9.0-国際交流

2010年3月 9日 (火曜日)

「過ちは繰返しませぬ」とは?

 今朝は、中国山地の山間部にいたこともあり、雪景色の中で目を覚ましました。
 こちらでも、3月の雪はめずらしいそうです。

 午後は霙の中を、広島市内に移動しました。
 せっかく来たので、どうしても行きたいところへ足を向けました。平和記念公園です。
 高校生の時に、ヒッチハイクで寄って以来です。
 原爆ドームは、見る者にさまざまな思いを抱かせます。
 
 
 
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 原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)の前には、盛岡中央高校と福島大学付属中学校の生徒の皆さんが、ちょうど献花をするところでした。
 
 
 
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 夕闇が迫る中で、行儀よく整列して頭を垂れていました。それぞれにどのような思いがあるのか知りませんが、ここに足を踏み込んだことは、人を思いやる上でも、いいことにつながると思ます。
 おそらく、来る前に、原爆のことを勉強したことでしょう。しかし、私は、もし聞けるものならば、その碑文の意味を尋ねたい思いを持ちました。
 
 
 
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安らかに眠って下さい
   過ちは
繰返しませぬから

 有名な碑文です。
 しかし、これは、誰が言っていることばなのでしょうか。
 誰にということは明らかです。
 しかし、誰が言ったことばとして書かれているのかは、少し考える必要があります。

 まず、「過ち」とは何でしょうか。
 私は、この場の状況から、原爆<を>落としたことを「過ち」だと言っていると思います。この碑が建っているここは、原爆死没者慰霊碑の場なのですから。
 これを、戦争という広義の意味にとるのは欺瞞でしょう。
 すると、原爆<を>落とした者が、その「過ち」を「繰返しませぬから」と謝罪していることになります。
 となると、この慰霊碑は、誰が、何のために、ここに置いたのでしょうか。
 日本人が、亡くなられた方々に謝っているのでは、おかしくなります。

 おそらく、これはいろいろな解釈がなされているのだろうと思います。
 今日、ここにいた生徒さんたちは、この意味を勉強して来たのでしょうか。
 私を含めて、またいつか、自分の力で考えるきっかけになれば、と思いました。

 私は常々、原爆を落としておいて、それを正当化する人たちを信用しません。
 まず、心を籠めた謝罪があるべきです。へ理屈でごまかしてはいけません。
 地球はお荷物を抱えている、と私が言うことには、この碑文のことが一つとしてあります。

 誰が原爆を落としたのか、またその当否については、日本が戦争に負けたからと言って卑屈になるのではなくて、地球規模で考えるべき問題です。
 これは、思想とは別次元の、人間の根源への問いかけだと思っています。
 戦争状態にあったとはいえ、原爆を落とすことは、文化のない野蛮な人間がする、愚劣な行為以外のなにものでもないのですから。
 数年前、インドの学生さんたちが、「ビカは人が落とさにゃ落ちてこん」という劇をしていました。
 そういいながら、インドが核を持っているので、割り切れない思いがしましたが……。

 とにかく、実際にこの目で碑文を確認し、すこし落ち着きました。

 厳粛な思いで気持ちを引き締めてから、広島の研究者仲間と待ち合わせて、牡蠣を食べに行きました。
 小鰯もおいしかったので、地元の方との食事に限ると、急にお会いすることになったお二人の先生に感謝感謝です。
 お付き合いいただき、ありがとうございました。

 行った店の数軒先に、今日のお昼に立ち寄った回転寿司屋がありました。
 
 
 
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 平禄寿司は、立川駅の南北に2軒もあります。また、私の東京の宿舎の近くにもあります。
 よく行く店なので、うれしくなってお昼を食べに入ったのです。

 広島が、ますます気に入りました。
 
 
 

2010年3月 3日 (水曜日)

異文化間での行き違い

 インドの方とのやりとりで、メールの対応があまりに遅くて、とにかく困ったという話を聞きました。相当頭に来ておられるようなので、双方に対して、お気の毒に思っています。

 今の日本では、それこそ最先端の通信技術でコミュニケーションを取っています。しかし、それは全世界でどうかというと、海外でも相当インターネットが広まったといっても、まだまだ遅れている地域や、人々は多いものです。
 そこで、困っておられる方に、こんな返信をしました。

冠省  恐らく、メールが相手に届き、そしてそれを読んでもらえる、という先入観が前提となってなさったことから生じた行き違いかと思います。  しかし、インドのインフラは、先端企業以外では、とても遅れています。

 昨春のことですが、学会中に停電になり、私の発表も真っ暗の中で行ないました。プロジェクターなど、電気がなければタダの箱です。○○センターといわれるところでも、バックアップ電源が稼働するまではお手上げです。
 私が客員教員でいた5年前の3ヶ月間、ニューデリーの宿で電気が使えたのは1日4時間くらいでした。電源がなくても使えるノートパソコンは、大変ありがたい存在でした。

 また、時間の観念も、日本人とは大きく違いますね。
 用件を依頼され、会うことになっていた人からの待ち合わせの場所と時間の指示を待っていても、何も連絡がありません。翌日、昨日は失礼しました、という連絡が入り、拍子抜けしたことがあります。

 「関係者各位」という、一対多というメールも、慣れない人には人ごととして捨てやられることでしょう。そして、返信方法に4つもの選択肢があり、おまけに4つ目に関しては、さらに2つの選択があります。それに加えて、その後に「なお」と「また」が続くという、日本人でもうんざりするほどの込み入った文で、とにかく読むのが大変なメールでの依頼文です。この、わかりにくいということも、先方がメールの内容をよく理解できなかった原因の1つにあるのではないでしょうか。
 いくら日本語が堪能な方だと言っても、そこはやはり外国語ですから。

 電話や郵便やFAXなども含めて、連絡は二重三重にしたらよかったかな、と思って、あなたのメールを読みました。
 日本人の感覚では、インドの方々とのコミュニケーションは取りにくいですね。
 いろいろな国があるものだ、ということで、理解をしてくださると、私としても助かります。

 それにしても、日本は世界的に見ても恵まれすぎていて、日本流に合わせてもらえない人に出会うと、何かと不満が溜まりますね。
 世界にはいろいろな民族がいることを、どうか広いお心で理解してあげてくだされば、と思います。

 インドの方の、困った挙げ句の放置もわかるし、なかなか返信してもらえない日本側のイライラもわかります。お互いの気持ちを忖度するに、異文化間のコミュニケーションの難しさを思い知りました。

 お人柄、というものも関係します。お国柄もあります。
 国際交流と異文化交流には、相手に対する思いやりが、大きな役割を果たすように思います。

2010年2月24日 (水曜日)

上場廃止となった日航のこと

 先週、2月19日に、日本航空の最後の株の売買がありました。
 東京証券取引所の終値は1円でした。
 取引を終え、関係者の思いは複雑だったことでしょう。

 私の父は、山一証券に勤めていました。国に助けられて再建に励み、父が亡くなってから、ついに倒産し廃業となりました。JALのニュースを見ながら、父のことを思い出してしまいました。

 さて、インドからの帰りに体験したJALの搭乗券ついて、その後の報告をしておきます。

「搭乗券なしでもインドから日本へ帰国可能なJAL」という記事を書いた後、インドの空港所長であったK氏から、以下の返信をいただきました。

日頃より弊社便をご利用いただき誠に有難うございます。 先日のデリーご出発に際しましては、弊社の不手際により大変ご迷惑をお掛けしましたことを、改めて深くお詫び申し上げます。

誠に申し訳ございませんでした。

さて、搭乗券と手荷物預かり証をお渡しする際の不手際につきましては、当該担当者に個別に注意のうえ、他の担当者にも以下の点を再度徹底し、再発を防止したいと考えます。

①搭乗券をお渡しする際は、一枚ずつ券面の便名、お客様のお名前、座席番号、搭乗時刻、搭乗口番号を確認する。

②手荷物預かり証は搭乗券と一緒にお渡しする。

 なお、搭乗口での対応に関しまして、もぎり係がもぎった搭乗券は、別の担当者がその場で速やかに、機械で便名等を照合しております。

お客様から機械が見え難く、手作業のみとお感じなったと拝察いたしますが、機械を用いて誤搭乗を防止しているのは、他の空港と同一でありますことを何卒ご了解下さい。

 これに対して、私からは以下の返信をしました。

ご丁寧な返信、ありがとうございました。

> なお、搭乗口での対応に関しまして、もぎり係がもぎった搭乗券は、
> 別の担当者がその場で速やかに、機械で便名等を照合しております。
> お客様から機械が見え難く、手作業のみとお感じなったと拝察いたし
> ますが、機械を用いて誤搭乗を防止しているのは、他の空港と同一で
> ありますことを何卒ご了解下さい。

上記のご説明について、了解しました。
今、私の手元に、成田からデリーまでのJALの搭乗券があります。
使用済みのはずなのに、成田のチェックインカウンターで受け取ったままの新券です。
半券がちぎられてもいません。そして、スタンプも何も捺されていません。
先日、学生がデリーのチェックインカウンターで渡してしまったものと同じ状態で、今ここにあります。
半券を職場に提出しなければならないので、これから半券部分を私が手で切り取ります。
成田の搭乗口では、搭乗券はもぎられもせず、機械での照合もなされることはない、ということなのでしょうか。
各社の航空機を利用する時のことを思い出すと、いつもは搭乗口の自動改札機のようなものに通すことが多いと思います。
今回の成田発の場合は、機械でも人力でも、搭乗のチェックがなされなかった、というように見えます。
搭乗者の便名や座席の充足状況は、どのようにしてなさったのでしょうか。
手元の搭乗券を見つめながら、あの飛行機の離陸までに、乗客のチェックがなされなかったことに不安を覚えます。
そして、学生がデリーのチエックインカウンターで渡してしまった、まっさらの往路の搭乗券が意味すること。
今回の事態のすべては、この往路の搭乗券の存在が発端でした。
成田出発便は、誰が搭乗したかを、どのようにして確認したのでしょうか。
Kさんがおっしゃる、上記の手続きが2月9日(火)の成田ではなされなかったということは、搭乗確認は座席が埋まっているかどうか、というアテンダントの方の眼力だけだったことになります。
成田で出国してから後は、JALの職員を含めて、パスポートと一緒にチラッと見られはしましたが、誰も我々の搭乗券をよく確認しなかったのですから。
何か思い違いがあるのかも知れません。
しかし、手元に未使用の状態の成田デリー間の搭乗券が残されていることだけは、まぎれもない事実です。
私と男子学生のところに新券が、女子学生の手元には、2月14日の朱のスタンプが捺されたものが、この東京にあります。
改めて私には理解の届かない、不思議な状況が思い浮かべられるので、思いつくままに記したまでです。

 これに対して、K氏からは、以下の返信をいただきました。

ご返信を頂戴し有難うございました。 さて、今般お問合わせの成田ご出発時の対応につきましては、此方デリーで用いている機械と異なり、搭乗券面を光学式のバーコード読取り機で、確認させていただいているため、これが迅速、簡便かつ券面に痕跡を残さないことから、照合が行われなかったかの印象をお持ちになったと拝察いたします。 チェックインをされたお客様全員に、確実にご搭乗願うことは保安の観点から不可欠であり、弊社ではこれを毎便的確に実施いたしておりますので、何卒ご安心下さい。

 この文面からは、なぜ私たちの手元にまっさらの搭乗券が残っているのか、ということに対する説明がなされていないので、これ以上は伺うことはしませんでした。
 成田での問題になるからです。

 以下のものが、手元に残っている私の往路(成田→デリー)の搭乗券です。
 
 
 
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 搭乗券の左半分を確実に回収し、右側の半券が乗客の手元に残る、ということを守ればいいと思うのですが……。
 そうすると、往路の搭乗券が帰路のチェックインカウンターで乗客に手渡され、帰路の搭乗券の発行忘れが発生する、という事態はなくなります。
 搭乗についての基本だと思うのですが……。

 倒産した会社の再建と共に、今回のトラブルの原因となった搭乗券の取り扱いに関して、今後の業務が適切に行われることを期待したいと思います。


2010年2月17日 (水曜日)

海外に持ち出した資料の隔離

 インドに持って行った12種類の巻子本や冊子本などの資料について、一定期間隔離して虫の発生がないか確認することになりました。
 資料を管理する立場からは、それが複製本であっても、異なる環境に持ち出された場合には、慎重に対処します。しばらく隔離することによって、付着した害虫が館内で活動を開始し、他の所蔵資料に感染して悪影響を及ぼすことから守るのが大切です。こうした事に関しては、資料の保存管理がご専門のA先生は、的確な指示を出してくださいます。
 そのため、一ヶ月間は今回持ち出した資料を大きなビニール袋に入れ、検査紙などによって様子を見ることになりました。

 いっそのこと、生身の私の身体も一ヶ月間ほど隔離して、自宅待機にしてほしいところです。しかし、さすがにそれはありません。そんな中で、帰国してすぐの会議漬けと書類の山に、この2日ほど悲鳴をあげています。

 そして、20度のインドから10度も低い東京の寒さに身体が慣れないままに、関西での調査を開始することになりました。

 新幹線も、一ヶ月ぶりです。慣れ親しんだ車内のシートでこうして駄文をものしながら、今自分が紛れもなく日本にいることを嬉しく思っています。
 言葉の不自由もない勝手知ったる母国は、何よりも気持ちが安らぎます。

 何にもまして、きれいです。
 何事も、整然としています。
 何でも、欲しいものがあります。
 何とかして、手に入れられます。

 モンゴル、アメリカ、インドと経巡った今、つくづく、日本はすごい国だということを痛感しています。
 
 
 

2010年2月16日 (火曜日)

インドを旅しての院生の感想

 今回、〈インド日本文学会〉で研究発表をするためにインドへ行った、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻の学生2人から、簡単なメモをもらいました。
 参考までに、転載しておきます。

インド春宵    

 第五回インド日本文学会に参加のため、デリーのインディラ・ガンジー空港に到着したのは、二月九日の午後五時十八分。それから手続等をすませ荷物を受け取り、空港の外に出て迎えの車が来るのをしばらく待った。思っていたよりもかなり暖かい。日本の冬の装いのままぶ厚いコートを着込んだ私は、すでに汗をかいている。そして日本で見かける形態とはどこか異なる枝ぶりの木々から、聞いた事のない鳥の声が靄のかかったような夕空に響いている。ここが、インド。
 荷物を積みこんで迎えの車が走り始めると直ぐに、何の木にか白い花の咲いているのが目に入って来た。白い花は、刻々と暮れていく薄闇のなか、仄かに明るい。それを所々に見かけながら走るデリーのラッシュアワーは、実に凄まじい限りである。親子三人乗りの、或は四人乗りのバイクや、乗客がぎゅう詰めでドアの無いぼろぼろのバスが必死で疾走する。クラクションはあちらこちらで鳴りっぱなしで、車間距離などもう限界まで圧縮されている。
 街には灯りがともされ始め、土埃と靄のなかになつかしいような、しかしやはり初めて見るデリーの商店が色とりどりに現われる。この忘れがたい春の宵から、われわれのインド滞在は始まるのであった。


 
 
学会感想

2月12日から13日まで、二日間にわたって、ニューデリーで開催された第五回インド日本文学会に参加した。二日目の午前中、日本漢詩による俳句の解釈について研究発表をし、席上の諸先生から貴重な意見をいただいた。
今回は、今西館長の基調講演と総括を始め、先生方の発表を聞いて、「文学と絵画」というテーマに対する理解を深めることができた。そのほか、例えば、ネルー大の Manjushree Chauhan 先生によるインドの口承文芸の紹介など興味深いものが沢山あり、個人的には得るものの多い国際学会であった。
一方、インド側の学生たちの発表は、全体的に古典文学の語釈や鑑賞、それから日印文化の類似性に関する比較的単純な指摘にとどまるものが多く、研究としてやや実証性と独創性を欠けている印象が拭えない。しかし、インドにおける日本文学研究の現状を鑑みると、基礎文献さえままならない逆境の中で、インターネットなどあらゆる手段を駆使し、日本文学の勉強に励む学生たちの姿には実に人を感動させる力がある。
同じ外国人日本文学学習者の立場から言えば、真の「世界の日本文学研究」を実現するには、これから更なるテキストのデーター化と研究論文のWeb公開が求められるのではないかと改めて痛感した。

 
 
 

2010年2月15日 (月曜日)

搭乗券なしでもインドから日本へ帰国可能なJAL

 インディラガンディー空港で、JALの信じられない失態に出くわしました。
 大学院生2人を引率しての、チェックインカウンターでの出来事です。

 順番が来たので、私が学生2人のパスポートを預かり、3冊のパスポートをカウンターに出しました。
 eチケットだったので、それも一緒に渡しました。ただし、1人は要らないはずだから、と言って出さないままに、搭乗手続きは終わりました。
 荷物が3個であることは確認されましたが、それ以外は特に何もありませんでした。
 私は、往路でベジタリアンの食事をリクエストしていたので、帰りもそのようにしてもらいました。それを受けて、学生の1人が自分もお願いできないかと言うと、カウンターの女性は、すでに余裕がないので、ここでは受けられないとのことです。そして、機内で言ってみてほしい、とのことでした。

 カウンターで返却されたパスポートを受け取り、それと一緒に置かれた3枚の搭乗券を手にし、一番上の券面に書かれた女性名を見て、それをまず学生に渡しました。次が、私のもので、最後をもう1人の学生に渡しました。
 しばらくカウンターの前に立ったままだったので、もうここには用事がないよね、と言いながらその場を離れました。何かを待つことがあると思っていたので、しばらくそのカウンターの前を動かなかったのだと思います。ただし、何もないようなので、その場を立ち去りました。

 パスポートコントロールを通過すると、セキュリティチエックで朱の楕円形の印が捺されます。これは、パスポートコントルールの前だったかもしれません。その後に、手荷物チェックがあります。
 
 手荷物チェックの入口で、警察のような服装の人がパスポートと搭乗券をチェックし、荷物をX線を照射する箱に通します。そして、四角いゲートを歩いて通ります。
 今日も、私は警報が鳴りました。身体検査の結果、何もないので無罪放免となり、暗い箱から出てきた荷物を引き寄せて手にしました。学生の姿が見えなかったのですが、パスポートコントロールを通過したのは見かけたので、手荷物検査で引っかかっているのだろう位の気持ちで、私は1人でお土産物を見に行きました。

 昨年の3月に、ここでドルしか使えなくて困ったことを思い出しました。
 インドの旅をした人が、今ここでドルを持っているのでしょうか。日本人なら、インドのルピーか円しかないはずです。それなのに、今年もドルしか受け取らないようです。カードで買い物せざるをえません。自国の通貨が使えない免税店は、何か変だと思うのですが……。

 出発まで時間があるので、ワイヤレスのインターネットが使えないか見渡すと、どうやら使えるようです。
 携帯番号を入力すると、ユーザー名とパスワードが携帯電話に送られてくる仕組みです。
 何度やっても、キーワードが送られてきません。携帯電話の履歴をみると、昨年の3月にインドからの帰りに、キーワードなどを受け取っています。それを入力してみましたが、もちろん使えるはずはありません。
 今年は、どうしても送ってもらえないのです。ローミングサービスがオンになっていることを確認するなど、何度も自分の携帯番号を入力してキーワードの発行を試みましたが、30分ほどやってもダメなので諦めました。どうも、どうなっているのか、よくわかりません(実は、日本に帰国後に、パスワードが届いているのが確認できました。使い道のない、どうしようもないログイン情報です)。

 さて、搭乗時間が近づいたので、搭乗ゲートへ行きました。しかし、どこにも学生たちがいません。
 しばらく探していたところ、やっと1人を見つけました。そして、もう1人は、と聞くと、とんでもないハプニングに遭っていた、と言うのです。

 私の後から手荷物チェックを受けようとしたとき、検査機の前にいたパスポートと搭乗券を確認する人が、このチケットは無効だと言ったことから、事態がとんでもない方向に展開したようです。

 その学生が差し出した搭乗券には、成田からデリーへ、と書いてあり、しかも日付がインドに来た2月9日になっていたのです。
 それなのに、楕円形の朱のスタンプには、「14 FEB 2010」と、今日の日付が捺されています。
 
 
 
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 そこで、これは大変だということで、2人の学生はあらん限りの英単語を並べて、とにかく本人1人が出国した場所から再度チェックインカウンターに、這々の体で引き返したのです。
 それまでに30分以上も、いろいろな人に、いろいろなことを聞かれたようです。そして、訳のわからないままに先ほどとは違うJAL職員のいるカウンターで事情を説明し、再度搭乗券を発行してもらったのです。どうやら、インディラガンディー国際空港には、日本人のJAL職員は1人だけのようです。
 そして、その時に、先ほど渡し忘れたということで、手荷物の預かり証を3枚受け取ったようです。こんな時に、あっそうそう、と渡される性格のものではないはずです。
 その新しく渡された搭乗券で、再度パスポートコントロールを通過し、セキュリティチェックの後、手荷物検査を通過して、めでたく搭乗ゲートまで来ることができたのです。彼女は、初めてのインドの空港で、1時間ほどの回り道をしたことになります。
 その話を聞き、彼女が、心細さと情けなさに胸を痛めたことを知りました。
 このままでは倒産したばかりのJALは、ますます客が逃げていくのはよくないと思い、ことの顛末をはっきりさせるべきだと思いました。そこで、搭乗口のインド人職員に事情を話し、こうしたクレームはどこへ言いに行けばいいのか尋ねました。すでに搭乗が始まっています。搭乗ゲートは混乱の中でもあったので、その職員の方はどこかへ電話をしておられました。

 まったく失礼な対応なので、学生と憤慨しながら搭乗を待つ列に並ぼうとした時、日本人でパリッとしたスーツを着た男性がお出でになり、我々に事情を聞こうとされます。彼女に代わって、ことの不可解さを詰問調で説明し、なぜこんなでたらめがまかり通ったのかを尋ねました。

 私が訊いたのは、どうして今日2月14日に、我々がインドに到着した2月9日の日付けで、しかも成田からデリー行きのチケットをこのインドで発券したのか、ということが主な内容です。しかも、3人同時に手続きをしたのに、その内の1人だけが一週間前のチケットなのです。
 また、手荷物の引換券は、どうして彼女がチェックインカウンターへ苦労の挙げ句に辿り着いた時に、ついでの忘れ物でもあるかのように渡されたのかも。
 もし、カウンターででたらめな発券がなされていなかったか、あるいは手荷物チェックで見過ごされたまま搭乗していたら、この手荷物券は、我々は貰わずじまいで成田に到着することになります。

 日本人の職員の方は、我々の話を聞いて、非常に冷静な対応をされました。
 まず、インドに来たときの搭乗券を確認したい、とのことでした。なるほど。
 学生は、鞄の中などを探している内に、来たときの搭乗券をeチケットに挟んだままで、パスポートに添えてチェックインカウンターに出したかも知れない、と言い出したのです。

 普通はあり得ないことですが、そういえば、来たときは細長い搭乗券に半券が付いたままの状態で、最後まで手元に残ったのです。このようなことは、ままあります。そのことを思い出し、すでに使用済みの搭乗券が、何かの事情で今日の出発カウンターで渡されたこともあり得るな、と思いました。しかし、とすると、今日発券されたはずの本来の搭乗券は、どうなったのでしょうか。

 日本人職員の方の説明では、挟まれていた使用済みの搭乗券を含む3枚を我々に渡した後、その本来渡すべき今日の搭乗券1枚は、そのままカウンターに残されていたと思われる、とおっしゃるのです。ということは、搭乗券が1枚、出発カウンターのどこかに放置されていたことになります。これでは、あまりにもずさんですし、状況からして少し変です。
 JALの男性は、本当に申し訳ございません、と深々と頭を下げておられます。テレビのワンシーンのような、演技に近い言葉遣いと仕草だったので、この仕事も大変だな、と思いながら、とにかく搭乗を急ぐことにしました。

 半券を千切ってもらって搭乗通路に出たところで、今回2回目にチェックインカウンターで彼女の対応をしたという女性が呼ばれていて、その人と話をすることができました。そこでの確認で、新たなチケットはその方が改めて印字したものであることがわかりました。つまり、置き去りにされたチケットというものは、結局はなかったことが判明しました。

 それにしても、これは異常なことです。
 今回の出来事を整理します。

(1)3人のパスポートを受け取って発券処理をしながら、結局は2枚しか発券されなかった。
(2)手荷物預かり証を渡されなかった。
(3)使用済みで無効の搭乗券が、3箇所でチェックを見過ごされて通過できた。
(4)もし手荷物チェックの係員と搭乗口のチケットのもぎり係が見過ごしたら、その後、今回の席を別の人に発券されてダブルブッキングとならない限り、そのまま彼女は成田で日本に入国できた。

 今回は、最後2箇所での人間の目だけが、無効の搭乗券での搭乗を防ぐ役割を果たしていたことになります。際どいチェックです。最終の搭乗で、機械を通してではなくて、人間が搭乗券の半券を千切る方法だっただけに、本当に間一髪のトラブルでした。

 それにしても、英語のできない学生は、突然にどうなっているのかわからない状態に置かれ、どうしていいのかもわからないパニック状態で、1時間もインディラガンディー空港をさまよったことになります。
 不安と恐怖の時間だったことでしょう。よくぞ、自力で搭乗口までたどりついたことです。

 空港の男性職員の方は、迷惑をかけた学生の鞄を持って、機内の席までお出でになりました。途中、無線電話で自分が機内に入っていることと、ドアを閉めないでほしいという連絡をしておられました。
 念のために名刺をいただくと、「ニューデリー空港所長 K」とありました。肩書きの左には、「Dream Skyward JAL」とあります。学生本人にとっては、まさに「daymare JAL」ということになりました。

 日本航空はどうなっているのでしょうか。
 この帰路では、私も何となくスッキリしないことに出くわしました。
 機内の朝食のときでした。飲み物を配って行かれた方が、私の席は素通りされたのです。
 食事のときに日本茶を飲みたかったのですが、アテンダントの方が通り過ぎてしまわれたので一旦はあきらめました。しかし、ノドが乾いていたので、通りがかりのアテンダントの方に、ドリンクが素通りされたのでもらえなかったことを告げ、改めて食事用に日本茶を頼みました。しかし、結局は食後になっても、日本茶は持って来てはもらえませんでした。パンがノドに支えそうでした。

 今年になってこの1ヶ月足らずのうちに、モンゴル、アメリカ、インドと、3度の海外出張がありました。私は、これまでに、まずJALを優先してきました。しかし、こんな状態のJALには、もう乗りたいとは思わなくなりました。
 また、機内でのアテンダントの方は、今日はあまりにもキリキリとして、額に縦皺でサービスをしておられました。
 足早に通路を歩き、接客時にも、身体は正対せずに、片足は別の方向に体重がかかった状態でした。これは、見ていてみっともない姿です。対応がぞんざいに感じられます
 いつものJALは、どうしたのでしょうか。何か、乗務員にプレッシャーがかけられているのでしょうか。

 もう少し雑談を。
 飛行機がインドの地を離陸し、安定飛行に移ってから、機内食のことで1人のアテンダントの方に相談をしました。それは、ツレの1人が搭乗時のトラブルで疲れ切って元気がないので、配慮をしてほしいということでした。それというのも、チェックインカウンターで彼女もベジタリアン料理をリクエストしたのですが、断られた経緯もあったからです。食事のことは機内で確認してくれ、とのことだったので、そのことを尋ねると、彼女のベジタリアン料理は用意できないとのことでした。
 そこで、私のベジタリアン料理を彼女に回し、私は普通のものにしてほしいとお願いしたのです。すると、申し訳ありませんとおっしゃって、私の希望通りにしてくださることになりました。そして、ご本人様には、お客さまからの依頼で食事を変更することになりましたとお伝えましょうか、とのことだったので、それは言わずに、ベジタリアン料理が用意できたので、ということで対応してほしい旨をお願いしました。
 また、我々の搭乗時に空港職員が鞄を持って同行していたので、どのような事情があったのでしょうか、とも聞かれました。大したことではありませんが、トラブルで気落ちしているので、とだけ説明しました。

 成田への着陸前にドリンクをお願いしたとき、ちょうど搭乗時にベジタリアン料理のことで話をしたアテンダントの方だったので、今回のことを機内の後方でもう少し詳しく聞いてみました。
 今回機内まで来られた空港職員の方の名刺に書かれていた、空港所長というのは、ニューデリーの現地支店長の次のポジションの方なのだそうです。JALなりの誠意を示してくださったようです。というよりも、私が搭乗直前にしつこく係員に詰め寄ったので、何事かと混乱収拾の目的で出てこられたのが実際でしょうが。
 そして、もし出発カウンターで彼女の搭乗券が発券されないまま、その事情を知らずに搭乗した彼女の席に、別の人が偶然来なかった場合にはどうなるかを、アテンダントの方に聞いてみました。すると、鳥肌がたつことですが、と前置きをした上で、成田からそのまま自宅へ帰られることになると思います、とおっしゃいました。
 偶然が重なってのこととはいえ、こんなことになり申し訳ないと、何度もお詫びを繰り返されました。

 あってはならない偶然が、こうして現実に起こったのです。
 学生が、ダブルブッキングにならず、また搭乗券不所持での渡航、という不名誉な扱いを受けなくて良かったと思っています。

 何事にも、あってはならない盲点というものはあるものなですね。
 
 
 

2010年2月14日 (日曜日)

〈第5回 インド日本文学会〉2日目

 今日のプログラムは盛りだくさんです。

 ■研究発表
  ・総合研究大学院大学大学院生2人
   (陳 可冉、佐々木比佐子)
  ・ネルー大学大学院生2人
   (リヤ・シンハ、ダニッシュ・レザ)
  ・マンジュシュリ・チョーハン(ネルー大学・教授)

 ネルー大学の院生の発表の中に、『紫式部日記絵巻』がありました。しかし、残念ながら体調不良で欠席でした。次回に期待しましょう。
 マンジュシュリ先生の発表は、絵解き語りに関するものでした。
 めずらしい楽器や大きな絵を広げての熱演でした。まさに、今回のテーマである「文学と絵画」にふさわしい、すばらしい内容でした。この報告は、日本でもやってもらいたいと思います。
 
 
 
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 国際交流基金の前で、みんなで立食形式の昼食をいただきました。
 その後、大学院生の研究報告です。

 ■研究報告
  ・デリー大学大学院生5人
   (ムクラ、バラン、カニカ、プラマド、アビナッシュ)
  ・ネルー大学大学院生5人
   (サンチット、シャリニ、ラフル、ワルン、マニシャ)

 シャリニさんとラフル君は、共に南インドのケーララ州出身とのことだったので、マラヤラム語訳『源氏物語』を探してもらうことにしました。
 インドにおける『源氏物語』の翻訳は、8種類の言語で出版されたことが確認できています。
 先日、オリヤー語訳『源氏物語』の確認がサヒタヤ・アカデミーでとれたので、入手のお願いをしているところです。残るところ、マラヤラム語訳だけとなりました。あと一歩です。

 午後5時前にティーブレークとし、最後は今回のテーマに沿ったパネルディスカッションです。
 
 
 
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 私の横から、シバ教授(ネルー大学)、ガングリー教授(ネルー大学)、そして今西館長(国文学研究資料館)です。
 シバ先生は、メリハリの利いた英語で身振り手振りの熱演でした。ガングリー先生は、うまく間を取って問いかけるスタイルの英語でした。ただし、お2人共にあまりにも内容が難しくて、アニタ・カンナ先生に通訳をお願いして、どうにか理解できました。
 予感的中で、長々と終わりそうにありません。そんな時、アニタ先生が「kindly sum up」と書いた紙を私に手渡して助け船を出してくださいました。
 ソッと熱弁中の先生のマイクの横に置きました。一つ英語を覚えました。
 今西先生は、2日間を総括する中で、ご自身の「文学と絵画」に関するお考えを語ってくださいました。
 存在感のある大御所3人の先生方のお話だけに、ディスカッションがどうなるのか不安でした。しかし、英語での発表が共に時間をオーバーしたこともあり、終了後のレセプションが待ちきれないということを勝手に理由として述べ、会場の参加者との討議は国際交流基金の前庭でのレセプションの場で、ということでひとまずは逃げさせていただきました。

 準備不足で、どうなることやらと気がかりなインド入りでした。しかし、みなさんの協力を得て、今年もどうにか充実した〈インド日本文学会〉となりました。
 参加されたみなさま、ありがとうございました。毎度のことですが、次回は早めのプログラム作りとイベントなどの準備をしたいものです。

 次回の〈第6回 インド日本文学会〉は、今年の11月6日(土)7日(日)を候補として考えています。テーマは「文学と乗り物」です。場所は、今回と同じ国際交流基金・ニューデリー日本文化センターです。
 帰国後、参加者や日程を調整して、詳細を詰めたいと思います。

 国際交流基金とネルー大学、デリー大学のみなさんのおかげで、たくさんの出会いの場となったことに感謝しています。
 ありがとうございました。
 
 
 

6年ぶりにインドで再会

 早朝、国際交流基金へ行くために乗るオートリキシャとの値段の交渉に、とにかく手間取りました。
 
 
 
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 いつものことですが、近いところなのに、運転手は高額を要求します。
 最初はとんでもない運転手で、300ルピーからスタートです。こちらは、15前後しか考えていないので、それ以外はすべて拒否です。5台目で、やっと20で解決です。時間がないので妥協しました。
 現在のレートは、1ルピーが2円くらいなので、10円程度の違いです。しかし、つい頑張って張り合ってしまいます。
 運転手には、地図が読めず、文字もよくわからない人がよくいます。免許証すら、持っているのか怪しいモノですが、今は措きます。
 今日も、最初に運転手に道順を説明しました。しかし、場所をまったく知らない運転手だったので、道々、走るコースには注意していました。フッと気を抜いた瞬間に、まったく違う方向に向かって走っています。大急ぎで止めて、正しい方向を教え、それからは、左へ曲がれ、右へ曲がれと指示を出し、最後はストレートと連発して、どうにか到着しました。
 本当に、デリーの中の移動には疲れます。

 6年前に私がデリーに滞在していたとき、いろいろなお話を聞いた奈良県立大学の先生に、なんと宿で再会しました。しばし、思い出話です。
 今回は、バングラディッシュからインドへ回って来られたとのことです。文化人類学者で、今は観光をテーマにした研究をなさっているようです。南アジアの観光問題も、おもしろいテーマだと思います。
 6年前は、今は北海道大学で大活躍中の中島岳志君と意気投合して、デリー各地を2ヶ月にわたって歩き回りました。連日、隈なくといっていいほど、彼の現地調査について回ったものです。それこそ、政治組織からスラムの中の学校まで。
 今も、あの時に彼から学んだインドの歩き方を実践しています。オートリキシャとの値段交渉に始まり、デリー市街を歩くのも、すべて中島師匠直伝のものです。

 夜、いつものように宿の前のジュース屋さんに行きました。今日も、おじさんはいません。どうしたんでしょう。
 ジュースを飲み終わるころ、今日も新鮮な果物をたくさんくれました。今度は、最初からアルミの皿に盛ってあります。爪楊枝がなかったので聞くと、近所の店からフォークを借りてきてくれました。
 
 
 
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 フレッシュな果物です。連日の疲れがとれます。
 食べ終わってお皿を返すと、そのお皿を私の目の前でポィと下に捨てるのです。これには驚きました。
 
 
 
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 木の葉で作ったお皿ならまだしも、自然に帰らない金属のお皿を、無造作にポイ捨てする習慣が、まだ私には理解できません。食器の素材が植物だったころの、自然に腐って行くものを使っていた時代の感覚なのでしょう。生活環境の変化に関する意識と共に、まだまだこの国は問題をたんさん抱えているようです。

 宿への帰り道に、今日も公園で結婚式の披露宴がありました。
 
 
 
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 一昨日とは違う飾りつけです。
 会場の中央にビールのオブジェがあります。しかし、ここではお酒は出ません。
 
 
 
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 せっかくなので、今日もコーヒーをいただきました。
 縁もゆかりもなさそうな子どもが、会場内にはたくさんいました。
 なかなか不思議な、そして興味深い文化が、デリーのそこここに点在しています。魅力に溢れた街です。
 
 
 

2010年2月13日 (土曜日)

第5回〈インド日本文学会〉の初日

 午後2時から、国際交流基金のニューデリー日本文化センターのホールをお借りして、先生方の研究発表がありました。
 今年のテーマは「文学と絵画」です。
 
 
 
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 日本側からは、まず今西祐一郎・国文学研究資料館館長の「平安女流文学の形成と「仮名」」と題する基調講演がありました。
 次に、私の「源氏絵の索引試案」、そして江戸英雄先生の「源氏物語画帖の場面と規範」です。共に源氏絵を取り上げての発表でした。

 今回の目玉は、研究発表に加えて、会場の壁側で行った日本の古典籍の展示です。
 
 
 
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 ネルー大学の外国語学部長も、熱心に見ておられました。
 
 
 
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 日本の古典籍は、さまざまな形で今に伝えられています。その実体を少しでも知ってもらおうというのが、今回の展示の主眼です。
 そこで、代表的な「巻子本」「画帖」「冊子本」など12種類を、複製本を通して実際に触ってもらうことで、原本の風合いを親しんでもらうことにしました。
 参加者に自由に繙いてもらいながら、今から千年前に読まれた日本の本の実態を、この機会に実感してもらおう、ということです。

 今回インドに持参した作品は、以下の12点です。
 (1)国宝『源氏物語絵巻』五島本(巻子)
 (2)国宝『紫式部日記絵詞』五島本(巻子)
 (3)徳川本『源氏物語画帖』(折本)
 (4)尊経閣本『源氏物語』・柏木(冊子)
 (5)中山本『源氏物語』・若紫(冊子)
 (6)『浄土三部経』(巻子)
 (7)筋切・通切『古今和歌集』(巻子)
 (8)塗籠本『伊勢物語』(冊子)
 (9)蓬左文庫蔵『大和物語』(冊子)
 (11)梅沢記念館蔵『無名抄』(冊子)
 (12)宮内庁書陵部蔵『閑吟集』(冊子)
 (13)『田舎織糸線狭衣』(冊子)

 みなさん、活字本でしか知らない日本の作品の原本の姿を、こうして自分が手にして見られることに、感動があったことと思われます。
 この試みは、今後とも続けて行きたいと思っています。

 会場で、インドで翻訳などの研究をしておられる菊池智子さんから、最近刊行されたご著書『紅葉の色 秋の詩』をいただきました。
 
 
 
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 これは、菊池さん、ラージ・ブッディラージャーさん、高倉嘉男さんとの共著です。在インド日本大使館と国際交流基金ニューデリー事務所の協賛を得て、ヴァニプラカシャン社から刊行されたものです。
 ここには、『万葉集』に始まり、『古今和歌集』、『源氏物語』、『後拾遺和歌集』、そして現代に至る詩歌から秋の詩歌を選び、それをヒンディー語に翻訳したものです。
 『源氏物語』については4首が採録されています。
 
 
 
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 実は、すでに早くに菊池さんから問い合わせを受けていて、少し資料を送って差し上げたことがありました。これは、日本の文化をインドのみなさんにわかってもらう上で、とてもいい本だと思います。

 今回も、充実した学会の初日となりました。
 少し厳しい議論に展開しそうになったことは、明日のパネルディスカッションで掘り下げたいと思ます。
 
 
 

2010年2月12日 (金曜日)

インドの日本語日本文学の教育現場で

 今日は、デリー大学とネルー大学へ挨拶に行くため、ニューデリーを北の端から南の端まで縦断します。普通、こんな強行軍は避けるところですが、車をフルに活用して敢行しました。

 早朝、リングロードを使ってヤムナー川沿いを北上します。
 途中、ニューチベタンコロニーに立ち寄りました。中国の圧政に耐えかね、チベットから脱出してきた人々が住む地域です。
 チベット寺院をお参りし、狭い路地を散策して、河原に出ました。
 
 
 
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 日本の昭和30年代の風景が広がっています。
 最近は、デリー市街から追い出された牛が、ここにはいました。
 川向こうからは、たくさんの人々が自転車やオートバイで市内に入ってきています。
 中洲に降りたところ、1人の行者さんらしき人が寝ておられました。修行中なのでしょうか。
 
 
 
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 デリー大学では、ちょうど授業時間中だったこともあり、ウニタ先生とラマ先生にご挨拶をして辞することにしました。すると、すぐに学科長がお越しになり、来訪の目的など少しお話をしました。中国のご出身の方でした。デリー大学からは、私のところに国費留学生を預かっているので、今後のこともいろいろとお話しできました。
 中国と韓国は、国策としてでもあるのでしょうが、海外での学習者が急増しています。デリー大学でも、数年前からその勢いが止まりません。方や日本はと言うと、国としての努力はほとんど目に見える形ではなされていないので、学習者が減りはしませんが、中国と韓国の勢いには圧倒されているようです。
 どこの国に行っても、日本の無策により現地の現場が肩身の狭い思いをしておられることは、しばしば目にするところです。このインドでの日本語学習者への日本国の支援は、中国と韓国に押されて、ぶざまなことです。特に、この5年の間の日本の凋落ぶりは、目を覆うばかりです。
 私などが口にすることではないのでしょうが、何か手を打つことはできないのでしょうか。見るに見かねて、というのは僭越ですが、私としては〈インド日本文学会〉などの学術交流を通して、少しでもお役に立てればと思っています。今回は第5回となりました。これを細々と続ける以外に、私にできることはないのです。
 日本の政治家の方は、こんな教育現場にも足を踏み入れてもいいのではないでしょうか。
 結局は何もしないとしても、1人でも多くの方が、こうして日本が日本語教育の現場で、中国と韓国にどんどん引き離されていく現実を自分の目で見ることは、心に何かが残るはずです。
 国際交流基金の努力は、もっと評価すべきです。しかし、予算削減が急務とされる日本で、現地のみなさんは本当にお気の毒なほどの、努力に報われない苦労をなさっています。いろいろな事情があるにせよ、国としていいことは何もないと思います。

 大学院の修士課程の学生さんたちと、お茶を飲みながら『百人一首』などの話をし、質問に答えたりしました。海外で日本の古典文学に耳を傾けてもらえるところは、本当に減ってしまいました。日本においてすでに、文学はもちろんのこと、ましてや古典文学離れの傾向が顕著なので、海外においては当然のことでしょう。現代語で読める日本の文章しか、もう扱ってはもらえません。古典は、ほんの一握りの先生のもとで勉強する人に限られてきています。

 ネルー大学を目指して南下する途中で、シーク教の寺院であるバングラ・サーヒブに立ち寄りました。
 
 
 
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 この寺院は、入るときにあらかじめ頭にスカーフを巻いてもらい、裸足でお参りをします。フッと運転手さんを見ると、なんとご自分用の黄色いスカーフをサッサと巻いておられました。
 この寺院に立ち寄ることは、デリー大学を出てから、走りながら時間などを考えて行くと決めたので、打ち合わせがあってのことではありません。どうやら、この運転手さんはこの寺院に理解のある方のようです。頭にターバンを巻いたシークの方ではなかったので、マイスカーフをご持参の運転手さんに出会えたのは、本当に意外でした。

 池のそばで遊んでいた子どもが、ふざけて友達を突き落としたようです。
 
 
 
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 いずこも、子どもたちは元気です。

 さらに南下を続け、ネルー大学の近くのグリーンパークの中にあるハウズカズという、いわば新しい芸術村に寄りました。
 ここには、古本屋さんが三軒ほどあります。数年前はもっとあったのですが、近年とみに閉店が続いています。また、日本に関係する本も、もう店の片隅に見かけることもなくなりました。しかし、何かあるのでは、との多少の期待も込めて寄ったのです。今日も何もありませんでしたが。

 その一角の奥には、まさに映画に使える、私自身にとってもとっておきの場所があります。
 これから観光地にしていくつもりなのか、昨年辺りから整備に着手したようです。
 
 
 
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 ネルー大学では、学部長との面談が設定されました。
 今回も、アニタ・カンナ先生が同時通訳です。
 
 
 
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 学部長は、ロシアの研究者でした。
 ここでも、日本語学習者への日本の無策ぶりが露呈しました。中国や韓国の勢いが、日本語日本文学に関係する先生たちの存在を危うくしているのです。
 学部長は、日本に対する思いやりの言葉を使っておられました。しかし、中国と韓国がインドの教育現場に与えている影響力は、日本の対応ぶりと比べると、日本への慰めの言葉が身にしみます。もう、先生方の努力だけでは報われない、日本という国としての教育現場への対処の貧困さが、中国と韓国の力と反比例するかのように炙り出されます。
 これは、真剣に検討する課題です。日本が落下を続ける現状は、もう止めようがないにしても、なにがしかの対処策は示す必要はあります。そうでないと、現場の先生方はやりきれないと思います。
 今年、ネルー大学からの国費留学生として私がお預かりしているのは、近松門左衛門の歌舞伎を研究する若者です。古典を勉強する学生は、本当に貴重です。学生本人は悩みながら苦労をしていますが、こちらとしてはアドバイスのしがいはあります。昨年末も、出雲を訪れた時に報告としてのブログを書いたのは、折を見て支援をしている一環のものでした。

 いろいろなことを聞き、見た一日でした。
 夜は、国際交流基金のスタッフのみなさんと会食をする中で、さらに深刻な問題を伺いました。
 明るい話題が見あたらなかった中で、ワインのラベルの「さとり」という日本語が認知されていることがわかりました。
 
 
 
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 さすが、仏教発祥の地です。
 このようなささやかな所から、日本語というものの認識を広めていくしかないのでしょうか。
 ありまにも寂しい話なので、今日はこの辺で。
 
 
 

2010年2月11日 (木曜日)

結婚披露会場に立ち寄ってコーヒーを飲む

午前中は、インドの歴史と文化を勉強しました。

 まずは、世界遺産になっているフマユーン廟へ行きました。
 インド人の入場料が10ルピーのところを、外国人は25倍の250ルピーです。最近は、こうした差を設ける観光施設が増えました。

 古い壁に真っ赤な花が映えています。
 
 
 
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 フマユーン廟は、タージマハールの原型ともいえるものです。真っ白なタージマハールよりも、ここの色合いが気に入っています。
 
 
 
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 敷地の中で、壁面に嵌め込む石材の加工作業が進んでいました。
 漆喰のようなものを混ぜています。
 
 
 
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 その近くでは、赤い石にみんなで彫り物をしていました。ダラダラとしゃべりながら、いつ終わるとも知れない根気のいる作業です。
 
 
 
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 ここのリスは、人によく懐いていました。
 
 
 
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 北上して、スンダルナガルマーケットで骨董品と紅茶を物色し、さらに北上してクラフトミュージアムへ行きました。
 ミュージアムは国立ということもあってか、昨年の3月までは入場無料でした。しかし、今回は150ルピーになっていました。いろいろと事情があるのでしょう。大英博物館やナショナルギャラリーなどは、今でも無料ですが…。
 ここは、インドの地方文化が実物を通してわかって、非常におもしろいところです。
 物産品の対面販売も、楽しみの一つです。

 一旦宿に戻り、アニタ・カンナ先生と明後日の学会の打ち合わせをし、ご一緒にサヒタヤ・アカデミーへ行きました。
 
 
 
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 そこで責任者の方と、今後の共同研究の話などをしました。
 今西館長と私の日本語の通訳は、アニタ・カンナ先生です。
 
 
 
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 中でも、『源氏物語』のダイジェスト版である『おさな源氏』のインド各語訳を作成するプロジェクトの話は、実現性の高いものとして大きな収穫でした。

 一昨年まで学会の会場として利用させていただいていたホールが、取り壊しになっていました。懐かしい場所なので、このような無残な姿は残念です。しかし、新装なったホールも楽しみです。
 
 
 
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 一時間半ほど会談をした後、さらに国際交流基金へ行き、今回の学会開催の支援や、今後のことについて所長とお話をしました。

 遠藤所長と有田さんとは、今後の交流について、ざっくばらんに話し合うことが出来ました。
 日本文学を通した国際文化交流には、難問が山積しています。しかし、とにかく今の活動を継続することで、お互いの意志の疎通を図る中で、インドの動向を見ていくしかありません。
 文学が直面している厳しい現実は、日本もインドも同じ根にあります。若者が就職できない、研究や事業に予算がつかない、それでいて毎年の成果が数値として要求される、などなど。明るい見通しがまったくない中、今は〈インド日本文学会〉をとにかく続ける中で模索していくしかありません。
 文学研究を通しての国際文化交流は、理解してもらえる機関や人がいるうちに、いろいろなイベントとして取り組んでいくもつりです。
 今回は、研究発表に加えて、「日本の古典籍」としての巻子本・画帖・冊子本などを、複製本ではありますが持参して展示解説をします。そして、直接そのモノに触ってもらうのは、現代だけではない古典というものへの理解を求めての企画です。展示解説は初めてのことなので、その説明文に漢字が多くて難しいものになったかもしれません。回数を重ねる中で、反応を見ながら改善して行けたら、と思っています。
 何事も、「まずはやってみる」という気持ちで取り組んでいます。

 いつものように、食後に宿舎であるお寺の近所にあるジュース屋さんへ行きました。
 いつもは、夜の9時過ぎには、おじさんがいたことが多いように思います。しかし、楽しみにしていたおじさんは今日もいませんでした。
 そのことを知ってか知らずか、飲み終わった頃に、お兄さんが果物や野菜の盛り合わせをドッリとサービスしてくれました。隣の店のお兄さんが、どうしたことか、その果物を受けるプレートをくれました。おまけに、爪楊枝も。どうやら私は、よく来る変な日本人になったようです。

 そんな時に、大きな花火の音がしました。
 今日、街中で白馬の馬車を何台も見かけたので、結婚式であることはわかっていました。それが、宿のすぐ近くの公園であるのです。
 
 
 
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 これまでに何度も行っています。2月と10月に多かったように思います。一般にも自由に食事が振る舞われるので、公園を借り切っての臨時の披露宴会場で、いろいろとつまみ食いするのも楽しみの一つです。
 
 
 
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 今日は、食後だったこともあり、コーヒーだけでしたが、チャッカリといただきました。
 
 
 

2010年2月10日 (水曜日)

急遽ベジタリアンになる

 飛行機の機内食は、カロリーが高いせいか、いつも体調を崩しがちです。そこで、今回はベジタリアンの食事を搭乗前にカウンターでリクエストしました。

 離陸一時間後、最初の食事は、いつものチキンとかビーフではなくて、マッシュポテトとチーズの料理でした。これなら、食材のことを気にせずに食べられます。野菜サラダと果物もあり、あっさりと食べることができました。

 インド到着前の食事は、チーズと野菜のサンドイッチでした。しかし、周りの人たちは、ちらし寿司です。しまった、と思いました。お寿司なら、それにするんだったと後悔しても、もう始まりません。いまさら変更するわけにもいかず、惜しい思いの中で、サンドイッチを口にしました。周りの人たちの、海老やシイタケがおいしそうでした。

 インドの地を踏むと、いつもながら土の香りがします。懐かしい香りです。
 
 
 
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 定宿となったワールド・ブッディスト・センターのみんなも、元気でした。
 いつも行くジュース屋のおじさんは、今日はいませんでした。お兄さんも私のことを覚えていてくれたようで、ニッコリと笑ってくれました。久しぶりのザクロジュースです。

 ちょうど1年ぶりですが、何も変わっていません。気持ちが落ち着きます。
 今回は、大東文化大学の院生が、音楽の調査研究で止宿していました。いろいろと楽しい話を聞くことができました。

 ネルー大学のアニタ・カンナ先生に電話をし、明日の予定を相談しました。
 時差が3時間半なので、体調にはあまり影響しないはずです。しかし、また本復していないこともあるのでしょうか、気怠さは抜け切れていません。これからの慌ただしい日々の中で、うまく調整します。
 また、充実した日々が送れそうです。


お寿司にありついて日本出国

 今回のインド行きは、5人を案内しての旅です。
 国文学研究資料館の館長は、昨秋ご一緒に英国ケンブリッジに行っているので、旅の心得はよく知り合っています。
 後は、同僚一人と大学院大学の学生2人を引率しての旅です。調査・研究・研究発表・学生指導・文化交流などなど、たくさんの使命を背負っての旅となりました。
 とにかく、みなさんが無事に帰国でき、またもう一度インドへ行きたいと思ってもらえたら、私の役目としては大成功です。

 今回は、みんな海外渡航の経験のあるメンバーなので、集合は搭乗手続きをするチェックインカウンターではなくて、すべての手続きを終えた搭乗ゲートにしました。その方が、気楽に空港での待ち時間を使えます。

 チェックインを終えて出国しようとした時、偶然にかつて指導を受けたことのある先輩と鉢合わせしました。広い日本でこんな出会いがあるのです。出世頭でもあった先輩は、今やファーストクラスの旅行者です。お言葉に甘えて、帯同者ということでいつもとは別の場所で手荷物検査を受け、日本を出国しました。そして、ファーストクラスのラウンジへも、一緒に連れて行ってもらえました。
 ラウンジでは、軽食などが自由に食べられるのです。朝食がまだだったので、さっそくお寿司をもらいました。
 昨夜は、しばらく日本を離れるので、そしてインドには回転寿司屋がないので、しばしの別れということで、たらふくお寿司を食べました。それが、なんと今日の出国時にも、大好物のお寿司を口にすることができたのです。ただし、マグロやハマチなどの生ものはなく、穴子や海老、そして玉子と巻き寿司などでした。それでも、おいしくいただけました。
 おまけに、無線のインターネットも自由に使えるのです。宿舎から成田までの珍道中の様子書いていたので、早速それをブログにアップしました。

 旅に出ると、いろいろなことがあるものです。悲喜こもごもの待ち受ける旅は、その一つ一つに対処しようとするせいもあってか、脳みそを柔らかくしてくれます。特にインドは、刺激的な一方、不可解なことに遭遇することが多い国です。
 今回も仕事の合間に、たくさんのものを見たり聞いたりしたいと思っています。
 
 
 

2010年2月 9日 (火曜日)

またも珍妙な成田行き

 早朝に目覚め、早々に成田を目指して出発です。

 高校の教員をしていた頃、「5分前集合」を生徒たちに呼びかけていました。今も、ときどき、あのころの習慣が目覚めます。今日も、あらかじめネットで調べておいた経路の5分前に行動開始です。

 昨日、妻からゆうパックで届いた、差し入れの秘密のドリンクをグッと飲み干し、気怠い身体を叱咤激励してのスタートです。

 地下鉄の駅までいつものキャリーバッグを引っ張り、いいタイミングで来た電車に乗りました。ところが、これは当初の乗換駅の一つ手前で別の線に乗り入れする列車でした。今日は、いつもよりも320円安くて、しかもいつものように1回だけの乗り換えで行ける経済的な経路にしたはずなのに、少し早く行動したために一本早い電車に乗り、かえって面倒な行き方になったようです。

