、歯医者さんからは歯を食いしばらないように、と言われています。
 しかし、そう言われても……

「歯医者さんに歯を噛みしめないでと言われて」(2013/3/9)

 麻酔が効いているので、今はまだましです。
 しかし、明日が思いやられます。
 8月も、左側だけで食事をしていました。
 心なしか顔が歪んできたような気がします。

 前歯と右上と右下に問題があります。
 昨年の初夏から治療にかかり、1年以上たっても、いまだに治療が続いています。
 もう、自分の努力の限界を超えていて、完全に歯医者さんのコントロール下にあります。
 今回の治療が一段落したら、あらためて今後のことも含めて再検討します。

 歯医者さんを替えたら、と妻は言います。
 しかし、それはそれで、これまでの経過を考えると煩わしそうです。
 今の歯医者さんが良いと言って紹介してくれたのは妻です。
 自分だけサッサと治しておいて…………
 何事にも相性というものがあるようです。
 
 
 

2013年8月29日 (木)

3年目の検診結果は問題なしでした

 胃ガンに伴う消化管切除の手術をして、ちょうど明後日で丸3年になります。
 この夏の京大病院における一連の検査を通して、総合的な診断をしていただきました。
 消化管外科の岡部先生は、執刀してくださった主治医です。
 いつも、おだやかな対応をしてくださるので、安心してお話を伺い、相談もできます。
 診察結果としては、術後の経過は良好で、何も問題はないそうです。
 3年間の経過と先日のCT検査からは、転移も新たな悪性腫瘍も見られないので、まずは一安心。
 本当に初期の段階での手術だったので、こうして元気にしていられるのです。
 ただし、術後の5年は定期的に様子を見続けましょう、とのことでした。
 今後とも、これまで通り、無理のない生活を心がけます。
 と言っても、これがなかなか難題ではありますが。
 なお、貧血気味であることは、これまで通りでした。
 ヘモグロビンの量が低いのは、術後のためもあって仕方がないようです。
 今度、このビタミンに関する検査をしておきましょう、とのことでした。
 今飲んでいるメチコバールという薬以外に、たまにビタミン注射をするのもいいようです。
 術後5年以内は何かと不安定な状況にあるので、様子を見ながら対応していただけます。
 とにかく、大事に至ることなく、経過も良好なので安心しました。
 
 
 

2013年8月22日 (木)

京大病院でCT検査を受ける

 胃癌の切除手術後ちょうど3年が経過したので、胸部と胃部のCT検査を受けました。
 朝食は絶食で、となっていたのに、うっかりコーヒーと牛乳を飲んでしまいました。
 ただし、検査までに3時間以上あったので、すれすれセーフでした。

 まず、血液検査がありました。これは、先日の糖尿病のための血液検査と、ほとんどの項目が同じでした。

 京大病院における私の検査結果や診察・投薬に関する情報は、「特定非営利活動法人 京都地域連携医療推進協議会」が提供する〈まいこネット〉の「Web電子カルテシステム」によって、居ながらにして知ることができます。いつでもどこからでも、インターネットを通して自分のカルテが確認できるので重宝しています。
 
 
 
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 先日の検査結果をパソコンで閲覧して確認したところ、コレステロールに関するものがなくなり、カルシウムや鉄などが追加されています。貧血の鑑別目的でなされる、不飽和鉄結合能を調べる検査もしていただいていたのです。

 私は、18歳の時に十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎になり、胃の3分の2を切除しました。それ以来、貧血気味との指摘をずっと受けています。私の名前には「鉄」が付いているのにもかかわらず、「名は体を表す」という言葉は、私には適さないのです。

 さて、今日は造影剤を用いたCT検査でした。
 軽い副作用が3%もあるとのことです。特に、糖尿病で薬を使用している者は要注意だとか。幸い、私が服用している薬は消化を遅らせるタイプのものだったので、問題はないそうです。それでも、何度も薬の名前を確認されました。

 コンピュータ断層診断を受ける台に上るのは、すでに何度も経験しているので慣れています。
 最初は、身体を目に見えないビームでスライスされるので、不思議な気持ちで受けました。しかし、今はそれにも慣れ、それよりも造影剤を注入された時に、身体が熱っぽくなる感触が不気味に思われます。
 今日も、両手を挙げた指先から熱が発生し、次第に顔に移り、全身に熱っぽさが拡がります。誰にもある反応なので、何も心配はないそうです。
 円筒形の中を1度だけ通って終わりでした。あっと言う間だったので、拍子抜けです。

 検査後に渡された、注意事項を記したプリントに、「蕁麻疹」という文字がありました。
 日頃は見ることのない漢字なので、すぐには読み方が浮かびませんでした。「蕁」という漢字に、反射的に目が釘付けになったのです。そして、知識でそれを「じん」と読みました。
 そうかと思うと、その直前には「ひどい咳」と書いてあります。「酷い」という漢字は使われていません。

 患者が病院から受け取るプリントに印字された漢字や外来語は、今一度確認し、優しい表記を心がけた方がいいように思いました。
 病院では、幅広い世代の人々に印刷物を渡しておられます。日本語文が得意ではない方もいらっしゃると思います。
 命に直結する内容が記されているものも多いだけに、病院内で患者に渡される文書の日本語表記を、国語を専門とする方がどれだけチェックなさっているのか、気になりました。
 いろいろと対策はなされているのでしょう。しかし、対象者が幅広いだけに、全国的な統一が必要だと思いました。

 今日の結果は、来週、消化管外科で主治医の先生から教えていただけます。
 それまでは、極端に生活のリズムを乱さないように、また暫し休息の日々となります。

 7月から8月にかけての夏は、私にとっては身体の総点検をする期間です。
 自動車で言う車検、船舶でのドック入りです。
 この間に、あらゆる部品に緩みや変質がないかをチェックしてもらいます。
 そして、9月からまた活動を再開することになります。
 
 
 

2013年8月19日 (月)

京大病院の検診でヘモグロビン A1cの改善を確認

 京大病院で糖尿病の検査と診察を受けて来ました。
 この病院へ来ると、いつも寿命が延びる気がします。
 心落ち着くものがあるのは、どうしてでしょうか。

 身体のことを徹底的に調べてもらえるので、いつも安心していられます。
 私の身体の中で何か異変が起きていても、この病院のお医者さんなら何とかしてもらえる、という信頼感が基底にあるのです。
 この安堵感が、気持ちをほぐしてくれるのでしょう。

 いつものように、診察前の検尿と採血がありました。
 1時間前に検査をすると、ちょうど診察時に結果が出ているようになっています。

 採血の時に、持参した血糖測定器「メディセーフ ミニ」(テルモ製)にも、血液を採取しました。
 食後1時間の数値は134でした。
 さて、病院の計器と自分持ちの機器では、どれくらいの誤差があるのか、診察の時の結果が楽しみです。

 今日は主治医の長嶋先生が休診で、若い山野先生が代診でした。

 まず、血液検査の結果からです。今日の血糖値は147。私の簡易測定器の134は、いわゆる誤差の範囲内だそうです。

 そして、肝心のヘモグロビン A1cの値です。

 1ヶ月前のヘモグロビン A1cについては、「中野のワンコイン検診でヘモグロビン値を測る」(2013/7/2)で報告した通りです。

 今回は6.9でした。予想通りです。
 7.0以下が合併症予防の目標値なので、それはクリアしています。


<2013年6月1日以降の新しい管理基準>
(1)血糖正常化を目指す際の目標 6.0%未満
(2)合併症予防のための目標 7.0%未満
(3)治療強化が困難な際の目標 8.0%未満

 この半年のヘモグロビン A1cの変化は、次のようになっています。


3月 6.6(中野ケアプロ)
4月 6.9(京大病院)
5月 7.2(中野ケアプロ)
6月 7.4(京大病院)
7月 7.1(中野ケアプロ)
8月 6.9(京大病院)

 6月をピークにして、順調に下降しています。
 この2ヶ月間は、毎食前にベイスンという、消化吸収を遅らせる小さな薬を飲んでいました。
 担当医の長嶋先生の指示を守ったのは、今回が初めてだと思います。不真面目な患者です。
 ただし、自分なりの血糖値対策を兼ねた実験をしていて、1日6回食の内、薬を飲んだのは朝昼晩の3回です。その間の3回の間食では、この薬を飲んでいませんでした。

 さらには、主治医の先生が勧めないとおっしゃる、炭水化物を制限した食事をしていました。
 糖質制限と言っても、毎日一食くらいは、少しではありますが、主食としてご飯などの炭水化物を摂っていました。いわゆる、緩い糖質制限食です。

 今日の結果は、自分としてはほぼ予想通りでした。
 昨夏の1ヶ月間の検査入院で、自分の身体の中で血糖値がどのように変化しているのかが、大体実感としてわかるようになりました。日々の食事に糖質制限食を導入して、ちょうど2年目です。
 先般の6月前後は、血糖値をコントロールする調整に失敗した、と思っています。

 明日から次の2ヶ月間は、同じような食事で、1日6回ともに薬を飲んでみようと思います。
 さて、どんな結果がでますか。
 さらに安全圏とされる「6.2」に近づくのか、それとも変化なしか。
 これは、今飲んでいる薬の効果を試すものでもあります。
 また、楽しみが増えました。

