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2017年1月 4日 (水)

エスペラント訳『源氏物語』の最新情報を更新

 やましたとしひろ氏が取り組んでおられるエスペラント訳『源氏物語』に関して、以下の最新情報をご本人からいただきました。
 昨年末までに、「若菜上」「若菜下」「幻」の3帖を追補なさったのです。


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 なお、やました氏は本日(2017年1月4日)、「サイデンスティッカー英訳とエス訳比較」と題する記事の冒頭で、次のようにおっしゃっています。


Waleyに較べて、Seidenstickerの英訳がすぐれていると聞いていたので、
たまたま拙訳(エスペラント)と比較してみて驚きました。
サイデンスティッカーは、細かい描写を省略して訳してしまっているではないか!
これでは正しい英訳とは言えないと思います。
日本的な内容が消えてしまっていると感じます。


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 これはまた、興味深い問題点が新たに提示されました。
 今後の展開が楽しみです。
 エスペラントに精通なさっている方からのご意見をお聞きしたいと思います。

 早速、現在鋭意公開中の、ホームページ「海外源氏情報」の中の【『源氏物語』翻訳史】を更新しました。
 この翻訳史に関する情報は、本日までに285件が一覧できるようになっています。
 今回のエスペラント訳『源氏物語』については、その年表の最後に追記したものなので、左上の表示件数を「100件表示」にしてスクロールしていただくか、右上の検索窓に「エスペラント」と入力して確認してください。

 お陰さまで、この【『源氏物語』翻訳史】も、着実に公開件数を増やしています。
 ここで公開している記述内容の補正や追加などにお気付きの方は、「お問い合わせ及びご教示」の通信欄を利用してお知らせいただけると幸いです。


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 みなさまからの変わらぬご理解とご支援を励みに、さらなる成果の公開を続けて行きたいと思います。
 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。 
 
 
 

2016年12月23日 (金)

『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』のオンライン版を公開

 一昨年(平成26年3月)にオンライン版オープンデータとして公開した『日本古典文学翻訳事典〈1・英語改訂編〉』に続き、第2弾となる『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』が完成したので公開しました。
 自由にダウンロードしてご覧いただき、ご意見などを頂戴できれば幸いです。

 今すぐにダウンロードなさりたい方は、以下のリンク先からお願いします。

『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』のダウンロード

 これでうまくデータの入手が出来ない方は、科研(A)のホームページである「海外源氏情報」に接続した後、次の画面からダウンロードしてみてください。


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 なお、印刷した書籍版は、後日、公共図書館などに寄贈する予定です。
 印刷本については、3月になりますので、ご了解をお願いします。

 本事典の制作経緯や意義などについては、次の巻頭に置いた「はじめに」と巻末の「おわりに」に記しましたので、ご覧ください。

 第3弾は、懸案の『源氏物語【翻訳】事典』です。これは、来秋には出版社から刊行したいと思っています。
 いましばらくの猶予をお願いします。


「はじめに」


 —試行版としての事典であること—

 本書は、『日本古典文学翻訳事典〈1・英語改訂編〉』(平成26年3月)を受けて、平安時代の文学作品に限定して世界各国語に翻訳された書籍情報を事典としてまとめたものです。前著に続き、あくまでも暫定的なものであり、試行版として編集した中間報告であることを、まずはお断りしておきます。

 この翻訳事典は前著同様に、2006年4月23日にお亡くなりになった、国文学研究資料館名誉教授福田秀一先生から託されていたメモを最大限に活用しました。
 ただし、多言語にわたる書籍を対象とする関係で、各項目のまとめ方も含めて、まだまだ不備の多いものであることは承知しています。また、最新情報にまでは、十分に手が及んでいないことも承知しています。そのことを知りつつも、類書がないこともあり、ここで私の手元にある情報をとりあえず一まとめにしておくことにしました。これを次の世代に引き渡して補訂してもらい、さらに追加していくことで、よりよい事典に育てていく始発点にしたいと思っています。

 本書作成にあたっては、実に多くの方々が原稿作成のお手伝いをしてくださいました。基本的な情報が整理されていないのであれば、とにかくたたき台でも提示して、それに手を加えながら形を成していく方針で臨みました。項目の執筆者は、必ずしも各言語や各作品の専門家ではありません。しかし、何もない平地に道をつけることを一大方針として取り組んだものということで、至らないところはご寛恕のほどを、お願いいたします。ご批判は、そのまま改訂版に活かします。

 そのような経緯もあり、日本古典文学に関する翻訳事典としては、各項目の立項はもとより、内容もいまだ未整理の状態にあります。今回、その見出し項目と表記上の体裁及び、内容に関する記述の統一を試みました。それでも、いろいろな機会に、多くの方々に執筆していただいた原稿の集積であることから、不統一の感は免れません。各所に編者の判断で多くの手を入れました。あくまでも暫定的な処置に留まるものです。

 そのことを承知で、この時点で公開することにしたのは、これを叩き台とし、より良い情報の提供とご教示を受ける中で、さらに充実した事典に育てたいとの思いからです。まさに本冊子は、試行錯誤の中でまとめた暫定版として利用に供する事典です。

 また、盛り込まれた情報は、編者伊藤が運用する科研のホームページ「海外源氏情報」にも公開しています。
http://genjiito.org
 このホームページを通して、情報の更新を行います。折々に最新情報を確認していただき、翻訳情報を活用していただければ幸いです。

 今回も、この科研を支えているプロジェクト研究員の淺川槙子、技術補佐員の加々良恵子の頼もしい2人が奮闘して、膨大な情報を整理して組み立ててくれました。ただし、『源氏物語』については単独で1冊にするため、本書には収録していません。

 みなさまからの情報提供により、各項目の精度を高めたいと思います。
 今後とも、ご理解とご協力を、よろしくお願いいたします。

2016年12月
日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(A)
「海外における源氏物語を中心とした平安文学
及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」
研究代表者
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
国立大学法人 総合研究大学院大学
国文学研究資料館 伊藤鉄也
 
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「おわりに」

 現在、翻訳史年表には約580件の書籍データが登録されています。本来ならば全てのデータを事典としてまとめることが理想です。しかし解題を作成するためには、現物を確認できる書籍でなくてはならず、全てのデータを事典に掲載することはできませんでした。日本国内の図書館・研究機関で見ることができない書籍が、数多く存在することを実感しました。なお、解題を作成することができなかった書籍データは、解題の後ろに「平安文学翻訳史年表」の抜粋として掲載しました。〈英語改訂編〉の反省をふまえて、より多くのデータを収集したものの遺漏も多々あると思います。前回に続き、この事典も日本文学研究の一助となることを願ってやみません。

 最後に解題作成を含め、本科研をあたたかく見守ってくださったみなさまに篤くお礼申し上げます。

(淺川槙子)
 
 
 以前発行した『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』では英語のみでした。前回と異なり、今回は多くの言語で翻訳された古典文学を収録しています。『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』では、特定の古典文学が何度も翻訳・出版されていたり、日記文学が好まれる傾向があるなど、国によって『源氏物語』以外の作品への嗜好が伺えるように思います。また、解題を読んでいると、さまざまな立場の方がそれぞれの目的に合わせて創意工夫をしているさまも伝わり、「翻訳の歴史」の側面が垣間見えてきます。

 残念ながら、今回は解題を掲載できなかった多くの書籍があります。これらの作品名や国名は、翻訳史年表で確認できます。時系列に並んだ出版の記録を眺めているだけでも、そこに関わった多くの人たちの努力を感じます。ただ、どうしてもヨーロッパ諸国など先進国に偏っており、アフリカ大陸の言語などでの発行はまだ見つかっていないようです。これから、このリストに、より多くの国名が追加されることを願ってやみません。

(加々良恵子)
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2016年12月15日 (木)

日比谷で従一位麗子本のことを話す

 ロシアからプーチン大統領が来日中です。今日は山口、明日は東京ということで、今夜の霞ヶ関周辺は厳重な警戒態勢となっていました。

 丸ノ内線の霞が関駅から地上に上がると、警察車両の隙間から、東京タワーが見えました。いつもと違う緊迫した雰囲気だと、こんな光景にも目が留まります。


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 日比谷図書文化館で鎌倉時代の源氏写本を読む中で、従一位麗子本のことが話題になりました。
 満州でその写本が消えていることや、その本文が特異なものであったと思われることなど、北小路健氏の『古文書の面白さ』(新潮選書、昭和59年、新潮社)を紹介しながら話しました。終戦後、長春にロシア兵が侵入してきた時に、持っていた古写本を古本屋に渡したという記事なども確認しました。

 また、私もその本を探し求めて長春を歩き回ったことも、お話しました。
 参考までに、私のブログを引きます。ご笑覧いただければと思います。

■従一位麗子本と満州のブログ記事 2種類

「中国にあるか?『源氏物語』の古写本」(2008/2/14)

「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010/4/29)

 本を求めての旅は、終わることがありません。
 橋本本「若紫」を読んでいると、諸本との本文の異同が多彩なので、話が尽きません。

 来週、この話を2箇所でしますので、詳細は後日まとめます。
 
 
 

2016年11月26日 (土)

岡山の就実大学で「世界中の33言語で読める源氏物語」という話をしました

 岡山の就実大学<表現文化学会>の2016年度公開学術講演会に呼ばれて、海外の『源氏物語』の翻訳状況についてお話してきました。

 大学はきれいで、特にパリのルーブル美術館にあるガラスのピラミッドを模したオブジェが、一際注意を惹きました。下には食堂があるそうです。
 (以下の3枚は帰りに撮ったものです。)


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 さて、今回のテーマの話だけでは印象に残らないと思い、私の翻訳本コレクションから私の手元にしかないと思われる本を中心に31冊を選書して、会場に持参しました。
 終わってから、学生さんを始めとする参会者のみなさまに、実際に翻訳本の現物を触っていただきました。中身がわからなくても、表紙の絵柄や、本の手触りを実感していただくことができたと思います。

 私の話はともかく、一生触ることのない本を通して、異国の地でそれが読まれていることを想像するだけでも、心が世界に拡がるはずです。そして、日本で育った文化の結晶としての『源氏物語』が持つ意義に思いをいたしてもらえたら、それだけで私の役目を果たしたことになります。それが、国際交流の原点となるはずです。

 誇れるものを持つ文化に対する理解を、これを機会に深めてもらえるという感触を、本日の会場みなさまの表情から感じとることができました。
 お集まりのみなさま方が、興味と好奇の心をもって、私の拙い、とりとめもない話を聴いてくださったことに感謝しています。

 今回配布したプリントの冒頭に、次の文章を掲げました。


 『源氏物語』は、33種類の言語で翻訳されています(2016年11月26日現在)。
 本日は、その翻訳本の表紙と中身および収集の来歴を紹介し、そこから見えてくる今後の新しい研究テーマをお話ししたいと思います。
 私がこれまでに確認し、収集した『源氏物語』の翻訳本は、次の通りです。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
アッサム語・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語・英語・エスペラント・オランダ語・オディア語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

■インドで翻訳を進めている10言語■
【アッサム語・ウルドゥー語・オディア語・タミール語・テルグ 語・パンジャービー語・
 ベンガル語・ヒンディー語・マラーティー語・マラヤーラム語】(カンナダ語)
  (インドの言語は約870種類以上、連邦憲法では22の指定言語、紙幣には17言語)

 本日はこの中から、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただける31冊を選書して持参しました。

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 また、最新の翻訳情報をA4版で26ページ分にまとめ、長く手元に置いていただける資料集を配布しました。
 (1)「インド8言語訳『源氏物語』の書誌」
 (2)「就実大学での展示一覧」
 (3)「源氏物語翻訳史年表」
 いつか、何かの折にでも、そういえば『源氏物語』の翻訳が、と思われた時に参考になる、情報満載のプリントにしたつもりです。
 この資料集のデータは、「海外源氏情報」(http://genjiito.org)で公開しているものを中心に編集しました。いつか、何かのお役に立てば幸いです。

 この配布物のうち、(2)「就実大学での展示一覧」は、今回のために選書した翻訳本のリストなので、記録としてその一部の情報を以下に引いておきます。


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アッサム語
Atul chandra Hszarika
(アトゥール・チャンドラ・ハジャリカ)
Genjikonvarar Sadhu
Sahitya Akademi
2005
青地にサヒタヤ・アカデミーのマークがついている。
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アラビア語
Ahmed Mosta FATHY
(アハマド・モスタファ•ファテヒ)
Syrẗ ạlạmyr gẖynjy
(源氏王子の物語)
メリット出版社
2004
アラビア語と日本語の文字
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イタリア語
Adriana Motti
(アドリアナ・モッティ)
STORIA DI GENJI
Giulio Einaudi editore
2006
三代歌川豊国の「風流げんじ須磨」
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イタリア語
Maria Tresa Orsi
(マリア・テレサ・オルシ)
LA STORIA DI GENJI
Giulio Einaudi editore
2012
表紙と箱は国宝『源氏物語絵巻』「鈴虫」・「関屋」巻を、山口伊太郎氏が西陣織にしたもの。作品名は『源氏物語錦織絵巻』作者は山口伊太郎氏。同氏の遺作。
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英語
Arthur Waley
THE TALE OF GENJI
George. Allen & Unwin
1935
表紙は赤い地に、金字で『源氏物語』と書いてある。背表紙も金字。
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英語
Dennis Washburn
The Tale of Genji
W W Norton & Co Inc
2015
五島美術館所蔵 国宝 『源氏物語絵巻』 39帖「夕霧」(刺繍)で、夕霧の手紙をとろうとする雲居雁
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英語
Edward G. Seindensticker
THE TALE OF GENJI
Charles E.Tuttle Company
1979
(3版)
表紙と外箱は、円山応挙『藤花図』(重文・根津美術館蔵、1776年)
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英語
Royall Tyler
THE TALE OF GENJI
Penguin Books
2001
外箱の表は舞楽図『五常楽』裏は右を向いた女性、本の表紙は赤い地に絵巻を参考にした人の顔の輪郭を黒い線で描いている。1巻は男性で、2巻は横向きの女性である。
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英語
末松謙澄
GENJI MONOGATARI
丸屋
(現:丸善)
1894
赤地に金色で源氏香の図が描かれている。薄い紙のカバーがかかっている。
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オランダ語
Jos Vos
(ヨス・フォス)
Het verhaal van Genji
Athenaeum
2013
バーク・コレクションのひとつ、1巻は土佐光起筆『源氏物語画帖』「花宴」
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クロアチア語
Nikica Petrak
(ニキツァ・ペトラク)
Pripovijest o Genjiju
Naklada Ljevak
2004
『源氏物語絵巻』「鈴虫」巻(二)。夕霧が笛を吹いている場面。
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スペイン語(ペルー版)
HIROKO IZUMI SIMONO
(下野泉)•IVAN AUGUSTO PINTO ROMAN
(イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン)
EL RELATO DE GENJI
ペルー日系人協会(APJ)
2013
國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』初音」巻
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スロヴェニア語
Silvester SKERL
(シルベスター・スカル)
PRINC IN DVORNE GOSPE
Državna založba
1968
浮世絵(女性の絵)
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タイ語
あさきゆめみし
1980
『あさきゆめみし』
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タミル語
K.Appadurai
(アッパドライ)
Genji Katai
Sahitya Akademi
2002(新版)
金閣寺の前で近世風の男女が並んでいる絵
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中国語
康景成
(kāng jǐng chéng)
源氏物語
陕西师范大学出版社
2012
徳川美術館蔵『源氏物語絵巻』「柏木三」(復元図)で、光源氏が生まれたばかりの薫を抱いている場面。
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中国語
林文月
( LIN Wen Yueh)
源氏物語
訳林出版社
2011
全3冊共に薄い紫色
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ドイツ語
Herbert E. Herlitschka
(ヘルベルト・E・ヘルリチュカ)
DIE GECHICHTE VOM PRINZEN GENJI
Insel Veriag
1995
江戸時代の役者絵
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ハンガリー語
Horvàth Làszlo
(ホルバート・ラースロー)
Gebdzsi szerelmei
Európa Könyvkiadó
2009
1巻の表紙はインディアナ大学美術館蔵『源氏物語図屏風』「若紫」、2巻はフリーア美術館蔵の土佐光吉筆『若菜・帚木図屏風』のうち「若菜上」、3巻は京都国立博物館蔵の伝・土佐光元筆『源氏物語図』「蜻蛉」。
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ハングル
전욤신
(田溶新•チョン•ヨン•ハク)
겐지이야기
(源氏物語)
ZMANZ社
2008
表紙は植村佳菜子画・伊藤鉄也所蔵の源氏絵を無断で改変。
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パンジャービー語
Jagjit Singh Ahand
(ジャジット・シン・アナンド)
Genji dī Kahānī
Sahitya Akademi
2001
一楽亭栄水作『美人五節句・扇屋内さかき わかは』を加工したもの。
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ヒンディ-語
Chavinath Pandey
(C.パンディ)
Genji dī Kahānī
Sahitya Akademi
2000
『枕草子絵詞』第一段で中宮定子と対面する、妹の藤原原子(淑景舎)の姿をモデルに加工したもの。
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フランス語
YAMATA KIKOU
(山田菊)
LE ROMAN DE GENJI
PLON
1952
文字のみ
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ポルトガル語
(1巻)Lígia Malheiro(リヒア・マリェイロ)
(2巻)Elisabete Calha REIA(エリザベート・カーリ・レイア)"
O Romance de Genji
Exodus
2007
立松脩氏デザインの首飾りをしている黒髪の女性の絵
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ポルトガル語
Carlos Correia Monteiro de Oliveira
(カルロス・コレイア・モンテイロ・デ・オリベイラ)
O ROMANCE DO GENJI
Relogio D'agua
2008
1巻の表紙は、月岡芳年『月百姿』のうち『忍岡月 玉淵斎』(1889年)、2巻はハーバード大学美術館蔵の土佐光信筆『源氏物語画帖』「椎本」巻を題材に、どちらもカルロス・セザールがデザインしたものである。
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マラヤラム語
P.K.Eapan
(イッパン)
Genjiyude Katha
Sahitya Akademi
2008
国際聚像館(広島県福山市の坂本デニム株式会社が創設した美術館)が所蔵する、『源氏物語挿絵貼屏風』(六曲一双)「初音」巻と類似した絵
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モンゴル語
ジャルガルサイハン•オチルフー
ГЭНЖИЙН ТУУЛЬС 
ADMON
2009
石山寺蔵 狩野孝信筆『紫式部図』(部分)
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 さて、お話した内容は、多岐にわたるものだったので、それは省略します。
 これまでに海外で出会った『源氏物語』とのエピソードを中心にしました。

 いろいろな体験談を含めてお話した中で、一番興味をもっていただけたのは、イタリアの本屋で「ゲンジモノガタリプリーズ」と言ってイタリア語訳『源氏物語』を手に入れたことだったように思います。
 これは、私のブログの、「ヴェネツィアから(7)イタリア本」(2008/9/14)に書いたことなので、ご笑覧いただければと思います。

 ないはずのウルドゥ語訳『源氏物語』があったこと、しかもそれが偶然に見つかった話にも興味を示されたようです。これも、次の記事を書いています。
 「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009/3/5)
 「「ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見」((2016/2/19)
 先年刊行されたオランダ語訳『源氏物語』の、ネット上での本の分類が「horror」(ホラー・恐怖)となっていることは、後で学生さんからの質問にも出たので、意外だったようです。

 『源氏物語』の翻訳本を「訳し戻し」することによって、日本文化が海外にどのように伝わっているのかをみんなで考えよう、というテーマは、これからの若い方々を意識して話題を提供しました。
 「各国語翻訳を日本語に一元化したものを通して、日本文化が変容して伝えられていく諸相と実態を確認し、研究者等との共同研究で考察していきませんか。」という趣旨の、コラボレーションを基にした提案です。

 さて、こうした物の見方が、若い方々にどのように伝わったのか、気になるところです。

 その後の別室での自由討論も、先生方のお人柄も感じられて、温かい雰囲気の中で話が盛り上がりました。
 さらにそれは、外に出ての懇親会でも引き続き楽しい話題が飛び交うこととなりました。
 久しぶりに、こんなに和やかで楽しい会に参加させていただきました。若い先生方のお考えもたくさん伺えたので、すばらしい情報交換となりました。そして、私と同世代の方々とは、若き日々の懐かしいテレビ等の話題で、若返った気持ちになりました。

 今回の仕掛け人は、大学時代に同級生だった岡部由文君です。
 その縁で、就実大学の先生方と気持ちを通わせる機会をいただけました。
 みなさまに、あらためて感謝しています。

 散会した頃には、小雨が降り出していました。

 岡山駅前のホテルに入ったところ、サイドテーブルに『古事記』の現代語訳(竹田恒泰訳、竹田研究財団古事記普及委員会、平成24年1月)が、お決まりの聖書と並んで置いてありました。


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 その巻頭に、次の言葉が印刷されています。


「古事記を全国のホテルに置こう!」プロジェクトについて

本書は『古事記』完成千三百年にあたり、古事記普及委員会が立案した古事記普及事業に基づいて行われた「古事記を全国のホテルに置こう!」プロジェクトにより、ホテル等に無償にて配布されたものです。このプロジェクトは日本の将来を憂う全国の有志の募金によってまかなわれています。プロジェクトへの支援をご希望なさる方は、巻末に記載した「発行所」の古事記普及委員会へご連絡ください。(6頁)

 こうした本を始めて見たので、非常に興味を持ちました。
 これがありなら、日本人のみならず、海外からお越しの方々にも日本の文化理解に資するものとして、『源氏物語』の現代語訳もありでしょう。
 きっと、日本を知っていただくのに、お役に立つはずです。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の議題にしてみましょう。

 そんなことを思いながら、岡山の一夜を満喫しています。
 
 
 

2016年11月18日 (金)

ジュース屋のおやじさんとの奇妙な国際交流

 無事に「第8回 インド国際日本文学研究集会」も終わり、関係者だけでお疲れさん会をしました。

 その店の前に、フィットネスクラブの明かりが煌々と輝いているのを見つけました。
 まさに、インドの1面を見ることができました。


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 宿に帰ってから、いつものジュース屋さんに行きました。
 時間が10時を過ぎており、すでに店じまいをしているところでした。
 この町に来た8日にも立ち寄りました。しかし、いつものおやじさんがいなかったので、ジュースはいただきませんでした。私は、おやじさんがいる時だけしか行きません。

 見つけたおやじさんに挨拶をすると、元気に迎えてくれました。しかし、すでにジューサーは解体した後でした。それにも関わらず、おやじさんはスパナをとり出し、ジューサーをまた組み立て始めたのです。お店の人も、何事が起こったのかと見守っておられました。


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 お掃除が終わったのなら、また明日来ますと言うと、というよりも村上さんにそう通訳してもらうと、それでも無言でスパナを使ってジュースを作る準備をしておられます。

 私だけのジュースが搾られることとなりました。感激です。お店の従業員の方は、何が何だかわからない顔をしておられます。テーブルの上には、またすぐに解体できるようにスパナが置かれたままです。


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 お金を払おうとすると、私に会いに来たお前から貰うわけにはいかない、と言っておられるとのことです。押し問答の末にそれでも代金を渡すと、多すぎるとのことで、少し返してもらいました。死ぬ時に余分なお金は要らないので、実費でいいとのことのようです。


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 それでは、今度何か日本からお土産を持って来るので、何がほしいかと聞いてもらうと、何もいらないとのことです。こうして顔を見せてくれるだけで、それがいいお土産だと言っておられると、通訳係となった村上さんが伝えてくれます。

 しばらく、インド人との禅問答のような哲学的な会話が飛び交いました。

 さらに、私がお寺に泊まっていることを知っておられるおやじさんは、お寺の和尚さんに果物とジュースを持って行けとのことです。(このリンゴとミカンは、翌朝のお寺での食卓に並びました。)

 他人が見たら、インド人と日本人が何を言い合っているのか、興味深い光景だったことでしょう。

 このおやじさんとは、2002年に私がデリー大学に客員として来た時、お寺で同じ釜の飯を食っていた中島岳志君に連れて来られた時以来の、説明しずらい変な仲なのです。
 このおやじさんとの不思議な関係が、こうして今でも続いているのです。
 
 
 

2016年11月17日 (木)

クマール君から届いた紙幣無効に関するエッセイ

 今回インドへ行き、到着から帰る直前まで、教え子であるクマール君のお世話になりました。
 よく気遣いができる青年で、毎日のように心配をして連絡をくれました。

 そのクマール君から私に向けて、今回の突然の紙幣無効に関する、インド人としての解説をしてくれました。ニュースや風聞を読み別け、整理をして語ってくれています。
 私がわかるように、わかりやすく語ってほしいとお願いしたからでもあります。

 私だけが読んで終わりにしてはもったいないので、このブログを通して紹介します。
 日本語の表現がこなれていないのは、しばらく日本を離れていて、日常的に日本語を使う機会が少ないためです。その点は、判読のほどをお願いします。

 また、クマール君は経済の専門家ではないし、インドの若者を代表して語ったものでもありません。この説明がどれだけ的を射ているのかはともかく、何がどうなっているのかわからない私に、とにかく伝えようとの思いから述べたものであることを、まずは前置きとして記しておきます。



「ブラックマネー(やみ金)撲滅から始まるインドの明治維新レベルの大事件」


 
 2016年11月8日の午後6時半に、日本からお出での先生をお迎えに、インディラガンディ空港に行きました。先生は、源氏物語のシンポジウムのご用でデリーに来印されました。空港でタクシーを拾い、デリーの高級住宅街にあるWorld Buddist Centerに午後8時ごろに着きました。