 しかも、それが快速だったために、しばらく走ってから慌てて降りようとしたところ、最後尾にいたことが幸いしてか、車掌さんからもう一つ先の駅で乗り換えた方が早いですよ、との親切なアドバイスをもらいました。ありがとうございます。
 確かに、たくさんの駅を通過して行きます。
 教えてもらった通りの突然の乗り換え駅は、本来乗り換えるはずの一つ手前の駅でした。しかも、エスカレーターのない階段を上がって、さらに改札を通り、そしてまたエスカレーターのない階段を下ります。もう一本後の電車だったらやらなくてもよかった重たい思いを、何かの罰ゲームのようにして課せられます。

 当初の乗換駅にやっと着いたところ、予定よりも15分も早いので、しんどい思いをしたけれど良かった良かったと安堵しました。しかし、次に成田へ行く電車に乗るためには、この駅で15分も待つことがわかりました。

 あらかじめ印刷しておいた紙を見ると、本来予定していた経路で来ても、これから乗る電車に接続しているのです。しかも、この駅まで直通で来られ、さらには乗り換え時間のロスが2分と、非常に効率的な時間配分となっています。

 これも「あり」だと思い直して、缶コーヒーを飲みながらこの文章を書いています。

 インドのみなさんへのお土産をたくさん詰め込んだバッグを引きずりながら、こうしてまた順列組み合わせのゲームをしながら、成田へ向かうことになりました。
 我が宿舎から成田への経路は、便利な所にいるだけあって、たくさんの選択肢があります。
 こうなったら、いろいろなパターンを楽しむことにします。料金も、1010円から3160円と、バラエティーに富んでいます。いずれも90分ほどなので、楽しく乗り継げそうです。
 
 
 

2010年1月31日 (日曜日)

新聞が廃止になった帰路のANA

 海外から帰りの飛行機での楽しみは、日本の新聞を読むことです。

 搭乗口から機内に身体を入れるが早いか、いつものようにアテンダントの方に、新聞はありますか、と聞きました。ところが、その反応が曖昧なのです。
 朝日新聞はありますか、と聞くと、この飛行機には乗せていない、という返答でした。さらに聞き返すと、新聞はもうありません、と言われるのです。それでは、後で持ってきてもらえませんか、と言って、座席番号を記した半券をみせましたが、新聞はありません、と仰るだけです。

 しかたがないので、諦めて自分の席に向かいました。しかし、どうも不審な対応だったので、さらに奥へ入ったところにいらっしゃったアテンダントの方に、また、朝日新聞はありますか、と聞きました。すると、今月の5日から、機内での新聞の閲覧はエコノミークラス分は廃止になった、とのことでした。ビジネスやファーストクラスでは、このサービスはあるのでしょうか。

 日本を離れ、しばらくニュースに接していないと、帰路の飛行機で読む日本語の新聞は楽しみの1つです。倒産したJALならともかく、ANAも新聞あたりから整理に入ったのでしょうか。
 新聞を用意するくらいのサービスは、今後も続けてもいいのではないでしょうか。

 ANAは、国内線でのドリンクサービスは、お茶と水だけにして、ジュースやコーヒーなどは有料にするそうです。経営危機はわかります。たいへんなのでしょう。しかし、国際線での帰国便の日本語の新聞は、ドリンクとは質がちがうと思います。これまでも、回し読みしていたのですから。

 再考を願いたいと思います。
 
 
 

2010年1月30日 (土曜日)

ワシントンの中の日本

 宿泊先のホテルの近くに、銀座というお店がありました。
 
 
 
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 議会図書館への往復だけで終わったアメリカ滞在だったので、この店の開店時間に行くことができませんでした。
 ウインドーを見る限りでは、日本らしさが感じられるグッズを売っているようです。
 またの機会があれば、どのようなものを日本的なものとして陳列しているのか、日本の見られ方を知るためにも、立ち寄ってみたいと思います。

 結局、今回の旅では、おみやげは何一つ買いませんでした。お菓子なども、まったく買う気にならず、議会図書館のグッズにも触手が動きませんでした。すべてが陳腐に見えたのです。
 1507年に、初めて地図にアメリカと記されたそうです。その地図でもあればよかったのですが、見つけることができませんでした。いつかまた、ということにしておきます。

 帰りのダラス空港でのセキュリティーチエックは、思ったよりも簡単でした。ただし、空港内の表示が少なくて、聞きながらでしか搭乗ゲートへは行けません。首都ということもあるのでしょうか、旅行客を大事にしていないと思いました。自分達の殻に閉じこもったワシントン、というものが見えました。

 最後に一つだけ朗報が。
 搭乗ゲートの近くに、お寿司屋さんがあったのです。
 案内の表示を見て、思いがけないサプライズに嬉しくなりましました。
 
 
 
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 大急ぎで行くと、まだシャッターが降りています。
 
 
 
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 中の人に聞くと、あと30分で開店だとのこと。
 たまたま近くに、サービスの電器コンセントがある休憩所があったので、そこでパソコンを使っていろいろな資料の整理をして、時間を潰しました。

 時間になったので、またお寿司屋さんへと急ぎました。
 カウンターで食べるようです。
 
 
 
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 ここも、食べたいもののリストにチェックを入れて、おじさんに渡します。このメニューの単語には、間違いのスペルはありませんでした。
 ここでも、店の人は中国人でした。
 世界各国で感じることですが、日本人はお寿司を提供する立場から遠離ってしまったようです。日本人が高級な寿司をありがたがっているうちに、こうして日本人ではない人たちが商売にしているのです。
 海外のお寿司の市場は、完全に日本人抜きで成り立っていることを痛感します。本当に、寂しいことです。
 さて、出てきた握りは、酢飯の味と固さといい、味といい、なかなかいいものでした。
 
 
 
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 お寿司が日本の伝統的な食べものであることは、海外ではもう犬の遠吠えに近い状況になってきました。私は、残念に思いますが、それも仕方のないことです。日本人が、高級さに目が眩んだための、当然の帰結だと思います。
 韓国の方が、寿司は韓国のものを日本人がマネをしている、と声高にネット上で叫んでおられることに、もう日本人は反論する勇気をなくしています。
 理不尽にも、海外ではお寿司が韓国の食べ物だとされていくことに、悔しさを感じます。
 しかし、この流れは、もうどうしようもないことなので、一人静かにお寿司を見つけては食べ歩くことにします。
 
 
 

2010年1月29日 (金曜日)

米国議会図書館での調査

 朝8時半には、厳しいチェックを経て議会図書館に入ります。
 
 
 
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 少し早く着いたので、すぐ前の議事堂の前を散策しました。
 
 
 
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 ギリシャ風の建物です。ただし、私は真ん中の丸い塔のような部分が好きになれません。ここには、四角い構造物を置いてほしいものです。

 お昼を議会図書館の中で食べ、閲覧最終の午後4時45分に調査対象である54冊の『源氏物語』をカウンターに返却する、という8時間15分ビッチリの古典籍調査の3日間です。

 調査に没頭する姿を見て、図書館のNさんが息抜きをさせてくださいました。館内の見物です。ここは、たくさんの方がツアーの一環として訪れるところでもあります。

 図書館の中は、非常に豪華な造りでした。
 
 
 
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 調査にあたっての当初の議会図書館との打ち合わせでは、写本の写真撮影は研究の上で必要な箇所数枚くらいなら、ということでした。ただし、詳細はその時に相談して判断する、ということになっていました。しかし、今回の調査の内容とその意義を理解していただき、54巻全巻の撮影をしても構わない、ということになりました。ありがたいことです。
 早速調査方針と内容を検討し直し、写本に書かれている本文の翻刻を中心にした作業から、原本を写真撮影することにウエイトを置くことに切り替えました。

 いい写真を撮るためには、どうしても撮影用の三脚が必要です。図書館の近くにカメラ屋さんがないかを尋ねると、少し離れたところの店に三脚も置いてあることがわかりました。
 すぐにタクシーを飛ばして市街へ行き、カメラ屋さんで入手し、待たせていたタクシーでとんぼ返りをしました。
 ここで不愉快なことがありました。
 タクシーを降りるときに、メーターの通りに13ドルを渡しました。しかし、運転手さんは17ドルだと言うのです。ここがインドならば、1ルピー(3円)でも不当な請求には断固戦うのですが、いかんせん、今は1枚でも多くの写真撮影がしたいので、時間が貴重なのです。口論をするのも無駄なので、20ドル紙幣を渡しました。すると、おつりを2ドルしか渡してくれません。チップのつもりなのでしょう。腹が立ちました。しかし、とにかく写真撮影が最優先なので、顔も見ずにタクシーを降りました。まったく、人の弱みにつけこんで……。

 撮影は快調に進みました。ただし、三脚の頭に取り付けるアタッチメントをなくしてしまい、3日目の最終日は持参していたマジックテープのベルトでカメラを三脚に固定して使いました。

 3日間で撮影した写真は、今はまだ整理中ですが、5千枚を越しています。
 写本は、鳥の子紙に書写されています。それも、しっかりとした紙で、捲るときにパリパリと音をたてる程です。本の背中を守るためにも見開きでの撮影が難しいと判断し、V字にして片面の半丁ずつを撮影しました。したがって、シャッターを切る回数も2倍となりました。つまり、1万回以上はシャッターを押したことになります。
 今回の調査は、6人で実施しました。手分けして流れ作業のように、チームワークよく進めることができました。
 古写本の撮影に関しては、最後に議会図書館側から提示された書類にサインをして、無事に終了です。

 的確な判断の下、研究者である我々に対する最善の処置を講じてくださった米国議会図書館のアジア部のみなさま、中原さん、伊東さん、PIPHERさん、そしてカタログ部のROGERSONさんには、篤くお礼を申し上げます。また、わざわざご挨拶においでになったアジア部のYOUNG部長の有り難いご理解にも感謝いたします。
 今回の成果は、今年中には報告書として公開できるはずです。

 図書館の司書の方々からは、1人でも多くの方がこちら米国に来て、この本を活用してほしい、とおっしゃっていました。
 この本は、書写された本文はもちろんのこと、写本そのものの形状や現状からわかる、書写された背景にある文化的な事象も、大変おもしろいものを内包しています。その意味では、大変貴重な『源氏物語』の古写本だといえるでしょう。書かれた『源氏物語』を通して、写された時代と環境、そしてその背景をなす文化が垣間見える写本です。

 一人でも多くの方に、この本を手にして、その中身と背景にあるものを調査し、研究してほしいと願っています。
 
 
 

ワシントンのお寿司(3)

 駅の長〜いエスカレーターを上がったところに、だだっ広いスタンドバーのようなお店があります。
 
 
 
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 その一角が、お寿司のコーナーになっていました。
 細長い注文用紙に、自分がほしい寿司の数を記入します。
 
 
 
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 「Crab Stick(Kani Kama)」から始まり、53種類の注文が出来ます。
 中には怪しいスペルのものが散見します。

 「Flying Fish Roe(Tabiko)」は、「(Tobiko)飛び子」?
 「Smoked Salmon(Sake no kansai)」は、「(Sake no kunsei)鮭の燻製」?
 「Tilapia(izumidia)」は、「(izumidai)イズミ鯛」?
 「Shrimp(Edi)」は、「(Ebi)海老」?

 日本語と日本文化は正しく伝えたいものです。
 注文した握りが出来ると、中国人のお兄さんが握った魚のなまえを叫んで呼んでくれます。
 
 
 
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 しっかり握ってあります。鮮度はいいようです。酢飯は少し固めでしたが、おいしく食べられました。
 ここなら、自由に入ってサッと食べて、すぐに帰れます。
 この地に根付いてほしいと思います。
 ただし、いつでも違うコーナーに変更できるように、簡単な陳列セットでお寿司コーナーが確保されていたことが心配です。お客が来なくなったら、すぐに違うものを出すコーナーになりそうで……。
 その意味では、もっと工夫をしないと、飽きられてしまうでしょう。先行きが不安なお店でした。
 
 
 

面倒な地下鉄の乗り方

 朝、ホテルの部屋から外を見ると、朝日が昇るところでした。
 
 
 
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 今回は、マイナス14時間の時差なので、自分で体内時計の調整をすることを諦めました。なるようになれ、という考え方です。案の定、眠れない毎日で、夜中の3時には確実に自分の仕事をしていました。睡眠調整を意識的にしないようにしたアメリカ滞在です。短い旅なので、これでいいはずです。

 議会図書館へ行くためには、地下鉄を使いました。地上からは、長いエスカレーターでホーム階まで降ります。
 
 
 
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 ここでの切符の買い方はとても面倒です。合理主義が徹底しているはずのアメリカで、なぜこんな手の込んだ、非合理的なシステムで電車の切符を売るのか、よくわかりませんでした。定期やカードを持っていない観光客には、いやがらせのようなシステムです。
 
 
 
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 1でお金を入れ、2であらかじめ調べておいた目的地までの料金を+と−のボタンを押して決めます。この設定が、日本の合理的なシステムに慣れた者には、なかなか難しいところです。
 自分で、タンブラー型のボタンを使って表示される数字を見ながらアップダウンさせて確定するまでが、ありまにも人間的な操作を求められます。しかし、ここで人間の能力を問われても困ります。こんなところで、職業訓練テストを受けているのではないのですから。どうでもいいので、3のボタンを押して発券します。この3のボタンがない機械があるので、3のボタンを探してあわててキャンセルすることもあります。使い残しの金額は、後で追加して使えます。この点は親切なのですが、とにかくわかりにくいシステムでした。

 また、切符を手に入れても、改札口の読み取り機械の性能があきれる程にお粗末で、何度も読み取りミスのために駅員さんのお世話になりました。どこかに手抜きがあるのでしょう。気にせずにやり過ごしましたが。

 議会図書館とホテルの往復だけで今回の旅が終わってしまいそうなので、帰り道にホワイトハウスへ立ち寄りました。しかし、後で聞くと、ここは違っていたそうです。それでも、それらしいと思ったので写真を載せます。
 
 
 
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 これが、今回の旅の唯一の外出となりました。

 
 

2010年1月28日 (木曜日)

ワシントンのお寿司(2)

 昨日はお休みだった「わさび」という回転寿司屋に行きました。
 
 
 
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 内装がなかなか凝っていて、雰囲気もいい感じでした。
 
 
 
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 回転させる装置はベルトコンベアー方式ではなくて、皿を乗せる白くて丸い土台が遊園地のコーヒーカップよろしく回っているのです。その土台に乗っている皿を取るのです。
 
 
 
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 回っているのは、カルフォルニアロールなどの巻物だけです。メニューから握りを注文しました。出てくるお寿司は、ごく普通の握り寿司です。
 お客さんは、現地の若い人たちでした。上品な雰囲気が漂っています。
 ただし、地元の人たちをターゲットにするのなら、もっと工夫をする必要がありそうです。

 昨日の寿司バーは、カウンターの中でタイの人らしきお兄さんが、1つずつ握っていました。この「わさび」では、機械で握ったご飯のネタが乗っていました。ご飯の角が立っているのでわかります。
 店の雰囲気からすると、寿司を握る人がお客さんの目が届くところにいたほうがいいと思いました。

 この次に来たときに、地元の人たちにもっと愛される店になっていることを期待しましょう。
 
 
 

2010年1月27日 (水曜日)

議会図書館での調査開始

 議会図書館での調査に向かう道で、横断歩道に黄色い人形を見かけました。これは、普通ではありません。
 
 
 
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 道行く人に訊くと、オートバイで跳ねられた人が、ここまで飛んで来て亡くなったのだそうです。
 ここから直角に曲がる横断歩道にも、同じような形でも白いものがありました。
 
 
 
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 どなたかが、冥福を祈るためにペイントされたのでしょうか。しかし、そんなことが、こうした公共の場所にできるのでしょうか。その背景を知りたくなりました。どなたか、ご存じの方がおられましたら、教えてください。

 米国議会図書館に入りました。
 空港に出迎えてくださったHさんの案内を得て、入館利用カードを作成してもらいました。2年間有効だそうです。
 館内は、美術館の様相を呈していました。
 
 
 
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 アメリカの議会図書館は、日本で言えば、国会議事堂のそばにある国会図書館にあたります。
 たくさんの書籍を収蔵する、すばらしい施設です。

 充実した『源氏物語』の調査を終えて議会図書館を出ると、ちょうど夕焼けがきれいな刻でした。
 
 
 
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 この図書館の真向かいにある議事堂も、茜色に塗られようとしているところです。
 
 
 
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 一仕事を終え、充実感をもって、ゆったりとした雰囲気の中を地下鉄でホテルまでの帰路につきました。
 
 
 

2010年1月26日 (火曜日)

ワシントンのお寿司(1)

 飛行機は、快調にワシントンへ向かって飛びました。いい天気です。

 
 
 
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 追い風が弱かったとのことで、到着が40分遅れ、13時間の空の旅でした。
 機内の映画は観たいものがなく、「精霊流し」だけを見ました。イマイチの作品でした。
 ワシントンの天気は小雨です。
 日本を早朝に発ち、ワシントンには同日の、しかもさらに朝早くに着くので、体内時計が狂っています。時差はマイナス14時間です。身体が気怠い状態のまま、今日一日の始まりです。

 入国審査は、あっけないほどに簡単でした。
 予め、ネットでESTAというビザ免除プログラムの手続きを終えていたので、そのこともあったからでしょうか。
 両手の人差し指の指紋と顔写真を撮られました。
 質問は、入国目的と滞在日数と職業と薬や植物を持っていないか、ということを、下手なかたことの日本語まじりで訊かれました。気楽な対応でした。
 そして、税関のチエックでも、変な日本語を交えたおどけたお調子者のおじさんが対応してくれました。軽いノリの入国審査でした。
 今から思えば、日本での出国手続きの方が、ボディーチェックにおいても、あまりにも過剰に反応していたように思います。

 到着ロビーを出ると、議会図書館の司書の方がわざわざ出迎えに来てくださっていました。そして、タクシー乗り場までの案内をしてくださいました。
 初めての地に降り立ったときには、道案内があると気分的に大助かりです。ありがとうございました。おまけに、以前、国文学研究資料館の古典籍講習会でお目にかかっていた方でした。あなただったのですか、という調子で早速打ち解けてお話ができました。

 霧雨の中を、タクシーは高速を飛ばしてホテルまで一時間。
 荷物を置いて、お昼ご飯です。街中のレストランを探しました。しかし、なかなか目が街に慣れていないので、お店が決まりません。モンゴルでもそうだったように、最初の食事は、アイリッシュパブにしました。ただし、非常に高い昼食になりました。
 とにかく身体が怠いので、午後は休息にしました。日曜日ということもあり、街のお店も閉まっています。

 夕刻から、地下鉄に乗って、近くの回転寿司屋をめざしました。
 「わさび」という回転寿司屋があることは、事前に調べてあったのです。しかし、日曜日が休業日だったことは、こちらの調査が行き届いていませんでした。
 また明日にでも来ることにして、今は何はともあれお寿司です。ホテルの近くに寿司バーがあったので、迷わずに地下鉄で引き返して来て、ここにしました。
 
 
 
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 お寿司屋さんは、たくさんの人で賑わっていました。
 オバマロールというのがあったので、これに即決です。
 
 
 
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 エビの天麩羅の食感がよくて、大変おいしい出来でした。ただし、これは酢飯ではないので、お寿司ではありません。創作和食、と言えばいいでしょうか。
 このオバマロールの中身は、メニューでわかります。
 
 
 
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 上に乗っている黒い粒は、飛び子というもので、日本ではオレンジ色の数の子のようなものです。何かで黒く色を付けているのでしょうか。
 とにかく、絶妙な食感と味の、もう一度食べたくなる巻物でした。

 このお店のシンボルマークは、こんなものでした。
 
 
 
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 タイ・シェフの店なので、タイ語かと思って訊くと、TIのイニシャルをデザインしたものだとのことです。私の名前の頭文字と同じなので、私もこんなマークを作ってみたくなりました。

 海外の和食も、日本人観光客を意識したものではなく、現地の方々のことを考えている店は、いろいろな工夫があっておもしろいものがあります。日本文化が海外で融合した食事を口にするのは、大変ぜいたくな食事になります。それでいて、ホテルの中のエセ和食と違って、おいしくて安いことが多いものです。現地の脂っこい食事よりも、こうした和食を食べる楽しみを、私はささやかながら楽しんでいます。

 この巻物は、これまでの和食の中でも上位に置きたいと思うほど、気に入ったものとなりました。
 
 

 
 
 

2010年1月25日 (月曜日)

米国と文化について考える

 今回は、スムーズに成田へ行けました。やはり、交通費は少し高くても、乗り換え1回のコースが良いようです。

 成田では、日本国としてアメリカへのご機嫌伺いをすることを反映してか、人間としてあってはならない、屈辱的としか言いようのないボティーチェックの後、空港の一番端の冷遇された何もない待合ロビーで、ANAのワシントン行き飛行機への搭乗を待ちました。
 喫煙室の中に自動販売機しかないロビーです。タバコにアレルギーのある人は、ドリンクすら買えないロビーしか用意できない空港側の対応に、これが日本の現状かという情けない思いをしました。
 乗客への対応が、非常に疎かになっている区域に放置され、飛行機を待たされる状況に置かれました。迷惑の受け身が並ぶ表現にならざるを得ません。

 空港の係官が、私の機内持ち込み用のバッグを勝手に手でこじ開けて、鞄の中を無礼にも掻き回して調べるのです。言語道断の、人権などあってなきがごとしの人間否定の持ち物検査です。
 アメリカには人権など元々ない国なのですから、アメリカの属国と化している日本国としては、アメリカの流儀や論理に今は従わざるを得ない、ということで仕方がないことなのでしょう。しかし、民主主義を目指す国作りをしている日本国の国民の一人として、ここまでアメリカに媚びへつらっていいのか、これは大いに疑問に思います。

 日本は、もともと他人や他国への敬意を表し、相手が不愉快にならないように、露骨な軋轢は避けてきた民族だと思います。しかし、宗主国であるアメリカへの政治的な忠誠は、はしなくもこんな時に見え隠れします。日本人としては、もっと外国に対して毅然とした態度を表明したいものです。これでは、あまりにも情けなさすぎます。日米安保条約や地位協定は、もっとみんなの話題にしたらいいと思っています。せっかく民主党の政権になったのですから、今こそ、この問題をみんなの共有する情報として発信すべきです。結論を云々するのではなくて、その過程でみんなが事実と実情と実態を知ることが大事だと思います。
 ただし、この厳重なボディーチェックは一種のアメリカ向けのパフォーマンスだと割り切れば、それは理解もできます。確かに、テロは未然に防ぐ必要があます。その意味では、なぜテロが今なおなれされているのか、という問題はここでは措きます。

 今、井上靖の『風濤』を読んでいます。高麗国がフビライ・ハーンが取り仕切る元から受ける仕打ちに苦悩する様を、この成田空港で連想しました。宗主国である元の命令で、高麗は日本へ向かわされるのです。反対出来ない状態の国というもののありようが、フッとこの持ち物検査を受けながら、思い出してしまいました。
 アメリカは、日本に原爆を落とし、今なお謝罪をしません。戦争終結のための手段としての正当性を主張するばかりです。その意味では、最近のオバマ大統領の発言は、注目すべきものがあります。これまでの文明国に対する嫉妬がアメリカから薄まることを、気長に期待しましょう。

 私の鞄の中を調べた係官も、いつか自分がしたことの意味を考えることがあるかもしれません。仕事と割り切っていればいいのですが、私を調べた方は、何となく申し訳ないという私情を滲ませておられたように思います。同じ人間として理解ができるので、身体を触られても強い反発はしませんでした。それにしても、これはやってはいけないことが黙認されてなされていました。歴史の一コマとして、記録しておきます。

 機内で、目の前の座席のポケットに入っていた『翼の王国』という雑誌をパラパラと捲っていて、おもしろい記事を見つけて読み耽りました。「中国 賀蘭山の東方金字塔 流砂に消えた王国」(京都大学、池田巧)という特集です。寧夏回族自治区・銀川市の郊外にある巨大な遺跡群を取り上げていたのです。

 西夏という国は1038年に李元昊が打ち立てました。井上靖の『敦煌』で親しんだ話です。
 その首都が、現在の寧夏回族自治区・銀川市にあったのです。しかし、この都も、1227年にチンギス・ハーンによって滅ぼされました。これも、井上靖の『蒼き狼』などでよく知っています。そして、過日、モンゴルでも聞いたことです。

 西夏の王陵を東方金字塔といいます。その形が「金」という漢字に似ていることから、金字型の塔という意味で名付けられました。エジプトのピラミッドとイメージが近いものです。
 エジプトにはナポレオンが発見して有名になった、ロゼッタストーンがありました。現在は大英博物館に展示されている、あれです。そこに書かれた文字ヒエログリフの研究はよく知られています。
 同じように、この西夏にも謎の西夏文字というものがありました。この不思議な文字の解読は、その後すばらしい成果をあげています。私は、ロゼッタストーンよりもこの西夏文字の謎の方が、漢字文化圏に生きる一人として興味があります。

 寧夏博物館に展示されているものに、「迦陵頻伽」(かりょうびんが)があります。なぜか、雑誌のふりがなは「かりょうひんか」となっていました。ルビの大きさが関係しているのでしょうか。
 迦陵頻伽は、仏教において想像上の鳥とされ、雪山に棲むとも、極楽浄土に棲むとも言われています。妙なる鳴き声で法を説くそうです。浄土変相図や天井画などの建築。装飾・華鬘などの工芸品の文様の中に、その美しい姿が確認されます。
 『源氏物語』の「紅葉賀」巻に、「これや、仏の御迦陵頻伽の声ならむ」とあり、光源氏の声が仏の迦陵頻伽の声のようにすばらしい、と書いてあります。仏教を通して、さまざまなことが日本に伝わってきていました。
 この人面鳥身の塑像が、ここ西夏王陵区にだけでですが、見つかっているそうです。30センチほどの大きさだ、とのことです。
 西夏は、日本の文化にも影響を与えていることを知りました。

 さらにこの記事では、西夏文字に関しても、詳しく報告されています。
 西夏文字は、李元昊が独自に創作させた文字で、約6千字あります。『敦煌』でも、仏典を西夏文字に翻訳したり、漢語との対照辞書を作る話が出てきました。実際に『番漢合時掌中珠』という対訳語彙集があるそうです。現在では、ほとんどの文字が解明されているようです。雲台という基壇に刻まれた西夏文字は、まさに「東洋のロゼッタストーン」です。

 消えた西夏文字が、現在は書家によって蘇りつつあるそうです。
 モンゴルでも、かつてのモンゴル文字を再評価する機運にありました。
 文字が持つ意義を、改めて再認識させられました。
 そして、今わたしたちが読み・書きする日本語について、特に変体仮名と書写文字について、思いがけずも、機中で考えてみる機会を持つことになりました。伝統と文化を知り、理解し、継承していくためにも、書写する文字の文化を、後代に引き継いでいけるようにしていきたいと思います。

 今回は、『源氏物語』の古写本の調査でアメリカに行きます。
 和紙に書かれた文字を読み解き、他の本に写されている文字列と比べることで、その背景にある文字を写すという文化の実態を炙り出したいものです。
 その意味では、アメリカにはこうした文化は皆無です。歴史と伝統がない国なので仕方がないと言えばそれまでです。しかし、こうして千年前の〈物語〉が記された写本を、わざわざ日本から調べに来る意味は、文化のないアメリカの方々にも理解してもらいたいところです。
 あなたたちの国にはないでしょう、というのではなくて、こんな文化を持つ国が地球上にあることを、こんな機会に知ってもらいたいと思っています。
 力が強いことを誇るだけではなくて、文化が持つ尊さや意味を誇るのも、大事なことです。そして、それを理解することも、大切なことではないでしょうか。
 
 
 

2010年1月23日 (土曜日)

仁川空港のウォーキング大会

 ウランバートルからモンゴル航空で成田まで帰るのに、韓国の仁川空港で給油のための休憩があります。往路と同じように、帰路でも同じことが行われました。すでに往路で書きましたが、愚かとしかいいようのないことがなされます。

 飛行機は、仁川空港の一番端にある131番スポットに、定刻に着きました。そして、そこから成田まで行く乗客が一箇所に集められ、集団の隊列を組んで10分ほど歩かされます。そして、そこで手荷物検査とボディチェックがあります。
 どうせ、また今しがた飛行機から降りた、元の131番スポットに戻るのです。

 素人目には無意味としか思えないこの暇つぶしの歩行運動も、当局にはそれなりの理由があるのでしょう。そうでなければ、こんな人を馬鹿にしたことは、普通の人間はしないはずです。私には、仁川空港の職員の仕事を発生させるためとしか思えませんが……。
 働くことの実感教育と、雇用の意義付けという意味です。

 引き返してくるとちょうど搭乗時間となるように、40分間のウォーキングタイムと持ち物確認が設定されています。

 空港ターミナル遠足の帰路に気づいたのですが、歩き回らされる空港内での道中で、壁などに時計が見あたりませんでした。搭乗口にも、時計がありません。
 手荷物検査で時計を鞄にしまったので、時間の確認ができなかったのです。そのため、壁に掛かった時計を探しながら、このウォーキング大会に参加していたので、時計が設置されていないことが印象的でした。あったはずですが、私には探せませんでした。

 そして、搭乗のときには、またそれまで乗っていた飛行機の搭乗券を見せるのです。それを見て、空港の係員の方が、青色のカラーマーカーでリストに線を引いていくのは、往路と同じです。

 わざわざ面倒なことをしておられる職員の方を、ボーッと見ながら、こうしてその模様をキーボードに入力しています。
 さて、私も仁川に来るときと同じ座席に戻りましょう。
 このMacBook Air のフタを閉じると、あと数時間で成田です。
 たくさんの方々のご理解とお世話になり、ギッシリ詰まったモンゴルの旅でした。
 
 

2010年1月22日 (金曜日)

山岳寺院と宮殿博物館と写本文化

 ウランバートル郊外のボグド山国立公園の中に、山岳寺院があります。
 
 
 
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 氷点下の中を山登りです。
 向かって右がマンジュシュリ寺院で、かつての修道院が今は博物館となっています。
 とにかく寒くて冷え込む中を、おばさんが一階から二階へと、丁寧に説明をしてくれました。
 チベット仏教です。この宗教の話は興味深いものでした。しかし、何と言っても芯まで凍り付く冷たさの中なので、これは夏に来る所であることを痛感しました。

 この寺の左隣りには、廃墟となった寺院があります。
 
 
 
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 これは、社会主義時代に壊された寺院の跡です。無残な姿の内部を歩きました。かつては、この山にたくさんの寺院があり、たくさんの僧が生活していたことでしょう。
 
 
 
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 山肌には、至る所に祠があり、その中には絵が描かれています。
 
 
 
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 楽しい絵を、いくつか見つけました。大らかさが伝わってくる絵です。

 山の麓には、石で作った人の姿をした楽しい石人が、あたりにポツポツと点在しています。
 暗い歴史をくぐり抜けた山岳寺院には、こうした心和ませるものがあります。厳しさを求めるだけではない宗教的な雰囲気が、そこかしこに見え隠れするのがユニークです。

 ボグドハーン宮殿博物館は、街中にありました。
 第8代の活仏であるボグドハーンの冬の宮殿を、今は博物館にしています。
 
 
 
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 暖房などない建物を見て回りました。とにかく、身体がシンシンと凍え付くように固まります。じっくりと見たいのですが、身体が建物の中を嫌います。

 「サマープレイス」という絵の中に、牛車やラクダの荷台に幌があり、その中に人の姿が見えました。まさに、日本の牛車です。『源氏物語』の「桐壺」巻に出てくる輦車(てぐるま)に似た乗り物など、文化的に共通するものを見つけました。
 後でお店などでこの写真を探しました。しかし、帰るまでに見つけられませんでした。
 この絵の横には、B.SHARAN/1869-1939/20世紀初め、という説明がありました。

 ウランバートルの街中にあるアンティークショップにも行きました。
 4軒並んでいる中で、2軒にかつての縦書きのモンゴル語で書いた写本を見つけました。
 中身はお店の人にもわからないものでした。
 とにかく、社会主義時代にキリル文字を使うようになり、民主化されてから、また古いモンゴル語を小学教育で教えるようになったそうです。しかし、主要な単語が読める程度に留まっているのです。今の若い人は、この古いモンゴル語が少し読める人がいるそうです。しかし、中年以上の人はまったく読めないようです。お店の人は、みんな読めません。
 お店の人も、とにかく古い写本を集めているだけで、今、売る気はないようです。値段も、一冊2万円近くしていたので、買うのは控えました。
 私が興味をもったのは、文字を写すにあたり、紙にあらかじめ薄く縦に線を引き、その線の上に文字を書いていたことです。また、上部に横に線が引かれており、行頭が揃うようになっています。
 日本でもそうですが、どこでも文字を写すときには、真っ直ぐに行が整うように、こうした工夫がなされているのです。同じ文化を共有していることに、興味が湧いてきました。

 また、自分の国でかつて使っていた文字が読めなくなることは、文化が断絶することになります。日本でも、平安時代の変体がなが読める人は、年々減っています。学校でも、次第に教えなくなりました。例えば、『源氏物語』の古写本が読める人は、ほんの一握りの方々です。もったいないことです。
 同じ事が、モンゴルでも言えるようです。
 この次モンゴルに来ることがあれば、こうした書写の文化を調べてみるとおもしろそうです。
 街中の散策が、いろいろなことを教えてくれました。
 
 

2010年1月21日 (木曜日)

モザイク壁画の前に佇んで

 今回のモンゴル行きで、寸暇を惜しんで経巡った場所の一つに、ザイサン・トルゴイがあります。これは、市の中心にあるスフバートル広場から南へ3キロのところにあります。

 まず、黄金の大仏が迎えてくれます。なかなか愛嬌のある顔をした仏さまです。
 
 
 
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 そこから数百段の階段を登ると、モンゴルの独立を象徴する一角があります。
 
 
 
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 頂上の広場の真ん中に、モンゴルの灯「トルガ」があります。そして、その周りには、60メートルもの円形の壁面に、モンゴルとソ連の友好をモザイク画で表現しています。その絵の中には、日本の日章旗とドイツの旗を踏んでいるものがあります。
 
 
 
100109torugoi2モザイク壁画
 
 
 
 今後のモンゴルと日本の交流を考えるときに、この絵は複雑な思いにさせます。これも、歴史の一コマとして語り伝えられるものなのでしょう。ただし、私にはスッキリしない絵でした。明るい未来を指向する絵なのか、と。

 この小高い丘から見下ろすと、ウランバートルの街の発展する様子が一望できます。
 
 
 
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 こんなに土地があるのに、高層建築がそんなに必要なのだろうか、という思いにさせます。これからのモンゴルを思うとき、これもしばし佇んでしまう光景でした。
 
 
 

2010年1月20日 (水曜日)

在モンゴル日本大使と『源氏物語』

 モンゴルの日本大使館で、城所卓雄大使と今後の文化交流について、親しくお話をすることができました。

 『源氏物語』のモンゴル語訳をなさったジャルガルサイハンさんと一緒に、モンゴル語訳『源氏物語』を最大限に活かした企画について、いろいろと話題が広がりました。

 城所大使はとても温厚な方で、初対面の私にも意見を求められ、申し上げることにもジッと耳を傾けてくださいます。前向きに受け取ってくださるので、頼もしい限りでした。
 広報文化担当の小山勲さんも、理解が早く、見通しの利いた展開で話をまとめてくださいました。

 いつ、どこまで実現するかは今は問題ではなくて、このような話が一緒にできる方がモンゴルの日本大使館にいらっしゃることに、これからの国際文化交流の明るさを感じました。

 インドでも、日本大使や大使館は、敷居の高い所かと思っていました。しかし、実際に伺ってお話をすると、本当に理解のある対応をしてくださいます。日本とその国の人々とのことを、よく考えておられることを知り、頼もしいことだと思っています。

 モンゴルでもこれを機会に、一人でも多くの方々に『源氏物語』のおもしろさを伝えることができるように、日本の各分野の方々の知恵をお借りしたいと思っています。

 厳めしい警備の中、気軽に写真を撮る雰囲気でもなく、今回は写真がありません。

2010年1月19日 (火曜日)

モンゴルの食事と買い物メモより

 先週の金曜日にモンゴルから帰国しました。しかし、書くためのメモがまだまだありますので、しばらくはモンゴルの話を続けます。

 今回の旅は、国立ドラマ劇場の横にある「グランド・ハーン・アイリッシュパブ」の食事から始まりました。モンゴル料理からではなく、イギリス料理からお腹に入れることとなりました。
 まずは胃に、海外に来たという刺激を与えてから、ゆっくりとモンゴル料理を堪能しようということです。

 次に、モンゴル版ファミレスの「ハーン・ボーズ」で、どでかいボーズを食べました。巨大な餃子の中は羊の肉です。美味しかったのですが、翌日の血糖値は大きく跳ね上がっていました。
 今回の旅では、毎日食べたマトンもラムも、血糖値をあげることはありませんでした。このモンゴル名物のボーズが、唯一、私にとっては敬遠すべき料理となりました。油で揚げていたからでしょうか。

 歴史の重みを背負うソ連式のウランバートルホテルでも食事をしました。入口から正面階段を上るところに、豪華さが感じられました。
 しかし、格式と伝統に押しつぶされたのか、その食事は私の口には合いませんでした。味が濃かったからです。
 また、レジの対応がモタモタしていて、ウインドウズマシンを操作するぎこちなさに失望しました。社会主義時代は終わったのですから、もっとお客様優先の接客を心得た社員教育が必要だと思いました。これは、食事以前の問題です。

 いよいよ、待望の和食です。
 サンデーというショッピングセンターの中で和食を食べました。それも、ちゃんこ鍋です。
 
 
 
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 このお店には田中さんという方がいらっしゃって、いろいろとモンゴルでの和食事情をリサーチ(?)できました。昨年の秋から、和食の指導で、このウランバートルに来ているとのことでした。
 
 
 
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 非常に温厚な方で、日本料理の良さをモンゴルの方々に伝えたくださることが期待できると思いました。
 何よりも、味噌汁がぬるくなかったかと心配して、わざわざ温かくしたものをさらに持ってきて下さったのです。
 ちゃんこ鍋も、鶏ガラのダシがほどよい感じで、美味しくいただきました。
 残念ながら、食材がなくなったとのことで、お寿司は食べられませんでした。
 もちろん、回転寿司はウランバートルにはありません。
 今後に期待しましょう。きっと、遊牧民族であるモンゴル人に受けるはずです。常に移動し、動くものを捕まえていた民族なのですから。変な理屈ですが……。
 田中さん、よろしくお願いします。

 和食を追加します。
 宿泊したホテルの中のレストランに、和食のお店がありました。そこで、きつねソバを食べました。
 ダシは関東風の醤油色をしたものでした。油揚げは、短冊に刻んでありました。これは、刻まないで長方形のままで出した方がいいと思います。やはり、お揚げさんは、絶対に京都のフックラした大判に限ります。

 モンゴル最大のバザールであるナラントール・ザハでは、日用品のみならず、たくさんの食材がありました。今までに食べたことのないものなど、試食を楽しみました。乳製品と野菜の豊富さには驚きました。モンゴルでは野菜欠乏になるというのは、現地の人たちが出入りする市場に足が向けられたら、この問題は解消します。

 この辺りから、観光客のほとんどいない地域で目立つことを避けた身辺防備に徹するために、写真を控えていますので、悪しからず。

 メルクーリ・ザハは、さまざまな肉、魚、野菜、果物をはじめとして、外国から輸入された食品もたくさんある市場でした。私はここで、チーズやミルクティーやチョコレートをお土産用に買いました。
 ここで買った何種類かのチーズは、シェフを目指す息子が知らないものばかりであることが、帰国後に息子と話をしていてわかりました。息子がバイブルとするチーズの本にも掲載されていないものを、私は買ってきたことになります。息子が知らないチーズを見つけたのですから、なかなかの嗅覚(?)を持っていることになります。

 食べ物ではないのですが、ノミン(旧国営)デパートで、三島由紀夫の『金閣寺』のモンゴル語訳の本と、今モンゴルの若者が聞いているCDを2枚買いました。日本文学をモンゴル語訳した本は、それまでの調査ではなかったものなので、さらに現地を調べると発掘できるのではないでしょうか。日本文学に関する情報が、まだまだ少なすぎると思いました。
 また、「ゴビ・ファクトリー・ストア」で「ゴビ」ブランドのカシミアのマフラーと、「ツァガーン・アルト」というフェルト屋さんで、ラクダの毛糸と羊の毛糸の玉を量り売りで買いました。これらは、妻と娘のためのものです。

 ウランバートル最大のパブ「イフ・モンゴル」のビールは、美味しいものでした。
 ここで夜十時からあったライブでは、迫力のあるロックを聴くことができました。
 
 
 
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 このグループのCDを、しっかりと買ってきました。ほぼ満席の場内は、とにかく盛り上がっていました。モンゴルの若者たちは元気です。

 その他いろいろな店に行きましたが、食事では既に書いたように、郊外のチンギス・ハーンの像がある施設の中の料理が一番美味しかったと思います。

 毎日毎食、羊料理を食べる日々でした。しかし、意外と血糖値は上がりませんでした。
 あらかじめ日本でラム肉料理を食べて、体調の工合を診てから出かけました。予想通りの結果でした。
 ヂンギスカン料理は、意外と人の身体にいいようです。少なくとも、血糖値が気になる私にとっては、牛肉よりも格段に安心して食べられる食事であることがわかりました。
 
 

2010年1月18日 (月曜日)

モンゴルでの日本語教室に参加

 モンゴルで行われている日本語教育の現場に行きました。
 モンゴル日本センターでも日本語教育は実施されています。しかし、うまく参加することできなかったので、NGO団体の学校にお邪魔しました。
 
 
 
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 ここは、「モンゴル国NGO法人 モンゴル日本青年交流支援センター」といいます。
 大急ぎで駆けつけたのですが、日本人の先生の授業は終わっていて、モンゴルのナランツェツェダ先生の授業に参加することができました。
 
 
 
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 ナランツェツェダ先生は、名古屋で1年間実地研修をされ、ここの学校では2年目だそうです。
 流暢で奇麗な日本語で、流れるようにメリハリの利いた授業をなさっていました。

 この時間の学生は初級クラスの4人でした。
 
 
 
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 教科書は初級の『みんなの日本語』です。
 日本語能力検定とは別に、2年前からJテストというものが実施されているそうです。
 2級はだいたいみんな合格するとのことです。みんな優秀です。
 授業料は、3ヶ月で2万円前後です。物価からして、相当高額のように思います。しかし、それだけに、勉強するという熱意が伝わりました。
 ここでは朝日新聞の奨学生制度が導入されており、1995年から100人近くがこの制度を利用して日本に勉強をしに行っているそうです。今年度は、12人が朝日奨学生の制度を利用して日本に行っています。この奨学生制度では、日本で新聞配達をしながら勉強をするのです。
 私も、朝日奨学生でした。高校卒業後、浪人のための予備校生活と大学生活を、この制度で東京における学生生活を送りました。懐かしい想いで、これから日本に行く若者を応援したくなりました。

 この学校に、現在は25人が勉強しています。

 上級の学生は、日本語の新聞を読みます。初級は、日常会話と漢字の勉強です。

 写真手前の方は、大学の現職の先生です。昔のモンゴル服の研究をなさっている方です。日本語の漢字の読み書きができるようになりたくて、この学校に通っているとのことでした。日本の松山で1年間勉強したので、『坊ちゃん』が懐かしいと話しておられました。最近、『坂の上の雲』がテレビドラマになったことを教えて差し上げました。

 ナランツェツェダ先生の授業では、日本語の文章を声を出して読み上げることを基本にして、さらにモンゴル語に訳すことをなさっていました。
 例文は、プロポーズの話、旅行の話(荷物を間違えられたこと・レストランで服を汚されたこと・電車でカードを盗まれたこと・500年前の寺や絵や庭のこと)、関西空港の話など、非常に具体的でした。

 日本のお菓子をお土産として渡したら、生徒さんたちの顔が、それまでの緊張気味の表情から、とたんに嬉しい顔に変わりました。その可愛らしさが忘れられません。
 日本の味を、こうした機会に堪能してもらえたら幸いです。
 
 
 
 

2010年1月17日 (日曜日)

亡父の代わりに日本人墓地跡へ

  ウランバートル市の中心地から北東に15キロの地に、日本人墓地があります。
 
 
 
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 ここは、第二次世界大戦後の捕虜としての強制労働により、モンゴルの地で無念にも亡くなった日本人の方々を慰霊する所です。
 
 
 
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 ソ連は戦後、満州に駐屯していた日本兵約60万人を、シベリアに抑留しました。
 その中に、私の父もいました。
 私の両親は、戦時中は満州のハイラル、ハルピン、チチハルにいました。
 終戦と共に、父はシベリアへ、母は新京から命からがら日本に引き揚げて来ました。
 私と姉は、戦後、父が復員してから生まれました。

 シベリア抑留者の内、12,318名がモンゴルに送り込まれました。そして、1945年から47年まで、強制労働に従事させられたのです。

 父は、モンゴルへ送られることはありませんでした。しかし、戦友にはいたはずです。
 小さいときから、父から戦争のことやシベリアでの話を聞きました。
 ノモンハン事件(モンゴルではハルハ河戦争)のことは、私にはまったく話しませんでした。しかし、何冊かの本を大事に持っていたことを知っています。ノモンハンが意味するところを、私は今回初めて知りました。
 シベリアでは、寒さの中での仕事が過酷であったことは、いくども聞かされました。
 朝目覚めると、隣の戦友がカチカチになって凍死しているのです。その戦友を埋葬するのが一つの仕事だったとも。
 凍土を1日にいくらも掘れないのです。1日で数センチだったとも言っていました。

 モンゴルでも、極寒の地で835人の方が亡くなられた、ということを聞きました。まともな衣類もなく、寒かったことでしょう。食べ物が合わなかった方も、たくさんいらっしゃったことでしょう。
 私など、現地の方にお願いして、カロリー制限の主旨を伝えて、無理のない食事をしました。また、羊の肉が主食の国なので野菜が不足するということで、野菜のタブレットを持参しました。戦後の日本兵が、そんな贅沢を言えたはずがありません。私は完全防備の服で行きました。しかし、兵隊さんたちは夏用の軍服だったために、呼吸器系の病気に罹ったそうです。
 本当に、無念だったと思います。
 
 
 
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 もし父が生きていたら、きっとこの墓地に来て手を合わせたはずなので、私も意を決して時間の隙間を狙って、父に代わって行くことにしました。
 
 
 
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 円形のプレートには、モンゴル各地にあった収容所が記されています。手前からまっすぐ山側に伸びる線は、日本の方角を指しています。お亡くなりになったみなさんは、さぞかし日本の地を踏みたかったでしょう。

 そしてその回りを、プレートに焼かれた桜の花が取り囲んでいます。この心憎い心遣いに、しばし目頭を押さえるのが精一杯でした。このモンゴルの地から、当時、日本は遠く感じられたことでしょう。
 「ごくろうさまでした。今、日本は平和です。」と、ただ頭を垂れるだけの時間がしばらく流れました。
 
 
 
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 慰霊碑の向こうの壁面に、日本語とモンゴル語で、日本政府の慰霊の言葉が記されています。
 
 
 
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 この横に、資料館がありました。
 中には、観音様が真ん中におられます。
 
 
 
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 その回りには、お亡くなりになった方々の名前など、貴重な資料がたくさん保管してありました。
 少し政治の匂いがしました。しかし、とにかく、お亡くなりになった方々のことを思う気持ちが一番大切です。忘れてはいけないことを、ここはしっかりと再確認させてくれる場所です。
 
 
 
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 外には、昭和41年の墓参団が建てた柱が立っています。
 その四角い柱の各面には、こんなことばが書いてありました。
 「諸士よ、祖国日本は」
 「見事に復興しました」
 「モンゴルに安らかに眠って下さい」
 「昭和四十一年八月二十五日 モンゴル会 長谷川峻書」
 
 
 
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 この墓地は、きれいに掃除してあります。
 ここを守っておられる方が冷え込む夕刻に、この墓地を丁寧に案内してくださいました。
 お名前を、ネルグイさんといいます。日本でいうと、名無しの権兵衛さん、という意味だそうです。
 今マイナス30度なのに、その薄着に度肝を抜かされました。
 
 
 
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 毎日、心を込めて雪かきをしておられるから、ここの道の雪や足下が掃き清められているのです。頭が下がります。いつも8時間はかかるそうです。亡くなられた日本人に対する温かい思いやりが感じられる方でした。
 平和と友好の象徴となる公園にしたいということです。なかなか出来ないことを続けておられる方です。
 父ならするであろうことを、ささやかではありましたが、支援と協力の気持ちから志としてお渡ししました。

 「魂が安らがんために」という奇麗なパンフレット(25頁)をいただきました。
 それを読んでいて、何とその翻訳を、今回モンゴル語訳『源氏物語』の日本語訳をお願いしたツムルハータル・ナルマンダハさんがなさっていることを知りました。そういえば、ナルマンダハさんの立命館大学での研究テーマは、ハルハ河戦争でした。メールでは何度かやりとりをしています。今度、源氏訳のお礼と共に、京都でお目にかかりたいと思います。

 人の出会いというものは、本当に不思議な縁でつながっているものです。
 
 

モンゴル相撲観戦記

 先日、ツゥムルバートルさんに相撲の話を聞いたこともあり、モンゴル相撲を観たいと思っていました。本当に偶然なのですが、ちょうどスケジュールの隙間で観られる相撲のイベントがあるというので、取るものも取りあえず相撲会館に行きました。
 どうしたわけか、黒服の警官がたくさんいたことに驚きました。

 観覧券は、こんなものです。
 
 
 
100113sumo1_2チケット
 
 
 
 ここに書いてある番号は、試合の終了後に抽選があり、当たったら景品がもらえるそうです。羊が一頭もらえた、などということを期待したのですが、時間の都合で最後まで観られませんでした。

 場内は、日本の相撲場所とは大違いです。
 
 
 
100113sumo2_2場内
 
 
 
 ボックス席の楽団の演奏と共に、力士の入場です。みんな、鳥が羽ばたく姿をします。
 
 
 
100113sumo3_2力士入場
 
 
 
 そして、主賓として首相と国会委員会の方が来ておられることがわかりました。会場のものものしい警備は、このためだったのです。
 
 
 
100113sumo4_2主賓挨拶
 
 
 
 続いて、力士を讃える歌です。馬頭琴の音を、初めて聞きました。
 
 
 
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 やがて、たくさんの力士が会場に現れ、デール姿の進行役(ザソール)に帽子を預け、あらかじめ決決められた相手との試合が始まりました。
 
 
 
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 120人ほどの力士が16組に分かれて、芝生の上で入れ乱れての相撲です。どれを観ていいのか、さっぱりわかりません。こっちを観ているうちに、あちらで勝負が決まるという、せわしなく場内を見回さなければなりません。

 ちょうど、目の前で勝負が決まったので、連続写真を掲載します。
 
 
 
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 勝った力士は、国旗の回りを鳥のように手を大きく広げてパフォーマンスを見せてくれます。
 
 
 
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 掌を地面に付けても負けにはならないので、必然的に取り組み時間は長くなります。そこで、最近はルールが改正され、20分たっても勝負が付かない場合は、四つに組んで再開となったそうです。

 このモンゴル相撲は、おもしろさがわかるまでには、少し観戦経験が必要のようです。
 その意味では、日本の相撲は、ショートしても練り上げられたスポーツになっていると思いました。
 
 
 

2010年1月16日 (土曜日)

チンギス・ハーン像に上る

 2008年に出来たばかりのチンギス・ハーンの巨大な像があるというので、過密スケジュールの合間を縫って出かけました。
 首都ウランバートルから一路東へ車を飛ばして54キロの地にありました。
 途中で、中国から来た列車とすれ違いました。
 
 
 
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 これとは反対方向に走る列車なら、それはロシアからのものだそうです。モンゴルが中国とロシアに挟まれている、地理的な、そして政治的な複雑さがわかる列車です。

 東へ走る道は、先日の民家ゲル訪問のときとは違い、車が走る幅には雪が積もっていません。それだけ、高速で走れます。
 
 
 
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 小一時間ほど走った頃に、突然、銀色の偉容が目に飛び込んできました。
 
 
 
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 像の高さは、約30メートルあるそうです。
 ここは観光施設にする計画のようで、まだ完成していません。この像がある中心部分は博物館の役割を持たされるようです。
 
 
 
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 像の馬の頭の部分まで上れました。高所恐怖症の私ですが、ここは見晴らしがいいので、あまり怖くはありませんでした。
 
 
 
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 眼下には、すでにいくつかのゲルが作られています。広大な公園が周辺に出来るようです。
 
 
 
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 入った門のあたりを見下ろしました。
 
 
 
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 この門の形は、完成予想図の設計にあった門の形とはまったく違います。
 これが、暫定的なものなのか、これでいくのか、モンゴルの方の考え方はわかりません。
 手前にあるのが、乗って来た車です。

 2階のテラスで食事をしました。こんな人里離れた地なので、モンゴル料理を注文しても簡単なものだろうと思いました。しかし、実際に運ばれてきた料理は、今回の旅で一番おいしいものでした。いいコックさんを入れているようです。観光大臣の肝いりで作られた施設だけに、まだ建物は建設途中で、この周辺もこれから手が着けられます。
 しかし、食事の味に関しては完成しています。このテラスでの食事は、大いにお勧めできるものです。

 とにかく、モンゴルはスケールの大きな国です。
 ただし、最近は、人間がイライラするようになる傾向にあるということでした。街中は車の渋滞がひどく、クラクションを鳴らす人も多く見かけました。
 草原地帯に行けば違うのかも知れません。しかし、社会が民主化されるとともに、人々は時間に拘束され、人と人との関係が複雑になるので、自然にあるがままにユッタリと生活することからは、しだいに遠離ることになります。

 1990年に社会主義から民主化されて20年になるモンゴル。
 優秀な方が多いだけに、今後のモンゴルはさらなる民主化の流れの中で、ますます混迷の様相が浮き彫りになりそうです。
 夏の観光季節に草原地帯へ観光旅行というのは、旅する者には牧歌的です。しかし、モンゴルにとっては、観光資源の重要な価値と共に、他国の人の出入りで生き様が変わるという意味からは、大きな問題となることでしょう。

 このチンギス・ハーン像は、これからどのような役割を果たすのでしょうか。

 なお、このチンギス・ハーンが見据える先は、自分の生まれた地です。
 そして、その先に日本があります。
 
 
 

2010年1月15日 (金曜日)

読み継がれる日本センターの本たち

 モンゴル日本センター(モンゴル・日本人材開発センター)へ行き、所長の森川秀夫さんからいろいろと興味深いお話を伺いました。
 
 
 
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 このセンターは、2002年に独立行政法人国際協力機構(JICA)とモンゴル国立大学の協力によって建設されたものです。秋篠宮さまや、皇太子さまが記念式典にお出でになっています。

 丁度、国費留学生の試験日だったため、森川さんとの面会までに少し待ち時間があったので、図書室へ行きました。
 その入口に、なんと『源氏物語』を特集した掲示コーナーがあったのです。職員の方も、日本から来た『源氏物語』の研究をしている人に見てもらえて、と、その奇遇に大変喜んでおられました。
 
 
 