 自分の身体を使った実験をしているので、誰に遠慮をすることもありません。
 とは言うものの、主治医の先生の指示に素直に従っていないことには、本当に申し訳ないと思っています。
 また、日々、こんな面倒な私の食事を管理してくれている妻には、とにかく感謝しています。
 
 
 

2013年8月12日 (月)

猛暑の中を大和平群でお茶のお稽古

 全国の各所で40度を超す暑い夏となっています。
 京都は36度、昨日の奈良も、ほぼ同じくらいの暑さの一日でした。
 ペットボトルにお茶を入れて持ち歩いています。

 婿殿が我が家に来て泊まって帰りました。
 朝、私はお茶のお稽古のために奈良に向かいました。
 婿殿は、下鴨神社をお参りしてから帰るとのことで、玄関を出て白河疎水通りのところで左右に分かれました。

 後で聞いたところによると、婿殿は下鴨神社の近くで熱中症かと思われる症状となり、大急ぎで、出がけに妻から渡された冷たいお茶を頭からかけて、とにかく体温を下げることに専念したそうです。
 我が家から下鴨神社までは10分ほどです。そんな短時間に、あっと言う間もなく気分がわるくなったようです。

 そのとっさの判断がよかったようで、無事に生気を取り戻し、帰路に着いたとのことです。
 あの時に冷たいお茶がなかったら、自動販売機でペットボトルを買うまでに倒れていてもおかしくない状況だったそうです。まさにラッキー、というべき出来事だったのです。

 とにかく、無事でよかった、よかった。
 それにしても、熱中症は突然くるようなので、油断は禁物です。
 まさかの場合に頭に掛ける水などは、この熱帯地方と化した今の日本では必需品のようです。

 さて、いつものように大和平群の元山上口駅に着くと、案の定、熱風が顔を撫でて行きました。
 そこから少しずつ坂を登り、次に急勾配を這うようにして上がっていきます。
 それでも、やはり山に挟まれた高台ということもあり、しだいに風とお日様が優しくなります。山は不思議な力を持っています。

 この町に二十数年いました。身体のためには、自然の優しさで健康を守ってくれた町です。
 この町に、月1回とはいえ、足を運ぶのは楽しみです。京都の自宅から2時間半の小旅行を楽しんでいます。

 今日は、もうすぐ我が家で行う予定の、仲間を追悼するお茶会を想定してのお稽古です。
 あらかじめ先生には、そんなイベントをするので、とお願いしてありました。今日は、そのための最低限の知識と作法を、懇切丁寧に教えていただいたのです。
 私のお稽古は、目的のための実践的なお茶となっています。

 洗い茶巾というお点前の稽古をしました。
 茶碗に茶巾を広げて置き、そこに水をタップリと張って、茶筅を乗せてセットした茶碗を、両手で運ぶのです。そして、茶碗の中の茶巾を軽く絞り、建水の上でさらにしっかり絞るなど、いつもとは違う動作をします。
 水をお客様の前で扱うので、目と耳で楽しむことになります。この暑い時には最適のお点前です。

 水差しと茶碗の一つをガラスにしてお稽古をしたので、いつもよりも涼しそうな雰囲気になりました。
 茶碗よりも、水差しをガラスにしたほうが、お客様にずっと見えるものなので、夏らしくていいと思われます。このスタイルを今度のお茶会ではやってみるつもりです。

 いつもと違うやり方が加わったので、多少パニックです。しかし、順番さえ覚えれば、後は仲間内のお茶会なので、話をしながら楽しくやることに専念すればいいでしょう。

 亡くなった人を思い出してあげるのが最高の供養だ、と言われています。お茶を飲みながら、気心の知れた仲間と思い出話をすることで追善供養になれば、それに越したことはありません。

 今日は、とにかくいろいろと質問し、さまざまな場合の対処方法を教えていただきました。
 我が家での追悼のお茶会は、今週15日正午からと決まりました。
 明日から、洗い茶巾のお点前を思い出しながら、少しずつ練習を重ねていく予定です。
 
 
 

2013年7月 2日 (火)

中野のワンコイン検診でヘモグロビン値を測る

 京都大学病院の糖尿病内科へは、2ヶ月に1回の診察サイクルで通院しています。2ヶ月というのは、指標となっているヘモグロビンA1cの値が、2ヶ月の平均値を示しているものだからです。

 そこで私は、自分の体調と食事管理の意味から、その間の1ヶ月目の分として、中野駅前のワンコイン検診「ケアプロ」でヘモグロビンA1cだけを測っています。

 今日のケアプロでの測定値は、「7.1」でした。
 1ヶ月前の6月3日の京大病院では「7.4」でした。
 この調子なら、来月中旬の京大病気での検査は、安全圏の目標値である「7」以下になりそうです。

<2013年6月1日から施行予定の新しい管理基準>
(1)血糖正常化を目指す際の目標 6.0%未満
(2)合併症予防のための目標 7.0%未満
(3)治療強化が困難な際の目標 8.0%未満

 前回の京大病院での検査結果については、「血糖値が上がった原因はお菓子?」(2013年6月 3日)に書いた通りです。

 体重は50キロを行きつ戻りつなので、私の体重については、どうやらこの辺りが落ち着き先なのかもしれません。

 先月の値が高かったのは、確かにパリパリしたお菓子をコーヒーと一緒に食べていたことが関係しているように思えます。
 最近は、パリパリはしていないチーズや都こんぶを、コーヒーと一緒に口にしています。
 これで満足しているので、結局は何か口にしていればいいということです。口寂しさを紛らわすものであればいいようです。

 前回の診察で、主治医の先生からは、消化吸収を遅らせる薬「ベイスン」は、毎食前に飲むように、と言われていました。

 現在、お昼以外は、炭水化物を極力摂らない食事をしています。薬は毎食前に飲むようにしています。
 これで「0.3」下がったので、現在の自分の身体を使った人体実験は、良好だと言えるでしょう。

 今後は、薬を飲む回数を減らす中で、徐々に薬を口にしない日々を多くすることを目指したいと思っています。

 豊かな食生活を、とおっしゃる先生の指導のもとに、今は薬を併用しながら糖質制限食を取り入れています。
 糖質制限食について、先生は勧められないという立場です。そのことを理解しながらも、私なりに試行錯誤の食生活に取り組んでいるところです。

 昨夏、栄養指導として1ヶ月ほど入院して、さまざまな食事のパターンにチャレンジしました。その結果、日本糖尿病学会が推奨しているカロリーコントロールは、私の血糖値を上げるだけだったように思います。問題は、カロリー制限ではなくて、いかに血糖値を上げない食事を心掛けるか、ということに尽きるようです。そのための糖質制限食と、豊かな食生活との兼ね合いが、私にとっての課題なのです。

 糖尿病学会が示している、わざわざ血糖値を上げるだけの食事をし、上がった血糖値を今度は薬で無理やり下げるのは、どうも承服しがたいのです。
 これは、あくまでも素人判断です。しかし、私の理解で当面は対処していくつもりです。

 最近、特に気になるのは、食事を始めてしばらくすると、急に吐き気がして食べられなくなることがよくあることです。しばらく休むと、また食べられるようになります。
 そのこともあり、みなさんと一緒に外食をすることは、極力控えるようにしています。
 申し訳ないと思いながらも、我が身を守ることと、みなさんに不快感を与えないように、自分なりに気を使って、そう心がけているところです。

 これも、私の手術を執刀して下さった岡部先生によると、私には消化管がないのだから、その自分の身体の反応に馴れるしかない、とのことです。
 こんな自分の身体とは、今後とも気長に付き合っていくことにします。
 
 
 

2013年6月 3日 (月)

血糖値が上がった原因はお菓子?