 World Buddhist Centerはお寺ですが、宿泊のサービス(食事付き)も提供しています。宿泊先のWorld Buddist Center では、晩こ飯の指定時間は午後8時です。それで、着いてすぐ「ご飯ですよ」とお坊さんに声をかけられました。

 日本と同じく、足のひくい食卓にしゃがんで食事をし始めると、後ろにあったテレビからインド首相の声が聞こえました。振り向くと、話し方も、彼の立ち方も、長いスピーチに思えました。国立記念日や重要なお祭りの前日に、インド首相が国にスピーチするのは、しきたりです。それで、しわを寄せて「明日なんのお祭り? 国立記念日?」と思いました。しかし、ニュースを聴いて、びっくりしました。

 500ルピーと1000ルピーの紙幣は今夜零時で無効になり、ただの紙屑に変わるという二ユースでした。病院、火葬場、空港、バス停、メトロ、ガソリンスタンド、国の機関で、あと3日間は使えるという話もありました。それを聴いて、すごくショックでした。

 先生がインドにいらっしゃるので、1万ルピーをATMから出したばかりでした。ATMだと500ルピーや1000ルピーが多いです。1万ルピーをドブに捨てた気がしました。しかし、しばらく聴くと、「今月30日までに最寄の銀行で古紙幣から新紙幣に両替できる、そして、その以降も両替できるが、インド準備銀行であるRESERV BANK OF INDIA だけで両替できる」というニュースでした。
 この移行期間で社会混乱が起こらないように、インドの軍や空軍はアンテナを張って社会を見張っている、守っているという話もありました。

 ご飯が終わって、早速ATMに行こうと先生が決めました。それで、近くにあったSapna映画館の商店街みたいな場所に行きました。行ってみると、ATMの場所で長い行列を見かけました。零時まで間にあわないほど長い行列でした。
 零時までは使えると思って、お店で500ルピーを出してみました。しかし、「紙屑だよ」という目線だけで、誰も受け入れてくれません。

 猶予期間である3日間が経って、それで社会にどんな影響があるかと考えると、ひっくり返るほど驚きました。この出来事を理解するには、まず、「現金イコール力」ということを考える必要があります。
 専門家によると、銀行に戻って来ないお金、つまりどこかで税金を払わないで眠っているお金は、銀行に顔を出すお金の6倍くらいあるということです。もし、現金イコール力だと、インド政府と同じ力を持っている人たちと、それにインド政府が知らない人たちがいるということです。

 専門的には、その事象を平行経済といいます。現金の平行経済は成り立つと格差社会が広がり、税金は払わない人が多くなります。インドで商売や小さなビジネスする人は、税金を払わないのです。それで、登録済みの会社で働く人が、多めに税金を払っているのです。年収は112万ルピー(190万円相当:2016年11月相場)であれば、年収の4割も税金として取られるのです。それで、大きなビジネスマンや映画業界の人など、年収のほぼ半分は税金として払っています。インドでは、たった2~3パーセントの人が年収からなる税金を払います。そのために、紙幣廃止となり、みんなお金を銀行に戻すのです。

 年間の取引でどれくらいの税金になるか、政府から通知が来ます。多くの人が税金を払うようになります。その他、膨大な額の現金を持っている政治家などが、その膨大な金額を銀行に持って行けなくなったから、彼らは困っています。膨大な現金を持っているビジネスマンも困りました。

 一番重要なことは、現金はあらゆる社会問題に使われるということです。例えば、現金を配って選挙に勝ったりします。その現金はもう無効になりました。そろそろ3つの州で選挙があります。しかし、政治家が貯めていた膨大な現金は紙屑になったので、もう配れません。政治は、少し綺麗になったといえます。

 そして、インドでテロに使われるのも現金です。パキスタンやドバイにあるテロリストは、インドでSattaというギャンブルを行っています。それはすべて、現金でやっています。インド経済の5分の1ほども、インドの現金はテロリスト、ときにダウドというテロリストは持っています。その現金がすべて紙屑になりました。
 ニュースで「インドにいながら、ダウドを殺した」という話がありました。テロに使う兵器や人間は現金で買うから、その力はなくなったといえます。

 現金なしで生活をするのは難しいのですが、長い目で見ると私の将来のためになると考えると、その苦労は苦労には思えないのです。1日で銀行から4千ルピー以上はおろせない状況です。
 今日、11月13日、首相はまたスピーチをし、
「インド独立以来70年間、政治家やビジネスマンは、いろんなスキャム(公的な機関にいて、膨大なお金をねこばばすること)や横領をしてきました。膨大な現金を持っています。この病は70年間の古いものなので、すぐには治せません。現金がないので、生活に苦労しているのは承知しています。私に50日間ください。50日間だけ我慢してください。」
という話をしました。

 現金廃止以来、あらゆるインドの銀行は、20万かける1000万(2Billionルピー)インドルピーの現金を預かりました。歴史上初めての銀行残高となりました。


 
 
 

2016年11月16日 (水)

多言語翻訳について白熱した議論が展開した研究集会の2日目

 研究集会2日目の朝、宿舎の前に拡がるマーケットのATMには、こんな掲示がなされていました。


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 インドの高額紙幣はもとより、インドルピーという現金は、当分手に入りそうにありません。
 今日も、お金の心配をしながらの1日となりそうです。

 国際交流基金へ行くために宿にしているお寺の前に出たところ、右隣の銀行は長蛇の列でした。今日は、銀行が開いているようです。しかし、いつ順番が回ってくるのかわからない、気の遠くなるような行列となっているのです。


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 お寺の左側にも銀行があり、そこの様子はさらに大混乱です。しかし、不思議と暴動にはならず、みなさんルールを守って順番を待っておられます。理知的なインドの人々の姿を見た思いです。


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 さて、昨日の初日に続き、「第8回 インド国際日本文学研究集会」の2日目も大きな成果が得られました。

 昨日も記したように、今回の研究集会の内容は、来年2月に発行を予定している電子版『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公開します。そのため、発表と討議された内容についての詳細は省略し、ここでは記録としての列記とメモに留めます。

 今日も、司会進行役は入口敦志先生です。
 昨日に続き、今日も写真撮影は高田智和先生です。


(1)挨拶 伊藤鉄也
(2)基調講演 伊藤鉄也
  「〈海外源氏情報〉を科研の成果から見る」
(3)講演 須藤圭(立命館大学)
  「『源氏物語』の英訳について」
 
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(4)問題提起
  リーマ・シン(Ph.D candidate, University of Delhi)
  「パンジャービー語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の中央語群)

  タリク・シェーク(English and Foreign Languages University)
  「ベンガル語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の東部語群)

  ナビン・パンダ(Delhi University)
  「オディア語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の東部語群)

 昼食の後は、須藤圭先生の提案による楽しいイベントタイムとなりました。

■「青海波」の鑑賞■
 ・「青海波」の紹介(須藤先生の解説)
 ・『十帖源氏』の挿し絵を提示(入口先生が準備)
 ・雅楽「青海波」の映像
 ・源氏物語の映画に出てくる青海波を舞う場面

 インドのニューデリーに流れる楽の音は、なかなか優雅なものでした。

 以降、前日同様に、麻田先生が取りまとめと進行役で、各言語の問題点に関する発表へのコメントを踏まえて、全体でのディスカッションへと移りました。


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【シンポジウム】
テーマ:(2)
 『十帖源氏』を多言語翻訳するための方法と課題
   司会・進行 伊藤鉄也
   コメンテータ アニタ・カンナー
          麻田豊
 
 このシンポジウムは、白熱したこともあり3時間たっぷりと行なわれました。
 興味深い内容で、時を忘れて討議討論を交わすことができたので、みなさん充実感を持っての散会となりました。
 来秋には、ハイデラバードにある外国語大学で研究集会ができないかと、その実現に向けての検討に入りました。

 私がメモをしたことを二三拾い出しておきます。

・インドの各種言語をどう呼ぶかということについて、統一的な表記の方針が決まりました。
 「ウルドゥー語」「オディア語」「パンジャービー語」「ヒンディー語」「ベンガル語」「マラーティー語」「マラヤーラム語」

・インドのみなさまの氏名をどう表記するかということに関して、基本的には「名+姓」とする方針が決まりました。日本人は「姓+名」の順に表記します。

・1つの国の中で複数の言語に翻訳された『源氏物語』を見比べることの楽しさとおもしろさは、ネイティブスピーカーと一緒の話し合いの場ならではの臨場感と迫力がありました。とにかく、さまざまな意見がでるのです。自分の言語について語るのですから、熱を帯びるのは当然のことです。

・ベンガル語で『源氏物語』という書名は、「上半身に着る下着の物語」と訳すことになるそうです。これはみんなに笑われた、という話は示唆に富む逸話です。これは、『十帖源氏』をどう訳すか、ということに直結します。『源氏物語』にこだわらず、『紫の物語』『紫のゆかり』『紫文』も含めて、各言語で工夫することになりました。

・脚注をどうするかということが問題になり、私はこれはなくしたいとの思いを強く持ちました。

 これ以外にも、多くの刺激的な意見や、翻訳とは何かということを考える上での有意義な提案をいただきました。
 これらの質疑応答のすべては、来年2月の『海外平安文学研究ジャーナル』の特別号をお読みください、ということでまとめておきます。

 以下に、今回の研究集会で確認したことを整理した「須藤メモ」を転記します。
 今後の討議に向けての確認事項として、貴重な記録となっています。


(1)全体で情報を共有するため、翻訳担当者、関係者が参加するメーリングリストを作ることになりました。

(2)今回のインド国際集会の報告書には、報告原稿とは別に、取り扱う全ての言語の音声を収録することになりました。
 ・収録する音声データは、原則、「桐壺」巻の冒頭、現代語訳「いつの時代のことでしょうか、女御や更衣などといったお后が大勢いらした中に、特に高貴な身分ではなく、帝にとても愛されていらっしゃる女性がいました。」に該当する部分とする。
 ・ただし、その後の文章も一文にして訳している場合、区切りのよいところまで音声データにする。
 ・各言語の音声データは、発表担当者に依頼する。
 ・古文本文、現代日本語訳本文は、須藤が担当する。

(3)今後のインド国際集会では、以下の約束事を設けることになりました。
 ・発表や報告書の原稿でインドの言語を引用する際は、どの言語であっても、必ずローマ字表記を併記する。

(4)翻訳データに関して、ウルドゥー語に限り、(1)ウルドゥー語表記版、(2)ヒンディー語表記版の、2つのバージョンを準備してもらうことになりました。
 これに伴って、翻訳データの多言語比較資料も、この2つのバージョンをともに公開することになりました。
 なお、報告書の原稿には、2つのバージョンを併記してもよいし、しなくてもよいことになりました。

(5)インド6言語の翻訳データについて、以下の点を確認、依頼することになりました。
 ・期日は厳守。
 ・セクション(小見出し)ごとに分割した現代語訳に従って、翻訳したものを区切ってもらう。
 ・和歌の翻訳は可能な限り行なってもらう。ただし、期日に間に合わなくなる場合は、行わなくてもよい。

(6)今回の発表原稿を整理したものと、担当言語の翻訳原稿は、今月11月末までに提出することになりました。それを元にして作成した版下を、12月中旬から本格的な編集に入り、年末年始に校正を回します。

(7)インド関係者が日本以外で公開した日本文学に関する研究論文のリストを、今回あらためて作成することになりました。これは、すでに伊藤が100件弱の情報を整理したものがあり、それを増補することで実現するものです。これまでに整理したものは、国文学研究資料館が公開しているデータベースの中で、「日本文学国際共同研究データアーカイブ」の中のリスト最下段にある、「日本学研究DB〔インド〕Bibliography India-Japan Literature」の項目からリストデータが入手できます。
 今後は、国際交流基金の主導の元、インドの日本文学研究者の協力を得ながら展開させる予定です。


 
 
 

2016年11月15日 (火)

インド言語の討議が盛り上がった研究集会の初日

 第8回目となった今回の研究集会は、「『源氏物語』をインド7言語に翻訳するためのシンポジウム」と題して開催しました。副題には、「ダイジェスト版『十帖源氏』を世界33言語で翻訳するプロジェクト」というテーマを掲げています。

 インドで印刷製本した討議資料集も、立派な冊子として完成しました。ご配慮いただいた国際交流基金ニューデリー事務所の宮本薫所長と野口晃佑氏に、あらためてお礼申し上げます。


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 上の写真の右側にある、白い表紙に国際交流基金の建物を配したものが今回のレジメです。左側の黄色い表紙は、第7回までの記録を収録した『インド国際日本文学研究集会の記録』です。

 なお、この完成版は66頁あります。ただし、渡航前に試作版として作成した50頁のレジメは、本ブログの「来週インドで開催する日本文学研究集会のレジメ(試作版)を公開」(2016年11月04日)で事前にネット上に配布して、参加できないみなさまに対して情報提供を求めて公開しました。しばらくは、それをご覧になりながら以下の記事をお読みいただけると、研究集会の展開がわかりやすいかと思います。

 会場である国際交流基金・日本文化センターには早めに入り、プロジェクターのチェックや資料のセッティングをしました。


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 今回の研究集会を開催するにあたり、私から発表と討論に参加なさるみなさまには、以下の確認事項を要望としてお伝えしました。


1)今回の集会での使用言語は日本語です。
2)画像をスクリーンに映写しての発表ができます。
3)講演と発表者の1人の持ち時間は【25分】です。
4)各言語担当者からいただいた問題点をリストアップした資料は、討議用の資料として伊藤の下で編集に着手しています。
5)講演及び発表者は、各自のプレゼンスタイルで行なってください。その際に必要となるレジメ等は、11月6日(日)の夜までに伊藤と淺川宛に印刷データを添付ファイルとして送っていただければ、8日(火)にデリーに到着してから現地で印刷します。
6)今回の研究集会の内容は『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公刊します。これまでの第1号から第5号は、以下のサイトから確認及びダウンロードできます。
http://genjiito.org/journals/
7)伊藤の科研は2017年3月で終了します。
 そのため、以下のスケジュールでジャーナルの編集を進めます。
 *電子版のため、原稿の分量や図版・画像の数量に制限はありません。
 *資料として、動画像や音声ファイルも問題はありません。
  各言語における具体例などを提示する箇所での挿入を、お勧めします。
 *表組みは各執筆者でお願いし、完全版のワード文書で提出をお願いします。
  人手と経費がないので、もろもろのご協力をお願いします。
 電子版のため、印刷と製本の工程がないので、報告書の刊行は迅速です。
 ・2016年11月末 講演と担当言語に関する原稿〆切り
 ・2016年12月中 討議・討論の録音から文字起こし—業者納品
 ・2016年12月中〜2017年1月中 ジャーナルの版下編集
 ・2017年1月中〜末 執筆者に初校を回覧後、国文研への戻り〆切り
 ・2017年2月中 執筆者からの再校の国文研への戻り〆切り
 ・2017年2月末 HP「海外源氏情報」(http://genjiito.org)に公開

 10時から開会式と講演が始まりました。
 司会進行役は、入口敦志先生です。

 予定通りのプログラムで進行しました。これは、テーマが魅力的であったこともあり、とにかく限られた時間を有効に使おうという、参加者全員の思いがあったからだと思っています。特にインドでの研究集会としては、これまでにないほどに順調にプログラムが進行しました。

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 なお、今回の研究集会は、上記の通り来年2月に電子版の『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公開します。そのため、ここでは内容についての詳細は省略し、記録としての列記とメモに留めます。


(1)挨拶 宮本 薫(国際交流基金ニューデリー事務所長)


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※宮本さんには、私がエジプトのカイロにある2つの大学院の図書選定に行った時に、大変お世話になりました。今回、インドでもこの研究集会を支えてくださいました。そのご縁に感激すると共に感謝しています。

 ・自己紹介(アニタ・カンナー、麻田豊)

(2)趣旨説明 伊藤鉄也(国文学研究資料館)

(3)基調講演 高田智和(国立国語研究所)
 「変体仮名の国際標準化について」

(4)講演 伊藤鉄也(国文学研究資料館)
 「インド8言語訳『源氏物語』の書誌」
 ※実際には高田先生の講演の意義について時間を費やしました。

 休憩を挟んで、お昼からは……


(5)講演 入口敦志(国文学研究資料館)
 「江戸時代のダイジェスト版『十帖源氏』について」

(6)問題提起
 アルン・シャーム(English and Foreign Languages University)
 「マラヤーラム語訳の問題点」
 (ドラヴィダ語族)

 菊池智子(翻訳家)
 「ヒンディー語訳の問題点」
 (インド・アーリア諸語の中央語群西部ヒンディー語)

 村上明香(University of Allahabad)
 「ウルドゥー語訳の問題点」
 (インド・アーリア諸語の中央語群西部ヒンディー語)

◇昼食◇

【パネルディスカッション】
テーマ:(1)
 『十帖源氏』を多言語翻訳するための問題点

 コメンテータ
 麻田豊(元東京外国語大学)
 アニタ・カンナー(ネルー大学)

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《各言語の朗読(各2回ずつ読む)》
 ※この企画は、麻田豊先生の発案を須藤圭先生が実現することにより可能となったものです。

1 平安時代の読み方を復元した朗読(音声再生)
 ・源氏物語「若紫」巻から
 ・朗読本文をパワーポイントで提示
 ・違いのあるところを赤字で映写

2 現代の読み方による古文朗読(音声再生)
 ・「桐壺」巻冒頭部分

3 現代日本語訳の朗読(須藤)

4 英語(音声再生)

5 マラヤーラム語(1日目の対象言語)

6 ヒンディー語(1日目の対象言語)

7 ウルドゥー語(1日目の対象言語)

8 パンジャービー語(2日目の対象言語)

9 ベンガル語(2日目の対象言語)

10 オディア語(2日目の対象言語)

※この朗読に関しては、来年2月に発行する電子版『海外平安文学研究ジャーナル』の特別号に、付録として音声データを収録することになっています。
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 この後、麻田先生に取りまとめと進行役をしていただき、コメントやディスカッションが展開しました。予定した2時間45分が、あっという間に過ぎるほどに、さまざまな意見が飛び交いました。この問題でここまで盛り上がるとは、企画をした私が一番驚いています。
 ぜひ、電子版の特別号のテープ起こしを通して、この時の臨場感と迫力をたっぷりと味わってください。翻訳するということは何なのか、という討議も含めて中身も濃いのです。

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 初日の大盛会を祝して、関係者一同で記念撮影をしました。
 みなさん、準備の段階からいろいろとご協力いただき、ありがとうございました。
 とにかく、初日は大盛り上がりのうちに終了しました。


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2016年11月14日 (月)

国際交流基金で2回目の打ち合わせ

 第2回目の打ち合わせを、国際交流基金の事務所で朝から行ないました。


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 参加者は、日本からの5人と、インド在住の日本人2人、そして国際交流基金のお2人です。

 具体的にプログラムを詰めていく過程で、様々な案が出ました。当初の予定になかったことも話し合いの中で決まり、内容がますます多彩になるのは楽しいことです。いかにして参加者のみなさまと楽しい時間を共有するか、ということに心を砕く一時となりました。

 この、「第8回 インド国際日本文学研究集会」に関する第2回目の打ち合わせの成果は、進行する側の者としてもわくわくするものとなりました。
 明日の集会で展開する内容を、今から楽しみにしていただきたいと思います。


※この記事は、研究集会の前日、11月10日(木)のことを記したものです。
 インドの紙幣であるルピーが、デリーに到着した8日(火)の夜に無効になるという驚愕の事態に巻き込まれています。そのため、困惑しかないという状況に置かれていることもあり、本ブログの記事が大幅に遅れていることをご了承ください。
 現在、大量の無効となった紙幣が、街中に廃棄されているというニュースも入りました。
 これにより、大量に紙幣を溜め込んでいた政治家や資産家やテロリスト等は、茫然自失との風聞もあります。今この宿におられる1人の旅行者は、10万ルピーものお金が一夜にして紙くずとなったことで、ご一緒に食事をしていても元気がありません。
 今回の大鉈は、ブラックマネーを秘匿していた政財界関係者に対しては、息の根を止めるに等しいものだったので、絶大な効果があるとのことです。しかし、旅人は路頭に迷うしかないので、「不運」の一言で片づけられない深刻な問題です。
 インドに着陸して以来、1度も両替やキャッシングをすることもなく、明日はインディラガンディ空港を離陸して帰国の途につきます。いかにして現金を手にするか、ということだけに全精神を使った6日間となります。

 
 
 

2016年11月13日 (日)

地下鉄の転落防止柵は工事中

 地下鉄に乗りました。インドが成長し続けている姿が、行くたびに感じられる場所です。
 防犯カメラ、乗り換え駅での足元の誘導サイン、転落防止柵などなど、少しずつ進んでいます。

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 上の転落防止柵は、人の高さほどあります。これだけ高くしている理由が、今は思いつきません。
 駅の構内での点字ブロックは、一つも見かけませんでした。街中の点字ブロックは、本年2月の記事「インド・デリーの点字ブロックなどには要注意」(2016年02月25日)をご覧ください。

 銀行に列をなす人々は、至る所で見かけます。今日から銀行が開きました。とにかく、数時間にして紙くずと化した紙幣を手に、少しでも身を守るためです。しかし、旅人である私は、あの列に並ぶだけの時間的な余裕も、精神的な強さもありません。ただただ、お金を使わないことを心がけるしかありません。クレジットカードが使える店で食いつなぎます。それでも日々を過ごせるのがインドです。


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 街中から牛や象や駱駝や猿がいなくなり、国際化を急ぐ中で、インコ(?)を見かけました。


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 夕陽が、少しスモッグに包まれています。思ったほど、大気汚染の影響は感じません。
 社会情勢がどうであれ、風景はいつも通りに、刻々と変化する悠久の流れを感じさせてくれます。


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2016年11月12日 (土)

宿でうどんを食べた後、銀行の様子を見る

 昨夜の食事はうどんでした。
 この宿では、ときどきこうしたメニューがあります。


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 揚げ玉が入っていたので、どこで買ったのかを聞くと、近くのマーケットだとのことでした。その袋を見せていただきました。


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 今朝は、黒いひよこ豆をマサラ風に調理したものでした。
 とにかく、このデリーは食材が豊富です。

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 今回も宿泊している WBC(World BudhistCentre)の入口は、こんな感じの建物です。
 モダンな建物の3階と4階が個室になっています。


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 そしてなんと、右隣の建物が銀行なのです。

 インドに到着したその日の夜、インドルピーの高額紙幣が突然無効になりました。隣は銀行だし、まわりにATMが多い地域なので、お金は何とかなるだろうと思っていました。ところが、金融機関は閉められ、ATMは停止なので、現地通貨の入手経路が断たれているのです。

 この日の朝、周りを散策して様子を見ました。紙幣無効から2日経ち、銀行が業務を開始すると共に、人々が長蛇の列をなしています。しかも、相当の制限があるのです。そして、並んでいる人の大多数は、手持ちの無効となった現金を72時間という猶予期間に、自分の口座に預け入れるのだそうです。あと1日しかありません。猶予といっても、街中ではもう使えないので紙くずです。旅人は、どうしようもありません。


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 今回、新しいタイプのオートリキシャに乗りました。バッテリーでモーターを回して走ります。
 おじさん自慢のマシンです。静かで、乗り心地もいいのです。
 写真の奥に、これまでのオートリキシャが写っています。


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 排気ガスが出ないので、これまでの液化天然ガスよりもいいと思います。しかし、インドは台数が多いので、これだけでは環境はよくなりません。
 
 
 

2016年11月11日 (金)

国際交流基金で打ち合わせをした後の散策

 朝食後、WBC(World BudhistCentre)の食事をいただく広間で、書道教室が開かれていることを知りました。
 仕事の関係でインドに滞在しておられるTさんは、3年前からこの地域の方々に書道を教えておられるのです。


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 これからもずっと続けたいとの思いをお持ちです。しかし、来春には日本に帰らなければならないとのことでした。後継者がお出でのようなので、この教室は安泰のようです。
 こうした地道な活動は、とにかく根気強く続けることが大事だということで、意見が一致しました。

 お昼前から、地下鉄ムールチャンド駅のすぐ横にある国際交流基金ニューデリー事務所を訪問し、今回の「第8回 インド国際日本文学研究集会」に関して、第1回目の打ち合わせをしました。


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 宮本薫所長と野口晃佑さんからの全面的な協力をいただいていることもあり、順調に事前の打ち合わせを行なうことができました。

 その打ち合わせの最中に、今回配布するレジメの印刷を頼もうとしていた印刷屋さんが、たまたま来ておられることがわかりました。こちらから連絡をして、データを送ろうと思っていたところだったので、本当にいいタイミングで直接説明をして印刷をお願いすることができました。66頁の冊子となったレジメが明日には届くこととなり、その幸運な展開にありがたく感謝しています。

 打ち合わせの後は、下の階にある立命館大学のインドオフィスへご挨拶に行きました。


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 掲示板の右下には、国文学研究資料館で今月19日・20日に開催される「国際日本文学研究集会」の大きなポスターが貼られていました。ありがたいことです。


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 所長は外出中でした。また明日来ることにして、タクシーで北上して、スンダルナガルマーケットの「マサラ・ハウス」へ食事に行きました。


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 なかなかおしゃれなお店で、おしぼりにバラの花弁が添えられて出てきました。


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 ミッタルの紅茶もいただきに行きました。ここは、インドに来るといつも来るお店です。


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 そこからすぐ北の工芸美術館にも足を留めました。


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 ここで織り機を操作している方との話の中で、日本人に感謝しているとの気持ちを語ってくださいました。以前、パキスタンの近くにあるグジャラート州で地震があった時、日本のNGOの方々に助けてもらった、ということです。こうしたことを忘れることなく、日本人に会ったことから思い出されたようです。感謝されるということは、国際交流に留まらず人間関係において、非常に大事なことだと思いました。