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 職員の方による、手作りのパネル展示だそうです。私も、日本の古典文学をこうして文化理解に活用しておられることを知り、嬉しくなりました。

 図書室には、たくさんの利用者がいました。みんな、熱心に勉強しています。

 モンゴル語訳された日本文学作品についてお聞きしたところ、すぐにリストを見せてくださいました。そのすべてを見たいという私のわがままなお願いに、閲覧係の方々は大急ぎで本を掻き集めてくださいました。モンゴル語もロシア語もわからない私のために、コーディネーターの白石さんは、モンゴル語訳の本を大急ぎで集めて閲覧できるように指示を出しておられます。ありがたいことです。

 いただいたリストと目の前の本を対照し、メモを取っていく中で、リストにない本や、所在不明のものがあることがわかりました。せっかくなので、本の情報を整理することにしました。
 拝見したのが未完成のリストのようだったので、以下のように日本センターご所蔵の翻訳本を、私なりに整理してみました。出版社が不明のものは、私がモンゴル語がわからないために、読み仮名を付けられないものです。
 また、私が事前に調査していた本の情報も追加しています。
 これ以外にも、たくさんあることと思います。
 もし、このリストに追加する情報をお持ちの方は、ご教示いただけると現地の方も喜ばれることと思います。

 なお、日本センターの本は、胸が熱くなるほど徹底的に利用されています。その本の修復状態を見ると、もう感激します。背中の痛んだ本などを、ヒモやテープを使って綴じ直し、ビニールカバーなども何度も貼り直してありました。
 
 
 
100112nihoncenter4伊豆の踊子
 
 
100112nihoncenter5最後の将軍
 
 
100112nihoncenter6草原の記
 
 
100112nihoncenter7学問のすゝめ
 
 
 
100112nihoncenter8日本昔話
 
 
 
 日本では、本を粗末に処分しています。古新聞と一緒に、新刊本などが廃品として道端などに出されています。
 また、ブックオフをはじめとする古本業者などは、たくさんの本を回収して廉価で販売しています。
 日本では、本を個人で買う習慣がまだ残っています。図書館の整備がなされていないことと、書店の普及が背景にあります。そして、本の質が落ちていることもあって、読んだらもう読むことがないものとなってしまうのです。
 こうした本は、本当にもったいないと思います。このモンゴルでは、一冊の本が徹底的に読み継がれています。森川所長も、本が欲しい、とおっしゃっていました。日本で捨てられる大量の本が欲しいが、送料や運賃が高いので、送ってもらうこともできないそうです。
 私も、日本の本を海外に送るボランティアを続けていますが、本当に微々たることしかできません。

 ブックオフのような組織で、海外で日本語を勉強している方々に本を届けるシステムはできないものでしょうか。商売としてではなくて、国際文化交流の一環としての支援活動です。国が援助して実現するように、方策を練っておられる方もいらっしゃることでしょう。
 もしよろしければ、このようなことに有効なご教示をいただけると助かります。

 日本センターの書庫の中では、日本の古典文学作品としては、小学館の全集本『万葉集』をみかけました。あとは、現代語によるものがほとんどでした。
 ウロウロしているうちに、朝からの面接を終えられた森川さんが閲覧室にお出でになりました。2階で話を、ということで、お疲れの所にもかかわらず長時間、モンゴルにおける日本語の学習状況などを伺うことができました。日本語教師の藤島さんも、お忙しいところを少し顔を出してくださり、現状を教えてくださいました。

 日本語を学習する人の人口比率は、(1)オースリラリア、(2)韓国、(3)台湾、(4)モンゴルの順だそうです。そして、日本への留学者の数は、人口比でいうとモンゴルが世界一だ、とのことでした。
 モンゴルの国民の内、208人に1人が日本語を学習していることになるのです。驚きです。
 ウランバートルには、30位の日本語学校があるそうです。そして、日本語センターでは、中級以上の方を対象にした日本語講座が開設されています。
 今回の旅の中に、日本語学校の訪問があるので、その時が楽しみになりました。

 日本センターのみなさま、温かくお迎えいただき、本当にありがとうございました。
 利用時間が、火曜日と木曜日は、夜8時までとなっていました。モンゴルの方々のためには、思いやりの対応だと思います。
 たくさんの利用者の方々のためにも、ますますのご活躍をお祈りしています。


モンゴル語訳書籍 刊行年順一覧(平成22年1月12日/伊藤暫定版)


書名・不意の唖
著者・大江健三郎
訳者・?
刊行・1995年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない

書名・最後の将軍
著者・司馬遼太郎
訳者・トゥムルバートル・デレギーン
刊行・1996年
発行・モンゴル・日本親善協会
頁数・207

書名・草原の記
著者・司馬遼太郎
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・1997年
発行・モンゴル・日本文化交流支援協会「アリアンス」
頁数・160

書名・草原の風になりたい −義足で草原を駆ける少年の物語−
著者・村尾靖子
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・1998年
発行・?
頁数・99

書名・伊豆の踊子 −川端康成ノーベル賞受賞者誕生百年記念−
著者・川端康成
訳者・トゥムルバートル・デレギーン
刊行・1999年
発行・モンゴル・日本文化文学センター
頁数・41

書名・裸の王様・パニック
著者・開高健
訳者・? ナランツェツェグ、伸童舎・村野守美
刊行・1999年
発行・?
頁数・?
備考・所在不明

書名・馬の脚
著者・芥川龍之介
訳者・?
刊行・1999年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない

書名・明治という国家
著者・司馬遼太郎
訳者・トゥムルバートル・デレギーン/監訳・鯉渕信一
刊行・2000年
発行・モンゴル・日本文化文学センター
頁数・260

書名・育児書(3歳まで)
著者・イヴカ マサル
訳者・?
刊行・2000年
発行・?
頁数・218

書名・空とぶオートバイ・本田宗一郎物語
著者・那須田稔
訳者・?
刊行・2000年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない

書名・野菊の墓
著者・伊藤左千夫
訳者・?
刊行・2001年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない。「ニッポン・ニュース」新聞連載。

書名・二十一世紀に生きる君たちへ(モンゴル語・日本語対訳)
著者・司馬遼太郎
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・2001年
発行・?
頁数・?
備考・所在不明

書名・ロシアについて
著者・司馬遼太郎
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・2002年
発行・モンゴル・日本文化文学センター
頁数・180

書名・吾輩は猫である
著者・夏目漱石
訳者・トーラ・D
刊行・2002年
発行・?
頁数・?
備考・所在不明

書名・日本昔話
著者・?
訳者・?
刊行・2002年
発行・?
頁数・各20
備考・「一休さん」「一寸法師」「花咲ぢぢい」「浦島太郎」「うさぎとかめ」「フランダースの犬」

書名・詩集
著者・谷川俊太郎
訳者・?
刊行・2003年
発行・?
頁数・104

書名・詩集「知らない所から来た便り」(仮題)
著者・アリマ タカシ
訳者・?
刊行・2003年
発行・?
頁数・82

書名・護持院原の敵討
著者・森鴎外
訳者・?
刊行・2004年
発行・?
頁数・?
備考・モンゴル・日本センターにない。「ニッポン・ニュース」新聞連載。

書名・歌声は漣にのって
著者・芹川弥生
訳者・オノン・Ts
刊行・日本語︰光陽出版社/モンゴル語︰?
発行・日本語2004年/モンゴル語2007年
頁数・152
備考・随想、エッセイ

書名・学問のすゝめ
著者・福沢諭吉、小室正紀、西川俊作
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・2004年
発行・?
頁数・163

書名・モンゴル国有用植物図鑑
著者・JICA、小松かつ子、Ch.Sanchir、J.Batkhuu
訳者・?
刊行・2005年
発行・?
頁数・240

書名・金閣寺
著者・三島由紀夫
訳者・?
刊行・2007年
発行・?
頁数・176

書名・武士道
著者・新渡戸稲造
訳者・トゥムルバートル・デレギーン/監訳・鯉渕信一
刊行・2007年
発行・?
頁数・207

書名・かたりくらべ 日本とモンゴルの昔話
著者・不明
訳者・監修︰島村一平
刊行・2007年
発行・NGO21世紀のリーダー
頁数・20
備考・「ひともっこ山」(日本)、「フブスグル湖」(モンゴル)の2篇を収録

書名・『源氏物語』(第1巻)
著者・紫式部
訳者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
刊行・2009年
発行・ADMON
頁数・254
備考・ハードカバー

書名・『源氏物語』(第1巻)
著者・ジャルガルサイハン・オチルフーギン
訳者・
刊行・2009年
発行・ADMON
頁数・255
備考・ペーパーバック、表紙絵がハードカバーと異なる。

(以上、未整理のままに、取り急ぎ)


2010年1月14日 (木曜日)

ガンダン寺の開眼観音

 モンゴルに来て、スケジュールがいっぱいで、気の休まる暇がありません。
 しかし、せっかく来たので、寸暇を惜しんでウランバートル市街と郊外に足を伸ばすようにしています。

 早朝から、ガンダン寺に行きました。第5代の活仏であるボグドハーンによって、1838年に建てられた、チベット仏教のお寺です。

 雪に覆われた寺院群を、朝日が照らしていました。
 
 
 
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 お坊さんたちは、雪道を掃き清めています。
 
 
 
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 私は、鳩に「寒いね」と話かけました。鳩は「今日はまだましだよ」と、やはり寒そうな顔で答えてくれている(?)ように見えます。
 
 
 
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 お香と香水をいただきました。
 
 
 
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 香水は飲んでも大丈夫だそうなので、一口に飲みました。
 
 
 
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 お香の灰は、研究室のお香の床に混ぜようと思います。
 五体投地をする板も、マイナス30度の中に横たわったいます。
 
 
 
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 観音堂には、高さ25メートルもの大きな観音像がありました。
 
 
 
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 盲目となった第8代活仏ボグドハーンが、目の快癒を祈願して建てた、開眼観音です。
 
 
 
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 確かに、目が特徴的です。私も、血糖値に注意している身なので、失明しないようにお祈りしてきました。なお、初代の観音さまは、スターリンが壊してソ連に持ち帰ったため、これは2代目の観音さまです。

 帰りに、街中のゲル地域を通りました。近代建築とゲルが共存している都市ウランバートルは、今後はどのような街作りがなされていくのでしょうか。
 
 
 
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 非常に前向きな街だと思いました。今後が楽しみです。
 
 

大相撲解説者トゥムルバートルさん

 トゥムルバートル・デレグさんは、モンゴルでは日本の大相撲解説者として有名な方です。知らない人は、モンゴルにはまずいません。1995年からモンゴル国営テレビ局スポーツ番組を担当されていました。
 モンゴル国立大学言語学部卒業後、1989~1990年まで東京外国語大学に留学なさっています。
 日本の大相撲初場所が今月の10日(日)からはじまり、大忙しのところにもかかわらず面談に応じてくださいました。それも、相撲放送の直後という慌ただしさの中を、きさくに長時間お話を伺うことができました。

 トゥムルバートルさんの肩書きは、書くのも大変です。

 ・モンゴル・日本文化文学センター(NGO)代表
 ・「ニッポン・ニュース」新聞編集長
 ・モンゴル囲碁協会会長
 ・モンゴル将棋協会会長
 ・モンゴルそろばん協会会長
 ・モンゴル・日本研究協会理事
 ・ラジオ・ウランバートル日本語放送初代エディター兼アナウンサー
 ・モンゴル国立工科大学日本語教師

 著作物もたくさんあります。

 ・「日本語独習書」著作・出版、1991年
 ・川端康成著「伊豆の踊り子」翻訳・出版、1991年
 ・大江健三郎著「不意の唖」翻訳・出版、1995年
 ・司馬遼太郎著「最後の将軍」翻訳・出版、1996年 
 ・芥川龍之介著「馬の脚」翻訳・出版、1999年
 ・那須田稔著「空とぶオートバイ・本田宗一郎物語」翻訳・出版、2000年
 ・司馬遼太郎「明治という国家」翻訳・出版、2000年
 ・伊藤左千夫著「野菊の墓」翻訳・「ニッポン・ニュース」新聞連載、2001年
 ・森鴎外著「護持院原の敵討」翻訳・「ニッポン・ニュース」新聞連載、2004年
 ・「初心者向きの囲碁ルールブック」著作・出版、2004年
 ・「大相撲が好きな貴方に」モンゴル人向きの大相撲紹介本。著作・出版2006年
 ・新渡戸稲造著「武士道」日本語から翻訳・出版、2007年2月

 また、たくさんの受賞があります。

 ・司馬遼太郎著「最後の将軍」のモンゴル語翻訳により、「1996年度モンゴル翻訳同盟賞」受賞(1997年2月)
 ・日本文化紹介の功績を評価し、日本駐在モンゴル大使から感謝状受賞(2000年10月)
 ・モンゴルに大相撲を紹介した功績を評価し、モンゴル日本式相撲協会から「大相撲紹介功績者」賞受賞(2005年5月)
 ・日本文化紹介の功績を評価し、在モンゴル日本大使から表彰状受賞(2009年9月)

 とにかく、モンゴルを代表する日本との文化交流のキーマンです。

 お一人で編集発行されている「ニッポンニュース」をいただきました。6千部を発行しているとのことで、その精力的なお仕事ぶりが伝わってきます。
 
 
 
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『武士道』の精神は、これまで以上にこれからのモンゴルの人々に必要な精神的な基盤になる、という話は心に残りました。
 日本とモンゴルの文化交流の大切さと、その背景にある不断の努力に思いを致す面談となりました。
 
 
 
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2010年1月12日 (火曜日)

ホテルの部屋からの通信は断念

 月曜日は、早朝からコンピュータエンジニアの方が私の部屋まで来られました。インターネットの接続について、いろいろと試されます。しかし、やはりつながりません。

 私の片言の英語と、フロントで日本語ができる方の通訳を通して、試行錯誤が続きました。
 テスターやルーターなどの機器まで持って来たりなさるのですが、うまくいきません。何度も、携帯電話で会社と連絡を取っておられます。
 結局は断念となり、夕方、もう一度調べてから来るとのことでした。

 今日は大事な仕事があるため、接続実験に立ち会うことができません。
 夕方、ホテル側が責任をもって部屋に入り、接続できるようにするとのことでした。
 そこで、パソコンがパスワードを要求するアクションの設定をすべて無効にしました。また、パスワードも一時的に変更し、作業中にパスワードが要求されないようにしてから、ホテルを出ました。

 たくさんの成果を得てホテルに帰り、パソコンのネット接続を試すと、やはりつながりません。しばらくすると、フロントから電話がありました。接続できなかった、とのお詫びでした。

 そして、地下にビジネスセンターがあるので、そこの利用は有料だが私には無料で使えるようにする、とのことでした。しかし、そこのマシンはウインドウズであることは明らかなので、一番いやな展開になったのです。
 それでも、毎日ブログを公開していることもあり、ここで途切れるのももったいないので、日頃は馬鹿にしているウインドウズでも今は使うしかないと諦めて、ビジネスセンターに行きました。

 小さな部屋に、パソコンとプリンタとコピー機がありました。
 パソコンを起動してネットにつなげようとしても、つながりません。いろいろとやってもだめなので、機器の後ろを確認すると、なんとネットワーク用のケーブルがパソコンまで届いていないことに気づき、改めてつなぎ直しました。
 次に、持参のUSBメモリをコネクタに差しても、これまた認識しません。前面にある2つのコネクタが、共に反応しないのです。
 そこで、背面をみると、もう一つUSBメモリのコネクタがあったので、そこに差すと認識しました。どうやら前面の差し込み口は、接触不良か壊れているのでしょう。背面にもコネクタがあって助かりました。

 ブログ用にあらかじめ書いておいた文書をUSBメモリから読み込むと、今度は何と文字化けです。いろいろと設定を変えたのですが、何をしても直りません。
 しかたがないので、マッキントッシュを使って、文字コードをウインドウズでも読めるはずのものに書き換えて保存し直したもので試しました。それでも、また文字化けします。これでは、ネットにアップできません。

 このビジネスセンターにも見切りをつけ、別のウインドウズマシンを調達して何とかこの日は凌ぎました。ウインドウズマシンならば、私の部屋から接続できるのです。しかし、私はウインドウズを使いたくありません。

 何度も海外でネットにつなげています。それも、マッキントッシュを使ってです。こんなことは初めてです。
 昨年、イタリアのローマでつなげなかったときには、ウイルス対策ソフトが原因だったので、機能しないようにして事なきを得ました。あのときは、フロントの人とハイタッチをして喜んだものです。

 今回は、それでもだめなのです。ウインドウズがつながってマッキントッシュがつながらないとは、ありえないことです。プロキシーやポートのことを訊いたのですが、回答はありませんでした。ホテル側のルーターの設定意外に考えられません。しかし、そんなことを追求している暇はありません。

 今回は、使い慣れたマッキントッシュでネットに接続することは断念せざるをえなくなりました。
 そんなこんなで、ブログのアップは2日遅れ、記事も半分にしての更新です。
 たくさんの成果は、帰国後に別の形で報告します。
 
 

雪の中のゲルを訪問し馬に乗る

 朝早くから、ウランバートルの郊外へ出かけました。
 日曜日ということもあり、車は少なかったので、雪道を80キロで走ります。制限速度なので、高速なみです。
 Hさんの手配で、郊外のゲルに案内してもらえることになったのです。
 実際に生活なさっている方の家(ゲル)に行き、いろいろと勉強させてもらえるとのことです。

 大自然の中、車はひたすら南下します。
 
 
 
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 大平原の中を疾走中に、突然虹が現れました。しかも、太陽を取り巻くように丸い虹でした。この地域でも、虹は久しぶりだそうです。今年は、例年になく寒いとのことです。
 
 
 
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 やがて道なき道を走ります。
 まさに、映画の中にいるようでした。
 
 
 
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 途中で、車が雪につかまり、数人で押したりもしました。
 車2台で出かけた理由の一つがわかりました。
 
 
 
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 草原の中のゲルも、この冬では雪に埋もれた中での生活です。
 途中でいくつか、ゲルで生活をする家の横を通ります。
 
 
 
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 飼われている動物がいたら、近くに人が住んでいる印です。
 
 
 
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 いろいろなゲルで道を訊きながら、ようやく目的のご家族が生活しておられるゲルに辿り着きました。
 
 
 
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 ゲルの横には、ソーラーパネルがあるのには驚きました。
 中に入れてもらうと、電灯があるのです。
 
 
 
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 家族の方が、遠来の客として歓待してくださり、いろいろな食事や飲み物を作ってくださいました。
 
 
 
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 家の中の2本の柱の間が神聖であることなど、生活・習慣・仕来りなどなど、たくさんのことを伺いました。
 まずは、スーティー・ツアイというミルクティーです。冷凍した牛乳を溶かし、そこへ中国茶を入れて煮立てます。
 
 
 
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 左が馬乳酒で、右がミルクティーです。
 
 
 
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 馬乳酒は、アルコール分は3パーセントです。少しすっぱみのあるヨーグルトドリンクのようで、飲みやすいお酒でした。
 これは、夏から秋にかけて飲むもので、冬にはもうないはずです。しかし、偶然ですがこの家には残したものがあり、幸運にも飲ませてもらうことができました。
 馬乳酒とミルクティーを一緒に飲むとお腹を壊す、ということなので、私は馬頭酒だけをいただきました。大変おいしいお酒でした。

 次に、この家特製のボーズ(ギョウザ)を作ってくださいました。
 
 
 
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 昨日、街で食べたものとはまったく違う、少し味の濃いボーズでした。

 ちょうど、家畜の放牧の時間となり、小屋から羊などを放していました。
 
 
 
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 小さい子も、羊を追う手伝いをします。
 この子を、私は最初は男の子だと思っていました。しかし、ゲルの中で食事をしたときでした。中が汗をかくほど暑いので、みんな上着を脱ぎました。そのときの髪型をみて、女の子だったのかと思いました。ところが、聞いてみると男の子なのです。2歳だと。元気で、よくしゃべります。
 男の子は、3歳までは女の子として育てるのだそうです。それは、男の子は弱いので、悪魔を欺すためなのだそうです。

 せっかくなので、モンゴル馬に乗せてもらいました。
 私は、遊園地で木馬に乗っただけで、本当の馬に乗るのは初めてです。
 
 
 
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 ご主人が、馬で走る見本を見せてくださいました。
 
 
 
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 貴重な体験をすることができました。
 いろいろと配慮と気遣いをしてくださったみなさま。
 本当にありがとうございました。

 
 
 ※まだ部屋からインターネットが使えません。慣れないウインドーズマシンを借りて、この記事もアップしています。
  マックとは勝手が違い、いろいろと不備の多い記事となっています。ご寛恕を。
 

2010年1月11日 (月曜日)

ウランバートルの街を予習する

 まずは両替です。
 市内にあるフラワーセンターの2階に、民間の両替屋さんがあります。そこで、1円=約16トゥグリクの両替をしました。この日のレートは良い方だそうです。結構、財布がお札でかさばります。ただし、モンゴルでは、硬貨がないので楽です。ほとんどのお札に、チンギス・ハーンの肖像が描かれています。

 スフバートル広場に行きました。
 スフバートルとは、30歳で夭逝したモンゴル革命の英雄です。その騎馬像が、広場の中央に建っています。
 
 
 
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 この像の後ろの近代的な建物は、町での目印にはなりますが、あまりにもデザインが欧米の今風で違和感があります。オーストラリアやドバイのものを移築したように見えます。ここにこの建物はどうでしょうか。

 この反対の北側の政府宮殿には、チンギス・ハーンが鎮座しています。新しいものです。威厳のある姿です。
 
 
 
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 そのすぐ横にある民族歴史博物館に入りました。
 モンゴル各地の民族衣装は、楽しく見ることができました。
 社会主義時代と現代の民主化されたモンゴルが、バランスよく展示されています。説明による限りでは、弾圧から民主化への流れが、お互いを傷つけないように配慮されているように感じました。

 展示されているお琴の弦は10本でした。『源氏物語』をモンゴル語に訳す上で、6絃の和琴や7絃琴、そして13絃の箏などを、どのように訳しわけるのでしょうか。この点を、月曜日からの翻訳者との面談で確認したいと思います。
 キリル文字を導入する前のモンゴル語が、縦書きで左から右に書いていたことを知りました。したがって、写本などは左側を綴じています。
 また、民主化後は、かつての縦書きのモンゴル語も、学校で教えるようになったそうです。ただし、自分で書いたりまではできないとのことでした。
 展示室の一角で、筆で自由に文字が書けるところがありました。
 こんな感じです。チンギス、モンゴル、くに、という文字が書いてあるそうです。
 この字がうまいのかどうか、まったくわかりません。参考までに。
 
 
 
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 衣服などの展示は、これまた『源氏物語』を訳す上ではモンゴルの文化との違いがたくさんあることでしょう。これも、明日、確認したいと思います。

 ガンダン寺へ行ったのですが、冬ということもあり早くに閉まっていました。
 鳩の餌を売る子どもたちが、無理矢理餌を車の中に投げ込んでお金を要求します。追い返すのが大変でした。インドを思い出します。

 その周りのモンゴル特有のゲル地区を散策しました。街中に、丸いテントを張った住居が密集したところです。あまり私生活を覗き見しないように周回しました。

 晩ご飯は、ノミンデパート(旧国営デパート)の前にある、ハーン・ボーズへ行きました。モンゴル料理のファミリーレストランです。
 大きな餃子のようなボーズは、中国のパオズと同じ蒸した餃子です。この店のボーズは大きいので、3つでお腹がいっぱいになります。これと、野菜サラダとモンゴルミルクティを注文しました。

 このお店を出たところの公園の中に、ビートルズのオブジェがありました。
 
 
 
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 最初は、誰か行き倒れの人がいるのかと思いました。通りかかった人を、ドッキリさせるものです。

 今日の外気温は、マイナス25度のようです。
 身体も少し慣れたのか、突き刺すような冷たさはかんじませんでした。
 ただし、眼鏡が曇るのは困ったことです。鼻から口をマフラーで覆っているので、吐く息が眼鏡を曇らせるのです。マフラーの巻き方や呼吸に、工夫してはいます。しかし、すぐに曇って白く凍り付きます。
 曇り止めのスプレーなどは、売っていないようです。

 今日もまだインターネットが、部屋から使えません。
 悪戦苦闘しています。
 なかなかうまく記事をアップできません。数日遅れの更新となっています。悪しからず。
 
 
 

2010年1月10日 (日曜日)

初外出で眼鏡が曇りさらに転倒

 朝食の後、フロントで接続のお願いをしたところ、今日は土曜日で技術者が休みだとのことです。
 そして、明日も、日曜日なので、月曜日にならないと接続の手伝いができないそうです。ビジネスセンターがあるので、そこでなら有料で使えるとのことでした。しかし、部屋で使いたいことを伝えたところ、すぐに部屋に誰かを行かせるということでした。
 30分待っても来ないので、フロントに「まだですか」と電話をしたところ、しばらくして女性が来られました。
 片言の英語で何とか窮状を訴えました。しかし、ネットワークのことは私よりもご存知ない方だったので、時間のロスでもあり、諦めることにしました。

 午前中は、ホテルの周辺を散歩しました。
 まず、吐く息でメガネが曇ります。そして、それが凍結するので、メガネの曇りがそのままシルクスクリーンとなり、やがて白い幕が張られるのです。前が微かにしか見えません。これは意外でした。
 曇り止めのスプレーを持ってくるのでした。

 また、膝から太腿が非常に寒さを感じます。足元だけではなく、下半身全体にも、寒さが直撃しているようです。

 ホテルに帰る坂道でのことでした。
 フッと気を抜いたのでしょうか。ものの見事に転んでしまいました。右手で受け身をしたので事なきをえました。しかし、手が沁みるほど冷たい感触が、しばらく間は残っていました。
 これは、外出時に一番注意すべきことのようです。

 この記事も、パソコンを借りての更新です。
 
 
 

マイナス34度のウランバートルに到着

 チンギス・ハーン国際空港に着いたのは、夜の11時過ぎでした。時差は1時間なので、日本の深夜0時です。
 気温はマイナス34度でした。話に聞いていた、驚異の氷点下の世界です。

 機内から出ると、吐く息がたばこのように白いのです。日本ではないことに、新鮮な思いがしました。日本の稚内(ノサップ岬)と同じ緯度です。
 呼吸が、少し息苦しいようです。これは、寒さばかりではなくて、ウランバートルが海抜1350メートルのせいでしょう。空気が薄い気がします。しばらくの間は、幾分深く呼吸をしていました。
 荷物がなかなか出てきません。ターンテーブルの横で待っているうちに、足がだんだん冷えてきました。靴は、日本から履いて来たスポーツシューズです。ヒートテックの靴下を2枚履いているとはいえ、マイナス34度は足下をジンジン包み込んで来ます。

 昨日から長期調査のためにウランバートル入りしていた国立民族学博物館の大学院生のHさんが、空港に迎えに来てくれていました。真夜中なので、大助かりです。ありがたいことです。これから一週間お世話になる運転者さんも一緒です。心強いことです。
 車を空港玄関のすぐ前に留めているとのことなので、急いで外へでました。
 外気は最初は何ともなかったのですが、次第に肌を刺すようになります。
 空気の冷たさが目の縁に沁みます。メガネのフレームが冷たくなっていくのを実感できます。
 
 
 
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 地面が凍結しているので、気をつけて歩きながら車に乗り込み、一路ホテルへ向かいます。
 一面、白い世界です。

 ホテルのチェックインを終えたのは、深夜の1時を過ぎていました。
 部屋は暖かく、お湯がでたのでホッとしました。部屋には、スチームの暖房機が2つあります。
 
 
 
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 早速インターネットを使おうとしましたが、なかなかつながりません。
 ウインドウズマシンの接続方法を書いた紙は置いてあります。

The instruction for use ADSL internet connection (WINDOWS only)

高速LAN接続マニュアル(ウインドウズ版)

 しかし、マッキントッシュのパソコンに関しては、次のように書いてあります。

Please ask the Hotel concierge if you can't connect to the internet by using Machintosh.

マッキントッシュの場合は接続できない場合がありますので、個別にお問い合わせください。

 いろいろと設定を試行錯誤しました。しかし、どうしてもつながりません。
 
 
 
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 初日の夜も遅いことなので、諦めることにしました。

 なお、昨日と今日の記事は、ウインドウズマシンを借りてアップロードしたものです。
 
 
 

2010年1月 9日 (土曜日)

あえて仕事を作っていた仁川空港

 成田のチェックインカウンターでのことです。

 ソニーの薄型液晶テレビのブラビア40インチを荷物として預ける人がいました。それも3台も。東芝のレグザの32インチを預ける人も。日本のテレビは人気があるのでしょうか。

 私の荷物は13キロでした。キャリーバッグは目一杯に詰まっています。しかし、いつもより軽いのは、防寒衣類が大半だからと思われます。何と言っても、靴があるのですから。

 チェックインを終え、荷物を預けた後は、日本で最後の回転寿司を食べるのが恒例の儀式です。昨夜も一人で儀式をするはずでした。しかし、時間がなかったので、回転寿司ではなくて、テイクアウトのお寿司で我慢しました。
 成田の第1ターミナルには、回転寿司の「海鮮三崎港」があります。
 
 
 
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 私が使うことの多い第2ターミナルに回転寿司がないのは、一体なぜでしょうか。
 毎日お寿司を食べる習慣がある私には、行く先々にあってほしいお店です。しかも、私は回転寿司にこだわっています。

 モンゴル航空の機内に入ってから、はじめて正式なモンゴル語を聞きました。サッパリわかりません。続いて英語がアナウンスされたようですが、いつも聞く英語らしからぬものだったので、定型文だけは覚えている私も、聞き取れませんでした。最後の日本語は、少したどたどしいものでした。しかし、この程度の日本語なら大丈夫です。

 乗ったのはモンゴル航空でした。しかし、韓国の仁川で乗り継ぎとなる便でした。
 仁川の外気温はマイナス5度。滑走路には雪です。
 ここで40分の待ち時間だそうです。
 手荷物を持って機外に出ると、すぐに手荷物検査とボディーチェックがありました。
 先ほどまで機内にいて、今出てきたばかりなのに、とにかく厳重な検査です。
 いままで座席に座っていたのは何だったのか、その意図が皆目わかりません。ここで一旦降りても、給油が終わるとすぐに同じ機体で飛び立つはずなのに……。
 インドのムンバイ経由でイギリスに行ったときには、機内で給油後の再出発を待っていました。それなのに、今日は機内から追い出されたのです。
 おまけに身ぐるみ剥がされ、バッグからはパソコンなどの機器を取り出して、X線の検査です。
 そして、ゲートを通るのですが、これまた感度を最大にしてあるようで、乗客のことごとくがブザーのために身体検査です。異常です。何と、フライトのクルーの方やアテンダントの方々も、軒並みアウトです。みなさん、両手を広げて金属探知機を身体に当てられていました。お気の毒なことです。
 まさに、空港職員に仕事をわざと作っているかのような、不毛なできごとです。とにかく、ヒマでなければ、こんな愚かなことはしないはずです。一番憤慨していたのは、ここまで運行してきた飛行機のスタッフの面々だったのではないでしょうか。

 もっとも、再来週に私はアメリカへ行くので、そこではこれ以上に厳重な警戒がなされることでしょう。年末にテロがあったばかりですから。
 X線による身体の透視をするそうです。それならいっそのこと、バリウム検査や胃カメラ検査もしてほしいものです。そうすれば、人間ドックで検査をする手間が省けます。定期検診のころになると、アメリカへ行けばいいのです。

 さて、成田からたどり着いた機内から降りてボディーチェックを受けてすぐに、再度の搭乗となりました。
 搭乗口では、乗客が乗ってきた搭乗券をチェックされました。それも、乗客名簿を印字した紙に、カラーマーカーで色づけしていくのです。「あ・あ・あ・あ」「い・い・い・い」と言いながら、人名を読み上げてリストから探しては緑色の線を塗っていくのです。
 とにかく、これも仕事をわざわざ作っているとしか思えません。
 まさに、インドでよく見かける状況です。10億人に仕事を分け与えるためには、仕事を極端に細分化しないといけません。韓国も人口が10億に近づいたようです。まだ1億程度の日本では、このような無駄な仕事は考えられないことです。

 改めて、成田から韓国まで乗ってきた同じ機体の同じ席に着きました。
 
 
 
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 すると、まもなく子供が泣き出しました。悲鳴に近い鳴き声は、離陸して安定飛行に入っても続いていました。親御さんも大変ですが、乗客も忍耐を強いられて大変です。もっとも、こればかりは、どうしようもないことですが。

 まもなく、日本時間の深夜零時です。順調に飛行を続けています。
 3時間半の旅です。

2010年1月 8日 (金曜日)

最悪の経路で成田へ

出発する段になって、大きな防寒靴をキャリーバッグに入れ忘れていることに気づきました。
何回か履いて歩く練習をした靴です。しかし、このままでは、とても入りません。
すでに詰めたものをいくつか諦めて取り出し、なんとかチャックが閉まりました。

ネットで調べてプリントアウトしておいた紙を片手に、予定通り出発です。

ところが、この前に成田へ行くときもそうだったように、今回も愚かなことをしました。

地下鉄の西船橋駅から京成西船駅に乗り換えるときに気づきました。前から人が来ると擦れ違えないほど狭い道を、しかもガタガタ道で、まともにはキャリーバッグを引けないところを歩くのです。それも、なんと7分も。
駅で道を聞いた時に、バカ丁寧に教えてくださったのは、こんなことだったからなのでしょう。用意してあった道案内の地図をくださった訳がわかりました。こんな経路で成田へ行く人は、よほどの事情がある人でしょう。
どうやら、運賃の一番安い順に検索したものを、その経路をよく確認もせずにプリントしたようです。
苦労して駅に着いても、小さな駅のために、一つしかない改札を入ってから、さらに反対側のホームに渡るのです。
運に見放された時によくある、お決まりのパターンです。
私は、一番薦められない経路を選択したのです。

こんな調子の出発となりました。
さて、今回の旅は、どんなことがあるのでしょうか。

まずは、iPhoneからの投稿です。


2009年12月 3日 (木曜日)

モンゴル行きの準備開始

 新春早々にモンゴルへ行くことになっています。
 モンゴル語訳『源氏物語』に関して、翻訳者との面談により、翻訳にあたっての詳細をお聞きするためです。
 そのために、モンゴル語訳『源氏物語』を日本語に訳し戻し、何が訳されなかったか、どのような事が補足されて訳されているのかを調査してから現地に入ろうと思っています。
 このモンゴル語訳『源氏物語』は、谷崎潤一郎の源氏訳をもとにしてなされたものです。昨年、その第1巻が刊行されたのです。

 今日は、一緒に行ってお世話になる、国立民族学博物館の大学院生2人と京都駅地下街で会い、食事をしながらいろいろと打ち合わせをしました。
 モンゴルについて、たくさんの情報をもらいました。

 冬期はマイナス30度とのことなので、装備を中心に教えてもらいました。
 また、今回の滞在先である首都ウランバートルの様子も、詳細に知ることができました。
 モンゴル語訳『源氏物語』を理解するためには、首都にいるだけでは不十分です。少し郊外に出て、ゲルなどの生活を見る必要があります。なぜこのように訳されているのかを知るためにも、これは不可欠のことです。ただし、寒い時期なので、どこまで見て回るかは微妙なところがあります。
 慎重にプランをたてることにします。

 とにかく、防寒対策に専念します。ユニクロのヒートテックの衣類は、必需品のようです。
 そして食事も、カロリーコントロールをしている私には要注意です。肉や乳製品が中心となり、野菜が足りない生活となるようです。極寒の地だけに、体力の消耗も激しいとのこと。いろいろな対策を練ってから行くことになります。

 ガイドブックが『地球の歩き方』しかないのは、意外でした。また、現地の滞在記も見あたりません。当分は、現地へ行かれた方の話を聞くことで、渡航前の準備にしたいと思います。

2009年12月 1日 (火曜日)

成田空港でインドに関して打合せ

 インドからお越しのアニタ・カンナ先生を、成田空港までお見送りしました。
 成田から飛行機に乗らずに帰るのは、おそらく初めてのことだと思います。
 それにしても、成田は遠いところにあります。羽田に何とか国際線を入れてほしいものです。

 時間が十分にあったので、ティールームでいろんな話をしました。

・インドと日本における文学研究の交流を活発にすること。

・インドから日本に来る留学生の問題意識を高めること。

・インドで日本の古典籍に関する展示をすること。

・来年2月の〈インド日本文学会〉の計画を立案すること。

・デリーとコルカタにある日本の古い本を調査すること。

・『源氏物語』のアッサム語・オリヤー語・マラヤラム語訳を探す。

・『今昔物語集』をテーマにしたプロジェクト研究ができないか。

・日本文学に見られるインドについて情報収集する。


などなど

 インドと日本の国際交流で、文学の分野はほとんどなされていません。
 その状況を打破するために、4年前に〈インド日本文学会〉を作りました。
 この活動については、インドの日本大使館と国際交流基金の理解が得られています。

 地均しは順調に進んでいるので、文学を通してのインドとの交流を、さらに根気強く継続していきたいと思います。

 なお、来年予定している〈第5回 インド日本文学会〉は、2010年2月12日、13日に開催します。
 国際交流基金の会場を借りて、「文学と絵画」をテーマとした集会をおこなう予定です。
 自費参加も大歓迎です。
 この件での問い合わせは、本ブログのコメント欄をご利用ください。

2009年11月29日 (日曜日)

インドからのお客様を小林茂美先生宅へ

 昨日と今日の週末の2日間、国文学研究資料館で「第33回 国際日本文学研究集会」が開催されました。
 今年のテーマは、「語られる人称・なぞらえる視点」です。
 
 プログラム(PDF)
 
 今回が33回ということからわかるように、日本における国際集会としては老舗となりました。30年以上も前から、国際的な研究者の育成に貢献しています。現在、世界各国で日本文学の研究をしている方々のほとんどが、若いときにこの国文学研究資料館の国際研究集会で研究発表をなさっているのです。

 今回、招待研究者としてお呼びしたインド・ネルー大学のアニタ・カンナ先生は、「今昔物語集︰天竺編を中心に」と題する発表をなさいました。スケールの大きな内容で、いい勉強になりました。
 
 
 
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 ここ数年は、私が総合司会としての進行役を務めています。各セッションの座長を務められる先生方の多大なご協力を得て、今年も盛会のうちに終えることができました。
 最後に、国際日本文学研究集会の委員長で東京大学のロバート・キャンベル先生が、2日間の総括をなさいました。
 いつもながら要を得た寸評で、改めてみなさん方の発表のポイントが炙り出されました。17人の研究発表と公開講演のすべてを聴いての総括なので、本当にお疲れのことだったと思います。ありがとうございました。

 ちょうど1年後に、また世界各国から多彩な研究者が集まって、意義深い発表と質疑応答がなされることでしょう。
 春先には、来年度の発表者の募集要項が公開されます。
 元気な若手の参加者を求めています。

 研究集会が終わってからすぐに、今春お亡くなりになった小林茂美先生のご自宅のある田無に向かいました。アニタ・カンナ先生を小林先生の奥さまに引き合わせるためです。
 小林先生の遺言の一つに、遺骨をインドのガンジス川に流してくれ、ということがあったのです。
 来年2月にインドで〈第5回 インド日本文学会〉を開催します。その時に小林先生の願いを叶えるべく、その相談をアニタ・カンナ先生を交えてしました。インドのデリーの方々は、遺骨をガンジス川の上流にあるハリドワールという所へ流すのだそうです。いろいろな話を、アニタ・カンナ先生から聞きました。何事にも好奇心が旺盛な奥さまも、大変興味深く聴いておられました。
 自分も私と一緒にインドに行きたい、と奥さまはおっしゃいます。しかし、体力的にも大変なので、ということでひとまずは思い留まっていただきました。

 法的には問題がないようなので、小さな容器に入れて、私が行ったときに流して差し上げようと思います。奥さまは、自分が行けないなら、その容器を包むものを布で作るとおっしゃっていました。どのようなものをお作りになるのか、楽しみにしたいと思います。

 突然、インドからのお客様をお連れしたので、小林先生の奥さまも信じられないお気持ちの中で、あり得ないことが目の前に展開していることに感激しておられました。遺影の横に初夏に刊行した『源氏物語別本集成 続 第6巻』(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編)があり、アニタ・カンナ先生にも見てもらいながら、奥さまが私との40年来の話をしておられました。そして、この第6巻となる本が小林先生に見てもらえなかったことも。

 我々が帰るとき、足がお悪いのに玄関先まで出て見送って下さいました。角を曲がるとき、私の名前を呼ばれるので振り向くと、大きく手を振っておられます。喜んでもらえたことが伝わり、ありがたく思いながら駅に向かいました。
 
 
 

2009年11月25日 (水曜日)

時計と時間を考える(3)

 シンポジウムの最終日は、エクスカーションとして、セイコー時計資料館(東京都墨田区東向島3-9-7)へ行きました。
 
 
 
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 館員の方の説明が詳しくて、興味深い話をたくさん聞くことができました。
 思い出すままに、メモを記します。

・和時計も掛け時計も、共に名古屋が発祥の地。
 大坂や江戸ではなかったのです。
・尺時計よりも香時計の方が正確。
 粉末にした香を燃やして時間を知る方法の正確さは意外でした。
・文字盤に書かれている子丑寅卯……は、逆回りのものがある。
 これは、針が動くか文字盤が動くかの違いによる。
・指輪型の日時計。
 実用的かどうかは別としてアイデアです。
・明治25年に、精工舎の時計第一号。
・明治32年に精工舎が日本初の目覚まし時計を作った。
・明治42年のオルゴール時計は「君が代」が流れる。
・銀座四丁目の交差点角の和光はセイコーの小売り部門の子会社。
・ムスリム時計はセイコーでは作っていない。
 カシオだけが製造しているようです。

 江戸時代の日本において、時計技術のレベルが高かったことを知りました。
 和時計は、その精度はおくとして、知恵の結晶です。
 こんな冊子があったので買いました。
 
 
 
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 今のように個人が時計を身につけるようになったのは、本当につい最近のことだったのです。
 時間に関する考え方が、今回のシンポジウムを通して改まりました。

 そして今、時間に追われて生活をしている自分について、見つめ直すようになりました。
 現代社会を生きる上では、自分だけではどうしようもないことに囲まれています。しかし、意識を変えれば、それはまた違った生活も可能になることでしょう。

 時間に追いかけられない生活を送るために、もう少し工夫をしたいと思います。
 まずは、予定をぎっしりと詰めないこと。毎日を予定で埋めて満足しているところがありました。
 そして、何でも引き受けないことでしょうか。断れない質なので、これは固い意志がいります。

 来月からと言わず、明日から実践したいと思います。
 
 

2009年11月24日 (火曜日)

時計と時間を考える(2)

 シンポジウムの2日目です。
 今日も、ものの見方が違うとこんなに違うのか、ということを知り、楽しくなりました。

 時空間を語るはずの講師の先生が、ご自分の発表時間を勘違いなさっていて、開始時間にまだ東京駅だとの連絡が入りました。立川までは、そこからさらに70分かかります。悠然と会場にお越しになった先生は、時間を超越しておられました。
 時間というモノは、なかなか奥の深いものだということを実感しました。

 身体が持っている時間の感覚、宗教における時間の意味、スポーツの世界での時間の観念などなど、たくさんの時間があります。
 その時間に縛られるようにして生きる現代人について、というよりも私自身について、思いを廻らしながらの1日でした。

 雑談も楽しいものです。
 耳の聴覚について、話題が脱線したときのことです。

 人間の耳は、自然界にある3万ヘルツから4万ヘルツまでの音も聞こえているそうです。ちょうど、レコードの音がこの範囲。海や山で、この音が背景に流れているのでしょう。意識しなくても、あるものとして無視しているだけなのです。
 ところが、今全盛のCDの音は、8千ヘルツ以上は人間には知覚されないものということで、バッサリとカットされているようです。そのため、CDの音楽を聴くと、聞こえない8千ヘルツ以上の周波数の音をも人間が自然界のものとして補おうとするので、かえって疲れてしまうという状況が生まれている、とのことでした。
 また、3万ヘルツ以上で、ホルモン、快感、意欲、学習などに関わるドーパミンという物質が出るとも。
 この領域の音を出す、お祭りで使われる鈴やタンバリンの音には、トランス状態にする働きがあるのです。
 こうした高周波数の音は、耳の限界を超えた世界に連れて行ってくれるものなので、幻覚や妄想にも関係してきそうです。
 快い気持ちや不快な気持ちを引き起こす周波数も、人間が時間の長短を感じる点では関係がありそうです。

 そういえば、小さい頃に「海底人8823(ハヤブサ)」というテレビ番組がありました。
 そこでは、3万サイクル(ヘルツの旧単位)の音波を出す笛を少年が吹くと、8823が現れて助けてくれる、という展開でした。誰にも聞こえない音なのですが、人間には意識されないだけのものだった、ということのようです。

 この記事を書いている時に、そのドラマの主題歌「海底人8823」が見つかりました。ビクター児童合唱団が歌っていたのですね。

誰の耳にも 聞こえない 3万サイクル 音の笛 その笛聞けば 飛んでくる エイッ! 8823 謎の人 8823 海底人 正義の勇者だ ハヤブサだ

 これが、私には歌えるのです。
 昭和35年に放映されているので、私が小学校低学年の頃です。驚きました。小さい頃、よっぽど真剣に見ていたのでしょう。
 私の家にテレビが来たのは、小学5年生の時でした。それまでは、隣や知り合いの家に見せてもらいに行っていた時代です。
 この「海底人8823」も、姉と一緒に、夜分テレビを見せてもらいに行っていた頃の記憶ということになります。

 さて、2日間にわたってのシンポジウムの発表と討議も、日頃とは異なる話題だったせいか、大変楽しい時を共にできました。
 つかれない集会は、久しぶりだったように思います。
 
 

2009年11月23日 (月曜日)

時計と時間を考える

 時間というモノについて、改めて考えさせられるシンポジウムに参加しました。

 日頃、なにげなく見ている時計や、急かされる時間について、国際的な、そして多方面からの切り口の話を聞きました。
 非常に刺激的でした。

 国によって、宗教によって、時間の捉え方は違います。また、時計というもののありようも、これまた違います。
 その眼で身の回りを見渡すと、おもしろいものです。


 そういえば、関西と関東でも、時間の観念は違うように思います。
 同じ国でも、地域によって違うことも、興味を持ちました。
 日本では、○○時間というものがあります。あれは、全国的に日本では時間を守らなかった証拠なのでしょう。
 いつから、日本人は時間に忠実な行動をよしとするようになったのか、おもしろい問題です。

 文学作品の中に描かれた時間や、街中の時計など、これから注意が向きそうです。

 それにしても、私が腕にしている時計は、と考えてみると、これまた楽しくなります。

 今回のシンポジウムは、3日間にわたって開催されます。
 プログラムは、以下の通りです。
 ものの見方に刺激をもらう、貴重な時間に身を置くことにします。


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平成21年「文化の往還」国際シンポジウム


テーマ:「ユーラシアと日本:時計と時間をめぐる比較文化」

開催時期:平成21年11月23日(月)~25日(水) 開催場所:国文学研究資料館・大会議室(2階)http://www.nijl.ac.jp/~koen/tizu.htm 使用言語:日本語・英語(同時通訳予定)

開催趣旨:時計の登場と普及によってもたらされた時間をめぐる人間の営みの変容について、時計というモノに即しつつ、比較文化的視点から語り合う。西洋世界の時間が機械時計をともなって西洋の外に広がろうとしたとき、在来の生活と文化はそれにどのように向き合い、応答しようとしてきたのか。文学テクスト・映像芸術・公共空間・身体感覚などの領域を、文化の相互接触がはたらく場としてとらえかえし、近代の時間という問題系を再構築することを目指す。

◆1日目 11月23日(月)

9:00~10:00
開催趣旨(10分)谷川惠一(国文学研究資料館)
基調講演(50分)フロリアン・クルマス(ドイツ‐日本研究所)※英語にて発表
10:00~13:00 セッションⅠ「翻訳される“時”」 座長:谷川惠一
発表Ⅰ-1(40分) 谷川惠一(国文学研究資料館、日本近代文学)
発表Ⅰ-2(40分) 表世晩(韓国・郡山大学校、日本文学)※予定(ディスカッサント)
発表Ⅰ-3(40分) 李冬木(佛教大学、中国近代文学)※予定
全体討議(60分)
13:00~14:00 昼食
14:00~17:00 セッションⅡ「時計と時間」 座長:小長谷有紀(国立民族学博物館)
発表Ⅱ-1(40分)西尾哲夫(国立民族学博物館、言語学・アラブ研究)
発表Ⅱ-2(40分)橋本毅彦(東京大学、科学史・科学哲学)
発表Ⅱ-3(40分)五十嵐太郎(東北大学、建築学・建築評論)
 全体討議(60分)

◆2日目 11月24日(火)

9:00~12:00 セッションⅢ「時と身体・生活」 座長:山中由里子(国立民族学博物館)
 発表Ⅲ-1(40分)小山恵美(京都工芸繊維大学、医用生体工学・環境生理学)
発表Ⅲ-2(40分)大森康宏(立命館大学、映像人類学)
発表Ⅲ-3(40分)石井隆憲(東洋大学、スポーツ科学・文化人類学)
全体討議(60分)
12:00~13:00 昼食
13:00~15:00 総合討論 座長:谷川惠一
15:30~17:30 懇親会


◆3日目 11月25日(水)

9:00~12:00 エクスカーション:セイコー時計資料館(東京都墨田区東向島3-9-7)


 
 

2009年10月 4日 (日曜日)

英訳短歌の冊子あり〼

 先月、9月21日にケンブリッジ大学で実施した日本文学国際研究集会において、中村久司先生が「英訳和歌:和泉式部歌一首の六翻訳例」と題するすばらしい研究発表をしてくださいました。

 その日に合わせて発行された『万葉集』の英訳などが収録され冊子『Ten Thousand Leaves The 1,250th Anniversary of Manyoshu The Oldest Collection of Japanese Poems』(12頁)を、このたび中村先生から50部いただきました。
 日本では手に入らないものなので、非常に貴重な冊子だと思います。
 
 
 
091001nakamura1表紙
 
 
 
091001nakamura2巻頭
 
 
 
 興味と関心をお持ちの方に、無料でさしあげたいと思います。
 ただし、何かと多忙な折でもあり、以下の要領で連絡をくださった方に、先着順にてお渡ししたいと思います。
 もし手元の冊子がなくなりましたら、中村先生に寄贈の追加をお願いするつもりです。
 いずれにしても、本ブログで経過を報告いたします。

・一人 1冊 無料

・日本郵便の「エクスパック500」に「お届け先」を記入したものを、以下にお送りください。

・〒190-0014 東京都立川市緑町10 -3
    国文学研究資料館内 伊藤鉄也 宛
 (10 - 3 Midori-cho,tachikawa-city,Tokyo 190-0014,Japan
  National Institute of Japanese Literature ITO Tetsuya) 
 
・「ご依頼主」覧の「おところ」と「おなまえ」の所に、私の上記住所氏名をあらかじめ記入したものを送っていただくと、冊子を封入してすぐに返送できるため、私としては助かります。



 発送などに関する確認やトラブルや苦情は、できるだけなくしたいと思います。
 失礼のないように心がけますが、ご理解とご協力を、よろしくお願いします。

 なお、中村先生からは、以下の冊子紹介の文章をいただいています。

日本最古の歌集「万葉集」の最終歌が大伴家持によって詠まれてから、今年で1250年になります。また、藤原定家が「近代秀歌」を源実朝に贈って、今年で800年になります。この記念すべき年に、英語圏の人々に万葉集と古典短歌を紹介したいと考え、「日英短歌ソサエティー」はこの小冊子を作成しました。万葉集から36首を取上げて解説を付け、小町・和泉式部・西行・定家・式子内親王の秀歌各一首の英訳も載せています。最後に、古典短歌を学んだ英国人大学生が詠んだ英語短歌5首も加えています。

 中村久司先生は、英国ヨーク・セント・ジョン大学の国際センターで日本プロジェクトオフィサーとして活躍中です。
 英国滞在21年で、ご専門は平和学です。大学では、英文科と美術学科の生徒に、新古今和歌集を中心に和歌を教えておられます。
 2005年に「日英短歌ソサエティー」を創立。現在、会員は21カ国に約200名。
 2008年に、日英交流への貢献で、外務大臣表彰を受賞なさいました。


2009年9月27日 (日曜日)

英国料理は高カロリー?