 今朝の体重は、最近の目標である50キロをクリアして、50.4キロでした。昨日は51キロありました。当面の体重50キロという目標は、何とか達成しています。これは、我が身の軽量が気がかりだった日々を、明るくしてくれる材料となっています。ダイエットをしている方には申し訳ありません。

 やはり、体重が50キロあると気分的に楽です。40キロ台を行きつ戻りつしていると、どことなく自分が病人であることを常に自覚する日々なのです。気の持ちようなのでしょう。しかし、東京の深く潜る地下鉄などで、地底から吹き上げるかのような風に飛ばされそうになると、おのれのひ弱さを実感します。情けないことですが。

 2ヶ月毎に、京大病院へ血液検査と診察に行っています。
 途中の賀茂大橋からは、如意ヶ岳の大文字がきれいに望められました。
 
 
 
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 ひたすら賀茂川を南へ南へと自転車を漕いで行きました。自宅から15分で、正面玄関に到着します。

 今日の京大病院での検査では、ヘモグロビン A1cは「7.4」(国際基準値)でした。2ヶ月毎に測定している値は、2月「6.9」、4月「6.9」だったので、4月以降この2ヶ月間で大きく跳ね上がりました。
 もっとも、私は個人的に、中野駅前のケアプロで1ヶ月後の値も計測しています。それによると、3月5日「6.6」、5月7日「 7.2」だったので、今回に至るのは徐々に上がってきた、というのが正確です。


 6.9 → 6.6 → 6.9 → 7.2 → 7.4

 最近改正された指針によると、「7」以下が目標値となっています。

 このところ、血糖値を気にしながらも、体重を増やすことを優先した食事をしていました。また、最近はとみに一回の食事量が減っていたので、食事の回数も5回以上と多くなっていました。
 知らず知らずのうちに、少量ずつながらも糖質が蓄積されていたのでしょう。血糖値が高くなりそうな食事のときだけ、病院からもらっていた薬のベイスンを飲んでいました。小刻みに食べていたことと、この薬の使い方がよくなかったようです。

 昨夏、1ヶ月の検査入院で、私の身体内で起こる、血糖値が上がるパターンはわかっていたはずです。しかし、どうやら何かが違っているようです。薬に頼った生活をしたくないので、いろいろと工夫をしてきたつもりです。

 主治医の長嶋先生からは、ベイスンという消化を遅らせる薬は、とにかく毎日毎食前に飲むように、とのことです。そうすれば、確実に下がるから、と。糖質制限食の時でも、飲んだ方がいいそうです。糖質制限はすすめない先生です。豊かな食生活、というものを大切にしたいとの思いを持っておられるのです。
 しかし、私は内心、まだ素直になれないのです。何かが違うのです。

 ここ2ヶ月間、そんなに大量の炭水化物を摂る食事だったかな? と自問しました。それにしても上がり過ぎです。ヘモグロビン A1cが「6」台になるように、心して食事に気をつけます。ただし、体重は50台をキープすることは、今後とも守りたいことです。

 この検査結果を、東京にいる妻に伝えました。すると、妻からは


お菓子です。
パリパリのお菓子は、すべて糖質の塊なので、少しならと思っていましたが食べ過ぎ。

というメールが返ってきました。

 確かに、思い当たります。

 私は、1日に10杯ほどのコーヒーを飲みます。その時に、何となくパリパリと歯ごたえのあるものを一緒に食べたくなるのです。そして妻のメールは、


おかき、煎餅、和菓子、クッキーなどはダメです。
チーズ、木の実の生活に戻って下さい。

と続いています。

 妻は、お弁当や日々の食事のことをよく考えてくれています。しかし、私の方が、コーヒーを頻繁に飲むのので、そんな時にお菓子を食べ過ぎていたようです。今回の高い数値は、どうやら私にあるようです。思い当たることがたくさんあります。

 次の検査は8月の中旬です。
 血糖値以外では、鉄分が不足気味であることは、いつも言われていることです。そのためもあって、メチコバールという薬を飲んでいます。これは、末梢性神経障害を改善する薬です。
 また、私は消化管がないために、便秘になりがちです。それを改善するために、マグミットという錠剤も処方されています。この2つの薬は、私にしてはめずらしく、素直に毎食後に飲んでいます。この2種類の薬が、いろいろと体調を整えてくれていると思っています。

 これまで通りの生活を続ける中で、この、コーヒーを飲む時に口にしていたお菓子を、とにかく制限しようと思います。まさに、「お菓子制限生活」です。私の場合は、スイーツではありません。パリパリと歯ごたえのあるお菓子なのです。こうなると、どうしてもその代わりになるものを探すことになります。それによって、次回にはヘモグロビン A1cの値が大きく改善されているように、新たな楽しみの指標にしたいと思います。

 とにかく、自分の身体のことなので、自分に一番あった方法で、血糖値を管理していくつもりです。

 帰り道の葵橋のたもとで、鷺と鴨が一緒に遊んでいました。
 
 
 
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 これまでにあまり見かけなかった鷺君(さん?)を見つけました。
 
 
 
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 賀茂川上流の鷺たちは、もう家族と言ってもいいくらいに親しんでいます。
 これからも折々に、その姿をここで紹介していきます。
 
 
 

2013年5月23日 (木)

明日があると思うと気楽になる

 
これまで、明日は来ない、ということを前提にして生活をして来ました。
18歳の時に突然十二指腸が破れ、無事生き延びた中で身についたものです。
我が身を守るために、自ずとそうして来たのでしょう。
 
しかし最近は、明日がある、と思って日々を過ごすようになりました。
食事も、1時間以上をかけていただいています。
時間がもったいない、とは思わないようになりました。
 
明日が「ある」のと「ない」のでは、身構え方が大きく異なります。
先延ばしは、ずるずるとけじめがなくなりそうで、怖い気もします。
しかし、そこから生まれた余裕は、明日からのエネルギーになるようです。
 
仕事のペースは、我ながら感心するほど、スローテンポになりました。
かつては一気にこなしていたことも、今は小分けにして取り組んでいます。
慌てず騒がず、マイペースを守ることを心掛けています。
 
いろいろな方に迷惑をかけていることでしょう。
しかし、約束した今日はだめでも、明日できれば、それでよしとします。
結果として迷惑を最小限にできた、と考えられるようになりました。
 
昨秋、NPO法人を立ち上げ、今春その設立を実現しました。
若い人たちが、使命に向かって積極的に運営に関わっています。
明日へ、明後日へと引き継がれることの素晴らしさを、日々実感しています。
 
明日に持ち越す甘えた考えに、気が引ける時もあります。
それでも、明日がある、と思うと、気分が楽になります。
若い人たちに託す、ということは、いいものです。
 
 
 

2013年5月 7日 (火)

少し油断した血糖値と体調管理

 昨日の京都は、まさに初夏の暑さでした。河原で食事をしていても、帽子がなかったので、日射病になりそうでした。
 ところが、今日の東京は、風の強さと寒さで震えました。コートがほしい一日でした。
 この極端さに、身体がその適応に困っているのがわかります。

 さて、先月あたりから、体重が50キロを僅かですが超えるようになりました。これは、私にとってはいい兆候です。待望の50キロ台です。
 50キロを境にして、体調も大きな影響を受けます。やはり、日常生活が楽になるのです。
 地下鉄の階段で、吹き上げる風で身体が吹き飛ばされそうになるかならないかは、私の場合は、この50キロが目安です。

 この好転は、少し炭水化物を意識して摂るようにした結果だと思います。
 糖質制限食では、ご飯、パン、麺類を極力避けます。ご飯やパンや麺類などの血糖値を上げる食品を口にする時には、ベイスンという消化を遅らせる薬を飲んでいます。

 ただし、弊害もありました。突然お腹が痛くなるのです。私は2年前に、胃癌で消化管を取り去りました。その、食道と腸をつないでいる鳩尾の辺りが、キリキリと痛み出すと、もう喉から食べ物は入りません。ジッと痛みが去るのを待つしかないのです。

 そのこともあって、妻以外とは外食をしないようにしています。
 それでも、今年に入ってからはよく食べるようになったので、妻からは感心されていました。

 朝と昼とは、ゆっくりと1時間をかけて食べます。夜は、2時間を充てています。食間と寝る前にはお腹が空くので、間食として軽食を30分ほどかけて食べています。

 家族からは、長々とよく食べられるものだと、呆れ顔で見られています。しかし、この方がしっかりと食べられるのです。よく咬むので、身体にはいいはずです。
 お腹が痛くなるのは、必ずと言っていいほど、時間を気にしたり、急いでいる時です。

 私の一日の食事時間は、なんと6時間にもなることに、あらためて気づきました。これも、今の身体を大事に慣らしていると思うと、何となく自分で納得するものです。このペースでいいのだと。時間が無駄だ、とは思わなくなりました。

 今日は、中野駅北口にある、街中の検診所とも言えるケアプロで、毎月測ってもらっているヘモグロビン A1cを調べました。
 結果は、先月の京大病院の時よりも少し上がり、「6.9」から「7.2」になっていました。上がった値は「0.3」ほどなので、ほんの少しです。しかし、これは要注意の境界を超えています。

 最近の江部康二さんのブログ「ドクター江部の糖尿病徒然日記  HbA1c管理基準を改訂へ,日本糖尿病学会」(2013年04月27日)によると、ガイドラインにおいて次のような変更があるそうです。
 これは、第56回日本糖尿病学会年次学術集会(5月16〜18日,熊本市)で報告されるそうです。


<現在のガイドライン>
(1)優 6.2%未満
(2)良 6.2〜6.9%未満
(3)可(不十分) 6.9〜7.4%未満
(4)可(不良) 7.4〜8.4%未満
(5)不可 8.4%以上
 
<2013年6月1日から施行予定の新しい管理基準>
(1)血糖正常化を目指す際の目標 6.0%未満
(2)合併症予防のための目標 7.0%未満
(3)治療強化が困難な際の目標 8.0%未満

 新しい目安からいっても、今日の私の「7」以上はよくありません。何か方策が必要です。

 来月の京大病院での検診までは、また糖質制限食に戻したほうがいいようです。
 少し糖質制限を緩め過ぎたようです。もっとも、体重を増やそうとすると、この矛盾と格闘することになるのです。

 私の血糖値管理においては、この繰り返ししか方途はないのか、これからしばらくは、いろいろと試行錯誤の日々となります。
 
 
 

2013年3月 9日 (土)