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 帰りがけに、ライトアップされたインド門にも立ち寄りました。
 インドの家族のみなさんが大勢出かけて来ておられます。
 国内旅行に興味が向くようになったことは、インドが豊かになったということではないでしょうか。


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 今日も、インドルピーの現金を入手することができませんでした。銀行もATMも営業停止です。街でも、手持ちの1000ルピー札と500ルピー札は受け取ってもらえません。持参した紙幣で、とにかく心細く1日をつないでいます。お札を持っているのに使えないという経験は初めてです。もちろん、インド全土のみなさんがそうです。クレジットカードが使えるお店を探して食事をします。おのずと、高級店になります。いやはや、突然の紙幣廃止によって手持ちのお金が紙くずになるとは、旅人にはきつい一撃です。

 明日は現金の手持ちがない状態で、どう過ごすかを思案しています。
  
 
 

2016年11月10日 (木)

インドで紙幣が突然無効となり大混乱

 インドで2種類の高額紙幣が国の方針によって、突然無効なお金となりました。街中は大混乱です。そして、私のような旅人は途方に暮れています。

 現在、日本では、アメリカの大統領選挙のことでニュースは埋め尽くされていることでしょう。そのことをも計算してのことか、インドではこんな事態になっていることは、日本では少しの記事にしかなっていないようです。


「高額紙幣は無効」インド首相が突然発表 混乱広がる


(朝日新聞デジタル・2016年11月9日17時55分)

 インドのモディ首相は8日夜、テレビ演説し、高額紙幣の1千ルピー(約1600円)札と500ルピー(約800円)札を演説の約4時間後から無効にすると突然発表し、9日午前0時から全土で使えなくなった。偽造紙幣や不正蓄財などの根絶が目的。旧紙幣は10日以降、銀行に預金したり、新紙幣と交換したりできるとしているが、金額に制限があり、混乱が広がっている。

 新紙幣は2千ルピー札と500ルピー札の2種類。当面、旧紙幣の交換は4千ルピー(約6400円)まで、預金引き出しは1週間に2万ルピー(約3万2千円)までなどと上限が設けられている。発表の直後から、使用不能になる高額紙幣を現金自動出入機(ATM)で預金してしまおうと、銀行に人々が殺到した。政府系の病院や鉄道、ガソリンスタンドなどでは例外的に3日間に限り旧紙幣を使えるとしているが、ニューデリー市内のスタンドは高額紙幣の受け取りを拒否し始めた。

 モディ氏は、偽造紙幣がテロの資金源になり、インフレの原因になっているとして、「一時的に困難はあるが、国民は犠牲をいとわないはずだ」と忍耐を求めた。ただ、中央銀行の当局者は記者会見で「最初の15〜20日は混乱が予想される。とにかく新紙幣を刷り続ける」と、準備が整っていないことを暗に認めている。(ニューデリー=武石英史郎)

 昨夜(11月8日)、インドに着いてすぐに、宿泊先である WBC(World BudhistCentre)で晩ご飯を食べていた時のことでした。突然、インドでの高額紙幣である1000ルピーと500ルピーの2種類のお札を無効にする、という内容の首相からの国民向けの説明が、テレビを通して流れてきました。

 驚いたというよりも、最初はその「無効」の意味がよくわかりませんでした。
 現地の方の説明を聞いてしばらくしてから、手持ちのお金が紙くずになったことが理解できました。
 街中では大騒ぎになっているようです。宿にしているお寺の前にあるマーケットに行くと、多くの人がATMの前に並んでいます。しかし、その機械は動いていません。3時間後の午前0時に動くことを期待して、まずは手持ちのお金を預金し、また小額紙幣を手に入れようということなのです。


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 首相が国民に訴えたことは、現在流通している1000ルピーと500ルピーの高額紙幣を、すべて「無効」にし、新しい紙幣に切り替えることへの理解を求めるものでした。しかし、このことによる影響は、さまざまな所へと波及します。

 発表の4時間後の11月9日午前0時から72時間の猶予があるということです。しかし、この発表があった後は、すぐに街では1000ルピーと500ルピーのお札を、店側が受け取りを拒否するようになりました。私も水を買う時に、100ルピー札がほしさに差し出した1000ルピーも500ルピーも受け取ってもらえず、手持ちの数少ない100ルピー札で何とか買うことができました。100ルピー札がないと、何もできない状態になりました。

 酒屋の前では、多くの人がお札を高々と差し上げて買い求める人が群がっていました。ただし、そのほとんどの人が1000ルピーと500ルピー紙幣を拒否されるので、買えないままに引き上げていくしかないという状況を、まさに目にすることとなりました。


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 手持ちのお金が使えなくなったのです。とにかく、移動もままならない生活となりました。
 100ルピー以下のお金しか使えないのです。しかも、ATMは止められています。100ルピー札を手に入れようにも、なかなか手に入らないので、買い物もできないし、タクシーにも乗れません。
 勢い、クレジットカードの使えるお店しか行けなくなったのです。そして、そこは自然と料金が高めです。

 混乱の中の2日目は、この後で書きます。
 今朝のインドの新聞は、次のような紙面となっています。


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 先程、在日本大使館から公布された、次の文書が届きました。これが、正式な最新情報です。

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2016年11月 9日 (水)

インド行きのJAL機内でのメモ

・今回も、成田空港にたどり着くのに苦労しました。
 電車が遅れたために乗り継ぎがうまくいかず、スマートフォンを使って最短時間で行ける経路を探すのに疲れました。都内からでも、成田は遠い異国の地です。もう来春まで、この成田へ電車で行くことはないと思います。今後は、可能な限り羽田から飛び立つ便を活用したいと思います。
 
・機内での緊急脱出の説明で、「袋を破いて」というアナウンスがありました。「破いて」という言い方は、昔懐かしい言葉だと思いました。
 
・機内で見た映画「後妻業の女」は期待はずれ。
 出演者が多彩すぎて、大竹しのぶ以外はもったいない起用だったと思います。また、関西弁がふんだんに使われている割には、東京の人のための喜劇となっています。笑いを取るタイミングが、鶴瓶以外は関西の発想ではありません。謎解きで惹き付けようとしたものの、それも中途半端でした。【1】
 
・映画「君の名は」のキーワードは「つながり」でした。
 話の展開が夢を媒介にしています。ただし、私には現実と非現実のメリハリを、もっと付けてほしいと思いました。画面はきれいでした。【2】
 
・映画「シン・ゴジラ」
 国を守ることがテーマです。核兵器や放射能のあり方が展開を支えています。政治家の決断がいかに重要であるかが、現在の日本の政界を連想させるように作られていました。世界の中の日本について自覚させられます。このリアルさは、私の好みです。立川の自衛隊駐屯地が出て来るたびに、職場の建物が写っていないか、背景を注視しながら観ました。【4】

・機内で、82歳だというターバンを巻いた男性から、客室後部でヨガを教えてもらいました。若さを売り物にしている方のようです。
 それにしても、英語が苦手な私が言うのも何ですが、意味不明の英語でした。いや、のような言葉でした。
 
・眼下にヒマラヤが見えるという機長のアナウンスで、窓から外を見渡しました。

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 山並みだけで、よくはわかりませんでした。いつか一度だけ、エベレストを写したことがあります。
 山を見下ろすのは、気持ちのいいものです。
 
・入国する時に目に入る仏様の手のオブジェは、インドに来たことを実感させてもらえます。


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 常宿としている WBC(World BudhistCentre)に着いたのは午後7時半でした。
 お寺の上には、半月が温かく迎えてくれていました。


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 心配しながらの大気汚染は、今日は少しよくなっているようです。
 月がこんなに明るく見えるのですから、今日に限っては汚染の度合いは低いと思われます。
 
 午後8時過ぎに、お寺の食堂で晩ご飯をいただきました。
 これまた、いつものマイルドな、辛さのない、私好みの食事です。


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 ここの薬膳料理をいただいて、今回のインドでの生活を稔りあるものにしたいと思います。
 
 
 

2016年11月 8日 (火)

インド・ニューデリーは大気汚染で非常事態とのことです

 今日から行くニューデリーでは、昨日、政府が非常事態を宣言しました。
 大気汚染が深刻化し、危険な状況になっているそうです。
 この緊急対策は、昨日7日から3日間なので、まさに私が行く日がそうです。

 新聞記事を引きます。


インド PM2.5深刻 首都大気汚染、基準値の16倍


 
 【ニューデリー金子淳】インドの首都ニューデリーで大気汚染が深刻化している。地元当局の観測データによると、微小粒子状物質PM2・5の濃度は6日も一時、インドの基準値の16倍超の1立方メートル当たり965マイクログラムに達する地点もあり、市内は白い霧に包まれた。

 地元当局は6日、緊急の対策会議を開催。市内の学校を9日まで休校とし、汚染の一因とされる郊外の石炭火力発電所の操業や、市内での建設作業を一時的に禁じることを決めた。観光名所「インド門」前で働くヤシ売りのイシャンさん(38)は「ここ数日はずっとインド門がかすんでいる」と話した。

 今年5月に世界保健機関(WHO)が公表したデータによると、ニューデリーのPM2・5の年間平均濃度は世界約3000都市のうち11番目に高く、北京の約1・4倍に上った。濃度が高い20都市のうち、最悪だったのはイランの都市ザーボルだが、インドは半数の10都市を占め、中国(4都市)やサウジアラビア(3都市)を大きく上回っている。

(毎日新聞2016年11月7日)


 

大気汚染で「非常事態」インド首都、休校に工事禁止

 インド・ニューデリーを抱えるデリー首都圏政府は6日、大気汚染が深刻な段階に突入したとして、学校を7日から3日間にわたり休校、建設工事を5日間禁止にするなどの緊急対策を発表した。中央政府のダベ閣外相(環境担当)は「非常事態」と述べるなど、危機感が強まっている。

 首都圏は近年、冬の接近とともに大気汚染のスモッグが拡大。野焼きや車の排ガスなどが原因とみられ、今年は過去17年間で最悪といわれている。ニューデリーの米大使館によると、大気中の微小粒子状物質PM2・5を含む汚染指数は6日も最悪レベルの「危険」を記録した。

 PTI通信などによると、首都圏政府のケジリワル首相は大気汚染に関し「ガス室のようだ」と述べ、近隣の北部ハリヤナ州やパンジャブ州での野焼きを批判した。市民には「できるだけ屋内にとどまってほしい」と呼び掛けた。

 対策はこの他、ディーゼル燃料を用いた自家発電機の一時的な使用禁止や道路の清掃など。(共同)

(産経ニュース2016.11.7 07:15)

 これまでにも、インドで暴動などで外出禁止令が出された時にも遭遇しました。
 いろいろなことがあったインドなので、計画の変更は考えていません。しかし、現地入りしてからは、慎重に判断して行動したいと思います。

 参考までに、「BBCニュース」(6 November 2016,From the section India)も引用しておきます。

 そんな中で、現地からは「N95 かN99 のマスクが良い」という情報も入りました。
 早速、近所のドラッグストアで、「N95」と書かれているマスクを手に入れました。


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 うがい薬も、ノドスプレーもバックに詰めました。
 準備万端です。

 さて、今回はどのような旅になりますか。
 とにかく、研究集会は盛況のうちに終えたいと願っています。
 
 
 

2016年11月 4日 (金)

来週インドで開催する日本文学研究集会のレジメ(試作版)を公開

 来週11日(金)と12日(土)の2日間にわたって、インドのニューデリーで「第8回 インド国際日本文学研究集会」を開催します。

 今回の国際研究集会の趣旨やプログラムは、先月末の本ブログで、「「第8回 インド国際日本文学研究集会」開催のお知らせ」(2016年10月31日)として掲載したとおりです。

 来週8日(火)に成田空港から出発する日を控え、その準備をドタバタと走り回りながら進めているところです。

 本日、その集会において配布し、参加者のみなさまと討議するための資料集が、試作版(全50頁)ながら完成しました。完成版はデリーで3名の資料を追加して、印刷製本する予定です。


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 日本国内に留まらず海外の方々からも、今回の研究集会にコメントを寄せていただけないかと思い、ここにその内容がわかるレジメを公開することにしました。
 次のPDFは、大きなファイルとなっています。ダウンロード完了までに時間がかかることをご了承ください。

「第8回 インド国際日本文学研究集会」のレジメ(74メガバイト)をダウンロード

 これはまだ試作版です。しかし、この資料集だけでも、おおよその内容は判読していただけるのではないか、と思っての公開です。
 日本に居ながらにして、インドでの討議に参加している気分に浸っていただけるかと思います。

 また、お知り合いの方に、このレジメのことをお知らせいただけると幸いです。
 このレジメを通覧していただき、お気付きのことやご教示を、自由にコメントとしていただけると幸いです。
 ご意見やコメントは、本ブログのコメント欄を利用してください。

 いただいたコメントは、研究集会当日に会場で紹介し、『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として「海外源氏情報」を通じて公刊することがある、ということをご了承ください。もちろん、掲載する前に、確認のメールを差し上げます。
 明年2月に、第6号に前後して発行する予定です。

 『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)の既刊分5冊は、上記サイトから自由にダウンロードしていただけるオープンデータとなっています。

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2016年11月 2日 (水)

インドへ行く前に身体検査をしています

 来週8日(火)から1週間ほど、インドのデリーに行ってきます。

 インドを歩くと、首都のデリーであっても日本のように舗装された歩道は少ないのです。車道は舗装されていても、歩道は日本の昭和30年代です。舗装が崩れていたり、大きな石が剥き出しだったり、砂利道だったりします。そうした障害物を跨ぎながら、歩道を歩きます。

 今年の7月に左足首を骨折して以来、まだ足首が多少ギクシャクしています。確かに完治までに3~4ヶ月といわれたことがわかります。歩いていて気を抜くと、ぐらっとします。

 障害物競走に出場するようなインドの道を歩くので、少しでも足の状態を良くしてから行こうと思い、九段坂病院で治療を受けてきました。

 まず、右足の指の疣は、大分よくなってきました。後1回の通院でいいようです。
 今日も、カッターで疣を削り、患部に液体窒素を塗っていただきました。
 いつも丁寧な治療をしていただき、感謝しています。

 新たに出た症状に、骨折した左足の右くるぶしがカサカサになって来たことがあります。気になったので、これも診てもらいました。
 先生の説明では、ギブスを嵌めていたことにより、それを取った後に生じた症状だとのことでした。
 痒くても掻かずに、クリームを塗って様子を見ることになりました。
 靴も考える必要に迫られました。
 明日は祝日なので、インドを歩く靴を探しに豊洲に行くつもりです。
 
 
 

2016年10月31日 (月)

「第8回 インド国際日本文学研究集会」開催のお知らせ

 来週、11月11日(金)と12日(土)の2日間、インドのニューデリーにある国際交流基金(日本文化センター)を会場にして、「第8回 インド国際日本文学研究集会」を開催します。

 本年2月に、今回のイベントの準備や調整をするために、インドへ行きました。
 そして、8月からはいろいろな方に助けられながら、無事に開催へと漕ぎつけるところまで来ました。
 インドとの時差は3時間半です。ヨーロッパに較べると、近いところです。
 しかし、日本から研究集会の段取りなどを含めての連絡や調整をするのは、メールが使えるとはいっても、何かと気苦労の多いことが怒濤のごとく押し寄せてきました。それに押し潰されることなく、みなさまの理解を得ながら実施できることとなりました。ありがたいことです。

 明日からは、レジメの手配や討議資料の作成に入ります。ここまでくれば、もう流れに任せるしかありません。
 先日、ストレスチェックの記事を書きました。あれは、このインドでのイベントの視界が良好になったこともあって、危機的な結果が出なかったと思っています。

 なお、「インド国際日本文学研究集会」も、今回が8回目です。
 これまでの経緯については、「『インド国際日本文学研究集会の記録』が出来ました」(2012年04月05日)という記事に詳しく書いていますので、併せてご覧いただければと思います。

 今回の研究集会の内容は『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として、年明けの2月に公開します。これまでの第1号から第5号までは、以下のサイトから確認及びダウンロードができます。
『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)
 オープンデータとして公開しているものなので、ご自由にお読みいただけるようにしています。

 今回の開催の趣旨(日本語と英語)と、プログラムを以下に記します。

 お知り合いの方や、旅行で通りかかるという方がいらっしゃいましたら、こんなイベントがあることを広く宣伝していただけると幸いです。
 
 


【日本語】
 
『源氏物語』をインド7言語に翻訳するためのシンポジウム
─ダイジェスト版『十帖源氏』を世界33言語で翻訳するプロジェクト─
(「第8回 インド国際日本文学研究集会」の案内)
 
■目的
 現在、『源氏物語』は33種類の言語で翻訳されている。
 今回の研究集会では、江戸時代にダイジェスト版として刊行された『十帖源氏』を対象とする。
 これは、原文の10分の1ほどの分量に要約された『源氏物語』であり、各巻に絵も入っていて易しい文章になっている。
 翻訳にあたっては、多くの問題がある。
 今回は第1巻「桐壺」を共通の話題とする。
 翻訳を通して気付いた疑問点や問題点を、公開の共同討議と意見交換をする中で確認する。
 今回のシンポジウムで得られた共通理解をもとにして、全54巻の翻訳に進んで行く。
 
■シンポジウムの内容
 『十帖源氏』を、ヒンディー語・ウルドゥ語・オリヤー語・パンジャーブ語・マラヤラム語・ベンガル語・マラティ語の7言語に翻訳した、若手研究者の実践例を提示してディスカッションを行なう。
 
■プロジェクトの今後
 現在、『十帖源氏』のイタリア語訳・スペイン語訳・英語訳・ロシア語訳を進めている。
 これにインド語7言語の翻訳を加えることにより、さらに世界中の人々が、日本の古典文学として評価の高い『源氏物語』を理解する環境の整備ができる。
 そして、幅広い日本文化を理解する道が開ける。
 日本文化が姿を変えながら伝えられていく様子と文化理解についての共同研究も、これを契機として活発に展開していくことであろう。
 加えて、『十帖源氏』の多言語翻訳は各国の翻訳技術の向上をもたらすはずである。
 なお、情報発信にあたっては、すでに実績があり積極的な活動を展開している「海外源氏情報」(http://genjiito.org)を活用する。

 
 

【English】
 
Symposium: Translating "the Tale of Genji" into seven Indian languages
─A project for translating digest-version "Jujo Genji" into 33 languages─
(”The eighth Indo-Japan Seminer on Japanese literature”)
 
■ Project Schedule
Nov. 11 (Fri) Open Panel discussion
  Theme : (1) Problems in multi-lingual translation of "Jujo Genji"
Nov. 12 (Sat) Open Symposium
  Theme : (2) Method and issues for multi-lingual translation of "Jujo Genji".
 
■ Purposes
 "the Tale of Genji" has been translated into 33 languages.
 In today's meeting, we will focus on "Jujo Genji", a digest version published in Edo period.
 "Jujo Genji" summarizes original "Tale of Genji" into one-tenth in volume in easier sentences with pictures.
 However, when it comes to translation, it contains several problems.
 Today we will focus the first chapter "Kiritsubo".
 We would like to have open discussion and exchange opinions by sharing any questions or problems that were found through translation.
 The understanding we share in this symposium will greatly help future translation of all 54 chapters.
 
■ Symposium objective
 Discussion by young researchers who translated the "Jujo Genji" into 7 languages: Hindi, Urdu, Oriya, Punjab, Malayalm, Bengal, and Marathi.
 
■ Future project
 Translations of "Jujo Genji" into Itaian, Spanish, English, Russian are now ongoing.
 We will add 7 Indian languages to this translation project. With this, more people in the works will enjoy a world-famous Japanese classis literature "the Tale of Genji".
 This will further allow opening opportunities for foreign people to understand Japanese culture.
 With this trend, a research study in how Japanese culture has been transformed in its succession and cultural understanding will be further developed.
 In addition, multi-lingual translation of "Jujo Genji" will improve translation technique.
 Any update of this projest can be found in "Overseas Genji information"」(http://genjiito.org) where you can find various activities and past records on this research field.

 

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プログラム【第4版】
   (2016年10月31日(月)現在)
   (2016年11月01日(火)[時期]の年月を訂正)

第8回 インド国際日本文学研究集会

■2016年度 テーマ■
『源氏物語』をインド7言語に翻訳するためのシンポジウム
─ダイジェスト版『十帖源氏』を世界33言語で翻訳するプロジェクト─
■時期:2016年11月11日(金)-12日(土) [2日間]
■会場:国際交流基金・日本文化センター(ニューデリー)

11日(金) 公開パネルディスカッション
   10:00-11:15 開会式と講演
        総合司会 伊藤鉄也(国文学研究資料館)
      挨 拶  宮本 薫(国際交流基金ニューデリー事務所長)
      趣旨説明 伊藤鉄也(国文学研究資料館)
      基調講演 高田智和(国立国語研究所)
       「変体仮名の国際標準化について」
      講 演  伊藤鉄也(国文学研究資料館)
       「インド8言語訳『源氏物語』の書誌」
   11:15―11:30 ( 休 憩 )
   11:30―13:30
      講演 入口敦志(国文学研究資料館)
       「江戸時代のダイジェスト版『十帖源氏』について」
      問題提起 コメンテーター:麻田豊(元東京外国語大学)
       シャム・アルン(English and Foreign Languages University)
         「マラヤラム語訳の問題点」
         (ドラヴィダ語族)
       菊池智子(翻訳家)
         「ヒンディー語訳の問題点」
         (インド・アーリア諸語の中央語群西部ヒンディー語)
       村上明香(University of Allahabad)
         「ウルドゥ語訳の問題点」
         (インド・アーリア諸語の中央語群西部ヒンディー語)
   13:30-14:45 ( 昼 食 )
   14:45-17:30 パネルディスカッション
      テーマ:(1)『十帖源氏』を多言語翻訳するための問題点
         コメンテータ アニタ・カンナ(ネルー大学)
                麻田豊
12日(土) 公開シンポジウム
   10:00-11:15
      挨拶 伊藤鉄也
      基調講演 伊藤鉄也
       「〈海外源氏情報〉を科研の成果から見る」
      講演 須藤圭(立命館大学)
       「『源氏物語』の英訳について」
   11:15―11:30 ( 休 憩 )
   11:30―13:15
      問題提起 コメンテーター:麻田豊
       リーマ・シン(Ph.D candidate, University of Delhi)
         「パンジャーブ語訳の問題点」
         (インド・アーリア諸語の中央語群)
       シェーク・タリク(English and Foreign Languages University)
         「ベンガル語訳の問題点」
         (インド・アーリア諸語の東部語群)
       ナビン・パンダ(Delhi University)
         「オディアー語訳の問題点」
         (インド・アーリア諸語の東部語群)
   13:15-14:30 ( 昼 食 )
   14:30-17:30 シンポジウム
      テーマ:(2)『十帖源氏』を多言語翻訳するための方法と課題
         司会・進行 伊藤鉄也
         コメンテータ アニタ・カンナ
                麻田豊
■主催;インド日本文学会
■共催:科学研究費補助金(基盤研究A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(研究代表者:伊藤鉄也、N0.25244012)
■後援:国際交流基金、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉
 
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2016年8月27日 (土)

京洛逍遥(374)秋の気配の賀茂川散策と「Heian GO Genji」私案

 ギプスでぎこちなくしか歩けない足を庇いながら、夕方の賀茂川を散策しました。
 南を望むと、出雲路橋の向こうに京都大学あたりが見えます。
 堆積した土と草が中洲となり、川幅を狭めています。


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 鷺たちも夏の終わりを感じているのでしょうか。
 思い思いに夕食を探しています。


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 夕風に吹かれながら、気持ちよさそうな鷺と鴨がいます。


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 トントンと呼んでいる飛び石があるところから北を見やると、北山大橋から北山あたりが靄っています。


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 「ポケモンGo」で遊んでいた子どもが、賀茂川右岸の賀茂街道へとトントンを渡っています。鷺が「またおいで」と言って見送ってるところです。


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 川風がもう秋かと思われるほどに、涼しく感じられます。
 気温は26度です。
 今年は、早々とトンボが飛び交っています。

 河原では「ポケモンGo」をする人がたくさんいます。
 この「ポケモンGo」の影響か、賀茂川も少し雰囲気が違うようになってきました。ウォーキングやジョギングではなくて、半木の道や散策路に佇んでスマートフォンを操作する人がいたるところで見受けられるのです。

 私は「ポケモンGo」を、まだ京都では使っていません。何となく違和感があり、自分が「ポケモン」を探しているところを人に見られたくない、という心理が働いているのです。東京のような都会ならともかく、自然の中では無粋だと思っているからでしょうか。

 誰か、京都限定の「Heian GO Genji」を作ってくださいませんか。
 洛中洛外で、光源氏たちから和歌を書いた文や懐紙をもらい歩くのです。上級者になると、和歌懐紙を集めるだけでなく、相手と和歌をやりとりしてもいいですね。巧い下手は関係なく、それらしい単語をちりばめるのです。歴史地理と文学体験が、洛中散策と共に楽しめます。

 実在の人物よりも、物語に登場する人物がいいのです。そして、和歌の意味がわかったらポイントが上がります。唱和を楽しむ方も出てきてもいいでしょう。
 あまり古文の受験勉強にならないようにして、平安のトリビアをふんだんに盛り込むのです。

 さしあたっては、この記事の末尾にあげた「源氏のゆかり一覧」(45ヶ所)を歩くアプリはどうでしょうか。
 また、昨年NPO法人〈源氏物語電子資料館〉で実施した文学散歩も、大いに参考になることでしょう。