 今回、イギリスでの研究発表会に参加し、主催する立場にあった中で、日々の血糖値が気になっていました。
 予想外に高かったのです。
 まず、数値を示します。

 渡英前4日間。

 115 − 116 − 133 − 121

 まず、ロンドンからノーリッジへ。

 141 − 162 − 160

 次にロンドンからケンブリッジへ、そしてロンドンへ。

 140 − 122 − 156 − 187

 そして日本へ帰国して後の4日間。

 129 − 122 − 126 − 136

 日本での食事では、糖尿病の境界値と言われる「126」をうまくかわしています。
 しかし、イギリスでは乱れたのです。

 海外では、気力と体力が一番大切です。そのために、食事は多めに摂ることにしています。
 また、睡眠時間もいつもりより意識して多く取ります。

 ノーリッジに着いた日は、多分に意識して、夜食にお寿司も食べました。
 2日目は、歓迎のお食事会がありました。脂っこいものは避けたつもりですが、やはりカロリーが高かったようです。
 3日目は、研究発表が終わったということもあってか、そんなに食べなかったのですが油断があったようです。

 ロンドンに移動してからは、まずは回転寿司で体調を整えたせいか、少しずつ平常にもどりました。
 しかし、ケンブリッジに移動してからは、また高くなりました。多分に国際研究集会の準備などでクタクタになり、よく食べたからでしょうか。

 ケンブリッジ最後の夜は、無事に大過なくイベントが終わり、夜遅くまで飲み歩いたせいでしょう。

 日本に帰ると、すぐにお寿司を食べ、野菜中心の生活に戻りました。

 海外での食生活は、自己コントロールが難しいことを痛感しています。
 気遣いによる疲れを食事で体力の維持につなげようとすることは、なかなか難しいものです。
 また、見た目よりもバターや動物性のものがたくさん使われているようです。

 今後とも、このような生活が続きます。
 自分の血糖値のコントロールとの闘いは、まだまだ続きます。

2009年9月26日 (土曜日)

機内で見た映画2本

 今回の旅では、今経営で問題となっているJALを使いました。サービスはよかったと思います。

 今回のフライトに用意されていた映画は、往復共に同じものでした。
 往路では観ようと思うものが1つもありませんでした。
 仕方がないので、退屈を紛らわすために、歴史ドキュメンタリーの「織田信長と斎藤道三」のビデオだけを観ました。これは、最近、井上靖の戦国物を読むことが多いので、興味が湧いたからです。知らないこともあり、楽しめました。

 帰路では、11時間もの長時間が退屈でもあり、本を読んだりパソコンに文章を入力した後に、適当に2本の映画を観ました。

 フェイ・ダナウェイとウォーレン・ベティの「俺たちに明日はない」は、かつて見たことのあるものです。しかし、ほとんどあらすじを忘れていて、今回、改めておもしろいと思いました。
 監督はアーサー・ペン、1967年のアメリカ映画です。
 この映画で、フェイ・ダナウェイはアカデミー主演女優賞にノミネートされています。
 フェイ・ダナウェイというと、私は、この翌年に公開された「恋人達の場所」が好きです。
 これは、マルチェロ・マストロヤンニと共演したもので、フェイ・ダナウェイの服装が印象的でした。黄色やオレンジの衣装が、今も目に浮かびます。特にツバ広の帽子が……。
 不治の病と絶望的な恋という内容で、暗さに包まれた映画でした。「恋人達の場所」は、ビデオなどでも、何度か観た記憶があります。音楽と色彩がよくて、フッと観たくなる映画の1つです。
 今回観た「俺たちに明日はない」は、実話をもとにした犯罪物ですが、その荒っぽさが主人公2人のイメージと微妙にバランスを保っています。最後の「死のバレエ」と言われる壮絶なシーンは、忘れられないものとなっています。

 もう1本、「GOEMON」を観ました。これは、江口洋介が石川五右衛門役で出演する、今年話題の作品です。監督は紀里谷和明です。
 茶々役に広末涼子が扮していました。私は広末があまり好きではないので、誰だったらいいのかな、と思いながら観ました。
 映画は、極彩色の時代劇です。ファッションは現代的です。しかし、非常に違和感のある、ゴミ箱のような映画でした。画面が汚いのです。目がチカチカしました。
 物語の展開が早いところは、気持ちがいいくらいでした。
 しかし、コンピュータグラフィックに懲りすぎたせいか、映像的には大失敗でしょう。実写と人工画像に落差がありすぎて、ぎこちない画面となっています。こうしたところに、下品さを感じました。無理矢理押しつけられる人工的な施しに、拒絶反応を示す人は多いでしょう。
 それにしても、画像のコンピュータ処理が下手ですね。コンピュータの性能が格段に進歩したのに比べて、それを活用する技術が追いついていません。20年前の、8ビットのパソコンで頑張って処理をした画像です。
 できそこないのコンピュータゲームの延長と思えば、その出来の悪さが少しは理解できます。
 いずれにしても、人に見せるほどの映像には至っていません。最新のマシンを使い、最新の映像技術でこんな遊びをしてみました、という程度のものです。それが稚拙に留まっているのですから、映画の数百歩手前と言えるでしょう。
 また、内容の鍵となる、政治的な陰謀というのも、その意図と展開がよくわかりませんでした。
 おもしろくしようとする意図が露骨に出過ぎたのが、マイナス要因の最たるものでしょうか。

 「天使と悪魔」もあったのですが、これは公開早々に劇場で観て失望したので、2度目は観ませんでした。
 このことは、本ブログの「退屈だった映画『天使と悪魔』」に書きましたので、おついでの折にでもご笑覧を。


2009年9月25日 (金曜日)

ロンドンの最後は回転寿司で

 キングスクロス駅の手荷物預かりにボストンバッグを預け、今夜ヒースロー空港から出発するまでは市内散策で時間を使うことにしました。1日8ポンドの利用料金です。
 予定では、パディントン駅からヒースローエクスプレスで空港に直行するはずでした。しかし、事故のために列車が運休とのことです。旅先ではよくあることです。常に、電車が走らない場合のことを考えて行動する癖がついているので、慌てることはありません。日本だって、東京の中央線などは、しょっちゅう停まっています。日本の鉄道事情も、海外並に時刻表通りには走らなくなりました。

 キングスクロス駅と大英図書館の間に、新しくなったセントパンクラス駅があります。ここから、パリへ直行するユーロスターが出発します。駅の構内に入ってみました。パリへつながる道の始発点ということもあり、非常に明るい雰囲気です。もとの建物の赤煉瓦がうまく融合した、イギリスとフランスの合作駅といえましょう。
 
 
 
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 コンコースで、2つの銅像が目を惹きました。
 
 
 
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 手前のおじさんは、いかにもこれからパリへ、という様子です。何か謂われのある像なのでしょうが、今はわかりません。

 その向こうの大きな時計の下に、寄り添う男女がいます。
 ジッと見上げると、戦場へ行く男を見送る女を表現したように思えます。
 見飽きることのない、心を掴む構図です。男女が寄せ合う鼻の高さが、フランス人らしいですね。キスをするときに鼻が邪魔になったと言ったのは、イングリッド・バーグマンでしたっけ。
 
 
 
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 大英図書館の横のバーが完成していました。もうお客さんが入っています。
 
 
 
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 4日前には、まだ内装が終わったばかりでした。
 本ブログ「ハリーポッターのカートが移動」で掲載した写真のように、突貫工事をしていたのです。あっという間にオーブンです。

 大英図書館で、日本の絵巻物やビートルズの楽譜や音楽を聴いた後、トラファルガー広場へ向かいました。
 途中のレスタースクゥェアの公園で、チャップリンの像を見ました。これは、あまり知られていないようですが、ナショナルギャラリーの真裏の劇場街にあります。
 
 
 
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 トラファルガー広場の一角では、今日もパフォーマンスをしていました。
 すでに、上の「ハリーポッターのカートが移動」で1つを紹介し、「偶然に出くわした珍しい瞬間」 で2つ目を紹介しました。
 帰国する今日、2つ見たので、今回の旅で4人のパフォーマンスを見たことになります。
 
 
 
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 どれも、通りがかりの私には何をしているのか、よくわかりませんでした。
 今日の女性は、オセロのように陣取りをしているだけです。ご本人には、いろいろな意味があっての登壇なのでしょう。動かずにずっと立ち続けるチャップリンの像を、この台座に載せてあげたくなりました。だれか、そのようなパフォーマンスをする人は現れないのでしょうか。

 ヒースロー空港の中に、回転寿司のYo寿司がありました。この空港にあるのは、今回はじめて知りました。いつできたのでしょうか。今年の2月には見かけなかったのですが。
 
 
 
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 味噌汁、まぐろ、サーモン、うなぎを食べました。
 
 
 
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 酢飯の味はいいのですが、肝心のネタがいまいちでした。これは、透明のカップで覆って回していることも関係します。
 回転寿司屋のターゲットは、地元の人と、一見の旅行者と、そして日本人が想定されています。
 イギリスは日本人がたくさん出入りするので、この店はおそらく日本人をも意識したお店の方針があるのでしょう。丼物をはじめとして、メニューは豊富です。
 Yo寿司は、パディントン駅の構内にもあります。

 今春、「ロンドンの回転寿司」で紹介しました。
 チェーン店としては、この空港のほうがご飯がいいようです。
 私が行ったときに流れていたネタの品揃えはというと、パディントンの方が良かったように思います。

 待望のお寿司で満腹となり、その後の機内食の夕食はパスしました。

 それにしても、日本人がお寿司を高級がっているうちに、海外の回転寿司事情は完全に日本が完敗です。海外の企業が、食材の流通から店舗経営のノウハウまでを、完全に制覇してしまいました。
 自虐的な日本人の性向が、ここでも惨敗を喫したことになり、悔しくてなりません。

 国内の高級店で、おやじの能書きを聞ながら有り難がって食べる寿司が、日本的な食文化の名残ということでしょうか。それも、韓国が寿司は自分達の文化を日本人がまねしたものだとネットで吹聴しています。
 日本が寿司を生み出した、ということも放棄せざるを得ない流れが生まれていることに、忸怩たる思いがあります。

 庶民の立ち食い文化としての回転寿司の登場は、東大阪市の布施にある元禄寿司が発祥です。大阪の八尾で10代を過ごした私には、懐かしいお店です。
 寿司を芸術化すると、着物がそうだったように、日常から切り離された日本的なものとなります。
 せめて、国内だけでも回転寿司をひいきにし、また新たな食文化を展開していきたいものです。


2009年9月24日 (木曜日)

花とオブジェのカレッジを散策

 ケンブリッジ大学の中のクイーンズカレッジの庭園は、花々が咲きそろうイングリッシュ・ガーデンです。
 今回研究発表をしたレベッカさんがこのカレッジに所属していることから、一緒にこの庭を散策することができました。カレッジの庭園の見事さを堪能しました。
 まず目を惹くのが、学生寮です。森と庭と花の中で、私も心置きなく本を読みたいものです。
 
 
 
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 そして、広々とした庭には、配色に心を配った花が……。
 庭の向こうには、図書館のメインタワーが見えます。
 
 
 
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 夕食のために、ケンブリッジの街中へ向かいます。
 途中で、セントジョンカレッジが見えました。ここは、明治の頃に最初に『源氏物語』を英訳した末松謙澄も学んだカレッジです。
 
 
 
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 食後、夜のジーザスカレッジにも入ることができました。
 今回、ボランティアで手助けに来てくれた学生たちが、中を案内してくれました。
 その重厚さに、圧倒されます。もう、別世界です。
 庭には、さまざまなオブジェが置かれています。花嫁やゴジラや得体の知れない人間などなど。
 現代の美術館に迷い込んだかと錯覚するような異次元空間を、それも夜中に体験することができました。
 
 
 
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2009年9月23日 (水曜日)

ケンブリッジでの国際研究集会

 国際研究集会は、今西祐一郎館長と伊井春樹前館長のすばらしい講演をはじめとして、充実した研究成果の発表がありました。
 この日の内容については、後日印刷物として公開する予定です。

 ここでは、その一端を紹介しましょう。
 ただし、私は一日中司会進行役だったために、写真を丁寧に撮る暇がありませんでした。少しでも会場の雰囲気をお伝えしたいのですがご勘弁を。
 
 
 
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 午前中の研究発表は、インド的な視点から見た『源氏物語』についての興味深いテーマを扱った荒木浩先生と、在英21年で平和学がご専門の中村久司先生の和泉式部の和歌の英訳についての問題提起がなされました。

 中村先生は、2005年に「日英短歌ソサエティー」を創立なさいました。現在、会員は21カ国に約200名だそうです。
 また、2008年には、日英交流への貢献で外務大臣表彰を受賞しておられます。中村先生のことは日本ではまったく知られていませんが、和歌を通してすばらしい研究成果を問うておられます。私とは、娘の英国留学を契機に、7年越しのおつきあいです。

 お昼休みに、ケンブリッジ大学図書館の日本部長をしておられる小山騰さんが、書庫内の日本関係の貴重な本を見せてくださいました。
 特に葵文庫には、貴重な資料がたくさん眠っています。後日、チームを組んで調査に来たいと思います。

 午後は、日英の若者2人が元気のある研究発表をしてくれました。
 レベッカさんは、ケンブリッジ大学博士後期課程で、日本文学の翻訳について博士論文の執筆中です。この日は、末松謙澄の源氏訳の背景についての、おもしろい発表でした。
 國學院大學の博士後期課程の神田久義君は、源氏と寝覚についての新鮮な見解が提示されました。これは、英訳にまで及ぶ、収穫の多いものとなりました。
 
 最後のラウンドテーブルでは、イギリスにおける日本文学研究について、これまでの歩みと現状について、コーニツキ先生と中村先生にお話をしていただきました。とにかく衝撃的だったのは、現在のイギリスには日本文学研究者が激減していて、若者もほとんど育っていないということでした。
 イギリス全体では、日本文学を勉強しようとする学生は150人ほどで、そのうち20人くらいがケンブリッジ大学に来るよそうです。大学院に入っても続ける学生が極端に少なくなることを思うと、確かにこれからのイギリスの日本文学研究に不安を覚えます。

 その意味では、今回の研究集会で発表してくれたレベッカさんは、大きく羽ばたいてほしい人材です。日本文学の翻訳について研究を進めているので、同じ問題に関心を持つ私も、一緒に勉強していきたいと思いました。末松謙澄がイギリスで『源氏物語』を英訳したことに関して、大変盛り上がった討議ができました。
 今後とも日英の研究者で、文学という垣根を取り払った共同研究をしていく必要性について、お互いに確認しあいました。


2009年9月22日 (火曜日)

ケンブリッジ行き電車がストライキ

 ロンドンからケンブリッジへ行くために、キングスクロス駅から電車での移動となります。1時間ほどかかります。

 切符を買ってから、掲示板で列車の確認をしたのですが、ケンブリッジに直接行く電車がありません。いろいろと情報を集めた結果、今日はストのためにケンブリッジの4つ手前の駅までしか走らないとのことです。それから先は、バスの代替輸送になるのです。

 今回は、ノーリッジですでにストの情報を得ていたので、やはり、という感じでバスへの乗り替えとなりました。
 いかにも田舎の駅に降り立つと、寂しそうな陸橋を渡り、駐車場に待機していたバスに乗り込みます。
 2階建てバスだったので、田園風景を見ながらケンブリッジ入りです。
 もっとも、手入れのされていないバスなので、ガラス窓は汚れきっていました。窓の掃除は、年に1回はするのでしょうか。
 その汚れた窓ガラス越しに、風景を写真に納めました。
 
 
 
090920cambus
 
 
 
 これは、銀行旅行で妻とレンタカーの旅をしたときに、確か走ったことのある見覚えのある道路と風景です。

 お昼前にケンブリッジ駅に着き、そこから今回の目的地であるロビンソンカレッジに入りました。コーニツキ先生が自慢なさるだけあって、きれいな施設です。
 研究集会の会場と晩餐会や食事の場所を確認し、宿舎の部屋に入りました。
 窓を開けてベランダに出ると、知的な香りの漂う外観と庭が目に飛び込んで来ます。
 
 
 
090920camroom
 
 
 
 キャンパスを散策しました。
 トリニティーカレッジの裏庭には、薄紫色のシクラメンが咲き誇っていました。
 
 
 
090920camgarden
 
 
 
 ケム川には、ボートやパントが漂っています。のどかです。
 
 
 
090920camriver
 
 
 
 さて、これから、忙しい2日間の始まりです。

2009年9月21日 (月曜日)

寒かったホテルの部屋

 ロンドンのホテルの部屋は、暖房が壊れていました。スチームのパネルが、冷たいままです。
 明け方は窓からのすきま風があって、5時に目覚めました。とにかく、寒いのです。
 男性が来て、スチームのバルブを少し触り、元を調べると言って帰って行きました。そして初日はそのままでした。
 翌朝、フロントに直してもらえなかったことを伝えると、今日の夕方までには直すとのこと。
 しかし、やはりその夜も寒いままでした。直しなどしていないのです。

 海外のホテルで設備に問題があることは、シェラトンホテルの枕元のランプが何度も落ちることに始まり、枚挙にいとまがありません。また、そのようなものだと思わないと、旅のストレスが溜まります。

 しかし、直すと言ったのなら、直すべきです。そのように、努力すべきです。それが、客との信頼関係です。
 基本的に、日本人の感覚でのサービスと、数多くの海外でのサービスというものに対する考え方が、おそらく違うのでしょう。海外では、あくまでも自分のことがあってのサービスのようです。面倒なことにまでは、サービスの範囲は及びません。そう思わないと、海外でのサービスの実態が理解できません。

 結局、ロンドンでの二晩ともに、寒い部屋で早朝の仕事をこなしました。
 今回は、B&Bではなくて、ホテルでした。そんなに立派ではないのですが、それでもホテルなので、従業員はできなかったらできなかったとハッキリと言うべきです。


偶然に出くわした珍しい瞬間

 昨日、ロンドンのトラファルガー広場でのパフォーマンスのことを書きました。
 今日も、同じ所をたまたま通りかかったところ、おもしろいシーンに出くわしました。
 パフォーマーが交代するところに出会えたのです。
 
 
 
090919paformance1
 
 
 
 台座の上にいる女性が持ち時間を終え、次のパフォーマーと交代となりました。
 すると、横付けされていたクレーン車が伸びてきて、次の男性を乗せて押し上げます。
 そして、お互いが入れ替わって、次の男性のパフォーマンスが始まるのです。
 
 
 
090919paformance2
 
 
 
 やっていることは、昨日私が見たものと同じように、そんなにたいしたものではなかったようです。
 しかし、少し長い期間にわたってやっているイベントなので、全期間中のものの中には、唸るものもあることでしょう。
 総集編される日が楽しみです。

 国会議事堂へ向かっていると、ツールド・フランスの自転車レースがこの道を通るというので、大規模な交通規制がなされていました。
 おかげで、いつもなら撮影できない、ウエストミンスター寺院のそばの広い道路の真ん中というポジションから、ビッグベンが撮影できました。
 
 
 
090919bigben
 
 
 
 歩いていると、いろいろなものごとに出会えます。
 特にそれを目指しているのではないのに、用事と用事の間にも、こうした予期せぬ楽しい瞬間に身を置くことができます。
 これも、旅の収穫の1つです。


2009年9月20日 (日曜日)

ハリーポッターのカートが移動

 日本からのみなさまをお迎えするため、リバプールストリート駅からホテルに向かいます。
 途中、いくつかの用事を済ませながら、ロンドン市内をブラブラと移動です。

 キングスクロス駅のハリーポッターのキャリーカーが、なんと半年前の所にないのです。
 今年の2月にここに立ち寄ったときのことは、以下のブログに書きました。

「壁に取り付けられたハリポタのカート」

 それが、今回はこんな状況になっていました。
 
 
 
090918hary1
 
 
 
 隙間から覗くと、跡形もありません。
 
 
 
090918hary2
 
 
 
 掲示されたポスターには、こう書いてありました。
 英語のわかる方はどうぞ。英語が苦手な私は、適当に推測で読んだので、日本語にはできませんので悪しからず。
 
 
 
090918hary3
 
 
 
 ここからさらにホームの先へ行くと、問題のカートがあります。
 
 
 
090918hary4
 
 
 
 陽気な旅行者が、楽しそうに記念撮影中でした。


090918hary5
 
 
 
 キングスクロス駅の隣にある、大英図書館へ行きました。
 入口近くに、新しくコーヒースタンドを作っていました。
 
 
 
090918daiei1
 
 
 
 この次に来たときには、ここでコーヒーが飲めます。普段は、図書館の中で飲むのですが……。

 敷地内に、ブロンズ像があります。
 
 
 
090918daiei2
 
 
 
 私は、ロダンの「考える人」だとばかり思っていました。今回よく見ると、ニュートンなのです。勘違いしていたのでしょうか。
 京都国立博物館の中庭に「考える人」があったと思うので、それと勘違いしていたのでしょう。なにげなく見ていたものが、実は違っていた、という例です。

 大英図書館で用事を済ませてから、これまた移動中にナショナルギャラリーに立ち寄りました。
 トラファルガー広場は、いつも人で溢れています。
 正面に、ビッグベンが見えます。ロンドンアイは、隠れています。
 
 
 
090918nelson
 
 
 
 この広場の一角で、パフォーマンスがあります。これは、四隅の台の1つを、来月まで自由に使えるようにしたものなのです。
 
 
 
090918paformance
 
 
 
 今日は、女性が一人でマイクを持ち、何か喋っていました。
 私は決まり文句の英語しか使えないので、何を言っているのかサッパリわかりません。
 詩でも読んでいたらいいのですが、実際は何かわからないままに、すぐ後ろのギャラリーに入りました。
 私は、少しでも時間があれば、何とかしてここのギャラリーを入ってすぐ右側の部屋にある、印象派の絵を見ることにしています。
 今日も、ルノアールをはじめとする、よく知られた絵を数点見て、次の用事のために移動します。15分もかからない、ホンのわずかな美術鑑賞です。
 今日は、ちょうどマネの「The Execution of Maximiliam」と、私が大好きな絵の1つであるルノワールの「At the Theatre」の前でピアノコンサートがあるとのこと。椅子が並べられる直前で、ピアニストの女性が練習を兼ねた調律をしておられるところでした。モーツアルトの曲を演奏なさるようです。しかし、残念ながら開始の19時半は、日本からお越しの先生方とホテルで待ち合わせる時間です。また機会があることでしょう。

 大急ぎで、2階建てバスに飛び乗りました。


2009年9月19日 (土曜日)

ロンドンで回転寿司を楽しむ

 ノーリッジの食事は、カロリーが高いようです。

 初日に、センズベリー日本芸術研究所であった懇親会では、ワインとカナッペのようなおつまみだけを食べたのですが、2日目の朝の血糖値は160を超していました。いつも、120を目指している私には、これは大変です。

 2日目の晩餐会で、私はベジタリアンの食事を事前に注文していました。しかし、出てきた食事は、バターとチーズを主体としたパスタ料理でした。ノンベジは、チキンのステーキでした。その後は、舌が痺れるほど甘いアイスクリームです。どちらも半分も食べなかったのですが、3日目の血糖値は、やはり160を超えていました。
 2日間とも、お昼はサンドイッチを2切れです。分量的にはいつもの半分以下なのですが、異常に高い数値が続きます。
 イギリス料理は、私にとっては要注意です。
 これまでに、何度も来ているイギリスです。しかし、食事のカロリーに関しては、日本とは相当違うようです。私の身体も、このイギリスの味付けに対応できなくなって来たのかもしれません。

 会場のそばに、日本料理屋さんがありました。「四季」という名前です。
 
 
 
090918siki四季
 
 
 
 持ち帰りの寿司などもありました。しかし、回転寿司屋ではないので、入りませんでした。値段は、どこでもそうですが、高めのようです。そろそろ、お寿司をしっかり食べて、体調を整える必要がありそうです。

 今日は、ケンブリッジの国際研究集会にご参加の、伊井春樹先生をはじめとする一行が日本から空路ロンドン入りされます。先生方とは一旦ロンドンで落ち合い、そして一緒にケンブリッジへ行くことになっています。
 昨日、ノーリッジでケンブリッジ大学のコーニツキ先生とは、打ち合わせを済ませてきました。

 ノーリッジ駅から列車に乗り、ロンドン東郊のリバプールストリート駅に出ます。約2時間の旅です。
 リバプールストリート駅の構内には、回転寿司屋があるのです。ホームに降りたって見上げると、右上にガラス張りのお店があります。
 
 
 
090918susi1リバプールストリート駅
 
 
 
 お店の外観は、こんな感じです。入口近くにテイクアウトのコーナーもあり、いつも混み合っています。
 写真の手前に、楕円型の木枠がガラス越しに映っています。この店の内装は凝っていて、目を楽しませてくれます。
 
 
 
090918susi2_2もしもし寿司
 
 
 
090918susi3おしゃれな客席
 
 
 
 さらに近寄って見ると、なんと客席の下は石庭になっているのです。これは、一見の価値があります。


090918susi4石庭
 
 
 
 店内は、格子戸などで仕切られた席から駅のホームが眼下に見下ろせるなど、さまざまな工夫がなされています。

 このお店のお寿司は、握り寿司よりも巻物が主体の日が多いようです。私は、おかずやおつまみを楽しみにしています。今日は、大福餅も流れていました。私には食べられないものですが。
 
 
 
090918susi5大福餅
 
 
 
 天麩羅も流れてきます。
 カウンターのテーブルには、イ草が敷かれています。
 
 
 
090918susi6天麩羅
 
 
 
 お店は、若いビジネスマンや女性客が多い、華やかさと活気のあることが特徴でしょうか。おしゃれに回転寿司を食べる場所、となっています。
 私は、冷や奴、エンドウ豆のごま和え、味噌汁、日本茶などと、数皿の握りを食べました。
 
 
 
090918susi7本日の食事
 
 
 
 生き返った心地がします。元気がでます。
 このロンドンで、ケンブリッジの国際研究集会の準備をスタートします。


2009年9月18日 (金曜日)

ヨーロッパにある日本の古典籍など

 EAJRSで、2日目の研究発表のトップバッターを務めました。
 
 
 
090917happyou発表
 
 
 
 会場となったホテルに宿泊した方が多かったこともあり、みなさん早くから集まってくださいました。
 私が概略を説明し、その後、大内氏が「コーニツキ版 欧州所在日本古書総合目録」についての発表をしました。データベースの使い方からその背景、そして今後の展望などを、要領よくまとめて説明しました。
 質問は、コーニツキ版ユニオンカタログで表示される所蔵機関の略号のことと、このデータベースが非常に有用であることを国文学研究資料館に伝えるにはどうしたらいいか、ということなどでした。
 みなさまのお役に立つデータベースとして育っていることが実感できる反応でした。

 昼食は、参加者みんなで市庁舎へ行き、市長からの歓迎のスピーチを聞きました。
 
 
 
090917cityhall1女性の市長さん
 
 
 
 また、市議会場にも入れていただき、市長の議会運営の話などを聞きました。
 
 
 
090917cityhall2会議場
 
 
 
 市政が開かれていることがわかりました。

 午後は、コーニツキ先生の発表などがありました。
 タイトルは「 Vernacularization and the Book in Japan」でした。
 
 
 
090917peter2
 
 
 
 レジメもキーノート(Macintoshのプレゼンソフトで、Windowsで言うパワーポイント)も使わず、ひたすら言葉で訴える正統派のスタイルです。
 私も、自分の発表ではプレゼンソフトは使わず、写真を映す程度です。今後は、言葉で語るスタイルにチャレンジしてみたいと思います。上の写真も、そのせいもあって英語バージョンの写り方になったようです。

 この日の午後は、多くの発表が英語でなされたこともあり、私には難解でした。
 これは、今後とも修行だと思うことにしています。

 今日も、たくさんの収穫がありました。

 スウェーデンのストックホルムからお出でだった司書の方と、スウェーデン語訳『源氏物語』の話をしました。『源氏物語』の情報をお持ちではなかったので、2種類あることを伝え、探してもらうことになりました。
 スウェーデン語訳『源氏物語』については、これまで、『源氏物語』全帖が直接日本語からスウェーデン語に訳されたことはありません。Arthur WALEYの「桐壺」〜「葵」までの重訳として、1928年にアンナスティーナ・アルクマン、1986年にクリスティーナ・ハッセルグレーンが訳したもの、この2つだけです。エドワード・サイデンステッカーの英訳が、1976年にすでに出版されていましたが、クリスティーナ・ハッセルグレーンは、Arthur WALEYの英訳をもとに重訳しているのです。

 また、楽しみが増えました。

 フランスのパリにも、回転寿司屋があることがわかりました。しばらくパリには行っていないので、貴重な情報です。
 パリのシャトレの近くに「マツリ」や「カイテン」という店があるそうです。
 今度行ったら、確認して来ましょう。

2009年9月17日 (木曜日)

英国ノーリッジ到着

 イギリスまでは、成田からJAL便で13時間弱の長旅です。
 ヒースロー空港から、今回のEAJRS(日本関係資料専門家欧州協会)の会議場があるノーリッジまで、バスで4時間の移動です。電車でもよかったのですが、重たい荷物を持って地下鉄や列車を乗り換えるのが大変なので、始発から終点までのバスにしました。
 かつて妻とレンタカーで走った村々、蜂蜜色の煉瓦のかわいい家々、秋の深まりを感じさせるイングリッシュ・ガーデンを車窓に見て、バスは快調に走ります。
 ノーリッジに着いたのは、夜の7時半でした。
 
 
 
090915bus長距離バス
 
 
 
  最初の夜の食事は、街中の店がすべて閉まっていたので、開いていたイタリア料理にしました。
 注文したピザは、生地の焼き具合が柔らかすぎるように感じました。イタリア料理のシェフを目指す息子の方が、これならずっとうまく焼くことでしょう。モレッティというビールを飲みました。少し温めでしたが、おいしい喉ごしでした。
 古城がライトアップされていました。
 
 
 
090915castle古城
 
 
 
 帰り道で、スーパーマーケットのテスコを見かけました。
 早速、パックのお寿司を手に入れました。
 酢飯に芯が残っていて、ご飯が固すぎました。
 
 
 
090915susiパックのお寿司
 
 
 
 街中のパックのお寿司は、当たり外れが激しいので、いつも楽しんで食べています。これは、外れです。

 ホテルの窓から見た朝のノーリッチは、近代的な町並みです。
 昨夜到着したバスターミナルの向こうに、古城が見えます。
 
 
 
090916asa朝の市中
 
 
 
 また、インフォメーションセンターの前の協会からも、古城が姿を覗かせています。
 
 
 
090916charch教会から
 
 
 
 今回のEAJRSの集会は、700年の伝統を誇るメイズ・ヘッド・ホテルの大広間で開催されました。
 
 
 
090916hoteloutホテル正面
 
 
 
090916hotelin古い看板
 
 
 
090916kaijyo研究発表会場
 
 
 
 会場の入口には、来週のケンブリッジ大学で開催する国際研究集会のポスターが貼られていました。
 藤原紀香の横でもあり、人目を惹いていました。
 
 
 
090916poster我々のポスター
 
 
 

2009年9月16日 (水曜日)

成田離陸までの予期せぬ事態

 予め調べておいた時間に、東京の宿舎を出ました。快調に英国行きのスタートです。
 通勤時に使う地下鉄東西線で成田へ向かうため、キャリーバッグをゴロゴロと牽いての出発です。

 いつものように、ビルのエレベーターを使って地下の駅に降りようとしたところ、あいにく早朝のためにシャッターが降りていて、エレベーターが使えません。仕方がないので、重い荷物を持って、曲がりくねった長い階段を一歩ずつ下りました。腕立て伏せと懸垂の要領で、腹筋と背筋を使って荷物のバランスをとりながら階段を下ります。

 いつものホームに降り立って、ハタと気づきました。今日は、通勤とは逆の、成田方面へ行くのでした。
 やれやれ、と思いながら反対側のホームへ移動です。重い荷物を引きずりながら、階段をエッサエッサと上り下りしました。

 予定の電車は、すぐに来ました。危ないところでした。
 通勤時間帯なので、混雑しています。バッグを床に置く位置を微妙にずらしながら、みなさんの迷惑にならないようにしていました。
 しばらくして、ハッと心臓が一時停止です。乗換駅を乗り過ごしていることに気づいたのです。
 早朝の出発のため、いつも海外出張で成田へ行く時と、乗り継ぎ方法が違っていることに気が回っていませんでした。路線情報を印刷したものを見ながら、すぐに降りて引き返すべきか、少し遅れてでもこのまま行くべきか、しばし思案です。そして、ロスタイムがますます加算されることを避けるためにも、このまま行くことにしました。
 目指す方向は間違ってはいません。多少の遅れは、織り込み済みの出発なのですから。

 乗った電車の終点である西船橋駅で、京成線に乗り換える方法もあります。しかし、使ったことのない線よりも、いつも成田へ行くときの経路で行くことにしました。
 乗り換えの西船橋駅では、反対側のホームに渡ることになります。通勤ラッシュの中を、重い荷物を持ってエスカレータの階段を歩いて急ぎます。人混みの中を、やっとの思いでホームに降り立つと、ここから先へ行く東葉高速線はすぐに来ました。ラッキーとばかりに飛び乗ったところ、車内放送によると、これは快速ではなくて各駅停車でした。しまった、と思ったのですが、下手に次の快速に乗り換えるために降りずに、そのまま終点の東葉勝田台駅まで行くことにしました。

 結果的には、予定通りの時間に、東葉勝田台駅に着きました。
 予め路線検索が示してくれた経路は、どうやら西船橋駅で陸橋を渡らなくてもいいものだったようです。途中駅のホームで次の電車を待てば、そのまま東葉勝田台駅へ行けるように配慮したものだったようです。
 乗り換えに階段を使ったりと、重い荷物を持っての移動では大変な思いをしたことになります。しかし、それだけのことで、時間的なロスはなかったことになります。結果オーライということにします。

 東葉勝田台駅から京成線の空港第2ビル駅までは、これまた通勤時のラッシュに巻き込まれました。しかし、何とか乗り換え3分間の早業をこなしました。一旦、改札を出て、改めて京成の切符を買うのです。それにしても、スムーズに乗り換えができました。

 最後の乗り継ぎとなる列車に乗り込んで、やっとホッとした時でした。出入り口のドア付近に立っていた私の背中で、蛇口から水が流れ出るような音がしました。まさか電車で水漏れ?、とは思ったのですが、あまりキョロキョロできない混み具合なので、しばらくジッとしていました。
 背後で聞こえるのは、お小水をする時の音に似ていました。少ししてから、何だろうと思って振り返ると、後ろにいた女性が車酔いなのか、ビニール袋を口に当てて嘔吐しているのです。
 すぐそばに座っていたおじさんが、その様子に素早く気づいたようで、座席を女性に譲ってあげておられました。
 女性には同伴の若い男性があり、いろいろと小まめに介抱しておられました。
 満員電車の車中でのできごとです。女性はずっと俯きながら、苦しそうでした。何よりも、心中は情けなさに複雑な思いだったのではないでしょうか。彼のために、そして廻りの乗客の視線を感じて……。
 大きなスーツケースを横に置く2人は、共に若かったので、あるいは新婚旅行では、と思われます。

 そういえば、私も新婚旅行でこんなことがありました。
 もう35年も前のことですが……。
 私が結婚したのは、まだ学生の身分の時でした。お金もなく、東京タワーの下で20人ほどの家族親族に集まってもらっての、ウエディングケーキも、お色直しもない、質素な結婚式をあげました。
 新婚旅行は海外でした。と言っても、伊豆の大島なので都内ですが……。
 新婚旅行中に、妻は酷い船酔いをしました。そのために、お互いに苦しい船旅となりました。
 今日の車中のできごとを目にして、あの自分たちのことを思い出しました。
 今日のお2人ともが、つらい旅立ちとなっただろうと思うと、同情を禁じ得ません。

 それはさておき、結果的には、予定通りの時間に成田空港に着きました。
 最近は、電子チケットなので、チェックインも楽なものです。

 しかし、障害物競走のような人生は、まだ待ち構えていました。
 手荷物検査で、ゲートを通過するときに、何度もブザーが鳴ります。
 ベルトを外してもダメです。ポケットに入っていた財布や手帳やハンカチなど、すべてを取り出してもダメです。
 小さな台の上に立たされ、大きなルーペ状の金属感知器で体中を執拗に撫でられました。前から、後ろから、そして股や腋の下も。
 手でも、体中を触られました。靴も、手で押さえながら、丹念に調べられました。
 挙げ句の果てに、お腹周りの触診です。お臍や骨盤の辺りを強く押されました。何か飲み込んでいるのでは、と思われたようです。

 結局、無罪放免となりました。
 あの執拗さは、一体、何だったのでしょうか。不可解なできごとでした。
 私の体内には、胃や十二指腸などの臓器を切除した後の処置として、ホッチキスの針が数十本埋め込まれています。レントゲンで見ると、本当にあの両端が丸まったホッチキスの針の形が視認できます。もっとも、ステンレスだそうで、錆びることはないのでしょうが。
 とはいえ、これまでの数多い渡航歴の中で、この針が原因でこのような厳しい金属検査を受けたことはありません。
 謎です。

 そして今、機中でこの文を書いています。
 いろいろとハラハラドキドキの場面がありましたが、とにかく順調にロンドンを目指して飛んでいます。

2009年9月15日 (火曜日)

海外へ出かける直前の荷造り

 明日、というよりも8時間後にはJALの機中です。
 いつものことなのですが、旅の荷造りは直前にするので、何かとアタフタとするのが常です。
 ズックのボストンバッグには、研究発表資料とお土産と衣類とパソコングッズなどが入ります。
 機内持ち込みの手提げバックには、MacBook Air と本や資料です。
 
 
 
090915旅行の荷物
 
 
 
 分量のことを勘案しながら、持って行くべきかどうか、いろいろと悩むものが多いのです。

 やはり、仕事関係の資料は、締め切りに追われていることもあり、安心という意味からも何かと詰め込んでしまいます。
 これが、分量を増やす原因の1つとなっています。

 今回は、ノーウィッチで開催されるEAJRSでの研究発表資料と、ケンブリッジでの国際研究集会の配布資料という、2つの研究集会の印刷物の分担運搬分があるので、いつもの2倍の重い荷物となりました。やはり、紙は重いですね。
 また、ノーウィッチのセンズベリー研究所への国文学研究資料館からの献本などがたくさんあるので、まさに大量の印刷物をイギリスまで運ぶ、という感があります。
 今回は、お世話になっている方々にたくさん会うので、お土産もいつもより多めです。昨日、銀座にある秋田県の物産館で、名産品を調達しました。

 事前に送る物は送ったのですが、それ以降に届ける物がたくさんあったのです。にわか仕立ての宅配便屋さんです。
 ひょっとしたら、預ける荷物の重量オーバーではないかと、それが心配になりました。
 エコノミーは、20キロまででしたでしょうか。確実にオーバーしています。
 まあ、重量超過を認めてもらえなかったら、その分を成田に置いていくしかありません。

 数年前に、ウィーンへ行く便に乗り遅れたことがありました。
 仕事が忙しくて、徹夜をして行くことにしたのですが、家を出る直前に睡魔に襲われ、つい仮眠したために飛行機に乗り遅れました。

 今回は、4時間後に起きればいいので、余裕です。

 最初の宿泊地であるノーウィッチの宿舎で、インターネットが使えるかどうかわかりません。
 ブログが途切れたら、イギリスでは使えなかったのだ、ということでご寛恕のほどを。

2009年9月13日 (日曜日)

ケンブリッジ版「横断する日本文学」の配布資料

 来週の21日に英国ケンブリッジ大学で開催する国際研究集会「横断する日本文学」の配布資料ができました。
 昨日より、立川に泊まり込んで作成した、手作りの冊子です。
 
 
 
090913note予稿集
 
 
 
 当日、ロビンソンカレッジの会場で配布する分として、60部を印刷・製本しました。
 たくさんの方から、行けないので資料を、との要望があります。
 そこで、原版から作成したPDFファイルをアップロードします。このデータで、集会の内容をごらんください。
 全61頁の画像ファイルなので、19メガもの巨大なPDFファイルです。
 ダウンロードに時間がかかりますが、興味をお持ちの方に見ていただければ幸いです。


pdf「横断する日本文学」をダウンロード


 作成から印刷・製本までを、根気強く手伝ってくれた菅原郁子さんと神田久義君に、心より感謝します。
 お疲れさまでした。二人の土日を、この作業で奪ってしまいました。
 ゆっくりと休んでください。

 私は一足早く、明後日から渡英します。


2009年9月 7日 (月曜日)

EAJRSで紹介されました

 今月21日(月)に英国ケンブリッジ大学で開催する国際研究集会「横断する日本文学」のことが、EAJRS(European Association of Japanese Resource Specialists、日本資料専門家欧州協会)のホームページで紹介されました。
 
EAJRS
 
Notice
 
 併せて、プログラム(Programme 2009)もご覧ください。
 
 2日目の9月17日(木)の9時から「Third Session」で、「日本古典籍分類表の活用とコーニツキー版ユニオンカタログの新展開」と題して発表することになっています。

 発表の内容は、以下の通りです。
 
 
 

日本古典籍分類表の活用とコーニツキー版ユニオンカタログの新展開
The thesaurus for early Japanese books and new challenges on the Union catalogue of early Japanese books in Europe.
 
  大内英範・伊藤鉄也、国文学研究資料館
  OUCHI Hidenori, ITO Tetsuya, National Institute of Japanese Literature.
 
 
 2001年11月から国文学研究資料館において公開している「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」は、当館のデータベースの中でも利用者数の多いものとして注目されている。
 この目録は、ケンブリッジ大学ピーター・コーニツキー教授らによって構想され、データが蓄積されてきたものを、国文学研究資料館が引き継ぎ、公開しているものである。
 本発表では、このデータベースについて、まずその概要を紹介し、アクセス解析による利用情況と評価について述べる。また、最近のいくつかの新たな試みについても紹介したい。
 たとえば「日本古典籍総合目録」データベースと連携し、相互にリンクを設けたことにより、ユーザーの利便性を高めた。また、ケンブリッジ大学図書館所蔵のいくつかの書籍については、その全ページの画像を公開し、リンクした。画像公開については、今後もその範囲を拡げていきたいと考えている。
 さらに、将来的な構想として、「日本古典籍分類表」による分類情報の付加についても検討している。

2009年8月30日 (日曜日)

英国での研究集会のポスター完成

 来月、英国ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ先生のご高配を得て実施する、国際研究集会のポスターが出来上がりました。
 関係先にしか配布しないものなので、ここに画像として紹介します。
 國學院大學の豊島秀範先生のグループとの共同開催です。
 
 
 
090901poster300k

 
 
 
 講演は、伊井春樹先生(前・国文学研究資料館館長)と今西祐一郎先生(国文学研究資料館館長)の『源氏物語』に関する最新の研究動向を踏まえた内容です。

 日本文学研究における国際的・学際的研究の実際を改めて問い、現在の活動状況の分析と個別研究の批判・検討を行います。
 さらには、今後への展開・展望等についての討論を試みるという、総合的かつ双方向的な討議の場となれば幸いです。

 イギリスで、ということで参加いただくのは大変かと思います。
 もし、お知り合いで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、このようなイベントがあるという情報をお伝えいただければ幸いです。
 
 
 


日時:2009年9月21日(月)9:50〜18:00
会場:ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジ
   Robinson College, University of Cambridge, Cambridge, UK
内容:「横断する日本文学 —日本文学の国際的研究の展望—」
    Japanese Literature Crossing Cultural Borders
     Prospects for the International Study of Japanese Literature
  ・午前の部 1 文化と享受 Cultural Reception and Historical Perspective
  ・午後の部 2 本文の変容 Transformation of Texts

  注記・発表はすべて日本語で行われます。

  主催:科学研究費補助金基盤研究(A)「日本文学の国際的共同研究基盤の構築に関する調査研究」
                         (研究代表者:伊藤鉃也・国文学研究資料館)
     科学研究費補助金基盤研究(A)「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言の
                    ための共同研究」(研究代表者:豊島秀範・國學院大學)
  共催:ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジ


2009年8月 5日 (水曜日)

国際研究集会・横断する日本文学

日本文学に対する興味は、世界各国でますます盛んになっています。
日本文学の研究を今後とも世界的に展開・拡大していく意味からも、イギリスの存在は大きいと言えるでしょう。
実は、イギリスの日本文学研究者は、減少しているからです。

そこで来月の9月 21日(月)に、ケンブリッジ大学で研究集会を開催する企画が、以下の通りまとまりました。

主催は、次の2つの研究組織です。


(1)科学研究費補助金基盤研究(A)
  「日本文学の国際的共同研究基盤の構築に関する調査研究」
  (代表者 伊藤鉄也・国文学研究資料館)

(2)科学研究費補助金基盤研究(A)
  「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」
  (代表者 豊島秀範・國學院大學)

そして、ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジのピーター・コーニツキ先生が、共催として協力してくださいます。

今回は、30人程度の、こぢんまりとした研究会を想定しています。

以下のプログラムにある通り、国文学研究資料館の前館長と現館長の講演があります。
日本を代表する先生の話を、イギリスで聴けるということで、参加したい方は多いかと思います。
日本でも滅多に聴けない先生方の揃い踏みなので、1人でも多くの方に来てもらいたいと思っています。

ちょうど、この前の週にEAJRS(日本資料専門家欧州協会)の研究集会がノーウィッチのセンズベリー研究所であります。

私は、そのEAJRSで、ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ先生と共同で取り組んでいる「欧州所在日本古書総合目録」に関する研究発表をします。

これにも参加なさると、1週間のイギリスの旅が、さらに充実することでしょう。

1人でも多くの若者が、この日本文学に関する国際研究集会に参加し、さらなる研鑽を積まれることを期待します。
若手研究者の育成も、上記2つの科研組織のテーマでもあります。
もちろん、現役研究者の参加も大歓迎です。

プログラムができたばかりです。
これから、広報活動に取り組みます。
国内外のお知り合いの方々に、このようなイベントがあることをお知らせいただけると幸いです。

自由参加ですが、資料を作成する都合もありますので、参加される方やその予定のある方は、あらかじめご一報いただけると助かります。
連絡は、このブログのコメント覧をご利用ください。コメントは一般には公開しませんので、ご安心を。
 
 
 
 

横断する日本文学

—日本文学の国際的研究の展望—

Japanese literature - Travering Cultures
: The prospects for the international study of Japanese literature

 ★日時:2009年9月21日(月) September 21.2009
 ★会場:ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジ
   University of Cambridge, Robinson College, Cambridge, UK

9:50  ごあいさつ Greeting

     Peter F. KORNICKI(ケンブリッジ大学ロビンソンカレッジ・副学長)
     伊藤鉄也(ITO Tetsuya/国文学研究資料館・教授)

1 文化と享受
 Cultural Reception and Historical Perspectives

 ■午前部司会:海野圭介(UNNO Keisuke/ノートルダム清心女子大学)

10:10  基調講演1 Keynote Address 1

     源氏物語はなぜ帝妃の姦通を書くことができたのか
      今西祐一郎(IMANISHI Yuichiro/国文学研究資料館・館長)

10:50  休憩 Break(10分)

11:00  中村久司(NAKAMURA Hisashi/リーズ大学ヨーク・セント・ジョン・カレッジ)
        和歌を翻訳すること
11:30  荒木浩(ARAKI Hiroshi/大阪大学)
        非在する仏伝—インドから観る『源氏物語』—
12:00  Respondent:菅原郁子(SUGAWARA Ikuko/國學院大學)

12:20  昼食 Lunch

2 本文の変容
 Transforming text

 ■午後部司会:伊藤鉄也(ITO Tetsuya/国文学研究資料館)

14:00  基調講演2 Keynote Address 2

     大沢本源氏物語の本文の変容
      伊井春樹(II Haruki/国文学研究資料館・前館長)

14:40  休憩 Break(10分)

14:50  Rebekah CLEMENTS(レベッカ・クレメンツ/ケンブリッジ大学院生)
        末松謙澄のGenji monogatari
15:20  神田久義(KANDA Hisayoshi/國學院大學大学院生)
        物語の変容—源氏と寝覚—
15:50  Respondent:海野圭介(UNNO Keisuke/ノートルダム清心女子大学)

16:10  休憩 Tea Break(20分)

16:30  Round Table
       伊井春樹/今西祐一郎/中村久司/
       Peter F. KORNICKI/豊島秀範/伊藤鉄也

17:30  Final Discussion Moderator 豊島秀範(TOYOSHIMA Hidenori/國學院大學・教授)

    Closing Remarks Peter F. KORNICKI

19:00  晩餐 Dinner

 ★主催:科学研究費補助金基盤研究(A)

  「日本文学の国際的共同研究基盤の構築に関する調査研究」(国文学研究資料館)
  科学研究費補助金基盤研究(A)
  「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」(國學院大學)

 ★共催:ケンブリッジ大学・ロビンソンカレッジ
   University of Cambridge, Robinson College, Cambridge, UK

2009年7月17日 (金曜日)

インドにおける知的財産

 私にとっては非常に手強いテーマですが、興味があったので以下のセミナーに申し込み、自主参加してきました。

■セミナー「インド・タイ・ベトナムの現状と知的財産動向」
 (主催︰国際・大学知財本部コンソーシアム)
 (会場︰キャンパス・イノベーションセンター東京)

 参加者は60人ほどだったでしょうか。女性が少なかったのは、インドにはまだ魅力を感じないからでしょうか。
 私が知っている人は誰もいません。まったく畑違いの分野のセミナーです。

 無謀なセミナーへの参加ですが、インドに関する理解を少しでも深めようと、本当にがんばって聴きました。
 消化不良ではありますが、自分が後で思い出せるようにしておく意味からも、感想だけを記しておきます。
 これこそ、個人日記であるブログの利点です。
 後で、いつでも、どこでも、思い出すときの手がかりとなるメモになるのですから。

 さて、最初は、インド出身の慶應大学Mukesh K Williams先生の講演でした。

 演題は「インドの最近の産業の状況、インドと日本の関係(仮題)」となっていました。
 しかし、実際には「日本と途上国:貿易と知的財産権の保護の拡大と再定義」でした。
 題目からどう考えても、私にはその内容がわかりません。
 とにかく、聴くことにしました。

 お話の内容は、インドの国内産業の状況と日本との関係についてでした。
 ただし、最初の挨拶だけが日本語で、後はすべて英語でした。これは、私には苦痛な時間です。

 まず、自分は時間を守って発表する、ということを何度も強調されました。これに対して、会場は無反応でした。
 みなさん、インドの方々は放っておくと延々と喋る、ということをご存知ないのでしょうか。私は、この前置きの意味がわかりました。しかし、お話の内容は、ほとんどわかりませんでした。

 会場参加者は、最初は、英語ということでしっかりと耳を傾けておられました。しかしみなさん、話の内容の密度が濃くなさそうだったことと、自分の考え方を述べることが主だったせいか、おもしろさに欠けることに、だんだん気付かれたのでしょうか、居眠りや生あくびが目立ち出しました。
 具体例のない、ただの個人の意見は、英語のヒアリングの練習にしかなりません。
 英語がまったくわからない私に言う資格はないのですが、まわりの様子からそんな印象を持ちました。
 非礼をお許しいただけるならば、中身がないインドのガイドブックを読み上げておられたのではないか、という感想です。
 すみません、周りの反応と、私がわかる程度の理解だけでの印象なので、お許しください。

 次の発表者である山名美加先生によると、Mukesh先生はインドでのその分野では天才だとのことでした。
 しかし、その分野には素人である私には、英語の理解力の乏しさもありますが、退屈でした。ことばの壁は厚かったのです。
 会場にお集まりの方々は、みなさん英語の堪能な方々なのでしょう。
 しかし、ことばにハンディキャップを持っている人にもわかってもらおう、というプレゼンテーション上の工夫も、必要なのではないでしょうか。特に、日本という場所で英語で発表する場合には。国際会議と銘打っているようでもなかったので。それとも、この分野のセミナーでは、英語は必須の道具なのでしょうか。
 素人が無責任に言っていることなので、お許しを。

 そして、やはり25分という持ち時間は守られませんでした。


 次の山名美加先生は、関西大学法学部の先生で、内閣府総合科学技術会議知的財産戦略専門調査会専門委員という、いかにもお役所的な名前のところでも活躍なさっている方のようです。

 最初題目は「インドの産業風土と最近の知的財産の状況(仮題)」でした。
 実際には、「インドの産業風土と近年の知的財産事情」でした。

 これは、非常に充実した内容で、インドに対する新しい知見をたくさんいただきました。
 日本語による話だったと言うこともあります。持ち時間も2時間とたっぷりあり、資料も48ページもあるものでした。
 「IT」は「インフォメーション・テクノロジー」ではなくて、「インディアン・トゥデー」とか「インディアン・トゥモロー」だというのは、なるほど、と思いました。
 そしてインドは今、製薬産業・バイオテクノロジー・医療の分野で、世界の最先端を担っているし、これからもますます発展するという趣旨の話は、これからインドの方々とお付き合いする上で、非常に参考になる新知見でした。

 話の内容は、よくわかりました。しかし、あまりにも情報が多種多彩で、限られた時間では意を尽くせなかったと思います。最後は、そうとう割愛しての早足でした。
 それでも、具体例が豊富で、おもしろく聞くことができました。
 いつか、またお話を伺いたいと思います。
 ご本人が実際に出歩いての調査と情報収集が背景にあるので、その語られる内容が人に伝わりやすいのでしょう。
 体験に裏打ちされた話は、聴いていてもおもしろく、納得しやすいと思います。
 ただし、時間を相当オーバーなさっていたので、これには気力体力が追いつきません。
 内容が盛りだくさんで、かつ幅広すぎたのかな、という印象をもちました。

 人前で話をするということは、本当にむつかしいものです。

 このセミナーで話を聴いている最中に、なんとインドからメールが届きました。
 日本のものをヒンディー語訳しておられる方からの、『源氏物語』の和歌に関する質問でした。
 あまりにもタイミングが良かったので、その偶然のおもしろさについて考えたりもしました。

2009年7月10日 (金曜日)

カイロのお役人さんのお話

 国際交流基金のカイロ事務所の佐藤さんのブログは、とにかくおもしろいのです。

 本日の話は、車を現地で入手する過程での、日本とは違うお国柄がわかるものです。

「新車がやってきた」

 こうした現状を聞くと、日本がどんな国かよくわかります。
 日本も何かと問題があるにしても、それなりに理解の出来る実態ではないでしょうか。

 佐藤さんには、インドで大変お世話になりました。
 以来、活動的でアイデアマンの佐藤さんには、さまざまなことで刺激を受けています。
 この「カイロ・ダイアリー」は、とにかく要チェックです。
 生きた異文化交流を、実話として実感できます。

 最近のものでは、「当世エジプト結婚事情」は必読です。

 来月、カイロへ行く予定でいました。しかし、佐藤さんのアドバイスで延期しました。

 世界中の方々と、気楽に日本の文学や文化について語れる場所を探しながら、私も今後とも各国のみなさんと交流を続けて行きたいと思います。
 外国語が堪能な方々の活躍は承知しています。
 そうではなくて、英語もできない者がとにかく日本語で語りかける、そんな手作りの国際ネットワークができれば、と思っています。

2009年4月 3日 (金曜日)

インド人留学生の眼(5)4日のテレビに登場?