歯医者さんに歯を噛みしめないでと言われて

 昨秋、前の差し歯3本を作り直しました。半年も経たない昨日、突然その内の1本が取れました。

 京都へ帰る前に、江戸深川の歯医者に立ち寄って直してもらいました。

 前歯なので、見た目も大事ということもあり、セラミックで作ったものです。しかし、取れた歯を見ると、根元から抜けた感じです。

 歯医者さんの説明では、根元の歯が折れ、支えの金属も折れているのだそうです。原因は、やはり歯を食いしばっていることにあると……

 歯医者さんからは、このまま歯を食いしばる日々が続くと、顎を手術することになる、との警告を以前から受けています。寝るときには、マウスピースを嵌めています。

 しかし、いくら食いしばるなと言われても、無意識にそうなっていることなので、自分ではどうしようもありません。

 これまでにも、この歯のことは何度か書いて来ました。
 
「歯医者さんに通い突貫工事の日々」(2012/10/2)
 
「マウスピースを着けて寝る」(2012年11月19日)
 
「歯を食いしばる日々から脱却する方法は」(2013年1月10日)
 
 肩の力を抜いて、頑張らない生活を心がけるしかありません。しかし、それも……なかなかの難題です。

 今は、マウスピースをしっかりと填めて、ゆっくりと寝ることを意識した生活をはじめようと思っています。

 いろいろな方々に迷惑をかけると思います。あらかじめお詫びを記しておくことで、自分への負担を軽くしておきます m(._.)m
 
 
 

2013年3月 6日 (水)

糖質制限食でヘモグロビン A1cがまた下がり出す

 中野駅前のワンコイン検診「ケアプロ」で、いつものようにヘモグロビン A1cを測定して来ました。

 2月10日時点でのことは、「京大病院での定期検診の結果を分析」(2013年2月10日)に詳しく書いた通りです。

 今日は、その後の追認の結果とも言えるものです。そして、その結果は満足すべきものでした。

 1月19日の中野駅前のケアプロでの値は、〈7.9〉(日本基準)という驚くべき数値だったことは、上記ブログに書いた通りです。
 それが、2月10日に京大病院で測定したところ、〈6.5〉という可もなく不可もなくという、少し高めの結果でした。
 中野での測定値は、とにかく疑念の残る結果でした。
 2月10日の検診では、炭水化物の消化を遅らせる薬を、今よりも少し緩い、最初のものに戻してくださいました。

 これを受けて、私自身も、少しでも血糖値が低いところで安定するように、糖質制限食を再度取り入れました。ダブルの効果で、血糖値を一気に安定させようとしているところです。

 ただし、食事を無理やり禁欲的にするのではなく、薬をうまく使いながら、消化を遅らせながらコントロールしようとしているのです。

 ご飯、パン・麺は、この1ヶ月はほとんど食べませんでした。食べるときには、必ず薬を飲みました。
 今回の結果は、その成果でもあります。この調子の食生活だと、来月はもっと下がるはずです。
 もっとも、体重が48キロ台なので、当面は50キロを目指しての食生活を心がけたいと思っています。

 今日のケアプロの測定値は〈6.2〉でした。
 これにも計測機器の誤差を考えるべきなのか、今はわかりません。
 これまでのケアプロの測定値は、やや高めにでているように思っています。
 そうであっても、この数値はまあまあだと言えるでしょう。
 糖質制限食のことも加味すると、来月の結果がたのしみです。
 うまく6台を切ってくれたらいいのですが。
 
 参考までに、ケアプロで使用しておられるヘモグロビン A1cの測定機器のハード情報を記録として残しておきます。
 


製造:サカエ
販売:協和メデックス
品名:A1c GEAR K
番号:10B240001300004
   GA1700910

 
 4月第1週に、また京大病院での検診があります。
 その時まで、私の糖尿病の所見は持ち越しです。
 いずれにしても、今は調子がいいと言えるでしょう。
 
 
 

2013年2月10日 (日)

京大病院での定期検診の結果を分析

 今回、京大病院で受けた血液検査の結果、ヘモグロビン A1cの値は〈6.5〉(日本基準)でした。これは、糖尿病学会のガイドラインに照らし合わせると、優・良・可・不可のうちでは、良と可の境界値です。血糖値のコントロールが、何とかうまくいっているけれども、さらなる努力が必要、というところです。

 ただし、これには説明が必要です。
 次の、これまでのヘモグロビン A1c値の推移とグラフを見れば、この背景にはいろいろとあることがわかります。
 
 
 
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 まず、今回の検診を前にして、1月19日に中野のワンコイン検診でヘモグロビン A1cを測定しました。毎月自主的に測っているものです。これは、何と予想外に高くて〈7.9〉だったのです。これは、ガイドラインで言うところの、可と不可の境界値です。これは明らかに危険信号です。

 グラフを見ると、その前の11月30日(京大計測)と12月18日(ケアプロ計測)から突出して高い数値なのです。
 実は、11月30日は京大病院で検診を受けた日でした。その時に主治医の先生から、毎食後に消化を遅らせるセイブルを飲んだ方がいい、とのことだったので、それを実践した結果なのです。それまでのベイスンよりも少し強い、セイブルによるテストを始めた時なのでした。

 この数値急騰という結果を受けて、1月19日以降は、昨夏まで1年間取り組んでいた糖質制限食に急遽切り替えました。身体をリセットする意味からです。

 もっとも、先生の説明では、1月19日から糖質制限食に切り替えたからといって、2週間後のヘモグロビン A1cの値が〈7.9〉から〈6.5〉に急落したとは考えられないことなのだそうです。また、私の身体からはケトン体の増加が見られないので、おそくら糖質制限食といっても非常に緩いものになっているようだ、とのことでした。

 このような経緯を踏まえて、この1月19日の〈7.9〉には、2つの問題が考えられます。

 1つは、先生が言われた、計測機器の誤差です。精密機器でも、民間で使うものには20%の誤差があるそうです。しかも、ワンコイン検診は街中のカウンターで実施され、さらには7分間で結果を出すので、どうしても安定した数値にならないそうです。
 その点では、京大が使っている機器とその検査環境を信用してほしいと。つまり、この1月19日の中野での値は、何かの原因で正確ではなく、おそらく〈7.9〉ではなくて〈7.5〉以下だった可能性があるのではないか、ということでした。
 街の計測は、あくまでも参考値として割り切る方がいいようです。

 もう一つの原因は、私自身が薬を飲んでいるという安心感から、いつもよりもたくさん炭水化物を含む食事をしたことが考えられる、ということでした。しかも、年末年始の時期です。食事内容や時間帯、そして運動不足になりがちな日々だったのです。
 これは、どうやら図星のようです。

 今から思うと、この2つともに思い当たります。とすると、11月30日の京大での測定値と昨日の測定値を見る限りでは、特に異常な変化は無視しても構わない、とも言えます。

 また、さらにその前のグラフの値を見ると、8月24日に京大病院から退院した後の11月30日までの数値も、少し上がっただけだと理解してもいいようです。

 つまり、先生の言葉によると、京大での測定値である〈6.5〉→〈6.7〉→〈6.5〉以外は、いわゆる雑音として見た方がいいのではないか、ということなのです。専門医の立場からは、このような判断が示されることは当然でしょう。このことは、今後の検討材料としたいと思います。

 今後の対処については、今回があまりいい傾向ではなさそうなので、最初に飲んだ、少し効果の緩いベイスンにもどし、しかも11月30日までやっていた、血糖値が高くなりそうな食事のときだけ、このベイスンを飲んでみる、ということを再度試すことになりました。
 これならば、取り組みやすいと思います。何よりもいいのは、お寿司がメニューに入ることです。

 主治医の先生はいつも、「長生きするためにはある程度の炭水化物は必要です。」ということと、「豊かな食生活をすべきです。」とおっしゃいます。還暦を過ぎた私には、いいアドバイスだと思っています。

 さて、また2ヶ月後の4月にどうなっているのか、大いに楽しみです。
 
 
 

2013年1月15日 (火)

初釜で今年の英気を養う

 初釜にお招きいただいたので、大和平群へ行ってきました。
 と言っても、これもお茶のお稽古の一環です。

 あいにくの雨と寒さの中、今朝の奈良は雪だったそうです。
 信貴・生駒連山は、うっすらと雪化粧でした。

 今年1年がよい年になるように、気持ちを引き締めての初釜です。
 お茶の先生のお弟子さんたち6人が集まり、和やかで楽しい会でした。

 待ち合いで白湯をいただいていると、今日は私がお正客を、と言われて飛び上がりました。まだ初心者なのに、とかいう言い訳も若い方々の前では通じません。歳相応に、何事も勉強であり、修練です。

 蹲いで身を清め、席入りして床の前に身を置くと、正面のお軸には「松樹千年翠」とありました。常住不変の真理を言う禅語です。
 次に炉の釜を、そして道具を拝見しました。台子に並ぶ水指・杓立・建水・蓋置が鮮やかな赤絵の皆具で、この場を明るくしています。