「京洛逍遥(378)京都で源氏を読む会の源氏散策(第1回目)」(2015年10月10日)

 この「Heian GO Genji」が実現したら、京洛がさらにおもしろい仮想空間になるはずです。観光客のために、スペイン語や英語のバージョンも必要です。
 まさに、物語を持ち歩いて京洛逍遥ができるのです。京都は行くところには事欠かないのですから。平安編ができたら、中世編、幕末編とシリーズ化できます。

 2020年の東京オリンピックの折には、海外から来たお客さんを京洛に引き寄せられます。文化庁も京都に来るので、これはおもしろい文化観光のアイテムにもなります。
 どなたか、このアイデアを形にしてくださいませんか。
 
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参考情報:ブログ「鷺水亭より」で公開した「説明版」のリスト
 
「源氏のゆかり(45)説明板40-大原野神社」(2010/5/8)

「源氏のゆかり(44)五条の夕顔町」(2009/8/25)

「源氏のゆかり(43)河原院跡」(2009/8/16)

「源氏のゆかり(42)説明板39-鳥辺野」(2009/8/13)

「源氏のゆかり(41)比叡山へのハイキング」(2009/5/10)

「源氏のゆかり(40)説明板35-大堰の邸候補地」(2009/4/25)

「源氏のゆかり(39)説明板34-野宮神社」(2009/4/23)

「源氏のゆかり(38)説明板33-棲霞観跡」(2009/4/19)

「源氏のゆかり(37)説明板 32-遍照寺境内」(2009/4/18)

「源氏のゆかり(36)説明板29-大雲寺旧境内」(2009/4/12)

「源氏のゆかり(35)説明板25-朱雀院」(2009/2/22)

「源氏のゆかり(34)説明板30-雲母坂」(2009/1/11)

「源氏のゆかり(33)説明板27-羅城門跡」(2008/12/23)

「源氏のゆかり(32)説明板26-西鴻臚館跡」(2008/12/22)

「源氏のゆかり(31)説明板24-斎宮邸跡」(2008/12/18)

「源氏のゆかり(30)説明板23-大学寮跡」(2008/12/17)

「源氏のゆかり(29)説明板22-二条院候補地」(2008/12/16)

「源氏のゆかり(28)説明板36-法成寺跡」(2008/10/7)

「源氏のゆかり(28)説明板38-梨木神社」(2008/8/23)

「源氏のゆかり(27)説明板37-廬山寺」(2008/8/22)

「源氏のゆかり(26)説明板21-一条院跡」(2008/8/15)

「源氏のゆかり(25)説明板20-平安京一条大路跡」(2008/8/14)

「源氏のゆかり(24)説明板15-平安宮大蔵省跡・大宿直跡」(2008/7/28)

「源氏のゆかり(23)説明板19-朝堂院昌福堂跡」(2008/7/27)

「源氏のゆかり(22)説明板18-豊楽殿跡」(2008/7/23)

「源氏のゆかり(21)説明板17-藻壁門跡左馬寮跡」(2008/7/22)

「源氏のゆかり(20)説明板1-平安宮内裏跡」(2008/7/11)

「源氏のゆかり(19)説明板13-建礼門跡」(2008/6/14)

「源氏のゆかり(18)説明板14-宜陽殿跡」(2008/6/10)

「源氏のゆかり(17)説明板8-紫宸殿跡」(2008/6/9)

「源氏のゆかり(16)説明板 6-蔵人町屋跡」(2008/6/5)

「源氏のゆかり(15)説明板 7-内裏内郭回廊跡」(2008/5/31)

「源氏のゆかり(14)説明板2-凝華・飛香舎跡」(2008/5/30)

「源氏のゆかり(13)説明板3-弘徽殿跡」(2008/5/30)

「源氏のゆかり(12)説明板4-清涼殿跡」(2008/5/25)

「源氏のゆかり(11)説明板5-承香殿跡」(2008/5/24)

「源氏のゆかり(10)説明板10-昭陽舎跡」(2008/5/20)

「源氏のゆかり(9)説明板11-温明殿跡」(2008/5/19)

「源氏のゆかり(8)説明板12-建春門跡」(2008/5/15)

「源氏のゆかり(7)説明板9-淑景舎(桐壺)跡」(2008/5/10)

「源氏のゆかり(6)説明板31-雲林院」(2008/5/6)

「源氏のゆかり(5)説明板28-鞍馬寺(2011/04/03補訂)」(2008/5/3)

「源氏のゆかり(4)説明板16-大極殿跡」(2008/4/10)

「源氏のゆかり(3)浮舟の石碑」(2008/1/26)

「源氏のゆかり(2)若紫がいた北山」(2008/1/5)

「源氏のゆかり(1)上賀茂神社の片岡社」(2008/1/1)
 
 
 

2016年8月26日 (金)

朴光華訳の第2弾『源氏物語—韓国語訳注—(夕顔巻)』刊行

 朴光華先生が、『源氏物語』の韓国語訳と注釈に挑んでおられます。
 これまでの成果を書籍にしてまとめられた第1弾が、昨秋の『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』でした。

「朴光華著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』」(2015年09月06日)

 その第2弾となる『源氏物語—韓国語訳注—(夕顔巻)』が、今夏刊行されました。


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 この「夕顔」は、『文華 第五号』(2006年1月)という雑誌に掲載されたものに、大幅な手を入れて一書にまとめられたものです。

 韓国語に翻訳する上でのご苦心の一端が「後記」に記されています。


既刊の桐壺巻では、尊敬語尊敬補助動詞、謙譲語謙譲補助動詞、丁寧語・丁寧補助動詞などで苦労したが、この夕顔巻においては、助動詞「む・べし」、接続助詞「に・を」などで苦労した。

 また、このことに続いて、次のようなコメントも残しておられます。


桐壺、夕顔両巻の作業中において、一つのたのしみがある。それは、本書の訳と注釈に使った六書(『全書』『大系』『評釈』『全集』『集成』『新大系』)に、なにかあやまりはないのか、印刷ミスはないのか、と、それらを見つけることである。ここで、一々例を申しあげるには失敬なことと思ってさし控えるが、本書の中にはすべてを記して置いた。『評釈』には印刷ミスかどうか分からないものが目立つ。『全集』には初版に比べると、漢字やおくりがななどが、なにげなくすらりと変わったものが十数個所にわたって見える。『大系』にはあんまり見当たらないが。後世になって、韓国で、本書のあやまりなどを指摘する人があらわれたら幸いなことであるが、たぶん、おそらく、そのような人はあらわれないでしょう。本書にもあやまりがないわけでもないが。

 これは、活字による校訂本文とその注釈に頼って『源氏物語』を読み、研究する上での、貴重なご教示となっています。確かに、市販の校訂本文は版を重ねると、微妙に手が入っていきます。些細なことだからということもあって、その補訂の手を吟味することはありません。しかし、活字本に頼っている方には、この朴先生のことばは、そうした改訂の手が入ることがあたりまえである、ということをあらかじめ承知して活字本を利用する必要があることにつながります。

 この朴先生の大仕事は、これから14年という長い歳月をかけて刊行されます。
 翻訳にあたっての方針等は、上記ブログの記事に譲ります。
 次は「若紫巻」であり、以降、「須磨」「明石」「総角」「浮舟」と続くようです。

 朴先生からいただいた情報により、本書の書誌を整理してまとめておきます。


1)著者;朴光華(Park KwangHwa)
2)初版発行日;2016年7月1日
3)出版社;図書出版 香紙
 〒08801 韓国 SEOUL市 冠岳区 奉天洞 1688-12 金剛Building 4層
 Emai1;mind3253@daum.net
4)総頁;522頁
5)定価;W65、000
6)ISBN;978-89-94801-08-7
7)本書の構成;
 写真4枚(宮内庁書陵部蔵 青表紙本 夕顔、尾州家河内本 夕顔、廬山寺 等)
 序、凡例、夕顔巻の概要、登場人物系図、参考文献など;1-23頁
 夕顔巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注);24-501頁
 夕顔の宿(糸井通浩);502-514頁
 後記(日本語);515-516頁
 図録1-6;517-522頁

 韓国語に訳された『源氏物語』は、これまで信頼に足るものがありませんでした。それだけに、この朴訳が韓国における今後の『源氏物語』の研究に果たす役割は、ますます大きなものとなることでしょう。

 なお、私の科研(A)のホームページから公開している『海外平安文学研究ジャーナル Vol.3』(2015/09/30)で、この第1弾である『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』に関する詳細な紹介を掲載しています。

 「新刊紹介:朴光華著『源氏物語―韓国語訳注―』(桐壺巻) 厳 教欽(東京大学大学院 博士課程)」(109~115頁)

 このジャーナルは自由にダウンロードしていただけますので、併せてお読みいただけると、朴光華先生の翻訳にあたっての姿勢と、『源氏物語─韓国語訳注─』の意義が明確になると思います。
 
 
 

2016年8月22日 (月)

読書雑記(177)中村久司歌集『流刑のソナタ 異端調』

 『流刑のソナタ 異端調』(中村久司、MyISBN - デザインエッグ社、オンデマンド (ペーパーバック)、2016/7/25、¥1,434)を読みました。


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 オンデマンド出版ということなので、アマゾンで本書の情報を確認しました。紹介を兼ねて、一部を引きます。


■内容紹介■
英国に30年間滞在し、世界20カ国の詩人と英語短歌を詠む活動を続けていた著者の、日本語による第一歌集。
新古今和歌集の抒情と西欧の「ポエム」のシンボリズムの融合を試みた異色の100首。

潮騒も 時の流れも 閉じ込めて 琥珀は眠る バルトの海に

北の海 カモメを鎮め 天を裂き くさび打ち込む 冬の稲妻

吾亦紅 枯れた後にも 立ち続け 死の薄化粧 初霜の朝

聖堂と ネオン街とを 分かつ川 行き交う男女 生ぬるい雨

ツル四羽 折った手の横 核コード 石に染み入る 八月の影

異色・異端の100首は、1973年にソ連船「バイカル号」で冬の横浜港からエルシノアへ旅立ち、その後、日本とヨーロッパの間を彷徨った一人の「異端者」のソウルの投影である。

■著者について■
1950年、岐阜県飛騨市生まれ。高校電気科卒業後、名古屋税関に入関。在職中にデンマークの国際カレッジへ無許可で短期留学。1975年に税関を辞めて渡英し、日英を往来の後、1988年からイギリスのヨーク市に永住。1994年、英国ブラッドフォード大学平和学部大学院で日本人初の平和学博士号を取得。在職中、英国の二つの大学で国際教育・交流プロジェクトを担当。英文学科・美術学科学生に、新古今和歌集を中心に古典短歌を教える。
2004年、世界20カ国の詩人と英語で短歌を詠む「日英短歌ソサエティー」を創立。2008年、日本国外務大臣表彰を受賞。
著作に、『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人:英国の軍産学複合体に挑む』(高文研)、『観光コースでないロンドン』(高文研)、英語歌集『The Floating Bridge: Tanka Poems in English』(Sessions of York) など。

 これまでに刊行された著書について、私の勝手な読書雑記は次の通り3点があります。

(1)「英語の短歌を読む」(2008/11/13)

(2)「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)

(3)「読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論」(2014年07月12日)

 イギリスでは、ヨークとケンブリッジでお目にかかりました。妻と娘共々、お世話になりました。そんな関係からか、短歌の背景が私なりに想像できたので、透き通ったお人柄を思い起こしながら読みました。素人が勝手にキーワードを付けるならば、「ありし日」「月影」「ひとり」でしょうか。

 遠く隔たった自然や風景の時空を通して、影や音や色や香が、ことばの後ろから微かに伝わってきます。
 ことばを紡ぎながらも滲み出る作者の孤独が、モノクロの中で淡い色や鋭い光線として詠まれている歌集だと思いました。
 私と妻で、お互いが気に入った歌を何首か選びました。
 二人が選んだ同じ歌は今は措き、私が選んだ次の五首を紹介します。


手の中に 捕らえたホタル 息づけば 三つ児でさえも 指解き放つ

笹の葉の ひとひらの雪 押し落とす 群竹に射す 蒼い月影

 (風花を台所にいた母にも見せたいと思った遠い日を思い出し。)
見せたいと 連れ出した母 見上げれど 風花は消え 母は微笑む

一条の 香立ち上る 垂直に 雨音静か 暁の寺

直立し 北の裸木 そびえ立つ 靴紐結ぶ 冬の旅立ち


 
 
 

2016年8月14日 (日)

「海外源氏情報」では着実に情報を更新中です

 現在取り組んでいる科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」は、4年目の本年が最終年度となります。

 私は本年度で定年なので、来年度の科研の申請ができません。この科研(A)と「挑戦的萌芽研究」は、さらなる成果が期待でき、膨大な情報が着実に収集整理できているので、研究環境と成果を拡大するためにも、この科研のテーマをどうしたら継続できるのかを検討しています。

 現状では継続が難しいので、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉に維持管理を移管して、少しずつでも内容を充実させて公開を続けていこうと思っています。

 来年4月以降は大きな展開が望めないので、最終年度の今の内に可能な限りの情報の増補と再構築をハイペースで進めているところです。

 最近の更新情報の一端を確認しておきます。
 更新した最新のものは、トップページの赤矢印①の「科研サイト更新&進捗情報」(2016/08/09現在)でおりおりに告知しています。


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 そして、赤矢印②③④が「翻訳史&論文データベース」の中でも特に貴重な情報の集積場となっています。

 現在のところ、赤矢印②「『源氏物語』翻訳史」には275件の情報があります。
 赤矢印③「平安文学翻訳史」には569件、赤矢印④「海外 - 源氏物語・平安文学論文検索」からは715件の情報を公開しています。

 さまざまな形で検索できるような仕掛けも設定していますので、ご自由に気になる情報を引き出してください。

 その他、メニューバーのプルダウンメニューから、適宜知りたい情報をご覧いただけます。

 このホームページに掲載していないことで、ご存知のことがありましたら、上部左の「情報提供」からお知らせいただけると幸いです。
 
 
 

2016年8月12日 (金)

京洛逍遥(419)河原を飛ぶ鳥たちとインドのカンナダ語のこと

 早朝の散歩では、涼風の心地よさに身を任せるトンボと鷺を見かけました。
 昨日の活動編とでも言うべき瞬間を、写真として切り取りました。


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 鴨は相変わらず、のんびりと朝食のようです。


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 午後から、京都大学の人文科学研究所研究員としてインドから来日中のRさんに、インドの情報をいろいろと伺いました。
 京町家で会ったので、いい雰囲気の中で自由に意見交換ができました。

 初めてお目にかかった方なのに、よく喋りました。特に、インドで使われているカンナダ語については、まったく知らなかった言語なので新たな発見がたくさんありました。

 日本の古典文学を通して、日本とインドとの交流はまだまだ拡がりそうです。それも若い方々とは、積極的に研究集会などで情報交換をしていく必要があることを、あらためて痛感しました。

 今日も、日本とインドはお互いが文化的に近いものを持っているので、対話と交流を継続すれば、その中から次世代の研究者が育ってくるはずであることを、しっかりと確認できました。若者たちに期待するだけではなくて、育っていくのを支援することも大事です。とにかく、直接相手の顔を見ながら語り合う、ということが学術交流の最初の一歩だといえるでしょう。

 その意味からも、今秋11月にニューデリーで開催する「第8回 インド国際日本文学研究集会」は、さまざまな役割を担った国際集会として位置づけることになりそうです。
 
 
 

2016年8月 8日 (月)

インドの「オリヤー語」を「オディア語」と言い替えること

 現在、今秋11月にインド・ニューデリーで開催する「第8回 インド国際日本文学研究集会」に関して、現地の若手研究者の方々と情報交換をしています。その研究集会の詳細は、もう少しお待ちください。

 その準備中において、これまで「オリヤー語」と言っていた言語が、これからは「オディア語」と言うことになるらしい、という情報が入ってきました。

 デリー大学のナビン・パンダさんからのメールに「オディア語」とあったことから、この件について問い合わせることで最新情報が得られたのです。

 パンダさんからのご教示をまとめると、次のような状況にあることがわかりました。

 最近、インドの「Orissa 州」は「Odisha 州」になり、それに伴って「Oriya 語」は「Odia 語」として使われるようになってきている、ということです。そのために、パンダさんは私へのメールで、「オディア語」という単語を使って連絡をくださったのです。

 ただし、日本の国際交流基金などでは、現在がそうであるように、「オリヤー語」という通称の単語がしばらくは使われることでしょう。

 かつて「ボンベイ」と言われた地名が今は「ムンバイ」に、「カルカッタ」は「コルカタ」に、「マドラス」は「チェンナイ」に、「バンガロール」が「ベンガルール」と呼ばれるようになっています。

 直近の例でいえば、ニューデリーの近郊都市である「グルガオン」が、今年の4月に「グルグラム」に変わりました。
 私は2002年にインドで3ヶ月間、客員として滞在しました。その時、同じ宿で得難い濃密な日々を共にした中島岳志君に、買い物や古本屋巡りで「グルガオン」へ何度も連れて行ってもらいました。その後も、何度か行きました。
 また、日本の若者たちが滞在できる場所として、「グルガオン」にマンションを共同購入しようか、などと言い合って、モデルルームを見ながら不動産物件を探したこともありました。その「グルガオン」が「グルグラム」になったと急に言われても、それがあの「グルガオン」だとは、すぐには思い至りません。

 これらは、インドがイギリスの植民地だった時代の英語読みを、最近になって現地の発音に戻そうという運動によるものだと聞いています。

 そもそも、インドには2000もの言語があります。そしてさらにややこしいことに、公用語はヒンディー語、補助公用語は英語、憲法で公認された公用語がさらに17言語もあるのです。インドのお札を見ると、たくさんの言語で数字が書いてあることは有名です。

 地名に関して言えば、最初は新旧両方が混在していました。しかし、次第に「ムンバイ」や「コルカタ」や「チェンナイ」に固定しています。まもなく「グルグラム」も定着するのでしょう。

 そうした例を見ると、「オリヤー語」についても同じことが展開しそうです。そうであるならば、現時点での呼称は「オディア語(オリヤー語)」と表記することで、これから作成する資料等を末長く使っていただけるように対処した方がいいと思うようになりました。
 「オディア語」ということばが普及したら、カッコ付きの「オリヤー語」の部分を取り外せばいいのです。

 独断ですみません。
 従来の「オリヤー語」について、今後は「オディア語(オリヤー語)」と表記することにします。
 これによって、現在確認している『源氏物語』の多言語翻訳の言語数は、「エスペラント訳『源氏物語』は33種類目の言語による翻訳」(2016年06月12日)で報告した33言語の内、「オディア語(オリヤー語)」だけを補訂した33言語となります。


【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
    (2016年08月08日 現在)
アッサム語(印度)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(印度)・英語・エスペラント・オランダ語・オディア語(オリヤー語・印度)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(印度)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(印度)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャビ語(印度)・ヒンディー語(印度)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤラム語(印度)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

 このことに関してのご意見を、ご自由に本記事のコメント欄を使ってお寄せいただけると幸いです。
 
 
 

2016年6月19日 (日)

熱く語り合った「第8回 海外平安文学研究会」

 午後は、4時間という長時間の討論の後、場所を東京駅の地下街に移して、さらに2時間も語り合いました。なんと6時間。よく喋り合ったものです。


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 午前中もそうですが、午後も有史以来はじめてというテーマを掲げて、それぞれの立場での思いをぶつけ合ったのですから、頭の中はフル回転です。
 今、心地よい疲労を感じています。

 今日は、スペイン語訳『伊勢物語』と、ウルドゥ語訳『源氏物語』に関する発表を聞いてから、自由に意見を闘わせました。興味深い問題が次から次へと繰り出されるので、気の休まる暇もありません。それでいて疲れが溜まらないので、こんなに楽しくて有意義な時間はありません。


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 プログラムは以下の通りです。


・挨拶(伊藤鉄也)
・2016年4月・5月の研究報告(淺川槙子)
・科研のサイト利用について(加々良惠子)
・2016年度の研究計画(伊藤鉄也)
・発表「スペイン語版『伊勢物語』における官職名の訳語について
  ―「大臣」「中将」「馬の頭」を中心に」(雨野弥生)
・発表「ウルドゥー語版『源氏物語』の特徴と問題点─「桐壺」を中心に」(村上明香)
・発表「十帖源氏 桐壺の巻のウルドゥー語翻訳に関する所感」(麻田豊)
・諸連絡(淺川槙子)

 これについても、後日ホームページ(「海外源氏情報」)で、詳細を議事録として報告します。

 スペイン語訳の特色や、ウルドゥ語訳の特徴、そして翻訳の意義などについて、興味深い研究の成果が報告されました。
 特に、インド語の一つであるウルドゥ語訳『源氏物語』については、今秋インドのデリーで開催される「第8回 インド国際日本文学研究集会」で、『十帖源氏』のインド語10言語による翻訳の問題点で扱う言語の一つでもあります。秋の研究集会が、ますます楽しみになりました。

 そのインドでの研究集会に参加を予定している者が、今日は5人も出席しているので、なおさら話し合いにも熱がこもります。

 日本の文化の特質とその伝播を、翻訳を通して鮮明に浮かび上がらせることは、非常に新鮮な驚きと共に知的刺激を与えてくれます。
 さらには、翻訳とは何か、という問題も炙り出されるのです。

 多言語翻訳という視点で日本の文学や文化を見つめ直すと、我々の精神世界から風俗習慣までが浮かび上がります。異文化交流という時空の中に自分を置いてみると、これまでに知り得た知識が少しずつ繋がることに気付かされます。知的快感とでもいうものなのでしょうか。得難い体験の中で、知的好奇心と異文化理解が浮遊する世界に、時を忘れて彷徨う楽しみが味わえました。

 貴重な場を展開してくださった参加者のみなさま、お疲れさまでした、そしてありがとうございました。
 次は、今秋インド・デリーでお目にかかりましょう。
 
 
 

2016年6月12日 (日)

エスペラント訳『源氏物語』は33種類目の言語による翻訳

 やましたとしひろ氏より、エスペラント訳『源氏物語』を進めている旨の連絡をいただきました。

 これは、「源氏千年(76)エスペラント訳『源氏物語』」(2008年11月30日)の記事に対するコメントとしてご教示いただいたものです。

 やましたとしひろ氏は、対訳形式でブログに掲載し、帖はとびとびながらも、現在は「夕霧」の半ばまで訳しておられます。
 底本は、小学館「日本古典文学全集」(S49、初版)とのことです。


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 今月2日までに公開しておられる巻は、以下の通りです。


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 今後の進捗が楽しみです。

 これまでに私は、『源氏物語』は32種類の言語によって翻訳がなされている、としてきました。
 上記「源氏千年(76)エスペラント訳『源氏物語』」で紹介した藤本達生氏のエスペラント訳は、中井和子さんの『現代京ことば訳 源氏物語』を参考にしての、「桐壺」巻のみだったために、言語の数にはカウントしていませんでした。
 しかし、今回のやましたとしひろ氏のエスペラント訳が全巻翻訳を目指して着実に進行していることから、これを33番目の言語による『源氏物語』の翻訳にしたいと思います。

 現在、以下の言語で『源氏物語』が翻訳されていることを、あらためて報告し確認しておきます。


【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
    (2016年06月12日 現在)

アッサム語(印度)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(印度)・英語・エスペラント・オランダ語・オリヤー語(印度)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(印度)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(印度)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャビ語(印度)・ヒンディー語(印度)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤラム語(印度)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語


 
 
 

2016年6月11日 (土)

第8回「海外における平安文学」研究会のご案内

 来週6月18日(土)午後に、以下の通り科研A「海外における平安文学」研究会を開催します。
 これは、昨年度から取り組んでいる科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」の成果と、今後の課題を考え話し合う会です。

 今回は、ウルドゥー語訳『源氏物語』とスペイン語訳『伊勢物語』を取り上げます。

 小さな研究会ながら、最新の情報が行き交う集まりです。

 本科研の活動内容については、ホームページ「海外源氏情報」をご覧ください。膨大な分量の海外における平安文学に関する情報を確認していただけます。きっと、新しい発見があるはずです。また、これに関連した情報をお持ちの方は、ぜひお寄せください。

 こうしたテーマに興味と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、本ブログ下部にあるコメント欄から参加希望の旨を2日前の16日(木)までに連絡していただければ、資料を用意してご来場をお待ちいたします。

 また、昨日の記事「第3回「古写本『源氏物語』の触読研究会」のご案内」にも記しました通り、当日の午前中は目が見えない方々と一緒に古写本『源氏物語』の変体仮名を読むことをテーマとした研究会が、同じ会場であります。よろしかったら、これへの参加も検討していただけると幸いです。
 
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日時:2016年6月18日(土) 午前3時開始。
研究会:午後3時〜7時。
場所:京橋区民館 3号室
・住所:東京都中央区京橋2丁目6番7号
・アクセス
(1)東京メトロ銀座線京橋駅下車6番出口 徒歩2分
(2)都営地下鉄浅草線宝町駅A5・A6番出口 徒歩2分
(3)中央区コミュニティバス(江戸バス)
  [北循環]八重洲通り西5番 10分程
「会場周辺地図」
「京橋区民館のホームページ」
 