 無事にインドに着いたクマール君から、楽しいニュースが届きました。

 それは、日本テレビ「外国人に見た東京 Surprize Visit Tokyo」というテレビの取材を受けた、というものです。
 
 放送日は、今週の4月4日(土)午前11時から、とのこと。

 万が一その日に放送がなかったら、次の土曜日の11日に、同じチャンネルで午前11時から放送予定だそうです。

 どのような番組かは、私も知りません。
 よかったら、チャンネルを合わせてみてください。


2009年4月 2日 (木曜日)

『家庭画報 国際版』に源氏翻訳本の記事

 ちょうど1年前の4月1日に、「源氏千年(19)『家庭画報』5月号」という記事を書きました。

 あの記事で、「来月刊行予定の拙編著『源氏物語【翻訳】事典』(笠間書院)」とある本は、実はまだ編集作業が続いています。
 その後、いろいろと新しく翻訳本が見つかっているからです。
 しかし、これも切りがないので、そろそろ刊行となります。

さて、先月、『家庭画報 国際版』(第23号 2009年春/夏号、世界文化社、1,200円)が刊行されました。これは、ウエブでは次のように紹介されている雑誌です。

国際派カルチャー&ライフスタイルマガジン

「どうして日本の文化を世界に向けて発信する雑誌がないの?」内外から聞こえるそんな声にお応えして、「家庭画報」が半世紀近くに亘って伝えてきた「日本の心」を、世界の人々に伝える新しい雑誌が誕生します。家庭画報特選『KATEIGAHO INTERNATIONAL EDITION』は、新旧の日本文化の中から「言葉を超えて共感を得る力」をもったものを切り取り、その奥行きある魅力を、世界中の人々に「立体的に」「美しく」「分かりやすく」伝える英字のビジュアル誌です。


 このきれいな写真に彩られた国際的な雑誌に、昨年の『源氏物語』関する記事が、パワーアップして掲載されています。

 家庭画報社のサイトから、読むことが出来ます。


 ドナルド・キーン先生の記事の背景は、国文学研究資料館所蔵の正徹本『源氏物語』です。それも、ここでとりあげられた巻の該当箇所の影印です。
 このこだわりを感じ取っていただければ、本誌に協力した者としては本望です。

 また、その後の『源氏物語』の翻訳本の表紙絵21点は、私の手元にあったものです。昨年以降に見つかった6点が加わっています。

090402kateigahou翻訳本いろいろ

 なかなかうまい構成の頁となっています。

 とにかく、頁をめくっていくのが楽しい雑誌です。
 日本の文化的なレベルの高さが、世界中の方々に実感してもらえる誌面となっています。

 今回、取材を受けるまで、私はこのような雑誌があることを知りませんでした。
 実は、昨年も『家庭画報』という雑誌を初めて手にしました。

 とにかく、ビジュアルなものは、コトバがなくても伝わるものが多く、情報を共有できるので、『源氏物語』の翻訳本の世界は、こうした幅広い理解に有益な資源となります。

 さらには、その内容から各国の文化理解と国際的な文化比較にまで及ぶと、これはまさに国際理解の素材ということになります。

 こんなすばらしい本がたくさんあるのです。
 多国語による『源氏物語』の翻訳本は、まさにこれからの国際的な文化を共有する上で、重要なアイテムとなるはずです。


2009年4月 1日 (水曜日)

インド人留学生の眼(4)「よ~し、インド留学決まったぞ」

 一昨日、インドから総合研究大学院大学の研究生として来ていたクマール君が帰国しました。
 直前に、いろいろと日本への思いを篤く語ってくれました。
 日本にいたい思いはどうしようもないのですが、現実は認めざるをえません。
 最後の最後の日まで、日本でアルバイトをして残る道を探っていました。しかし、それも現実に押しやられたのです。
 これでよかったと、私は思っています。

 2人で出した結論は、「インドへしばらく留学する」というものでした。

 長時間にわたり、さまざまな生き方を話しました。
 賢明なクマール君です。
 来年にでも、きっとすばらしい報告をしてくれることでしょう。

 私への今後の経過報告を約束してくれました。
 その第一便が、さきほど届きました。

よ~し、インド留学決まったぞ~~

 最近、インドへ帰ることを考えると、心はズーンと、言葉にできない気持ちでした。
 それは、日本で「夢」ができたからかもしれません。
 それで、一応インドに帰って勉強して、バイトしてお金ためて、トンボ帰りしようと思っています。

 「そろそろ一年間ぐらいインド留学に行くよ」
と、日本人の友だちに教えると、皆からのコメントは
 「いい思いでよ」
 「インド留学中、マラリアに気をつけてね」
 「現地の女をナンパしないんだぞ、やばいから、手をつないだら婚約だから」
 「ちょっとヒンドゥー語を習った方がいいぞ」
 「現地の文化を肌で感じてよ」
こう言ったものでした。面白かったです。
 私は
 「はいはい、了解いたしました」
と答えました。

 日本人の友達皆が、首を長くして待っていると言ってくれました。
 戻ってくるためのモチベシーョンが上がりました。

 先日、住んでいた駒場の公園にあるベンチにも、渋谷のせわしない通りにも、帰ってくると約束をしました。
 皆、
 「待っている」
と、かすかな声で言ったような気がしました。

 そして、インドへ行く前にもう一回、海を見たかったから、横浜の港みらいというところに行って、夜景を見ながら、夜の海を見つめました。

 横浜の海にも、
 「お前、橋の上のその絶え間なく車の流れを守ってくれ、
 それを見つめているカップルをも、
 一人で震えているさびしい人をも守ってくれ」
と言いました。
 大波が引き起こされた気がしました。
 それで、
「はいはい、早く帰ってくれ、夜景すべてをそのまま守るから」
と言ってくれた気がしました。

 日本という先生に色々習いました。人生観が変わった気がします。
 しかし、何が変わったのが分かりません。
 ただ、今の私は、一年半前の自分と大きく違います。どう違うか分かりません。でも、今の自分の存在は、もっとスムーズに人生を生きられると思います。
 つまり、この人生の変化は好ましいものです。

 本当にありがとう日本、大好きだよお前、、、、、、大好き、、、、大好き、私を忘れないでください。

2009年3月31日 (火曜日)

「欧州所在日本古書総合目録」で原本画像を公開

 国文学研究資料館のホームページから、「欧州所在日本古書総合目録」を公開しています。

 ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ教授が、1988年から、ヨーロッパ各地にある日本の古典籍の調査をなさっていました。
 その書誌データのデータベース化に協力することとなり、これに着手したのが2000年の春でした。
 そして、インターネットへの公開を果たしたのは2001年11月でした。1年半の早業で、とりあえずの1879件の書誌情報を公開したのです。

 このデータベース作成に至る経緯は、本データベースの「About this catalogue」に、以下のようにまとめてあります。


欧州所在日本古書総合目録について

 本プロジェクトは1988年(昭和63)にイギリス北部のダラム市で行われたヨーロッパ日本研究協会の会議で、林望及びピーター・コーニツキーにより発足されたものです。それ以来、リーバーヒューム基金、故反町茂雄氏、ケンブリッジ大学などの援助を受けてきましたので、ここで記して、感謝の意を表わしたい。

 欧州所在日本古書総合目録プロジェクトは林・コーニツキーに企画された。助手としては、山口謡治君が四年間、主にパリ、ベルギーの各コレクションを調査し、またコーニツキーと一緒にストックホルム、ベルリン、ナポリ、ローマのそれぞれのコレクションも調査した。大英図書館およびオックスフォード大学付属ボドリアン図書館のコレクションは林が担当した。その他のコレクションはコーニツキーが調査に当たった。オランダ、ドイツの場合、ベルリンおよびハレのコレクション以外、既に刊行されているケーレン氏およびクラフト氏が作成した目録を頼りにした。入力は2001年までは、コーニツキーが担当した。その後の入力は国文学研究資料館が引き継ぎ、伊藤鉄也が担当している。2001年11月にweb公開し、検索システム等は大内英範が構築した。順次データの追加・更新を行なっている。

 末尾ながら、プラハの故リブセ・ボハチコヴァ氏、ロンドンの故ケネス・ガードナー氏、故反町茂雄氏、アレクサンドル・カバノフ氏、ヴァル・ハミルトン氏、ヒロコ・マックダーモット氏、小山謄氏をはじめ、数多くの司書の方々などに色々とお世話になったので、心からお礼を申し上げる次第です。


 以来、さまざまな問題点を解決しながら、順調に公開データを増やして来ました。

 一昨年あたりから、閲覧者が一桁アップという大好評をいただき、今もそのアクセス数は月ごとに増加しています。ありがたいことです。

 本年3月3日から「コーニツキー版 欧州所在日本古書総合目録」に、ケンブリッジ大学附属図書館の一部の蔵書について、原本画像を公開しています。


 これは、ここ数年の間に取り組んで来た、WEB版データベースの新たな利用形態を模索した成果の一部です。

 今後は、ケンブリッジ大学附属図書館所蔵の書籍の中から、コーニツキ先生と相談をして撮影した画像を、順次公開していきます。
 これは、今後とも原本画像の調査収集範囲も広げて行きたいと思っています。研究費と予算しだいですが。

 実際にご利用いただいての感想等をお寄せいただくと、さらにバージョンを上げる原動力となります。
 忌憚のないご意見等をお願いします。


2009年3月20日 (金曜日)

クマール君が審査員特別賞を受賞

 インドから来ている国費留学生のクマール君が、先日のスピーチコンテストで審査員特別賞を受賞しました。


090318serficate賞状

 日頃から、日本の文化に興味を持ち、いろいろと感じたことを話してくれていました。
 その一端は、本ブログでも、「インド人留学生の眼」として、3回にわたって紹介してきました。

(1)日本人はシャイか?


(2)「日本の常識の不思議」
(3人の方から励ましのコメントを付けていただきました。ありがとうございました。)


(3)「年末に実家で考えたこと」


 こうした知的好奇心に溢れる彼の眼から見た日本について、思いの丈を語ったことが評価されたようです。

 私が海外出張続きだったので、帰ってきたら早速、賞状を持って報告に来てくれました。

 この3月でインドへ帰国、という問題と直面している時期でもあり、お互いにとっても非常にいいタイミングでの成果でした。これからの大事な宝物になると思います。

 クマール君から、以下のようなコメントをもらいましたので、披露いたします。

「審査員特別賞を受賞して」


 人生で初めて、日本語スピーチ大会に挑戦しました。
 ちょっとドキドキしながら。。。
 なぜかというと、日本は恥の文化だということを、違うのだと訴えに行ったからです。
 杉並区交流会のビルに入る時まで、どんな話すればいいかと不安を抱いていました。しかし、そこまで、いろんな電車も乗り換えて行ったので、一回やっちゃえばいいと、みんなの反応はやってみなきゃわからない、という気持ちでした。
 舞台に立って、みんなの前でスピーチをすると、なんと音調は低かったのです。ちょっと変な話だから、自信もって話していなかった。
 しかし、私が初めの部分を終えると、皆が笑ってくれました。それで自信が湧いてきて、音調が高くなり、元気いっぱいの声で最後までスピーチをしました。
 エントリーした12人の皆が、それぞれのスピーチを終えると、後で日本の現地の人に褒められました。皆がショックを受けたと言ってくれました。
 恥の文化じゃないという時、それなりの理由を挙げているから一理がある、と日本のある女の人に言われました。色々お話させてもらいました。
 途中であきらめずに舞台まで行って、自信がくじけそうになっていても、そのままで最後までスピーチをしてよかったという気持ちでした。
 最後に、審査員特別受賞をもらいました。やった。


2009年3月16日 (月曜日)

接客の基本を忘れたアリタリア航空

 帰りのアリタリア航空は、行き以上に低レベルのサービスでした。というよりも、社員教育が行き渡っていません。

 まず、出発が搭乗後に2時間遅れたのですが、その説明がよくわかりませんでした。
 機内で2時間も座ったままで放置されるのですから、もっと情報を与えてほしいものです。
 機内に乗り込んで離陸を待つ状態なので、iPhoneで音楽を聴いていいものやら、パソコンを使って仕事をしていいものやら、皆目わかりません。ただ、時間だけが過ぎていきます。
 非常に無責任な対応だと思いました。

 出発直前に、座席の上の手荷物入れの蓋が、どうしても閉まらない様子でした。
 私は機内手荷物は座席の下に置くので、上は使いません。しかし、入れていた人はハラハラしておられました。
 側面のラッチなどをガタガタ言わせて、試行錯誤の末に何とかカチッとしまりました。
 こんなことは、あらかじめ整備しておいてほしいものです。
 運航中に開くと、荷物が飛び出してきて、ケガをすることになるのですから。

 上空で、昼食という機内食がでました。しかし、すでに午後6時近いのですから、昼食ではありません。
 私は、和食を頼みました。お蕎麦が食べたかったからです。
 しかし、箸が付いていないので、透明のプラスチックのフォークで、お蕎麦やご飯をいただくことになります。
 何とも気遣いのないことです。
 一膳の箸が和食には必要であることが、どうやら理解出来ていないようです。
 乗客の大半は、日本へ帰国する人です。だからこそ、お蕎麦やご飯をだしてくれているのではないのでしょうか。

 また、食事を渡すときも、もっと丁寧に扱うべきです。
 豚の餌を配っているのではないはずですから。よそ見をして仲間と喋ってばかりいないで、しっかりと手渡ししましょう。
 コーヒーをもらうとき、普通はトレーの上にカップを乗せてやりとりをします。しかし、今日のアテンダントの方は素手でカップを掴んで、そのまま熱いコーヒーを注ぎます。横着の極みです。
 ところが、少し揺れたためか手にこぼれてしまい、アッチッチと言いながら手を振るので、横にいた私はハラハラしました。
 接客の基本を忘れているようです。

 テレビを見ようと思い、座席の肘掛けのコントローラーを手にしたところ、細長いプラスチック製のコントローラーが、繋ぎ目のところで2つにパカッと割れていました。はめ込んで少しはましなように直してあげました。
 エア・インディアではないですが、また感電しないかと心配になりました。
 そして、コントローラーが不調で、一度設定した画面を変えることができないのです。
 いろいろと試しましたが、まったく画面が変わることはありませんでした。エンドレスで、何時間も同じ番組を流し続けていました。
 画面を暗くすることもできません。酷いものです。
 どうやら、機器のメンテナンスをしていないようです。

 機内の後ろにドリンクを取りに行った時も、女性のアテンダントの人はひたすら喋りまくり、男性はパソコンでゲームに熱中しておられました。往きの時と一緒です。この飛行機会社の人は、ズーッと仲間同士で、休む間もなくしゃべっています。
 また、女性のアテンダントの方の日本語は、お二人ともに、敬語表現が未熟でした。そして、つっけんどんな対応です。
 日本語の運用能力は、相当劣った方々と見ました。
 教えてもらった敬語が使える、というレベルの日本語運用者でした。それも、日本語のネイティブの方がです。
 この会社は、さらなるスキルアップどころではなくて、基本的なマナーと態度を覚えてから現場に出すべきです。

 機内放送で、イタリア語の飛び跳ねるような早さには何とも言えませんが、英語は非常に汚い米語のように聞こえました。スマートな英語とは似ても似つかない、気持ちの入らないままに紙に書かれた文章を早口で読み上げる口調です。投げやりな米語、という雑音でした。

 食事を下げるときに、男性の二人はペチャペチャ喋るばかりで、手がお留守です。
 私のトレーを下げるときも、よく見ずに引き取ろうとして、落としそうになっていました。ジュースの入ったコップなどがあったら、どうなっていたでしょうか。

 手荷物を取りに行く時に、ビジネスに乗っていた人の話が聞こえてきました。
 パソコンの電源コネクタが合わなくて、アテンダントに聞くと、日本製のパソコンの電源に対応するコネクタは置いていない、と言われたそうです。
 私はその特殊形状のコネクタを持参していたのですが、エコノミーにはこうした電源プラグは元々ないので、めったに使うことはありません。もしかして、と思って持っています。
 普通は、こうした丸形の中にピンのある特殊な形状のコネクタを持ち歩く人はほとんどいないはずです。アリタリア航空では、貸し出す用意をする気もないようです。
 件のビジネスシートの客の方は、何とかならないかと交渉なさったそうですが、にべもなく断られたそうです。
 そのため、パソコンを使っての仕事がまったくできなかった、とぼやいておられました。
 ビジネスシートの客への対応がこうした体たらくでは、エコノミーも頷けます。

 どうやら、アリタリア航空は、従業員の教育からやり直す必要がありそうです。
 一乗客の私が言うことではないでしょうが。

 それに比べると、JALやANAは、教育がいいことが実感できます。

 私の一番お気に入りの飛行機会社は、タイ航空です。そして、JALとANAでしょうか。

 最悪なのは、KLMです。これは酷い航空会社でした。

 今回のアリタリアは、それに次ぐ、ワースト2です。

 アリタリア航空は、エール・フランスに買収されるところを、イタリア政府がプライドから支援して救済したために、吸収合併に至らなかったということです。果たして、これはよかったことでしょうか。

 さらなる企業努力が必要な航空会社のようです。

 あまり貶してばかりでもいけません。
 1つだけ褒めると、着陸はショックを感じさせないほどに、ごく自然に接地しました。まさに、スーッと、という感じでした。気象などの関係もあり、運も手伝う着陸ですが、今回はうまくいった方だと思います。


2009年3月15日 (日曜日)

血糖値の管理

 海外で血糖値を管理するのは大変です。
 食事が日頃と違うからです。
 外食が多くなることも要因としてあげられます。
 また、バターなどの油分が多いこともあります。

 今日で、すべての仕事を終え、ローマの地を離れることとなります。

 今回は、身体の上では、非常に厳しい状況で移動をしていました。

 ヴェネツィアに入ってすぐに、鼻水が出だしました。これが、今日に至るまで、止まりません。水洟です。日本でなら、花粉症の症状です。

 私は、花粉症の傾向はありますが、そんなに酷くはありません。
 しかし、ヴェネツィアからの鼻水の量は、相当なものです。
 体力を消耗していることが、自分でわかるほど辛い状態が続きました。
 熱もなければ、咳もでないので、風邪ではありません。
 イタリアでは、風邪が流行っているとのことでしたが、私の症状はそれとは異なります。
 花粉症もあるそうで、ミモザをはじめとして、さまざまな原因があるようです。

 あまりにも苦しいので、フィレンツェで、いつもお世話になっている鷺山先生にご相談をし、栄養ドリンクのようなものを探してもらうことにしました。滋養強壮に、というやつです。

 薬局で聞いてもらいましたが、いわゆるリ「ポビタンD」や「アリナミンA」のようなドリンクはありませんでした。
 薬剤師のような人が、水に溶かして飲むタイプのビタミン飲料用のパウダーを勧めてくれました。

090315drinkAstenase

 箱には、Lアルギニン、マグネシウム、鉄、ビタミンC E PP B5 B6 B2 B1 B12 などが入っていると書いてあります。


 スポーツドリンク代わりにはなるだろうと思い、一箱買いました。一袋100円くらいです。

 これは、連日苦しめられた、水のような鼻水には効きませんでした。しかし、意外にも、血糖値にいい影響を与えたようです。

 今回の行程での血糖値の推移は、出発日から抜き出すと、こんな数値です。
 インド帰り直後の疲労からか、イタリア入りは高い数値でのスタートでした。

 144 - 137 - 142 - 104 - 118 - 95 - 116


 見ると一目瞭然です。
 「104」となった前夜から、フィレンツェで買ったパウダーをミネラルウォーターに溶かして飲み始めたのです。

 これは、いろいろな要因があってのこととしても、重要な点であることには違いなさそうです。

 このドリンクは、日本で言う「蕃爽麗茶」や「健茶王」という血糖値をコントロールする健康保険飲料に類するものの働きをしたのでしょうか。
 どなかた、この分野に詳しい方がおられたら、教えてください。
 もし、これが私の身体に合うものならば、継続して飲用してもいいのでは、と思っています。

 今回の旅での、意外な発見だったかもしれません。

携帯電話で起こされる

 iPhoneが電話の着信を知らせてくれました。
 こちらローマは、まだ朝の4時半です。日本のお昼過ぎです。

 画面には、「非通知設定」と表示されているので、誰からかわかりません。
 iPhoneを使うようになってから、海外でこうした早朝の電話を受けることには慣れました。すくなくとも、現地滞在先の方からでないことは明らかです。

 電話は、ビッグカメラ有楽町店からでした。
 今回出発する前日に修理を依頼したプリンーについての連絡です。

 結論としては、無償交換となるそうです。
 これは、ヒューレット・パッカード社の対応で分かっていました。
 修理という面倒なことはしないで、そっくりそのまま新品と入れ替えて終わりにする、という、使い捨て思想のアメリカらしいやり方です。
 これが、今の時代に、そしてこれからに相応しいかというと、自然や環境保護などの観点からは、やってはいけないことです。しかし、それが言えるのは経営に余裕のあるときだけです。今の不況の中では、そんなきれい事ことは言ってはおられないのでしょう。
 環境破壊は、見て見ぬ振り、ということのようです。

 それはさておき、お店に行けば新品がもらえるとのことでした。ただし、同じ商品でなくても、差額を払えば何でもいいそうです。

 ヒューレット・パッカード社の在庫処理のお手伝いも兼ねて、帰国早々にでも、有楽町へ行くことにします。

 帰ってからすぐに、さまざまな報告書を作成しなくてはなりません。
 プリンタは、文書の確認には必需品です。

 出発前に修理に出しておいてよかったようです。

 そして、連絡先を携帯電話にしていたので、こうして迅速に連絡がもらえたのです。今後の予定がたてやすくなりました。

 早朝の電話で起こされるのは困りものですが、携帯電話はうまく使えば便利なものです。
 自分の居場所を配慮した電話がもらえると助かりますね。
 そんな機能を、今後はiPhoneに設定してもらいたいものです。
 アップルならやりそうです。

ホテルマンとハイタッチ

 ローマのホテルに入ってすぐに、40分にわたってフロントで悪戦苦闘をしました。
 部屋に入ってからすぐに、発行してもらったパスワードでインターネットにつなげようとしても、どうしてもつながりません。

 そこで、フロントにパソコンを持参して、不具合に関して説明しました。受付の女性は、しばらくは、「あなたが何か設定を間違えているんじゃないの?」という顔での対応でしたが、私が通信の専門用語を連発し、コンピュータ用語を駆使して意味不明な英語で語りかけようとしているのを、ただ事ではないと察知してか、すぐにSE(システム・エンジニア)を呼んでくれました。

 このSEさんがいい人で、丁寧にステップを踏んで、不具合の原因を探ろうとしてくれていました。
 私が時々口をはさむと、ワシもマッキントッシュを使っているのでよくわかっている、と言って、いろいろと試してくれました。しかし、つながりません。

 支配人が出てきて、ホテルのパソコンを使ってもいい、という提案をしてくれましたが、日本語が使いたい、ということと、自分のアドレスとこれまでの記録を活用したいことを理由に、お断りしました。とにかく、このマシン(AirMac)をインターネットにつなげてほしいと。
 SEさんは、「よっしゃ」と言ったかどうか、とにかく任せろ、といったマック仲間のよしみでの誠意を見せてくれました。

 それからは、支配人とSEと私で、ああでもない、こうでもない、と、いろいろな設定をしました。
 それでもだめです。
 3人で一台のマッキントッシュを何とかしようと共同作業をしているうちに、この支配人もパソコン好きで、おそらくマッキントッシュのユーザーのようなのです、聞きはしませんでしたが…。

 ついにSEさんは、どこかへ電話をしました。そして、ポップアップ・ウィンドウの設定はどうなっている、と聞かれたので、ONにしていると答えると、それではOFFにしろ、と命令口調で言われました。

 私は素直に、ブラウザーであるサファリの設定画面を出して、環境設定から指示された項目をOFFにしたところ、たちまちインターネットにつながったのです。
 その瞬間、3人が同時に思わず歓声をあげました。

 ホテルのフロントサイドでの、40分間の小さなドラマでした。

 夕食に出かける時に、ホテルの入口で支配人と出会いました。
 どうしたわけか、お互いがすれ違いざまにハイタッチをしていました。
 もう、言葉などはいらない、反射神経のコミュニケーションでした。
 周りの人はもとより、フロントの人にもわけが分からない、私と彼の行動だったことでしょう。

 見ず知らずの人と、それも海外で、喜びを共に分かち合うとは、気持ちのいいものです。

 6年前のことを思い出します。

 インドの写真屋さんで、デジタルカメラのデータの加工や変換について、私がその店のスタジオに入って、その店の技術者にいろいろと指導をしたことがあります。
 私も見たことのない大きな機械を前に、写真データの取り扱いを説明したものです。

 私は、データをCD—ROMに収録してほしかったので、その注文を依頼しに行った単なる客でした。それがどうした流れからか、とにかくその店の技術者がよくわかっていないようだったので、それなら自分でやれるのか、と言われたことへの勢いで、私はコンピュータと写真に詳しかったこともあり、自分で店の機器を操作する、ということになったのです。

 そのインドの店は、今でも大々的に営業をしています。私が教えてあげたテクニックは、今でも活きているのでしょうか。
 店頭を通るたびに、素人の私が、写真の専門家に技術指導をしたことを思い出します。
 あの時も、難しい変換と加工ができて、CD—ROMが完成したときは、お店の人と一緒に喜び合いました。私も、身振り手振りの説明を理解してもらえたことがうれしかったことを覚えています。

 専門の方との試行錯誤を経た共同作業の後の達成感は、なかなかいいものです。


2009年3月14日 (土曜日)

イタリア語に訳された日本古典文学

 今回も旅の途中では、こまめに書店に出入りして、イタリア語に翻訳された日本の古典文学作品を買い求めました。

 その中から、10冊ほどを紹介します。
 少しずつ、私のライブラリも充実していきます。

 まず、左から、『土左日記』『竹取物語』『藤原定家歌集』です。

090313book1『土左日記』ほか


 次は、『堤中納言物語』『落窪物語』『住吉物語』です。

090313book2『堤中納言物語』ほか

 私は、海外での翻訳本の表紙に興味があります。そこには、文化が映し出されているからです。
 次の『枕草子』『源氏物語(宇治十帖)』『源氏物語(英文・研究論文集)』『浜松中納言物語』の表紙は、非常に興味深い日本文化の受容を見せてくれます。
 『枕草子』は、中国の映画でも、アダルトものとなっていました。「枕」からの連想でしょうか。

090313book3『枕草子』ほか

 懇意にしていただいている先生方の翻訳本も、この中に数冊あります。すでに献本していただいていたら、旅先でのこととして非礼をお許しください。
 タイトルも、中身もわからずに、表紙の印象だけを頼りに、そして感で書棚から取り出すという買い方なので、すでに持っている本もあることでしょう。あるいは、表紙だけが代わった、というものもあることでしょう。
 それもこれも、持ち帰ってからの楽しみです。

 探せば、もっともっと翻訳本はあるはずです。
 楽しみながら集めているので、折を見て、少しずつコレクションを増やしていくことにします。

 こうした翻訳本では、原作の日本文化がどのように異国語に、海外の人たちに分かるように置き換えられているのか、興味深いテーマがたくさんあります。
 しかし、残念ながら翻訳されている内容は、とても私の手に負えるものではありません。
 どなかた、精査してください。

 翻訳と文化というテーマは、これからの日本文学研究においては、ますます重要な分野となるはずです。
 日本語しか理解できない自分がもどかしいのですが、これはこれからの若者にバトンタッチすることになります。
 『源氏物語』の本文研究がそうであるように、これまで通り、あくまでも私は資料の収集と整理に徹します。

 『源氏物語別本集成』(おうふう)同様、近刊の『源氏物語【翻訳】事典』(笠間書院)を活用して、異文化コミュニケーションの調査研究が、今後とも盛んになることを期待したいと思います。


おしゃれなローマ大学

 フィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ駅からローマのテルミニ駅には、このユーロスターで着きました。 
 このホームにも、青色の自動販売機が見えます。清涼飲料水やスナック菓子が買えます。


090313trainユーロスター

 ローマの中心地であるテルミニ駅から5分の所にある、ローマ大学の東洋研究学科の建物は、非常におしゃれです。
 中心地にある、ということのために敷地はせまいのですが、そのセンスの良さは抜群です。


090313univ1キャンパス

 爽やかな色の建物に囲まれています。
 教室は、こんな感じで並んでいます。
 その色が新鮮です。奥の扉の向こうに、先生方の研究室があります。


090313univ2教室

 ここで、ローマ大学の日本語・日本文学に関する現況を、M先生からお聞きしました。
 不況のために日本語能力を生かした就職は困難だそうです。それでも、日本語の勉強をしようとする学生は減らないとか。魅力のある学科となっているようです。

2009年3月13日 (金曜日)

フィレンツェの満月とお寿司

 深夜、お腹がすいたので、フラリとドゥオモの周りを徘徊しました。
 泊まっているところがすぐそばなので、夜の観光です。

 中央市場あたりは少し物騒なので、反対側の、より安全な方へ脚を向けました。

 まずは、24時間営業の本屋さんで、読めもしないイタリア語の本がぎっしりと詰まった書棚を見て回りました。
 地上3階、地下1階の、本格的な書店です。なんでもありそうです。
 文字が読めないので、平積みの本の表紙の絵を手がかりに、何冊かの日本に関する本を見つけました。
 息子への土産として、イタリア料理のレシピを書いた本を買い求めました。
 ここトスカーナは、食材やワインが豊富なところのようです。

 夜10時過ぎの、ドゥオモとジョットの鐘楼です。

090313duomo大聖堂と鐘楼


 ちょうど、満月が見えました。

090313moon満月が

 一際明るいライトの少し右上でドゥオモの壁面のすぐ左に、遠慮がちな満月が天空に置かれています。もう少しここに佇んでいたら、きれいに見上げることができるのでしょうが、寒いのでその場を離れることにしました。

 そこから少し東北に歩いたところで、待望のお寿司屋さんを見つけました。

090313susi1寿司まにあ


 店のネーミングがいいですね。

 世界の回転寿司屋を探索している私としては、回転していなくても、こうしたテイクアウトの店も情報収集しています。

 まぐろとエビとサーモンと巻き寿司しかありませんでしたが、ヴェネツィアには寿司屋が見あたらなかったので、これがイタリアでの初めての収穫です。

 私は、サーモンの手巻きを買いました。これで、700円くらいでしょうか。


090313susi2手巻き寿司


 ご飯の固さといい、サーモンの鮮度といい、満足するものでした。
 お店の方は、海外の寿司屋では中国の人が多いのですが、ここは日本の方でした。

 さて、明日から行くローマは、お寿司の状況はどうでしょうか。
 2年前には、1軒も見つけられなかったので、今回が楽しみです。

アルノ川の夕焼けと蔀戸

 何かと忙しくて、自由な時間は遅い時間帯となります。

 フィレンツェの街の中心を流れるアルノ川の夕焼けに出会いました。
 ベッキオ橋から西の空が、きれいに見えました。


090313yuugure夕暮れ

 そのベッキオ橋に居並ぶ宝石屋さんたちが、午後7時になると店じまいをします。
 その様子を見ていて、店の戸が、日本の蔀戸とそっくりな仕組みであることに思い至りました。


090313sitomi宝石屋の蔀戸

 写真を見るだけで、半蔀のような状態が、よくわかると思います。
 上に跳ね上げてある戸も、掛け金が日本の物とよく似ています。
 こうした障壁具というものは、世界共通の要素を持っているものなのでしょうか。
 おもしろいなー、と思いながら、しばらく店じまいの様子を見ていました。

親子3代の似顔絵を描いたおじさん

 息子がウフィッツィ美術館に来たときに、その前でキャンバスを立て並べている1人の似顔絵描きのおじさんに、おもしろい似顔絵を描いてもらって来ました。

 それから数年後、たまたま母がフィレンツェで似顔絵を描いてもらい、持ち帰って来たその似顔絵が、息子の絵とまったく同じタッチだったのです。偶然ですが、同じ人に描いてもらったのです。
 以来、私もこの人に描いてもらおうと思っていました。

 スケジュールの合間を縫って、ウフィッツィの前でその絵描き屋さんを探しました。それは、容易に見つかりました。そして、早速描いてもらいました。
 椅子に座り、ほんの5分ほど前を向いていればいいのです。


090313portreit

 これで、1人のおじさんによる、親子3代にわたる似顔絵が揃ったことになります。

 そのことをこのおじさんに話すと、今度は奥さんとお嬢さんも描いてあげよう、連れておいで、と笑いながら言ってくれました。


フィレンツェ大学の中へ

 フィレンツェ大学へ行きました。

 煉瓦の家々の中にあるので、どこがキャンパスなのかは、部外者にはわかりません。

 ある学部の建物に入ろうとしたら、入口で学生たちが大勢群がっていました。

090311uyoku小競り合い

 聞いてみると、右派の集団を左派の集団が取り囲んで揉み合っている所だとか。
 かつて、日本でも若者たちが元気だった頃、学生運動が盛んでした。
 東大の安田講堂の攻防は、私が高校2年生の時でした。若者が政治と直面していた時代の話です。

 押し合いが始まり、少し険悪な雰囲気となっていました。
 危険だということで、この建物を迂回して、文学部のある棟へ向かいました。


090311entrans文学部棟

 学部への入口であることは、オートバイや自転車が並んでいることから少しわかる程度です。
 歴史的な建物の中は、小綺麗な教室が並んでいます。
 平安時代の和歌などがご専門のS先生の授業に、飛び入りで参加させていただきました。


090311classroom授業風景


 日本の大学でいうと、学部の2年生を中心とした講座でした。
 授業は、日本の文学について、イタリア語でなさっていました。ちょうど、『源氏物語』についてでした。
 学生さんたちは、真剣な眼で聞き入っています。この知的な好奇心に溢れる姿は、日本の大学の中からは忘れ行くものとなっている部分かもしれません。

 天井を見上げると、梁には太い木材が走っています。

090311roof天井

 煉瓦の建物の中は、木造の建築物が組み込まれているのです。
 歴史と文化を感じさせてくれるので、学ぶ環境としては格好の舞台だと思いました。


駅のホームの自動販売機

 ヴェネツィアからフィレンツェへは、ユーロスターを使いました。

090311ユーロスター


 2時間40分の、東京から大阪へ行く感覚の電車の旅です。
 ヴェネツィアの出入りに利用する駅は、サンタルチア駅です。
 このホームに、自動販売機がありました。
 写真の列車の両側のホームにある、青色の四角い箱がそうです。珍しいものです。
 飲み物類や、スナック菓子などが買えます。

 そういえば、宿泊した修道院の中にも、温かいコーヒーなどがカップで出てくる自動販売機がありました。スナック菓子も買えました。

 まだ、街中では見かけませんでしたが、今後は徐々に街角にも姿を見せるのではないでしょうか。

 車内では、各シートに電源コンセントがありました。

090311eurostarコンセント


 他のシートでは、各自の席の側面にあります。

 これはパソコンを使うビジネスマンや、カメラやiPhoneの充電をしたい旅行者には便利です。

2009年3月12日 (木曜日)

橋でつないだ街が抱える問題

 ヴェネツィアは石の道です。そして、たくさんの小さな島と島には、石橋が掛け渡してあります。狭くて細長い通路は、まさに迷路です。

 私は、地図を片手に、自由にヴェネツィアを行き来できます。しかし、いつも困るのは、到着時と帰る時に、重たい荷物を、橋に来ると一々持ち上げなければならないことです。これは、何人も避けられない現実です。水上タクシーを使うのも方法ですが、単身で来てすぐに乗りこなすのは難しいものです。

 私は、ビニールザックのボストン型をしたキャリングカーを使っているので、いつも荷物は比較的軽い方です。それでも、やはり橋では、ヨイショと持ち上げます。出来るだけ、目的地までは橋の少ないコースを通るようにしています。しかし、この荷物を引き上げて抱えて橋を渡ることの繰り返しは、行きも帰りもエネルギーを浪費します。

 この街で、ベビーカーが許可されているのかどうか知りません。しかし、ベビーカーに子供を乗せた女性がいました。
 杖を突いた老人もいました。
 体の不自由な方もおられることでしょう。
 みなさん、この橋をどのようにクリアーしておられるのでしょうか。

 がんばって渡るしかない、というのが私の目に映った光景です。

2009年3月11日 (水曜日)

ヴェネツィア大学周辺

 早朝、宿舎の近くを散策しました。
 宿舎は、昨秋と同じ修道院です。部屋に鍵を忘れて出たときに、「外でおねんね、ね」と言われた楽しい修道女がいらっしゃる所です。

090310stay修道院

 昨年の9月もそうでしたが、運河には水鳥がたくさん標識で休んでいます。
 今朝もまた、1羽の鳥を写しました。

090310unga1水鳥


 修道院には食堂がないので、食事は外でします。
 近所のバールで「カフェ」を注文したら、「エスプレッソ」が出てきました。「違う」と言うと、「アメリカンか?」と、少し小馬鹿にしたような笑顔で言って、ニコニコしながら作り直してくれました。
 そうなのです。イタリアでは、エスプレッソが基準なのでした。
 我が家でも、エスプレッソを作る機械を買い、ときどき作っています。濃過ぎる時は、ミルクをスチームで泡立てて、カプチーノに出来る優れものです。

 インドでは「ティー」よりも「チャイ」でした。
 ここイタリアでは、「カフェ」よりも「エスプレッソ」でした。

 ヴェネツィア大学(カ・フォスカリ)の東アジア学科へ行きました。

090310univ1東アジア学科


 普通に観光で訪れた人には、これが大学で、しかも入口がどこなのか、チョッとわかりません。
 右下の青い扉が、入口です。
 そして、中の階段を登って2階に、東アジア学科があります。


090310univ2入り口

 大学の入口で、先日までイギリスのケンブリッジ大学で、宗教の勉強をしていたという先生に会いました。コーニツキ先生の話や、指導教授だったというバウリング先生の話を聞きました。ヴェネツィアで先月行ったばかりのケンブリッジの話ができるのですから、世界は狭いものです。

 しばらくは、いつもお世話になっているルペルティ先生とトリニ先生から、現在の日本語・日本文学の研究状況などを中心とした意見交換をしました。
 文部科学省に提出する資料も、詳細なものを事前に作っておいてくださいました。
 これをもとにして、私は旅行をしながら夜は書類作りをする、という仕事が続きます。

 街中にあるヴェネツィア大学(カ・フォスカリ)の本部にも行きました。
 学長室のある階のバルコニーから、大運河を見下ろしました。

090310unga3大運河

 丁度、S字カーブの角にあたるところなので、すばらしい眺めです。
 レガッタレースの時には、ここでスピードを落とすので、見物には絶好の場所だそうです。
 前方右端に、リアルト橋が見えます。
 このバルコニーの真下に、学長専用車とも言うべきボートが留まっていました。さすが、ヴェネツィアの脚です。


090310gakutyo学長専用車


 ヴェネツィアは、観光客で賑わっています。世界的な不況の中ですが、ここはまだその影響が少ないと言えるでしょう。
 先日のカーニバルの時にも、客足が心配でホテルも値下げしたそうですが、蓋を開けてみると、満員盛況だったそうです。電車も積みのこしが出るほど、人がたくさん集まったとのことです。景気が悪いと、憂さ晴らしに人が集まるとおっしゃっていました。しかし、それだけヴェネツィアに人を集める魅力がある、ということなのでしょう。

 今日も、迷路の街ヴェネツィアは、観光客でごった返していました。
 ここは、元気がある街です。


2009年3月10日 (火曜日)

ローマ空港で待ちぼうけ

 ローマには、当初の予定よりも1時間遅れで到着しました。
 そして、乗り継ぎゲートでヴェネツィア行きを待っていたのですが、いつまで待ってもゲートが開きません。

 そうこうするうちに、ヴェネツィア行きの表示がなくなりました。
 どうやら、搭乗ゲートの変更のようです。
 それがどこなのか、さっぱりわかりません。
 カウンターのお姉さんも、知らない、と言うだけです。
 特に案内はありません。
 周りの様子を見ながら、感で新しいゲートに移動しました。

 新しいゲートには、確かにヴェネツィア行きの表示があります。
 しかし、カウンターには係員がいません。
 とにかく、待つしかありません。

 結局、40分くらい待って搭乗しました。
 ヴェネツィア空港に着いたのは、午前0時前でした。
 大変なヴェネツィア入りとなりました。

大らかなアリタリア航空の客室

 成田からの飛行機は、1時間半遅れで出発です。
 同時に、ローマからヴェネツィアへの乗り継ぎも、1便遅れてのフライトとなりました。
 この調子では、夜中のヴェネツィア入りとなります。

 ローマまでのアリタリア航空の機内映画は、『マンマ・ミーア』を観ました。
 陽気で明るい展開を楽しみました。チョッと猥雑なところもいいですね。

 先々週のインド行きのJALでは、観たいものが何もなかったので、今回も期待していませんでした。
 しかし、この映画は、旅の途中で観るには、その軽さと音楽が似合います。
 日本では、観る暇がなかったので、ちょうどいい機会となりました。

 映画を観ながら、フライトアテンダントのイタリア人男性に、赤ワインを頼みました。
 すると、

「100円いただきます。白なら600円です。」

とおどけて、しかも英語とイタリア語と日本語を交ぜながら言うのです。
 観ていた映画から抜け出したような、陽気でカッコイイ人でした。

 ワインを飲みながら観ていたら、突然画面が消えました。何とか、自力で復帰せさました。二三度そんなことがありました。
 隣の席の肘掛けは、カバーが壊れています。
 数年前、エア・インディアの肘掛けが捲れあがっていて、配線が剥き出しだったことを思い出しました。感電しないか、心配しながら乗っていました。

 隣の席の人は、大分前に、別の席に移っていました。テレビが壊れていたようです。
 そういえば、目の前の仕切りのカーテンが、レールから外れています。
 運行に影響はないことですが、日本の飛行機会社ではありえない状況です。

 しばらくしたら、隣の席のテレビを直しに、別のアテンダントの女性が来ました。
 直ったのか直らないのか、放置したままで、またどこかへ行ってしまいました。
 最後尾のスペースでは、アテンダントの女性3人が、大声で談笑していました。

 何とも、大らかな飛行です。

2009年3月 8日 (日曜日)

伽羅の香りの水

 インドから帰国する時のことです。

 インディラガンディー空港へ行く前に、最近は必ずネルー大学のアニタ先生のお宅に立ち寄ります。


090306anitahome


 空港近くの、日本で言う麻布十番にお住まいなのです。
 そこで、昼食をいただき、空港へと向かいます。空港までは、30分ほどかかるでしょうか。

 今回も、小さい頃から知っている食事係の坊やが、実はもう結婚したとのことでしたが、おいしいインド料理を作ってくれます。
 私が大好きな小豆のカレーや、なすびの炒め物、そして、これまた大好きなパニールやサラダなどなど、年々腕を上げているようです。
 今回は、チャパティやナンの完成度が高かったように思います。

 最後のデザートの時に出たアイスクリームが、得も言われぬおいしさでした。


090306icecreme伽羅の香りのアイス


 伽羅の水を混ぜているとのこと。
 名前は、「ケバラ・ウォーター」と言うそうです。
 伽羅のお香は、私も時々焚きます。しかし、それが食事と関係するとは。
 ちなみに、このアイスクリームが乗っているランチョンマットの絵は、アーノルド・シュワルツネッガーが描いたものです。

 いろいろと聞いている内に、どうやらこの水が手に入るとか。
 出発までに少し時間があったので、わがままを言って、近所のマーケットへ連れて行ってもらいました。


090306market1マーケット


 インドのお店はいろいろです。
 このマーケットは、相当いいお店が並んでいました。
 いずれも、個人商店が集合して、マーケットを形成しています。

 カウンターは、こんな感じです。


090306marketカウンター


 手に入れた水は、こんなボトルに入っています。

 
090307kyara


 紅茶やケーキなどに入れるといいそうです。

 娘が、よくケーキを作ってくれるので、一本お土産に買いました。
 ついでに、自分の紅茶用にも。

 インドの生活に入り込むと、こんな楽しいものに出会えます。


2009年3月 7日 (土曜日)

ナント80GのUSBメモリー

 インドから帰る途中で、ニューデリーの中心地のコンノート・プレイスの電気屋へ行きました。
 そこで、驚愕のUSBメモリーを手に入れました。
 なんと、80Gもの容量のものなのです。これは、もうハードディスクの感覚です。


090307memory80g80Gメモリー


 先月、これまで使っていた8GのUSBメモリーを、16Gに換えたばかりでした。それが、一気に5倍ものアップです。
 それも、その価格に度肝を抜かれました。1,500ルピーだったので、日本円に換算すると3,000円です。イギリスの製品なので、大丈夫なのでしょう。今のところ、問題なくマッキントッシュで使えています。

 この勢いで行くと、今年中に250GのUSBメモリーが出ることは確実のようです。

 コンピュータを使い出して二十数年、この小さなメモリーに感動しています。

2009年3月 6日 (金曜日)

デリーの空港が大変身

 ニューデリーのインディラガンディー空港が、驚くほどに変わりました。
 まず、無料でネットに接続できます。
 これは驚異です。イギリスでも、クレジットカードを要求されました。アメリカでもそうです。
 ヨーロッパのオーストリアでは、まったく不自由なく、ネットが自由に使えました。
 このインドが、こうしてネットを自由に使えるとは。すばらしいことです。

 空港内の売店が、きれいで広くなりました。


090306delhiairport新装の空港

 品数もたくさんあります。
 ただし、どこかイマイチなのがインドです。
 この空港の売店では、その場で食べるもの以外は、すべてドルしか使えません。

 一体、帰国の待機ロビーで、ドルを持っているのは、どんな人なのでしょうか。
 みんな、先ほどまで使っていたルピーをどう使い切るか、ということしか考えていません。
 このルピーというインドの通貨は、日本に持ち帰っても、銀行をはじめとしてどこでも換金できません。
 だから、出発前に手持ちのルピーを使いたいのです。

 ドルしか使えないとは、物を売る気がないことになります。
 みんなのために、というサービス精神を、ぜひとも今後は育ててほしいものです。


慌ただしい帰国の準備

 帰国の準備をしながら、デリーからの最後の報告です。

 土産を買うヒマもなく走り回っていたので、昨夜はようやくお店に行きました。
 いつものINAマーケットは、人だかりがすごいことになっていました。人混みはテロの心配がありますが、そこは住民に紛れての買い物です。

 ニューデリーの中心地であるコンノート・プレイスは、かつて私が住んでいたホテルがあるところです。懐かしさと共に、エンポリウムという政府公認の物産館でタクシーを降りようとしたところ、クローズだというのです。午後7時までだそうです。時計を見ると、ジャスト7時です。仕方がないので、宿舎まで引き返しました。

 途中で、サウスエクステンョンでチョッと降ろしてもらい、本屋で地図を買いました。
 私が持ち歩いている地図は、5年前のものなので、いろいろと変わっています。
 たくさんの書き込みがあるので、それを転記するのが大変なので、そのまま使っていました。しかし、デリーの変わりようが激しいので、そろそろ買い換えることにしたのです。

 いつも行く本屋は、何でもあります。便利に使っています。

 食事の後、これも恒例のジュース屋さんに行きました。
 いつものおじさんがいたので、いつもののものを注文しました。果物を、お皿いっぱいに盛って、サービスしてくれました。
 私のジュースを作ると、すぐに息子と替わって、ザクロを袋にいっぱい詰めて帰って行きました。また、今年の12月に再会を約束してわかれました。もちろん、身振り手振りです。

 これから、慌ただしく雑務をこなし、ネルー大学のアニタ先生のお宅で、旦那さんともどもお食事をして、空港へと向かいます。

 みなさんのご好意のおかげで、無事に帰路に着けることに感謝しています。

2009年3月 5日 (木曜日)

ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見

 インドのニューデリーにあるネルー大学の図書館へ、日本文学の本を拝見しに行きました。
 以前にも、一度行ったのですが、今回は『源氏物語』のインド語訳がないものか、という目的がありました。
 あらかじめ調べてもらったところでは、何もないとのことでした。
 念のためと思い、5階の外国語の書棚をブラブラと見ることにしました。どうせ文字が読めないので、行き当たりばったりの、偶然にまかせるしかありません。
 探しているのは、アッサム語訳、ウルドゥー語訳、オリヤ語訳、マラヤーラム語訳の4種類の『源氏物語』です。

 一通り書棚の間を彷徨きましたが、特にめぼしいものには出会えませんでした。
 4階にも日本の本があるとのことだったので、移動する途中に、図書カードの詰まったケースがありました。
 ものは試しと、{GENJI}ということばのカードを探していると、こんなカードが見つかりました。

090305card_2図書カード

 「GENJI KI KAHANI」というのは、ヒンドゥー語訳『源氏物語』と同じ書名です。
 しかし、「1921」という年号らしき数字があります。
 ヒンドゥー語訳『源氏物語』は、1957年に刊行されているので、それとも違います。
 アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』の第1巻は、1925年に刊行されているので、それ以前の翻訳です。これはおかしいと思い、司書の方にお願いして、本を確認することにしました。
 コンピュータで所蔵図書を調べてもらうと、これは「1971」年にサヒタヤ・アカデミーから刊行されたウルドゥー語訳であることがわかりました。
 とにかく現物を確認するために、一緒に書棚のところまで案内してもらいました。
 本は、すぐに見つかりました。しかし、ウルドゥー語のところではなく、まったく別のチャイニーズ・フィクションのところでした。これでは、わかるはずがありません。

 表紙と外観は、こんな感じです。

090305hypusi表紙


 元の表紙と扉などは失われています。そして、JNU(ジャワハルラル・ネルー大学)が製本をし直したものです。そのために、奥付にあたる情報がありません。しかし、改装する前にメモが残されたらしく、コンピュータに書誌データには、さらに情報がありました。

出版社は、サヒタヤ・アカデミー、頁数は367頁、翻訳者はSyyed Ehtsan Hussain(サイエッド・エタサン・ホセン)で、この人は出版後1年経った時に、死去したことになっていました。

巻頭部分の「桐壺」は、こんな感じになっています。


090305urudug巻頭・桐壷

 本は、探している人に「おいでおいで」をするといいます。
 今回は、まさにそれでした。

 とにかく、偶然の積み重ねから、こうして探し求めていた本に出会えたのです。
 私にとっては、大発見です。偶然に感謝します。

 今日は、ネルー大学の学生さんたち20人ほどと、懇談会を持ちました。
 研究のことや、将来の就職のことなど、自由に話をしました。
 そして、あろうことか、その学生の中に、ウルドゥー語を使える男性がいたのです。小さい頃に、ウルドゥー語で育ったのだそうです。
 上記のウルドゥー語訳『源氏物語』に関する情報は、彼の読解に依るところが多いものです。
 彼との出会いも、ラッキーでした。

 その後、ネルー大学で日本語日本文学を担当しておられる先生方にお目にかかり、食事をしながら情報交換を行いました。詳細は、帰国後の報告書に記します。

 それにしても、探し求めていたウルドゥー語訳『源氏物語』が見つかったのです。それも、サヒタヤ・アカデミーから刊行された本です。

 これで、あとは、注文をしているアッサム語訳と、マラヤラーラム語訳、そしてオリッサ語訳の、合計3冊となりました。
 もう一歩まで、追い詰めました。
 今後とも、『源氏物語』の翻訳本を追い求めたいと思っています。

2009年3月 4日 (水曜日)

デリーの停電

 朝の5時頃でした。宿泊先の部屋でパソコンを使った仕事をしていたところ、突然テーブルの上のライトが消えました。そして、部屋が暗くなったのです。ただし、非常用の照明が一つだけ点いています。
 しばらくは何があったのか、わかりませんでした。やがて停電であることに気づきました。以前にインドにいた時、何度も停電があり、ひどいときには1日に4時間も使えなかった日がありました。その後、電力事情は改善されたと思っていたので、気を許していました。

 幸いノートパソコンを使っていたので、電源のトラブルはありません。
 それから2時間ほどの間、点いたり消えたりを繰り返します。気持ちのいいものではありませんが、構わずにノートパソコンを使い続けました。
 今回宿泊している施設には、非常用のバックアップ電源がありました。そのため、真っ暗な状態に身を置くことは避けることができました。

 今日は、国際交流基金のニューデリー日本文化センターで、〈第4回 インド日本文学会〉が開催されました。

090304jf国際交流基金ニューデリー日本文化センター

 今回の訪印の目的である情報収集の場として、こうして研究者が集まる機会は、非常に意義深いものがあります。この研究集会の世話人の1人に私がなっていますので、いろいろな準備もして臨みました。

090304speech開会の挨拶


 〈第4回 インド日本文学会〉は、国際交流基金の所長である遠藤氏とデリー大学のウニタ氏、そして在インド日本大使館の内山氏の挨拶の後、私の基調講演となりました。


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 用意していたタイトルは「インド語訳『源氏物語』への大きな期待」です。
 お話を始めて5分を過ぎた頃だったでしょうか、突然会場が真っ暗になりました。停電です。
 マイクが使えなくなったので、大声で話を続けました。しばらくすると、電気が点きました。それでは、ということでiPhoneを使ったプレゼンに切り替えようとしたところ、先ほどの停電でプロジェクターがリセットされたようで、事前におこなったセッティングがキャンセルされたのです。カラー画像を大きく映すことは諦め、レジメの中に白黒で印刷した資料で話を進めました。

 この停電は、他の人の発表の時にも何度かありました。
 インドのインフラの整備は、まだまだ時間がかかりそうです。インドにおける研究発表では、プレゼンテーションの方法を工夫しておく必要があります。

 何でもありのインドなので、私はそれなりの対処をプリントでしていました。それが的中したわけですが、こんな事情をよくご存じの方々が多かったので、あまり被害はなかったと言えましょう。

 ランチは、国際交流基金のご好意とご協力により、立派な食事会となりました。
 会場の袖では、焼きたてのナンやチャパティなどが作られていました。このご配慮にも、感謝です。

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090304lunch


 今回は、先生方と一緒に学生の方々が多かったので、今後のインドにおけ日本文学研究の発展が楽しみです。

2009年3月 3日 (火曜日)

デリー大学で学生と交流

 今日は、デリー大学に行きました。デリーの市街からは、北の方にある大学です。ようやくメトロが開通し、工事用のフェンスがなくなったため、すっきりとした大学の街になっていました。

 今回は、デリー大学における日本文学研究の現状について、先生方からいろいろとお話を伺い、参考となる資料をいただきました。これは、文部科学省から依頼を受けた、現地調査の一環として行うものです。
 デリーには、知り合いの先生が多いので、大変助かりました。

 私は、5年前に客員教授としてデリー大学の招聘を受けて以来、毎年このデリー大学を訪れて、先生方や学生さんとの交流を続けています。そのこともあり、今回も好意的に、さまざまな資料を提供していただきました。
 お付き合いは、継続していくことの大切さを、今回も実感しました。

 デリー大学の学生さんたちは、大変親しみやすい人が多いのです。日本語の運用能力も高いので、普通に楽しく雑談ができます。3年間でこんなに日本語がうまくしゃべられるのかと、いつも感心します。
 今回は、修士課程の学生さんたち20人が集まっていました。


090303delhi30学生たち

 学生さんたちの研究発表も聞き、その内容や話し方についてのアドバイスを伝えました。みんな、一生懸命に勉強しています。
 ただし、日本語を話すことに必死になり、その語る内容が置き去りにされている学生さんがいました。これは、訓練と、日本人に直接アドバイスを受けることにより、格段に進歩するはずです。
 インドの若い人たちに期待したいと思います。

 来月から、国費留学生として日本に来るアンビカさんと、来日後のことをいろいろと相談もしました。彼女は、近松門左衛門の研究をしています。私とは専門分野が違いますが、縁あって私が、国文学研究資料館で2年間ほど世話をすることになっています。
 現在預かっているクマール君はネルー大学の出身で、このアンビカさんはデリー大学の学生さんです。
 共にコツコツと勉強するタイプなので、成長が楽しみです。

 大学の中を歩いていると、インドらしい牛が荷物を運んでいました。


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 右端が、サイクルリキシャ(人力車)です。学生たちが利用するので、たくさん、至る所で客待ちをしています。

 帰りに、ヤムナー川に寄ってみたところ、川岸を行く行者さんにあいました。
 いかにも、という写真が撮れました。
 街中でもよく見かける行者さんですが、背景がそれらしいと、時間を遡った異空間の映像になります。
 インドが安易に被写体になるのは、こうした光景が日常の中に混在しているからでしょう。


090303gyoujyaヤムナー川の行者


 夜、いつものジュース屋に、昨日はいなかった大好きなおじさんがいました。
 この大きさでいいか、とコップを翳すので、OKのジェスチャーをします。このおじさんは、よくわからないことばを喋ります。私の片言の英語も通じないので、いつもお互いが仕草で会話をしています。
 早速、作ってもらいました。やはり、昨日の若い人とは、味が格段に違います。
 手からこぼれるほどの果物を、たくさんもらいました。

090303ojisanジュースのおじさん


 縁もゆかりもないおじさんと年に一度会い、目と目でコミュニケーションがとれるのですから、人間のおもしろさを感じます。


2009年3月 2日 (月曜日)