 香合は陶器で琵琶の形をしたものです。琵琶は弁天様の持ち物です。練り香が焚かれました。
 インドのヒンドゥー教でサラスヴァティーという女神は、芸術や学問などの知恵や知識を司る神様とされています。
 シタールのような弦楽器を手にして、白鳥、孔雀、蓮華等に座っています。サラスヴァティーは水とも縁が深いので、火に焚くお香との取り合わせがおもしろい、と思いました。今度インドに行ったら、こんな小物を物色して来て、香合に使ってみましょう。

 心尽くしの懐石のお弁当をいただきました。主菜である海老のシンジョウがおいしかったところへ、日本酒とお汁を肴にして呑む楽しみ方も教えていただきました。なかなかおもしろい取り合わせです。

 初釜につきものの花びら餅は、奈良のものだそうです。白味噌の餡が上品な味わいでした。中のゴボウもいい味がでていました。

 席入りし直すと、床には鶴首永楽の花入れに、ウグイスカグラと侘助が飾ってありました。

 濃茶に続いて薄茶をいただきました。
 濃茶の茶碗は、金と銀の楽茶碗です。薄茶茶碗には、大振りの紅梅が描かれていました。おいしいお茶でした。特に、濃茶の香りがほんのりと甘くて印象に残りました。

 みんなが先生のお手前をいただいた後、一人ずつ薄茶を点てることになりました。
 今日はお手前をすることはないと安心しきっていたので、慌てながら次客の方に一服差し上げました。
 写真を撮ってもいいとのことだったので、記念に掲載します。
 
 
 
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 今後とも研鑽を積むようにと、先生から『利休百首』をお年玉としていただきました。
 
 
 
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 一首ずつ解説があるので、帰りの車中で拾い読みをしました。お茶の世界が少しわかり、興味を持ってきたこともあるのでしょう。おもしろく読むことができました。

 帰りに、最寄り駅の元山上口駅でこんな貼り紙をみかけました。
 
 
 
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 数年前まで毎日乗り降りしていたこの駅も、ついに無人駅になってしまったのです。
 自分の人生と関わりの深かった駅だけに、寂しい気持ちになりました。これも、時代の趨勢なので仕方がありません。日本中が元気にならなければいけないな、との思いを強くしました。

 まっすぐに自宅に帰って、上京の用意をしました。京都駅発の夜行バスで、明日の午前中にある会議に出席するためです。

 京都駅から立川駅まで、夜行バスが出ているのです。最終の新幹線で上京しても、東京の宿舎から立川の職場までは2時間もの通勤時間がかかります。それなら、ということで、京都から立川へ直行するバスで上京することにしたのです。ただし、東京は大雪とのこと。一抹の不安を残しつつの旅立ちです。
 
 
 

2013年1月10日 (木)

歯を食いしばる日々から脱却する方法は

 相変わらず、歯医者さんのお世話になっています。
 そして、行くたびに、歯が磨り減って行くことを心配してくださっています。

 昨夏、修理をして入れてもらった歯が、もう損傷が激しくなっているとのこと。こんなに早く傷むのはこれまで見たことがない、とのことでした。

 寝ている時の歯軋りだけが原因では、こうはならないとも。適度な歯軋りは必要でも、これには複雑な問題がありそうです。歯医者さんのことばも、歯切れの悪い、困惑したもの言いでした。

 無意識で、とはいうものの、何とかしなくては、歯が磨り減ってなくなってしまいまうそうです。これが進むと、顎の手術になると、具体例を話してくださいました。

 それを防ぐためには、今寝るときに填めているマウスピースを、長時間独りでいる時は、可能な限り填めていた方がいいですよ、とのことでした。

 また、噛み締めていることを意識する意味からも、30分おきにでも深呼吸をしたら、という提案をしてくださいました。
 だいたい、人はリラックスしているときは、上下の歯は少し浮いた状態だそうです。それが私の場合は、常時ギュッと噛み締めているようです。そこで、深呼吸を意識していたら、ということです。

 以前、奈良の歯医者さんからは、朝日を見る生活をしたらいい、とのアドバイスをいただきました。今度は深呼吸。

 歯を食いしばることは、自分が無意識にしていることでもあり、なかなかの難題を抱え込んでしまいました。
 
 
 

2013年1月 3日 (木)

自宅で休息のお正月

 我が家の梅は、紅梅が七分咲きになりました。
 白梅は、もう少し時間がかかりそうです。
 
 
 

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 師走から、鼻と喉の調子がよくありません。
 年末に、何度か診察をしてもらった近所の医院へ行ったら、すでに正月休みに入っておられました。近くにある2つの医院もお休みだったので、そんなに重症ではないと勝手に判断し、売薬で乗り切ることにしました。

 最初は風邪薬を飲んでいました。しかし、どうも効きがよくないので、年明け早々に鼻炎用の薬に替えました。すると、とたんに鼻の通りがよくなり、大分楽になりました。ただし、飲み忘れると鼻づまりで息苦しいときがあります。

 今年は新年早々からイベントがあります。週明けに、東京のお医者さんに診てもらうことにします。
 
 
 

2012年12月28日 (金)

斜位を見逃されメガネを作り直す

 どうも遠くの物が見えにくいのと、目から疲れがきているようなので、メガネを新調することにしました。

 これまで、3本のメガネを使い分けていました。遠用メガネ、中近両用メガネ、近用メガネの3本です。

 しかし遠用は、車を運転しなくなってからは、旅行の時などに持ち歩くメガネとしていました。

 中近両用は、日常的に使っていました。しかし、これがどうも見えづらくなり、2軒のメガネ屋さんで調べてもらうと、度があっていないとのことです。加齢にともなう変化ではないか、とのことでした。

 近用は、数年前に作ったもので、パソコンの画面を見るときに使っています。これは、今も問題なく使えています。

 ということで、中近両用メガネを止めて、遠近両用に作り直すこととしました。

 東京は近いうちに災害が想定されています。そこで、まさかの場合に備えて、今使っている中近両用はこのまま非常用袋の中に残すことにしました。そして、遠用はあまり使っていなかったこともあり、そのフレームを再活用して遠近用のレンズを付けてもらうことにしました。

 どこのメガネ屋さんへ行こうか思案したあげく、数年前に近用を作った立川駅南口にあるメガネのミキさんにしました。近用を作った時の、最近の私のデータがあることが決め手です。
 1時間以上もかけて計測やチェックをしてしてもらい、1週間後のできあがりを待つことになりました。すぐにできると思っていたら、意外とレンズの調達に時間がかかるようです。

 できあがった新しいメガネを付けて、1週間ほど生活をしました。すると、大きな問題が見つかりました。遠くのものが二重に見えるのです。

 自転車で走っていたとき、前から2台の自転車が来ると思い、左側に寄ったところ、実際には1台の自転車だったのです。この時、左に寄りすぎて、壁にぶつかりそうになりました。歩いていても、前から来る4人の人が、近づくにつれてしだいに2人になります。

 こんな調子で、ものがおもしろいくらいにダブって見えます。遠くの文字を読むのに、目玉を寄せたり両端を見るようにしたりと、眼球運動の日々を送りました。前から来る人が何人かを、自分で当ててみたりもしました。
 しかし、これではまずいと思い、メガネ屋さんを再訪しました。

 今度は別の方が、専門家だということで、再度私の目をチェックをしてくださいました。そして、斜視の傾向があるとのことで、プリズムを入れる必要がある、ということになりました。普通はこんな検査はしないのですが、とおっしゃっていました。
 しかし、二重に見える原因がわかっているのであれば、あらかじめ調べてレンズを決めてほしいものです。

 宿舎に帰ってから、そういえばと思い当たることがあったので、過去のブログを検索しました。すると、何と、私のレンズにはプリズムが入っていることを書いていたのです。奈良でメガネを作った時には、そのお店の方は、私が知らないうちに対処してくださっていたのです。

「心身(5)「シャイ」の私」(2007年7月11日)

 さて、さらに1週間待ちました。そして今、プリズムの入った遠近両用のメガネで生活をしています。仕事の時には近用を使い、部屋を出ると遠近両用に付け替えています。

 プリズムが入ったレンズなので、追加費用として2千円を請求されました。何となく腑に落ちませんが、さらに詳しい説明を聞く時間もないので、言われるがままに支払いました。検眼のプロが同じ店におられたのであれば、最初からその専門家なる人がチェックしてくださっていたら、こんな二度手間にはならなかったのに、と思っています。

 近くも遠くも、ダブることなく見えます。気持ちがいいほどです。ただし、やはり目の疲れは残るようなので、これからはその原因を考えていくことにします。

 糖尿病とのことも考えられます。しかし、夏以来の病院での何回かの検査でも、眼には問題がないとのことなので、しばらくは様子を見るしかありません。

 眼の怠さは、早朝と夜に感じます。
 年末を迎えた今、ささやかな問題に直面しています。
 
 
 

2012年12月 1日 (土)

薬を使った糖尿病対策の試行錯誤

 昨日は京大病院で、糖尿病内科の2ヶ月おきの定期検診を受けました。

 自転車で病院を目指しながら賀茂川の上流を見やると、北山の紅葉が少し靄った彼方に望めます。
 
 
 