〈プログラム〉
 第8回「海外における平安文学」研究会
 
・挨拶(伊藤鉄也) 15:00〜15:05
・2016年4月・5月の研究報告(淺川槙子)15:05〜15:15
・科研のサイト利用について(加々良惠子) 15:15〜15:25
・2016年度の研究計画(伊藤鉄也) 15:25〜15:40
・発表「スペイン語版『伊勢物語』における官職名の訳語について
  ―「大臣」「中将」「馬の頭」を中心に」(雨野弥生) 15:40〜16:00
 休憩(20分)
・発表「ウルドゥー語版『源氏物語』の特徴と問題点─「桐壺」を中心に」(村上明香)16:20〜16:40
・発表「十帖源氏 桐壺の巻のウルドゥー語翻訳に関する所感」(麻田豊)16:40〜17:00
・休憩(20分)
・共同討議 17:20〜18:50
・諸連絡(淺川槙子) 18:50〜19:00
 
 なお、研究会終了後に懇親会を予定しています。
 日時:2016年6月18日(土) 午後7時から2時間ほど
 会場:東京駅周辺

 
 
 

2016年5月25日 (水)

【復元】イラクの文学者との面談

 10年ほど前に、情報を発信していたプロバイダのサーバがクラッシュしました。
 そのたために、読めない状態になっていた記事の復元を試みています。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月23日公開分
 
副題「可能なことを身近なところから」
 
 イラク人ニュースキャスターと、親しくお話をする機会を得ました。
 昼食を入れて、たっぷりと4時間も面談しました。夕刻からはテレビ神奈川に生出演するとのことで、タクシーで飛んで行かれました。

 そのH氏は、イラクのムサンナ県唯一のTV局であるムサンナTV局で、ニュース・プロデューサー兼キャスターを努めておられる方です。
 昨年までは、地元紙である「サマーワ」の編集部長であったと聞くと、私にも自衛隊派遣の地との関連から、少しイメージがわいてきました。
 H氏は、現在も日本の共同通信を始めとする外国の通信社・新聞社の現地特派員を務めるなど、ジャーナリストとしても定評があります。

 そんな人と、一体なぜ私が会うことになったのかと言うと、文学とのつながりからでした。
 H氏は、詩作を中心に長年文学活動に携わってこられ、ムサンナ県文学者・作家連盟の創設者の一人で、現在はその会長でもあります。今回は、日本文学の歴史や現状について知りたいということで、国際交流基金がその間に入ってくださったものです。私からの質問にも、たくさん答えていただきました。

 お話は、間に同時通訳の方を入れて進みました。私が、昨年エジプトに、一昨年はトルコへ行っており、インドとの交流も深いということが、お互いの距離を縮めたように思います。

 「詩」ということばがよく出ました。日本で言えば「歌」に近い意味で使われていると理解しました。文学の中の宗教については、インド、エジプト、トルコでの現地体験があったので、違和感なく聞くことができました。この壁は、日本だけの基準で文学を考えていると、どうしても立ちはだかるものです。

 それにしても、階級と地域による文字の使い分けには、文化の普及の障害となりかねないことを痛感しました。同じアラビア語でも、地域によって違うとのことでした。インドにおいても、多くの方言とでもいうべき各種言語が今も使われていることに思い及びました。言語芸術が享受される範囲というものに、改めて目がいきました。

 詩人であるH氏は、コーランなどを例にして、ことばの美しさを大事にしておられることが、よく伝わってきました。また、イラクの文化のすばらしさに自信を持っておられました。ただ、それが世界中の人々に正しく理解してもらえないことに対して、何とかしたいという熱意も感じられました。

 イラクでは、外国語を勉強する学校はあります。しかし、日本語・日本文学は設けられていないそうです。なんとかしたいとのこと。大学の中に、日本語学科を開設するところからスタートすべきでしょう。街の日本語会話学校でもいいのです。しかし、やはり大学を舞台にして展開しないと、根付かないように思われます。日本の文化について興味を持っておられる方がいらっしゃるというのなら、日本としても何か提言をすべきではないでしょうか。私にできることもあるようなので、少しずつ動いてみようかと思います。
 まずは、理解者や協力者を得ないと、どうしようもありませんが。

 イラクの方々は、ことばに込められた美に敏感なようです。日本も、言霊(ことだま)というものを大事にしてきました。この、ことばに対する感覚を共有するところから、文化交流のスタートが切れるように思いました。

 国際的な交流は、経済や科学技術が特段に注目されています。しかし、このように、文化レベルでの交流ならば、私にも可能なのです。目に見えての成果は確認しにくいと思います。しかし、根気強く続ければ、幅広い交流につながっていくはずです。

 国際文化交流には、もっともっと国が援助の手を差し伸べるべきです。今こそ、人文科学分野への補助金を増やすべきです。大幅に削減するのではなくて、とにかく再検討すべき時期だと思います。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2016年5月24日 (火)

【復元】チベットの伝統舞台芸術公演を観て

 『竹取物語』に関してクラッシュした記事を復元する過程で、『竹取物語』のチベット語訳をした教え子のことを書いた文章と写真も出てきたので、ここに復元します。

 最後に紹介しているDVDが手元にあるので、その表紙と解説書の写真を追加します。


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(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月11日公開分
 
副題「仏教王国の軽快なリズムを堪能」
 
 今夜は、チベット舞台芸術団東京公演を観に行きました。
 仏教音楽かと思っていたのです。ところが、非常に軽快な明るい舞踊を楽しんで来ました。居眠りをする暇もないほど、舞台に見入ってしまいました。
 写真は、最後の挨拶のところです。

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 この催しは、ダライ・ラマ法王14世71歳の誕生祭の一環として行われたものです。

 ダライ・ラマは、1949年に中国のチベット侵略によりインドへ亡命し、デリーの北にあるダラムサラにチベット亡命政権を樹立した人です。ガンジーと同じく非暴力を説き、1989年にノーベル平和賞を受賞しています。

 私はインドへ行くと、定宿の近くにあるチベットハウスと、デリー大学の近くにあるチベタンコロニーとニュー・チベタンコロニーへ必ず行きます。宿舎の方々がチベットから逃れてきた人たちであるだけでなく、私がデリー大学で教えた大学院生の1人が、チベット出身で亡命政権の仕事をしている人だったからでもあります。

 彼は、『竹取物語』のチベット語訳の絵本を刊行したりしています。英語バージョンもあるので、両方を並べてみました。刊行前に、絵などについて質問を受けました。装束などについて少しコメントをしたのですが、結果は原本を見てのお楽しみです。なかなか楽しい絵本に仕上がっています。

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 その彼が、今は東京にあるダライ・ラマ法王日本代表事務所に勤務しています。そして、今回の公演に招待してくれたのです。

 今回の公演では、12の演目がありました。前半が終わった休憩時間に、彼と話すことができました。オープニングセレモニーの通訳などで忙しい合間に、久しぶりに話をしました。昨年から電話では何度か話をしていました。直接会うと、立派になった姿に圧倒されました。

 チベットの舞踊は、日本の民謡や演歌や盆踊りや雅楽や能楽や狂言や歌舞伎などの要素が、随所に見受けられました。あくまでも、日本人の目から見てですが。
 そして、その明るさに驚きました。仏教臭さを先入観として持っていたからでもありましょう。在りし日の日本につながる、親しみのある旋律と身のこなし方に、非常に親近感を持ちました。
 リズミカルな男性の踊り、透きとおった女性の歌声に、チベットの自然を感得しました。中国の弾圧にもめげずにチベット文化を伝えようとする使命感を肌で感じて、今の日本にはこのような情熱があるのだろうか、との想いを強く持ちました。

 私が大好きな井上靖の『星と祭』という小説に、主人公がエベレスト山麓で満月を見るため、カトマンズからタンボチェへと向かう場面があります。舞台を見ながら、その姿を彷彿とさせるシーンに出くわしました。インドの定宿の方の出身地であるラダックの自然をも思い起こしました。
 ダラムサラには、何度も行こうと思っていました。それが果たせないままの自分に、今度こそはとの思いを強くしました。

 休憩時間に、ロビーの出店で『ヒマラヤを越える子供たち』というDVDを買いました。デリーで定宿にしているお寺の人たちが、命からがら、ヒマラヤを越えてデリーに来たことを知っていたからです。命がけでチベットを脱出した彼らを、少しでも理解しようと思い、DVDをいただきました。裸足で極寒のヒマラヤを越えたことを、彼らから直接聞いていたからです。

 人間の不屈の精神とおおらかな生き様に、学ぶべきことが多いように思うイベントでした。

********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2016年4月24日 (日)

京洛逍遥(400)初夏の下鴨神社と上賀茂神社

 初夏に向かい、賀茂川の水も温んできました。
 川沿いの散策路は、桜の若葉が清々しさを感じさせてくれます。


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 鷺たちの顔も穏やかです。


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 朝の散歩で、今年度も仕事が無事で順調に、そして平安に進んでいきますようにと、賀茂の両神様にお祈りして来ました。

 まずは、氏神様である下鴨神社へ。
 最近、洛中のみならず洛外でも、着物姿の観光客をよく見かけます。


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 この時期は、結婚式のシーズンでもあります。


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 光琳の梅も、今は新緑一色です。


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 家で一休みしてから、上賀茂神社へも脚を運びました。

 葵祭を控えて、恒例の賀茂競馬の準備が進んでいます。
 今日は競馬の練習日なのだそうです。


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 競馬の会場となる馬場の準備もできています。

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 細殿では、結婚式が執り行なわれていました。


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 ならの小川では、手作り市が開催されています。


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 午後は、科研を含めての研究活動に関する大事な打ち合わせがあったために、京都駅前まで出かけました。


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 駅前は、観光客でごった返しています。
 京都の観光客の数は、当分は安泰のようです。
 日本全体で見ても、海外からの観光客は増え続けています。
 今後は、この観光資源をいかに生かしていくかが、日本の将来設計の重要なポイントになることでしょう。
 その意味からも、文化庁が京都に移転してくることは、関西にとっては活気を取り戻す好機だと言えるでしょう。
 みんなで叡知を出し合う時が到来したのです。
 
 
 

2016年4月13日 (水)

海外における『源氏物語』に関する情報群の活用法

 海外の『源氏物語』に関する情報について、よく問い合わせをいただきます。
 そこで、参考までに、現在私が運用しているホームページから、基本的な情報のありかを2つだけ取り上げて記しておきます。


(1)「各国における源氏物語や平安文学の翻訳・研究史や動向」

 現在、科研(A)で取り組んでいる「海外源氏情報」のホームページにおいて、海外における『源氏物語』や平安文学に関する翻訳や研究論文情報を年表形式で確認していただけるようにしています。
 ここから、最新情報のおおよそを見渡すことができるはずです。


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「『源氏物語』翻訳史」(現在 261件)

「平安文学翻訳史」(現在 554件)」

「翻訳 - 源氏物語・平安文学論文検索」(現在 475件)」

「海外 - 源氏物語・平安文学論文検索」(現在403件)

 論文情報の一覧では、まだ少数ながらも、可能なものはPDFや画面等で読めるようにしています。

 これらの情報群については、検索もできます。
 その際、表示件数を増やしていただくと一覧しやすくなります。

 さらに、『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)をオンラインで読め、かつ自由にダウンロードしていただけるようにもしています。

『海外平安文学研究ジャーナル』(既刊4冊)

 2016年3月までで、4冊のオンラインジャーナルを刊行しています。
 モニタ画面で、あるいは印刷して、ご自由にお読みください。

(2)「『源氏物語』や平安文学関連のグロッサリー」

 今日から公開したものに、グロッサリーのための検索コーナーがあります。
 トップページのメニューバー右端にある「翻訳・海外資料」から「対訳データベース(グロッサリー)」を辿ると、『十帖源氏』の「桐壺」巻の英訳を活用したデータが、閲覧や検索が可能となっています。


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 これは、『十帖源氏』の外国語訳を有効に活用する意味も持たせたものとして提供することにしたものです。当座は、『十帖源氏』の各国語訳を日本語の現代語訳と対象させただけのものです。しかし、これは今後ともデータを増やし、多様な機能をもたせることで、さらに利用価値の高いものに育てていく予定でいます。
 日本古典文学に関する用語がどのような語彙として外国語に訳されているのかが、おおよそではあってもわかるので参考になるかと思います。

 グロッサリーというと、一語一語を対象させた、一覧表形式の方がいいことは自明のことです。しかし、それを作成するのは膨大な時間と労力が求められるのです。そこで、当座の用に役立ち、簡便なもので、かつ汎用性の高いものを提示することにしました。データを増やすことで、さらなる利便性が高まる仕掛けが構築できるはずです。
 利用されるみなさまのご意見を伺いながら、さまざまな形のグロッサリーを提案していくつもりです。

 この「海外源氏情報」(科研HP)というサイトには、さまざまな情報が取り出せる引き出しが用意されています。
 順次情報を追補することにより、より身近なデータベースに育っていくことでしょう。このサイトに関する要望やご教示を、お待ちしています。
 
 
 

2016年3月22日 (火)

『海外平安文学研究ジャーナル vol. 4.0』を発行

 現在、日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(A) による研究として、「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(課題番号:25244012、研究代表者:伊藤鉄也)に取り組んでいます。

 その成果の一部を、ホームページ「海外源氏情報」の中の「ジャーナル」から、閲覧およびダウンロードできるようにしています。
 この『海外平安文学研究ジャーナル』という電子ジャーナルは、今号『海外平安文学研究ジャーナル vol. 4.0』を含めて4冊分を、どなたにでも自由に読んでいただける形で公開しています。昨秋より、ダウンロード時のパスワードはなくしました。

 その紹介を兼ねて、今号の「表紙」と「あいさつ」および「目次」を引用します。


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 平成26年秋に創刊したオンライン版『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN:2188ー8035)は、お陰さまで好評のうちに号を重ね、今号で4冊目となりました。さまざまな分野の方々から、温かく迎えていただきましたことに、篤くお礼申し上げます。
 年2冊の刊行も順調に進捗し、その内容も多彩な論稿を並べる異色の電子ジャーナルとして話題にしていただいています。ありがたいことです。
 今号も、科研のメンバーに留まることなく、広く国内外の研究者に投稿を呼びかけたこともあり、さまざまな切り口で海外の平安文学が取り上げられています。日本の文学をこのような角度から見ると、また違った姿が見えてきます。
 本課題では、国際的な視野で日本文学および日本文化を見つめることを意識して、さまざまな問題に取り組んでいます。多角的な視点で平安文学を論じた、みなさまからの意欲的な投稿を歓迎します。
 これまでに、多くの方々のご理解とご協力をいただきました。改めて、お礼申し上げます。
 そして、これからも変わらぬご支援のほどを、どうかよろしくお願いいたします (2016年3月30日)                   


『海外平安文学研究ジャーナル4.0』


【目次】
●あいさつ
●執筆要綱
●研究論文
 ロシア語訳『源氏物語』とウォッシュバーンによる新英訳の比較研究
   〜<語り>・和歌・「もののあはれ」の観点から 土田 久美子
 スペイン語版『伊勢物語』について 雨野 弥生
●研究会拾遺
 ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見 伊藤 鉄也
●翻訳の現場から
 「十帖源氏」ヒンディー語訳の問題点 菊池 智子
 ウルドゥー語版『源氏物語』の色の世界 村上 明香
 『十帖源氏』の多言語翻訳と系図について
   〜「母の堅子」と「祖父の惟正」はどこから来てどこへ行ったのか 淺川 槙子
●付録
 各国語訳『源氏物語』・『十帖源氏』「桐壺」翻訳データ
   (モンゴル語・英語・ロシア語・ヒンディー語・ウルドゥー語)
●執筆者一覧
●編集後記
●研究組織

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 第4号の発行を受けて、現在は第5号の原稿を募集しています。
 詳細は、本科研のホームページに掲載している、「『海外平安文学研究ジャーナル』応募執筆要綱」か、今号の巻頭に置いた「執筆要綱」をご覧ください。

・原稿の締め切り 2016年5月31日(火)
・刊行予定    2016年6月29日(水)
・注意 原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることができます。

 
 
 

2016年3月17日 (木)

銀座探訪(35)イェール大学のケイメンズ先生と「銀座のすずめ」を飲む

 イェール大学のエドワード・ケイメンズ先生が国文学研究資料館にお出でになりましたので、書庫などをご案内しました。

 国文学研究資料館が品川にあった頃には、何度か利用されたようです。しかし、立川に移転してからは初めてだとのことでした。

 ケイメンズ先生と最初にお目にかかったのは、2003年9月に伊井春樹先生とご一緒にアメリカへ行ったときでした。ニューヨークのコロンビア大学での仕事を終えて、手配してくださった車でイェール大学へ行きました。
 2008年11月のハーバード大学での研究集会では、私の研究発表のコメンテーターを務めてくださいました。
 そして昨年、2015年2月に英国ケンブリッジ大学において、ジョン・コーツ先生の研究室で偶然にお目にかかりました。
 いろいろとご縁があり、いつも楽しい話をうかがっています。

 今日はお昼に一旦お別れをし、夜、日比谷図書文化館で『源氏物語』の写本を読む勉強会でまたお目にかかりました。おもしろそうな勉強会だ、とのことで興味をもってくださり、ゲストとして参加してくださったのです。


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 最初に自己紹介をお願いした中で、昨年アメリカで刊行されたデニス・ウオッシュバーン氏の英訳『源氏物語』のことに触れてくださいました。


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 ケイメンズ先生は、ウォッシュバーン氏がイェール大学の大学院生だった頃に教えておられたのです。教え子が英訳『源氏物語』を刊行したということもあり、イェール大学の授業でこの新英訳を読んでいる、とのことでした。
 いつか詳しく、この新英訳のことをうかがうつもりです。

 今日はケイメンズ先生に、「変体仮名翻字版」を実際に体験していただきました。これまでの翻字方式とは違い、字母を正確に翻字していくので、その意義を納得してくださったようです。また、変体仮名の使われ方についても、今後の大きな検討課題であることをご理解いただけたようで安心しました。

 終わってから2人で有楽町へ出て、駅前の店でご一緒に食事をしました。
 先生は、若かった時に有楽町前の帝国ホテルの中の会社で仕事をなさっていたことがあるそうです。
 有楽町は懐かしいところだ、とお誘いした所を喜んでくださいました。
 もちろん、当時とは駅前の雰囲気は一新しています。しかし、青春時代の想い出は、楽しく美しく変質しているようです。

 1時間半以上もの長時間、盛りだくさんの話題で楽しく食事をしました。
 私が「銀座のすずめ」という麦焼酎のお湯割りを注文したところ、先生は同じ「銀座のすずめ」を生で召し上がっておられました。おいしいお酒でした。

 5月の葵祭の頃には、京都にお出でになるそうです。
 次は、京都でお目にかかれるかと思います。
 若い時に、表千家のお茶をお稽古なさっていたそうです。
 それでは私は裏千家のお点前でお茶を差し上げましょう、と申し上げたところ、喜んでくださいました。
 京都で私が先生にお茶を点てて、またご一緒にお話ができる日を楽しみにしています。

 地下鉄日比谷線の改札口でお別れする時に、ご丁寧なお言葉をいただきました。
 こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。
 
 
 

2016年3月 8日 (火)

僧侶のネット派遣と人生最後の儀式の簡素化

 仏教に関する記事が、先週の毎日新聞(2016年3月5日)に2本も掲載されていました。朝日新聞は翌日だったので、2本同時だったかは確認していません。

 一つは、「お坊さんのネット派遣やめて」というもの。

 これは、全日本仏教会が2月4日に、法事への僧侶派遣サービスをしているアマゾンに対して、その中止を求める文書を発送したというものです。
 「お坊さん便」という定額手配サービスは、ユニークな角度から仏教を商品化したものです。宗教が持つ特異性が、商品としての価値を伴って売り買いされるのです。
 ただし、その定額制とお布施が持つ意味が、しだいにわからなくなってきました。

 もう一つは、「昔の葬儀にはもう戻らない?」という記事です。

 日本葬送文化学会の2月例会において、松岡泰正氏は講演で「業界」の実態を明らかにされたのです。
 現在の葬儀は、次の4種類だそうです。

 (1)一般葬
 (2)家族葬
 (3)直葬
 (4)ゼロ葬

 1990年代後半から取り組んだ「(2)家族葬」は、今は急速に増えているということです。しかも、(3)や(4)が「加速度的に進んでいる」ということなのです。

 我が家で言えば、1983(昭和58)年に亡くなった父は「(1)一般葬」でした。2004(平成16)年に亡くなった母の場合は「(2)家族葬」でした。
 私の場合は、「(3)直葬」もありか、と思っています。

 記事には、次のように記されています。


日本人の葬儀はいま、都市部でも地方でも、ワタシ(個人)の手の中にある。あとは自分が「あの世」を信じるかどうか。信じなければお坊さんも必要ないか……。

 家や自分の宗教と葬祭が切り離されている現在、ますますそのありようは変化していくことでしょう。

 2008年に公開された映画『おくりびと』(Departures)は、第81回アカデミー賞外国語映画賞と第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞しています。いい映画でした。
 この映画の世界は、近い将来には、懐かしい日本文化となってしまうようです。

 最近は、遺書や終活のことが話題になっています。
 この人生最後の儀式については、さらに変移していくことでしょう。
 私も他人事と思っていました。しかし、私も近々行くかもしれないあの世について、いろいろと考えさせてくれる記事でした。【4】
 
 
 

2016年3月 5日 (土)

渋谷で麻田豊先生と翻訳を話題にしての会食

 インドで私がお世話になった、アラハバード大学大学院に留学中の村上明香さんは、東京外国語大学では麻田豊先生の教えを受けておられました。そして今も。
 麻田先生のご専門は、もちろんウルドゥー語です。

 ウルドゥ語訳『源氏物語』のことで、2010年5月にお二人お揃いで、国文学研究資料館の私の研究室にお出でになったことがありました。インドの話で大いに盛り上がったことを覚えています。
 その後、村上さんには、マラヤラム語訳『源氏物語』とアッサム語訳『源氏物語』を見つけて私の手元に届けてもらいました。

 今日は、午後から國學院大學で研究会があるため、麻田先生とは渋谷でお昼をご一緒してお話をすることになりました。

 待ち合わせ場所は、渋谷と言えばハチ公前となります。
 ハチ公を見ていたら、みなさんが写真を撮っておられます。さすがは有名な犬だな、と思っていたら、何とハチ公の前足とお腹の隙間に、一匹のウサギがいるのです。しかも、タオルが敷かれています。誰が連れてきて置いていったのやら。ハチ公と一緒に、みなさんから可愛がられているようです。


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 ハチ公前で麻田先生とお目にかかってから、近くの天麩羅屋さんに向かいました。

 麻田先生からは、インドでの演劇活動をまとめたご本をいただきました。
 『特色ある大学教育支援プログラム「生きた言語修得のための26言語・語劇支援」活動報告 ウルドゥー語劇団 2005〜07「はだしのゲン」インド・パキスタン公演の記録』(麻田豊編、2008年10月刊)という長いタイトルの、170頁の報告書です。


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 目次を揚げます。


0 はじめに
1 ウルドゥー語劇団始動
2 「ヒロシマ」追体験
3 稽古、そして出発まで
4 インド公演2005 全記録
5 インドから帰国して
6 インドからパキスタンへ
7 稽古再開
8 パキスタン公演2006 全記録
9 帰国、再びインド公演へ
10 日印交流年企画としての再インド公演(二〇〇七年二月〜三月)
11 帰国後
あとがき

 最終章で、麻田先生は次のように言っておられます。


 こうして、二〇〇五年一月一日に始まったウルドゥー語劇「はだしのゲン(ヒロシマの物語)」プロジェクトは、インド・パキスタンの二十一会場で合計二十八公演を行なって幕を閉じた。(159頁)

 また、あとがきでは、次のようにも言われます。


 ウルドゥー語での情熱あふれる演技。その演技と声が観客の心を打つ。終わったあとの拍手喝采。共感し合えた実感。ここまで来るのに、僕はインドとパキスタンと三十年以上も付き合わなければならなかった。(168頁)

 デリー在住の菊池智子さんと同じように、麻田先生は早くから、平和活動に積極的に取り組んでおられます。今日も、楽しい話をたくさんうかがいました。
 インド歴15年の私の2倍もの、30年以上にもわたる土固めという土台作りを、麻田先生は根気強くなさってきたのです。信念を持って行動しておられる方とは、お話をお聞きしていて飽きません。理念を語られるだけの方のお話とは、ことばの重みが違います。

 翻訳についても、村上さんと一緒に出版なさった本などを例にして、ありがたいアドバイスをいただきました。特に、翻訳の質については、得難い勉強をさせていただきました。多言語翻訳に取り組んでいる私にとって、この翻訳の質という問題からは、厳しい現実を突きつけられています。失敗の連続です。
 しかし、その失敗から得られたことを、次の糧にしてひたすら前に進んでいこうと思います。

 私は、母語話者と非母語話者の翻訳を並べることで、その質の問題を均そうとしていました。しかし、どうやらそれは心得違いをしているところがあるようです。
 麻田先生のお話をうかがいながら、自分の力では十分に理解しづらい外国語による翻訳を、しかも評価できないことに直面する中でどう対処すべきか、という点からの心構えを教えていただいたように思います。

 最終的には、『源氏物語』の多言語翻訳は30言語以上の外国語で取り組みます。
 焦らず、慌てず、一巻ずつ、一言語ずつ、丁寧に良質の翻訳を意識して、このプロジェクトを推進していく覚悟です。
 多くの方々にご理解とご協力をお願いしながら、私は進行管理に徹して、多言語翻訳『源氏物語』の編纂をしていくつもりです。今後とも、みなさまの変わらぬご支援を、よろしくお願いします。