ジュースで栄養補給

 サトウキビのジュースを飲みました。青臭いかと思ったのですが、意外と口に合いました。

090302jyuceサトウキビのジュース

 数年前に、バンガロールで飲んだことを思い出しました。あの時よりも、今日のジュースの方がトロリとした感じがしました。また、味もマイルドでした。

 夜に、宿の前のマーケットの中にあるジュース屋さんにも行きました。
 昨日もそうでしたが、今日も、いつものおじさんはいませんでした。
 ビタミンを補給するためもあって、若い人に作ってもらいました。
 やはり、おじさんが作ってくれたジュースとは、比べものにならないくらいに、味が違います。
 トロリとした感触がないのと、水っぽい気がしました。マサラパウダーの調合も、明らかに違います。
 おじさんの復帰を、心待ちにしています。

 スンダルナガルにある、紅茶の専門店「ミッタル」で、おいしい紅茶も買いました。
 アーリー・スプリングの2009年ものの新茶です。

090302teaアーリースプリング

 試飲できるので、いろいろと飲んでみました。高級茶葉といわれるものは、香りや味が微妙に違うのがわかります。

 バタバタするだけの日々に、薫り高いティータイムを入れてみようと思うようになりました。


2009年3月 1日 (日曜日)

■夜中の結婚式

 デリーに来ると、いつもお寺に泊まります。
 日本のお寺ですが、ホテルのような部屋が用意されているのです。
 詳細は、数年前になりますが、ホームページに書きましたので、興味のある方はどうぞ。


 過去のインドの記録

 晩ご飯は、ご飯に味噌汁のようなカレーをかけたものと、野菜を煮たものです。質素ですが、インドに来たことを実感します。
 食後、お寺の周辺を散策しました。何も変わっていません。
 ただ、新しいカフェが出来ていました。チェーン店なのでしょうか、2軒ありました。
 お寺のすぐ前にあるサプナシネマの周りは、多くの人たちで賑わっていました。映画館は、人が集まるところです。

 来ると毎日行く、ジュース屋さんにも立ち寄りました。しかし、いつもの国籍不明のおじさんはいませんでした。息子の方だったので、今日は飲みませんでした。
 おじさんのジュースは、他の人がつくるのとは、一味も二味も違うのです。ザクロのジュースに混ぜるマサラパウダーの調合に、どうやら秘伝があるようです。

 今日は、やたらと戸外が賑やかです。結婚式が、近所であるからでしょう。
 来るときに、道ばたで白馬や音楽隊を見かけました。
 その集団が、お寺の私の部屋の下を、大騒ぎをして通りました。
 花火を打ち上げながら、笛や太鼓やラッパを鳴らしながら、大勢の人が列をなして通ります。


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 ライトで照らしながらの行進です。

 照明用の電気を供給するための、バッテリーを積んだ車も、馬車の後ろから付いて来ています。

 馬車には、新婚の男女が座っていました。

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 後ろからは、子どもたちも、はしゃぎながら付いて行きます。
 新婚馬車が通り過ぎると、また静かな住宅街に戻りました。

■インドの匂い

 インディラ・ガンディー空港に降り立つと、いつも懐かしい匂いがします。
 埃っぽい、少し煤けたような、それでいてマサラの匂いが混じっています。
 以前は、牛が多い関係かと思っていました。しかし、今はデリーの街中から牛が郊外に追いやられてしまいました。ほとんど、街中では、牛をみかけません。
 この匂いは、やはり土なのでしょう。

●映画『私は貝になりたい』

 インドへ行く機中で『私は貝になりたい』という映画を観ました。
 人生の、人間として生きていく上での、不条理というものを痛切に感じました。
 戦勝国としてのアメリカの、その独善的な東京裁判の危うさを、冷静に、客観的に描いていました。
 絞首刑台に登る直前に、主人公である清水を見送る米兵の辛そうな表情を映し出したのは、この映画監督のせめてもの人間に対する温かさだと思いました。
 世界中の人々を殺しまくっているアメリカ人への、ささやかな抗議のメッセージだと観ました。人間には、心というものがあるのだ、というメッセージです。
 この映画は、一人でも多くのアメリカ人が観るべきものだと思います。

●出発間際のトラブル(3)

 昨夜は、睡魔と戦いながら荷造りをしていたせいか、成田空港までの路線情報の検索で勘違いをしてしまいました。
 近くの駅のホームに余裕をもって着きました。しかし、あらかじめ調べてあった電車が来ません。曜日を間違えて検索したのかと思って、プリントアウトを見ると、検索した日付が「4月1日」となっているのです。今日は3月1日の日曜日なので、4月1日は平日なのでしょう。
 調べた時が、日付が3月に変わった直後だったので、れをよく画面を見もせずに、クリックして次の4月にしたようです。
 そのせいもあり、予定より少し遅れてチェックインカウンターに着きました。
 座席はあらかじめ決めてあるので、時間的には何も問題はありません。
 出発早々の、かわいいハプニングです。

●出発間際のトラブル(2)

 出発間際に、旅行に持って行くキャリーバックに躓きました。
 右足の爪先を、思い切り強打しました。
 痛さを我慢しながら、成田空港へ向かいました。
 空港で靴下を脱いでみると、右足の中指が紫色に変色していました。
 これなら、時間と共に消えることでしょう。
 インド行きのさい先早々、いやなことをしてしまいした。
 さて、どんな旅になりますか。

出発間際のトラブル(1)

 昨夜、というよりも今朝方、旅行に持って行くための各種資料を印刷していました。
 すると、突然プリンタが異音を発しました。
 ヒューレットパッカードのプリンタで、スキャナの付いた箱型は、私の好きな機種です。そのプリンタの表示パネルを見ると、インクシステムのエラーが発生した、とあります。
 表示の通りに電源を入れ直しても、同じことの繰り返しです。表示されているエラーメッセージは、説明書のトラブルシューティングには掲載されていません。

 これが、マーフィーの法則なのでしょう。
 ここ、というときに、いつもは何でもないことが突然起きるものです。

 とにかく印刷は諦めざるをえません。
 幸い、先方で渡す書類はプリントできていたので、これは一安心です。

 私が、飛行機の中でしようとしていた仕事のプリントが、土壇場でだめになりました。
 パソコンの画面で文字校正をするのは辛いのです。
 光の点でできた文字は、紙に印字された反射光で見る文字と比べると、やはり目の疲れ具合がぜんぜん違います。
 これは、飛行機の中では仕事はするな、という神の思し召しなのでしょう。
 そういえば、昨日、仏壇の中にある父母の写真に向かって、「今年もインドへ行ってくるよ。土産はいらないね。」と、旅の安全(?)をお願いしてきました。
 その返事が、これなのでしょう。
 そう思うことにします。

2009年2月27日 (金曜日)

時間と空間を移動する

 今日は、朝早くから東大阪市にある大阪府立中央図書館へ行きました。
 過日報告したように、柳呈によるハングル訳『源氏物語』の表紙を撮影する許可が出たので、そのために出向きました。
 前回同様、対応してくださったNさんは、非常に配慮の行き届いた方でした。
 今のところは、1冊本の柳呈訳は、これしか日本にはないのです。そもそも、柳呈訳が少ないので、今後とも探していきたいと思います。

 撮影が終わると、小雨の中を、かつて住んでいた平群へ行きました。


090227heguri1平群駅前


 急遽必要になった書類を受け取るために、何度か通った、懐かしい町役場へ行ったのです。東京や京都と違う雰囲気がいいです。
 竜田川は、子どもたちと一緒に川遊びをしたところです。
 コープの向こうに、かつての我が家が、靄の中に見えそうです。
 妻と、子どもたちと、おばあちゃんと、6人みんなで過ごした平群です。

090227heguri2竜田川から生駒山

 駅の外れにあったバス停の角の銀行が、取り壊されている所でした。

090227bank銀行

 それ以外は、20年以上住んでいたままで、時間と空気が止まった地域のように感じました。

 役場で書類を受け取ると、すぐに京都駅を目指します。
 お昼から、駅前のメルパルクで大事な会議があるからです。
 西大寺で特急に飛び乗って、ギリギリで開会にまにあいました。100人以上の方々が集まる会議なので、広い部屋にギッシリとみなさんが詰めておられます。壮観です。お一人お一人が、それぞれの分野の第一線で活躍中の方々です。テレビで、新聞で、雑誌でと、よく見かける顔が多いので、一人で楽しんだりしています。

 予定よりも1時間も延びた会議が終わると、すぐに会場を移動して、駅の反対側にあるキャンパスプラザ京都へ向かいます。
 今度は、研究プロジェクトの例会です。
 今日は、モンゴルからお越しの、L.テルビシ博士のお話です。
 博士は暦学者としては第一人者です。テーマは「モンゴルのゾルハイ(暦学)とモンゴル人の時間概念」でした。

 お話は、モンゴル語でしたが、通訳の仏教大学の学生さんが、うまくその意を伝えてくださいました。
 モンゴルの旧暦は、インド・チベットを起源とする暦を中心として成っているそうです。
 そして私は、インドは白で、中国は黒という色で理解されている、ということばに興味を持ちました。
 中国については、あまり好きな民族ではないということはわかりましたが、インドが「白」、ということがわからなかったのです。
 すぐに質問すると、インド人の服装からのイメージから来るものではないか、とのことでした。

 モンゴルの暦の時間概念の話が中心でした。
 私はウサギ年の生まれなので、ウサギに関する話につい耳が向きました。
 「ウサギの刻をあけぼのの刻と名づける」とか、「あけぼののウサギの刻に酒やヨーグルトを醸し、魑魅の口を封じると吉」とか。これはもう、占いの世界です。
 「八方位表」のお話の後に、方角と季節や色の関係を質問しました。興味深い答えをいただきました。天子南面の考え方や、方違えの考えが、今も生きているのです。まさに、平安時代の陰陽道です。

 ホワイトボードに、ロシアのキリル文字で板書しながらの説明でした。

090227mongol1モンゴルの暦

 ウサギ年生まれの私は、「死星」が「金曜日」だそうです。金曜日には気をつけましょう。
 その話を聞いている今日が、なんと金曜日なのです。気をつけながら、気を配りながら帰りました。
 また、私の「敵」は「ニワトリ」なのだそうです。その意味するところは、また落ち着いて考えましょう。

 今日は、モンゴルの暦では、正月3日だそうです。
 三が日も今日までです。
 明日からは、心を引き締めていくことにします。

 このお話の合間に中座して、京都府立大学の仲間とロビーで打ち合わせをしました。
 お借りしていた、末松謙澄の珍しい翻訳本などをお返ししたところ、今度は、これまためずらしいドイツ語訳の『源氏物語』の本を貸してくださいました。
 さらには、末松謙澄がロンドンにいたときのことを調査した論文も、コピーしてくださっていました。
 明治時代初期の『源氏物語』の翻訳事情が、少しずつ見え出しました。仲間からの情報は、本当にありがたいものです。

 今日のすべての用事を終えて帰ろうとしたところ、京都駅の構内に機動隊などの車両が出入りしています。ものものしい雰囲気でした。私は金曜日は「死」につながるそうなので、急いで駅を立ち去りました。
 ニュースによると、テロに備えて、消防や警察、医療機関の連携を強化するための初の合同訓練が実施されたのだそうです。サリンがまかれたとの想定で、被害の確認から救護までの動きを確かめる訓練があったようです。
 やはり、私にとって金曜日は問題のある日のようです。

 朝から晩まで、時間に追われ、時間を考える、おもしろい1日でした。

2009年2月23日 (月曜日)

時差ぼけの不思議

 海外から帰ってくると、必ず生活のリズムが狂います。乱れるのではなくて、狂うのです。

 日本を発って12時間近く飛行機に乗って行っても、イギリスの場合は時差が9時間あるので、その日の数時間後に到着したことになります。時計の上では、3時間くらいしか飛行機に乗っていなかった、という変な話になるのです。

 この不自然な時間の中に身をおくと、毎回、体内時計が狂います。
 往きで狂い、帰りで狂い、おまけに、年とともにさまざまなボケが加算され、柔軟に時間の中を泳ぎ切ることができなくなります。

 今日は、もうかれこれ、24時間近く起きた状態で、何かをしています。
 昨日も、20時間以上起きていました。眠くないのです。そして、どう見ても、効率が悪いのです。

 何かの拍子に、瞬間的に熟睡している自分に気づきます。
 電車の中では、熟睡しているようです。どうしてなのか、昨日も今日も、いつも降りる駅の次の駅で、あわてて飛び降りました。眠ったままの意識と、いつもの行動パターンを指示する意識とが、不規則に交流しいてるのでしょう。意識ははっきりしているが、外見的には夢遊病者のようです。

 もう、イギリスから帰ってきて1週間。
 1週間目の今日が、体内時計が一番狂っているようです。

2009年2月21日 (土曜日)

先入観で見てはいけないインド

 『クーリエ・ジャポン』(2009年2月号)で、「”日本人化”するインド人の暮らし」という特集があります。大分前に購入していた雑誌ですが、読む順番が今回インドへ行く直前となりました。

 この記事は、インドの国内向けに書かれた雑誌の記事をもとに、インド研究の第1人者である中島岳志氏が編集しているものです。

 インドの中流階級の都市における急激な変化が、ここから見えて来そうです。

 この中から、気になった記事を引いておきます。

Part Ⅰ 消費社会化するインド

・「ゲーテッド・コミュニティの誕生によって、多くの人が”ノイズ”に触れることなく生活できるようになった。(中略)階層の区別はこれまでにもあったが、富める者も貧困層と交わってきた。だが、ここでは本当に隔絶されており、このなかで育った子供たちは外の環境に触れたことすらない。「想像力の欠如」という問題がインドを蝕みつつある。」(25頁)

・「アルコール類の売り上げは年間15%も伸びている。特にいま、中流階級の女性のあいだでワインが人気を集めており、酒類の売り上げの約4分の1は女性たちによるものだという。」(29頁)

Part Ⅱ 変化する若者の結婚観

・「バラエティ豊かな結婚サイトは、インドに大きな社会変動をもたらそうとさえしている。」(31頁)

・「幼児婚は、夫へ服従を求める宗教規範から生まれたシステムである。(中略)だが、インドのヒンドゥー教徒に対して適用されるヒンドゥー婚姻法では、女性の結婚年齢は18歳からとされている。」(37頁)

Part Ⅲ 旧きよき家族像の崩壊

・「悩みを抱えた日本の若者が自分探しに行くインドで、その国の若者が自殺をするという皮肉な現実が生まれている。」(43頁)

・「いまのインドは日本と同じ問題を抱えている。こうした苦悩を彼らと共有することが大切だ。」(45頁)

■中島岳志氏の総括

・「私たちが踏み込まなければならないのは、インドが現代社会で抱えている苦悩が、私たちの経験してきたものと同根であるというところだ。」(47頁)

 私は、毎年のようにインドへ行きます。そして、ニューデリーに行くたびに、街と人々の変化に驚かされます。

 旅行案内書は、都市部に関しては毎年書き換える必要があります。また、インドに対するモノの見方も、毎年のように変更を余儀なくされます。

 インドは魅力のある国だけに、今後とも目が離せません。

 自分なりの範囲で、これまでの関係を温め続けていきたいと思っています。

 中島岳志氏は、私が初めてインドへ行ったときに2ヶ月間も寝食を共にし、いろいろな所へ案内してもらい、そしてよく語り合いました。
 彼のシャープな感覚から教えられることが多いので、その発言には今後とも注目していきたいと思います。

2009年2月18日 (水曜日)

ロンドン・パリ間が2時間

 ロンドンでは、インターネットに接続することができませんでした。
 宿泊先のホテルには、ワイヤレスで接続できる設備がありました。しかし、トラブルで使えなかったのです。
 ロビーには有線のネット接続ができるマシンがありました。しかし、ウインドウズであることと、日本語の入力やパスワードのことがあるので、諦めました。

 帰国後の報告として、こうしていくつかのメモをアップしています。

 ロンドン大学のKさんの話では、来週パリで打ち合わせの会議があるとのことでした。それも、驚いたことに日帰りなのだそうです。

 ロンドン大学のすぐ近くにあるキングスクロス駅から電車が出るようになり、2時間ほどでパリに着くのだそうです。それなら日帰りの出張もありか、と納得してしまいました。

 それにしても、世界が小さくなったものです。
 交通機関の発達により、時間の短縮と経路の選択ができるようになったことが、大いに変革を促進したようです。

 便利になることは、いいことです。
 しかし、使い古された表現ですが、余裕やゆとりがなくなります。
 のんびりと思索に耽るなどということは、今では望むべくもありません。

 スピードがもたらす弊害を、今後は検討すべきかと思います。


2009年2月17日 (火曜日)

ロンドンの回転寿司

 さて、昼食は、パディントン駅構内の回転寿司屋「YO sushi」へ行きました。ここは、初めて来る店です。
 私は、世界の回転寿司巡りをしていますので、こうして一つずつ記録が増えていきます。


090213susiパディントン駅構内の回転寿司


 お昼を食べた後、ラッセルスクゥェアーにあるロンドン大学(SOAS)へ。
 いつもお世話になっているKさんから、いろいろと情報をもらいました。

 週末ということもあり、図書館周辺は学生がたくさんいます。日本と違って、イギリスの大学生は、たくさんの本を読み、たくさんの文章を書かされるようです。そういえば、イギリスの大学を出た娘も、エッセイを毎日のように書かされる、と言って悲鳴をあげていました。

 本を「読み」、文章を「書く」、という行為の間にある「考える」という過程は、学習する時には大事にすべきことです。キャンパスに入ると、現代の若者の元気な姿に接することができて、こちらも元気になります。

 いつものように、ロンドン大学の前にあるラッセルスクゥェアーのホテル・ラッセルの中を散策です。ここは、何度かブログに書いたとおり、アーサー・ウェィリーが『源氏物語』を英訳した時にいたホテルです。このまわりには、ブルームスベリーの仲間がいたので、文学的な雰囲気があったようです。明治の頃の話ですが…。
 ロンドン大学に来ると、いつもこのホテル・ラッセルの中を歩きます。人との待ち合わせにも利用させてもらっています。

 そして夕食は、これまたいつもの、ピカデリーサーカスにある回転寿司屋「くるくる」です。ロンドンでの老舗だけあって、しだいにメニューがロンドンらしい回転寿司屋になってきました。私は、この店が、日本人が行きたくなる店に成長するように願っています。そのためもあって、ロンドンに来るといつも立ち寄ります。
 今回は、ほうれん草に味噌がのったものが気に入りました。

 この周辺には、日本の食材を置く店がいくつも並んでいます。日本酒、納豆、お米、味噌、醤油、ふりかけ、インスタントラーメンなどなど、とにかく日本食のための調味料や食材などが所狭しと並んでいます。チョッとした日本のスーパー以上のこだりわが、このピカデリー地域にはあります。

 海外で日本と同じものを求めるのではなくて、イギリスはイギリスで日本の味と文化を堪能できる施設を充実させるべきです。その勢いが、このピカデリーサーカスにはあります。
 食べる方も、日本とは違う環境の中で、どのように演出してくれているのかを楽しんだらいいと思います。日本で食べる基準で「旨くない」というのは、評価と比較がおかしいのです。
 自信を持って食することができる和食の中でも寿司は、誇りをもって海外に広まってほしいものです。そのためには、現地にいかに受け入れられるか、ということが重要です。
 日本の観光客のためというよりも、そうでない人のために工夫をすべきです。

 各国の回転寿司屋に行きますが、ロンドンの「くるくる」を、私は高く評価しています。
 お昼に行ったパディントン駅構内の「YO sushi」は、まだまだ地域の研究が足りません。ネタに変化がないので、うどんなどで誤魔化すしかないのです。
 中にいた職人さんは、手の休まる暇もなく立ち働いていました。手が馴染んだら、次は客の様子を見て流す皿の上を工夫すれば、もっといい店になるのではないでしょうか。


壁に取り付けられたハリポタのカート

 ケンブリッジからロンドンへと移動しました。
 ノンストップの電車で50分。早朝の車内は、立錐の余地もないほど満員です。

 終点のキングスクロス駅は、ハリーポッターの映画で有名になった、フォグワース魔法学校への出発地です。荷物のカートのままに、ホームの壁の中へ吸い込まれていく映画のシーンは有名です。

 そこで、観光客などみんなが、映画そのままに9と4分の3番線の壁を目指してぶつかるのです。映画のまねなのですが、ひょっとして壁を通り抜けられるのでは、という根拠のない期待をもってのことでしょう。
 このキングスクロス駅には、そんな時間と空間を超えられそうな雰囲気があります。

 そんな人々を見て、駅の当局者はこんな対策を打ったようです。


090213wall2カート

 ホームの外側の壁に、カートがぶつかったような状態を演出したのです。

 このカートは、9番線の前方にあるので、ズッと奥に行かないと見られません。


090213wallフォグワース魔法学校へ

 みんな楽しそうに、カートの取っ手を持って、ぶつかるまねをしたりして記念撮影をしていました。

 ロンドンも、平和です。


800年を祝うケンブリッジ大学

 ケンブリッジ大学は、今年が創立800周年の記念年だそうです。
 英語圏の大学では、オックスフォード大学に次いで古いようです。そもそも、ケンブリッジ大学はオックスフォード大学から分裂した学者が創立した大学です。

 街中では、こんな幟をたくさん見かけました。


090213cam8001800周年

 昨年の日本は、『源氏物語』の千年紀として大いに盛り上がりました。

 今年は、ケンブリッジでも記念のイベントがたくさん組まれているようです。
 しかし、2日間だけの旅人には参加できるものがありませんでした。

 残念です。


2009年2月13日 (金曜日)

ケンブリッジの1日 突然雪に

 ケンブリッジの朝は、非常に気持ちのいいものです。
 市内の中央を流れるケム川の畔には、大きな水鳥たちが休んでいます。

090212camriver水鳥たち

 ケンブリッジ大学の図書館では、日本部長のKさんと、長時間にわたりイギリスにおける明治期の『源氏物語』の翻訳事情に関する話をしました。博識のKさんなので、いつもいろいろな視点から情報がもらえます。これは、直接あってでないと、メールや電話では得られないものです。一緒に話をしながら、ああでもない、こうでもないと言い合っている内に、そういえばこんなことが、というところから話がおもしろくなります。そして、あらたな発見につながったり、これから調べを続けていく上でのヒントが得られます。イギリスに出かけ時には、Kさんとの面談はいつも予定に組み込んでいます。そして、知的な刺激をもらって帰ります。

 その後、ロビンソン・カレッジの副学長になられたP先生のところへ行きました。


090212robinsonロビンソン・カレッジ

 P先生にも、渡英の時には必ずお目にかかっています。
 もう7年になりますか。「欧州所在日本古書総合目録」というデータベースを、国文学研究資料館から公開しています。

 このデータベースが、年とともに評価をいただき、先月は一と月で6千件以上のアクセスがありました。最初は、こぢんまりとスタートしたP先生との共同プロジェクトも、こんなに知られるようになったのです。

 先生がヨーロッパを歩き回って集積された、膨大な日本の古典籍に関する情報の公開を、お手伝いしているのです。
 ぜひ、一度ご覧ください。
 来月には、さらに情報を増やし、さらに使い勝手のいいものにする予定です。

 P先生のところに来ている大学院生の方で、私が今回の調査で主目的としている末松謙澄を博士論文のテーマとしておられるRさんにも会い、いろいろと情報交換をしました。彼女とは、P先生の紹介を受けて、メールで連絡をしていましたが、やはり直接会っての話は、たくさんの情報が行き交い、充実します。

 修士論文を早稲田大学に提出したそうなので、帰国後に確認に行くことにします。

 今回は、イギリスでの『源氏物語』の翻訳本の調査がメインです。
 文化が往還することをテーマとする、大きなプロジェクトの一環での調査です。

 P先生との話で、今日、目から鱗が落ちるような体験をしました。

 これまでは、末松謙澄が明治15年に『源氏物語』の英訳をロンドンで刊行したことが確認されていました。実際に、本の奥付にそうあります。しかし、『日本文学史表覧』(沼沢龍雄編、明治書院、昭和9年)によると、末松謙澄が『源氏物語』の英訳を明治14年に丸善から出し、翌15年にロンドンで刊行していることになっています。この丸善は当時は丸屋ですが、明治14年ということが、どうも疑問です。
本当に刊行されたのかどうか?

 このあたりの事情について、今回の調査ではこだわっています。

 ところが、今日のP先生との話の中で、F・V・ディキンズが日本から『源氏物語』を持ち帰っていた可能性があり、明治十年代にロンドンに『源氏物語』があっても不思議ではない、とおっしゃったのです。

 さらには、そのディキンズや伊藤博文の本などが、現在、イギリスにあるようなのです。
 その中に『源氏物語』の本があると、これはさらにおもしろいことになります。
 明治10年頃に、ロンドンに『源氏物語』の本があったようだ、ということになるからです。

 最初に『源氏物語』を英訳した末松謙澄は、どうやら日本からイギリスへ本を持ち込まなくても、ロンドンとケンブリッジで翻訳できたようなのです。
 これは、本当におもしろくなりました。

 さらに追跡を続けたいと思います。

 何か情報をお持ちでしたら、教えてください。

 その後、夕刻からケンブリッジには雪が舞うようになりました。
 キングスカレッジの中庭からの写真です。


090212kings_2キングスカレッジの雪

 トリニティーカレッジの裏は、こんなに雪が積もっています。

090212trinityトリニティーカレッジ

 やがてミゾレになりましたが、寒い日となりました。


2009年2月12日 (木曜日)

英国への機中で

 英国へ向かうANAの機中で、ANAの機体トラブルから始まる映画を観ました。
 「ハッピーフライト」という映画です。
 バードストライクや緊急着陸の場面など、非常にリアルな感覚で観ました。
 先般の、アメリカで起きたハドソン川への不時着は、バードストライクだったという情報に接した後だったせいもあります。
 
 映画を観ながら、本当に今乗っている飛行機で起きている事態のようで、なかなか楽しめました。ただし、あまり気持ちがいいものではありません。この映画を観ている間中、出発前に機体点検などで問題はなかっただろうか、とか、コックピットでは今何が起きているのだろう、と余計なことを思ってしまったからです。
 それから、キャビンアテンダントの方々については、実際にすぐ目の前で仕事をしておられる方々と画中の方とを、見比べてしまいました。
 映画では、さまざまな教育的な配慮があることが強調されていました。そうなのでしょうが、目の前をニコニコ(?)しながら通り過ぎて行かれる方たちは、そんなに単純な顔ではありません。疲れの見える方や、少し不機嫌そうな方など、いろいろです。それが自然なのでしょう。
 私には、映画の方が、多分に作りすぎた演技のように感じられました。

 今回は、一睡もしない徹夜をしたままで乗り込んだので、観た映画はこれ一本だけでした。
 読もうと思って持ち込んだ本も、パソコンに入力しようと思っていた資料なども、まったく出さないままにロンドン・ヒースロー空港に到着しました。
 ズーッと、ポケーッとしていたことが、連日の日々のことを思うと、最高の贅沢な時間だったのかもしれません。

 ロンドンは、先週は大雪だったのですが、すでに晴れていました。
 すぐにバスで、ケンブリッジに向かいます。3時間ほどの長旅です。
 これまでは、地下鉄と鉄道で行っていたのですが、今回はじめてバスを使いました。電車の場合は、乗り換えの時に荷物が邪魔なのです。また、ロンドンの地下鉄は狭いので、荷物のことが気になります。向かい合わせに座った人の、膝やつま先がぶつかるのには閉口します。それが、バスだと、車体のお腹の部分に荷物を収納してもらうと、あとは最終地点までは椅子に座っていればいいのです。脚も伸ばせます。体もずらせます。
 バスでは、他の人の乗り降りを気にする必要がないので、徹夜明けの長旅は、時間がかかってもこの方がいいようです。

 ただし、困ったことがありました。10人くらいしか乗っていなかったのですが、私の斜め前の席の女性が、しきりに咳き込んでいたのです。

 出発の前日、先週から起き抜けのノドがおかしかったので、近くの医者に診てもらい、薬を大量に持って来ていました。マスクも、のど飴も、ノドスプレーも、うがい薬も、とにかくいろいろと持参です。

 そんな状態だったので、この女性の咳が、非常に気になりました。
 それも、なかなか降りる気配が感じられないのです。
 そうこうするうちに、前の方の男性も、咳をしだしました。
 目を瞑っていましたが、耳がやたらと敏感に反応するのです。聞きたくない音を遮るには、iPhoneで音楽を聴くに限ります。しかし、充電不足で、この文明の利器も活用できません。2時間以上経った頃に下車して行かれたときは、ホッとしました。

 夜の9時過ぎに、ケンブリッジに到着です。
 空には、満月が雲間から顔をのぞかせています。


090211moonケンブリッジの満月

 途中で、雪が道ばたにチラホラと見えました。しかし、この様子では、雪の心配はなさそうです。

2009年2月 9日 (月曜日)

マンガ『源氏物語』のタイ語訳

 タイで刊行されているマンガ版『源氏物語』が届きました。
 タイのチュラロンコン大学で教えている仲間が、送ってくれました。
 学生が持っていたことからわかった本です。


 まずは、大和和紀の『あさきゆめみし』です。


090209wakigtaiあさきゆめみし


全13巻が揃いました。
中は、すべてタイ語になっています。


もう一つは、美桜せりなの『源氏ものがたり』 (フラワーコミックス)です。

090209miougtai源氏ものがたり


これは、第2巻までが刊行されていますが、今回入手したのは1巻のみです。

日本語版の第2巻の表紙は、こんな感じです。

090209mioug第2巻

『源氏物語』は、とにかく世界中に広まっています。
今後とも、ますます翻訳されることでしょう。

次はどんな翻訳がなされるのか、楽しみが増えました。

2009年2月 5日 (木曜日)

モンゴル語訳『源氏物語』

 モンゴルで、『源氏物語』の翻訳が進んでいます。
 いろいろと情報が入ってくるようになりました。

 現在、『源氏物語【翻訳】事典』(笠間書院)を編集中ですので、詳細はそこに盛り込むこととして、ここにはその出版計画を記しておきます。

 モンゴルでは、世界の古典50作品を翻訳する国家事業が始まりました。
 その中に、『源氏物語』が選ばれたのです。

 翻訳者は、ジャルガルサイハン・オチルフー氏です。
 テキストは、谷崎潤一郎の現代語訳です。


 ◆巻一(桐壺-末摘花)が、2009年2月中旬に刊行予定

 ◆巻二(紅葉の賀-花散里)が、来年刊行予定


 遊牧のモンゴルで、『源氏物語』がどのように伝えられるのか。
 これは、非常に楽しみです。


2009年1月28日 (水曜日)

ハングル訳『源氏物語』その後

 ハングル訳『源氏物語』について、韓国で最初に翻訳された柳呈訳『ゲンジ イヤギ(源氏物語)』の刊行のことが確認できましたので、改めて報告します。

 この本は、現在日本においては、大阪府立中央図書館にあることが確認できるのみです。
 このことは、本ブログの本年1月18日の「ハングル訳『源氏物語』 の不確かな情報」に記した通りです。

 その後、韓国外国語大学校の金鍾徳先生から、本書に関する詳細な情報をいただきましたので、ここにまとめて報告いたします。

 さて、この『ゲンジ イヤギ(源氏物語)』は、ソウルにある乙酉文化社から1975年11月に『世界文学全集 全100巻』の中の第99巻として刊行されました。全一冊のグリーンの表紙の本です。

 この一冊本の巻頭には、国宝源氏物語絵巻の「宿木二」(徳川本)左半分のカラー図版が、口絵としてあります。大阪府立中央図書館で確認しています。

 その奥付は、次の通りです。


090116g19751975年版奥付


 さらに1979年6月には、同じ内容、同じ頁数で、『新装版世界文学全集 全60巻』の内の第4・5巻として、全2巻が刊行されました。
 この巻頭には、1975年版にあったカラー図版はありません。
 代わりに、出展は不明ですが、紫式部らしい絵が、上下ともに白黒写真版で掲載されています。

 この奥付は、次の通りです。

0901285g19791979年版奥付

 柳呈訳『源氏物語』は、1982年5月には別の韓国出版社から『世界代表古典文学全集 全12巻』の第7・8巻としても出版されています。
 これは、乙酉文化社版の抄訳のようです。

 乙酉文化社のものは、両方ともケースがありますが、特にカバーはないようです。

 ただし、神野藤昭夫先生からのご教示によると、1979年6月版の「下」には、ビニールカバーがかけられているそうです。
 さて、1975年11月版には、ビニールカバーはあったのでしょうか。
 大阪府立中央図書館の本には、このビニールカバーは、現在はついていませんでした。

 本のことを調べていると、いろいろなことがわかります。
 この本については、さらに追跡を続けたいと思います。

 ご存知のことがありましたら、ご教示いただけると助かります。

2009年1月26日 (月曜日)

インド人留学生の眼(3)「年末に実家で考えたこと」

インドから来ているクマール君の報告・第3弾です。


「年末に実家で考えたこと」

 子供の時から、社会のために何か出来るといいなぁー、と思っていました。そして、インドで親にもそう言われていました。
 もしちゃんと教育を受ければ、社会人になれば、この世の中をきれいにできる、と。
 でも本当だったのか、嘘だったのか、今、本当に考えるようになりました、最近。

 先月、インドに帰国し、すぐトンボ帰りしました。そして、逆カルチャショックというものを実感しました。
 10日間も、インドが耐えられなかったのです。
 この一年間で、日本に知らず知らず溶け込んでいたことが分かりました。

 インドに帰った時、インディラ・ガンディー空港から自分の実家まで、タクシーに乗りました。そこで、面白いことがありました。
 私は空港の特別タクシースタンドで、(先払いの)プリペードタクシーを予約しました。それなのに、不規則に並んでいるタクシーの中から、何回もいろんなドライバーに、連れていくようにお願いしなければなりません。
 インドで、タクシーを予約して乗った、ということが面白かったのです。私はインド人ですが、外国人にとって、これがいかに辛いものかを、初めて知りました。

 まず、びっくりしたのは、タクシーの予約料金でした。それは512ルピー(約1,500円)でした。去年までは150ルピー(450円)だったのに。
 何でそれほど高いのか、混んでいた窓口で聞いてみました。しかし、「Hath Hath 」、つまり「どけ、どけ」と言われるだけでした。
 そこで余儀なくされたことは、その人と口論するか、残念なことに、言われた通りのお金を出してタクシーを予約して乗るか、という選択でした。
 口論すれば、暴力まで覚悟しなければなりません。前の私だったら、後はどうなっても、きっと口論の方を選んだことでしょう。しかし、その時は疲れていて、早く家に帰りたかったのです。

 とにかく、家に着いてから領収書をもらって、その後に何かしよう、と思いました。
 家に着いてから領収書を聞くと、タクシードライバーは「それを持っているが、もし私に手渡すと自分はお金が貰えない」と言いました。その領収書をタクシースタンドに戻ってから、返さなければならないそうです。
 そこで念のために、その領収書のコピーを遠い店まで行ってしました。
 後でネットでチェックしたところ、283ルピー(850円)だったのです。

インドのタクシー料金

 ここで腹が立ったのは、金よりも、だまされたという気もちの方でした。その状況を変えるためには、ニューデリー警視庁に苦情を書かなければならないのです。

 同じようなことは、その10日間でいくらもありました。

 例えば、バイクを運転していて途中で、パンクがあったのです。
 せいぜい60ルピー(180円)もしないのに、150ルピー(450円)も払わされました。
 そこでも口論ができたのですが、やめておきました。

 今回は、紛争よりも平和に徹することにしました。

 その人たちも、悪い人じゃない、と思います。
 インドの物価も高くなっている一方だし、未整理分野の仕事をする人の人生には、政府はちっとも関わらないからだと思いました。
 経済の成長にも、経済危機にも、影響を受けない人たち、恩恵も打撃も受けない人たちは Unorganised sector の人ですから、自分で自分の人生、自分の子供の人生を支えなければなりません。
 それで、生き残るために、勝手に手数料を決めているわけです。

 ここで一番言いたいことは、システムがないと、人は勝手に何かをするしかない、ということです。それで、儲かる人は嬉しいかもしれないけど、見切られる人はつらいものです。
 問題は、ある社会を管理している、必要性を見抜く仕事をしている社会科学者、社会のシンクタンク、政府などに関係しています。

 システムということに関しては、日本が世界一、と言えるほど優れています。
 それはドイツ、アメリカ、スイス, ギリシャ、シンガポールなど、世界中の友達に聞いてみて分かりました。

 何で日本人は、システムを作るのに優れているのかが、今よく考える関心ごとです。

2009年1月24日 (土曜日)

『源氏物語』の翻訳状況

 『源氏物語』の翻訳本に関する情報が錯綜していて、なかなか確定しませんでした。
 ようやく、現状が見えてきたので、以下に報告します。

『源氏物語』の翻訳言語情報
◆刊行されたもの 23種類◆
アッサム語・アラビア語・イタリア語・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャビ語・ヒンディー語 ・フィンランド語・フランス語・ロシア語(2009年1月現在)

◆現在進行中のもの 5種類◆
ウクライナ語(中断)・トルコ語(出版待ち)・モンゴル語(確認中)・エスペラント(作成中)・ミャンマー語(作成中)

◆未確認(あるらしい、というもの) 7種類◆
ウルドゥー語・オリヤー語・スロベニア語・ハンガリー語・ヘブライ語・ポルトガル語・マラヤラム語


 また、すでに翻訳された言語についても、また別のチャレンジがなされています。

 フランス語、イタリア語、英語、フィンランド語、オランダ語などなど、再度の翻訳が試みられています。 
 『源氏物語』はいつの時代にも、世界中で興味と関心が持たれています。

 これ以外の最新情報や、補訂すべき情報をお持ちの方は、どうかご教示のほどを、よろしくお願いします。


2009年1月23日 (金曜日)

タイ語訳『源氏物語』がないこと

 『源氏物語』の翻訳に関する情報を集めています。

 その中で、タイ語訳の『源氏物語』が見あたらないので、タイにいる仲間のA先生にお尋ねしました。
 すぐに、「まだない」、との返事をいただきました。
 ただし、タイ語訳の『源氏物語』の漫画ならあるそうなので、さらにその本のことを調べてもらうことにしました。

 現在の所、タイ語に翻訳された日本古典文学作品は次の3つしかないそうです。

 Attaya訳『土佐日記』・『竹取物語』

 Saowalak訳『風姿花伝』

 A先生は、『古事記』神代の巻の翻訳を、来年出版するそうです。
 今後は、與謝野晶子の『源氏物語』を翻訳するとのことでした。

 A先生には、『おさな源氏』の多国語翻訳の仕事にも関わってもらっています。
 現在は、『おさな源氏』の第1巻「桐壺」のタイ語訳ができています。
 この『おさな源氏』の翻訳も、継続してお願いしています。

 遅々として進まない『おさな源氏』の多国語翻訳ですが、一歩ずつでも前に進んでいますので、気長に見ていてください。


2009年1月18日 (日曜日)

ハングル訳『源氏物語』 の不確かな情報

 大阪の東部、東大阪市に大阪府立中央図書館があります。
 かつては中之島にあったのですが、平成8年5月に荒本駅の前に移転したのです。

090116tosyokan中央図書館


 私は、この荒本駅の近くの高校に4年半ほど勤務していました。同じ頃、妻は同じ駅の反対側にある高校に勤務していました。共に、問題を起こした生徒の家庭訪問に明け暮れる日々でした。学習指導よりも、生活指導が中心の学校でした。

 当時はここに図書館はありませんでした。図書館ができたお陰で、この付近一帯の環境は大きく変わったように思います。カルフールが出店したことも、大きな要因となっています。 

 さて、韓国の柳呈氏による『源氏物語』のハングル訳があります。ソウルにある乙酉文化社による『世界文学全集』の中に収録されたもので、1975年の刊行です。

 この本を確認したかったのですが、全国の公共図書館や大学の図書館で、この本を所蔵しているのは大阪府立中央図書館だけなのです。他にも所蔵しているところはあるのでしょうが、公開されているデータベースで確認できるのは、国内ではこの1冊だけです。

 原本を確認するために、事前に問い合わせをして図書館に出かけました。
 対応してくださったNさんは、非常に懇切丁寧に教えてくださいました。また、いろいろと調べてくださいました。

 この本は、猪飼野朝鮮図書資料室から2002年に中央図書館に寄贈されたものです。これは、資料室の閉室に伴い、その創設者である塚本勲氏のご尽力によって移されたもののようです。
 この本が刊行されたのが1975年で、猪飼野朝鮮図書資料室に入ったのが1977年なので、刊行後すぐに収蔵された本だと言えましょう。

 ただし、惜しいことに、この本にはカバーがありません。おそらくカバーがあったと思われるので、そのことの確認をしたいのですが、如何せん、今は情報が不足しています。

 また、別の情報では、『新装版世界文学全集 全60巻』の内の、第4・5巻としても、この柳呈訳のハングル訳が出版されたとなっています。さらには、1982年に韓国出版社による『世界代表古典文学全集 全12巻』の第7・8巻としても出版されているようです。

 府立中央図書館の本は、『世界文学全集 99』とある全1冊本ですが、上記『新装版世界文学全集』は2巻でセットです。共に、頁数は同じです。

 この柳呈訳のハングル訳『源氏物語』については、まだまだ調べておくことがありそうです。
 本書に関する情報をご存知の方は、ご教示いただけると助かります。

 帰りに、かつての勤務校に脚を向けました。
 毎日通ったはずなのに、駅からの道に迷いました。幸い、iPhoneのナビで行き着きましたが、20年近い空白は、こんなにも忘れさせてしまうのかと、非常にショックでした。

 学校の名前が変わっていました。しかし、校舎はあのころのままでした。


090116tatetu

 さまざまな思い出が、短時間の内に去来しました。
 必死に子どもたちと格闘していた頃の思い出は、胸を熱くするものがあります。
 校門、玄関、自転車置き場、ロッカールーム、グラウンド、体育館、中庭、テニスコートなどなど。
 昨日のことのように、突然かけめぐりました。
 すっかり忘れていたことが、こうして一つ刺激で蘇るのです。
 記憶の不思議さを体験しました。

2008年12月20日 (土曜日)

各国語訳『源氏物語』の最新情報

 新たにわかったことを含めて、『源氏物語』の翻訳本についての報告です。

(1)現在、ミャンマー語訳『源氏物語』が進行中です。

(2)セルビア語訳『源氏物語』のことも、大分わかってきました。

題名  Gendzi : roman 出版地 Beograd(ベオグラード) 出版社 Zlatousti 発行  2003

(3)アッサム語訳『源氏物語』については、以下のことがわかっています。

D. Sahitya Akademi、ASSAMESE、Genji Konvarar Sadhu Translation of Murasaki Shikibu's Japanese novel, Genji Monogatari, by Atulchandra Hazarika Pp. viii+306 (1983)

 なお、Atul Chandra Hazarika(1903~1986)氏は、詩人であり翻訳家です。

(4)パンジャビ語訳『源氏物語』が、仲間のところに届きました。本当にあったのです。近日中にホットニュースを流せると思います。

(5)テルグ語訳『源氏物語』は、東京の国際交流基金の図書館にありました。

(6)ハングル訳の最新版は、瀬戸内寂聴の現代語訳(全10巻)を、そのまま10巻で刊行したものです。
  先日韓国の方の協力を得て入手しましたので、詳細はまた報告します。

(7)フランスで、『源氏物語』の現代語訳から翻訳を進めているとの情報があります。
 また、原文からの翻訳も、現在進行中であり、その詳細な報告を待っています。

(8)トルコ語訳『源氏物語』は、すでに原文からの翻訳は完成しており、刊行を待つのみです。
  おそらく、2009年末には手にすることができるようです。

(9)フィンランド語訳の「宇治十帖」の部分が、カイ・ニエミネン氏によってそろそろ着手されます。2010年に完成予定です。

(10)ヨス・フォス氏のオランダ語訳『源氏物語』が現在進行中で、2012年に完成の予定です。これは、「世界のベストブック100」に収録されるものです。

(11)田辺聖子さんの『源氏物語』が、中国語に翻訳されました。

(12)エスペラント語訳『源氏物語』も、藤本達生氏によって進行中です。

(13)1934年に東京の開隆堂から刊行された、Waley訳第一巻が見つかりました。表紙は和書風です。

 その他、現在のところ未確認のために不明な書目は、以下のものです。

 ■ヘブライ語訳『源氏物語』 「Maase Genji (源氏物語)Hebrew[HEB]1971」

 ■モンゴル語訳『源氏物語』

 ■ポルトガル語訳『源氏物語』

 ■ハンガリー語訳『源氏物語』

 『源氏物語』の外国語訳について何かご存知の方は、どうか貴重な情報をお寄せください。
 その際、お名前を明記していいかを、併せて教えてください。

 今後とも、その他の外国語訳『源氏物語』を探していきます。

 情報提供について、よろしくお願いします。

2008年12月 3日 (水曜日)

インド人留学生の眼(2)「日本の常識の不思議」

 インドから来ているクマール君の報告・第2弾です。


「日本の常識の不思議」

 昨日、代々木公園に行きました。そこで、フリスビー(プラスチックの皿)でゲームをやっている2人の日本人を見ていました。このゲームは、プラスチックの皿を相手の方に飛ばし、相手はそれを掴もうとするものです。その皿が少し高く飛んでいくと、相手に「あっー、すみません」「あっ、ごめん」、と飛ばす人が言っていました。その「すみません」という言葉の気持ちは軽いものであることは知っています。しかし、スポーツの場で、なぜ謝る礼儀が必要なのか? と思いました。飛ばすのですから、高く飛んだり、低く飛んだりするのは当たり前です。それが、ゲームの魅力です。いちいち謝っている姿は、非常に不思議です。
 先日、筑波大学へ行く時、秋葉原から筑波エキスプレスに乗りました。ドアが右か左かどちらが開くかを、英語でも日本語でも、駅に着く前に何回も繰り返し車内放送がありました。そして、ドアが開くと、同時にその反対側の閉まっているドアの上の表示板には「反対側のドアが開きます」と点滅していました。目の不自由な人の場合には話が違うけれども、もし間違えて放送を聞かなかった場合でも、ドアが開くとそれだけでどっちに降りるべきか、すぐに判断できます。それでも、その車体の電光掲示板を作った人は、さらに親切な工夫をしたのです。何でそこまでこだわっているのか? と不思議に思いました。
 また、私が住んでいる近くにある学校の門までの道は、少し急斜面の坂道になっています。坂道の上り道からも下り道からも、学校に出入りするところにはっきりと見えるように、「坂道だからご注意」という看板がポツンと立っていました。雨が降っているか降っていないか、日が昇っているか沈んでいるかが五感で理解できるように、坂を上がったり、下ったりする子供も、坂だということはわかっています。このような意味のない看板は、誰に対して、どんな動機で書かれたのでしょうか。
 駅でよく見られる場面ですが、例えば京王井の頭線駅で、電車の到来を知らせる電光掲示板が壊れています。その電光掲示板に「故障中」と書かれています。もしその掲示板に何も表示されていないと、見るだけで故障中だとすぐ判断できます。紙でそれを披露する必要はあるのかと思っています。
 そのような場面で、日本人の、こうした当たり前のことに対する共通認識がどんなものか、考えるようになりました。
「常識」というものは、日本人にとって一体何でしょうか。
この一年間の留学中も、ずっと考えてきました。答えはまだ見つかりません。

2008年11月25日 (火曜日)

ハーバード(8)機体不良で離陸延期

 帰国の途は、ボストンからワシントン経由です。
 乗り継ぎのワシントン・ダラス空港で、来た時にシカゴ空港でやったように、預けた荷物を引き取りに行きました。ところが、移動バスが変な方向に走るのです。そして、手荷物受取所でいくら待っていても、ターテーブルに私のバッグが出てきません。

 空港職員に聞くと、私の荷物は東京まで運ばれる手続きがしてあるとのこと。
 荷物を預けた時に、よく確認しなかったための勘違いです。

 乗り継ぎは1時間しかなかったので、国際線の出発ロビーに急ぎました。
 出国手続きのパスポート検査がなかったのですが、よかったのでしょうか。
 イタリアではよくあることですが……。

 搭乗ゲートでは、すでに搭乗がはじまっていました。
 セーフです。機内の席について、ホッとしました。しかし、いくら待っても出発しません。
 機内放送によると、コミュニケーションの部品に不具合があり、大至急取り寄せている、とのことです。
 一体どんな部品なのでしょうか。
 30分後に、あと10分で部品が届くとアナウンスがあり、その後、交代の機長がこちらに向かっている、など、あわただしいことでした。
 そして、結局は出発時刻から2時間経った時に、別の同型の機体と交換するため、一旦ロビーで待機してくれ、とのことでした。
 先程搭乗したC7ではなくて、C4ゲートから出発するという放送も入りました。
 そして、午後5時に機体が到着してから機内に搭載品をセットし、手荷物を積み直すので、再度の出発は6時になるそうです。
 ということは、成田着は夜の10時です。成田でのホテルを心配しました。

 ロビーにしばらくいても、何も連絡がありません。午後3時近いので、昼食を食べ損なった乗客は、三々五々ターミナル内へ食事に出かけました。私も食べるものを探したのですが、ハンバーガー屋さんとサンドイッチ屋さんしかありません。しかたがないので、サラダとビールでお腹を満たしました。

 再度出発ロビーに戻ると、カウンターの前にビスケットと缶ジュースがあり、自由に持って行っていいとのことです。
それならそうと、もっと早く言ってくれれば、とその場のみんなが思ったことです。
 とにかく、どうすればいいのか、何も説明がありません。機内で放送があっただけです。せめて、ロビーに係員を配置するなり、張り紙をするなりして、再出発までの報告をすべきです。
 これが、もしJALだったら、こんな体たらくではなくて、そつなくやったことでしょう。
 今回は、全日空とUAの共同運行便でした。それも、全日空の共同とは名ばかりで、UA主導の運行としか思えない対応でした。もし全日空の人がこのことに絡んでいたら、こんなに無責任な対応はしなかったことでしょう。
 責任は後に先延ばしにする、アメリカ流のやり方です。

 結局、午後6時頃に飛び立ちました。
 帰りの便の映画は、アメリカの軽いものだったので、一つも見ずに、本を読んでいました。
 成田には、夜の10時に着きました。
 出口で、ユナイテッドからのお詫び状が配られました。そこには、返信したらUAの利用券を郵送する、とありました。ただし、米国内からの投函なら無料とのことです。成田で配られたこのカードをアメリカに郵送する人は、いったい何人いるでしょうか。

 最終の電車に間に合いましたが、夜の10時半ということで、たくさんの方がどうすべきか思案しておられました。

 何とか宿舎の近くの駅に着きました。ところが、外は雨です。なんとも、運のないことです。
 大雨の中を、傘をさしてもずぶ濡れで帰宅となりました。
 旅行用のキャリーのボストンバックも、ずっしりと雨を吸いました。
 帰ってからの荷物の処理がたいへんでした。とにかく、中のものが濡れているので、一つずつを乾かすこととなりました。

 いつも思うことですが、海外の現地での収穫が多いからいいものの、行き来の時間と時差による生活の乱れから失うものは、これはこれで甚大だと思います。

 時間と空間を飛ぶことの素晴らしさは知りつつも、もっと別の移動方法がないものかと、ふと思ったりします。

2008年11月23日 (日曜日)

ハーバード(7)おもしろい本たち

 2日目は、絵と本に関する発表でした。

 絵は、見ていて一緒に考えられるので、話の内容に入りやすいテーマが多いように思います。

 本については、近代から現代の実物の本を、会場に回してくださいました。

 豪華な本や、贅を尽くした本など、人々の遊び心がうかがえて、非常に興味深く手に取ってみました。

 英語での発表でしたが、物があるせいか、何となくわかりました。

 発行部数の少ない本には、心憎い工夫が凝らしてありました。

 30部の印刷などは、宝石のような本です。

 そういえば、私も父のために3冊の私家版を手作りしました。

 心を込めた本には、作者と製作者の姿と人柄が伝わってきます。

 本を大切にする人が多いことに、ホッとしました。

 充実した2日間の研究発表を聴き、改めてレベルの高さに、ドッと疲れが出ました。

 しかし、これは心地よい疲れです。

 最後に、みなさんとの、名残惜しい懇談でお別れです。


ハーバード(6)古写本『源氏物語』2冊

今回の国際研究集会のプログラムの一つとして、ハーバード大学付属サックラー美術館所蔵の貴重な古典籍を参加者で閲覧する、ということが用意されていました。

研究集会初日の午後は、みんなでフォグ・アーツ・ミュージアムへ行き、特別室で拝見しました。

私は、ハーバード大学所蔵の『源氏物語』に関する研究発表をした関係で、一応この本の紹介役をさせられました。
ハーバード大学所蔵の『源氏物語』(「須磨」と「蜻蛉」の2冊)は、非常に古い古写本です。鎌倉時代の写本です。
古典籍に詳しい何人かの先生も、みなさん鎌倉中期以前で初期に近いものだとの評価でした。鎌倉時代の初期の本、と言ってもいいのではないでしょうか。
平安時代の面影を残す写本だとも。
いい雰囲気を持った写本です。表紙はありませんが、書写された紙面に品格があります。
同席されていたクランストンフミコさんに再確認したのですが、ハーバード大学本は、反町氏からハイド氏の手を経て、ハーバード大学に収まったものです。

この写本のツレが、千葉県の佐倉にある歴史民族博物館にあります。中山本の「鈴虫」がそれです。国の重要文化財になっています。
先月の国文学研究資料館で開催した源氏展でも、この中山本は展示しました。
墨流しの料紙に書写されていることなどが、ハーバード大学本との関係を納得させてくれます。

現存する『源氏物語』の写本の中でも、特に古いものと思われるこのハーバード大学本と歴博の中山本は、いつか一緒に見られるような機会を得たいものです。
日本の重要文化財をアメリカに移動するよりも、このハーバードの本を日本に持ってくる方が問題は少ないようです。所蔵先の担当者も、問題はないとのことでした。
近い将来には実現したいと思っています。

異国の地で、海を渡った日本の古典籍と対面しました。
この『源氏物語』は、3年前に拝見して以来です。
かつて一緒にあった本(中山本)は、つい先日まで国文学研究資料館で展示していました。
なかなか得難い体験をしています。

2008年11月22日 (土曜日)

ハーバード(5)初日の報告


国文学研究資料館とハーバード大学が主催する国際研究集会は、朝の9時から開会です。
タイトルは、「The Artifact of Litelature : Japanese Books,Manuscripts,and Illustrated Scrolls」(日本文学の創造物 書籍、写本、絵巻)です。