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 実は、昨日主治医の診察を受けるにあたっては、薬を使ったカロリー制限食の糖尿病対策ではなくて、昨夏から1年間試みてきた糖質制限食に戻したい、という相談を持ちかける心積もりで、診察室のドアを開けました。しかし、診察前に行った生体検査での血液と尿の検査結果を聞き、急遽判断を変えました。

 ヘモグロビン A1cが退院時より上がっていることから、今後どうするかを先生の方から問われました。
 退院時よりも上がっているのは、体重を増やすことを優先した食事をしてきたためです。その理由はわかっています。ただし、私が個人的に毎月中野のケアプロで測定しているヘモグロビン A1cの数値を加味して見ると、秋の退院後は徐々に下がっているのです。


7.1 → 7.0 → 6.9 → 6.7

 先生からは、2ヶ月後は6.5を目指しましょう、とのことでした。

 これからは糖質制限食にするつもりだ、ということを言いそびれているうちに、先生からはもう少し強い薬を使って様子を見ては、という提案がなされ、それに乗っていました。つまり、今の処方薬であるベイスンは効果の緩いもので、さらに強いものにすればもっと効果が期待できる、とのことです。

 薬を呑むことには抵抗があります。しかし、今処方されているのは、消化を遅らせる薬であり、インスリンの量を調整するものではありません。また、糖質制限食を推奨しておられる江部先生の高雄病院でも、このベイスンに代表される α-グルコシダーゼの働きを阻害する薬は、プチ糖質制限食などにおいては処方されているものです。

「グルコバイ、ベイスン、セイブルと糖質制限食」(2008年08月04日)

 消化を遅らせる薬として、この前、京大病院を退院する時にベイスンをもらいました。しかし、私は炭水化物が高そうな時にだけ呑んでいました。
 今日、先生は、毎日の食事毎に呑んだ方が血糖値は安定する、とおっしゃいました。私は、どれくらいベイスンが効くのかを調べる気持ちで呑んでいました。そこへ、この先生からの、よりよい食生活と身体のためのアドバイスが提示されたのです。

 とにかく、私の身体に薬の効果はあるようです。それなら、さらに強いものはどんな効果があるのか、自分の身体を使っての実験を自認している私は、これもチャレンジしてみたくなりました。そこで今回もらった薬は、セイブルでした。
 これまでのベイスンよりもよく効くとのことなので、この次の2ヶ月後の診察までには可能な限り毎食前に呑んで、その効果の程を確認したいと思います。

 糖質制限食をすれば、確実に血糖値は下がります。そのことは1年間の実験でわかりました。ヘモグロビン A1cの数値も低めに安定します。しかし、やはり食生活は普通ではなくなるのが問題なのです。
 糖質制限食では、外食で食べるメニューが限定されます。何を食べたらいいのか、街を彷徨うことがしばしばでした。また、ご飯などを残す量が増え、精神衛生上よくないのです。残すことがもったいなくて、いつも罪の意識にさいなまれるのです。

 その意味では、この薬を呑めば、これまで通り(?)にみなさんと一緒に食べられます。もちろん、何でもというのではなくて、自制すべきことは依然として残ります。過剰な炭水化物は避けます。それでも、食生活は、禁欲的な糖質制限食よりも豊かになります。食事のメニューにおいて、選択の余地が拡がるのですから。スーパー糖質制限食ではなくて、プチ糖質制限食の感覚で取り組むつもりです。
 何を食べるとどれくらい血糖値が上がるのかは、これまでの我が身を使った人体実験で、身体が覚えています。その感覚を有効に利用しながら、また新たな取り組みに挑戦することにします。

 私の場合は、糖尿病といってもまだ重症ではないので、消化を遅らせる薬の段階での足踏みです。そういう状況に我が身があることがわかったこともあり、先生の提案を受け入れて新しい薬を試すことにしました。

 薬漬けのイメージは、まだ私の意識の中では払拭しきれていません。しかし、無理のない豊かな食生活を考えると、これは、なかなか無難な選択ではないか、と思っています。京大病院の先生が言われることを信用して、またしばらくは我が身を預けることにします。

 気持ちが揺れながらも、試行錯誤はまだまだ続きます。
 さて、来春2月の結果が、今から楽しみです。

 昨日の記事ですでに書いたように、病院から京都市考古資料館に向かいました。
 そして、その帰りには同社大学の北側にある古刹相国寺の境内を過ぎりました。
 比叡山を背景にして、色鮮やかな紅葉が見られます。この境内一画は、清々しさがあって好きな散策コースです。
 東京の都内では、イチョウの黄葉は多く見かけます。しかし、紅葉が少ないので、こうした燃える赤は京都ならではの色彩です。四季折々の色の変化がこうして道々で楽しめるのは、本当に心躍るものです。

 京都散策には、ぜひとも自転車をお薦めします。
 
 
 

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2012年11月27日 (火)

血糖値管理と体重の推移

 今夏の検査入院を終えて退院した時以降の体重の変化を確認しておきます。

 すでに「入退院時の血糖値と体重の整理」(2012年9月 1日)の後半で、退院後10日までの体重の推移はまとめました。

 8月下旬の退院時は47.5キロで、それ以降は食事を工夫して摂取カロリーを増やしたこともあり、徐々に体重も増えました。
 ただし、当然のことながら、血糖値も比例するように上昇しています。そのことは、昨日のヘモグロビン A1cの推移グラフにおいて、右端の「7」前後の点が高いことが示しています。

 次のグラフが、8月24日以降の体重の変化です。
 
 
 
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 最初の目標だった50キロを超えたのは、退院後2週間経った9月の初旬でした。そして、9月下旬からは51キロ台になりました。
 それ以降は、炭水化物の取り過ぎに気をつけ、ご飯も一食に50グラムにする日々にしたところ、11月も終わろうとする今日は、49.8キロと50キロを割りました。

 炭水化物をどれくらい食べたらいいのか、そのバランスがまだ微妙です。
 ヘモグロビン A1cの値と体重の推移を見ながら、ご飯、パン、麺類をどれくらい食べたらいいのか、あるいは食べない生活に戻した方がいいのか、その兼ね合いを今は思案中です。

 胃がないことに伴う試行錯誤の日々は、まだまだ続いています。
 今週の検診結果を見て、あらためて今後の食生活を考えようと思っています。
 
 
 

2012年11月26日 (月)

糖尿病予防のためのヘモグロビン A1c

 今週は京大病院で糖尿病に関する検診を受けます。
 夏の検査入院後の様子を見てもらうのです。
 そこで、これまでのヘモグロビン A1cの値の推移を、あらためて確認しておくことにします。
 
 
 
121126_hemograph
 
 
 

 現在、私としては相当高い数値にあると思っています。それは、必要最低限とされる炭水化物を摂っていることに起因していることは明らかです。

 ヘモグロビン A1cは、今は7前後です。気持ちとしては6以下にしたいところです。しかし、夏の検査入院を通して、京大病院の先生からはご飯を取り入れたメニューの中で、血糖値をコントロールする指導を受けました。炭水化物は身体に必要なものだという意見でした。それを、ほぼ忠実に実践しているところです。その結果は、上のグラフの通り、数値は鰻上りです。
 ちょうど、胃ガンによって胃を全部切除した後の状況に似ています。
 このままでいいのか、素人の私には今はよくわかりません。

 ベイスンという消化を遅らせ薬は、食事内容によってケースバイケースで服用しています。継続して服用するようにと、先生から言われたことを守っていません。それでも、呑んでも呑まなくても、血糖値に大きく影響はしていないようなので、これでいいと思っています。

 病院の指示に沿った食事をしていることによって、体重は増えてきました。このことは、また整理します。
 体重は50キロを超えるようになりました。しかし、血糖値は高いままなのです。

 これではいけないと思い、このところ、糖質制限食に近い食事をしています。炭水化物を極力摂らない食事です。
 今度、先生との相談次第では、また糖質制限食に取り組んでみようかと思っているところです。
 
 
 

2012年11月19日 (月)

マウスピースを着けて寝る

 歯の治療が続いています。
 先週から、マウスピースを着けて寝ています。

 歯医者さんいわく、歯を食いしばりすぎだ、とのことです。
 このことは、これまでにずっと言われてきました。
 すでに、「歯医者さんに通い突貫工事の日々」(2012年10月 2日)で書いた通りです。

 歯軋りはしていないようです。しかし、グッと噛みしめる日々がよくないとのこと。
 このままだと、顎の関節を痛めることになり、口が大きく開けられなくなると脅される始末です。

 そこで、少なくとも、夜だけはクッションを入れて衝撃を和らげよう、ということです。
 今後は、様子を見ながら調整してもらうことになりそうです。

 かつて、マウスピースを着けていたことがあります。しかし、次々と歯が欠けだしたために、合わなくなってしまいました。そしていつしか、填めることもなくなりました。

 今回は、どのような経過を辿ることになっていくのか、自分でも楽しみにしています。
 
 
 

2012年11月11日 (日)

再録(11)突然意識を失ったこと

 今から17年前の話の再録です。
 (出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「3年目(1997.10.1〜1998.9.30)」→「突然意識を失ったこと〈1997.12.24〉」)
 