 最後に、麻田先生には、村上さんが取り組んでいるウルドゥー語訳『十帖源氏』を、今イギリスにおられるマララ・ユフスザイさんに読んでもらえるように手助けをお願いしました。私らしい頼みごとだと大笑いしながら、多くのお知り合いを通して可能性を探ってくださることになりました。マララさんには、英語ではなくて母語であるウルドゥー語で『源氏物語』に語られている日本の物語を読んでもらいたいのです。
 この私の想いが、麻田先生には通じたようです。
 また、楽しみが一つ増えました。
 
 
 

2016年3月 2日 (水)

読書雑記(156)マララ+クリスティーナ著『わたしはマララ』

 マララ・ユスフザイとクリスティーナ・ラムの共著である『わたしはマララ —教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』(金原瑞人+西田佳子訳、学研パブリッシング、2013年12月)を読みました。


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 インドを旅しながら読み始め、帰りの飛行機の中でも読み続け、日本に帰ってから読み終えました。こんな形での読書は初めてです。

 マララが生まれ育ったのはパキスタンです。1997年に、パシュトゥン人の村に生まれました。北部山岳地帯の、森と緑の中のスワート渓谷で育ったマララの目は、物事を素直に見つめます。貧しい生活の中で、苦労を重ねる父母を敬愛の目で見つめています。
 矛盾に満ちたパキスタンの社会の中で、現実と事実を冷静に見つめて語ります。
 どんな時にも、女の子に教育が必要であることを信念として持ち、教育の大切さを訴え続けています。
 本書の最後は、次の文章で閉じられます。


 言葉には力があります。わたしたちの言葉で世界を変えることができます。みんなが団結して教育を求めれば、世界は変えられます。でもそのためには、強くならなければなりません。知識という武器を持ちましょう。連帯と絆という盾を持ちましょう。
 親愛なる兄弟姉妹のみなさん、忘れてはなりません。何百万もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいます。何百万もの子どもたちが学校に通えずにいます。わたしたちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいます。
 そのために、世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。本とペンを持って闘いましょう。それこそが、わたしたちのもっとも強力な武器なのです。ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです。
 教育こそ、唯一の解決策です。まず、教育を。(424頁)

 この主張は、どのような恐ろしい状況においてもブレずに、この物語の芯として通っています。

 パキスタンの人々はウルドゥ語を使っています。
 今回私はインドへ行き、ウルドゥー語の祭典に参加し、アラハバードではウルドゥー語の文学を研究する村上明香さんのお世話になりました。これまでは、ヒンディー語のことしか知りませんでした。それに加えて、ウルドゥー語への興味も湧いてきました。もっとも、ヒンディー語もウルドゥー語も私には皆目わかりません。しかし、この興味を抱いたということは、私にとっては大きな進歩です。

 ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本が見つかったことも、ウルドゥー語に対する私の関心を掻き立てました。
 ヒンディー語とウルドゥ語は文字が違います。サヒタヤアカデミーが刊行したインド語訳『源氏物語』の中から、ヒンディー語訳(上段)とウルドゥー語訳(下段)の「桐壺」の巻頭部分を引きます。


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 文字は一見して違うことがわかります。インド諸言語の中でも、ウルドゥー語だけは右から左に向かって書くことも大きな違いです。

 しかし、話すと、口頭ではお互いの言語は通じるのです。
 実際に、村上さんがウルドゥー語で話していても、ヒンディー語を使う人にはヒンディー語として伝わるのです。発音と文字がこんなにも異なることを知り、不思議な言語だと思いました。

 ウルドゥー語でとヒンディー語は姉妹言語なのです。文語になると、ヒンディー語にはサンスクリット系の単語が入るそうです。アラビア語とペルシャ語が合体した言語だと説明されると、もう私にはパニックです。

 日記に関するくだりにも注意が向きました。これが、情報発信としてのブログとして展開していくからです。『アンネの日記』が引き合いに出されるのも、ごく自然の流れからです。


 日記を書いたことはそれまでに一度もなかった。どうやって書きはじめたらいいのかもわからない。パソコンはあるけど、停電がしょっちゅうあるし、インターネットにつなげる場所は限られている。でも、母の携帯電話にハイ・カカルから電話をかけてもらうことならできる。ただし安全のために、奥さんの電話からかけることになるだろう。ハイ・カカル自身の電話は、諜報機関によって盗聴されているから。
 電話を使って日記を書く手伝いをしてもらうことになった。ハイ・カカルが、その日の出来事についてわたしに質問する。わたしはそれに答えるとともに、ちょっとしたエピソードとか、将来の夢について語る。一回三〇分とか四五分の電話インタビューになるだろう。言葉はすべてウルドゥー語。ふたりともパシュトゥン人だからパシュトー語が母語だけど、ウルドウー語のブログなので、本人がウルドゥー語でしゃべったものをそのまま使ったほうがいいということになった。それからハイ・カカルが会話を文字に起こして、BBCウルドゥーのウェブサイトに週一回のペースで連載する。
 ハイ・カカルは、アンネ・フランクの話をしてくれた。戦争中のアムステルダムで、家族といっしょにナチスの迫害を逃れて生きていた、十三歳の女の子。アンネも、つらい日々の暮らしや自分の思いを日記に書いていたという。(207〜208頁)
 
 学校が閉鎖されてからも、わたしのブログは続いた。女子校閉鎖の日から四日後、さらに五つの学校が爆破された。(219頁)
 
 そういうことは、ブログにはいっさい書かなかった。このことがタリバンにばれたら、鞭打ちの刑が待っている。いや、もしかしたらシャバナのように処刑されるかもしれない。世の中にはいろんなものを怖がる人がいる。幽霊が怖いとか、クモが怖いとか、ヘビが怖いとか。あの頃のわたしたちは、人間が怖かった。(224頁)
 
 三月になると、わたしはブログをやめた。もう書くことはあまりなかだろうとハイ・カカルが判断したからだ。でも、恐ろしいことに、事態は前とほとんど変わっていなかった。変わったとしたら、タリバンが前にも増して凶暴になったということくらいだ。タリバンはいまや、国家公認のテロリストになってしまった。すっかりだまされた気分だった。和平協定なんて、形だけのもの。(227~228頁)

 本書でマララは、女性の社会的な地位の低さと、男性社会では認知されていない存在であることを、さまざまな角度から語りかけます。
 同じ人間でありながら、その差別のありようは非常に具体的です。ただし、例があまりにも私が属する日本の社会とはかけ離れた話であるためもあってか、遠くの話として聞こえてくるのは何なのでしょうか。違いすぎるがために、かえって別世界の、遠い過去の話のように聞こえます。しかし、読み進むにしたがって、しだいに実感として実状が伝わってきます。説得力のある文章でつづられています。

 欲を言わせてもらえるならば、語り手と読者の距離を縮める仕掛けがあれば、もっと肌に突き刺すように伝わったのではないか、と思いました。
 さらには、写真の多用も効果があったことでしょう。巻頭にまとめて置くだけではなくて。

 9・11のこと、アルカイダのこと、地震のこと、宗教のこと、家族のこと等々、自分を中心にして広汎な視点で身の回りを見ています。世界を、社会を、自分が見たままに、思うがままに綴っています。私が新聞やテレビから知っていることとは違う、マララの視点からの報道は新鮮でした。

 タリバンがマララや周りの人々に行った行為も、冷静に綴られています。
 憎しみが言葉の背後に覆い隠されているようで、その点だけは作為を感じました。読者から共感を得ようとしたがために、赤裸々さが薄められているように思いました。おそらく、著者たちはそのような意識はなかったと思われますが……。

 マララが撃たれ、幸運にも命だけは助かったくだりも、淡々と綴られています。
 マララは物理という科目が大好きでした。理系の素養が、こうした語りを支えているのかもしれません。さらには、共同の著者がいたからでもあるのでしょう。マララ本人だけでは、これだけ自分を客観的には語れないと思うからです。

 その銃弾を撃たれた時のことに関して、世間の反応が本人でしか語れない視点で書かれています。


 ヤセームが新聞を持ってきてくれたので、父ははじめて世界の反応を知った。わたしが撃たれたことで、世界じゅうが激怒しているようだった。襲撃を、国連事務総長のパン・ギムンは「憎むべき卑怯な行為」と評し、オバマ大統領は「非難されるべき最悪の行為であり、これほどの悲劇はない」といった。
 ところが、パキスタン国内の反応は、そういうものばかりではなかった。わたしのことを、”平和の象徴”と表現する新聞もあれば、例によって、陰謀説を唱える新聞もあった。わたしが本当に撃たれたのかどうか怪しい、とブログに書く人もいたほどだ。書いてあることはデマばかり。とくに、ウルドゥー語の新聞はひどかった。男性があごひげを伸ばすのはよくないと、わたしがいったことになっていたりする。(345頁)

 入院先のイギリス・バーミンガムでは、周囲の配慮が語られています。


 そのときそばにいたジャヴィド先生は、不安ととまどいに満ちたわたしの表情が忘れられないという。先生はわたしにウルドゥー語で話しかけてくれた。そしてわたしがわかったことはただひとつ。神様がわたしに新しい命をくれたということ。頭にスカーフを巻いたやさしそうな女の人が、わたしの手を取って「汝に平穏あれ」といった。イスラムの挨拶の言葉だ。それからウルドゥー語でお祈りをして、コーランを唱えてくれた。ナースの名前はリハンナ。イスラム教の聖職者だという。そのやさしい声をきいているうちに気持ちが落ち着いてきた。わたしはまた眠りに落ちた。(356~357頁)

 マララを撃った銃弾は、マララの左目の脇から飛び込み、左肩で止まったのです。父はマララが意識を取り戻したことに安堵しながらも、失明するかもしれないことに狼狽えます。このくだりは、マララではなくて共著者であるクリスティーナ・ラムが書いた箇所ではないかと個人的には思われるので、参考までに引いておきます。
 なお、クリスティーナ・ラムは巻末の謝辞の末尾で「マララの物語をいっしょに書かせてくれて、本当にありがとう。」(413頁)と言っています。


 マララは目がみえなくなってしまうのか? 愛する美しい娘が、一生光のない世界を生きることになるのか? 「お父さん、ここはどこ?」とききながら歩きまわるのか? むごい。そう思った父は、そのことだけは母にはいえなかった。いつもなら隠しごとはできない人なのに。そのかわり、父は神様に祈った。「神様、ひどすぎます。娘にわたしの目を片方やってください」でも、父はもう四十三歳で、目はあまりよくない。その夜、父は眠れなかった。次の朝、父は護衛の軍人に電話を借りて、ジュナイド先生にかけた。「マララの目がみえなくなったときいたんですが」沈んだ声できいた。
 「まさか、そんなことはありませんよ」ジュナイド先生は答えた。「読んだり書いたりできています。目がみえないわけがないでしょう? マララのようすは、フィオーナ先生からこまめに連絡をもらってきいています。マララがはじめに書いたメッセージは、お父さんのことだったそうですよ」

 目はみえていた。遠く離れたバーミンガムで、わたしは鏡をみたがっていた。「鏡」とピンクのノートに書いた。自分の顔や髪がどうなっているのか、みたかった。ナースが小さな白い鏡を持ってきてくれた。その鏡はいまも持っている。自分の顔をみたときはショックだった。(363頁)

 いろいろな意味で、マスコミを通してしか知らなかったマララ・ユスフザイという一人の女性を、私は誤解していました。マスコミなどが英雄視して取り上げすぎたことが、その原因だと思われます。
 よくありがちな、情に流され、情に訴えることによって構成される、テロと悲劇の生い立ちを語るものだと思っていました。しかし、それは違っていました。また、父親の存在があらためて大きいことにも気づきました。
 記憶に残る、いい物語を読みました。

 そして今、私はマララ(呼び捨てですみません)に、ウルドゥー語訳『源氏物語』を読んでもらいたいと思っています。この物語をどう思いますか? と尋ねたいのです。日本をどう思っていますか? と聞きたいのです。どなたか、この思いをマララに伝えていただけたら幸いです。【5】
 
 
 

2016年2月25日 (木)

インド・デリーの点字ブロックなどには要注意

 例えば、目が見えない方をインドのデリーに案内したとします。
 白杖を持って歩く際に、いろいろと日本とは状況が違うことが歴然としています。

 メトロには、点字板や点字ブロックが設置されています。
 カイラーシュコロニー駅に設置されているエレベータには、こんなボタンがありました。
 点字が添えられています。それも、シールが貼られているのではなくて、ボタン自体に加工が施されています。
 公共交通機関での写真撮影が煩いので、ゆっくりとカメラを構えることができず、ピンボケです。

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 これは、2010年10月3日から14日にかけて、インド・デリーで第19回コモンウェルスゲームズが開催されたことによる成果です。開催地決定の基準の中に、障害者に対する対策が必要事項として入っており、その条件を充たすために急遽対処されたものだそうです。

 ただし、街中はデコボコ道で石やレンガがゴロゴロ転がっています。
 段差や障害物も多いので、白杖があっても、よほど慣れていないと一人では歩けません。
 実際に、このカイラーシュコロニー駅の改札を出ると、もう障害物競走の世界が展開します。
 目が見えていても、段差はもとより、サイクルリキシャや呼び込みのお兄さんなどを避けながら歩くことになります。

 国際交流基金ニューデリー日本文化センターの最寄り駅となる、メトロのムールチャンド駅の改札を出ると、こんな点字ブロックがあります。

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 これでは、点字ブロックを信じて歩いて行くと、壁に突き当たり、柱にぶつかります。

 盲学校である「ザ・ブラインド・レリーフ・アソシエーション」の校門に行くまでには、次の点字ブロックを頼りに歩くことになります。
 これでは、道の状態をあらかじめ熟知していないと、とても危なくて歩けません。

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 目の見えない方に対する街中での配慮はもとより、学校などでの教育も、まだまだ障害のある方に対しては指導が行き届いていないようです。

 地方ではどうでしょうか。
 今回、アラハバードへ行きました。
 ほとんど手付かず、というのが実状のようでした。

 悠久の時間が流れている、と言われるインドです。
 インドの人々は、時間はかかっても、着実に1歩1歩進んで行かれます。
 気長に、教育と施設の整備を待つことになりそうです。
 
 
 

2016年2月24日 (水)

収穫の多かったインドから帰国の途につく

 クマール君と一緒に盲学校から宿までの帰りは、ナンディ先生を御自宅の近くまでお送りしました。


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 ナンディ先生はクマール君の日本語指導をした先生なのです。オートリキシャの中では、そんなネルー大学時代の話に華が咲いていました。そして、当時の同級生や先輩後輩の話まで。

 WBC(World BudhistCentre)から空港までは、宿の前からタクシーを使いました。クマール君は、空港まで見送ってくれました。

 空港で食事をしようとしたところ、見送りエリアには軽食スタンドしかありません。サンドイッチとチャイを飲みながら、今後のことなどなど、いろいろな話を30分以上もしました。
 お互いに別れづらいところを、思いきって私の方から搭乗口に入りました。

 いつもはチェックインから搭乗ゲートまでに、何かとトラブルがあります。しかし、今回は不思議なほどに何もなく、スムースに機中におさまりました。
 今回の旅を象徴するような出国です。

 離陸は予定通り20時20分。
 今回のJAL便は、いつもよりゆったりとしていました。
 フライトマップも多機能で、飛行中にいろいろな情報が確認できます。
 今回足を留めたのは、デリーとアラハバード(地図ではアッラハーバード、イラハバードとも言う)の2都市です。


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 上海上空から見下ろすと、こんな光の線画が大地に描かれていました。


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 水平線から朝日がオレンジ色の光の帯を見せています。


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 デリーの朝晩は10度、日中は29度でした。
 成田の朝は、デリーよりも寒い7度でした。
 東京の日中は13度の予報です。
 気温の変化と気持ちの緩みに気をつけて、また飛び回る日々に戻ります。
 
 
 

2016年2月23日 (火)

海外における平安文学」研究会(京都開催)のお知らせ

 開催日直前のお知らせとなり恐縮です。
 下記の通り、「海外における平安文学」に関する研究会を開催します。
 これは、私が取り組んでいる科研(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(課題番号:25244012)における研究成果を報告し、意見を交歓する集まりです。
 夏に東京で、春に京都でと、年2回開催して来ました。
 今回で7回目となります。

 本科研の研究分担者、連携研究者、研究協力者12名が集まる小さな研究会です。
 もし今回の発表内容に興味と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、2月25日午後3時までに、本ブログのコメント欄を利用して、参加の意向をお知らせください。
 懇親会のみの参加も歓迎します。
 資料等を東京で準備して京都入りする都合上、早めの連絡をお願いします。
 なお、急な予定変更等があり得ますので、ご所属とお名前及びメールアドレス(あるいは携帯番号)などをお知らせいただくと、ご迷惑をおかけしないですむと思います。
 ご理解とご協力のほどを、よろしくお願いいたします。





 2015年度 伊藤科研
  第7回研究会
海外における平安文学


■日時:2016年2月26日(金)16時30分〜18時

■場所:キャンパスプラザ京都 第2演習室(5階)
(所在地)京都市下京区西洞院通塩小路下る東塩小路町 939
(Tel)075-353-9111
(URL)http://www.consortium.or.jp
(アクセス)京都駅から徒歩5分

■内容(発表者の敬称略)
16:30〜16:35
・挨拶(伊藤鉄也)

16:35〜16:40
・2015年度の研究報告
  (淺川槙子)
 科研サイトの運営報告
  (加々良惠子)

16:40〜16:45
・2016年度の研究計画
  (伊藤鉄也)

〈休憩(5分)〉

16:50〜17:05
・「インド報告」
  (伊藤鉄也)

17:05〜17:30
・「ウォッシュバーン訳の問題点」
  (緑川眞知子)

 17:30〜17:45
・「〈国際日本研究〉と日本文学研究
     ―近時の体験と実見から―」
  (荒木浩)

17:45〜18:00
・諸連絡


※懇親会について
 「酒菜 乗々」
(所在地)京都市下京区西洞院通七条下る東塩小路町607-10
     サンプレ京都ビルB1F
(Tel)050-5799-2164
(URL)http://r.gnavi.co.jp/k935400/
(アクセス)京都駅から徒歩5分
(時間)18時30分〜2時間程度
(会費)一応、5,000円をご用意ください。


 
 
 

2016年2月22日 (月)

インドの盲学校で手書き文字についてミッタル先生と議論する

 盲学校へ行こうとしてお寺のロビーに降りると、ちょうど寺沢上人がお着きになったところでした。
 私が「ソーナの温泉に連れて行っていただきました」と挨拶をすると、「そうでしたね、ずいぶん前のことですね」と、相変わらず柔和な笑顔で応えてくださいました。
 お元気で活躍なさっているようです。
 世界の平和を日々実践を通して願っておられる姿を、私は畏敬の念で見上げています。人間の盾となって紛争阻止の行動を起こしておられるお姿は、日本の報道でも紹介されていました。

「【日本の実力】第8部 草の根平和運動③紛争地で平和祈る僧(半沢隆実 共同通信記者)」(2010年8月27日)

 これから私は日本に帰るところです。寺沢上人は明日日本に行かれるそうです。ご一緒できなくて残念です。日本での滞在先をうかがったので、可能であれば日本でもお目にかかりたいと思っています。
 寺沢上人からは、挫けない気持ちを保つ心構えを、ぜひとも伝授していただきたいと願っています。
 慌ただしく外出なさる直前のことながら、一緒に記念撮影に応じてくださいました。
 優しいお気持ちは、上人のお顔に滲み出ています。ありがとうございました。


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 盲学校では、クマール君が待っていてくれました。デリー市内の渋滞に巻き込まれ、私は少し遅れて盲学校に着きました。
 先日お話をうかがったパンディ先生に加えて、仲立ちをしてくださった日本語教育担当のナンディ先生もご一緒です。ナンディ先生は日本人です。クマール君をネルー大学で教えた先生であり、タリク君も教えていたことがわかりました。人と人とのつながりは、不思議な糸で結ばれていることを実感します。

 まず確認したことは、インドでは先天盲の方と後天盲の方の比率です。これは、だいたい半々ではないか、とのことでした。日本では先天盲の方は1割位ではないか、と言われています。つまり、9割方が中途失明であることが、点字習得者は1割だろうといわれる理由でもあります。後天盲の方は、かつて文字が読み書きでき、その文字のイメージがあるので、点字を学習して習得するモチベーションが低いのです。点字が読めたとしても、書くまでには至らないと言われています。
 このインドと日本の先天盲の比率の違いは、今回私が課題として来た問題に大きな影響を与える一つとなりそうな感触を得ました。

 話始めてから、文字の専門家である A.K.ミッタル先生も参加してくださいました。ミッタル先生は最初から目が見えなかった方で、世界盲人連合(World Blind Union)のインド代表という立場の先生です。
 こうして、盲教育を牽引する3人の先生方という、豪華なメンバーで話し合いをすることになりました。(写真は右から、パンディ先生、ナンディ先生、ミッタル先生、私です。)


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 ミッタル先生は、私の説明を聞いてすぐに、それは点字の歴史に逆行するものである、点字ができる前の時代の動きをやろうとしている、と厳しく指摘されました。また、立体コピーについては、本が厚くなるだけなので、実践的ではない、義務教育で使えるだろうか?とも。イメージ全体を理解できるとは思えないからだそうです。
 それでも、中途失明者、後天盲の人には役にたつかもしれない、という理解はいただけました。

 こうした反応には馴れているので、今取り組んでいることは、おっしゃるように100年前の版木に文字を彫ったものの復活ではなくて、最新の技術と機器を活用した道具で、新たにスタートするものであることを説明しました。環境が変わったことを中心にした説明です。

 ミッタル先生から、彫った文字を読むことは失敗だったということを前提にして、点字にまさるものはないという論理が、日本に留まらずインドでも出てきたのには少なからず意外でした。

 この考え方の行き違いについては、私が長々と説明した後で最後には了解していただけました。そのためには、絵や図形の認識の必要性を間に挟むことで、手書きの文字の認識に理解をつなげることを力説したのです。
 日本でも同じ論法で、これまで積み上げてきた点字の功績を否定するものとして理解されることが多いのです。
 そうではなくて、点字で表記できないものや、過去の手書き資料や文書を読むことの意義を強調しました。先天盲の方には文字の姿形がインプットされていないことを前提にした、フォントのイメージを持ってもらう手段を模索していることも伝えました。

 このレベルの話に展開した後、ミッタル先生は4日前に IIT(インド工科大学)で開催されたイメージをテーマとする会議でワークショップをなさった話も、詳細に話してくださいました。目が見えない人に、形をイメージとしてどう活かすかを議論したそうです。
 その流れで、イメージのありかたについても、ミッタル先生とお互いの意見交換をしました。私は、あくまでも、変体仮名のような形をイメージできるようになる教育方法を模索している立場からです。先生は、図形の認識の視点からお話をしてくださいました。この点では、意見は噛み合ったので安心しました。ただし、先生は実践を重視なさるので、簡単な図形を触ることの重要性を強調なさいました。私が言う仮名文字は、先生にとっては複雑すぎるとおっしゃいます。「シェイプ」ということばを頻繁に使って説明してくださいました。この「シェイプ」ということばが、ミッタル先生とお話をする際にはキーワードになるのです。


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 私は、イメージとして図形を認識することについて、あくまでも日本の変体仮名を例にして説明しました。もちろん、地図や彫刻を触る広瀬浩二郎さんの手法も話題にしました。これについては、通訳をしてくださった先生とクマール君の理解に届かないものだったのか、先生の表情からお察しするに、うまく伝わらなかったかもしれません。私の言うことは、サインには使えるだろう、とおっしゃったので、そのように感じました。

 次回、機会があれば、このことについて先生とお話をしたいと思います。きっとわかってくださるという確信は得られましたので。

 その時の私の説明で、例えば、700年前の鎌倉時代に書かれた『源氏物語』の写本を読むためには、点字だけでは対応できないことを伝えようとしました。そこで、変体仮名という手書き文字の図形認識が必要になります。そして、これが現在の日本では可能になっていることを、渡邊さんや尾崎さんとの取り組みを通して、具体例を上げて詳細にお話しました。

 そんなものを目の見えない者が読む必要があるのか、との反論を、ミッタル先生からいただきました。これについては、指で触読する可能性と文化理解の問題である、という観点から説明しました。特に、手書きの文字が読めることは、コミュニケーションの広がりと、書き継がれてきた文字の文化を理解するスタート地点に立つことになります。その、先人によって書き継がれてきたものを触読して継承することは、温故知新の文化理解につながります、と。

 この手書き文字を読む、という展開になったときに、驚くべきインドの事情を知らされました。
 それは今、インドでは、ヒンディー語で使用するテーバナーガリー文字を手で書くことはほとんどない、ということなのです。すべて、印刷された文字である活字として読まれていて、書ける人は少ないそうです。書くとしたら、英語なら、とも。

 日本の書道の例をあげると、わかっていただけました。文字に美を読むからです。文字の美しさを感じることは大切だという点では、お互いに納得しました。しかし、ヒンディー語ではそれは求められていないのでした。
 ただし、ウルドゥー語には、日本で言う書道があるそうです。これは、先日行ったウルドゥー語の祭典の会場で見かけました。あの時は、日本や中国でよく見かける、いろいろな色を使ったグラフィク文字としか見ていなかったからです。ウルドゥー語の新聞がこの装飾的な文字を取り上げていたことと、石版によるリトグラフの話にも発展しました。

 そこから、アルファベットなどの装飾文字としての花文字の話にもなりました。
 ただし、ヒンディー文字に関しては、この文字に美を感じるという説明が通用しない現実を知らされました。
 私が言わんとすることはわかった。納得できた。しかし、今インドでは、手書き文字の読み書きは必要ない社会になっている、地方なら話は別だ、と言われると、私としては絶句するしかない状況に置かれました。衝撃的な内容だったのです。文字を手で書き、さらにそこに美しさを求めるということは、社会的な取り組みも今後ともなされないだろう、とおっしゃいました。