まずは、クランストン先生の開会の挨拶です。

081121cranstonクランストン先生


続いて、伊井先生の基調講演がありました。

081121ii伊井先生

そして、第1パネルの「和歌・物語・翻訳」となります。

ディスカッサントであるイエール大学のケイメンズ先生から、このパネルの趣旨と発表者の簡単な紹介がありました。

081121kamensケイメンズ先生

英語によるものだったので、理解するのに大変でした。

さて、このパネルのトップバッターは私です。

081121ito


前日から用意をしていた読み上げ原稿は、会場の雰囲気を察知して、ほとんどを端折って進めることとなりました。
会場にお集まりの方々に分かりやすく語るために、できるだけ原稿は読まないようにも心掛けました。すると、内容を平易に伝えようとすればするほど、冗漫になっていきます。
これは、分かってもらいながら進めようとすれば、当然のことです。
伊井先生からいただいた『源氏物語』の本文を整理する課題に、30年もかかって今日ようやく1つの回答を報告できることになった、ということから語り始めました。
時々、先生の反応を窺いながら、他の参加者の表情を見ながら、発表原稿に沿って話を進めました。
今、我々はどんな本文を読んでいるのか、という問題提起の時には、会場の最前列においでのハルオ・シラネ先生が真剣に聴いてくださっているのがわかりました。お昼を食べながらと、午後の美術館特別観覧の時に、『源氏物語』の写本のことを聴かれたので、何とか言いたかったことが伝わったことがわかりました。
とにかく、会場の方々が聴いてくださっていると思うと、さらに分かってほしくなります。
『源氏物語』の本文は、〈青表紙本・河内本・別本〉という分類ではなくて、〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別すべきであること、そして今日からは〈甲類〉と〈乙類〉と称する分類概念で仕分けをすべきであることを、とにかく一所懸命に訴えました。
「5分前」という紙が掲げられているのが目に入った時には、手元のタイマーは25分を指していました。
持ち時間は20分のはずです。すでに5分もオーバーしています。
大急ぎでまとめに入りました。

私たちのパネルは、4人で編成されていました。4人目の方は、日本人ですがアメリカの大学の先生ということもあり、発表は英語でした。
画像を提示しながらの発表なので、おおよそはわかりましたが、私には、とにかく心もとない理解に終わりました。

最後に、ディスカッサントであるイエール大学のケイメンズ先生が、このパネルを総括されました。
英語で話されましたが、あらかじめその概要は伺っていたので、何とか分かりました。
4人の発表者1人1人に対して、丁寧なコメントを付けてくださっていました。
私に対しては、いくつかの質問がありました。
ただし、お答えする時間も場面もなかったので、後でお話する機会を持つことにしました。


2008年11月21日 (金曜日)

ハーバード(4)寿司屋が新規開店

 明日の国際研究集会の打ち合わせの合間に、ハーバード大学付属のフォグアーツミュージアムで、今回研究発表の対象となっている作品の調査を行いました。


081120artmミュージアム


 貴重な古写本と絵巻を、じっくりと見ることができました。
 クランストンご夫妻のご高配に感謝します。

 明日の会場であるバーカーセンターも、下見をしました。


081120barcarcenterバーカーセンター

 夕暮れの中の建物は、ハーバードらしい雰囲気を醸し出しています。

 宿泊先のホテルに帰ると、明日の資料が届いていました。


081120rejyme予稿集

 研究発表の原稿を1冊にまとめた予稿集は、立派なものに仕上がっています。
 ずっしりと重い冊子です。
 自分の発表はともかく、みなさまの発表が楽しみです。

 夕食は、この前に来た時に行ったインド料理屋にしました。
 タリーのベジタブルを食べましたが、非常に辛いものでした。
 私には少々刺激がきつかったので、無理をせずに半分ほどにしておきました。

 このインド料理屋の隣では、寿司屋がオープンしたばかりでした。


081120susi寿司屋新規開店


 回転寿司屋ではないのが残念ですが、この次には、ぜひこの店に入ってみましょう。
 
 今夜も、冷たい風が肌身に染みます。
 早々にホテルに帰り、明日の発表の準備をしています。
 持ち時間が20分なので、微妙に短いのです。
 1人でブツブツと、iPhoneをストップウォッチにして練習です。

2008年11月20日 (木曜日)

ハーバード(3)明け方の電話とメール

 いつもお世話になっている室伏信助先生にお願いして実施した、連続講演「千年紀の源氏物語」の全5回が、ハーバードに来る前日に無事に終了しました。

 自分のメモも兼ねて、少し記します。
 以下の日程で、以下のタイトルで行ったものです。

第1回 9月30日
  「幻想から理想へ ―源氏物語大島本の本姿―」
第2回 10月14日
  「「人なくてつれづれなれば」 ―一本を見つめるということ―」
第3回 10月28日
  「竹取物語からうつほ物語へ ―源氏物語の承けたもの〈その一〉―」
第4回 11月11日
  「伊勢物語と在五が物語 ―源氏物語の承けたもの〈その二〉―」
第5回 11月18日
  「紫式部日記という物語」

 優しい語り口で、毎回聴衆を惹きつけてのご講演でした。
 私は、最初と最後にマイクを持つだけでよかったので、後ろでジッと聴くことができました。

 岩波書店の『新大系 源氏物語』の校訂本文をお作りになった経験を踏まえて、貴重なお話を伺いました。第2回目までが、そうした『源氏物語』の本文に関するお話でした。

 続く第4回までは、平安時代の物語としての『竹取物語』『宇津保物語』『伊勢物語』についてです。
 先生は、角川文庫で『竹取物語』をお出しになっていますが、とにかく一番お好きな作品なので、脱線がおもしろい講演でした。たくさんの本を回して見せてくださいました。

 最終回は、『紫式部日記』と『源氏物語』についてのお話でした。
 これまた、興味深いコメントを交えての、30分も超過してのご講演でした。
 紫式部の日記は、実は物語なのだと。

 この最終回では、まず、室伏先生に直衣を着ていただき、そしてお話を伺うという趣向で行いました。
 直衣の着装実演は、國學院大學の大学院生の畠山大二郎君です。

 一昨年の最終回は、神野藤昭夫先生に狩衣でご講演をしていただきました。
 その時の写真が、先頃刊行された『知られざる王朝物語の発見 物語山脈を眺望する』(神野藤昭夫、平成20年9月、笠間書院)の裏表紙カバーの見返しに、著者紹介を兼ねて掲載されています。
 この写真は必見です。
 そして、この本は、脚注がじつにユニークな本です。
 本文はもとより、この下の注記をぜひご覧になってください。
 神野藤昭夫先生のお人柄がにじみ出ている、出色の出来栄えです。
 変な紹介ですみません。
 もちろん、上段の本来のお話とその構成も、贅沢なまでに盛り付けられたすばらしい本です。

 室伏先生の今回のご講演も、この笠間書院のシリーズの1冊として、来年以降に刊行されます。
 詳細は、そのご本をごらんください。

 室伏先生のご講演が終わってから、ご一緒に立川でお食事をしました。
 これまでにも、立川にある例の皿が回転しない謎の回転寿司屋へお連れしたりと、いろいろな機会に直接お教えを受けています。
 この日も、数時間後に成田からアメリカへ飛び立つことをすっかり忘れて、自然食屋さんで楽しく話をしてしまいました。

 ちょうど同じ日に、トルコでお世話になったH氏が私を訪ねて来てくれていました。
 トルコからサウジアラビアへと赴任地を変え、それを終えて先月日本へ引き揚げて来たばかりの彼も、講演会の後ろの席で興味深く聞いていました。

 連続講演終了後の食事には、彼も参加し、海外のおもしろい体験談を聞くことができました。
 室伏先生の思い出話、トルコとサウジアラビアというイスラム圏の話、そして直衣を始めとする衣装の話と、実に多彩な話題で盛り上がりました。

 夜中に宿舎へ帰り、大急ぎで海外出張用のボストンバッグに荷物を詰め、少し寝て、そして成田へと移動し、今このハーバードにいるのです。

 今回もたくさんの仕事の中を出かけているので、今は朝の4時ですが、日本がちょうど夕方のため、いろいろな方と電話とメールで連絡をとっています。
 ここでも、iPhoneが大活躍です。

 成田からシカゴに着くと腕時計の時間を前日に戻し、ボストンに着いてさらに時間を戻しました。
 もう、自分の時計の時間がどうなっているのか、よくわかりません。
 空港の時計に合わせて、腕時計の長針をクルクル回しているだけです。
 iPhoneの時間は、日本のままです。
 
 昨日着き、今日は打ち合わせ、明後日までの2日間が国際研究集会、そしてすぐに日本にトンボ帰りです。
 このハーバードの街から出る暇すらありません。残念です。
 せめて、ボストン美術館だけでも行きたいのですが、とにかく時間がないので諦めます。

 そういえば、9月に行ったベネチアでも、4日間の内の2日間は源氏展の仕事で徹夜でした。毎晩、メールと電話で展示のための仕事をしていました。
 今回もその悪夢が……。
 先程から、電話とメールで、いろいろな方と打ち合わせをしています。
 時差ボケを口実に、身体を騙しダマシの生活です。

 朝日新聞をPDFにして送ってくださったK先生からも、身体をイタワレとのご指導が書き添えられていました。
 その先生も、連日の過酷なスケジュールをこなしておられます。
 同病相哀れむ、ということばが今とっさに思いつきました。
 ありがたいことです。
 大先輩からの温かい忠告を心に刻み、これから朝食まで少し寝ることにします。

ハーバード(2)朝日新聞を見る

 当地ハーバードは、マイナス1度です。
 東京の感覚で来た私は、とにかく寒い思いをしています。

 一仕事終えてからの夕食には、ホテルの近くのシーフードレストランへ行きました。
 シーフードサラダが1700円でした。アメリカらしく、どっさりと来るのですが、物価は全体的に高いように思います。

 インターネットは、部屋から無線LANで接続しています。ただし、1日1000円なので、これまた高いと思います。
 3年前にハーバードに来た時には、ホテルのネットよりも野良電波を捕まえて、インターネットに接続していました。

 今回は、飛び交う電波がすべてセキュリティがかかっているので、高くても料金を支払って利用しなくてはいけません。
 いいホテルなので、これくらいはサービスをしてもいいと思うのですが……。

 ロビーには、フリーのインターネットが使えるパソコンが、1台だけですがあります。しかし、これは日本語が使えません。使えるのでしょうが、ウインドウズマシンなので、マッキントッシュユーザの私には、手も足も出ません。
 ハーバード大学の方がお世話してくださったホテルなので、すばらしいのですが、このネット環境だけは残念です。

 フロントでいろいろとお尋ねしていると、対応してくださっている方が、上智大学のご出身であることがわかりました。
 海外を歩いていると、いたるところで日本語がうまい人に出くわします。
 みなさん、日本語のよさを理解して、こうして海外の地でも、その成果を活かしておられます。

 メールをチェックしていたら、いつもお世話になっているK先生が、私のことが掲載された朝日新聞(11月20日付、東京板)をPDFファイルにして送ってくださっていました。
 異国の地で自分のコメントが掲載された新聞記事を読むとは、思っても見ませんでした。
 複雑な思いがします。不思議な感覚で、二三度よみました。

 私に関しての記事内容は、来年の2月に『源氏物語【翻訳】事典』を笠間書院から出すことと、『源氏物語』が現在25種類の言語で翻訳されていること、そして、今後の新しい『源氏物語』の研究の胎動についてのコメントです。そして、翻訳本の写真が掲載されています。

 過日、取材を受けてお答えしたことと、私の元にある翻訳本の撮影に協力したことが、うまくまとめてありました。
 白石さんは、綿密な取材を多方面でなさっており、膨大な情報を適切にうまくまとめておられます。さすがはプロの仕事です。文学がご専門ではないのに、とにかく取材内容をバランスよく配して記事をお書きになります。

脱帽です。


ハーバード(1)寒さに震える

 成田で、円から米ドルへの両替のレートは、ちょうど100円でした。
 円安が騒がれていますが、小旅行ではあまりお得感はありません。

 ジェット気流に乗ったとはいえ、東京からシカゴまで10時間。
 昨日に向かって飛ぶ長い旅です。

 機内では、2本の映画を観ました。『まぼろしの邪馬台国』と『赤いハンカチ』です。
 前者は、竹中直人と吉永小百合が大熱演でした。

 話の中身は大したことはありません。その台本の不出来を、2人が懸命に盛り上げようとしていました。
 夫の一部になろうとして献身的に尽くす妻と、目が見えなくても夢を追い求め続ける夫の物語です。
 観るものの心情に訴える状況設定は、最初から用意されています。そこに加えられるものを期待しました。学説や研究者というものを映画の中でどう扱うのか、興味を持って観ました。
 しかし、すべてが「努力」の一語でぼかされました。
 情に流れてしまったのが、この作品の評価を低くせざるをえない決定的な要因です。広く一般に、というのでは、この種のテーマでは難しいと思います。

 『赤いハンカチ』は、音声が聞き取り難かったので、集中して観られませんでした。
 それでも、おもしろい作品でした。
 カッコいい石原裕次郎と、キレイな浅丘ルリ子でした。

 シカゴで乗り換えです。
 入国審査では、両手のすべての指紋を採られました。おまけに顔写真も。
 ボストン行きのチェックインでは、靴まで脱がされました。

 テロ防止というお題目のためなら、何でもしていいのがアメリカ流です。

 ボストンからケンブリッジにあるハーバードに入りました。
 アメリカのケンブリッジというのは、イギリスのケンブリッジと紛らわしいですね。
 ハーバード大学の方からのメールに、ケンブリッジより、とあるのには、いつも勘違いしてしまいます。

 ここには、3年前の2月にも来ています。あの時は、雪が積もっていました。
 今日は、道端の水溜まりに氷が張っていました。
 風が耳を切るように吹きます。予想以上に寒いのです。

 もっと衣類を持ってくるのだったと、早くも後悔しています。


2008年11月18日 (火曜日)

インド人留学生の眼(1)日本人はシャイか?

 インドから来た留学生を一人預かっています。
 現在は、「総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻」(基板機関は国文学研究資料館)という、長い名前の大学院大学の研究生として来日している国費留学生です。

 彼は非常に好奇心が旺盛で、見聞きしたことを、よく私の部屋に来て話してくれます。
 おもしろおかしく、眼をキラキラさせながら … 。

 私一人が聞いていているだけでは、もったいないと思うことがよくあります。
 彼は日本語は流暢だし、文章もうまいので、日常での見聞を短文にまとめてみないかと、勧めました。
 本人も書いてみたいというので、私のブログを通して、彼のものの見方を共有したいと思います。

 私は、毎年インドへ行きます。インドの先生と設立した〈インド日本文学会〉を運営しているからでもあります。
 インドの皆さんのものの考え方には、いつも発見があります。話をしていて、心弾むことが多いのです。

 インドから来た留学生の、コラム風の文章を読んでみてください。
 多少の日本語の危うさは、ひとまず大目に見てください。というよりも、日本語を運用する上での問題点が見えてくるので、あえて私はほとんど手を入れずに公開するつもりです。混乱している場合には、多少は校正して調整することはあるかも知れませんが … 。

 まずは、第1話です。

日本人はシャイか?

 去年のことです。
 ある日、JR駅の公衆トイレに行きました。男の人が皆、立ち並んでおしっこをしていました。
 ある女の人がトイレ掃除をしていたのに、男の人皆が、遠慮なくおしっこをしていました。

 日本での男女のその平等さを見て、日本初のカルチャーショックを受けました。頭が真っ白になっていました。
 掃除が終わってから、私も皆と一緒に立ち並びました。
 するとそこで、ある珍百景に目が止まりました。
 「もう一歩進んでください」と目の前に書かれていたからです。
 面白かったです。そして、考えるようになりました。

 それで、一緒に住んでいる留学生に聞いてみました。他の国にない風景だと分かりました。

 人は普通、心にもやもやと考えていることや、感じていることを、口に出したり、訴えたりするのです。
 それを本心と言うでしょう。
 つまり、トイレのその書き込みは、掃除の人が燃えていた考えの単なるしるしではないかと思いました。
 他の国でも、チョコ漏れ(?)の問題があるはずですが、そこまで遠慮なく、公然と書けるのは日本しかないと思います。

 日本人はシャイだとか、本心を言わないとか、インドで勉強してきました。しかしこの様な場面を経験して、間違えたことを勉強したような気がしました。
 成人向けの雑誌であふれるコンビニのコナーや、新宿の道端は、目の前の飲み込めない事実でした。その上、そのシャイな日本人はそんな雑誌を電車の中で、みんなの目の前で読むのです。それを見て、ノーコメントです。

 私は、インドで日雇い通訳者として、日本人と働いたことがあります。
 そこで、お茶を一緒に飲むくらい親しくなると、すぐに「君、何歳」「彼女・彼氏いる?」まで聞くのです。

 本心を言わないよりも、本心を隠せない日本人は、現場でもプロではないという気がしました。

 「私はインドから来ました」と日本人に教えると、何回も「カーストは何?」「向こうでターバンを巻くよね?」とか「学校には象に乗って行きますか」、ということまで聞かれたことがあります。

 一緒に住んでいるチュニジアの友達は、自分の指導教官に「チュニジアに道路ある?」「ビルある?」と聞かれたそうです。

 日本人は好奇心が強くて、何でも知りたいのだと、私は思います。
 何にもためらいなく、他人に年齢や彼女・彼氏のことまで聞ける日本人は、何で、自分をシャイで本心を言わないというレッテルを貼るのか、不思議に思っています。

2008年11月13日 (木曜日)

英語の短歌を読む

 先日、本ブログ「続・英国からの朗報」(11月 5日)で紹介した、英国ヨークの中村久司先生の短歌集『The Floating Bridge』(「浮橋」)が届きました。

081113tanka表紙と裏表紙

081113tanka1内容紹介

5行の英語短歌が70首ほど収録されています。
『百人一首』の英訳本は読んだことがあります。
しかし英語の現代短歌を見るのははじめてです。
英語はわからないので日本訳しようとしました。
ボキャブラリーに乏しいため映像が浮びません。
声に出して見ると何だか感じるものがあります。
これはまずは音読するといいのかもしれません。


2008年11月 8日 (土曜日)

突然の日本通訳協会の閉鎖で検定試験中止

 娘が通訳検定を受けるために、12,000円を支払って受験の準備をしていました。
 しかし、試験日の3日前に、突然の検定試験中止のハガキを受け取ったのです。
 主催母体の日本通訳協会が事業を閉鎖することとなり、今回の検定試験を中止する、という知らせが来たのです。

 そのハガキには、以下のような文面が記されています。


081108tuuyaku通訳検定中止通知


受験生の皆様へ

日本通訳協会閉鎖のお知らせ
創業以来35年間以上に亘り、通訳技能検定試験
(通検)そしてボランティア通訳検定試験(V通
検)、中国語・日本語通訳試験(中日通検)を日本
通訳協会は実施して参りました。しかしながら、こ
の度、今般の経済不況の中で必要な金融支援も受け
られず、日本通訳協会は止むなく閉鎖せざるを得な
くなり、通検、V通検、中日通検等の各試験も実施
を断念せざるを得なくなりました。
各試験の直前でもあり、皆様方には大変なご迷惑
と混乱をお掛けいたします点、深くお詫び申し上
げます。
なお、予定しております2008年11月9日(日)
の各試験および12月14日(日)の通検2次、
2009年2月1日(日)の通検3次のいずれも
中止いたしますが、業界の各社と協議中であり、皆
様方の受験料が無駄にならないように努力していく
所存です。協議の進展に伴い、今後の方向が決まり
次第、皆様方にはご通知いたしますが、11月下旬頃
には今後の連絡先も含めまして概要をウェブサイト
(http://www.jipta.net/)に掲載してお知らせした
く患っていますので、それまでお待ちくださるよう、
お願いいたします。
ご迷惑をお掛けします点、重ねてお願いいたします。
  2008年11月4日
              日本通訳協会
               代表 向 鎌治郎


 先般、八王子自動車教習所が突然閉鎖したことにより、免許取得をめざしていた人たちが、説明会に殺到しているニュースを見たばかりです。

 英会話のスクールでも、よく似たことが再三あったことを思い出します。

 上記のハガキにあるように、明日の日曜日の検定試験実施の数日前に、突然このようなハガキを受け取った娘は、試験勉強をして準備をしていたこともあり、途方にくれているようです。
 「業界の各社と協議中」というのも、無責任な説明です。

 ただし昨日、検定試験の申し込みをした窓口の紀伊国屋書店から電話があり、受験料を返金するとの連絡があったそうです。

 受験手続の窓口として間に入っていた紀伊国屋書店は、誠意としてこのような対処をすることにしたのでしょう。
 企業としての誠実な対応は、すっかり気落ちした受験生に対する、ささやかながらも慰めの1つにはなることでしょう。

 それにしても、ひどい話です。

 ハガキの文面によると、「今般の経済不況の中で必要な金融支援も受けられず、日本通訳協会は止むなく閉鎖せざるを得なくなり、通検、V通検、中日通検等の各試験も実施を断念せざるを得なくなりました。」ということです。

 どこまで本当かは分かりませんが、受験日間際の事業放棄はいけません。
 英会話スクールや自動車教習所と違い、今回のケースは、前もって多額の授業料を払うことはありません。受験料だけです。それだけに、もっと早く手が打てなかったのかと、疑問が生まれます。
 打てなかったから、打たなかったからこそ、このような事態になっているのです。それはわかりますが、受験生への配慮が足りません。もっとも、配慮などという悠長なことは言っていられないからこそ、このように突然の協会閉鎖となったのでしょうが … 。

 それにしても、安心して受講や受験もおちおちできない社会となっています。
 入会や申し込みに先立っての事前の調査等は、しても実際には意味がありません。
 そうだからこそ、こうした運不運が生じているのです。

 運が悪かったと諦めるしかないようです。
 それにしても、やる気を削ぐようなことは、ぜひとも避けてもらいたいものです。
 前に向かって生きていこうとする人々を、もっと大切にする社会にしていきたいものです。

 そんな折も折、「通訳ガイドの育成策を検討」という京都新聞(共同通信)のニュースを眼にしました。


 観光庁は8日までに、外国人旅行者の受け入れ態勢を強化するため、国家資格の「通訳案内士(通訳ガイド)」の育成策を検討する有識者懇談会を、11月中旬にも設置することを決めた。
 懇談会は通訳ガイドの団体や旅行業界の関係者ら約30人で構成。来年1月までに3回程度開き、同庁は議論の結果を今後の施策に反映させる。
 観光庁によると、通訳ガイドの免許登録件数は今年4月現在で約1万2000件で、政府は2011年に1万5000件に増やす方針。ただ、語学力を試すために試験に挑戦する人も多いとみられ、国土交通省の今春のアンケートでは免許登録者で実際に仕事をしている人は26%だった。


 検定試験の中止と、この育成強化のニュースは、どこに接点があるのでしょうか。
 日本通訳協会の閉鎖との関連はあるのでしょうか。

 私は、日本人みんなが英語を勉強し、しゃべれるようになる必要はないと思います。
 ただし、英語をはじめとする外国語を習得したい人には、最大限の援助をすべきだと思います。
 先週の源氏物語国際フォーラムでは、日本語を英語に通訳してくださった方々の奮闘があってこそ、海外の方々は正確な情報を得られたのですから。

 私は英語がまったく話せません。また書けません。
 そうだからこそ、英語が得意な人が身の回りにいてくれたら助かります。
 それも、日本の文化と歴史のことを知っていて、なおかつ英語が堪能な方は、もっともっと育成すべきです。

 国際化とは、英語が話せる人を育成することではありません。
 自分の国の文化や文学や歴史などを語れることが、国際化の第一歩です。
 それを忘れた英語教育偏重の気風は、英語はしゃべれるが日本のことは何も語れないという、哀れな日本人を育てる愚かなことになりかねません。

 単に英語がしゃべれることだけを優先してはいけません。その語る中身が問題です。かえって、日本のことをねじ曲げて海外に伝える愚かな人材を増産することになりかねません。

 まずは、しっかりとした国語教育をしましょう。


2008年11月 5日 (水曜日)

続・英国からの朗報

 昨日、英国・ヨークの中村先生の吉報をお伝えしたところ、いろいろな方がこの記事をご覧になったようです。

 本ブログは、海外からのアクセスも多いので、引き続き、中村先生からの報告を紹介します。


昨年、英語歌集を出しました。
序文に和歌の簡単な説明と新古今を中心とする和歌数首を英訳して掲載しました。
その後、英語で歌作したTANKA70首を載せています。
歌集名は、The Floating Bridge: Tanka Poems in English です。「浮橋」です!
アメリカ・イギリス・ニュージーランドでは書評が出ましたが、日本では発売していないので、数人しかご存知ありません。


 この歌集を入手できる方は、ぜひご覧になってはいかがでしょうか。


 また、「日英短歌協会」について、以下のような状況だとのことです。


18ヶ国から200人くらいが加盟していますが、「日英」なのに、日本人の会員は3名です!


 興味のある方は、どうぞ協会のホームページをご覧になり、ご一緒に楽しんでいただきたいと思います。


日英短歌ソサエティー


英国からの朗報

 昨日のニュースとして、イギリスで活躍中の中村久司先生(ヨーク・セント・ジョン大学)が、外務大臣表彰を受賞されたとの報に接しましたので、ここに速報として紹介します。

 在英国日本国大使館/在ロンドン日本国総領事館のホームページによると、次のようにあります。



外務省は、日英外国関係開設150周年を記念し、日英両国間の交流親善に永きにわたり貢献された9名1団体に対し、外務大臣表彰を行うことを決定しました。


 そして、この中に、中村久司先生の名前があるのです。

(8) 中村久司(ヨーク・セント・ジョン大学日本プロジェクト・オフィサー) ヨークを中心とする北東部イングランドにおける日英文化・教育交流の中心人物として、日英交流に貢献。


 詳しくは、以下のホームページをご覧ください。

外務大臣表彰報告

 中村先生は、日英短歌ソサエティーを主宰なさっています。
 その活動の一端は、次のホームページをご覧ください。


日英短歌ソサエティー


 中村先生とのお付き合いは、娘が最初に英国に留学した時に遡ります。
 娘がいろいろとお世話になったのが中村先生でした。
 そして、その中村先生が、国文学研究資料館のデータベースを利用なさっていたのです。
 いろいろと接点があるご縁で、私の銀婚旅行の折にも、妻と娘ともども、先生の所に足を運びました。
 娘が英国の大学を卒業するときも、いろいろと相談に乗ってくださったようです。
 本当に、きさくな先生です。そして、情熱的な先生です。

 今回の受賞の報を知り、これまでの地道な活動が評価された事を、我が事のように嬉しく思っています。

 人様に自慢のできる快挙として、いろいろな方に語りたいと思います。

 とにかく、おめでとうございます。

 そして、ますますのご活躍をお祈りいたします。

2008年10月12日 (日曜日)

地球文学の講演

 昨日と今日は、国際日本文学研究集会でした。
 今回が32回目となるので、日本における文学関係の国際集会としては老舗です。
 私は2日間の総合司会として進行役を担当していたので、終日席を外せませんでした。

 今回のプログラムは、なかなか充実した内容でした。
 個人的なメモを記しておきます。

 本日、2日目の最後は、招待講演でした。
 「地球文学としての物語の可能性と行方」と題する、プリンストン大学教授の岡田 Richard 英樹先生のお話を聞きました。
 講演の前に、講師のご紹介をする関係で、岡田先生にいろいろとお尋ねしました。
 先生ご自身はアメリカ生まれのアメリカ育ちでしたが、ご両親が奈良県のご出身とのこと。私も最近まで奈良にいました、と言うと、お互いの顔が急に緩み、お話がしやすくなりました。
 現在は、イギリスの出版社から刊行予定の、英語で書かれた『源氏物語』の論文集を編集なさっているそうです。

 岡田先生の講演が始まると、とにかく日ごろは耳にしないことばが飛び交います。
 「地球文学」とか「惑星文学」のお話は、「世界文学」という範囲しか想定できない私には、そのスケールの大きさに付いていくのがやっとでした。

 さらには、「エコ源氏」の話は興味深く聞きました。
 「『源氏物語』のエコメンタルスペースを切り拓くべきだ」というくだりは、必死に聞きましたが、私の知能がついていきません。
 「環境問題を考える時、『源氏物語』はすばらしいテキストである。」という話も、私の頭の中は理解しようとしながらも空転しました。

 日ごろ、このような切り口で考えたことがないので、非常にいい刺激を受けました。
 考える、ということの大切さを痛感しました。

 この2日間、進行の切り盛りで疲労の極致にあった私でしたが、この岡田先生の話で、異次元を見た思いにさせられました。

 今回の国際日本文学研究集会の委員長は、東大のロバート・キャンベル先生です。
 キャンベル先生は、最近はテレビのコメンテーターなどで大活躍なので、ご存知の方も多いことでしょう。
 先生は、東大に行かれる前は、国文学研究資料館にいらっしゃいました。
 今回の国際集会の最後に、総括をお願いしました。いつもながらのシャープなまとめ方に、見習うべきことの多いことを知らされます。その語り口には脱帽です。
 そのキャンベル先生の先生が岡田先生だったという話とエピソードの披露は、参加者を大いに楽しませてくださいました。


 今回の国際集会には、『源氏物語』のスウェーデン語訳の発表をお願いした、ストックホルム大学のスティーナ・イエルブリンさんが約束通り来てくれました。
 年末に刊行予定の『源氏物語【翻訳】事典』で、スウェーデン語訳の項目を担当してもらった方です。
 これまでは、メールによる連絡と文書のやりとりだけだったので、お目にかかったのは初めてです。そして、女性であることを知りました。
 海外の方とのおつきあいで、こうした経験は何度かしています。
 すばらしい日本語を話されます。そして、しっかりした日本語をお書きになります。しかし、メールなどの文章だけでは、女性であることがわからなかったのです。これは、日本語の特徴なのでしょう。

 海外からおこしになった方々とは、今後とも、いろいろな情報を交換したいと思います。

2008年9月15日 (月曜日)

ヴェネツィアから(9)帰路の機内サービス


 前回のブログ「ヴェネツィアから(8)」は、帰国に向かっての乗り継ぎ地であるウィーンの空港ロビーからアップしたものでした。自由にネットにつながるのは、本当に重宝します。
 あらじめ文章を書いていたことと、写真の加工もしてあったからでもありますが、3分ほどで送信は完了となりました。出国者のための待ち合いロビーの一角で、愛用の MacBook Air を片手で持ちながら、立ったままの姿勢での操作でした。

 オーストリア航空は、2・3回使ったことがあります。あまりいい印象がない会社です。
 今回も搭乗早々に、日本茶を積み忘れたという、機内のアナウンスがありました。
 日本へ向かう便に日本茶を忘れるとは、サービス意識が欠如しています。脂っこくて慣れない食事を強いられた多くの日本人にとって、機内で飲む日本茶は、生まれた国の良さを再確認するものです。

 上空に上がってすぐに出た機内食で、私は照り焼きチキンを選びました。
 食べ物を悪く言うとバチがあたりそうですが、このチキンに添えられたご飯は、日本人を小馬鹿にするものでした。パサパサの長粒米です。それも、臭みの強いものでした。白濁した色といい、食感といい、食は進みません。

 海外の生活では、こうしたお米は我慢をして食べます。しかし、日本へ向かう機内で出すとは、日本人の食生活や食感を冒涜するものです。無神経です。不愉快です。途中で食事を放棄しました。何も、贅沢を言っているのではないはずです。
 オーストリア航空のサービス感覚を疑います。一日本人として、ここに抗議を記しておきます。人に残飯まがいのものを与えるな、と。

 ビジネスクラスやファーストクラスには、まともなご飯を出しているのでしょうか。もっとも、もしそうであるなら、それはそれで侮辱的・差別的な行為ですが……。

 数多くの航空会社を利用したこれまでの経験では、KLMが最低でした。このオーストリア航空は、KLMほどではないにしても、それに準ずる飛行機となりました。

2008年9月14日 (日曜日)

ヴェネツィアから(8)マドンナ

 ヴェネツィアに来たら、イタリアンレストランの「マドンナ」に行くことにしています。
 これは、数年前に、息子の先生である片岡護シェフに教えられた、魚介類のおいしいお店です。

080913madonna


080913madonna2


 リアルト橋の近くのこの店は、小路の奥にあるので、観光客は少ないのです。
 この日も、地元の人が中心です。子ども連れの家族もいました。
 日本語のメニューがあったので、日本人観光客が多い時もあるのでしょう。
 味は超一流ですが、庶民的なお店です。とにかく、新鮮さが信条のレストランです。

 私は、シャコをオリーブオイルに浸けたものと、イカスミのスパゲッティーを食べました。

 イタリアに来ても、いつものように毎日、持参の道具で血糖値を測っています。
 寝起きが、195,166,189となっていました。徹夜をした日は測っていません。
 常に120前後になるように努力しているので、これは大幅にオーバーしています。
 睡眠時間を極端に削らざるをえないヴェネツィアの生活だったので、食事で体力を維持しようとしたせいでもあります。
 それにしても、この数値はよくありません。
 これから帰国しますので、日本に帰ったら、またいつものペースの生活に戻しましょう。
 とはいうものの、これから10月4日の源氏物語展の開会までは、展示の大詰めです。連日の夜を徹しての作業と仕事が続くことは、重々覚悟しています。なかなか、思うような睡眠時間の確保は困難です。諦めつつ、少しでも寝ることを心がけるしかないようです。

 リアルト橋で雨の中を、新婚さんが通りかかりました。これから教会へ行くのでしょうか。

080913bridal


 どんよりと曇った中を進む2人には、スポットライトが当たったかのようで、明るく見えました。

 疲れを意識しながら生きなければならない日々の中で、このような若さを見ると、その余光をと願ってしまいます。
 そう言えば、今日、食事のために修道院の部屋を出ようとした時に、アッと叫んでしまいました。
 部屋にカギをおいたまま、ドアを閉めたのです。自動ロックなので、もう開けられません。
 カギの閉じ込めというトラブルは、これまで一度もしたことがありません。不注意者のすることだと、人ごとでした。それが、何と自分がやってしまったのです。

 入り口の尼僧に、身振り手振りで事態を伝えました。
 尼僧は、ニコニコしながらも、これまた身振り手振りで、今日は外で寝なさい、といい、まったくもう、とオーバーに困った顔をされました。もちろん、終始ニコニコ顔です。楽しくてユーモアに溢れた、母親のような尼僧さんでした。
 とにかく、食事に行ってこいと言われました。
 帰ってくると、待ってたよ、とばかりにマスターキーを持って、サッサと私の部屋の方へ急がれます。必死でついていくと、部屋を開けて、手間がかかるね、気をつなさいよ、という笑顔のメッセージを残して、これまたサッサと戻って行かれました。

 どうやら、集中力がなくなっています。
 帰国までの数時間、機中の人となるまでは、もうすこし気を張って時を過ごすことにしましょう。

ヴェネツィアから(7)イタリア本

 今回も、貴重な本を入手しました。

■まずは『源氏物語』から。
 立ち寄った書店で、何も期待せずに、日本の文学作品を翻訳したものがありますか、と下手な英語まがいの言葉で聞きました。何度か聞き返されましたが、諦めることなく、知っている単語を並べていたら、村上春樹などの本があるコーナーに連れて行かれました。

 そこで、意を強くして、日本の古典文学はあるか、と聞きました。
 「クラッシック」という言葉をなかなか理解してもらえない状況の中で、キーン先生が先日講演なった研究集会のポスターが壁に貼ってあったので、そこへ連れて行き「ゲンジモノガタリ」と言うと、「オーケー、チョット、マチナサイ」という言葉が返って来ました。
 別棟の倉庫にあるそうで、そこへ取りに行かれました。

 そうなのです。

「ゲンジモノガタリ、プリーズ」

で、『源氏物語』のイタリア語訳の本がでてくるのです。

 『源氏物語』は、それほど世界文学としてメジャーなのです。

080913genjibook『源氏物語』

 持ってこられた本を見て、これがアドリアナ・モッティが訳した2冊本を1冊にしたものであることが、見てすぐにわかりました。アーサー・ウェイリーの英訳を重訳したものです。

 イタリア語訳の『源氏物語』としては、1928年にキク・ヤマタがフランス語訳したものをもとにして、1942年にドメニキーニがイタリア語に翻訳しました。

 その後、1944年にピエーロ・ジャイエが訳しています。これもアーサー・ウェイリーの重訳です。

 アドリアナ・モッティのイタリア語訳は、1957年に刊行されています。
 これは、1992年に2冊が箱に入って再版されました。

 今日、私が手にしたのは、2006年に出た第3版ということになります。19.8ユーロ(約3,200円)でした。この頁数が初版と同じなので、これは初版の復刻版なのかもしれません。日本に帰ってから、手元にある本と比べてみます。

 10月からの源氏展の海外の翻訳本コーナーに、この本を追加してもいいな、と思っています。いいタイミングで、いい本が見つかりました。

■2冊目は、ネグリ先生が訳された『和泉式部日記』です。

080912izumi_4『和泉式部日記』

 これは、今回ネグリ先生からいただきました。今年刊行されたばかりの本です。

 ネグリ先生は、一昨年に『更級日記』のイタリア語訳の本を刊行されました。
 その時には、付録としての地図の作製を〈NPO法人 源氏物語の会〉が受け持ち、伊井春樹先生の『更級日記』の付録の地図をイタリア語に改訂して収録したものです。

 イタリアには、平安時代の文学研究者として、オルシ先生とネグリ先生のお二人がいらっしゃるのです。心強いことです。


■3冊目は、円地文子の『女面』のイタリア語訳です。

080912enchi女面


 これは、1999年に刊行されたもので、その翻訳者であるグラジアナさんから、今回の研究集会の会場でいただきました。

 初対面の方でしたが、私が発表の枕に海外における『源氏物語』の現状を話したので、そんな奴なら、ということで献呈してくださったようです。

 海外の翻訳本は、なかなか入手できません。このようにして貴重な本をいただけることは、本当にありがたいことです。大いに宣伝をしたいと思います。
 まずは、このブログで。


■最後は、東洋美術館で開催されたばかりの源氏展の図録です。

080912genjizuroku_2源氏図録

 これは、東洋美術館の館長さんからいただきました。
 この中に、今回の収穫だった『源氏物語画帖』が3図ほど掲載されています。
 写真が不鮮明ですが、「末摘花」「須磨」「明石」だと思います。
 写真の下に、モッティさんのイタリア語訳が付されていました。
 今回、東京外国語大学の学生さんで、今ちょうどイタリアに語学の勉強に来ているという2人が参加していましたので、試しにこのイタリア語を日本語に訳し戻してもらいました。

 こんな感じだということでした。

(1)1巻 2部 4章 P.353
 そして、源氏自身が神に祈るために帰っていった。「私たちの周りに、このような景色と騒音があったら、我々の日々の終わりが来たかどうかを自問することはできない。」しかし突然、この祈りの最中に、これまでに聞いたことのないような、より大きな音を聞き、同時に雷が源氏の部屋のすぐ近くの屋根に落ちた。炎がほとばしり、一瞬で家のその周りが灰と化した。
(※伊藤は「須磨」と認定)

(2)1巻 1部 6章 P.177-8
 源氏が二条院に帰ったとき、彼を待っていた紫の上を見つけた。彼女が彼の元へやって来るのを見ながら、彼女の動きの自然な上品さと素朴さが、何よりも彼を喜ばせ、魅了するものであった(思った)。
 その後、彼女は絵を描き、色をつけ始めた。このように二人は時を過ごした。とてもすてきなカップル(?)であった。
(※伊藤は「末摘花」と認定)

(3)1巻 2部 3章 P.338-9
 源氏は入江に面した縁側に出た。夕日と海のきらめき、高くそびえた山々が、異様なほどの輝きを彼に投げかけていた。それは彼を見ていた人にとって、彼が別世界の人物であると思えるほどであった。入江の沖を船の列が通りすぎていた。船をこぐ波の音に、野ガモの鳴き声が合わさって、ほとんど聞き分けられなかった。
(※伊藤は「明石」と認定)

 突然のお願いに、快くその場でサッと訳してくれたお二人に、感謝しています。本当に、サッとでした。驚きました。

 なかなかしっかりとした文章です。しかも、手書きの文字使いもすばらしいものでした。適切な漢字の用字法も、若い子には珍しく正確です。そのレベルの高さに感心しました。
 しっかりとした日本語の理解と表現能力を持っているお二人なので、イタリア語もきっとすばらしい成果をあげて帰国されることでしょう。日本語があやふやな人は、外国語を勉強しても無駄です(私は、外国語をマスターしたくても、センスの問題で習得できないタイプですが……)。
 娘が大学1回生から4年間、イギリスに留学していました。日本の大学は2回生で退学し、結局はイギリスの大学を卒業しました。
 このお二人も大学の2年生を休学してのイタリア留学とのこと。わが娘の姿を見るようでした。
 どうか、収穫の多い留学生活となるよう、祈っています。
 ますますの活躍を、期待したいと思います。


2008年9月13日 (土曜日)

ヴェネツィアから(6)点描

 ヴェネツィアは狭い街です。しかし、迷路のように道が走っているので、一人歩きにはなかなか勇気がいります。ただし、私はもう6回目の訪問なので、少し歩くとだいたい行きたい所がわかります。

 朝は、出来る限り散策するようにしました。
 街中を歩き、移動していた時に写したものをアップします。

 ヴェネツィアは、何といっても、至る所に干されている洗濯物が楽しいと思います。

080910venice1洗濯物


 おばさんが洗濯物を取り込んでいたので、申し訳ないのですが、パチリ。
 派手な洗濯物は、今は控えます。


 有名な溜め息の橋です。
 囚人が牢獄に連れて行かれる時、最後にヴェネツィアを見られる橋だと言われています。
 非常に心が痛む名所なのです。しかし、今回行って仰天しました。何と、スポンサーが派手派手とさわやかな広告パネルで、この橋を覆っているのです。

080910venice2スポンサー


 修理資金の関係なのでしょうが、興ざめでした。そこまでしなくても、と思ったのは、すべての観光客だったと思います。

 これも有名な、サン・マルコ広場のフローレンスという喫茶店の前です。

080910venice3演奏


 この演奏中は、飲食代金に6ユーロがプラスされます。
 コーヒーが6ユーロだったので、演奏中に行った私は、12ユーロを支払うことになりました。1ユーロは160円ほどです。旅の途中だからこその贅沢です。

 大運河には、たくさんの杭が立っています。
 そこで休む水鳥にも、なかなか気品がありました。

080912bird水鳥

 サンタルチア駅の近くに、一昨日オープンした、新しいガラスの橋です。
 なかなかオシャレな橋です。

080912gridge新橋

 パリのルーブル美術館の中庭に、クリスタルのピラミッドが出来た時に似た、古い伝統の中の新鮮さに共通するものを感じました。

2008年9月12日 (金曜日)

ヴェネツィアから(5)国際学会

 今回の国際研究集会は大成功でした。

 テーマは「源氏物語の成立と享受 —絵と本文から—」というもので、2日間にわたって行われました。
 これは、國學院大學の豊島秀範先生のもとで進んでいる、科研の成果が報告されるものです。
 イタリア側からの講演が3人、研究発表は日本側から9人、イタリア側が5人でした。

 会場となったヴェネツィア大学(カ・フォスカリ)の大講堂は、とにかく豪華です。

 まずは上を見ると、その天井の荘厳さに打たれます。


080912tenjyo大講堂の天井

 最初の講演である、ローマ大学のオルシ先生の時に、早々と会場は満席状態でした。
 いつものおだやかな話し振りで、詩的な雰囲気のいい講演でした。

080912orsiオルシ先生

 オルシ先生には、娘も息子もローマ大学でお目にかかっていて、いつもやさしく接してくださる方です。

 2日目の講演は、フィレンツェ大学の鷺山先生です。
 鷺山先生にも、息子がイタリア料理の修業中にお世話になりました。息子を学生さんの寮に連れて行ってくださり、みんなと一緒にチーズ料理を作って食べる会を催してくださいました。大喜びの息子は、お礼にあられを作ってあげていました。楽しい交流の時を持てたことが、彼の最大の誇りの1つとなっているようです。特に、学生さんたちの日本語を学ぶ姿勢には、大いに勉強になり、刺激をうけたようです。とにかく、勉強熱心で明るい学生さんたちとの、さわやかで刺激的な出会いでした。

 私の出番は、鷺山先生の後でした。
 記録のためにも、内容を記しておきます。
 実は、この日の朝、一通のメールをうけとったことにより、発表内容を大きく変更しました。
 変わった点は、東洋美術館の源氏画帖のことを中心にしたことです。

「新出・源氏物語団扇画帖と国文学研究資料館の源氏展」
 0 はじめに
    ・世界各国二十三言語による翻訳 —多言語翻訳と文化理解
 1 源氏物語千年紀と立川移転記念の展覧会
    ・十月に源氏展「源氏物語 千年のかがやき」
 2 ヴェネツィア・東洋美術館の源氏画帖 —共同研究の提案
    ・伝土佐光起筆『源氏物語画帖』
 3 国文学研究資料館の新出・団扇画帖の紹介と共同研究の成果
    ・図様の総合的研究と源氏絵の絵引き索引
 4 おわりに
    ・越境する文学研究と絵画研究

 2日目の後半で、イタリアの南端にあるサレント大学のネグリ先生の講演がありました。
 ネグリ先生とは、折を見てお目にかかっている方です。
 きれいで上品な日本語に定評があります。オルシ先生譲りの、本格的な日本語です。日本人が恥ずかしくなるような、そして平安文学を語るのにふさわしい日本語の使い手です。

 その後は、若手の発表です。

080912sugawara若手発表


 非常に落ち着いていて、質疑応答もしっかりとしていました。
 私は、少し固くなった雰囲気を和らげる気持ちから、研究とは少し離れた視点での質問をしました。
 無事に終わってから聞くと、本人は緊張しっぱなしだったとのこと。
 そんな心境が表情に出ないのは、こうした場面では得をしますね。

 すべてが終わってから、ヴェネツィア大学のトリーニ先生の紹介で、先日お目にかかってお話を聴いた東洋美術館のフィオレラ館長と、源氏画帖に関する今後の共同研究について、少し打ち合わせをしました。


080912chairman中央が館長

 まずは、帰ってから書面による共同研究の確認をして、10月の中旬からスタートさせるととなりました。
 ものごとは、うまくいく時には、本当にうそのように、内心慌てるくらいに進展します。その後、いろいろな問題が発生して、なかなかうまくいかないものですが、とにかく幸先のいいスタートが切れたことが、なによりの成果です。


2008年9月11日 (木曜日)

ヴェネツィアから(4)深夜のこむら返り

 宿泊先の修道院の自室でのことです。

 真夜中に、ちょうど文章の整理をしていた時、突然両足のふくらはぎが硬直しだしました。
 しばらくすると、ふくらはぎが収縮し、強烈な痛みが走ります。
 もう、椅子に座っていることが出来なくなりました。這うようにしてベットの上に横たわるのがやっとです。それでも、身悶えするほどの痛さに、体中が包まれました。

 激痛に耐えるしかないと諦め、足をなんとか少しでも延ばしたり、縮めたりと、無駄な抵抗を試みる無為な時間が流れます。呻き声が自然に出そうになるのを、じっと噛み締めて我慢しました。とにかく真夜中です。それも、ここはヴェネツィアです。
 隣室に別のゲストがいることでもあり、ベットの上で体が暴れ出しそうになるのを、とにかく押しとどめます。

 しまいには、悲鳴を上げそうになりました。誰かに電話をして、この苦しみを助けてもらおう、とも思いました。何をしたらいいのかわからないままに、小一時間ほど悶絶の苦しさの中で、今にして思えば一人芝居を演じていました。
 この苦しみを何とかしてほしい、と誰ともなく天井に向かって祈るしかありません。

 どれくらいの時間が経ったのでしょうか。少し、痛みが和らいできました。すると、気を緩めたせいか、また激痛が間歇的に走ります。

 そんな繰り返しの中で、徐々に痛みが緩やかになりだしました。
 何とかベットから下りて、ヒンヤリとしたタイルの上に足を投げ出し、少し冷やすと気持ちがいいのです。
 足を摩りながら、少しずつ足の曲げ延ばしをして、恐る恐る歩き出すと、足がカチカチである割には、痛みは引いていました。

 それから数時間、明け方まで足腰を休めてから、また仕事の続きを始めました。足を意識してブラブラさせながら、キーボードに向かったのです。

 一体、あれは何だったのでしょうか。今にして思うと、不可思議な時が流れていました。
 一日経った今も、少し足の筋肉が突っ張っている感じがします。
 歩くと、足が重たい気がします。しかし、痛みはないので、もう大丈夫なのでしょう。

 恐怖の時間でした。

2008年9月10日 (水曜日)

ヴェネツィアから(3)光起の画帖

 ヴェネツィアの東洋美術館へ、カ・フォスカリのトリーニ先生のご高配をいただき、特別に行くことができました。
 翌日から源氏展が始まるために、準備に大わらわの中を、館長に中を説明してもらいました。
 国文学研究資料館の源氏展の準備をしている私にとっては、それもオープニング前日ということもあり、貴重な内部見学です。

 源氏屏風が3点あり、その他にもなかなか興味深い源氏関連のものが展示されつつありました。いかにも開会直前といった感じで、みなさん慌ただしく立ち回っておられました。
 私も、帰国早々にこうした展示に関わるので、学芸員の方々がなさっていることに注意が向きました。どのように飾り付けるのか、パネルにはどんな工夫があるのか、ライティングはどうしているのか、などなど、現場の空気を体感するいい機会となりました。

03080910tenji1_2展示風景


 その中に、土佐光起筆の源氏画帖がありました。すでに何人かの方がご覧になったことがあるそうです。しかし、あまり興味をしめされなかった、と館長はおっしゃっていました。

05080910genjie1説明板


 この説明文は、おおよそ次のように書かれているそうです。

絵入り源氏物語
紙の上に墨色で書かれている
土佐光起画(15世紀後半)


 1枚の台紙に2枚の源氏絵が貼ってありました。

06080910genjie2_2画帖(1)

07080910genjie3画帖(2)

1巻を2枚で構成しているように見えましたが、どうでしょうか。彩色は薄くなされているようです。枚数は、その場ではわかりませんでした。100枚近くはあるのではないでしょうか。
 館長とお話したところ、日本との共同研究を望んでおられました。すでに写真はすべて撮影済みで、展示会場では、スライドショー式にDVDからの映像を、スクリーンいっぱいに流しておられました。

 事前調査、ということで、今年度にでも何らかの対処ができれば、と思っています。国際共同研究は、いろいろと厄介なことがあります。この画帖との、今後の幸運を祈るのみです。

 ちょうど、向かいの島では、ドナルド・キーン先生が講演をなさっていました。
 街中では、キーン先生のポスターが目立ち、我々の国際集会の方は控えめです。
 それでも、何人かが我々のポスターにも目を留めていたので、来場者数が楽しみです。

ヴェネツィアから(2)ネットの功罪

 イタリアに来てまで徹夜をして仕事をしています。
 来月からの源氏展のための資料に不具合が見つかったりで、いろいろとあるためです。
 一晩中、文章の修正をしたり、メールを出したりしています。
 手元に本が何もないので、大変な作業です。日本にいたらすぐに出来る文章も、海を隔てた地ではとてつもない時間がかかります。
 記憶力の減退を恨みながらの仕事です。

 苦労して作成したテキストをネット経由で送った後、すぐにまたまったく別の問題が持ち上がりました。
 ヴェネツィア大学から次の会場へ移動中だったので、電話で日本とのやりとりとなります。

 海外で使うための専用の電話を持参していたために、こんな時に重宝します。これは、イギリス経由で接続する電話で、いろいろな国からかける私にとっては、料金や支払いが効率的なものです。
 ただし、街中で移動中だったので、行動を規制されています。鞄の中に、ノートパソコンは入っています。しかし、肝心のインターネットの接続ポイントがないために、ネットにつなげられないのです。

 ヴェネツィアにも、インターネットカフェはあります。しかし、私がいた地点の近くには、まったくないとのことでした。宿泊している修道院まで戻るのが一番早い、という結論になりました。
 ヴェネツィアの街中は、ほとんどが徒歩での移動です。

 例えば、大学の入り口は、普通はまったくわかりません。次の写真の入り口は、大学としては珍しく、それらしい門構えとなっています。これでも、なかなかそこが入り口だとはわかりません。狭い道で組み上げた街です。

080912univ_2大学の入り口

 道々に、行き先を示すプレートはあります。しかし、歩いていると、こんな標識に出くわすと、どっちから行こうかと、足が止まってしまいます。

080912rialto案内表示

 同行のみなさんには申し訳なかったのですが、私だけは一旦引き返すことにしました。ただし、迷路のようなヴェネツィアの道を、すぐに帰ることができません。学生さんに連れて行ってもらうことになりました。近道があるとのことで、10分もかからずに修道院に帰り着きました。

 自分の部屋に帰っていると時間がかかるので、入り口にあるロビーの一室で、大急ぎでワイヤレスのネットワークにつなげ、資料をダウンロードして、それに手を入れて返送します。さらに、2本のメールを書いた後、ネットで支払いをして、これまた早業で返信します。
 15分ほどで仕事をやり終え、またみんなの移動地へ向かいました。道案内の学生さんの好判断で、お昼の休憩地であるサン・マルコ広場に急行となりました。ちょうど、みなさんがフローレンスというカフェで一休みのところへ、何とか合流できました。
 いやはや、相変わらず、慌ただしいことです。

 イタリアに来ても、仕事に追いかけられているのです。
 便利なはずのインターネットのありがたさを、あまりにも便利なために、時には恨んだりもしています。


2008年9月 9日 (火曜日)

ヴェネツィアから(1)機内での映画

 先週来、怒濤のごとく東京と京都で仕事をこなし、そのままウィーン経由でヴェネツィアに数時間前に着きました。
 先週は、いったい何時間横になって寝たでしょうか。移動する電車の中で休んだだけのような日々でした。とにかくこの十日間は、ほとんど寝る暇もなく校正と編集の仕事に追われていました。
 今日も、ほとんど徹夜の状態のままで、朝早く成田空港に駆けつけました。ヨーロッパに行くときは、行きは寝ない方が翌日が楽です。その意味からも、飛行機の中では可能な限り寝ないで、パソコンに文章を入力したり、機内の映画を観たりしました。

 今回は、あまり観たい映画をしていませんでした。オーストリア航空だったせいかもしれません。仕方がないので、『隠し砦の3悪人』というものを観ました。

 予想に反して、迫力のある場面が多くて、面白い映画でした。
 話の展開にも、無理があまりありませんでした。
 ロクロウタ役の阿部寛は、難しい役所をよく演じきっていたと思います。ユキヒメ役の女性も、上品に、そしてきれいに演じていたのは、好感が持てました。長沢まさみというのでしょうか、今後とも、活躍する女性なのでしょう。少し目のきつい表現が、キリリとしてよかったと思います。
 それに引き換え、副主人公とでもいうべき存在の若い男の子は、いかにも観客を取り込むためのキャストであることが見え見えで、あまりいい配役ではないと思います。表情が、いかにもやらさている、という感じです。無難にやり終えたということでしょうが、この子の演技をもう一度見たいとは思いません。どのような経緯で選ばれたのかは知りませんが、何か背景にプロダクションの取引を感じさせます。見当違いかもしませんが、ミスキャストには違いありません。興行収入優先の制作なのでしょう。しかし、残る映画を目指してほしいものです。
 ただし、全体的には、よく引き締まった、完成度の高い映画に仕上がっていたのではないでしょうか。