 これは、私がホームページ〈源氏物語電子資料館〉を公開する直前の、1995年9月の出来事を取り上げたものです。1つの記録として、ここに再録しておきます。
 
 
********************** 以下、再録掲載 **********************
 
◇突然意識を失ったこと〈1997.12.24〉◇
 
 テレビアニメの「ポケットモンスター」に端を発した、ディスプレイによる心身への異常に関する報道が、マスコミをあげて盛んです。アメリカやロシアでは、光線の点滅を応用した兵器が開発されているとか。アメリカ国防総省のものは、点滅するストロボ光線を非殺傷兵器にするものだそうです。ロシアで完成しているコンピュータウイルスは、人体に影響を与える特定の光の配合をパソコンの画面に表示するものだとのこと(朝日新聞、1997.12.24)。パソコンのディスプレイの前に座るのが怖くなります。

 さて、最近の子供より時代を先取りしたのではないかと思われる体験が、私にもあります。
 今から丁度2年4ヶ月前のことです。コンピュータに限らず、ハードな日々をお過ごしの皆さまのご参考までに、1995年9月2日に知人に送ったメイルの一部を、以下に転載します。[]カッコ内は、今回付けた注です。

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 昨日、9月1日(金)の夕刻のことです。突然、[近鉄]特急の車内で意識を失い、救急車で畝傍山[大和三山の一つ]の麓の橿原神宮に近い病院に運ばれました。中京大学[名古屋市]の『源氏物語』の写本調査の帰りのことでした。
 前日31日の経路は、伊井春樹先生[大阪大学]とご一緒だったこともあり、往復とも新幹線でした。しかし、昨日は一人だったので、気分転換にと、帰路は近鉄特急にしたのです。三重県経由です。

 4時30分名古屋発に乗ったところ、禁煙車ではなかったせいか、発車後しばらくして、まわりの煙草の煙で涙が止まらなくなりました[車内はガラガラでしたが]。
 検札に来た車掌に、禁煙車に移りたいと申し出ると、探しにいったきり、そのままなしのつぶて。1時間が過ぎたころから、呼吸が困難になりました。車掌が通りかかったのに何回か気づいてはいたのですが、意識が朦朧としていたのと、声がでないのです。悔しかったですね。

 1時間40分程経過した、大阪まであと40分という地点で、もうだめだと思ったとき、車掌が通りかかりました。
 身体を通路に倒して気づいてもらうことに成功。とにかく煙のない車両に移してくれと訴えたのですが、前後の車両を調べに行って、やはり無いというのです。
 車内に医者がいないかを調べて欲しいと頼みました。すると、そこで初めて、その車掌は私の状態が尋常でないことに気づいたようです。

 それからのその若い車掌の行動は敏速でした。あと10分ほどで次の停車駅の八木なので、そこに救急車を手配したとのこと。ほっとして、また意識が朦朧となりました。

 八木駅では、駅員が8人はいたでしょうか。担架で駅長室まで運ばれました。階段を下ろされる時は、振動が強くて、意識が行ったり来たりします。運んでいる駅員さんも大変だったでしょうが、運ばれるほうも苦痛でした。

 そうそう、特急からホームにフラフラとでて担架に乗せられるときに、ホームにいた労務者風のおっさんが、私に向かって、「若い者はだらしない」、「情けない奴や」、「あほか」、などなど、口汚く大声で罵っていたのが、おぼろげながら記憶に残っています。あの侮蔑の眼は、かすんだ目からではありましたが、今度会ったら飛びかかれるほどによく覚えています。

 救急車に乗るまでと、車内と、病院で、何回も名前などを聞かれました。頭では答えようとするのですが、声にならないのです。手と足は鉄アレイを持たされている時の、重くずっしりとした感覚です。自分の意思で、手足が動かせないのです。ウルトラマンの冷凍光線に当たったらこんなものでしょうか。

 時々、のどの部分が解凍状態になり、その瞬間に言葉を発する事が出来るのです[救急隊員が「もうあかんわ」と言ったときには、意識は正常なので、「まだ火葬にしないでくれ」、と叫びたい思いでした。お葬式の最中に棺桶から手足を出した人がいたのは、あれは本当のことだと確信します。土葬にしてから、夜中に地中からもぞもぞと這い出るのも、本当に起こりうることだと、信じるようになりました]。

 医者との会話も、とぎれとぎれに行いました。救急隊員も医者も、脳の障害を心配したようで、すぐにCTスキャンの検査をされました。初めてです。あのガメラのギャオスの超音波光線を思いだし、頭がタマネギのスライスにならないかと、訳の分からぬ心配をしました。

 検査終了後の画像ファイルが欲しいなあ、とか思いながら受けました。
 障害はないとのこと。いろんな注射をされ、2時間後に、通常の意識に戻りました。午後9時を過ぎた頃です。
 そうこうするうちに、女房がかけつけました。丁度始業式[高校]の日で、帰宅が遅かったのです。7時半に自宅をでて、病院まで1時間半ほどかかったようです。とんだ、神武天皇陵詣でです。

 入院をして経過を見ましょうか、と言われたのですが、とにかく自宅に帰りたかったので、病院、駅員の方にお礼を言って、女房と二人で帰りました。真夜中の帰宅となりました。長い一日でした。

 今、まだ少し手足がびりびりします。リハビリだと思って、こうしてキーを打っています。病名は、「過換気症候群」[脚注参照]だろうとのことでしたが、来週、精密検査をします。

 鞄のなかには貴重な資料が入っていたのです。それがこのどさくさで紛失してはと、気が気ではなかったんです。意識は薄れていても、鞄がどこにあるか、ということを、担架に乗っているときも、救急車の中でも、病院でも、駅員さんや救急隊員さんや看護婦さんに、尋ねていたそうです。

 それと、インターネットのホームページ[この〈源氏物語電子資料館〉]の設計を、夢のなかで作成していたように思います。9月から開設すべく、31日は、夜遅くまでがんばり、やっと絵を貼り込んで一応完成というところまで来たのですが、こんなことになったので、少し先に延ばします[オープンしたのは9月30日でした]。
 後、依頼原稿が2本ありますが、パスします。長生きを先決することにします。わがままを言うようですが、一週間ほど、休養させてください。

 思い返すと、この夏は、仕事に家族サービスにと、フルに時間を使っていました。充実していたのは事実ですが、身体が資本ですから、気をつけます。
 くれぐれも、無理のない生活をしてください。

 今、こうしてキーがどうにか打てるのが嬉しいですね。見知らぬ救急病院のベッドの上にいたとき、鉛のようになって動かない手が身体にくっ付いているだけの状態を認めざるを得なかったとき、口でキーボードを打つ道具はどこで売っているのか、とか、視線入力のキーボードの値段はいくらだろうかとか。
 いやはや、とんだ夏休みの締めくくりでした。
 ご自愛ください。

[その後、半年間はさまざまな検査を受けました。体に電極を着けながら、徐々に傾斜角度が増すベルトの上を走りました。目に何度も光を当てて脳波を調べたり、耳や歯も検査しました。そして結果は、いつも異常なしでした。長い検査の結論は、正常です、とのこと。それでは、あれは一体なんだったのでしょうか。]
 
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【脚注】EBブック版『ホームクリニック(家庭の医学)』(主婦の友社)より転載

【過呼吸症候群】
 過換気症候群ともいうが、心理的不安が続いている人に、心臓や肺に少しも異常がないのに急にあらわれる呼吸困難発作をいう。
〈主な症状〉 
 酸素が足りない、空気が肺に入っていかないと訴え、金魚のように口をぱくぱくあけて息をする。頻回に呼吸をするため血液中の炭酸ガス不足がおき、手足がしびれ、胸も痛くなる。頭がぼーっとして、ひどい時には意識を失う。
〈原因〉 
 ストレス解消の上手にできない内向的な性格の人にストレスがたまったときに起きる。
〈治療〉 
 ビニール袋を口に当てて自分の呼気をため、それを呼吸するようにすればだいたい軽快する。不安になったとき精神安定剤を頓服してもある程度は発作を予防できる。発作は繰り返す傾向があるが、運動などでストレスを発散させるとよい。(五十嵐)
 
 
********************** 以上、再録掲載 **********************
 
 
 

2012年11月 8日 (木)

人騒がせな集団健診の結果

 先月受けた健康診断の報告書が届きました。その検診結果を受けて、眼科を受診することにしました。

 今回受け取った「健康診断報告書」の「所見欄」に、次の記載があったからです。


両眼視神経乳頭陥凹拡大(緑内障)疑い
両眼写真不鮮明で白内障の疑い疑い〈ママ〉」

 「緑内障」とか「白内障」と書いてあれば、これは放置できません。
 また、矯正視力が、「右1.5、左0.6」と記されています。昨年の欄には、「右1.0、左1.2」と印字されています。左目がずいぶん悪くなったようです。

 「各検査判定コメント」には、こんなことが書いてあります。


【眼底】異常が疑われますので、眼科受診をお勧めします。
【視力】視力の低下がみられます。矯正器具を使用されるか、すでに使用している方は器具の調整をお勧めします。

 最近、ものが見づらくなったのは、急激に眼底に変化があったのかもしれません。
 それというのも、今夏7月、糖尿病で検査入院した京大病院の眼科の検査では、特に問題は指摘されませんでした。
 次回の眼科の検査は、1年後の7月に予約が入っています。私の眼に異常あり、ということであれば、それは今夏7月以降のことだということになります。