 ヒンディー語の立体コピーも持参していたので、それを触っていただいた時でした。ヒンディー語を触読する意味はない、と断言なさいました。もっとも、古い文献を読む時には役立つかもしれないが、とも。これは、サンスクリット文字のことになります。ヒンディー語で使うテーバナーガリー文字は、音声的な文字です。そのことから、インドでは英語のアルファベットの方が触読の意味はありそうだ、ということになりました。また、触読のテストをしてのデータは集めやすいだろう、とのことです。
 アルファベットのABCを使った立体コピーは用意して来ませんでした。世界的に意味があるのであれば、今秋インドに来る時に持ってくることにしましょう。

 また、日本点字図書館の理事長である田中徹二先生が、今回持参した古写本『源氏物語 須磨』の数文字を、北海道でお目にかかった時に触読なさったことをお話すると、私の説明を聞く姿勢が心なしか変わったように思えました。それは、ミッタル先生が田中先生をご存知だったからです。

 この変体仮名というイメージを、最初から目が見えない私などにどう植え付けようと考えているのか、という質問になりました。これは、理解を示してくださったからこその質問です。私は、今、書写という文字をなぞる練習をする中で可能だと思っていることをお伝えしました。左手で立体コピーを触読し、右手には「ゆび筆」という物をはめて同じ文字を書くことで、イメージとして文字を覚えることができるようになるはずだ、と説明したのです。すると、筆とはどんな物かと聞かれたので、これはパンディ先生とナンディ先生が詳しく説明してくださいました。

 また、名古屋工業大学の森川慧一君が開発したタッチパネルを触って、古写本に書かれている文字を音として聞き、説明も聞けるシステムの話もしました。すると、さらに耳をそばだてて質問が続きました。一通り説明してから、今秋またデリーに来るので、その時に開発したタッチパネルを持参する約束をしました。これはおもしろくなりました。もっと話を聞いてくださることになったのですから。
 とにかく、音でサポートすることに関しては、共通理解を得られることになりました。ヒンディー語では、この音を使った支援は重要だと痛感しました。もっとも、このタッチパネルで文字の説明をする時には、英語でしてくれ、との注文を受けました。これは大変な課題です。

 さらに、ヒンディー語ではコンピュータで文字を読み取ってテキストにするOCR技術は、まだ対応できていない文字があるので課題が残っているそうです。この点も、目が見えない方にとっては問題点として残っているようです。

 とにかく、パンディ先生、ナンディ先生、クマール君に代わる代わる通訳していただいたこともあり、ミッタル先生に私がやっていることとその考え方が、どの程度伝わったのかよくわかりません。
 しかし、日本から目が不自由な方々のことでインドを訪問したことに感謝のことばをいただきました。これまでになかったことだから、と。
 このお礼のことばを聞いて、こちらの考えがおおよそ伝わったことを感じました。
 そして私からは、こちらこそ、ざっくばらんな話ができたことに、感謝の気持ちを伝えました。

 今あの時間を思い出そうとしても、なかなか再構成できません。必死になって対応したからでしょう。しかし、お互いに前向きに理解しあえたことは確かです。

 インドを代表する世界盲人連合(World Blind Union)のメンバーであるミッタル先生と、お話から議論へと展開する機会を得て、この問題ではずぶの素人ながらも現在推進していることをお伝えできたことは幸いでした。突然に設定された話し合いの場だったのですから。
 ミッタル先生にとっても新鮮だったようです。この若造(?)が、と思いながら対応してくださったことでしょう。しかし、今取り組んでいることを具体的に示せる私にとって、怖じ気づくことなく先生に真っ正面から体当たりしたつもりです。インドにとって大きな存在の先生なので、私などが遠慮することはかえって失礼です。知らないことの強み、と言えるかもしれません。

 日本に帰った直後でもあり、通信事情が悪かったインドでは調べる余裕もなかったので、「世界盲人連合」について、「ウィキペディア」で調べてみました。以下のような組織だったのです。まだ記述が始まったばかりのようです。今後、この項目もさらに詳細になっていくことでしょう。関係者のみなさま、この項目の充実も忘れずに進めてください。


世界盲人連合(World Blind Union)は、盲人の権利を守る目的で1984年に国際盲人連盟(International Federation of the Blind)と世界盲人福祉協議会(World Council for Welfare of the Blind)が提唱してサウジアラビアのリヤドでの設立総会で合併して設立された世界盲人運動団体である。4年ごとに役員改選が行われ、理事会が開催される。現在、約170カ国の全国盲人団体が加盟しており、アフリカ、アジア、アジア太平洋、ヨーロッパ、南アメリカ、北アメリカ・カリブ海に地域事務局が置かれている。
運動団体として世界各国で点字を使う盲人の権利を推進している。会議言語として英語の音声と英語の点字を使うこととなっている。
日本からは日本盲人福祉委員会が設立当初から加盟している。

 ミッタル先生に対しては、話の展開の中では、大変失礼なことも申し上げたかと思います。しかし、終始話を真剣に聴き入ってくださっている表情から、すれすれの所で許してくださっていたからこそ、上記のような話の展開になったかと思います。先生が私にくださったご批判は、今後の活動の中で活かしていくつもりです。
 今後ともよきアドバイスを、どうかよろしくお願いいたします。
 今秋、11月にまたお目にかかれたら幸いです。
 
 
 

2016年2月21日 (日)

日本文化センターへ報告に行き助言をいただく

 今回も無事に、予定していた課題をすべて遂行することができました。
 予想以上の成果があり、慌ただしい日々の中を遠路足を運んで来たかいがありました。

 今週始めの15日に訪問した国際交流基金ニューデリー日本文化センターへ、今回の成果と課題に関して得られた感触などを報告をするために行きました。田中洋二郎さんからは、多忙な会議の合間に貴重な時間を割いていただき、丁寧な対応と今後のための貴重なアドバイスをいただきました。

 田中さんの適切な状況判断と的確な助言には、いつも感謝しています。
 いちいちわざわざ、とお思いのことかと思います。しかし、よくわからない国での文化交流となると、やはり現地の専門家の分析と判断を伺うことは貴重です。得難い方からの話は、次の行動を見極める上での重要な羅針盤ともなるのです。お話を聞いていただき、個人的な感想を含めてお考えをうかがうだけで、それで充分なのです。
 その意味からも、帰国する前にこれまでの報告をするように心がけています。

 今回は、秋11月に「第8回 インド国際日本文学研究集会」を開催するという具体的な活動事例があり、かつ『十帖源氏』のインド語10言語に翻訳するという、規模の大きなプロジェクトを動かす課題がありました。

 また、インドにおける日本文学関連の研究論文を集約して、これからの研究者に基本的な情報提供をする基盤を構築する、というテーマもありました。このインフラの整備なくしては、着実な進展はのぞめないからです。各自が勝手に取り組んでいては、調査手法と成果が共有されず、悠久のインドを彷徨うだけです。

 さらには、目の見えない方々と一緒に日本語を学べる環境作りのお手伝いができないか、という問題もありました。
 これに関しては、日本文化センターが文化的な事業を取り扱っている機関であることから、これはジャイカへ話を持って行った方がいいのではないか、というアドバイスを、別途身近な方から示唆をいただきました。
 そうであれば、田中さんには何とも返答しづらい話題を持ちかけたことになります。
 そのあたりの事業上の棲み分けが、私にはよくわかっていませんでした。
 この件は、盲学校の方々と接する中で、手探りながらも気長に考えていきたいと思っています。

 今回のインドでの最終日には、当初のネルー大学へ行く予定を入れ替えて、盲学校の「ブラインド・レリーフ・アソシエーション」へ行くことになりました。急な予定変更に対処していただいたネルー大学のアニタ・カンナ先生に感謝します。

 日本文化センターからの帰り道、メトロで行き先案内板を撮影しました。


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 インドでは、公共機関などでの撮影は煩いようなので、可能な限り自粛してきました。しかし、この表示は自分の名前にも関わるネタにもなるので、歩きながらシャッターを切りました。ピンボケです。

 電車の先頭車輌の上に表示されている行き先名にも「ITO」とあります。この撮影は勇気がいります。これもいつか果たしたい、私にとっての課題の一つです。
 
 
 

2016年2月20日 (土)

小さな軍用空港を双発プロペラ機で飛び立つ

 ホテルに迎えにきてもらった村上さんと、タクシーでアラハバードの空港に向かいました。
 途中で、延々と続く商店街に目が留まりました。いつか、ここをぶらぶらしたいものです。

 突然タクシーが止まったので外を見ると、道路の脇のスペースでした。トイレ休憩かと思っていると、空港に着いたとのこと。長い塀際なので空港とは思えません。村上さん共々、騙されて別の組織に売り渡されるのでは、との思いが過ぎるほど、場違いな場所に下ろされました。

 刑務所の塀のような所で少し途切れた一角に人がいます。言われて見れば、空港らしいのです。
 狭い入口で、二三人の空港関係者らしき人にチケットとパスポートを見せました。2人共に入ろうとすると、付き添いは入れないとのこと。しかし、そこは百戦錬磨の村上さん。殺し文句を使うのです。私が英語もヒンディーも使えない日本人であることを説明し、
「あなたの国のゲストが困っているのですよ。」
と。
 この一言で、そこのゲートまでだ、との条件で10メートルほど進めます。

 ゲートでは、長い銃を肩から下げた戦闘服の人に、またチケットとパスポートを見せました。そして、またもや付き添いはだめだと。しかし、村上さんは言います。
「このためだけに、はるばる日本から、わざわざ来た教授だ。」
と言って、アラハバード大学の学生証を見せると、もう一人の人と二言三言言葉を交わして、入ってもいいと首を横に振ります。インドでは、首を縦ではなくて横に振るとOK、わかった、なのです。

 やっと、空港の手荷物チェック場所らしい所に来ました。
 そこでも、椅子に腰を少しずらせて座った三人の偉そうな関係者から、根掘り葉掘り問いただされます。しかし、村上さんはそれにも動ずることなく、国のためという気持ちをくすぐる言葉で、チェックインカウンターまでの入場の了解を取り付けることに成功していました。

 こうして、あろうことか、一緒にチェックインカウンターまでたどり着きました。
 村上さんがいなかったら、50メートルの障害物競争が500メートルも走らされるところでした。

 こうした村上さんのような若者が海外で勉学を積み、活躍していることを思うと、日本のこれからの国際交流は大丈夫だと思えて来ます。

 ほぼ定刻に双発プロペラ機で飛び立ち、デリーに降り立ちました。
 機内の振動と乗り心地は、意外といいものでした。
 座席の前にあった雑誌に掲載されていた搭乗機の写真を引用します。


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 インディラ・ガンディ空港からは、メトロで宿まで帰りました。
 稔り多いアラハバードの旅となりました。
 感謝感謝です。
 
 
 

2016年2月19日 (金)

ヒンドゥ教のお祭りマーグ・メーラに行く

 アラハバードは、ガンジス河とヤムナー川が交わる場所にあるヒンドゥ教の聖地で、4大聖地の一つだと言われています。ただし、いずこも同じで、4大聖地と言ってもさまざまな説があって、なかなか難しそうです。

 インドのヒジュラ暦でマーグの月に行われる祭りを「マーグ・メーラ」と言っています。ちょうど今回訪問したこの時期に、敬虔なヒンドゥー教徒たちの祭りが開催されています。森山さんをバラナシへ見送った後、現地人となっている村上さんに案内されるままに行ってみました。やはり、言葉を自由自在に操れる人と一緒だと、安心してどこへでも行けます。

 川の手前の公園は、子どもたちのための遊園地となっていました。


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 この観覧車は、とんでもない速さで回っています。今にも振り落とされそうです。安全対策などあるようには思えません。

 大人のための見せ物小屋がありました。日本にも、かつてはこんな怪しげな小屋があったように思います。差別的な見せ物だということで、今ではなくなっているものです。


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 川への入口には、たくさんの店がありました。


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 そこで見つけたキーホルダーを、娘夫婦のお土産として買いました。


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 2つの川の合流地点をサンガムと言い、その水は魂を浄化する力があるとされているそうです。ガンジス河とヤムナー川が合流するここから地下に流れているというサラスヴァティ川が、天に昇るのがこの地なのです。

 その合流地点の川原には、おびただしいテントが林立しています。


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 川には多くの小舟が漕ぎ出していました。


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 しだいに夕焼けがきれいになってきました。
 サドゥーと言われる修行僧が、この川原に集まった善男善女(?)に物乞いをしています。


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 水着で沐浴をする人もいます。


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 思いきって小舟で川中に出てみることにしました。


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 川中から見る景色は、ことばでの表現を拒むものがあります。
 水鳥はユリカモメのように見えます。
 賀茂川や隅田川の水鳥と同じ顔をしているのです。

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 小さなボートが、鳥たちのための餌を売りに来ました。
 見た目は太めのフライ麺です。

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 一ついただき、川に向かって投げると、夥しい鳥たちが競うようにして集まって来てついばみます。村上さんの話では、日本ではかっぱえびせんを鳥にやったとか。


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 しだいに川原の光が川面に揺らめくようになりました。
 これから沐浴をする人がテントから出てくることでしょう。

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 ガンジス河とヤムナー川の合流地点では、ガンジス河の黄色とヤムナー川の乳白色が混じって、チャイのような色になるそうです。この日は日が暮れ出したこともあり、その色の変化は見ることができませんでした。

 女性が川の合流地点で裸になって飛び込むそうです。今回、それは見ることができませんでした。
 とにかく、大勢の巡礼者が集まって来て、さまざまなパフォーマンスを繰り広げているのです。

 遠藤周作の『深い河』に、この川が合流する地点のことが語られていたように思います。どのように描かれていたのか、いつか確認してみます。

 ホテルに帰ると、2階の少し広めの部屋に替わることになっていました。私を見て、階段を上がれる奴だ、と思ってくれたようです。
 1階の時と大違いで、静かで落ち着く部屋でした。ただし、蚊が3匹いました。電気蚊取りは緩やかすぎて、蚊を追い出す効力しかないようです。宗教心の顕れと、好意的に解釈することにしましょう。
 
 
 

ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見

 アラハバード大学図書館の書庫で、ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本を、偶然とはいえ司書の方が見つけてくださったのです。

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 あればいいが、との思いで、あてもなくとにかく書庫に入れていただきました。
 書庫内の通路で、村上さんがいつもお世話になっているというレヘマトゥッラー司書が、たまたま前から歩いて来られました。ひょっとして何かご存知ではないかとの思いから、ウルドゥー語訳『源氏物語』の本のことを聞いてもらいました。

 レヘマトゥッラーさんは初めて聞く本の名前だとのことで、何もご存知ではありません。それでも村上さんが食い下がって、ありったけの情報を語り続けると、一つの書棚の列に入られました。そこは、ウルドゥー語に翻訳された外国語のお話のコーナーでした。

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 レヘマトゥッラーさんが、最初に一冊の本の小口に指を掛けて引き出されたものを見て、村上さんが声を上げました。何と、それが探しているウルドゥー語訳『源氏物語』だったのです。レヘマトゥッラーさんも私もびっくりです。


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 偶然とはいえ、一触で『源氏物語』が出てきたのです。
 伊井春樹先生がおっしゃった、本は探し求めている者においでおいでをする、という秘技をまた体験することになりました。

 ネルー大学でウルドゥー語訳『源氏物語』を発見した時のことは、「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009/3/5)に書いた通りです。あの本は、表紙や奥付などがないものでした。また、東京外国語大学にある本も、一部が欠けています。今回みつかった本は、すべて揃っている完本です。刊行された時のままなのです。経年変化だけの、誰かが開いた形跡もない本です。
 またもや、偶然が現実のものとなりました。

 この本の両隣は別の分野の本です。また、背文字は薄くて読み難い上にめくれていて、ウルドゥー語で「げんじものがたり」と書かれた「じ」の終筆部分からしか読めないのです。この書棚の中からこの本と行き当たったのは、まさに奇跡です。

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 この本は、1971年にサヒタヤアカデミーから刊行された8種類の言語の内の一つです。
 アラハバード大学に収蔵された経緯を調べてもらうことにしました。何と言っても、このウルドゥー語訳をしたのは、1971年当時アラハバード大学で学科長をしていたウルドゥー語の文学批評者だったエヘテシャーム・フセイン教授なのです。
 フセイン教授の献本であれば、もう少し資料がありそうです。

 かつてわたしがネルー大学で見つけた時のように、まず図書カードを調べてもらいました。この本の書誌は、まだ書籍化も電子化もされていないからです。

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 目録カードでは、この本の番号に当たるものが飛んでいました。カードがないのです。勝手にカードを引き抜いて持って行かれることが、よくないことながらよくあるそうです。

 そこで次に、この本の図書番号を、受け入れ図書の登録簿と照合して、基本台帳の情報を見てもらうことにしました。こうした点は、帳簿管理としてシステム化されていることに感心しました。
 手前勝手なお願いにもかかわらず、テキパキと調べてくださいます。司書の方々には、ほんとうにお騒がせしました。


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 台帳保管庫にあったノートに記載されていた図書番号から、受け入れ当時のことがわかりました。1971年にサヒタヤアカデミーから刊行されたこのウルドゥー語訳『源氏物語』の受け入れの事情などについて、いくつかのことが判明したのです。

 サヒタヤアカデミーから刊行された翌年の1972年に、アラハバード大学図書館が6ルピー50ペイサで買い上げたものだったのです。これで、今回見つかった本が初版本の完本であることがわかりました。
 ただし、フセイン先生は1972年にお亡くなりになります。このことは、後でも確認します。
 アラハバード大学図書館に収蔵された御自身の翻訳になるこの本を、フセイン先生が実際に手に取られたかどうかは不明です。

 村上さんがこの本を借り出したいと言うと、全館的に図書の電子登録を進めているところなので、まずはこの本の書誌を優先的に電子情報として登録し、その後に貸出手続きができるようにしてあげよう、ということになりました。
 学生の向学心を最大限に尊重して支援する図書館側の計らいには、あらためて感激しました。ありがたいことです。

 さっそくこの本の書誌をコンピュータに優先的に登録してもらえました。図書の登録作業も見ていてもいいし、撮影もいいとのことです。
 ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本が今回初めて見つかり、それをコンピュータに登録した記念に、担当の司書見習いのプリヤーさんが登録するところを記念写真として撮影することになりました。

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 プリヤーさんは、この大学の出身者だそうです。こうしてウルドゥー語訳『源氏物語』がコンピュータにアラハバード大学図書館の蔵書として登録されたことにより、一人でも多くの方がこの本を見ることができるようになったのです。インドの方々が、日本の『源氏物語』に興味をもっていただき、勉強に役立てていただけたら幸いです。ウルドゥー語訳『源氏物語』の研究も、これで進んで行くはずです。とにかく、今は村上さんしかいないのですから。

 プリヤーさんは、司書としてこうした学問的なお手伝いをしていることを自覚なさったようで、共に喜んでくださいました。ますます活躍してほしいと思いました。
 もっとも、まだアラハバード大学の OPACは一般には公開されていません。日本からこの本を検索することはできないのは残念です。

 この大学のキャンパスは、積極的に整備が進められていて、草花が校舎を背景に咲き誇っています。いい環境です。

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 村上さんの指導教授であるノシャバ・シャルダール先生の部屋へ挨拶に行き、今回の成果を報告しました。
 先生は、翻訳者であるエヘテシャーム・フセイン先生に、修士課程1年目に口頭試問を受けたそうです。しかし、『源氏物語』をウルドゥー語訳しておられたことはまったく知らなかった、とのことです。そして、シャルダール先生もサヒタヤアカデミーから刊行されたこの本のことはご存知なくて、村上さんに日本の『源氏物語』のウルドゥー語訳の研究もするといいね、とおっしゃっていました。
 この本が見つかったことで、これから『源氏物語』が研究されることだろう、とおっしゃっていました。

 お茶請けとして出してくださったほうれん草の唐揚げは、パリパリとしてとても美味しくいただきました。

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 学科長のアリ・アフマド・ファトミー先生にも挨拶と報告に行きました。
 ファトミー先生も学生時代にフセイン先生の指導を受けておられました。しかし、文学批評がご専門のフセイン先生が何かを翻訳なさっていたことは知っていたし、論文に翻訳のことが書かれていたように思う、ということです。しかし、それが日本の『源氏物語』だったかどうかはまったくわからないし、資料もお手伝いした人がいたかどうかも不明だそうです。

 次の写真中央右の男性がファトミー学科長、右端の女性がシャルダール先生です。

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 この部屋には、歴代の学科長の写真が掲げられており、フセイン先生の写真もありました。

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 ファトミー先生の席の後ろには、歴代の学科長の名前と在任期間が記されています。

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 第3代がフセイン先生で、在任期間は、1961年から72年までの11年間。フセイン先生は、1972年にお亡くなりになりました。
 第9代と第12代がシャルダール先生、第10代と当第13代がファトミー先生です。

 今回は、フセイン先生が在職中に学生であり、歴代の学科長をそれぞれ2代ずつ務めておられるお2人の先生に、直接お話をうかがいました。しかし、『源氏物語』のウルドゥー語訳に直結することは何も出てきませんでした。

 そもそもが、サヒタヤアカデミーのプロジェクトは、アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』の第1巻目だけを、インドの8言語で翻訳することでした。ウルドゥー語訳は、サヒタヤアカデミー側からフセイン先生に依頼された、という事情があります。
 日本に対する理解や、『源氏物語』に関する興味や関心がなくても、ウエイリーの英訳をウルドゥー語に翻訳することが、この背景にあることは重要です。
 海外における日本文学について調査するときに、こうしたことは十分に承知して対処すべきことのようです。

 お2人の先生に感謝しつつ、入口近くにあったフセイン先生を顕彰し記念するホールを拝見しました。学生達が授業を待っているところでした。
 (横に書いてあるウルドゥー語については、後日村上さんに訳していただいて追補します。村上さん、よろしくお願いします。)

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 バナラス・ヒンドゥー大学(BHU) の文学部ウルドゥー学科博士課程(Ph.D)で研究中の森山武さんと、アラハバード大学で待ち合わせをしていました。ここに掲載した先生方との写真は、森山さんが撮影してくださったものです。

 街中のコーヒーハウスで、森山さんと積もる話をしました。
 森山さんとは、2009年4月に、私が書いた上記紹介のブログ「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」の記事を読んでコメントをいただいた時から、デリーで国際集会をする折を見ては、お目にかかれないかと連絡をしていました。

 今回、バナラシからわざわざアラハバードまで片道3時間のところを駆けつけてくださったのです。当初は私がバナラシへ行く予定を組んでいました。しかし、日程などの関係で行けなくなったところを、こうして森山さんから足を運んでくださったのです。ありがたいことです。

 このコーヒーハウスは、かつては文人たちが集って談論風発した所だそうです。
 今回の我々の面談場所として、まさに願ってもないコーヒーハウスです。
 そう思って見回すと、それらしいインテリ風の方がちらほらと見かけられます。


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 夕方4時ころまでお話をして、それから森山さんはまたバラナシへととんぼ返りです。短い時間でしたが、楽しいおもしろい話ができたことは幸いでした。私のブログを読んでくださっていることもあり、ごく普通に翻訳本の話などができました。
 また、秋にお目にかかれるようです。楽しみにしています。
 博士論文の1日も早い完成を心待ちにしています。
 
 
 

あまりにも煩くてホテルの部屋を変えてもらう

 アラハバードのホテルはいい雰囲気です。
 気に入りました。しかしです。
 昼間の工事は別にしても、夜の11時を過ぎても部屋の外が煩いのです。

 私は一階の奥の部屋でした。ところが、その隣が配膳室だったので、ガチャガチャと食器の音がします。また、ホテルのスタッフの方々の休憩場所もその横だったので、ずっと声が聞こえます。ヒンディ語なのでわからないとはいえ、その抑揚や笑い声が気になり出しました。
 夜中の1時半を過ぎても、人声が煩いのです。
 おまけに、ひっきりなしに電話の呼び出し音が聞こえます。どこかと連絡をとっておられるのでしょうか。

 朝になって朝食をいただくときに、夜中じゅう煩いので部屋を替えてほしい、と頼みました。
 マネージャと相談するので、少し待ってほしいとのことでした。

 午前中からアラハバード大学へ行くことになっていました。
 朝早く村上さんがタクシーで迎えに来てくれたので、部屋の荷物のことをフロントに伝えて出かけました。昨夜、街中の大きなショッピングモールの中にあるスーパーマーケットで、チーズや牛乳を買いました。


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 それが冷蔵庫に入れたままだったので、それも新しい部屋に移してほしいと伝えたのです。

 後で村上さんに聞くと、ホテル側としては私の年齢が64歳だったので、2階の部屋では階段の上り下りが大変かと思い、1階の部屋にしたとのことだったそうです。
 老人扱いされていたのです。
 インド人は、そんなに早く老けるのでしょうか。

 さて、帰ってからどんな部屋に移ることになるのか、大いに楽しみです。
 
 
 

デリーから夜行寝台列車で雨のアラハバードへ

 しばらくデリーを離れます。
 ちょうど宿を出ようとしていたら、WBC(World BudhistCentre)の玄関前を結婚式の行列が通り掛かりました。白馬に跨がった王子様は、いつみても恰好良い晴れ姿です。お披露目の市街パレードです。


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 鉄道のデリー駅に着くと、夜空に月が顔を覗かせていました。
 これから行くアラハバードでの幸運を、デリーの月が予祝してくれているようです。