 機内食が配られた時、隣に座っていた同級生が、アッと叫びました。
 何事かと思ったら、ミネラルウォーターの採水地が、彼の生まれた家のすぐそばだというのです。いたく感動していました。


080909water北陸の水


私も、かつて平群のショウガを海外の食品に添付されていたものを見かけた時、自分との地縁に懐かしさを覚え、嬉しかったことを思い出しました。この気持ちはわかります。

 iPhoneは、ウイーンでもヴェネツィアでも、インターネットに接続できました。また、GPSによる位置確認と現在地の地図も、うまく表示できました。海外をナビを持って歩くこととなり、安心感が増します。

 ウィーンからヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港へ行く時は、小さな飛行機に乗りました。


080909plane小型飛行機

 中は、窓側に2列が並んでいます。アメリカで地方都市に行く時に、2列だけの飛行機に乗ったことがあります。あまりにも小さくて不安になります。しかし、ジェット機と違い、かえって安心できました。いかにも、人間が操縦している、という実感が伝わって来ました。

 ヴェネツィアの空港からヴェネツィアの町中にはいるのに、バスを使いました。
 その時、ヴェネツィアにいる仲間に到着わ伝える挨拶代わりに電話をしたところ、すぐに出てくれたのですが、話がうまくつながりません。そして話しているうちに、何と相手は今はカナダにいることがわかりました。
 突然の電話が、イタリアからカナダへとつながったのです。いやはや、地球は狭いものです。
 私は、11月にハーバード大学で研究発表をするので、そこで会いましょうか、ということで電話を切りました。
 そして、フッと今の時間を確認しました。ヴェネツィアは午後7時です。というこは、カナダは何時だったのかと……。相手がすぐに出てくれたので、あまり迷惑をかけなかったかと思いますが、便利さの中の無神経ぶりを反省しました。

 今、宿泊先の修道院から、1時間3ユーロ(500円弱)でインターネットに接続しています。無線なので、自分の部屋から楽に使えています。MacBook Air は、快調に動いています。


2008年9月 3日 (水曜日)

政局混迷の中を参議院へ行く

 久しぶりに国会議事堂を見ました。地下鉄丸ノ内線の国会議事堂前から地上に出ると、すぐに見えました。


080903turunen1国会裏

 交差点には「国会裏」という標識があったので、国会の裏側になるようです。

 この前見たのは、中学校の修学旅行の時ではなかったかと思います。40年も前のことになります。国会図書館へ行ったときも、議事堂は見ませんでしたので。
 参議院議員会館が目的地です。

080903turunen2参議院議員会館

 途中の衆議院の会館前には、マスコミ各社が暇そうに日陰でグッタリとしておられました。福田総理の辞任を受けて、待機なのでしょう。ご苦労なことです。

 さて、私は、民主党の参議院議員のMartti Turunen(ツルネン・マルティ、弦念丸呈)さんを尋ねて行きました。先月、面会のアポイントメントをとったのですが、ここ数日のニュースにより、今日の面談はキャンセルになるのでは、と思っていました。しかし、快く予定通り応じてくださいました。

 受付で面会証を発行してもらい、2階のツルネンさんの議員室へ行きました。
 その途中で、空港にある金属探知ゲートを潜りました。
 ツルネンさんの議員室は思ったよりも狭い、こじんまりとした部屋でした。

 メールで連絡をとり合っていた秘書の方を通して、すぐにソファで話を伺うこととなりました。

 ツルネンさんは、フィンランド生まれで日本人になった方です。その方に何の用事かというと、『源氏物語』のフィンランド語訳『Genjin tarina』(全4巻)に関する取材です。
 ツルネンさんには、以前からお話をうかがおうと思っていました。しかし、政治家の方に会うのに踏ん切りが付かず、ズルズルと来ていました。

 『源氏物語【翻訳】事典』(笠間書院)も、刊行が延びたために緊張感も緩み、機会を逸するばかりでした。そんな中で、刊行のメドがたったこともあり、内容の充実をはかる意味でも、ツルネンさんに会おうと思ったのです。

 ツルネンさんのフィンランド語訳『源氏物語』は、1981年に出ています。翌年、翌々年と第3巻まで出た後、第4巻はそれから7年後の1990年に刊行されます。ただし、それは、それまで和歌の翻訳を担当していたKai Nieminen(カイ・ニエミネン)さんが単独で刊行したものです。ツルネンさんも、第4巻の中身はまだよく見ていない、とのことでした。

080903turunenbookフィンランド語訳

 日本文学研究者であるニエミネンさんは、今度の11月に京都で開催される国際シンポジウムに呼ばれている方です。その時に、ニエミネンさんにも面談したいと思っています。

 1巻から3巻までは、ツルネンさんが散文(文章部分)を担当し、ニエミネンさんが歌を訳しています。
 長野の安曇野にいた頃に、朝から夕方までずっと『源氏物語』と向き合い、夜は英会話塾で教える生活だったそうです。湯河原で町議会議員になられた1992年から、『源氏物語』どころではなくなったようです。

 一番苦労されたのは、フィンランドにないものをどう訳すか、ということだったとか。
 巻の名前も、工夫されています。「夕顔」巻は、夕方という言葉と顔ということばをくっつけたものになっています。ただし、そのような花がフィンランドにあるわけではないそうです。

 30年も前のことで、ほとんど覚えていない、とおっしゃっていましたが、しだいに思い出されたらしく、いろいろな話をしてくださいました。

 政局混迷の折、浮世離れした取材で恐縮しましたが、結構たのしそうに語ってくださいました。
 詳しくは、今冬刊行される本をごらんください。

 帰りに、一緒に写真を撮りました。


080903turunen3記念撮影


 すると、ツルネンさんもブログに載せたいからと、秘書の方が私との写真を撮られました。
 お互いが、ブログのための写真を撮るのですから、おもしろいものです。

 ツルネンさんのブログは、次のアドレスからどうぞ。

ツルネンさんのブログに掲載されました。

 今日のことが、記事となって掲載されています。


2008年8月20日 (水曜日)

イタリアで源氏物語の集会

 忙しい時には、いろいろなことが被さってくるものです。

 来月の中旬に、「源氏物語の成立と享受 -絵と本文から-」というテーマで、イタリアのベェネツィア大学を会場にして国際集会が開催されます。


080820italy


 いろいろと仕事が山積する悩ましい時期ではありますが、私も研究をすることが本職なので、久しぶりに海外で研究発表をします。
 内容は、10月に開催する〈源氏展〉の宣伝を兼ねながら、源氏絵に関する考察です。
 日頃は事務的な仕事に追われるばかりなので、勉強していることをまとめて発表することができる機会は、本当に貴重です。せっかくのチャンスなので、前後のことはしばし置いて、本来の責務の一端を果たして来ます。
 といっても、メールが使えるので、日本にいるときと変わらない仕事ぶりになるかと思われます。
 環境が変わっただけ、ということになりそうです。

 それはさておき、イタリアの方々は、絵に対する興味は大変なものがあるので、タイムリーな企画だと思います。

 準備を進めておられる國學院大學の豊島秀範先生は大変な思いをなさっていますので、少しでもお手伝いを、と思っています。

 多くの知り合いの先生方と再会できるので、それも楽しみです。
 特に、日本の源氏物語千年紀に合わせて、10月の下旬から来日なさる先生が数人いらっしゃるので、その意味でも話が弾む事でしょう。

 現地からの報告も、ネット環境が整備されているはずなので、逐一できると思います。

 私としては、iPhoneを研究発表の際に使う事と、日常生活でどのような局面で役立つのか、興味深いことがたくさんあります。

 ベェネツィアには6回目の訪問となるはずです。
 国際交流の一端も意識して、無事に帰国できるように、準備を整えて行きたいと思っています。


2008年8月 3日 (日曜日)

原爆は必要だったと強弁する駐日米国大使

 朝日新聞(8月2日)に、「原爆は必要だった」と、日本の高校生に答える駐日某国大使の記事が掲載されています。

 まだこんな輩が地球上にいるのか、というのが率直な感想です。
 一時、かの国には、この手の意見を吐く人がたくさんいて呆れました。
 脳味噌が酢味噌になったとしか思えません。
 いや、鱧やオバイケやホタルイカを食する時に欠かせない酢味噌に失礼な表現でした。
 いまだにかの国は、こんなていたらくです。
 低レベルな話です。

 お決まりの、野蛮なかの国の人の原爆投下に関するコメントです。
 「戦争終結を早めるために必要だった。」「より多くの生命が失われるのを救うため、戦争を短くするためだった。」と、福岡県の高校生の質問に答えています。
 こんな大使を代表とする国家が地球上に存在しているのですから、お荷物以上の厄介者です。

 こんな国に守ってもらおう等と、幻想にとりつかれてはいけません。
 日本という国が平和ボケしているからこそ、こんな国が同盟国として認められているのです。

 「長崎には必要なかったのでは」との生徒の鋭い問いには、「広島投下では日本は降伏しなかった。米兵や日本人の死者数を予想し、トルーマン(大統領)が難しい決断をした」と答えています。
 人の命を軽視する、かの国の多くの人々の発言等を見聞きするたびに、おいおい、と言いたくなります。

 こういう民族には、どのようにしてその考え方の誤りを教えて差し上げればいいのか、これはこれで難しい問題です。
 なまじ、正義感とブライドだけはしっかりとあるのですから。

 こうした記事を目にするたびに、日本人の人間としての質の高さを痛感します。
 日本人の寛容と忍耐の精神は、世界に誇るべきものだと思います。


2008年7月29日 (火曜日)

ハーバード大学での国際研究集会

 今秋、2008年11月21日と22日の2日間にわたって、アメリカのハーバード大学で国際研究集会が開催されます。
 主催は国文学研究資料館とハーバード大学です。


「文学の創造物 -日本の書籍、文書、絵巻物-」

(THE ARTIFACT OF LITERATURE:
 JAPANESE BOOKS, MANUSCRIPTS, AND ILLUSTRATED SCROLLS )

 ホームページが完成しましたので、紹介します。

ハーバード大学国際研究集会


 内容は以下の通りです。

 私は第一パネルの一番手で、ハーバード大学所蔵の古写本『源氏物語』について研究発表します。

 各人の発表内容は、上記ホームページの「Papers」をご覧ください。

 最初は、小さな企画でしたが、しだいに大きなものになりました。
 うまく行く時は、こんなものなのでしょう。

 2年半前の春に、『源氏物語』の写本の調査と情報収集に行きました。
 その時にお世話になった司書の方のことは、今春のブログに書きました。


賀茂街道から


 今回も、たくさんの収穫があると思います。
 今から、大いに楽しみにしています。

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Nov. 21 (Friday)

9:00 AM: Welcoming Remarks
エドウィン・クランストン (Edwin CRANSTON) ハーバード大学
メリッサ・マコーミック (Melissa MCCORMICK) ハーバード大学

9:15 AM: Keynote Address
伊井春樹 (II Haruki) 国文学研究資料館

9:45 AM:
第1パネル 「和歌、物語、翻訳」 The Materiality of Classical Literature

伊藤鉄也 (ITŌ Tetsuya) 国文学研究資料館
「ハーバード大学所蔵『源氏物語』の本文」“The Harvard Genji Manuscript”

ポール・アトキンス (Paul ATKINS) ワシントン大学
「ハーバード大学所蔵『明月記』について」“Teika’s Record of the Clear Moon in the Sackler Collection”

海野圭介 (UNNO Keisuke) ノートルダム清心女子大学
「ハーバード大学所蔵『八雲御抄』について」“An Imperial Poetic Treatise, the Yakumo mishō”

迫村知子 (Tomoko SAKOMURA) スウォースモア大学
「和歌の絵画性」“The Pictoriality of Waka: Harvard-Yenching Library’s Book of Fans”

Discussant: エドワード・ケイメンズ (Edward KAMENS) エール大学

12:00 PM: Lunch
  
1:30 - 5 PM: 美術館所蔵品特別観覧
Art Object Study Session


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NOV. 22 (Saturday)

9:00 AM: Greeting
鈴木淳 (SUZUKI Jun) 国文学研究資料館

9:15 AM:
第2 パネル 「宗教と説話」Religion and Pictorial Narratives

荒木浩(ARAKI Hiroshi) 大阪大学
「夢の形象、物語のかたち―「清盛の斬首の夢」を端緒に」

楊暁捷 (X. Jie YANG) カルガリー大学
「『白鼠弥兵衛物語』に中世の幻想を読む」

ケラー・キンブロー (Keller KIMBROUGH)
「『為世の草子絵巻』について」“Extinguishing the Flame: Cycles of Suicide in ‘The Courtier Tameyo’ (Sackler Museum)”

小峯和明 (KOMINE Kazuaki) 立教大学
「須弥山世界の図像と言説を読む」

Discussant: 徳田和夫 (TOKUDA Kazuo) 学習院女子大学

1:30 PM:
第3 パネル 「もの」としての本 The Book as Object

鈴木淳 (SUZUKI Jun) 国文学研究資料館
「美術意匠としての絵本」 “Illustrated Books as Artistic Design”

入口敦志 (IRIGUCHI Atsushi) 国文学研究資料館
「本と飾り」 “Book as Decoration”

Text and Paratext in the kanpon sakuhin of Takei Takeo 武井武雄 (1894-1983)
Rachel SAUNDERS (Harvard University)

ジョン・ソルト (John SOLT), Independent Scholar
「二十世紀の前衛本のデザイン」 “Twentieth-century Avant-garde Book Design”

Discussant: ハルオ・シラネ (Haruo SHIRANE) コロンビア大学

4:00 PM: Break

4:15 – 5:00 PM: Closing Discussion
Moderators:  石川透 (ISHIKAWA Tōru) 慶応義塾大学
神作研一 (KANSAKU Ken’ichi) 金城学院大学


2008年6月20日 (金曜日)

海外での食事の影響

 海外から帰ると、一週間は体にだるさが残ります。
 ヨーロッパの場合は、現地に入った時はいいのに、帰ってからが大変です。
 これも、時差ぼけなのでしょう。

 今回も、体がシャキッとしません。
 夜,銀座へ行って泳いできました。
 長時間、ヨーロッパの帰りの場合は11時間、狭いスペースでジッとしているので、体を動かすことがいいようです。
 銀座のスポーツクラブでは、無理をしない程度に体を動かし、ジャグジーで体をほぐし、スチームサウナで目や鼻や口などを洗うと、何となく気怠さはとれたように思えます。

 夜の11時前だったのですが、お腹が空いたので「銀座 兎屋」といううどん屋さんに入りました。
 この店は、以前から気になっていました。しかし、10時以降は食事をしない、ということで血糖値をコントロールをしているので、入る機会がなかったのです。

 今日は、時差ぼけを解消するのが最優先なので、食事は大目に見ることにしました。
 この「兎屋」のだしは,普段は避けているあの東京の醤油臭さのない、それでいてしっかりした味でした。
 今日は、あさりのうどんにしました。このサッパリ感がよかったのでしょうか。
 これなら、また帰りに寄れます。
 この近所に、というよりも、アルマーニの店のそばの立ち食いそば屋さんに、これまでに何度か行きました。そこが500円ほど、ここが千円弱なので、これなら気分で選べます。

 銀座四丁目を中心として、いろんな店に立ち寄ってみたいと思います。
 ただし、私の食費は千円以内なので,銀座といっても限定されますが。

 夜中に、少し高い赤ワインを飲みました。おつまみは、オランダから買って来たチーズです。
 血糖値が高くなっても、と開き直って夜中に飲み食いしたのですが、先ほど測ったところ、数値は127でした。空腹時血糖値を120前後にするように日夜努力している私としては、高くなってもいいか、と諦めていたのです。これはラッキーでした。
 夜中に、うどん・ワイン・チーズを食べたのに、この数値です。
 これで気をよくしてはいけませんが、どうしてこれで数値が上がらなかったのか、私にはよくわかりません。このような事例を体験していく中で、自分なりの食生活が決まって行くことでしょう。

 今回のオランダ行きでは、毎朝の血糖値は高めでした。

 出発の直前は127、そして現地入りしてからは、184−157−132−163、でした。
 オランダの食事では、連日、ライデン大学の先生方との会食だったので、私が好きなものが食べられませんでした。もちろん、お寿司も。

 カロリーコントロールは、私の場合は状況に左右されます。強い意志で断れないので、これはどうしようもありません。海外では、せいぜい和食で調整するしかないのです。
 今回は、調整失敗でしたが、そんなに外れる数値ではなかったし、今朝はちゃんと元の状態にもどっているので、一応は安心しています。

 私は、カロリー計算をしていません。できないのです。
 多分に我流ですが、食事を自己管理する中で、大いに楽しみたいと思っています。





2008年6月19日 (木曜日)

またもやKLMに失望

 ライデンの最終日は、シーボルトハウスへ行きました。
 昨日の打ち上げ会で、講演をなさったシーボルトハウスの館長が、直々に展示品の解説をしてくださることになったのです。またとない機会なので、お言葉に甘えて、空港へ行く前に伺いました。

 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796―1866)の偉大さを、その2万点のコレクションの一部ではありますが実態をこの目で見て、改めて実感しました。実際に自分の目で見る、ということの大切さを痛感しています。
 とにかく、シーボルトは、ありとあらゆるものをライデンに持ち帰っていたのです。持ち帰れないものは、ミニチュアとして作成してまでも……。
 その興味の広さと、収集の徹底ぶりには脱帽です。
 そのお陰で、江戸時代の末期の様子が、こうしてわかるのです。

 裏の庭園には、シーボルトの胸像と、彼が持ち帰った植物があります。


V3nl_41t_sシーボルト



 植物は、今も生きています。ライデン市内のいたるところに、この日本から持ち帰った植物が育っているそうです。

 なお、最上階では、「京都ドールズ」という写真展をやっていました。


0skpyrvg_sポスター



 これは、京の舞妓さんや、いかにも京都らしい写真を壁面にペタペタと貼っただけの催しでしたが、展示にいろいろと工夫があり、結構楽しめました。

 帰りの空港で、珍事がありました。

 仲間の1人が、スーツケースが4kgオーバーしているということで、中身を減らせというのです。何度か出し入れして、とにかく20キロプラス3キロにしたのですが、それでもダメだというので、また本等をとりだします。それでも20キロプラス2キロあります。本当はダメだけど、という顔をして、とにかく許してくれました。
 正式にはエコノミークラスは20キロまでです。ただし、10パーセントの許容はあるようですが、いつも大体のところで受け付けてもらえます。
 ところが、今日はやたら厳しいのです。私が大分軽かったので、2人で帳尻があっているということにしてくれたらいいのに、融通の利かないお姉さんでした。
 チェックインカウンターに着くとすぐに、私の荷物とともにカウンター横のベルトコンベアーに2つを乗せたのですが、彼の方を下ろせと言うのです。
 そんなに虐めなくても、と思いながらも、スーツケースを開け閉めする彼の姿を見ているしかありません。何か、スッキリしないままのチェックインでした。
 私は、KLM航空はどうも苦手です。

 実は、妻との銀行記念旅行で、もうコリゴリという体験をしています。どこかに書いたような記憶があるので,再掲載はしませんが……。
 KLMの飛行機で非常に不愉快な思いをし、到着ロビーで苦情を伝えた所、後日KLMからオランダ直送の花束が届きました。送りつける、というやりかたにも気分を害し、それを受け取り拒否したところ、今度は図書カードが来ました。もう大人げないので、それは貰っておきましたが、以来、私はKLMは意識的に利用しませんでした。最低の航空会社だと思っているからです。
 今回は、自分で差配できる状況での出張ではなかったので、しかたなくKLMに乗りました。
 ところが、この会社はほとんどその体質が変わっていないようです。

 機内で食事を運んでくれるお姉さんも、何やら不愛想です。
 これは、先入観からのものではありません。
 たまたま私がいたエリアの担当の方が、そのような態度を示される方だった、ということなのでしょうが……。
 私が飲み物のコップを床に置いていたら、危ないので置かないでくれと注意をされました。気をつけてほしい、という趣旨はわかります。しかし、その言い方が、語尾をピョンと上げる調子だったのです。非常に無礼なもの言いだと感じました。

 また、往路でも気になったのですが、到着直前に配られる軽食を乗せたトレーは、どう見ても飼育する動物の餌を乗せるものです。機内食用に使うには、もっと加工と工夫が必要でしょう。


09ozd_cu_s機内食のケース



 日本でも、卵をこれに収めて売っていることがあります。
 段ボールの再利用でしょうが、その紙質が屑物入れのイメージのままです。この質感は、お客に出すものではありません。
 往復でこのトレーに置かれたものを食べることになり、非常に不快な思いをしました。
 配膳されるアテンダントの方々にとっては、すし詰めのエコノミーの機内で、まさに鶏舎のケージに餌箱を置いて回る感覚なのでしょう。
 これは、失礼千万です。

 やはりKLMは、と、今回も思いました。レベルの低い航空会社です。

 不愉快なKLMのことは忘れましょう。
 そうそう、出発間際に、お昼を食べ損ねていたので、この時とばかりに、念願のお寿司を食べました。


Idfvbvcg_sスキポール空港の寿司



 ちなみに、メニューはこんな値段となっています。
 1ユーロが170円くらいとして、1,100円というところでしょうか。


Uqsow2ne_sメニューの値段



 とにかく、この内容でこの値段なので、大いに失望です。
 ご飯にも芯があり、あまりいいものではありませんでした。
 日本食の評価を守るためにも、これは業者任せにしないで、何とか対策を考えるべきです。これでは、「やはり海外でお寿司は食べるものではない」、ということになってしまいます。
 少し高くてもいいと思います。空港等の一画は、世界中の人に寿司の理解を深めてもらう格好の場です。
 どうせ海外だから、で終わるのではなくて、日本らしさを好感を持って感じてもらうメニューの1つに、今後はしてもらいたいと思いました。



2008年6月18日 (水曜日)

ヘレンという男

 トイレに「Heren(ヘレン)」と「Dames(ダームス)」という、2つのプレートが貼られていました。絵文字は、私が行った店では、あまりありませんでした。

 さて、どちらが男か迷った末に、私は「ダームス」の方を選択しました。吉本の漫才師で、もと参議院議員の西川きよしの奥さんは、「ヘレン」さんです。
 したがって、「ヘレン」は「姫」で、「ダームス」が「殿」にあたるはずです。

 その後も、「ダームス」のトイレを利用していました。ところが、どうも様子が違うのです。そこで、お酒の席で話題が砕けていたので、このことを確認したところ、何とまったく逆だったのです。
 「ヘレン」が男で、「ダームス」が女だそうです。みなさん、優しく微笑んでくださいました。

 とんでもない間違いというものはあるのです。
 私がトイレに入っている時、幸運なことに女性が来なかったので問題にならずにすみました。オランダの町で、大学で、恥ずかしい思いをするところでした。

 せめて、男女の別を絵で示してあったら、こんな間違いはしなかったのです。そう思っていると、絵があるトイレもありました。ところが、そんな所に限って、オランダ語が書かれていないのです。

 いやはや、ひとしきり、みなさんの失笑をかってしまいました。

 海外でトイレに飛び込む時には、十分に注意しましょう。
 あの、男女を表現した絵のアイコンは、貴重な識別記号です。
 国外退去にならずに帰国できることに、とにかく感謝しています。

2008年6月17日 (火曜日)

ライデンの市街にある日本

 オランダのライデン大学国際会館で、2日間にわたって研究交流集会が開催されました。
 テーマは「オランダと日本 ―文化的〈対話〉の軌跡―」でした。


H1askhfp_s国際会館



 私は、イフォ・スミッツ先生の「譬喩画と司馬江漢:イソップ寓話の変容」と題する研究発表のコメンテーターとしての役割りがありました。


Psmgykom_sコメント中



 左端に、イフォ先生がおられます。
 活発な質疑応答が行われました。

 午前中は、4人の方の研究発表があり、午後はライデン市内の見学でした。


Q_fewwmo_s日本学研究所



 まずは、ライデン大学の日本学研究所から貴重書を保管する図書館へ。説明をしてくださったのは、今日で停年退職を迎えられる先生で、これが最後の案内になるとおっしゃっていました。


Dsgj_zi4_s図書館



 非常に博識の先生で、所蔵書の中から、日本に関する江戸時代の本を中心にして説明してくださいました。
 書棚の上の「火の鳥」が印象的でした。

 町中には、平成天皇がライデンにお出でになった時、窓越しに学生たちと会話をなさった時の写真が、その壁に取り付けられていました。こんな感じのところです。
 このコンクリートのポールに手をかけて話しかけられたのです。


Eqpy9yly_s天皇の写真



 民家の建物の中の四角い空間は、こんな庭になっています。
 妻が大好きなイングリッシュ・ガーデンでした。


B1zx1vxp_s英国庭園



 ライデン市内には、日本に関するさまざまなものが目に飛び込んできます。
 そのいくつかを。旅先からの報告なので、説明は省きます。

 まずは、菅原道真の和歌が、壁に書かれているものから。
 「こちふかばにほひおこせよ梅の花……」


Bcwr94ny_sこちふかば



 次は、芭蕉の「荒海や……」の句です。
 町中で突然こんな壁に出くわすと、その状況に戸惑います。


Hnfzu7ii_s芭蕉



 次は、「川」と「州」という文字で書かれたアーツです。


Gp7bjpkx_s芸術?



 ウーン、おもしろい芸術です。でも、リアクションが難しいものです。

 最後は、私が海外でいつも探す寿司屋さんです。


Wlza6uvk_s寿司屋



 これは、泊まっているホテルの数件横にありました。この隣が中華料理屋さんなので、ここでの味がどうなのか、非常に興味があります。もっとも、今回この店で食事をする余裕がないのが残念です。



2008年6月16日 (月曜日)

ライデンの月光

日曜日のライデンの街は、お店がすべてお休みです。
お寿司屋さんを駅前の通りで見つけました。


Jabwy00a_s寿司屋



お店の中は、こんな感じです。

Xoekyamw_s店内



招き猫や布袋さんが見えます。
中華の感じがします。今回の滞在中に入れたらいいのですが、何かと仕事が忙しいので、難しそうです。

夕方から、ライデン大学の先生方と、明日の国際集会の打ち合わせと懇談会がありました。

Ofkzylud_s懇談会



写真の右下で歓談後、その左のレストランで食事をしながらの懇談です。
さまざまな分野の研究者との話は、知らないことがたくさん聞けて楽しいものです。
私の隣の席の方は2週間後に来日し、国文学研究資料館で半年間ほど研究するとのことでした。これからお付き合いが始まるだけに、楽しみが増えました。

その後、すぐそばの古城跡に登り、ライデンの街を見下ろしました。

Uj1yko6l_s市街



午後9時ごろなのに、こんな明るさです。

ホテルに着いた時には、空には月が出ていました。

Ccyeaoyz_sライデンの月



ライデンの月は、非常にさわやかな顔で、私たちを空から見ているようでした。




2008年6月15日 (日曜日)

夜でも明るいライデン

Yisb4_w0  ライデンの2日目は、明け方に雨が降りましたが、すぐにやみました。

 昨日は、アムステルダムの空港から電車で10数分のライデン中央駅に着きました。近代的な明るい駅舎です。まわりがレンガ色なので、その新しさが目立ちます。


Uplyw3re_sライデン中央駅



 ここは、自転車だらけです。
 駅前の地下は一大駐輪場となっています。
 通りには、ぎっしりと自転車が止めてあります。

 十分も歩かないうちに、今回宿泊するホテルに着きました。

F_1e0jj8_sホテル



 私は、裏の3階の部屋に入りました。ところが、先ほどフロントで無線のインターネットがつながったのに、部屋では無線のアクセスポイントは認識するのに、つながりません。
 フロントの女性に聞いたのですが、どうやら部屋の面倒までは見られない、という感じの対応です。ことばが通じればいいのですが、うまく窮状を訴えられません。
 ということで、前回の第一報は、フロント前のテーブルからアップしたものでした。

 夕食前に、町を少し散策しました。
 すぐ前の川岸に停めてある船で、何人かの人が食事をしています。


T4ah_p0n_s食事



 その船端には、数羽の白鳥が泳ぎ群れています。
 海鳥も、空を舞っています。

 この文章を書いている明け方の部屋では、カモメかウミネコらしい鳴き声が聞こえます。
 窓の前に、一羽の鳥が朝日を浴びていました。


Xyxaybz__s海鳥



 海の中にある町、ということが実感できます。

 昨夜は、夜の十時頃に日が落ちました。東京から12時間かかってアムステルダムに夕方着いたので、長い1日でした。海外に来ると、時間を得したのか損をしたのか、いつもその差し引きを考えてしまいます。

 今日は日曜日なので、お休みのところが多いようです。
 明日の準備もあることなので、持参した仕事を1つでも多くこなすことにします。





2008年6月14日 (土曜日)

オランダのライデンから第一報

 先ほど、オランダのライデンに着きました。
 日本の地震のニュースに驚いています。

 時差は7時間です。
 少し肌寒いので、日本の3月初旬の気候でしょうか。

 ホテルの無線LANを使っていますが、私の部屋ではつながらず、フロント前のテーブルでこれを書いています。

 これには、数日苦労しそうです。


2008年2月18日 (月曜日)

テルグ語訳とフィンランド語訳『源氏物語』

 今日は、海外で翻訳された『源氏物語』に縁のある日でした。

 まず、『家庭画報』の取材を受けました。5月号で『源氏物語』の特集があり、その資料提供と取材協力です。
 発行元である世界文化社の担当編集者とは、一昨日以来、電話やメールや街中で打ち合わせを持つなど、さまざまな形で情報交換をしました。
 ところが、いろいろな話をしているうちに、不思議と私が住んでいたところと縁のある方であることが、しだいにわかりました。
 今週末に「なりひらの恋」という演劇を観に行く、大阪府八尾市のプリズムホールは、その担当編集者が小さい時にピアノの発表会をしたところだとか。私は、八尾市高安の育ちです。妻は、この近くの学校で教員をしていた時があります。
 担当編集者が育ったと言われる所にあるヒバリヤ書店は、私が小さい時からよく通い、高校の時にはいつも途中下車をして本を読み漁った店です。
 また、高校と大学は京都だそうで、それも拙宅の近く。
 そして就職された先も近いのです。
 知り合いが平群にいると言われると、もう驚きを越して、「ヘー、アッソー」という無色透明で無臭に近い返事しか出なくなります。
 上京されての住まいも、私がいる深川の宿舎の近く、ということになると、さらに追い討ちをかけるような偶然尽くしです。
 家族のように、同じ生活圏で生きて来られたことに、改めて縁というものを感じます。こんなことがあるのです … 。

 さて、今日は、昨日私がお教えした国際交流基金の蔵書に関する報告を聞き、本当に驚きました。インドでテルグ語訳『源氏物語』が出ていたことを見つけてくださったのです。
 インドでは、従来は7種類の言語で『源氏物語』が翻訳されている、とされてきました。
 ヒンディー語、タミール語、テルグ語、マラヤラム語、ウルドゥー語、パンジャビ語、オリヤー語の7種類です。
 しかし、その翻訳事業の母体であるサヒタヤ・アカデミーの所長さんに伺った時も、またネルー大学の先生やその学生さんに調べてもらった時にも、ヒンディー語とタミール語の2種類しか出版されていない、とのことでした。
 ところが、もう一つ、テルグ語訳があったのです。
 国際交流基金のサイトから得た情報を転記します。

 書名 『Genji Gatha』
 作者 Murasaki Shikibu
 翻訳者 telugu tr. by N.V.R. Krishnamacharya
 出版 New Delhi : Sahitya Akademi, 1962
 刊年 1962
 形態 320 p. ; 19 cm
 出版国 インド
 標題言語 テルグ語 (tel)
 本文言語 テルグ語 (tel)
 著者情報 紫式部(987-1015) (ムラサキシキブ)
      Krishnamacharya, N. V. R.
 NCID BA45896272

 これで、インドでの『源氏物語』の翻訳は3種類の言語となりました。まだ私自身は確認していないのですが、国際交流基金にあることが確実のようなので、ここで修正します。
 つまり、過日のブログで書いたこと(http://blog.kansai.com/genjiito/176)を補正すると、次のように19言語となります。

アラビア語・イタリア語・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・タミール語・チェコ語・中国語・テルグ語・ドイツ語・ハングル・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ポルトガル語・ロシア語・ウクライナ語(未確認)︰(2008年3月現在)

 このインドに関しては、もっと精査する必要がありそうです。残る4種類も、意外なところから見つかるような気がしてきました。

 また、『家庭画報』のために資料を整理したところ、拙編『海外における源氏物語』(平成15年刊)で掲載した翻訳書の、表紙だけが別のものになった異版を持っていることがわかりました。
 フランス語訳とドイツ語訳と英訳(サイデンステッカー)の3冊は、架蔵の本は新しい装丁になったものでした。
 翻訳本の調査収集は、本当に大変です。

 本日、職場の移転に伴う引っ越し荷物の送り出しを終えて、グッタリとして宿舎に帰ったところ、小包が来ていました。
 フィンランドへ留学に行っている仲間から、フィンランド語訳『源氏物語』を送ってくれたのです。
 京都府立大学のラリー・ウォーカーさんが、私のために探してくださったのです。ただし、全4巻のうち第1巻がまだ見つからないとのこと。
 ゆっくり探してください。感謝感謝です。


Cj6trvfs_sフィンランド語訳



 本当に、仲間はありがたいものです。
 このフィンランド語訳は、この時期の入手を諦めていた本です。
 実は、この翻訳をした人は、現在日本の参議院議員をしている人です。連絡先はわかっているので、取材に出かけようとしたのですが、公務員の国会議員との付き合いは慎重に、という通達が昨年末に出たこともあり、接触を控えていたのです。『源氏物語』の研究と、近く予想される衆議院選挙とは関係ないことです。しかし、当の本人が注目されている野党の方なので、話がややこしくならないように自粛していたのです。人は好きなことを言いますから。

 それにしても、必要に迫られて集中すると、さまざまな情報や物が、いろいろな形で飛び込んで来ます。
 日々コツコツと弛まぬ努力を重ねることです、と言うと陳腐な物言いですが、諦めることなく探し求め続けることは、どんな場合にも大事な心構えだ、ということを痛感しました。




2008年2月16日 (土曜日)

アーサー・ウェイリー宅訪問記

 『源氏物語』を英訳したアーサー・ウェイリーの晩年の住まいを訪れたのは、今からちょうど7年前の2月のことです。
 もっともその訪問は、当初の予定にはなかったものでした。

 本当に偶然のことなのですが、大英図書館の知人を訪ねて行き、ウェイリーのことを話題にしたところ、何とウェイリーの曾孫さんが同じ職場にいらっしゃるとのことでした。
 これは幸運とばかりに連絡をとってもらったところ、その日は出勤なさっており、しかも快く会ってくださいました。


Pe4kfilk_sウェイリーの曾孫さん




 ウェイリーの曾孫さんは詩人でした。ウェイリーのお兄さんのお孫さんにあたられます。自作の詩をいただいたのですが、中近東のことばだったので反応に困った覚えがあります。
 ウェイリーのことは、ほとんど覚えておられませんでした。しかし、近くに晩年の住居が今も残っているとのことだったので、早速行ってみることにしました。
 ロンドンの郊外ですが、地下鉄ですぐの所でした。
 住宅地の小高いところに立つ、そうとう古い建物でした。


9bgwdzrn_s住居



 イギリスでは、著名な人が住んでいた家には、壁にプレートが埋め込まれています。
 ウェイリーの住居にも、ブルーのプレートが嵌め込まれていました。


C8q9gba9_sプレート



 家の入り口には蔦や楓が茂り、誰も住まなくなって久しいのか、廃屋の印象がありました。


Bhmy_aad_s玄関先



 裏庭に回ると、石のライオンがポツンと一人で、主なき館を守っているようでした。


Lvys3ott_s裏庭


 日本ではウェイリーは『源氏物語』の翻訳などで著名です。しかし、イギリスでは東洋の文学を紹介した男を、そんなに高く評価はしていないようです。

 ウェイリーについては、たくさんの思い出があります。

 初めてロンドンに行った時のことです。というか、飛行機に乗ることを拒否していた私が、生まれて初めて飛行機に乗り、それがしかも外国だった1994年、42歳の時のことです。
 最初に宿泊したホテルが、大英博物館のそばでロンドン大学の前にあるホテル・ラッセルでした。
 最初の晩は、初めての海外旅行ということで眠れないままに、スーツケースに入れて来ていた『源氏物語に魅せられた男 アーサー・ウェイリー伝』(宮本昭三郎、新潮社、1993)をパラパラと読んでいました。すると、何とこの本に、今自分がゴロンとしているここ、ホテル・ラッセルでウェイリーが『源氏物語』を翻訳をした、と書かれているではないですか。
 とにかく、その偶然に驚き、翌日は早速フロントで下手でシドロモドロな英語で交渉をし、ウェイリーがいたとされる上階に部屋を代えてもらいました。
 また、ホテルの前のラッセル・スクエアを朝晩に散策しました。その後も、この地域であるブルームズベリーは、私の散策場所になりました。そして、『ブルームズベリーの恋』(アリスン・ウェイリー、河出書房新社、1992)を読み、ウェイリーのロンドン時代を身近に感じたものです。

 偶然というものは、本当におもしろいものです。
 これからも、たくさんの偶然を楽しみながら、いろいろなものを見て、聞いて、語りたいと思います。






2008年2月15日 (金曜日)

世界中で読まれている『源氏物語』

 『源氏物語』は世界中で読まれています。
 私は、『源氏物語』に関する文献の調査収集をしています。その中でも、海外での翻訳本は網羅的に集めています。
 そのせいもあってか、いろいろな問い合わせがあります。
 一番多いのが、「源氏物語は世界の何カ国で翻訳されていますか」という質問です。英語訳が各国で販売されている関係で、『源氏物語』が何カ国で、ということと、何種類の言語で訳されているか、ということは次元を異にする問題です。
 何カ国で、ということは一概には言えません。しかし、何種類の言語で、と聞かれると、「18種類の言語で翻訳されている。」と回答できます。

 その18種類の言語とは、次のものです。

アラビア語・イタリア語・英語・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・タミール語・チェコ語・中国語・ドイツ語・ハングル・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ポルトガル語・ロシア語・ウクライナ語(未確認)︰(2008年3月現在)

 この中で、ウクライナ語が未確認となっている事情を説明します。
 平成9年9月9日の読売新聞の記事に、ウクライナの元大学教授が完訳に挑戦している、という記事があります。しかし、実はその翻訳が完成したのかどうか、ということがわからなのです。
 『源氏物語』のロシア語訳をなさったタチアナ先生に、ロシアへ行って直接お話を伺った時も、そして最近メールで確認した時にも、その確証が得られなかったのです。
 『源氏物語』の完訳を目指しているとされた元ウクライナの大学の先生の奥さんと、タチアナ先生はお付き合いがあるとのことでした。しかし、奥さんからそのような話を伺ったことがなく、また最近は連絡をとっていないのでわからない、とのことでした。そのような事情で、ウクライナ語訳の本の存在は未確認です。
 また、最近モスクワ大学へ行った仲間にも問い合わせをしましたが、やはりその本の確認がとれませんでした。
 しかたがって、刊行されている『源氏物語』の翻訳言語の数は、正確に私の手元で確認できるのは17言語ということになります。

 また、『源氏物語』のフィンランド語訳もありますが、その翻訳者の一人が某政党の国会議員なので、選挙が云々される時節柄、聞き取り取材を控えています。これについては、今夏にもお目にかかって、さまざまな苦労話を聞くつもりです。

 私の手元にない『源氏物語』の翻訳本は、一つはクロアチア語訳であり、もう一つは2種類あるオランダ語訳です。特に、クロアチア語訳の『源氏物語』は、公的機関では京都外国語大学が唯一持っています。先日、京都外国語大学へ行き、この本の書誌を調査をしてきました。すばらしい装丁の本でした。
 このウクライナ語訳の『源氏物語』は、本年4月26日(土曜日)〜6月8日(日曜日)に京都文化博物館で開催される「源氏物語千年紀展」に展示されますので、ぜひ見てほしいと思います。非常に立派な装丁の本です。
 また、このイベントの図録の翻訳本の解説は私が執筆していますので、併せてご覧いただければ幸いです。
 今年は『源氏物語』の千年紀ということで、さまざまなイベントが組まれています。そして、『源氏物語』の外国語訳の展示も多いかと思います。
 これを機会に、日本の文化を代表するものの一つとしての『源氏物語』の理解を深め、日本の文化基盤のすばらしさとともに、文化行政の立ち後れを実感していただきたいと思います。

 国際文化交流の視点からも、今年の千年紀の盛り上がりの中で、『源氏物語』の果たす役割に期待したいと思います。

2008年2月14日 (木曜日)

中国にあるか?『源氏物語』の古写本

 中国東北地方(旧満州)に、まだ『源氏物語』の古写本が残っているはずです。
 それも、鎌倉時代の貴重な写本が … 。

 第2次世界大戦後、中国東北地方で『源氏物語』の古写本が姿を消しました。
 それは、「従一位麗子本」と呼ばれる貴重なもので、鎌倉時代の末期の書写だと言われています。これは、『古文書の面白さ』(北小路健、昭和59年、新潮選書)に書かれている情報によるものです。
 すでに、同氏は、渡部栄の名前で『源氏物語従一位麗子本之研究』(昭和11年、大道社)を刊行され、その本文の異質さが論じられています。その本に引かれた本文を、現存の本文と比較すると、鎌倉時代の本文を伝える陽明文庫本や伝阿仏尼筆本に近い、研究上たいへん貴重な存在と言える写本なのです。

 しかし、その本を渡部氏以外は誰も見ていないのが問題です。
 氏の著書に、写真が数枚掲載されているだけです。 平安時代の『源氏物語』の写本はまだ確認されていません。すべて、鎌倉時代以降のものです。そして、鎌倉時代の『源氏物語』については、まだまだ研究されていないのです。特に、その本文が確認できれば、『源氏物語』の研究は大きく進展します。
 『古文書の面白さ』によれば、終戦時にロシアの進攻にともない、長春(戦時中の新京)の本屋さんに預けたことになっています。地名としては、四馬路、五馬路があがっていました。


Bxtyngyq_s四馬路標識



 長春に調査で行った折に、八十歳になられる呂元明先生(元東北師範大学教授)が、私の話に興味を持ってくださいました。そして、地元にお詳しい先生とご一緒に、それらしき所(四馬路や五馬路等)を訪ねました。地元の人にも聞いてくださいました。


Ygzxowy7_s呂先生聞き込み



 しかし、手がかりは何もありませんでした。

 この本の流転の話を吉林大学の先生方にしたところ、非常に興味を持ってくださいました。これまで、まったくこの本(従一位麗子本)のことをご存知なかったのです。
 今後は現地の方が意識して動かれるので、おもしろくなります。
 本は、探している者の元に現れる、と言いますから。







2008年2月 8日 (金曜日)

海外との連絡はメールで

 今、『源氏物語』が海外でどのように読まれているか、という情報をまとめた本を編集しています。
 これまでに知りあった方々に、情報提供をお願いしていました。そして、そのほとんどが揃ったので、とりまとめの編集に入っています。
 この仕事には、大学の後輩が精力的に協力してくれています。私が直接に教えた学生さんではないのですが、ありがたいことです。惚けが進行中の私にとっては、若い方の手助けは、本当に助かります。

 そこで、各国の方々との連絡の取り方などについて、参考までに少し記しておきましょう。
 ちなみに、私は英語は少しだけ読めますが、話したり書いたりはできません。
 日本語しか使えないので、相手先の方々の日本語能力に縋って、いわゆる国際的な仕事を何とかこなしています。人間には、努力を積み重ねても無理なことはあるものだ、という考え方を確信しています。というか、逃げ道にしています。
 英会話の本や、ヒンディー語の会話本、そしてイタリア語、中国語、ハングル、アラビア語、フランス語などなど、会話の本は枚挙に暇がないほど書棚に並んでいます。私は、猫に小判、豚に真珠の典型です。
 ということで、もちろんメールは日本語です。電話も、日本語の共通語を使います。
 メール環境が悪い時には、ローマ字でやりとりもしています。

 当然のことですが、私とのお付き合いに関係するので、人による違いはあります。相手はほとんどが懇意にしている方々なので、反応の早い遅いは、内容はもとより、その国の生活習慣や情報環境に依存しているように思われます。
 以下のメモは、あくまでも私の場合は、ということなので、独断と偏見によるものであることを、あらかじめご了承願います。
 総体的には、グーグルメールが一番汎用的な通信手段と言えましょう。アドレスを一つ取得しておくと、コミュニケーションをとる時に、何かと重宝すること請け合いです。


【イギリス】頻繁にメールをやり取りしています。日本と同じ感覚です。郵便も、頻繁にやりとりしています。
【フィンランド】大変丁寧で、そして早いので助かります。
【スゥェーデン】相手が学生さんのせいもありますが、反応は非常に早いです。
【オランダ】数少ない方々との事務的なことが多いので、少し遅いように思います。
【ドイツ】学生さんなので、非常に早いです。
【スペイン】非常に早くて、快適です。
【フランス】比較的のんびりしているように思います。ただし、丁寧で好感が持てます。
【イタリア】非常に早いと思います。日本語がシステムとして使えない方が多いので、添付ファイルでやりとりします。イタリアの方はノンビリしていると思っていたのですが、返信が早いので意外です。
【ポーランド】少し遅いように思います。しかし、相手が忙しいということもありますが。
【オーストリア】メールの反応は早い方です。
【ロシア】世界で一番返信が早い国のように思います。そして、雑談が楽しいですね。季節の話ができます。
【トルコ】何事もメールで十分です。反応は早い方です。
【サウジアラビア】メールでの連絡は快適です。資料のやりとりも快適です。
【シリア】通信環境がよくないので、ヤフーメールを使います。
【エジプト】メールを出すと、すぐに返事がもらえます。連絡には不便を感じません。
【パキスタン】メールでの反応は非常に早いと思います。政情から見て、意外です。
【インド】メールの返事は遅い方が多いようです。携帯電話をすると、すぐに出てくださるので、急用は電話でしています。日本語がシステムとして使えない方が多いので、添付ファイルでやりとりします。知人が多いので、いろいろとあります。郵便は配達が非常に不安定なので使いません。
【タイ】メールで、十分にコミュニケーションがとれます。
【オーストラリア】返信も早く、非常に快適です。
【中国】メールで十分です。反応は速い方です。
【台湾】連絡は快適で、すぐに返信が来ます。日本と同じ感覚です。
【韓国】メールで十分です。反応は、やや遅いように思います。
【カナダ】返信が早く、不便を感じません。
【アメリカ】皆さん忙しい方々なので、少し待つことが多いようです。西海岸よりも、東海岸からの返信が早いようです。
【日本】これは一言、人によります。内容と親疎の度合いによるようです。急ぎの依頼の時には、世界で一番早く助け船を出してもらえます。


 日本の仲間は、本当にすごい仲間たちです。この仲間たちが世界中に広がっているので、困った時には大いに助かります。各国大使館、国際交流基金、大学図書館などなど。力強い味方が世界中にいることは、非常に心強いことです。




2007年10月 9日 (火曜日)

72歳のアラン・ドロン

 昨日、山形市からの帰途、ノドの痛みに耐えかねて、東京駅の構内にある薬局で風邪薬を買いました。今日も朝からノドが痛く、熱が出だしました。今週もハードなスケジュールが組まれているので、寝ているわけにはいきません。しかし、体がだるくて、一日中臥せっていました。

 そんなこともあり、シェフを目指す息子に、ポトフを作ってもらいました。一風変わった卵料理も一緒に。

 息子の料理を食べていたら、テレビでスマップの料理番組をしていました。そのまま観ていたら、アラン・ドロンが出ているではありませんか。何と贅沢な……。
 彼は、私と誕生日が同じなので、親近感をもっています。ほんとうに手前勝手な、どうでもいいことですが……。

 アラン・ドロンがスマップの料理に対して下すコメントは、歯に衣を着せぬというか、おもしろいものでした。遠慮なく、本物とは違う、と言うのです。ただし、必ず「おいしい」ということばは忘れずに。

 一緒に観ていた息子は、フランス人は保守的だな、とつぶやいていました。創作・創造がわからないのだと……。立場が異なると、そんな感想もあるのですね。

 この日は、アラン・ドロンのためのブイヤベースがテーマでした。
 息子いわく、世界の三大スープは、ブイヤベース(フランス)・フカヒレスープ(中国)・トムヤンクン(タイ)だそうです。ボルシチ(ロシア)が入ることもあるかも、とか。
 そのブイヤベースに対するアラン・ドロンのコメントを聞いていた息子は、この人はマルセイユの料理をあまり知らんみたいだ、と言うのです。マルセイユの代表的な料理であるブイヤベースに使う食材を知らないところからの、息子なりの意見です。しばし、テレビのアラン・ドロンを観ながら、息子の蘊蓄に耳を傾けました。
 世界のアラン・ドロンを批評するなど、息子もなかなか成長したものです。もっとも、息子の世代は、アラン・ドロンが何者かは、ほとんど知らないようです。

 それにしても、アラン・ドロンは存在感がありますね。たくさんの映画を観ました。まだ元気なのを知り、うれしくなりました。いつまでも、カッコイイですね。72歳とは、とても思えない人です。

 アラン・ドロンが元気であることを知り、熱で気落ちしていた私にも、爽快な元気をもらった気がします。

2007年8月 6日 (月曜日)

ピカは人が落とさにゃ落ちて来ん

 広島に原爆が落とされた今日、マスコミは相変わらず賑やかに被爆、被災、被害に関するお祭り報道をしていました。日本は、「被」を冠する受け身の戦争体験国という位置づけであることは、もう何十年も続いています。
 しかし、原爆は人間の手によって落とされたものです。そして、それを落とした人が、落とすように命令した人が、落とした国があり、それもその国が特定できるのです。今は、大量殺人国家として地球のお荷物と化している国です。原爆を落とした国に対して、なぜ落とされた国はペコペコと低姿勢で揉み手をしているのでしょうか。

 原爆を落とした国の大統領が、誰か一人でも広島に来ましたか? そして、自分たちがやったことを謝りましたか? かえって、戦争を早く終わらせるためにも原爆は必要だった、というのが、当該大量殺人国家の言い分です。私は、どう考えても変だと思います。

 一昨年の秋に、インドのニューデリーで「インド日本文学会」の第2回を開催しました。この会は、ネルー大学のアニタ先生とデリー大学のウニタ先生、そして私の3人で作った学会です。そこで、デリー大学の学生が、原爆の絵本を手にして、「ピカは人が落とさにゃ落ちて来ん」とみんなで朗読しました。

Iwrbswj0_s絵本ピカ


 インドも核を持っているので、この劇は少し説得力に欠けましたが、それでも日本の歴史を理解し、戦争について考えようという姿勢は評価できます。

 先日、中島岳志氏の『パール判事』という本の紹介をしました。その中に、印象的なエピソードが語られています。
 パールは、広島の原爆慰霊碑に刻まれた「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」ということばに問題点を見い出します。それは、日本人がどんな過ちを犯したというのか、という疑問です。そして、落としたアメリカの反省がないことについて非難しています。

 この問題は、今に引きずっています。私も、かつてブログでこうしたことを問題にしました。

「地球のお荷物アメリカ」(2006.9.11)
http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=2006&month=9&id=1157986341

「日本人を「畜生」扱いするアメリカ人」(2006.9.13)
http://www.npo-genjimonogatari.org/blog/genjiito/index.php?categ=1&year=2006&month=9&id=1158075405

 後者では、井上ひさし氏がよく講演会で例に出されるという、以下のことばを引きました。

トルーマン大統領が長崎と広島に原爆を落としたときの喜びようは、彼が当時のローマ法王ピウス12世に宛てたメッセージに見事なまでに言い表されている。
 「畜生には畜生に応じた懲らしめが必要なのです」
(堀武昭著『「アメリカ抜き」で世界を考える』29頁、2006.1、新潮社)


 広島の次は、長崎に原爆が落とされた日が来ます。原爆を落とした国に、自分たちがしたことの意味を、さらには地球上で仲良く共存していくために必要な知性を、何とかして教えてあげたいものです。

2007年7月10日 (火曜日)

ド派手な「舞妓Haaaan!!!」

 テンションの高い映画です。何も情報を持たずに、それも通り掛かりに観たせいか、話の展開の意外性を大いに楽しみました。奇想天外な発想に、脳ミソをくすぐられます。
 内容の概略については、インターネットに公式のウェブサイトがあります。
http://www.maikohaaaan.com
 ここでは、至れり尽くせりの情報が満載です。これを見てから観る人も多いことでしょう。

 主人公は、京都のお茶屋で舞妓さんと野球拳をすることを夢見ています。最後に実現させるのですが、私は野球拳からリンハルト先生を思い出しました。
 ウィーン大学のリンハルト先生は、昭和17年に山片蟠桃賞をとられました。一昨年の夏、ウィー大学で開催された「EAJS」という学会でお目にかかりました。著書は『拳の文化史』(角川書店)。虎拳、狐拳、虫拳、そしてジャンケンなどなど。日本文化の中での拳を通して、日本社会の力の構造を探求しておられるのです。先生は、祇園のお茶屋で虎拳を研究としてなさったとか。海外から見る日本の魅力は、日本に定住している者にはわからないのかもしれません。文化というものは、本当におもしろいものです。

 お茶屋についても、映画を観た後に、明治時代に海外へのお土産用として作られた写真を思い出しました。それは、『THE JAPANESE TEA-HOUSE. The Social Restaurant.』(高木庭次郎、明治39年、玉村写真館)というものです(これは近々公開されるはずです)。その序文に、こう記されています。

The Japanese tea-house(social restaurant) is a national institution,and is patronised by all classes of society,there being many grades of these refreshment houses,from the highest to the lowest. These sketches represent the middle class tea-house,and thus,from a moral point of view,the repesentations are in no way extraordinary.

【日本のお茶屋(社交の場としてのレストラン)は、日本の慣習の一つで、日本社会に存在する身分階級の上から下まで、階級ごとに多くのお茶屋が運営されています。この絵では中流階級のお茶屋が描かれています。したがって、ここに描かれている表現は決して風変わりで驚くべきものというわけではありません。】

 この写真集には、お茶屋でのあそびの作法について、一つ一つの写真に説明があります。今で言えば、日本の文化の紹介ですが、当時は外国人に興味を持たれた珍しいものとして、商品価値を有するお土産だったようです。

 「舞妓Haaaan!!!」も、日本の伝統的な文化を自分とは切り離されたものとして眺めて楽しむものとなったお茶屋でのあそびが、明治の頃に外国人が興味を示したことと同じレベルで見せてくれます。
 今から百年前に外から日本を見たのと同じような視点で描いたこの映画は、日本の文化が外から興味本位で覗き見する対象になったことを示すものだと思います。

 気付かなかった日本の伝統文化を、このようにして再認識するのは、行き詰まった日本の将来を考える上で、メディアからの問題提起として、非常に好ましいものになっていると思います。
 難しくなくて、こうした楽しいものに形を変えて日本文化の魅力が提示されることは、日本再認識のいい手法だと言えましょう。

 また一つ、いい映画が出来上がったようです。
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