 これまで、東京で受診した眼科は、九段坂病院だけです。人間ドックも含めて、これまでの記録があるはずなので、念のために思い切って行きました。

 眼底検査も含めて、診察の結果はまったく問題なし、とのことです。メガネが合わないだけだったようです。メガネ屋さんで調整してください、と言われました。
 集団健診は意外といいかげんですから、とも。ということは、逆に病気を見逃すことも多いということになります。
 今後は、小まめに京大病院と九段坂病院に通うことにします。

 帰り道、田安門の傍の木々は紅葉を始めたところでした。
 
 
 

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 眼は大切にしているつもりだったので、何事もなくてホッとして職場へと急ぎました。

 I先生、K先生、Oさん、人間ドックに行かれましたか。
 前にもお話したように、私は2年前の5月に人間ドックに入る予定が、都合で2ヶ月遅らせて7月になりました。そして、即座に出来立てと思われる胃ガンが見つかりました。もし予定通り、5月にドックに入っていたら、恐らくガンの発見はもう1年延びて、手遅れになる可能性もあったのです。
 運ということから言えば、私は結果的に幸運でした。こんなことがあるのです。

 私は、何かあるとすぐに病院へ行くので、その意味では大病に至るのを未然に防いでいるといえるでしょう。
 とにかく、こまめに健康チェックをするに越したことはありません。
 
 
 

2012年10月 2日 (火)

歯医者さんに通い突貫工事の日々

 今年の初夏から、東京での歯医者さんをこれまでと変えて、深川にある歯科医院に通っています。
 これまでは、黒船橋のたもとにある歯科でした。しかし、3年前に突然そこの先生がお亡くなりになり、以来そのお父さんが診察を続けておられました。しかし、お年を召しておられることもあり、歯が痛み出したことを機に歯医者さんを変えることにしたのです。

 新しい歯医者さんは、妻が通っていて良さそうだったので、私もそこにしました。
 みなさん、歯医者さんはどうして選んでおられるのでしょうか。おそらく口コミかと思われます。また、家族が行っているから、ということも大きな要因でしょう。確たるものがあるわけではなく、何となくそこに、ということが多いと思います。

 さて、当面の虫歯が治った7月から、奥歯や前歯がガタガタになっていたので、それに着手することとなりました。これは、数年来、なにかと面倒だったこともあり、素知らぬふりをして放置していた部分です。歯医者さんの奨めもあり、思い切って大工事の治療をすることにしました。

 私はどの歯医者さんからも、いつも同じことを言われます。
 歯を食いしばって生きているせいで、歯が磨り減るほど摩耗していると。
 確かに、歯軋りによる凹みが、口内の歯の裏など至るところにあります。
 そのため、噛み合わせも悪く、さまざまな身体への障害も自覚することがあります。
 それを、この際なんとかしようと決断しました。

 ただし、7月から8月にかけての入院、海外出張、国内出張の明け暮れで、治療のスケジュールも狂いっぱなしです。それでも、徐々に口の中が整備されてきています。

 ある歯医者さんからは、日の出を見る生活をするように、と勧められました。
 1日の内の折々に、深呼吸をしてゆったりとしたら、というアドバイスをくださった先生も。
 就寝中にも歯を噛みしめているとのことで、マウスピースをはめて寝ていたこともあります。
 そして今回の歯医者さんも、歯軋りで大きな穴がたくさん開いていることに驚いておられました。
 これは酷いと。何をそんなに我慢して耐えているのか、と問われる始末です。

 これ以上、自分の歯に負担をかけない生活を心掛けて、ゆったりとした気持ちを忘れない日々にしたいものです。
 実は、この「したいものです」というフレーズがくせ者です。
 懲りない、というのか、自覚に欠ける物言いとなっていることに、自分では気付いています。
 ゆとりある生活から縁遠い日々を私が送っていることも、自分では充分に自覚しているのです。
 今では学校教育から完全に見放された「ゆとり」が、今の私には、お題目とでも言うべきスローガンとして浮かび上がってきています。
 
 
 

2012年9月 9日 (日)

外食食品の食品成分メモ

 京都大学病院に入院中、毎日のようにカンファレンス・ルームでいろいろな勉強をしました。
 その部屋の中には、外で食事をする時の参考になるように、食品成分を添えたサンプルが並んでいました。
 食品や食材にどれだけの炭水化物が含まれているかが、具体的によくわかって便利なので、ここに掲載しておきます。
 
 
 
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 鶏の唐揚げが意外と炭水化物が少ないことを知りました。衣に気をつければいいのです。
 
 
 

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 この中では、ポテトサラダが意外と炭水化物の量が少ないことがわかります。
 
 
 

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 私は炭酸飲料をまったく口にしないので、これらは問題ありません。
 
 
 

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 少し気を許すと、とてつもない糖質(炭水化物)を身体に取り込む社会ができあがっています。
 普通に社会生活をすると、いやでも糖尿病になる仕組みができあがっています。
 いかに糖質を摂らないように気をつけるか、これが私の日々の課題です。
 
 
 

2012年9月 1日 (土)

入退院時の血糖値と体重の整理

 今回の入院に伴う検査に関して、手元に残っている血糖値と体重について、グラフ化して整理しました。

 まず、入院中の血糖値の推移です。これは、朝、昼、夕と3食の食事を追っかける形での推移をみるものです。
 緑色の線が食後1時間の血糖値、赤色が食後2時間の血糖値、青色が食前30分の血糖値です。
 そして、右側の太い赤の菱形より右が、ベイスンという消化を遅らせる薬を飲んでの数値です。
 まず素人の私にもわかることは、食前の血糖値はずっと安定していることです。
 
 
 

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 グラフ右側の薬を服用しての結果は、150から250あたりに集中しています。そして、1時間値と2時間値の幅も狭くなっていることがわかります。
 しかし、それまでの薬を使わずに食事だけでの血糖値のコントロールと比べて、劇的に変化しているようには、素人目には見えません。
 それよりも、入院後は炭水化物を50%前後含む食事をしたことにより、糖質制限食のころよりも数値が高くなっていました。これは、炭水化物を摂るか摂らないかによる違いです。それが、炭水化物の量を1日260グラムから240グラムに、そして200グラムにするに従い、その振幅も収まり、安定しています。
 私の身体には、炭水化物は1日200グラム以下が一番いい条件になるように思います。もちろん、お医者さんは200グラム以上が栄養バランスから言って最良だとおっしゃいます。しかし、その炭水化物の摂取量はどれくらいであればいいのか、実はまだ研究が進められているところです。一般的には55%がいいとされています。しかし、私には40%以下でもいいように思われます。かといって、スーパー糖質制限食のように12%にする必要はなさそうです。

 あくまでも素人判断ではありますが、食事の仕方によってはご飯や麺やパンを食べても、それが適量であれば、私の場合には血糖値を大きくは上げないようです。

 次の表は、退院後の結果です。
 ●印は、私の判断でベイスンという薬を飲んだ場合です。食前に、自力で血糖値を抑えられるかどうかを判断し、飲む飲まないをケースバイケースで切り分けてみました。
 食後1時間が250前後に、食後2時間を200以内になるように気をつけています。
 
 
 
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 握り寿司は、ベイスンを飲めば大丈夫です。
 しかし、手巻き寿司になると、薬を飲んでも飲まなくても、2時間経っても下がりません。
 秋刀魚も、予想に反して下がりませんでした。これは、薬を飲めば大丈夫でしょう。
 掻き揚げの天ぷらも大丈夫でした。
 しかし、天ざるソバでは失敗です。これは、天ぷらを食べる量を間違えたためです。
 牛丼、炒飯、トンカツ、ハンバーグは、薬を飲まなくても大丈夫です。
 
 糖質制限食から解放され、自由に食事が選択できるようになり、食べる楽しみが格段に増えました。
 これが、今回の最大の収穫です。そして、これまでの糖質制限食では、意外と食費がかかっていたことを実感しています。
 人によっては、糖質制限食は有効な手段かもしれません。しかし、それを11ヶ月実行した立場から今言えることは、食事の選択の不自由さと不快感と手間に加えて、食費が結構かかったことも確かです。これは、継続する上では大きなポイントとなりそうです。

 食事に伴う血糖値の推移は、人それぞれのことなので、一般化はできません。今言えることは、私には食事のシーンによって薬を効果的に使って、消化を遅らせる対策が有効である、というこがわかった、と言えそうです。

 なお、私は体重も増やしたいと願っていました。この件については、まだまだ目的を達していません。
 入院した日は49.9キロでした。それから退院後10日までの体重の推移は、次のグラフの通りです。
 
 
 
120901_weight
 
 
 
 入院してから徐々に下がり、お盆の時期が最低でした。病院食のカロリーは1日あたり1800キロカロリーでした。
 48キロを越したところからが、退院後の体重です。2000キロカロリーを意識したこともあり、50キロに近づいています。これは、今後ともさらに食事を工夫して、体重増加を目指していくつもりです。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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