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 寝台列車の中は、思ったよりも広くて安心しました。
 たくさんのランクがある中で、良い方のA2という車輌です。
 テレビで見た、ギュウギュウ詰めのイメージが強すぎたので、もっと狭苦しい車内を想像していました。
 村上さんが一緒であることも、気持ちに余裕を与えてくれます。
 寝台列車の寝心地も、問題はありませんでした。
 東京から京都への夜行バスに慣れている私にとって、寝台は楽です。

 快調に列車は走り、アラハバード駅には30分遅れの朝7時に着きました。インドにしては驚異的に正確な時刻に到着です。

 駅前からタクシーでホテルに入りました。
 2階建ての、小ぢんまりとしたいいホテルです。


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 街中の近代的なホテルは、私の好みではありません。
 ヨーロッパの、B&Bのスタイルがいいのです。
 村上さんが下見をしてれていたので、なおさら安心です。
 インターネットは、Wi-Fi がすぐにつながりました。
 ただし、速度はそうとう遅いようです。
 早速、メールのチェックと職場の担当部署への連絡をしました。

 予定したスケジュールは午後からとし、まずはホテルの周辺を散策しました。
 ヒンズー教の聖なる牛が、国際都市を目指すデリーからは郊外に追い出されて久しくなります。
 しかし、このアラハバードでは、街のそこここに牛がいます。
 かつてのデリーを思い出す、懐かしい風景となっています。

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 のどかな中にも、活気を感じさせる地方の街です。

 午後はあいにくの雨でした。
 しかし、傘をさす人はほとんどいません。
 インドにおいて、2回目の雨です。2002年1月に初めてインドに来た翌日、デリー大学に行った時に急に雨が降ってきました。少しいいスーツを着て行ったのに、木々から砂ぼこりが雨と一緒に落ちてきて、その服が黄色のシミだらけになりました。早速クリーニングに出したことを思い出しました。

 雨の中での移動などを考えて、予定は大幅に変更することになりました。
 旅先での無理はしないことです。
 現地に入ると、いろいろと変わります。特に短い期間の滞在では、融通無碍の対応が求められます。日本人の厳格厳密さが邪魔をすることはしばしばです。世の中や物事は何でも「あり」で、そんなことも「あるさ」、という気持ちと姿勢が問われます。どうやら、私はこの精神が、インドへ往き来する内に叩き込まれたようです。どのようにでも対処できるようになりました。

 少し休憩して、これまでのことを整理し、またいろいろなところへ連絡をしました。

 停電が頻発します。ネットが不安定です。ホテルの中で工事をしているようで、壁越しに槌音が響き渡ります。いつもよりも余計な神経と手間をかけながらも、どうにかいくつかの仕事をこなしました。いくつかは職場へメールに添付して送り、いくつかは仲間にこれまたメールで送りました。

 旅先でもやるべきことがたくさんあります。というよりも、やることが多すぎて、優先順位が狂いっぱなしです。私からの連絡をお待ちの方には、本当に申し訳ないことです。

 小雨を避けながら、アラハバードの中心街を散策していた時のことです。シビルラインズという通りで、村上さんが「インディラ・ババン」という電気屋さん街を見つけてくれました。大阪の日本橋、東京の秋葉原とはいかないまでも、たくさんの電気や電子機器のパーツ屋が集まっているビルです。かつてあった、大阪の五階百貨店、秋葉原の電気会館にあたります。


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 ただし、並んでいる品物は、ほとんどが携帯電話に関するものです。パソコンなどはほんの少しです。
 時代の流れなのでしょう。もちろん、アップルのマッキントッシュなどは見かけません。

 外に携帯などの修理屋さんが雑多に密集しているところで、昨日来調子の悪いインド携帯を修理してくれるところを探してもらえました。クマール君が不要になった携帯電話を借してくれたので、それを持ってインドを移動しています。その携帯の電源が入らなくなり、困っていたのです。

 狭いお店のお兄ちゃんが、テスターやハンダごてを器用に使って、ものの10分もしないうちに、元通り使えるようにしてくれました。正式に修理に出したら何日もかかるところを、目の前でさっさとやってのけるのです。まさに、秋葉原や日本橋の路地裏の修理屋さんです。


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 最近は、面倒な修理はせずに、製品を交換することで解決するという、安直なサービスに変質しています。私の iPhone も、今使っているのは不良品を渡されることが度重なり、機種交換を繰り返した3台目です。調子が悪くなってもアップルの対面修理では中を開けて見るわけではなく、本体を交換して終わりです。
 手で直す、という発想が忘れ去られた現代において、この修理するということの復権は大事です。製品が高度な精密部品の組み立てとなり、修理も容易ではないためにそっくり入れ替える、という対処がなされています。しかし、そうではない、手で直すという道も残しておくべきです。そこに、人の出番が出てきます。それができる人は、どこにでもいるのです。そして、仕事が発生します。
 そんなたわいもないことを思いながら、この電気屋さん街を歩きました。
 「インドで、また考えました。」

 とある店先に、布切れがワゴンに積まれていました。


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 布地屋さんで切り落とされた端切れです。
 布地を大量に集めては、好きなものを手作りしている妻のために、ここから何点かいただきました。
 インド綿を中心にして、シルクと混ぜて織ったものも2点ほどあります。


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 私の我がまま勝手なリクエストにもかかわらず、わけがわからないままに走ってくれたオートリキシャは、こんな雄姿です。このリキシャのエンジン音は、まさに緩急自在の音を響かせるドラムのようでした。ヒンディ音楽顔負けの音を撒き散らすリキシャと、独特の風貌のおじさんに、ここで感謝の意を伝えます。ありがとう。


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2016年2月17日 (水)

国際交流基金で多国語翻訳と国際集会と論文データベースの相談

 国際交流基金ニューデリー日本文化センターで、田中洋二郎さんにかねてより相談を持ちかけていた案件で、時間をかけて話し合いをしました。


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 あらかじめ過去7回分をまとめた『インド国際日本文学研究集会の記録』(2012年3月刊)のPDF版を送っておいたので、これまでのインドにおける文学研究に関する活動の経緯はお互いに了解しての打ち合わせです。
 菊池智子さんと村上明香さんの2人にも同席してもらいました。

 まず、今秋開催する予定の「第8回 インド国際日本文学研究集会」の内容も、今回の打ち合わせでほぼ以下のようにまとまりました。


日時:11月11日(金)・12日(土)
会場:サヒタヤアカデミー + ネルー大学(または国際交流基金ニューデリー日本文化センター)
主催:サヒタヤアカデミー+〈インド日本文学会(伊藤・アニタ・ウニタが2004年に設立)〉
テーマ:(1)『十帖源氏』を多言語訳するための方法と課題
      (予想される問題点/「蝉」をどう訳すかなど)
    (2)私の研究成果
      (デリー大学とネルー大学で修士・博士の学位取得者の報告6人)
    (3)パネルディスカッション(若者向けのテーマ/未定)
後援︰国際交流基金・国文学研究資料館・デリー大学・ネルー大学・NPO法人〈源氏物語電子資料館〉など

 この研究集会の第1テーマは、次の話題と連動します。

 先日、サヒタヤアカデミーに提出した『十帖源氏』のインド語訳の企画申請書を踏まえて、『十帖源氏』の翻訳をお願いする方々や各言語の編集責任者の名前を確認しました。
 同行の菊池さんがヒンディー語を、村上さんがウルドゥー語を担当、などなどです。

 当初は、サヒタヤアカデミーがかつてやったように、インド語8言語の翻訳を考えていました。しかし、いろいろと検討した結果、ベンガル語とマラティ語を加えた10言語でやろう、ということになりました。つまり、以下のインド語10言語で『十帖源氏』の多国語翻訳に着手することの了解が、田中さんからも得られましたので、これで確定とします。


アッサム語・ウルドゥー語・オリヤー語・タミール語・テルグ 語・パンジャビ語・ヒンディー語・ベンガル語・マラティ語・マラヤラム語

 また、タミール語だけは、編集担当者が決まっていませんでした。これについては、田中さんから新たにお願いできそうな先生のお名前の提案をいただきましたので、打診を含めて確認していただくことになりました。

 リストアップした方々をあらためて見て、フレッシュで魅力的な人材のオンパレードになっていることに高い評価をいただきました。着実に、そして確実に実行したいと思います。

 このプロジェクトの成果としての翻訳本は、どのような読者を想定して編集し、どこの出版社から刊行するか、ということでさまざまな意見がでました。
 結果的には、まずはNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のサーバーを活用したデジタルブックスで公開することが1番実現性が高いのではないか、ということで意見が一致しました。出版物に関して、ヒンディー語についてはサヒタヤアカデミーに引き受けてもらえるとして、その他の言語の出版は追々考えていく、ということになりました。

 さらに、視覚障害者が立体コピーを活用して変体仮名が書かれた文字を読むことに関しては、話し合う時間が足りなくなったこともあり、19日(金)に再度の打ち合わせを持つことにしました。

 もう一点、国文学研究資料館がホームページから「日本文学国際共同研究データアーカイブ」として公開している中にある「日本学研究データベース(インド)Bibliography India-Japan Literature」について、さらなるバージョンアップについても、今回相談する予定でした。
 これは、インドの日本文学研究の論文リストを拡充ようというものです。このリストを追補継続する件は、これからインドのみなさま方に協力をお願いしようと思っていることです。現在は、2002年までの情報であり、デリー大学のウニタ・サッチダナンド先生からいただいたデータをもとにして作成したものです。
 しかし、この件についても時間がなくなったので、私がアラハバードから帰ってから、再度面談する19日に話すことになりました。

 新しい所長の宮本薫さんと、少しお話をしました。宮本さんには、以前エジプトのカイロで大変お世話になりました。もう一度この国際交流基金には来るので、その時にお話の続きができることを楽しみにしています。

 相談や打ち合わせすべき案件が多すぎて、多くを積み残したままに後日を約束して一旦帰ることになりました。

 国際交流基金の前からオートリキシャに乗り、村上さんと2人で、オベロイホテルの近くにあるブラインド・レリーフ・アソシエーションを訪問しました。
 これは、デリー日本人会の大野さんから紹介されたナンディ先生がボランティアで日本語を教えておられる盲学校です。


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 今回は、目が見えない生徒さんに対して、持参した立体文字を読む体験をしてもらい、ご教示を得ることになっていたのです。
 
 
 

2016年2月16日 (火)

世界一大きなアクシャルダーム寺院で考えたこと

 ネルー大学でのデモが、マスコミの情報などによると、さらに教職員と学生のストへと展開していることがわかりました。先日来の2回のネルー大学訪問で、その様子が非日常のものであることが、朧気ながらも想像できます。私が昭和44年に、高校3年生の時に体験した学生運動を思い出します。
 「ヒンドゥスタン・タイムス」(2016年2月15日)の1面にも、重大記事として掲載されています。
 右側の記事のタイトルに「JNU」とあるのが、ジャワハルラル・ネルー大学(Jawaharlal Nehru University)の略称です。


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 今日の「ヒンドゥスタン・タイムス」(2月16日)の1面中央には、さらに詳しい現状が報告されています。
 この記事のタイトルにある「DU」はデリー大学(Delhi University)のことです。


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 こんな時に、わざわざ学内に近付くことは避けたいものです。
 デリー大学とネルー大学の卒業生たちから、日本文学に関する多くの貴重な情報をもらっています。それを整理することに、この予定外の時間を当てました。

 早朝よりいろいろな方に電話をし、メールを出し、可能な限りお目にかかって、今回のインド訪問の目的を達成するために手を尽くしています。
 まさに、日本でも海外でも、一年365日24時間態勢での仕事となっています。
 この土日も、フルに情報収集と打ち合わせをしているのですから。

 インターネットは便利です。しかし、いつでもどこでも情報が共有でき、何でも届けることができるので、休息日を確保するのが大変です。自覚の問題だとはいえ、特に順調にミッションが推移しているこんな時には、休む、止める、という勇気が必要です。ただし、それが、今の私にはなかなかできないのが実情です。

 翻訳をお願いする方々への連絡は、思いの他手間がかかります。
 コツコツと、お一人お一人に説明をして進めているところです。

 デリー市内で日本人が多く居住しているといわれる、ディフェンスコロニーの中にある中華レストラン「赤坂」に、お昼ご飯を食べに行きました。この隣のバーには行ったことがあります。
 このお店の名前が、日本料理屋さんを思わせるものであることの理由がわかりました。政治的な流れの中での命名だったのです。観光客を引き付けるためばかりではないという、いろいろと深い意味があってのことだとわかりました。


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 午後は、気分転換も兼ねて、デリー市内からは郊外にある、アクシャルダーム寺院へ行きました。世界一大きな寺院として、ギネスブックに登録されている新興のお寺です。宿の前からオートリキシャに乗り、30分ほどで行ける近場でした。ヤムナー川の対岸へ渡ったのは初めてです。


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 クマール君との待ち合わせは、寺院の入口でした。その入口付近は、とにかく人ヒトひとの、黒山の人だかりです。万に近いという喩えではなくて、実際に1万人以上の人が入場を待っています。

 この寺院では、別の所がテロにあったこともあり、セキュリティが非常に厳しくなされています。携帯電話やカメラなど、電子機器はすべて飛行機並に持ち込み禁止です。それらを預ける場所の列が、ほとんど前が見えないほどです。
 1時間の待ち時間と言われると、1970年に大阪で開催された万国博覧会を知っている者としては、ひたすら並ぶことに抵抗はありません。しかし、牛歩戦術のようにじりじりと前に進む行列に付き合うのは、やはり大変です。

 持ち込み禁止の物を預けた後も、ボディチェックのためにまた並びます。男女別に別れる所に来ると、みなさん一斉に我先にと猛ダッシュとなります。このパワーはどこから来るのでしょうか。

 30分ほどの近場と思ったのが、入場するのにさらに2時間もかかりました。
 早々と携帯もカメラも取り上げられたので、写真はありません。
 何も身に着けないことの自由さと、目の前に見えるものに集中することのよさを、あらためて思い知りました。
 人と連絡したい、連絡があるかもしれない、写真に記録しておきたい、という思いを振り捨てることは、ある種の快感があります。

 寺院の中はすばらしいものでした。特に、大理石の彫刻群が圧巻です。色っぽい姿態の女神が数多く彫られていて、自ずから目を惹きます。

 大勢の子どもたちが親子連れで来ているのは、日曜日であることと、広大な寺院の開放感と、彫刻の美に加えて、無料で入れることもその理由となっていそうです。

 大きなホールのような大食堂で南インド料理をいただきました。

 帰りに、メトロの駅のホームからライトアップされた寺院を撮影しました。


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 明日以降のこともあるので、メトロのトラベルカード買いました。日本のスイカやイコカに類する、チャージをして使うものです。


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 メトロが市内に展開するようになってから、移動が便利になりました。
 サイクルリキシャやオートリキシャで移動していた数年前が、嘘のように一変したのです。
 ただし、それに伴って、リキシャの視点で街を見ることが少なくなり、インドを実感することが希薄になっていくのも事実です。
 私が京都を自転車で移動するように、インドも人力で移動する視点で見て回ることに意義がありそうです。それを放棄してメトロに頼ることに、我ながら逡巡するものが意識の片隅にあります。しかし、便利さに押し切られそうです。

 こうして、生活の中からその地域独特の文化を受け入れる姿勢が変化し、外から眺めるだけの、通りすがりの旅人と化していく自分がいることに気づかされました。

 「私もインドで考えた」と言えそうな、ささやかな発見です。
 
 
 

2016年2月15日 (月)

ネットに依存した社会での珍事とジュース屋のおじさん

 昨日は、ベンガル地方ではサラスバティ(弁天様)を盛大に祝う日でした。
 宿に泊まっておられるコルカタからお出での高校の先生が、奮発して自分で料理を作って振る舞ってくださいました。
 この WBC(World BudhistCentre)は、こうした人と人との交流や情報交換が活発な施設なので、最新情報や地方の様子がよくわかってありがたい宿泊場所です。

 キッチンルームでは、その先生がこの宿の料理人に指示を出して、精力的に料理を作っておられました。そして、おいしい食事ができあがりました。


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 本当にフレンドリーな宿です。

 朝食後すぐに、ネルー大学へ打ち合わせに行きました。
 大学の前では、テレビ中継車をはじめとして、マスコミ関係の車などがたくさん集まっていました。ネルー大学の学生が逮捕されたことに関して、学生が抗議活動をしているとのことでした。
 しかし、この日は無事に正門から入れました。


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 実は、昨日はデリー大学で打ち合わせをする予定を組んでいました。しかし、お目にかかる先生が体調を壊しておられたので、無理をなさらないようにしてご自宅に近いネルー大学のアラベラ・ゲスト・ハウスのコーヒールームでお話しをしました。


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 ここには、当初行く計画をしていたハイデラバード外国語大学のタリク君も来て同席してくれました。タリク君は、ネルー大学からデリー大学へ進み、今回打ち合わせをするウニタ先生のデリー大学での教え子なのです。

 快調に、『十帖源氏』の翻訳をお願いする方々や各言語の編集責任者の名前が決まっていきました。タリク君の同僚や同窓生などが候補にあがりました。
 当初は、サヒタヤアカデミーがかつてやったように、インド語8言語の翻訳を考えていました。しかし、いろいろと検討した結果、ベンガル語とマラティ語を加えた10言語でやろう、ということになりました。
 つまり、以下のインド語10言語で『十帖源氏』の多国語翻訳に着手することになりました。


アッサム語・ウルドゥー語・オリヤー語・タミール語・テルグ 語・パンジャビ語・ヒンディー語・ベンガル語・マラティ語・マラヤラム語

 ただし、タミール語だけは、編集担当者が決まりませんでした。
 これは、今後さらに検討してお願いする方を探したいと思います。

 そして、今秋開催する「第8回 インド国際日本文学研究集会」の内容も固まりました。
 やはり、直接お目にかかってお話をすると、迅速に物事が決まります。やはり、足を運んでの面談は大事です。メールや電話とは違った、人の温もりと感触を確認しながら話をすることは重要なことであることを、今回も痛感しました。物事は、相手と直接会って、顔を見ながら進めていくのが一番確実である、という私の主義主張を実証することにもなりました。

 話をしている最中に、鈴木貞美先生が仕事の合間にお昼ご飯を召し上がりにいらっしゃいました。何と3日間もお昼をご一緒することになりました。こんなこともあるのです。お話を伺えたので、私にとってはラッキーでした。

 打ち合わせが終わってから、タリク君と一緒にウルドゥー語の祭典の会場にタクシーを飛ばしました。
 ここで、珍妙な体験をしました。
 最近、世界各国でインターネットのグーグルのサービスを活用したタクシーの配車システムが広まっています。安心して乗れ、支払いも楽です。乗る時の値段交渉が不要なのですから。

 今回は、タリク君がこのサービスを利用しました。しかし、行った先の「Indira Gandhi National Centre for the Arts」が官庁街にあったため、国会議員や官庁がセキュリティのために妨害電波を出す警備をしていたのです。そのため、タクシーもネットが使えず、インターネットに頼ったシステムでの精算ができないのです。
 会場の周りをぐるぐると回っても、ネットにつながらないので、運転手さんはお手上げです。私の方も、支払いができないままで逃げるわけにもいきません。
 漫画のような本当の話です。
 ウルドゥー語の祭典の会場で村上さんが先に行って待っているので、私だけがタクシーを離れて会場に入りました。やがて、タリク君も精算ができたということでやって来ました。
 IT国家を自認する国で、冗談のようなおもしろい体験をしました。

 会場の中では、今日もサヒタヤアカデミーは何もしていませんでした。何かあったのでしょうか。一昨日置かれていたテーブルも荷物も撤去されていました。


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 別のブースでは、「H」というスペルが抜け落ちていて、それを後で書き足した物に気づきました。発音の関係だそうです。文字を表記するのは、言語によっていろいろな問題を抱えているようです。


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 書店のブースで、気ままに手にしたウルドゥー語の本の挿し絵に、漢字のような図形を見かけました。おもしろいと思ったので、何の本かもわからないままに買いました。


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 宿の前のマーケットに行くと、これまで来るといつも立ち寄っていたジュース屋で、おじさんが今回もその独特の風貌を見せておられました。懐かしさもあって挨拶をすると、私のことをよく覚えておられました。いつも一緒に来ていた中島岳志君のことも。中島君が頼まれていた時計の話もしました。

 インドで生のジュースは自殺行為だと言われます。しかし、このおじさんのジュースは別格です。また、私はこれまでに一度もインドでお腹を壊したことがありません。毎日のようにこのおじさんのジュースを飲んでいたからだ、と思っています。今回も、ミックスを絞っていただきました。後で、いつものように果物をたくさんいただきました。いつもありがとう、と、言葉は通じないので感謝の握手をしました。

 これまでの十数年間に私と一緒にインドへ来た方の多くは、このおじさんのジュースを飲んでもらっています。今も現役でジュースを搾っておられることを思い出していただくためにも、記念写真をごらんください。ジュースの味も変わっていません。


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 また、私が大好きなラム酒の「オールドモンク」も、いつものお店で頼むと、今回はこんないいパッケージになっていました。空港で見かけるデザインのものが、こうしてマーケットにも出回るようになったのです。そして、鉄格子越しに秘めやかな受け渡しをする買い方も、今ではもうなくなりました。クレジットカードが使えるのですから。


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 このマーケットは、少しずつお店も変わっていきます。
 マグドナルドやヘアーサロンができていました。


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 入ることはありません。一応、記録として残しておきます。
 
 
 

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2016年2月14日 (日)

ウルドゥ語の祭典のオープニングイベントに参加

 12日から14日まで開催されている「ウルドゥー語の祭典」「Jashn-e Rekhta」の会場は、Indira Gandhi National Centre for the Arts, Delhiです。

 あらかじめウエブで参加登録をしており、メールで情報はもらっていたので、スムーズに入ることができました。すべて、村上さんのおかげなのですが。


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 本のブースで、コーランをなぞると読み上げてくれるペンを見つけました。「デジタルペン コーラン」というものです。


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 これは、昨夏に本ブログで紹介した「しゃべるペン(音筆)で絵本の中の漢字と遊ぶ」(2015年08月25日)と同じ仕組みのようです。
 ボタンで言語の切り替えができます。ペンはドバイ製で、値段は1万円弱でした。

 サヒタヤアカデミーは何も並べていないので残念でした。
 オープニングの日なので、明日からの本番で展示なさるのでしょう。


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 一緒に行った村上さんが持っていた特別招待券の効果があり、メインイベントの会場では前の方のエリアの良い席に座れました。
 会場の一番後ろから舞台を見ました。用意された椅子は2500です。その周りに多くの方が立って見ておられたので、3000人は集っておられたと思われます。


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 開会にあたってのウルドゥ語のスピーチを聞いていて、まったくわからないながらも、柔らかい音で優しい感じのする言葉だと思いました。ただし、男性の方が滑らかで、女性の発音はややきついと思われる抑揚が気になりました。これは、スピーカーの個性なのでしょうが。

 この日の朗読は、村上さんが『想い出の小路』として日本語訳を出版している原本をもとにしたものです。


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 仲間が日本語に翻訳した原本が舞台で読まれているので、男性と女性が交互に朗読されるのを聞く方も、格別の思いで聴き入りました。


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 登壇の朗読者は、インドでは本格的な女優として有名なシャバーナー・アーズミーさん、男性の詩人がジャーヴェード・アフタルさんです。ジャーヴェードさんが作品の父親役を、シャバーナーさんが娘役をなさっていました。これ以上にない、特別に豪華な配役とのことです。そのせいもあって、こんなに人が集まるのです。

 舞台の右手前には、学問の神様へお祈りする聖なる火が灯されています。
 これは、かつてサヒタヤアカデミーで開催した「第1回 インド国際日本文学研究集会」(2004年10月29日)でも会場に置かれており、私も蝋燭を献灯させていただきました。下の写真右端が当時の在インド日本国大使の榎泰邦氏、その左横にS.B.バルマ博士、そしてその後ろに私、左下がアニタ・カンナ先生です。

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 この日のメインとなる朗読劇は、言葉はわからなくても、その音の流れと強弱がリズミカルで、楽しく聞くことができました。朗読の合間に演奏される音楽も程よいコラボレーションとなっていました。有名な曲が流れると、会場が大いに湧きます。映画音楽は、みなさん良くご存じなのです。


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 交互に二人が語りあい、佳境に入ったのか会場は沸きに沸きました。
 みなさん、話の内容をよくご存じの方が多いようです。笑いあり拍手ありの、言葉と音楽の総合劇です。後半の笑いの渦は一転して静かになりました。
 朗読がこんなに人々の心をつかむことに感動しました。

 終盤に、舞台の上に三日月が顔を出しました。


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 演者のみなさんが総出で並ばれると、観客の人々がどっと前に押し寄せて来られました。


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 女優のシャバーナー・アーズミーさんと村上さんは出版時にやりとりがあり、今回もメールを交換していたそうです。そして、舞台上で2人が大勢の人垣の中で挨拶する場面を撮影することができました。写真右端に、村上さんが刊行した青色の表紙の本が見えます。


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 ジャーヴェードさんの人気は絶大で、日本で言えば吉永小百合に相当するとおっしゃる方もいらっしゃいました。

 この後、村上さんにとって願ってもない僥倖と言える、奇跡的な展開があります。しかし、そのことは今は置いておきましょう。

 6時半に始まったイベントも、9時を過ぎるとお腹も空きました。
 会場には屋台がたくさん出ていました。


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 私はビリヤニとマトンのハンバーグをいただきました。しかし、辛くてほとんど食べることができませんでした。日頃はインドでも香辛料の少ない食事をしているので、こんな時には口にするものがありません。


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 途中で食料を仕入れてから、宿に帰りました。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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